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2017年11月23日 (木)

「刻印石」研究家に出会う……鳥果は上がらなかったものの、石や石垣の話は面白かったですねぇ(笑)

Img_3508c

 7時を過ぎた頃、雨は上がりました。勤労感謝の日でありますが、ごくまれにしか働いておりませんので、感謝しても良いか迷うような祝日です(苦笑)。それはさておき、晴れてくるという予報でしたので、いつも通り散歩に出たものの、雲がとれて、晴れてきたなと思ったら、北風が出て来ました。最大8m/s以上の風。鳥見にはあまり適さない天候です。結局、住吉神社から九華公園を往復して、4.1㎞だけ。しかし、面白い方に出会い、楽しめました。冒頭の写真は、諸戸氏庭園のイチョウの大木。よく色づいて、遠くからでも目立ちます。
Dscn4991c 面白い方というのは、この「刻印石」に関わります。管理事務所東にある、この刻印石について、小生が調べた範囲では(といってもたかが知れていますが)、「それが示すものは不明」としか分かりませんでした。城の石垣の石にはさまざまな文様や記号が刻まれています。これを「刻印」といい、刻印は、築城に関わった関係者による家紋、家印、符丁、石の産地などを示したものです。今日、九華公園についたら、管理人のSさんが、「刻印石を調べに来たという方がいらっしゃいますよ」と教えてくださったのです。
Dscn5001c 九華公園の管理事務所の東には、5つの刻印石があります。この方は、そDscn4990c れをビニールシートにマジックインキで写し取っていらっしゃいました。ちょうど写し終えたところに行き会わせ、話を伺ってきたのです。その方によれば、この刻印は、池田輝政のものだそうです。池田輝政と言えば、他の大名たちとともに、慶長11(1606)年の江戸城、同14(1609)年の篠山城、翌15(1610)年の名古屋城などの普請に従事し、篠山城普請では総普請奉行を務めています。輝政の刻印では、「三佐」が有名のようですが、篠山城の展示には、これに似た印も残っているといいます(こちら)。
Dscn4998c これら2つは、蜂須賀至鎮(はちすか よししげ;いわゆる蜂須賀小六の子Dscn5000c 孫)の刻印に似ているといいます。左の印では、上の横棒「横一」がない、「卍」だけであれば、蜂須賀のものだそうです。確かに、蜂須賀の家紋は、「蜂須賀卍」(丸の中に卍)。右の印では、「くびれ」がない形であれば、やはりそうだということでした。
Dscn4992c 残りのこれら2つは、不明ということでした。左のものは、○の中に書かれDscn4994c_2 た文字らしきものがよく分からないそうです。確かに、仮名でも、漢字でもなさそうです。梵字かという気もしますが、その方面は全く知識がありません。右の「四角に三(菱形に三、かも知れないと思いますが)」も不明。
Dscn4997c 最初に触れた3つが、池田輝政や、蜂須賀至鎮のものだとして、それらがなぜここにあるのでしょう? 桑名城は、慶長6(1601)年、本多忠勝が桑名10万石に封じられ、築城を開始しています。築城開始当初には徳川四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話があるそうですが、池田や蜂須賀が関わったのでしょうか。
Dscn4999c 池田輝政は、その頃、初代姫路藩主として姫路城を大規模に改修しています。蜂須賀至鎮は、はじめ父・蜂須賀家政ととともに、豊臣秀吉の家臣でしたが、徳川家康の養女(小笠原秀政の娘・氏姫)を娶ったことから、関ヶ原の戦には、東軍に与し、その功績で家康から所領を安堵され、阿波国徳島藩初代藩主になっています。一瞬、刻印の謎が一部解けたようにも思ったのですが、そうではありません。
 この、九華公園でお目にかかった方は、蒲郡市の郷土史家・壁谷善吉さん。名古屋城や吉田城(豊橋)を初めとする城に使われていた三河の石の産地を自らの足で、21年という永きに渡って調べておられます。地元・蒲郡の西浦半島は、名古屋城築城の際の石切場の一つで、ここで加藤清正、池田輝政、福島正則などの刻印がある石を発見なさったそうです。いやぁ、「面白い」というと失礼かも知れませんが、世の中にはいろいろなことに興味を持って、熱心に研究を続けている方がいらっしゃるものです。あれこれとお話を伺っていたら、あっという間に1時間以上経っていました(微笑)。久しぶりに「三河弁」を聞いて、大変懐かしかったということもあります。
Img_3483c ところで、鳥見の方はあまり成果が上がりませんでした。ゴイサギは、今Img_3500c 日は2羽。ホシゴイは1羽。左の写真は、このところいつもいるものたち。右は、このクスノキの南の端に潜んでいました。やはり「忍者」です。
Img_3440c カモは、合計41羽。と思います。「と思います」というのもヘンですが、今Img_3431c 日は、餌をくれる人もないのに、やたら動き回っていたからです。ハシビロガモのオスが1羽、メスが3羽、ヒドリガモのペアが2組に、キンクロハジロ。強風のためか、ユリカモメの姿は見られませんでした。
Dscn4975c それから注目している「住吉キンクロウズ」、今日もオスが3羽。「住吉キImg_3394c ンクロウズ三人衆」とでも、新しいニックネームを献上したいくらいです(微笑……「三人組」とすると、悪人のように聞こえますから)。
Dscn4983c 余談。今日は、桑名でJR東海の「さわやかウォーキング」が行われていDscn5004c ました。「桑名の海風が心地よい九華公園と七福神祭りで賑わう十念寺を楽しもう」というテーマです。実にたくさんの方が九華公園を通って、赤須賀神明社に向かって行かれました(マップは、ここにあります)。こういう鉄道会社のウォーキング・イベント、一度行ってみたいと思っていますが、なかなかお尻が重くて……。どうも集団行動をあまり好まないのかも知れません(笑)。

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コメント

ひらいさん、おはようございます。

世の中、いろいろなことに興味を持ち、熱意を持って研究している人がいらっしゃるものです。
元公務員で、一級建築士でいらっしゃいました。
これまで趣味に1,500万くらい使ったと豪語しておられ、ひっくり返りました(笑)。
ただ、お城の石垣にある刻印と同じものが、石切場にあるのを見つけられるなど、なかなかの仕事をしていらっしゃるようでした。

九華公園にある刻印石が、池田輝政や蜂須賀のものだとして、なぜここにあるのか、桑名城の石垣に使われていたのかなど、疑問は尽きません(このまま行くとヘンな方向にはまりそうですから、気をつけますが……)。

昨日(11/23)は落ち着かない天候でしたね。
九華公園はJRのウォーキング・イベントもあって、鳥は少なめでした。

投稿: mamekichi | 2017年11月24日 (金) 07時39分

mamekichiさん、こんばんは!

刻印石研究ですか、世の中色々な趣味が有るものですね、さすがに刻印石ともなると、自力で調べる以外に方法は無さそうなので、自分なら、始める前から挫折状態です。(笑)

本日は晴れたり曇ったり、そして夕方以降雨が降ったりと変化の激しい日でしたが、たまにしかない祝日を充分満喫してきました。

投稿: ひらい | 2017年11月23日 (木) 21時15分

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