季節

2018年4月28日 (土)

20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編)

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 本日は、桑名駅から養老鉄道に乗って、多度へ。近鉄ハイキング「多度観Img_0471c 音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」に参加してきました。桑名駅を9時25分の大垣行き電車に乗って、多度駅には9時38分着。¥310。多度駅には、最近、右のような駅名表示板が設置されています。もちろん、多度大社の上げ馬神事に因んだもの。
Img_0478c 多度駅前でコースマップをいただき、近鉄あみま倶楽部のスタンプを押してImg_0479c もらい、9時47分にスタート。今日のコースは、多度の町並みを見ながら、多度観音堂、美濃街道を歩いて、野志里神社、徳蓮寺、雨尾山飛鳥寺を経て、養老鉄道・下深谷駅がゴール。コースマップ、約10㎞。ただし、歩いてみて分かりましたが、けっこう上り坂があり、また、かなり暑く、疲れました(涙)。途中、徳蓮寺からは、たまたま一緒になった男性と「同行二人」。同じ桑名の大山田ご在住の方でした。ひょうひょうとしておられ、いろいろなこともご存じで、後半、楽しく歩けました。
180428kintetsuhikingtado2 実際に歩いたルートを、いつものように、距離測βに描きました。1枚に納め180428kintetsuhikingtado3 ると、細かくなって分かりませんので、2分割。コース途中に、今まで行きたいと思いつつ、実現していなかったところがいくつかあったので参加したのです。それは、多度大社、野志里神社、徳蓮寺、飛鳥寺です。多度大社は、神社の前までは行ったものの、参拝はしていませんでした。野志里神社、徳蓮寺、飛鳥寺は、歴史に興味を持ってから行こうと思っていたところ。今日のところは、予告編として、今日行ってきた主なところを概観します。
Img_0552c 多度駅から坂をずっと登ってきて、多度観音堂や、多度大社の目前に多度稲荷神社があります。多度の庄屋さんが伏見稲荷から分祀してもらったのが始まりのようです。 多度大社のすぐ脇にありますが、多度大社の摂末社ではありません。「婚活守り」がいただけるそうですから、ご関心がおありの方はどうぞ(微笑)。
Img_0566c 本来の最初の目的地である多度観音堂。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第三十三番札所。多度山法雲寺という真言宗のお寺。ご本尊は、千手観音。天平宝宇(73)年、満願禅師が道場を開き、修行をしていたことに始まるようです。長島一向一揆の際、兵火によりすべてを喪失したのですが、江戸時代になって、承応2(1653)年、多度大社の別当として宝雲寺が再興されたといいます。

Img_0596c 次いで、多度大社へ。上げ馬神事で知られていますが、式内社で、旧社格は国幣大社。天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とし、境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社もあります。昔から北伊勢大神宮として「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」といわれてきた古社。目の前までは来たことがありますが、お参りは桑名在住20数年にして初めて。

Img_0631c 左が、本宮・多度神社。ここの御祭神が、天津彦根命です。社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝えられ、古代には、社殿背後の多度山を神体山としていました。元亀2(1571)年、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失しましたが、慶長10(1605)年、桑名藩主・本多忠勝公により再建されています。ちなみに、天津彦根命は、桑名の春日神社(桑名宗社)の御祭神でもあります。

Img_0629c 天目一箇命を祀る別宮・一目連神社です。天目一箇命は、天津彦根命Img_0677c の子で、製鉄・鍛冶の神。本宮とともに「多度両宮」と称されます。摂社、末社は多数ありますが、それはまた本編で。境内には、神馬の「錦山(きんざん)号」がいます(オス)。白馬。100円の初穂料でエサの人参をあげられます。多度大社到着は10時20分、このあたりで2㎞。

Img_0742c 多度大社を出て南下。多度川を越え、東へ。多度町総合支所を通って、Img_0545c 養老鉄道の線路あたりで右折し、南下。竹林の中の地道を通っていきます。途中、タケノコがかなり大きくなったものがあちこちに。もっと大きいものもあります。これくらいになってしまうともちろん食べられません。余談ですが、コース途中のお店や、無人販売所がいくつもあり、タケノコを売っていました。

Img_0748c コース途中で神社を見つけ、当然、寄り道。舟着社とあります。御祭神Img_0754c は、表筒男神、中筒男神、大山津見神、火之迦具土神。社伝によると、多度神社別宮の一目連大神が、度会郡山田郷からの帰りに舟でこのあたりに着いたので舟着社と云うと伝えられています。ちょうど、多度まつりの準備のため、氏子の方がいらっしゃって、話を伺えました。このあたりは、木曽三川の川岸であったようでもあります。

Img_0765c 帰り際、社名標を確認したら「国幣大社御旅所」とありました。国幣大社Img_0763c は、多度神社。御旅所(おたびしょ)は、神霊の渡御 (神幸) のとき神霊を仮に安置するところ。5月5日の多度大社神輿渡御の折りには、3基の神輿が奉安されるそうです。この舟着社の境内には、「奉献 船置神社」と記された石碑がありました。上のパラグラフに書いた言い伝えに関連するのでしょう。


Img_0798c コースに戻ってさらに1㎞半ほど歩くと、野志里神社(のじりじんじゃ)があImg_0803c ります。ここは、美濃街道沿い。ここは今回、是非とも来たかったところ。創建は、垂仁天皇の御代と伝わっています。倭姫命が、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、ここ桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたといいます。この野代宮の行宮の跡に創始されたのが、野志里神社とされます。

Img_0796c ここでは、地元の「のしろおたから発見隊」の方が、案内をしてくださってImg_0791c いました。美濃街道の西側に野志里神社がありますが、東側には、2本の石柱があります。「伊勢神宮御旧蹟野代の宮」と、「天照大神御𦾔跡式内野志里神社」とです。「発見隊」の方の説明によれば、もとはどちらも野志里神社の境内だったそうですが、関ヶ原の戦のとき、薩摩藩の兵がここを通ったため、神社の敷地が2つに分かれてしまったといいます。境内には、長島一向一揆のとき、戦死者の首を集めて造られたという「千人塚」があります。この塚には、関ヶ原の戦で敗れた西軍の兵士の霊も慰めたといいます。

Img_0855c 続いてはこちら。養老鉄道の踏切を渡らないといけません。無畏野山徳Img_0938c 蓮寺(むいのさんとくれんじ)。真言宗東寺派のお寺。ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。

Img_0883c 寺宝に県指定文化財の「紺紙金泥阿惟越致遮経巻下一巻」、「釈迦涅槃図」があり、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。余談ですが、ナマズつながりでしょう、平成17(2005)年には、秋篠宮殿下がご来訪になったそうです。さらに、そのすぐ後、紀子親王妃殿下のご懐妊の発表があったといいます。

Img_0918c 閑話休題。徳蓮寺でも「のしろおたから発見隊」の方が、案内をしてくださったのですが、ユニフォームがなかなかのものでしたので、お願いして、1枚撮らせていただきました。「のしろ」は、このあたりの地名である「野代」です。徳蓮寺あたりで7㎞、時刻は12時を過ぎた頃。


Img_0948c 浄土真宗大谷派の明光寺。ここも養老鉄道の踏切を越えないとお参りでImg_0951c きません。立ち寄って、一休み。なかなかよく手入れされたお庭がありました。



Img_0957c 一休みしていたら、山門前の踏切の警報器が鳴り始めました。これはチャンスとばかりに連写。左のような写真が撮れました(微笑)。できがよいのかどうか分かりませんが……。撮り鉄の方にご教示いただかねばなりません。明光寺は、12時50分着。


Img_0974c さらに次は、法光寺。高野山真言宗のお寺。もう13時を過ぎています。おImg_0975c にぎり1個を持っていたのですが、食べるチャンスを失っています(苦笑)。それはともかく、山号が不明。サイトによっては、「深谷弘法大師法光寺」とあります。


Img_0979c_2  境内にはお稲荷さんがあります。昔は神仏習合でしたから、驚くわけではありませんが、本堂と同じ建物というか、続きの建物になっていました。これにはビックリ。稲荷にはとくに神社名は示されていませんでした。



Img_0991c お寺が続きます。こちらは、浄土真宗本願寺派・北廻山西林寺。ここは、北廻城跡。南北朝期の延元年間(1336~1340年)に、近藤右京亮が築城しました。織田信長の伊勢侵攻時、滝川一益らにより落城させられたといいます。



Img_1002c_2 そして、最後のスポットが、雨尾山味光院飛鳥寺(ひちょうじ)。ご本尊Img_1008c は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。桑名市深谷町字山之城にあり、木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽の御嶽が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。右がその眺め。これ、昨年末にNHKで放送していた「マチ工場のオンナ」でよく出て来たところでした。「どこだろう、深谷あたりか?」と思っていたのです。

Img_1038c 14時ちょうどに養老鉄道・下深谷駅にゴール。4時間20分、実測で11㎞をImg_1045c 踏破(大げさな)。14時12分発で桑名まで。14時18分着。¥260。



Img_1058c 今日で近鉄ハイキング参加、10回を達成しました。スタンプ10個で踏破記念バッジ(銅)がもらえるのですが、バッジだけではどうもねぇという気がしますので、20個を目指しましょう。踏破記念バッジ(銅)に、近鉄グループ商品券1,000円分がついてきますから。

 先日のまたもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど」(4月23日)の記事も予告編で終わっているのに、今日もまたハイキングに出かけてしまい、自分で課題を増やしているような気がします。ボチボチそれぞれの本編を投稿したいと思いますので、ゆるりとお待ちくだされば、幸いです。

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2018年3月16日 (金)

九華公園のカモは20羽

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 予報通り、午前中は雨。午後からは上がったものの、曇りで強風。寒くなっています。最高気温は14.7℃なのですが、夜中に記録し(0時5分)、その後次第に低下。今のところ(17時)、最低は、16時の9.0℃。2時過ぎから、住吉神社、九華公園と歩いてきました(5km)。しかし、この天気では鳥も、知り合いもいません。
Img_4005c 七里の渡し跡にヒドリガモが5ペア(左の写真)、蟠龍櫓東の揖斐川には、Img_4021c 同じく15ペア以上の姿がありました(右の写真)。この時期によく見られる光景。北帰行の準備かと思っているのですが、確信があるワケではありません。
Img_4015c 蟠龍櫓近くの三の丸水門脇では、ヒバリ2羽。先々週くらいまでは、5羽くらImg_4019c いが一緒にいましたが、このところペアで行動しているようです。
Img_4028c 九華公園。カモは激減して、20羽。管理人さんに伺うと、午前中はもう少しいたということでした。ハシビロガモのオス1羽、メス1羽の他、キンクロハジロ。強風を嫌がったと思うのですが、わかりません。ゴイサギは2羽。アオサギはここしばらく見ていません。
Img_4047c 二の丸跡では、エナガ6羽ほどと、コゲラ2羽。エナガは、松の大木から出てImg_4072c 来て、またそこへ戻っていきます。この松の木に巣があるように思うのですが、見上げてもわかりません。コゲラ2羽もペアのように思います。
Img_4083c 腹減らしのヒヨドリ、今日は、鎮国守国神社で梅の蜜を吸っています。このあと、実は、ナイショでカモとユリカモメにエサをやっていたのですが、上に放り投げたエサをヒヨドリが横から来て取って行ってしまいました。なかなかの運動能力で、感心しました。
Img_4137c そのユリカモメ、今日は20羽ほど。奥平屋敷跡へ入るところでカモに餌をImg_4162c やろうとしたら、乱入してきました(笑)。そこへ、ヒヨドリ、ドバト、旅ネコなども(苦笑)。みんな、エサの確保に大変なようです。
Img_4079c 九華公園の野球場の南にあるしだれ桜。先日から、ほのかにピンク色に見えていたのですが、今日は、つぼみが膨らみ、赤くなってきていました。明日は、近鉄ハイキングに出かけようか思案中。

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2018年3月 6日 (火)

「啓蟄」でキタテハに遭遇してビックリ……ウメジロウ再挑戦、ブログ容量は回復

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 よい天気になり、朝から木曽御嶽山がよく見えていました。冒頭の写真、中央がそれです。左の方に小さく見えるのは、乗鞍岳ではないかと思いますが、自信はありません。風も次第に弱まり、暖かくなっています。冬鳥も帰りますし、このあたりにいる鳥たちは繁殖に入りますので、他の場所も気になりましたが、いつも通り、8時40分から住吉神社、九華公園、貝塚公園など6.3㎞を回って来ました。
Img_7544c 寺町商店街の河津桜も、八間通に近いところにある3本はかなり咲いてきまImg_2779 した。寺町堀沿いのものは、つぼみは膨らんできていますので、そろそろ咲き始めるでしょう。梅は、満開近いところもあります。右は鎮国守国神社の稲荷社の鳥居の近くの梅。いつもやや遅れて咲き始めます。名前を大奥様に伺ったことのですが、忘却の彼方であります(苦笑)。
Img_7523c 今日は、二十四節気では「啓蟄」。地中にひそんでいた虫が戸を啓いて地上にはい出る日とされます。まさかまだチョウチョは飛んでないよねと思って歩いていたら、内堀公園でこちら。たぶんキタテハというチョウ。いや、驚きました(微笑)。
Img_2828c 天気もよかったので、「ウメジロウ」が撮れないかと、九華公園でも(管理事Img_2831c 務所近くの白梅によく来ます)、貝塚公園でもしばし待ってみました。どちらも出て来たのですが、それなりに撮れたのは、貝塚公園にて。河津桜にもと期待したのですが、そちらはまだでした。
Img_2714c こういう天気がよくて、暖かい日には案外鳥はいません。今日もそのご多分に漏れず(微笑)。ジョウビタキのメスは、吉之丸コミュニティパークの駐車場のところにて。この近くの揖斐川の堤防では、ヒバリ2羽を見かけました。
Img_7516c 九華公園では、久しぶりに本丸跡でシメを確認。もういなくなったかと思っImg_7492c ていましたが、いつものところで餌探し中。奥平屋敷跡では、ビンズイ3羽。エナガや、カワラヒワもあちこちで鳴き声はするものの、木の高いところにいるようで姿は見えませんでした。
Img_2723c カモは合計45羽。ハシビロガモのオスが1羽いたほかは、すべてキンクロImg_7507c ハジロ。もう帰ったカモもいるのでしょうか。ユリカモメの姿はありません。ゴイサギは、最終的に4羽いるのを確認できました。ただ、いずれも木陰にいて、見つけにくいところでした。
Img_2846c 南寺町の常信寺にも立ち寄って来ました。左はミツマタの花が咲き始めたところ。毎年、楽しみにしている花です。というのも、葉が出てくる前にの枝先に花だけが開くからです。ジンチョウゲ科に属します。仲春(啓蟄から清明の前日まで)の季語とされているそうです。皮は和紙の原料として用いられます。
Img_2850c 同じく常信寺にあります。サンシュユだと思います。ハルコガネバナなどとも呼ばれるそうです。元は薬用植物として栽培されていたといいます。サンシュユも葉が開くより先に開花し、咲きそろうと見事です。
18030612c ところで、昨日の記事でもぼやきましたが、このココログの容量、回復できました。10,000MB(プロ)で契約していますが、このところ、99%以上の容量を使ってしまっていて、困っていたのです。「記事を削除した」と書いていますが、文章と画像のサムネイルは削除したものの、写真の削除が「マイフォト」からしかできない仕様になっています。
18030610c こちらがその「マイフォト」のページ。下の赤丸にある「ブログにアップした画像」のところからさかのぼって古いものを削除するのが通常のやり方。しかも50枚ずつしかさかのぼれないため、途方に暮れていたのです。というのも、この画像は削除した後で、画像は20,270枚になっていますが、削除前は、35,000枚以上あったのです。
1803063c Googleでキーワードをあれこれ変えて何度も検索したところ、マイフォトで一度に100枚も、200枚も表示でき、しかも、もっとも古い写真にまでジャンプして戻ることができる方法を見つけられました(こちら)。左の写真で「&limit=100」とあるところが一度に100枚表示させる指示(作業途中試したら、200枚もできることを発見)。次の「&offset=34000」は、34,000枚遡ったところから表示するという命令。これで作業は俄然スピードアップ。2005年10月から2014年12月までにアップした15,000枚あまりを1時間ほどで削除できました。その結果、昨日の記事までの使用量は5,350MBあまり(53.5%)になりました。
 これでまた当分大丈夫だろうと思いますが、これまでのように調子に乗って写真をたくさん載せたり、思い浮かぶまま書き散らすのは控えた方がよいなと反省しています。ちなみに、パソコン外付けハードディスクにデジタル写真を保存していますが、これまでは撮ったものすべてを放り込んだままにしていました。が、こちらも2TBがほぼ一杯。「断捨離」をしなくてはなりません。

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2018年3月 2日 (金)

近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その2)……下笠田の八幡神社

180227walkingmapageki1_2 近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”のその2です。「その1」では、スタートして、いきなり楚原神社に寄り道し、その後、ねじり橋・めがね橋で三岐鉄道北勢線のナロートレインを撮影したところまででした。距離にして、1㎞あまりしか進んでいません。電車が来るのを待っていたりしましたので、10時にスタートして、撮影が終わった時点ではもう10時55分でした。

Img_1337c ねじり橋まで引き返して撮影していましたので、コースに戻ります。明智川にかかる宮橋。めがね橋もこの明智川にかかっています。下流で員弁川に合流。ネットで調べても特に情報はなく、いわれのある橋ではないようですが、欄干が斜めになっているのが特徴。昭和38年3月の銘がありました。この向こうに八幡神社がありますから、それに因んだ名前がつけられたのでしょう。
Img_1344c コースマップには載っていますが、立ち寄るポイントではありません。しかImg_1346c し、ここは寄り道するしかありません(微笑)。コースは、左の写真で、鳥居に向かって左の道を行きます。この八幡神社、旧社格は、村社。勧請年月は、不詳。鳥居の脇にある、大きな燈籠には、「昇格記念 昭和九年十月(?)」とありました。もともとは無格社であったようです。後で思い出したのですが、ここは中井精也さんの「てつたび」(三岐鉄道北勢線)で、取り上げられたことがありました(こちら)。
Img_1353c この八幡神社は、鳥居をくぐって境内に入るまでに、三岐鉄道北勢線の踏切を渡らなければならないのです。昨日も書きましたように、北勢線はナローゲージですから、線路幅は762mm。無理をしたら、一またぎできるくらいなのですが、とにかくここを通らないと参拝できません。神社があったところに、後から鉄道を通したためと考えられます。三岐鉄道北勢線は、北勢鉄道として、大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmが、大正3(1914)年に、また、楚原から阿下喜東(後の六石)間4.6kmは、大正5(1915)年に開業しています。
Img_1356c 踏切を渡って、境内へ。こちらが拝殿。主祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)。その他、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらみちざね)、建御名方神(たけみなかたのかみ:大国主命の子。武神としての性格をもつ)、大山祇神(おおやまつのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)が祀られています。
Img_1358c 拝殿には、奉納された額がいくつか掲げられていましたが、いずれも文字が薄くなっていて読めません。かろうじてよめたのはこちら。「御大典記念……」「大正四年十一月十日」とありました。大正天皇の御大典記念でしょう。明治42(1909)年の登極令により、即位式と大嘗祭は、前天皇の喪が明けた年の秋冬の間に続けて行われることが決められました。この2つの儀礼をセットにしたのが「御大典」であり、国家的なイベントとして盛大に行われたといいます。
Img_1366c 拝殿の前に並んでいて、遠くからも目を引いたのが、こちらの2つ。左側Img_1362c の球体(調べてみたら、ここに「機雷」であるとありました)には、「通神」「海軍中将和波豊一書」とありました。右側の砲弾型のもの(上記リンク先には、14インチ砲弾とあります)には、「至誠」とあります。おそらく併せて「至誠通神」ということでしょう。「至誠通神」は、「至誠通天」ともいうようで、元は孟子のことばです。東郷平八郎が好んで揮毫したようですし、ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智先生も、自らを成功に導いたことばとしていらっしゃいました。昭和11年9月に奉納されています。ちなみに、こちらによれば、「機雷・砲弾に関する記録はない。球形で触角のない機雷は明治から大正のもの、おそらく両方とも日露戦の記念品ではなかろうか。この辺の素封家が奉納したものだそうで、和波豊一海軍中将(海兵32期)はその家族。和波中将は昭和11年に予備役編入となっているので、現役を退くにあたって記念に寄進したのかもしれない」とありました。建御名方神が祀られていることや、後述のように護国神社が境内社にあることに関連しているのでしょう。
Img_1365c 個人的な興味で恐縮ですが、拝殿前の狛犬の確認。ここは「子取り 玉Img_1360c 取り」ではないタイプでした。
Img_1370c 拝殿に向かって左手(西側)には、護国神社があります。鳥居は東に向Img_1373c かって立っていますが、護国神社の拝殿は、右折した右側にあり、南を向いていました。余談ですが、こちらの狛犬は、「子取り・玉取り」になっています。
Img_1377c 護国神社の境内の西側に鎮魂碑があり、22名の方のお名前が刻まれていました。ほとんどが20代の若者で、日清、日露の戦争の時になくなられた方が4名、他は太平洋戦争の時の戦没者の方でした。
Img_1385c 護国神社の南側には「神武天皇 明治天皇御陵遙拝御柱」というものがImg_1387c 建っていました。これは、初めてみるものです。西の方角に向いています。明治天皇の陵(伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう))は、京都府京都市伏見区の桃山丘陵にあります。また、神武天皇陵は、畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接したところにあります。石柱の右側には、「紀元節 二月十一日 明治節 十一月三日
神武天皇祭 四月三日 明治天皇祭 七月三十日」とあります。
Img_1389c 石柱の左川には、「紀元貳千五百九拾六年」とあります。紀元(皇紀)Img_1395c 2596年は、昭和11(1936)年。日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退した年であり、二・二六事件が起こった年でもあります。いわゆるだんだん「きな臭くなって」行く頃ですから、国威発揚といった意味がある石柱のような気がします。右は、碑陰。「献納 發會記念 昭和十一丙子年十月一丙辰日 下笠田 辰之榮會」と読めます。その下には、12名の方のお名前がありますが、安政5(1858)年生まれで81歳という方がお二人いらっしゃいます。
Img_1397c その他、この八幡神社にはいろいろなものがありました。こちらは、「東宮Img_1398c 殿下御成婚記念水道」と刻まれていました。「大正十三年七月……」となっていました(右の写真)。昭和天皇は、皇太子の時、大正13(1924)年1月26日、久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女子良子(ながこ)女王と結婚していらっしゃいます。碑陰には、「○臺翁和浪不○」とありました(○は、小生には判読不能です。もう少し努力は続けます)。
Img_1405c 境内の南には、伊勢神宮の方向に向かって、「神宮 方位」と刻まれた石Img_1402c 柱が建っています。よくみられる「神宮遙拝所」と同じだと思います。「寄進 修和會」とあります。建立年月日は、未確認(急いで忘れたのです)。右は、境内の南東側にあった「昇格記念」の石柱。はじめの方に書きましたように、もともとは無格社であったようですが、村社に昇格した記念と思われます。昭和9(1934)年10月に建てられています。鳥居のところの燈籠と同じ時です。
Img_1391c その他、新しいものでは、「梅植記念」碑もありました。菅原道真公の「東風吹かばにほひをこせよ 梅の花 主なしとて春を忘るな」が刻まれています。御祭神に菅原道真公が含まれているからでしょう。平成11年11月11日の建立。
Img_1372c ご神木は、「カゴノキ(鹿子の木)」。クスノキ科の樹木で、成長すると、樹Img_1376c 皮が鹿の子模様になるそうです。五国神社の鳥居脇にあります。また、五国神社の境内には、「八天宮浄水」というのもありましたが、水は涸れてしまっていました。「八天宮」は、火産霊神の別名。秋葉さんともいわれます。桑員地方(桑名、員弁を併せてこう呼びます。「そういん」と読みます)では、信仰が多いそうですが、これは、江戸時代・文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだそうです(こちらを参照)。
Img_1419c  本日は、ここまで。宮橋について少し触れただけで、あとは八幡神社で終わってしまいました。しかし、この八幡さんにもいろいろなものがありました。やはり、神社はワンダーランドであります。このあとは、ハイキングのタイトルにありますように、「早春の鈴鹿山脈を眺め」て歩いて行きます。

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2018年3月 1日 (木)

近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その1)……スタートし、楚原神社に寄り道した後、ねじり橋・めがね橋で北勢線のナロートレインを撮影

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 ようやく写真整理を終えましたので、近鉄ハイキング“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”の本編を書くことができます。コースマップでは約9㎞となっていましたが、寄り道をしたり、ウロウロしたりで、実際に歩いたのは、12.4㎞でした。自宅から、三岐鉄道北勢線・西桑名駅往復が、2.7㎞でしたので、合計15.1㎞! さすがに歩きすぎです。
Img_1144c 「近鉄ハイキング」でしたが、今回は、三岐鉄道北勢線・楚原(そはら)駅がスタートでしたので、小生は近鉄に乗る必要がなく、個人的には、「三岐鉄道ハイキング」でした。こちら、三岐鉄道北勢線の桑名駅から乗車です。北勢線は、桑名この西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜(あげき)駅までを結んでいます。日本では数少なくなった軌間762mmのナローゲージの鉄道路線の1つです。もともとは、大正3(1914)年に大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmに北勢鉄道(軽便鉄道)として開業しています。その後、紆余曲折を経て、近鉄の路線となっていたのですが、累積赤字により近鉄が廃止の意向を打ち出し、平成15(2003)年からは、地元自治体の支援により三岐鉄道が運行しています。
Img_1150c 現在は、西桑名~阿下喜間の20.4㎞を運行。この「ナロー電車」が、最高速Img_1186c 度45km/hで、ガタンゴトンと走っています。西桑名~阿下喜の間は、50分弱。のんびりとした旅情を楽しむには最適と思います。電車も小さいのです。右は、車内で撮ったもの。
Img_1151c ハイキングのスタートである楚原駅までは、¥390。ところが、いきなり失敗Img_1168c_2 (苦笑)。西桑名駅には、8時55分頃到着。9時12分の阿下喜行きに乗るつもりが、ホームに止まっていた東員行き(8時59分)に乗ってしまったのです。目的地の楚原は、東員駅から先、2駅目なのです。東員駅には9時24分着。ここで13分ほど時間つぶし。ホームからは、藤原岳も見えます。
Img_1147c いきなりの余談ですが、この北勢線・西桑名駅は、JR・近鉄桑名駅の南Nishikuwana にあります。なのに「西桑名駅」とは、これ如何に? これは、改称当時の所在地からです。西桑名駅は開業当初(大正3(1914)年)、大山田村にあり「大山田駅」を名乗っていました。昭和4(1929)年、大山田村が町制を施行して西桑名町となったため、昭和6(1931)年、町名に合わせ西桑名駅となったのです。
Img_1185c 9時37分の阿下喜行きに乗車。楚原駅には、9時53分に着きました。まImg_1194c_2
ぁ、もともと予定していた時間ですから、何ら差し支えはありません(負け惜しみ)。受付も10時開始ということですし(微笑)。
Img_1197c 平日のハイキングですし、「酒蔵みてある記」ではありませんので、参加Img_1199c_3 者も少なめ。休日の酒蔵みてある記ですと、1,000人以上になることもよくあるようです。コースマップをもらい(ちなみに、ナンバーは66番)、「あみま倶楽部」のスタンプ(これで6個目)も押していただいて、10時にスタート。これまでのハイキングで一緒になった方のお顔も見かけました。
Img_1201c 楚原駅から50mほどのところで、いきなり寄り道(笑)。コースマップには描かれているものの、立ち寄りスポットではありません。楚原神社です。天文7(1583)年、八幡社(品陀和気命)を勧請し、氏神として尊崇されていました。しかし、永禄12(1569)年、兵火にかかり神殿を焼失し廃退しますが、のちに復興。明治40(1907)年、村内の小祠と御薗にあった御薗神社を合祀して楚原神社と改称しています。
Img_1202c 主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。品陀和気命は、応神天Img_1204c 皇(5世紀前半、第15代の天皇)。この時期に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展したといいます。相殿神は、天照大御神須佐之男命(すさのおのみこと)、大山祇神(おおやまつのかみ、いわゆる山の神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子)、火産霊神(ほむすびのかみ、迦具土神(カグツチノカミ)ともいい、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと、五穀,食物をつかさどる)、大国主命(おおくにのぬしのみこと:素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、または6世の孫とされ、出雲大社の祭神)。明治の一村一社政策で合祀されていますので、これだけの御祭神がいらっしゃるのでしょう。
Img_1210c 明治40(1907)年に合祀された神社は、左の写真の通りの7社。御園神社、秋葉社、金刀比羅社、火産霊社、稲荷神社、山神社、神明社です。それにしても、明治の一村一社政策、小生には、かなり乱暴なことをしたように思えます。
Img_1211c ここの境内にも忠魂碑が建てられていました。員弁町楚原区が昭和32年4月に建てた楚原地区全戦没者の慰霊碑です(こちら)。23名の方が祀られていました。
Img_1218c 楚原神社をあとに、コースに戻ります。200mあまり行ったImg_1224c ところに「延命地蔵尊」が祀られています。由来などは不明。さらに進むと、こんなカーブミラーがありました。別の用途に使われていたものをうまく再利用した感じです。
Img_1229c いなべ市員弁町の上笠田と笠田新田の間を進んでいくと、いなべ市立員弁(いなべ)西小学校のところへ出ます。向こうには、藤原岳がよく見えます。この日のハイキングコースでは、ずっとこの藤原岳を見ながら歩いた感じでした。
Img_1233c 員弁西小学校の西側の交差点には、この日の最初の立ち寄りスポットでImg_1240c ある、ねじり橋・めがね橋の案内板が立っていました。細い路地を下って行かねばなりませんので、この案内板がなければ、見逃すかも知れません。さらにその先にも、案内板があり、助かりました。
Img_1250c 江戸時代に作られた「六把野井水」に沿って進むと、この「ねじり橋」があImg_1255c ります。「六把野井水」にかけられた橋で、橋と用水が斜めに交差するため、アーチ橋下部のブロックは、ひねりを入れて積まれているのです。この構造は「ねじりまんぽ」といい、現存するコンクリートブロック製の橋では唯一といわれる大変貴重な橋だそうです。ちなみに、このねじり橋と、次に見るめがね橋は、土木学会選奨土木遺産です。
Img_1271c ねじり橋の真西、230mのところには、めがね橋があります。案内図は、こちら。「眼鏡橋」と呼ばれる橋は、全国に数多く存在しますが、このめがね橋は、コンクリートブロックでできているという点で、大変珍しいものです。三連式の美しいアーチで、北勢線の代表的な撮影スポットです。「撮影スポット」ということで、若干迷ったものの、両方の橋を電車が通過するところを撮影することにしました。ねじり橋に到着したのが、10時20分。持参した時刻表を見ると、上り・西桑名行きは、1つ西の麻生田駅を10時43分に、また、下り・阿下喜行きは、楚原駅を10時51分にそれぞれ発車します。ということは、上り・下りが連続して通るということです(微笑)。これはもう待つしかありません。ということで、同じことをお考えになっていた、津市からの男性と話しながら、30分弱時間をつぶすことにしました。
Img_1288c まずは、上り・西桑名行きが、めがね橋を通過していくところ。10時48分の撮影です。どこから撮影したらよいか、十分には検討できませんでしたが、それなりに撮れたと、自己満足(笑)。菜の花の季節とかでしたらもっとよかったのに(今月の富士通の壁紙カレンダーが、ちょうど、このめがね橋を北勢線の電車が通過するシーンなのですが、それには菜の花が映っているのです)。
Img_1314c そして、その5分後、下り・阿下喜行きがねじり橋を通るところを撮影できました。こちらも、撮影ポイントの選択が難しく、鉄道写真を趣味にしている方がご覧になると、「何じゃ、これ!?」といわれそうです。まぁ、これも自分としては不満はあるものの、初めてにしては上出来と勝手に思っております(苦笑)。
Img_1337c このあと、宮橋を渡って、八幡神社へと向かいます。八幡神社は、立ち寄りスポットではありませんでしたが、これまた見逃す手はないと思って、寄り道してきました。これ、大正解でした。まさにワンダーランド中のワンダーランドというべき神社でした。その2に続きます。今日のところは、スタートして、まだ1.4㎞ほど。先は長い(爆)。

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2018年2月 7日 (水)

公園の広場にホシゴイ、餌のないヒヨドリはサザンカの花を食べる

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 今朝も氷点下(-3.4℃)でしたが、朝の天気予報では、寒いのも今日までといっていました。期待しましょう(微笑)。冒頭の写真、今朝、揖斐川沿いで撮ったもの。冬の典型的な空で、こういう日は寒いのです。寒くとも、いつも通り、8時45分から11時半過ぎまで散歩。住吉神社、九華公園、京町、寺町と5㎞。今日もあちこちでしゃべっていて、あまり距離が伸びていません(苦笑)。
Img_7550c まずは、こちら。三の丸公園にて。この冬はツグミもほとんど来ないので、いImg_7556c つもは横目で眺めて、素通りするようになっていました。「こんな大きな鳥がいる!」と思ったら、何と、ホシゴイ(ゴイサギの幼鳥)でjはありませんか。こんな、いわば「原っぱ」にホシゴイがいるとは、目を疑いました。
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 確かにホシゴイです。鎮国守国神社の社務所裏にいるホシゴイかも知れまImg_7559c せんが、確かめる術はありません。もっと近寄ろうと思ったら、案の定、逃げられました。吉之丸コミュニティパークの方へ飛び去って行ってしまいました。
Img_7598c もう一つは、ヒヨドリ。九華公園の北門を入ってすぐのところにサザンカの木が2本あります。今日は、ここにヒヨドリが2羽来ていて、サザンカの花びらを食べていました(微笑)。毎年、今頃、こういう光景が見られます。他に食べるものがなくなって、困っているのでしょう。
Img_7701c さらに。九華公園からの帰り道、外周の遊歩道のところで、エナガの集団Img_7716c に遭遇。賑やかなこと。しかし、エナガはちっともじっとしていてくれませんので、写真を撮るのが難しいのはいつも通り。
Img_7525c さて、話を戻して、散歩に出てすぐ、拙宅前の住吉入江に出たところで、シロハラがやって来ました。拙宅あたりから、桑名七里の渡し公園付近で時々、シロハラを見ます。7~8年前には、マンションの植え込みの中で何度も見かけました。住吉入江には、オスのキンクロハジロ1羽、オオバン、オスのヒドリガモ1羽なども。
Img_7538c 揖斐川、住吉神社前や、船津屋前には、久しぶりにカンムリカイツブリのImg_7548c 姿。他にも、コガモや、ヒドリガモの小集団が浮いていました。しかし、シジミ漁の漁船に驚いて、逃げていきます。この頃、シジミの水揚げは減って、あまり漁には出なくなったそうですが、それでも、赤須賀漁港の出漁日には数隻の船が漁をしているのです。
Img_7581c 九華公園は、静かでした。というのも、ヒヨドリが少ないからです(餌がないので、集まってこないのでしょう)。ドバトはいたりいなかったり。今日は、陽だまりでふっくらしながら、じっと日向ぼっこの様子。
Img_7600c アオサギはいませんでしたが、ゴイサギは3羽とも揃っていました。しかImg_7605c し、写真に撮りにくいところにばかりいて、参ります。とくに右のゴイサギ、なぜかデジイチも、超望遠コンデジもピントが合わなかったのです。
Img_5424c もう1羽は、いつものところ。西側から、堀越しに見ると、後ろ姿ばかり。急いで、鎮国稲荷社の参道に回ったのですが、そこからは見えずじまい。なかなか思うとおりにはいきません。
Img_7631c カモたち、実は、カウントして回る途中に、管理事務所に立ち寄ってついつい話に夢中になり、1時間経過(苦笑)。その間に暖かくなってきて、カモたちは活動をし始め、やり直しとあいなりました。結局、今日の公式記録は47羽。ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモオスが3羽、メスが2羽にキンクロさんでした。オオバンは今日もいました。ユリカモメは、来ていません。左は、ホシハジロのオス。
Img_5430c 時間的に遅くなってしまい、もうあまり鳥はいないかと思ったのですが、Img_7668c 二の丸跡でメスのジョウビタキを一瞬見られ、その後、朝日丸跡でこのオスのジョウビタキ。本丸跡では、シメもまだ餌を食べていました。
Img_7673c このあと、またゴイサギ、アオサギを確認に行ったら、本命は見当たらImg_5460c ず、代わりにシロハラ。何かの実のようなものを啄んでいました。実質的に歩いた距離は短く、鳥を見た時間も少なかったのですが、まぁそれなりの成果でした。
Img_7742c 鎮国守国神社では梅はまだ咲き始めていません。先日行った、南寺町Img_5465c_2 の常信寺をまた見てきました。少しだけ花が増えていました。とはいえ、まだまだ右のような様子で、梅はこれからです。

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2018年2月 5日 (月)

紅梅、咲く……シメとヒヨドリのにらみ合いも

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 毎度同じようなことを書いてしまいますが、寒い日が続きます。今朝など、曇っていた上に、風があって、冷え冷えとしていました。しかし、季節は着実に進んでいました。常信寺(桑名市南寺町)で、ようやく紅梅が3輪開花しているのを確認! 「春が来ると梅が咲く」のではなく、「梅が咲くと春が来る」のです。
Img_4967c とはいえ、ベランダから見える御在所岳は、雪景色。山の向こうには、雪Img_4985c 雲。夕方、一時的に雪がちらつき、地面が白くなっていました。揖斐川では、シラウオ漁が行われていました。漁船2隻で大きな網を引いていきます。小舟がいるところまであるくらいの網です。
Img_7092c 寒くても散歩であります。8時45分から3時間。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町と定番コースを6.1㎞。鎮国守国神社ではまだ梅は咲いていませんでしたが、拝殿前の紅梅のつぼみが膨らんできていました。ここは日当たりが良く、いつも早く咲きます。しかし、梅は、いつもの年に比べ10日ほど遅い感じです。
Img_4995c 今日のトピックスは、こちら。シメさん。といっても、いつもの九華公園のシメImg_5000c_2 ではありません。三の丸公園の東の端でシメが盛んに鳴いていたので、探しました。見ていると、右の写真のように、下を向いて、何か、威嚇しているような様子。
Img_7016c その相手は、ヒヨドリでした。ヒヨドリ、今年はそういうシーンを見ていませんが、小型の野鳥を蹴散らします。そのため、小生はヒヨドリを「暴れん坊」と呼んでいます。このシメとヒヨドリ、トラブっていたようです。餌が少ない時期ですから、餌を巡ってのトラブルが起きても不思議はありません。この結末、シメが逃げてオシマイという、何ともあっけない幕切れ。やはりヒヨドリの方が強いようでした。
Img_6997c 揖斐川、住吉水門のすぐ下流にヒドリガモ。3枚目のシラウオ漁の漁船にImg_4991c 驚いて逃げたヒドリガモもいました。九華公園にも来て欲しいものです。客観的にはたいしたことではないのですが、個人的にはそれなりのニュース。右の写真、忠のツグミなのですが、これは、今シーズン、三の丸公園で初めて確認したツグミです。いつもはツグミがたくさんいるところなのですが、今年は初めて。
Img_5003c 九華公園、アオサギはいませんでしたが、ゴイサギは3羽揃って、オールImg_5006c スター。しかしながら、3羽とも、クスノキの奥に隠れていました。枝かぶりになってしまうのと、顔が写らないのは、難点。
Img_5010c こちらのゴイサギさんは、いつも南の端にいて、西から見ると、後ろ姿。

Img_5065c

後から、稲荷社の参道に回って採ったのが、右の写真。左のゴイサギさんのはず。目つきがアヤシくて、眠そう。
Img_5014c こちらキンクロさん。それもオスばかりのむさ苦しい写真。メスは、左上にいる1羽だけ。九華橋からカウントしていたら、オスばかりが集まってきたのです。カモ、今日は合計58羽。ハシビロガモのオス3羽、メス2羽と、ホシハジロのオス1羽の他は、キンクロハジロばかり。
Img_7049c ハシビロさんのほとんどは、奥平屋敷跡への入り口脇に集合。ここ、日Img_7051c 当たり良好で、風も遮られ、絶好の日向ぼっこスポットなのです。メスの1羽が、上陸。左の写真にあるように、石などの上に乗っているところはよく見ますが、これだけ上まで上がってくるのは珍しい。
Img_7068c 陽が当たって、暖かくなってくると、カモたちも動き始めます。左は、ハシビロガモのオス。この体制で泳ぎ回っています。前にも書きましたが、これは餌を採りながら泳いでいるところです。マシーンが動き回っているようにも見えます。
Img_5026c ジョウビタキのメス、最近は、必ず奥平屋敷跡で見ます。寒いのでふっくImg_5028c ら。右は、後ろ姿。後ろ姿、なかなか良い色合いだと思います。
Img_5040c 本丸跡では、今日もシメ。定時出勤、定時退勤のようです。隠れて写真をImg_5056c 撮っていたつもりですが、見つかったかも知れません。右は、カワラヒワの集団。鎮国守国神社の境内で、餌探し。今の時期、どの鳥も餌探しに苦労しています。
Img_5078c ユリカモメ、今日は何と81羽。もっといたかも知れません。餌をやる人もImg_5084c あったのですが、写真は二の丸橋で撮りました。全体像は、右の写真のような具合。
Img_7154c 毎度同じパターンではよろしくないと思うのですが、なかなかバリエーションをつけるのは、難しい。もっと自由な発想ができるようになるといいのですが……。
Img_5085c このあと、貝塚公園へ。最近、ここにもヒヨドリはいません。食べ物がないImg_7189c のでしょう。今日はシロハラも見つけられませんでした。ジョウビタキのメスがちょっとだけ姿を見せてくれましたが、後ろ姿だけ(苦笑)。寒かったのでほとんど通過しただけでしたが、右のような枯れ木を発見。コゲラが穴を開けたような気がします。
Img_7232c わが家前の住吉入江。いつも遊んでもらうハクセキレイ。今日もまた、パンくずをやってしまいました。「アラよっ」とばかりに咥えなおし、飲み込むところ。
Img_7095c オマケは、九華公園の旅ネコさん。鎮国さんの拝殿前にある薦被りで日向ぼっこしながら、居眠り。ちなみに、旅ネコさんは登録商標ではありません。

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2018年1月25日 (木)

積雪10cmあまり、最高気温1.5℃(笑)……散歩は禁止されました

Dscn5745c
 今朝6時8分の写真です。9階のベランダから下を通る道を見下ろした光景。Dscn5751c 街灯が照らす中、すでに足跡も、タイヤの跡もあります。朝3時過ぎに大雪警報が出たようですし、右のテレビ画面にあるように、ちょうど桑名、いなべ、四日市あたりに雪雲が流れ込んでいます。
Dscn5769c 6時50分を過ぎた頃の様子。左は、ベランダから南東の方角を見たもの。手Dscn5781c すりにも雪が積もっていますし、空は雪雲のようです。右は、7時頃の北側の景色。右に見えるのは諸戸氏庭園、左の方にはわずかに多度山が写っています。藤原岳など、鈴鹿山脈はずっと雪雲がかかっていて見えません。
Dscn5817c 終日、雪模様という予報でしたが、日中は晴れてきて、もう雪は降っていまDscn5821c せん。郵便を出しに行ったついでに近くを見てきました。住吉入江の北にあるベンチには、雪だるまが2体、鎮座。最近の雪だるまは、ベンチに座っているようです(微笑)。
Dscn5825c 住吉入江辺りの景色は、ご覧の通り。お子さん連れのお母さんがお二人。Dscn5830c お母さんたちは「もう帰るよ」とおっしゃるのですが、子どもたちは「イヤだ」「帰りたくない」と(微笑)。わが家の子どもたちが小さかった頃も同じでした。あまりにも冷たくて、指がジンジンしてくるくらいで、オッサンは早々に退散(苦笑)。
0125weatherc アメダスを見たら、外に出た11時頃は、気温0.3℃! 「散歩は禁止」と言明Img_4149c されましたので、おとなしく、ご依頼をいただいた仕事に専念していました。昼過ぎの室内、陽が当たっていると暖房を入れなくとも23.7℃にもなります。最高気温は1.5℃でしたが、お陰でぬくぬくと過ごせています。ただ、仕事の能率は昔よりも明らかに低下しており、困ります(苦笑)。
Img_4151c 夕方の光景。鈴鹿の山の方は相変わらず雪雲の中。南の方(四日市方Img_4154c 面)も、雪雲のような雲。また夜から明日の朝にかけて雪が降るのでしょうか? 散歩の虫、鳥見の虫がウズウズしています(笑)。

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2018年1月 7日 (日)

辰水神社のジャンボ干支を見る(1/4)

Img_2560c

 わが家の「正月恒例行事」になっています。正月に家内の実家へ行くとき、Dscn5609c 辰水神社(津市美里町家所1941)のジャンボ干支を見に行くことです。今年は戌年ということで、柴犬をモデルにした人形です。12月30日の中日新聞の記事によれば、高さ3m、体長3.6mということです。鉄骨の骨組みに発泡スチロールを削って形を作り、彩色してあるそうです。2月末頃まで設置してあるとのこと。この「ジャンボ干支」は、昭和61(1986)年から「ふるさと愛好会」により制作され、奉納されています。
Img_2561c 「開運潜門」とありますが、このジャンボ干支をくぐって、階段を上り、山上にある神社にお参りするということです。この柴犬、けっこう筋肉質に仕上がっています。前(東向きです)を見据えていて、なかなかりりしい印象。
Img_2586c 「見る」という点では、神社の参道からではなく、東の方に回って見た方がImg_2573c 良い感じでした(神社に入るところに小さな川があり、1本東の橋に回って撮った写真が、これら2枚)。午後3時前に見に行きましたので、午前中ですとまた違った印象になるかも知れません。
 ちなみに、去年見てきた記事は、こちら(2017/1/3:津市・辰水神社のジャンボ干支……巨大な鶏のオブジェ)。
 以下は、余談というか、自分の興味で恐縮。辰水神社は、近代社格では村社です。由緒そのものはあまり知られていないということです。御祭神は、大日霊貴命、菅原道真公など31神とかなり多くなっています。これは、様々な神社を合祀した結果だと考えられています。御祭神のうち、鳥之石楠舩命を祀った船山神社という神社が『延喜式神名帳』にある「船山神社(伊勢国・安濃郡)」に比定されているようです。こちらに詳しい御祭神などがあります。

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2018年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます

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 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。曇りとImg_2128c いう予報もあり、心配しましたが、無事に初日の出を拝むことができました。いつも通り、わが家のベランダからであります。名古屋での日の出は、6時59分となっていました。
Img_0394c 5時半頃から起きて、カメラの設定を再確認したりし、「万端」とはいえませんが、それなりに準備をしていました。左は、日の出の2~3分前。東の空や、雲が次第に赤くなってきている様子。これもまた良い感じです。
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 これまでは、元旦は散歩は休みとしていましたが、今年は、歩いてきました。住吉神社にお参り、九華公園を半周し、鎮国守国神社にお参り。その足で赤須賀漁港へ。何と、新年早々6.9㎞もの散歩です(微笑)。バールフレンドのTさんにお目にかかり、新年の挨拶。
Img_0540c 赤須賀漁港へは、このところ毎年見に行っていますが、大漁旗が掲げられImg_0511c た様子を見て、写真に撮ってきました。右は、「富士山とのコラボ写真(微笑)」。なばなの里の「アイランド富士」であります。国道23号線の揖斐長良大橋近くまで行って、戻ってきました。すべての漁船に大漁旗が出ているわけではありませんが、私には「正月の光景」として定着しています。
Img_0568c 「年頭所感」のような、たいそうなことはとくにありませんが、「歩く、見る、撮る、調べる、学ぶ」を心がけようかと思っています。これまでと大して変わりはありませんが、「淡々と飽きもせず」の心境で引き続きやっていこうと思っています。今年も、引き続きご交誼のほど、お願いいたします。
 

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