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2017年12月18日 (月)

雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2)

171217sawayakaminamiyokkaitic1  昨日に引き続いて、「雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース」のその2です。昨日は、JR関西線・南四日市駅をスタートして(黄色い○)、南部丘陵公園辺りのところまでについて書きました。3つめの矢印の先のところです。8時40分にスタートして、この辺りは9時45分を過ぎたくらい。ちょうど雪がちらついていた頃です。

Img_7722c ここら辺は、南部丘陵公園の中。その名の通り、丘陵地帯になっています。Img_7723c この西には、笹川団地があります。笹川団地は、昭和43(1968)年に完成した団地で、小生も結婚当初、ここにある公団住宅(現在のUR)に住んでいました。すぐ北に流れる天白川が、「笹の川」とも呼ばれたことからその名がついたといいます(こちら)。このあと行った四郷郷土資料館で係の方から、戦時中は、第二海軍燃料廠でつくった燃料をドラム缶に入れたものを保管するところがあったと伺いました。話が横道にそれました。それなりにアップダウンがある道で、普段平地を歩いているだけの身には少々応えます。
Img_7732c 南部丘陵公園を抜け、笹川通りに行く途中、「夢菓子工房 ことよ」さんに立ち寄ります。店名の「ことよ」とは「よろず」とおなじ意味で「あらゆるもの・なんでも」という意味があり初代が岐阜のお寺の住職につけていただいた屋号だそうです。ブロ友のミリオンさんによれば、桑名にある「ゆめの菓 あきぞう」の職人さんがここで修行なさったとか。ここでは、お団子10本が640円のところ550円で買えるとあったのですが、「和菓子は買ってこなくてよい」という指示がありましたので、お店を一通り拝見しただけ(苦笑)。
Img_7736c_2  南部丘陵公園もほとんど通過したので、後は楽だろうと思ったのですが、やはり、勝手な期待は裏切られる運命にありました。「ことよ」さんから少し歩いたら、目の前にこんな階段が立ちはだかり、「さわやかウォーキング」の看板が! 小生より年配の方も、黙々と登って行かれます。やむを得ません。腹を決めて(大げさな!)、小生も、黙々と登りました。このあと、笹川通りを越えて、天白川、室山町へ。
Img_7765c 天白川は、ブロ友のひらいさんがよくバードウォッチングにいらっしゃるとImg_7756c ころ。ただし、ひらいさんがいらっしゃるのは、下流の四日市港に近いところ。川を渡るとき、ついつい習性で覗き込んでしまいました(微笑)。ラッキーなことに、コサギや、コガモの姿が見えました。コサギは1羽でしたが、コガモは、橋の上流、下流に10数羽。さわやかウォーキングで、まさかバードウォッチングができるとは、思いませんでした。
Img_7770c 室山の町へ入り、6㎞を過ぎると、神楽酒造が見えてきます。今日のウォーキングで、小生にとって最大のイベントが待っています。「甘酒振る舞い先着1,000名」ではありません、「新酒試飲」であります(微笑)。
Img_7786c 甘酒もいただいた後、この試飲コーナーへ。振る舞われていたのは、昨Img_7784c 日の記事のはじめの方にも書きましたが、「神楽」。特別純米生酒であります。あくまでも試飲ですので、右の写真のように、かなり小ぶりの紙コップ1杯。コースマップに「試飲券」がついていて、これと引き替えですから、お代わりをすることはできません(微笑)。これがおいしかったものですから、土産に720ml瓶を1本買ったという次第。ただし、このサイズの神楽は、小生が買った直後に、本日分売り切れになったようでした。
Img_7793c 神楽酒造は、安政5(1858)年に、現在の地、四日市市室山町で創業しています。五代目小左衛門が「神楽」の酒名で酒造りを開始したそうです。ここは、日本酒の他、地ビールもつくっているということです。「イトービール」というブランドですが、これは県内最初の地ビールなのだそうです(明治19(1886)年に醸造に着手したといいます)。地ビールも魅力でしたが、それはまた今度。
Img_7783c 神楽酒造でもう一つ気になったのは、こちら。「むろやま(室山)」という駅名板。かつて、近鉄八王子線という路線がありました。内部線の日永駅から、伊勢八王子駅まで運行していたのですが、昭和49(1974)年に天白川の集中豪雨による水害で日永駅 - 伊勢八王子駅間が休止となり、昭和51(1976)年、日永駅 - 西日野駅間は復旧したものの、西日野駅~伊勢八王子駅間(1.6km)は廃止されています。鉄道歴史地図というサイトで見ると、神楽酒造の南の天白川沿いに室山駅があったようです。さらに、駅名板の左上に、「カグラ」とカタカナが書かれた、小さなホーロー看板もありました。ホーロー看板 は、小生が中学、高校生くらいの頃まではよく見られました。オロナミンCとか、キンチョール、タバコなどよく目にしたものです。
Img_7798c 神楽酒造で、甘酒、新酒をいただいて身体も温まり、また、土産も無事ゲットでき、安心して、歩を進めます。コースを少し外れるのですが、下調べをしたとき、近くに室生神社と、法蔵寺があるのを見つけていましたので、ちょっと立ち寄り(他にも何人か、同じ方がありました)。まずは、室生神社。天白川沿いの道路から山側に入った四郷保育園のさらに奥に御鎮座。案内板によれば、創建時期などは定かではないものの、この村に「牟婁山(むろやま)」という「神田(かんだ)(伊勢神宮の用途にあてる田地)」が存在した記録があり、その土地の人々の守護を願って祀られるようになったといいます。
Img_7808c 御祭神は、天照大御神、天児屋命(あめのこやねのみこと;春日明神)、大山祇神(おおやまづみのかみ;山の神)の三柱。もとは、神明社、春日社、山神社の別の三社。神明社は、古くは御厨神明社(あるいは御厨神社)とも呼ばれ、神宮との関わりがあったと考えられます。江戸時代後期、享和3(1803年)に神明社へ春日社を合祀。さらに、明治時代に本殿西隣へ山神社の祠を遷して、現在の「室生神社」となったということです。
Img_7800c 一の鳥居(2枚前の写真に写っています)のところの狛犬。向かって左はImg_7802c 「子取り」、右は「玉取り」になっています。「神社の見方(サライポケット、小学館)」によれば、「狛犬は「子取り」と「玉取り」で一対をなすのが通例。前肢で子どもの狛犬をあやしているのを子取り、玉(鞠)を押さえているのを玉取りという。これらが、それぞれ左右のどちらに配置されるのかは統一さ れていない。」とあります。「なるほど、本に書いてあるとおりだ」と、妙に感心してしまいました。いつ奉納されたものか、見てくればもっとよかったのにと反省しています(苦笑)。
Img_7814c 室生神社の東に無漏山法蔵寺があります。浄土真宗大谷派(東本願寺)。安政6(1859)年再建の本堂を、明治16(1883)年建立のすかし彫りのある山門と、白壁の土塀が囲こんでいます。このあと行った四郷郷土資料館の庭に、「法蔵寺の鬼瓦」が展示されており、その説明に、「無漏山法蔵寺は、奈良時代の西暦700年頃、道昭(行基の師)あるいは行基によって開かれたと言われています」とありました。
Img_7818c 同じくその説明によれば、「本堂は幾度となく建て替えられ、又補修されImg_7852c ていますが、現在の本堂は安政六年(1859年)に改築されたもの」だそうです。右は、四郷郷土資料館に保存されている法蔵寺の鬼瓦。
Img_7856c 鬼瓦には、「日野 瓦屋清左ヱ門作」という銘があります。その右には、「萬延元 庚申 李白」と読める記載も見えます。「万延元年(1860)」といえば、桜田門外の変があった年。干支も「庚申」です。上の記述で、本堂が安政6(1859)年に改築されたという記述とほぼ一致します。日野は、法蔵寺の東から東南にある地名。日野にある瓦屋の清左ヱ門さんが鬼瓦をつくったという証ということでしょう。
Img_7815c 法蔵寺で気づいたものに、この「教如上人御舊跡(きょうにょしょうにんごきゅうせき)」の石碑があります。「舊跡」は、歴史上の事件や建築物などがあったあとですから、法蔵寺に教如上人がいらっしゃったということかも知れませんが、石碑の裏などには説明はありませんでした。教如上人は、安土桃山・江戸初期の浄土真宗の僧で、東本願寺第12世。第11世・顕如上人の長男で、織田信長との11年に及ぶ石山合戦を父・顕如と共に主導した方です。信長没後、京都本願寺に入ります。のち徳川家康の命により烏丸七条に現在の東本願寺を創建しています(慶長7(1602)年)。
 またもや、話が脱線しますが、石山合戦は、織田信長と摂津国石山本願寺に拠る本願寺第 11世顕如上人との間で元亀元 (1570) 年から天正8 (1580) 年までの 11年間にわたって続けられた合戦です。本願寺が、信長との戦いを始めたとき、全国の一向宗門徒に対し、信長と戦うようにと檄を飛ばしたのですが、長島願証寺もこの呼びかけに応じ、尾張の小木江(おぎえ)城を攻め、信長の弟の信興(のぶおき)を切腹させています。これに対して、信長は元亀2(1571)年5月、第1回の長島攻撃を行いました。これが、長島一向一揆となります。
 この頃、桑名の地は、伊勢・尾張・美濃の三国の水陸の交通の要所でした。本願寺台11世・顕如上人は、桑名(当時の名称は、三崎)に「今寺(いまでら)」といわれた一宇の坊舎を草創し、本山との連絡、諸種の法務、非常時の際の協議集合の便を図ったそうです。石山合戦や、長島一向一揆などの争乱が終った後の慶長元(1596)年、第12世・教如上人が、この「今寺」を本願寺の「禄所(ろくしょ)」として取り立てたのが、現在の真宗「大谷派桑名別院の始まりだといいます(桑名別院のサイトをご覧ください)。「禄所」は、「教務所・出張所」という意味のようです。ちなみに、桑名別院の開基は、教如上人の娘の長姫(おさひめ)であるとされています。
 こういう関わりの中で、法蔵寺にも教如上人との縁があったのかと、勝手に推測しています。きちんとしたことをご存じの方がいらっしゃれば、是非ともご教示ください。
 屁理屈、講釈を連ねているうちにかなり長くなりましたので、今日はここまでとします。結局、笹川辺りから、室山でウロウロしており、しかも話が横道にそれたままで、恐縮です。あと1回の予定でしたが、2回になるかも知れません(苦笑)。

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コメント

TAKUさん、こんにちは。

コメント、ありがとうございます。
励みになります。

この日は、寒い日でしたが、味噌汁、甘酒、新酒の試飲があって、楽しめました。

私自身は、三重県に来たのが、1979年で八王子線は実際には知りません(知識はありましたが)。
室山の駅名板、ご興味がおありでしょうね。
1月13日には、神楽酒造で「新酒まつり」というイベントがあるそうですよ。
「神楽」というお酒は、やや甘口で、とてもフルーティです。
私は、しばらく口に含んで楽しんでいます。

ことよは、必ずしも交通は便利ではないところですが、人気のお店のようですね。

屁理屈、講釈、余談が多くて読みにくい記事で恐縮ですが、続きも是非よろしくお願いします。

投稿: mamekichi | 2017年12月19日 (火) 12時43分

こんにちは!
雪もちらつく寒い日でしたが、さわやかウォーキング楽しまれたようですね(^^)
(まだ中編の段階でコメント失礼します(笑))

個人的にも楽しそうなコースですね(^^)
室山の駅名板が酒蔵にある、というようなことは聞いたことがありましたが、これは興味深いです。

そしてお楽しみのお酒も気になります(笑)

“ことよ”、実は家の近くにもあるのですが、ここが本店なのですね!
そして、“あきぞう”は以前住んでいた家の近くでした(笑)

次回、次々回?楽しみにしておりますm(__)m

投稿: TAKU | 2017年12月19日 (火) 12時26分

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