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2018年1月23日 (火)

町屋川第2回遠征(寄り道編)……神社、古い看板、ホーロー看板など【萱町神明社について付記しました(2/7)】

 町屋川に鳥見に行きましたが、本編(鳥見編)とは別に、こちらでは「寄り道編」として、神社その他について。
Img_4037c_2  町屋川の堤防から降りて、福岡町と福地の境あたりで、神社を発見してしまいました。こうなると、Img_4052c_2 「寄り道」せざるを得ません(苦笑)。「福地神明社」ですが、地図を見ると、場所は福岡町にありました。由緒書き、案内板などはありませんでしたが、リンク先を見ますと、御祭神は、天照大御神、豊受比賣神(トヨウケヒメノカミ)及び天目一箇命(アマノマヒトツノミコト)のご三伸。豊受比賣神は、伊勢神宮外宮に奉祀される豊受大神のこと、天目一箇命は、製鉄・鍛冶の神で、岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造ったといいます。
Img_4042c_2  神社検索(三重)のサイトを見たら、詳細が載っていました(こちら)。明治Img_4044c_2 41(1908)年4月に、福地に鎮座していた一目連社と神明社が、城南神社に合祀になったものの、昭和30(1955)年10月、氏子の方の総意により、旧社地に分祀されたといいます。その後、伊勢湾台風(昭和34(1959)年9月)によって境内地が流失したため、現地に移転し、昭和38(1963)年12月に本殿遷座祭を斎行し、現在に至っているといいます。古来福地の産土神です。燈籠に「昭和39(1959)年10月」と刻まれていたので、新しいのかと思ったのですが、こういう経緯があったということです。
Img_4053c_3  この神明社の鳥居の脇には、お地蔵様が祀られていました。四体、いらImg_4055c_2 っしゃいましたが、様子を見ると、他にあったものをここに集めたという感じでした。賽銭箱があったり、お水が供えられたりしていますので、地元の方がお世話をしていらっしゃるのでしょう。
Img_4057c_2 福地の集落を歩いていたら、このように、昔の看板が10あまり並んでいImg_4062c_2 るところがありました。看板が取り付けられていたのは、トタン板ですから、建物自体もかなりの年代物です。看板も、「ホーロー看板」が含まれています。もう読めないものもいくつかありますし、店がすでにないものもあります。ちなみに、このあたり、海抜はマイナス1m。余談ですが、「ローカル琺瑯看板」というサイトを見つけました。
Img_4068c_2  日之出橋バス停には、11時15分過ぎに到着。まだ時間がありましたので、すぐ近くにある福江神明社を見に行くことにしました。主祭神は、天照大御神、相殿神は火産霊神(ホムスビノカミ)。ちなみに、神明神社、神明社は、天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社です。火産霊神は、迦具土神(かぐつちのかみ)ともいい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で、火の神です。
Img_4071c_2  民家の間に、こぢんまりと立つ神社です。福江には神明社、境内社火産Img_4078c_2 霊社が鎮座していたのですが、明治41(1908)年4月、城南神社に合祀されました。後、昭和30(1955)年10月、氏子の総意により旧社地に分祀御鎮座になったといいます。福地神明社と同じ経緯をたどっています。常夜灯のような立派な「御神燈」が2基、立っています。
Img_4081c_2  バス停から来たのとは、別の道を通って戻ります。途中、Img_4085c_2 やはり古い看板がそのまま残っているところもありましたし、消火栓の看板が置かれていたりしました。「羽田」という結納店の看板、未だによく見ますが、ネット検索ではヒットしません。「ヨツヤ」は、桑名・吉津屋通に「ザ・ヨツヤ」という住宅設備、建築工事の会社があります。消火栓の看板、「桑名市防火協會」とありますが、「會」の時が、いかにも古い。この防火協会、今は、桑名防火協会・桑名危険物安全協会となっているようです。
Img_4088c_2  日之出橋バス停に戻りました。バス停横には、萱町神明社があります。Img_4092c 前回も立ち寄りましたが、詳細は調べていません。主祭神は、天照大御神、相殿神は、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコ)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)、天久之比命(あめのくしひのみこと;天目一箇命の別名)となっています。神様の説明、煩雑になりますので、リンク先をご覧ください。
 それにしても、神様のお名前はなかなか頭に入ってきません(苦笑)。それ以上に、それぞれの神様が、それぞれのところに祀られているには、それなりに理由や、経緯があるのでしょうが、そこまで立ち入るのは、当面は控えておきます。あちこち手を出しすぎたり、広げすぎたりするのはどうかと思うからです。
【萱町神明社について(18/2/7)】
 萱町神明社について、神社検索(三重)のサイトで確認しました。御祭神は、上記の通り。大字萱町には伊津久志御前社と神明社が鎮座していたのですが、明治41(1908)年4月に城南神社に合祀になりました。その後、昭和30(1955)年5月、氏子の総意により旧社地に分祀御鎮座となっています。これらの合祀、分祀の経緯については、2月7日の「町屋川遠征3回目余談……大貝須神社と、古い看板の話」に補足説明があります。
 

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