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2018年5月12日 (土)

近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(懲りずに予告編か?)【一部訂正しました(5/22)】

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 JRさわやかウォーキングの“「朝市、三滝川慈善橋市場」と「四日市萬古まつり」を満喫しよう”と、近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ”とで若干迷ったものの、結局、近鉄ハイキングに参加してきました。どちらも萬古まつりがコースに含まれていたのですが、近鉄に軍配を揚げたのは、四日市港ポートビルに行けるからでした。冒頭の写真は、本日のスタートである、近鉄名古屋線・富田駅。桑名を9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。受付は9時40分開始予定が若干早め。到着時にはすでに100名以上が列をなしていました。
Img_3873c 左の写真は、今日のコースマップ。富田駅から、四日市港ポートビル、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くに20180512 は、ばんこの里会館萬古神社があります。ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅まで。約8㎞。右は、距離測βに描いた、実際に歩いたルート。約8.9㎞ありました。今日は、ほとんど寄り道はしていません。というよりも、ほとんど四日市港や、その周辺の緑地を歩きましたので、立ち寄るところがなかったのです(苦笑)。
Img_3880c 近鉄富田駅を9時40分にスタートし、東南へ。300mほど行ったところで、旧・東海道とクロスしまImg_3881c す。左の写真は、下り方面(南西)。右は、上り方向。旧・東海道のこのあたりは、昨年12月22日にも近鉄ハイキングで歩きました(近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))。
Img_3895c 800mほど歩くと、今度は国道1号線に出ます。しばし下り方向に歩き、富田浜元Img_3898c 町で脇道に入るのですが、そこに富田一本松がありました。「伊勢軍記」による永禄3(1560)年の茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた二代目の松だそうです。
Img_3905c 一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかの 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしImg_3903c ばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句碑に並んで、やはり山口誓子による「史跡 一本松の碑」が立っています。こちらは、昭和49(19749年9月、富田文化財保存会が建てたもので、碑陰には「碑の謂われ」が刻まれています。
Img_3917c 冨田一本松の先には、赤煉瓦の塀があります。網勘製網株式会社といImg_3920c う看板が掛かっていますが、現在の社名は、アミカン。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造をする会社。現在は製網事業意外にも進出しています。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。ここは瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区でモダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。
Img_3930c_2  富田浜の町を進み、Img_3938c 富田浜病院のある交差点を左折し、東へ。国道23号線を富田浜交差点で渡って、浜園緑地沿いの国道23号線を南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。
Img_3948c 霞大橋を渡ると、霞埠頭に入っていきます。これまでのコースのところどImg_3950c ころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
Img_3963c 四日市港ポートビルには、10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。今日のImg_3979c 近鉄ハイキング参加者は、無料入場券がもらえ、ラッキー(微笑)。このビルは、四日市港の開港100周年を記念して、平成11(1999)年8月5日に開館。14階建てですが、13~14階の間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは地上100mで三重県内で最も高いビルです。
Img_3983c 14階の展望展示室は、愛称「うみてらす14(フォーティーン)」。地上90mImg_3984c で、昼は鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せます。夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できるスポットです。今日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。右は、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見える、西側。写真の左端あたりが、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。
Img_3986c 左の写真は、南側の眺め。コンビナート地帯です。ここの夜景が素晴らしImg_3999c いのです。右の写真は、東側の眺め。伊勢湾の向こうには、細い筋のように、知多半島が見えています。セントレアも見えるはずなのですが、肉眼ではハッキリしませんでした。
Img_4002c そこでエイヤッとだいたいこの方角と思われる方向を、超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。
Img_4028c 北側の眺め。右上に見える高い煙突があるところは、中部電力川越火力発電所。霞埠頭の先(ガントリークレーンの左あたり)に橋が見えます。こImg_4013c の橋は、4月1日に開通したばかりの愛称「四日市・いなばポートライン」です。伊勢湾岸自動車道の「みえ川越IC」から9分で来られるといいます。
Img_4019c わが家から、この四日市港ポートビルのうみてらす14あたりが見えますImg_4290c ので、逆も可能と思って探しました。これまた肉眼ではよく分からなかったものの、写っていました(微笑)。左の写真の通りです。ちなみに、わが家のベランダからは、右の写真のようにポートビルが見えています。ポートビル脇の2本の煙突は、中部電力四日市火力発電所のもの。
Img_4045c 中央は展示室になっており、四日市港のジオラマがあります。また、周囲Img_4057c には、四日市港の歴史などの紹介がされています。右の写真は、稲葉三右衛門の港づくりを紹介したもの。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました(現在、旧港とよばれるエリア;ここも去年11月25日(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)と、今年3月23日(近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)と2回訪れています)。
Img_4082c 無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日のImg_4092c ハイキングの主要目標は達成してしまいました。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下します。左の写真は、霞ヶ浦緑地脇にある「ロングビーチ通」。
Img_4097c ここですごいものを発見(微笑)。他の参加者は、どなたも気づいておらImg_4098c れなかったと思います。これは、おそらく「環水平(かんすいへい)アーク」。太陽と同じ方向に現れ、水平の帯の形状をしています。大気光学現象の一種で、太陽の下46度の水平線上の薄雲に虹色の光の帯が見えるもの出そうで、たぶん条件を満たしていると思います。過去に2回、見ています(2013年4月23日:これも虹?……「環水平アーク」という珍しい虹でした、そして、市博物館の”五霊硯と酔李白図”展……テレビロケで写ったかも!?、2017年5月15日:「環水平アーク」再び……ムクドリのバトルと、ツバメの巣の巡回結果も
Img_4119c その後、ずっとひたすら歩きました。霞ヶ浦緑地には、運動施設がたくさImg_4125c ん集まっています。これら2枚の写真は、四日市ドーム。内部は、人工芝のアリーナと観客席。サッカーなどのスポーツの他、各種展示会、フリーマーケット、コンサートなどが行われます。家内はここで行われた小田和正のコンサートに行ったことがあります。
Img_4128c 野球場も2つあります。夏の甲子園の予選の一部もここで行われます。Img_4131c 今日も、アナウンスなどが聞こえていましたので、第一球場をちょっと覗いたら、少年野球の試合が行われていましたが、暑かったので、先を急ぎました。
Img_4134c 霞ヶ浦緑地公園の先には、海蔵川。ここにかかる橋が、霞ヶ浦パークブImg_4138c リッジ。ブロ友のひらいさんが冬にバードウォッチングに来られるところ。来シーズンからは、小生もと思います。今日は、コサギ1羽と、カルガモ2羽の姿がありました。
Img_4157c このあとしばらく、国道23号線の一本東の道を歩きます。中部電力四日Img_4161c 市火力発電所の脇に、こんな空き地が。マサカ、ケリや、コチドリはいないよなと思ったのですが、あるものですねぇ、そのマサカが(微笑)。コチドリの親子を発見。何やら動くものが見えたので、超望遠コンデジで撮影したら、写っていました。このあたりで出発から6.2㎞。時刻は、11時50分頃。
Img_4187c 暑い中を歩いてきましたので、汗も掻き、いささかお疲れ。国道23号線をImg_4193c 渡り、三滝公園へ。正面入口に噴水があるそうです。テニスコートがたくさんあって、スポーツも楽しめるようですが、そのまま前を通過し、北西へ。8㎞地点で、国道1号線・川原町交差点を渡ると、いよいよ萬古まつりの会場に到着します。
Img_4196c 今日、明日と萬古まつりが開催中。好天とあって、人出もかなりありまImg_4199c す。萬古焼は、今では、四日市の代表的な地場産業になっています。耐熱性の特長を活かした紫泥の急須や土鍋が有名で、とくに土鍋の国内シェアは、7~8割を占めるといわれます。また、豚の形の蚊遣器「蚊遣豚」も有名です。ただ、小生は買い物の予定は、残念ながらありません。
Img_4200c 露店などを見ながら、ばんこの里会館へ。萬古焼は、もともと桑名の豪Img_4263c沼波弄山(ぬなみろうざん)が、元文年間(1736~1740年)に朝明郡小向(あさけぐん おぶけ、現在の三重郡朝日町小向;当時は桑名藩領)で創始したものです。弄山が、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を押したのが、名前の由来です(弄山の時代の作品は、現代では古萬古と呼ばれます)。弄山の没後、一時途絶えたものの、天保年間(1830~1843年)に森有節(本名は与五左衛門)らによって再興されました(桑名萬古焼)。四日市萬古焼は、山中忠左衛門の尽力によって興り、阿倉川や末広に最初の窯が建ったといいます。ちなみに、今年は沼波弄山生誕300年です。
Img_4268c ばんこの里会館の正面には、萬古神社があります。昭和10(1935)年にImg_4213c 創設されています。主祭神は、埴安彦神(はにやすひこのかみ;土を司る神)、埴安姫神(はにやすひめのかみ;土器・陶器の女神)、罔象女神(みずはのめのかみ;水の神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。沼波寿山も合祀されています(沼波弄山命(ぬなみろうざんのみこと))。焼き物に関する御神徳があるとされます。
Img_4249c 境内にはいろいろな石碑などもあったのですが、まず目を引いたのは、Img_4261c こちらの灯籠。茶色をしています。陶器製に間違いありません。さすがというしかありません。また、右の写真にありますように、四日市萬古焼の礎となった山中忠左衛門(やまなかちゅうざえもん)を顕彰する碑もありました。山中忠左衛門は、幕末から明治の陶工。伊勢末永村(現在の四日市市)の人で、嘉永(1848~54年)の頃、森有節の万古製法をまねて急須などを製作し、その製品は新万古焼とよばれたといいます。碑は、昭和40(1965)年6月に建てられています。
Img_4212c さほど広くない境内は、イベントも行われていて大賑わい。いささか高齢Img_4247c のフラガールのダンスや、歌なども行われていて、なぜか小生もしばし見てしまいました(苦笑)。他にも句碑、石碑などがありましたが、今日のところは割愛。萬古神社についたのは、12時20分頃。露店では何も買いませんでしたが、ここで持参のコンビニおにぎりを1つ食べて、腹を満たしました。
Img_4272c ゴールの近鉄名古屋線・河原町駅。近鉄四日市駅から1駅名古屋方向。Img_4280c 12時40分到着。約8.9㎞。ホームの駅名表示板には、「萬古焼の郷」とあります。ウ~ム、もともと桑名発祥の萬古焼なのに、すっかりお株を奪われています。12時54分発の名古屋行き準急に乗車。桑名着は、13時11分。¥300。
Img_3875c あみま倶楽部のスタンプは、今日で11個目をゲット。今日は、お土産も、食レポもありません。それにしてもしかし、4月28日のの“20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」”どころか、4月23日の“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”も記事を書き終えていません。我ながら困ったもの(苦笑)。まぁ、慌てない慌てない(微笑)。
Dscn6951c それから、こちらも。うみてらす14のスタンプ。リーフレットの裏が台紙になっています。うみてらす14内の、各説明コーナーにありましたので、押してきました。あちこちの観光地や、お寺などにこういうスタンプがありますから、けっこうよく押してきます。ちなみにいつも行く九華公園にはこれがないですね。作ってもらいたいと思います。

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2018年5月 7日 (月)

雨の今日、市民大学講座開講……「戊辰戦争150年、それぞれの戦い」

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 終日雨。気温もほぼ16℃くらいで、肌寒く感じます。午後3時過ぎには一時的にかなり降りました。時間雨量50mmに相当する雨が降るという警報メールが来たくらいです。
Dscn6918c さて、今日から市民大学講座・ゼミナール郷土史学科が中央公民館で開講。テーマは、「戊辰戦争150年、それぞれの戦い」です。世間的には、「明治150年」といわれていますが、旧・桑名藩は、戊辰戦争では、いわゆる朝敵とか、賊軍といわれる立場になってしまいましたので、個人的には素直に明治150年と喜ぶ気にはなれません(たいそうな思想的背景はありません。念のためにお断りしておきます)。会津、庄内など奥羽越列藩同盟に属した藩の方々なども同様ではないかと、勝手に推測しています(微笑)。
Dscn6920c それはともかく、今日から毎月第1月曜の午後は、市民大学講座に参加であります。今日は、鎖国から大政奉還までの概論のお話。幕府の力がいかなる経過や、状況の下で衰えていったか、その一方で朝廷の権威がどのように盛り返したかなどなど。ワーキングメモリーと、処理速度を精一杯使って勉強してきました。また、去年のように、ノートを整理しつつ復習するとともに、関連することがらについても調べようと思っています。そうそう、「ゼミナール」と銘打つだけに、早速、今日は宿題が出ております(苦笑)。

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2018年5月 6日 (日)

九華公園、キンクロさんは帰った模様、エナガのヒナは?

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 連休も最終日。いつも通り、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.5㎞の散歩。九華公園は、休日とは思えないくらい閑散としていました。鳥もいませんし、散歩の方もほとんどありません。ツツジは、場所によってはまだ花が残っていますが、ほぼ終盤。あと半月足らずで花菖蒲が咲き始めると思います。
Img_1507c 常駐のカルガモさんは、今日も奥平屋敷跡でご休憩。キンクロハジロは、昨日はいたという話を聞きましたが、今日は不在。さすがにもう帰っていったのでしょう。したがって、小生としては、最終的に確認したのは、5月4日ということになります。また近いうちに、今シーズンの九華公園でのカモ、ユリカモメの数のまとめをします。
Img_1516c 本丸跡でエナガが数羽。あちこち忙しく移動しながら餌をとっていましたが、Img_1529c どうもヒナではなさそうです。ヒナは、4月26日に見たものの(モフモフのエナガのヒナ!……ツバメも卵を産んだ様子、九華公園のツツジは満開)、「エナガ団子」も見たいと思っていたのですが、ちょっと難しいかも知れません。
Img_1535c エナガといえば、先日、鎮国守国神社の宮司さんの奥様に伺ったところ、鎮国さんの境内の森で、ヒナが落ちていることが何度かあったそうです。といことは、鎮守の森で巣を作っていたと思われます。Wikipediaの説明では、ヒナがきちんと育つ確率は低いようです。
Img_3538c さて、連休もオシマイ。今週からは、また、江戸橋方面の非常勤が始まります。授業回数の調整で、1回お休みになったのはよいのですが、調子が狂った感じあります(苦笑)。明日は、市民大学講座ゼミナール郷土史学科の第1回、開講式もあります。今年度は、第1月曜午後。天気は悪そうですが、張り切って出かけることにしましょう(4月19日:今日は、とある取材を受けました……余談は、今年も歴史講座受講できます)。

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2018年4月30日 (月)

青紅葉に赤い「翼果」が見事……鳥はいませんねぇ(苦笑)

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 昼前から薄雲が広がっては来ましたが、午前中はよい天気。九華公園は、Img_3011c いつも散歩する人の他にも、つつじ目当ての観光客も多数。ただ、つつじは、昨日も書きましたように、残念ながらピークを過ぎてきています。今日もいつもと同じく、8時20分から11時過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、京町、寺町、田町と回って、7㎞。しかし、鳥はいません。九華公園も、貝塚公園も鳥の鳴き声はあまり聞かれません。4月後半、急に暑くなったせいかという気もします。左は、九華公園吉之丸堀。右は、蟠龍櫓とソメイヨシノ。1ヶ月前に満開のソメイヨシノと撮ったり、夜景を撮ったりしたところ。
Img_1201c 冒頭の写真の青々とした木は、イロハモミジなのですが、よく見ると、赤いプロペラのような実がついてきています。「翼果(よくか)」といいます。モミジというと、紅葉が思い浮かびますが、この「青紅葉」もなかなかのものと思いますし、赤くなった翼果もいい感じです。
Img_1192c さて、今日もそうでしたが、この頃よく目にするのは、スズメ。人がいるところの近くで繁Img_1225c 殖するからでしょう。わが家あたりでは、そろそろ繁殖期になるのではないかと思います。ペアで、電線のカバーなどに巣を作っているようなところを見ます。左は、ソメイヨシノで虫を捕まえたところ。右は、足下にやって来たスズメ。いずれも九華公園にて。
Img_3016c 鎮国守国神社の社務所の裏、今日は、ホシゴイの姿が1羽。このところ、ときどきホシゴイを見るだけですから、ゴイサギはよそへ行って繁殖、ということだと思います。
Img_1206c キジバトは、九華公園のあちこちにいます。年中いるものですから、失礼ながら、なかなか写真を撮ろうという気になりません。ペアで行動し、巣材を咥えていたりします。キジバトの巣は、割と雑で木の枝を無造作に置いただけのように見えます。
Img_1212c キンクロハジロ、今日も2羽。昨日と同じメンツのような感じ。昨年11月半Dscn4851c ばから設置していただいていたカウントボードは、管理人さんと相談の上、今日でいったん役割終了ということにしてきました(右の写真は、昨年11月16日のもの)。
Img_1242c ツバメの巣、今日も巡回してきました。いつもの6ヶ所に加え、入江葭町でも1ヶ所をチェック。ツバメが巣にいたのは、昨日と同じところ。とくに異常はありません(微笑)。左の写真は、京町の呉服屋さんのもの。
Img_1217c しかし、こうも野鳥がいないと、張り合いがありません(苦笑)。今日もどうしようかと迷ったものの、いつもの散歩コースをチョイス。連休ですから、近場に遠征するとしても、クルマが多いかと思ったり。代わりに蝶をと思ったら、今日はなかなか花に止まってくれず。明日は、また明日考えましょう(微笑)。
Img_3029c 余談その1。寺町商店街を通っていたら、花屋さんの前にクルマ。遠目には、いわゆる「痛車」のように見えたのですが、違いました。「母の日」キャンペーン用のラッピングがなされたクルマでした。
Img_3019c 余談その2。少々気が早い話。九華公園、つつじが終わると、次は花菖蒲になります。花菖蒲まつりは6月ですが、たいてい5月半ばくらいから咲き始めます。花菖蒲園は、公園内に3ヶ所。しかし、もっとも手入れが行き届き、見事な花が咲くのは、管理事務所前のプランター植えの花菖蒲。

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2018年4月 3日 (火)

今日は、花見を楽しんできました(微笑)……午後は仕事

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 春霞であります。最高気温は24.5℃。陽気がよすぎます(笑)。好天続きで、Img_0550c 桜も長持ちしていましたが、ここへ来てけっこう散ってきています。まだまだ花見のお客さんは多いのですが、九華公園のソメイヨシノも、右の写真のように葉っぱが少しずつ目立ってきています。8時半から3時間ほど、いつものように散歩して来ました。住吉神社、九華公園、貝塚公園からまた九華公園に戻り、住吉を経て帰ってきました。6.1㎞。
Img_0505c 揖斐川あたりでは、キンクロハジロや、ヒドリガモが、それぞれ集まっていまImg_7434c す。キンクロハジロは30羽あまり、ヒドリガモは16羽。朝9時前確認したのですが、11時頃にはどちらもいなくなっていました。別のところへ行ったのか、旅だったのかは不明。ちなみに、九華公園、今日もカモはいませんでした。
Img_7440c 九華公園のゴイサギ&ホシゴイ。今日は、ホシゴイ1羽と、ゴイサギ3羽を確Img_0512c 認しました(9時15分)。その後2度ほど見たのですが、そのときには、ホシゴイ1羽、ゴイサギ2羽になっていました。それはそれとして、こちらのホシゴイさん、典型的なホシゴイに比べると「ホシ」が薄くなってきているように見えます。ホシゴイは3年で成鳥になるといわれますから、そろそろ大人なのかも知れません。
Img_0515c 朝9時過ぎの時点では、ゴイサギさんたちは皆、この写真のように表には出Img_0560c て来ていませんでした。が、11時前には、表舞台に1羽。長時間見続けていたことはありませんが、動くときにはけっこう同じ木の中でも移動しています。
Img_0522c ゴイサギを見ていたら、聞き慣れた鳴き声が聞こえてきました。すぐ近くの木にシメが1羽。このところ、見かけませんでしたので、いなくなったのかと思っていました。人出が多くて出てこられないのでしょう。他の野鳥たちもそうかも知れません。
Img_7469c 花見シーズンになってから九華公園でもっともよく見るのは、カワラヒワ。松の木の高いところにいることが多いのですが、今日は、外周遊歩道の桜の木に出て来ました。桜にカワラヒワ、あまり見かけない気がします。
Img_7479c 九華公園、これまでのデータでは4月に入ると、ユリカモメは来なかったImg_7481c のですが、今年は少数がまだやって来ます。とはいえ、堀めぐりの船が動いていますから、降りては来ません。今日は6羽飛来。うち1羽は、あのガングロ・ユリカモメ。飛んでいるところを見ると、笑えます。
Img_7488c サービスなのか、撮影しやすいところを何度も往復してくれました(微笑)。
Img_0524c 桜はもう十分楽しみ、写真も撮ったとは思うのですが、それでもまだ何か、という色気が出ます。特に、水鏡と花筏についてはもう少しという気持ちがあります。しかし、堀に落ちた花びらは、傷んできて色が褪せます。このように遠景ならばまだよいのですが、近づくといけません。堀にゴミを捨てる人も少なからずで、それが写らないようにと思うと、けっこう難しい。花見も、そろそろ限界かも知れません。
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 そういうこともあって、たまには普通に花見を楽しむかということで、今日Img_0572c は、玉子煎餅と缶ビール1本を調達(微笑)。柿安コミュニティパークあたりで、マッタリしてきました。右の写真、向こうは三の丸公園。缶ビールの陰に蟠龍櫓があるのです。
Img_7500c 普通に花見を楽しんだあと、午後からは大車輪で仕事(爆)。土曜日の相談会に向けて、資料を読み込み、アセスメントに頭を捻っておりまする。

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2018年3月26日 (月)

20180323近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ(オマケ)……四日市旧港の「波止改築記念碑」、諏訪神社の伊勢神宮遙拝所、諏訪公園の「誓文御柱」

Img_5348c  3月23日に行ってきた“近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ”のオマケ(補遺)です。四日市港で見たものを1つ書き忘れていましたし、諏訪神社で新たに見つけたものもあります。さらにもう1つは、諏訪公園で、前回行ったときに見つけた「五箇条のご誓文碑」を詳しく見てきたのです(2017年11月28日;またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。相変わらずの屁理屈、講釈で恐縮に存じます。

Img_5576c 四日市旧港の稲葉翁記念公園近くで見たのは、この「波止(なみどめ)改築Img_5575c 記念碑」です。この裏のプロムナードの方から来ましたので、「何やら石が立っている」と思って、こちらへ回ってみたら、「波止改築記念碑」でした。これは、防波堤改築を記念して明治27(1894)年に作られた碑です。稲葉三右衛門君彰功碑、潮吹防波堤とともに国の重要文化財に指定されています。潮吹防波堤に近づいていける突堤の根元に立っています。前回来たときは(2017年11月25日、どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)、突堤の方へは来ず、気づかなかったものです。
Img_5691c 続いて、諏訪神社と諏訪公園。ここも去年(2017年)11月28日に来ています(またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑))。諏訪神社は、鎌倉時代初期の建仁2(1202)年に、信州の諏訪大社から勧請し、創祀されています。御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)。四日市の歴史とともに歩んできた総産土神とされます。
Img_5679c 境内社は、山津見神社、政成稲荷神社、天神社の3社。前回は、まださImg_5702c ほど神社を詳しく見る習慣がありませんでした。今回、このうち、山津見神社(右がその拝殿)で「お約束の場所」を見つけたのです。
Img_5710c それは、こちら、伊勢神宮遙拝所。山津見神社の拝殿に向かって、右手Img_5711c に建てられていました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行くようになってからの印象ですから、きわめて限られた経験に基づいて書けば、四日市市内の神社には、こういう遙拝所が多いような気がします。ただし、これはさらに調べを続けなくてはなりません。
Img_5735c なお、去年来たときにもブログに書きましたが、諏訪神社の境内には、明治神宮遙拝所が設けられています。昭和9(1934)年1月に建てられたものです。
Img_5757c そして、こちらは諏訪公園内になると思いますが、「五箇条のご誓文碑」。まわりを何度も回った上で、登ることができるようになっていましたので、登ってきました(微笑)。五箇条の御誓文は、慶応4(1868)年4月6日に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針です。
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 台座の南側には、このように「誓文御柱」と刻まれていました。したがっImg_5744c て、この石碑は、南が正面だと考えられます。この上に石柱が載せられています。石柱のすぐ下のところには、菊の御紋章、さらにその下には、「彌榮」などのことばがそれぞれ入れられています。
Img_5742c 左の写真は、南および南東側の石碑に刻まれた五箇条の御誓文。左にImg_5748c は「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」と、また、右には「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ」とあります。右の写真は、西側から撮ったもの。2つめの文が刻まれています。五箇条の御誓文は、下に引用するとおりの内容ですから、南を正面にして時計回りに御誓文が刻まれていることになります。
  • 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
  • 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フべシ
  • 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
  • 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
  • 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ
Img_5752c 5つの面、すべて確認してきました。上述の通り、南の面から順番にご誓Img_5753c 文が刻まれています。
Img_5759c この「誓文御柱」は、四日市で肥料・製Img_5763c 油・石炭・運送などの事業を手がけた村山清八氏により、市民壇(今は南部丘陵公園に移築)・国旗掲揚塔とともに私財を投じて昭和9(1934)年3月につくられたものです(こちら)。村山清八氏は、明治17(18849年、宇治山田に生まれ、縁あって村山家を継いだといいます。
 

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2018年3月25日 (日)

近鉄ハイキング「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ

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 最高気温18℃。風はなく、いささか暑く感じるくらいですが、ハイキング日和(微笑)。一昨日に続いて、今日も近鉄ハイキングに行ってきました。今日は、「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ。近鉄名古屋線・高田本山駅から伊勢鉄道の廃線跡を巡って、同じく江戸橋駅まで歩く、約5kmコースです。このあたりは、非常勤の講義にも行っていますし、高田本山へも行きましたので、なじみではあるのですが、伊勢鉄道の廃線跡を巡るというのは、魅力的です。伊勢鉄道とはいっても、現在の伊勢鉄道ではなく、明治44(1911)年、三重県四日市市に設立された鉄道会社で、現在の近畿日本鉄道名古屋線・鈴鹿線、養老鉄道養老線を作り上げた会社です。伊勢電気鉄道として知られています。
Img_5953c いつもより1本早く、桑名駅を8時42分発の松阪行き急行に乗車。白子駅にImg_5956c 9時14分着、ここで9時15分の津新町行き普通に乗り換え。高田本山駅には、9時30分に到着。¥690。
Img_5962c 受付は9時半から10時半のはずですが、駅前は空いていました。小さい駅Img_5960c で、駅広場も狭いので早くから受付をしたようです。ここで係の方からコースマップをいただき、あみま倶楽部の会員証にスタンプをもらいます。右がコースマップ。右上の①横川橋脚跡から左中央、さらに中央下へと少し太めの破線が描かれていますが、当時の伊勢電鉄が走っていたルートです。これ沿いにいくつか廃線跡があり、それらを訪ね歩くという企画でした。
20180325takadahonzan 実際に歩いたルートを距離測β上に描いたものです。高田本山駅から反時計回りに一周弱したところから南下して、江戸橋駅に向かいました。江戸橋駅南東の江戸橋常夜燈と江戸橋を見て、ゴールインであります。
180325takadahonzan1 実測ルートを拡大し、訪れた場所と距離とを入れたものです。4km地点までこの範囲に含まれています。
Img_5970c 高田本山駅を9時36分にスタート。近鉄名古屋線の線路Img_5978c を横切って南東に向かい、志登茂橋で志登茂川を渡ります。志登茂川の左岸から支流の横川沿いを遡っていきます。
Img_5982c 横川のすぐ西には、来るときに乗ってきた近鉄名古屋線の線路が見えまImg_5983c す。向かって右が四日市・桑名方面、左が高田本山・江戸橋・津方面。ちょうど難波行きのアーバンライナーが通過していきました。上流方向に目を向けると「沈下橋」があります! マップによれば、この橋を渡ることになっています。
Img_5992c 最近はこういう橋を渡ったことはありません。天気もよく、水量も少ないのImg_6001c で、どうということはありませんが、雨が降っていたり、増水していたりすると、ちょっとスリルがありそうです。このあと、県道410号線をくぐり、すぐに近鉄名古屋線の踏切を渡ると、最初の目的地である横川橋脚跡になります。余談ですが、県道410号線は、1月に行った真宗高田派の専修寺(高田本山)の方に通じています。
Img_6004c 県道410号線の北側の道路から少し入ったところに横川橋脚跡がありまImg_6010c す。いきなり余談ですが、この道沿い、ツクシの宝庫(微笑)。橋脚跡そっちのけでツクシ取りに熱中していらっしゃる女性の方もありました。本論に戻りますと、左の写真に写っている道、コースマップによると、廃線跡と思われます。大正4(1915)年に白子駅~一身田町駅(高田本山駅の前身)が開通した時のもので、昭和30(1955)年、高田本山駅~江戸橋駅のルート変更の際に廃線になったところと思います。
Img_6015c こちらが横川橋脚跡です。左の写真で、男性の右手、川の中にある、石Img_6008c のようなものがそれ。右は、クローズアップした写真。小生のような、ほとんど素人はいわれてみないと、わかりません。水量が少ないともっとよく分かると思いますが、煉瓦を積んだもののように見えました。
Img_6018c 県道410号線沿いの道から、県道に出て北西へ。北部運動場&三重武Img_6026c 道場の前を通って伊勢鉄道の高架をくぐり、再び志登茂川を渡り(平野橋)、志登茂川右岸にコースをとります。右の写真は、この橋から北を見たもの。丘陵地には一身田豊野の住宅団地や、高田短期大学があります。
Img_6034c 先程くぐった伊勢鉄道の高架をまたくぐります。JRの特急・南紀や、快速Img_6041c みえが四日市から津へショートカットするためこの路線を通りますので、第三セクターの路線としては列車は頻繁に通ります。左の写真は特急のワイドビュー南紀 。このすぐ南には、伊勢鉄道・東一身田駅が見えます。
Img_6043c 200mほど歩いて行くと、皆さん堤防の上に上がって行っているようでしImg_6045c た。堤防の上をさらに行ったところに、志登茂川橋脚跡があります。ここは先程横川橋脚跡とは違って、かなり完全に近い形で橋脚が残っています。
Img_6046c 志登茂川の中に2基、レンガ造りの橋脚が、ほぼ完全に残っています。Img_6053c 橋脚をよく見ると、上流側は三角形になっているのに対して、下流側は四角になっています。これはもう素人でもわかります(微笑)。流れの圧力を弱めるためでしょう。
Img_6051c 川の右岸堤防の南には、橋台 が残っていました。ここにも細い水路があったように思われます。同じ橋台は、左岸側にImg_6065c も残っています(上の2枚の写真を参照)。そして、この右岸側の橋台から南を見ると(右の写真)、水田の形が線路跡のようになっている気がします。
Img_6065c2 上右の写真の中央部を拡大したものが、この写真。人が立っているところと、そのさらに先にレンガ製の構造物らしきものが見えます。これが次のポイントである水路橋脚跡なのです。ということは、やはりここ志登茂川橋脚跡からまっすぐ線路が続いていたということになります。このあたりでおおむね2km。時刻は10時過ぎ。
Img_6069c さてこれから、堤防を降りて先程見えた道を進むことになります。志登茂Img_6076c 川橋脚跡から見えたのは、右の写真の水路橋脚跡。
Img_6082c 横から見るとこのようになっていますから、この間に細い水路があったということかと思います。もう一つ奥に見えた水路橋脚跡も同じような造りで、間に細い水路が流れていました。
Img_6078c この水路橋脚跡から先程の志登茂川橋脚跡の方を見たのが、左の写Img_6094c_2 真。線路跡が一区画の水田になっているように思えます。ここで、スタートの高田本山駅から反時計回りに3/4周くらいしてきました。高田本山駅から専修寺に向かう道に出てすぐ、「これがハイキングコース?」と思えるような田舎道を通って、次のポイントへ。
Img_6105c それがこちら。現在は、中部電力一身田変電所になっていますが、ここが、一身田町駅跡なのです。しかし、気づかずに通り過ぎて行く人も多数。大正4(1915)年、白子~一身田町が開通したときに、高田本山専修寺の最寄り駅として開業しました。その後、大正7(1918年)に高田本山駅と改称しています。
Img_6117c  ここから次の水路橋脚跡あたりは、旧・伊勢鉄道線路跡と、現在の伊勢鉄道の線路とがもっとも接近しているところ。左は、この付近を走る現在の伊勢鉄道のレールバス。ワンマンカー。伊勢鉄道イセIII形気動車という形式のようでが、まだ新しくて快適です(2013年06月08日、今日は、伊勢鉄道に初めて乗って、研究会へ:2016年05月14日、三重K-ABCアセスメント研究会へ……実は伊勢鉄道に乗りたかったのかも(苦笑)、トンボ初見)。
Img_6126c 3kmの手前で毛無川に行き当たります。この毛無川は、上流に行くと、一Img_6130c 身田寺内町の環濠になっています(2018年1月12日、近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺:2018年1月18日、勝手に「JR・近鉄さわやかハイキング(笑)」……高田本山専修寺と一身田寺内町散歩(その1)一身田寺内町に入り、聖俗の結界を超えるまで)。ただし、1月に2度行ったときは調べ方がたらなかったようです。というのも、毛無川の名は、上流に高田本山専修寺があることから“坊主=毛が無い”という説と、“毛”には“稲”の意味もあり、稲作または二毛作をできないほど氾濫した川だからという説があるようです(こちら)。右の写真、中央に小さく、専修寺の御影堂などの屋根が見えています。
Img_6133c 三度、伊勢鉄道の高架をくぐり(ちなみに、伊勢鉄道はほぼ全線高架でImg_6139c 踏切は、鈴鹿~玉垣間にある一ヶ所だけ)、高架沿いにしばらく、南西へ。このあともう一度高架をくぐります(ここでマップのルートより手前で曲がって、高架をくぐってしまったのですが、結果的には事なきを得ました)。右は、伊勢鉄道を通っていく快速みえ。
Img_6146c_2  3ヶ所目の水路橋脚跡。ここも細い水路をまたいでいます。現在もこの水Img_6149c 路は使われていました。そして、この水路橋脚跡、延長線上に線路跡(盛り土だったと思われます)が続いています。写真を撮る向きが一貫しなかったのですが、右の写真は、左の写真では向かって左手に続く方向(南西側)。
Img_6145c こちらは、北東側。マップ、実測図でいうと、毛無川や一身田町駅跡が写真の右手奥の方向にあります。線路が通っていた盛り土の跡と思えます。昭和30(1955)年にルート変更されて60年以上ですから、よく残っていたという気がします。
Img_6154c この先、旧・伊勢鉄道の線路跡は道路になっています。2枚の写真は、住Img_6153c 所でいうと一身田平野と一身田中野の境目あたり。左の写真はハイキングコースで向かう方。この二股になっているところで、右に向かう道は旧・伊勢別街道。左に行く方が、線路跡。右の写真は同じところから反対(北西方向)を見たもの。こちらも二股ですが、向かって右が旧・伊勢別街道。ちなみに、伊勢別街道は、関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田を通り、伊勢街道と合流する江戸橋まで。
Img_6156c_2 ここは、1月11日に行った近鉄ハイキング(2018年1月13日、近鉄ハイキImg_6158c ング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」)でも通ったところですし、ごく近くに「江戸橋通い」をしている非常勤先もあり、勝手知ったるなんとやら。五六川を渡ります。
Img_6160c 三重高等自動車学校や、津市立三重短期大学のところを通っていきまImg_6167c す。この先、おぼろタオルがありますが、今回はこういうところはポイントには設定されていません。
Img_6171c 緩やかなカーブを過ぎると、近鉄名古屋線の線路が間近になり、踏切がImg_6173c 見えてきます。この踏切の手前で、右奥から来る旧・伊勢別街道と合流。旧・伊勢鉄道の線路跡は、この踏切のところ付近で、現在の近鉄名古屋線の線路と同じルートになります。右の写真は、旧・伊勢別街道。
180325takadahonzan2  実測マップその2です。もうゴールの近鉄名古屋線・江戸橋駅の近くでImg_6178c_2 す。最終のポイントは、江戸橋常夜燈。ここでちょうど5km。江戸橋常夜燈は、小生はもう何度も見ていますが、せっかくですから確認していくことにしました。右は、江戸橋駅近くの旧・伊勢別街道。生活道路になっていて、人もクルマもたくさん通ります。
Img_6188c 江戸橋常夜燈。この常夜燈がある江戸橋の西詰は、伊勢街道(参宮街Img_6185c 道)と伊勢別街道の分岐点に当たります。常夜燈には、安永6(1777)年の銘があり、津市内最古の常夜燈です。常夜燈と並んで、高田本山への道標が立っています。「左 高田本山道」と刻まれています。これは、明治22(1889)年に再建されたもの。詳細は、“近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その3)……一身田寺内町、一御田神社、下津醤油、おぼろタオル、江戸橋常夜灯と道標そして江戸橋で「完」”に書きました。
Img_6190c ここまで来ると、個人的にもう一つのお約束があります(笑)。それは、

志登茂川にかる江戸橋の工事の進捗状況の確認。1月11日のときとあまり変わらないように見えました(上記のリンク先にあります)。橋にまつわる話もそちらにあります。
Img_6250c 江戸橋駅には、11時に到着。コースマップでは5.1kmでしたが、実測は5.4km。今回は1度ルートを間違えたのみですし、寄り道は江戸橋確認だけでしたから、差がありません。所要時間は1時間25分ほど。効率的でしたねぇ(笑)。駅の外観の写真は、もう何度も見ていますので、取り忘れました。そもそも撮ろうという意識がなかった気がします。
Img_6212c ホームで名古屋行き急行を待っていたら、ちょうどタイミングよく、賢島へImg_6206c 行く「しまかぜ」が通過していきました。一度くらい乗ってみたいですねぇ。と思いつつ、11時20分発名古屋行き急行に乗車。桑名着は12時3分。¥690。いつもより短い距離のため短時間で歩けましたが、なかなか楽しい経験でした。
Img_6258c ちなみに、今日のハイキング参加で、あみま倶楽部のスタンプは、9個目をゲット。あと1回参加すると10個になり、参加賞「銅賞」がもらえますが、賞品はバッチ。20個貯めると、バッチ&商品券(¥1,000)。頑張って20個を目標にしましょう(微笑)。

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2018年2月27日 (火)

近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9㎞なのに、12.4㎞も歩いたお話(笑)

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 今日は、近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”に行ってきました。今回は、「酒蔵みてある記」ではありません。念のため、お断りしておきます(苦笑)。2月17日から3月4日まで、いなべ市北勢町阿下喜(あげき)で「あげきのおひなさん」が開催されています。
Img_1199c こちら2枚が、今日のコースマップ。表裏になっています。マップ上は、約9Img_1198c ㎞。あまり大きな声で言うといけませんが、これまでに参加した中では、もっともよくできたコースマップでした。一度も迷うことがなかったからです。
180227walkingmapageki こちらが実際に歩いた地図。実測では、いつものように寄り道をしたせいもあって、12.4㎞。パッと見では、たいした距離ではないように見えますが、左下の縮尺をご覧ください。それに三岐鉄道北勢線で、楚原駅から阿下喜駅まで、2駅を歩いたのです。
Img_1147c 西桑名駅から、三岐鉄道北勢線のナロートレインに乗って行きます。ナローImg_1150c ゲージ(線路幅 が762mm。国内の鉄道では、JRが採用している1,067mmゲージよりも狭い線路幅)の電車。楚原(そはら)までは、¥390。9時53分着。
Img_1197c コースマップをもらって、10時に楚原駅からスタート。今回は、平日ですし、「酒蔵みてある記」ではありませんので、参加者は少なめ。コースマップのナンバーも66でした。ねじり橋、めがね橋を見て、八幡神社に寄り道。鈴鹿山脈と田園の風景を眺めつつ、麻績塚古墳・久保院八十八ヶ所道を経て、阿下喜の町へ。桐林館からウッドヘッドで大ひな壇を見てきました。このほか、100軒ほどのお宅でひな人形が飾られています。
Img_1201c_2 楚原駅からすぐのところでいきなり寄り道です(苦笑)。楚原神社。主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)。天文7(1538)年、八幡社を勧請し氏神として尊崇していたのが、始まりと伝わっています。
Img_1235c コースに戻って、本来の目的地であり、個人的には最大の関心があったImg_1255c のは、こちら。三岐鉄道北勢線にある、ねじり橋とめがね橋です。日本土木学会の選奨土木遺産に指定されています。
Img_1287c ねじり橋(右の写真)には、10時20分頃到着。予め調べておいた時刻表Img_1315c によれば、10時45分を過ぎた頃、上り・西桑名行きと、下り・阿下喜行きが通過します。ここはせっかく北からには、電車が通るところを撮らねばと思い、待つことにしました。津市からいらしたという男性とご一緒に待って、この写真を撮りました。
Img_1353c 11時頃、八幡神社に寄り道。ここは、一の鳥居をくぐってから、三岐鉄道Img_1387c 北勢線の踏切を渡らないと行けません。主祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)。ここにはいろいろと興味深いものがありました。今日は、予告編ですので、そのうち1つだけ。「神武天皇 明治天皇御陵遙拝御柱」というもの。西の方に向かって建っています。詳細は、これから調べますが、「紀元貳千五百九拾六年」とありました。始めて見ました。やはり、歩いて、実際に見て回るというのは大切です。
Img_1433c 「早春の鈴鹿山脈を眺め」とテーマにありますが、まさにその景色。いなべ市員弁町上笠田あたり。田園地帯をひたすら歩いています。前方左手には、藤原岳が見えています。このあたりで、鈴鹿からいらしたという、高齢の女性と一緒になりました。お年を聞いてびっくり、「80歳を過ぎました。連れがなくなりましたので、一人で来ています」と。
Img_1460c いなべ市北勢町中津原に入って、久保院というお寺に立ち寄ります。今は廃寺で、かなり荒れてしまっています。この手前には、戦没者記念碑があり、そこから「麻績塚(おみづか)古墳」と「久保院八十八ヶ所道」があります。「清少納言ゆかりの」というのは、行ってみ て初めて知りましたので、これから調べなければなりません。
Img_1497c 4世紀ごろつくられたと伝わっている「麻績塚古墳」。大小2つの古墳からなり、「王塚」または「茶臼山古墳」ともいわれますが、埋葬された人物の名をとって、一般に「麻績塚」と呼ばれます。墓の主の名は、伝承によれば「神麻績連」。天物知命(あめのものしりのみこと)の后、また、桑田玖賀(クワタノクガ)の姫ともいわれていますが、その名の通り、麻の栽培・紡織といった生産に深い関係を持っていたと思われます。
Img_1469c 久保院は、和波九十郎の二男、久保(ひさやす)の追善供養のためつくImg_1488c られたといいます。詳細はこれから調べます。ここには、上述のように、「久保院八十八ヶ所道」は、四国八十八か所を模倣しものです。しかし、管理状態が悪く、溝に落ちた石仏や壊
れかけた御堂がほとんどでした。

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 いなべ市北勢町麻生田などを歩いて、阿下喜に向かいます。左の写真Img_1562c では、奥の方に阿下喜の町が見えてきたところ。北勢線には、西桑名行きのレトロ電車が走っていきました。12時40分頃、ようやく「北勢町阿下喜」の看板に出会いました。藤原岳がよく見えてきました。
Img_1579c 「あげきのおひなさん」は、後述のように、桐林館(とうりんかん)や、ウッドヘッド(いなべ市商工会)にて大規模に行われていますが、その他に約100軒の焦点、民家、寺社などにもおひなさんが飾られています。こちらはとある模型屋さんの店頭で見せていただいたおひな様。
Img_1617c 桐林館は、国登録有形文化財。昭和11年に建築された旧阿下喜小学校校舎を復元したもので、戦前の木造小学校の姿を今に伝えています。ここにもおひな様が飾られていましたし、校長室、教室などが復元されていて、懐かしい感じに浸ってきました。また、ここでは、桐林館阿下喜美術室が、アート&カフェで活用し、作品の展示と、カフェを常時一般開放しています。
Img_1684c ウッドヘッド三重(いなべ市商工会)。ここが、「あげきのおひなさん」のメイン会場。冒頭の写真は、ここで撮りました。実際には、写真の3倍以上のおひな様が飾られています。余談ですが、「このお雛様が夜中に泣くとか、髪が伸びてるとか、それでお払いして貰ったとか」、嘘か本当かという類いの噂があるとかないとか……。
Img_1749c このあと、大西神社へ。主祭神は、建御名方神(たけみながたのかみ)。勧請年月は不詳だそうですが、文政7(1824)年の「村明細帳」に記載があるといいます。ここは、もう本当に藤原岳の目の前でした。このあと、通りかかって見つけた「イチガミ神社」と、「西念寺(浄土真宗本願寺派)」に立ち寄って、ゴールの阿下喜駅を目指しました。
Img_1842c その前に、こちら、阿下喜温泉あじさいの里に立ち寄って、土産をゲット。本当なら、ここで温泉に入りたかったのですが、この時点で14時25分。次の西桑名行きが、14時39分と思い込んでいましたので、温泉は泣く泣くパス。
Img_1847c 三岐鉄道北勢線・阿下喜駅にゴール。12.4㎞を完歩。14時32分着。駅でImg_1861c 時刻表を見て、勘違いに気づきました。10時~13時台は、39分発でしたが、14時台は29分発でした(苦笑)。次は、15時1分発。ちなみに阿下喜駅は、「日本最西端のナローゲージ駅」です。
Img_1850c 時間もありましたので、「軽便鉄道博物館」の方へ。ここは、第1・3日曜日の10時から16時だけ公開。226というナンバーがついた電車1両が置かれていました。公開日には、ミニ電車が運行されています(こちら)。ターンテーブルもあります。
Img_1871c 無事に15時1分発西桑名行きの電車に乗って帰ってきました。桑名着は、15時56分。¥420なり。昨年12月から「マイレール乗車券」を売り出していましたので、まだ残っていればそれが欲しかったのですが、小生の一人前の女性が、最後の1枚をゲット(涙)。
Img_1924c 最後に本日の土産。左は、草餅&大福。「草餅を買ってきて」という指令Img_1928c が下っていましたので、ウッドヘッド三重に出ていた出張販売所で購入。これで¥500とかなりおトクな気分。もう一つは、「いなべ石挽蕎麦」。こちらは、阿下喜温泉あじさいの里のあじさいの店で購入。¥350。いなべ市では、蕎麦の栽培が盛んなのです。どこかで蕎麦も食べたかったものの、うまくいかず、これを買ってきたという次第。
 以上、本日は、近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”に行ってきた話の予告編でした。いつものように、明日以降、順次、記事を書いていきますので、ご用とお急ぎでない皆様にはまたお付き合いくだされば、幸いです。

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2018年2月19日 (月)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その1)……一生吹山「登山」、一生吹配水池、毘沙門天を経て、東名阪自動車道の下まで

Sakaguramitearuki

 確定申告の準備やら、ブログの過去記事と写真の整理やらをしていたら、1日あいてしまいました。2月17日(土)に出かけた「20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」、予告編に続き、本編のその1です。この画像は、近鉄のサイトから借りましたが、「蔵出しの一杯に、のどが鳴る。」のキャッチコピー、堪りませんねぇ(微笑)。
Uzume この日の目的地は、。三重県四日市市桜町にある伊藤酒造。不勉強にして、この酒蔵のことは知りませんでした。創業は、弘化4(1847)年といいますから、170年の歴史があります。「鈿女」「猿田彦」「鈴鹿山麓」「日本華」という地酒を醸造しておられます。ちなみに、三重県は地酒の醸造元が多いという話を何かで読んだ気がします。
20180217kintetsuhikingitohshuzoc コースは、この画像の通り、近鉄湯の山線・高角(たかつの)駅から桜駅まで。5.3㎞でしたが、難行・苦行とまでは申しませんが、天候の悪化もあって、大変でした(苦笑)。普段の行いが悪いという自覚はないのですが、「酒蔵みてある記」に参加すると、天候が優れないことが多いのです。
Img_9425c 近鉄湯の山線を利用しての「酒蔵みてある記」は、1月27日の「銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて」に続いて2回目。桑名駅を9時2分の松阪行き急行に乗車。近鉄四日市駅には9時14分着。湯の山線・湯の山行き普通(9時30分)発に乗り換えます。高角には9時41分着。¥420。左の写真は、高角駅到着直前に、この日のコースの方を撮ったもの。正面やや左に写っている山が、今日登る「一生吹山(いっしょうぶきやま)」のはず。
Img_9428c 近鉄・高角駅。近鉄四日市駅からは、4つめ。受付は、9時50分からとなっImg_9435c ていましたが、参加者が多かったのか、すでに受付は始まっており、歩き始めている方も多数。。いつものように地図を受け取り、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい(これで5個。まだまだです)、スタート。スタートは9時48分。
Img_9439c 湯の山線の踏切を越え、南西の方角へまっすぐ。左の写真で、中央右に見えているのが、これから登る一生吹山。調べたら、標高は109mということでした。普段から歩いているし、楽勝と、この時点では、高を括っていました(苦笑)。
Img_9442c  途中、四日市市水道局の「三滝西水源地」の前を通ります。四日市市のImg_9440c_2 上水道の主な水源は、鈴鹿山脈の伏流水だそうです。この三滝西水源地も同様で、このあと立ち寄る「一生吹配水池」から配水されます。この水源地の前には、「震災時の応急給水拠点」の看板があったのですが、これは、一生吹配水池のことのようでした。
Img_9445c 三滝西水源地を過ぎると、徐々に登り坂になってくるのを感じます。前方Img_9447c には、エビノ園 という障害者支援施設があります。ここはけっこう歴史のある施設だった気がします。エビノ園の手前に、気になる看板がありました。「四日市友の会」というもので、さらに小さな文字で「幼児生活団」とありました。この「幼児生活団」の募集ポスターが散歩コースのあるところに貼ってあり、ずっと気になっていたのです。昭和5(1930)年、ジャーナリストで教育者の羽仁もと子を中心に「婦人之友」の愛読者によって始められた団体のようでした。
Img_9449c ここで振り返って、スタート地点の高角駅の方を眺めてみたら、少し上りImg_9451c 坂になっていました。先の方は、右の写真のようになっています。だんだんと上り坂がきつくなっていきます。ちょっと不安になってきます(苦笑)。
201802171c コースマップには、左の画像のように、「急な上り坂」と書Img_9453c いてあるとおり、かなり急な坂でした。写真を撮る余裕もあまりなく(苦笑)、息を切らしながら登る有様(爆)。右の写真模糊野坂の途中ですが、これはまだまだ楽勝のところ。
Img_9456c 一生吹山の、たぶん最高点には、四日市市水道局の「一生吹配水池」がImg_9458c あります。ここには、池(タンク)が2つあって、何らかの理由で取水ができなくなったとしても半日以上は水道水を供給できるようにしているそうです。ゆっくりと写真を撮りながら、小休止(苦笑)。ここが、先程、三滝西水源地のところに看板があった「応急給水拠点」。しかし、ここまで登ってくるのは大変です。
Img_9455c 一生吹配水池の西には、NTTドコモの四日市智積無線局がありました。Img_9461c 携帯電話の基地局なのでしょう。この手前を右折(北へ)。「一生吹山、毘沙門天王、七福神……」などの看板が出ています。
Img_9468c すぐに一生吹山毘沙門天に到着。鳥居には、「毘沙門天王」という神額がかかっています。皆さん、坂登りが堪えたのか、ここで一休みという方もたくさんいらっしゃいました。
Img_9484c この写真は、毘沙門堂。ここにあった「一生吹山 毘沙門天王由来」の案Img_9496c 内板によれば、「大正3(1914)年、浅間神社が椿岸神社に合併され同年桜智積の有志の各位により信貴山毘沙門天王を勧請し」たとあります(ただし、桜郷土史研究会の「検証 桜の重大事件」のサイトには、昭和3(1928)年に勧請したとありました)。
Img_9470c 毘沙門堂の脇には、毘沙門天以外の「六福神」を祀る御堂が並んでいまImg_9474c す。はじめは、「七福神なのに、どうして6つしか御堂がないのか?」などとトンでもないことを考えました(爆)。向かって左から、布袋尊、寿老神、福禄寿神、弁財天、恵比寿天、大黒天でした。
Img_9489c この一生吹山には、歴史がありました。「一生吹山由来」の案内板によれImg_9492c ば、天文8(1539)年、時の佐倉城主・小林備前守重則は18歳でしたが、この一生吹山に北西の南朝方の守りのため出城を築き、鈴鹿郡峯大和守盛定の来攻に備えたものの、戦に利なく、落城し、矢合川北方の殿腹で自刃したそうです。境内の南方には、崩れた土塁の後もあるそうです。その後、浅間神社が建てられ、近年まで「デジロ祭」が毎年7月1日、若くして逝った痛恨を慰めたといいます。明治44(1911)年、浅間神社は椿岸神社に合祀されます。大正3(1914)年に(異説あり)信貴山から毘沙門天王を勧請し、今日に至っています(桜郷土史研究会の「検証 桜の重大事件」のサイトに詳しい説明があります)。ちなみに、明治・大正の頃、ここは松茸山だったそうです。現在は、桜の名所となっています。
Img_9477c 毘沙門天の境内には、このほかいろいろなものがありました。その一つImg_9478c が、こちらの母子観世音菩薩像です。「母わ子を愛情をもって育成し 子わ母を慈しみ慕いて 恩を忘れじ」と刻まれています。由来は、ネット検索では分かりませんでした。台座の他の面に書かれていたかも知れません。
Img_9482c もう一つは、「御大典記念碑」。昭和3(1928)年10月に建てられたものでImg_9480c すから、昭和天皇のご即位を記念しての碑と考えられます。建てたのは、「帝国在郷軍人會櫻村分會東區班(石藤)」とあります。昭和天皇のご即位の式典は、大正天皇の喪が明けた翌年である、昭和3(1928)年11月に京都御所で行われています。それ故、この記念碑はそれに先だって建てられたということになります。
Img_9494c この境内の東の端に行くと、四日市市街地が眺められます。この頃から、時雨れてきましたので、はっきりとは見えていませんが、この写真の中央あたりが、近鉄四日市駅あたりになります。
Img_9503c 一生吹山毘沙門天で、出発から約1.5㎞。ここからはもう下り坂。10時20Img_9504c_2 分頃から下り始めました。が、だんだんと空模様が怪しくなってきました。ほんの2~3分歩くか歩かないかのうちに、雨やら霰やらがかなり激しく降ってきてしまいましたし、風もかなり強く、傘を差したら煽られるくらい(爆)。どうして、近鉄ハイキングの酒蔵みてある記に参加すると、こんな目によく遭うのでしょう? 日頃、さほど行いが悪いとは思っていないのですが、自覚が足らないのでしょうか?
Img_9509c 独りでぼやいたり、恨み言をつぶやいたりしながら、トボトボ歩いて行くImg_9511c と、1㎞ほど下っていくと、東名阪自動車道に突き当たります。トンネルで自動車道の下をくぐりますが、ちょうどよいとばかりに、このトンネルで一休み。右の写真では人は少なくなっていますが、着いた時は、数10人の方が雨宿りを兼ねて小休止中でした。
Img_9515c  ここまででスタートから2㎞半弱。40分ほど経過。東名阪自動車道の四日市インターチェンジの南西1㎞弱のあたり。今日は、ここまでにさせていただきます。明日は、この近くの大師堂のお話から続けます。

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2018年2月18日 (日)

九華公園のパネル展示を「桑名の城跡・47」に変えていただきました

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 九華公園のパネル展示を、「九華公園を楽しく歩こう」から「桑名の城跡・47」に変えていただきました(「くわなのしろあと・フォーティセブンとお読みください)。今回も前管理人・Oさんのお仕事です。この「桑名の城跡・47」は、ブログでは紹介していませんでしたが、桑名市の文化財のサイトにあるデータや、「桑名市文化財地図(遺跡編)」(桑名市教育委員会発行)などをもとにつくったものです。
Img_6241c こちら、桑名市内の城跡マップ。上記の「文化財地図(遺跡編)」を参考に、Img_6247c Oさんが苦労して、何度もやり直した上で仕上げてくださった力作です。いつものように、マルサン文具さんのご協力をいただいています。右の写真に市中心部のクローズアップを載せました。城跡とはいえ、戦国時代の頃の「砦」がかなりの割合を占めています。したがって、市内でも、丘陵地など、高いところにたくさんそれがあります。
Img_6244c 47ヶ所の城跡は、それぞれ1枚ずつ、別のパネルがあります。このパネルには、城跡の所在地、詳しい地図、簡単な説明が載せてあります。こちらは、小生が元をつくり、Oさんがバージョンアップしてくださったもの。
Dscn6063c 管理事務所には、元の資料をこのようにファイルしたものが置いてありまDscn6065c す。管理人さんが事務所にいらっしゃるときにご覧いただけます。120ページを越える「超大作(爆)」となっています。お願いすると、事務所内で診ていただけると思います。右は、「江場城跡」のページです。各城跡とも、このようなスタイルでまとめてあります。地図、索引(五十音別、地域別)もつけました。ちなみに、pdfファイルもありますから、ご希望があれば、差し上げます。
Img_9791c さて、今日も寒くなりました。多度山にはうっすらと雪が積もっていました。さすがに2日連続の酒蔵みてある記は断念(苦笑)。今日の近鉄ハイキングで行くところは、3月にJRさわやかウォーキングのコースになっていましたから、そのときにでもと思います。8時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回ったものの、鳥も、散歩友達も少なく、11時過ぎには帰宅。5.8㎞。
Img_9780c 拙宅近くの住吉入江、最近、賑やかです。住吉キンクロウズの他、ヒドリImg_9918c ガモのペアと、単独オスが1羽、たいていいます。オオバンも2羽くらいが居着いている感じ。さらに、今日は、帰ってきたときには、カイツブリが1羽。カイツブリは若い個体のようですが、時々来ています。

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 時々来るといえば、ジョウビタキのオスや、イソヒヨドリのメスも姿を見せることがあります。 イソヒヨドリの写真は、逆光でうまく撮れませんでした。そういえば、先日は、諸戸氏庭園の中から、ウグイスの地鳴きと思える鳴き声が聞こえてきました。
Img_6253c 今日は、冷たい北西の風がけっこう強く、こういう日は鳥は少ない傾向にImg_6257c あります。しかし、二の丸跡では、ジョウビタキのメスと、シロハラが1羽。
Img_9823c カモは、今日は、49羽。固定メンバー(苦笑)。ハシビロガモのオス3羽、メス2羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロ。オオバンも2羽。ハシビロガモは、最近、日当たりのよい、野球場の南あたりが好みの場所になっています。ユリカモメは、ゼロ。最近、餌をくれる人はあまりいないようです。
Img_6235c ゴイサギは、3羽。これも変わりなしです。最近、ホシゴイを見なくなっていImg_6275c ます。もう少し続けて観察しなければなりませんが、この左の写真のゴイサギは、ホシゴイから進化しているものかという気がします(証拠はありません)。他2羽のゴイサギは、いつものように社務所裏のクスノキにいます。
Img_9828c シメは、本丸跡の樹上。日陰になってしまっていますが、顔だけこちらにImg_6263c 向けています。嘴のまわりの黒いところが笑えます。ビンズイは、どういうわけか、今日は1羽のみしか見えませんでした。
Img_9853c エナガは、シジュウカラも含めた小集団で、公園内を移動しています。今の時期、松の木にいることが多くなっています。しかし、相変わらず賑やかで、よく動きますので、写真には撮りにくいこと。
Img_6290c 貝塚公園では、ツグミを1羽見て、コゲラの鳴き声を聞いただけ。内堀公園に寄ってみたら、ジョウビタキのオスが出て来ました。ごくたまにここに出て来ます。背景がよくありませんが、贅沢は言わないでおきます。
Img_9912c 今日は、来月予定されている支援員講座の資料を仕上げ送りました。「心理検査で分かること 検査結果の支援への活かし方」という、いつものテーマです。あとは、確定申告を済ませなければなりません。準備はほとんどできましたが、パソコンを更新しましたし、カードリーダも新調しましたので、ドライバや申告ソフトのインストールからやり直し。手間はかからないと思うものの、面倒な感じが先に立っています。紅梅は、南寺町の常信寺のものです。

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