JRさわやかウォーキング

2020年11月 8日 (日)

20201108JRさわやかウォーキング「蟹江町を散策。寺社・史跡巡り」へ(完)

1108kanie

 新型コロナウィルス感染症のため、2月からJRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングも中止になっていましたが、11月に入ってどちらも再開。ただし、近鉄ハイキングはイベントタイプのものはまだ行われず、常設コースに近い形。JRさわやかウォーキングは、感染症対策を施して、3密にならないよう配慮された、イベントタイプで行われるようになりました。ほぼ9ヶ月ぶりに参加(微笑)(近鉄ハイキングは、2月9日以来:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完);JRさわやかウォーキングは、2月2日以来:20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(予告編))。

Img_9465c_20201108162201  今日のJRさわやかウォーキングは、JR関西線蟹江駅がスタート&ゴール。受付は、8時半~12時。桑名駅を9時2分に出る名古屋行き普通に乗車。蟹江駅には9時21分着のところ、3~4分遅れ。¥240。蟹江のウォーキングは、去年11月3日にも開催され、参加しています(2019年11月3日:20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(予告編))。

Img_9473c_20201108162201  駅前でコースマップ(冒頭の画像)と、「第3回蟹蟹フェア」のチラシを受け取ります。そして、久しぶりに「JRさわやかウォKanikani3 ーキング スタート」の看板を見られました。蟹江町のキャラクター「かに丸くん」がポーズを取ってくれます。受付開始から1時間経っていますが、参加者はコロナ以前よりも少ない印象があります。

20201108jrwalkingkanie  こちらは、今日歩いたルートの全体マップ。コースマップ上、7.8㎞となっていましたが、実際に歩いたのは、8.5㎞(実は途中で少しだけショートカットしているのですが)。蟹江でのJRさわやかウォーキングに参加するのは、上述の去年11月の他、2018年3月4日にも来ています(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))。それ故、3回目でかなり馴染みがあります。ほとんど訪ねたことがあるところですので、今回は1回完結の記事。

20201108jrwalkingkanie1  こちらは、コース前半部分の詳しいルートマップ。JR蟹江駅から南へ。蟹江城跡、蟹江神明社から、お楽しみの甘強酒造、銭洗尾張弁財天富吉神社にお参り。蟹江川を越えて、まちなか交流センター「楽人」、尾張温泉かにえ病院のところにある「足湯かにえの郷」と周り、JR関西線を越えます。

Img_9486c_20201108162201  蟹江駅前通に神社があったのですが、社号標も説明板もありません。ネットの地図にも載っておらず、不Img_9489c 明。三重県の神社については、「神社検索(三重)」というサイトがあって便利なのですが、これの愛知県バージョンはなさそう。右の写真は、駅前公民館の東あたりの様子。

Img_9499c_20201108162201  最初の立ち寄り先は、蟹江城跡。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時Img_9505c_20201108162201 任(ときとう)が城塞を築いたのが初めといわれます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。城跡の西、30mのところにで蟹江城本丸井戸跡。細い路地の、民家の軒先にあります。江戸時代の蟹江本町村絵図にも、ここに「古井」と記されています。この井戸跡が、蟹江城がここにあった証拠と考えられています。

Img_9507c_20201108162201  蟹江城本丸井戸跡のすぐ西には、秋葉社があり、氏子の方々が清掃奉仕をしていらっしゃいました。この秋葉社も、ネットの地図にも載っていませんし、ネット検索しても情報は出て来ません。しかし、地域の方が大事に守っていらっしゃる神社と思いました。以前のハイキングでも感じたことですが、蟹江のあたりには、秋葉社がたくさんあります。江戸時代に、火災予防のために祀ったのかも知れません。

Img_9532c_20201108162301  蟹江川沿いを歩いて、蟹江神明社へ。永享年間(1429~1441年)、北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸Img_9518c_20201108162301 南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まり。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。御祭神は、天照大神。

Img_9535c_20201108162301  蟹江神明社の東隣には、「東照山」と山号のあるお堂と、地蔵堂がありますが、これもよく分かりません。「分からないのに何故書くのか?」と思われるでしょうが、その昔、研究者の端くれでした。研究をする上では、何が分かって、何が分からないかを区別しておくことが大切ですし、必要なのです。ひょっとしてご存じの方もいらっしゃるかも知れませんし、教えていただける可能性もゼロではないからなのです。

Img_9543c_20201108162301  続いて、私にとって、今日の最大の目的地・甘強(かんきょう)酒造。左の写真にある旧本社事務所の建物は、昭和12(1937)年建築で、登録有形文化財。味醂、清酒などをつくっておられます。去年11月にも来ています。

Img_9556c_20201108162301 Img_9558c_20201108162301  試飲を楽しみに来たのですが、去年同様、ミニカップでした(微苦笑)。名古屋正宗(本醸造)、いっこく(純米吟醸)(甘強酒造の日本酒のリストはここ)、里香梅 紅麹梅酒、味醂などから選べました。いっこくをいただいてきました。お願いすれば、他も試飲できそうでしたが、時節柄、自粛(苦笑)。

Img_9566c_20201108162301  直売も行われていましたが、今年はセット販売のみ。いっこく、名古屋正宗、あまさけの3本セット(いずれも350ml)を¥1,000でお買い上げ。¥3,000以上買うと、記念品(アルコール カンキョウ77:消毒用エタノールの代用品として、手指消毒に使用可能なもの。飲めませんし、火気厳禁だそうです。左の写真で右端に写っているのがそれ)がいただけ、抽選もできたのですが、さすがに荷物になりますからパス。

Img_9580c_20201108162301  甘強酒造さんの構内にも「蟹蟹フェア」の会場が設けられていました。かにかまの天ぷら、かにかま寿司もあったのですが、Img_9577c_20201108162301 気になったのは魚屋バーガーの蟹コロバーガー(蟹みそ入り)、¥600。「限定50食」とあって、並んでいる人もあり気になります(微苦笑)。元来、行列は大嫌いなのですが、さほど並んではいなかったので、少しだけ我慢。今日の昼ご飯にしようという算段(微笑)。これで、土産も買い、昼ご飯も用意しましたので、安心して歩けます。

Img_9598c_20201108162301  次に立ち寄るのは、銭洗尾張弁財天富吉神社。ここも、たぶん3回目の訪問。尾張で唯一の銭洗弁財天です。Img_9596c_20201108162301 室町時代、永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を洗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。さすがにお札を洗うのは、憚られましたし、大金はありませんので、持っているだけの小銭を洗ってきました。

Img_9621c_20201108162401  蟹江川を渡り、蟹江町役場、蟹江町体育館の前を通って、スタートから2.7㎞ほどで、まちなか交流センター「楽人」。カワラケツメイ茶のサービスがあるということでしたが、よく分からず、通過。カワラケツメイ茶は、健康茶として飲まれているようです。あとで訪ねた蟹江山龍照院でも、提供されていました。

Img_9630c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院に行くまでの道路の歩道に写真のようなものがあるのを見つけました。「大相撲ストリート」といって、ここ尾張温泉通りに、二子山部屋・高砂部屋の力士16名の足型が路上に設置されていましImg_9634c_20201108162401 た。貴乃花、若乃花、朝青龍などの足型もありました。

Img_9637c Img_9646c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院のところには、「足湯かにえの郷」。源泉掛け流しの足湯で、無料で利用できます。ウォーキング参加者でも足を浸している方もありましたが、今日は、21℃を超え、この時期にしては少し暑いくらい。なので、パス。

Img_9649c Img_9656c_20201108162401  蟹江のハイキング・ウォーキングは3回目と思いますが、西の方に来たのは初めて。帰ってから地図を見て、ホントに尾張温泉近くまで行ったんだと実感。しかし、温泉には立ち寄りません。北上してJR関西線を越えます。右の写真は、JR関西線を越えたあたりの公園のそば。マップで「今西3」とあるあたり。この先に八幡神社や、地図にはありませんが、松秀寺があり、立ち寄ってみたいとは思いつつ、先を急ぎました。

20201108jrwalkingkanie2  詳しいルートマップは、その2へ。スタートから6㎞ほど、須西小学校のところで、再び蟹江川沿いを歩きます。この先に観光交流センター「祭人」。そのすぐ北東に富吉建速神社・八剣社と、蟹江山龍照院。ここが最後の立ち寄りスポット。龍照院を出てからは、1.3㎞ほど歩いてゴールのはつらつ公園へ。コロナの関係で、ゴール受付はあるものの、参加証へのスタンプ押印はなし。はつらつ公園から蟹江駅までは約300m。

Img_9678c_20201108162401  途中、割愛して、観光交流センター「祭人」。ここは大賑わい。ユネスコ無形文化遺産「須成祭」の展示もありますが、それImg_9681c_20201108162401 は以前見たのでパス。去年も買ったのですが、蟹江の味彩もへのさんが出展していたので、「蟹タクちらし」(¥300)をゲット。去年11月のJRさわやかウォーキングのとき、「小腹が空いていませんか?」と売り込まれ、思わず買っしまったのが、とても美味しかったのです。ただし、これ、今日は土産にするつもり。

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 「祭人」では蟹タクちらしを買っただけで、富吉建速神社・八剣社、蟹江山龍照院へ。本来設定されたコースでは、御葭橋まで戻って、蟹江川を東に渡って行くようになっていたのですが、ショートカット(苦笑)。割とマジメだと自認しているのですが、そこまで堅くはありません(微笑)。

Img_9694c  まずは、富吉建速(とみよしたけはや)神社・八剣(はっけん)社にお参り。両社とも、天平5(733)年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれます。須成祭は、この両社の祭礼とImg_9699c_20201108162401 して行われる川祭です。津島神社の天王祭りと似たお祭です。

Img_9705c_20201108162401 Img_9708c_20201108162401  両社の北に蟹江山常楽寺龍照院真言宗智山派のお寺。天平5年に行基菩薩によって、本尊に十一面観世音菩薩を奉安し創建されたといわれています。御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182年)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。今日は、特別にご開帳があり、拝観してきました。

Img_9735c_20201108185501  境内には、大日如来堂があり、木曾義仲の菩提を弔うために巴御前が安置したといわれる大日如来坐像があります。巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。義仲の妾(しょう)とされ、元暦元(1184)年1月、近江粟津の戦では敵の首をねじ捨てるなどの活躍をしたのですが、死を覚悟した義仲の命令で戦場を離脱しています。巴御前は、故郷の信濃に向かう途中義仲が建てた寺があることを知り、出家、剃髪し義仲を弔ったという話があり、それがここ常楽寺龍照院だといいます。

Img_9722c  龍照院にお参りしたら、お下がりだということで、飴とポケットティッシュをいただいてしまいました。実Img_9719c は、銭洗尾張弁財天富吉神社で洗った小銭しかなかったので、お賽銭を上げず、拝んだだけなので、気が引けました(苦笑)。

Img_9725c  旧・須成村は、新撰組隊士・佐野七五三之助(さのしめのすけ)の出身地だそうで、境内にはその展示パネルがあり、「かにえボランティア夢案内人」の方が出て、説明をしておられました。佐野七五三之助は、天保5(1834)年、尾張国海部郡須成村の神職、寺西伊予守家班(いよのかみいえのり)の嫡子として誕生。嘉永3(1850)年、父が死去したImg_9728c 後、尊王攘夷を志し、名前を佐野七五三之助と改め、江戸へ向かい、北辰一刀流を学び、元治元(18649年、30歳のとき、新選組の隊士となり京へ行きました。慶応3(1867)年、新選組総員の幕臣取立に抗議し、新選組からの離脱を企てたものの挫折。京都守護職邸で仲間3人とともに自刃。ほぼ即死状態だったといわれる状況で、遺体を運ぼうとした新選組隊士に自分ののどに刺さっていた小刀で斬りかかったといいます。驚いたほかの隊士によりわき腹にとどめを刺されたのですが、屯所に運ばれる途中にも、息絶えたはずの佐野が、縛られていた縄を噛んだといい、隊士たちを仰天させたという壮絶な最後が伝わっています。京都・光縁寺に埋葬されています。享年34。明治2(1869)年、故郷須成村に伝えられ、神葬祭が営まれ、須成天王橋西に墓があります。佐野七五三之助の甥(妹の子)が、第24代内閣・総理大臣加藤高明

Img_9770c_20201108162501  これですべて回りましたので、ゴールのはつらつ公園に向かいます。龍照院からは1.3㎞ほど。11時42分に到着。ゴールにImg_9778c_20201108162501 は、いつものJRさわやかウォーキングのゴールパネル。これを観たのも9ヶ月ぶり。

Img_9784c  はつらつ公園では、甘強酒造さんでゲットしてきた蟹コロバーガーを食べることに。昼食という次第。美味しかったのですが、味が淡泊で、ちょっともの足らない気もしました。蟹みそも入っているということでしたが、よく分からず。バンズは、「全粒粉入りオーガニック」ですから、健康志向のバーガー。味が薄いのもやむを得ないか?

Img_9801c_20201108162501  ゴールのはつらつ公園から蟹江駅までは約5分。11時55分に到着。蟹江駅までが、8.5㎞。割とよく歩いていました。12時ちょうどに四日市行き普通電車があり、それに乗って桑名まで。12時16分着。

Img_9823c_20201108162501  今日のALKOOのデータ。17,066歩。JRさわやかウォーキングで歩いたImg_9824c_20201108162501 のが、8.5㎞。桑名駅往復が2.2㎞。合計10.7㎞を歩きました。JRさわやかウォーキングは、コロナで中断していましたので、スタンプの有効期間は、1年延長されます。スタンプ、今日で6個目。延長のお陰で有効期間はまだ1年以上ありますから、10個はクリアできそう。

Img_9817c_20201108162501  蟹タクちらしは、晩ご飯の時に家族でシェア。甘強酒造で買ってきた土産から、「名古屋正宗」を晩酌に(微笑)。酒蔵に行ったのも、2月9日に早川酒造部に行って以来(20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。次は、11月21日(土)に開催予定の「戦国武将ゆかりの地を眺めながら、岐阜公園を訪ねて」に行きたいのですが、この日は相談会を調整中。

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2020年11月 7日 (土)

JRさわやかウォーキング(田丸)は断念……九華公園で久しぶりにゴイサギ、ホシゴイ、春日神社で刀剣乱舞「千字村正」のぬいぐるみ

Img_9452c  桑名では、結局、アメダスに記録される雨は降りませんでした。JRさわやかウォーキング(田丸)へ行こうと思ったものの、朝、雨雲レーダーをチェックしたら、玉城町、伊勢市あたりには雨雲。天気予報も三重県伊勢志摩は、こちらよりも雨の確率が高いということで、断念。これはやはり、「勝手にハイキング」を企画しなくてはなりません。それはそれとして、散歩。7時半スタートでいつものところを歩いてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、春日神社、田町、三崎通から住吉入江と5.8㎞。

Img_9445c_20201107185901  春日神社には、久しぶりにお参りに行きました。そのわけは、この写真。刀剣乱舞「千子村正」のぬいぐるみが置いてあると、ブロ友のミリオンさんが書いていらしたのです(春日神社)。刀剣乱舞も、鬼滅の刃もよく分かっていませんが、村正に関係するなら見てこなくてはと思ったのです(微笑)。現在、桑名市博物館で特別企画展「三重県刀剣紀行」が開催されていますから、それとのコラボということと思います。

Img_9224c  さて、揖斐川。昨日と同じく、オオバンが13羽浮かんでいたほか、三の丸水門の東には、ヒドリガモが3ペア。例年であれば、もっと寒くなってから見られる光景です。今年の冬は、寒くなるのかという気がします。

Img_9232c_20201107190001  九華公園は、いったときはきわめて静か。ヒヨドリやドバトも少ないくらい。左は、超証拠写真(爆)。奥平屋敷跡の入り口にいたモズ。奥平屋敷跡も静か。鳥小屋のセキセイインコが賑やか。

Img_9236c_20201107190001  カモ。合計48羽。キンクロハジロは、38羽。今の時期、例年並みです。ハシビロガモは、7Img_9247c 羽。元気に、食事をしながら泳ぎ回っています。ヒドリガモは、オス1羽にメス2羽。ヒドリガモは、キンクロハジロたちとは別行動をしていることが多いようです。

Img_9259c_20201107190001  ユリカモメは、今日は2羽のみ。二の丸堀の近くで餌をやる人があり、そこに来ていました。写真は、二の丸橋の南のたもとにある電柱に止まったところ。65倍ズームで撮って、トリミングした写真。

Img_9293c  公園内を半周して、鎮国守国神社の社務所裏に再び来たら、ゴイサギ1羽に、ホシゴイ2羽が堀に降りてきてImg_9289c いました。ゴイサギ、ホシゴイは久しぶり。いつ以来か、記憶が不確か(苦笑)。社務所裏の木にいるものの、見つけられないだけのようです。

Img_9302c_20201107185901  さらに、コサギが2羽と、アオサギが1羽。いずれも、8時前に公園に着いImg_9308c_20201107185901 たときにはいませんでした。曇天で余り期待していなかっただけに、ちょっとうれしい。

Img_9313c_20201107185901  サギを見ていたら、近くの樹上で、どう考えてもツグミの鳴き声が聞こえてきました。これまた、証拠写真ではありますが、先日よりもはっきりと捉えられました。近くにも他に3~4羽がいました。

Img_9331c_20201107185901  他にも、ヤマガラ、シジュウカラも出て来て、大忙し(苦笑)。ヤマガラは、残念ながら、枝かぶりやら、ピンぼけやらで載せるような写真はありません。散歩に来てよかった(笑)。

Img_9416c  このあと、本丸跡・辰巳櫓のところで、オスのジョウビタキ。それなりに充実した鳥見でした(微笑)。貝塚公園、内堀公園では、ヒヨドリ、カワラヒワなどお馴染みさんばかり。

Img_9432c Img_9437c_20201107185901  春日神社では、11月に入ったこともあってか、七五三参りの親子連れの方がいらっしゃいました。右の写真は敢えて小さく写るように撮ったのですが、神社で記念撮影用のグッズも貸し出しているようでした。男の子二人、数字の5と7の形のバルーンを持って記念撮影をしていました。

Img_9263c_20201107190001  ところで、今日は、第5回目の遠隔授業の出席&課題報告の締切。出席率は、84.5%。対面授業でもあまり変わりありません。散歩から帰って、夕方までに課題の評価と、Q&Aを書くのに大車輪(苦笑)。今日、JRさわやかウォーキングに行きませんでしたので、明日の蟹江駅のコース(蟹江町を散策。寺社・史跡巡り:11/8にはリンク切れになります)に行こうと思ってのことです。これと同じコースには、何度か参加しているのですが、甘強酒造に立ち寄りますし、観光交流センター「祭人」には、山田酒造が出店を出しているのではないかと期待しています。近鉄ハイキングで「酒蔵見てある記」がなさそうですから、行ってきたいと思っているのです。Q&Aは明朝、チェックし、仕上げる予定。これを終えられたら、GO TO 蟹江のつもり。

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2020年10月27日 (火)

イソヒヨドリのオスに、ジョウビタキデー

Img_6135c_20201027151401  今日も朝は冷えたものの、日中は暖かくなりました。気温は、21.9℃。気持ちの良い青空。ご相談の報告も仕上げ、第3回遠隔授業の課題の評価も終え、まさに一段落つきました(微笑)。安心して散歩に行けます。ということで、いつも通り、朝7時半から3時間近く歩いてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、赤須賀郵便局で郵便を投函して、再び貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と、6.2㎞。

Img_6143c  散歩に出てすぐ、桑名七里の渡し公園の南でオスのイソヒヨドリに遭遇。イソヒヨドリは、久しぶりに見ました。幸先がよいかも(微笑)。そっと近づいたら、あまり遠くに行かず、近いところをあちこち移動してくれました。ただ、県道の橋の陰になっているところで、ちょっと暗くて残念。このあと、揖斐川沿いを歩いたものの、最近、中洲にはアオサギや、ダイサギなどはまったく見えません。

Img_6210c_20201027151401  九華公園までは、ヒヨドリがいたのと、カワウが飛んでいたくらい。公園の北門を入ってすぐの堀にアオサギがいました。最近、このあたりにカワセミ、ゴイサギなどがいることもあり、いきなり堀端に行かないようにしています。今日も、しばらくはアオサギには気づかれませんでした。木の陰に入って写真を撮っていたものの、さすがに「アオサギ・センサー」にチェックされ、鎮国守国神社の社務所裏の木に逃げられました。

Img_6232c  この社務所裏の木には、ゴイサギが1羽、奥まったところにいました。その反対側、相撲場脇の樹上には、モズがやって来て、Img_6220c_20201027151401 高鳴き。ここで、散歩友達のYさんと遭遇。直前にカワセミがこちらに飛ぶのを見たとおっしゃるのですが、私はまったく気づかず。アオサギやゴイサギに気をとられていたため。惜しいことをしました。

Img_6264c_20201027152601

 カモは、18羽。キンクImg_6276c_20201027151401 ロハジロが15羽で、ハシビロガモが3羽。これまでは、二の丸堀にいたのですが、キンクロハジロたちは、今日は、吉之丸堀へ移動。昔のアヒル小屋のあたりにいました。

Img_6269c_20201027151401  こちらは、ハシビロガモのオス。採餌行動中。水と一緒にプランクトンなどを吸い込み、嘴にあるブラシのようなもので食物だけ漉し採るといいます。

Img_6292c_20201027151401 Img_6298c_20201027151401  奥平屋敷跡、二の丸跡などには、ヒヨドリ、ドバトくらいしかいません。吉之丸堀の橋にある四阿や、本丸跡の花菖蒲園のところでハクセキレイ。計4羽。四阿から菖蒲園に移動したかも知れません。

Img_6318c_20201027151401  本丸跡では、メジロ10羽あまりとシジュウカラ、カワラヒワ。写真が撮れたのは、メジロとカワラヒワ。ヤマガラは9月頃よ Img_6245c_20201027151401 く見ましたが、最近はサッパリ。エゾビタキ、コサメビタキなどはすっかり見なくなりましたので、旅立っていったのでしょう。

Img_6368c_20201027151301  貝塚公園で、遠くに「珍しい鳥がいる!」と思って、追いかけてあれこれ撮ったのですが、Img_6378c_20201027151301 落ち着いて、よく見たら、カワラヒワのようでした(爆)。まだまだ修行が足りません(苦笑)。その後、南東エリアにある四阿で、鳥がでてこないかしばらく待ったのですが、飛んでいるのはヒヨドリとキジバトくらい。

Img_6387c_20201027151301  赤須賀郵便局まで足を延ばして、ご相談の報告書を投函。近所の郵便局でもよいのですが、Img_6396c いつものコースを歩くと、ずっと持ち歩いていないといけませんし、ここの郵便局の方は、とてもフレンドリーで、親切なのです。以前一度来て、すっかり気に入ったのです(微笑)。もう一度、貝塚公園まで戻って、西側をチェック。やはり何もおらず。

Img_6441c_20201027151301 Img_6404c_20201027153901  内堀公園へ。ジョウビタキのメスを発見。追いかけていたら、もう1羽、メスがいて。時折、諍い。縄張り争いなのでしょう。遠くからやって来てすぐに、自分の場所を確保しなければならないのも大変です。しばらくして、どちらも姿が見えなくなりました。ここ内堀公園も、毎年ジョウビタキを見るスポットです。

Img_6455c_20201027151301  京町、寺町を通って、三崎見附のところから住吉入江に。ここで、オスのジョウビタキに遭遇。左の写真は、ソメイヨシノのImg_6481c_20201027154501 木のてっぺんにいるところ。このあと、近くの駐車場に移動し、車のタイヤに乗ったり、ルーフトップに上がったり。遊んでいるように見えます。ジョウビタキ、時々車に止まっていたり、ミラーに映る自分の姿に攻撃したりするのも見ます。いろいろと撮ったものの、なかなかうまく行かず(苦笑)。

Img_6343c  初めに、一段落ついたと書きましたが、今日は火曜日。第4回遠隔授業の資料、音声ファイルをこれからアップロードしなければなりません。あっという間に1週間が過ぎていきます。自転車操業とは思っていないのですが、ひょっとするとそうなのかも知れません。JRさわやかウォーキングが再開されると昨日書きました。早速調べたら、興味のあるコースがいくつかありました。取り敢えずは、2020年11月7日の「町制65周年を迎えた玉城町の歴史探索ウォーキング」はよさそう。田丸城跡は、一度行ってみたいところ。田丸は、大和国からの初瀬街道と、紀伊国からの熊野街道との合流地点です。これらの街道も少し歩けるかも知れません。

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2020年10月26日 (月)

九華公園でソメイヨシノ……JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングとも11月から再開

Img_6129c_20201026173501  10月も最終週となりました。「秋の日はつるべ落とし」といいますが、名古屋での今日の日の入りは17時3分。日が暮れるのが本当に早くなりました。日の出も、6時9分ですから、遅くなっています。朝早く目が覚めたとき、仕事ですることがあればそれをしているのですがなかなか明るくならなくなっています。今日も、かなり早く目が覚め、第3回遠隔授業のQ&Aの最終仕上げをしていました。日中は、22℃を超え、暖かくなりました。

Img_6066c_20201026173501  今日は、九華公園の外周遊歩道の東にあるソメイヨシノで、花が咲いているのを見つけました(驚)。公園内ではあまり見ませんが、外周遊歩道にあるソメイヨシノでは、毎年この時期、どこかで花がついているのを見つけます。

Img_5967c_20201026173501  散歩は、いつも通り、7時半にスタート。10時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、寺町と5.3㎞ほど。九華公園ではあちこち歩き回りましたから、もう少し歩いているかも知れません。揖斐長良川の中洲や、揖斐川には、鳥影はありません。三の丸公園まで来て、モズ。毎年のことですが、9~10月にかけて、いったん「顔見世興行」のようにあちこちで姿を見て、高鳴きを聞くのですが、その後、あまり見かけなくなります。

Img_5977c_20201026173501  九華公園に着いたときには、ホシゴイが1羽、木の陰にいましたが、アオサギは来ていません。ちなみに、アオサギさんは、9時Img_6056c_20201026173501 過ぎに東の、揖斐川の方から飛んで来ました。右は、その証拠写真(笑)。重役出勤です。ホシゴイを見ている時、一瞬、カワセミを見たものの、すぐに見失いました。残念。

Img_5979c_20201026173501  カモは16羽。毎年、この時期には、20羽前後ですから、ほぼ同じ。キンクロハジロが7羽に、Img_6092c_20201026173501 ハシビロガモが9羽。ハシビロガモたちは、右の写真のように、休憩していることがほとんど。

Img_6084c_20201026173501  キンクロさんたちも、エサをくれる人がほとんどないこともあってか、あまり活発ではありません。左の写真は、羽繕いのときに見られる、通称「バッサバッサ」(と勝手に呼んでいます)。最近、散歩の時には、超望遠コンデジ(Canon SX60 HS)しか持っていきませんが、こんな写真も撮れますので、普段はこれで十分かという気になってきています。歩くのには、カメラ2台持ち(デジイチも)というのは、ちょっと不便。

Img_6074c_20201026173501  小型野鳥は、今日も少なく、ジョウビタキのメスくらい。鎮国守国神社で見つけたものの、写真が撮れず、残念に思っていたImg_6048c_20201026173501 ら、外周遊歩道で出て来ました。他には、本丸跡の花菖蒲園のところでセグロセキレイ。

Img_5986c  奥平屋敷跡の鳥小屋のセキセイインコ、毎日見てきますが、今日は、こんなシーン。ラブラブなのでしょうか、パッと見でオスメスが区別できませんし、セキセイインコの行動パターンをあまりよく知らないのです。

Img_6081c_20201026173501  柿の木レストランは、さすがに柿の実がほとんどなくなりました。収穫されたのかも知れません。貝塚公園では、ヒヨドリ、ドバト、カワラヒワくらい。天気がよくて、暖かいので、こういうときに野鳥にでてきてもらいたいのですが、なかなか思い通りには行きません。

Img_6118c_20201026173501  吉津屋町で、建物解体工事。ここは、仏壇屋さんでした。仏壇屋さんとか、石材店とか、散歩コースにはけっこうあるのですが、どこも経営は芳しくないという話も聞きます。

Img_6011c  市役所の会議、評議員会、出張相談と続きましたが、一段落。そうそう、JRさわやかウォーキング近鉄ハイキングも11月から再開。インスタの知人がpostしていました。待ちかねました(微笑)。ただし、JRの方は、以前と同じような開催形式のようですが、近鉄は、常設コースに近い形で再開。

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2020年2月26日 (水)

ウメジロウ、河津桜にダブルメジロ、豊後梅……【付記(2/26)近鉄ハイキングもJRさわやかウォーキングも3月中旬まで中止!】

Img_4052c  朝のテレビの天気予報によれば、高気圧と低気圧の入れ替わりのスピードが速いので、天気がめまぐるしく変わるのだそうです。今日は、昨日から一転、上天気で、風はあるものの、暖かい日になりました。新型コロナウィルスも気になりますが、それとは別に体調管理に気を遣わなければなりません。今日は、9時から、いつもお世話になっているS理容院さんで散髪。その後、10時前から九華公園から貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.6㎞。11時20分まで。さすがに10時を過ぎてしまっては、鳥たちはいません。

Img_3991c  まずは、中橋のゴイサギコロニー。南北両側から見た結果、今日はゴイサギ10羽、ホシゴイ1羽を確認しました。常に10羽以上Img_8623c_20200226164601 がここに集まっているのは確実と思われます。鎮国守国神社の社務所裏には、このところゴイサギたちはほとんどいません。先頃の観察では、社務所裏のゴイサギもここ、中橋のコロニーに来ていると考えられます。

Img_3998c_20200226164501  九華公園のカモ、今日は、46羽。ハシビロガモのオス5羽、メス1羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロハジロ。このところほぼ同じメンバーで、ヒドリガモは来なくなりました。ユリカモメは、ゼロ。

Img_4002c  公園内を歩き回っても、スズメ、ドバト、カラス(すでに巣作りを始めており、去年、雛に関わってカラスの攻撃を受けた管理人さんは、ビビっておられます)、キジバト、カワラヒワくらい。写真を撮れたのは、ツグミ1羽。奥平屋敷跡にて。野球場でも見ましたが、かなり遠い。外周遊歩道ではジョウビタキのオスがいましたが、逆光で黒い写真(苦笑)。

Img_8646c_20200226164601  公園の堀では、ミドリガメの姿が散見されます。管理事務所近くのスロープが壊れてなくなってしまいましたので、甲羅干しをするところが少なくなり、大変そうです。

Img_4028c  貝塚公園は、今日は何種類かの鳥が見られました。こういうことがありますから、散歩コースから外せません。公園の北門を入ってすぐ、モズの鳴き声が響いていました。モズがいたのは、公園の西側エリアの高い木の上。他にもカワラヒワ、シジュウカラがいました。

Img_8692c  また、今日は、貝塚公園でウメジロウ。貝塚公園には白梅の木が何本かあります。4羽ほどImg_8783c_20200226164601 のメジロがやって来て、チョコチョコ動きながら、蜜を吸っていました。近くに寄っても平気で蜜を吸っています。例によって「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で撮ったのですが、なかなか難しい(苦笑)。

Img_4030c_20200226164501  寺町商店街の河津桜、今年は、場所によってor木によって咲き具合が違い、満開の木もあり、7分咲きくらImg_8848c_20200226164601 いの木もありです。左の写真は、もっとも南の端のところ。今年は、こちらがもっとも早くから咲いていました(例年は、北側の寺町交差点に近い方が早いのですが)。

Img_8815c  河津桜にメジロが見られないかと思ったのですが、これもなかなか難しい。左の写真のようImg_4037c_20200226164501 に、「河津桜にダブルメジロ」が撮れたものの、ピントが甘い(苦笑)。引き続き精進します。ヒヨドリもけっこうやって来ています。嘴の周りが黄色くなっていますが、これは花粉。メジロも、よく見ると、嘴の周りが黄色くなっているのですが、今日の写真ではわかりにくいかも知れません。

Img_8842c_20200226170701  ところで、寺町で河津桜とメジロを撮っていたら、見知らぬ女性から声をかけられました。先方の連れの方が、「なに~、知り合い?」といっておられたのですが、伺ったら、近鉄ハイキングで何度もご一緒したということでした(苦笑)。私の方は、失礼ながら全く記憶なし。私がよほど目立っていたのか、あまりにもいい男で気になったのか(爆)? 「この間は中止になって残念でしたね」などと話し、また、ハイキングで出会ったら声を掛け合うことにしました。思わぬところで、知人というか、あるものです。

Img_4015c  オマケは、豊後梅。鎮国守国神社の境内にあります(鎮国稲荷の一の鳥居の南)。数年前、神社の大奥様が「豊後梅だ」と教えてくださったもの。それ以来、気にして見ています。

Jrwalking Kintetsuhiking 【付記(2/26)】 先ほど(20時過ぎ)確認したら、近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも3月中旬まで中止という告知が出ていました。「ガーン」であります。昨今の新型コロナウィルスをめぐる状況からはやむを得ない判断とは思いますが、残念。2月29日のJRさわやかウォーキングは、関から亀山のコース。関宿は昔の町並みが残っていますので、一度行ってみかったのです。3月7日の近鉄ハイキングは、養老の玉泉堂酒造を訪ね、「美濃菊」を飲めるという企画でした。どちらも、楽しみにしていたのですがねぇ。

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2020年2月 6日 (木)

20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(補遺編)……比佐豆知神社と四天王寺

20200201jrwalkingtsu  2月2日に行ってきたJRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」の「補遺編」です。この日のコースは、過去に訪れたところがほとんどでした。初めて行ったのは、比佐豆知(ひさずち)神社のみ。そこで、今回は、比佐豆知神社で見たものと、四天王寺で前回見忘れたところを中心に「補遺編」として書くことにしました。

20200202jrwalkingtsu1 20200202jrwalkingtsu2  比佐豆知神社は津市鳥居町、津駅からは徒歩で15分足らず、四天王寺は津市栄町1丁目にあり、津駅から徒歩10分。いずれも津駅に近いところにあります。左は、実測ルートマップその1、右はその2です。その1のマップの下(南)にその2が続きます。

Img_0471c  まずは、比佐豆知神社。予告編と重複するところもありますが、ご了承ください。社宝の高麗狛犬に記されてある年号によると、およそ1,300年前から現在の地に祀られているといいます(これは、社頭にあった由緒書きによっていますが、「高麗狛犬」という表現は意味不明。「こまいぬ」は、「狛犬」と書くのが多いのですが、「高麗犬」と書くこともあります)。延喜式内社。藤堂家からは、代々御供米等が寄附され、毎年の大祭には、藩主を始め領内の人民多数の篤い崇敬があったそうです。

Img_0488c_20200202175401  主祭神は、火之迦具土神(火の神)。相殿神は、伊邪那美命天照大御神建御名方神品陀和気命菅原道真宇迦之御魂命大山祇命建速須佐之男命天之菩卑能命(アマノホヒノミコト;天照大神の子)、天津日子根命活津日子根命天之忍穂耳命多紀理毘売命多岐都比売命市寸島比売命。実にたくさんの神様がいらっしゃいます。明治の神社合祀令によってたくさんの神社がここに合祀されたためかも知れません。三重県下では、このとき県内の神社全体の9割が廃されたといいます。ずいぶん乱暴なことをしたものだという気がします。

Img_0484c Img_0483c_20200202190901  比佐豆知神社にはいろいろ興味深いものがありました。まずは狛犬。由緒書きにあった「高麗狛犬」はこれを指すのだろうと思います。なかなか珍しい狛犬。狛犬ファンの間では、その髪型から「クレオパトラ狛犬」といわれるようです。こちらのサイトによれば、神殿狛犬のレプリカのようです。本物はかなり古いもので、本殿の奥に保存されているそうです。

Img_0490c_20200205063701  拝殿には、祀られている神様の一覧が、それぞれどのような神様でいらっしゃるかの説明と共に掲げられていました。そこには、境内社の説明もありましたし、また、Img_0492c その下には御由緒もあり、これは神社好きにはありがたい。

Img_0496c_20200205080401 Img_0498c_20200205080401  拝殿内にはこちらの書も掲げられていました。「稲荷山下……」は読めましたが、あとは気力が続かず(苦笑)。しかし、大丈夫。傍らにきちんと説明がありました。これは、あの斎藤拙堂に関わるものでした。斎藤拙堂(寛政9(1797)~慶応元(1865)年)は、江戸時代後期の儒者。文政3(1820)年、津藩校有造館の学職となり、郡奉行などを経て、弘化元(1844)年、藩校督学になっています。歴史・文章に秀でた人。

 ちなみに、文章は「稲荷山下新居を卜(ぼく)す/新主は吾たり旧主は狐/吾れ豈(あ)に墩(とん)を争わんや王介甫と/半山(はんざん)は汝に属し 半山は吾れたり」。その意味は、「稲荷山の麓に新しい家を建てた。新しい主人は私だが、旧主人は狐さんだ。私はこの小高い丘のことで争った王介甫とおなじようなことはしませんよ。半分は狐さんのものであり、半分は私のものだから」。

Img_0511c  斎藤拙堂がここに住んだことについて、境内にもそれに関わるものがあります。この写真は、「拙堂先生山荘遺址」という石碑。「江戸末期津藩儒拙堂 斎藤正謙 晩年別墅茶麿山荘を神社西隣に設く 其の学識詩文一世を風靡し四方の人士来訪する者殆ど虚日無しと云ふ/平成廿八年八月/玄孫斎藤正和識并書」とあります。

Img_0526c Img_0513c  また、上記の詩文にも「稲荷山」とありますが、そのお稲荷さんもここにあります。傍らに立つ説明板には、「茶麿山上・弧王の祠」というタイトルで、「江戸後期の儒学者・斎藤拙堂(1797~1865)が晩年を過ごした茶麿山荘での詩の中に詠われている稲荷社がここに有ります」と書かれ、上掲の詩文がその続きとともに載っています。斎藤拙堂は、慶応元(1865)年に69才で没しましたが、このあと訪ねた四天王寺に葬られています(2019年9月10日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ)。また、この日先に行ってきた津偕楽公園には、「拙堂斎藤先生碑」があります(20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)拙堂の詳しい業績、門人については、ここに説明がありますが、門人にも優秀な人物が多かったようです。

Img_0504c  その他の境内社。まずは「祖先の社(みおやのやしろ)」。これは、氏子崇敬者の神徒や、比佐豆知神社にとくに信仰の篤いImg_0524c 方の御霊を祀ってあります。毎月24日の命日祭の他、春分の日、秋分の日に慰霊祭が執り行われるとありました。右の写真は、山の神。8柱が集められていました。

Img_0526c  こちらは、「白龍大明神」。商売繁盛、子育て、子授け、縁結びの神だそうです。松下幸之助が松下電器の守護神として祀っていたという話があります。龍神様ですから、水の神様かと思ったのですが、龍神様にもいろいろといらっしゃるようです(こちら)。

Img_0476c  そして、ここ比佐豆知神社の隣には、三重県神社庁がありました。役所のような名前ですが、役所ではありません。三重県内の神社を統括する団体。三重県には、神社庁傘下の神社は815社あるそうです。

Img_0662c Img_0671c_20200202195101  続いて、四天王寺。ここは、9月7日の近鉄ハイキングお伊勢さん参りハイキングで訪ねました(2019年9月 7日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(予告編))。このときにほとんど見て回ったと思ったのですが、しっかり見ていないところもありました。

Img_0679c_20200206072601  まずは鐘楼。前回は、裏から見ただけできちんと写真を撮らなかったのです。昭和20(1945)年の戦災で焼け残ったのが、Img_0682c この鐘楼の他に総門、中雀門です。鐘楼に向かって右手前には石碑があり、「史跡 地蔵堂跡/平景清鎧掛松/定行書」とありました。碑の裏には何も説明がありません。ネット検索では十分な情報が得られませんでしたが、「平景清鎧掛松」については、「津市案内記」(津市役所発行)と「津市郷土読本」(津市教育会)には、「四天王寺の七不思議として、『血天井・景清鎧掛松・亀の甲の三尊像・蛇の鱗・薬師堂の瓦・風呂神・生佛』がある」とされているようです(こちら)。景清は、平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平景清と呼ばれますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいいます。「悪七兵衛」(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛であったそうです。平景清については、あちこちに伝説が残り(こちらを参照)、桑名市志知にも「景清屋敷跡」があります。

Img_0673  山門に向かって右手には、お堂が2つありました。左の写真は山門すぐ脇にある地蔵堂。こちらのサイトによれば、これは「目洗地Img_8354c_20200206115301 蔵」というとありますが、前回来たときに撮影してきた、本堂前の境内図では、目洗地蔵は本堂に向かって左手にあるとされており、この場所には「四天王稲荷」が描かれています。ただし、この境内図もいつ描かれたものかは不明です。

Img_0676  もう一つのお堂。中をきちんと確認してこなかったのですが、写真を拡大してみる限り、地蔵堂のように思えます。けっこう大きなお寺で、いろいろ見るところもありましたので、きちんとすべてを確認するにはゆっくりと回ってくる必要がありました。やはり下調べは重要なのですが、ネット検索や、一般的なガイドブック、案内書(三重県内については、「三重県の歴史散歩(山川出版)」などを参考にします)では、細かいことまでは分かりません。地元の自治体、教育委員会などが発行する資料を見れば良いのですが、そこまで徹底するのは大変。今は、あちこちで「案内人」の方がいて、説明してくださいますので、そういう方に伺うのがよいかも知れません。

 ということで、調べが十分行き渡りませんでしたが、2月2日のJRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」の補遺編を終えます。

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2020年2月 5日 (水)

20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その2)……加納宿本陣跡・和宮歌碑、玉性院、加納天満宮、繊維問屋街を経て丸窓電車を見て「完」

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 2月1日のJRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」の本編、その2です。その1では、加納城跡を見てから、国道157号線に出ました。その途中、「屋敷神」と思われる、小さな祠がありました。実測ルートマップはその3。加納宿本陣跡・和宮歌碑に立ち寄り、玉性院、加納天満宮にお参りして、再び中山道をしばらく行きますが、その途中には目的地はありません。JR岐阜駅の西あたりで右折し、中山道から離れ、JR東海道線の高架をくぐって駅の北側へ。

Img_0265c_20200201173101  加納城跡の次に指定された目的地は、玉性院でしたが、予習の結果、この手前に加納宿本陣跡・和宮歌碑があることが分かって いましたので、寄り道。民家の玄関先にひっそりと立っています。石碑正面には、「中山道加納宿本陣跡」とあります。慶長6(1601)年に徳川家康の命により岐阜城が廃城となり、代わりに加納城が築城され、宿場は城下町としての役割も兼ね発展しました。しかし、豊臣家が滅ぼされてからは、西国に向けた守りという意義は低下し、宿場町として栄えたといいます。

Img_0266c Img_0268c_20200204165701  石碑の左面には「皇女和宮御仮泊所跡」とあります。ここに加納宿の本陣があり、皇女和宮も宿泊されたということです。和宮(弘化3(1846)~明治10(1877)年)は、仁孝天皇第8皇女、孝明天皇の妹。嘉永4 (1851) 年、有栖川宮熾仁親王と婚約したのですが、ペリー来航、日米修好通商条約の調印、安政の大獄、桜田門外の変と尊王攘夷運動が激しくなる中、公武合体論が台頭し、第14代将軍家茂に降嫁することとなり、文久元 (1861) 年10月20日、京都桂御所を出発。江戸に向けて中山道を下る途中、10月26日に加納本陣の松波藤右衛門宅(この地)に宿泊されたのです。奥にある歌碑には、そのとき読まれた歌が、和宮の直筆で刻まれています。「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」とあり、和宮の心情が偲ばれます。歌碑は、平成14(2002)年6月、中山道加納宿文化保存会が建立。

Img_0274c  この先には、脇本陣跡、問屋場跡もあったのですが、それらはパスして、コースマップに指定されたルートに戻りました。本Img_0282c 陣跡・和宮歌碑があった通りの1本先で左折し、東光山玉性院(とうこうざんぎょくしょういん)へ。ここで約3㎞、10時25分。かなり速いペース。。玉性院は、真言宗醍醐派の寺。慶長年間(1604~14年)創建と伝わる寺院。毎年節分に「節分つり込み祭り」が開催され、多くの人でにぎわうそうです。ご本尊は、不動明王庚申青面金剛秋葉三尺坊大権現弘法大師聖天

Img_0278c_20200204171501  「節分つり込み祭」は、赤鬼にふんした厄男を神輿に、おかめにふんした厄女を御所車に乗せ町内を練り歩いた後、本堂に担ぎ込み、おはらいをして無病息災を祈る行事。クライマックスは赤鬼が担ぎ手の中に飛び込み、もみくちゃにされながら本堂につり込まれるのだそうです。街中にも大きな鬼があちこちに出現するのも節分の時期の岐阜の名物になっているといいます。その1に載せた、清水緑地での写真の1枚にも、大きな赤鬼が写っていました。

Img_0353c_20200201182501  玉性院の隣が加納天満宮。文安2(1445)年、斎藤利永が加納の東南に沓井城(旧加納城)を築き、その守Img_0304c 護神として天満宮を勧請しました。記録によれば創始はさらに古く、それより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀されていたといいます。その後、城主・斎藤道三稲葉山城に移り沓井城は廃城となったのですが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されました。慶長5(1600)年の関ケ原戦後、徳川家康は、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築し、その際に天満宮が城廓内に入ったため、新しい加納城鎮護の神として、慶長6(1601)年、これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座しました。これが加納天満宮の起源です。加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住人たちの信仰は厚く、現代にまで受けつがれています。御祭神は、菅原道真公。

Img_0317c  神社の公式サイトには、摂社・末社については詳しい説明がありませんが、拝殿の北東に福寿稲荷と津島神Img_0319c_20200204172501 社がありました。これらの他、神社のサイトにあった、摂社・末社は次の通り:

 

  • 八幡神社(祭神:応神天皇、慶長13(1608)年、奥平信昌の正室亀姫により勧請、明治42(1909)年、水野町より合祀)
  • 春日神社(祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)、沓井町より合祀)
  • 出雲神社(祭神:大国主命、天保4(1833)年、永井肥前守尚佐が加納城に勧請、明治42(1909)年に合祀)
  • 神明神社(祭神:天照大御神
  • 市神神社(祭神:大市姫命(おおいちひめのみこと);市神
  • 白太夫神社(祭神:渡会晴彦(春彦?):伊勢神宮の神職。白太夫ともいい、道真の死をみとったという伝承がある)
  • 福寿稲荷神社(祭神:宇賀御魂神
  • 御鍬神社(祭神:豊受大神
  • 津島神社(祭神:素佐之男尊
  • 事代主神社(祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと))
  • 老松神社(祭神:島田忠臣:娘の宣来子(のぶきこ)が道真の妻となった)
  • 紅梅神社(祭神:五十川能福(詳細は不明))

Img_0323c_20200204172501  さらに、以前、「神社はワンダーランド」と書いたことがありますが、ここ加納天満宮にもいろいろな石碑、記念碑がありました。まずは、「明治卅七八年戦役祈念碑」。これは、日露戦争戦勝を記念したもの。碑表には、「明治卅七八年戰役 紀念碑/希典書」と、また、碑陰には「當役第三軍司令官/陸軍大将乃木希典君表書/明治四十年紀元節日建之 加納尚武會」とあります。あの乃木希典が書いたものを刻んでいるということ。

Img_0329c  その隣には、「殉国慰霊碑」。碑表には、「殉国慰霊碑/靖国神社宮司 筑波藤麿」とありImg_0331c ます。碑陰には、建立の趣旨が刻まれていました。日清戦役~大東亜戰争に至る英霊の功績を顕彰するため、昭和34(1969)年5月に加納殉國慰霊碑建設委員が建てたとあります。この慰霊碑には600余柱の戦没者が合祀されているそうです。さらにその南には、「村澤源市翁像」。村澤源市は元加納町長で、この加納天満宮の戦災復興に功績があり、有志により昭和29(1954)年10月に建立されたもの。

Img_0334c_20200204172501  さらにこれは面白いと思いましたし、最初は何の碑かよく分かりませんでした。「傘祖彰徳碑(さんそしょうとくひ)」。加納は、和傘の生産が盛んでしたが、加納に和傘を興した元祖である加納藩主松平丹波守光重頌徳の碑です。松平光重が、寛永16(1639)年、播州明石から加納城主となった時に傘職人を連れて来て傘の製造に従事させたのが始まりといいます。昭和37(1962)年11月の建立。加納傘の伝統は今も受け継がれ、近年は美術品として海外へ輸出もされています。

Img_0339c  このほか、筆塚、扇塚などもあります。筆塚は、廃筆を焼き、灰を埋めて筆霊をまつるもので、昭和60(1985)年11月建Img_0341c 立。これは天満宮であるからなのでしょう。4月に筆塚祭りが行われます。塚の前に筆を納めるところもありました。扇塚は、日本舞踊の女性らが扇を納めて舞踊の上達を祈るもので、昭和39(1964)年4月建立。加納天満宮のサイトには、花柳素和という名前がありました。詳細は不明でしたが、日本舞踊の花柳流と関連があるのでしょう。このほか、「岐阜県ボーイスカウト運動発祥の地」の石碑もありました。

Img_0359c  加納天満宮から南西に100mほど行くと、また中山道に出ます。ここからは700mほど中山道を歩いて行きます。ここにもImg_0361c_20200204193801 「屋敷神」らしき祠。謎は十分には解明し切れてはいませんが、ネット検索では限界があります。地元の文献を入手すればもう少し分かるのでしょうが、それには自ずと限界があります。

Img_0366c  加納天満宮から県道187号線を渡った西側で、秋葉神社。御祭神は、軻遇突智神。ただし、社頭には、由緒書きなどは何もなく、私もそのまま通り過ぎましたので、詳細は不明。加納宿の街中でしょうから、火難除けに勧請されたものかという気がします。このあと、中山道を加納本町9丁目まで進みます。ここで右折するのですが、この近くに「加納宿西番所跡」があるはずでしたが、しかし、見つけられず。もう少し先にあったのかも知れません。

Img_0370c  加納本町の8丁目と9丁目の境で、右折し、JR岐阜駅西のJR東海道線の高架橋を潜ります。この先はあまり見るところはないのですが、繊維問屋街を通りました。20代前半の頃、母親が「背広を買いに行こう」といって、岐阜まで来たことがありました。あの当時、この地方で繊維問屋街があり、それなりにリーズナブルな価格でスーツが買えるといえば、名古屋の長者町繊維街か、ここ岐阜の繊維問屋街だったと思います。まだ今のように「スーツ」といういい方はしていませんでした。名鉄で当時の「新岐阜駅(現在は名鉄岐阜駅)」まで来て、少しだけ歩いて「繊維問屋街」というところに行ったと思います。もう詳しいことは覚えていませんが、このあたりだったのかも知れません。今は、シャッターが閉まっているところがかなりあり、寂れてきてしまっています。このあとは、JR岐阜駅の北側の飲食店街などを通ったのですが、このあたりは、県道54号線をバスで通るくらいで、土地勘がありません。

Img_0406c_20200205045001  JR岐阜駅の北側に来ました。丸窓電車を見るのですがその前に、私としては、ここに来たら必ず見なければならないものがあります。そうです、金ピカの織田信長像です(微笑)。この金ピカ像は、岐阜市制120周年を記念し、平成21(2009)年9月26日に市民の寄附によりJR岐阜駅北口前広場に建立されました。台座までの高さは約8m、像の高さは約3mで金箔3層張りとなっており、マントを羽織り、右手に種子島(鉄砲)、左手には西洋兜を持っています。

Img_0404c_20200201193601 Img_0401c  そして、芝生広場にある丸窓電車。戸袋窓が楕円形状、いわゆる「丸窓」であったことが特徴で、「丸窓電車」の愛称で親しまれました。正面の形が半円筒型で、5枚窓となった半流線型車体でなかなかカッコイイと思います。去年12月22日に東海地区K-ABC研究会で岐阜大学に来たときにバス停から見つけました(2019年12月22日:冬至の今日は、岐阜で研修会の講師……織田信長公金ピカ像を見て、鶏ちゃん炒めランチを堪能し、肝心の研修はいかに?)。「モ513」という形式で、かつて、旧名鉄岐阜市内線(平成17(2005)年4月に全線廃止)を路面電車で走っていた車両です(名鉄資料館の「廃止から10年・岐阜の電車(平成27年 春季特別展)」も参照)。昨年(令和元(2019)年)11月16日に岐阜市金町の金公園からここに移設されました(こちらの岐阜新聞のサイトをご覧ください)。この電車は、大正15(1926)年に製造されており、楕円形の窓が特徴で、このため「丸窓電車」と呼ばれます。平成17(25005)年の廃線まで約80年活躍していました。平成31(2019)年3月に岐阜市の重要文化財に指定されています。

Img_0398c_20200201193601 Img_0396c  車内も見学できましたので、せっかくの機会ですから見てきました。左は運転席。かなり狭いのです。運転士用の座席はあるものの小さなものでした。右は車内の様子。オリジナルではロングシートでしたが、昭和42(1967)年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が開始されるに当たり転換式のクロスシートになっています。このとき他にもいくつかの改造が施されました。

Img_0408c_20200205051501  これでこの日の目的地はコンプリート。すぐ目の前にあるJR岐阜駅のゴールに向かいます。ゴール受付は駅Img_0409c のコンコースに設けられていました。ゴールに着いたのは、11時25分。歩いたのは、5.7㎞。スタートしたのが、9時35分でしたから、1時間50分歩いたのみ。「もう着いた、早かったな」というのが実感。

Img_0412c

 恒例のゴール看板&完歩記念パネルの撮影も忘れずにしてきました。JRさわやかウォーキンImg_0432c_20200201195101 グのスタンプは、4個目をゲット。前年より速いペースで、いい感じです。

Dscn2462c  11時半ですから少し早いものの、昼食を摂って帰ることにしました。昨年12月22日に岐阜Img_0418c 大学に来たときに行った「赤い鳥」(左の写真、ただし、昨年12月22日の撮影)を覗いたら、「飛騨牛コロッケランチ」がありましたので、これをチョイス(税別¥800)。

Img_0426c_20200201195101  帰りは、岐阜駅を11時53分に出る豊橋行きの新快速に乗車し、名古屋駅に12時13分着。関西線は、12時37分に快速みえがありましたので、それに乗り換え。桑名には、12時57分着。行きと同じく、名古屋駅で途中下車して、合計¥820。歩数は、15,344歩でしたが、帰宅したときに写真を撮り忘れ、この歩数には帰ってから動いた分も含まれています。

 

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2020年2月 4日 (火)

20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その1)……清水緑地、高札場跡、加納城大手門跡、加納城跡と「屋敷神」

20200201jrwalkinggifu  2月1日に行ってきたJRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」のその1です。この日、桑名では最高気温9.7℃でしたが、風は最大7.1m/sとかなり強く、風に当たると結構寒く感じる日でした。歩いた岐阜も似た感じで、手袋を填めたり、外したりしていました。加納は岐阜市内ですから、これでウォーキング/ハイキングもめでたく岐阜初進出!となりました。今回参加したのは、「城下町」というのと、「中山道」というところに興味を引かれたからです。街道には興味がありますが、中山道にとくに惹かれた次第。ちなみに、岐阜は、最近でこそ年に1~2回、東海地区K-ABC研究会で岐阜大学へ行きますが、町にはあまり馴染みはありません。20代の頃に2~3回来たくらい。畏友・M氏と同行二人。

Img_0179c  この日の受付は、JR岐阜駅で8時半から11時。桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋には8時56分に到着。東海道線に乗り変えます。9時4分発岐阜行き普通電車に乗車し、岐阜駅着が9時32分。料金は¥350+¥470で、計¥820。「プラス」としているのは、名古屋駅でいったん改札を出て、すぐにまた入場したのです。通しでで支払うと、¥920ですから、片道で¥100お得。生活の知恵(微笑)。

200201jrwalkgifu0  コースマップは冒頭に示したとおり。岐阜駅南口から清水緑地、加納城跡、玉性院、加納天満宮、芝生広場で丸窓電車を見て、岐阜駅北口にゴール。コースマップ上約6㎞とありましたが、実際に歩いたのは、5.7㎞。9時35分過ぎにスタートして、11時25分にはゴールと、2時間足らず。「家族向き」とありましたから、これくらいなのでしょうが、普段散歩している距離よりもやや短めでしたし、立ち寄るところも多くなく、ちょっともの足らない感じでした。

200201jrwalkgifu1  こちらは、詳しい実測ルートマップその1。岐阜大学に行くときは、北口にあるバスターミナルからバスに乗りますので、南口は、初めて降り立ちました。中央南口を出て最初の目的地は、駅からすぐの清水緑地。清水川沿いに歩いて、高札場跡。そこで右折して南へ。岐阜大学付属小中学校の手前に加納城大手門跡があります。マップには、加納城跡から戻ってくるルートもありますが、それはまたあとで。

Img_0187c  この日、コースマップは、改札口を出たところで配られていましたが、いつもの「スタート看板」がどこにあるか分からず、Img_0192c_20200204063401 確認しないまま過ぎてしまいました。ちょっと失敗。岐阜駅の出口から150mほどのところから清水緑地があります。ブラブラ歩きながら、季節を感じられるビオトープになっています。清水川に沿っていて、桜並木もあります。ホタルやカワニナ等が生息できる池やせせらぎもあり、ホタルも楽しめるようです。照明や、護岸のつくり方も環境に配慮されています。野鳥も観られるとありましたし、かわざかなもいろいろいるということです。駅の近くにこういう緑地があるのは羨ましい。ネットで調べたところ、カワセミもいるということが書いてありましたが、今日はハクセキレイやヒヨドリだけ。

Img_0194c  左は、清水緑地で駅の方を振り返って見た写真。本当に駅の目の前でした。途中、国道157号線の橋のところには、今日のタImg_0199c イトル「節分の巨大鬼が立ち並ぶ」にもある、巨大赤鬼です。交通安全に関わる内容が書かれたたすきを掛けていましたこれは、あとから訪ねる玉性院の節分の赤鬼。

Img_0206c  清水川の右岸、左岸を往き来しながら下っていき、スタートから800mほどで中山道に行き当たります。清水川にかかる広井橋のたもとに「高札場跡」。加納藩高札場があったところ。その昔勤めていた病院の職員旅行で馬篭宿などに行きましたので、「初中山道」ではありませんが、あの頃は「旧街道」などほとんど意識していませんでしたから、気分的には、初めてという感じ。写真奥からこちらに来る道が中山道。

Img_0204c_20200201165601  ここは加納城大手門の北で、「宿御高札場(やどごこうさつば)」と呼ばれ、加納藩の高札場の中でももっとも大きく、石積の上に高さ約3.5m、幅6.5m、横2.2mもあるものだったといいます。正徳元(1711)年に「親子兄弟の礼」が掲げられて以来、明治に至るまで使われていました。この高札場跡で右折し、加納城跡を目指し、少しだけ中山道を歩きます。

Img_0212c  高札場跡から100mほどで加納大手町の交差点に来ます。ここに加納城大手門跡という石碑が建っていました。昭和62(1987)年3月に建立されたもの。 門前は、かつては広小路と呼ばれていました。今は、民家が並んでいます。このすぐ西に大正時代に建てられた旧加納町役場があったのですが、老朽化が進み、平成28(2016)年に取り壊されています。ネットで調べていて、見たいと思ったのですが、すでに遅し。

200201jrwalkgifu2  ここから実測ルートマップは、その2。加納城大手門跡を過ぎ、岐阜大学教育学部付属小中学校や、岐阜市立加納小学校の前を通ります。道の反対側には岐阜聾学校。加納城跡に行き当たりますが、東側をグルッと回って、城跡に入っていきます。城跡を南から北に通り抜け、市街地を抜け国道157号線を北上していきます。

Img_0217c

 岐阜市立加納小学校の正門は、赤門として知られているそうです。観光案内のパンフレットには、ここは日本最古の小学校とありました。明治5(1872)年9月、旧加納藩藩校「文武館」が起源である憲章学校と、加納藩内の寺子屋を起源とする曲成義校が開設されました。憲章学校は士族、曲成義校は平民が入学したといいます。その後、 曲成義校が沓井小学校に、また、憲章学校が加納小学校にそれぞれ改称されたのち、明治28(1895)年に両小学校が合併し、新しい加納小学校となったといいます。憲章学校、曲成義校から数えると、今年で創立148年となります。正門は「赤門」と呼ばれ、岐阜の宝100選の1つになっています。ちなみに、松本氏にある旧開智学校が、日本最古の小学校として有名ですが、こちらの創立は、明治6(1873)年5月。

Img_0221c_20200204154801  スタートから1.3㎞で加納城跡(加納公園)に行き当たります。左の写真が、行き当たったところで、これは本丸北側の石垣Img_0228c でした。野面積みとなっています。加納城跡へは、南側から入るため東側を回っていきます。加納公園東にあるグラウンドの南に「ライオンにまたがった少年」の像がありました。あらかじめあれこれ調べて行きましたので、これがあるというのが分かっていたのですが、さもなければ全く気づかないところでした。これは、奥平家第17代当主奥平昌信氏が、先祖の偉業を偲ぶために昭和30(1955)年10月に寄贈したもの。彫刻の作者は、日展作家・小笠原安兵衛。昭和62(1987)年6月までは、岐阜市長良岐阜県総合運動場に設置されていましたが、同年7月、奥平氏関係地である加納城に移されました。昌信氏が、生前ライオンが好きで、児童に将来への夢を託すというアイディアで小笠原氏に相談を持ちかけたといいます。

Img_0230c  ライオン像の隣には、「加納領牓示石(ぼうじいし)」がありました。「牓示(ぼうじ・ほうじ)」とは領地の境を示した木の杭や石柱のこと。この石柱は、江戸時代に加納藩の領地を示すために建てられたものです。石柱には「従是東、道半分南加納領」と刻まれていますので、加納藩領地の北西部に立っていたと考えられます。関市(旧武儀郡洞戸村)の船戸家に移されていたものが寄贈されました。

Img_0238c  さて、いよいよ加納城跡へ。南の入り口で1.8㎞、時刻は10時5分頃。国指定史跡。慶長5(1600)年、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、西に備えるための要衝とImg_0244c して、本多忠勝に城を築かせたのが加納城の起源とされます。しかし、それ以前に、この地に上加納城があったという説もあります。城郭は、本丸・二の丸・三の丸・厩曲輪・南曲輪を備え、岐阜城から天守閣を移築するなどして、櫓・城門・居館等を整えたそうです。当時の城としてはかなりの規模の平城で、慶長6(1601)年、奥平信昌が10万石の城主として、この地に封じられました。その後、城主はたびたび交代しましたが、宝暦6(1756)年に永井直陳が入封し、永井氏6代で幕末に至っています。北側の清水川を利用して堀が築かれ、その周囲には侍屋敷が設けられていた。現在は、本丸跡を中心に、加納公園となっています。ここを訪ねたときは、本丸跡の広場でグラウンド・ゴルフが行われていました。ちなみに、奥平信昌の妻は家康の娘・亀姫です。

Img_0260c  このあとは、住宅地を通り抜けて、国道157号線に出て北に向かいます。住宅地や、国道沿いで珍しいものを見つけました。Img_0262c_20200201172601 家の前や角に小さなお社が祀られているのが目立ちました。気づいただけで、合計3個所。「屋敷神」といってよいのかな、と思います。屋敷神は屋敷およびその土地を守護する神で、屋敷の裏や敷地に付属した土地もしくはやや離れた山林などに祀られます。家との関わりが深い神であるが、神棚ように屋内には祀られません。屋敷神を祀る信仰は、浄土真宗の地域を除いて全国に分布しているといいますが、岐阜のこのあたりでもそうなのかは不明。屋敷神の起源について、明確なことは分かっていないようですが、農耕神・祖先神と同一の起源を持つ神だといわれています。

 名古屋でも、昔の面影が残る町には、民家の屋根に設けられた小さな祠(ほこら)があり、これは「屋根神」あるいは「屋根神様」などと呼ばれます。「軒の神様」、単に「神様」などと呼ばれることもあり、場合によっては軒下や台の上などで祀られているものもあります。まつられる。屋根神は明治初期から始まり、昭和初期に広まったと考えられています。津島神社、熱田神宮、秋葉神社の三社が祀ってあることが多く、屋根神は住居が密集した下町で祀られています。秋葉神社は火難除けで、また、津島神社は疫病を防ぐ天王信仰で有名ですから、火難や疫病除けの信仰に熱田神宮の信仰も加わった神様として屋根神様は祀られたと考えられています。となると、岐阜の加納で見つけた「屋敷神」とは性質は異なるとおもいます。

 ここで区切りが良いので、その1はここまで。その2は、加納宿本陣跡・和宮歌碑から。

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2020年2月 2日 (日)

20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(予告編)

20200201jrwalkingtsu  予定通り、連日のJRさわやかウォーキングへ行ってきました(微笑)。今日は、「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津200202jrwalk の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」であります。昨日の記事の最後に、冗談のように「チラシに『ツゥ、ツゥ、ツゥの日にツゥの真ん中ウォーク』とカナが振ってありますと書きましたが、本当なのです。右の拡大した画像でご確認ください(ちなみに、三重県北中部の人たちは、「津」を「つぅ」と発音するのです)。コースは、津駅東口をスタートし、津偕楽公園、比佐豆知(ひさずち)神社、お城公園(津城跡)、高山(こうざん)神社、観音橋、大門商店街、津観音寺、四天王寺を経て津駅に戻るという、マップ上約7.2㎞でした。今日は、「津のまん中ウォーク」イベントと共催で、スタンプラリーも行われました。ただ、スタンプラリーは高山神社、岡本総本店(家具店)、松菱百貨店、津センターパレスと津観音寺にスタンプがあるのですが、粗品と引き替えるには、松菱百貨店前まで戻らねばならず、1㎞以上余分に歩けました(苦笑)。歩きに行ったのですから、文句をいっては罰が当たります。

Img_0448c  受付・スタートは、JR紀勢線・津駅東口。JRさわやかウォーキングなのですが、今日は近鉄で往復(微笑)。JRで行くなら、Img_0444c 快速みえを利用すると40分弱なのですが、運賃が何と¥940。座席指定をとるとさらに¥530。JRの普通電車で行くとなると、関西線・亀山駅経由になり、乗り換えも含めると、1時間45分ほどかかります(亀山駅での待ち時間が40分以上!)。しかも、¥990。近鉄の急行であれば、40分、¥700。これはもう近鉄で行くしかありません(爆)。という次第で、桑名駅を8時42分に発車する松阪行き急行に乗車。津には、9時25分に到着。電車は空いていて楽チン。

20200202jrwalkingtsu  こちらが、今日、実際に歩いたルートマップ。「津のまん中ウォーク」というだけあって、津駅を出て南のエリアを一回りします。津市内の観光スポットを一通り回った感じです。津偕楽公園からお城公園の辺りは、まさに中心街。官公庁や、銀行、NHKなどが集まっているところです。9時35分にスタートして、津駅に戻ってきたのは、12時40分頃。途中、一度コースミスをしでかしそうになったり、スタンプラリーの商品引き替えに1㎞以上余分に歩いたりで、結局、9.7㎞を歩きました。津市の今日歩いたあたりは、去年4月28日の近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」、同じく5月19日の近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」、9月7日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」と3回、さらに、一昨年4月23日に「勝手に近鉄ハイキング」と称して行ったときにも歩いています(またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編))。今日も、昨日同様、畏友・M氏と二人旅。2日続けていいおっさんが一緒に行動するのは、気持ち悪いという話もありますが、旅は道連れ世は情け(?)。初めて訪ねたのは、比佐豆知神社のみでした。過去に行ったところは、適宜省略して書いて行きます。

Img_0457c  最初の目的地は、津偕楽公園。昔は「御山荘(ごさんそう)」、または「御山荘山」といい、津藩第11代藩主・藤堂高猷(とうどうたかゆき)公が、安政年間(1854~60)に別荘を設けたのが始まり。それ以前は、津藩主の鷹狩り場でした。偕楽Img_0459c_20200202174401 園の名は高猷公の俳号からきています。明治23(1890)年に津市の公園となり、約5.5haの園内は、自然の丘陵や谷の趣が生かされ、春には桜や紫つつじ、秋には紅葉などが楽しめるところです。春は、花見の名所。ここで指定されたコースは、SL広場のみ。D51の499号が静態保存されています。昭和16(1941)年2月に兵庫県で誕生し、三重県内の関西線、紀勢線、参宮線を走り続け、昭和48(1973)年9月に引退しています。その間走った距離は、205万㎞にも及ぶそうです。SLの前に展示されているのは、本物のナンバープレート。

Img_0466c_20200202174901  津偕楽公園では、このほかには、去年5月19日の近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」の時に見落とした「龍燈籠」だけを見てきました。龍燈籠は、龍の形をした燈籠で、頭上に火袋と獣口のついた笠石をのせ、身をよじっています。藤堂高虎公が朝鮮から持ち帰ったとも、二代藩主・高次公が江戸でつくらせたものを移したともいわれるそうです。これで津偕楽公園にある記念碑、常夜燈の類いは、コンプリート。

Img_0471c  偕楽公園を出て、県道118号線を南東へ。三重県庁の西を通り、鳥居町で左折。比佐豆知(ひさずち)神社に向かいます。社宝の高麗狛犬に記されてある年号によると、およそ1,300年前から現在の地に祀られているといいます(これは、社頭にあった由緒書きによっていますが、「高麗狛犬」という表現は意味不明。「こまいぬ」は、「狛犬」と書くのが多いのですが、「高麗犬」と書くこともあります)。延喜式内社。藤堂家からは、代々御供米等が寄附され、毎年の大祭には、藩主を始め領内の人民多数の篤い崇敬があったそうです。

Img_0488c_20200202175401  主祭神は、火之迦具土神(火の神)。相殿神は、伊邪那美命天照大御神建御名方神品陀和気命菅原道真宇迦之御魂命大山祇命建速須佐之男命天之菩卑能命(アマノホヒノミコト;天照大神の子)、天津日子根命活津日子根命天之忍穂耳命多紀理毘売命多岐都比売命市寸島比売命。実にたくさんの神様がいらっしゃいます。明治の神社合祀令によってたくさんの神社がここに合祀されたためかも知れません。三重県下では、このとき県内の神社全体の9割が廃されたといいます。

Img_0484c  比佐豆知神社にはこのほかいろいろ興味深いものがありましたが、取り敢えずは狛犬。由緒書きにあった「高麗Img_0483c_20200202190901 狛犬」はこれを指すのだろうと思います。なかなか珍しい狛犬。狛犬ファンの間では、髪型から「クレオパトラ狛」といわれるようです。こちらのサイトによれば、神殿狛犬のレプリカのようです。本物はかなり古いもので、本殿の奥に保存されているそうです。

Img_0538c_20200202191301  比佐豆知神社を出て、JR紀勢線・近鉄名古屋線の線路を越え、安濃川を渡ります。渡った橋が「御山荘橋Img_0539c_20200202191301 (ごさんそうばし)」。津偕楽公園の古い呼び名に因んだもののようです。御山荘橋を渡ったところに「榎之下公園」がありました。珍しい名前だと思ったら、昔、安濃川の堤防に榎の大樹が茂っていたことによるのだそうです。

Img_0567c_20200202191701  お城公園。津城跡です。スタートから3㎞を過ぎています。10時30分頃到着。堀端で「安濃津ガイド会」のImg_0579c 女性が、名調子で津城の歴史を語ってくれましたので、思わず引き込まれ10分あまり拝聴(微笑)。講談師のようで、まさに見てきたようなお話(真面目に誉めています)。津城は、もともと織田信長の弟・信包(のぶかね)によって築城されました。天正8(1580)年には五層の天守閣も完成していたのですが、関ヶ原の戦いのとき、西軍の攻撃を受け、戦火に遭い城内の建造物の大半を焼失。その後、慶長13(1608)年、藤堂高虎公が伊予今治から移り、城を大改修するとともに、城下町を整備しました。現在は、丑寅櫓が再建されています(左の写真)。

Img_0583c  お城公園の隣にあるのが、高山(こうざん)神社。藩祖・藤堂高虎公を御祭神とします。高虎公の諡である「高山居士」に由来します。もともとは、本丸跡にあったそうです。従来、津藩主藤堂家において藩祖藤堂高虎公の霊を津城内に奉斎していたものを、明治維新の後、神社創建の議が起り、明治10(1877)年8月、現在の津偕楽公園内に神祠を建立。明治34(1901)年12月、現在地に仮遷座。正式にここに移られたのは、明治36(1903)年4月。

Img_0586c  ここ高山神社でスタンプラリーの最初のスタンプ。ここを含め、5個所のポイントでスタンプを順番に押していくと、「絵はがき」ができあがるという趣向。

Img_0595c_20200202193101  高山神社から西隣にある津市役所、リージョンプラザ・お城ホールの前を通って、津新町通り商店街へ。岡Img_0598c 本総本店の前で2個目のスタンプを押して、岩田川を昭和橋で渡ります。この先には三重刑務所がありますが、橋を渡って左折。岩田川の右岸を歩いて、岩田橋の南をまっすぐ進み(左の写真)、観音橋へ。観音橋を渡って(右の写真)、松菱百貨店前へ。ここでスタンプ3個目。休憩所ということでお茶をいただき、アンケートに回答。

Img_0608c_20200202193301  三重会館前交差点に立つ津リージョンプラザで3個目のスタンプ(写真正面の建物)。リージョンプラザ前では、来年行われる三重とこわか国体・とこわか大会のPRをしていました。実はこのスタッフの方に、3個目のスタンプがどこで押せるかを聞いたのですが、そのImg_0611c_20200202193301 ときに「本日限定のバッチ」ということで、缶バッチを1ついただきました。こういう限定品、しかも、今日の「20200202」という日付が入っているのは貴重。

Img_0614c_20200202193301  大門商店街(左の写真)。かつてあったアーケードが撤去されて、イメージ一新。明るくなっています。閉店している店Img_0621c もかなりありますから、これくらい明るい方がイメージがよいと思います。大門商店街の北の端には、津観音寺が見えています。正式には、恵日山観音寺大宝院、真言宗醍醐派のお寺。ご本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされます。これまでに2回来ています(右の写真)。

Img_0630c  ここが5つめのスタンプをいただけるところ。どこで押せるかよく分からなかったのですが、本堂にありましImg_0643c_20200202193401 た。御朱印をいただく方の列の向こうにあり、よく見えなかったのです。最近は、こういうウォーキング/ハイキングでも、御朱印をもらう方が多数います。右の写真のようにスタンプラリーはコンプリート。しかし、ここでなく、松菱百貨店の前まで戻らないと、粗品に引き替えてもらえません(苦笑)。

Img_0648c_20200202194401  そこでやむなく、往復1㎞以上を余分に歩いて行ってきました。いただけたのは、左の写真の通り、ポケットティッシュ1袋と、缶バッチ、飴1個でした。粗品といえばそうなのですが、こういうものがいただけるのはありがたい。と思うのは、年をとった証拠かと、Mさんと二人で大笑い。

Img_0651c_20200202194401 Hachimituman  ウォーキングコースは、大門商店街から平治煎餅本店の方を通って国道23号線に出るようになっていましたが、松菱百貨店前から直進。津センターパレス隣の都シティ津というホテルの北で、蜂蜜まん本舗に立ち寄りました。ここの名物「蜂蜜まんじゅう」を買うため。蜂蜜まん本舗は、養蜂業の傍ら昭和28(1953)年に創業しました。蜂蜜まんの人気が高まるとともに、昭和40(1965)年ごろには養蜂業をやめ、蜂蜜まんの製造・販売1本に絞りました。以来、津を代表する菓子として愛されています。我が家でも皆の好物。ということで、10個入りを土産に購入。今日は、JRさわやかウォーキングのコースマップを呈示すると、通常¥600のところ、¥500にしてもらえました。これは絶品。近くにいらしたら、試してみてください。

Img_0662c Img_0671c_20200202195101  最後の目的地は、四天王寺。安濃川を塔世橋で渡ります。ここには、去年9月7日の近鉄ハイキングできています。「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」がそれ。正式には、塔世山四天王寺。曹洞宗の中本山。津市で最も古い寺。推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられています。正確な創建の年代は定かではありませんが、平安初期と考えられています。

Img_0687c_20200202195501  さてこれですべて回りましたので、あとは津駅にゴールするのみ。国道23号線に戻り、北上。「津駅入り口」交差点を左折Img_0690c_20200202195501 すると、津駅の駅ビルが見えてきます。12時40分にゴール。ゴール受付で、スタンプカードに押印してもらいます。スタンプは5個目。去年11月末から会員資格を更新していますが、今までにはないハイペース。今日は、先着1,500名に「新春キャンペーン」の一環として企画された「絵馬型駅名バッチ」がもらえました。しかし、今日は、ゴール受付の写真を撮るのを忘れるという失態を犯してしまいました。

Img_0696c  時間が時間ですから、食事をして帰ろうということになり、津駅ビルのChumへ。2階にレストラン街があります。JRさわやかウォーキング/津まん中ウォークの参加者でどの店も賑わっています。結局、去年9月1日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」の時にも昼食を摂った「美濃味匠」へ(20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(予告編))。今日は、「きまぐれ総菜弁当(¥648)」をチョイス。イートインしてきました。味噌汁がサービスでつくのがありがたい。

Img_0702c  昼食を摂って、近鉄のホームへ。13時18分の急行名古屋行きに乗車。桑名には14時3分着。¥700。左の写真は、今日のALKOOのデータ。歩数は、20,464歩。歩いたのは、JRさわやかウォーキングで9.7㎞、自宅~桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計11.5㎞。

 今回は予告編としましたが、すでに訪ねたところが多いので、本編とするか、「補遺編」とするか思案中。

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2020年2月 1日 (土)

20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(予告編)

20200201jrwalkinggifu  桑名では最高気温9.7℃でしたが、風は最大7.1m/sとかなり強く、風に当たると結構寒く感じる日でした。予定通り、JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」に参加してきました。加納は、岐阜市内ですから、ウォーキング/ハイキングもめでたく岐阜初進出!となります。

Img_0179c  今日の受付は、JR岐阜駅で8時半から11時。桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋には8時56分に到着。東海道線に乗り変えます。9時4分発岐阜行き普通電車に乗車し、岐阜駅着が9時32分。料金は¥350+¥470で、計¥820。名古屋駅でいったん改札を出て、すぐにまた入場したのです。通しでで支払うと、¥920。生活の知恵(微笑)。畏友・M氏と同行二人。

200201jrwalkgifu0  コースマップは冒頭に示したとおり。岐阜駅南口から清水緑地、加納城跡、玉性院、加納天満宮、芝生広場で丸窓電車を見て、岐阜駅北口にゴール。コースマップ上約6㎞とありましたが、実際に歩いたのは、5.7㎞。9時35分過ぎにスタートして、11時25分にはゴールと、2時間足らず。「家族向き」とありましたから、これくらいなのでしょうが、ちょっともの足らない感じでした。今日のところは、予告編。

Img_0187c  清水緑地。JR岐阜駅南口からすぐのところにあります。ブラブラ歩きながら、季節を感じられるビオトープになっています。清Img_0199c 水川に沿っていて、桜並木もあります。ホタルやカワニナ等が生息できる池やせせらぎもあり、ホタルも楽しめるようです。証明や、護岸のつくり方も環境に配慮されています。野鳥も観られるとありましたが、今日はハクセキレイやヒヨドリだけ。途中、国道157号線の橋のところには、今日のタイトルにもあるよう巨大赤鬼がいました。これは、あとから訪ねる玉性院の節分の赤鬼。

Img_0204c_20200201165601 Img_0206c  清水緑地から清水川沿いを650mほど歩いたところで中山道に行き当たります。中山道に出たところに高札場跡があります。加納藩高札場があったところ。ここは加納城大手門の北で、宿御高札場(やどごこうさつば)と呼ばれ、加納藩の高札場の中でももっとも大きく、石積の上に高さ約3.5m、幅6.5m、横2.2mもあるものだったといいます。高札場跡で右折し、加納城跡を目指し、少しだけ中山道を歩きます。

Img_0212c  高札場跡から100mほどで加納大手町の交差点に来ます。ここに加納城大手門跡という石碑が建っていました。昭和62(1987)年3月に建立されたもの。 門前は、かつては広小路と呼ばれていました。今は、民家が並んでいます。このすぐ西に大正時代に建てられた旧加納町役場があったのですが、老朽化が進み、平成28(2016)年に取り壊されています。

Img_0217c  岐阜大学教育学部付属小中学校の前を過ぎると、岐阜市立加納小学校があります。観光案内のパンフレットには、日本最古の小学校とありました。明治5(1872)年9月、旧加納藩藩校「文武館」が起源である憲章学校と、加納藩内の寺子屋を起源とする曲成義校が開設されました。憲章学校は士族、曲成義校は平民が入学したといいます。その後、 曲成義校が沓井小学校に、また、憲章学校が加納小学校にそれぞれ改称されたのち、明治28(1895)年に両小学校が合併し、新しい加納小学校となったといいます。憲章学校、曲成義校から数えると、今年で創立148年となります。正門は「赤門」と呼ばれ、岐阜の宝100選の1つになっています。ちなみに、松本氏にある旧開智学校が、日本最古の小学校として有名ですが、こちらの創立は、明治6(1873)年5月。

Img_0221c_20200201171801  加納小学校のすぐ南に加納城跡があります。国指定史跡。慶長5(1600)年、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、西に備えImg_0244c るための要衝として、本多忠勝に城を築かせたのが加納城の起源とされます。しかし、それ以前に、この地に上加納城があったという説もあります。城郭は、本丸・二の丸・三の丸・厩曲輪・南曲輪を備え、岐阜城から天守閣を移築するなどして、櫓・城門・居館等を整えたそうです。当時の城としてはかなりの規模の平城で、慶長6(1601)年、奥平信昌が10万石の城主として、この地に封じられました。その後、城主はたびたび交代したが、宝暦6(1756)年に永井直陳が入封し、永井氏6代で幕末に至っています。北側の清水川を利用して堀が築かれ、その周囲には侍屋敷が設けられていた。現在は、本丸跡を中心に、加納公園となっています。ここを訪ねたときは、本丸跡の広場でグラウンド・ゴルフが行われていました。ちなみに、奥平信昌の妻は家康の娘・亀姫です。

Img_0260c  加納城跡へは、城の東側を回って南から本丸跡に入り、北に抜けています。ここから国道157号線にでたのですが、このあたImg_0262c_20200201172601 りには、家の前や角に小さなお社が祀られているのが目立ちました。気づいただけで、合計3個所。「屋敷神」といってよいのかな、と思いますが、もう少し調べた方が良さそうです。

Img_0265c_20200201173101 Img_0266c  コースマップにはありませんでしたが、加納桜道に本陣跡・和宮歌碑があるというので、立ち寄って来ました。民家の玄関先にひっそりと立っています。石碑正面には、「中山道加納宿本陣跡」と、左面には「皇女和宮御仮泊所跡」とあります。ここに加納宿の本陣があり、皇女和宮も宿泊したということです。奥にある歌碑には、和宮の直筆で「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」と刻まれています。

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 スタートから3㎞、10時25分に東光山玉性院(とうこうざんぎょくしょういん)。真言宗Img_0282c 醍醐派の寺。慶長年間(1604~14年)創建と伝わる寺院。毎年節分に「節分つり込み祭り」が開催され、多くの人でにぎわうそうです。街中にも大きな鬼があちこちに出現するのも節分の時期の岐阜の名物になっているといいます。ご本尊は、不動明王庚申青面金剛秋葉三尺坊大権現弘法大師聖天。「節分つり込み祭」は、赤鬼にふんした厄男を神輿に、おかめにふんした厄女を御所車に乗せ町内を練り歩いた後、本堂に担ぎ込み、おはらいをして無病息災を祈る行事。クライマックスは赤鬼が担ぎ手の中に飛び込み、もみくちゃにされながら本堂につり込まれます。

Img_0353c_20200201182501  玉性院のすぐ東隣に加納天満宮があります。文安2(1445)年、斎藤利永が加納の東南に沓井城(旧加納城)を築き、そのImg_0304c 守護神として天満宮を勧請しました。記録によれば創始は更に古く、それより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀されていたといいます。その後、城主・斎藤道三稲葉山城に移り沓井城は廃城となったのですが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されました。慶長5(1600)年の関ケ原戦後、徳川家康は、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築し、その際に天満宮が城廓内に入ったため、新しい加納城鎮護の神として、慶長6(1601)年、これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座しました。これが加納天満宮の起源です。加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住人たちの信仰は厚く、現代にまで受けつがれています。御祭神は、菅原道真公

Img_0359c  加納天満宮を出て1本南の通りに出ます。ここが再び中山道。街道に興味がありますので、このJRさわやかウォーキングも、「中山道」ということばに反応して(というより、反射?)参加を決めたのです。三省堂発行の「日本の街道ハンドブック」なる本も買ったくらい(苦笑)。ただし、今日は中山道は、さほどの距離は歩いていません。加納本町まで歩いて右折し、JR東海道線の高架をくぐって、駅の北側のエリアに進みます。

Img_0370c  この先はあまり見るところはないのですが、繊維問屋街を通りました。20代前半の頃、母親が「背広を買いに行こう」といって、岐阜まで来たことがありました。あの当時は、まだ今のように「スーツ」といういい方はしていませんでした。名鉄で当時の「新岐阜駅(現在は名鉄岐阜駅)」まで来て、少しだけ歩いて「繊維問屋街」というところに行ったと思います。もう詳しいことは覚えていませんが、このあたりだったのかも知れません。今は、シャッターが閉まっているところがかなりあり、寂れてきてしまっています。

Img_0404c_20200201193601 Img_0401c  JR岐阜駅前まで戻って来ました。芝生広場に丸窓電車があります。12月下旬に東海地区K-ABC研究会で岐阜大学に来たときにバス停から眺めました(2019年12月22日:冬至の今日は、岐阜で研修会の講師……織田信長公金ピカ像を見て、鶏ちゃん炒めランチを堪能し、肝心の研修はいかに?)。「モ513」という形式で、かつて、岐阜市内を路面電車で走っていた車両です。昨年(令和元(2019)年)11月16日に岐阜市金町の金公園からここに移設されました(こちらの岐阜新聞のサイトをご覧ください)。この電車は、大正15(1926)年に製造されており、楕円形の窓が特徴で、このため「丸窓電車」と呼ばれます。平成17(25005)年の廃線まで約80年活躍していました。

Img_0398c_20200201193601  車内も見学できましたので、せっかくの機会ですから見てきました。左は運転席。かなり狭いのです。右は車内の様子。転換Img_0396c 式のクロスシートになっていますから、座席はオリジナルではなさそうです。

Img_0406c_20200201194401  そして、JR岐阜駅前といえば、私的には、これを見逃せません(微笑)。織田信長公の金ピカ像。ここ数年、岐阜に行くたびにこの信長公の金ピカ像の写真を撮って、ブログに載せています。「お気に入り」というのでもないのですが、駅を降りてバス停に向かうとき、正面にあってとにかく目立つので、気になるのです(苦笑)。

Img_0409c  ゴールに着いたのは、11時25分。歩いたのは、5.7㎞。「もう着いた、早かったな」というのが実感。今日Img_0412c のゴールは駅ビルの中、コンコースにありました。今日のコースは、短くて、立ち寄り先も多くはなく、道草もほとんどできませんでした。

Img_0418c  昼食は、駅ビルのASTY岐阜にあるレストラン街へ。12月22日にここの「赤い鳥」という焼き肉店で「鶏(けい)ちゃん炒めランチ」を食べました。今日は、ここのランチが「飛騨牛コロッケ」。飛騨牛は食べたことがありませんでしたので、同じ店ではあったものの、これを食べることに(税別¥800)。

Img_0426c_20200201195101 Img_0432c_20200201195101  帰りは、岐阜駅を11時53分に出る豊橋行きの新快速に乗車し、名古屋駅に12時13分着。関西線は、12時37分に快速みえがありましたので、それに乗り換え。桑名には、12時57分着。行きと同じく、名古屋駅で途中下車して、合計¥820。歩数は、15,344歩でしたが、写真を撮り忘れていて、これには帰宅してから動いた分も含まれています。JRさわやかウォーキングのスタンプは4個目。本編は、また明後日以降少しずつ書いて行きます。

 明日は、津でのJRさわやかウォーキングへ行くつもり。「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音「津観音寺」を訪ねて」です。JRさわやかウォーキングですが、往復は近鉄の予定(苦笑)。このウォーキング、チラシに「ツゥ、ツゥ、ツゥの日にツゥの真ん中ウォーク」とカナが振ってあります。

 

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