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2018年1月29日 (月)

酒蔵みてある記“銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”へ(その2)……鹿化川沿いを3キロ、さくら公園、歴明寺、伊勢三郎首塚

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 酒蔵みてある記“銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”の2回目です。その1では、伊勢松本駅をスタートし、松本神社、建正山正一位稲荷大明神あたりをウロウロして終わってしまいました。松本神社その他を調べるのに労力を使い果たしてしまったということです。その1は、左の地図で、緑の丸をつけたあたりで、実は、1㎞も歩いていません(苦笑)。
Img_5106c その1の終わりでは、この写真まで載せました。9時45分にスタートして、10Dscn5853c 時頃です。ここからは、鹿化(かばけ)川に沿ってというか、つかず離れずで、3㎞ほど歩きます。右は、常磐西小学校や常磐中学校の北あたりの水田。まだけっこう雪が残っていました。ひたすら歩きます。
Dscn5855c 鹿化川沿いにで500mほど、松本の3差路のところに、「上布田遺跡(じょうDscn5854c ふでんいせき」という看板が立っていました。「常磐のまちをかんがえる会」が立てたもので、須恵器、土師器、山茶碗などが出土したそうです。土師器は、古墳時代に属する可能性があるようですが、他は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての遺跡と考えられています。「上布田」というなは、松本御厨(松本町付近にあったと推定)から、神宮に納められた「上分米(じょうぶんまい)」を収穫する水田を意味すると考えられているということです。ただし、この看板があるだけで、いわゆる遺跡らしきものは見当たらず、また、ネットで検索しても、詳しい情報は出て来ません。
Dscn5860c 鹿化川沿いには、桜がずっと植えられています。「鹿化川千本桜」といい、Dscn5864c 鹿化川沿いに約5㎞にわたって、本当に千本の桜が植えられているそうです。春には、桜まつりも開催され、ライトアップされます。「鹿化川の清流と千本桜を守る会」が平成13(2001)年に立てた看板によれば、20数年前(ということは、1980(昭和55)年より以前に行われた改修工事の時、老人会が千本の苗木を植えて以来、丹精込めて育てられたものだそうです。
Dscn5865c 桜の季節にもう一度来ると、見事な桜並木を楽しめそうです。しかし、今Dscn5865c_2 の季節は、想像するしかありません。想像しながら、雪の残った田んぼを見つつ、ひたすら歩きます。鹿化川というと、ブロ友のひらいさんが鳥見に行かれますが、それは、四日市港に注ぐあたり。この川沿いでは、ツグミ、3種のセキレイ(ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイ)そしてメジロが見られたくらい(写真は割愛します)。
Dscn5884c 途中、「カワセミが住む鹿化川」という看板があったものの、カワセミの影Dscn5867c_2 も形もありませんでした。このあたりまで、空は晴れているものの、西の方には、雪雲らしき雲が出て来ています。ちょっとヤバいかも知れません。
Dscn5872c ここでリタイアしては何もなりませんから、そのまま進みます。鹿化川沿Img_5128c いに出て2㎞あまり進むと、今日の目的地である「丸彦酒造」の裏手を通りました。この「三重の寒梅」と書いてあるのが、そうです。先日の高田本山の近鉄ハイキングでもそうでしたが、目的地を見つつ、大回りするというのが、定番のようです(苦笑)。鹿化川、ところどころにコイが集まっていました。かなり大きく、見事なコイもいます。これに励まされ、さらに西へ。
Dscn5880c 鹿化川に架かる橋のいくつ目でしょうか、「玄若(げんじゃく)橋」に来ましDscn5879c た。川島小学校の東方一帯の古い地名に由来するようです。これもネット検索では情報が出て来ませんが、看板によれば、「玄若」のあたりは、昔、別名を「スズカ谷」あるいは「玄谷(げんに)」と呼んだといいます。「玄」は「クロ」であり、畦(くろ)とか、奥深いところや、田畑の境にあるしきりを意味します。「若」は、この村としては、新しい(若い)開墾地であることを示すということでした。
Img_5130c 途中、こんな風に、「つらら」ができているのを見ながら、「さくら公園(Dscn5890c_2 山二号公園)に到着。このあたりに来る頃には、雪がかなり降ってきました。傘を差すかどうか、迷うくらいの降り方です。
Dscn5886c 公園内には、「名勝地 鹿化川千本桜 美しい自然を未来につなごう 祝市制百周年」という石碑も建っていました。四日市市の市制施行は、明治30(1897)年8月1日です(全国で45番目)。この石碑は、平成9(1997)に立てられたということ。
Dscn5892c 「さくら公園」の北に「悠彩橋」という木製の橋が架かっています。ここからDscn5894c 進路を北にとります。「悠彩」というのは、この南、四日市市別山にある団地「悠彩の里」に由来する名前です。橋のたもとにある説明板には、「悠とは、里山ののびやかな風景と人々の穏やかな心。彩とは発見・工夫・驚き・不思議。
暮らす人訪れる人を楽しませるまちの魅力。この新しき地を「悠彩の里」のなにふさわしいまちに育てていきたい。そんな思いが込められています。
そしてこの橋が古きまちと新しきまち、古き人の心と新しき人の心の
かけはしとなることを願って。」とありました。
Dscn5896c
 悠彩橋の北東、100m足らずのところに浄土真宗大谷派の歴明寺(れきDscn5898c みょうじ)。10時48分に到着。ここは、由緒書、案内看板など葉見当たりませんでしたし、ネットで検索してもめぼしい情報は出て来ません。
Dscn5900c 写真をよくご覧いただくとお分かりになりますが、かなり雪が降ってきました。本堂の軒先を借りて一休みしつつ、持参した折りたたみ傘を用意。傘を差しつつ、カメラも持って撮影というのは、なかなか難儀でした。
Dscn5907c この歴明寺の山門の脇には、神社のあとと思われる鳥居などがありましDscn5904c た。石碑が建っていたのですが、フェンスの奥にありましたし、古びていて今ひとつ鮮明ではありません。「二貴神社𦾔跡」と彫られているように見えます(間違っているかも知れません)。
Dscn5905c 鳥居も、ご覧のように、額束や貫がなくなっています。フェンスの中にありましたし、雪も降っていましたので、これだけ写真を撮っただけでした。ちょうど、ここを調べていらっしゃる方がありましたが、「神社の跡です」というお返事でした。
Img_5135c  この神社跡の横、かわしまふれあいセンターのところには、「表忠碑」がありました。三重県遺族会のサイトにあるリストによれば、川島地区遺族会が建立されたもののようです。「第三師団長大庭二郎書」とありました。ちなみにここは、歴明寺の境内のようです。このあたりからは、川島町の昔からの町の中に入っていきます。JAみえきた川島などの前を東へ進みます。
Dscn5912c ほどなく「伊勢三郎首塚」のところに出ます。道沿いにあDscn5913c るのは、説明板。左の写真にあるように、皆さんこの説明板は見て行かれるのですが、「首塚」があるのは、ここではありません。右の写真のように、説明板の南の水田の中にあるのです。ほとんどの方は、それに気づかずなのか、面倒なのか、首塚の方はパスして行かれます。
Img_5137cc 伊勢三郎(?~文治2(1186)年)は、小生も不勉強で、このハイキングのDscn5915c_2 下調べをするまで知りませんでした。平安時代後期の武士。源義経の家来で、四天王の一人と言われたのが、伊勢三郎(伊勢義盛)です。屋島・壇ノ浦の戦いなどで活躍し、平宗盛・清宗父子を生け捕りにしました。源頼朝と不和になった義経の西国落ちに随行するが、途中でわかれ、のち伊勢守護の首藤経俊(すどうつねとし)を襲撃したものの、敗れ、文治2(1186)年7月に自害したといいます。出身は伊勢とも上野(こうずけ:群馬県)ともいわれるようですが、ここの案内板には、「平安時代末期に三重郡郡司・俊盛の子として、菰野町福村に生まれた」とあります。三郎は、通称で、名は能盛とも書きます。戦に敗れて自刃した伊勢三郎の首を家臣の川島村の者が生地に持ち帰り首を埋めたとのことです。
Img_5140c 首塚のクローズアップ。首塚は、その後、「雑草に覆われ、群蛇続出したという。甚だ気味悪く、この墳墓を傷つけし者、祟りありと、そのまま放置されていた」そうですが、「慶安4(1651)年、時の領主で亀山藩主・石川主殿頭昌勝(のちに憲之と改名)が耕地整理を行い、この三郎塚を発掘、中より五輪塔などを発見した」そうです。それにしても、数百年に渡って、地元の方々がお世話をしてくださっているようですから、頭が下がる思いです。
Dscn5921c 「伊勢三郎首塚」のすぐ間近に、河島神明御厨神社があります。神明社ですので、御祭神は天照大神。ここには、文化財に指定された算額が3点あります。それを見ていくと長くなりますので、その2はここまで。また明日以降。

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