2021年10月26日 (火)

今日はモズ・デー……九華公園のカモは19羽

Img_5235c Img_5240c_20211026145901  未明には雨は上がり、今日は一転して青空。気温も22.8℃とあがり、散歩をして来たら汗ばんだくらい。木曽御嶽山、乗鞍も(左の写真)、恵那山などもわりとよく見えていました。7時40分からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。

Img_4730c_20211026150101  住吉神社前から揖斐長良川の中洲を見ると、ずいぶん久しぶりにアオサギたちが5羽、集まっていました。木の下にいる4羽にばかり目がいっていましたが、木の上にも1羽いました。以前はここが、アオサギ、ダイサギの集合場所でした。それが、復活してくれないかとずっと思っていました。

Img_4792c_20211026150101  三の丸公園でモズ。メス。七里の渡し跡にいるとき、鳴き声が聞こえてきて急いだものの、いったんどこかへ飛び去ってしまいました。諦めて三の丸水門の方へ行ったとたんに戻って来たようです。また引き返すなどウロウロ(苦笑)。

Img_4799c_20211026150101 Img_5145c_20211026150001  九華公園には8時に到着。最近、鎮国守国神社の社務所の裏にはアオサギは来ません。この春までは、ゴイサギが何羽かいたものの、夏が終わっても戻って来ません。その代わりにはならないのですが、寒くなってきた先週から、カワウが集まってきて、神戸櫓跡の松の木の上や、野球場の照明灯にいます。ときおり、集団で堀に降りて来て、漁をする光景がまた見られるようになりました。

Img_4927c_20211026151201 Img_4874c  奥平屋敷跡、今日もなかなか鳥は来なかったのですが、モズのオスがしばらく移動しつつ、鳴いていました。南側のサンゴ樹の木の中にウグイスのような鳥がいたのですが、ハッキリとは確認できず(右の証拠写真)。白い眉斑が見えて、身体の色はウグイスのように思えましたが、見失ってしまいました。他には、ヒヨドリが賑やか(苦笑)。

Img_5090c_20211026150001 Img_5114c_20211026150001  堀のカモは、今日は激減。19羽。キンクロハジロが15羽。ハシビロガモが2羽。ハシビロは、オス、メス1羽ずつと思うのですが、オスはエクリプス状態ですから、間違っているかも知れません。

Img_4909c_20211026150001 Img_5134c_20211026150001  他は、ヒドリガモのオス、メスが1羽ずつ。つかず離れずで泳いでいますから、ペアなのだろうと思います。一昨日の日曜は、54羽もいたのに、あれはいったい何だったのでしょう?

Img_4992c_20211026150001 Img_5053c  公園内を半周してくると、カワウだけがいた神戸櫓跡の松の木にコサギの姿。ここにはカワウが入れ替わり立ち代わりやって来るのですが、そのたびに首をすくめて避けているのが笑えました。

Img_4983c_20211026150001  チョー証拠写真ですが(爆)。カワセミ。今日は、2度見かけました。1度目は、奥平屋敷跡でカモを見ているときに二の丸堀を北から南へ超スピードで。これは2度目の写真。鎮国守国神社の社務所の裏の堀端にいるのを見つけ、カメラを構えたら逃げられたのです。一昨日に続き、失態(苦笑)。

Img_5081c_20211026150001  九華公園のオマケは、ヌートリア。まだまだいます。今日見かけたのは、二の丸堀と吉之丸堀の間。あちこちで目撃情報がありますし、「ヌートリア、まだいる?」「どこで見た?」が散歩友達の間での「合い言葉」(笑)。

Img_5179c Img_5149c_20211026150001  貝塚公園でもモズ。写真としては不出来。カワラヒワもいました。この他、メジロの鳴き声も盛んに聞こえていたのですが、姿は見えず。ヒヨドリは、この頃どこでも数を増してきています。

Img_5217c_20211026150001  老松公園から寺町に行く途中、南の空を見上げたら、猛禽類が飛んでいました。逆光の位置で、ちょうど太陽の下あたりでしたので、黒っぽく写っていますが、ノスリではなかったかと思います。

Img_4758c_20211026150101  さて、明日は江戸橋での仕事。午前中は晴れて、また22℃くらいになるという予報で、ありがたい(微笑)。ただ、授業の方は、前回時間配分を誤って、少し残ってしまいましたので、そこからやらねばなりません。四日市港潮汐表では、帰る頃、満潮から干潮に移行する時間帯。寄り道もしてくることにします。

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2021年10月25日 (月)

冷たい雨の1日

Img_4698c_20211025144601  ほぼ終日雨で、最低気温12.9℃、最高気温15.1℃となっていて、寒い感じの1日です。散歩は早々に諦め、江戸橋での仕事の準備と、「歩いて伊勢参りツアー」のコースマップづくりをしていました。10時半を過ぎてから、駅方面とエディオンに用があったのですが、有給休暇を取って家にいた息子がクルマに乗せていってくれ、あまり濡れずに済みました。楽チンです。午後は読書中。

Img_4627c_20211025144601 Img_4632c_20211025144601  ベランダ園芸もアサガオが終わってしまい、楽しみが激減。お見苦しい写真ですが、今はこのような状態で、少しずつ種を取っていますが、それもまもなく終了の見込み。シラサギカヤツリや、金のなる木、万年青は何れも青々としています。金のなる木はかなり大きくなったのですが、我が家にお金が増える兆候はありません。

Img_4641c_20211025144601  「おつまみ枝豆栽培キット」の枝豆は、7つほど実がなっています。もう食べられそうなものもありますし、未だ成長途中のものもあります。もう少しだけ待つことにしています。

Img_4690c_20211025144601  先週は多用でしたが、今週は今のところ水曜の江戸橋での仕事と、週末、歩いて伊勢参りツアーの13回目を予定しているくらい。しかし、そろそろ来月計画している相談会の資料が届く見込み。資料が来たらまた読み込み、分析を行わなくてはなりません。「散歩生活ときどき、仕事」のペースで行けるのがいいのですが、どうでしょう? 

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20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その4)……松阪駅手前で寺めぐりで「完」

Rokken4  10月16日に出かけた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」もいよいよ本編のその4。松阪駅の北西で寺めぐりをしていきます。詳しいルートマップは、前回と同じくその4です。継松寺、龍華寺、清光寺、常念寺と回り、駅弁のあらたけ本店とまつさか物産交流館に立ち寄り、松阪駅にゴール。駅にあるパン屋さんでやっと昼食。

Img_1707c_20211016181701   まずは、岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)だけを取り上げます。高野山真言宗のお寺。ご本尊は、如意輪観世音菩薩。通称「岡寺さん」。天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝わっています。東大寺建立の大事業が無事成功することを祈願するために建てられた寺院でした。元来は市内石津町にあったのですが、江戸時代初期の慶長17(1612)年、時の松坂藩主古田重治により現在地に移転されました。

Img_1717c_20211024155901 Img_1724c_20211024155901  継松寺は、厄除け、開運の観音さまとして知られていますし、もう一つは、3月の初午大祭で有名です。初午大祭は、3月初めの午の日を中心に前後3日間に渡って行われ、県内の仏教寺院としては最大の規模だそうです。厄年の男女、特に振袖で着飾った19歳の女性で賑い、厄落としと称してハンカチを境内に落としていく習わしがあります。

28f33192 F33fac53  本堂には、奉納された絵馬がいくつかありました。いずれもかなり古そう。右の写真の絵馬には、「江戸 岩城屋」と書いてあります。調べてみたら、「岩城屋江戸店」の絵馬でした(こちら)。もとは近江商人で、麹町に江戸店があったようです。寺宝もいろいろとあります。それらはこちら
D1b0a86b  継松寺の筋塀(すじべい)。白い水平線が入った土塀で、御所や門跡寺院などに用います。格式により数が増え、5本が最高ですので、岡寺山継松寺は格式の高いお寺ということ。継松寺には、2018年5月26日にも来ています(2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。

Img_1730c_20211024155901  継松寺の南には、弥勒山龍華寺。曹洞宗の養泉寺(このあと訪ねます)の末寺。天正16(1588)年、松ヶ島から現在地に移転しています。当所は、名庵寺と称しましたが、正保4(1647)年、龍華寺と改称。御堂の写真は、残念ながらピンぼけ(苦笑)。正面の御堂の扁額には「豊川稲荷御分霊」とありました。豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)を祀っているようでした。寺の本堂はその向かって左手と思われます。

Img_1767c_20211024155901 Img_1751c  龍華寺の南が、その本寺である龍松山養泉寺。曹洞宗。養泉寺の前身も、松ヶ島にあった天台宗のお寺だったそうで、松坂開府とともに職人町に移転され、曹洞宗に改宗されたといいます。ちなみに、曹洞宗で同じ名前のお寺は40ほどあるようで、「精神修行により、心を養い、泉のように満たす」という意味があるそうです。

Img_1776c_20211024155901 Img_1795c  養泉寺の次に、三縁山信阿院清光寺(せいこうじ)。浄土宗のお寺。開山は超誉察道上人。もとは神光寺といい、行基の開基と伝わっています(749年(天平21年・天平感宝元年・天平勝宝元年)創建)。のち真言宗の寺として松ケ島にあったものを、大永3(1523)年、察道上人が浄土宗に改宗。天正年間(1573~1592年)、津川玄蕃(織田信雄の家臣)・蒲生氏郷両氏の菩提所となりました。元和年間(1615~1624年)、紀州藩主・徳川頼宣の帰依にて現在地に移転。本堂は、明治43年(1910)建立。本尊阿弥陀如来座像は重要文化財、観音・勢至両菩薩像は市の文化財となっており、いずれも京都から遷座したものといわれます。

Img_1813c_20211024155901  境内には、参宮線六軒事故(昭和31(1956)年10月15日に参宮線六軒駅で発生した列車衝突事故)で亡くなった42名の追悼碑があります。この事故は、当時は国鉄参宮線、現在はJR紀勢本線の六軒駅で、名古屋発鳥羽行き下り快速列車が安全側線に突っ込み脱線したところへ、鳥羽発名古屋行き上り快速列車が進入し、はみ出ていた下り列車の客車に衝突、これを破壊しながら機関車と客車が脱線転覆した結果、42名の死者、94名の重軽傷者を出す惨事となったものでした。下り快速列車に乗車中で、修学旅行の途上であった東京教育大学附属坂戸高等学校(現在の筑波大学附属坂戸高等学校)の生徒が多数犠牲になっています。横転した蒸気機関車のボイラーから漏れた熱湯を浴びて、ひどい火傷を負った者もいたそうです。

Img_1818c_20211024155901  清光寺には、今では珍しい塔頭(たっちゅう)があります。塔頭は、寺内にある寺。九品院。寺号も山号も九品院となっています。詳細は分かりませんでしたが、九品とは、仏教における九等級の品位のことで、上上品・上中品・上下品・中上品以下、下下品までの9段階をいいます。観無量寿経などに基づいて、浄土へ往生する人のあり方を九品に分けたりするそうです。

Img_1828c_20211024155901 Img_1839c_20211024160001  続いて、清光寺の西にある護法山常念寺。真宗高田派のお寺。ここも立派なお寺ですが、詳細は分かりませんでした。

Img_1858c_20211024160001 Img_1853c_20211024182201  こちらは、本覚寺。真宗高田派。ここも、松阪市中町(旧町名は職人町)にあります。ここも、松坂開府の時に松ヶ島から移築したと伝えられています。高田派の準連枝(じゅんれんし:連枝は、浄土真宗で、法主の一族の称)で代々名僧が住んだと言われます。墓地には宣長の孫・伊豆夫婦の墓があります。

Img_1880c_20211016181701  今日のゴールに設定した松阪駅には、14時45分に到着。左の写真は、JR松阪駅。写真の中央に写っているのは、驛鈴のモニュメント。これは本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(ななこれい;七種鈴とも)」の1つ、驛鈴を模ったもの。宣長から源氏物語の講釈を聴くために松坂を訪れた石見国浜田藩主・松平康定が寛政7(1795)年に宣長に贈ったもの。

Img_1884c_20211017122901  松阪駅の前には、いくつか松阪牛のモニュメントがあります。この日は、ハロウィーン仕様で、マスク着用。

Img_1897c_20211016181701  ここまで休憩はしたものの、昼ご飯は食べておらず。松阪駅にあったヴィ・ド・フランス 松阪店でカレーパンその他をイートイン。お腹が空いていたので、写真を撮る前に食べてしまいました(苦笑)。

Img_1868c_20211016181701 Img_1931c_20211016181701  ゴールインの前に、重要な使命を果たしてきました(苦笑)。まずは、駅弁のあら竹本店。娘に今日は、松阪駅まで歩くといったら、「モー太郎弁当」が食べたい! とキョーレツな要望。¥1,500もする松阪ブランドの黒毛和牛を使った弁当。私は2年前に食べたのですが、その時、家族は実家に行っていて誰も食べてはいません。我が家では「伝説の駅弁」になっていて、今回、強力な要望があった次第。本店に買いに行くと、その場で作ってもらえ、ホカホカでした。

Img_1888c_20211016181701 Saraoi  松阪駅にある「まつさか交流物産館」。いつもここでお土産をゲットしています。とはいえ、私の松阪土産は決まっていて、老伴(柳屋奉善)。今日は、6個入り(¥1,080)を1個。同級生K氏も、私が勧めましたので、これの3個入りを購入。写真は、柳屋奉善さんのサイトからお借りしました。

Img_1909c_20211016181701 Img_1923c  松阪駅を15時17分に発車する名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、16時22分着。1時間5分も乗ってきました。1時間以上乗車すると、さすがに電車に乗ったという気がします。運賃は、¥960。この日の歩数は、19,479歩。現地で歩いたのは8.0㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2㎞。合計10.2㎞を歩いてきました。

Img_1937c_20211016190001  夕食には、モー太郎弁当を美味しくいただきました(微笑)。余談ですが、このモー太郎弁当は、メロディー弁当。どういうことかというと、蓋を開けると、「ふるさと」のメロディーが流れるのです。明るさのセンサーがついていると思います。

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2021年10月24日 (日)

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その3)……旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地へ

 Rokken4  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その3です。その2では、市場庄の古い町並みの先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所、さらに薬師寺まできました。その3では、いよいよ松阪の市街地に入り、旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地を見て回り、その後、松阪駅北西にあるお寺を巡ってきました。

Img_1475c Img_1480c  その2で最後に立ち寄った薬師寺の先は、しばらく見るところはありません。しかし、このあたりにも古い家は残っています。左のお宅も、卯建が上がり、幕板があります。川井町3丁目の交差点を過ぎると、いよいよ松阪の市街地に入って行きます。

Img_1500c_20211024045901 Img_1505c_20211024045901  6㎞の手前で阪内川を渡ります。この川は、松坂城の外堀として位置づけられていました。左の写真で、中央に松阪市役所、松阪市民病院が少し見えています。その奥に松坂城跡。

Img_1509c_20211024045901 Img_1565c_20211024050001  大橋を渡ったところに旧小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。

Img_1516c_20211024045901  承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。

Img_1528c_20211024045901 Img_1551c_20211024050001  蔵の一つで「小津家の信仰と年中行事」という秋季企画展が開かれていました。中には、その2で訪ねた慈眼山寿永院柳福寺との関わりを示す史料もあり、興味深く見てきました。いささか余談めきますが、蔵の内部は2階づくり。2階へ上がる階段は、1段の高さがかなりのもの。前期高齢者は、よほど注意して、「ヨイショ」とかけ声をかけないと登れません。いわゆる「階段箪笥」になっているためのようでした。

Img_1534c_20211024045901 Img_1541c_20211024045901  展示品の中には、大正16年(改元されて昭和2(1927)年。大正天皇の崩御が12月25日でしたので、それ以前に作成したのでしょう)1月付けの「大日本資産家一覧鑑」がありました。もちろん、小津家や、このあと訪ねた長谷川家の資料を提示するものですが、よくよく見たら桑名の諸戸家の名前もありました。右の写真で中央あたりに「諸戸清六」「諸戸精太」のお二人のお名前。

Img_1597c_20211024050001  旧小津清左衛門家からは、いったん伊勢街道を離れ、1本西にある魚町の通りへ。松阪肉の牛銀本店の前を通過(笑)。通過しただけで、食べてはおりません。ここは、いつ通っても、人が並んでいます。

Img_1609c_20211016181701 Img_1620c_20211024050001  牛銀本店の少し先、東側に本居宣長旧宅跡があります。本居宣長は、説明するまでもありませんが、江戸中期の有名な国学者、歌人。この宅地は、宣長の曾祖父小津三郎右衛門が承応3(1654)年に本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家が小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、現在は何も残っていません。この宅跡とは溝を隔てて地続きで、裏口で通じていたそうです。宣長旧宅が移築されてからも、春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて当時の名残を今に留(とど)めている。また礎石なども復元され、傍らには宅跡碑が建つ。旧宅そのものは、明治42(1909)年、松坂城跡に移築され、現在もそこにあります。

Img_1616c_20211024050001  本居宣長旧宅跡の向かいには御目見得医で親友の小泉見庵(こいずみけんあん)宅があります。宣長は商人を継ぐ気が全くなく、母親が見庵に相談したところ、「医者にでもしたらよろしかろう」という返事があったというエピソードが伝わっています。

Img_1679c_20211016181701 Hasegawa  旧長谷川治郎兵衛家。スタートから6.2㎞、時刻は13時25分頃到着。魚町一丁目の「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅です。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめました。延宝3(1675)年、3代治郎兵衛政幸を創業の祖とし、後には江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となります。広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。右は、松阪市のサイトからお借りした配置図です。この広大な屋敷構えは、長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたもので、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができます。正面の外観は建ちの低い、つし2階建てで、卯建が上がっていますし、幕板もあります。

Img_1636c_20211024050101  内部も一通り拝見してきましたが、母屋には30以上の部屋があります。蔵は5棟。17世紀後半から20世紀初頭にかけて順次建て増しされたもので、現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るといわれます。

Img_1647c_20211024050101 Img_1644c_20211024050101  蔵の1つでは、長谷川家に伝わるさまざまなものが展示されていました。大判、小判、千両箱などなどもありましたが、右は、千両箱の模型。千両入ったのと同じ重さになっていました。千両箱はその名の通り、小判1,000両などを収納できます。用材は樫木を用い鉄帯や金具で頑丈につくられています。慶長小判は、1枚が約18gですので、箱の重さを含めると約20㎏。ヒョイとかついで、サッサと逃げるというわけにはいきません。

Img_1667c_20211024050101 Img_1659c_20211024050101  こちらは蔵の背後にある庭の池。中の島もありますが、私の個人的な興味は、あるものに集中。それは、カルガモ。20羽かそれ以上いたように思います。旧長谷川治郎兵衛家を訪ねた記事は、他にもあります(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。

Img_1686c_20211024050101  旧長谷川治郎兵衛家を楽しんだあとは、再び伊勢街道に戻り、三井家発祥の地。。三井家は、もちろんあの三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94年)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。

Img_1696c_20211024152201 Ea935f76  時刻は、14時。昼食もまだ食べていません(苦笑)。三井家発祥の地の南にある豪商ポケットパークで小休止。水分補給とおやつ(微笑)。四阿は、かつての三井家に存在した建物の2階部分の屋根をイメージした「寄棟」。四阿の前には「来遠像」が鎮座。来遠は、ライオン。三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として、三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたそうです。三越の前にいるライオンさんです(来遠像の写真は、2018年5月26日に撮影:2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。

 伊勢街道は、豪商ポケットパークのところから直進して、日野町交差点に向かうのですが、この日は、伊勢街道とJR紀勢線との間に並ぶお寺を巡ることにしました。それはその4にて。

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河口堰でプチダイビング祭……九華公園のカモは早くも54羽

Img_3897c_20211024130901 Img_3917c_20211024130901  朝は冷えましたが、昨日ほど風は強くありません。そこで、長良川河口堰へ。8時10分着。東側の下流魚道は、昨日、ひらいさんが書いておられた以上にすごい状態と思われます(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。

Img_3949c  一部をズームアップして見ると、すごい数というか、過密状態。とても数えられません(苦笑)。これほど集まっているのを河口堰で見たのは初めてかも知れません。

Img_3963c  管理橋を渡って西に向かう途中、下流側でダイビングしているダイサギを発見したものの、ダイビングシーンは撮れず。しかし、そのダイサギが魚を咥えて東に向かって飛んで行くところは、バッチリ(微笑)。

Img_3997c_20211024131001 Img_4014c_20211024131001  西側の下流魚道には、ダイサギが2羽、アオサギが8羽。こちらは、東側に比べ過疎地帯と思えます。

Img_4036c_20211024131001  遠くて正体不明なのですが、カモのように見えました。西側の下流魚道のところにいました。可もらしき鳥は、これ1羽のみ。まだキンクロハジロも、ホシハジロも来ていませんでした。

Img_4139c_20211024131001 Img_4067c_20211024132001  親水広場は、伊勢大橋の架け替え工事が行われているのと、アユの孵化試験の準備が進んでいましたので、鳥はほとんどいません。

Img_4102c_20211024131001  Img_4173c_20211024131001 ここには、ハクセキレイがいたのみ。管理橋を渡って東に戻る途中、イソシギがやって来ました。西側の上流魚道のところ。

Img_4209c_20211024131001 Img_4257c_20211024131101  再び、東側の下流魚道へ。大規模にではありませんでしたが、ときどきダイビングをしていました。しかし、なかなかタイミングのよいシーンは撮れませんねぇ(苦笑)。一応ダイビングをしていたという証拠としてご覧ください。

Img_4261c_20211024131101 Img_4277c_20211024131101  ダイビングをしたあと、小魚を嘴に刺して戻ってくるところは、それなりに撮れました。この他にもときどきダイビングはするものの、出遅れたり、よそ見をしていたりでした(苦笑)。

Img_4304c_20211024131101  こちらのダイサギさんもいつのまにか、ダイビングをして魚を捕ったようで、小魚をくわえて飛んでいました。サギたちのプチダイビング祭、今シーズンは初めてでした。

Img_4529c_20211024131201  このあと、カモを見てこようと思って、九華公園へ。今日は、昨日からさらに増えて合計54羽。二の丸堀にほとんどがいたのですが、こちら吉之丸堀にも11羽のキンクロハジロたちが泳いでいました。

Img_4448c Img_4601c_20211024131201  ハシビロガモは、オスが1羽。といってもエクリプス状態で、パッと見はオスに見えません。今日、初登場は、ホシハジロのオス。1羽のみ。

Img_4443c_20211024131101  ヒドリガモは、またもやメス1羽のみに逆戻り。ということで、キンクロハジロが51羽、ハシビロガモのオス、ヒドリガモのメス、ホシハジロのオスがそれぞれ1羽。

Img_4543c_20211024131201 Img_4563c_20211024131201  九華公園にいたのは、9時40分から1時間。時間が遅いこともあって、ヒヨドリの天下(苦笑)。カワセミを撮りに来たとおっしゃる男性としゃべっていたら、カワセミが往復したものの、写真は撮れず、残念。他は、本丸跡でハクセキレイ5羽。5羽も一度にいるのは、珍しい。

Img_4388c_20211024131101 Img_4410c_20211024131101  ブロ友のひらいさんの昨日の記事で知ったトリビア(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。こちらに元ネタがあります。左の写真の案内板は、参宮通交差点の南にあります。何度も見ていたのに、私は何も気付かず。右の写真は、国道1号線と八間通の交差点の北にあります。「六・七・九と、遠くに 八、1.3km、1.2km、1.1kmで、-0.1kmずつ」というお話し。しかし、触発されてすぐ見に行く私もどうかしています(爆)。

Img_4418c_20211024131101  余計な追加。国道1号線の八間交差点を左折して、九華公園方面に向かいますと、大垣共立銀行桑名支店の前あたりにある案内板。「七、九、六」になっていますが、まぁこれは当たり前(微苦笑)。距離の差は、同じく0.1㎞ずつで、これも当たり前。

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2021年10月23日 (土)

トビとカラスのバトル、カワラヒワ、モズ……桑名市博物館で「特別企画展『本多忠勝と桑名』」も見てくる

Img_3888c_20211023185701  よく晴れましたが、北西の風が強い日でした。散歩の帰り道に桑名市博物館に行ってきたのですが、出て来たら寒いこと(苦笑)。いつもよりやや遅く、7時45分から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、外堀から桑名市博物館へ。今日から始まった「特別企画展『本多忠勝と桑名』」を見てきました。その後は、ちょっと歩き足らなかったので、京町、常磐町、老松公園、寺町と回って、6.4㎞。

Img_3546c_20211023185901  今日は、天気もよくなかなかの鳥果。まず、写真としては不出来ですが、柿安コミュニティパークで散歩友達と話していたらトビが登場。九華公園の上空を悠然と旋回しながら、南の方へ。トビは久しぶり。

Img_3576c Img_3757c_20211023185701  九華公園には8時過ぎに到着。ヒヨドリが公園内のあらゆるところにいます。写真は撮っていません(笑)。左の写真は、相撲場近くにいたカワラヒワ。カワラヒワもたくさんいます。このところ、増えたのはカワウ。右の写真は、神戸櫓跡の松の木の上。ここや、野球場の照明灯の上に、多いと10数羽がいます。また、しばしば堀に数羽で降りて来て、集団で漁をするようになっています。

Img_3586c_20211023185901 Img_3645c_20211023185901  カモは、今日は合計33羽にもなっていました。二の丸堀の東西(二の丸橋を境に東西に分けています)に分かれています。30羽はキンクロハジロ。

Img_3659c_20211023185901 Img_3789c_20211023185701  他に、今日初登場は、ヒドリガモのオス1羽と、ハシビロガモのたぶんオスが1羽。これで、ハシビロガモのメス以外は、去年と同じメンツが、種類としては揃いました。

Img_3723c_20211023191201 Img_3743c_20211023185701  公園内を3/4ほど歩いて、本丸跡の花菖蒲園のところで、散歩友達と話していたら、トビの鳴き声が聞こえてきました。探すと、カラスがトビにちょっかいをかけていました。西からやって来て、東の方へ。途中、もう1羽のカラスが参戦しようとしたようですが、飛翔能力はトビの方が上のようで、最終的にはカラスは諦めたようでした。

Img_3812c_20211023185701 Img_3832c_20211023185701  貝塚公園でもヒヨドリが賑やか。秋から冬にかけて、散歩コースでは本当にヒヨドリがたくさんいます。いても当たり前の鳥なのですが、ヒヨドリは日本と朝鮮半島にしかいないそうで、欧米のバードウォッチャーには人気の野鳥だとか。カワラヒワもいましたが、写真はモズのメス。貝塚公園の西にあるお宅の庭木に。内堀公園では、カワラヒワ。何か食べかけていたようです。

Img_3849c Img_3854c_20211023185701  このあと、桑名市博物館へ。9時半開館で、9時35分頃到着。到着して、ビックリ。入り口の前にちょっとした行列。普段はあり得ない光景です。村正の展示の時以来かと思うくらい。今日から「特別企画展『本多忠勝と桑名』」がスタート。これは見逃せませんし、途中で、展示品の入れ替えがあるということで、とにかく初日にまずは見に行こうと思って来たのです。入り口には、刀剣乱舞の「刀剣男子 桑名江」の等身大パネルが展示されています。通りがかった人の中にも、このパネルだけ写真を撮っていく方があります。

20211023tadakatsu3c  この画像は、ポスターにも、パンフレットにも使われているもの。今日・10月23日から11月28日(日)まで桑名市博物館にて行われています。今年が桑名市博物館創設50周年であり、また、本多忠勝桑名入封420周年ですので、それを記念しての特別展。開館時間は、午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館の30分前まで)。入館料は、大人(高校生以上)が500円、中学生以下は無料。毎週月曜は、休館。徳川四天王・本多忠勝、統治者の横顔、尚武の家風、真田家との絆 小松殿と真田信之、本多家と千姫の5部構成。しばらく前から、歴女とか刀剣女子という方が増えていますが、今日も女性がかなりたくさんいらっしゃいました。

20211023tadakatsu1c 20211023tadakatsu2c  こちらは、出品リスト。前半と後半とで、展示品が一部入れ替えされます。本多忠勝は、天文18(1549)年、三河国で誕生。本多家は代々松平(徳川)家に仕えていますが、忠勝も幼少より徳川家康に仕え、永禄4(1561)年、家康の大高城の兵糧入れに従軍し初陣。忠勝は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いに至るまで50数度の出陣に一度も戦傷を負わなかったといわれ、井伊直政・榊原康政・酒井忠次と共に「徳川四天王」と呼ばれました。天正18(1590)年、家康の関東移封により忠勝は、上総国大多喜に10万石をあたえられ、大名となりました。関ケ原の戦いの戦功により、慶長6(1601)年、大多喜から伊勢国桑名藩10万石に転封。個人的には、市内の立坂神社が蔵する「本多忠勝画像」や、合戦屏風に描かれた忠勝の像、忠勝が使ったという槍(銘 秋広作)などを興味深く見てきました。いつものように図録(¥1,000)を買ってきました。これを読んで、さらに勉強しましょう。

Img_3863c_20211023185701  博物館では、いつものように、1点だけ写真撮影可能なものがありました。「太刀 無銘」とありますが、村正作という伝承がある刀。説明によれば、「鎬造り・庵棟。身幅広く大切先。刃紋はのたれ。不動明王と思われる梵字と剣の彫り物があるが、研ぎ減りしているようで味がある」とあります。

 余談。博物館ではNHKテレビの取材が行われていました。ニュースに写り込むという不始末をしでかさないよう注意しながら、見てきました。夕方18時45分からの「東海地方のニュース」で取り上げられていましたので、チェック。幸い、写り込むという不始末はしでかしておりませんでした。というよりは、前期高齢者のオッサンは、絵的によろしくないので除外されたのかも知れませんが……(苦笑)。

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2021年10月22日 (金)

九華公園のカモは23羽……カワセミ、モズは証拠写真

Img_3466c_20211022170801  水曜、木曜と仕事に励んでおりました。今日は、午後から、歯科受診と、定例の内科受診。つかの間の多用も一段落(苦笑)。普段、よくいえばスローペースで、有り体にいうとサボって暮らしていますから、いささか疲れます。歯科では、仮に入れてもらっている歯をいったん外すのに、いつぞやの再現フィルムで、ハンマーでガンガン。もちろん大丈夫なのですが、あれには参ります。内科は、主治医&同級生ですので、今日は世間話に終始(微笑)。

Img_3295c_20211022170801  さて、午前中は、7時半からいつものように散歩。火曜日以来。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。アピタでは、本屋に寄ったものの、欲しかった文庫本はありませんでした。既に売れてしまったようでした。

Img_3325c_20211022170801  午前中は雲が主体の空。気温も上がらず、鳥もおらず(苦笑)。わずかにいた鳥も、証拠写真ばかり。久しぶりにカワセミを見たのですが、遠くに逃げられ、こんな写真のみ。本当は、歩いていたすぐ近くにいたのですが、フェンスと植え込みで気付かず、逃げられるという不始末。

Img_3289c_20211022170801 Img_3366c_20211022170801  カモは、今日は23羽。キンクロハジロが22羽と、ヒドリガモのメスが1羽。奥平屋敷跡でも鳥を待ったものの、ヒヨドリばかり。カワラヒワが2羽やって来たものの、よく見えず。モズの鳴き声も聞こえ、探したのに、見つけられず。奥平屋敷跡には高い木が多いので、離れないと木の上が見えないのです。

Img_3421c_20211022170801  貝塚公園では、モズの証拠写真。ヒヨドリとカワラヒワしかいないので、帰ろうと思って、いったん公園の外に出たら、鳴き声が聞こえてきたのです。そんなこんなで、今日はあまり成果は上がりませんでした。

Img_3253c_20211022170801  ところで、水曜の江戸橋の授業のQ&Aを書かないといけないのですが、木曜が市役所の会議で、帰宅後は疲れてしまい、まだ半分くらい。いつもは、木曜日にはメールで送って、印刷をお願いしています。助手の先生には、月曜になる可能性が高いと伝えて、了解をもらっています。ゆっくりやれば良いのですが、こういうものは勢いに乗るということも必要。明日中には何とかしましょう。

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20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その2)……舟木家長屋門、柳福寺、古川水神から薬師寺へ

Rokken2  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その2です。その1では、市場庄の町並みを楽しみました。冒頭の画像は、実際に歩いたルートマップその2。近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで市場庄の古い町並みが続きます。その先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所へと進んで行きます。

Img_1139c_20211021074301 Img_1149c_20211021074301  近鉄山田線の高架をくぐるところで、スタートから2.5㎞。時刻は11時15分頃。高架の先、左側(東側)に地蔵尊。この先、松阪市久米町に入りますが、その旧久米村の北の入り口に置かれています。村境にこのようにお地蔵様などをおいて、よくないものが村に入ってこないようにしていたと思います。

Img_1156c_20211021074301 Img_1160c  その先、三叉路のところに庚申堂、行者堂、山の神2基、道標、常夜燈が並んでいます。左の写真で、向かって右が庚申堂、左が行者堂。行者堂に木札があり、「金剛童子蔵王権現不動」とあります。中央は常夜燈。右の写真で、向かって右端は「いおちかんのん」への道標。山の神が2基。

Img_1180c_20211021074301  以前来たとき(2019年10月13日 :20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認)、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップには「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっていたのですが、見当たりませんでした。今回よくよく見たら、たぶんこれがその道標。何ということか、ゴミ捨て禁止などの立て看板が3つほどくくりつけられています。これは、いけません。前回は、まさかこんなことになっているとは思いもしませんでした。これでは、気付かないはず。

Img_1202c_20211021074401 Img_1195c_20211021074401  この三叉路で伊勢街道は左折、すぐに右折。その先に久米公会所。3㎞ほどになりますし、11時40分頃でしたので、ここで小休止。敷地内には、「太田雅城翁頌徳碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。太田雅城翁、本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12(1937)年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。

Img_1206c_20211021074401 Img_1210c_20211021074401  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あります。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_1226c_20211021074401 Img_1234c_20211016181701  続いて、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。門に向かって右には、武者窓もあります。

Img_1287c_20211021074401 Img_1274c_20211021074401  舟木家のすぐ南に慈眼山寿永院柳福寺。浄土宗のお寺です。観音堂に十一面観音があります。また、あとで訪ねる松阪の豪商三井家小津家の帰依を受けていました。

Img_1313c_20211021074501 Img_1298c_20211021074501  立福寺から伊勢街道に戻って、街道が左折するところに、庚申堂と山の神2基が、道を挟んで向かい合っています。これで、近鉄山田線の松ヶ崎駅の西まで来ました。

Img_1335c_20211021192301  スタートから3.7㎞、県道756号線の高架の手前に古川水神常夜燈・遙拝所があるのですが、常夜燈が見当たりません。古い写真(たとえば、こちらのブログの平成17年7月の記事)を見ますと、向かって左の石柱(「古川水神常夜燈」とあるもの)が常夜燈でした。常夜燈は、万延2(1861)年の建立。奥には小さな祠と、そのかたわらに「古川水神遙拝所」という石碑。ただし、この「古川水神」そのものは、情報がなく、よく分かりません。敷地内には、山の神も2基あります。

Rokken3  県道756号線を越えると、実測ルートマップはその3へ。4㎞を過ぎて、百々川のところに両宮常夜燈。その向かいに「富士大権現碑」があるというのですが、これはよく分かりませんでした。JR紀勢本線を渡ると、薬師寺。

Img_1364c_20211021193801  両宮常夜燈の手前に鍛冶屋さんがあります。「かじ栄 山田鉄工所」という看板がかかっています。ここでも農機具などをつくっていらっしゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はほとんど見なくなりました。

Img_1371c_20211021194001 Img_1375c_20211021194001  百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。この常夜燈には、電線が引き込まれていますので、電気で今でも点灯するのかも知れません。この常夜燈の向かい側、百々川の手前を右に入ったところに「富士大権現碑」があるのですが、場所を勘違いして、見てきませんでした。百々川を渡ったところにある小公園にあるものと思い込んでいたのです。不覚をとりました。

Img_1389c_20211021194001 Img_1392c_20211021194001  ちなみにその小公園には、気になるものがありました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もしました。

Img_1411c_20211021194601  利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。かなり傷んでしまっていて、仁王像は近くでは見られませんでした。もともとのものは「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。

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 本堂は修理中でした。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。

Img_1447c_20211021194701  本堂の前には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。

Img_1329c_20211016181701 Img_1321c_20211016181701  キリが良いので、その2はここまでとしますが、余談を一つ。これもまた「歴史散歩」かも知れません(微笑)。古川水神常夜燈・遙拝所の手前(北)で、TE27レビン。カローラレビンの初代モデルが止められていました。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。

 その3では、いよいよ松阪の市街地に入ります。旧小津清左衛門家、旧長谷川治郎兵衛家など、松阪の豪商の旧宅めぐりからとなります。

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2021年10月21日 (木)

仕事のついでにシティホールを探索

Dscn4646c Dscn4644c  今日は、予定通り、市役所の仕事に行ってきました。行き先は、NTNシティホール(旧市民会館)。当所は市役所の会議室で行われることになっていたのですが、たぶん総選挙が公示されたため使えなくなったのではないかと思います。シティホールは、大ホールと1階、2階の会議室に何度か行ったことがあるくらい。ここには薄墨桜2世がありますし、散歩でもこのあたりはときどき通っています。

Dscn4648c  会議は9時から始まり、14時半前で終了。「予定より少し早くおわれます」ということでしたが、思っていたよりも早く終了しました。いつものように、詳細は書けませんが、熱心な議論が展開されました。世の中、いろいろとあるものだと思います。

Dscn4652c  昼の休憩時間に以前から、ここシティホールで気になっていたところを確認してきました(微笑)。エントランスのあるところが、左の写真のように円柱状になっていて、その上がバルコニーらしいのです。このバルコニーと覚しきところが、どんなところか、一度見てみたいと思っていました。

Dsc_6263cDsc_6259c  昼食を済ませてから、休憩時間に行ってみました。左の写真は建物からバルコニーに出たところで、東を向いて撮ったもの。けっこうよい眺めでした。右の写真は、バルコニーの端まで行って、同じく東を撮ったもの。目の前には、ファミマがありますし、右手奥には、新築児童公園が見えます。この辺は、散歩でときどき歩いています。「ヘェ~、こんな風に見えるんだ」と感心しきり(笑)。

Dsc_6265c  バルコニーの端から振り返って、建物の方を見ると、こんな感じ。植え込みもあって、広々としていて、気持ちの良い、私好みの空間です。御嶽山も見えていました。

1634785996022c Dscn4642c  余談。今日の昼の弁当(微笑)。ヒレカツ弁当をチョイス。お茶とインスタント味噌汁がついて、¥500。もう一つ。右の写真は、我が家の玄関前から見た木曽御岳山。頂上附近が白くなっているように見えます。御岳ロープウィのサイトによれば、昨日、初冠雪だったそうです。

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東海地区K-ABC研究会オンライン研修会のご案内……【重要】不具合の連絡がありました。申し込まれた方はご確認ください

 東海地区K-ABC研究会では、下記のように研修会を予定しています。ご関心がおありの方は、東海地区K-ABC研究会のサイトをご確認の上、東海地区K-ABC研究会のサイトにあります「研究会のご案内・参加お申込」から直接、参加を申し込んでください。今回の研修会では、日本K-ABCアセスメント学会の会員専用ページからしかアクセスできない「オンラインレクチャー動画」を事務局でホストをし、ライブストリーミング配信を行います。

            記

  1. 配信日時:11月21日(日) 13時~ オンライン入室開始、13時30分~ 研修会開始 動画実配信時間は約75分。全体で1時間30分程度のプログラムを予定
  2. 内容:筑波大学教授・熊谷恵子先生による『算数障害の理解と指導』
  3. 配信方式:Zoom
  4. 参加費:無料
  5. 定員:100人(定員になり次第〆切、申込サイトは自動で閉鎖されます)
  6. 申込先:東海地区K-ABC研究会HP(https://toukaikabc.jimdofree.com/)よりお申込下さい。詳細はHPでご確認下さい。
  7. 申込〆切:2021年11月17日(水)
  8. その他:セキュリティの関係上、参加者様全員のご氏名、ご所属を確認します。当研究会HPで作成した申込専用サイトからの申込となりますので、ご協力ください。

【重要なお知らせ】(10/22付記)

 事務局の手違いにより、10月21日10時15分までにお申し込み頂いた方のデータが消失してしまいました。10月21日(木)午前10時15分までに申し込まれた方には、再度お申し込みをお願いします。

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