
9時半過ぎに現地到着。10時からでしたので、徳成邸の目の前にある「諸戸

水道貯水池遺構」を見て、時間つぶし。高齢の女性お三方と徳成邸や、諸戸氏庭園、六華苑についておしゃべり。この頃、初対面の方とも、平気でおしゃべりするスキルを身につけました(微笑)。

予定より10分ほど早く、9時50分頃から受け付け開始。この時点で、40人あまりの人たちが待っていました。今回は、防空壕と北蔵が初公開ということでした。しかし、まずは、主屋へ。というのも、一度に入れる人数に制限があったからです(写真は、11時頃のもの。この時点で、主屋から大門まで行列!)。

主屋1階の広間。大正末から昭和初期にかけて建てられたものですが、す

でにセントラルヒーティングが設備されています。そのため、屋敷の北側にはボイラー室もあります。

お屋敷の主、二代目諸戸清六氏の肖像画。二代目清六氏は、明治21(1888)年、初代の四男(清吾)として誕生。早稲田中学に進学するものの、18歳のとき初代が亡くなられ、桑名に呼び戻されます。初代の4人の息子のうち、長男と三男は早世していたため、二男精太氏と四男清吾氏が諸戸家を継いでいます。精太氏は太一丸の屋敷(現在の諸戸氏庭園)を継ぎ、諸戸宗家と称し、また、清吾氏は、初代清六の名を襲名し、諸戸本家と称したそうです。二代目清六氏は、諸戸宗家の東隣に新居を建てています(現在の六華苑、大正2年竣工)。二代目清六氏は、戦前までは本邸(現・六華苑)と徳成邸とを行き来し、生活したのですが、太平洋戦争で本邸が空襲の被害を受けたことを期に徳成邸に定住したといいます。

左は、主屋1階にある「夫人室」。右は、大蔵。主屋からは北西の方向に

あります。

調理室の西の部屋には、大きな食器棚。中には、まだ食器類がたくさん

入ったままです。この部屋には、右の写真のような、「奉祈念秋葉三尺坊守護所」というお札が貼られていました。「秋葉」さんの関係のようですから、火防(ひよけ)・火伏せのお札だろうと思います。

同じ部屋には、こんな「防火週間」のポスターも残っていました。どうもこういうものがあると、気になってしまうのです(苦笑)。

主屋2階は、残念ながら室内は撮影禁止でした。左は、2階からお庭の一

部を見下ろした写真。ガラスは、昔のものがそのまま使われているようで、端っこなど、歪みがあり、懐かしい気がしました。右は、東の方を眺めたのですが、今は、木々やマンションのため、遠くまでは見えませんが、かつては木曽三川を望めたと思います。

防空壕へ。配置図で見ますと、主屋と大蔵の間あたりに、防空壕への入

り口があるようです。狭いところを通り、階段を下っていきます。

左は、防空壕を少し入ったところ。突き当たって右へ曲がっており、ちょうど

L字型の通路のようになっています。すれ違いがやっとできるくらいの幅。曲がっていった先は、少し進むと、出入り口になっていました。配置図を見ると、大蔵の北西側に出るようです。

右上の写真の出入り口から外を覗いてみました。土壁というのか、土塁

といった方がよいのか、そういう感じになっていました。右はこの出入り口から戻るときに撮った写真。左上の写真とつながります。防空壕というものに入ったのは、初めてでした。

つづいて、茶室、茶庭を通って、北蔵へ。敷地のもっとも

北側にあります。左右の写真は、外観。コンクリート造りのようですが、確かに蔵でした。

下司な話で恐縮ですが、「お宝満載」かと思ったのですが、空っぽでした

(微笑)。外観からも分かるとおり、内部は2階建て。収納棚がぎっしり。「山林王」といわれ、とてつもなくお金持ちだったと思うのですが、我々庶民の想像を絶するくらいなのでしょう。

棚の各所には、それぞれ何を収納していたか、きちんと

ラベルが貼られていたのが、印象的でした。整理整頓のお手本のようです。そういう中、とある棚には、はたきががそのまま置かれていたのが、何だか印象的でした。

北蔵の出入り口を内側から見たところ。厳重な外扉に、格子戸(といってよいのか、分かりませんが)で、テレビなどでよく見る、まさに蔵の作り。

茶室の南、諸戸家の墓所へ通ずる通路の脇に井戸があります。この井

戸は、諸戸水道にも関わりの深いものだそうです。徳成邸は、愛宕山として親しまれた段丘を利用して建てられています。この丘の水源を利用して、諸戸水道がつくられています。水をくみ上げるポンプの先には、神社にあるよう手水石のようなものが置かれています。これには、諸戸家の家紋である「
違い鷹羽」が刻まれています。ここにいらっしゃった、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方に、その由来などを伺ってきました。諸戸家は、古い家系で、織田信長が伊勢攻めた
長島一向一揆のときに寺侍として参戦したといいます(そのときは、丹羽という姓だったそうです)。形勢不利なときに、長島城もしくは願証寺のとを外し、それを盾に戦に参加し、活躍したのだそうです。その活躍に対して、「諸戸」という名字と、「違い鷹羽」の紋を与えられたということでした(記憶に基づいて書いています。誤りがありましたら、是非ともご教示ください)。鷹の羽紋は、勇猛な様子から尚武的な意味で用いたといいます。

最後にお庭から、仏間、洋室へ。左の写真で向かって右が仏間、左が洋

室。洋室の入り口近くには、本棚が置かれたままになっていました。他人様の本棚にどんな本が並んでいるか、興味があります。小説の他、日光に咲く花、慶應義塾百年史、野の佛など多様でした。

こちらは仏間。ただし、内部は撮影禁止でした。仏間の屋根を見ると、鬼

瓦には、やはり「違い鷹羽」の紋が入っていました。諸戸氏庭園では、カタカナで「モロト」と入っています。

洋室の裏側にも回ることができました。「土塁」があり、「調査前なので、触らないように」という掲示が出ていました。敷地面積は、7,638.46平方メートルだそうです。敷地の西側は、ちょっとした丘になっていて、木々が生い茂っています。

これで一通り見学してきました。11時半近くです。帰ろうと大門に向かったら、主屋からすごい人数の人が並んでいました。午前中は、10~12時の見学ということでしたが、時間内にはとうてい収まらないような気がします。

大門の前の通りに面して、少し北側には通用門があります。通用門のと

ころには、フジの木があり、花が咲いて、少し香りがしていました。中でお話しした歴史案内人の女性は、この前を通って桑名高校に通ったとおっしゃっていました。

通用門のさらに北(桑高側)には、墓所門があります。現在は使われておらず、西側の門から墓所に出入りされるようです。

徳成邸の西側。この道は通ったことはあるものの、ここが「諸戸徳成邸」

であるとしっかり意識して歩いてはいませんでした。せっかくの機会だから見ておこうと、回って来ました。建物や墓所の西側にあたり、小高くなったところに樹木が生い茂っています。少し歩いて行くと、ここにも墓所に通じる門がありました。諸戸家の子孫の方々が墓参されるときは、こちらをお使いだそうです。

「諸戸徳成邸」の保存については、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方を初めとして、多くの方が運動してくださったのですが、結局、桑名市は昨年、市長が取得断念を発表しています。そのため、新聞記事によれば、現在の所有者の方は、諸戸家に関わりのある建築会社に売却を決め、この夏にも解体される見通しになったといいます。母屋や茶室は解体するものの、北側の庭園や蔵など1,300平方メートルは残す意向だそうです。桑名市も、「
本物力こそ、桑名力。」というブランドキャッチフレーズを打ち出しています。それならば本物中の本物であるこの「諸戸徳成邸」の保存をしない手はないと、私は思うのですがねえ。
じゅほうさん、おはようございます。
諸戸徳成邸、これで見納めになるかも知れないということで、行ってきました。
新聞に載ったためか、大賑わいでした。
私は早めに出かけたので、ゆっくりと見て回ることができ、ラッキーでした(行列に並ぶというのが、嫌いなのです)。
六華苑や諸戸氏庭園に匹敵する価値があるとされているだけに、残念ですね。
「諸戸三大庭園」としてアピールできたように思います。
お読みくださり、ありがとうございます。
投稿: mamekichi | 2017年5月 1日 (月) 08時15分
mamekichiさん、おはようございます。
諸戸徳成邸 行かれたのですね。
少し前の新聞で最終公開のことを読んで、是非行きたいとその時は思ったのでしたがすっかり忘れていました。
日曜日のお昼のニュースで放送していて、今からでも間に合うと思いましたが結局行けませんでした。
保存してもらえるとよかったですが、解体は残念です。
mamekichiさんが写真と共に詳しく説明されているのを興味深く拝見しました。
投稿: じゅほう | 2017年5月 1日 (月) 05時44分
ひらいさん、こんばんは。
諸戸徳成邸、残念ながら、夏には解体のようです。
跡地は住宅か、マンションかが建つのではないでしょうか。
墓所や、北側の庭園や蔵などは残るようです。
今日は、室内も、2階や仏間を除いて撮影可でした。
防空壕や蔵も見せてもらえ、ラッキーでした。
一般公開としては、今日・明日が最後の見込みです。
桑名市も、ヘンなところにお金を使わず、買い上げてくれたらよかったのにと思います。
菓子博、いいですねえ(苦笑)。
期間限定ですから、楽しんできてください。
投稿: mamekichi | 2017年4月29日 (土) 21時47分
mamekichiさん、こんばんは!
諸戸徳成邸、解体されてしまうのですね、残念ではありますが、かなり痛んでいたのも事実ですし、仕方ないですね。壊した跡地には住宅などが出来てしまうのでしょうか、公園とかになれば、また行ってみようと思います。
最終公開は一部撮影許可だったのですね、今までは室内撮影禁止でしたので、最終公開の大サービスですね。明日までとの事でもう行く事は出来ないので残念です。
明日は伊勢方面で開催されているイベント(菓子博)に行く予定です。個人的には伊勢より琵琶湖に行きたいのですが(笑)、運良く入場券をもらえたので行ってみる事にしました。
投稿: ひらい | 2017年4月29日 (土) 20時31分
こころんさん、こんばんは。
新聞で見て、これは是非とも見なければと思い、早めに行ってきました。
これをなくしてしまうのは、本当にもったいないと思います。
防空壕と蔵が、初公開ということでしたので、それもあって是非見たいと思ったのです。
やすらぎパーク、いらしたんですね。
またブログにお写真を載せてくださるようお願いします。
投稿: mamekichi | 2017年4月29日 (土) 20時24分
こんばんは
新聞に掲載されてましたけど、行かれたのですね。
この建物が無くなるのはとても残念ですね。
小さい頃、この周辺でも遊んでましたし。
防空壕も公開だったのですね。
今は埋められた防空壕も多いでしょうし
なかなか入る機会がないので貴重な体験をされましたね。
先日、やすらぎパークの牡丹を拝見して
昨日寄ってみました。今年も綺麗に咲いてました。
投稿: こころん | 2017年4月29日 (土) 19時11分