お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

2024年9月20日 (金)

カワセミに大接近!……イソシギも見ました

Dsc06790c  お彼岸に入ったのに猛暑日が続いています。今日は、36.5℃(13時5分)。明日は、猛暑日ではなさそうですが、それでも最高気温の予想は34℃。まったく参ります。今朝は6時40分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と7.2㎞。冒頭の写真は、蟠龍櫓ですが、その左上に名残の月が写っています。

Dsc06876c_20240920144401  今日はなかなかの鳥果でした。まずは、柿安コミュニティパーク西の堀。カワセミがいないかと探したら、何とイソシギがいて、ちょっとビックリ。お尻をフリフリしながら歩き回って、エサを探していました。

Dsc06970c_20240920144401 Dsc08228c_20240920144601  九華公園に来て、アオサギさん、最初に見たときは、いつもの九華橋近くの樹上でお休み中。公園内を半周して、2回目に見に行ったら、起きていました。後ろ姿でこちらを見ていますが、これなかなかカッコイイ。

Dsc07103c_20240920144501  管理事務所から奥平屋敷跡あたりでメジロを見かけたものの、写真には撮れずにいました。私が移動する先をメジロも移動し、野球場近くの柳の木で追いつき、何とか撮影できました。

Dsc07461c  鎮国守国神社にお参りし、北門近くの東屋で休んでいたら、鎮国守国神社の社務所の裏あたりからカワセミの鳴き声が聞こえてきます。社務所の裏、堀に出た木の枝にいました。しばらくここで撮影していたら、北の方の木の中へ。

Dsc07791c_20240920144501 Dsc07831c_20240920144501  おおよその見当をつけて、東屋の方から回り込んだら、カワセミには気づかれずに10mあまりのところまで行けたのです。うまい具合に木の陰に隠れて撮影できました。600mmズームで撮って、トリミングなしの写真が左の写真。右は、トリミングをしています。ちょっと暗いところで、光があまり当たらなかったのが、残念といえば残念。

Dsc08133c_20240920144501  しかしこれほど近くからカワセミを撮ることができるのは、年に1~2回。ついつい調子に乗って、今日撮ってきた写真は、1,700枚以上。連写していますから、同じシーンがたくさんありますが、これだけあると、一通りチェックするのにもかなりの時間がかかります。

Dsc08319c_20240920144301 Dsc08389c  九華公園外周遊歩道の南でムクゲ。吉津屋町でキバナコスモス。ムクゲの方は、パソコンで見て気づいたのですが、どちらにもセセリチョウが写っています。

Dsc08494c_20240920144301  お彼岸に入りましたので、恒例行事で、御坊さんにお参りしてきました。真宗大谷派桑名別院本統寺です。

2024年9月19日 (木)

今日もカワセミ……ヒガンバナも咲き始め、久しぶりにヤマガラにも会う

240919113350703c  今日も熱帯夜で(27.8℃)、猛暑日となりました(14時25分に35.9℃)。空は、秋のような感じがしますが、微妙。週間予報では、土曜日くらいまでは暑いようですが、その後は、雨もあって気温は少し下がるといいます。もう少しの辛抱というところでしょうか。今朝も6時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀、京町、南魚町、田町、船場町と、6.8㎞。

Dsc05807c_20240919133401 Dsc05841c_20240919133401  今日も野鳥は少なかったのですが、船津屋さんの裏手でスズメを見ました。スズメも、最近少ないのです。柿安コミュニティパークの西にある堀からカワセミの鳴き声。ここは堀というより池で、いかにも遠くに(左の写真)。九華公園に向かって歩いていると、堀から入舟橋あたりでまたもやカワセミの鳴き声。九華公園に着いて、鎮国守国神社の社務所裏をそっと覗くと、いました。おそらくコミュニティパークの堀にいた個体。メスです。いずれも証拠写真ですが、記録のため。

Dsc06175c_20240919132301  Dsc06270c_20240919133801 その後、公園内を半周して再び、鎮国守国神社の社務所裏に来ると、カワセミ。こちらは、オスのカワセミでした。何度かダイブ。ダイビングシーンは、うまく撮れませんでしたが、小魚をくわえたシーンはバッチリ。

Dsc05935c Dsc06013c  九華公園では、ほかの鳥は少なく、カラスのほかには、キジバトと、ドバトくらい。ハクセキレイも奥平屋敷跡にいたものの、写真はうまく撮れませんでした。

Dsc05972c  そろそろかと思い、鎮国守国神社の鎮守の杜へ。期待したとおり、ヒガンバナが咲き始めていました。まだ、2輪だけ。散歩コースのほかのところでは、ヒガンバナはまだ咲いていません。

Dsc06576c  昨日と同じく、外堀あたりを歩いていたら、今日もまたハクセキレイが出て来ました。昨日と同じところ。ということは、同じハクセキレイかも知れません。

Dsc06671c_20240919132401  諸戸氏庭園前の住吉入江まで戻ってきたら、懐かしい鳴き声がしています。1月末以来のヤマガラです(2024年1月30日:今日は久しぶりのヤマガラに、ジョウビタキのオスデー)。ずっと以前はよく見られる鳥でしたが、最近は、年に何回かしか見られなくなっています。2羽がいました。

Dsc06628c_20240919132301  南魚町で見つけたハナトラノオ。やさしいピンク色の花は、この暑さの中でちょっとした清涼感を与えてくれる気がします。

20240918ハーベストムーン

Dsc05728c Dsc05703c_20240919040001  今年の中秋の名月は、9月17日でしたが、満月は9月18日。アメリカの農事暦では、ハーベストムーンというそうです。夕方は、雲が多くてうまく撮影できませんでした(右の写真は、18時40分頃)。左の写真は、9月19日の朝3時頃に撮ったもの。撮影条件は、中秋の名月のときと同じく、ソニーDSCーRX10M4を使い、f/8、SS1/125秒、ISO感度250、オートホワイトバランス、600mmズームで撮影しています。三脚は使わず、手持ち撮影。トリミングをしています。

Dsc05729c_20240919035301  こちらは、ノートリミングの写真。19日の朝3時頃に撮ったというのは、たいてい晩酌をして夜8時には寝てしまうのです。寝る前にも月を見たものの、やはり雲におおわれていました。

Dsc05727c_20240919035301 Dsc05726c_20240919035301  朝、自分で撮影しようと思って、カメラを確認したら、昨日(18日)の夜20時20分頃に撮った満月の写真がありました。家内と娘がなにやら話をしているような感じがしていたのですが、どうも娘が、私に変わって満月を撮っておいてくれたようです(微笑)。それがこちら。

2024年9月18日 (水)

そろそろ夏休み気分を返上しなくては(笑)

240918144223162c  今日は、猛暑日になっています。12時15分に35.5℃を記録。朝も当然、熱帯夜で(27.2℃)、起きて南側のベランダに出たら、ムッとしていました。9月も18日になって猛暑日というのは、たぶんかつてない記録でしょう。これだけいつまでも暑い日が続きますと、へばりそうですし、散歩から帰ったあとは、外へは出たくありません。いつものように、6時40分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.6㎞。汗びっしょりになって帰宅。

Dsc05281c_20240918144901  野鳥は相変わらず、あまりいません。自宅を出てすぐにハシボソガラスを見たくらい。柿安コミュニティパークまで来てようやく、カワウが1羽。電柱の上にいます。

 Dsc05326c_20240918145001 九華公園に着いて、いつもの鎮国守国神社裏を見たら、なにやら気になりました(微笑)。それは、植え込みの下にいました。カワセミです。残念ながら、色があまりよく出ませんでした。この色・模様のカワセミは、割とよくあちこち移動する個体。このあと、二の丸跡で散歩友達と喋っていたときにも近くに来ましたし、奥平屋敷跡を回っているときにも、堀をはさんだ南側の遊歩道にも来ていました。

Dsc05377c_20240918144901  Dsc05575c_20240918144901 今日もアオサギさんは、九華橋近くの樹上にいました。右の写真は、2回目に見に行ったときのもの。眠そうで、このあと寝落ちしていました。九華公園でほかに見たのは、ドバトとカワウ、。今日は、スズメもムクドリも見ませんでした。メジロは鳴き声を聞いただけ。

Dsc05644c_20240918144901  外堀あたりを歩いていたときに、ハクセキレイが1羽。近くのお宅の屋根にいました。今日のバードウォッチングは以上。例年、そろそろモズがやってくるのですが、これだけ暑いと、まだまだでしょう。早く、この暑さが和らいでもらいたいものです。

Dsc05598c_20240918144901  ところで、来週の水曜から、後期の非常勤の授業が始まります。ということで、今日は、授業で使うレジュメなどを助手の先生にメールで送って、印刷などをお願いしました。年末年始をはさんで来年1月下旬まで、15回の授業があり、期末試験は、2月に入ってからの予定。今週末から秋雨前線が南下して、来週まで居座り、初回の授業日は、今のところ雨時々曇りという予報。天気がよい方がありがたいのですがねぇ……。ムクゲは、吉之丸のお宅にて。

Dsc05611c_20240918144901  もう1つ。11月の初めに研修会の講師を依頼されました。7月に担当した研修会とほぼ同じ内容でよいのですが、時間が短くなりますので、構成し直す必要があります。これについてもあまりのんびり構えていてはいけませんので、ボチボチとやることにします。先日も書きましたが、そろそろ夏休み気分を返上しなければ(笑)。ケイトウは、貝塚公園にて。

Dsc05696c_20240918144901  オマケ。寺町交差点で見かけました。市内長島町にある認定こども園の通園バスだと思います。よく目立ちます。

2024年9月17日 (火)

20240917中秋の名月

Dsc05155c_20240917183701  今夜は中秋の名月です。ただし、今年の中秋の名月は、満月ではありません(こちら)。というのも、中秋の名月は、太陰太陽暦 の8月15日の夜に見える月のことを指し、満月とは異なるからです。満月は、明日です。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったといわれています。日本では中秋の名月は農業の行事と結びつき、「芋名月」などと呼ばれることもあります。

Dsc05154c_20240917183701  今回も、ソニーDSCーRX10M4を使い、f/8、SS1/125秒、ISO感度250、オートホワイトバランス、600mmズームで撮影しています。三脚は使わず、手持ち撮影。撮影時刻は、18時半少し前。冒頭の写真は、この条件で撮って、トリミングをしています。左の写真も同じ条件で撮っていますが、こちらはノートリミング。

Dsc05161c_20240917183701 240917185047896c  こちらも、同じ条件で撮ったものですが、24mmで撮りました。よく見ていただくと、町の明かりが少し写っています。右の写真は、20分後にスマホで撮ったもの。

本日もカワセミセンサーは良好に稼働中

Dsc04426c_20240917151001  今日も、猛暑日一歩手前の暑さとなっています。13時46分に34.3℃。明日は、またもや猛暑日だという予報が出ています(36℃の予報)。暑さは、いい加減に勘弁してもらいたいところです。今日も6時40分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀公園、京町、寺町と7.0㎞。

Dsc04754c_20240917151101  今日も、カワセミセンサーが良好に作動してくれました(自画自賛ですから、お気になさらないでください)。九華公園を半周し、鎮国守国神社の社務所の裏のカワセミ・スポットで2度目のチェックを済ませ、いったん次のところへ向かいかけたのですが、どうも気になって戻ったのです。これが幸いしました。今日もめでたく? 無事に? カワセミをキャッチ。

Dsc04905c_20240917151201 Dsc04906c  しかも、ダイビングして、エサをくわえてきたシーンも撮ることができました。左の写真は、ピントが若干甘い感じもしますが、一応見るに耐えられるかと思います。小魚をくわえています。

Dsc04933c_20240917151201  こちらは、尾羽がピッと上がっているシーン。このシーンでもまだ小魚をくわえていますが、このあと飲み込みました。

Dsc04453c_20240917151001  話を戻して(といっても、九華公園まで野鳥はほとんど見ていません)、九華公園に着いてすぐに見たのは、 ドバトたち。今日も、もっともたくさん見たのはドバトです(苦笑)。

Dsc04525c  今日は、アオサギさんも来ていました。いつものように、九華橋近くの樹上にいます。アオサギとカワセミが見られて、この時期としては、鳥果は上出来といえます。ほかには、ハクセキレイ、キジバト、ムクドリ、カラスを見て、メジロの鳴き声を聞いたくらい。散歩&鳥見友だちのYさんは、このところカワセミは見ていないが、メジロ、ムシクイらしき鳥を見たとおっしゃっていました。

Dsc05023c_20240917151001 Dsc05117c_20240917151001  貝塚公園には久しぶりに行きました。ムクドリがいたほかは、これはたぶんヒヨドリ。拙宅近くの住吉入江まで戻ってきたら、イソヒヨドリのメス。

Dsc04503c_20240917151101  九華公園の管理事務所の前で、この花が咲いていました。ベニバナトキワマンサクだろうと思うのですが、普通は、3~5月に咲く花のはず。いったい、この暑い時期になぜ咲いているのでしょう?? 不思議です。

1726544634663c 240917130434902c  余談。ほぼ1ヶ月ぶりに、同級生K氏とランチへ。とあるうどん屋さんへ行きたかったのですが、事前のリサーチ不足でうまく行き着けず(車が入らないような瀬古道を入ったところにあり、駐車場は別にあるのです)。ここは、この先の楽しみにすることにしました。次に行ってみた某所では、ランチの価格が予算とは合わず、結局、ガストへ(笑)。大人気と銘打つ「鉄板ハンバーグミックスグリル」(税込み¥920)をチョイス。これにドリンクバー(¥220)をつけて、たぶん2時間くらい滞在。某所の半額くらいで済みました。

 

2024年9月16日 (月)

カワセミへの勘が働きました

240916104640270c  厳しい残暑で、今日も猛暑日一歩手前の暑さとなっています。13時10分に34.9℃。真夏の暑さです。今週後半からは、秋雨前線が近づいて、天気もはっきりしない一方で、気温も下がるようです。早く涼しくなって欲しいものです。今朝は、6時40分から散歩へ。住吉神社、九華公園、内堀公園、京町、寺町と6.9㎞。九華公園でカワセミを求めて、歩き回りましたので、歩いた距離が伸びています。

Dsc04062c_20240916151801  九華公園で歩き回ったと書きましたが、公園内を一周半あまり歩いてきました。いつもならば、北門から入って一周し、立教小学校の体育館裏でオシマイなのですが、立教小学校の体育館裏で奥平屋敷跡の南側のカワセミ・スポットを見ていたとき、鎮国守国神社の社務所の裏にカワセミいるような気がしてきたのです。社務所の裏は、いつも2回見てきます。というのも、ここにカワセミがもっともよくいるからです。行ってみたら、いました(微笑)。オスのカワセミ。まさに、「三度目の正直」です。しかも、写真には撮れませんでしたが、もう1羽もやってきて、2羽同時観察も達成。

Dsc04386c  さらに話は飛びますが、拙宅前の住吉入江まで戻ってきたら、カワセミらしき鳥が西に飛ぶのが見えました。本日2回目にして、3羽目のカワセミ。拙宅マンションと諸戸氏庭園との間の水路のところにメスのカワセミ。いやぁ、今日は恵まれていました。ちなみに、このあたりでカワセミを見るのは、年に1回か2回。諸戸氏庭園に棲んでいるのではないかと思っています。

Dsc03744c  さて、話を戻します。もっとも戻すほど、野鳥がいたわけではありません。蟠龍櫓のところで、イソヒヨドリのメス。櫓のところの柵にいたのですが、カメラを向けたら櫓の鬼瓦へ。三つ葉葵の御紋が入った瓦と記念写真となりました。

Dsc03849c Dsc03913c_20240916151801  九華公園では、相撲場の近くでハクセキレイが2羽。左の写真はオス、右の写真はたぶん若者。写真はちょっとイマイチでした。

Dsc03777c_20240916151801  ドバトはかなりたくさんいます。ほかにいたのは、ハシボソガラス、ヒヨドリ、メジロ、スズメなど。毎年9月後半には、コサメビタキや、エゾビタキが来ることがあります。それを楽しみにしているのですが、もう少し涼しくならないとダメでしょう。

Dsc03948c_20240916151801 Dsc03980c  ところで、九華公園には白い花が咲くサルスベリが1本だけあります。今年はずっと咲かなかったのですが、今日、咲いているのを見つけました。ひょっとしたら、私が家内の実家にいる間に咲き始めたかも知れません。

 

2024年9月15日 (日)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

 9月11日に行って来た、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコース「久居(ひさい)散策」の本編その2です。その1では、久居駅をスタートし、寺町あたりで寺社を巡ってから、子午の鐘・木槿塚までやってきました。このその2では、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、高通児童公園、伊勢自動車道をくぐって戸木地区を回ってから、賢明寺、本念寺などへと続きます。

Img_4374c_20240915133101  子午の鐘・木槿塚を西に出たところに、「幸町(さやまち)御門跡」という案内がありました。初代藩主・藤堂高通は、藩主御殿と武家屋敷の周りを堤や土構で囲み、城外の、万町、幸町、旅篭町、本町、ニノ町(奈良街道筋)には町人を住まわせています。ここは、武家屋敷と町屋を結ぶ御門があったところ。

Hisai2  こちらは、実際に歩いてきたルートマップその2。誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けます。江戸時代には、武家屋敷があったところです。久居中学の西に隣接して、高通(たかみち)児童公園があります。その後は、伊勢自動車道を潜り、戸木(へき)地区を廻り、再び伊勢自動車道を越えます。

Img_4421c_20240911165401  高津藩主藤堂高虎の孫高通が、宗家から分かれて久居藩を立てたのですが、その藩主御殿跡がこの高通児童公園になっています。隣にある久居中学校の敷地までが久居陣屋だったそうです。津2代藩主・藤堂高次が隠居するとき(寛文9(1669)年)、津藩領32万3950石のうち、5万石を弟の高通に分けて、久居藩がつくられています。翌年から陣屋や城下町を建設し、寛文11(1671)年に高通が入府しました。「永久に鎮居する」という意味で、「久居」と名づけています。陣屋の遺構はありませんが、陣屋御殿跡と開府の碑などがあります。こちらに久居350年の歴史についての説明があります。左の写真は、「御殿山記念碑」。久居藩初代藩主高通公の久居入府250年を記念して大正10(1921)年に建てられた「御殿山の記念碑」があります。石碑は、本体だけで高さ4mを超える大きなもので、歴代の久居藩主の功績をたたえる碑文が彫られています。高通の入府250年を記念して、大正10(1921)年に建てられています。

Img_4425c_20240915134401  御殿山記念碑に向かって左手には、「高通公生誕三百五十年記念句碑」が立っています。平成6(1994)年の建立。高通は、文教藩学をすすめ、俳人としても秀れていて、任口(にんこう)と号しています。句碑には、「躬(み)やことし高野にからば花の春 任口」と彫られています。また、説明板には、「町生まる世も斯く湧けり雲の峰 及道」「伊勢路より伊賀路に入りて句碑のどか 芳泉」の句が添えられていました。

Img_4438c_20240915135101  こちらは、昭和3(1928)年に建てられた「玉井丈次郎先生彰徳碑」。玉井丈次郎(たまいじょうじろう)は、明治41(1908)年、津~久居間の軽便鉄道の開通に重要な役割を果たし、また陸軍第三師団が三重県に部隊を置く際には、連隊の誘致に乗り出し、歩兵第51連隊の招致を成功させるなど、久居の町の発展に著しく貢献をした人物で、碑文には、その功績が記されています。

Img_4410c_20240915135501  また、昭和8(1933)年に建てられた久居町と本村の合併記念碑も公園内に立っています。明治22(1889)年、市制・町村制の施行により、久居は町制を施行しています。そのとき、東鷹跡町に役場を置きました。一方、本村(もとむら)は、小戸木村(こへきむら)と合併し、本村(もとむら)と称しています。久井町と本村は、人家が続いて市街を形成していて、近隣同士で生活を助けあう関係にあったといいます。また、陸軍用地が両町村にまたがっていたこともあり、経済的にも密接なつながりがありました。このようなことから、昭和6(1931)年に無条件で合併したのです。

Img_4450c_20240915140101 Img_4542c  このあとは伊勢自動車道の下をくぐって戸木地区へ。戸木小学校のところを通り、遠くに青山高原などを眺めながら、暑い中、ひたすら2㎞以上を歩きます。

Img_4535c_20240911174101 Img_4505c_20240915140401  このような水田地帯が続きます。春や秋でしたら、さぞ気持ちがよいのでしょうが、この日は最高気温32.3℃とかなり暑く、結構大変でした。

Hisai3  この先、ルートマップはその3へ。賢明寺、本念寺、川併神社へと進みます。

Img_4599c_20240911165501 Img_4611c_20240915140701  再び伊勢自動車道をくぐって、青龍山千手院賢明寺(けんみょうじ)へ。天台宗。「ひさいの観音さん」と親しまれているそうです。比叡山延暦寺の末寺に属し、創建は奈良時代の天平年間(730年ごろ)で、聖武天皇の勅願により、行基によって開かれたと伝えられています。南北朝時代に兵火を被りましたが、北畠氏が再建し、以来北畠氏代々の祈願所となっています。その後、織田信長の軍勢により焼失したものの、江戸期に入り寛永年間(1630年ごろ)に再興されました。仁王門(市文化財)は、貞享元(1684)年のもので、大変立派でした。

Img_4608c_20240915140701 Img_4655c_20240911165501  久居藩初代藩主高通公も深く本尊に帰依し、貞享2(1685)年に銅灯籠を寄進しています(市文化財)。また、このお寺には、鎌倉時代(弘安8(1285)年)の石造板五輪塔(県文化財)があります。鎌倉中期の代表的な五輪塔で、石を組み合わせたものではなく、花崗岩の板状の一石を五輪塔に刻んだものです。この石造板五輪塔は、東大寺大仏殿を再建した重源上人(ちょうげんしょうにん)の母の三十三回忌供養のために建立されたものと伝えられています。三重県下最古のもので、三重県の指定文化財にもなっています。

Img_4670c_20240911165501 Img_4674c_20240915141401  賢明寺の近くに受福山本念寺。真宗高田派。天正年間(1573~1592年)の創建。もとは真言宗でした。

Img_4736c_20240915141901 Img_4697c_20240911165501  本念寺から東に川併(かわい)神社式内社。ご祭神は、天忍穂耳命ほか9座(詳細は、上野リンク先をご覧ください)。創始は明らかではありませんが、平安時代以前と考えられ地升。戦国時代、荒廃していましたが、久居藩が建てられる前は、地名にちなんで「野辺惣社」と称し、村域の氏神でした。寛永2(1625)年、本殿が造立され、同7(1632)年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請して配祀されています。元禄4(1691)年に社殿が造立され、久居藩主参列のもと盛大な完成式典が斎行されたといいます。

Img_4707cc  神社の説明板によれば、本殿は、この地方には稀な、古風な「一間社春日造(いっけんやしろかすがづくり)」の様式を伝えているそうです。「一間」というのは、井桁の土台の上に4本の丸柱を立てた平面が、方一間であるからです。「方」は正方形の一辺の長さを意味します。要するに、正方形の井桁の形に、四つの柱を立てたものの上に床や屋根を乗せています。「春日造」は、春日神社本殿の形式であるということ。塀の隙間から写真を撮ってきました。なお、久居にある神社については、「久居浄化案内人の会」がこちらにまとめておられます。

Img_4716c_20240915141901  ほかに境内には、神宮遙拝所もあります。

Img_4754c_20240911165501 Img_4401c_20240915143901  川併神社から北東に向かいます。途中、このような古い町屋も残っています。この家は、奈良道に沿ったところに建っていました。奈良道とは、月本追分で伊勢街道から分かれ、雲出川を遡り、久居の町から戸木、羽野、塩見阪、稲葉をへて五百野(津市美里町五百野)で伊賀街道と合流します。「伊賀越えならみち」「奈良道」と呼ばれ、古くから開けたルートでしたが、藤堂高虎が津へ入城すると、津と上野間の往来が激しくなり、明治10(1877)年には津から上野までが「伊賀街道」となり、奈良道の名称は月本~久居~五百野の間だけ残ることになっています。「奈良道」は、2018年12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」で、別のところを少しだけ歩いています(2018年12月26日:20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ)。そういえば、街のあちこちに、奈良道などを案内する石柱が立てられていました。

Img_4761c_20240915145401 Img_4779c_20240911170301  さて、久居駅にほど近いところに寂陽山法苑院妙華寺。真宗高田派。天和元(1681)年の創建。藤堂家の姻戚寺院だそうです。本堂は、国の有形登録文化財。

Img_4804c Img_4826c_20240915145801  妙華寺の東に霊雲山玉セン寺。天台真誠宗。山門は武家の屋敷門の形式。久居藩の菩提所として初代藩主高通公から境内地が与えられ、延宝7(1679)年に創建されました。文政4(1821)年の「久居焼け」といわれる大火により焼失しましたが翌年に再建、また明治36(1903)年に再び焼失し、現在の本堂は大正3(1914)年に再建されたものです。今も鐘堂に大火の跡が残されています。本堂には市の文化財である藩主の木像(初代藩主高通公の像、2代藩主高堅公の像)が納められているそうです。

Img_4830c_20240911170401  久居藩主2代高堅(たかかた)、3代高陣(たかのぶ)の墓所があり、それぞれの大五輪塔があります。この写真がそれと思います。 

Img_4823c_20240911175801  当初は、玉泉寺といったのですが、2代藩主高堅のときに高虎の官名「和泉守」に差し障るという理由で改名しています。正しい文字は、左の写真のとおりです(パソコンでは変換できませんでした。ATOKの手書き入力でも不可能)。これで目的地はコンプリート。なお、久居にあるお寺については、「久居城下案内人の会」が解説をWebにあげておられます(こちら)。

Hisai4 Img_4840c_20240911170401  ゴールは、スタートした久居駅。11時10分に戻ってきました。2時間40分かかっています。蒸し暑かったため、全身汗びっしょり。歩いた距離は、Google Fitでは8.1㎞(実家に戻った時点で)。スマホの「からだメイト」では、11.8㎞になっていましたが、これは過大評価でしょう。11時16分に実家方面へ行くバスがあり、それに乗って12時前には実家に帰宅。

Screenshot_20240911112503c Screenshot_20240911112512c  今日歩いたコースは、初めに書きましたように近鉄あみま俱楽部のハイキングコース。アプリ対応コースでしたので、 左の画像のように、久居駅、子午の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉セン寺でデジタルスタンプをゲット。また、右の画像(左上)のように踏破賞ももらいました。

九華公園でハギが咲き始めました……鹿について追記あります

Dsc03551c_20240915112601  家内の実家から昨晩、帰宅しました。いくら勝手知ったる家内の実家とはいえ、やはり自宅の方が落ちつきます(微笑)。浴室と洗面所のリフォームを実施したと書きましたが、快適です。そりゃぁそうです。築30年を経たマンションですから、当時はもちろん最新の設備だったはずですが、今のものとは格段の違い。ちなみにリクシルのリノビオVというシステムバスと、ピアラという洗面化粧台にしました(リンク先のものとは同じ色、設備ではありません)。

Dsc03692c  今朝は明け方に雨がよく降っていましたが、その後は上がり、今のところ夕方までは降らないようです。8時過ぎから、いつものように、九華公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と6.9㎞ほどを歩いてきました。気温はさほど高くはなかったのですが、雨上がりで日が当たってきましたので、蒸し暑いこと。11時半現在で、31.1℃。

Dsc03558c_20240915112601 Dsc03628c_20240915112601  途中、ほとんど野鳥はいませんでした。柿安コミュニティパークでムクドリ。九華公園に着いてすぐドバトたち。九華橋近くの樹上には、いつものアオサギさん。こういういつものことが、むしろいいなという気がします。ほかに見たのは、ハシボソガラスくらい。メジロの鳴き声がしていましたが、姿は見えませんでした。

Dsc03607c_20240915112601  九華公園の奥平屋敷跡で、ハギが咲き始めました。ツツジが終わって剪定作業が行われたとき、このハギも剪定されてしまい、今シーズンは花が咲かないのではないかと心配していたのです。その意味では、待ちに待ったというところです。しかし、それにしても、ハギとツツジとでは、見てくれがかなり違うと思うのですが、いったいどういう業者に依頼しているのかと心配になります。

Dsc03663c_20240915112601  雨上がりで、いつもと時間が違いまが、散歩友達お二人ほどと出会いました。野鳥は、今日はドバトとアオサギのみ(笑)。吉之丸にあるお宅で花の寄せ植えを見ていたら、チャバネセセリがやってきました。

Dsc03646c  9月も中旬。明日は敬老の日ですが、娘からは「おじいちゃんじゃないから、敬老しない」といわれております。来週・25日(水)からは、後期の非常勤の授業が始まります。そろそろ夏休み気分から抜けないといけません。ボタンクサギの花は、まだ、次から次へと咲いてきます。九華公園の外周遊歩道の南にて。

1726369737720c 1726369738956c  追記。冒頭に、自宅に戻ったと書きましたが、実家には、この週末、愚息が滞在しています。昼前に愚息からLINEで鹿の画像が送られてきて、ビックリ。台所の先に裏庭があり、その先が山になっていますが、台所のすぐ先にまで鹿たちがやってきて、草を食べています。図々しいことこの上なし。

1726369738945c  しかも(ダジャレではありません)、今日はオスまで出て来ました。2頭です。オスは、初めて見ました。上左の写真にもオスが写っています。植木鉢に植えてあるものまで食べられそうになったので、さすがに追い払ったということでした。LINE画像ですので、やや粗くなっています。

2024年9月14日 (土)

一人暮らしは、今日で終了

 Img_5241c_20240914103801 家内の実家での一人暮らしも7日目(昨晩、愚息が来ましたので、今は一人ではありませんが)、今日、迎えに来てもらう予定。近所の方にもほとんど出会いませんでした(避けているわけではありません)。実家で話したのは、ガス屋さんだけ(笑)。散歩途中で挨拶を交わした方はそれなりにあります。退屈しのぎも考えてきて実行しましたので、退屈はしませんでしたが、人と話をする機会が少ないというのは、難点です。その退屈しのぎで久居、津に出かけましたが、クルマなしでしたから、バス、電車など公共交通機関を利用。便利とはいいがたいところですし、今年はまだ暑いので、それにも難儀しました。もっとも近いコンビニは、片道2㎞ほど。コンビニの近くにバス停はありませんから、一度だけ歩いて行ってきました。スーパーへ行こうと思うと、バスに乗って15分くらい(ただし、スーパーには行っていません)。1週間くらいなら十分やれますが、これ以上となると、クルマがないとちょっと辛いかも知れません。

Img_5254c_20240914103801  さて、今日も6時45分から散歩へ。晴れ間も見えていたのですが、実家近くに戻ってきたら、雨に降られました。実家から西へ向かい、町内をまぁ半周くらいで、5.2㎞。出てすぐの水田にダイサギが1羽。その先で、セグロセキレイを見つけたのですが、遠くてうまく撮れず。超望遠コンデジでは、非力です。

Img_5275c_20240914103801 Img_5296c_20240914103801  さらに歩いて、ホオジロのオスが鳴いていました。近くにも似たような鳥が数羽。よく見たら、右の写真はたぶんホオジロのメス。

Img_5372c_20240914103801  実家の旦那寺に向かう途中、バス停の当りでコシアカツバメが電線で休んでいました。曇ってきて、また、歩道の上の電線にいましたので、こんな感じ。

Img_5384c_20240914103801  途中小学校の近くで、コスモス。以前であれば、コスモスは秋の花でしたが、最近は早咲きの品種も多く、コスモスを見ても季節がよく分からなくなっています。

Img_5485c_20240914103801  旦那寺近くで、またもやダイサギ。アオサギは、鳴き声は聞こえたものの、姿は見えませんでした。

Img_5530c_20240914104601  先日、散歩したときは雨上がりで坂道が滑りそうでしたので、いけなかったのですが、沈下橋のあるところ。私の好きな場所です。サギやセキレイがいることがあります。温泉街の裏手で、この近くに源泉があります。

Img_5518c_20240914104601  このあたりを歩いているときに思い出しましたので、1枚。先日コメントをいただいていましたが、動物除けの電気柵が田畑の周りに設置されています。もうずいぶん以前からあります。先日、実家の裏庭にシカが来ていましたが、シカ、サル、イノシシなどが出てきます。

Img_5544c_20240914103801  旦那寺とは別のお寺の近くでヒガンバナ。月曜日(9/9)にも違うところで見つけていたのですが、うまく撮れなかったのです。午後から、桑名に戻る予定です。浴室、洗面所のリフォームは思っていた以上にきれいになったようです(写真でしか見ていませんが)。

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  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

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    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)