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2018年6月 7日 (木)

梅雨の晴れ間……いつもの散歩プラス仏眼院へ

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 昨日とは打って変わって好天。とはいえ、若干雲が多い感じで、梅雨に入った影響はあるのかも知れません。梅雨の晴れ間は、散歩しなくてはなりません(別に強迫的にそう思っているのではありませんが)。8時半前から住吉神社、歌行燈本店、九華公園、貝塚公園、内堀南公園から入江葭町、吉津屋堀、京町、寺町、田町と6.2㎞。久しぶりの6㎞越えでした。
Img_5685c 歌行燈本店のアジサイ、まだまだしっかりと楽しめます。手入れ、水やりをきちんとしていらっしゃるからと思います。名前を知っているともっと楽しめそうですが、そこまではなかなか大変。どなたか丁寧に教えていただけないかと、わがままなことを考えたりしています(苦笑)。
Img_5092c いきなり、不出来な証拠写真で恐縮ですが、トビ。九華公園上空に2羽飛来。時々やって来ます。逆光で、距離があり、こういう次第。このほか、鳥は見事にいません。スズメ、ムクドリ、カラス、ドバトくらい。コゲラの鳴き声がしていたのと、カワラヒワを見たくらい。
Img_5017c 花菖蒲もまだ見応え十分。今日は、掃除に来てくださっているシルバー人Img_5028c_2 材センターの方が、咲き終えた花柄を丁寧に取り除いておられました。これで、来園者の方々に楽しんでいただけるでしょう。
Img_5036c それにしても、いつもいつも同じような写真ではなぁと思いつつ、バリエーシImg_5696c ョンをつけるのに苦労します。アタマが硬いせいもあるかも知れません。今日も何人もの方がカメラ片手にやって来ておられましたが、皆さんそれぞれに工夫しておられます。撮影会を撮影するのと同様、他の方の取り方を観察学習して来るとよいかなと思います。
Img_5055c 鎮国守国神社の境内で、ちょっと代わったアジサイを発見。稲荷社の鳥Img_5056c 居のすぐ南。看板と木々の陰にあったので、今まで気づいていませんでした。何という種類かは、小生には不明(笑)。今度大奥様にお目にかかれたら、伺ってきます。
Img_5041c 九華公園、鳥はいませんが、ミドリガメがあちこちに上陸して来てウロウImg_5030c ロしています。産卵シーズン真っ盛り。人間を見つけると、猛スピードで移動するのが、笑えます。今年は、産卵用の穴を掘っているところは見るのですが、産卵シーンそのものは未見。右の写真は奥平屋敷跡で撮ったものですが、1時間ほど後で見に行ったら、穴はそのままでいなくなっていました。
Img_5111c ツバメの巣も、いつもの4ヶ所を巡回してきましたが、どこも不在。左は京Img_5118c 町のマンション駐車場の巣。巣立ったようでした。近くの呉服屋さんの巣は、不在。奥にある巣を修復してあったのですが、ツバメはいません。右は、田町の巣。2ヶ所あり、1ヶ所は先日巣立ったようです。もう1ヶ所は、ご覧のように修復してあるのですが、やはり不在。田町の商店、今日は不在。ここは、親がいたり、いなかったりでよく分からない状況。
Img_5726c 鳥もいませんし、アジサイ、花菖蒲もワンパターンかと思い、南魚町にある仏眼院に立ち寄って来ました。創建は不詳ですが、最澄によると伝わっているそうです。醍醐天皇によって桑名総社(春日神社)の神宮寺に定められたともいいます。桑名藩主からも大切にされ、藩士の墓もたくさんあります。しかし、火事や戦災によりその多くを焼失してしまいました。
Img_5729c もとは市内東方に、その後は、旧・桑名城の天守閣があったあたりにあったといいます(新桑名歴史散歩)。天台宗のお寺。山号は寳興山(ほうこうざん)、ご本尊は文殊菩薩。
Img_5730c 現存する寺宝のうち「喚鐘(かんしょう:お勤めなどの合図の鐘)」は万治2(1659)年、桑名の鋳物師・広瀬家次作で市文化財に指定されています。喚鐘は普通は口径30cm程度だそうですが、これは47cmとかなり大きいものです。
Img_5724c 今は小さなお寺になっていて、銅鐘は、寺の裏側にあります(市指定文Img_5720c 化財)。この鐘は、明治初年までは桑名宗社内神宮寺(神社に付属して建てられた寺院)にあったもので、明治元(1868)年の神仏混合廃止令により東金井の徳元寺(浄土真宗本願寺派)に買収されたものを平成29年に仏眼院が買い戻したそうです。鋳造は、寛永15(1638)年、京都の近藤丹波、藤久の作です。北勢地方最古の梵鐘だそうです。
Img_5739c 境内には、この「精義学校開校之地」という記念碑があります。現在の桑名市立精義小学校です。明治Img_5740c 8(1875)年11月17日開校とあります。精義小学校にも、いつ創立したかの石碑があったように思うのですが、自分のブログを検索しても記述は見つかりませんでした。明治22(1889)年4月に市町村制が実施され、桑名町が発足したときには、精義小学校は、第二尋常小学校としてすでにあったようです。
Img_5741c 仏眼院の北、道を一本はさんで墓地があります。ここには、初代桑名東城主伊藤武左衛門実房、同二代城主実倫の墓、桑名刀工村正一族と思われる千子宗入禅定門(承応4(1655)年没)の墓、国学者三崎葦牙(あしかび:明治20(1887)年没)の墓などがあります。墓地を一度見たいとは思いつつ、まだ果たせていません。

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