« またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編) | トップページ | 20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その2)……太夫の八幡社と、走井山公園 »

2018年4月24日 (火)

20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その1)……幅の異なる3線のレール、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠

180414jrwalkingmap

 このJRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」に行ってから、もう10日も経ってしまいました(苦笑)。この間、相談会があり、新たなコンサルテーション依頼を受けたり、研究会があったりと、小生にしては珍しく用事がたくさんありました。「怠け者の節句働き 」のような始末。オマケに、昨日は昨日で、「またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編)」などに出かけ、困ったものです。ぼやいていても始まりませんし、仕事の方は取り敢えずめどがつきましたので、JRさわやかウォーキングの方から順番に記事を書きましょう。
Img_9060c この日は、ご覧のように曇天でしたが、雨は夕方以降という予報でしたので、久しぶりにJRさわやかウォーキングへ行ってきました。桑名開催でしたので、散歩代わりにということです。桑名駅集合ですから、自宅から徒歩で行けるというのもメリットです(笑)。「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」ということで、桑名駅の南にある、JR、近鉄、三岐鉄道と3つの幅の異なるレールが並ぶところを見て、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠、走井山公園、勧学寺を経て、サンジルシ醸造を回るという、マップ上5.8㎞というコースでした。
20180414jrwalkingkuwana こちらが実際に歩いたルートです。右上にある桑名駅がスタート&ゴール。地元開催ということもあり、また、事前に予習する時間がありませんでしたので、寄り道は2ヶ所しただけ。走井山公園の中は、けっこうあちこち見回りましたが。実際に歩いた距離は、6.6㎞ほどでした。わが家から桑名駅までの往復を含め、8.6㎞ですので、普段の散歩に多少プラスアルファというくらい。
Img_9057c 集合、受付場所は、桑名駅東口のコンコース。こちら側がJR桑名駅ですImg_9056c (西口が、近鉄桑名駅)。左の写真、ピンぼけですが、オレンジ色のパーカーの方達がJRの係の方。地図を受け取ってスタート。東口を出て、南へ。こちらには、バス乗り場があります。桑名駅およびその周辺は、現在改良工事が進んでいます(こちらを参照)。駅そのものも南へ約80m移動しますし、駅前広場も大きく変貌するといいます。
Img_5377c この写真は、今年2月6日に町屋川へバードウォッチングに行った帰りに撮ったもの。正面は、桑栄メイトビル。向かって左手(西)が、改良工事をしている、駅前広場。手前側に来ると、バス乗り場があります。駅の東西を結ぶ自由通路もできるそうですが、駅から東に住む者にとってはあまりメリットはない気がします。
Img_9064c バス乗り場と、三岐鉄道北勢線・西桑名駅の間を通り、南へ。この日は、多度にある東建多度カントリークラブで「東建ホームメイトカップ」が開催されており、シャトルバスも出ていました。あの石川遼選手も来ていたはず。この日は、予選ラウンドだったと思いますが、それでもバスはけっこう賑わっていました。
Img_9068c 西桑名駅と、百五銀行の間をすり抜けて、線路沿いの道に出ます。「幅の異なる3線のレールが並ぶ光景」というJRさわやかウォーキングの看板が出ています。すぐ右に見えるのは、三岐鉄道北勢線のナローゲージ。ナローゲージは、JRが採用している1,067mmよりも狭い線路幅の鉄道を指すことが多く、この北勢線の線路幅は762mmです。ただ、ここから眺めても違いはよく分かりません。
Img_9069c 桑名ステーションホテルの南に、この3つの幅の異なる線路を渡る踏切があります(歩行者、自転車専用)。我々には1つの踏切なのですが、鉄道会社によって名称が異なり、近鉄名古屋線は「益生第4号踏切」、JR関西線は「桑名駅構内踏切」、三岐鉄道北勢線では「西桑名第2号踏切」といいます(こちらに動画も見られるサイトがありました)。ここを渡ると、その違いが実感できます。この写真で手前から三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)、JR関西線(狭軌、1,067mm)、近鉄名古屋線(標準軌、1,435mm;新幹線と同じ)。こちらにいらしたら、是非体験されることをお勧めします。
Img_9071c ウォーキングコースにしたがっていくと、この先で三崎跨線橋を渡ります。この跨線橋から、3つの幅の異なる線路が一望できます。あいにく、どの路線も電車はきませんでしたが、左の写真は桑名駅・西桑名駅方面を眺めたもの。中央あたりに上述の踏切が通っている野ですが、写真ではよく分かりません。向かって右から、三岐鉄道、JR、近鉄となっています。
Img_9078c 跨線橋を降りたところで、近鉄の普通電車と、三岐鉄道の電車がやって来ました。いずれも下り。三岐鉄道は、ちょうど踏切を通過しているところ。ここからは、進路を西にとります。県立桑名高校の前から、東名阪自動車道の桑名インターにつながる道です。
Img_9085c しばらく進むと、桑名高校の手前、北側に桑名神明社があります。神明社ですので、御祭神は天照大御神。社伝によれば、当社の創姶は、応永年間(1394~1427)といいますが、天正年間(1573~1591)に火災に遭い、類焼したため、詳細は不明ということです。以前立ち寄ったことがありましたので、今回はパス。
Img_9087c ほぼ1㎞歩いてきて、桑名高校の南東、アピエス桑名というマンションのImg_9100c ところで左折し、諸戸水道貯水池遺構に向かいます。ここが最初の目的地。「諸戸水道」というのは、飲み水に不自由していた旧・桑名町で、明治時代後期に豪商・初代諸戸清六が、独力で敷設した上水道のことです。軍用水道を除いた近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しています。
Img_9097c こちらが、貯水池遺構。1枚では写真に収まりません。東西約13.4m、南Img_9096c 北約23.2mの長方形、深さは約3.6mです。側面と底面はコンクリート造、内側は煉瓦積み。容量は953立方メートル。湧水量は1日900立方メートル当時は、木造の上屋があったと説明板(上右の写真)にあります。
Img_9102c 貯水池に集められた地下水は、延長約14kmにおよぶ給水管で桑名町と、その周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に配水され、市中に設置した共用栓(55ヶ所)と消火栓(24ヶ所)によって、住民に無償で提供されました。
Ebd347e9 桑名七里の渡し公園には、この諸戸水道の共用栓を復刻したものがあり950e60dd ます。この共用栓から、人々は水をくんでそれぞれ自宅に持ち帰って利用したという説明がついています。それにしても、諸戸家というのは、たいしたものです。これら2枚の写真は、2015年12月に撮影したもの。
E24825a5 ところで、この諸戸水道貯水池遺構の西には、諸戸徳成邸がありまし665844d4 た。と過去形で書かねばならないのはとても残念ですが、桑名市が購入するという話もあったものの、結局それはならず、持ち主の方(諸戸家の子孫の方)が手放し、マンションを建てるということで、取り壊されてしまったのです。ここは、二代目・諸戸清六が建てた邸宅です。造営は、大正末期~昭和初期、建物は9棟、敷地面積は、7,702平方メートル(建築面積1,059平方メートル)です。二代目・清六氏は、戦前までは本邸である旧・諸戸家住宅(現在の六華苑)と、この別邸である徳成邸を行き来し、生活をしていたそうですが、太平洋戦争の際に、徳成邸に定住したといいます。二代目・諸戸清六氏は、昭和44(1969)年まで、また同夫人は、昭和61(1986)年までここにお住まいだったそうです。2枚の写真は、2013年11月30日の見学会のときに撮影。見学記事は、こちら:2013年11月30日;諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました 、2015年5月17日;諸戸徳成邸特別公開 、2017年4月29日;「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで。3回見学に行っております。
Img_9104c 上の写真の建物があったと思われるあたりは、このように更地になってImg_9094c いました。この日も、重機が入って、整地などの作業が行われていたのですが、何ともいいがたい光景です。この邸宅、庭園は、桑名市としての文化遺産で遭ったのにと思いますし、六華苑、諸戸氏庭園とあわせて、「諸戸三大庭園」としてアピールできたとも思います。
Img_9091c お屋敷の北側にある茶室と、敷地内にあった諸戸家の墓所は残っていImg_9092c ました。右の写真には墓所に上がっていく石段が写っています。ここには、マンションが建つという話を聞いています。マップにも表示はありませんので、ウォーキング参加者はほとんど気づかず。
Img_9109c 複雑な気持ちを抱きつつ、先へ進みます。桑名高校の東あたりからは、ずっと坂道。ここは実は、断層帯。計4段の階段状地形が形成されていて、標高差は30mに及ぶそうです(古地図で楽しむ三重、風媒社)。丘陵全体では高度差は60mにもなるといいます。「養老・桑名・四日市断層帯」というAクラスの活断層の一部です。過去にマグニチュード8程度の大地震を繰り返し発生させたと推定されるそうで、ちょっとコワいお話。左の写真は、桑名高校のすぐ南あたり。
Img_9112c 立花町あたりまで登ってきて振り返った写真。わが家あたりは、海抜0mImg_9115c 地帯ですから、かなり高くなっているはず。ここらで2㎞の手前くらい。太夫の大楠まではもう少し。途中、シャッター販売会社の店先には、鉄人28号や、スパイダーマンがいます。鉄人28号はずっと昔からここにありました。ちょっとだけ和みます。
Img_9117c 太夫地区に入って、はるやまやまるさ水産の手前にある小さな信号を左折し、南へ行くと、太夫の大楠(たゆうのおおくす)があります。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つあり、測定が難しいといいますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m。説明板では、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。
Img_9120c_2 説明板によれば、昔は境内地であって、ご神木だったといいます。大楠の東に八幡社(南大山田神社)がありますから、その境内だったということかも知れません。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で、枝張りが変わって少なくなったが、勢いはあります。ちなみに、鈴鹿にある長太の大楠(なごのおおくす)は、幹周:8.8m、樹高:23mだそうですから、いい勝負(笑)。
B789a95c  ちなみに、この太夫の大楠から少し北には、伊勢大神楽で有名な増田神58a7b945 社があります。伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。写真は、2006年2月19日に撮影(最長不倒距離で,脚が痛い!)。伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日;春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。
 長くなりましたので、本日は、ここまで。次は、太夫の大楠の東にある八幡社の話からスタートして、走井山公園あたりのお話の予定。

| |

« またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編) | トップページ | 20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その2)……太夫の八幡社と、走井山公園 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

JRさわやかウォーキング」カテゴリの記事

コメント

こころんさん、こんばんは。

この踏切、私も何度か通りましたが、確かに危険ですね。
たぶんこれから通ることはあまりないとは思いますが、気をつけなければなりません。

神明社の東の交差点からは、おっしゃるように、サイゼリアのところに続いています。

徳成邸は、本当に残念です。
いくら諸戸家の子孫の方とはいえ、維持・管理には相当の費用がかかると思います。
しかし、あれだけのものは、いったんなくしてしまったら取り戻すことはできません。
何か方策はなかったのかと思います。

太夫のあたりも含め、あの辺はずっと竹林が続いていますよね。
播磨でも、高齢化などによって竹林の世話ができず、荒れてきていると聞きます。
社会の変化に伴うものとは思いますが、残念です。

投稿: mamekichi | 2018年4月24日 (火) 21時13分

こんばんは
この踏切、犠牲者が何人かいると聞いてますので
気をつけてくださいね。
小学生の頃は自転車でよく渡りました^^;
この神明社の交差点からエイデンの近くのサイゼリアまで繋がってますね。
徳成邸はほんと残念ですね。
何か方法はなかったのかと思います。
太夫は祖父にタケノコ掘りやシメジ採りによく連れて行ってもらいました。


投稿: こころん | 2018年4月24日 (火) 17時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編) | トップページ | 20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その2)……太夫の八幡社と、走井山公園 »