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2017年12月22日 (金)

近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1)

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 今日は、こちらへ。予定通り、近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ行ってきました。名古屋線の川越富洲原駅を20171222kintesuhaikingkawagotomis_2 出発、霞ヶ浦駅まで約8㎞というコースです。近鉄ハイキングへの参加は、初めて。ちょっとドキドキしました(微笑)。コースは、右の画像の通り。右上にある川越富洲原駅を出発し、田村寺、薬師寺、常照寺、茂福神社、伊賀留我神社、浄恩寺から垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まで。約8㎞ということでしたが、例によって、コース外のところに立ち寄っていましたので、実測距離は、10.8㎞。桑名駅までの往復が2.2㎞ですから、何と13㎞も歩いてきました。前回のJRさわやかウォーキングの記事と同様、何回かに分けて、その記録を書きます。今日は、その1。
Img_8677c 川越富洲原駅西口広場に、9時半~10時半に集合ということでしたが、桑名駅を9時10分の四日市行き準急に乗車。9時18分到着。すでに数10人の方が並んでいました。ここで、受付。「あみま倶楽部」の会員証にスタンプを押してもらい、地図を受け取ります。さらに参加するたびにKIPSポイントが100ポイントもらえます(KIPSカードに蓄積)。
Img_8710c 最初の立ち寄りポイントはこちら、弘法山田村寺。真言宗醍醐派のお寺で、20171222chuunichshinbuntamurajic 三重四国八十八箇所の5番札所に当たります。川越富洲原駅は、三重郡川越町でしたが、1.3㎞ほど来たここはすでに四日市市西富田になります。今朝の中日新聞北勢版にも記事が載っていましたが、昨日・今日と、冬至の「中風封じ」法要が開かれ、ご祈祷を受けた参拝者にかぼちゃぜんざいが振舞われます。「かぼちゃ大師」の日として親しまれているそうです。
Img_8689c 境内は思ったほど広くはなく、大賑わいでした。ここのご本尊は弘法大Img_8690c 師。奉納された提灯にも「南無弘法大師」の文字が書かれています。本堂の大かぼちゃの他に、参道にもカボチャが置かれ、これに触れて行く参拝者がほとんど。小生も触ってきました。
Img_8692c こちらが本堂。ちょうど祈祷の真っ最中で、本堂前にたどり着いたときImg_8695c は、祈祷が終わったところ。本堂には、直径60cm、重さ80㎏という大きなカボチャが供えてありましたが、大混雑で写真は撮れませんでした。右は、本堂から境内、山門の方を撮ったもの。すごい人出でした。
Img_8713c 今回のハイキング参加者には、お供え物のおもてなしがいただけるということで、こちらを頂戴してきました。中身は、かぼちゃ煎餅(カステラ生地の薄焼き煎餅)でした。
Img_8704c この田村寺、創立は江戸時代末期(1850年頃~)。寺伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂公が東征の帰途、この地で休息した際、村人のもてなしに感謝し、田村の姓を下賜され(それ故、この地区には田村姓が多いようです)、江戸時代に坂上田村麻呂公の霊を弔い、草庵を開いたといいます。明治時代、大慈遍照二世の大導師が弘法大師を信奉し、信徒ともに厄除け大師の恩恵に浴し、大師堂を建立、寺号も田村寺となったといいます(別の伝承もあります。こちらもご覧ください)。
Img_8706c 山門を入ってすぐ西に「父母恩(?)重碑」というものがありました。「高野山開創一千百五十年大法会記念」で建立されたようですが、説明はなく、また、裏を確認できず(入れませんでした)、詳細は不明でした。ネットで検索してみても、情報は出て来ません。
Img_8731c 田村寺から西南へ300mほど行くと、旧・東海道に出まImg_8734c す。このあたりは、11月9日に桑名市安永から歩いてきたところです(旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ前編旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ後編)。富田一里塚跡、八幡神社、行啓記念道路碑は、前回も見ました。八幡神社には、すでに門松が立てられていました。
Img_8737c 左は、行啓記念道路碑。大正天皇が皇太子の時(明治43(1910)年11Img_8739c 月)に、三重県立第二中学校(旧制富田中学校・現四日市高校)に立ち寄られたとき、この道路を通られた記念として建てられたものです。この先で、旧・東海道は、直角に曲がります。曲がり角には、右のように、電柱に大きく案内が出ています。
Img_8741c 曲がった先、ある商店の前には、こういう手作り看板が。四日市市内はあちこちに東海道の案内板があります。桑名でもこういうことをしないといけません。尋ねてくださる方への心遣いというものです。
Img_8743c その先の道ばたに、小さな道標があります。道路に面した方は、読めまImg_8744c せんでしたが、南西側には、右のように、「左大矢知中学?」とあります。この道標は、服部泰次郎が建てた道標です。服部泰次郎(1854~1920)は、米穀商として成功した人ですが、行商をしていた頃、道が解らなくて苦労をした経験から、1,000基以上もの道標を建てたといいます。その多くは隣の集落への道筋を示し、ほとんどが地名を刻んでいるそうです。
Img_8747c この道標のすぐ側には、里程標があります。表には「津市元標へ拾里」、左面には「四日市市大字四日市へ壱里八町」と刻まれています。裏や右面は、しっかり確認してきませんでした。リンク先に載っていますが、「桑名郡桑名町大字桑名へ弐里弐拾町/員辨郡大泉原村大字楚原へ四里拾参町弐拾四間」、「大正三年十一月三十日 三重縣」とあるということです。
Img_8755c 富田地区市民センターの脇に、南町集会所という建物がありました。ちょっと不思議なのは、鳥居が建っていて、神社風の建物であること。10畳ほどの広さで、奥に太鼓や提灯があります。詳細は不明。
Img_8758c その市民センターの敷地内にも道標が建っています。「右 富田一色 東Img_8757c 洋紡績 川越村道」と正面に刻まれていました。富田一色は、近くの地名です。東洋紡績(現・東洋紡)の工場は、今のイオンモール四日市北の場所にありました。
Img_8759c ほぼ余談であります。富田地区市民センターに「富田の焼蛤」という看板が掛かっていました。「焼蛤は桑名じゃないの?」と思われるでしょうが、実は、あの有名な焼蛤は、小向(朝日町)と、ここ富田で焼いて売られていたのです。ただし、小向も富田も、江戸時代は桑名藩領でしたから、「桑名の焼蛤」となったと思われます。「その手は桑名の焼蛤」ということばは、江戸時代にはすでに使われていた洒落言葉のようです(こちら)。
Dscn3802_800x600 関連して、四日市市立博物館の常設展示「時空街道」の中に、焼きはまぐりを売る店の様子が再現されています(2017/1/13:「昭和のくらし・昭和の子ども」展へ……四日市市立博物館をご参照ください)。
 富田のお話、まだ続きますが、今日はこのあたりにて(2.7㎞地点までしか、話は到達していません……苦笑)。明日は、富田小学校にある「明治天皇御駐輦跡碑」の話から。明治天皇は、4度、この地で休まれたといいます。その記念碑があるのです。先は長いのですが、あと2~3回、お付き合いくださるようお願いいたします。

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コメント

ひらいさん、こんにちは。

このところ、ウォーキング&ハイキングにハマっています(苦笑)。
おっしゃるように、地元といえども知らないところ、行ったことのないところがたくさんあります。
鉄道会社のこういうイベントは、電車賃だけで参加できる上に、いろいろと楽しめます。

四日市は、地域ぐるみで東海道を盛り上げようという試みがいろいろされています。
富田地区でも、独自のパンフレットや、看板、案内板があり、楽しめますし、歩くのにも助けられます。

田村寺は、観光案内で見たときはもっと大きな寺かと思っていたのに、案外小さく、驚きました。

バードウォッチングも忘れておりませんが、昨日見たのは、ハクセキレイ、ツグミ、ヒヨドリなどくらいでした。
今日(12/23)は、ユリカモメで楽しめましたよ。
またご覧ください。

投稿: mamekichi | 2017年12月23日 (土) 16時47分

mamekichiさん、こんにちは!

ハイキングを楽しまれておりますね、地元と言えど、知らない所だらけで、色々参考になります。東海道の看板、地域ぐるみでしっかりとサポートされてるのですね、東海道は、桑名ですら殆ど歩いた事は有りませんが、東海道巡りをするなら、判り易くて良いなと思いました。

田村寺は、野鳥撮影してた時に立ち寄った記憶が有ります、寺の印象は全く残っておりませんが、田村という知り合いが居るので覚えておりました。(笑)

投稿: ひらい | 2017年12月23日 (土) 13時50分

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