JRさわやかウォーキング

2018年4月27日 (金)

20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その3、完)……走井山勧学寺、三猿、サンジルシ醸造、有王塚を経てゴール

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 遅くなった上に、途切れ途切れの記事になってしまっています。小人閑居しておりますが、なかなか思うとおりに行かないところもあります(苦笑)。走井山公園の途中まで来ました。実は、公園には、佐藤華山翁遺愛碑があるようなのですが、今回の記事を書くのにあれこれ調べるまで、その存在すら知りませんでした。この碑は、もとは愛宕山にあったもので、文政2(1819)年に門人が建てたそうです。佐藤崋山は、桑名藩の能筆で、桑名城の時の鐘(行田市に現存)の書丹者です。これは、次に行ったときの宿題。
Img_9218c 公園に隣接して、東側に走井山勧学寺があります。高野山真言宗のお寺。Img_9226c ご本尊は、千手観音立像(県文化財)。境内に名水「走り井」があったので、山号を「走井山」としたといいます。ここは、戦国時代、矢田氏の居城であった矢田城跡の一画。創立については、天平年間(729~749年、聖武天皇の御代)、行基の草創と伝わりますが、正確なことは不明。近世までは走井山(矢田城)北麓にあり、元和年間(1615~1624年)、桑名藩2代藩主本多忠政の家臣・半弥によって現在地へ移されたといいます。その後、7代藩主・松平定重(在職1657~1710年)の代に本堂が再建されています。市内に現存する寺社建築としては最も古いとされています。
Img_9221c 境内にある仏足石。仏像が出現する以前、インド初期仏教では法輪、菩提Img_9223c 樹、塔などを拝んだが、この仏足石も崇拝対象の一つだったといいます。この仏足石、説明板によれば、江戸時代末期の作で、珍しい様式だとか。市の文化財。
Img_9217c 境内には、太子堂もあります。この太子堂は、明和年間(1764~72年)、Img_9214c 聖徳太子への信仰が厚かった「桑名惣大工中」が建立したのが始まりだそうです。火災に遭い、平成3(1991)年、桑名建築組合が再建しました。
Img_9215c 地蔵堂もいくつかあります。こちらのお地蔵様は、鉢巻地蔵。鉢巻地蔵Img_9231c_2 は、太子堂のすぐ側。右は延命地蔵。他にも、水子地蔵もあります。
Img_9232c  JRさわやかウォーキングのコースはここから、三岐鉄道北勢線・馬道駅の方へ降りていきます。ここ走井山あたりは、実は、三岐鉄道北勢線の撮影スポットでもあります。勧学寺の鐘楼あたりからというアングルもなかなか。以前は何度か撮ったのですが、桜の季節ですと、桜の間から三岐のナロー電車がJR・近鉄をまたぐ跨線橋を通ってくるシーンなどが撮れます。
Img_9234c ちょうど、馬道駅を発車する下り電車がありましたので、ゆる鉄風に撮っImg_9250c てみました(苦笑)。あくまでも「俄撮り鉄」ですので、ご笑覧のほどを。この馬道駅へ下る階段の途中に、右の写真のように、「伝村正屋敷跡」という案内板があります。村正は、あの妖刀村正。桑名の刀工。室町時代中期以後、代々活躍しました。文亀・天文年間 (1501~55年) に同名の刀工が数代あるのですが、永正年間 (1504~21年) の作品に傑作が多いといいます。あくまでも「伝」ということですが、この東にあるマンションのところに村正の屋敷があったと伝わっています。地下水が豊富であったので、作刀に適していたのかも知れません。
Img_9251c 馬道駅西の踏切に降りるまでのところ、西側に鳥居があります。「お菊稲荷大神」という社名標。ここがお菊稲荷への参道の入り口ということになります。今度来たら、ここから上がっていってみることにします。何か別のものが見えるかも知れません。
Img_9258c この鳥居の下に、三猿の塔があります。予告編でも書きImg_9261c ましたが、これ、大のお気に入り。2005年5月、体調を崩してしばらくの頃、このあたりに気分転換に散歩に連れてきてもらって、見つけたのです。この日は、久しぶりに対面してきました。復職を試みていた頃、この三猿の写真を「魔除け」として、研究室のドアに貼っていたことがありました。左の写真でご覧いただけるかも知れませんが、台座には、「此の心 我れができぬは 人?はせよとハそれハむり志や ?てくだされハ ありがたし」と刻まれています。
Img_9271c 馬道駅のところ(この辺で4km)を過ぎると、濃州道を渡ります。この街道は、桑名市三ツImg_9273c 矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜などを経て、いなべ市藤原町山口で巡見道に合流します。いなべの方も桑名藩領でしたので、員弁郡下から桑名城下へと続く道として発展したところです。桑名では員弁街道ということが多いようです。
Img_9278c 近鉄名古屋線・益生駅の西を南下して、最終の目的地であるサンジルシ醸造へ向かいます。途中、ある会社の敷地内に稲荷社がありました。「末廣稲荷大神」という社名標が鳥居に掲げられています。この会社の「マイお稲荷さん」のように思えます。
Img_9317c 10時20分頃、サンジルシ醸造に到着。味噌、醤油などを造っています。Img_9299c その昔、桑名藩のご用商人として、回船問屋を営んでいたそうですが、文化元(1804)年、藩命を受けて「みそ・たまり醸造業」をはじめたそうです。サンジルシ醸造はまた、インスタント食品のはしりともいうべき固形みそ、粉末しょうゆを全国で初めて開発、販売したそうです。また、過去には「一・二・三のサンジルシ」のキャッチフレーズで一世を風靡しました。
Img_9300c サンジルシ醸造の社章は、伊勢湾に注ぐ、木曽三川(揖斐、長良、木曽川)を表すそうです。上記のように藩の御用商人として、廻船問屋を営んでいました。藩主の命によって、醸造業に進出したのですが、廻船問屋を営んでいた頃の船の旗印を社章として引き継いでいます。
Img_9283c 会社の正門を入ると、醸造用の大きな樽と、佐藤信之助の像が迎えてくImg_9284c れます。佐藤信之助は、昭和12(1937)年、祖父を継いで社業を発展させた人物。経済界だけでなく、社会公共分野で活躍しました。桑名商工会議所会頭の他、県の公安委員会の委員長、中京テレビ社長など、多くの役割を兼ねておられました。
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 サンジルシ醸造さんでは、味噌汁の接待をしていただきました。さすがにImg_9289c 醸造元、暖かいものを美味しくいただきました。社員の方が席まで運んでくださるというサービス。即売会も開かれていたのですが、何といっても地元の会社ですから、ここで買わなくてもいいかなと思って、パス(帰宅後、誉められました……苦笑)。
Img_9308c 味噌汁をいただいたあとは、味噌蔵を見学してきました。見せてもらえたImg_9309c_2 のは、「天然醸造蔵」。速醸室ではなく、自然の環境で味噌を熟成させるための蔵。熟成期間は、1年以上だそうです。味噌の香りが堪りませんでした(微笑)。このあたりは、基本的に豆味噌。小生の出身地である、愛知県西三河もそうでした。
Img_9310c 工場内にいくつも置かれていました。味噌樽などの重しに使うものだと思Img_9313c います。昭和47(1972)年に現地へ移転したそうですから、50年近くが経過します。さすがに50年経つと、工場や設備も由緒正しいものという印象が深まっていました。
Img_9320c コースマップでは、サンジルシ醸造が最終の立ち寄りスImg_9334c ポットでしたが、小生はせっかくだからと近鉄名古屋線・益生駅近くにある「有王塚 付 俊寬塚(ありおうづかつけたりしゅんかんづか)」を見てきました。あまり有名ではありませんので、ご存じの方は少ないと思います。ここも2005年5月に馬道あたりに来たときに初めて訪れました。ブラブラしていたら、俳句好きとおっしゃる男性が案内してくださったのです。
Img_9329c 「有王塚 付 俊寬塚」は、俊寬は平家物語に登場する伝説の塚です。俊寛僧都の侍童有王が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ねたものの、すでに師は亡くなっていたため、高野山に収めるべく師の骨を抱いて行脚をしていた途中、鎌倉時代にここにあった「りん(舟偏に侖)崇寺<りんそうじ>」(現在は、市内寺町にあります)の前で没したと伝わっています。大正時代に俳人天春静堂と桑名の俳人達によって修築保存されたといいます(大正10年2月11日)。このあたりで6㎞。
Img_9325c 有王塚の北にありました。これが俊寬塚だったかなと思ったのですが、13d61f22 2015年08月31日の散歩写真を見ると明らかに違いました(右の写真、撮影も2005年(平成17年)5月16日)有王塚も、写真にあるようにマンションが建っていますから、移転されていると思います。益生駅の方にも見に行ったもののの、見つけられませんでした。もう少し先まで行く必要があったようです。
Img_9340c 近鉄名古屋線・益生駅近くに戻り、近鉄名古屋線・JR関Img_9351c_2 西線の線路際を通って、桑名駅方面へ。三岐鉄道北勢線の高架橋の下を久具他ところで、吊りかけモーターの音が聞こえてきました。待っていたら、北勢線のレトロカラー電車が通っていきました。北勢線は、次の西桑名駅が終点で、折り返し運転のはず。このレトロカラー電車、阿下喜のお雛さんの近鉄ハイキングの時も見たのですが(3月3日;近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その3)……鈴鹿山脈を眺めながら、久保院、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道からいよいよ阿下喜の町へ(まだ続く))、もう少しよい写真を撮りたいと思っていました。
 時刻表(ハイキングに行くと、その駅の時刻表をもらってきています。それは、ハイキングセットの中に入れてあるのです)をチェックすると、10分後に折り返し運転(西桑名駅11時05分発)。近くにいた母娘連れの方も、「えっ!? そうなの? じゃぁ待っていようか」と。この娘さんに「何でそんな時刻表まで持っているの?」と不思議がられました(苦笑)。
Img_9380c どこから撮るか迷ったのですが、少し戻って、上2枚の写真にある高架橋の北東から撮ることにしました。町名でいうと、新矢田1丁目あたり。またもや、準備もなしの「俄撮り鉄」でしたから、こんな写真。見上げるアングルを試しました。
Img_9410c コースに戻り、線路沿いを桑名駅に向かいます。行きに渡った跨線橋をImg_9413c 再び登ります。右の写真は、この直前に通ってきたあたりを撮っています。向かって右手は、最近、住宅団地が開発されたところです。右から近鉄、JRの線路で、三岐鉄道北勢線は、向かって左手にあるマンション近くを走っています。
Img_9416c 桑名駅近くまで戻ってきました。 ゴールは、桑名駅ではなく、バス乗り場Img_9419c の北の端。ゴールは11時20分頃。スタートしたのが8時50分でしたから、2時間半。歩いた距離は、距離測βで見ると、6.6㎞。
Img_9420c こちら、いつもの完歩記念パネル。毎回Dscn6726c 同じとはいうものの、これがないと落ち着きません。スタンプはようやく4個目。先は長い。
 4月14日に行って以来、2週間近くかかって記事の方もゴールしました。皆さまに御礼申し上げます。23日(月)に行ってきた「勝手に近鉄ハイキング」もなるべく早めに着手したいと思ってはいますが、どうなりますか?

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2018年4月24日 (火)

20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その2)……太夫の八幡社と、走井山公園

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 太夫の大楠のすぐ東に八幡社があります。勝手に立ち寄り(笑)。こちらにある西桑名神社の説明Img_9130c を見ますと、元は太夫村八幡社であったと思われます。この八幡社は、明治41(1908)年10月に西桑名神社に合祀され、合祀した新しい神社を南大山田神社といったようです。その後、第二次大戦後に分祀されたのではないかと思いますが(大貝須あたりの神社でそういう例をたくさん見ました)、ネット検索では情報が出て来ませんし、神社検索(三重)にもリストアップされていません。社名標には、「南大山田神社」とあり、詳細は不明。由緒書きもありません。
Img_9132c こちらがお社。秋葉神社などによくあるようなタイプ。八幡社ですから、御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、すなわち応神天皇です。
Img_9140c 境内、拝殿の北東側には、「八天宮」と刻まれた石柱がありImg_9141c ます。かなり古びていますし、傾いていました。「八天宮」は、火伏せの神のはず。こちらの説明では、桑員地方で特に信仰が多いそうです。それは、江戸時代・文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからです。要するに、防火に気をつけるよう八天宮を祭ったということでしょう。それにしても、この石柱だけというのは、どういうことでしょう? お社があった名残か何かでしょうか?
Img_9137c 境内には、もう一つ興味深いものが。それは、「両宮遙拝所」と刻まれた、Img_9135c 古びた石碑。この向きからして、両宮は、たぶん間違いなく伊勢の内宮と外宮。碑陰には、「文政九年丙戌正月十五日 加藤源太夫至(?)吉」とあるように読めます。文政9年は、1826年。「加藤源太夫」というのは、伊勢大神楽の社家の一つで、平成に廃業したところと同じ名前。何か、関連がありそうな気がします。リンク先のWikipediaの説明に出て来ます(廃業した社家のところ)。謎は解明できませんが、なかなか面白い神社でした。
Img_9142c 大きくコースを外れたのではありません。すぐに戻り、神楽町という、何やImg_9150c_2 ら由緒ありげな名前の住宅街を抜けて、桑名市上野へ。上野浄水場の南に出ます。ここからは、南の方がよく見えます。右の写真は、中部電力川越火力発電所を眺めたもの。
Img_9156c あいにくの曇天で眺望はイマイチでしたが、場所と方角を選べば、ナガシマスパーランドも見えます(左の写真)。眼下に目を転ずると、三岐鉄道北勢線のナロートレインが、ガタンゴトンと吊りかけモーターの音を響かせて、懸命に走っていくのも見えます(写真はありません)。
Img_9161c こちらが、桑名市の上野浄水場。当然、立ち入り禁止。ただ、ここの構内Img_9159c には、立派なソメイヨシノの木があります。このウォーキングは、4月14日でしたので、いずれにしても桜の季節には遅いのですが、満開ですとそれは見事です。
Img_9198c 浄水場の東に隣接して、走井山公園があります。矢田城の跡で、伊勢湾Img_9195c まで見通しがききます。ソメイヨシノが115本あるほか、シダレザクラなどもあって、桜の名所。公園内には殉国碑や、お菊稲荷神社、庚申塔を集めたところなどがあり、ここもある種のワンダーランド(微笑)。東隣には、走井山勧学寺があります。桜はわずかにシダレザクラが咲いていました。
 矢田城は、天正年間(1573~1592年)に毛利家の家臣・矢田俊行によって築かれたとされます。その後、永禄年間(1558~1570年)に滝川一益によって攻められ落城しました。矢田城は滝川一益に与えられ、長島一向一揆攻略の最前線基地となっています。天正2(1574)年、一益が長島城へ移ると、家臣の杉山十左衛門・野呂孫右衛門が入ったのですが、その後廃城されました。江戸時代、桑名藩主松平定綱により、城跡に勧学寺が建てられています。現在、明確な遺構は残っていません。
Img_9164c まずは、殉国碑。桑名市遺族会が戦没者2,158柱の霊を祀るために、元は昭和28(1953)年に建てたようです。その後、昭和38(1963)年、平成27(2015)年にそれぞれ、祀られた方々のお名前が分かるように直されてきています。現在は、殉国碑の両側に銘記されています。
Img_9206c こちらには庚申塔を集めたところがあります。この公園のやや北東に愛Img_9204c 宕山があり、戦国時代、矢田氏によって愛宕山城という城館が築かれていました。江戸時代になって、養像院という寺が設けられています。養像院は明治初頭に廃され、呑景楼という料理屋がつくられました。庚申塔は、明治以降に集められたようです。詳しいことは分からないそうです。ほとんどの庚申塔は倒れていたそうですが、移設に際して復元されました。愛宕山城は、矢田市郎左衛門の居城といいます。 矢田城の矢田氏と同族と思われるが関係は不明。城跡は、現在は住宅地として整地され何も残っていません。
Img_9171c 庚申塔は、別のところにも3基があります。庚申の夜に眠ると命が縮まImg_9178c り、眠らずに身を慎むと災難が除かれるとい道教の教えによって、眠らずに語り明かし、主食の宴を催す「庚申待」が行われるようになったといいます。室町時代末ごろからは、こうした庚申塔(庚申塚)が建てられ始め、桑名でもここ走井山や愛宕山にたくさんあったといいます。
Img_9208c 走井山公園にはこれまで何度も行っているのですが、これには気づきまImg_9209c せんでした。北側の公園入り口の近くにありました。「輜重兵 小川久治郎之碑」です。「輜重兵(しちょうへい)」とは、または輜重兵科(しちょうへいか)。兵站を主に担当する日本陸軍の後方支援兵科の一種だそうです。 碑の右側には、「明治廿区年三月廿一日」とあります(「廿」としたところは、「卅」かも知れません)。もっと驚いたのは、碑の左側にある名前でした(右の写真)。ここには、「陸軍少将 正五位 勲三等 功三級 男爵 立見尚文 謹書」とあったのです。立見尚文は、旧・桑名藩士。第8師団(青森県弘前市)の師団長でした。日露戦争黒溝台会戦で活躍し、大きな戦果をあげています。小川久治郎については、よく分かりませんが、立見尚文が関わっているとすれば、よほどの人物か、立見と関係の深かった人物と思われます。
Img_9181c さて、ここからが面白いところであり、よく分からないことが多いところでもあります。走井山公園の南西隅に「お菊稲荷神社」があるというのは、地図にも載っています。公園の南西隅に行くと、お菊稲荷神社と並んで、「白龍龍神」という神社もあります。
Img_9188c まずは、お菊稲荷神社。上左の写真の鳥居をくぐって登っていくと、左のImg_9190c 写真のようになっています。この鳥居の奥にある石碑には、右の写真のように、「お菊稲荷之霊」と刻まれています。これには参りました。わずかな経験しかありませんが、「稲荷之霊」というのは、これまでに見たことがありません。ネットで検索してみると、こちらに「於菊稲荷神社」というところのサイトがありました。群馬県高崎市にある神社です。そこの記述によれば、江戸時代 新町に於菊という心優しく美しい娘がおり、いつも稲荷神社で近所の子どもたちの面倒をみており、皆に慕われていたといいます。しかし、ある日、重い病にかかり住む所を失ったため、子ども達の親が不憫に思い、稲荷神社の側に小屋を建て交代で看病したといいます。3年の月日が流れたある夜、稲荷の神様が夢枕に現れ、人々のために尽くすようにと於菊に告げたそうです。このお告げと同時に病は全快し、稲荷神社の巫女になったということです。何となく、これに関わる話かとは思うのですが、詳細は不明といわざるを得ません。
Img_9192c お菊稲荷神社の脇には、この「霊狐廟」があります。何となくあまり気持Img_9193c ちの良いところではなかったのですが、見てきました。ここにも、「お菊稲荷の霊」が祀られています。「稲荷の霊」というのは、初めて見ますし、どうも意味が分かりません。「狐が憑く」とか「狐の祟り」というのは見聞しますが……。いつどういう経緯で建てられたお稲荷さんか、よく分かりませんし、ネットで調べても情報が出て来ません。何かご存じの方がいらっしゃれば、是非ご教示ください。
 もう一つの白龍竜神。上の写真(お菊稲荷神社と並んでいるもの)で、側に立っている説明板は、庚申塔のもの。白龍竜神も、よく分かりません。謎は深まるばかり。
 その1で、「本日はここまで」と書きましたが、調子に乗って、その2も書いてしまいました。しかしさすがに、ここで力尽きました(苦笑)。その3は、明日以降(これは確実……笑)。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行きますと、いろいろと新しいものごとを見聞し、それについて調べ、まさに「あみま倶楽部」の理念通りなのですが(あるく、みる、まなぶであります)、謎は謎を呼ぶというか、一つ分かるとさらにたくさん分からないことが出来します。

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20180414 JRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」(その1)……幅の異なる3線のレール、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠

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 このJRさわやかウォーキング「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」に行ってから、もう10日も経ってしまいました(苦笑)。この間、相談会があり、新たなコンサルテーション依頼を受けたり、研究会があったりと、小生にしては珍しく用事がたくさんありました。「怠け者の節句働き 」のような始末。オマケに、昨日は昨日で、「またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編)」などに出かけ、困ったものです。ぼやいていても始まりませんし、仕事の方は取り敢えずめどがつきましたので、JRさわやかウォーキングの方から順番に記事を書きましょう。
Img_9060c この日は、ご覧のように曇天でしたが、雨は夕方以降という予報でしたので、久しぶりにJRさわやかウォーキングへ行ってきました。桑名開催でしたので、散歩代わりにということです。桑名駅集合ですから、自宅から徒歩で行けるというのもメリットです(笑)。「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」ということで、桑名駅の南にある、JR、近鉄、三岐鉄道と3つの幅の異なるレールが並ぶところを見て、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠、走井山公園、勧学寺を経て、サンジルシ醸造を回るという、マップ上5.8㎞というコースでした。
20180414jrwalkingkuwana こちらが実際に歩いたルートです。右上にある桑名駅がスタート&ゴール。地元開催ということもあり、また、事前に予習する時間がありませんでしたので、寄り道は2ヶ所しただけ。走井山公園の中は、けっこうあちこち見回りましたが。実際に歩いた距離は、6.6㎞ほどでした。わが家から桑名駅までの往復を含め、8.6㎞ですので、普段の散歩に多少プラスアルファというくらい。
Img_9057c 集合、受付場所は、桑名駅東口のコンコース。こちら側がJR桑名駅ですImg_9056c (西口が、近鉄桑名駅)。左の写真、ピンぼけですが、オレンジ色のパーカーの方達がJRの係の方。地図を受け取ってスタート。東口を出て、南へ。こちらには、バス乗り場があります。桑名駅およびその周辺は、現在改良工事が進んでいます(こちらを参照)。駅そのものも南へ約80m移動しますし、駅前広場も大きく変貌するといいます。
Img_5377c この写真は、今年2月6日に町屋川へバードウォッチングに行った帰りに撮ったもの。正面は、桑栄メイトビル。向かって左手(西)が、改良工事をしている、駅前広場。手前側に来ると、バス乗り場があります。駅の東西を結ぶ自由通路もできるそうですが、駅から東に住む者にとってはあまりメリットはない気がします。
Img_9064c バス乗り場と、三岐鉄道北勢線・西桑名駅の間を通り、南へ。この日は、多度にある東建多度カントリークラブで「東建ホームメイトカップ」が開催されており、シャトルバスも出ていました。あの石川遼選手も来ていたはず。この日は、予選ラウンドだったと思いますが、それでもバスはけっこう賑わっていました。
Img_9068c 西桑名駅と、百五銀行の間をすり抜けて、線路沿いの道に出ます。「幅の異なる3線のレールが並ぶ光景」というJRさわやかウォーキングの看板が出ています。すぐ右に見えるのは、三岐鉄道北勢線のナローゲージ。ナローゲージは、JRが採用している1,067mmよりも狭い線路幅の鉄道を指すことが多く、この北勢線の線路幅は762mmです。ただ、ここから眺めても違いはよく分かりません。
Img_9069c 桑名ステーションホテルの南に、この3つの幅の異なる線路を渡る踏切があります(歩行者、自転車専用)。我々には1つの踏切なのですが、鉄道会社によって名称が異なり、近鉄名古屋線は「益生第4号踏切」、JR関西線は「桑名駅構内踏切」、三岐鉄道北勢線では「西桑名第2号踏切」といいます(こちらに動画も見られるサイトがありました)。ここを渡ると、その違いが実感できます。この写真で手前から三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)、JR関西線(狭軌、1,067mm)、近鉄名古屋線(標準軌、1,435mm;新幹線と同じ)。こちらにいらしたら、是非体験されることをお勧めします。
Img_9071c ウォーキングコースにしたがっていくと、この先で三崎跨線橋を渡ります。この跨線橋から、3つの幅の異なる線路が一望できます。あいにく、どの路線も電車はきませんでしたが、左の写真は桑名駅・西桑名駅方面を眺めたもの。中央あたりに上述の踏切が通っている野ですが、写真ではよく分かりません。向かって右から、三岐鉄道、JR、近鉄となっています。
Img_9078c 跨線橋を降りたところで、近鉄の普通電車と、三岐鉄道の電車がやって来ました。いずれも下り。三岐鉄道は、ちょうど踏切を通過しているところ。ここからは、進路を西にとります。県立桑名高校の前から、東名阪自動車道の桑名インターにつながる道です。
Img_9085c しばらく進むと、桑名高校の手前、北側に桑名神明社があります。神明社ですので、御祭神は天照大御神。社伝によれば、当社の創姶は、応永年間(1394~1427)といいますが、天正年間(1573~1591)に火災に遭い、類焼したため、詳細は不明ということです。以前立ち寄ったことがありましたので、今回はパス。
Img_9087c ほぼ1㎞歩いてきて、桑名高校の南東、アピエス桑名というマンションのImg_9100c ところで左折し、諸戸水道貯水池遺構に向かいます。ここが最初の目的地。「諸戸水道」というのは、飲み水に不自由していた旧・桑名町で、明治時代後期に豪商・初代諸戸清六が、独力で敷設した上水道のことです。軍用水道を除いた近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しています。
Img_9097c こちらが、貯水池遺構。1枚では写真に収まりません。東西約13.4m、南Img_9096c 北約23.2mの長方形、深さは約3.6mです。側面と底面はコンクリート造、内側は煉瓦積み。容量は953立方メートル。湧水量は1日900立方メートル当時は、木造の上屋があったと説明板(上右の写真)にあります。
Img_9102c 貯水池に集められた地下水は、延長約14kmにおよぶ給水管で桑名町と、その周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に配水され、市中に設置した共用栓(55ヶ所)と消火栓(24ヶ所)によって、住民に無償で提供されました。
Ebd347e9 桑名七里の渡し公園には、この諸戸水道の共用栓を復刻したものがあり950e60dd ます。この共用栓から、人々は水をくんでそれぞれ自宅に持ち帰って利用したという説明がついています。それにしても、諸戸家というのは、たいしたものです。これら2枚の写真は、2015年12月に撮影したもの。
E24825a5 ところで、この諸戸水道貯水池遺構の西には、諸戸徳成邸がありまし665844d4 た。と過去形で書かねばならないのはとても残念ですが、桑名市が購入するという話もあったものの、結局それはならず、持ち主の方(諸戸家の子孫の方)が手放し、マンションを建てるということで、取り壊されてしまったのです。ここは、二代目・諸戸清六が建てた邸宅です。造営は、大正末期~昭和初期、建物は9棟、敷地面積は、7,702平方メートル(建築面積1,059平方メートル)です。二代目・清六氏は、戦前までは本邸である旧・諸戸家住宅(現在の六華苑)と、この別邸である徳成邸を行き来し、生活をしていたそうですが、太平洋戦争の際に、徳成邸に定住したといいます。二代目・諸戸清六氏は、昭和44(1969)年まで、また同夫人は、昭和61(1986)年までここにお住まいだったそうです。2枚の写真は、2013年11月30日の見学会のときに撮影。見学記事は、こちら:2013年11月30日;諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました 、2015年5月17日;諸戸徳成邸特別公開 、2017年4月29日;「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで。3回見学に行っております。
Img_9104c 上の写真の建物があったと思われるあたりは、このように更地になってImg_9094c いました。この日も、重機が入って、整地などの作業が行われていたのですが、何ともいいがたい光景です。この邸宅、庭園は、桑名市としての文化遺産で遭ったのにと思いますし、六華苑、諸戸氏庭園とあわせて、「諸戸三大庭園」としてアピールできたとも思います。
Img_9091c お屋敷の北側にある茶室と、敷地内にあった諸戸家の墓所は残っていImg_9092c ました。右の写真には墓所に上がっていく石段が写っています。ここには、マンションが建つという話を聞いています。マップにも表示はありませんので、ウォーキング参加者はほとんど気づかず。
Img_9109c 複雑な気持ちを抱きつつ、先へ進みます。桑名高校の東あたりからは、ずっと坂道。ここは実は、断層帯。計4段の階段状地形が形成されていて、標高差は30mに及ぶそうです(古地図で楽しむ三重、風媒社)。丘陵全体では高度差は60mにもなるといいます。「養老・桑名・四日市断層帯」というAクラスの活断層の一部です。過去にマグニチュード8程度の大地震を繰り返し発生させたと推定されるそうで、ちょっとコワいお話。左の写真は、桑名高校のすぐ南あたり。
Img_9112c 立花町あたりまで登ってきて振り返った写真。わが家あたりは、海抜0mImg_9115c 地帯ですから、かなり高くなっているはず。ここらで2㎞の手前くらい。太夫の大楠まではもう少し。途中、シャッター販売会社の店先には、鉄人28号や、スパイダーマンがいます。鉄人28号はずっと昔からここにありました。ちょっとだけ和みます。
Img_9117c 太夫地区に入って、はるやまやまるさ水産の手前にある小さな信号を左折し、南へ行くと、太夫の大楠(たゆうのおおくす)があります。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つあり、測定が難しいといいますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m。説明板では、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。
Img_9120c_2 説明板によれば、昔は境内地であって、ご神木だったといいます。大楠の東に八幡社(南大山田神社)がありますから、その境内だったということかも知れません。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で、枝張りが変わって少なくなったが、勢いはあります。ちなみに、鈴鹿にある長太の大楠(なごのおおくす)は、幹周:8.8m、樹高:23mだそうですから、いい勝負(笑)。
B789a95c  ちなみに、この太夫の大楠から少し北には、伊勢大神楽で有名な増田神58a7b945 社があります。伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。写真は、2006年2月19日に撮影(最長不倒距離で,脚が痛い!)。伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日;春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。
 長くなりましたので、本日は、ここまで。次は、太夫の大楠の東にある八幡社の話からスタートして、走井山公園あたりのお話の予定。

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2018年4月14日 (土)

徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて(予告編)

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 雨は夕方以降ということでしたので、久しぶりにJRさわやかウォーキングへ行ってきました。本日は、桑名開催でしたので、散歩代わりにであります。桑名駅集合ですので、徒歩で行けるというのもメリット(笑)。「桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」ということで、桑名駅の南にある、JR、近鉄、三岐鉄道と3つの幅の異なるレールを見て、諸戸水道貯水池遺構、太夫の大楠、走井山公園、勧学寺を経て、サンジルシ醸造を回るという、マップ上5.8㎞というコースでした。
180414jrwalkingmap 左はいただいたコースマップ、右は実際に歩いたルートを距離測β上に描20180414jrwalkingkuwana いたもの。相談会の報告や、準備など諸々ありましたし、地元開催ということもあって、予習はしていません。寄り道は2ヶ所です。本日は、予告編とし、また改めて詳しく書くことにします
Img_9056c スタートはJR関西線・桑名駅。わが家からは徒歩10分ほImg_9064c ど。東口のコンコースで地図をもらって、8時50分スタート。駅から南下します。多度にある東建多度カントリークラブで「東建ホームメイトカップ」が開催されており、シャトルバスも出ていました。石川遼選手も来ていたはず。
Img_9068c 桑名駅の南、ステーションホテル桑名の西あたりにこの看板。「幅の異なるImg_9069c 3線が並ぶ光景」とあります。歩きながらでは今ひとつよく分かりませんが、右の写真の踏切を渡ると、これら3つの路線を通れます。
Img_9071c この先の跨線橋に上がると、3つの路線がよく見えます。写真に向かって右から、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)、JR関西線(狭軌)、近鉄名古屋線(標準軌)となっています。写真の奥が北(名古屋方向)。あいにく、通過した時間は、電車は通りませんでした。
Img_9097c 跨線橋を降りてからは、上り坂。県立桑名高校の南東角あたりを左折Img_9100c (南へ).少し進むと、諸戸水道貯水池遺構があります。初代諸戸清六が、独力で上水道付設を計画し、東方の丘陵地の地下水を集めた貯水池がここです。これによって桑名市内に上水道が普及しました。近代的な上水道としては、全国で7番目。明治37年(1904)に竣工し、昭和4年(1929)まで使用されていました。
Img_9094c  この諸戸水道貯水池遺構の西には、諸戸徳成邸がありました。と過去形で書かねばならないのはとても残念ですが、桑名市が購入するという話もあったものの、結局それはならず、持ち主の方(諸戸家の子孫の方)が手放し、マンションを建てるということで、取り壊されてしまったのです(見学記事は、こちら:2013年11月30日;諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました 、2015年5月17日;諸戸徳成邸特別公開 、2017年4月29日;「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで、3回見に行っております)。
Img_9091c 北側の、茶室があったあたりと、諸戸家の墓所は残っています。建物はImg_9088c すでになく、土地の造成工事が行われていました。マンションが建つという話を聞いています。マップにも表示はありませんので、ウォーキング参加者はほとんど気づかず。
Img_9117c ついで太夫の大楠。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6Img_9120c 本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年その楠が枯れた時にその母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が二つあり、測定が難しいといいますが、環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周6. 80m、樹高20m。説明板では、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。
Img_9127c 太夫の大楠の隣で、八幡社(南大山田神社)を見つけました。当然、寄り道です(苦笑)。Img_9137c 幸いコースからはほとんど外れません。詳細はまた改めてということにしますが、境内には文政9(1826)年にできた「両宮遙拝所」と、「八天宮」の石碑がありました。いずれもかなり古びています。
Img_9161c 神楽町というなかなかよい名前の住宅街を通り抜け、桑名市の上野浄Img_9198c 水場の脇から、走井山(はしりいざん)公園へ。ここの浄水場には見事なソメイヨシノの木がありますが、今年はもう葉桜。走井山も、100本以上の桜があり、花見の名所。走井山には、戦国時代に矢田城がありました。
Img_9164c 公園内には、桑名市遺族会が建てた殉国碑(2,158柱の碑)や、このあたImg_9206c りにたくさんあった庚申塚を集めたところもあります。もともと明治時代にここに庚申塚を集めたようですが、詳細は不明のようです。これ以外にも庚申塚はあります。
Img_9181c 公園の南には、お菊稲荷と、白龍龍神が祀られています。今までも走井山には何度も来ていたのですが、ここはじっくりと見ていませんでした。けっこういろいろとあり、また、興味深いというか、よく分からないことも出て来ました。調べてみようと思っています。
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Img_9218c 公園に隣接してあるのが、走井山勧学寺。戦国時代矢田城があり、織田信長に滅ぼされましたが、桑名藩主松平(久松)定重により跡地に本堂が再建されています。市内に現存する寺社建築としては最も古いそうです。高野山真言宗の寺。「久波奈名所図会」には、天平年間、行基の草創と伝わりますが、正確なことは未詳。境内には、仏足石の他、たくさんの地蔵堂があります。
Img_9234c 勧学寺から南に下ると、三岐鉄道北勢線・馬道駅に出ます。ちょうど三岐Img_9250c 線のナロー電車がやって来たので、ゆる鉄風に撮ってみました(微笑)。この階段を降りていく途中、「伝村正屋敷跡」の看板があります。村正はもちろん、あの刀鍛冶。馬道駅の横にあるマンションあたりに屋敷があったというのです。
Img_9261c 馬道駅脇の踏切のところに、この三猿の石像があります。これ、2005年5月からの気に入り(微笑)。体調を崩してしばらくの頃、このあたりに気分転換に散歩に連れてきてもらって、見つけたのです。今日は、久しぶりに対面してきました。
Img_9271c 馬道駅を過ぎてすぐに濃州街道を横切ります。この街道は、桑名市三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜などを経て、いなべ市藤原町山口で巡見道に合流します。
Img_9317c 馬道駅あたりから1km半ほどでサンジルシ醸造に到着。味噌、醤油などImg_9283c をつくっています。もともとは回船業を営んでいたのですが、文化元(1804)年、桑名藩の命により醸造業を始めたといいます。
Img_9289c ここでは、味噌汁を試飲させていただきました。赤の豆味噌です。豆味噌は東海地方限定のようですが、これでなくては味噌汁ではありません(微笑)。子どもの頃から慣れ親しんだ味です(出身の愛知県西三河も同じです)。
Img_9308c 味噌蔵も見せてもらってきました。この写真は、天然醸造蔵。自然の環Img_9309c 境のもとで1年以上をかけて醸成させる蔵です。味噌の香りが堪りません(微笑)。
Img_9316c 即売所もあって、赤味噌500gを¥200で売っていたので、しばし逡巡しましたが、許可なく土産を買うのはどうかと思い、買わず。まぁ、地元の味噌蔵ですから、いつでも買えます。
Img_9320c 以上で本日の正式な立ち寄りスポットは制覇。ただし、個人的にもう1ヶ所寄り道。近鉄名古屋線・益生駅近くに「有王塚 付 俊寬塚(ありおうづかつけたりしゅんかんづか)」があります。あまり有名ではありませんので、ご存じの方は少ないと思います。ここも2005年5月に馬道あたりに来たときに初めて訪れました.ブラブラしていたら、俳句好きとおっしゃる男性が案内してくださったのです。俊寬は平家物語に登場します。有王はその侍童で、亡くなった師の俊寬の骨を高野山に納めるべく旅していた途中、当時、この付近にあった寺の前で没したという伝説によります。
Img_9351c あとはもう、JR関西線と近鉄名古屋線の線路沿いを北に向かって、ゴールを目指すだけと思っていたのですが、途中、三岐鉄道北勢線がJR・近鉄の上を通るところで、レトロカラーの電車がやって来てしまいました(微笑)。このレトロカラー電車、今まであまりきちんと撮影していません。時刻表(何故か三岐鉄道の時刻表を持っていたのです)をチェックすると、10分後に折り返し運転(西桑名駅11時05分発)。近くにいた母娘連れの方も、「えっ!? そうなの? じゃぁ待っていようか」と.この娘さんに「何でそんな時刻表まで持っているの?」と不思議がられました(苦笑)。
Img_9380c 撮影ポイントを迷ったものの、少し戻り、踏切を渡って、三岐線の東へ。カーブして上の写真のところへ出る前のあたりから。鉄ちゃんの方からすれば、もっと良いところがあるとなるのでしょうが、今日はこれで満足(微笑)。
Img_9410c 正式なコースに戻り、線路沿いを1㎞弱。このあたり、以前とはずいぶんImg_9413c 変わって、住宅地に変身しています。再び跨線橋を渡って、ゴールへ。右は、跨線橋の南側の歩道から撮ったもの。
Img_9416c ゴールは、桑名駅手前(南)にあるバスターミナルの一角に設けられていImg_9419c ました。多少の寄り道を経て11時25分に到着。実際に歩いた距離は、6.6㎞ほどでした。わが家から桑名駅までの往復を含め、8.6㎞ですので、普段の散歩に多少プラスアルファというくらい。
Img_9420c 毎度おなじみの「完歩パネル」ではありますが、恒例によDscn6728c り撮影。これをしないと終わった気分になりません。昼前には帰宅(微笑)。これでJRさわやかウォーキングのスタンプは、4個目。
 詳細な記事は、今週半ばくらいからの予定。

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2018年3月 9日 (金)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ(その4)……三明神社を経てゴール(完)

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 “JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ”、長々と引っ張っていますが、今日のその4で「完結」となります。昨日のその3では、無事、山田酒造で試飲(大吟醸も追加して、試飲してきました)できました。
Img_2501c 次へ行く前に補足を一つ。日吉神社にあった「蕃塀」について書きました。ブロ友のこころんさんからいただいたコメントで、津島神社にもあるということが分かりました。津島神社のサイトを見たら、「切妻造 檜皮葺」で、県の重要文化財となっていました。「尾張造の特色で、正面から大神様に邪気が当らないように造られた」ということです。
Img_2601c 山田酒造を11時半に出ました。大吟醸の試飲をしたので、入ってきた道かImg_2604c ら戻ったのですが、正式なコースは、真剣の演武を見たところから堤防に上がっていくルートになっていました(苦笑)。そのため、善敬寺(浄土真宗大谷派)をすっ飛ばしていました。後の祭り、試飲2杯をいただいて良い気分でしたので、「まぁ良いか」ということにしてしまいました。後で調べたら、ここの境内には、金融界の風雲児といわれた神田鐳藏の家系碑(渋沢栄一筆による)があるそうです。また、ここ善敬寺から七宝町徳実・甚目寺町・清洲町に通じている古道は、織田信長が19才、清洲城攻略の時、行軍した道と伝えられ、信長出世街道・清洲攻めの道とも呼ばれているそうです(こちら)。ちょっと惜しいことをしました。
Img_2620c 蟹江川沿いを少し下り、JR関西線の踏切を越えてからまた町中へ入りまImg_2621c す。山田酒造さんから600mほどいくと、三明神社があります。三明神社のある今地区は、鎌倉時代に描かれた「尾張国富田庄絵図」に「今村」という地名が記されているそうですから古くから人が住んでいたようです。
Img_2631c 三明神社の創建は不詳ですが、「須成村祠官寺西氏書状」に「慶長九辰Img_2628c_2
年再修造ス」とあるといいます(慶長9年は、1604年)。説明板によれば、祭神は定かではないものの、平成18(2006)年12月に行われた仮遷座の際、ご神体が三柱であることが再確認されたといいます。蟹江町史では、天地開闢(かいびゃく)の最初の三神、国常立尊(クニノトコタチノミコト:日本書紀では、天地開闢のときあらゆる神に先立って現れた第一神。国土生成の中心的神とされる)、国挟槌尊(クニノサツチノミコト:日本書紀の天地開闢の段に登場する神。別名国狭立尊(くにのさたちのみこと)。神代七代のうちの一柱)、豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト:天地創造の際に登場し、天地の間に混沌としたものが雲のようにただようさまを神格化したものという)であると推察されています。3つの明神が祭神であることから三明神社と呼ばれるといいます。
Img_2639c 境内には鬼瓦や、屋根の飾り物が並べられています。あちこちの寺社をおずれるとこのようなものが置かれているのをよく見ます。できれば、説明があるとありがたいところ。
Img_2651c 三明神社から、ゴールのJR関西線・蟹江駅までは600mあまり。今回も11Img_2660c 時53分に無事にゴールできました。近鉄ハイキングとは異なって、JRさわやかウォーキングでは、ゴールが設定され、ここでスタンプがもらえるのです。左の写真でオレンジ色の幟が立っているところがゴール受付。
Dscn6201c 去年の11月25日に初めてJRさわやかウォーキングに参加したとき(どうDscn6205c いうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)に作った「参加カード」。スタンプはまだ3つめ。こちらもスタンプ10個を集めないと参加賞はいただけません。有効期間は1年ですので、今年11月24日までに最低10個は集めなくてはなりません。
Img_2655c この「完歩記念」のパネル、毎回見ますので、使い回しとは思いますが、Img_2670c これを見ると、ゴールしたという実感が湧きます。JR関西線・蟹江駅は、普通電車しか停車しまません。この時間帯は上下とも1時間に2本。12時ちょうどに四日市行き普通が来ますので、これに乗車して帰途につきました。桑名到着は、12時16分。¥240。
 今回も楽しめましたが、事前のリサーチ不足がありました。2月27日に近鉄ハイキング(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑))に行ったため時間不足を来しました。もう少し計画的に行動し、事前のリサーチにも時間を掛けないと、見所を見落としてしまいます。

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2018年3月 8日 (木)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ(その3)……日吉神社で「蕃塀」を見て、いよいよ山田酒造へ(続く)

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 3月4日に出かけたJRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」のその3です。調べながら書いていますが、調べてもよく分からないとか、情報がスッキリ整理できないとかけっこうあります。たとえば、神社について、三重県内の神社については「神社検索(三重)」というサイトがあり、大変参考になります。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しているサイトです。神社庁に所属している、三重県内の神社の基本的な情報が載っていて、御祭神、由緒などが分かります。ここから、各県の神社のリストにリンクがあるものの、蟹江町のある愛知県については、神社名、住所しかリストアップされていないのです。
Img_2481c  さて、その3は、こちら、日吉神社からとなります。地図でお分かりのように、コースもほぼ半ばまで来Img_2483c_2 ています。ただし、今回のウォーキングでは立ち寄りスポットにはなっていません。蟹江新町にあります。
Img_2486c 由緒書によれば、江戸時代の天和2(1682)年以前に創建されたと伝えられ、祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト、別名 山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ))です。「大山に杭(咋)を打つ神」、つまり大きな山の所有者を意味する山の神といいます。この日吉神社は、江戸時代には「山王社」と呼ばれ、明治時代に「村社日吉社」と改められています。明治時代の神仏分離令により、本社である「日吉山王(滋賀県大津市)」が、「日吉神社」に改めたのに倣っています。平成6(1994)年に蟹江第二学戸土地区画整理事業に伴い、蟹江新町字村西にあった神社を現在地に移し、本殿・祭文殿・拝殿・神楽庫を再建、社務所を造営したといいます。
 なお、明治時代に地区内の地蔵寺の鎮守神であった白山社とともに、秋葉社も合祀されています。それにしても、このあたり秋葉社の多いこと。何か理由があるかも知れません。
Img_2489c ここ日吉神社で目を引いたのは、拝殿前にある幅2m半ほど、高さ2mあまりの石造の塀のようなものでした。これまでにこういうものを見た記憶はありません。調べてみますと、「蕃塀(ばんぺい)」というものでした。分かりやすく言えば、「神社の拝殿の前にある衝立状の塀」ということです。
Img_2501c 「蕃塀マニア」というブログによれば、伊勢神宮にもあるようですし、愛知県尾張地域にかなりたくさんあるそうです(特有といっても良さそうです)。このブログの説明によれば、“「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明である”ということでした。この日吉神社の蕃塀についても、蕃塀マニアさんのブログのここに説明があります。
Img_2493c 拝殿前の狛犬は、かなり古いものと思われました。台座には大正時代のImg_2496c 文字が見えましたが、狛犬の方はもっと以前のもののように見えます。
Img_2490c_2 この日吉神社には、日吉社の神使である猿が本殿に保存されていて、魔除けの猿といわれていることや、文政年間に作られた神楽屋形があり、また、これらが日吉神楽とあわせて蟹江町無形民俗文化財に指定されているのですが、事前のリサーチが不十分で、この時点ではつゆ知らず。そのまま次へ向かってしまいました。
Img_2512c次のポイントは、ポンレベック(Pont-l'Eveque)というココット料理とパンで有名なお店。家内は行ったことがあるそうですが、普段から大人気、大賑わいの店と聞いていました。今回は、JRさわやかウォーキングの立ち寄りポイントにもなっていて、店からお客さんがあふれていました(笑)。やむなく写真を撮っただけでここも通過。「カフェを併設したパン屋です。多い日には1日に400本近く焼く1本100円(外税)のバゲットとそのバゲットを使った明太バゲットが一番人気です」ということですから、また別の機会に是非とも来てみたいと思います。
Img_2517c 「漬け物 若菜」もあった県道29号線を渡り、北へ。JR関西線の線路沿いImg_2520c を歩きます。途中で踏切を渡って、関西線の北側へ。水田などもあるところを歩きます。5km地点あたりで線路脇にアオサギがいるのを見つけました(微笑)。
Img_2525c 5km地点を過ぎて、右手にお寺や神社らしきものが見えました。が、山田酒造さんが近いようなので、そちらへ急ごうというモチベーションが強すぎて、パス(苦笑)。ちなみにお寺は、八幡山松秀寺(曹洞宗)。寺伝によれば、天文23(1554)年草創の古刹です。以来幾多の易地におよび、困窮、試練に遭遇し、平成15(2003)年4月、約430年ぶりに草創の地である現在地に移転したといいます。神社は、八幡神社。
Img_2530c 5km半ほどのところ、須西小学校の東で、再び蟹江川を渡ります。この橋Img_2528c は、「飾橋」となっていて、右の写真のような飾りが、親柱にありました。須成祭の時、飾られた祭船に役者や供の者が全員乗船し、ここから天王橋に向けて出発します。祭船を飾ったことから飾橋の名が付けられたといわれています(こちらを参照)。
Img_2534c 飾橋を渡ると、山田酒造さんの建物が見えてきます。ようやくここまでやImg_2535c って来ました(微笑)。いよいよ「老舗造り酒屋での利き酒」です。ちなみに、蟹江川は木曽川や庄内川の分流で、酒造りに適した伏流水が湧き出ていたため、江戸時代から明治にかけて酒造りが盛んで、明治の初めころ、蟹江町内には十数件もの造り酒屋があったそうです(現在は、ここ山田酒造さんと甘強酒造さんのみ)。
Img_2536c 屁理屈、講釈はさておき、試飲コーナーへ。ところが、ここで若干迷う羽目に陥りました。無料の試飲と、純米大吟醸一杯300円の試飲と2ヶ所あるのです。純米大吟醸の方は、係の方が呼び込みを掛けていて、「とても300円とは思えないくらい美味しいお酒ですよ」などと誘うのです(苦笑)。迷わされますねぇ。こういうのを心理学では、「接近-接近型コンフリクト(葛藤)」といいます。つまり、両方とも好ましいものから1つ選べといわれて、迷う事態。
Img_2541c ちょっと考えた末、取り敢えずは無料でいただける試飲を1杯。のどごしもよく、軽くて美味しいお酒でした。酒飲みではありませんから、小生には十分なお酒です(微笑)。
Img_2551c 余談めきますが、この山田酒造さん、明治4(1871)年に創業しておられImg_2554c ます。けっこう立派なお庭があったり、玄関先にには錦鯉が飼われていたりと、なかなかの風情でした。このお庭あたりで試飲のお酒をいただきました。叶うことならば、ゆっくりと味わえる機会が欲しいものです。
Img_2556c さらに余談は続きますが、今回はこのように歓迎していただきましたImg_2559c (爆)。「酔泉」と「最愛」というのが、山田酒造さんのブランド。このあと、甘酒の振る舞いをいただきました。熱々、なかなか冷めません。今までに振る舞っていただいた甘酒の中でも好みの部類に属します。
Img_2681c このあと、土産を探しに即売所へ。今回の試飲のお
Img_2685c 酒ではないと思いますが、この「酔泉 しぼりたて 生原酒」(720ml ¥1,000)。をお買い上げ。季節限定商品であります(限定に弱いのです)。「やや甘い感じで、濃いめ」でした。先だっての近鉄ハイキングの酒蔵みてある記で試飲した「早川酒造部」の「天一 蔵出し 生原酒」に似た感じでした(こちら)。どちらも川の伏流水を用いていますが、河口部に近いという共通点があります。
Img_2565c 山田酒造さんの東で、JRさわやかウォーキングにあわせてイベントが開催されていました。小生が行ったとき、ちょうど「戸山流居合道美濃羽会」の演武が始まるところでした。「戸山流居合道」は、「戦時中陸軍戸山学校にて創設された日本に於ける実戦を想定且つ経験した最新にして最後の居合道」だそうです。
Img_2571c 真剣で真竹を試し切りする演武も行われました(こちらの戸山流居合道のサイトにも画像があります)。蟹江町PR隊によるイベントの一つでした。「新選組 蟹江に見参!!!」という文字も見えました。尾張国海部郡須成村(現在の蟹江町須成)出身の佐野七五三之助(天保5(1834)年生まれ)が江戸で北辰一刀流を学んだ後、元治元(1864)年、30歳のとき新選組の隊士となり京へ行ったのです。
Img_2593c 真剣による試し切りの演武を見た後、どうしても気になり、もう一度山田Img_2599c 酒造さんに戻りました(苦笑)。気になったのは、もちろんこちら。純米大吟醸の試飲です。いい年をしているのに、欲求には勝てません。まだまだ修行が足りません。こちら、山田錦を使っています。普通に買えば、720mlで¥2,500という良いお値段(こちら)。
Img_2597c
 「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで、という大げさなほどではありませんが、ものは試しと思って、¥300と引き替えに試飲をしてきました。こちらの試飲、メジャーカップできちんと分量を量って飲ませてもらいました。上品な感じでしたし、さすがに大吟醸でした。飲み比べもできましたので、これで心置きなく次へ進むことができます。11時半に山田酒造を出発。
 このあと、神社がもう一ヶ所あります。その4で完結予定です。

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2018年3月 7日 (水)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その2)……正一位秋葉神社と、銭洗尾張弁財天富吉神社

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 3月4日の“JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ”の2回目です。1回目では、蟹江町歴史資料館、蟹江城址などを見て南下し、地図上、2kmとあるあたりまで来ています。交差点を右折(西へ)したところで、2つめの秋葉神社があります。
Img_2422c その1の最後にも載せた、2つめの秋葉神社です。社名の標柱に「正一位Img_2423c とあるのを疑問に思ったところまで、その1で書きました。「正一位」は、「律令制における位階及び神階のひとつ。諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位」です。秋葉山本宮秋葉神社(浜松市)のサイトを見ると、「中世には「秋葉大権現」と称して、その御神徳は国中に知れわたり、朝廷からは正一位の神階を賜り」とありました。それ故、この秋葉神社にも「正一位」とあるワケです。
 ちなみに、お稲荷さんはどこも「正一位」となっています。伏見稲荷大社のホームページ(よくある質問)を見ると、「もともと天長4年(827)に淳和天皇より「従五位下」を授かってからだんだん上進し、天慶5年(942)に「正一位」になりました。因みに正一位の神階を授かっている神様は稲荷大神様だけではなく日本全国に多くおられます」とありました。伏見稲荷から勧請したお稲荷さんは、皆この「正一位」を名乗るようになった結果、現在では「正一位」がお稲荷さんの別称となっているようです。お稲荷さんはもっとも多い神社です。
Img_2426c 境内には取り立てて変わったものはありません。この改築記念碑が、鳥居脇に建っていただけ。「改築記念碑」と刻まれた脇には、「楽只○ ……」とあるのですが、小生には読めません。裏には芳名録が刻まれていますが、かなり風化してきています。
Img_2462c 秋葉神社の西隣にあるのが、次の目的地である「銭洗尾張弁財天富吉
Img_2431c 神社」です。富吉神社に鎮座する銭洗弁財天は、永享年間(1429~41年)、北条平八郎時満が蟹江城を築く際、城の鎮守社として鎌倉の銭洗弁財天宇賀神の眷属(けんぞく)である富吉龍大神を勧請したのが始まりと伝えられています(こちら)。時満は、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を洗い、この福銭をもって蟹江城を築城したといわれます。
Img_2441c 鳥居をくぐって正面にあるお社。こちらが、富吉神社かとImg_2436c 思います(確信はありません)。「富吉神社御由緒」(右の写真)によれば、北条時満が、築城にあたり、神のご加護をいただくため護法善神の中で神通力自在力最大である龍神を守護神として勧請したといいます。御祭神は富吉龍大神、御側神は大松大神(大松大神はよく分かりませんでしたが、伏見稲荷大社に同名のお社があるようです(こちら))。
Img_2444c 上のお社の東にあるのがこちら。ここが、銭洗弁財天。由緒書と「御誓願Img_2434c 文(右の写真)」などによれば、築城以降、龍神は蟹江城の大手門の堀に鎮座しておられたのですが、蟹江合戦で蟹江城が落城すると、堀を池として取り込んだ海門寺の境内となっています。その後、昭和39(1964)年、海門寺大池を埋め立てることとなり、富吉神社の境内に遷座し改めて尾張銭洗弁財天として信仰されるようになったということのようです。御由緒、御誓願文、ネット情報がスッキリとしませんでした m(_ _)m
Img_2447c 「1万円札を洗っても良いですよ」と門前で案内をしていた方はおっしゃっImg_2450c たのですが、謙虚に100円玉を洗ってきました。あまり欲張ると却ってよくないと思ったからであります(微笑)。100円玉は家内に渡してしまいましたが……。
Img_2440c ここの境内には、写真のように、「蟹江城主先祖代々供養塔」が立てられImg_2457c ています。こちらには蟹江合戦の犠牲者を祀るものと説明されています。境内には、このほかに右の写真にあるように、別のお社と、しめ縄がかけられた石もありました。詳しい説明はありませんし、ネットの検索でも情報は出て来ませんでした。お社は、由緒書にある御側神の大松大神でしょうか? 疑問は残りますが、先に進みましょう。
Img_2464c 銭洗弁財天から少し西に進むと、蟹江川を記念橋で渡ります。何かの記Img_2468c 念で掛けられたのでしょうが、詳細は不明。橋を渡った、西側のたもとに神社がありましたが、社名を示すものはありません。
Img_2470c 記念橋のすぐ上流、東側に「甘強」という文字が書かれた黒い建物が見えました。ひょっとしたらと思ったのですが、写真だけを撮って通り過ぎました。あとで調べたらやはり、みりんを作っている甘強(かんきょう)酒造さんでした。左側に写っている、黄緑がかった黄土色の美しいスクラッチタイル貼りの建物は旧本社事務所(昭和12年築)で、登録有形文化財(建造物)になっています。文久2(1862)年創業という歴史のある醸造元です。近鉄線沿線でしたか、「甘強みりん」という立て看板を見た記憶があります。
Img_2472c 蟹江町役場や、学戸小学校の近くを1km半ほど歩くと、次の立ち寄りポイントであるまちなか交流センターがあります。サークルの集まりや、作品展示、語学や料理などの講座・教室といった活動をするための場所だそうです。ここで「記念スタンプ台紙」があれば、スタンプを押してもらい、ゴールの時に抽選で粗品がいただけたのですが、小生が受付したときにはすでに記念スタンプ台紙の配布は終了。そのため、通過してきました。
Img_2481c このあとは、まちなか交流センターから信号を渡ってすぐのところにある日吉神社に立ち寄りました。ウォーキングコースとしては、立ち寄りポイントにはなっていません。今日は、ここまでとします。

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2018年3月 6日 (火)

JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その1)……蟹江町歴史資料館、蟹江城址、秋葉神社他

Kaniecoursec  3月4日に出かけたJRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」のその1です。「老舗造り酒屋」は、山田酒造さんです。近鉄ハイキングの酒蔵みてある記でも、2月18日にあったのですが(歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」)、前日に伊藤酒造に行きましたので持ち越しという次第。お断りしておきますが、大酒飲みでもありませんし、山田酒造さんだけが目的ではありません。今回のコースには、蟹江城址など興味のあるところも含まれています(微笑)。

20180304jrwalkkaniec こちらが実際に歩いたコース。マップ上では、約6.2km、1時間50分となっていましたが、実際には約7.1km、ほぼ2時間半でした。曇ってはいましたが、寒くはなく、むしろ若干汗を掻いたくらいでした。
Img_2347c 桑名駅を9時2分に発車するJR関西線・名古屋行き普通に乗車。蟹江までImg_2349c は4駅。9時21分着、¥240。8時半から受付でしたので、蟹江駅につく直前にはすでに歩いている方多数が見えました。蟹江は、電車や高速道路で通るものの、訪ねるのは初めて。近鉄蟹江駅には降りたことがありますが、それは台風の影響で電車が止まったためでした(もう20年あまり前)。
Img_2353c 9時27分にスタート。南に向かって歩きます。まったく土地勘がありませんImg_2357c が、JRさわやかウォーキングでは、要所要所に「矢印」が掲出されており、道に迷うことはあり得ません(笑)。蟹江本町の交差点を右折(西へ)。1kmも行かないところに、最初の立ち寄りスポット「漬け物 若菜」がありました。試食もありましたが、人も多く、写真を撮っただけで通過してきました。
Img_2366c 若菜の前の県道29号を西へ。お城のような建物が見えてきて、気になっImg_2367c たのですが、実はここが次の立ち寄りポイントである蟹江町歴史資料館が入っている産業文化会館でした。
Img_2368c 右上の写真にも写っていますが、いきなり「蟹江町道路元標」を発見。とImg_2369c いってもこれに注目したのは、小生くらい(苦笑)。他の方々は、館内へ続々と入っていきます。この道路元標、これまでにみたものよりかなり低くなっています。碑陰に回ってみると、下の方に「旧道 新道」とあるのが見えますが、他の文字はありません。大半が埋まっているのかも知れないと思います。
Img_2372c 玄関脇には、「旧日光大橋 親柱飾『象』」が置かれていました。「旧日光大橋」は、町内を流れる日光川にかかる国道1号線の橋。「親柱」は、階段・垣根などの両端や曲がり角に立つ太い柱。これは昭和初期のもので黒川巳喜氏の創案とあります。黒川巳喜氏は、明治38(1905)年、愛知県生まれ。名古屋高等工業学校を昭和2(1927)年に卒業し、愛知県営繕課に奉職しています。
Img_2378c 資料館内は大賑わいというか、ごった返していましたので、ゆっくり見て回ることができません。折から開催されていた特別企画展「子供と祭礼・行事」と、ミニ企画展「ユニークな郷土びなたち」をざっと見ただけ。ここには、蟹江町出身の探偵小説家である小酒井不木(こさかいふぼく:明治23(1890)年~昭和4(1929)年)に関する資料も展示されているはずでしたが、見逃しました。庭には、江戸川乱歩の書による「不木碑」もあったのですが、それにも気づかずじまい(苦笑)。急いては事をし損じるです。
 ちなみに、小酒井不木は、愛知一中、旧制三高を経て、東京帝国大学医学部へ入学。生理学・血清学を専攻し、東北大学助教授職を拝命しています。江戸川乱歩と交流を深め、探偵小説やSF小説を書きますが、持病の結核のため、39歳で亡くなっています。
Img_2398c 歴史民俗資料館の近くに「蟹江城址」があると書かれていましたので、これを見逃す手はありません。ただ、今は住宅地の中になってしまい、細い道をクネクネ。もともと「鉤の手」になっていたのかどうかは不明。ちなみに、蟹江城址に向かう、物好きな人はほとんどありません(苦笑)。
Img_2382c 今は、このように「城址公園」として整備されています。右に建っている看Img_2384c 板は、「地名のいわれ(蟹江町城)」について。近くの河口部から海岸付近に蟹がたくさん住んでいたことからその名がついたとあります。
Img_2390c この奥に「蟹江城址」の石碑がありました。戦国時代(1500年代)には蟹Img_2392c 江錠が築かれていたものの(永享年間(1429~1441)に北条時任(ほうじょうときとう)が築城したといわれます)、天正12(1584)年の蟹江合戦により落城。蟹江合戦は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦いで、主に蟹江城における篭城戦でした。翌年の大地震で壊滅しています。予告編では、これを天正大地震としましたが、誤っていました。1585年7月31日(天正13年7月5日) に大阪・京都・伊勢で大震があったといいます(こちらを参照)。
 蟹江城址では、このほか、本丸井戸跡も残っているのですが、これまた見忘れました。
Img_2401c コースに戻って蟹江町蟹江本町城地内を南へ。1km半ほど来たところで秋葉神社Img_2404c を発見。秋葉さんですから、御祭神は、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)で、火の神様。標柱(昭和三十年十二月建之)には、「従三位 二条弼基(にじょう たねもと)書」とありました。二条弼基(明治43(1910)年~昭和60(1985)年)は、工学者、政治家、華族、貴族院公爵議員だそうです。二條家は、「五摂家」の一つで、世が世なら摂政、関白になれる家柄です。しかし、他の石碑などでも思いますが、揮毫した方は地元と何か関係があるのでしょうかねぇ? よく分かりません。
Img_2409c 歩いた道は、昔からの道という感じで、古い民家や廃業した商店も多数Img_2412c ありました。右の写真のような町の電気屋さんなど、今ではほとんど見かけなくなりました。
Img_2414c 中の町・五の町商店街とあるあたりで、大木の根元にお社があるのを見Img_2417c つけました。しかし、どうも民家の駐車場にあるようで、敷地内に入るのははばかられました。それでも気になります(笑)。次の立ち寄りポイントである銭洗尾張弁財天富吉神社に着くまでに、さらにいろいろとあります。右は、大木があったところの先にあった神社。社名も、詳細も不明。Googleマップにもありませんし、愛知県神社庁のサイトからも検索できません。愛知県神社Mapのサイトでは、古い住所で今の地図では検索できません。愛知県の神社名鑑のような本があるようですが、¥19,000するという噂。買えません。その意味では、神社検索(三重)はありがたいサイト。
Img_2420c 上の不明神社(失礼)の近くには、お地蔵さん。お地蔵さんになるともっとお手上げ。オマケにここは、何地蔵かも掲げられておりません。よくよく探すと、どなたかがリストなどを作ってくださっているかも知れません。
Img_2422c 近鉄名古屋線の線路の手前で右折(西へ)。銭洗尾張弁財天富吉神社Img_2423c 次のポイントなのですが、その手前にまたもや、秋葉神社があります。秋葉さんが多い地域なのでしょうか? それはともかく、ここの社名の標柱には、「正一位」とあります。お稲荷さんでは、ほとんど「正一位 ○○稲荷」とあるのですが、秋葉さんで見たのは初めて。今日はここまでとし、その2に続きます。

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2018年3月 4日 (日)

今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編)

Img_2347c

 今日は、JRさわやかウォーキングで「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちをKaniecoursec 散策」へ行ってきました。桑名駅を9時2分発の普通電車・名古屋行きに乗車。蟹江駅には、9時21分着。コースマップを受け取り、9時27分にスタート。曇天でしたが、寒くはなく、多少汗ばむほどでした。右は、今日のコースマップ。マップ上は、6.2㎞、約1時間半で、家族向きということでした。
20180304jrwalkkaniec 実際に歩いたコースは、こちらの地図の通り。いつものように若干寄り道をしましたので、7.1㎞。ゴールも蟹江駅で、11時53分に到着。ほぼ2時間半でした。今日も予告編です。
Img_2349c スタートは、こちら、JR関西線・蟹江駅。桑名駅からは、名古屋に向かって4駅目。関西線は、まだ単線区間が残っていますので、途中では「行き違い」があります。受付は8時半からでしたので、蟹江駅に着く前には、すでに歩いている方も多数見えました。
Img_2357c 最初の立ち寄りポイントは、漬け物屋さんの若菜。1㎞足らず。試食や、即Img_2366c 売会がありましたが、写真を撮っただけでパス。若菜さんを出ると、城のような建物が見えてきて、気になっていましたが、ここが2つめの立ち寄りスポットである、蟹江町歴史資料館が入っている産業文化会館。商工会なども入っています。
Img_2378c 蟹江町歴史資料館では、「子供と祭礼・行事」という企画展と、写真にあるような「ユニークな郷土ひなたち」というミニ企画展も開かれていました。ここには、蟹江町出身の探偵小説家である小酒井不木(こさかいふぼく:明治23(1890)年~昭和4(1929)年)に関する資料も展示されているはずでしたが、気づきませんでした。小酒井不木は、愛知一中、旧制三高を経て、東京帝国大学医学部へ入学。生理学・血清学を専攻し、東北大学助教授職を拝命しています。江戸川乱歩と交流を深め、探偵小説やSF小説を書きますが、持病の結核のため、39歳で亡くなっています。
 ちなみに歴史資料館の前には「蟹江町道路元標」ものこっていました。
Img_2387c 歴史資料館の南西には、蟹江城址があります。ここは是非見たかったところですが、ほとんどのウォーキング参加者はこちらに足も向けません。もったいないです。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時任(ときとう)が城塞を築いたのが初めと言われます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。
Img_2401c 次の目的地である銭洗尾張弁財天富吉神社に行くまでに、秋葉神社が2Img_2422c つありました。秋葉神社が多い地域なのでしょうか? この2つの秋葉さんの間には、名称不詳の神社や、地蔵堂もありますし、昔の商店街の後を通ってきました。
Img_2462c こちらが、銭洗尾張弁財天富吉神社。尾張で唯一の銭洗弁財天だそうでImg_2444c す。室町時代、永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。
Img_2447c 勧められるままに、100円玉を取り出して洗ってきました。ここは、昭和Img_2440c 39(1964)年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られました。また蟹江合戦の犠牲者を祀る、「蟹江城主、先祖代々供養塔」があります。
Img_2472c 弁財天で2㎞を過ぎたくらい。このあとは、蟹江町役場の前など、町中を通り、こちらの「まちなか交流センター」へ。通称は、「みちくさの駅楽人:だそうです。8年ほど前に、町民が主体となった活動を町全体の活性化につなげるためという目的で設立されたところです。商工会の抽選スタンプがもらえると思っていたのですが、それは先着順、人数限定で対象外でした。もっと早く来なくてはなりませんでした。
Img_2481c まちなか交流センターの近くにある日吉神社へ寄り道です。江戸時代、天和2(1682)年以前に創建されたと伝えられています。祭神は大山昨命(オオヤマクイノカミ)で、または山王権現とも呼ばれています。この神社は、江戸時代を通して「山王社」であり、明治6年「村社日吉社」と改められました。
Img_2512c
 次のスポットは、ポンレヴェック。カフェを併設したパン屋ですが、ここは普段から大賑わいだそうで、今日は、店内に入れないくらいでしたので、パス。多い日には1日に400本近く焼く、1本100円(外税)のバゲットとそのバゲットを使った明太バゲットが一番人気だそうです。このあたりでちょうど4㎞くらい。
Img_2517c JR関西線の線路沿いに出て、1㎞半ほど、JR関西線の線路沿いを歩いImg_2531c_2 て行きます。踏切を渡って、一路山田酒造へ向かいます。蟹江川にかかる飾橋(かざりばし)を渡ると、山田酒造さんの向上が見えてきます(ホッと一息)。
Img_2536c 近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記」と同様、たいそうな人気です。「日本Img_2541c_2 酒好き」の方が多いのか、試飲につられるのか、定かで。はありません。山田酒造さんでは、無料の試飲の他、大吟醸の試飲もありました。ただし、こちらは¥300でした。写真は、無料の試飲の方です。
Img_2556c 酒蔵では、甘酒の振る舞いもありましたし、他に即売会や、イベントも開Img_2681c 催されていました。自分用の土産と、ご近所さんに差し上げる土産を2つをお買い上げ。合計¥1,550なり。自分用の土産は、右の写真。「酔泉 しぼりたて 生原酒」でした。アルコール度数も19~20%と高く、濃いお酒でした。まったく勝手な好みを書かせていただくならば、三重県の酒の方が、良いなと思います。
Img_2604c 山田酒造さんの南に善敬寺というお寺があったものの、ルートをちょっと外れて歩いていましたので、寄り道はしませんでした。
Img_2623c 最後の立ち寄りスポットは、ここ三明神社でした。きれいに整備され、掃Img_2631c 除も行き届いている神社でした。由緒は定かではないものの、「慶長9辰年(1605年)再修造ス(西暦は、筆者が追加しました)」という文書が残っているそうですから、かなり古くからこのあたりの村で崇敬されていたものなのでしょう。
Img_2651c 三明神社を出ると、ゴールはすぐ間近。1㎞ほど。再びJRImg_2660c 関西線・蟹江駅に戻ってきました。11時53分に到着。いつもと同じ完歩記念のパネルがありました(微笑)。JRさわやかウォーキングは、これで3回目。
Img_2670c ちょうどタイミングよく、12時に四日市行きの電車がありましたので、これに乗って、帰宅の途へ。桑名駅~蟹江駅は、片道¥240。今日もほとんど電車賃だけで遊べました。詳細は、また明日以降書きます。
 なお、近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”のその4(完結編の予定)も明日、記事を載せます。

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