散歩

2018年10月16日 (火)

2年ぶりのヤマガラに、キビタキのメス(?)……九華公園には今年も水鳥のカウント・ボード設置

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 九華公園のキンクロさんたち、今日は5羽。一時、6羽いたという情報もありImg_7674c ますが、マイ・パークですので、小生の観察が公式記録(微笑)。桑名市指定管理者のKMI桑名さんも認定(のはず)。ということで、本日から、水鳥のカウント・ボードも設置していただきました。カモの数を表示しています。それはさておき、今日の散歩は、8時10分から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋堀、寺町と5.8㎞。いろいろな知人と会って話していましたので、11時45分まで(笑)。
Img_7671c 今日は何といってもこちら。ヤマガラです。九華公園で見るのは、ほぼ2年Img_8472c ぶり(前回は、2016年11月 5日:九華公園にヒドリガモのオス、飛来)。最初はヤマガラだけ2羽でしたが、そのあとはシジュウカラとの混群でした。「ビィービィービィー」と賑やかな鳴き声が懐かしかったですね。
Img_8518c そしてこちら。キビタキのメスか? と思います。鎮国守国神社の境内で何気なく飛んできたのです。最初に見たときは、コサメビタキにしてはちょっと違うなと思いました。
Img_8368c さて、話を戻します。三の丸水門で知人と話していたら、トビImg_7642c がアタマのすぐ上を通過。九華公園上空でこのトビも含め、2羽が旋回していました。九華公園に向かう途中、近くの喫茶店の屋上にあるアンテナでモズ。このあたりを縄張りにしているメスのようでした。
Img_8516c アオサギさん、九華公園についたときにはいなかったのですが、先に進Img_8426c もうと思ったら、南から飛来して、いつものところに降りてくれました。その後、公園内を回ったものの、これといった鳥はおらず。ヒヨドリ、ドバトくらい。この時点では仕方なく、たまにはキジバトでも撮るかということで撮ったのが右の写真。
Img_8446c このあと、神戸櫓跡近くで、ヤマガラの鳴き声を聞き、飛び上がったといImg_8490c う次第(微笑)。松の木をあちこち移動しながら、松ぼっくりの間をつついて、種を取り出して食べていたのです。ヤマガラ、以前は、拙宅近くの諸戸氏庭園前の桜並木にも来ていたのですが、やはりここ2~3年、すっかり姿を見せなくなっていました。これを機会に、諸戸氏庭園のところにも来てほしいもの。

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2018年10月15日 (月)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その3)……伊勢河崎商人館、川の駅・河崎、橘神社を経ていよいよ二軒茶屋餅

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 近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」の記事もその3となりましたが、未だに1枚目のルートマップの範囲を出ていませんし、2㎞も歩いていません。先の見通しがきわめて不明なまま、河邊七種神社を出て、伊勢河崎商人館へと向かいます。
Img_6043c 伊勢河崎商人館は、江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋・小Img_6048c_2 川商店の建物を利用しています。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなり、伊勢河崎を代表する商家といわれます。この小川酒店を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなっています。
Img_6051c といっても、小生は、チラッと覗いてみただけで中は見ておりません(苦笑)。9時30分~17時00分、火曜日休館、大人300円です。日本最古の紙幣である山田羽書をはじめ、伊勢と河崎の歴史と文化の資料が展示されていましたので、見てくれば良かった。ちなみに、町並みは「切妻妻入(きりづまつまいり)」になっています。神宮の御正殿が平入りのため、同じでは畏れ多いという理由だそうです。
Img_6034c 川に面して建つ酒類の、3つの商品蔵は、現在は商人蔵として日常で使う雑貨、食品を中心とした販Img_6035c売と展示をしています(こちらを参照)。ちょっとだけ覗いてきました。右の写真は、参の蔵。
Img_6039c 商人蔵には合わせて20店舗が出店。カフェなども入っています。伊勢河崎商人館以外にも、河崎の町ではあちこちでいろいろな店があります。伊勢河崎商人館の散歩地図を見ると、お分かりいただけます。
Img_6054c また、河崎の商家のもう一つの特徴として、大きな鬼瓦、飾り瓦がありまImg_6059c_2 す。飾り瓦には「隅蓋」といわれる、切り妻の両端にあり、水が建物に入り込むのを防ぐ蓋の役割をするものがついています。水に因む船、亀、波などのものが乗っています。これらは、河崎商人館のものですが、他の商家にもあります。火災から家を守るという祈りも込められているようです。
Img_6060c 伊勢河崎商人館とは目と鼻の先に、川の駅・河崎があります。平成Img_6071c_2 15(2003)年に開設されました。100年以上前の醤油蔵を再生したものです。左の写真のように、問屋街から見ると、古い蔵を改修し施設なのですが、川に面した裏口の方は、白く塗られたウッドデッキになっていています。三重交通神都線の駅舎をモチーフにしているそうです。
Img_6074c 川の駅・河崎の裏手は、ちょっとした公園のように整備されています。そImg_6065c こから、先ほどの伊勢河崎商人館の3つの蔵が見えます。この景色は、河崎の観光案内などで見かけるもの。これ、今回のハイキングで見たかった景色。余談ですが、真ん中の蔵の屋根の上にアオサギさんが佇んでいました(微笑)。
20181008kintetsuhikingujiyamada2  川の駅あたりで、河崎の町並みもお仕舞い。このあとは、左のルートマッImg_6086c プ#2に示しましたように、勢田川沿いを延々と2㎞半くらい下っていきます。「延々と」というのは、実感。右の写真は、左のルートマップで、河崎を抜け、福江町に入り、大きく右折した少し先から、川の合流地点を見たもの。このあと、トビ、モズ、イソシギなども見ましたが、全部すっ飛ばして、ルートマップの右上にある瀬田大橋まで一気に進みます。
Img_6104c 瀬田大橋まで行く途中、こんな景色が見えました。よく確かめもせず、次Img_6108c の立ち寄りスポットの橘神社かと思ったのですが、これが二軒茶屋でした。ルートマップ#2でいうと、勢田川がグッと南(下)にカーブしているところ。さらに歩くと、瀬田大橋が見えてきます。橋を渡るところで4㎞。時刻は、11時10分頃。
Img_6122c  瀬田大橋を渡って500mほどで、神社が見えました。橘神社と、境内社のImg_6125c 勝廣稲荷神社です。裏にある勝廣稲荷神社から入って行きました。倉稲魂神が御祭神。五穀豊穣・商売繁盛の神です。御鎮座は不明ですが、向山の地、現在の伊勢学園高校の敷地に鎮座していたものが、諸般の事情により平成6(1994)年、ここに移転してきたそうです。平成6年以前に伊勢学園高校を卒業した方に伺うと、確かに学生時代、お稲荷さんが敷地内にあったそうです。
Img_6129c 南の国道42号線に面した側に橘神社の社標と鳥居があります。本来でImg_6130c あれば、こちらから入らねばなりません。橘神社の御祭神は、橘諸兄(たちばなのもろえ)。橘諸兄は、敏達天皇の子孫で、天平9(730)年に大納言に抜擢され、右大臣、左大臣にまで登った、いわば奈良時代の政治家。勅使として天平10(731)、13(734)年の2度に渡って伊勢神宮に来ています。
Img_6142c こちらが拝殿。ここも御遷座が行われるようです(こちらをご覧ください)。リンク先によれば、平成27(2015)年に御遷座(?)があったようです。立ち寄りポイントに設定されているのですが、小生が訪ねたときには、他にもう一人、女性の参加者の方がいらしただけ。多くの方は、堤防の道路を通過して行かれました。
Img_6140c 境内には、山の神と、天王社も祀られています。説明板には、山の神にImg_6146c ついては触れられていません。天王社は、拝殿に向かって右奥にあります。牛頭天王スサノオを祭神とする神社で、特に、津島神社(愛知県津島市)系統の神社にこの名称が使われます。疫病等から守ってくれる神様です。この天王社も御鎮座年代は不明。向山の裾に鎮座されていたものが、平成27(2015)年にここに移ってこられたそうです。
 説明板には、八幡宮もあるとなっていますが、それらしいお社には気づきませんでした。八幡宮について、説明板は次のように述べています:祭神は応神天皇。黒瀬町の八幡宮は阿弥陀寺境内の八幡大神をお祭りし、名前をいただいた。御鎮座年代は詳しくは分からないものの、寛永3(1626)年の手水石があることから、江戸時代初期には向山の地に鎮座していたと思われる。なお、手水石には「寛延三庚午年」と刻されているようですから、これは読み誤りかも知れません(次のリンク先をご覧ください。寛延3年なら1750年)。
Mukouyama  ここで気になるのが、「向山」という地名。勝廣稲荷神社、天王社、八幡宮の説明すべてに出て来ます。地図を見ても、向山という地名はありません。検索したら、こちらのサイト(神宮巡々2)にそれを探求した記事がありました(橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町))。この記事でも解明し尽くされているわけではありません。謎解きはおもしろいのですが、難しいですねぇ。左の地図で、中央上にあるのが、橘神社。右下に伊勢学園高校。説明板によれば、このあたりが向山の頂上近く。中央あたりにリンク先の記事に出てくる黒瀬八幡宮があります。伊勢学園高校の南は、倉田山公園。
 余談に余談を重ねるようですが、橘神社あたりは、かつて御塩(堅塩)が人の手により運ばれた際、御塩殿神社にある御塩殿から外宮斎館へ経路の中で唯一休憩、御塩が入った辛櫃を下ろせた場所だそうです(橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町)。こういうことを気にしているから、先に進みません。分かってはいるのですが、直りませんねぇ(苦笑)。
Img_6156c  橘神社、謎が解明し尽くせていませんが、ハイキングは次へ(笑)。本当は、コースマップに示されたルートではなく、裏から入ってしまいましたが、二軒茶屋餅。国道42号線へ出て行くようなコースになっていましたが、勢田川の堤防から入ってしまいました。16枚目の画像・写真のところ。遠目には神社に見えました(苦笑)。
Img_6196c 表の国道42号線の側から見ると、こういう店になっています。二軒茶屋Img_6193c 餅角屋本店。いよいよ「名物二軒茶屋餅で舌鼓」であります(微笑)。5㎞直前、11時25分。お腹は空いています(微笑)。二軒茶屋餅は、角屋本店の商品。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業されました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は、今はありません。二軒茶屋は、舟参宮の船着き場でした。
Img_6170c 二軒茶屋餅は、こしあんを薄皮のもちで包み、きな粉をまぶしたきな粉餅Img_6174c です。この日の近鉄ハイキングの参加者には、1個プレゼント。早速いただきました。食べかけで恐縮ですが、右の写真もご覧いただければ幸い。三重県内、東海道から伊勢街道(参宮街道)沿いは、「餅街道」なのです。ちなみに、まだ全部制覇はしていません。先日のJRさわやかウォーキング(9月22日:20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】、9月25日:20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館)で買ってきた「関の戸」も、その一つ。
Img_6176c 二軒茶屋餅角屋本店の敷地内には、明治天皇の記念碑があります。樹齢400余年の大楠の下に建っています。 この記念碑は、明治5(1872)年5月に明治天皇が海路より伊勢神宮に参拝した際、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立されたものです。このときが明治天皇は、初めての伊勢参拝だそうで、西郷隆盛以下を連れてだったといいます。
Img_6178c 角屋本店さんは、黒砂糖を蓄えておく蔵だった建物を利用して、角屋民Img_6181c 具館という資料館を設けておられます。餅の原料となる黒砂糖(戦前までは餅の餡は黒砂糖を使ったそうです)は、その昔、遠く琉球から堺を経由、勢田川を利用して運ばれこの蔵に収められていました。創業約400年、現在のご当主で20代を数えるそうで、昔から伝わるものがたくさんあります。たとえば、大福帳、古い餅つき道具、徳利や昔の帳場の調度。和紙を袋とじにした宿泊人の名簿など。それらを展示しておられます。伊勢まちかど博物館に認定されています。左の写真は、伊勢の遷宮の御木曳の時に用いられる奉曳車(ほうえいしゃ)の模型。右は、どんどこ丸の模型。
Img_6194c 角屋本店さんで土産に二軒茶屋餅10個入りを買いました。値段を聞いてImg_6590c びっくり。何と¥740。ということは、1個あたり¥74。中は、昔ながらの竹皮包みになっています。賞味期限は2日間。ここ本店とおかげ横丁の他、宇治山田駅のファミマで買えるという情報があります。伊勢というと、赤福というイメージかも知れませんが、あれはPRが上手だったために広がったところがかなりあると小生自身は思っています。「餅街道」もご覧いただき、あれこれ試すのをお勧めします。
 角屋本店さんについては、まだ続きがありますが、その3はここまで。次は、角屋本店の地ビールなどの話から、いよいよ松尾観音寺へ向かいます。ただし、その途中、神都線の廃線跡の話や、倉田山公園のもろもろもあります。

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20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その2)……御幸道路、錦水橋から河崎の町並み、河邊七種神社へ

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 10月8日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」のImg_5876c その2です。その1では、スタートの宇治山田駅から出て、100m進んだかどうかというあたりでウロウロしていました。伊勢豊受稲荷神社や、箕曲中松原神社を通りの反対側から眺めたところまで。左のマップで、「岩淵」交差点(右の写真の先、第三銀行のところ)を左折して、御幸(みゆき)道路に入ります。
Img_5889c 御幸道路は、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)皇大神宮(内宮)を結んでいMiyukiroad ます。全長はおよそ5.5km。天皇が神宮へ参拝するための道路として、自動車が通行できる道が倉田山を経由して作られたのです。明治時代後期(1900年代)まで、外宮と内宮を結ぶ道路は限られ、急な坂道を伴う幅の狭い道(伊勢街道(伊勢参宮街道))しかありませんでした。明治43(1910)年に竣工。篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいたのですが、今年4月路線バスがバス停に止まろうとした際、道路脇に設置されていた石灯籠に接触。これが倒壊して歩行者の男性を直撃し、亡くなるという事故があって、撤去されてしまいました。歩道に敷かれた新しいブロックは、石灯籠があったところと思います。右の画像は、Weblioからお借りしました。
Img_5892c 左上の写真の奥に見えているのが、錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋Img_5895c です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます(右の写真からご想像ください)。
Mietoutsusintosen  錦水橋は、その昔、路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。左の画像は、「日本鉄道旅行地図帳 関西1(新潮社、2008年)からお借りしました。この地図では、宇治山田駅前と古市口の間に錦水橋がかかっています。路線図でお分かりのように、このあと訪ねる二軒茶屋あたりも神都線の二見線が走っていました。
Img_5898c 錦水橋の少し先には、この橋の由来を説明する案内板がありました。勢Img_5904c 田川沿いを進みます。右の写真は、錦水橋の1つ下流の桜橋付近から南を振り返ってみたもの。桜橋で勢田川の左岸から右岸に渡り、JR参宮線の線路下をくぐっていきます。
Img_5913c 参宮線は、その名の通り、伊勢神宮にお参りするためにつくられた路線。明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在の参宮線は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もとは亀山駅から鳥羽駅までが参宮線として予定されていました。紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和45(1970)年に近鉄鳥羽線が開業すると乗客は激減したといいます。鉄橋の煉瓦積みにも歴史を感じます。
Img_5914c 清田橋のところで対岸を見ると、こんな看板が目立ちました。すぐ下流のImg_5919c 清浄坊橋(しょうじょうぼうばし)の右岸側にこの旭湯さんがありました。汐湯・おかげ風呂館と称しておられます。清浄坊橋は、二見の御塩田から外宮に御塩を運ぶ道だっ
たため、「神聖な清浄なる道」ということに由来するそうです。
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 旭湯さんには、その塩の道沿いということにちなんで、二見の海水を汲み上げて運び、沸かしている「潮湯」があるそうです。そのほかにも、旭湯さんはいろんなアイデアがいっぱいのようで、「潮浴び参宮」など、おもしろそうな看板が並んでいました。時間があれば、入浴してみたいところ。
Img_5927c_2  その清浄坊橋を渡って、再び勢田川左岸へ。いよいよ河崎の町並みへと進みます。勢田川は、伊勢市街地を流れる主要な河川で、江戸時代には伊勢参りの客や物資の輸送で大変賑わいました。河崎は、室町時代中ごろに、川のほとりの葦原を埋め立てて作られたそうです。現在でも軒を連ねた古い町家や商家の蔵など、江戸時代からの町並みが残っています。
Img_5938c 河崎の町並みです。川に沿って煉瓦の倉庫、川役人の屋敷跡、古い住Img_5939c_2 宅や商家など、当時の姿が残っています。黒塗りの蔵が続いている町並みは、何となく落ち着く通りです。河崎では、今もたくさんの店などが営業していて、楽しめます。「伊勢河崎商人館」のサイトにたくさん情報が載っています。町歩き地図もあります。
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 河崎の町に限りませんが、伊勢地方では、このような注連飾りが一年中飾ってあります。そこには、「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。
Img_5933c 途中に、常夜灯と、お堂。河崎南町にある庚申堂です。地元の皆さんがImg_5935c お守りをしていらっしゃるそうで、60日ごとに庚申さんの行事を続けているようです(こちらを参照)。「庚申」は、「かのえさる」。干支は、日毎にも割り当てられていま。「庚申信仰」では、人間の中にいる3つの虫が、庚申の日になると寝ている間に出てきて、神様にその人の行った悪いことを告げ口するとされます。そのため、庚申の日は一晩中起きていることで、体からその虫が出て行かないように注意するという次第。このお堂には、三猿も飾られているのですが(右の写真の上部)、自分のした悪いことを見たり聞いたり言ったりしないで!」という願望の現れだそうです。
Img_5936c 途中、マンホールの蓋を見たりしながら、進んでいきます。ちなみに、こImg_5957c のマンホールのデザインは、伊勢参りの様子。まちかど博物館もあったのですが、中は覗きませんでした。これ、後で知ったのですが、ちょっと惜しいことをしました。というのも、このお店(和具屋さん)には水神宮が祀られていて、10月13日にその御遷座が斎行されたのだそうです(こちら)。
Img_5960c 和具屋さんから少し行くと、河邊七種(かわなべななくさ)神社。河崎の氏Img_5963c 神様。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名由来に依り、河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。天王祭は7月14日ですが、その日に近い日曜日に地域の夏祭り「てんのうさん」が開かれます。神輿が町内中を「そいやそいや」のかけ声で練り歩き、夜店とイベントでにぎやかだそうです。祭りの最後には、勢田川に浮かべた船から打ち上げられる花火と、川面を走る水中金魚花火が恒例といいます。
Img_5984c  旧社格は、村社。明治23(1890)年9月、菅原社、秋葉社を合祀。明治41(1908)年11月、広峰社、水神社、稲荷社、幸神社、猿田社、金毘羅社を合祀しています。
Img_5985c 主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子で、天照大神の弟。多くの乱暴を行ったため、天照大神が怒って天の岩屋にこもり、高天原から追放されましたが、出雲に降りて、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救っています。さらに、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じました。相殿神は、次の通り。このほか、祭神不詳二座となっています
  • 八衢比古神(やちまたひこのかみ)
  • 八衢比売神(やちまたひめのかみ)…古代伝承上の神で、集落や道の要所にすわり、八衢比古神とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ
  • 久那斗神(クナドノカミ)…岐神とも書きます。伊弉諾尊が黄泉の国から逃れて禊をした時、投げ捨てた杖から生じたという神。集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ、種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐと信じられた。道祖神。ふなどのかみ。ちまたのかみ。
  • 大物主神(オオモノヌシノカミ)…大神(おおみわ)神社の祭神。別名は三輪明神
  • 火産霊神(ほむすびのかみ)…迦具土神(かぐつちのかみ)ともいう。伊弉諾尊・伊弉冉尊の子で、火の神
  • 菅原道真公…天満天神、学問の神
  • 水神
  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)……倉稲魂命とも表す。稲の精霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどる
Img_5992c 境内社には、吉家稲荷神社(吉家神社)があります。町内に無格社として祀られていImg_5994c たものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。20年に一度、御遷座が行われているようです(たとえばこちら)。
Img_6001c 気になったのは、こちらの写真に写っている内容。向かって左側の額には、「吉家松助大明神 吉家虎光大明神 吉家松倉正一位稲荷大明神 吉家小妻大明神 吉家小菊大明神」とあるのです。稲荷大明神の他は、個人の名前に大明神がつけられているような気がします。しかし、ネット検索ではよく分かりませんでした。「町内に無格社として祀られていた」ということからは、個人のお宅に祀られていたのかと推測しますが、わかりません。
Img_5972c  他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。楠の前にImg_5973c は、鳥居がありましたので、ご神木かと思います。さらに、このクスノキの根元をよく見ると、右の写真のような石柱がありました。「橿原神宮…」という文字が見て取れます。「橿原神宮遙拝所」なのでしょうか。
Img_6017c 境内を見て回ると、拝殿の東に「遺Img_6020c 跡……」という石柱があり、その前には、不明の物体(木の化石? よく分かりません)がありました。その奥を見ると、「庚申塔」の欠けたものらしき石柱も。神社にはいろいろなものがあり、不思議な空間。
 河邊七種神社でまだ2㎞にも達していません。遅々として進まずというのは、まさにこういうことですが、その2はこれくらいで。もう少し河崎の話が続きます。次は伊勢河崎商人館から。

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2018年10月14日 (日)

曽爾高原へススキを見に

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 かねてからの計画通り、曽爾(そに)高原へ行ってきました。奈良県宇陀郡曽爾村にあります。日本300名山の一つ倶留尊山(標高1,038m)から亀山(標高849m)に広がる高原です。ススキで一面に覆われた草原で、秋にはススキの穂が陽射しを浴びて銀色・金色に輝くところ。愚息が学生時代、自転車で行った話を聞いていて、一度行こうと思っていたのです。今朝早く出発し、家内の母を連れて行ってきました。家内の実家からクルマで1時間半ほど。
Img_7556c 駐車場から少し登ったあたりから見た写真。ススキは期待したイメージとはSoni かなり違った感じでしたが、草原が広がっていて気持ちの良いところでした。右のマップで中央やや右にある「駐車場」にクルマを入れ、80代の母がいましたので、曽爾高原入り口というところまで行っただけです。左の写真は、その高原入り口から倶留尊山、二本ボソ、亀山峠、亀山方面を撮ったものです。
Img_7535c 同じようなアングルですが、ススキをなるべく入れたかったので、こちらの写Img_7513c 真の方が自分としては気に入っています。マップにもありますが、高原には「お亀池」という池がありました。火山の火口だという説もあるようですが、特殊な浸食によるものの可能性が高いといいます。カモらしき姿が見えましたので、超望遠コンデジでズームアップしてみたら、カルガモさんが5羽。
Img_7452c 高原に行く前に、曽爾高原ファームガーデンでランチ。すすきの館という自Img_7446c 然派キッチンにて、ほうれん草のハンバーグ。¥1,200。野菜たっぷり。
181014rout 往きは国道165号線を利用。名張市から南下。香落渓(かおちだに)など景色の良いところをドライブ。ここは、関西の耶馬渓と呼ばれるそうです。ブラタモリで良く出てくる「柱状節理」の岩肌が約8㎞続いています。帰りは違うルートということで、南回り。奈良県御杖村から三重県津市美杉に出て、JR名松線沿いを戻って来ました。

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2018年10月13日 (土)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その1)……伊勢中川駅、宇治山田駅、神都バス、度会府庁跡、シンフォニアテクノロジー響きホール、伊勢豊受稲荷神社、箕曲中松原神社

 近鉄ハイキングに立て続けに出かけたため、記事が滞っています。こういうのを自業自得というのかも知れませんが、1つずつ順番に書いていくしかありません(笑)。まずは10月8日の分。「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」のその1です(予告編は、こちら)。

Img_5748c この日は体育の日。天気もよく、暑いくらいでした。歩き始めてからは、半袖Kic Tシャツ1枚で十分なくらいでした。この日のハイキングの受付は、近鉄山田線・宇治山田駅。右の地図をご覧ください。桑名からでは、名古屋に行く方がはるかに近いのです。近鉄電車では、桑名駅-宇治山田駅の間は、83.4kmもあります。急行で行くと、1時間半。
Img_5751c ということで、これまでの近鉄ハイキング/JRさわやかウォImg_5770c ーキングの中でもっとも早く、近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川は、近鉄の名古屋線、大阪線、山田線の乗換駅。ここに9時4分に到着。9時7分発の五十鈴川行き急行に乗り換えます。
Isenakagawa_station いきなりの余談で恐縮。鉄道好きの方はご存じですが、この近鉄・伊勢中Img_5767c 川駅、なかなかおもしろい駅なのです。左に伊勢中川駅の線路・ホームの配置図を載せました。駅そのものは、5面6線のホームを持つ地上駅ですが、3路線の接続駅で、乗り換えに便利なように、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。右は、実は降車ホームを間違えたのですが(2番ホーム側に行かねばならなかったのです)、3番線と4番線の間のホーム。4番ホームに止まっているのは、大坂の上本町行き急行でした(これに乗ってしまわなくて良かった)。ちなみに、階段を上り下りせずに、電車を通過して向かい側のホームに行けます。
Img_5771c すぐに間違いに気づき、乗ってきた伊勢中川行き急行の車両の中を通Img_5776c 過して(両側のドアが開いているのです)、2~3番線ホームへ行き、五十鈴川行きの急行に無事乗り換えました。
Img_5761c もう一つ屁理屈というか、講釈。上の線路・ホームの配置図にもありますが、名古屋線から大阪線へは、伊勢中川駅に入らないでいける「中川短絡線」があります。短絡線は伊勢中川駅の一部だそうで、プラットホームは通らないものの、伊勢中川駅構内を通過しているとみなされ、運賃は伊勢中川駅で折り返したとみなして計算されます。昭和36(1961)年3月に供用開始。平成24(2012)年1月に新しい橋が造られています。アーバンライナーなど、名阪間のノンストップ特急は、この短絡線を通って行きます。
Img_5777c ということで、いったん降車ホームを間違えたものの、無事に五十鈴川行き急行に乗り換えられ、宇治山田駅には9時31分に到着。¥1,200。ほぼ1時間半を要しました。これまで26回ほど、近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキングに参加しましたが、最長の乗車時間であり、最高の運賃です。
Img_5786c 近鉄山田線・宇治山田駅。24歳で最初の職場(鈴鹿にある某国立病院)Img_5808c に就職した年の大晦日、先輩Mさんに連れられ、伊勢神宮の初詣に来たとき、ここに降りた記憶があるのですが、どういう駅であったかまったく記憶がありません(テレビや新聞、雑誌では見ていますが)。写真や画像で見ると、なかなか雰囲気の良い駅なので、一度(もう一度?)よく見てみたいとは思っていました。
Img_5828c  宇治山田駅は、昭和6(1931)年に開業。当時の面影を、今でも残していImg_5806c ます。国登録有形文化財です。駅名は、開業当時の市名である宇治山田にちなんでいます。内部のコンコースは広々として2階までの吹き抜けがあり、荘重でゆったりとした駅舎ですが、団体待合室や食堂など、多数の参詣客に対応できる機能的な設計もされています。貴賓室があり、天皇など皇族の方や、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。
Img_5860c  駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート3階建て(塔屋を含めると5Img_5836c 階建て)。設計は、同じ1931年に開業した東武鉄道浅草駅や1932年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節(建築家。鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任)。建築面積は3,201㎡、幅128mの堂々たる駅舎です。外壁はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並んでいます。屋根には茶色のスペイン瓦が使われていて、昭和初期の名建築です。
Img_5802c 個人的には、このベンチも風情があっていいなと思っています。コースマップをもらってから、このベンチに座ってみました。小生は建築には詳しくはありませんので、宇治山田駅の魅力を伝えられません。ご興味がおありの方には是非お訪ねくださるようお勧めします。
Img_5795c この日のハイキングの受付は、宇治山田駅コンコース。こんなチラシも貼Img_5801c ってあり、気合いが入ります。受付は9:30〜10:40で、ちょうど良い時間に到着。それに「名物二軒茶屋餅で舌鼓」が楽しみであります。右がいただいたコースマップ。宇治山田駅をスタートして御幸道路、錦水橋を経て、河崎の町並みを見て、勢田川沿いを散策。二軒茶屋で角屋本店さんの二軒茶屋餅をいただき、松尾観音寺、倭姫宮をめぐって、鳥羽線・五十鈴川駅がゴールという、約8㎞のコース。
20181008kintetsuhikingujiyamada こちらが実際に歩いたルート。多少寄り道をしましたので、9.7㎞を歩きました。伊勢へ来たのですが、外宮、内宮など伊勢神宮にお参りするコースではありません。河崎といって、江戸時代から伊勢の台所として発展した問屋街あたりを回り、勢田川沿いを散策。伊勢名物の一つ、二軒茶屋餅を味わいます。最後に、伊勢神宮の別宮の一つである倭姫宮へお参りします。倭姫命は、垂仁天皇の第四皇女。天照大神の社を、伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられます。倭姫命は、伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢の国をめぐられたのですが、その途中、桑名にも立ち寄っておられます。桑名野代宮(現在の野志里神社とされます)には4年間滞在されたといわれます。こういうことで桑名にも縁がありますので、お参りしたいという次第。
Img_5830c さて、宇治山田駅の駅舎から出て撮影をしていましたら、こちらのバスがImg_5890c やって来ました。神都バスと呼ばれ、三重交通が運用しています。伊勢には、明治36(1903)年から昭和36(1961)年の間、路面電車・神都線が走っていました。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)に合わせて、路面電車型バスとなって生まれ変わったものです(右の写真は、あとで触れます錦水橋のところで撮影)。
Img_5862c 宇治山田駅を出たところで、度会(わたらい)府庁跡の石柱を見つけました。慶応3(1867)年の大政奉還を受けて、翌年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が知事となり、小林(おはやし)村の旧・山田奉行所に着任しました。余談ですが、山田奉行といえば、18代奉行であった大岡越前守忠相が有名です。
Img_5865c 度会府は、明治2(1869)年に度会県と改称され、翌3(1870)年、県庁舎は、箕曲(みの)町(ここ岩淵2丁目)に移ってきました。度会県は、一志、飯高、飯野、多気、度会、答志、英虞、南牟婁、北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分していました。その後、明治9(1876)年4月、三重県(安濃津県から改称)と合併し、度会県の歴史は幕を閉じたのです。ちなみに、この石碑は、昭和8(1933)年3月に「宇治山田市教育會」によって建てられています。さらに講釈を重ねますが、伊勢市の旧名が宇治山田市。宇治に皇大神宮 (内宮) 、山田に豊受大神宮 (外宮) があり、両地区とも中世には自治都市を形成していました。鎌倉時代以降、両者とも門前町として繁栄したのですが、神権の優劣を争ったり、商業利権の競合から対立したりし、文明 18 (1486) 年には宇治山田合戦と呼ばれる流血の抗争が起ったこともありました。明治39(1906)年、両地区が合併し、伊勢市 (昭和30(1955)年成立) の前身である宇治山田市となっています。
Img_5815c 宇治山田駅の向かいにあるのが、シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢。小生のような年代のものには、伊勢市観光文化会館という名前の方がなじみがあります。シンフォニアテクノロジーは、旧・神鋼電機です。
Img_5867c ようやく宇治山田駅を出発(9時45分)、駅前を左折して南へ。曲がってすImg_5869c ぐ、朱い鳥居が目に入りました。朱い鳥居といえば、お稲荷さん。伊勢にお稲荷さんがあるのかとちょっとビックリ。伊勢豊受稲荷神社です。名前がすごい。というのも、「豊受」というのは、いわゆる外宮さん、正式には豊受大神宮にある名前。お稲荷さんですから、ご祭神は、宇迦之御魂神。ここは西にある箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)の境内社です(こちら)。
Img_5871c その箕曲中松原神社の鳥居は、伊勢豊受稲荷神社の鳥居の南にありまImg_5875c した。古来、現在地に鎮座していたと考えられ、大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと称していたものを後世、箕曲中松原神社と改めたようです。創始年代は不詳ですが、長徳3(997)年の文献に出てくるそうです。外宮参拝玄関口にあって、正月には初詣の参拝客で賑わうといいます。境内には樹齢千年の楠があり、古来より神霊として崇敬され、特に疱瘡の守護神として現在も崇敬されているそうです。
20181008kintetsuhikingujiyamada1  宇治山田駅からまだ100mほどしか進んでいませんが、長くなりますので、その1はここらで。左のマップでは、「岩淵」交差点のところあたりです。次は、御幸道路、錦水橋から。

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ホシゴイ、ジョウビタキのオス、カワセミ、エナガ、コゲラのオス、イソヒヨドリのオス……証拠写真のオンパレードですが(苦笑)

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 時々陽が当たりますが、概して曇り。肌寒い日です。11時現在で19℃。8時から11時まで、九華公園に行っていました。住吉神社から行って、九華公園の中で鳥を求めて3周半(笑)。また、住吉を通って帰ってきたのですが、それでもクルクル回っていたお陰で6.3㎞も歩いていました。
Img_8248c 証拠写真のオンパレードですが(微笑)……。まずは、ジョウビタキのオス。九華公園の朝日丸跡で。一瞬見て、撮れたのがこの写真1枚。この直後、バールフレンドのYさんに話しかけられ、ジョウビタキには逃げられました。そのあと、あちこち探したものの見つけられず、とても残念。
Img_8225c 久々に確認できたのは、ホシゴイ1羽。相撲場近くの松か、桜にいたのに気Img_8232c づかず近寄って、堀を挟んだ鎮国守国神社の社務所裏へ逃げられましたが、写真はバッチリ。同じ1羽の写真。ここ最近、見たという方が複数あったのですが、やはり小生が見られなかっただけでいた可能性が高いようです。
Img_7382c これまた久しぶりだったのは、カワセミ。九華公園の相撲場近くで、鳥見の大先輩Iさんとカワセミの話をしているときに、鎮国守国神社の社務所裏の堀にビューンと登場。植え込みの陰でしたので、ちょっと離れたところからの写真。
Img_8300c 帰りがけ、三の丸公園の西の端、七里の渡し跡に近いところが賑やかでImg_8314c した。エナガは10羽くらい。シジュウカラも2~3羽。
Img_8322c コゲラも混じった混群でした。コゲラや、頭に赤い羽毛が見えていますので、オス。この混群、少しずつ東に移動していきました。
Img_7357c 証拠写真の最たるもの(苦笑)。モズ。これは、三の丸公園のところ。モズは、このほか2ヶ所でも見たものの、曇天で、遠くていずれもこんな写真。
Img_8353c さらに証拠写真ですが、イソヒヨドリのオス。帰りに住吉ポンプ場のところで、ペアでいました。この間書いたように、拙宅マンションの向かいにある賃貸マンションの高架水槽あたりに棲んでいる感じです。
Img_7381c ここからはまぁマシな写真。九華公園のアオサギさんはいつものところにImg_8245c いました。ちょっと枝葉の陰で、撮りにくいアングルでした。ヒヨドリは、賑やかになって来ました。図々しくて、暴れん坊の割に神経質で、すぐ逃げます。右の写真は木の陰からそっと撮りました(九華公園、二の丸跡)。
Img_8254c 九華公園に派遣されているキンクロハジロ、今日も同じメンバー。オス、メス各1羽。メスは同じなので、オスも同じキンクロさんと思います。
Img_8360c こちらは、帰りに住吉入江に来たハクセキレイ。住吉入江の回りでハクセキレイをよく見るようになりました。ということで、話がバラバラになりましたが、よく考えるとなかなか充実した鳥見でした。とくにジョウビタキのオスが来たのは、大きいですねぇ。
Img_7360c ところで、8時半前に柿安コミュニティパークを通ったら、何やらイベントをImg_7363c_2 していました。回り込んで見てみると、認知症関連のイベントでした(認知症 ともに暮らせるまちづくり)。「桑名いきいき体操」をしていました。この年になると、認知症も他人事ではない気がします。

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2018年10月12日 (金)

20181012近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”(予告編)

Img_6986c  10月8日に行ってきた近鉄ハイキングの記事も予告編しか書いていないのに(20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))、今日はまたもや次のハイキングに出かけてきてしまいました(苦笑)。“開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”であります。

Img_6949c 受付は、近鉄湯の山線・菰野駅で10時からということで、桑名を9時1分の五Img_6957c 十鈴川行き急行に乗車。近鉄四日市に9時13分着、湯の山線の湯の山温泉行き(9時31分発)に乗り換えて、菰野駅には、9時49分に到着。菰野駅は、9月2日の近鉄ハイキングのゴール(20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編)。コースもこのときと一部重なります。
Img_6962c 駅に着いた時点ですでに受付は始まっていました。今日のコースマップは、181012kintetsuhikingkomono 左の写真の通り。菰野町の南東部を歩きます。約6㎞ということでしたが、マップ上は、5.5㎞。実際に歩いたのは、右のルート。少し寄り道をしましたが、5.7㎞でした。こちらで実測ルートがご覧いただけます。今日のところは、例によって「予告編」ということです。それもかなりかいつまんでということで、ご了解ください。
Img_6967c 菰野駅からはまず、西に向かいます。ここは、9月2日にも立ち寄っていますが、宝樹院西覚寺。菰野駅西の踏切の側にあります。浄土真宗大谷派のお寺ですが、ネットではこれという情報はありません。
Img_6977c 近くを金渓川が流れています。南に向かうと、9月2日のハイキングで訪Img_6981c ねた見性寺。菰野藩主の菩提寺です。今日は、そちらには向かわず、西へ。冒頭の写真のように、正面に御在所岳が見えます。右は、冒頭の写真と同じあたりから1,365mmズームで撮った写真。
Img_6990c スタートから600mほどのところに、忠魂碑と地蔵堂があります。忠魂碑Img_6998c_2 は、遺族会のリストをざっと見ましたが、載っていないようです。地蔵堂は、延命地蔵様を祀ってありました。これらは、また本編を書くときにきちんと調べることにします。
Img_7006c 1㎞の少し手前、洗心教団の角に道標がありました。「右 ゆ乃山道」と見えます。札の辻(東町商店街の一角、最後から3枚目の写真に写っているあたり)を南へとり、明福寺西裏を抜けて、金渓川の堤防を西に進む旧湯の山道の樋の口橋詰めにあったものを、大正10(1921)年、県道湯の山線が新設された際に移されたといいます。
Img_7019c 四日市菰野バイパスを渡って、左折(南へ)。廣幡神社です。旧くは「正Img_7050c 八幡宮」と称し、寛永7(1630)年8月15日、菰野藩主・土方雄氏公が、京都の石清水八幡宮から勧請したもので、それ以来、土方家の鎮守社となっています。
Img_7082c 廣幡神社、主祭神は、八幡様ということで、誉田天皇ですが、相殿神は、かなり多数いらっしゃいます。軻遇突智命、建葉槌命、大日孁神、蒼稲魂神、市杵島姫命、大山祇命、建速須佐之男命、倭比売命、伊波比主命、菅原道真、中山祇命、奥山祇命、八衢彦命、八衢姫命、万幡豊秋津師比売命、土方雄永、比売神、建御雷之男命、五十猛神、大屋津比売命、大市比売命、抓津姫命、八十神、大穴名牟遅神、大山咋命、天兒屋根命、羽山津見、建御名方命、事志呂主命であります。
Img_7085c 明治4(1871)年に諏訪神社を合祀してからは廣幡神社と号するようになりました。さらに、明治40(1907)年から、村内全部の郷社1社、村社である倭文神社、菰野神社、平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀しています。このため、上記のように多数の神様がいらっしゃるということ。
Img_7124c 廣幡神社からは来た道を戻り、バイパスへ。菰野南の交差点あたりでImg_7131c 2km。高架橋をわたったところで左折し、再び西へ。菰野保育園の前を通過。子どもたちがたくさん園庭で元気いっぱいに遊んでいました。門が、なんだか古風でカッコイイ。前にベンチがあって休めるようになっています。
Img_7137c 住宅街を抜け、湯の山街道に出て少し行くと、道の駅・菰野。9月2日にもImg_7332c 来ました。今日は、土産は買うなという指示があったのですが、店内をくまなく見て回ったら、よいものを見つけてしまいました(微笑)。菰野の早川酒造がつくっている「早春」というお酒。これ、最初の職場の大先輩Mさんから教えられて以来好みの酒なのです。3種類売っていて、散々迷った末、純米原酒を買ってきました。¥1,700なり。道の駅・菰野には10時55分着。買い物をし、小休止。11時10分再スタート。この先でスタートから3㎞。
Img_7144c 湯の山街道を下っていきます。菰野交差点で左折し、北に向かいます。

Img_7146c

このあたりまで来ると、関ヶ原という交通案内板が出て来
ます。まっすぐ行くと、町役場に出ますが、三滝川の手前で右折(東へ)。こもガク&大日本市博覧会が行われている、町民センターに行きます。
Img_7153c こもガク&大日本市博覧会は、菰野町で体験型イベントを行う「こもガク」と、中川政七商店の「大日本市博覧会」が手を組み、3日間のおまつりを開催するというイベント。今日から14日まで行われます。
Img_7157c 中川政七商店の期間限定ストアが、体育センターで行われていましたのImg_7168c で、見て来ました。巨大なやぐらがくまれた特設売り場になっています。中川政七商店のブランドの他、全国各地から選りすぐられた工芸品が販売されていました。また、「東海市」と名付けられたエリアでは、東海3県の工芸メーカーやデザインプロダクトを扱うショップが出展されていました。
Img_7172c 玄関ホールにあったのは、萬古焼の鹿。地元・菰野町の陶芸家・堀野証嗣さん(八幡窯)が制作されたもの。古萬古をイメージした赤絵模様が精巧に描かれた力作。萬古焼の特徴の一つに、自由さがあると聞きますが、まさにそういう感じ。
Img_7180c 隣の町民センターでは、トークイベントがあるそうです(こちら)。その他、Img_7185c いろいろなイベントがあり、実際に体験することもできるようです(こちら)。左の町民センターの前にある石碑のようなもの、何気なく見て来たのですが、写真をよく見たら、御製が刻まれていました。商工会館のところで右折(南へ)。
Img_7257c 東町商店街を目指すだけと思っていたのですが、菰野中学校の西にImg_7227c 野神社(神社検索(三重)で検索すると、廣幡神社のページに飛びます。菰野神社は、廣幡神社の御旅所という表示がありました。廣幡神社が本社で、菰野神社はその御旅所という位置づけのようです)。
Img_7195c 拝殿には、多数の絵馬が奉納されていました(廣幡神社Img_7203c にもあります)。境内には、「御成婚記念井」(大正13(1924)年建之でしたので、昭和天皇の御成婚記念と思います)などもあり、なかなか興味深いところです。
Img_7256c 菰野神社についたのは、11時40分。おおむね4.5㎞。ここでお昼を食べ、休憩することにしました。他にも数名の方が休憩and/orお昼。中には、缶チューハイを美味しそうに飲んでいるオジ様も(微笑)。気持ちは分かります。
Img_7260c 12時15分に歩き始めました。すぐ近くに湧水池がありました。きれいな水が湧き出ていて、しばらく見とれていました。ただし、ネットでざっと見たところでは情報はないようでした。鈴鹿山脈から流れてきているのだろうと勝手に推測しています。
Img_7274c 湯の山街道を渡って、東町商店街へ。ここは、9月2日の近鉄ハイキングImg_7277c のコースでもありました。長松山瑞龍寺にも再び立ち寄りました。臨済宗妙心寺派ですが、もとは天台宗のお寺。ご本尊は薬師如来。菰野藩士たちの菩提寺でした。
Img_7278c このお寺と、東町商店街は。地蔵盆が有名で、盛ん。境内には延命殿があり、お地蔵様がいらっしゃいました。地蔵さんは延命除災の功徳があるとあつい信仰を受け、菰野の町に昔から大きな火事が起きたことがないことも、この地蔵さんの加護があるからと信じられているそうです。
Img_7285c 東町商店街は、閉店してしまった店もあるものの、まだまだ頑張っているImg_7289c お店もたくさんあります。今日のハイキング参加者は、商店街のいくつかの店でサービスを受けられたのですが、¥1,000以上とか、\3,000以上購入が条件でしたので、残念ながらパス。
Img_7300c 菰野駅にゴールしたのは、12時32分。5.7㎞。菰野神社から思ったほど時間はImg_7311c かかりませんでした(微笑)。近鉄四日市行きの電車は、ちょうどよい具合に12時40分発。近鉄四日市駅に12時59分着。四日市からは13時10分の名古屋行き急行に乗車し、桑名着は13時22分。運賃は、片道¥470。自宅から桑名駅までの往復も含め、7.7㎞ほどでした。
 宇治山田での記事を書いてから、今日の菰野の記事を書きます。

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2018年10月11日 (木)

雨がぱらつく中いつものコースへ……アオサギ、キンクロ、モズくらい

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 昼前には降ってくるという予報でしたので、8時スタートでいつものコースへ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と5.7㎞。歩き始めたら、雲が増えてきた感じで、途中何度もパラパラと降られました。帰宅してからは、また明るくなってきて、落ち着かない天気です。
Img_8153c もう驚かなくなりましたが、拙宅前の諸戸氏庭園のところ、ヤマザクラに花Img_6908c がついていました。昨日引用したとおりで、この桜の木も台風で葉っぱがほとんど落ちてしまっています。休眠ホルモンが出なくなったということなのでしょう。
Img_8155c 揖斐川沿いの景色。どんよりとしています。鳥もいません。散歩する人もいつもより少なめ。川の中洲には、今日はサギも、カルガモも姿は見られず。
Img_8170c 九華公園の堀には、今日も、キンクロハジロのオス・メスがそれぞれ1羽。鳥見の大先輩Sさんは、「水鳥が来た」とご満悦。Sさんは、キンクロハジロなどカモがお好きで、ユリカモメは大嫌いという方(ユリカモメは、えげつないからだそうです)。
Img_6923c 公園内、今日は、カラス、ムクドリ、ヒヨドリの天下。というよりも他の鳥がいないのです。カワラヒワや、ハクセキレイなどの姿はチラッと見たくらい。アオサギさんは、公園に着いた、8時半頃にはいませんでしたが、1時間後に見に行ったらやって来ていました。
Img_6927c モズは、証拠写真(苦笑)。本丸跡から、二の丸跡の樹上にいたのを撮っImg_8189c たもの。貝塚公園でも、モズを見ましたが、こちらもあいにくの空で、右のような写真しか撮れませんでした。パラパラと降られたこともあって、今日の散歩はパッとせず(苦笑)。
Img_8180c たまにはバラでも。九華公園の南にあるお宅の方がつくっていらっしゃいImg_8185c ます。今日は雨に濡れてよい感じです。明日は、平日ですが、菰野で近鉄ハイキングがあります(近鉄エリアキャンペーン「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!)。道の駅菰野や、東町商店街など、先日行ったところもありますが(20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編)が、広幡神社、菰野町町民センターで開かれている「こもガク&大日本市菰野博覧会」もコースに入っていますから、出かけようと思っています。

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2018年10月10日 (水)

某排水機場は、トンでもないところでした……桜が咲き、ゴイサギ&ホシゴイ多数の上、ミサゴ、アジサシも登場

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 今日はプチ遠征。ブロ友のひらいさんから教えていただいた情報でImg_6735c2018.10.08 3連休最終日は、とんでもない所!)、左の写真のところへ。バードウォッチングの話もさることながら、このすぐ近くでとんでもない光景を目にしました。それが右の写真。どうぞ「目を疑って」ください。目を何度かこすって見直してくださっても構いません。桜がチラホラどころではありません。ネットで調べたら、次のようなことが書いてありました。
サクラの花芽は夏の間にできます。そして、冬の低温に備えるために葉から休眠ホルモンを出し、花芽を硬くして翌年の春まで咲かないようにしているのです。しかし、虫による食害や台風などでほとんどの葉を失ってしまうと、休眠ホルモンの供給がストップしてしまいます。すると、休眠できずに秋、気温が丁度良くなった頃に花が開いてしまうのです。休眠ホルモンはアブシジン酸といわれていますが、確定しているのかは知りません。秋に花開いた所には翌年の春に花はつきませんが、全部の花芽が狂い咲きするわけではないので、狂い咲きしたサクラでも翌春に花を楽しめるそうです。

 最後のところを読んで、ちょっと安心します。
Img_7777c とある川の排水機場のところ。ひらいさんがご覧になったときは、ゴイサギImg_6665c が無数にいたということでしたが、今日は、こんな風。10羽足らずしかいません。「あれ?!」という次第。しかし、この場所に近づいたら、木陰からさらに数羽が飛び出してきました。それにしても少ないなと思っていたのですが、このあと、冒頭の写真で奥に見える方に移動したら、とんでもないことに。
Img_8036c 水門近くにホシゴイ5羽、ゴイサギが1羽。そっと近づいて写真を撮っていImg_8060c たつもりが、このあと少し動いたら、あたりから数10羽が一斉に飛び立ったのです。ビックリしてしまい、きちんと撮れませんでしたが、右のような雰囲気。ゴイサギ&ホシゴイのいる場所が、こちらに移動していただけで、ひらいさんがご覧になったのと同じくらいいたのだと思います。
Img_6707c それにしても、こんなにたくさんのホシゴイが一堂に会しているところ、見たことがありません。ひらいさんはこういうところを見つける特殊能力をお持ちですが、これはまた近いうちに出かけないといけません。このあとの話をお読みいただくとそれがもっとよくお分かりいただけます。

Img_7771c

 ご覧のようにアオサギ、ダイサギ、コサギはもちろんいます。カワウはいImg_6691c うまでもありません。 ここは、小生の実家に行くときによく通るところで、水鳥などがいるのは知っていましたし、この夏、何度か来ていました。しかし、こんなすごいところとは思っていなかったのです。
Img_7672c ミサゴ。3枚目の写真に写っているあたりのすぐ東(左)にある棒の上に止まっていました。「あぁ、ミサゴもいるな」と思っていたのですが、5、6枚目の写真を撮ったところに移動したら、ミサゴが合計4羽もいるのに気づいたのです。この左の写真の方に2羽、海側に2羽。
Img_7935c 海側にいたミサゴのうち1羽は、漁港の上を旋回し、獲物を探しているよImg_7960c うでした。3~4回、ダイビングシーンも目撃したものの、写真はイマイチ。ピントが合わなかったり、バックに漁船などが写り込んでゴチャゴチャになっていたり。
Img_7986c 左の写真、ちょっと棒が邪魔で、これがなければよかったのですが。でも、まぁまぁImg_8011c (と自己満足)。獲物は、ちょっと小さいかなという気がします。これでは、ミサゴもお腹がふくれないかもしれません。ミサゴ、このあと、西の方へ悠然と飛び去りました。
Img_7745c これだけではありませんでした。ひらいさんの記事にもありますが、アジImg_7755c サシの仲間も2羽。幼鳥のような気もしますが、現段階ではよく分かりません。まだ調べが付いていないのです。
Img_7710c ダイビングシーンも撮れました。他の写真で見ると、何か小魚か、エビを咥えているように見えました。かなりの枚数を撮ったものの、ピントが合わないものばかり(苦笑)。やはり、リベンジに近いうちに行かねば(微笑)。
 ここにはその他、コガモや、カイツブリなどもいました。Img_6726c
Img_8073c
 この場所のもう少し南にマリーナがあります。マリーナ近Img_8080c くの水路では、これはマガモ? 「エッ? こんなところに?!」と思いました。マリーナ近くには、ここにもコガモらしき姿が。
Img_8087c 小雨がぱらついてきましたので、撤収することにしたのですが、せっかくImg_8089c ですから、木曽岬町の南をグルッと回ることにしました。木曽岬町の南は、昔、輪中でした。源緑輪中というところ。その南端に潮が引くと、干潟になるところがありました。向こうは、伊勢湾岸高速。ダイサギが何羽かいたほか、カルガモが多数。遠目には、大型のシギかと思ったのでですが、残念。アオサギもいました。ここもチェックポイントに入れるとよいかも。このあと、木曽川右岸もチェックしたのですが、これはというところ(水制)はありません。
Img_6879c 帰宅途中、九華公園でカモ・チェック。キンクロハジロのオスが1羽飛来し、合計2羽。去年は、10月27日から10羽以上が飛来するようになっています。それまでは、この先遣隊を見守りましょう。
Img_6887c もう一つ、九華公園の話題。といっても小生自身のことに関わる話で、恐縮。「桑名の東海道」のパネル展示、前管理人Oさんが、看板を設置してくださいました。パネル原稿をファイルに綴ったものは、管理事務所にあります。ご興味がおありでしたら、管理人さんにお尋ねくだされば、幸いです。

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2018年10月 9日 (火)

さすがに昨日の疲れが……午後は爆睡

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 好天続きですが、昼間は暑いこと。昨日の近鉄ハイキングは、暑い中を歩いてけっこう疲れました。昼ご飯を食べてから、久しぶりに爆睡。午前中は、いつものように散歩。8時15分から住吉神社、九華公園を往復し、11時半過ぎに帰宅。4.7㎞。3時間以上も外にいたわりにはあまり歩いてません(苦笑)。いささか疲れ気味だったところに、知人何人かと出会い、あれこれしゃべっていたのが真相(というほど、大げさなことではありませんが)。
Img_6611c_2  散歩に出てすぐ、住吉ポンプ場のところでモズ。このあと諸戸氏庭園の方にImg_6600c 飛んで行きました。縄張りがありますから、いつもこのあたりにいるモズと思います。ポンプ場脇の住吉入江では、ハクセキレイが4~5羽いてじゃれ合っているように見えました。
Img_6621c 九華公園のアオサギは、いつものところに。アオサギがいてくれると、それだけで散歩の目的はかなり達成されたような気分になります。このあと、奥平屋敷跡を歩いていたら、年配のご夫婦に「何か、鳥はいましたか?」と声をかけられました。ご主人が鳥をみるのがお好きというお話し。このご夫婦と話しながらみていると、いろいろと出て来ました。
Img_7550c コサメビタキ(と思います)。じっと見ていると、割と近くの木までやって来まImg_7561c す。右は、ムシクイ。両者とも、9月の後半からいます。このほか、メジロと、シジュウカラも。ちょっと遠くてきちんとした写真は撮れませんでした。このご主人、「今度から、弁当でも持ってやって来るか」などとおっしゃっていました(微笑)。
Img_6629c 吉之丸堀には、カモが1羽。キンクロハジロと思うのですが、スズガモかとImg_7577c いう気もします(嘴の回りが白いので。ただし、冠羽はあるようです)。これまでにも九華公園の堀に来ていたのか、人を見ると、エサがもらえると思うのか、寄ってくるときがあります。
Img_7589c 朝日丸跡でもムシクイ。ここでも実は、バールフレンドのYさんと話していたのです。その間、このムシクイの他コサメビタキも来ていました。公園内や周辺を回っていると思えます。
Img_7600c 鳥をみているうちに、ソメイヨシノが咲いているのに気づきました。九華公Img_6641c 園では、シダレザクラも咲いていますが、ソメイヨシノまで咲くとは。
Img_7612c しゃべってばかりで遅くなりましたので、11時過ぎに帰宅へ。しかし、七里Img_6646c の渡し跡近くでまたもや散歩友達の方にであってしまい、またしゃべってきました(苦笑)。何をしに行ったのか、分かりません。住吉神社前の揖斐長良川の中洲には、朝、来るときには何もいませんでしたが、ダイサギやアオサギが集まっていました。
Img_6595c ところで、今朝チェックした、昨日の生活リズム&歩数。「朝型のライオン」で、19,155歩。なかなか20,000歩には達しません。一度くらいはと思うのですが……。爆睡していたせいもあって、昨日の写真整理はまだできていません。

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