近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)シリーズの3回目です。昨日のその2では、富田小学校の敷地内にある「明治天皇御駐輦跡碑」から、「茂福城跡」までを書きました。今日は、伊賀留我神社、浄恩寺、そして最終の立ち寄りスポットの垂坂公園となります。この途中でも、3カ所ほど寄り道をしています。

茂福城跡から近鉄名古屋線の線路をわたり、県道64号線の高架をくぐっ

て、この県道沿いに北西へ。この県道は東名阪の四日市東インターから四日市港・霞ヶ浦コンビナートを結んでいます。以前は、「富田山城有料道路」といって、有料でしたが、 平成6(1994)年11月に県道64号上海老茂福線になり、さらに、平成8(1996)年7月に全区間通行料無料となっています。ほぼ一直線に作られていて、トラックやタンクローリーが非常にたくさん走っています。行程も半分を過ぎたあたり、ほぼ1㎞ほど、やや上り坂になったところをひたすら歩くという感じでした。

下調べをしたところ、伊賀留我神社は、2つありました。左の地図のように、伊賀留我神社前の交差点を挟んで、南北に2つあるのです(両社の間は250mほど)。当日、地図をもらうまではどちらに行くか分かりませんでしたが、いずれにしても両方行こうと思っていました。今回の立ち寄りスポットは、交差点南にある伊賀留我神社(羽津戊にある方)でした。この近くには、天武天皇迹太川御遥拝所跡や、荒木十兵衛頌徳之碑もありますので、伊賀留我神社(茂福)と3カ所、寄り道(微笑)。

伊賀留我神社のある鵤(いかるが)村は、もとは一つの村でしたが、寛永年間(1624~1645)に南北二村に分れました。北鵤村は、桑名藩領で、北の伊賀留我神社は、齋宮(いつきのみや)大明神とか、北鵤村伊賀留我神社と称しました。一方、分村した南鵤村(こちらは、忍藩支配所)にも、新たに伊賀留我神社を祀り、ここに新旧二社が併立となりました。その後、安永8(1779)年に、両村の氏子で本社末社の争論が起こったといいます。社記によれば鵤御厨(いかるがみくりや)の地名より起り、垂仁天皇のとき、額田部の子孫が天照大神を奉斎して鈴鹿忍山宮への巡幸中に休んだ場所に天照大神の荒御魂を祀ったと伝えられるものの、天正の信長の兵乱によって神社所有の古文書などが失われ、創祀年代など由緒は不詳だということです。写真は、北伊賀留我神社にあった説明板。伊賀留我神社は、斎宮と記されており、斎宮は伊勢神宮の斎宮ですから、伊勢神宮との関連があると思われます。また、鵤の地名は、大和の斑鳩との関わりも伺わせます。ここ鵤は、聖徳太子の御料地という言い伝えもあるそうです。

北伊賀留我神社(茂福)の立派な石柱が、伊賀留我神社前交差点の脇に

立っています。ご祭神は、大日霊貴命、(配祀)大山祇命、意富伊我都命、倉稲魂。この神社には、「いのこ神事」の名残の大太鼓、大鉦が伝わっているそうです。「いのこ」は、「亥の子」で、旧暦10月の亥の日に、行われる行事で、収穫祭の一つのようです。古来、春の亥の日にやって来られた田の神が、山に去っていく日と信じられているそうです。関西地方で盛んに行われるといいます。「祭典行事表」には、「11月26日 奉告祭 いのこ」とあり、実際には11月末の日曜日にあると書かれていました。

北伊賀留我神社の北、200mほどのところに「
天武天皇迹太川御遥拝所
跡」があります(県指定史跡)。大矢知町の民家の隣です。
壬申の乱(672年)の際、大海人皇子(のちの
天武天皇)は、奈良の吉野を離れて伊賀に入り、鈴鹿から三重郡家に進み、さらに朝明郡の迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したといいます。御遥拝所跡の碑が立つこの地は、江戸時代の人がその場所であると考えたところだそうです。

慶応2(1866)年に造立された石柱には「天武天皇呪志(のろし)の御松斉宮」とあります。近年まで松の古木が立っていたといい、そのためこの地が御遥拝所跡として昭和16(1941)年に指定されたのです。松は平成14(2002)年に枯れ、今は、地元自治会が植えた槇の木があります。ここは、雑草も生えておらず、きれいになっていました。桑名市の歴史講座で、壬申の乱のとき、ここで大海人皇子が戦勝祈願をしたという話を聞いて、一度来てみたいと思っていた願いがかないました。

ところで、この御遥拝所跡は、川沿いにあるのですが、この川は、十四川でした(古くは、咒志川(しゅうしがわ)といったようです。3枚目の写真にある伊賀留我神社の説明もご覧ください)。「迹太川」は、現在の「米洗川」と書かれています(ホントに歩く東海道など)。米洗川を調べると、垂坂公園の北から東にかけて流れている川が出て来ます(
こちらなど)。この地に「天武天皇のろしの松」とされた老松があったために天武天皇の御遥拝所と定められたということですから、確かにここで大海人皇子が戦勝祈願をしたかどうかは、分かりません。
御遥拝所跡から南に50m足らずのところに「荒木十兵衛頌徳之碑」があります。荒木十兵衛は、桑名藩領朝明郡北鵤村の庄屋で、羽津用水を築造した人物です。田園地帯であるこの地は七つのため池があるものの、水利に恵まれずたびたび干害に見舞われました。十兵衛は村を干害から救うために、困難な利害を調整し、朝明郡平津村(現平津町)の朝明川から取水工事を行い、宝永3(1706)年全長6㎞に及ぶ羽津用水を完成させました。この用水のおかげで北鵤、羽津、茂福等の村々の水田に水を潤すことができ、作物も豊かに実るようになりました。

同年、十兵衛の俊英を恐れた桑名藩は、褒賞を与えると見せかけて十兵衛を城内に召し、毒殺してしまったそうです。昭和27(1952)年(昭和28(1953)年4月としている情報源もあります)、四日市市長の吉田千九郎は十兵衛の功績を讃え、顕彰碑を北鵤の地に建てました。鵤説教所には、荒木十兵衛の位牌が安置されているそうです。なお、羽津用水の開削者については、時の郡代・
野村増右衛門とする異説があります。

頌徳碑のとなりには、「殉難の碑」も建っています。こちらは、羽津用水改作の際、十四川と交差させる地下の難工事で殉じた方々のためのものです。

これで寄り道を終え(微笑)、伊賀留我神社前交差点を

渡って、ハイキングのルートに戻ります。こんな寄り道をしていたのは、小生一人でした(苦笑)。南伊賀留我神社であります。ご祭神は、天照大御神荒魂、大年神、大山祇神、天武天皇、意富伊我都命、倉稲魂、大日霊貴。寛永年間に分村して、祀られたことはすでに書いたとおりです。

こちらの、南伊賀留我神社では、「
日待祭」が伝わっているそうです。「日待」とは、旧暦1・5・9月の15日または農事のひまな日に講員が頭屋(とうや)に集まり、斎戒して神をまつり徹宵して日の出を待つ行事といいます。ここ伊賀留我神社では、祈年祭の前夜、2月15日の夕刻から16日の早朝にわたって日待祭が執り行われています(
こちら)。

南伊賀留我神社では、大変珍しいものを見つけました。小生は、初めて見ましたし、たまたま一緒になった、男性3人組の参加者も「これは見たことがない」とおっしゃっていました。「皇居遙拝所」です。最初は、「神宮遙拝所」かと思い、それにしては向きがヘンだと思ったくらい。Wikipediaには、「
宮城遙拝」ということばが載っています。次に引用するような説明が書かれていました(用語として不適切なものがあるかも知れませんが、そのまま引用します)。
宮城遥拝(きゅうじょうようはい)とは、日本や大東亜共栄圏において、皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝)する行為である。遥拝する場所は、日本国内(内地)、外地、外国を問わず用いられている。皇居遥拝(こうきょようはい)とも言う。
天皇への忠誠を誓わせる運動の一つであり、君が代の斉唱、日の丸の掲揚、御真影への敬礼と共に、宮城遥拝も盛んに行われた。特に第二次世界大戦中には、天皇に忠誠を誓い、日本国民の戦意の高揚を図る目的で、宮城遥拝の動きは頂点に達した。

碑陰(裏)を見ると、「昭和11(1936)年10月建立」と刻まれていました。後で触れます「神宮遙拝所」の石柱も時を同じくして建てられ、「御造営記念」とありましたから、拝殿などがつくられたのを機会にこの「皇居遙拝所」も建てられたと思います。昭和6(1931)年には
満州事変、昭和8(1933)年に
国際連盟脱退、昭和11(1936)年には
二・二六事件という歴史の流れを考えますと、戦意高揚という意図があったと推定されます。

南伊賀留我神社の
神宮遙拝所。上記のように、昭和11(1936)年10月に建立とありました。

この南伊賀留我神社の前(東)は、水田などが広がり、遠く四日市港方面がよく見えました。
四日市港ポートビルから、
四日市ドームあたりまでです。さすがにこのあたりでは、歩き疲れてきましたが、この眺めに励まされ、次の目的地、浄恩寺へ向かいます。途中、終業式を終えて下校途中の小学生の女の子から、挨拶され、ついでに、「何をしているんですか? みんなたくさん歩いているけど」と聞かれました。不審人物とは思われなかったのは幸い(微笑)。オッサン、オバさん(というよりも高齢者か?)がぞろぞろ歩いているのを見て不思議に思っても当然です。

南伊賀留我神社の一の鳥居から500mほど。斑鳩山浄恩寺に到着。浄土

真宗本願寺派。天延2(974)年10月、
大僧正良源が、舟木兵部少輔良兄に招かれて垂坂山でしばらく居住した際に、弟子の覚鎮が当地に斑鳩山大膳寺を創設、天台宗寺院として栄えたのが前身。その後、長享2(1488)年3月、16代円爾のとき本願寺
蓮如上人が当地に寄った際、その教化を受けて延徳年間(1489~1490)に浄土真宗に転じ、大膳寺を出て斑鳩山浄恩寺を起こしたという。この際、蓮如上人から御親筆
六字及び
十字の名号が与えられ、寺宝として残されているそうです。

浄恩寺第21世空源は、伊勢、美濃、三河の僧徒たちと長嶋で一揆を起こ

し、織田信長に敵対したといいます。しかし、空源は7年間に及び先頭に立って防戦に努めたものの、遂には戦死したそうです。現在の本堂は明治28(1895)年の建立です。また、境内には太子堂があります。これは、本山格寺院にならうものですが、当初からこのような伽藍を持っていたわけではなく、太子堂は明治2(1869)年に三光寺(西富田町)から移建されたものだそうです。

浄恩時から垂坂公園へ向かうところで、またもや若干迷いました。地図の説明がよく飲み込めず。近くで工事の交通整理をしていた方が手招きをしてくださったので、そちらへ。「さっきからたくさんみんな、こっちへ行ったよ」ということで、助けられました。垂坂公園へは、バードウォッチングで来たことがあります。
垂坂公園到着は、正午。20分あまりベンチで休憩。お腹もすいたので、

持ってきたお茶とクッキーで小休止。同じハイキングに参加した女性と少しお話。同行者が先に先にと行ってしまい、はぐれたとのこと。このあと、この方は北へ2㎞ほどのところにある
垂坂山観音寺へ寄り道されると。小生よりも、上級の寄り道(笑)。小生も、観音寺への寄り道を考えなかったわけではありませんが、ちょっと遠すぎるとパスすることにしたのです。

鳥の鳴き声も聞こえていましたが、昼も過ぎていましたので、公園を抜け

て羽津中学校の方へ。ここからゴールの近鉄名古屋線・霞ヶ浦駅までは、一直線で1㎞半くらい。ひたすら、黙々と歩き、12時55分着。この時点では、まだ10.8㎞も歩いたことは知るよしもなし(苦笑)。ただただ「よく歩いて、疲れた」と思っていました。

ちょうどすぐ12時58分発の準急名古屋行きがやって来ましたから、これ

に乗って、桑名へ。桑名駅着は、13時11分。電車賃は、往きも帰りも、片道¥260なり。半日十分楽しめましたし、あれこれ調べたり、まとめたりでさらに遊べます。オマケにKIPSポイントを100いただけます。これで、年内の鉄道会社主催のウォーキングは、お仕舞い。まだ企画はありますが、個人的にはまた年明けからというつもりです。
長々とお付き合いくださり、御礼申し上げます。間違いその他、お気づきの点がありましたら、是非ともご教示ください。
コメント
こころんさん、こんばんは。
とりとめもない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
最初にいったJRさわやかウォーキングのお陰で四日市港あたりの土地勘が少しできてきました(微笑)。
昔の富田山城有料道路は、四日市港直結ですね。
お寺、神社は案外たくさんあります。
どちらもコンビニよりも多いと何かで読みました。
伊賀留我神社から垂坂公園は割と近くでした。
私もクルマで鳥を見に行ったとき、やたら細い道をクネクネと行かされたことがあります。
カワセミは確かにいるようです。
私もまた改めて出かけたいと思っています。
近鉄のハイキングは、KIPSポイントが100ポイントもらえますので、「お駄賃100円」という感じです(笑)。
おとといは久居、昨日は鈴鹿でしたですね。
さすがに連日参加するのは無理そうでしたから、パスしました。
年明けからまた挑戦しようと思っています。
投稿: mamekichi | 2017年12月25日 (月) 20時35分
ゴールおめでとうございます。
1枚目、2枚目のお写真の景色は四日市港へ行くときに
よく見る景色ですが、
違う道に入ると四日市もたくさん立派なお寺があるものですね。
垂坂公園はこんなに近いんですね?
一度ナビを頼りに行きましたがクネクネと団地の中を案内されて
辿り着きましたが遠く感じました。ちょうど遠足で小学生の子が多く
写真を撮れなさそうてしたので
車を降りずに引き返した覚えがあります(^^)
カワセミもいるようですし改めて行ってみたいと思いました。
近鉄のウォーキングは何か特典があるようでいいですね。
今回も実際に参加した気分で楽しませていただきました。
冊子を見てたら昨日は先日行ったばかりの
大黒屋光太夫記念館のコースだったようで
小さな博物館も賑わったでしょうね。
投稿: こころん | 2017年12月25日 (月) 17時48分
くろしばくろまるさん、初めまして。
ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
垂坂公園にカワセミがいるのは、ブロ友さんの記事で知っており、以前、ここに行ったときもカワセミが見たかったのですが、まだ果たせていません。
改めてご教示いただいて、もう一度チャレンジしてみようという気持ちになりました。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
またよろしければ、コメントをしてください。
投稿: mamekichi | 2017年12月24日 (日) 20時44分
ブログの読者の一人です。
垂坂公園には、カワセミ池があり、野鳥撮影のカメラマンが時々並んでいますよ。
いつも、先生のブログを楽しんで見ています。
投稿: くろしばくろまる | 2017年12月24日 (日) 18時55分