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2018年6月 3日 (日)

20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その3)……萬古神社からゴールの近鉄・川原町駅へ(完)

201805123  5月12日に出かけた近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”のその3です。もう6月ですから、いい加減にキリをつけないとと思い、大車輪であります(笑)。

Img_4201c_2 萬古神社は、昭和10(1935)年に萬古陶磁器商工組合によって創設された、新しい神社です。氏子地域はImg_4203c 特になく、崇敬者の方々によって維持されています。鎮座地は、四日市市陶栄町。まさに陶器が栄えるように名付けられたような名前。御祭神は、埴安彦神(ハニヤスヒコノカミ、土を司る神様)、埴安姫神(ハニヤスヒメノカミ)、罔象女神(みつはのめのかみ、水の神)、火産霊神(ホムスビノカミ=迦具土神(カグツチノカミ)、火の神)。さらに、萬古焼の創始者である沼波弄山(ぬなみろうざん)も祀られています。
Img_4207c_2  ちなみに、埴安神の「ハニ」(埴)は粘土で、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意味といわれます。埴安神は、イザナギとイザナミの間に産れた諸神の一柱です。「日本書紀」では埴安神とされます。「古事記」では、火神を産んで死ぬ間際のイザナミの大便から波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の二神が化生したとしています。埴山彦神・埴山姫神の二神は、埴安神と同一の神格で、彦・姫の二神を一神の名として称したのが埴安神であるとされます。境内には、この写真のように、萬古焼でつくったと思われる説明板もありました。
Img_4213c 境内は狭く、萬古まつりのため大賑わい。イベントのためのテントも張られImg_4215c ていて、拝殿の全体像の写真をとることは不可能。拝殿はけっこう立派で、御神酒がたくさん供えられていました。
Img_4219c
 「萬古神社」の額は、公爵「一条實孝」の書によるとあります。一条実孝(1880~1959)は、明治から昭和時代前期の軍人、華族。いわゆる五摂家の一つですが、萬古神社と何か関係があるのでしょうか? 蟹江のJRさわやかウォーキングでも(JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その1)……蟹江町歴史資料館、蟹江城址、秋葉神社他)、秋葉神社の社名標を五摂家の一つ、二条弼基が揮毫していましたが、こういう方々は地元と何か関係があるのでしょうかねぇ? よく分かりません。
Img_4217c こちらの奉納された「絵馬(といってよいのかどうか? 絵馬は、 ご祈願やお礼参りの際に神社に奉納する絵を描いた板だそうですから、あながち間違ってはいないような気もします)」。何気なく写真を撮ってきたのですが、よく見ますと、「奉納」という文字に向かって左横に縦に「加藤清正 名古屋城手植松」とありました。名古屋城築城に参加した加藤清正公がお手植えになった松の木からとった板を使ったということでしょうか? 「木下賢山」は、萬古焼の名工の方のようです。ネット情報では、これ以上詳しいことは不明。
Img_4249c 境内にはいろいろな石碑などもあったのですが、まず目を引いたのは、こちらの灯籠。茶色をしています。陶器製に間違いありません。さすがというしかありませんが、由来などは不明。このほか調べてみると、拝殿の向こうに陶製の狛犬があるとか、網に囲われた、陶製の恵比寿様のような像が2体あるとか、いろいろとあとから分かったものの、当日の賑わいでは気づきませんでした。
Img_4224c 狛犬チェック。拝殿前の狛犬は、ごく普通のものでした。Img_4228c といっても、知識のある方がご覧になると、どういうタイプであるなど詳しいことが分かるかも知れません。
Img_4232c その他、順不同になりますが、境内にあったものを見てImg_4265c いきます。こちらは、境内の北側にあった石碑。「萬古神社祭神」と刻まれていると思います。碑陰には、「昭和十年四月十五日建之 宮田小右衛門」と読めました。神社が創始されたときのものかと思います。
Img_4236c こちらの石像は、大正時代に登り窯からImg_4238c 石炭窯へと萬古焼の技術革新に貢献した森太郎右衛門の像です。台座の正面には、「太郎右衛門碑」と刻まれていると思います。向かって左には、「大正十二年十一月建之 萬古窯○有志者 勲七等青色桐葉章 山本忠太郎叙勲 子弟 西野與次」とあります。この石像はもともと阿倉川の唯福寺にあったものを昭和52(1977)年4月にここに移築しています。田端山唯福寺は、四日市市東阿倉川にある浄土真宗大谷派のお寺。四日市における萬古焼は、幕末に唯福寺の住職が信楽の陶工・上島庄助を招いて窯を開いたことに始まるといわれ、唯福寺の境内には「海蔵庵窯跡」碑があり、門前には「四日市萬古発祥之地」と刻まれた石碑もあるそうです。
Img_4261c こちらは、鳥居の北に建つ「山中忠左衛門翁顕彰碑」。山中忠左衛門Img_4256c は、末永村(三重県四日市市橋北地区)の人。幕末~明治時代の陶工で、嘉永(1848~54)の頃、森有節の萬古焼の製法をまねて急須などを製作し、その製品は新萬古焼とよばれ、四日市萬古焼の父とされています。この顕彰碑は、昭和40(1965)年6月に、熊本貞治郎、山本貞三のお二人の「国家褒賞受賞記念」として、萬古陶磁器工業協同組合、萬古陶磁器卸商業協同組合との連盟で建てられています。
Img_4252c こちらは、田中七草(1899~1987)の句碑。「更紗文 あかき古陶や 春Img_4254c ふかむ」と書かれているそうです(達筆すぎて、読めません……涙)。七草は本名を雄吉といい、東大医学部出身の産婦人科医。昭和医学専門学校教授の後、四日市で開業。「ホトトギス」に出句、のちに「馬酔木」に入会し句歴を重ねた。30年には「四日市馬酔木会」を結成し、36年には「馬酔木」同人に推挙されています。この句碑は、昭和61(1986)年5月に三重馬酔木会が建立。田中七草の説明は、こちら(pdfファイル)の12ページ、「シリーズ郷土の偉傑⑩」にあります。
Img_4243c 陶製灯籠の傍らにあった石柱。「大巧若拙 四日市市長井上哲夫」と刻まれています。碑陰を見ると、萬古陶器卸商業協同組合が記念植樹をした時のものでした。平成12(2000)年11月に建之。井上哲夫は、弁護士。参議院議員を一期(1989~1995年)務めた後、第15代四日市市長(3期、1996~2008)。
Img_4207c_3 境内には、萬古焼でつくられたものが他にもあります。左Img_4205c_2 は、由緒書きというか、萬古神社の説明。右は、萬古焼の説明ですが、こちらは色が薄れてほとんど読み取れません。
Img_4247c 神社では、萬古まつりのイベントが開催されていました。テントが張られ、Img_4251c ブルーシートを敷いた仮設「舞台」も。いささか高齢のフラガールのダンスや、歌なども行われていて、けっこうな人気。テントの下の椅子席はほぼ満杯。小生も、なぜかしばし見てしまいました(苦笑)。
Img_4268c 萬古神社に到着したのは、12時20分頃。境内は賑わっていたのですが、Img_4270c お腹も空いたので、ここで持参のおにぎり2個で昼食。大賑わいのお陰で、上に書きましたように気づかなかったものもあったのですが、これでこの日のハイキングのスポットはすべて制覇。萬古まつりが行われているとおりに出ると、ゴールの近鉄名古屋線・川原町駅はすぐそこ。
Img_4272c 川原町駅には、12時40分到着。近鉄富田駅を9時40分にスタートして、右の地図のコースをたどって3時20180512 間。約8.9㎞。川原町駅は、近鉄四日市駅から1駅名古屋方向。平成28(2016)年5月に高架化工事が完了した新しい駅。
Img_4280c ホームの駅名表示板には、「萬古焼の郷」とあります。ウ~ム、もともと桑名発祥の萬古焼なのに、すっかりお株を奪われています。12時54分発の名古屋行き準急に乗車。桑名着は、13時11分。¥300。
Img_3875c ところで、あみま倶楽部のスタンプは、この日で11個目をゲット。萬古まつりで萬古焼の品物をはじめとしていろいろと店が出ていましたが、何も買わず仕舞い。ということで、今回は、お土産も、食レポもありません。これにて「完」。

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