大学

2009年12月11日 (金)

メールボックスに、こんなものが……

 今週は、水曜日に自宅研修を入れさせてもらったのですが、例の会議で疲れたのか、ようやく週末になったなぁ、とちょっとホッとしています。少人数で、集中的に議論をする会議は、まだまだ、現在のところ、けっこう大変です。

 さて、大学では、どこでも同じですが、教員宛の連絡文書や郵便物などは、事務室に銘々のメールボックスがあり、そこに事務の方が入れておいてくださいます。最近では、電子メールでの一斉連絡も増えましたが、重要な内容の連絡は、まだ文書で、ということが多いのです。

 このメールボックス、私は、出勤の時と、午後に1度チェックするようにしています。今朝、メールボックスを開けたら、「平成21年度準早期退職特例措置の適用希望者の募集について」という、長い題名の文書が入っていました。

下記の要件に該当する職員で、準早期退職特例措置の適用を希望する旨と併せて申し出をし、平成21年度の末日に退職する者については、N市立大学職員の退職手当に関する規程第○条……の事由に該当するものとして取り扱われることとなります。
つきましては、この措置の適用を希望する職員は、下記により申し出てください。
なお、下記の期限後の申出及び申出の撤回は認められません。

                 記

1 対象者
 法人職員で下記職員区分に応じ各要件の欄に該当する職員を対象とします。なお、定年前早期退職特例措置の実施に基づき、退職の申出をした者については、この措置の心性をする必要はありません。

2 提出書類
 準早期退職特例措置申請書(法人職員用)

3 提出期限・提出先
 この措置の適用を希望する方は、平成22年1月20日(木)までに、所属長を通じて事務局総務課人事係宛申出書を提出してください。

という、いわば早期勧奨退職制度の適用を受けて退職したいのであれば、申し出なさいという連絡でした。

 教員の場合(助教、助手を除いて)、要件は、「昭和20年4月2日から昭和30年4月1日までの間に生まれた者(平成22年3月31日現在64~55歳)」となっています。私は、何を隠そう昭和30年3月生まれですので、今年度からこの制度の適用対象者の仲間入り、ということなのです。

 考えてみれば、いつぞやも書いた記憶がありますが、私の父親の世代(大正14年生まれであれば、55歳定年制でしたから、昔風にいえば、十分年寄りだ、と宣告されたようなものです(苦笑)。

 研究室で、この文書を前にしばし、呆然ではなく、考え込んでしまいました。ちょっと心が動かされないでもなかったからです(マジメな話です)。これの適用を受けて辞めて、他で拾ってくれるところがあれば、特任教授にでもしてもらって、給料は減ったとしても、週3日くらい働く、というのもありかな、という気がしたのです。子ども達がすでに成人して働いていれば、たぶん迷わずそうしただろうと思います。

 休職を認めてもらい、復職に際しても勤務軽減という最大限の配慮をしてもらっている同僚の教職員の方々には大変申し訳ないのですが、きわめて個人的な気分としては、何とも展望が開けないというか、どちらかと言えば閉塞感というか、疲弊感のようなものから逃れられない面があるからです。現在の職場が、ということではなく、この業界がということですが。もっといえば、現在の日本の社会が、かも知れません。

 社会状況には、「チェンジ」が起こるかと期待したのですが、どうも政権与党は「連立」というよりも、「乱立」に近い状態を呈していますし、バラバラに、また、銘々が勝手に演じている、出来の悪いショーを見せられていて、本質は、結局、変わっていないように思えますし。総理大臣からして、母親がかりでないと何もできないようですし、小学生のようなサインしか書けない、未成熟と思えてしまう人が党首をしている政党が、力んでみたり、こりゃダメだと思えます。

 妄想が広がりすぎてしまいましたが、まぁ、まだまだ、家族を養って行かなければなりませんので、今年度は、この募集に応じることは、たぶんないと思いますので、とりあえずは、ご安心ください。

 久しぶりに、鈍楽亭狸親爺の出番でした。謹白。

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2009年12月10日 (木)

アカデミックでない会議

 今朝は、6時過ぎに目が覚めました。隣の部屋で寝ている、息子の目覚ましの音で、です。愚息は、自分で起きるつもりはあるのでしょうが、普段は、目覚ましが鳴っても起きてきた試しはありません.それでも、目覚ましをかけていてくれますので、こちらが目が覚めるというメリットだか、デメリットだかよく分からない状態です。

 午前中の打合せは、重要な内容の仕事ではあるのですが、必ずしもアカデミックなものではありません。仕事そのものは、予定のペースで進んでいるのですが、こういう会議であれこれと議論するのは、まだ、現状ではちょっと厳しいようで、終了後は、頭が飽和してしまい、ボンヤリというか、ボーッとして、ちょっとオーバーヒート気味という感じがします。このあたりにもっと慣れていく必要があります。

 午後からは、院生Sさんの分析結果の解釈しにくいところについて、SOSのメールが来ましたので、それを眺めてああでもない、こうでもないと考えていました。データや分析結果に基づいて、あれこれ考えるのは、もともと好きで、楽しいのですが、なかなか手強い分析結果で、簡単には解決できない課題でした。

 ちょっと頭を冷やし、また、気分を変えたくて、途中でいったん放り出して、外のコンビニへ行き、ついでに桜山キャンパスの回りを3分の1くらい、歩いてきました。最近になって、けっこう、生け垣の木が切られてしまっているのに気づきました。また、今まで気にもとめなかったところに、サザンカの花が咲いているのに気づいたりして帰ってきました。

 17年も勤務していますが、どうやらまだまだ「未知のエリア」というか、「未体験ゾーン」というか、そういうところはあるようです.時間的な余裕がもう少しあるときに、一回りしてきてみたいと思うようになりました。できればデジカメ持参で出勤する必要がありますね。

 ところで、昨日書きました、ブルーノートのジャズは、1950~60年代の録音ばかりでしたが、なかなか魅力のあるものでした。

 明日は、これまたアポのない日ですので、来週の授業資料を仕上げて、できれば印刷まで済ませて、すっきりした気分で週末を迎えたいところです。

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2009年12月 7日 (月)

大学教員の間で流行しているジョーク

 寒い1日でした。明日はさらに寒気が入り込んで、寒いという予報のようです。そういえば、今日は、二十四節気では、「大雪」ですね。北日本や東日本では雪が降り、関東以西でも、氷が張ったり、霜が降りたりする季節を迎えた、ということです。

 さて、最近、大学の教員の間で流行しているジョークがあります。いろいろとバリエーションがあるようですが、たとえば、

教員・・・「君たちを教えるのは、本当に骨が折れるよ」とつぶやく
学生・・・真顔で、「どこの骨が折れたんですか?」と、その先生に聞き返した

というものが、本日発売の“週刊現代”の特集“大研究 日本の大学生これが現実!”に載っていました。

 心理学者の間では、

心理検査の質問に、「他人と話すには、骨が折れる」とあった。とある学生が、手を挙げて質問をした。「どうして、人と話すと骨折をするんですか?」と。

というタイプが多いようです(とはいえ、調査した訳ではありませんので、あくまでも聞き及んだ範囲では、ということです)。

 いずれにしても、昨今の大学生の基礎学力や、日本語能力の低下を嘆くジョークです。「分数ができない大学」が話題になって以来、10年。同年代の50%を越える人たちが、大学に進学する時代で、大学さえ選ばなければ、“全入時代”が到来したといわれる中ですから、現実味は十二分にあります。

 私も、授業で、昔からいわれている慣用句や、ことわざを話しても、どうやら通じていないらしいという経験はたびたびしています。このほか、ケータイ・メールの短文に慣れてしまっているので、レポートのような長い文章が書けない。そのため、“日本語文章講座”という科目が、日本人学生向けに開講されているという話や、経済学部の学生が、「不良債権」を「不良債券」と書くとか、笑えるような、笑えないような例を探せば枚挙にいとまがありません。

 もっとも、わが家の娘も、国語のテストで、「□が折れる」の□に適切な漢字を入れなさいという問題で、「心」と書きそうになったといっていましたから、大学生の学力低下は、大学生になるはるか以前から生じていることがわかります。

 その他、上記の週刊現代の記事によれば、禁煙の場所での喫煙を注意したら、学生がつかみかからんばかりの勢いで、教員に逆ギレしたとか、マスコミにも登場する有名人を講義に招いて話をしてもらったあとで、学生が「どうやってあの有名人を呼んだのですか?」と聞いてきたので、教員が、「僕の友人だから」と答えたら、「フ~ン、先生の自慢のためですか」といったので、怒りがこみ上げたとか、話題には事欠かないようです。

 学力試験を受けずに、推薦入試やAO入試で大学に入る学生が、40%以上もいる状況ですし、不合格者が少なく、入学の偏差値が算出できない「Fランク」=ボーダーフリー大学もあるといわれます。学力の低い大学生が増えるのも当然なのでしょうが、基礎学力もないのに大学に入ってしまう学生諸君も、考えようによっては不幸というか、悲喜劇というか、どちらかです。

 また、「社会人としてのマナー」を教える講義を必修にする大学があるともいいます。大麻所持事件や、駅構内を裸で走り回ってビデオを撮影する大学生もいる時代ですから、やむを得ないのでしょうか?

 私も、ずいぶん昔、期末試験の不合格者を対象に、追試験を行うのに、手帳を開いて、「その日は都合が悪いので、変更してもらえませんか?」とか、「母親が旅行に行って留守になるので、私が帰省して、食事を作らなければならないので、日を変えて欲しい」といわれたことがありました。

 別の時には、「5年生」の学生(もちろん、留年していました)に対して、教養科目の期末試験を落としたため、追試をしたのですが、時間を間違えて、45分も遅れてきた猛者もいました。土下座までして、「この単位がないと、また留年です」というので、15分だけ延長して、なおかつ50点も「下駄を履かせた」のですが、それでも合格点の60点に足らない学生もいました。「卒業がかかっているのに、緊張が足らない」と厳しく説教した上で、受験させたのですが、その後は音信不通になりました。甘やかしてはいけないと思い、不合格にしたのですが、問い合わせもしてきません。指導教員や、その学部の教務委員長の先生から、「何とかならないか」という懇願やら、問い合わせやらがありました。教務委員長の先生はよく知った先生でしたので、事情を説明したら、「そんなものしょうがないな」でした。

 この学生は、さらにその後、母親からも電話があったのですが、どうやら実情をまったくご存じなかったようで、一通り説明した後、「これでも卒業させてくれとおっしゃいますか?」とお聞きしたら、さすがに「申し訳ありませんでした」で終わりました。どうやら本人は、勝手に卒業コンパにも出て、そのまま卒業旅行に外国へ行ってしまっていたようでした。たぶん彼の人生は狂ったと思いますが、世の中、それほど甘くはありません。

 と、こういうことを書き始めますと、1冊どころかシリーズで本が書けそうです。看護学部が始まって最初の学年で、期末試験の本試験に80名中16名落としたことがありましたが、「ちゃんと勉強してきたんです」とか、「あれだけたくさん回答を書いたのに、ダメですか?」とか、「落ちたって、お母さんに言えません」などなど、脅されたり、泣きつかれたり。挙げ句の果てには、泣きながら廊下を歩いていたら、当時の学部長に「どうなさったの?」と聞かれ、「mamekichi先生に落とされました」などと、自分の勉強不足を棚に上げて、トンでもない「暴言を吐いた」学生までいましたっけ。

 いやぁ、大学の教員稼業も、この頃は楽チンではありません。それ以来、期末試験前の最後の授業では、「頑張ってやりましたといって誉められるのは、小学生までです。大学生は大人ですから、きちんと成果を見せてください」と宣言することにしました。そして、もう一言、「意地悪な問題は出しません。勝手に落ちないように」と付け加えています。

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2009年12月 1日 (火)

今日は、時間内に終了しました

 師走の入りですが、相変わらず暖かい日が続いています。ありがたいことです。今日は、久しぶりに授業と教授会のダブル・ヘッダーの日でした。その他、結局、後期課程のSさんがやってきました。

 授業の方は、9回目となりました。残すところ、試験を含めて、あと6回です。新型インフルも、まだ学生達の中では少しずつかかる学生がいるようです。それも、どちらかというと、1年生の方に多いように思われます。

 今日の授業は、なぜか、居眠りをしている学生達が多かったのと、欠席者がいつもより多くいました。85名なのですが、出席者は77名でした。私語は、このところほとんどありませんが、今日は、途中でばったりと机に顔を伏せて寝ている学生たちが、おおざっぱに見て、5分の1くらいでしょうか?いつもよりも寝ている学生の比率がとんでもなく高かったのですが、理由は定かではありません。テーマが非言語行動でしたので、すでに他の授業でも聴いた内容と重複したのかも知れません。

 私たちが大学生であった頃は、居眠りというか、船をこぐ状態が多かったと思うのですが、今の学生達を見ていますと、眠そうになると、まるでスイッチが切り替わるように、パタッと机に顔を伏せて、寝てしまいます。あの切り替えは見事です(などと感心している場合ではありませんが……)。まぁ、寝ている学生については、他に対して迷惑をかけませんし、授業を聞かないのは、あくまでも自己責任だと言ってありますので、無理矢理起こすことはしていません。

 午後は、3時から学部の教授会でした。審議、報告ともにたくさんあったのですが、かなりのスピードで議事は進み、結局、17時前に終わりました。残念ながら(何が?)、今日は、途中退席とはならず、珍しく最後まで出席していました。

 しかし、今日のように議事がスピードアップされ、話題が次から次へと展開していきますと、当方は、アタマの回転が付いていかなくなり、途中からは、アタマは「飽和状態」になっていました。アタマは回らず、ボーッとしてきて、やや熱っぽい感じがします。もちろん本当に熱が出たり、知恵熱が出たりしたという訳ではありません。

 こうなりますと、帰宅までにクールダウンしたくなります。が、今日の仕事の片付けが終わって、大学を出られたのは、17時半近くになってしまいました。ちょっと微妙な時刻です。本当は、喫茶店にでもたちよって、クール・ダウンをはかりたいところでしたが、少々疲れていることもあり、今日はまっすぐに帰りました。お陰様で、疲れた感じはしていましたが、歩行の際ふらつくことはありませんでした。

 そうそう、初めの方にも書きましたが、今日は、予想通り、後期課程のSさんが来てくれました。午前中、博士論文のメイン部分をなす、質問紙調査の結果の分析についてのパス解析がどうやらうまく行ったということでした。11月のほぼ一ヶ月を費やすという「大事業」でしたので、私としてもけっこう心配したのですが、これで何とかなりそうだと思います。私も一安心です。

 木曜日が、受診日ですので、明日は出勤して、授業資料の準備を終えたいと思っています。

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2009年11月24日 (火)

理事長選挙

091124_180601  3連休明け、いきなりの授業で、いささか疲れました。休みが多いのはありがたいところですが、生活リズムは、どうしても狂いがちになります。また、以前から何度も書いていますが、ハッピーマンデーが増えたお陰で、学校では、授業が月曜日に割り当てられた科目では、授業回数がどうしても不足してしまいます。文科省は、最近、授業回数が不足することのないようにと、強力な指導をしてきます。その結果、あちこちの大学では、祝日の月曜日に授業を行ったり、開学記念日に授業を入れたりなど、それぞれに工夫しています。

 さて、本務先の大学では、理事長選挙のシーズンに入っています。法人化していますので、091124_180602 理事長=学長と言うことになります。法人化以前は、学生・院生あるいは職員の方の意向投票ののち、教員による選挙を行っていました。しかし、法人化後は、定款により、最終的には、理事長選考委員会が決定するように変わりました。

 そのため、教員による投票もあるのですが、それが意向投票に格下げになり、教員の投票で学長が決まる訳ではなくなりました。ただし、今回も、教員の意向投票の結果は、最大限に尊重されることになっていると聞いています。

091124_180701  今回の選挙は、現理事長のN先生と、現・大学病院長のT教授との一騎打ちになっています。公職選挙法は適用されませんので、両陣営とも、ご出身の医局の先生や、副病院長が、所信表明を印刷した資料をもって、われわれのところへ戸別訪問されます。たまたまでしょうが、今日は、どちらも、候補者ご自身が看護学部の各研究室を訪ね、支持を訴えておられました。

 私のところへも、昼過ぎに現理事長のN先生が、研究室の後任教授であるH先生とともにいらっしゃいました。N先生とは、特別支援教育に関わる大学全体のプロジェクトを文科省の研究費に応募し、そのヒアリングに東京まで当時の学長に同行して、説明に行ったときから親しくさせていただいています。脳神経生理学がご専門です。「元気になられて良かった。慌てずゆっくりやってください」という言葉も頂戴しました。

091124_180702  一方、対抗馬のT先生は、私が出勤した直後に、副院長である看護部長とともに、挨拶に回ってこられました。小児科の教授でいらっしゃり、新生児突然死症候群の第一人者です。専門分野で関連性がありますので、以前から存じ上げていました。T先生も、私が休職していたことはご存じで、「元気になられて良かったですね」と言葉をかけてくださいました。

 う~ん、どうやら私の名前も、自分で思っている以上に知られているのかも知れません(なぁんて、いい気になってはいけませんが)。品行方正にしなければなりませんねぇ。

091124_180703  お二人とも、大学の現状認識、大学の目指す方向、厳しい財政状況の下での運営方針、その他所信を印刷された資料をご持参の上、回っていらっしゃいます。本務先の名市大は、週刊東洋経済では、教育投資力が国公立大学中、第1位であること、また、週刊ダイヤモンドの病院運営ランキングでは、県内第1位に評価されていることなど、順調のように見えますが、運営費交付金は年度を追って削減されていきますし、その一方では、病院の収支改善が求められるなど、実質上はかなりいろいろな課題が山積しています。

 これらの現状認識や運営方針などにつきましては、両候補者の間でかなり違う部分もありますので、俺からよく拝読し、“意中の人”を決定してなければなりません。ただ、義理と人情も絡んできますので、かなり悩むことになるだろうと覚悟しています。

 しかし、義理と人情の絡みの中に漂っている感じがするのですが、どうしたものでしょうね?我が大学は、週刊の経済雑誌には好意的に報道されていのですが、職員の疲弊なども進み、ちょっとした閉塞感も感じられます。大学全体をまとめ、引っ張っていくリーダーシップとともに、これら教育・研究・運営・地域貢献を円滑に進めていく上で不可欠な、職員の心身の健康問題にも気を配ってくれる理事長が望まれます。

 今日の写真は、桑名駅東口のサンファーレ側に設置されたイルミネーションです。近くのなばなの里では、日本一多数のLEDを使ったイルミネーションがありますが、それには足もとにも及ばないものです。しかし、年末やクリスマスも近いことを思い出させてくれるのには、十分です。明日も出勤して、授業準備などに、ホドホドに励むつもりです。

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2009年11月10日 (火)

やはり、会議は鬼門……狸親爺のきわめて個人的なる感想

 予報よりも早い時間から、雨が降り始めました。今日は、1年生対象の授業に加え、先週、第1火曜日が祝日でしたので、学部の教授会が、今日に変更して開催されました。

 結論からいいますと、やはり会議は疲れるよ、でした。とくに、教授会は、私の授業がある、同じ火曜日に開催されますので、余計にそう感じるのかも知れません。健康な先生方でさえ、「教授会はねぇ、疲れますよ」とおっしゃっています(教授会での席が近い某先生は、会議室に入ってこられ、席に着くとほぼ同時にため息を一つつかれます。また、途中で、あくびをこらえきれない先生もいらっしゃいます)。私自身は、17時までの勤務という診断書を出していただいたお陰で、途中で失礼させてもらっていますので、あまり大きな声で言えたものではありませんが、疲れるものは、やはり疲れます。疲れるというか、「アタマが飽和してしまい、これ以上回らない状態」になり、「ボーッとしている」といいますか、脳自体がそれ以上の情報の入力を拒否しているように感じます。

 個別にお会いして、1時間とか、1時間半くらいお話しすることには少し慣れてきて、さほど疲れを感じなくなりましたが、会議のように、議題がたくさんあって、次から次へと処理される状況であり、それぞれ報告される先生も替わりますし、時には、質疑応答もあります。予め内容など、かなりの部分を承知していれば疲れないのかも知れませんが、入力される情報の種類も多岐にわたり、それともあいまって、情報量も多量にありますので、おそらくこのあたりが疲れる、とくに「脳疲労」のような状態になる要因だろうと思います。

 今のところ、会議は、教授会だけということに配慮していただいていますが、本格的に復職しますと、そうは行きません。このまま慣れるのを待つしか方法がないのか、それとも、もう少し積極的な対処があり得るのか、今のうちから考えておかないとと思っています。

 それにしても、とくに学部の教授会では、報告事項も多数あり、長時間に及びます。議長を務めていらっしゃる学部長のY先生には、ことのほかお疲れになると思います。何となく申し訳ないような気もしています。

 私自身は、申し訳ないとは思いつつも、あまり疲れないようにと、物理的には出席しつつも、心理的には距離を置いて、関与度をなるべく低くしよう(あまり、コミットしないようにしよう)と思っているのですが、なかなか思うようにはなりません。何となく、「不届き者!」という気がしてしまい、気が引けるのですが、もっと他の、疲れないで出席していられる方法を考えなくてはなりません。

 しかしながら、全学会議の報告を聞いていますと、たとえば、教養教育では、費用削減という観点から、履修者数の少ない授業は統廃合しようという提案が降りてきて、大激論になったにもかかわらず、大学執行部の、「今回は、何とかこの案で」という押し切られたというような話を聞きますと、ついつい「いったい何を考えているのか?」「教育に、あまりコスト・パフォーマンス意識を持ち込むなよ」などと思ってしまいます。こういう報告には、当然、教授会でも異議が出るのですが、私自身は「なまじ、発言などすると、余計に疲れそうだから止めておこう」と思うのですが、どうも納得は行きません。こういうことも、ストレッサーになり、自分の心身状態に影響するようです。「まぁ、いいや」と思っていれば、余計な負担にはならないのでしょうが、どうにもこういう何とも筋が通らない話しには、反論したくなるという悪い癖がありますので、何も言わないにしても、心中穏やかではないという場面もたびたびです。

 木枯らし紋次郎風に、「あっしには関わりのなことでござんす」といって切り捨ててしまえば、気分的にも楽なのでしょうが、どうもそういう性格ではないようです(苦笑)。

 それにしても、教養教育については、教養の中心部分をなしており、、ある意味ではその典型である、哲学や倫理学などなどを統廃合しようとするというのは、およそ大学の考えることか、と疑問になります。同世代の50%を越える進学率になっていますが、大学があまりにもフツーの学校化していくのは、どうかという気もします。

 また、会議も法人化以降、増えているような気がしますし、書類作成も増えています。今日も、自己点検評価資料を作成してもらうという予告がありました。昨日のエントリーでブツブツつぶやいたことに関連して、トップダウンでいろいろと決まりますが、何となく居心地の悪さというか、落ち着かなさを感じてしまいます。これで本当に良いの?という気がしますが、疲労の本当の理由はこのあたりなのかも知れません。

 以上、あくまでも、鈍楽亭狸親爺のきわめて個人的なつぶやき&所感です。

                  鈍楽亭亭主   謹白

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2009年11月 9日 (月)

大学のあり方……備忘録ですが

 今日、2つめのエントリーです。ただし、皆様に読んでいただこうというよりも、自分自身が考えるための備忘録という趣旨の方が強いものです。

 いつもチェックしているブログに、内田樹さんの「内田樹の研究室」と、hkaiho先生の「認知的体験」とがあります。内田さんの方は、私は単なる読者ですが、hkaiho先生とは1つ、仕事をご一緒させていただいています(現在進行形です)。

 まず、内田さんの今日のエントリーは、「いつまでつづくぬかるみぞ」というタイトルでした。内容は、いくつかの話題からなっていますが、最初の部分に共感を覚えました。勝手に、以下に引用させていただきます:

土曜日は指定校推薦入試。
指定校推薦の応募状況は堅調である。
ありがたいことである。
つねづね申し上げている通り、本学のような規模の大学の場合には、120万人の高校生のうちの600人くらいが「行きたい」と行ってくれれば、それで教育活動を継続できる。それは志願者を「かき集める」必要がないということである。
必要なのは「旗幟を鮮明にする」ということである。
よその学校でもしていることをうちもしています。よその学校にある教科がうちでも学べます。よその学校で取れる資格がうちでもとれます・・・というような タイプの「勧誘」をしているうちに、いったい私たちは「何をしたくて」そもそも大学をやっているのかという根本のところの動機がわからなくなってしまう。
うちでやっているようなことはうちでしかできません。
という自負が教育機関には絶対に必要である。
そうでなければ、その学校には存在理由がないからである。

<中略>

「標準的」に軸足を置くか、「個性的」に軸足を置くか、「生き延びること」を優先するのか、「生きのびるだけの価値があること」を優先するのか、私たちはしばしば決断を迫られる。
私はできることなら「生き延びるだけの価値がある学校」であることを優先させたいと思っている。
おそらく、その「価値」を認めてくれる人の数は決して多くないであろう。

 一般に、受験者数を増やせとか、多様な入試をしろという指示が、上から降りてくることが多いのですが、やはり、一定の、そしてまた、それぞれオリジナルな教育理念(私学であれば、建学の精神)に基づいて、大学は設置されているはずですから、内田さんのいう「旗幟を鮮明にする」ということは、そこから自ずと帰結される方針のはずです。

 しかしながら、国際○○学部が流行れば皆一斉にその方向に流れるとか、最近であれば、看護系学部、福祉系学部、子ども○○学部とか、発達ナントカ学部が著しく増えています。もちろん、こういった時代ですから、それを背景にして、対人援助に関わる仕事や、資格取得を目指す受験者も多い訳ですが、敢えて他と同じことをやるのは、行き着く先は見えているような気がしてなりません。ボーダーフリーとか、偏差値35という大学も多数存在する時代ですので、余計にそう思えます。

 もう一つ。hkaiho先生の今日のエントリーの中に、「研究費申請競争をやめよう」というものがあります。これまた、勝手に引用させていただきます:

国立大学法人も私大も財政的に厳しい状況が続く。それを切り抜けるために、各大学が挑戦しているのが、科学研究費の獲得であり、そのための申請である。ともかく申請せよ、さもなくば消えろ(Apply, or perish)の雰囲気である。
いくつも申請カテゴリーに同じテーマで申請したり、やりもしない共同研究者に名前をつらねたりで、申請時期になると日本全国の研究者が大騒ぎである。
研究に特段の予算がほとんど必要ない領域が実はかなりある。経常的な経費さえ保証いれば、あとは頭と時間で勝負できる領域がいくらでもある。そこにも、激しい研究費申請圧力がかかっているのが今の大学の現状である。
行政当局も、申請数、申請額の多さが、概算要求に反映できるので、こうした無駄な申請競争を容認している。
必要なところに必要なだけの研究費がいくような仕組み作りとともに、大学人も、本当に必要な研究費の申請をするようにしてほしい。

 国公立大学では、おそらくほとんどのところで、科学研究費申請率100%を目指して、申請が奨励されています。我が大学でも、未申請率を各研究科・学部とも、10%未満にしたいというのが、役員会の意向です。私は、申請に向けての説明会には出席はしたのですが、「復職して間がない」という個人的理由で、今回は申請を見送ってしまいました。

 科学研究費補助金の採択率は、平均して20%だそうです。そのために、各教員が、A4サイズで10ページにもわたる申請書を書く必要があります。医学部、薬学部、工学部などのように個々の研究室に人がたくさんいて、いくつかのチームがあって、テーマも多岐にわたるというのであれば、研究費も多額のものが必要でしょう。それに、そもそもこうした学部で行われる研究には、機械や装置、試薬などの研究に必要な消耗品も大量に必要となるでしょうから、研究費が取れないとたちまちにして、立ち往生してしまうでしょう。理学部でも実験系の領域は同じでしょう。

 これに対して、人文・社会系では、細かく見れば、フィールド・ワークが必要とか、心理学などのように実験系の分野もあるなど、事情は異なりますが、書籍があれば研究できるという分野も結構あります。

 個々の事情、状況、学問スタイルを無視して、研究費申請を必要以上に奨励し、挙げ句の果てに採択されないということであれば、それに費やす労力、時間を別のことに振り向けた方がよほど生産的であるという考え方も成り立つのではないかということが、頭から離れません。

 むしろ、教員が、授業で使うプリントの印刷やそれを綴じることまで、家内制手工業の如く、自らやっていることや、出欠票の確認やコピー撮り、研究費で購入した図書を図書館まで受け取りに行くなどなどの、教員自らがやらなくても良い仕事まで抱え込んでいる状況、研究費申請書以外の書類作成にかかりきりになっている状態などを改善して、もっと、本来の仕事に専念できるような、人員を配置してもらった方がよほど助かりますし、生産性が上がると思うことも、よくあります。

 世間では、市場原理主義や強欲資本主義は批判の嵐に晒されていますし、我が国でも民主党政権に替わって、「コンクリートから人へ」というキャッチ・コピーを見聞きするようになっています。教育研究機関こそ、人、すなわち人材が必要な部門の典型と言えると思います。

 研究費がたくさんあり、それが、使えるに越したことはないのは当然ですが、その使途についても、教育研究の本来の使命に、真に応えられるものであるためには、現状のようなやり方がベストかどうか、今一度考えてみることにも意義があると愚考したりしています。

 以上、自分自身のための備忘録兼ささやかな戯言ですが……。

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2009年10月30日 (金)

呼ばれて、飛び出て……

 夏日になったところもあったようです。名古屋も、昼は暖かいをやや通り越していた感じでした。今日は、とくにアポイントもありませんでしたが、市立大学で実施している、「学び直し講座」のうち、本当は、私が担当するはずだった講義を、勤務軽減のため、替わっていただく先生との連絡・調整などで、けっこうたくさんメールのやりとりをしていました。メールが使えるようになって便利なのですが、仕事をお願いされた側の先生には、ずいぶんご迷惑をおかけしていることと、恐縮しています。今回の復職にあたっては、いろいろな先生方や、事務の方々にずいぶん助けていただいています。

 さて、今日のタイトルは、妙ちくりんなものですが、その心は、看護学部ホームページのリニューアルにあります。これまでは、学部内のY先生が作ってくださっていたものが、外部の専門業者さんに委託して作成されたものに、今日から替わっています。ずいぶんイメージも変わったと思いますし、写真も多用され、内容の充実も図られています。御用とお急ぎでないようでしたら、そして、好奇心旺盛な方は、ご覧ください。

 ところで、仕事の方は、今日も、とくに変わりないパターンで淡々と進めていました。いつもと若干順序は異なりましたが、午前中は、文献読み、午後一番は、認知行動療法のDVDを見て、その学習を1時間。その後は、次回の授業用のパワーポイントの準備ということです。その合間に、メールのやりとりという訳です。

 今日読んでいた文献は、さる大家による自閉症研究のレビュー論文でしたが、小生には、イマイチ、何が言いたいのかよく分からないものでした。「新しい視点」という小見出しがあったので、気になって読んだのですが、自閉症の研究史や、療育の歴史が概観してあるだけで、小生としては特段目新しいと思えることは書かれていませんでした。う~ん、評価は難しいところです。アタマが回っていないせいかもしれませんし……。

 認知行動療法は、うつにも効果的というもので、エビデンスを重視しています。日本の臨床心理学では、これまで、ロジャーズのクライエント中心療法や、精神分析的心理療法、ユング派の分析心理学などが主流で来ています。私自身は、学部、大学院と実験心理学のトレーニングを受け、その後病院に就職して、臨床心理士資格を取得しましたので、どうもこれら主流のものには違和感を感じていました。

 イギリスのH.J.アイゼンクは、精神分析をコテンパンにやっつけていますが、実証可能性という点では、アイゼンクの主張に軍配を上げたいと思います。ただ、何事もそうですが、あらゆるものに効果があるということはなく、認知行動療法も、うつのひどいときには適用は難しいように、体験的には考えています。

 閑話休題。岩波書店から新しい心理学入門のシリーズが刊行中です。最近、「臨床と性格の心理学(心理学入門コース6)」が出版されました。そのオビには、「精神分析から認知行動療法へ」と書いてありました。しかし、その一方では、新たに「フロイト全集」も刊行中なのです。何となく、書いてあることとやっていることが違うような気もしますが、天下の岩波書店も、まあ商売ですからねぇ。

 話を元に戻して、授業のパワーポイントは、一応次回の分が用意できました。今度は、きちんと推敲、吟味をして、月曜日に印刷までしてしまおうと思っています。そして、来週は、さらにその次の回の準備に着手しようという計画です。この通りに行けば、ストックがようやく1回分確保できます。

 週末ですが、日曜日後半は天気が崩れるようです。明日は散歩に出て、日曜は天気次第というところです。

 最後に、リニューアルされた看護学部ホームページの某所に、小生の最近の写真が載っております。お見苦しいもので恐縮至極であります。

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2009年10月28日 (水)

プチ散歩

091028_151801 晴れて暖かい1日でした。いつもであれば、水曜日は自宅研修という予定なのですが、今週は、明日が受診日で、午前中に年休、午後は自宅研修にしようと考え、今日は、出勤して仕事をしてきました。

091028_151101  とくにアポイントもありませんでしたので、自分のペースで仕事を進めていた訳ですが、091028_151102 2~3日前にも書きましたように、ずっと研究室にこもっていますと(もちろん、事務室へメールボックスを覗きに行ったり、コピーを取りに行ったりという程度のことはしますが)、どうも、気分的にも良くないようで、頭が飽和したような感じというか、息が詰まるような感じというか、そういう気分になってきます。

 そこで、今日は一計を案じ、午後から、“プチ散歩”に出かけてみることにしました。勤務時間中ですから、遠くまで行く訳にも行きませんので、1㎞ほどでよいから、ブラブラしてこようということです。

091028_151301  大学の目の前は、環状線になっており、クルマの交通量はかなり多いのですが、横断歩道橋を渡って、西側に行きますと、静かな住宅街が広がっているのです。車の通行も少なく、オチつついた雰囲気で、古くからの住宅と、最近ではマンションがいくつか建っています。

091028_151302  ということで、午後の仕事が一区切り付いたところで、20数分、散歩に行って来ました。看護学部の建物を出て、北に向かい、昭和郵便局まえの桜山交差点を西にわたって、桜見町や洲雲町あたりを900mほど、ゆっくりと歩いてきました。けっこう良い気分転換になりました。今日の写真は、その途中のあちこちで、ケータイのカメラで撮影したものです。

091028_151701  最初の写真は、大学の前の横断歩道橋の上から、西方向を撮ったものです。私のメイン・バンク(とはいえ、このところ、休職していたため、へそくりは底をついてしまっています)である愛知銀行桜山支店の建物があります。今日の散歩は、この裏の辺りから右(北)の方を歩いてきました。2~4枚目は、途中で撮った風景です。古い民家もありますし、マンションやCEATECという会社の建物もあります。5枚目は、昔は、ユニー桜山店があったところに立つ、ピアゴです。ピアゴは、以前はユーストアという店舗でしたが、ユニー系列のショッピングセンターです。ユニーの時は、確か6階建てくらいで、一通りの品物が揃っていましたが、ユーストアになってからは、食料品などが中心に名手います。そして、この最後の写真は、そのピアゴの南側を通る道から見た市大病院の病棟です。奥の14階建ての高い建物が病院です。そのすぐ手前が、看護学部の建物で、クルマが見えるところが環状線です。ここは、かなりの交通量があります。

 あくまでも、気分転換のための“プチ散歩”ですから、さほどの距離を歩いたのではなく、あちこちに視線をやりながら、ブラブラとしてきました。休職する以前に比べ、マンションや、アパートが新しく建っているのが目に付きましたまた、桜山交差点あたりの商店街では、新旧いろいろの店があります。以前と同じ店も多いのですが、すっかり業態が変わってしまった店舗もありますし、空き地になっていたり、駐車場が増えていたりと、相当変貌していました。

 昼食後の腹ごなしや、気分転換にちょうど良い散歩コースを見つけられました。道が、碁盤の目のように行き交っていますので、適当にぶらつくのには絶好の環境でした。

 それから、復職後、今までは、「一仕事の区切り」が付かないと休憩を取らなかったのですが、「時間制限法」で仕事をすることにしました。つまり、1時間~1時間半を一つの単位として、時間が来たら、小休止を入れて、別の仕事に切り替えるようにしたのです。

 今日も午前中は、再来週の授業準備にあて、午後は、認知行動療法のDVDを見て、認知療法の考え方、その実際場面(シミュレーションです)を見て、勉強しました。その後、いったんブレイクを入れたのち、プチ散歩に出かけ、15時半くらいからは、授業資料に使うパワーポイントのスライド作成に熱中していました。そして、5時には、ほぼきっかりとした時間に大学をあとにしてきました。

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2009年10月27日 (火)

授業は、どうにかこうにか1/3を終えました

 晴れましたが、日本の南海上を通過していった台風の吹き返しのためか、風の強い1日でした。

 9月28日に後期が始まり、翌29日から、1年生の「人間関係論」の授業を毎週火曜日に担当してきました。久しぶりの授業でしたから、勘がなかなか戻りませんでした。今日で、5回目の授業が何とか終えられ、少々ホッとしているところです。

 というのも、来週は、11月3日、文化の日で、ちょうど休みに当たります。また、教科書第Ⅰ部の「発達からみた人間関係」の4章分が終わったということもあるからです。この科目は、昨年度から始まっている新カリキュラムの科目で、「準備をしながら、毎週の授業をこなす」という、いわば自転車操業状態で、ストックがありませんでしたので、ちょっと気分的にも余裕がなかったというのが、正直なところだったのです。

 これで、1週、間が空きますから、この間にプラス1回分のストックを作りたいと考えています。それと、どうしても内容が多くなりがちですので、パワーポイントのスライドで、1回を20枚から、多くても25枚に納めるように、これも軌道修正をきちんと図らなければなりません。

 いつも、授業の最初に前回の授業に対する質問への回答を10分ほどで説明しています。その後、予定では、60分あまりで当日の予定内容を話すことにしているのですが、この部分を20~25枚に納めたいのです。そうしないと、最後に、自己理解のために行っている、その日の内容に関連した、簡単なアンケート、尺度をゆっくりと実施する時間がなくなってしまうのです。

 授業が始まる前に読んだ、わかりやすい説明のノウハウ本を、再度読み直すこともしたいと思っています。単なるノウハウ本は、あまり読まないのですが、それでも一応、スキルを磨くには、ほかの方がやっているよいところを「盗む」ことも必要だと考えるからです。

 ところで、ご存じの方も多いと思いますが、大学の授業は、15回がワン・セットになっています。普通は、講義14回+試験1回で15回のカウントをしています。これで、通常は、2単位分となります。さらに基本的なことに立ち返りますと、大学設置基準では、1単位は、45時間の学習時間という決まりがあります。したがって、2単位分は、90時間の学習が必要です。この90時間は、授業時間+自学自習時間で成り立ちます。授業時間は、ちょっとインチキなのですが、たいていの大学では、90分を2時間とカウントします。そうすると、授業では、2時間×15回=30時間を学習していることになります。残り、60時間は、学生たちの自学自習に当てる計算です。

 単位制度は、本来はこのように、学習時間で計算するものなのです。アメリカの大学などでは、課題図書や論文をかなりたくさん指定して、次の時間までに読んでくるようにと指示し、この単位制度に忠実に、授業を運用しています。

 話がややこしくなりますが、上記の自学自習60時間分を15週でこなすとすれば、1科目あたりは、60時間÷15週=4時間となり、本来であれば、学生たちは毎週、1科目につき、4時間、自分で勉強しなければならない(させなければならない?)のです。

 しかし、これは現状の日本では、理想論になってしまうところです。そこで、私自身は、今回の授業では、予習として、授業前に、教科書の該当する章を読んで、おおよその内容や、何を扱うかを頭に入れてくるようにと指導しています。また、復習をしないと、1日たつと、2/3を忘れてしまうというデータがあります(エビングハウスの忘却曲線)。これに対し、復習をすれば、記憶の定着率がかなり向上することもしられていますので、復習も奨励しています。

 ただ、学生たちも、ほぼ1ヶ月半がたち、少々中だるみに入っているようで、今日の授業で以前話したことを覚えているか、確認したところ、どうも記憶は怪しいようでした。私の方も、初心に帰ることが必要ですが、学生たちにも、最初のオリエンテーションで伝えたことの記憶をリメンバーさせなければいけないかもしれないなと、1/3を終えたところで考えた次第です。

 授業は教員だけが努力すればよくなるものではありません。教員と学生の相互作用が成り立って初めて、よりよい授業になると考えていますので、学生諸君の奮起をもう一度、図る戦略も練ろうと思います。

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