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2018年5月17日 (木)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(その2)……多度大社

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 4月28日の近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」、その2です。今回は、多度大社のお話し。何度も書いていますが、目の前までは来たことがあったものの、お参りするのは今回が初めて。式内社(名神大社)で、旧社格は国幣大社。よく調べていかなかったのですが、この鳥居に向かって左に、上げ馬神事が行われる「上げ坂」があったのでした。また、ここに写っている鳥居は、諸戸精太が寄付したもの。諸戸精太は、諸戸家初代・諸戸清六の次男(西諸戸家)。諸戸精太は、初代諸戸清六の屋敷(現在の諸戸氏庭園)を相続しています。
Img_0615c 主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと、天照大神の第3子)。天津彦根命は、このあたりの豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神です。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われています。境内には天津彦根命の子である天目一箇命(あまのまひとつのみこと)を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称されます。
Img_0631c こちらがその本宮。神代の昔から御鎮座になり、雄略天皇の御代に神殿がImg_0620c 創建されたとあります。なかなか厳かな雰囲気で、陽の光の当たり方も絶妙という感じがしました。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていました。天平宝字7(763)年、僧・万願によって神宮寺が創建されています。中世には国司・北畠氏が保護していたのですが、元亀2(1571)年、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失しました。慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝により再建されています。それにしても、三重県の北勢地方では、この織田信長と長島一向一揆については大きな影響があるものです。
Img_0629c 別宮・一目連神社です。天目一箇命は天津彦根命の子、桑名首の祖といImg_0618c われます。また、我が国金属工業の祖神でもあります。この社には、神の出入りを容易にするために、古来、扉がなく御簾が掛けてあるのみです。ちなみに、桑名市西鍋屋町にも一目連神社がありますし、赤須賀神明社にも天目一箇命が相殿神として祀られています。
Img_0599c 境内には摂社、末社がいくつか祀られています。まずは、雨宮八幡社。Img_0601c 御祭神は、天水分神(アマノミクマリノカミ;水の分配をつかさどる神で、豊作の神として信仰された)、國水分神(クニノミクマリノカミ;水分神、天水分神とともに、豊作の神として信仰されました)、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)。古くは水分社と八幡社の二社であったものが、大正6(1917)年に合祀されています。
Img_0605c こちらは、多度招魂社。明治10(1877)年の西南の役以降、出征、戦没さImg_0609c れた桑名郡市・員弁郡市・四日市市・三重郡・岐阜県下出身の方々を奉斎しています。創建されたのは、昭和27(1952)年、サンフランシスコ条約発効後だそうです。
Img_0612c 次いで、女性の皆様には見逃せないと思います。美御前社(うつくしごぜImg_0613c んのやしろ)。御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。耳、口、鼻、のどの諸病や、婦人の帯下の病の治癒、良縁、子授け、安産に御神徳があるといいます。常に美しくありたいと願う女性の参拝が多いそうです。
Img_0621c 本宮、別宮の近くにあるのは、神明社。神明社ですから、祀られているのImg_0624c は、天照大神。案内板の下には、「於伊勢さんとお多度さんはは親子の神様です」という説明が追加されています。
Img_0644c さて次は、ちょっと珍しい。「神馬」と書かれたお社。白馬舎(はくばしゃ)

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といいます。白馬伝説に因んだ白馬が納められています。多度大社には、昔から「白馬伝説」が伝わっています。多度山は昔から神がおられると信じられ、人々は暮らしの平穏や家族の幸せを祈り続けてきたのですが、その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが、白馬なのです。
Img_0649c このお社の前に「歯ぎしり除け豆」を授与していただくとこImg_0651c ろがありました。歯ぎしり除けとはあまり見かけませんが、馬は非常に歯の丈夫な動物と言うことで、これにあやかった『歯ぎしり除けの豆』が頒布されています。無病息災ともあり、初穂料が100円でしたので、この「御神馬の豆」をいただいてきました(微笑)。
Img_0662c こちらは、新宮社。御祭神は、天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことさImg_0665c きみたま)、天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことさきみたま)です。幸魂(さきみたま)、小生は知りませんでしたが、神道の一霊四魂(いちれいしこん)という考え方によるもので、人を幸せにする神霊のことだそうです。江戸時代、多度大社が復興される際、両宮の御祭神は美濃国赤坂山より、まず当社に還御になられたといいます。
Img_0666c 神馬舎(じんめしゃ)であります。鳥居をくぐったすぐのところ、西側にありImg_0677c ます。生きた神馬、「錦山」号が飼育されています。生きた神馬がいる神社は珍しいと思います。初穂料100円で、人参を与えることができます。
Img_0653c こちらは、参道脇にあった「切支丹灯籠」。江戸時代、キリスト教が禁じられていた時に、ひっそりと拝まれていた灯籠を切支丹灯籠といいます。形が十字架に似ているので、拝まれたといいますが、パッと見たところでは十字架に似ている感じはしません。
Img_0656c 切支丹灯籠の南には、筆塚がありました。さすがにこのロケーションでImg_0660c は、碑陰は確認できませんが、碑像マップによれば、明治百年記念で建てられたようです。さらに、切支丹灯籠の前、筆塚との間には右の写真のような奉寄進碑がありました。碑文などは、こちらを参照。天明3(1783年)、北勢桑名郡長嶋新田中が建てたと考えられます。
Img_0699c  これで境内は見て回ったと思ったのですが、帰宅してから調べてみたら、Img_0694c 摂社・末社は他にもありました(苦笑)。こちらの境内案内図をご覧ください。藤波社、皇子社、一挙社、鉾立社などです。 他にも、文学碑、句碑などもたくさんあります。松尾芭蕉句碑もあります。「宮人よ 我が名を散らせ 落葉川」と詠んでいます。芭蕉が多度を訪れたのは、元禄2(1689)年で、この句は多度大社を参拝した折に詠んだものだそうです。ということで見落としたところがまだたくさんありますので、これはもう一度参拝がてら確認してくる必要があります。
180428kintetsuhikingtado2 多度大社を参拝し、南へ。多度川を渡って、多度大社南の交差点を東にImg_0710c 向かいます。ここから、さらにきつい上り坂が、桑名市多度地区市民センターあたりまで続くのです。この坂道は、この日最大の難所(笑)。普段、平らなところを散歩していますから、ちょっと苦労。
Img_0717c こちらが多度地区市民センター。この前が、坂道のピーク。ここからは、Img_0720c 国道258号線方面へ下り坂。やれやれというところ。
Img_0724c 途中、ミカン畑越しに多度山を見ながら、Img_0729c 養老鉄道をまたぐ高架を過ぎるところまで進みます。右の写真は、高架橋から見た多度駅。ほぼ一周してきたことになります。
Img_0733c このすぐ先に、多度大社の大鳥居が立っています。この鳥居の下をくぐっImg_0736c て、南へ。地道を通って、竹藪を抜けていきます。右の写真のようなところを通ると、いかにもハイキングという感じがしてきますが、歩きながら、この道で間違いないのか? と若干不安になっていました。
Img_0742c 竹藪では、育ちすぎたタケノコがあちこちにニョキニョキ。市内の播磨あたりでもタケノコが名物なのですが、最近は世話をする(世話ができる)方が減って、タケノコを採らずに放置してあるところも多いと聞きます。いずこも同じようです。
Img_0743c ようやく竹藪を抜け、美濃街道が見えるあたりまでやって来ました。これImg_0745c らの写真を撮ったあたりで、5㎞直前。このあたりで時刻は、11時10分を過ぎたくらい。右の写真で、前方に見えている道が美濃街道。鎮守の森らしきものも見えてきました。ここが、実は面白い神社でしたが、今日はここまで。

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コメント

こころんさん、こんばんは。
多度大社、ようやく参拝してきました。
多度大社へお参りしたいのと、多度山にも登ってみたいと思っていました。

私もお参りしてから、「しまった、横から入った」と反省しました(微笑)。
多度大社の両宮は、おっしゃるようにさほど大きなお社ではありませんね。
しかし、やはり祝詞をあげるのはお社でというのが自然に思えます。
10人もの神職の方が入ることができるというのは、ちょっと驚きです。

春日さんの記事(正確には、「すうけい(崇敬)」というホームページに春日さんと宮司さんが取り上げられたということのようですが)にイオンモール分社の写真を使っていただけました。
宮司さんのインタビューは、ずいぶん気合いが入っておられる感じでしたが、まだまだお若いので、失礼ながら、あれくらい語っていただいた方がよいように拝読しました。
ちなみに、鎮国さんも宮司さんとお話しができるご縁をいただいており、ありがたいことだと思っています。

クロスワードは、こころんさんを見倣って、毎週応募するよう心がけていましたが、その成果がとうとう得られたということです。
引き続き、地道にやることにします。

ところで、長良川河口堰のクイズラリーイベントが、5月26日にあります。
巡視船乗船体験もできますよ。
http://www.water.go.jp/chubu/nagara/04_shinchaku/h30/180526_kuizurari-.pdf
私はどうしようか、迷っています。
というのも、内容は過去2年と同じで、巡視船乗船体験も2回経験したからです。

投稿: mamekichi | 2018年5月19日 (土) 20時43分

こんにちは
多度大社にはじめて参拝されたのですね。
静かでいい神社ですね。
いつも多度観音の方に停めて坂を上がって行くので
正面の石段から上がったことないなあと気付かされました(笑)

僕のこの前の記事の船頭平へ行く途中に寄って参拝しました。
その日はたしか、早朝8時前だったと思いますが
神職の方が2つの社に入って祝詞をよまれてました。
今まで早朝に椿大神社、南宮大社、真清田神社と祝詞を挙げられるのを見聞きしましたが、
多度大社はご祈祷やお祓いは下の神楽殿でしますし
両宮の社の中が狭そうでそんなに人が入れないと思い
どう祝詞をされるのかずっと疑問に思ってましたが
神職さん数人が中に入られて祝詞が聞こえてきたので解決しました^^;。
祝詞を終えられて神職さんが一列になって下へ歩いて行かれましたが
10人ぐらいいらっしゃいました。
他の神社は巫女さんも一緒に祝詞を挙げられてましたが
多度大社は男性だけでした。
中でぎゅうぎゅう詰めかどうかわかりませんが
そんなに入るスペースあるんだと思いました。

春日神社のホームページにお写真が採用されて良かったですね。
いい御縁ですね。
宮司さんも頑張っておられる感じが伝わってきました。

またまたクロスワードに当選されたのですね!
おめでとうございます。
いよいよ波が来てるかもしれませんよ。

投稿: こころん | 2018年5月19日 (土) 17時44分

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