2008年5月12日 (月)

懐かしきドクトル・マンボウ

 5月12日、今日は、看護の日ということです。フローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、1965年から、国際看護師協会が、この日を「国際看護師の日」に定めており、日本では、厚生省(当時)が1990年に「看護の日」に制定しています。

 地元・桑名市では、近鉄桑名駅で、当直の助役の方が強盗に入った何者かに刺されて軽傷を負った、という事件がありました。午前4時頃のことのようです。犯人は、捕まっていないということで、小中学校は、授業終了後、ただちに一斉下校となり、外出禁止となっています。あちこちで物騒な事件が多発していますが、決して他人事ではないということを再確認させられました。

 さて、今日も、体調は余り変わらず、でした。息子が、世界史の参考書(用語集)が欲しいといっていましたので、三洋堂書店に出掛けて買ってきました。それ以外は、代わり映えのしない日常で、本を読んで過ごしていました。午前中は、晴れるという予報でしたが、スッキリとは晴れませんでした。気分的には悪くはない、という状態です。

 午後から、珍しく、“徹子の部屋”を見ていました。作家・北杜夫さんと、その長女の斉藤由香さん(サントリー勤務・エッセイスト)が出演したからです。北杜夫は、歌人・斎藤茂吉の次男で、精神科医でもあります。茂吉の長男・茂太さんも精神科医で、既に亡くなられていますが、一般向けの本もたくさん書いておられます。

 われわれの世代では、北杜夫といえば、昭和35年(1960年)、「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞したことや、「楡家の人々」という純文学(これ自体歴史的用語になっています)と、ユーモアあふれるエッセイである、どくとる・マンボウのシリーズ(どくとるマンボウ航海記、1960年、など)が、直ちに連想されます。高校生から大学生の頃に、北杜夫の純文学も、どくとるマンボウシリーズもよく読んだものです。

 さらに、北杜夫は、自身が躁うつ病(双極性障害)であることを告白し、それをエッセイなどでユーモアたっぷりに記し、世間のうつ病に対するマイナス・イメージを和らげるのにずいぶん貢献している。彼自身、日本で躁うつ病が、世間に聞こえの悪い病気ではなくなったのは、自分がしばしば口にしたため、抵抗感がなくなったからだといっています。躁状態の時には、株に手を出し、大失敗をして破産状態になったりもしています。

 北杜夫は、1927年生まれですので、81歳になっています。今日、テレビで見た限りでは、年は取ってはいましたが、何とも言えないユーモアは相変わらず健在、という感じでした。「うつで、エネルギーのない時は、とにかくジーッとしているんです」といっているのが、印象的でした。北杜夫のような、気分障害の大先輩であり、精神科医が、ジーッとしているんだといわれるくらいですから、私も、それにしたがって、しばらくは、ジーッとしていることにします。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008年1月22日 (火)

ワン・クリックの誘惑

 今日も寒い一日でした。朝から、大学評価・学位授与機構の大学評価アンケートに回答し、M1の院生との面談記録にコメントをつけ、メールで返信し、という仕事で午前中は終了しました。

 さて、昔から、本だけは、ほぼ欲しいものはすべて購入してきました。それ以外のものは、我慢ができるのですが、どうも、重症の活字中毒のせいもあり、お金に余裕があれば本を買ってしまうという傾向にあります。図書館などで借りればよいとか、古本でも良いのではという考えも成り立ちますが、新刊で手に入る限りは、本は買ってしまいます。

 このところは、もちろんネットで本が買えますので、いくらでも買いそうなのですが、クレジット・カードで支払うということには、何となく抵抗があるせいか、やっとのところで、多少の自制はできています。たまに、ワン・クリックで買えるという魅力に負けてしまうことがあるくらいで、収まっています。が、時々は、それも怪しくなります。昨日、一昨日と、Amazon.comで、何冊か購入してしまいました。そのため、今日と、明日と、2日連続で、宅配便が届くということになってしまいました。家内に見つかると、注意を受けること必至ですが、今日のところは、うまくすり抜けています。

 今日届いたのは、“イグアナの嫁(細川貂々)”、“障害児教育を考える(茂木俊彦)”、“オプティミストはなぜ成功するのか(セリグマン)”、“What you can change and what you can't(セリグマン)”の4冊です。洋書は、ペーパーバックのお陰で、トータル\4,000余りで済んでいます。“イグアナ”は、“ツレうつ正・続”の間の時期をつなぐマンガです。“障害児教育”は、本年度から始まった特別支援教育に関する基本的事項が整理された、岩波新書です。最後の2冊は、“Learned helpless”の概念で有名な、アメリカの心理学者の手によるポジティブ心理学の本です。4冊目は、英語の本ですが、内容が良ければ、来年度の大学院の演習にでも使おうかと思っています。というのは、表の理由で、実際には、ライフ・スタイルを変える参考書になるかも知れないと思って買ったものです。

 明日来る予定の本にも、セリグマンの英文書が1冊含まれています。“Autehntic Happiness……”という、やはりポジティブ心理学の本です。本を読んで、生き方を変えられるのかという疑問もありますが、まずは読んでみないと始まらないだろうと考えてのことです。“オプティミストはなぜ成功するのか(セリグマン)”は、講談社文庫から出ており、値段も手頃ですので、これでポジティブ心理学の全容を捉え、さらに先端的な研究については、英文書を参照しようと思っています。ポジティブ心理学は、Kaufmanなどの“長所活用型指導”にも通じるもので、おそらくメンタル・ヘルス分野ではこれからの主流の考え方になって行くであろうと思われます。そうであれば、ここで、基本的な知識を身につけたいという気持ちもあります。また、内容については、ブログなどでご紹介できればと思っています。

 ところで、明日の朝くらいまでは、雨か霙が降るようです。せっかくだから、雪が良いなという気もするのですが、どうなるのでしょう?

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年11月14日 (水)

相当なる中毒

 昨日のブログに山本夏彦についての本を買ってきたことを書きました。知る人ぞ知る、かも知れませんが、知ってしまった人の中には、夏彦の毒にあてられて、“夏彦中毒”に陥ってしまった人も多いようです。

 今はなき工作社という出版社を主催し、“室内”という雑誌を発行する傍ら、週刊新潮には“夏彦の写真コラム”を、また、月刊諸君にも“笑わぬでもなし”というコラムを連載していた。

 私が山本夏彦を知ったのは、おそらく、24歳で就職してから何年か経った頃だったと思います。誰もが文句のつけようもない美辞麗句の類は、その著書には全く出てこず、“本当のこと”ばかりが書かれていました。しかし、その本当のことは、何というかどこかタブーに関わるような気がする、知ってはいけないことを知ってしまいそうな、畏れをいだかせるようなものでした。

 文章は、平明かつ簡潔ですので、きわめて分かりやすいものです。ですから、表面だけ眺めて、フ~ン大したことがないなとか、オレにも言えそうだと思うのですが、「自信はしばしば暗愚に立脚している」などと書かれているのに出くわして、ギョッとさせられたりしたものです。ユーモリストにして、ニヒリストというのは、“座右の山本夏彦”を書いた嶋中労氏が書いているとおりだと言えます。

 その警句のエッセンスだけを羅列すると、誤解、曲解を招くことが多いかも知れません。差別だと怒り出す人も多いだろうと思います。しかし、それはそれとして、あえて気に入ったものや、目に付くものをいくつか書き出してみることにします。

 人前で立派なことを言う人なら、たいていうそつきである

 忌憚なく言えということはほめてくれということだ

 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす

 職業に貴賎なしというがウソである

 生きているのは死ぬまでのひまつぶし

 論より証拠というより、証拠より論の時代なのである

 ひとは大ぜいがすることをする。大ぜいが言うことを言う。

 個性なんてちやほやされて出てくるものではない

 まじめなことをまじめくさって言うのはヤボである

 などなど、きりがなくなります。興味を持たれた方は、山本夏彦の著書をご覧ください。ただし、私と似たような中毒になってしまっても、あるいは逆に、とんでもないことばかり言っている差別的な人だと怒り心頭に発しても、小生の関知するところではありません。自己責任にて、お願いします。

 ところで、明日は、定例の受診日です。先日の講演会が終了して以来、メンタルなストレッサーはずいぶん軽減されたように思いますが、体力の回復は、まだまだのような気がしています。本当に仕事から離れられたのは、実は、この講演会が終わってからなのです。9月から11月上旬までは、結局、仕事に出てはいませんでしたが、メールなどという代物のお陰で、仕事からきっぱりと離れることが不可能だったのです。夏彦によれば、「ひとたび出来てしまったことは、出来ない昔にもどれない」のです。

 この続きとして言いたいことがないわけではありませんが、それは、「言わぬが華」か、はたまた、「それを言っちゃぁおしめぇよ」。


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月23日 (日)

雨読な日曜日

 予報では,雨のち晴れということでしたが,晴れませんでした.体調は,戻ったように思いますが,気分的にはすっきりとはしませんでした.天候のせいでしょうか?あるいは,朝方,コンビニに出かけたのですが,いつも買う新聞が売れてしまっていたためかも知れません.家族は,息子が眼鏡を壊してしまったため,マイカルへ行きました.私は,一人で留守番です.

 靴磨きや,資料整理などを午前中に済ませ,午後からは,タイトル通り,本を読んで過ごしていました.すでに,“マイ・ブックス”に掲載したように,グーグルの話と,靖国問題の話です.新書を2冊ですから,まあまあのペースです.これを書きながら,学生時代など,通学が片道2時間でしたので,往復で文庫本を2冊というペースで読んでいたことを思い出しました.

 現在,机の上には,結構,積ん読となっている本があります.専門書を始め,丸谷才一の対談集,古文書入門,歴史散歩便利帳,雑誌(文藝春秋のような総合誌と,パソコン雑誌)などです.丸谷才一の小説,エッセイ,対談は,割と好みで,結構な数を読んできました.古文書入門や,歴史散歩便利帳は,散歩のときに,碑文が読めたり,建物の建築様式がわかったり,和暦と西暦の換算が直ちにできたりと,有用だろうと思って買ってあるのです.

 昔から,かなり乱読で,何でも(というと大げさですが)読みました.それに,活字中毒でもあるようです.読んでいない本が,手元に何冊かないと落ち着きませんし,どこかに出かける際には,必ずといってよいほど本を持って出かけます.本棚に隙間ができると,嬉々として本を買ってしまいます(実は,隙間はなくても,買うのですが……).ほとんどビョーキといっても過言ではありません(M秘書さん公認ですし).大学院生の時代などは,月に数万円ずつ本を買っていました(今からいえば,30年弱昔です).当時は,何も遊びはしませんでしたし,酒も飲まず,たばこも吸わずでした.家庭教師のバイトを掛け持ちでやって得たバイト代の大半が,名大生協への支払いになっていました.

 この頃,小説の類はほとんど読まなくなってしまいましたが,以前は,司馬遼太郎,池波正太郎,藤沢周平などをほとんど読みました.歴史物としては,司馬遼太郎よりも,藤沢周平のものの方が,私好みでした.池波正太郎は,何といっても,“鬼平犯科帖”“仕掛け人梅安”などを熱心に読みました.この頃は,あまり魅力を感じるものがなくなってきたのと,時間がもったいないかなぁという気もするのです.

 さて,散歩の方は,さぼってしまいましたが,強迫神経症のように,“○○しなければならない”と思ってすることではありませんから,まぁ,良しとしましょう.早朝に早起きして散歩をするというのも,かなり以前に実行していたことがありましたが,長続きしませんでした.最近では,早朝散歩をしていらっしゃる方を多数見かけます.おそらく,コースから,歩数や距離まであらかじめ予定を立てて歩いていらっしゃるのでしょう.尊敬してしまいます.


 

| | コメント (2) | トラックバック (0)