ようやく5月12日に行ってきた近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”の本編に取りかかれます(微笑)。この日のコースは、近鉄富田駅がスタート。四日市港ポートビルを見学し、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くのばんこの里会館と萬古神社も立ち寄りスポットで、ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅。マップのサブタイトルに、「萬古焼の始祖 沼波弄山(ぬなみろうざん) 生誕300年記念」とありますが、沼波弄山は、桑名の豪商。元文年間(1736~1741年)、当時、桑名藩領だった、現在の朝日町小向に窯を構えたのです。今では、萬古焼というとすっかり四日市のイメージで、個人的には「お株を奪われた」と思っています。それはまた、後ほど触れるかも知れません。

いただいたコースマップには、約8㎞とありました。ほとんど寄り道するところがありませんでしたので、距離測βで確認しても、8.8㎞でした。左が、実際に歩いたコースと距離。今回行きたかったのは、四日市港ポートビル(うみてらす14)と、萬古まつり、萬古神社です。いずれも、近いのに今までいっていないところ(微笑)。

受付は9時40分から11時。ポートビルが10時からのため。桑名駅を。9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。スタートの富田駅には、到着時、すでに100名以上が列をなしていました。受付は予定より早くから行われ、9時40分にはスタートできました。富田駅から東南へ。国道1号線を目指します。

富田駅から200mほど、北側にお稲荷さんが見えました。道路の右(南側)を歩いていましたので、今回はパス。後で調べたら、吉玉稲荷というお稲荷さんでしたが、詳しいことは不明。ちなみに、この吉玉稲荷と、近鉄富田駅の間にある市立富田幼稚園のあたりは、旧・富田城跡だそうです(ただし、遺構は何も残っていません)。

吉玉稲荷の隣に三重銀行富田支店があり、その先で、旧・東海道とクロ

スします。左の写真が、朝日、桑名方面、右は四日市方面。ここの東海道は、去年(2017年)12月22日の“
近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」”で歩いています。このときは、川越富洲原駅からスタートし、中風封じの田村寺、茂福神社や垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まででした。こうして実際に歩くと土地勘ができ、それが次第にアタマの中でつながって来ます。

国道1号線に出て、近鉄富田駅口の信号で南下。少しだけ1号線を歩き、

JR関西線の跨線橋の手前、東富田町と富田浜元町の境あたりで脇道にそれて行きます。このあたりではスタートして間もないので、参加者がずらり。

コースマップにはありませんが、脇道に入ってすぐのところに「
富田一本松」があります(東富田町)。市指定記念物(史跡)になっています。東富田

付近が波打ち際であった頃に、伊勢湾の内海航路の船、伊勢湾の漁船の目印となっていたといいます。「伊勢軍記」によれば、永禄3(1560)年の
茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた2代目の松だそうです。

一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人
山口誓子の「町なか

の 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句は、山口誓子自筆の書で刻まれています。句碑に向かって右には、同じく山口誓子の書による「史跡 一本松の碑」があります。昭和49(1974)年9月に富田文化財保存会が建てたもの。碑陰には、「碑の謂われ」が刻まれています。茂福合戦のことや、安永9(1780)年の富田大火にも類焼せず「瑞祥の松」として崇められたことが記されていました。なお、この一本松のすぐ南を十四川が流れています(予告編の記述には誤りがありました)。

一本松のすぐ先に赤煉瓦の塀があり、その内側にはレトロな建物が見えます。赤煉瓦塀はマップにも載っていま

した。網勘製網株式会社という看板が掛かっています。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造業。富田漁港があったことから、富田地区は漁業に使用する漁網作りの製網が江戸時代から盛んだったといいます。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区で、モダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々の目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。

漁業の衰退に合わせて事業を多角化し、現在の社名は、
アミカン (平成12(2000)年に変更しています)。製網だけでなく、スイミングスクールを運営するスポーツ事業などにも参入しているそうです。

富田浜の町を進み、富田浜病院がある交差点を左折し、東へ。国道23号

線を富田浜交差点で渡り、そのまま国道23号線を
浜園緑地に沿って南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。

霞大橋は、国道23号線や、東名阪道の四日市東インター、北勢バイパス

の斎宮西インターから霞埠頭への入り口。これまでのコースのところどころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、わが家からも遠望できるのですが、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
四日市港ポートビル。
四日市港管理組合の所有。四日市港の開港100

周年を記念して、平成11(1999)年8月に開館しました。 14階建てですが、13~14階までの間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは、地上100mですが、これでも三重県内で最も高いビルです。今日は、近鉄ハイキング参加者は、コースマップを提示すると、無料で入れました(微笑)。10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。

ポートビルの14階は、展望展示室になっています。愛称は「
うみてらす
14(フォーティーン)」。地上90mからの眺望が楽しめますし、四日市港について学べるような展示があります。昼は、鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せますし、夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できます。夜景も見てみたいと思いますが、それはまたいずれ。

この日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。左の写真では、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見えます(写真中央)。うみてらす14の西側。写真の右端から左に伸びているのが、国道23号線。霞大橋から右上に向かうラインが、北勢バイパスや、東名阪道につながる道。写真の左端が、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。

左の写真は、南側の眺め。霞地区のコンビナート風景。夜眺めると、絶

好の夜景でしょう。向かって右が、霞大橋(西)。右の写真は、東側の景色。東ソー、中電、東邦ガス、コスモ石油などがあるところです。ガントリークレーンや、コンテナも見えています。この方向の先に、あの(苦笑)セントレアが見えるはずですが、肉眼ではよく分かりませんでした。

そこで、だいたいこの方角と思われる方向を、エイヤッと超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。

こちらは北の眺め。霞埠頭から北に向かって伸びている、新しい道路は、4月1日に開通したばかりの「
四日市・いなばポートライン(臨港道路 霞4号幹線)」です。霞埠頭と、伊勢湾岸自動車道・みえ川越インターチェンジを結んでいます。

上にも書きましたが、この四日市港ポートビル、わが家からも見えますの

で、うみてらす14からも拙宅マンションが見えるかもと思って、これまたテキトーにエイヤッと撮ってみました(苦笑)。肉眼では分かりませんでしたが、超望遠コンデジ+パソコンのお陰で何とか判別できました。左の写真のとおりです。ちなみに、帰宅後、わが家のベランダから撮った四日市港ポートビルの写真は、右の通り。

ここうみてらす14は、展望展示室になっていると書きました。中央には、

四日市港の大きなジオラマがあります。左の写真で、中央からやや右が、ポートビルのある霞地区。その部分をクローズアップしたのが、右の写真(ちょっとピントが甘い)。

展示も一通り見てきました。左は、港のあゆみコーナー。
稲葉三右衛門
の港づくりなどについて勉強できます。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました。このほか、港のやくわり、港ではたらく、港にしたしむといったコーナーがあります。スタンプがおいてあり、また、いただいたリーフレットにスタンプ欄がありましたので、4つすべて押してきました(微笑)。

無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日の

ハイキングの主要目標は達成してしまいました(笑)。四日市港ポートビルにいたのは、10時50分過ぎまで。滞在移管は約30分。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下、三滝公園に立ち寄ったあと、萬古まつりの会場を目指します。
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