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2018年3月24日 (土)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その5)……白子港、伊勢型紙資料館、龍源禅寺、勝速日神社などを経てようやくゴール(完)

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 とうとうこれまでの近鉄ハイキング&JRさわやかウォーキングの記事の中で最長、その5まで来てしまいました。今回の“近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」”も、今日で完了の予定。前回の江島若宮八幡神社でほぼ6km、神社を出て来たら12時を回っていました。
Img_4656c 神社を出て南へ。松の木も生えていますが、海岸にほど近いから。旧・伊勢Img_4662c 街道の一本東の道です。ここをしばらく歩いて、白子港へ。途中、地元の方から「頑張って歩きなよ!」など、複数の声援をいただきました(微笑)。初めての経験です。
Img_4673c ここ白子港は、金沢川(かなさいがわ)や、伊勢湾の沿岸流によって形成された砂嘴(さし)が堤防のはたらきをなす天然の良港として古くより利用されてきたところ。平安時代には、市が立っていたそうです(古市)。後白河天皇の御代(1156年)、伊勢平氏はここに水軍を置いたといいます。闇夜でも識別できるよう白布を身につけていたため、「古市の白児(子)党」と呼ばれました。
Img_4671c_2 江戸時代、白子港は紀州藩の恩恵を受け、伊勢だけでなく各地の物産を江戸に運び出す港として栄えていました。天明2(1782)年12月、若松村(現在の南若松町)の大黒屋の船頭・大黒屋光太夫 ら乗組員17名は、正月用食料を江戸に運ぶため紀州藩廻米350石などを積んで出港しました。1年過ぎても消息がわからないため弔いも行われたものの、10年後、寛政4(1792)年10月ロシアから帰国したのです。
Img_4676c ちなみに、ここからはほぼ正面(東)にセントレアや、そこを発着陸する飛Img_4679c 行機も見えます(左の写真に小さく写っています)。漁港にはわずかにホシハジロ、ユリカモメ、カワウ、ハクセキレイの姿も。白子港緑地には、大黒屋光太夫の記念碑も会ったのですが、今回はパス。
Img_4687c ハイキングコースにしたがって、白子港の奥まったところで右折(北西Img_4688c へ)。先程通った旧・伊勢街道を渡り、白子小学校のところまで来ました。ここで右折し、北東に向かうのですが、小学校敷地にこんなものを見つけてしまいました(苦笑)。これは見て来ざるを得ません。
Img_4692c 2つあります。一つは「表忠碑」。南に向いて立っています。三重県遺族Img_4693c 会のサイトによれば、白子寺家地区が昭和5(1930)年5月に建てた、英霊303柱を祀る碑ということです。碑表の台座には、右の写真にあるプレートも取り付けられていました。「あなたの熱は静かな寶石の如く光っている 昭和弐十九年十月 鈴鹿市長杉本龍造撰」とあります。標柱碑との関連は不明。杉本龍造氏(大正2(1913)年~平成9(1997)年)は、昭和21(1946)年に鈴鹿市の2代目市長に就任後、29年間市長を務めた方。
Img_4700c もう一つは、北向きに立っています。こちらは上記の三重県遺族会のリストにはありません。かなり黒ずんでいますし、逆光で、側には行けません。文字の判読は困難。こちらのサイトに台座部分の文字が載っていますが、すべてではなく、どういう意味の文字か今ひとつよく分かりません。左から「氏安○○」とあるように見えます。
Img_4706c 判読を諦めて次の目的地である伊勢型紙資料館へ向かImg_4708c います。途中、資料館の手前に神社。鳥居と灯籠の奥に建物があり、その中に「愛宕神社」と書かれた額がかかっています。詳細は、ネット検索では不明。
Img_4711c さぁ今度こそ伊勢型紙資料館と思ったのですが、すぐにまた寄り道スポ

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ット発見。浄土真宗高田派のお寺、成等山林昌寺。明応の頃(1492~1500年)越前から真慧上人(しんねしょうにん;室町後期の浄土真宗の僧。伊勢専修寺第十代)に随従してきた佐々木盛祐が建てたもの。
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 お寺には、真慧上人の筆による「野袈裟(のげさ)」(棺に掛ける長方形の布。六字名号(南無阿弥陀仏)が書かれた葬具の一種)があります。野仏、野袈裟については、高田本山専修寺のサイトに説明がありましたので、以下に引用しておきます。
第41話 野仏と野袈裟(のぶつとのげさ)
 中興上人(ちゅうこうしょうにん)と仰がれている真慧上人(しんねしょうにん)(第10世)は伊勢の地を精力的にご巡教(じゅんきょう)されて、沢山の寺院や念仏道場を作られました。そして布教の重要な手だてとして「野仏」と「野袈裟」という葬儀式の要具を下付けされました。
 「野仏」は今でも「野仏さん」と敬称されている阿弥陀如来のお軸で、死者の枕元にかけ、葬列のときには箱に入れて棺の前を歩く習わしになっていました。このことは、阿弥陀如来のお導きでお浄土に往生するということのお示しです。
 また「野袈裟」が使われる以前は死骸を村境の墓地に置いてくるだけで、せいぜい土をかぶせる程度だったので、腐乱した死体を鳥獣がつつく光景が人々に地獄を実感させました。真慧上人はこれでは、死者に申し訳ないことと、真宗の教えから「野袈裟」を遺骸の上にかけ、やすらかな死後の往生を念じられたのです。
 当時の「野袈裟」は縦1メートル20センチ、幅40センチの絹3枚を横につないだ大きさで、その中央に「南無阿弥陀仏」、その周囲に経文を記したものでした。
 このように「野仏」も「野袈裟」も阿弥陀如来さまは、亡くなった方に、どこどこまでもついて離れず、お浄土までお導き下さるということを形をもってお示し下さっているのです。この伝統は高田派だけに遺されているもので、念仏者の願いを如実に具現化してくださった真慧上人のご功績であります。
ひとくち法話No41 ―高田派7― より
Img_4723c このあと、ようやく伊勢型紙資料館へ。この資料館は、江戸時代末期のImg_4726c 建物で、型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復して、平成9(1997)年に開館したところです。寺尾家は江戸時代から伊勢型紙の生産から販売までを行い、東北地方から関東一円に行商していたといいます。寺尾家住宅は、型紙関係の商家、また、町家建築の代表例として、市史跡に指定されました。ここでは、型紙資料などが収蔵・展示されています。帰宅後パンフレットを見ていたら、「地震小屋」があると書かれていました。安政の大地震後、庭につくられたものでした。知っていたら見てきたのにと、後の祭りというか、後悔先に立たずというか。
Img_4735c コースにあったポイントは以上でしたが、他に2つ立ち寄って来ました。そImg_4737c の一つは、瑞雲山龍源寺。伊勢型紙資料館の角を曲がって100mほどのところにあります。臨済宗妙心寺派のお寺ですから、禅寺。
Img_4739c 開創は平安時代と伝わっているものの、由緒は不詳。しかし、境内にはImg_4758c_2 平家ゆかりの「青葉の笛(平敦盛秘蔵の笛)」に関わる旧跡「青葉の竹林」が伝承されています。また、鎌倉時代の「涅槃図」「地蔵菩薩半跏像」なども所蔵しているそうですから、800年の歴史があると思われます。こちらに寺の由緒があります。
Img_4744c 山門脇には、竜現地に伝わる文化財などの説明が並んでいます。小生Img_4750c がここへ立ち寄ろうと思ったのは、白隠禅師(貞享2(1686)~明和5(1769)年)、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)が来たことがあったということから。東嶺禅師(とうれいぜんじ)は、龍源寺で修行した後、白隠の弟子。
Img_4763c  こちらは地蔵堂。地蔵菩薩、天神、弁天、閻魔様、弘法Img_4746c 大師、お稲荷さん、摩耶夫人が祀られています。このうち、地蔵菩薩は、右の写真にもありますように、嘉慶2(1388)年の墨書銘があり、南北朝時代の作と考えられているもの。鈴鹿市の指定文化財。
Img_4769c さすがに禅寺。枯山水のお庭もありました。説明板には「南庭枯山水」とあります。山から湧き出た水が大海に流れ行く様を表しているそうです。灯籠は鎌倉時代の作とありました。
Img_4780c そして最後の寄り道は、勝速日神社(かつはやひじんじゃ)、通称は、「勝手さん」だそうです。近鉄白子駅の北東にあり、すぐ裏を近鉄名古屋線が通っています。以前から気になっていた神社。
Img_4783c 神社の由緒書きによれば、文明年間(1469~1486年、室町時代)の創建Img_4793c といわれ、創建時には八重賀岐神社として素戔嗚尊(スサノオノミコト、牛頭天王)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)が祀られていました。寛永11(1671)年、八重垣神社の神域に龍源寺の境内に祀られていた勝手明神(天之忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)、天御蔭命(アマノミカゲノミコト)の2柱を遷し、元禄に至るまで2社を並べて祭祀していました。元禄以降、一社殿としています。さらに、明治41(1908)年、春日神社他附近の小祀6社を合祀しています。
 ただし、こちらには、寛永11(1634)年に紀州藩の別邸と代官所を創設するとき時、久留真神社を移転したが、その氏子が南北の二派に別れ、北側の住民が栗真にあった「八重垣神社」と「勝手明神」を遷して一社にし、現在の地にこの「勝速日神社」をつくったとあります。文政4(1821)に産神たる福徳天王社と和田の勝手明神との間に式内の久留真神社を争う訴訟があり、紀州藩の裁決によつて天王社の方に決定された(現・久留真神社)とも記述されています。由緒書きに書かれていないことがありますし、その3(近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その3)……同心屋敷跡、道標を見て久留真神社、大徳屋長久山で土産をゲットし、まちかど博物館などへ)の久留真神社のところで述べたことと一致しない部分があります。もう少し調べ、整理する必要がありますが。しかし、神社の由緒書きがすべて正しいとも限らないでしょうし難しいところでもあります。
Img_4798c 主祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト。この神様は、天之忍穂耳命と同じで、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれています。その他祀られているのは、次の神様たち。
  • 天御蔭命(アマノミカゲノミコト)
  • 素戔嗚尊(スサノオノミコト、牛頭天王)
  • 稲田姫命(イナダヒメノミコト)
  • 武甕槌命 (タケミカヅチノカミ)……伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。鹿島神宮の祭神
  • 経津主命 (フツヌシノカミ)……磐筒男神(イワツツノオノカミ)と磐筒女神の子。香取神宮の祭神。天孫降臨に先立って、出雲に行き、大己貴命(おおなむちのみこと)を説いて国土を献上させた
  • 天児屋根命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)……天児屋命の妻
 ところで、この神社がある鈴鹿は、鈴鹿サーキットがあり、F1も開催されるモータースポーツの聖地。レース関係者がこの神社の名前と、御祭神に注目して、必勝祈願に訪れるそうです(たとえば、こちら)。
 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、稲穂の神、農業神として信仰されることがおおいようですが、「正勝吾勝(マサカツアカツ)」は「正しく勝った、私が勝った」の意、「勝速日(カチハヤヒ)」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」の意で、誓約の勝ち名乗りと考えられています(Wikipediaから)。「忍穂耳(オシホミミ)」は威力(生命力)に満ちた稲穂の神の意です。
Img_4807c 拝殿の北に境内社が一社ありました。赤い鳥居が立っていましたので、単純にお稲荷さんかと思ったのですが、そうではないようです。千本鳥居もありませんし、御祭神に宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)もいらっしゃいません。未確認です。
Img_4801c 拝殿前の狛犬は、「子取り・玉取り」のスタイルでした。拝殿に向かって左Img_4799c が子取り、右が玉取りです。
Img_4815c 以上で、すべて回り終えました。勝速日神社から近鉄名古屋線・白子駅は2分ほど。到着は、13時13分。スタートから3時間半もかかりました(爆)。コースマップでは約6kmとありましたので、2時間もあれば余裕でゴールと思っていましたが、何事も思った通りには行かないものです(自分のせいですが)。13時29分発の名古屋行き急行に乗車。桑名には、14時3分着。¥490。
 長々とお付き合いくださり、御礼申し上げます。神社や神様についてはもっと勉強が必要です。

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コメント

こころんさん、こんにちは。

いつも長くて、まとまらない話にお付き合いくださり、感謝しています。
昔の街道沿いや、そこにある町というのは、昔からの寺社、旧蹟、名物だけでなく、それぞれの雰囲気が残っていて、味わい深いものがあると思います。

神社や、神様は調べてみると、けっこう難しいものがありますね。
お寺は、明治時代の合祀政策のようなものがありませんでしたから、それぞれの歴史、由緒はわかりやすいのですが、神社はややこしくて、参照した資料・サイトによって異なる記述があったりします。
神様のお名前も古事記と日本書紀とでは違っていることもあります。

こういうイベントで、普段行きたいと思っていてもなかなか実現しないところに出かけられるのは、楽しみの一つです。

投稿: mamekichi | 2018年3月25日 (日) 13時19分

ゴールおめでとうございます。
大楠の辺りよりさらに南には
このような町並みの雰囲気とお写真で伝わってきました。
神社やお寺、慰霊碑など大切に守られてる感じで
海岸や港もありサーキットも近く若者も集まりいい町ですね。
勝速日神社はF1開催のニュースで見たことあります。
これまたたくさんの神様がいらっしゃっいますね^^;
参加したみたいな気持ちになれました。
ありがとうございました(^^)

投稿: こころん | 2018年3月25日 (日) 08時16分

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