梅雨入り前の好天だそうです。午前中はいつものように、住吉神社から九

華公園などに散歩に行って来ましたが、今日の記事は、こちら。
諸戸氏庭園であります。右の写真のように、拙宅玄関前から毎日見下ろして、「借景」にしています。6月11日まで春の公開中ですが、いつも「いつでも行ける」と思って、見逃し続けていたのです(苦笑)。諸戸氏庭園は、江戸時代の豪商山田彦左衛門の隠居所として作られたものを、明治になって初代諸戸清六氏が、買い取り、さらに増築した庭園です。
こちらに詳細な説明があります。

今日出かけたのは、花菖蒲がかなり咲いてきたという情報が、
諸戸氏庭園のFacebookに載っていたのと、左の写真にあります本邸が、この春の公開が終わると、修復に入るということからでした。午後2時半から1時間ほど楽しんできました。

本邸の玄関を入ると、右手にこの「欅一枚板戸」があります。Facebookによれば、修復に備えて、この部屋も荷物がすべて片づけられたため見られるようになったといいます。聞くところによれば、現在の価格では、1枚数百万円はするだろうということです。それよりも、現代ではこんな大きな欅の一枚板が入手できるのかという気がします。

例によってカメラをぶら下げていったのですが、受付の方が、「
黒燕濡れ燕という珍

しい花菖蒲が、一つだけ咲きましたよ」とおっしゃり、連れて行ってくださいました。これで咲いた状態だそうです。毎年、一輪だけ咲くと伺いました。教えていただかなければ、気づかないところにありました。「濡れ燕」をネットで検索したのですが、この花とは違う姿のものしか出て来ません。詳細は不明。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

花菖蒲は、4分咲きくらいという印象でした。この菖蒲池を中心としたあた

りは、もともとこの屋敷を所有していた山田家時代の面影がある回遊式庭園となっています。江戸時代には、杜若が植えられていたそうですが、現在は花菖蒲に代わっています。菖蒲池の北側には、蘇鉄が植えられています。蘇鉄は位置は異なるものの、江戸時代からの植栽だそうです。

ここからは順路にしたがいましょう。本邸南の入り口から庭園に入ると、

すぐ左手に洋室があります。屋根などはかなり傷んでいますが、今度の本邸の修復のときにあわせて修理されると思います。洋室外側の柱は、エンタシスになっているなど、意匠が凝らされています。洋室の隣は和室。風景に溶け込んでいます。ガラスは、昔のままで、歪みがあります。

和室の東には、「虎石」。その形が虎に似ていることによります。山田家

が薩摩藩主から贈られたものです。ここから東へ(右の写真)。

煉瓦蔵の裏手に出ます。本邸と同じく、明治20(1887)年頃に、当初は木

造で蔵が建てられました。明治28(1895)年に火災で焼失し、その後煉瓦で再建されたものです。昭和20(1945)年の戦災で2棟が失われ、現在の3棟が残っています。煉瓦の積み方は、イギリス積みといって、小口の面の段と長手面の段とか交互に出ています。ここは、米蔵として用いられ、この前の堀(現在の住吉入江)に船を着けて、搬入していたということです。煉瓦蔵の北には、右の写真のような、見事な松もあります。いつも、ここで立ち止まって見入ってしまいます。

北に進むと、茶屋があります。この前には、これまた見事な藤棚があり、

「藤茶屋」といいます。江戸時代には、藩主が藤を愛でるために立ち寄ったそうですが、戦災で焼失し、昭和43(1978)年に再建されたものだそうです。正面から奥にすぼまった部屋で、「扇の間」と呼ばれます。

菖蒲池を通って、庭園の北側のエリアへ進みます。ここには、神祠があり

ます。神社は明治時代に改築されたということですが、金比羅神社、住吉神社、伏見稲荷、玉船稲荷、菅原神社が祀られています。海運業を営んだ山田家時代からの祭神も含まれているといいます。

庭園の北側には、溝渠
<こうきょ>があります。この溝渠は、実は、揖斐川とつながっていて、御殿の前にある庭園(池庭)を「汐入の庭」にしているのです。この溝渠は、平成22年から行われている修復事業の一環として、浚渫が行われました。1.1mもの土砂が溜まっていたそうです。ちなみに、この溝渠の向こうは、
六華苑です。木々の合間から六華苑の建物が見られます。

神祠からは御殿前の池庭に出ます。御殿は、明治23(189)年頃に着工

し、数年かかって完成しています。庭が良く眺められるように、床が高く、柱が少ない造りになっています(御殿は、右の写真の奥に見えています)。大隈重信や、山県有朋などもここを訪れたという説明が書かれています。池庭は宮内省技師・小平義近の設計、池は琵琶湖をもしたといいます。池の周囲には、長島城・桑名城・鳥羽城から運んできた庭石が配されているそうです。

池庭から東へ行くと、「推敲亭」という茶室があります。説明板によれば、
覚々斎原叟(延宝6年(1678)~享保15年(1730)、表千家6代)の作と伝わっています。三畳に障子がめぐらされた、小さな空間なのですが、開放的な印象があります。

西から東を見た景色。月見や歌詠みに使われたといいますが、ここに座して、お茶でも頂きながら、書物を読むことができれば、非常に贅沢な時間を過ごせそうです。

左は、推敲亭に向かって左の手前(南)にある「橋杭燈籠(擬宝珠燈

籠)」。京都の五条大橋の欄干を用いたといいます。右は、「織部燈籠」。こちらは、向かって右下にあります。茶人古田織部の考案した形といわれます。竿の部分に人形の彫があります。一説によれば、キリシタン禁制の時世に信者が用いたものがその起源といい、「切支丹燈籠」という別名もあるそうです。ちなみに、諸戸氏庭園内には、63基の燈籠があるそうです。

推敲亭の南東には、布袋様の像が鎮座しておられます。なかなか良い表情をしていらっしゃいますので、こちらも思わず微笑んでしまいます(苦笑)。

庭園内を一回りして、本邸に戻ってきます。左の写真は、

本邸の玄関先。門灯と、表札。表札は、写真ではよく分かりませんが、肉眼では「諸戸」とあるのが読めました。小生がここに引っ越してきた頃は平成5年3月)、「諸戸精文」とありました(諸戸精文氏は、明治45(1912)年~平成10(1998)年)。

諸戸氏庭園は、修復作業が現在進行形ですので、御殿の他、玉突場や、御殿の玄関・車回し、大門などは見られません。本邸も、この春の公開が終わると、修復に入ることになっています。平成33年度までの予定です。左の写真は、諸戸氏庭園南にある水路のところから撮ったもの。

庭園の西側の道路に回ると、こういう景色が見られます。右手前は、
諸戸水道の給水塔です。奥の黄色い壁の建物、向かって右は玉突場、左は御殿奥の洋館です。写真の向かって右に写っているのが、拙宅マンションであります。

こちらは、上の写真から少し北へ行ったところから見える、御殿の裏側。御殿の修復も、パンフレットによれば、平成33年までかかるようです。修復以前に拝見したことはあるのですが、早くもう一度見たいものです。
【花菖蒲の名前、訂正しました(6/10)】
本文を訂正しましたが、「黒燕」というのは、記憶違いで、「濡れ燕」でした。しかし、ネットで検索して出てくる濡れ燕の画像は、異なったものでした。詳しい方がいらしたら、是非ともご教示ください。
こころんさん、こんにちは。
花菖蒲、九華公園も、諸戸氏庭園もそろそろ見頃かと思います。
九華公園は、本丸跡以外の2ヵ所は、去年に比べ、花が多い感じです。
一昨年までは、全日写連主催で撮影会が行われていましたが、モデルさんの依頼が大変という理由で(他にもスポンサーのこともあるようです)、昨年から中止されました。
とくにイベントもなくなってしまい、残念です。
桑名市や、観光協会がきちんと考えて欲しいと思いますね。
どこもそうですが、見ているはずでも気づかなかったりするものがありますね。
諸戸氏庭園の布袋さん、来歴はよく分からないようですが、なかなか良いお顔をしておられます。
そうそう、九華公園の花菖蒲の株分け会があります。
6月23日、24日、桑名市役所の駐車場のところです。
http://kmi-kuwana.jp/news.html?target_id=178
投稿: mamekichi | 2017年6月 5日 (月) 13時35分
こんにちは
ここも九華公園も綺麗に花菖蒲が咲き揃ってきましたね。
昨年に比べると花が多くて綺麗ですね。
行けたらまた行きたいと思います。
今年も九華公園で撮影会は無いのでしょうかね?
以前、2度ほど諸戸庭園は行ったことありますが
布袋さんは気づきませんでした(^_^;)
投稿: こころん | 2017年6月 5日 (月) 13時03分