JRさわやかウォーキング

2018年12月29日 (土)

2018勝手にハイキング/ウォーキングその他の記録

 今年(平成30(2018)年)中に出かけた、「勝手にハイキング/ウォーキング」の記録です。独断と偏見に基づいて選んでおります故、ご了解下さい(笑)。いずれも、元の記事へのリンクをつけてあります。

1.2018年1月16日:高田本山専修寺と一身田寺内町散歩 7.5㎞
A7fbddd8  1月11日に近鉄ハイキングで「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」886f9352 に行ったのですが、高田本山で見てきた範囲が限られていたのと、一身田寺内町がなかなか興味深いところだったので、もっと見て回ろうと考えたのです。それと、小声で言いますが、「御非時」、もう1カ所でも食べてみたいという気もありました。
 近鉄高田本山駅から一身田寺内町、専修寺を回って、JR紀勢線一身田駅まで。予告編はこちらにあります。
2.2018年2月28日:四日市市立博物館から作家丹羽文雄が生まれた崇顕寺 2.7㎞
16cc5bccs  四日市市立博物館で「なつかしいくらしと昭和の元気な子どもたち」展を6ac2cd36 見に行ってきました。展覧会は、学習支援展示でしょう学生向けなのですが、楽しめます。ここで鉄道図録とマンホールカードをゲットし、ちょっとだけ足を伸ばして、作家丹羽文雄の生家である仏法山崇顕寺を見てきました。こちらをご覧ください。
3.2018年3月14日:林性寺の涅槃図と稲荷大師堂(津市榊原町)
43dfb32e  「勝手に」シリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散54f651fb 歩の一つとしてカウントします。 大龍山林性寺は、かつてこの地を治めていた榊原氏の菩提寺として、天正16(1588)年に開基。天台真盛宗。このお寺には日本に3幅しかないといわれる、猫が描かれている涅槃図があります(室町時代の画僧兆殿司による)。毎年3月14~16日に開帳されるので拝観してきたのです。記事は、こちら。お寺には「稲荷大師堂」があり、お稲荷さんと、弘法大師様と、鯖大師様が同居しておられます。
4.2018年4月23日:近鉄名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など 8.8㎞
D20fd086  津にある松菱百貨店で「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」を覗くつい1094b995 でに、近くを独りで「近鉄ハイキング」してきました(微笑)。津藩主・藤堂家にかかわる「寒松院」、浄明院(ここには江戸川乱歩が建てた、彼の実家・平井家の墓もあります)、大門商店街、津観音、津城跡・お城公園、藤堂高虎公を祭神とする高山神社を巡ってきました。お昼は、あの千寿の「天むす」でした。予告編は、こちら
5.2018年6月24日:朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで 6.6㎞
36fc8e75  この日は、三重郡朝日町の天神山とその近くにある苗代神社(左の写真)と縄生廃1b1e4b72 寺跡(右の写真)を見たのち、旧東海道を桑名市江場あたりまで歩いてきました。往きは近鉄、帰りは三重交通バスを利用。こちらをご覧ください。正式な(?)「勝手にハイキング/ウォーキング」シリーズとしては、第3弾。
6.2018年7月 3日:桑名市内旧東海道を歩く 8㎞
Ddefab9d  次の九華公園のパネル展示を「桑名市内の東海道案内」にしようというF369b6e4 ことで、そのための、いわば取材ウォーキング(パネルは、現在「桑名の東海道」として展示中)。市内の東海道はずいぶん前に歩いていますが、パネルを作成するに当たって、写真を撮り直すのと、以前と様子が変わったところがないかを確認するため歩いてきたという次第。町屋橋跡から七里の渡し跡に向かって歩くことにしました。三交バスで城南口まで行き、京町見附跡あたりまで歩いてきました。本当は、七里の渡し跡まで行く予定でしたが、時間切れ。「京町見附跡」まで歩いて、その後は寺町を通り、帰宅。記事は、その1その2その3の3本立て。左の写真は、町屋橋(国道1号線)。右は、桑名城の文が移設されたという了順寺。
7.2018年7月10日:東海道旧蹟撮影 5.3㎞
Img_8940c  この日は、「桑名の東海道」パネルの補足取材のため、七曲見附跡と蟠Img_7983c 龍櫓の再撮影。猛暑でしたので、寺町から、七曲がり見附跡最寄りの萱町までバスを利用(アンパンマンバス、ナガシマスパーランド往きです)。たかだか1.4㎞、所要時間は5分(笑)でした。撮影場所は、七曲見附跡、顕本寺、蟠龍櫓の3ヶ所。途中、九華公園にも立ち寄っています。
Img_8015c  顕本寺は、桑名藩ゆかりの人物のお墓がいくつかあります。吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓の他、服部半蔵の墓もあります。服部半蔵は、それを通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主。3代目服部半蔵・正就は父と同じ石見守を名乗り、桑名藩主・松平定勝公の娘・松尾を妻としました。仔細あって改易を申し付けられ、岳父である松平定勝の元で蟄居となっています。その弟・正重は、兄を継いで服部半蔵を襲名し、徳川秀忠の小姓や家康の近侍、佐渡金山同心を務めたものの、のちに改易となり、その後、桑名藩主・松平定綱公に年寄の身分で召し抱えられ、二千石を得ています。これによって桑名藩の家老として服部半蔵家が存続したのです。また、正就の系統は、上述のような血統から藩主一族の扱いを受け、重臣たちが住まう丸の内にひときわ大きな屋敷を与えられるなど、服部半蔵家以上に優遇されました。写真は、服部半蔵を名乗り、家老となった系統の服部家の墓。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義。
8.2018年11月21日 :四日市市楠町でバードウォッチング 9㎞
Img_2397c  ブロ友のひらいさんのお勧めもあ、四日市市楠町方面へ野鳥観察に出Img_2581c かけてきました。四日市港の潮汐表を確認したら、干潮が10時37分でちょうど良いということもあってです。名付けて“20181121勝手に「近鉄バードウォッチング(笑)」in四日市楠町”。近鉄名古屋線楠駅を下車し、町内を歩き回り、北楠駅まで。記事は、こちら
9.2018年11月25日 千代保稲荷神社 
Img_3666c  これもこのシリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散歩の一環としImg_3683c て。迷った理由は、家内の母親を連れての気晴らしだったからです。海津市にある千代保稲荷神社は、この地方では、「おちょぼさん」という愛称で親しまれています。商売繁盛・家内安全のご利益があるとされ、正月の他、月末もたくさん参拝する方が訪れます。毎月末(晦日)から翌1日にかけては、「月越参り」ということで、境内は夜通し多くの参拝者が来られるそうです。
Img_3743c おちょぼさんの南には、「荷席(かせき)稲荷大明神」がありました。隣にある早川家の先祖が創設したものです。早川家は、第59代宇多天皇(887~890)に源を発し、佐々木源寺として近江国に栄えたという家柄。9代目の子孫・早川兼明左近が弘治元(1555)年、この地に来て、地頭地主となりました。その守り神として、以前は別のところにあったものを農地解放後、ここに移設し、早川家と地域社の守護神として祀られているということですから、まぁ歴史散歩もしてきたというワケです。記事はこちら
10.2018年12月11日 :伊勢神宮・外宮参拝、神宮暦を入手 4㎞
Img_5900c  最近伊勢神宮にお参りしていないということと、もう一つ、ある方のブログImg_6242c で知った「神宮暦(神宮司庁発行)」を入手したいと思って、伊勢まで行ってしまいました。外宮にお参りにするには、JR・近鉄伊勢市駅が最寄り。ただし、桑名から近鉄でも、1時間半弱、¥1,200かかります。けっこう遠い(笑)。伊勢神宮・外宮のご正宮、別宮などにお参りし、無事に神宮暦を入手。
Img_6147c せっかく伊勢まで来ましたから、伊勢グルメ。まずは、赤福。赤福外宮前Img_6173c 特設店で「赤福盆」をいただいてきました。¥210。昼食は、行く前から伊勢うどんに決めていました。黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い緬に絡めて食べます。麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられています。具やトッピングは少なく、薬味の刻みネギだけで食べることが多いのですが、入った店のおすすめということで、卵の天ぷらをトッピング。¥600。元の記事は、こちら。補遺編もあります(ここ)。
オマケ:伝馬公園遺跡発掘調査説明会 
Img_5420c  12月8日午後、桑名市内の伝馬公園遺跡発掘調査説明会が開催され、20181208setsumeikai 参加してきました。伝馬公園では市の公共施設整備計画がありますが、市教育委員会が行っている遺跡発掘調査で、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかったのです。我が家からは、南へほぼまっすぐ。徒歩で1.7㎞、20分あまりで行けますので、歩いて往復。伝馬公園は、16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わります。願証寺はもとは長島にあり、東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。元の記事はここにあります。
Img_5349c 左は、町屋御用水の遺構と考えられたもの。上水道管は途中で途切れImg_5373c ていますが、手前側(東側)には、割れているものを含め5本、向こう側(西側)には3本が、それぞれつながった状態で見つかっています。右は、墓地の後と思われるところ(人骨が写っていますので、ご注意ください)。倒壊した多数の墓石の下に、甕棺や木棺などに埋葬された人骨がたくさん出て来たそうです。遅くとも18世紀中頃には墓地として利用され、19世紀以降廃絶したと見られるといいます。
 以上、正式な(?)JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキング以外に、歴史やバードウォッチングその他で、自分の興味に関わって出かけた記録であります。ハイキングやウォーキングを入れると、週に1回くらい、あちこちウロウロしているようです。活動は、振り返ってみると気づかなかったことが見えてきそうです。

| | コメント (0)

2018年12月28日 (金)

近鉄ハイキング、JRさわやかウォーキング参加記録(2017~2018)【開催駅、利用料金データを追加(1/1)】

Jr  まったく個人的な記録のための記事です。平成29(2017)年11月25日に急に思い立って、JRさわやかウォーキングに初めて参加しました。四日市市制120周年記念で四日市旧港街歩きでした。そこから、ハマってしまい(笑)、今年(平成30(2018)年)12月までに36回も参加しました。以下は、その単純な記録です。日付、タイトル、実測歩行距離となっています。このあと、時間があれば、記事にリンクを張ろうと思いますが、期待はなさらないで下さい。36回で歩いた距離は、合計298.7㎞(自宅から桑名駅までの往復は含みません。桑名駅を往復すると、約2㎞あります)。よく歩きました。
Img_4723c  近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも駅がスタート、駅がゴーKintetsu ル、予約不要、参加費不要です。集団行動(誰かに引率されてあるくというような)ではありませんから、気楽に参加できるのところがミソ。どちらもスタンプを集めると(近鉄ハイキングでは、あみま倶楽部に加入が必要)、その数に応じて参加賞がいただけます。近鉄ハイキングの方は、今年、シルバー会員でスタンプ20個をクリアし、バッチと近鉄グループホールの商品券(¥1,000分)をもらえました。JRさわやかウォーキングは、残念ながら1年間で7回しか参加できず、商品ゲットはなりませんでした。
Img_4712c  ちなみに、近鉄のあみま倶楽部の名前は、「あるく、みImg_3554c る、まなぶ」から来ているそうです。これ、最近の自分のモットーにしています。これに付け加えるとすれば、調べる、書く(まとめる、ブログに載せるなどでも良いかも)でしょうか。
  1. 2017/11/25 JRさわやかウォーキング:~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き 8㎞ JR関西線・四日市駅 ¥240×2
  2. 2017/12/17 JRさわやかウォーキング:醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク 11.5㎞ JR関西線・南四日市駅 ¥320×2
  3. 2017/12/22 近鉄ハイキング:巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!! 10.8㎞ 近鉄名古屋線・川越富洲原駅~名古屋線・霞ヶ浦駅 ¥260+260
  4. 2018/1/11 近鉄ハイキング:高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策 11.4㎞ 近鉄名古屋線・江戸橋駅 ¥690×2
  5. 2018/1/27 近鉄ハイキング:酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて 7.1㎞ 近鉄湯の山線・伊勢松本駅~湯の山線・伊勢川島駅 ¥370+¥420
  6. 2018/2/11 近鉄ハイキング:酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」 8㎞ 近鉄名古屋線・伊勢朝日駅~名古屋線・川越富洲原駅 ¥210+¥260
  7. 2018/2/17 近鉄ハイキング:酒蔵みてある 伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて 5.3㎞ 近鉄湯の山線・高角駅~湯の山線・桜駅  ¥420+¥420
  8. 2018/2/27 近鉄ハイキング:昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」 12.4㎞ 三岐鉄道北勢線・楚原駅~北勢線・阿下喜駅 ¥390+¥420
  9. 2018/3/4 JRさわやかウォーキング:老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策 7.1㎞ JR関西線・蟹江駅 ¥240×2
  10. 2018/3/17 近鉄ハイキング:伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり 8.9㎞ 近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅~名古屋線・白子駅 ¥560+¥490
  11. 2018/3/23 近鉄ハイキング:港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて 8.9㎞ 近鉄名古屋線・塩浜駅~名古屋線・四日市駅 ¥350+¥300
  12. 2018/3/25 近鉄ハイキング:(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり 5.4㎞ 近鉄名古屋線・高田本山駅~名古屋線・江戸橋駅 ¥690+¥690
  13. 2018/4/14 JRさわやかウォーキング:桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて 6.6㎞ JR関西線・桑名駅 ¥0(桑名駅まで徒歩で往復)
  14. 2018/4/28 近鉄ハイキング:多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ 11㎞ 養老鉄道・多度駅~下深谷駅 ¥310+¥260
  15. 2018/5/12 近鉄ハイキング:四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ 8.9㎞ 近鉄名古屋線・富田駅~名古屋線・川原町駅 ¥260+¥300
  16. 2018/5/19 近鉄ハイキング:潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて 8.8㎞ 近鉄名古屋線・北楠駅~名古屋線・塩浜駅 ¥400+¥350
  17. 2018/5/26 JRさわやかウォーキング:~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷 9.4㎞ JR紀勢線・松阪駅 ¥940×2(近鉄利用)
  18. 2018/6/2 近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング: ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう! 10.3㎞ 近鉄名古屋線・塩浜駅~名古屋線・四日市駅 ¥350+¥300
  19. 2018/6/9 近鉄ハイキング:桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る 7.7㎞ 近鉄名古屋線・桑名駅 ¥0(桑名駅まで徒歩)
  20. 2018/7/14 近鉄ハイキング:湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて 10.4㎞ 近鉄名古屋線・富田駅~三岐鉄道三岐線・暁学園前駅 ¥260+¥460
  21. 2018/8/5 近鉄ハイキング:ユネスコ無形文化遺産 祭り一色の桑名 日本一やかましいまつり「桑名石取祭」にふれる 1.1㎞ 近鉄名古屋線・桑名駅 ¥0(桑名駅まで徒歩)
  22. 2018/9/2 近鉄ハイキング:開湯1300年 ゆこうよ 湯の山 菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて 8.4㎞ 近鉄湯の山線・湯の山温泉駅~湯の山線・菰野駅 ¥520+¥630(帰りは、近鉄名古屋線・四日市駅でいったん途中下車)
  23. 2018/9/15 近鉄ハイキング:四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる  6㎞ 近鉄名古屋線・霞ヶ浦駅~三岐鉄道三岐線・大矢知駅 ¥260+¥430
  24. 2018/9/22 JRさわやかウォーキング:国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて 7.5㎞ JR紀勢線・津駅~紀勢線・一身田駅 ¥690+¥190(往きは近鉄利用、帰りは紀勢線・津駅まで)
  25. 2018/9/24 近鉄ハイキング:ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く! 9.5㎞ 近鉄名古屋線・伊勢若松駅~名古屋線・白子駅 ¥440¥490
  26. 2018/10/8 近鉄ハイキング:路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓 9.6㎞ 近鉄山田線・宇治山田駅~近鉄鳥羽線・五十鈴川駅 ¥1,200+¥1270
  27. 2018/10/12 近鉄ハイキング:開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう! 5.7㎞ 近鉄湯の山線・菰野駅 ¥470×2
  28. 2018/10/20 近鉄ハイキング:芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング 9㎞ 近鉄湯の山線・菰野駅~湯の山線・湯の山温泉駅 ¥470+¥520
  29. 2018/10/27 JRさわやかウォーキング:来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!! 11.6㎞ JR名古屋駅~名古屋市営地下鉄・中村公園駅/JR関西線/八田駅 ¥350+¥520(¥200+¥320、地下鉄、JR)
  30. 2018/11/3 近鉄ハイキング:蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策 5.8㎞ 近鉄山田線・松阪駅 ¥9400×2
  31. 2018/11/10 近鉄ハイキング:親孝行のふるさと『養老フェスタ』 8.8㎞ 養老鉄道・養老駅 ¥570(往きは播磨駅から乗車)+¥570(本来のゴールは養老鉄道・美濃高田駅でしたが、養老駅に変更。帰りは桑名駅まで乗車)
  32. 2018/11/24 JRさわやかウォーキング:日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング 8.5㎞ JR関西線・四日市駅 ¥240×2
  33. 2018/12/2 近鉄ハイキング:鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて 10.4㎞ 近鉄鈴鹿線・平田町駅~JR関西線・加佐登駅 ¥560+¥500(本来のゴールは平田町駅でしたが、JR加佐登駅に勝手に変更)
  34. 2018/12/8 近鉄ハイキング:千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ 3.8㎞ 近鉄名古屋線・川越富洲原駅~名古屋線・富田駅 ¥260+¥260
  35. 2018/12/9 近鉄ハイキング:酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて 7.7㎞ 近鉄名古屋線・弥富駅 ¥260×2
  36. 2018/12/23 近鉄ハイキング:酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵 7.4㎞ 近鉄名古屋線・久居駅 ¥820×2
 なお、改めて「勝手にハイキング/ウォーキング」のデータも付け加えたいと考えています。こちらも根気よくお待ち下されば幸い。
【付記(19/1/1)】
 各ハイキング/ウォーキングの開催駅と、鉄道運賃を追記しました。開催駅は「スタート~ゴール(1つの駅名のみ示したものは、スタート・ゴールが同じ駅)」を示しています。運賃はスタート・ゴールが同一駅の場合は、「¥○×2」と、異なる場合はそれぞれの駅と桑名駅の間の運賃を呈示してあります。
 「勝手にハイキング/ウォーキング」は、別の記事として書きました(2018勝手にハイキング/ウォーキングその他の記録)。

| | コメント (2)

2018年11月24日 (土)

20181124JRさわやかウォーキング四日市「日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング」へ……四日市旧港で桑名城の石垣の石を使った場所を確認【地図を付記(11/26)】

Img_3251c

 今朝は、御在所岳も、藤原岳も初冠雪。最低気温は、4.1℃と今シーズンもImg_3264c っとも低い気温。日中は穏やかで気温も上がるということで、JRさわやかウォーキングへ行ってきました。「日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング」であります。実は、ちょうど1年前、初めて鉄道会社のハイキング/ウォーキングに参加したのとほぼ同じコース(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。それもあり、今日のこのJRさわやかウォーキングには是非とも参加しようと思っていました。
Img_3288c もう少し早い時間の電車に乗ろうと思ったものの、ウロウロしていて、結局、Img_3287c 桑名駅を8時51分発の関西線・亀山行き普通に乗車。四日市駅には9時7分に到着。¥240。本日のコースマップは、右の写真の通り。四日市駅がスタート&ゴール。思案橋、稲葉翁記念公園、プロムナード、ボードウォークと壁面・桟橋、臨港橋、末広橋梁からまちなか農園「よんとまちゃん家」を経て、四日市駅に戻ってくるという、7.5㎞。
20181124jrwalkingyokkaichi こちらが実際に歩いたルートマップ。写真撮影のため、南東にある臨港橋や、引き込み線の踏切あたりを2往復余分に歩きました。末広橋梁までは、1年前と同じコース。去年は、末広橋梁から納屋防災緑地の方へ回り、鯨船明神丸山車、大入道山車蔵を見てきました。ほぼ同じところですから、新しく発見したことや、末広橋梁で貨車を撮影した写真を中心に。
Img_3293c 四日市駅を出てすぐ北へ。本町交差点を通過。森町交差点まで直進し、Img_3306c_2 右折。東へ。JR関西線の踏切を渡ると、思案橋。天正10(1582)年6月、徳川家康が、本能寺の変を避け泉州堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案したとされ、思案橋と呼ばれることとなったといいます。現在は川は流れていません。昭和62(1987)年に橋を模したモニュメントが復元設置されています。
Img_3314c 出発からほぼ1㎞で、国道23号線を越えます。左の写真は、桑名方面。

Img_3316c

右は、鈴鹿方面の写真。このあたりは、渋滞の名所。吉野家は、昔々からあります。
Img_3352c さらに東進。稲葉翁記念公園です。四日市港開港の祖である稲葉三右衛門の名を冠しています。稲葉は、四日市で廻船問屋を営んでいました。Img_3329c 明治6(1873)年、四日市港の修築に着手しています。左は、稲葉翁記念碑、右はオランダ人土木技術者デ・レーケによる潮吹き防波堤
Img_3341c 公園内には、潮吹き防波堤のレプリカがあり、ボタンを押すと動きが再現Img_3346c されます。何度見ても楽しい(微笑)。右は、明治27(1894)年に建てられた「波止改築記念碑」。防波堤改築を記念して明治27年(1894)に作られた碑です。
Img_3344c ちょうどボランティア・ガイドの方がいらしたので、長年の疑問を聞いてみました。それは、「桑名城の石垣の石は、どのあたりに使われているのか」ということです。このガイドの方によれば、波止改築記念碑の先にある突堤の基礎部分に使われたそうです。指さしていただいたところ。このときは、海中にありました。
Img_3355c このあとプロムナードを歩いて、千歳橋を渡り、千歳町へ。ボードウォーImg_3387c_2 クの方へ行くのがコースなのですが、末広橋梁を貨車が通る時間が迫ってきました(10時11分の予定)ので、勝手にコース変更(笑)。臨港橋へ。末広橋梁は、昭和6(1931)年に完成した、日本最古の鉄道用可動橋。全長58m、幅4m、中央の桁部分16.6mを橋脚上に立つ高さ15.6mの鉄塔頂部からワイヤで巻き取り80度に跳ね上がる仕組みです。が、今年の台風24号の影響で、現在は、可動不能となっています。
Img_3400c 臨港橋の上から撮影。10時11分に通過するもの。以前からこの光景を獲Img_3407c りたかったのです。今日、もう少し早い時間の電車に乗りたいと思っていたのも、余裕を持ってこれを撮ろうと考えていたのです。次に機会があれば、末広橋梁のところで撮りたいものです。
Img_3363c 末広橋梁への引き込み線は、JR四日市駅から来ています。千歳町内にImg_3370c は、踏切が何カ所かありますし、道路脇を線路が走っています。右は、臨港橋東踏切。右の写真で手前側が臨港橋。末広橋梁で貨車を撮影する前、ここを四日市駅方面から貨車が来ます。
Img_3377c 「俄撮り鉄」に変身。太平洋セメント専用の貨車を引いてやって来ます。Img_3383c
、三岐鉄道三岐線・東藤原駅から、JR関西本線・富田駅、四日市駅を経由して四日市港の太平洋セメントへセメントや土砂を運ぶ貨物列車です。
Img_3424c 末広橋梁で貨車を撮影し、もとのコースに戻ろうと思ったら、もう1編成が踏切を通過。機関車には「太平洋セメント」と書かれていました。専用の機関車があるようです。
Img_3429c 末広橋梁を撮影した臨港橋も、可動橋です。上記のように元のコースにImg_3440c 戻ろうとしたのですが、JRさわやかウォーキングの係の方が、臨港橋も動くと教えてくださったので慌ててUターン(笑)。余分に2往復。千歳運河に架けられた跳ね上げ橋で、船が通る時には、油圧ジャッキで橋梁を70度程押し上げて開きます。
Img_3447c 鉄道の踏切と同じく、警報器と遮断機が付いています。四日市市道の道路橋です。昭和7(1932)年に初代の橋がかかり、現在の橋は、平成3(1991)年11月に竣工した3代目。
Img_3467c これで今日の目的はほぼ達成。安心して元のコースに戻り、ボードウォImg_3463c ークの方へ。四日市港合同庁舎の先にあります。旅客ターミナルなどのすぐ北。去年は、巡視船の内部を見学させてもらえるなどのイベントがありましたが、今回はそれらはなし。
Img_3483c 踏切、臨港橋あたりでウロウロしましたので、再度臨港橋を渡るところでImg_3495c スタートから5㎞。臨港橋を渡って、末広橋梁へ。10時40分着。ここで、スタンプラリーのスタンプ4個目をゲット。
Img_3497c 景品はこちら。観光案内のパンフレットと、AGFのコーヒー2つ、カントリーImg_3487c マーム1個であります。JRさわやかウォーキングでは、コース案内の矢印が掲出されるのですが、今回初めて「折り返し点」というものを見ました(微笑)。末広橋梁で5.5㎞。臨港橋のところまで戻り、西へ。国道23号線の高架をくぐり、市街地へ。市立港中学、四日市自動車学校などのあたりを通り、北へ。近鉄名古屋線の新正駅近くを進みます。
Img_3513c 7.5㎞ほど来たところで、本日最後の立ち寄りポイントであるまちなか農Img_3514c 園「よんとまちゃん家」。しいたけ1パック¥500で売っていましたが、ここで栽培をしているようです。
Img_3520c 中央通りに出て右折。JR関西線四日市駅に向かいます。左の写真は、Img_3519c 交差点の北西にある四日市市役所。ここを左折すれば、国道1号線から、近鉄四日市駅方面(右の写真)。
Img_3527c ゴールする前にもう1つ見たかったものがあります。それはこの稲葉三右衛門翁銅像。稲葉三右衛門は、上述のように四日市港開港の祖。銅像は、最初、昭和2(1927)年に設置されたものの、太平洋戦争の時に供出のために撤去されてしまったといいます。この銅 像は、昭和31(1956)年に再度つくられたもの。この像もかねてから見たかったものなのですが、機会がありませんでした。
Img_3547c 稲葉翁の銅像は、JR四日市駅の目と鼻の先。ゴールイImg_3545c ンは、11時27分。8.5㎞。コースマップには7.5㎞とありましたが、臨港橋のところでウロウロしたため、1㎞プラス。
Img_3554c
 スタンプカード、新しくしました。というのも、古いものは今日が1年目の期限。この1年で、7回しか参加できませんでしたので、今日古い方に押印してもらっても意味がありません。ということで新しくしてもらったのです。期限は、来年11月23日まで。
Img_3551c 四日市駅前でAGFのキッチンカーが来て、コーヒーなどの無料サービスImg_3550c をしていましたので、カフェオレを試飲させてもらいました。このあと、11時41分の四日市駅始発の名古屋行き普通に乗車。桑名には、11時58分着。¥240。この直後、四日市駅で信号点検を行い、関西線の電車は遅れたそうですから、ラッキーでした。
Img_3572c 帰り道、NTNシティホールで開催されている「桑名の100神社と郷土の文化財」展を見て来ました。桑名駅往復で2.9㎞。合計11.4㎞。今日もよく歩きました。
【旧・桑名城石垣の石が築港に使われた場所について(11/26)】
 旧・桑名城石垣の石が四日市港築港に使われています。こちら(Wikipediaの桑名城の項目)にそれについての言及があります。本文中に触れましたが、その場所の地図を載せておきます。田だし、当日、ボランティアガイドの方に伺ったとおり、突堤の基礎部分に使われたということです。小生が行ったこの日(11/24)、四日市港の干潮は12時26分で、現地にいたのは、9時35分頃。海中に没していました(本文中の写真を参照)。
20181124yokkaichiport 場所は、四日市港の旧港、稲葉翁記念公園の先にある突堤。稲葉三右20181124yokkaichiportkuwanaishiga_2 衛門彰功碑や、波止改築記念碑があるところ。左は広域図。JR関西線四日市駅からは、国道23号線を越えてほぼ東。右は、拡大図。いずれも赤丸を付したあたりということです。
20181124jrwalkingkuwanacastleston_2  こちらは、「四日市旧港まちあるきMAP」からのもの。イラストになっているので、ちょっとゴチャゴチャしますが、中央やや下に赤丸をつけたところです。

| | コメント (2)

2018年11月 7日 (水)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完)

 10月27日のJRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」のその4。10日以上も経ってしまいましたが、今回でゴールインの予定。
181027jrwalkingnagoya3  中村公園前の交差点にある「中村の大鳥居」まで来ました。ここで、スタImg_9414c ートから7.1㎞。時刻は12時5分。この鳥居、とんでもなく大きいのです。高さ24m、笠木34m。京都市の平安神宮大鳥居と同じ高さだそうです。昭和4(1929)年の創建当時は、世界一高い鳥居だったといいます(こちら)。これを実は一度見てみたかったのです。ちなみに、ここに至る道路は、「鳥居通」。道路の名前になるだけのことはあります。
Img_9424c 鳥居、あまりの大きさに何度も見上げてしまいました。高Img_9419c さ24mといいますが、それ以上の威圧感があります。今年、台風21号、24号と9月に立て続けにやって来ましたが、大丈夫だったのかと心配になりました(苦笑)。大丈夫だったからこそ、この日も無事に立っていたのに(笑)。大鳥居から500mほどは、神社の参道になっています。「豊国参道」という名前が付いており、 「9」の付く日には朝市が立ち、「豊国参道 九の市」と呼ばれ、賑わうといいます。
Img_9431c
 中村の大鳥居から、豊国神社までは約500m。途中、地元の英雄であるImg_9434c 豊臣秀吉(天文6(1537)~慶長3(1598)年)と、加藤清正(永禄5(1562)~慶長16(1611)についての看板があります。秀吉も清正も、尾張中村の生れ。地元の英雄ということです。
Img_9445c  スタートから7.6㎞を歩いて、二ノ鳥居へ12時15分に到着。中村区区民まImg_9452cつりが開かれていて、大賑わい。二の鳥居をくぐると、祭りの山車がありました。「紅葉狩車((もみじがりしゃ)」とあります。中村区名駅5丁目にある氏名車の山車。建造時期は不明ですが、三之丸天王祭車楽に献灯する見舞車だそうです。彫刻は「紅葉」。大幕は猩々緋に金糸「紅葉狩」、左右と後方に猩々緋枠に白地で鹿。水引幕は金襴。からくり人形「平維茂」、「更科姫」、「従者」、「ざい振りの唐子」を搭載だそうです。なお、東隣に妙行寺というお寺があり、ここは加藤清正の生地です(今回は行っていません)。
 
Img_9459c  ここは中村公園という市営の都市公園ですなのですが、郷土の英雄に因んで、その愛称は「秀吉清正公園」。明治16(1883)年、地元有志が「豊公遺跡保存会」をつくり、豊臣秀吉を祀る豊国神社 を創建したことに始まります。明治34(1901)年、愛知県の所管となり、中村公園が設置されています。
Img_9463c  こちらが豊国神社。明治17(1884)年7月、地元崇敬者が当時の県令(県Img_9466c知事)国貞廉平に申し入れ、明治18(1885)年8月に創建されました。秀吉は農民の子に生まれ、後に天下人まで昇りつめたことから出世、開運、茶道、建設等の文化の神として親しまれています。
Img_9477c 公園には、神社を中心に整備された純日本風廻遊式林泉庭園がありまImg_9545c す。池の周りには、桐蔭茶席、香りの園などもありますし、藤棚もあって、ふじの名所でもあります。
Img_9491c 上左の写真に「大正天皇御手植之松」、「初代中村勘三郎生誕像」などImg_9497c の案内板があり、気になったので早速見に行くことにしました。歌舞伎の大名跡「中村勘三郎」の初代は、名古屋市中村区で生まれたとの説があるそうです。初代勘三郎は、江戸時代初めの歌舞伎役者。京都で大蔵流狂言を学び、寛永元(1624)年に江戸で初の常設芝居小屋を開いたとされます。江戸後期の随筆「甲子夜話(かっしやわ;平戸藩主・松浦静山著)」には、中村区が生誕地とする記述があるといい、18代目勘三郎も生前、中村区を「中村屋発祥の地」と大切にしてきたそうです。「中村区夢づくり実行委員会」が中心となって、寄付金2,000万円で2017年5月に建てました。高さ2.8m。
Img_9510c こちらが、大正天皇御手植之松。大正天皇は皇太子でいらした明治Img_9512c 43(1910)年11月、臨時第三第十五師団対抗演習をご覧のため愛知県下に行啓されました。その際、ここ中村公園に建設された迎賓館施設(現・中村公園記念館)で御休憩になり、公園の由来、豊公、清正誕生地の説明を受け、松をお手植えされたといいます。
Img_9508c こちらに説明がありますように、11月18日には、愛知物産組、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)、県立工業学校(現・県立愛知工業高校)、第八高等学校(現・名古屋大学)、県立第五中学校(現・県立瑞陵高校)、日本陶器会社(現・ノリタケカンパニー)、中村公園に行啓されています。
Img_9519c_2 お手植えの松の傍らには、大正天皇が中村公園でお詠みになった漢詩Img_9513c七言絶句)の詩碑があります。大正天皇は生涯に1,367首もの漢詩をお作りになったといいます。第3句「当年の旧宅」は、公園内にある秀吉の屋敷址、第4句の「「蓋世の英雄」は秀吉で、東隣の常泉寺にある秀吉の産湯井を念頭に置いた詩ということです。
一路 西風 日色 晴れ
中村の景物 最も情を牽く
当年の旧宅 今 何くにか在る
蓋世の英雄 此の地に生まる
Img_9499c こちらは「太閤しだれ桜」。秀吉は、慶長3(1598)年、京都伏見の醍醐寺Img_9503c で「醍醐の花見」を行いました。このときの桜の子孫「太閤しだれ桜」が今も醍醐寺に現存しており、それをクローン増殖したものがこのしだれ桜だそうです。同じ木が、大阪所内の豊国神社と、熊本城内の加藤神社(清正を祀る)にも植えられているといいます。説明板などによれば、今年植樹されたものです。
Img_9522c 中村公園記念館です。明治43(1910)年に、加藤清正没Img_9524c 後300年を記念して愛知県が地元住民の寄付を受け建築した迎賓館。上述のように、皇太子時代に行啓された大正天皇が休憩所として使用されたところ。名古屋市の明治時代に建築された公共木造建築物では最古。書院造の建物で、唐破風の玄関に特徴があります。玄関には、秀吉の馬印であるひょうたんの意匠が取り入れられているのだそうですが、残念ながら離れたところからはよく分からず。
Img_9535c 記念館の隣には、中村公園豊頌軒(なかむらこうえんほうしょうけん)といImg_9571c う茶室があります。もとは松林庵といい、明治初期に建築されたもの。昭和32(1957)年に祖父江町から中村公園内に移築されました。四畳半台目席と二畳席を持つ茶室だそうです。ここには、もう一つ、桐蔭(とういん)茶席という茶室もあり、そちらでは茶会を催すことができるそうです。たぶん右の写真が、桐蔭茶席。
Img_9537c  中村公園豊頌軒の前に高樹旭子(きょくし)の句碑。「藤の實乃 やうやく目立ち 梅雨深し」という句が刻まれています。「昭和18(1943)年12月加藤誠宏建」となっていました。句碑の傍らに立つ説明板には、「明治38年3月愛知高等小学校長毛利徹先生指揮の下にここに植えおきし藤の苗斯くも大きく育ちしを見るに及びて恩師を忍ぶの情切なるものありと云いければ高樹旭子氏に句あり 重善識」と書かれています。高木旭子(高樹としているところも在ります)については、よく分かりませんでしたが、養老句会・牡丹句会に属しており、養老公園にも句碑があるようです(こちらを参照)。
Img_9559c 公園内には八幡社もありました。八幡様ですから、御祭神は、応神天Img_9560c 皇。説明板によれば、加藤清正が出陣に当たって武運長久を祈願した社といいます。慶長15(1610)年、名古屋城天守閣建城の際、境内の楠の大木を棟木に使ったといい伝えられ、その後植えられた楠が今なお繁っているとあります。
Img_9562c  しかし、上記のリンク先の「名古屋神社ガイド」によれば、「尾張出身の戦国武将を代表するひとりである加藤清正生誕地ということで、清正と絡めて紹介されることが多い八幡社なのだけど、実際のところはいつ誰がどういういきさつで創建したのかよく分からない神社だ」とされています(こちら)。
Img_9550c  この八幡社の南の木陰に「忠烈碑」があります。「故海軍兵曹堅田君之碑」とされています。兵曹は、下士官を示します。碑文のはじめの方を読むと、日露戦争(1904~05年)に従軍して戦死された方と思われます。明治45(1912)年5月に建立。東郷平八郎が篆額(てんがく)をしたとあります(題字のところを書いたということ)。
Img_9575c さて、ゴールしてこなければなりません。ゴールは、名古Img_9576c 屋競輪場の西にある中村公園のスポーツ広場。名古屋競輪場がここにあるのは知らず、左の写真のところを通ったときは、いったい何だ?と思ったくらい。ギャンブルにはほとんど無縁で来ました。
Img_9583c こちらが今日のゴール。駅ではありません。ゴールインは12時40分。ここImg_9586c までの距離は、8.3㎞でした。JRさわやかウォーキングのスタンプは、これでようやく7個目。有効期間は1年で、この11月24日まで。10個達成は微妙ですが、まぁそれは結果ですから。
Img_9587c この日は、先着5,000名まで、「愛知デスティネーションキャンペーン×さImg_9592c わやかウォーキング三英傑コース」のバッジ(名古屋)がもらえました。スタンプラリーも行われているのですが、清洲は終了、このあとは、岡崎、長篠城、大高。他の予定もありますし、3ヶ所回るのはちょっと難しい。
Img_9599c
 無事にゴールしましたので、安心して昼の弁当にします。豊国神社の在Img_9603c る方に戻り、藤棚の下にあいているベンチを見つけました。円頓寺商店街で弁当を売っていませんでしたので、途中のファミマでいつもと同じものをゲットしてきました。「お好み俵おむすびセット(¥378)」であります。回遊式庭園を眺めながらの弁当。隣に、同じウォーキングに参加していたらしい男性が一人やって来て、ロングサイズの缶麦酒を取り出し、美味しそうに飲んで行かれました(微笑)。ちなみに、小生は、「麦酒でも飲んだらうまいだろうな」とは思うのですが、このあとまだ歩かねばなりませんので、途中ではアルコールはいただきません。
Img_9612c 13時10分に再スタート。地下鉄東山線の中村公園駅を目指します。中村Img_9620c 公園駅は、中村の大鳥居のところ。豊国参道を戻っていきます。途中、山車行列やまつりのパレード。戦国甲冑隊や、ユカタスガタの女性会の皆さんもスタンバイしておられました。
Img_9633c 13時27分に地下鉄東山線の中村公園駅3番出入口に到着。ここまでのトImg_9635c ータルが9.5㎞でした。ここ、今はアオキスーパーになっていますが、聞くところによれば、昔はジャスコだったそうです。13時31分発の地下鉄東山線高畑駅に乗って、八田駅まで行きます(13時34分着、¥200)。八田駅からは、JR関西線にも近鉄名古屋線にも乗り換えができるのです。
Img_9648c 地下鉄東山線八田駅からは、JR関西線八田駅の方が近いので、取り敢Img_9646c えずこちらへ。地下鉄から来るのには、ものすごく長いエスカレーターに乗ってきます。JR関西線は、13時54分に四日市行き普通電車がありましたので、JRで帰ることにしました。ちなみにJR関西線八田駅の回り、何もありません(何もないというと語弊がありますが、コンビニとかそういう店はないということです)。
Img_9651c JR関西線、名古屋から亀山(59.9km)はJR東海の区間。電化はされているものの、複線区間と単線区間とがあります。桑名~名古屋間で複線になっているのは、名古屋駅~笹島信号場間、弥富駅~桑名駅間に限られます。そのため、対向する電車を待つ(すれ違いとか、行き違い)こともよくあります。八田駅で電車を待っているときも、貨物が止まっていました。
Img_9658c その帰りの関西線の電車が、揖斐長良川鉄橋を渡り、上之輪新田に入ってきますと、先日何度も通ったコスモス畑が見えてきます。関西線は北側を通りますので、間に近鉄名古屋線の線路を挟み、ちょっと遠くなりますので、こんな風にしか見えません。
Img_9664c 桑名駅には、14時16分に到着。¥320。さわやかウォーキングで歩いたImg_9670c のは、9.5㎞。自宅~桑名駅の往復がほぼ2㎞で、合計11.5㎞。よく歩きました。右の写真は、名古屋駅前の高層ビル群。この日は、あのあたりをウロウロと歩いてきたということです。
181027jrwalkingnagoya こちらがこの日実際に歩いたコース。距離測で見たら、標高は1~5m。高低差4mと、ほぼ平らなところを歩いたということでした。長々とお付き合い下さり、御礼申し上げます。この勢いで11月3日の近鉄ハイキング“蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策”(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)も書かないといけません。

| | コメント (4)

2018年11月 6日 (火)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その3)……ノリタケの森、トヨタ産業技術記念館から中村の大鳥居まで

 ちょっと間が開いてしまいました。油断するといけません(苦笑)。10月27日のJRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」のその3です。その2では、円頓寺商店街を歩きました(20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)。

181027jrwalkingnagoya1 円頓寺本町商店街を出たところでスタートから2.6㎞。まだまだ先の方が長Img_9243c いのです。円頓寺本町商店街を出て右折、北へ向かい、喜久井町交差点を左折。外堀通りを西へ500mほど進みます。
Img_9250c 輪ノ内町交差点まで来ると、ノリタケの本社が見えてきます。ノリタケほどのImg_9257c 会社であれば、もっと立派なビルがあるのかと思っていました。この交差点を右折し、本社ビルのすぐ北に次の目的地であるノリタケの森がありました。ノリタケの森そのものは以前から知っていましたし、ブロ友さんの記事でも何度か見たことはありましたが、実際に来るのは初めて。10時55分に到着。入り口で3.2㎞。
Img_9262c ノリタケは、明治37(1904)年に創業。それ以来この場所で食器をつくり続けています。創立100周年の記念事業として、平成13(2001)年10月、近代陶業発祥の地である、ここノリタケ本社敷地内に陶磁器に関する複合施設「ノリタケの森」をオープンしています。約48,000㎡という広大な敷地にカルチャーゾーン、コマーシャルゾーン、ヒストリカルゾーンをコンセプトにつくられたのが、ノリタケの森。「近代化産業遺産群」に認定された建物などがあり、また、公益財団法人都市緑化機構の社会・環境緑地「都市のオアシス2016」にも指定されているといいます。
Img_9265c 煉瓦造りの工場跡が緑や水に囲まれていて、散策するのにもとても良いImg_9279c ところでした。この日は入りませんでしたが、カフェやレストラン、ノリタケの技術や製品を紹介するウェルカムセンター、工場見学やミュージアム、ギャラリーもありました。せせらぎや噴水広場もあり、野鳥の鳴き声も聞こえていました。噴水広場からは、名古屋駅前の高層ビルも見えて、なんだか不思議な感じ。都会にありながら、異質な空間という感じも。マップはこちらにあります。
Img_9266c こちらは、赤レンガ棟。明治37(1904)年に建てられた、日本陶器合名会Img_9268c 社の工場。この赤レンガ棟は当時の建屋で、現存する唯一のものだということです。森村市左衛門ら創立者6名の宣誓文が埋められており、当時の思いが込められた建物といえます。
Img_9294c こちらは6本煙突モニュメント。昭和8(1933)年、工場大改造時に建造さImg_9300c れた陶磁器焼成用トンネル窯の跡だそうです。根元にも遺構があり、なんだか分からなかったのですが、これは窯から排出される煙を煙突に送り出すための煙道ということでした。当時、この煙突は45mの高さで、テレビ塔が建てられるまでは、名古屋城と並ぶ最も高い建造物の1つでした。昭和54(1979)年に工場が移転すると共に、モニュメント部分を残し撤去されています。
Img_9271c 園内は、この写真からもお分かりと思いますが、歴史を感じさせ、また、Img_9280c 緑も多く、散策に好適の場所でした。この日は、設定されたウォーキングコースに沿って歩いただけでしたので、日陶神社や、単独窯など見逃したところもあります。もう一度来て、ゆっくり見て楽しむ価値は十分あります。
Img_9312c ノリタケの森の北側エリアには、ビオトープもありました。小生、ベランダImg_9313c でメダカを飼っていて、睡蓮鉢も持っていますが、ビオトープにも興味があります。本当は、ベランダにビオトープをつくってみたいと思っているくらい。ここもメダカや、ザリガニの姿がありました。
Img_9322c もう少しゆっくりすると良かったのですが、ノリタケの森で181027jrwalkingnagoya2 は、小休止をとってお茶を飲んだだけ。ノースゲートを出て左折、再び西へ歩いて、トヨタ産業技術記念館を目指します。
Img_9328c トヨタ産業技術記念館へは、南側のゲートから入りました。ここは、我がImg_9331c 家の子どもたちが小さかった頃、1度来たことがありましたが、いつ頃であったか、記憶は定かではありません(苦笑)。ここは、平成6(1994)年6月に開館しています。豊田自動織機製作所栄生工場(豊田紡織より移譲)を産業遺産として保存しながら、繊維機械と自動車の技術の変遷を紹介するための施設です。明治29(1896)年、国産初の動力織機を完成した豊田佐吉が、明治44(1911)年、ここに豊田自動織布工場を開設しました。いわばトヨタグループの発祥の地。
Img_9337c 南側のゲートを入ってすぐ左手にあるのは、「豊田商会事務所」。豊田商Img_9342c 会は、豊田佐吉が自動織機を発明・研究するために明治35(1902)年に設立したもの。この建物は明治38(1905)年に建設され、佐吉はここを住居と兼用して、自動織機の開発に心血を注いだといいます。
Img_9345c 建物は、元々名古屋市島崎町(現在の中村区名駅)に工場を新設した際に建設されたもの。明治39(1906)年からは、豊田商会を継承し、発展的に設立された豊田式織機株式会社(現在の豊和工業)の本社として、その後、本店事務所として使用されたもの。
Img_9349c 豊田商会の北隣には、「トヨタグループ館」があります。大正14(1925)年Img_9354c に建設された豊田紡織本社事務所を建設当時の状態に修復したもの。ここでは、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)や、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の設立総会が開催されたという、由緒正しい建物。内部では、豊田佐吉・喜一郎のゆかりの品や資料などが展示されていました。機械の図面や、製図器具などいろいろありました。個人的に興味を持ったのは、第2次大戦中につくられたというタイムレコーダー。時計部分は、今でも動いていたのです。
Img_9334c 豊田商会や、トヨタグループ館は序の口。メインは、繊維機械館や、自動車館。訪れた時は、特別展示室で“トヨタコレクション企画展「100年前のオーディオ~蓄音機が変えた音楽の愉しみ~」”も開催されており(11月4日Img_9358c で終了)、入場料を払って入館しようか、散々迷ったのですが、コースマップを見るとまだ半分も来ていないのに、11時半近くでしたので、諦めて、次へ進むことにしました。入場料は、大人500円ですから、かなりリーズナブルというか、安いと思います。ここも、もう一度、改めてゆっくりと見に来たいところ。
Img_9361c トヨタ産業技術記念館を出たところで4.5㎞(これは、あとから距離測で調Img_9363c べたもの。コースマップでは、先の方が長く見えました)。名駅通を少し歩いて、栄生駅前交差点へ。名鉄名古屋本線の栄生駅のところ。地図を見れば納得するのですが、こんなに近いのかというのが実感。栄生駅の左手に見える鉄橋の下をくぐっていきます。環状線というか、外堀通りというか、そのままずっとまっすぐ行くと国道23号線を経て四日市に行けます。
Img_9381c 鉄橋は、名鉄名古屋本線、東海道線、東海道新幹線が通っているところ。何となくこういう鉄橋の下をくぐるのは、好きです。電車が上を通ると思うと、ワクワクするのです(微笑)。せっかくだから電車、できれば新幹線が通るところを撮ろうと思い、くぐった先でしばし待っていました。N700Aが通過。ちょっと満足。
Img_9392c_2 ここからがまるで修行(苦笑)。栄生駅前がスタートして4.7㎞。ここからほImg_9397c ぼ直線で2.4㎞を歩き通さねばなりません。途中、立ち寄るところはありません。ひたすら、ひたすら歩き続けます(笑)。地下鉄東山線の駅でいうと、本陣駅、中村日赤駅と2つの駅を通過。
Img_9405c 通称、中村日赤。名古屋第一赤十字病院。それよりも、個人的には、右Img_9406c の写真にある「清正幼稚園」が気になりました(笑)。これから行く豊国神社能登なりにある妙行寺が、加藤清正公の生誕の地といわれています。それに因んで名付けた幼稚園のように思えます。幼稚園のサイトによれば、昭和14
(1939)年に創立、仏教思想を教育の柱にしているようですから、お寺がやっているのかも知れません。
Img_9408c ひたすら歩き続けているうちに、通りの名前が「鳥居通」。最初は、ピンとImg_9414c こなかったのですが、途中で気づきました。この先、中村公園前の交差点に「中村の大鳥居」があるのです。中村の大鳥居は、最終目的地である中村公園にある豊国神社の鳥居。中村の大鳥居まで来て、スタートから7.1㎞、12時5分。続きは、その4にて。
181027jrwalkingnagoya3 実測ルートマップでは、左の画像で「中村公園」とある交差点までやって来ました。ここから北上し、豊国神社へ。帰りは、またこの中村公園の交差点まで戻って、地下鉄に乗るのです。

| | コメント (0)

2018年10月31日 (水)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く

181027jrwalkingnagoya1_2

 10月27日のJRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」のその2です。その1では、余計なことにあれこれ目を向けていたら、スタートから2キロも進まず、円頓寺商店街の入り口までしか行けませんでした。
Img_9142c_2 円頓寺商店街の東の入り口。平成27(2015)年春に、アーケードを改修した1eaca7d6 そうです。また、同じ年に、パリにあるパノラマ商店街と姉妹提携をしたり、年間を通して多数のイベント多く開催したり、活発な活動を展開しています。円頓寺商店街に来るのは、2度目。ついこの間来たような気がしていましたが、何と8年近く前でした(2010年12月14日:名古屋、四間道を散歩)。このとき撮ってきたのが右の写真。確かにアーケードが変わっています。
Img_9145c あとから気づいたのですが、商店街を通ったのに、商店の写真をほとんどImg_9148c 撮っていませんでした(苦笑)。お寺や神社に目が向いていたためのようです。その1の末尾にも書きましたが、明治創業の店がある一方で、新しいところもあります。とあるところは、右の写真のように、昨今流行のボルダリングができるところがありました。ここ円頓寺商店街で、何か弁当でも売っていたら買おうと思っていたのですが、残念ながら歩いた時間帯にはそれはありませんでした。
Img_9144c 商店街に入ってすぐ、この説明板。“初代尾張藩主の側室「貞松院」下屋敷跡”というもの。ふれあい館えんどうじの前に立てられています。貞松院(1608~1684)は、尾張藩初代藩主・徳川義直の側室。正室・春姫に子がなかったため、幕命で寛永元(1624)年、輿入れ。寛永3(1626)年、鶴姫を生んでいます。江戸初期の「万治年間之名古屋図(1658~16860)」に「四間道(しけみち)」と円頓寺通と御本坊筋に囲まれた旧沢井町に「貞松院様御屋敷」とあるそうです。それを示す案内板。遺跡などはなさそうでした。
Img_9150c 円頓寺商店街に入って100mほどの北側に、真宗大谷派のお寺、阿原山Img_9152c 慶栄寺。永正元(1504)年)、春日院善正によって美濃国多芸郡に創建された後、尾張国春日井郡の阿原村(現・清須市)に移転。清洲越しの後に名古屋の皆戸町(現・中区丸の内一丁目)に移ったとされます。移転してきたのは、寺伝の慶安2(1649)年のほか、複数の異説があります。元禄13(1700)年、いったん再建された後、享保9(1724)年の大火で再び被害を受け、同年12月に現在地に移転しています。京都・法光寺の末寺でしたが、明治維新を経て東本願寺の末寺となりました。残念ながら、山門が閉じられていて、拝観はできず。
Img_9155c この写真にもありますように、このお寺には「聖徳皇太子御自作霊像奉安塔」があります。寺宝の「聖徳太子木像」が収められています。京都の銀閣寺余材を使って建てられたと伝わる六畳台目数寄屋造の茶室、松涛庵もあります。と書いていますが、ネットで調べても、あまり詳しいことは出て来ません。
Img_9159c 慶栄寺を見て、南を振り返ったら、何やら古そうなお寺が見えました。円Img_9163c 頓寺商店街から少しだけ南に入って確かめたら、真宗高田派名古屋別院でした。石柱には「愛知別院」とありますが、案内板にも、高田派のホームページにも名古屋別院とあります。正保4(1647)年、専稱院義起玄怒によって尾張国皆戸町(現在の中区丸の内付近)に臨光山信行院として創建されました。明暦3(1657)年、元は東本願寺の末寺で、前年に高田派へ転じた順正寺を合併して現在地に移転しています。ご本尊は恵心僧都作と伝えられています。
Img_9164c  享保9(1724)年、大火によって焼失、元文3(1738)年には一旦無住となったものの、その後再建され、専修寺第17世円猷の許可を受けて元文4(1739)年、高田本坊と改めています。当時の敷地は、現在の円頓寺通(圓頓寺筋)に面していたため、圓頓寺筋を御本坊筋とも呼んだといいます(上記の「貞松院」下屋敷跡の説明に出て来ます)。明治末から昭和初期にかけては「愛知別院」を称していましたが、昭和20(1945)年1月3日の空襲で本堂を焼失。さらに、3月の空襲では山門や鐘楼など一部を残して全山を焼失しています。昭和27(1952)年から堂宇が再建され、愛知別院を名古屋別院に改めました。
Img_9169c 話があちこちするというか、バラバラですが、高田派名古屋別院のすぐ北にL字型になった小路がありました。「円頓寺銀座街」ということで、割烹、居酒屋、食事処に、イタリア食堂までが並んでいる一角です。これこそ、昭和の雰囲気たっぷり。営業しているところもあるようでしたが、10時過ぎでは、開店はしていません。こういうところで食事をするなり、一杯飲むなりしてみたいもの。
Img_9170c 円頓寺商店街に戻ると、金刀比羅神社がありました。もとは、尾張藩家Img_9172c 老の大道寺家の屋敷内にありました。北条氏の家臣だった大道寺政繁の次男・直重は前田利政に仕えたあと、清洲の松平忠吉に仕えます。忠吉亡き後、尾張徳川初代藩主の義直に2千石という好待遇で招かれたのです。大道寺直重の屋敷は、名古屋城三の丸の一角で、現在、愛知県図書館があるところ。邸宅内にあった金刀比羅神社を現在地に移したのが安政6(1859)年といいます。写されるに至った理由や、そもそも大道寺家が何故金刀比羅神社を祀ったのかは、分かりません。
Img_9174c
 戦後しばらく、金刀比羅神社の境内は現在の3倍ほどあったそうです。都市計画によって敷地が縮小され、現在はこぢんまりとした神社となっています。古びた感じはしますが、手入れはされていて、大切にされている神社という感じがします。主祭神は、大国主命(オオクニヌシノミコト:出雲大社の御祭神)。他に須佐之男命(スサノオノミコト:天照大神の弟、乱暴を重ねたため高天原から追放)と加具土命(カグツチノミコト:火の神)を祀ります。
Img_9186c 3枚前の写真に写っていますが、ここで「なごや弁みくじ」という掲示を見つけてしまいました。初穂料は100円。これは引いてみなくてはなりません。その結果は、「小吉」でした(微笑)。「どっちを向いても幸福みてゃーあらせんて ひそかに空からおって来る、地から湧いてくるもんだに 心静かに待ってみや 盗難用心」とありました。ちなみに「恋愛」は「いろいろでも許してもらえる」、「商売」は「どえりゃあええ」、「失物」は「出ん 諦めやぁ」だそうです。なんだか、河村たかし名古屋市長にいわれているような気がしてきました(苦笑)。しかし、これ、結構有名のようです。珍しいですし、引いてみると楽しいと思います。ちなみに、あとから知ったのですが、ハリセンボンのお二人が願掛けをしたと思われる絵馬があるそうです(こちら)。
Img_9216c 金刀比羅神社の目と鼻の先に、長久山円頓寺。円頓寺商店街は、このImg_9195c お寺の門前町が発展したもの。円頓寺は、承応3(1654)年に、普敬院日言上人によって開創された日蓮宗のお寺。当初は、普敬院と称したものが、円頓寺に改められました。ちなみに、お寺の名前は「えんどんじ」と読むようですが、商店街は「えんどうじしょうてんがい」。
Img_9199c 本堂内右手脇間に鬼子母神が安置されています。この鬼子母神は、「子Img_9201c 安の鬼子母神」で、子育て安産の神様です。これは、尾張徳川家より寄進されたものです。円頓寺第2世・玄収院日道上人が、尾張徳川家初代義直公の側室の安産祈願・子育て祈願を成就したことに対して、賜ったといいます。本堂(右の写真)は、拝観してきましたが、毎月18日の鬼子母神の縁日のみご開帳のようでした。こちらをご覧ください。
Img_9210c 円頓寺の境内には、長久稲荷大明神が祀られています。日蓮宗のお寺Img_9208c には、お稲荷さんが祀られているというか、残っているというか、そういうことが多い印象があります。このお稲荷さんについての詳細は、不明(ネット検索では分かりませんでした)。
Img_9204c さらに境内にあったもの。「富士松富士太夫の碑」と読めます。裏には文字は刻まれていないようでした。これもよく分かりません。ネットで検索すると、富士松というのは、新内節の家元の名前(名字)として出て来ますが、関係があるのかないのかまったく分かりません。お手上げ(苦笑)。
Img_9202c もう一つ。「名古屋十名所」という石柱。あるブログの笠寺観音についての記述からすると、「名古屋十名所之一」となっているかも知れません。「名古屋十名所」は、大正13(1924)年8月に、新愛知新聞社(現在の中日新聞)が選んだといいます。熱田神宮、闇ノ森、圓頓寺、天理教々務支庁、名古屋城、榎ノ権現、久屋金刀比羅、笠寺観世音、櫻田勝景、山田元大将之社というラインナップ。率直に言うと、どういう基準で選ばれたのか、よく分かりません。新愛知新聞社は、昭和2年に主催した「愛知新十名所」なるものを選出しているようです(こちらを参照)。
Img_9193c 円頓寺の最後、山門前にある石柱。けっこう古びていて、痛みも見られます。一説によれば、第2次大戦の際の空襲で表面が剥がれ落ちたといいます。碑表には、「南無妙法蓮華経 日道」と刻まれていると思います(ちょっと自信がありません)。建立は、「文化十年癸酉(みずのととり)十一月宗建(?)日」とあります。文化10年は1813年。他に、「天下泰平 国土安穏」ともありました。
Img_9218c 円頓寺商店街を通り抜け、名古屋市道江川線を渡ります。上を通っているのは、名古屋高速6号清須線および都心環状線。この江川線という道路は、もともと、「江川」と呼ばれた用水路を大正時代に暗渠化して道路にしたための通称だそうです。
Img_9219c  ここ市道江川線・円頓寺交差点の四隅に三英傑(織田信長、豊臣秀吉、Img_9221c 徳川家康)と水戸黄門のモニュメント像があります。これらは地元の人が寄贈したものようです。交差点の南東には、徳川家康、北東には、織田信長。織田信長は、金ピカ。そういえば、JR岐阜駅前にある織田信長の像も金ピカです。
Img_9224c 交差点を渡って、北西のところにいるのは豊臣秀吉、南Img_9225c 東には、何故か水戸黄門。郷土の三英傑は分かりますが、黄門様がここまで漫遊してきたはずはありません。地元のある不動産会社経営者が寄附されたそうですが、黄門様は「単純に好きだったから」だそうです(こちらに言及があります)。
Img_9230c 江川線を渡ったところは、円頓寺でも、「円頓寺本町商店街」となっていImg_9233c ました。円頓寺商店街の方よりもやや賑やかという印象ですが、レトロ感は同様。円頓寺本町商店街の一角には、多賀社があったのに、見逃してしまいました。名古屋で唯一の多賀社ともいわれ、残念。たぶん、どこかで弁当でも売っていないかと思っていたのが、良くなかった(苦笑)。
Img_9243c 円頓寺本町商店街を抜けて、ようやく2.6㎞。10時半を過ぎたくらい。このあと、菊井町交差点に出て、外堀通をノリタケの森に向かいます。その2はここまで。

| | コメント (0)

2018年10月30日 (火)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その1)……タワーズガーデンをスタート、円頓寺商店街へ

Img_9075c

 10月27日は、名古屋でJRさわやかウォーキング。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングに参加するようになって11ヶ月、名古屋初進出という祈念すべきウォーキングです(微笑)。高層ビルが並んでいますので、どうしても見上げて写真を撮りたくなります。
Img_9044c 「JRさわやかウォーキング」だからという訳ではありませんが、この日はJRImg_9054c 関西線で名古屋へ。というのも、桑名駅から名古屋駅は、近鉄の運賃が¥440であるのに対して、JRで行くと¥350なのです。これは、JRの特定区間運賃制度の恩恵。鉄道会社が特に定めた区間に対して、キロ数で算出されるよりも安く設定された運賃のことです。名古屋~桑名間(23.8㎞)は、JRの正規運賃では¥410であるところ、近鉄に対抗するため¥350にしているのです(余談ですが、名古屋~四日市間は、¥670のところを¥470と大値引き)。
Img_9068c JR名古屋駅のタワーズガーデンで、8時半から11時の受付でした。JR桑名駅を9時2分の関西線普通電車に乗車し、名古屋駅には9時36分に到着。上述の通り、¥350。余談ですが、名古屋駅から先へ、同じくJRで行くとき、名古屋駅からその駅までが上記の特定区間運賃が適用されるなら、いったん降りて改札を出て、入り直した方が安くなります。これをしないと、通しの、正規の運賃が必要になるのです。たとえば、岐阜へ時々出かけますが、いったん改札を出て入り直すと、¥350+¥470=¥820で済みますが、通しで乗っていくと(関西線から東海道線に乗り換えますが)、¥970かかります)。
Img_9060c JR名古屋駅の桜通口。JR名古屋タカシマヤの店舗に挟まれています。Img_9066c タワーズに上がっていくエスカレーターや、待ち合わせの名所である「金の時計」があります。ここからいったん外に出てタワーズガーデンに向かうのです。
Img_9070c 4枚目の写真がこの日の受付。オレンジの法被や、ウィンドブレーカーを着た方がスタッフ。左は、コースマップ。JRさわやかウォーキ181027jrwalkingnagoya ングのコースマップは、おおざっぱなのですが、各所に矢印で案内が掲示されますから、ほとんど道には迷いません。この日は、タワーズガーデンをスタートして、円頓寺商店街、ノリタケの森、トヨタ産業技術記念館、豊国神社(中村区区民まつり会場)がゴールという約8㎞。産業技術記念館から豊国神社の間3.7㎞に立ち寄るところなしというのが、ちょっと難点。右が実際に歩いたルートマップ。ゴール地点の中村公園までは8.3㎞でしたが、そこから、地下鉄東山線・中村公園駅まで来たら、トータルで9.5㎞。いつものように、自宅から桑名駅往復で(ちょっと寄り道)2.1㎞ということで、この日は結局、11.6㎞も歩きました。
Img_9074c 4枚目のところでコースマップをもらい、スタート。スタートは、9時45分。スタッフの方にお願いすると、この「スタート」の看板のところで写真を撮ってもらえます(小生は、お願いはしませんでした)。写真の片隅に写っていますが、小生同様、JRセントラルタワーズを見上げて写真を撮っている方がありました。皆さん、考えることは同じようです(苦笑)。
 
Img_9083c 大名古屋ビルヂング(向かって左)や、ミッドランドスクエアを見ながら歩き始めます。大名古屋ビルヂング、初代は1965年に、2代目は2015年にそれぞれ竣工。2代目ができた頃には退職していましたから、初代の方になじみがあります。ミッドランドスクエアは、トヨタ自動車、毎日新聞社、東和不動産共同所有ビル。ミッドランド(Midland)は「中部地方」の意味で、当初はJRセントラルタワーズと同じ高さになる予定でしたが、更に2m高く変更され、中部地方で最も高いビルとなっています。もともとは、「豊田ビルディング」と「毎日名古屋会館」(通称「毎日ビル」、毎日新聞中部本社が入居)がありましたし、中日本興業の直営映画館も入っていました。2007年に開業。思えば、21世紀に入って、名古屋駅前の景色は一変しました。ちなみに、大名古屋ビルヂングの前に少し見えている円錐形のものは、ロータリーにある『飛翔』というモニュメント。平成元(1989)年のデザイン博のときに設置されたもの。リニア新幹線が開通するに当たって、移設されるという話もあります。
Img_9084c スタートして名駅通に出て少しだけ北へ。JRゲートタワーの手前で右折、Img_9086c 横断して、大名古屋ビルヂングを通って、桜通へ。人が多いです。退職してもう丸7年。用事がなければ、名古屋には来ませんので、すっかりお上りさん状態で我ながら笑えます。大名古屋ビルヂングにはISETAN HAUS があります。テレビでは見ますが、実際に見るのは初めて。ほとんど用事はありませんし、今日はJRさわやかウォーキングですからパス。
Img_9093c大名古屋ビルヂングの角から500m弱で、名古屋高速都心環状線の高Img_9094c 架。その向こうには、名古屋国際センター。名古屋国際センターへは、支援員講座や、相談会で何度か来ています。肘江町交差点を渡ります。国際センタービルの前には、松竹梅のモニュメント。国際センターを利用する外国の方向けのものでしょう。「松の長寿、竹の生命感、梅の気品。日本古来の和風感覚の魅力を演出している」という説明がありました。
Img_9099c 堀川に行く途中に、こちら。ここだけでなく、この日のコースのあちこちで同じものを見かけました。有料の駐輪場でした。駐輪料金は設置場所によって、微妙に異なるようでした。これによって、放置自転車はほとんどなくなったようです。ここを含め、名古屋駅周辺は18時間まで¥100でした。
Img_9102c 堀川を渡ります。堀川は、慶長15(1610)年)、福島正則が徳川家康の命Img_9103c により、名古屋城築城の天下普請に際して資材運搬を目的として開削した水路といわれます。明治になってからは、庄内川からの水が入るようになりました。を開始し、庄内川水系に属する形となった。また堀川の一部の区間は、その成立の経緯から黒川(くろかわ)とも呼ばれ、流域の地名(黒川本通)にもなっている。昭和30年代以降、工場排水や生活排水で水質汚濁がひどかったのですが、最近は(2001年頃以降)、取り組みによってかなり改善されています。橋は、桜橋。これは、桜通だからでしょうか。
Img_9105c 調べてみたら(こちら)、昭和12(1937)年の名古屋汎太平洋平和博覧会が開催された時に、桜通が開通するとともに架蹴られたということです。横から見ると石積風のアーチになっています(残念ながら写真は撮りませんでした)。装飾は、橋の名前の通り、桜をモチーフにしたものだそうです。それらが、親柱や橋灯、高欄などに施されていて、これも見物。桜橋の西でスタートからほぼ1㎞。橋を渡って左折。堀川沿いに北上。
Img_9117c 500mほど来たところで、五条橋。この橋で再び堀川を渡って、円頓寺商店街に入っていきます。ここで気になったのが、左の写真で五条橋の左手前にある建物。「狭小ビル」といえます。地図で見ると、丸の内時田ハウスとあります。日本航空高等学校東海本部が入居していました。通信制高校のようです。
Img_9118c 五条橋(ごじょうばし)は、慶長15(1610)年に始まった「清洲越し」のとき、Img_9129c 清洲城下の五条川に架けられていた橋をここに移築したものです。そのため五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、堀川が開削された慶長15(1610)年より古い慶長7(1602)年の銘が確認できるそうです。このことが「清州越」で運ばれてきた証拠とされいます。現在は複製されたものが取り付けてあり、本物の擬宝珠は名古屋城に展示されています。
Img_9138c_2 もとは木橋でしたが昭和13(1938)年にコンクリート製に架けかえられました。御影石の親柱、高欄、擬宝珠、石張舗装などの特徴があり、現在でも昔の雰囲気を感じます。ちなみに、タモリさんが、ブラタモリでこのあたりを歩いています(こちら)。
Img_9142c 五条橋を渡ると、円頓寺商店街に入っていきます。名古屋駅と名古屋城のほぼ中間。大須などとともに昔は繁華街で、信長が清洲から名古屋に移ってきたときに、ついてきた商人の町で、今も名古屋の下町の雰囲気が残っています。明治創業の老舗店も多く残る一方、個性的な新しい店舗も増えています。元は、円頓寺というお寺の門前町。毎年7月の七夕祭りでも有名。
181027jrwalkingnagoya1 まだ2㎞も歩いていませんが、キリが良いので、その1はここまで。円頓寺商店街の入り口に北のは、10時12分。愕然としますねぇ、スタートして30分も経っていません(苦笑)。ささいなことというか、どうでも良いことを気にする質ですので、あちこちで引っかかってしまうのです。ご容赦ください。

| | コメント (0)

2018年10月27日 (土)

20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編)

Img_9068c

 近鉄ハイキング、JRさわやかウォーキングに参加するようになって11ヶ月。Img_9054c 今回は、いよいよ名古屋に進出(笑)。今日は、名古屋でJRさわやかウォーキングであります。「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」というテーマです。JR名古屋駅のタワーズガーデンが受付(8時半~11時)。桑名を9時2分に出る名古屋行き普通電車に乗車。9時36分に到着、¥350。
Img_9070c 本日のコースマップ。タワーズガーデンをスタートして、円頓寺商店街、ノリ181027jrwalkingnagoya タケの森、トヨタ産業技術記念館、豊国神社(中村区区民まつり会場)がゴールという約8㎞。産業技術記念館から豊国神社の間が、3.7㎞。この間立ち寄るところなしというのが、ちょっと難点。右が実際に歩いたルートマップ。名古屋駅から東へ向かい、グルッと反時計回りに中村公園&豊国神社までということ。ゴール地点の中村公園までは8.3㎞でしたが、そこから、地下鉄東山線・中村公園駅まで来たら、トータルで9.5㎞でした。いつものように、自宅から桑名駅往復で(ちょっと寄り道)2.1㎞。11.6㎞も歩きました。さすがに少しお疲れ。今日は、かなり端折った予告編にて。
Img_9074c 今までとは違って、大都会の駅前からスタートということで、いつもとかなりImg_9083c 景色が違います。スタートは、9時45分。冒頭の写真、背景はツインタワーで、ここにはJR名古屋タカシマヤと、マリオットアソシアホテルがあります。こちらは、ミッドランドスクエアとか、大名古屋ビルヂング。
Img_9093c 桜通を東に向かい、時々出かける国際センタービルや、名古屋の都市高速道路を越えて、堀川にかかる桜橋を渡ります。渡っImg_9102c たところで、左折(北へ)。
Img_9118c 500mほど進んで、左折し、再び堀川を渡ります。この橋は五条橋。慶長15(1610)年、尾張の首府が清洲から名古屋に移るときに(いわゆる清洲越)開削された堀川に架けられた7つの橋の1つ。
Img_9142c 五条橋を渡ると、円頓寺商店街。名古屋駅と名古屋城のほぼ中間にあります。ここは、大須などと同様に昔は繁華街で、信長が清洲から名古屋に移ってきたときに、ついてきた商人の町で、今も下町の雰囲気がよく残っています。円頓寺商店街は、毎年7月に円頓寺本町商店街と共同で開催される円頓寺七夕まつりが有名。何年か前に訪ねたことがあります。そのときは、近くにある「四間道」にも回ってみました。四間道には、古い蔵や屋根神様が残っていて、見所も多いのですが、今回のコースには含まれていません。
Img_9216c こちらが長久山円頓寺。円頓寺商店街は、このお寺の門前町が発展したもの。円頓寺は、承応3(1654)年に、普敬院日言上人によって開創された日蓮宗のお寺。円頓寺商店街には、このほか、慶栄寺(真宗大谷派)や、真宗高田派愛知別院などのお寺もありますが、詳細はまた本編にて。
Img_9170c 円頓寺の東に金刀比羅神社がありました。そこに珍しいものを見つけたImg_9186c ので、立ち寄ってしまいました。「名古屋弁みくじ」です。初穂料は100円でした。これは引いてみなくてはなりません。その結果、「小吉」でした(微笑)。「どっちを向いても幸福みてゃーあらせんて ひそかに空からおって来る、地から湧いてくるもんだに 心静かに待ってみや 盗難用心」とありました。ちなみに「恋愛」は「いろいろでも許してもらえる」、「商売」は「どえりゃあええ」だそうです。
Img_9230c 続いて、名古屋都市高速6号清洲線の下をくぐって円頓Img_9257c 寺本町商店街へ。この商店街を通り抜けて外堀通りへ。500mほど歩いて、ノリタケの森へ。ここで3㎞過ぎ、時刻は10時55分。ノリタケの森は、初めて。
Img_9264c 気に入りました(微笑)。水辺もありますし、煉瓦で作られImg_9294c た工場跡もあります。噴水もあり、リラックスできるところです。右は、6本煙突のモニュメント。
Img_9328c かなりぶっ飛びますが、続いてトヨタ産業技術記念館へ。南側の門からImg_9342c 入ったのですが、入ってすぐに「豊田商会 事務所」。豊田佐吉翁が自動織機と環状織機を研究するために明治35(1902)年に設立したもの。
Img_9349c 続いて、トヨタグループ館。大正14(1925)年に建設された豊田紡織本社Img_9354c 事務所を修復したもの。トヨタ自動車などの設立総会などが催されたところで、トヨタグループ発祥の地だそうです。中には豊田佐吉翁が実際に使った道具や、戦争中に使われたタイムレコーダ(時計は、まだ動いていました)、機械の図面などが展示されていました。産業技術記念館では、「100年前のオーディオという展覧会」が行われていましたが、今回はパスしてきました。かなり以前、家族連れで来たことがあります。
Img_9368c 産業技術記念館からは名鉄・栄生駅のImg_9381c 横を通って、南西へ。JR東海道新幹線、東海道線、名鉄名古屋線の高架下をくぐります。せっかくだから電車が通るところを撮りたいと思って少し待ったら、下りの新幹線が通過。
Img_9414c JRと名鉄の高架橋の下から約3㎞半。立ち寄るところもなく、ほぼ直線の道筋をひたすら歩き、市営地下鉄東山線の中村公園駅のあるところに建つ豊国神社の鳥居のところに出ます。大きいです。トンでもなく大きいんです。これを実は一度見てみたかったのです。この鳥居、高さ24m、笠木34m。「中村の大鳥居」と呼ばれ、京都市の平安神宮大鳥居と同じ高さだそうです。昭和4(1929)年の創建当時は、世界一高い鳥居だったといいます(こちら)。ちなみに、ここに至る道路は、「鳥居通」。道路の名前になるだけのことはあります。大鳥居のところには、12時5分着。
Img_9419c 大鳥居から500mほどは、神社の参道になっています。「豊国参道」という名前が付いてImg_9443cおり、 「9」の付く日には朝市が立ち、「豊国参道 九の市」と呼ばれ、賑わうといいます。スタートから7.6㎞を歩いて、二ノ鳥居へ。12時15分着。中村区区民まつりが開かれていて、大賑わい。
Img_9463c 豊国神社の拝殿。この神社は、敷地が豊臣秀吉生地に当たります。明Img_9466c 治17(1884)年7月、当時の県令・国貞廉平をはじめ地元崇敬者の人々によって、生地で秀吉を祀る運動が盛んとなり、翌明治18年1月に竣工し、8月には神社が創建されました。神社を中心として中村公園が整備されています。なお、東隣に妙行寺というお寺があり、ここは加藤清正の生地です。
Img_9490c 豊国神社にお参りしたあとは、「初代中村勘三郎生誕記念像」と、「大正天皇お手植えの松」を見て来ました。初代中村勘三郎(慶長3(1598)~明暦4(1658)年)の出自には諸説あるようですが、「甲子夜話(江戸後期)」には、「尾州愛智郡中村」とあるそうです。この記念像は、平成28
(2016)年に建てられています。
Img_9510c 大正天皇は、皇太子でいらした明治43(1910)年10月、臨時第三・第十五師団対抗演習をご覧のため愛知県下に行啓されました。その際、ここ中村公園に建設された迎賓館施設(記念館)で御休憩になり、公園の由来、豊公、清正誕生地の説明を受け、松をお手植えされたといいます。お手植えの松の傍らには、大正天皇が中村公園でお詠みになった漢詩(七言絶句)の詩碑があります。
Img_9576c さて、豊国神社参拝も済ませましたので、ゴールしてこなくてはなりませImg_9583c ん。ゴールは、公園の北西部分に設けられていました。JRさわやかウォーキングでは、案内の矢印が詳しく出されますので、それにしたがっていけば道を間違うことはありません。12時40分にゴールイン。ここまで歩いたのは8.3㎞。スタート直後は曇っていて湿度が高く、また途中からは晴れてきてけっこう汗を掻くくらいでした。
Img_9586c 参加証のスタンプは、ようやく7個目。11月24日までの1年間が有効期間なのですImg_9587c が、10個をゲットできるかどうか、ちょっと微妙。今日は、先着5,000名まで、「愛知デスティネーションキャンペーン×さわやかウォーキング三英傑コース」のバッジ(名古屋)がもらえました。
Img_9603c 無事ゴールインしましたので、ここで弁当タイム。円頓寺商店街のどこかで弁当を売っていないかと思ったのですが、残念ながらありませんでしたので、結局今日もコンビニ弁当。途中、ファミマで買ってきた「お好み俵おむすびセット(¥378)」。豊国神社近くに戻って、池の端のベンチでいただきました。食べていたら、隣に、同じウォーキングに参加していたらしい男性が一人やって来て、ロングサイズの缶麦酒を取り出し、美味しそうに飲んで行かれました(微笑)。ちなみに、小生は、「麦酒でも飲んだらうまいだろうな」とは思うのですが、このあとまだ歩かねばなりませんので、途中ではアルコールはいただきません。
Img_9620c 13時10分に再スタート。途中、まつりのパレードを見ながら、地下鉄東山Img_9633c_2 線の中村公園駅へ。13時25分に到着。スーパーアオキの建物にある3番出入り口。ここまでに歩いたのは、結局9.5㎞でした。今日もよく歩きました。
Img_9635c 中村公園駅を13時31分に出る高畑行きに乗車し、2駅先のImg_9646c 八田駅まで。13時34分着、¥200。八田駅では、JR関西線にも、近鉄名古屋線にも乗り換えができますが、地下鉄の改札からはJR八田駅の方が、地下鉄からは近いので、まずはそちらへ行ってみました。右の写真のような、かなり長いエスカレータに乗ります。
Img_9648c JR関西線八田駅。普通電車しか止まらないのですが、それは近鉄八田駅も同じ。ちょうど13時54分に四日市行きの普通電車がありましたので、それに乗って帰ることにしました。桑名には、14時16分着。¥320。
Img_9670c 写真の整理も、あれこれの調べもまだできていませんので、いつものように本編は、また少しずつ書いていくことにします。時間がおありの方にはまたお付き合い下されば幸いです。こちらの写真は、我が家の玄関先から見た、名古屋駅前の高層ビル群。あのあたりを歩いてきたという次第です。

| | コメント (4)

2018年9月29日 (土)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その3)……高田本山専修寺を見てJR紀勢線・一身田駅にて「完」

Img_3194c  9月22日のJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂20180922jrwalkingtsu13_2 と一身田寺内町を訪ねて」のその3です。スタートのJR紀勢線・津駅から5㎞半ほど歩いて、一身田寺内町の館まで来ました。ここが本日のゴールで、まだ高田本山専修寺にお参りしていませんが、取り敢えずゴールしました(微笑)。12時25分です。

Img_3198c 寺内町の館から高田本山専修寺は、目と鼻の先。時間も時間ですし、5㎞Img_3197c 半も歩いてきましたので、高田会館の食事処あかりの「名物 伊勢芋とろろ」の看板が気になりますが、あいにくと津駅で弁当を買ってきていました。あかりの「伊勢いも御膳(¥900)」は、マスコミでも取り上げられたりしているのですが、それはまたの機会に。
Img_3202c こちらは山門。国指定重要文化財。御影堂の正面にあり、専修寺の総門です。五間三戸二階二重門の形式になっています。これは山門として最高の格式だそうですが、確かに立派。何度見てもすごいなと思います。宝永元(1704)年の建築とされています。
Img_3206c 総門をくぐった正面にあるのが御影堂。宗祖親鸞聖人の木像が中央須弥Img_3216c 壇上に安置されています。725畳敷きの御堂で、全国の現存木造建築の中でも5番目の巨大な堂です。寛文7(1667)年の建立。まずはこちらにお参り。内部も写真を撮って構わないのですが、ネットには揚げないようにということですから、割愛。右の写真は、御影堂から北西を見たもの。個人的にはこの景色、かなり気に入っています。
Img_3221c 続いて、これまでに見逃していた大玄関や対面所の方に向かいます。そImg_3223c の前に、御影堂の東に「安楽庵(あんらくあん、三重県史跡名勝)」への入り口の石碑が建っています。安楽庵は、如来堂と御影堂の背後にある庭園にたたずむお茶席。庭園は「雲幽園(」といい、ほとんど石組みを作らず、自然の美をそのままに生かし、蓮池を主体としているそうでます。独特な構造で格式が高く、茶席は江戸時代初期の名席といわれています。雲幽園(安楽庵)の見学は事前の申し込みが必要です。
Img_3270c ただし、納骨堂へ行く途中、この門をくぐった先で庭園(雲幽園)と思われImg_3272c るところを垣間見ることができます(右の写真)。このあたりは、ちょうど如来堂の裏。お庭は一度葉見てみたい気がします。
Img_3276c もう少し進み、納骨堂の手前にはこういう景色も見られます。何というのか不勉強でよく知らないのですが、木製の橋が架かった先に庭門があり、その向こうにお庭が広がっています。いわゆる池泉回遊式庭園になっています。
Img_3225c 話を戻します。「安楽庵入り口」の石碑の東にあるのが、大玄関。これもImg_3227c 国指定重要文化財です。境内の中心からはやや東になり、御影堂の北東にあります。焼失した天明3(1783)年の火災で焼失したのち、対面所と共に再興されました。寛政2(1790)年の再建と伝わっています。その当初は、対面所の東に位置し、正面を東に向けて建っていたそうですが、明治11(1878)年に現在の位置に移築され、その際に正面は南向きに改められました。これは明治13(1880)年の天皇行幸に備えたものと考えられています。
Img_3234c 御対面所(おたいめんしょ)で、こちらも国指定重要文化財。5室ずつ3列の座敷からなる建物だそうで、周囲に廊下がつけているといいます。大正初年までは、法主が座を設けて、ここから門信徒に対面していたところ。御対面所も、天明3(1783)年の火災で焼失したのですが、直ちに再建に取りかかり、天明6(1786)年閏10月に落成遷仏が行われました。
Img_3230c これで1月に来たときに見忘れたところは、「賜春館」を除いてコンプリーImg_3251c ト。「賜春館(ししゅんかん)」は、明治11(1878)年に貴賓接待用として新築された書院ですが、明治13(1880)年の明治天皇行幸の行在所として使用されたことがあり、それを祝って「賜春館」と命名されました。国指定重要文化財。ここはもちろん、われわれは見に行けません。画像はリンク先をご覧ください。右の写真は、大玄関に行くアプローチあたり。
Img_3245c これで見忘れたところもすべて見ましたので、ようやく、安心してお昼にしImg_3248c ます。12時45分であります。近鉄津駅のファミマで買ってきた弁当を御影堂が見える、鐘楼の近くの建物の陰でいただきました。
Img_3254c 食事を済ませ、如来堂と、家内の父のお骨が収めてある納骨堂にお参りします。が、その前によく見たら、蓮の鉢が並んでいるところに句碑らしきものがあるのに気づきました。割と新しいもの。浜田珍碩(はまだちんせき)の「千部読む花の盛りの一身田」という句が刻まれていました。浜田珍碩は、浜田洒堂(はまだしゃどう)ともいい、江戸時代中期の俳人です。別号に珍夕、珍碩があり、芭蕉の門人。近江国膳所の出身。「千部」というのは、「永代経法会(えいたいきょうほうえ)」のことだそうです。「千部会」、「千部法会」といい、高田本山の千部法会は、江戸時代には、報恩講以上の賑わいであったと伝えられています。春秋に勤められるようです。珍碩の句は、「千部法要」に群参する善男善女の方々を詠んだものということ。
Img_3256c 国宝・如来堂。御影堂の西にあります。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像をご本尊としており、教義の上では、この堂が伽藍の本堂となります。発願は享保4(1719)年、着工は翌々6(1721)年ですが、資金難から工事が渋滞し、ようやく元文5(1740)年から地築にかかりました。しかし、地盤が軟弱なために寛保3(1743)年8月まで満3年を要して完成。このとき勘六という老人が人柱に立ったと言われているそうです。
Img_3277c 如来堂に参拝してから、納骨堂へお参り。4年前の6月17日に家内の父のお骨を収めています(2014年6月17日:高田本山専修寺へ……納骨でした【6/18に加筆修正】)。納骨の方がお一組。
Map これで高田本山専修寺もコンプリートと思っていたのですが、記事を書きながらマップをよく見ていましたら、大講堂を忘れていました(宗務院やら婦人会館などの一般施設を除いて)。いやぁ苦笑せざるを得ませんが、これでまた出かける口実ができました。
Img_3279c 帰る前にもう一度、如来堂と御影堂を振り返り、唐門から外に出ます。唐Img_3281c 門(からもん)も国指定重要文化財です。如来堂の正面にあります。すべて良質の欅を用い、豪華な装飾で埋め尽くされています。建築。天保15(1844)年に上棟しています。
Img_3284c 唐門を出て西へ行くと、環濠にかかる安楽橋。一身田寺内町は、「環濠Img_3285c によって囲まれています。東西約500m、南北約450m。寺内町を区画することに加え、町を防御する機能もあったのです(南側は毛無川を利用しています)。この一身田の環濠は、寺内町の周囲を巡る環濠としては、日本で唯一ほぼ完全な形で残る貴重なものだそうです。
Img_3291c
 高田本山専修寺からJR紀勢線・一身田駅までは300mほど。駅名は、「いImg_3294c しんでん」となっていますが、町名は、「いっしんでん」という方がほとんどと思います。無人駅ですが、駅舎は、大正12(1923)年12月に竣工したもの。13時20分に到着。13時31分の鳥羽行きの普通電車に乗って、津駅まで戻ります。無人駅ですが、この日は、JRさわやかウォーキングとあって、助役さんと駅員さんが出張してきておられました。
Img_3306c 帰りの電車は、東一身田駅から伊勢鉄道でもよかったのですが、伊勢鉄Img_3312c 道は一応全線乗っています。紀勢線で一身田駅から津駅は乗車したことがありませんでしたので、こちらへ。津駅までは1駅で、¥190。13時34分着とたった3分でちょっともの足らず。途中、車窓からは、午前中に歩いた辺りの景色が見えます。
Img_3317c ワンマン列車ですので、降りるときには「あける」ボタンを押します。ランプが付いたら、これを押すとドアが開きます。ドアを開けて乗るのは、1月16日の“勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング“の時に経験しました(2018年1月21日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その4)環濠を巡り、伊勢別街道を通って、一身田駅で「完」)。まったく子どもみたいで、我ながら笑えます。
Img_3320c 津駅からは、家内の実家へ行くことにしていました。バスは、津駅始発Img_3327c で、どうしようか迷ったのですが、時刻を調べていなかったのと、確か1時間かかったのを思い出して、久居駅までは近鉄で行くことに。久居まで近鉄は¥260。久居駅でバスは、14時16分発でした。¥530。津駅から乗ると、バス代は¥840。結果的には、運賃、時間とも差はありませんでした。
 JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」のこれまでの記事は、以下の通りです。また、実測ルートは、こちらで見られます。

| | コメント (0)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その2)……勝楽寺、伊勢別街道、下津醤油、春乃舎であられをゲットし、取り敢えず一身田寺内町の館でゴール(まだ続く)

Img_3097c  秋雨前線の影響で雨で、今日の近鉄ハイキング&JRさわやかウォーキングへは出かけません。9月22日のJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」のその2を書くことにします。その1では、宗宝院と三重県総合博物館について書きました。博物館では念願だったミエゾウを見て、また、これも知りたかった松浦武四郎の展覧会も楽しみ、土産もすでにゲットしてしまいました。

20180922jrwalkingtsu11 その1で歩いたのは、このマップのあたり。地図を改めて見て気づいたのですが、いつも仕事に行く江戸橋の駅の真西あたりに、宗宝院や三重県総合博物館があるんですね。実際に歩いてみた上で地図を確認すると、位置関係が改めてよく分かります。博物館は、三重県総合文化センター、県立図書館と隣り合っています。
Img_3098c こちらがその三重県総合文化センター。文化会館、生涯学習施設、男女共Img_3101c 同参画施設を兼ねています。会合や研修会の講師で何度か来ていますが、最近はご無沙汰。博物館を出たのが11時半。このとき、総合文化センターのエントランスでは、ブラスバンドの演奏をしていました。「Saturday & Sunday Concert」とあり、この時間に演奏していたのは、津市立一身田中学校の吹奏楽部の皆さんでした。今から行くのも一身田。
20180922jrwalkingtsu12 これからのルート。博物館・文化センターから東へ下り、県道10号線に戻ります。このあたりは、1月11日の近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」であるきました(2018年1月11日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その1)……勝久寺、大乃巳所神社、魚歳食品)。ただし、このときは、本の王国のところから一本西側の道に入り、勝久寺に立ち寄って北西に向かい、魚歳食品に行くというルートで、いわば大回りして高田本山専修寺へ行きました。
Img_3111c 博物館から県道10号線に下る道筋には、ヒガンバナ。シロバナヒガンバナも咲いていました。シロバナヒガンバナは、普通のヒガンバナと一緒に咲いていると、その白さが一段と引き立つ気がします。ちなみに、このあたりはマンションも建ち並んでいます。
Img_3116c 県道10号線。道の西側には、マックスバリュのショッピングセンターとか、Img_3122c いろいろ立ち並んでいますが、東側は水田。少し向こうにJR紀勢本線と伊勢鉄道線が望めます。そして、ここまで来ると、遠くに高田本山専修寺も見えるのです(右の写真)。しかし、しばらくは立ち寄りポイントもなく、ひたすら歩くという感じ。
Img_3123c マックスバリュ・ショッピングセンターの入り口からクルマが渋滞。何Img_3128c 事? と思ったら、マクドナルドのドライブスルー待ちの行列のようです。お昼ですからねぇ。お腹も空いてきましたが、まだまだ3㎞も歩いていません。高田本山専修寺までは、3㎞以上もあります。皆さん、黙々と歩いておられますので、小生も(笑)。
Img_3142c 津駅から3.4㎞。名前のない交差点を右折。さらに水田地帯を進みます。Img_3134c左の写真で中央左に見えるのは、一身田中学校。文化センターで吹奏楽部の皆さんが演奏していました。遠くには、三重大学の病院も見えます。というよりも、ダイサギらしき姿が気になりました(笑)。どこへ行っても野鳥は気になります。というか、バードウォッチングは、どこでも楽しめるということです(微笑)。
Img_3142c_2 南を振り返ると、総合文化センターや、近くのマンション群が見えます。Img_3143c 交差点を曲がって少し行くと、大里窪田の町に入っていきます。窪田は、東海道関宿と参宮街道を結ぶ伊勢別街道の宿場町。江戸時代には本陣や問屋場が置かれ、旅籠が軒を連ねたとされています。伊勢別街道は、江戸時代、京都滋賀方面から伊勢神宮へのルートとして、賑わったそうです。窪田には、市内最大の常夜灯があり、これは1月11日のハイキングで見て来ました(1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺)。
Img_3145c JR紀勢線の踏切を渡る直前、スタートから3.8㎞で、大古山勝楽寺に立ち寄りまImg_3150c す。真宗高田派。お彼岸ですので、宗宝院も、ここも本堂の扉は開けていただいてあり、ご本尊を拝むことができました。11時50分を過ぎた頃。
Img_3158c
 JR紀勢線の踏切を渡り、すぐに五六川。この川は、江戸橋の方まで続Img_3160c き、非常勤先の近くで志登茂川に合流しています。大古曽橋を渡って一身田の町に入っていきます。直進すれば、一身田の寺内町に行き、近いのですが、すぐに右折して、しばらく伊勢別街道を歩くコースになっています。たぶん距離を稼ぐのと、次の立ち寄りスポットに行くためでしょう。
20180922jrwalkingtsu13 勝楽寺の手前から伊勢別街道、下津醤油、一身田寺内町の館、高田本山専修寺、そして、JR紀勢線・一身田駅あたりの地図は、こちらの通り。右端に半分だけ入っているのは、伊勢鉄道・東一身田駅。
Img_3161c 伊勢別街道を歩いたのは500mほど。途中、伊勢木綿の臼井織布さんのImg_3166c ところを通ります。1月16日の“勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩”ここは歩いています(1月21日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その4)環濠を巡り、伊勢別街道を通って、一身田駅で「完」)。「伊勢木綿」は、江戸時代から続く伝統の布なのですが、現在では臼井織布一軒だけが作っています。
Img_3167c 4.6㎞地点、一身田中学校の北で右折。伊勢鉄道を見ながら北へ進みまImg_3172c す。これから向かう先の一身田の寺内町や、伊勢鉄道の東側あたりは、何度も来ました。毛無川を渡ります。この川は一身田の寺内町では、町を取り巻く環濠の一つとなっています。毛無川も江戸橋の方まで流れ、志登茂川に合流します。
Img_3174c 途中、コスモスを見つけたので撮ろうとしたら、風に煽られご覧のようなImg_3177c 写真に(苦笑)。まぁ、これも良し。そしてスタートからちょうど5㎞で、下津醤油さんに到着。ここも2度目(2018年1月13日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」)。
Img_3179c 工場見学会もあるということでしたが、付いたのがあいにくと昼休み(12時10分)。どなたもいらっしゃらず、勝手にちょっと覗いただけ。ここから西へ400mほど行くと、いよいよ一身田寺内町。
Img_3183c ここが寺内町の東の入り口、栄橋。環濠に架かった橋の一つ。この通りImg_3184c をまっすぐに行くと、高田本山専修寺の山門、唐門のあるところに出ます。栄端から見た、北側の環濠。
Img_3201c 話が逸れます。一身田は、高田本山専修寺の門前町ですが、専修寺は、もともとは、栃木県の高田というところにありました。そこが戦火に見舞われたため、真慧上人が一身田に移って来たことで、一身田が高田教団の中心となっています。それに先立つ、寛正5(1464)年、真慧上人は東海北陸地方の布教活動の中心として、この地に無量寿院(専修寺の前身)を建立していました。一身田寺内町がいつごろ成立したのかは明らかではありませんが、文禄元(1592)年の一御田神社の棟札に「寺内」という呼び方がみられることから、その頃にはすでに寺内町が成立していたものと考えられています。
Img_3006c ところで、スタートの時、「一身田商店街のすてきなプレゼント引換券」をImg_3191c_2 もらっていました。先ほど立ち寄った下津醤油さんでも「専修寺醤油」と引き替えられたのですが、それはパス。その他、まんじゅう(2ヶ所)、あられ、こんにゃく、ハンカチ、活命茶などと引き替え可能でした。専修寺近く、一身田寺内町の館(ここが今日のゴール)の手前に菓子司・春乃舎さんがありましたので、ここであられと引き替えていただきました。
Img_3188c 「花舞煎(はなまいせん)」と名付けられたもの。春乃舎さんでは、桜おこし、みのり、四季折々の生菓子を製造販売しておられます。桜おこしは、黒糖を使った昔ながらの高田本山土産。桜おこしは、1月16日の“勝手にJR・近鉄さわやかハイキングの時に別のお店で買っています(2018年1月16日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(予告編))。
Img_3193c この春乃屋さんの隣が、今日のゴールに設定されている一身田寺内町Img_3189c の館。JRさわやかウォーキングは、駅がスタート、駅がゴールというキャッチフレーズだったと思いますが、今日は例外。さらに、本来の今日のコースは、高田本山専修寺や、一身田商店街を回ってからゴールすべきだったのですが、先に&勝手にここでゴールすることにしました(笑)。12時25分、ここまでスタートから5.7㎞。
Img_3190c まだ完歩していないのに、「完歩記念」のパネルも撮影(苦笑)。スタンプImg_3357c もゲットしてしまいました。商店街はともかく、ここまで来て高田本山専修寺に行かないことはあり得ません。家内の父のお骨が収めてありますからお参りしていくつもりですし、1月の時に見逃しているところがあるのです(2018年1月20日:勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その3)専修寺の境内を歩く(後半))。
Senjujimap 1月に2回出かけたにもかかわらず、御対面所、賜春館、大玄関、大講堂などを見ていないのです。
 長くなりましたので、その2はここまで。取り敢えずゴールはしてしまいましたが、その3で高田本山専修寺のことと、JR紀勢線・一身田駅までの話を書き、「完」とする予定。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧