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2018年10月13日 (土)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その1)……伊勢中川駅、宇治山田駅、神都バス、度会府庁跡、シンフォニアテクノロジー響きホール、伊勢豊受稲荷神社、箕曲中松原神社

 近鉄ハイキングに立て続けに出かけたため、記事が滞っています。こういうのを自業自得というのかも知れませんが、1つずつ順番に書いていくしかありません(笑)。まずは10月8日の分。「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」のその1です(予告編は、こちら)。

Img_5748c この日は体育の日。天気もよく、暑いくらいでした。歩き始めてからは、半袖Kic Tシャツ1枚で十分なくらいでした。この日のハイキングの受付は、近鉄山田線・宇治山田駅。右の地図をご覧ください。桑名からでは、名古屋に行く方がはるかに近いのです。近鉄電車では、桑名駅-宇治山田駅の間は、83.4kmもあります。急行で行くと、1時間半。
Img_5751c ということで、これまでの近鉄ハイキング/JRさわやかウォImg_5770c ーキングの中でもっとも早く、近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川は、近鉄の名古屋線、大阪線、山田線の乗換駅。ここに9時4分に到着。9時7分発の五十鈴川行き急行に乗り換えます。
Isenakagawa_station いきなりの余談で恐縮。鉄道好きの方はご存じですが、この近鉄・伊勢中Img_5767c 川駅、なかなかおもしろい駅なのです。左に伊勢中川駅の線路・ホームの配置図を載せました。駅そのものは、5面6線のホームを持つ地上駅ですが、3路線の接続駅で、乗り換えに便利なように、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。右は、実は降車ホームを間違えたのですが(2番ホーム側に行かねばならなかったのです)、3番線と4番線の間のホーム。4番ホームに止まっているのは、大坂の上本町行き急行でした(これに乗ってしまわなくて良かった)。ちなみに、階段を上り下りせずに、電車を通過して向かい側のホームに行けます。
Img_5771c すぐに間違いに気づき、乗ってきた伊勢中川行き急行の車両の中を通Img_5776c 過して(両側のドアが開いているのです)、2~3番線ホームへ行き、五十鈴川行きの急行に無事乗り換えました。
Img_5761c もう一つ屁理屈というか、講釈。上の線路・ホームの配置図にもありますが、名古屋線から大阪線へは、伊勢中川駅に入らないでいける「中川短絡線」があります。短絡線は伊勢中川駅の一部だそうで、プラットホームは通らないものの、伊勢中川駅構内を通過しているとみなされ、運賃は伊勢中川駅で折り返したとみなして計算されます。昭和36(1961)年3月に供用開始。平成24(2012)年1月に新しい橋が造られています。アーバンライナーなど、名阪間のノンストップ特急は、この短絡線を通って行きます。
Img_5777c ということで、いったん降車ホームを間違えたものの、無事に五十鈴川行き急行に乗り換えられ、宇治山田駅には9時31分に到着。¥1,200。ほぼ1時間半を要しました。これまで26回ほど、近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキングに参加しましたが、最長の乗車時間であり、最高の運賃です。
Img_5786c 近鉄山田線・宇治山田駅。24歳で最初の職場(鈴鹿にある某国立病院)Img_5808c に就職した年の大晦日、先輩Mさんに連れられ、伊勢神宮の初詣に来たとき、ここに降りた記憶があるのですが、どういう駅であったかまったく記憶がありません(テレビや新聞、雑誌では見ていますが)。写真や画像で見ると、なかなか雰囲気の良い駅なので、一度(もう一度?)よく見てみたいとは思っていました。
Img_5828c  宇治山田駅は、昭和6(1931)年に開業。当時の面影を、今でも残していImg_5806c ます。国登録有形文化財です。駅名は、開業当時の市名である宇治山田にちなんでいます。内部のコンコースは広々として2階までの吹き抜けがあり、荘重でゆったりとした駅舎ですが、団体待合室や食堂など、多数の参詣客に対応できる機能的な設計もされています。貴賓室があり、天皇など皇族の方や、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。
Img_5860c  駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート3階建て(塔屋を含めると5Img_5836c 階建て)。設計は、同じ1931年に開業した東武鉄道浅草駅や1932年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節(建築家。鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任)。建築面積は3,201㎡、幅128mの堂々たる駅舎です。外壁はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並んでいます。屋根には茶色のスペイン瓦が使われていて、昭和初期の名建築です。
Img_5802c 個人的には、このベンチも風情があっていいなと思っています。コースマップをもらってから、このベンチに座ってみました。小生は建築には詳しくはありませんので、宇治山田駅の魅力を伝えられません。ご興味がおありの方には是非お訪ねくださるようお勧めします。
Img_5795c この日のハイキングの受付は、宇治山田駅コンコース。こんなチラシも貼Img_5801c ってあり、気合いが入ります。受付は9:30〜10:40で、ちょうど良い時間に到着。それに「名物二軒茶屋餅で舌鼓」が楽しみであります。右がいただいたコースマップ。宇治山田駅をスタートして御幸道路、錦水橋を経て、河崎の町並みを見て、勢田川沿いを散策。二軒茶屋で角屋本店さんの二軒茶屋餅をいただき、松尾観音寺、倭姫宮をめぐって、鳥羽線・五十鈴川駅がゴールという、約8㎞のコース。
20181008kintetsuhikingujiyamada こちらが実際に歩いたルート。多少寄り道をしましたので、9.7㎞を歩きました。伊勢へ来たのですが、外宮、内宮など伊勢神宮にお参りするコースではありません。河崎といって、江戸時代から伊勢の台所として発展した問屋街あたりを回り、勢田川沿いを散策。伊勢名物の一つ、二軒茶屋餅を味わいます。最後に、伊勢神宮の別宮の一つである倭姫宮へお参りします。倭姫命は、垂仁天皇の第四皇女。天照大神の社を、伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられます。倭姫命は、伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢の国をめぐられたのですが、その途中、桑名にも立ち寄っておられます。桑名野代宮(現在の野志里神社とされます)には4年間滞在されたといわれます。こういうことで桑名にも縁がありますので、お参りしたいという次第。
Img_5830c さて、宇治山田駅の駅舎から出て撮影をしていましたら、こちらのバスがImg_5890c やって来ました。神都バスと呼ばれ、三重交通が運用しています。伊勢には、明治36(1903)年から昭和36(1961)年の間、路面電車・神都線が走っていました。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)に合わせて、路面電車型バスとなって生まれ変わったものです(右の写真は、あとで触れます錦水橋のところで撮影)。
Img_5862c 宇治山田駅を出たところで、度会(わたらい)府庁跡の石柱を見つけました。慶応3(1867)年の大政奉還を受けて、翌年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が知事となり、小林(おはやし)村の旧・山田奉行所に着任しました。余談ですが、山田奉行といえば、18代奉行であった大岡越前守忠相が有名です。
Img_5865c 度会府は、明治2(1869)年に度会県と改称され、翌3(1870)年、県庁舎は、箕曲(みの)町(ここ岩淵2丁目)に移ってきました。度会県は、一志、飯高、飯野、多気、度会、答志、英虞、南牟婁、北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分していました。その後、明治9(1876)年4月、三重県(安濃津県から改称)と合併し、度会県の歴史は幕を閉じたのです。ちなみに、この石碑は、昭和8(1933)年3月に「宇治山田市教育會」によって建てられています。さらに講釈を重ねますが、伊勢市の旧名が宇治山田市。宇治に皇大神宮 (内宮) 、山田に豊受大神宮 (外宮) があり、両地区とも中世には自治都市を形成していました。鎌倉時代以降、両者とも門前町として繁栄したのですが、神権の優劣を争ったり、商業利権の競合から対立したりし、文明 18 (1486) 年には宇治山田合戦と呼ばれる流血の抗争が起ったこともありました。明治39(1906)年、両地区が合併し、伊勢市 (昭和30(1955)年成立) の前身である宇治山田市となっています。
Img_5815c 宇治山田駅の向かいにあるのが、シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢。小生のような年代のものには、伊勢市観光文化会館という名前の方がなじみがあります。シンフォニアテクノロジーは、旧・神鋼電機です。
Img_5867c ようやく宇治山田駅を出発(9時45分)、駅前を左折して南へ。曲がってすImg_5869c ぐ、朱い鳥居が目に入りました。朱い鳥居といえば、お稲荷さん。伊勢にお稲荷さんがあるのかとちょっとビックリ。伊勢豊受稲荷神社です。名前がすごい。というのも、「豊受」というのは、いわゆる外宮さん、正式には豊受大神宮にある名前。お稲荷さんですから、ご祭神は、宇迦之御魂神。ここは西にある箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)の境内社です(こちら)。
Img_5871c その箕曲中松原神社の鳥居は、伊勢豊受稲荷神社の鳥居の南にありまImg_5875c した。古来、現在地に鎮座していたと考えられ、大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと称していたものを後世、箕曲中松原神社と改めたようです。創始年代は不詳ですが、長徳3(997)年の文献に出てくるそうです。外宮参拝玄関口にあって、正月には初詣の参拝客で賑わうといいます。境内には樹齢千年の楠があり、古来より神霊として崇敬され、特に疱瘡の守護神として現在も崇敬されているそうです。
20181008kintetsuhikingujiyamada1  宇治山田駅からまだ100mほどしか進んでいませんが、長くなりますので、その1はここらで。左のマップでは、「岩淵」交差点のところあたりです。次は、御幸道路、錦水橋から。

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2018年10月 8日 (月)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編)

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 体育の日、絶好のハイキング日和です。今日は、近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」に行ってきました。近鉄名古屋線・宇治山田駅から、御幸道路、錦水橋、河邊七種神社、河崎の町並み、河崎商人館、勢田川沿い散策、橘神社、二軒茶屋餅角屋本店、松尾観音寺そして倭姫宮を訪ね、近鉄鳥羽線・五十鈴川駅がゴールという、コースマップ上8.4㎞のハイキング。
Img_5751c いつもハイキングに出かける時よりも1時間近く早い電車に乗ります。自宅は7時40分過ぎに出発。というのも、桑名から宇治山田まで急行で行くと、ほぼ1時間半かかるのです。8時3分の伊勢中川行き急行に乗り、伊勢中川に9時4分着、9時7分発の五十鈴川行き急行にに乗り換え、宇治山田到着は、9時31分。料金は、何と¥1,200! これまでに参加した近鉄ハイキングでは、最長の乗車時間であり、最高の運賃(笑)。本日は、例によって「予告編」。写真もどういう風か、800枚以上撮ってきており、まだざっと見ただけです。
Img_5786c 近鉄名古屋線・宇治山田駅。昭和6(1931)年に開業。当時の面影を、今でも残しています。国登録有形文化財。駅名は開業当時の市名である宇治山田にちなんでいます。内部のコンコースは広々として二階までの吹き抜けがあり、荘重でゆったりとした駅舎ですが、団体待合室や食堂など、多数の参詣客に対応できる機能的な設計もされています。貴賓室があり、天皇など皇族の方や、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。
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 駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート3階建て(塔屋を含めると5階建て)。設計は、同じ1931年に開業した東武鉄道浅草駅や1932年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節。建築面積は3,201㎡、幅128mの堂々たる駅舎です。外壁はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並んでいます。屋根には茶色のスペイン瓦が使われていて、昭和初期の名建築です。就職した年、初詣で来たと思うのですが、夜中でしたのではっきりした記憶がありません。一度しっかりと見ておきたかった駅。
Img_5801c 左は、本日のコースマップ。伊勢へ来たのですが、外宮、内宮など伊勢20181008kintetsuhikingujiyamada 神宮にお参りするコースではありません。河崎といって、江戸時代から伊勢の台所として発展した問屋街あたりを回り、勢田川沿いを散策。伊勢名物の一つ、二軒茶屋餅を味わいます。最後に、伊勢神宮の別宮の一つである倭姫宮へお参りします。右は、実際に歩いたルートマップを、いつものように距離測に描いたもの(こちらを参照)。多少とも寄り道をしたりしましたので、実際には、9.6㎞を歩きました。自宅から桑名駅までの往復を含め11.6㎞ほどです。
Img_5889c 宇治山田駅を出て左折を重ね、御幸道路へ出ます。伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)を結んでいます。全長はおよそ5.5km。明治天皇の行幸で神宮へ参拝するための道路として、自動車が通行できる道が倉田山を経由して作られたのです。明治43(1910)年に竣工。篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいたのですが、今年4月路線バスがバス停に止まろうとした際、道路脇に設置されていた石灯籠に接触。これが倒壊して歩行者の男性を直撃し、亡くなるという事故があって、撤去されてしまいました。歩道の新しい舗装は、石灯籠があったところと思います。
Img_5900c  上の写真に写っている橋が、錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。
Img_5904c 錦水橋からは、勢田川沿いを歩き、河崎の町並みに向かいます。写真は、清浄坊橋のやや上流から、上流方向(南)を見たもの。勢田川は、伊勢市街地を流れる主要な河川で、江戸時代にはお蔭参りの客や物資の輸送で大変賑わいました。
Img_5939c 河崎の町並み。今もたくさんの店などが営業していて、楽しめます。こちImg_5930c らにある「伊勢河崎商人館」のサイトにたくさん情報が載っています。町歩き地図もあります(ここ)。河崎を始め、伊勢地方では、右のような注連飾りが年中飾ってあります。「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。
Img_5960c 河崎の氏神様である河邊七種神社(かわべななくさじんじゃ)。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名由来に依り、河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。
Img_5985c 主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。相殿神は、八衢比古神、八衢比売神、久那斗Img_5987c 神、大物主神、火産霊神、菅原道真公、水神、宇迦之御魂神、祭神不詳二座(相殿神は、本編で触れます)。
Img_5991c 境内社には、吉家稲荷神社があります。町内に無格社として祀られていたものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。
Img_6043c 河崎商人館。江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋「小川酒店」を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなっています。といっても、小生は、中は見ておりません(苦笑)。9時30分~17時00分、火曜日休館、大人300円です。ちなみに、町並みは「切妻妻入(きりづまつまいり)」になっています。神宮の御正殿が平入りのため、同じでは畏れ多いという理由だそうです。
Img_6034c 川に面して建つ酒類の商品蔵は、日常で使う雑貨、食品を中心とした販Img_6054c 売と展示をしています(こちらを参照)。ちょっとだけ覗いてきました。また、商家には大きな鬼瓦、飾り瓦があります。飾り瓦には「隅蓋」といわれる、切り妻の両端にあり、水が建物に入り込むのを防ぐ蓋の役割をするものがついています。右は、河崎商人館のものの1つ。火災から家を守るという祈りも込められているようです。
Img_6074c 川辺の蔵。かつては、川の両岸に川から直接荷物を運び入れることができる蔵が建ち並んでいたといいます。左の写真は、「川の駅」近くで撮ったもの。勢田川の左岸にあります。これも見たかった景色。
Img_6108c その後は、勢田川沿いを延々と歩きます(笑)。次の目的地である橘神社に行くまで、瀬田大橋を渡って2.5㎞。川沿いです。しかし、退屈はしません。川沿いで、カワウ、モズ、トビ、イソヒヨドリなどが登場してくれたからです。
 瀬田大橋を渡って、勢田川の右岸を歩き、4.5㎞地点。橘神社です。Img_6129c しかImg_6144c し、参加者の方、ほとんどここには見向きもしません。次の二軒茶屋餅・角屋本店が気になるのでしょう(笑)。御祭神は、橘諸兄(たちばなのもろえ)。橘諸兄は、敏達天皇の子孫で、天平9(730)年に大納言に抜擢された、いわば奈良時代の政治家。
Img_6122c 境内には、勝廣稲荷社もありました。倉稲魂神が御祭神。御鎮座は不明ですが、伊勢学園高校の敷地に鎮座していたものの、平成6(1994)年、ここに移転してきたそうです。
Img_6196c 次は、いよいよ「名物二軒茶屋餅で舌鼓」であります。5㎞直前、11時25Img_6193c 分。お腹は空いています(微笑)。二軒茶屋餅は、角屋本店の商品。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業されました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は、今はありません。
Img_6170c 今日の近鉄ハイキング参加者には、二軒茶屋餅を1つプImg_6174cc レゼントされます。二軒茶屋餅は、きな粉餅で、中にあんこが入っています。三重県内、東海道から伊勢街道(参宮街道)沿いは、「餅街道」なのです。ちなみに、まだ全部制覇はしていません。
Img_6158c 二軒茶屋餅角屋本店の敷地内には、明治天皇の記念碑があります。樹齢400余年の大楠の下に建っています。 この記念碑は、明治5(1872)年に明治天皇が海路より伊勢神宮に参拝した際、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立されたものです。
Img_6244c ちょっと飛びますが、倉田山公園。野球場のところに「野口みずき金メダルロード」の顕彰記念碑と、沢村栄治投手・西村幸生投手の胸像がありましたので、寄り道。野口Img_6250c みずき選手は、アテネオリンピックの女子マラソンで優勝しました。伊勢市出身で、県立宇治山田商業高校時代に実際にトレーニングで走ったコースを顕彰記念道路としています。沢村、西村ともに伊勢市出身の偉大なプロ野球選手。ともに太平洋戦争当時に、沢村投手は現読売巨人軍、西村投手は現阪神タイガースで、それぞれエースとして活躍したのですが、両選手とも戦争で命を落としています。
Img_6286c 倉田山公園野球場から3~400mのところに、松尾観音寺があります。山号は、龍池山。約1,300年前の奈良時代始め(712年)、当時の高僧・行基が伊勢神宮参拝の折、この松尾山に雄・雌の龍が住むと伝えられる池があることを知り、その池のほとりに自ら観音様を刻み寺を創建したと伝えられています。創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない“単立”という特異な形態の祈願寺です。ご本尊は、「十一面観世音菩薩」と脇仕の「地蔵菩薩」「毘沙門天」。龍神伝説に因んで、「災難除け」「縁結び」などに利益があるとされます。 龍池は、本堂裏(伊勢学園高校の南)にあります。「二つ池」と呼ばれ、東の池には雄龍、西の池には雌龍がそれぞれ住んでおり、観音様をお守りになっていると言われています。松尾観音寺に着いたのは、12時ちょうど。ここで6.4㎞ほど。
Img_6301c 境内には、松尾龍池社などいろいろなもなものがありました。まだこれかImg_6358c ら調べないといけませんので、それは本編にて。松尾観音寺から、皇學館大学、高校、中学などの脇を通って、倭姫宮へ向かいます。右は、皇學館大学の寮。門がかなり立派。
Img_6376c 倭姫宮へ入るところの交差点は、「倭姫前」。交差点のところには、「神宮Img_6380c 文庫」という看板がありました。よく分からなかったのですが、この奥には皇學館大学の神道博物館があるようです。交差点を渡って、倭姫宮への入口には、「古市へニ町」という道標が建っていました(道標好きです)。
Img_6391c 倭姫宮。内宮の別宮。御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)。伊勢神宮には内宮と外宮と合わせ別宮は14宮ありますが、そのうち創建が明確であるのはここ倭姫宮だけです。大正12(1923)年11月5日創建で、もっとも新しい別宮です。倭姫命は、第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられます。倭姫命は天照大神を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、祭祀や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったと伝えられます。その途中、桑名にも立ち寄られています。
Img_6413c こちらが、倭姫宮。伊勢神宮の別宮ですので、倭姫宮も遷宮が行われまImg_6415c す。最近では、平成26(2014)年12月10日に遷御の儀が執り行われました(こちらを参照)。
Img_6431c この倭姫宮のあたりは、「倭姫文化の森」として整備されています。神宮Img_6439c 徴古館(左の写真)、神宮農業館、神宮美術館など神宮に関わる博物館もすぐ近くにあります。時間的、体力的余裕があれば、是非とも立ち寄りたいところですが、12時半を過ぎていましたので、ここのいこいの広場で昼食&休憩としました。今日も桑名駅の駅ナカコンビニでゲットしてきました。選択肢があまりなかったのと、電車の時間が迫っていたので、「いなり&おむすびのミニセット」(税込み¥298)。
Img_6468c 13時に再スタート。倭姫前の交差点から再び御幸道路に出て、ゴールの五十鈴川駅へ。倭姫前の交差点からは、ほぼ直線で1㎞弱。左の大鳥居をくぐって、下り坂。帰りに下り坂は楽ちん(微笑)。ここの御幸道路にも石灯籠があったのですが、すべて撤去。風情はありましたが、昭和30(1955)年に設置したもので、管理責任も曖昧になっていましたから、撤去やむなしと思います。

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 ゴールの近鉄鳥羽線・五十鈴川駅。13時18分に到着。スタートからほぼ3時間半。9.6㎞を完歩。ここは初めて来ました。江戸橋の仕Img_6503c 事の時、五十鈴川行きの急行に乗ることがありましたが、その電車は、ここまで来ていたのです。 特急停車駅ですが、コンビニもありません。ただ、周りの景色はとてもよい感じ。右の写真で奥に見えているのは、朝熊山と思います。我が家からも天気がよければ、この朝熊山は見えます。
Img_6543c 昼の時間帯、ここから名古屋まで直通の急行は、1時間に1本。特急は、2本。急行が出るまで40分弱。たくさん歩いて疲れましたので、ちょっと贅沢をして、特急で帰ることにしました。桑名までの特急料金は\1,320、運賃は¥1,270。合計¥2,590という大枚をはたきました。13時49分発で、桑名着は14時59分。特急なら1時間あまりということでした。
Img_6530c 五十鈴川駅は、直線区間の途中にあります。何かで調べたら、「隠れたImg_6538c 電車撮影スポット」と書いてありました。素人考えですが、確かにそうかも知れません。
Img_6561c お陰様で、今日であみま倶楽部のスタンプは、目出度く20個を達成しました。12月まで、1年の会員期間がありますので、もうちょっと頑張ってみたいと思うのですが、次は40個スタンプを集めないと賞品がもらえません。これはさすがにキツそう(笑)。
 以上、今日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」の予告編でした。800枚以上の写真を整理し、あれこれ調べてまた本編を書くことにします。

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2018年10月 7日 (日)

木曽川でミサゴ、カモたち、長島でトラクター祭……オープンカー日和でした

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 近鉄ハイキング(豊臣秀吉ゆかりの豊国神社と金シャチ横丁をたずねて)に行こうか迷った末に、バードウォッチングを選択しました。明日は必ず行こうと思っていますが(路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓)、今日は9㎞、明日は8㎞ではちょっとと二の足を踏みました。ということで朝8時頃、こちらへ。木曽川の国道23号線木曽川大橋上流のあたり。
Img_7251c パッと見たところ、あまり鳥の姿が見えなかったのですが、カモたちはいましImg_7368c た。左の写真は、コガモのような気がします。右は、ヒドリガモと思えます。マガモや、ハシビロガモは、今日も見当たらず。
Img_5571c 木曽川大橋から上流へ3つの水制を見て回りましたが、ダイサギや、アオサImg_5586c ギもいて、一通りは見られました。
Img_7281c 水制にある灯標には、ミサゴの姿もありました。最初に見たときは、カワウImg_7284c かぁと思ってしまいました。まだ修行が足りません(苦笑)。飛び立った姿も見たのですが、なかなかピントが合った写真が撮れません。
Img_7332c そのしばらくあと、魚を鷲掴みにして飛んで行く様子も見えたのですが、距離があったのと、このときはあいにくの曇り空で、これまたクリアな写真にはなりませんでした。
Img_7264c 途中、木曽川の下流の方からカモたちが30羽以上飛んできたりしましたが、ミサゴの登場で逃げてしまったり、忙しいこと。
Img_5607c 木曽川に30分ほどいて、河口堰に移動中、長島町内でトラクター祭に遭Img_7416c 遇。ちょっと立ち寄って見てきました。コンバインで稲刈りをすると、稲わらが丸められ、金属製の網で覆われて出てくるようでした。水田にいる昆虫やカエルなどが追われて出てくるため、サギたちが集まっていると思います。
Img_7398c 小さくてわかりにくいのですが、こちらのサギさん、カエルらしきものを咥Img_5626c_2 えて飛んできました。稲わらのロールは、右の写真にあるような働くクルマでトラックに乗せられ、どこかへ運んで行っていました。
Img_5630c 9時前には河口堰に到着。天気はよくなってきましたが、今日は、鳥はあImg_5632c まりいません。それでも、東側の魚道観察室のところには、コサギがいました。西側に行って戻ってきてもまだいたら、また、魚道観察室からのコサギ撮影にチャレンジすることにします。
Img_5636c 東側には、このほかアオサギが1羽だけ。堰下流側の魚道あたりにはカImg_5670c ワウもいません。西側に行っても、閘門へのアプローチの下流側にダイサギが1羽のみ。他は、カワウが数羽。猛禽類はもちろん、アオサギもいません。遠く、揖斐川の右岸にアオサギとダイサギが1羽ずつ見えただけ。
Img_5681c 親水広場も静かでしたが、モズが1羽いました。先日清掃作業をしていたImg_5677c 水路は、ご覧のような状況で、ハクセキレイなどは見当たりません。鳥たちにとっては「新奇環境」。これでは寄って来ません。
Img_7474c 東側の魚道に戻ってきました。コサギはいたものの、前回と同じく、観察Img_5690c までの横の隙間に入り込んでいて、条件はよくありません。しかし、それでもチャレンジします(笑)。まぁ、右のような写真しか撮れません。
Img_5701c 前回の失敗に懲りて(うまくいえば、学習して)、カメラのバリアングルモニターを使い、小生の姿がなるべく見えないようにして撮ったのが、この写真。この位置にいられては、これが精一杯。
Img_5708c まだ時刻は、10時前でしたので、九Img_5716c 華公園にも立ち寄ることにしました。天気もよいので、久しぶりに愛車コペンをオープンにして走ることに。ぶっ飛ばしてはいませんが、今日のような日は、オープンカー日和です。右は、伊勢大橋の上で信号で止まったあと、スタートする直前の写真。
Img_5735c 九華公園到着は10時。知人多数にであい、11時半までImg_5731c いたうちの1時間くらいはおしゃべり(笑)。「桑名の東海道」のパネル、付録の「久波奈名所図会」の該当箇所を用いたものも追加していただき、これで完成。
Img_5298c 前管理人のOさん作の大型マップの上には、飾りとして、東海道五十三Img_5435c 次の宿場名が並べられました。桜の枝を加工して、「桑名宿」「七里の渡し」などが示されています。一つ一つに笠を被せてあるなど、細かい細工が施されています。これは、小生にはとても手に負えません。
Img_5726c 九華公園、少し時間が遅めでしたが、それでも何種類かの鳥を見られまImg_7497c した。モズは、相撲場の近くの樹上で鳴いていました。木のてっぺんを探したら見当たらず、焦りましたが、ちょっと低いところに。本丸跡では、シジュウカラが2羽。
Img_7505c そして、コサメビタキとおもわれるサメビタキの仲間(苦笑)。北門近くと、Img_7515c 扇橋近くとで見ましたが、同じ個体かと思っています。英語の名前であるflycatherの通り、時折飛び立っては虫を捕まえていました。
Img_5745c ということで7時半出発、11時半帰宅、3ヶ所を回って来ました。歩いたのは、合計で5キロほど。明日こそ、近鉄ハイキングに行こうと思っています。宇治山田駅出発で、「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」というもの。宇治山田駅は、大昔行った記憶がありますが、よく覚えていません(内宮さんに年越し参りに行ったことがあったのです。24歳の頃ですから、おおかた40年前)。レトロな駅舎が楽しみ。
【追記】
Img_5523c  しばらく前から、朝早くから我が家近くでイソヒヨドリが鳴いています。今朝、ようやくその姿を捉えられました。我が家の南にある4階建ての賃貸マンションのテレビアンテナにいるところ。一昨日(10/5)の記事(今日も天気はイマイチ……モズ、メジロ、サメビタキで、キンクロハジロとアオサギは不在)に載せたのと同じイソヒヨドリと思います。

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2018年9月25日 (火)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館

Img_2980c  9月22日に出かけたJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」の本編その1です(20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】)。この日は、朝方まで雨でしたが、8時過ぎには上がってきましたので、予定通り、出かけました。
Img_2991c JRさわやかウォーキングなのに、近鉄の切符を買っています。JRで桑名かImg_2994c ら津まで行くと¥920かかるのですが、近鉄ならご覧のように、¥690で済むからです(苦笑)。時間的には、JRの快速みえで30分あまりに対して、近鉄の急行では50分弱かかります(近鉄特急であれば、30分あまりですが、特急料金が¥900)。急ぐ訳ではありませんから、50分かかってもまったく問題はありません。ということで、桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車し、津駅に9時46分到着。
Img_3002c 津駅は、JR紀勢線と近鉄名古屋線が乗り入れています。桑名駅と同じく、Img_3010c JRは東口、近鉄は西口。スタート受付は、東口を出たところに設けられていました。津は県庁所在地ではありますが、人出は多くありません。近鉄四日市駅の方がよほど賑やか。東口には、駅ビルはチャム、北側にアスト津(ちなみに、明日都だそうです)というビルがあります。
Img_3004c_2 こちらがコースマップ。津駅をスタートして、宗宝院、三重県立博物館Img_3006c (MieMu、みえむ)、勝楽寺、下津醤油、一身田商店街、高田本山専修寺、一身田寺内町の館がゴール。コースマップ上は5.9㎞です。先着700名に「一身田商店街のすてきなプレゼント引換券」がプレゼントされるということで、見事ゲット。ウォーキングスタートは、10時。
20180922jrwalkingtsu1 実際に歩いたルートはこの地図の通り。こちらにキョリ測に描いたルート20180922jrwalkingtsu11 マップがあります。とくに寄り道、道草はしなかったものの、高田本山専修寺の中を歩き回ったりしましたので、JR紀勢線・一身田駅に着いたときには、7.5㎞を歩いていました。
Img_3012c 今日のコースは、津駅から見ると西側ですので、東西連絡の地下通路をImg_3013c 通って、駅西に出ます。西側が、上にも書きましたが、近鉄津駅。
Img_3014c 近鉄津駅(西口)から津駅西の交差点に向かいます。ここからは、キツくImg_3015c はないものの、上り坂。津駅西の交差点の向こうは、住宅街が広がり、三重県立美術館もあります。住宅街はたぶんけっこう高級。交差点の角には、津偕楽公園があります(右の写真)。津藩第11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)が安政6(1859)年につくった別荘「御山荘」(ござんそう)を起源としています。以前、小生はお城公園と区別が付いてませでした(笑)。昔、子どもたちが小さい頃、ここに保存されているD51蒸気機関車を見に行ったことがあったのに、です。この日の目的地の一つ、三重県立博物館は昔は、この公園の一角にありました。
Img_3019c 偕楽公園を見て右折し、県道10号線を歩きます。津駅あたりは標高4mImg_3020c ほどですが、この先、20mほどを上る(登る?)ことになります。こういうダラダラ坂、けっこうキツいのです。なので、黙々と登って行きます。このあたり、マンションなどがけっこう建っています。途中、ヒガンバナも咲いています。
Img_3022c 途中、歩道にはこんな道案内があったり、よく分からないモニュメントがImg_3023c あったり(笑)。地名でいうと、大谷町から上浜6丁目のあたり。
Img_3025c 上浜6丁目のバス停で1.1㎞ほど。バス停を過ぎてすぐにImg_3031c この日最初の目的地である宗宝院に向かうため、ひょうたん池のところを左折し、西へ。こういう池は、冬になるとカモたちがやって来そうです。
Img_3033c スタートから1.7㎞、けっこう蒸し暑い中、汗をかきながら最初の目的地でImg_3036c ある白龍山宗宝院に到着(10時20分)。曹洞宗のお寺。コースマップには、彼岸の行事で、本堂には入れないと書いてありましたが、扉は開いていましたので、ご本尊は拝めました。
Img_3042c ここ宗宝院は、慶長9(1604)年、当時の津藩主・富田信濃守信高の子Img_3039c 息・千代丸(享年12)の菩提を弔うため、現在の津市栄町(津駅の東南あたり)に建立されました。寺名の由来は、この千代丸の法名によります(宗宝院殿桂室芳公大禅定門)。その後、大正年間に白龍天山禅師によって法地開山されましたが、昭和20(1945)年7月の戦災で一切を焼失します。しかし、四世大鑑良雄大和尚によって再建が図られ、昭和45(1970)年には本堂も再建されました。
Img_3050c ところが、昭和60年代に入って、津市の都市計画事業がおこり、宗宝院Img_3053c もその計画の対象となったため、平成に入って移転再建が行われるに至りました。平成8(1996)年5月に一切の移転が完成しました。本殿の裏には、右の写真のような「安楽石(席)」がありました。静かに座ると、心が安まるそうですので、指示通り、静かに座ってみました。瞑想する(迷走ではありません)のに、なかなかよい感じでした。
Img_3061c 安楽石(席)の脇には、こちらのワンちゃんが控えておられました。「ジョImg_3056c ージュ」だそうです。今ようやく気づきましたが、「成就」なのでしょうね。お寺の守護犬だそうですが、なかなか徳のあるお顔のように見えました。修行のためではなく、健康維持のため、食物はお断りします、だそうです(微笑)。そういえば、見るからにふくよかです。
Img_3063c 宗宝院の墓地には、観音様と思われる石像がありました。コースマップImg_3065c では、宗宝院の裏手を進むように指示されています。「大丈夫か?」とちょっと不安になりつつ、右の写真のようなところを歩いて行きます。
Img_3067c しばらく行くと、この写真のような建物が見えてきました。これが、三重県総合博物館のようでした(ちなみに、これまで三重県立博物館と書いていましたが、正しくは、三重県総合博物館でした)。よかった、よかった。
Img_3070c 建物をグルッと回ってエントランス。スタートからほぼ2㎞、時刻は10時35Img_3072_5 分。ここはずっと以前から、一度は来てみたいと思っていたところ。愛称は、MieMu(みえむ)。前身の「三重県立博物館」は、昭和28(1953)年6月に開館。博物館の建物が耐震基準を満たさないため、平成19(2007)年10に閉鎖。平成26(2014)年4月に三重県総合文化センターの隣接地にこの新しい博物館が開館しました。
Img_3075c ここでまず見たかったのは、この「ミエゾウ」全身復元骨格。「ミエゾウ」Img_3083c は、その化石が三重県内で最初に発見されたことから、世界中で通用する正式な学名を「Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)」と名づけられた太古のゾウ。県内各所からも多数の化石が発見され、ここでも多くの化石資料が収蔵されています。これは、国内各地で発掘・保管されているミエゾウ化石の形態データを3次元スキャンで収集して制作した全身骨格復元標本。
Img_3080c 「ミエゾウ」の脇には、ミエゾウのものと推定される足跡化石のレプリカがImg_3081c 展示されています。これは、伊賀市から出土したもの。5本の指の形が分かり、それからゾウの足跡と判別されるそうです。当時日本にいたゾウはミエゾウだけであることから、ミエゾウの足跡と推定されています。
Img_3086c この日、もう一つみたいと思ったのは、「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」展です。この展覧会は、武四郎の生誕200年を記念したもの。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888))は、現在の三重県松阪市に生まれ、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者です。「北海道の名付け親」とよばれる武四郎の北海道踏査の軌跡や、幕末の志士・文人たちとの幅広い交友、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としての魅力が展示されています。11月11日まで。大人は¥800(この日は、ウォーキング参加者割引で¥700)。
20180922j1  松浦武四郎は16歳の江戸への一人旅をきっかけに、武四郎は諸国をめ20180922j ぐり、名所旧跡を訪ね、日本の百名山にも登ります。自らが見て、聞いたことを記録し、多くの資料を残しました。冒険家、探検家、地誌学者、作家、出版者と、いわばマルチ・タレントであり、知の巨人といえる人物です。記録は『初航蝦夷日誌』・『再航蝦夷日誌』・『三航蝦夷』などの日誌風の地誌や、『石狩日誌』・『唐太日誌』・『久摺日誌』・『後方羊蹄日誌』・『知床日誌』などの大衆的な旅行案内、蝦夷地の地図など多くの出版物になっています。堪能しました。
Img_3376c 基本展示も見て(この日は、あのあずきバーや、肉まん・あんまんの井村Img_3379c 屋グループのお陰で、無料開放されていました)、ミュージアム・ショップへ。博物館のグッズよりも、食べ物に目が向いてしまいました。というのも大好物の「関の戸」を売っていたのです。関宿(三重県亀山市)にて、江戸時代から14代続く「深川屋 陸奥大掾(ふかわや むつだいじょう)」がつくっています。「関の戸」は、赤小豆のこし餡をぎゅうひ餅で包み、阿波特産の「和三盆」をまぶした、一口大の餅菓子です。最近、これに亀山茶の分待つをまぶした「お茶の香 関の戸」もあるのですが、昔からある関の戸をお買い上げ(¥600)。さらに、井村屋の「煮小豆 ようかん」も気になっていたので、これも買ってきました。1本15gの食べきりサイズのミニようかんが7本入っています(¥291)。
Img_3097c ということで博物館を11時半まで楽しんできました。今日は、ここまで。次は、また県道10号線に戻って、一身田地内をひたすら歩きます。

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2018年9月22日 (土)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】

Img_3002c 朝方まで雨でしたが、8時過ぎには上がってきましたので、予定通り、JRさImg_3010c わやかウォーキングへ行ってきました。今日は、「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」です。JRさわやかウォーキングですので、JR紀勢線・津駅をスタート、宗宝院、三重県立博物館(MieMu)、勝楽寺、下津醤油、一身田商店街、高田本山専修寺、一身田寺内町の館がゴール。コースマップ上は5.9㎞です。本日はまだ実測ルートは描いていません。帰りは、JR紀勢線・一身田駅から津駅に戻り、家内の実家へ行ってきました。津駅スタートは、10時。

Img_3004c こちらが今日のマップ。一身田商店街、高田本山専修寺、一身田寺内町の館は、今年1月のお七夜の時から数えてたぶん5回目。しかし、お彼岸でもありますから、専修寺にもお参りしようということです。今日の小生の最大の目的は、県立博物館。現在、松浦武四郎の展覧会が行われていますし、ミエゾウ全身復元骨格が常設展示されています。これらが見たいと思ったのです。
Img_3033c 最初の立ち寄りスポットは、白龍山宗宝院という曹洞宗のお寺。慶長9(1604)年、当時の津城主・富田信孝の子息千代丸(享年12)の菩提を弔うため、現在の津市栄町に創建されたお寺。寺名は、千代丸の法名からとられたもの。戦災に遭い、一切を焼失。昭和45(1970)年に本格的な本堂も完成したものの、都市計画事業の対象となり、平成になってここ上浜町に移転してきました。
Img_3072c 宗宝院の裏手からすぐに、三重県立博物館(MieMU、みえむ)の敷地に続Img_3075c_2 いています。ここは前から一度来てみたかったところですが、ようやく念願が叶ったという次第。右は2回展示室のフロアにある「ミエゾウ」の復元骨格模型。まずはこれが見たかったのです。「ミエゾウ」とは、その化石が三重県内で最初に発見されたことから、世界中で通用する正式な学名を「Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)」と名づけられた太古のゾウです。
Img_3086c 松浦武四郎展は、その生誕200年を記念したもの。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888))は、現在の三重県松阪市に生まれ、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者です。「北海道の名付け親」とよばれる武四郎の北海道踏査の軌跡や、幕末の志士・文人たちとの幅広い交友、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としての魅力が展示されています。11月11日まで。大人は¥800(今日は、ウォーキング参加者割引で¥700)。博物館入り口までで2㎞。
Img_3145c 博物館を出て一身田の商店街や、高田本山専修寺へ行く途中、勝楽寺という真宗高田派のお寺にも立ち寄ります。お彼岸ですので、宗宝院も、ここも本堂の扉は開けていただいてあり、ご本尊を拝むことができました。勝楽寺でほぼ4㎞。
Img_3177c 一身田の寺内町に向かう前に若干東に回って、伊勢別街道を通って、下津醤油さんに立ち寄り。ここは、以前、近鉄ハイキングでも来ています。下津醤油で5.2㎞ほど。西に500mほど行くと、一身田寺内町に入っていきます。
Img_3194c 商店街は、何度か回りましたので、ゴールの一身田寺内町の館へ直行Img_3357c (笑)。JRさわやかウォーキングのキャッチフレーズは、「駅がスタート、駅がゴール」ですが、今日はゴールは駅ではありません。ここでさわやかウォーキングのスタンプ6個目をゲット。近鉄ハイキングに比べかなりのスローペースですが、桑名近郊ではなかなか行われないのです。
Img_3201c 寺内町の館は、高田本山専修寺のすぐ近く。12時半になって到着。左はImg_3279c 山門。国指定重要文化財です。御影堂と如来堂(いずれも昨年、国宝に指定)にお参りしたのち、家内の父親のお骨が収めてありますので、納骨堂にも行ってきました。これまでに見逃していた大玄関と対面所も見てきました。ここの境内で、失礼してお昼の弁当タイム。
Img_3291c JR紀勢線・一身田駅には13時20分着。伊勢鉄道・東一身田駅でもよかっImg_3294c たのですが、紀勢線で一身田駅から津駅は乗車したことがありませんでしたので、こちらへ。津駅までは、1駅で¥190。13時34分着とたった3分でちょっともの足らず。実測ルートはまだ描いていませんが、7㎞以上かと思います。
Img_3318c ここから家内の実家へ行きます。バスは、津駅が始発で、久居駅を経由Img_3323c します。迷ったのですが、久居駅まで近鉄で行き、バスに乗ることにしました。最終的には、15時前に実家到着。榊原温泉の湯で疲れを癒やしてきました(微笑)。
Img_3354c 実家から戻ったのが遅くなりましたので、写真やルートの整理がまだ十分できていません。予告編にしてもかなり端折っていますが、今日のところはこれくらいにて。いつものように、追々、本編を書くことにします。
【付記(9/23)】
20180922jrwalkingtsu1 実際に歩いたルートをキョリ測に描いた図です。建物や敷地内は、省略したところがあります。実測ルートで7.5㎞でした。キョリ測のデータは、こちらでご覧いただけます。高低差は、最高が27m。これは博物館内です。津駅を出てから博物館までは20m以上を登ったことになります。

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2018年9月19日 (水)

20180919夕景

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 最近、空や雲、夕焼けに目が向きます。自分ではとくにこれという理由は思Img_2958c いつきませんが……。今日の夕焼け写真です。18時頃の写真。名古屋での日の入り時刻は、17時55分。写真は、いずれもCanonのPowershot SX60 HSで撮っています。夕焼けですので当然、西の空ですが、左の写真は鈴鹿山脈釈迦ヶ岳の方角かと思います。右は龍ヶ岳かなと思っています。
Img_2959c 冒頭の写真と同じような方角を撮ったもの。雲が空高くまで続いていましたImg_2962c ので、縦のアングルで撮ってみました。右は、月の写真。同じく夕方6時前後。9月17日が上限の月、24日が十五夜です。

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2018年9月 7日 (金)

散髪のあと桑名市博物館で「山林王の蔵の中」を見る……説明の入れ違いを発見(微笑)【9/8の中日新聞記事の写真に写り込んでいました】

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 朝のテレビの天気予報では、雨が降ったり止んだりということでしたので、9時から散髪と、博物館へ行ってきました。しかし、午前中に時々ぱらついたくらいで、午後からは晴れ間も出て来ています。夕方、散歩に行ってこようと思っています。
20180810124437 散髪を終えて、10時から桑名市博物館へ。いつもの散歩コースにあります。今は、「山林王の蔵の中」という展覧会が行われています。9月24日まで。山林王というのは、桑名の諸戸家のこと。諸戸家は、戦国時代に一向宗門徒として、織田信長に抗した丹羽定直に発するといわれます。定直は織田軍との戦闘の際、城中の戸坂を集め、これによって矢や石を防ぎつつ縦横無尽の働きをしたため、証意上人(伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)の願証寺4世)より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、これが諸戸家の始まりとされています。
97023185  諸戸家はその後、郷里の西外面村(現三重県長島町)で、さらには自ら開墾した加路戸新田(現三重県木曽岬町)で代々庄屋を勤め、幕末に至りました。しかし、江戸時代末期、清九郎の代に塩の売買が不調に終わり、2,000両もの負債を抱えてしまいました。清九郎の長子、初代・清六は、一4b4ad1da 家で桑名に移住し、父の死後、文久3(1863)年、18歳の頃から米穀業を営み、わずか3年で負債を完済した上、田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主となったのです。明治39年、清六が死去すると諸戸家は次男・精太の血をひく西諸戸家と、二代目清六を襲名した四男・清吾の東諸戸家に分かれ、現在に至っています。現在、六華苑として公開されているのは、二代目清六が明治44年に着工し、大正2年に竣工した旧諸戸清六邸であり、諸戸氏庭園となっているのは、初代・清六が、桑名藩の御用商人であった山田彦左衛門が隠居所を購入し、その後、店を兼ねた本邸、御殿や洋館などを建てたもの。左の写真が六華苑の洋館(2017年8月31日撮影)、右が諸戸氏庭園のお庭(2017年9月30日撮影、修復工事現場見学会)。Img_1523_800x533
Img_2120  今回の「山林王の蔵の中」は、諸戸家の第3のお屋敷である諸戸徳成(とくなり)邸で使用された茶道具を中心に、新しく寄贈された諸戸家コレクションの展示会です。「徳成」は、人の名前ではなく、地名。この諸戸徳成邸は、二代目・清六が、大正末期~昭和初期に桑名市東方に建てた邸宅でした。「でした」というのは、ブログにも何度か書きましたが、現在は取り壊されて、跡地にマンションを建設中なのです(左の写真は、2015年5月17日に撮影)。
Img_1427_800x533 昨年4月29日に最後の公開を見て来ましたが(「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)、そのときには蔵も覗かせてもらえまImg_1523_800x533_2 した。左の写真は、大蔵。主屋からは北西の方向にあったもの。ここには、そのときまだ品物が納められていました。右の写真は、北蔵。敷地のもっとも北側にあり、コンクリート造りで2階建てでした。残念ながら、このときには、空っぽでした。
180907kuranonaka1 前置きが長くなりすぎました。出品リストは、これらの画像の通り。こちらにpdfファイルがあります。諸戸家の記録、諸戸清六と政財界の交友関係、蔵の中の逸品、 諸戸徳成邸の茶道具の4つのカテゴリーで、合計88180907kuranonaka2 点が出品されています。諸戸家の記録には、家系図や、木曽崎村旧邸之図などが含まれます。家系図には、上記の由来が記されています。政財界との交友関係では、品川弥二郎、岩崎小弥太、御木本幸吉、益田鈍翁、山県有朋、松方正義、岩槻礼次郎など明治時代の有名人との交流が窺える手紙など多数。蔵の中の逸品には、古萬古を始め、越前松平家が持っていた組物長盆など、また、茶道具は松尾流に関わる茶碗、茶会記(名古屋の揚輝荘で行われたもの)などなど。
 交友関係を示す中に、元桑名藩士で、戊辰戦争でも活躍し、のちに陸軍大将となった立見尚文からの葉書、書簡が展示されていました。実物と説明とを見比べていたら、どうも葉書の説明と、書簡の1つの説明とが入れ違っているように思えてなりませんでした。念のため、スタッフの方に確認したら、やはり入れ違っているということでした。こんなこともあるんですねぇ。

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 今回の特別展示、無銘の太刀ですが、村正作という伝承があるものでDscn0252c す。これだけ撮影可でした。梵字と素剣の彫り物があります。たなご腹の茎(なかご)が村正の特長だそうです。
Dscn0255c 梵字の部分をクローズアップ。説明によれば、「不動明王」と思われるそうです。
Dscn0260c 展覧会は、9月24日まで。月曜日休館、高校生以上は一人150円です。私見では、150円でこれだけ楽しめるなら、安いものです。
【付記(9/8)】
Dscn0279c 今朝、中日新聞北勢版を見ていたら、桑名市博物館の「山林王の蔵の中」展覧会の紹介記事が載っていました。そこにある写真に目が点! 確かに昨日、新聞記者の方が取材しておられました。2階の展示室で出展されたものを見ている時、写真を何枚か撮影なさっていたのですが、まさか自分が写り込んでいるとは(笑)。記事中、左上の展示ケースを覗き込んでいるのは、小生であります。以前、メ~テレの番組で、VTRに登場してしまったこともありますが(2013年4月27日:すし清で大長藤とアゲハチョウ、桑名別院のアヤメそして恐れていたとおり……)、不覚でした(苦笑)。

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2018年8月26日 (日)

20180826満月&ナガシマスパーランドの花火

Img_1182c

 夜になっても気温は下がらず、夜9時前になっても30℃。ですが、今日は満月。超望遠コンデジで手持ち撮影。ズームは247mm、ISO感度400、F値8.0、シャッタースピード1/800秒、露出補正なし。
Img_3881c そしてまたもや、ナガシマスパーランドの花火。いつもの撮影条件でしたImg_3885c が、ズームリングを回すと、ピントが微妙にずれてしまい、ピンぼけ写真を量産してしまいました(苦笑)。
Img_3896c 左はフィナーレの一部。フィナーレのようにたくさん打ち上がるシーンは、やImg_3897c はり難しい。どうしても欲張ってしまい、露光時間を長目にしてしまいます。右は、遊園地のスチールドラゴンを入れて撮って見ました。我が家のベランダからは、このように見えています。ナガシマスパーランドの花火、また来週末にチャレンジ&練習。

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2018年8月18日 (土)

河口堰にてひらいさんと遭遇……カワセミ2羽、ミサゴ、イソヒヨドリと成果あり(微笑)

Img_0382c

 昨日よりも涼しくなっています。最低気温は19.9℃、最高気温は29.2℃。ほんの2~3日前までであれば、信じられないような涼しさ。今日は、長良川河口堰へ行くことにして、8時出発、8時10分着。冒頭の写真のように、我が家の玄関先からもよく見えます(中央、左)。堤防の道路から伊勢大橋を渡って行きます。
Img_2707c 河口堰に着いて、東側(長良川左岸)の魚道あたりを見ていたら、ブロ友のImg_2708c ひらいさんが登場。お目にかかるのはずいぶん久しぶり。このあと、管理橋を渡って西側へ行き、さらに親水広場を一周して戻るまでご一緒させていただきました。河口堰の東では、いつものところにアオサギ、そして、魚道観察室のところにコサギ。
Img_2710c 下流側を見ていたひらいさんが、「カワセミが居ます!」と。慌てて移動して見ると、カワセミが2羽。ひらいさん、幸運を運んできてくださったようです(微笑)。管理橋の上からは、数10mの距離のところにいます。
Img_2723c カワセミは魚道へダイビングして餌をとってきていました。距離がありますのImg_2724c で、クリアに撮れなかったのは残念です。証拠にもならない証拠写真(苦笑)。
Img_0395c こちらは超望遠コンデジ画像。これもまた、粗くて、本来ならとても載せられない写真ですが……。透明なものを咥えていますから、エビか何かかという気がします。
Img_0411c 河口堰の西側へ。下流側の閘門へのアプローチには、アオサギ2羽と、Img_2754c コサギ2羽。上流側には、ダイサギ3羽。左の写真は、下流側にいたアオサギ、右は上流側にいたダイサギ2羽。
Img_2761c と、ここでまたもやラッキーな出来事。揖斐長良川の中洲の切れ目にあImg_2760c るオレンジの柱にミサゴが。それも2羽も。そのうち1羽は、何かを食べている模様(右の写真)。親水広場も1周してきましたが、今日はハクセキレイが数羽。イソシギは見当たらず。
Img_0475c 東側に戻ってくると、吹き流し(アユのぼりの代わり)近くに居るアオサギは、何をしているのか不明ではあったのですが、写真のようにぺたんと座り込んでいました。いつものアオサギさんに違いありません。
Img_0387c 魚道観察室の前には、まだコサギが1羽居ましたので、魚道観察室からImg_2785c の撮影に挑戦することにしました。しかし、このコサギが居るところは、入り口に最も近い窓の真ん前。予想はしたものの、魚道観察室の遮光カーテンを開けるか開けないかの瞬間に逃げられました(苦笑)。それでも、魚道観察室の向かいの堤防上に逃げたので、右のようなショットが撮れました。
Img_2794c そっと魚道観察室の窓に近づいて、ようやくこれくらいのショット。ほぼ目の前で撮れましたから、今日のところはこれで良しとせざるを得ません。
Img_2805c その後、4枚前の写真でぺたんと座り込んでいたアオサギが見えないかと、回ってみたのですが、覗き込むやいなや逃げられました。ホントにアオサギさんは、神経質。写真を撮るだけですから、もう少しフレンドリーにしてくれないかといつも思います。ここでひらいさんとはお別れ。
Img_2826c 小生はもう一度、管理橋に上がって東側の魚道を確認することにしました。すると、目の前をドバトくらいの大きさの鳥が。とにかくシャッターを押したら、イソヒヨドリのオスが飛んで行くのが写っていました。
Img_0489c さらに、魚道の下流側には、カワセミの鳥影がみえました。そこで、管理Img_0498c 橋から降りて近くで待つことに。右の写真のところです。右端の堤防あたりに30分の間に3回、カワセミが出て来たのですが、どうも視線を外して戻したときとかに出て来ます。タイミングの悪いこと。3回目は、ここから東のアクアプラザながらの方に飛び去ってしまいました。
Img_2886c 9時半から10時頃までカワセミを待っていたのですが、その間、河口堰の下流側にミサゴの姿が見られました。300m以上先です。ダイビングするのも見えたのですが、あまりにも遠すぎました。
Img_0466c 河口堰での余談。塗装工事が行われており、その関係で吹き流しが設置されています。前回も見たのですが、あまり気にしませんでした。よく見たら、吹き流しの角度でおおよその風速が分かるとありました。このくらいの傾きですと、風速は3~5m/sだそうですが、けっこう強い風。ちなみに、管理橋上の通路、幅は数mですが、下流側と上流側では風の強さや向きが違うように思います。
Img_2853c もう一つ。先日、ナガシマスパーランドのホワイトサイクロンの解体工事が見えないかと市民プールの東から眺めた話を書きましたが(8月14日:久しぶりにギンヤンマ……散歩友達の傑作な会話)、河口堰からの方がよく見えました(ひらいさんのご教示によります)。こちらのナガシマスパーランドのサイトに説明がありますが、来春、木と鋼鉄を融合させた日本初のハイブリッドコースターが登場予定だそうです。
Img_2913c このあと、先日に引き続いて、上之輪新田へ。近鉄の「つどい」に再チャImg_2908c レンジ。今日は天気もよく、まあまあの写真が撮れたかと思います。しかし、この「つどい」、けっこう空いているようでした。もったいない。9月2日までの運行ですが、これは乗ってみた方がよいか?? 上之輪新田では、小生の他にも撮影に来ている方がありました。
Img_2942c  帰り支度をしているとき、JR関西線の線路を1両だけのジーゼルカーが名古屋方面に走っていきました。どなたかのブログでこの列車のことを読んだ記憶があるのですが、思い出せません。検索しても、うまく見つけられません。伊勢鉄道の車両とは違うように思います。などとどなたかご教示くださるのを期待しています m(_ _)m

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2018年8月17日 (金)

今朝は22.7℃……九華公園でアオサギとコゲラ

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 今朝は、5時前に22.7℃だったようです。一気に涼しいというか、寒いくらいImg_2617c になりました。最高気温も31.8℃。昼間もエアコンなしで十分。左の写真は、15時過ぎの南西の空。秋の雲という感じ。右は、朝の揖斐川。北の風が4~5m/sで、珍しく白波が立っています。
Img_0303c 散歩は8時スタート。住吉神社、九華公園から貝塚公園に回り、吉津屋町、京町、寺町と5.7㎞。涼しかったので貝塚公園にも行ってきました。あちこちでしゃべっていたので、帰宅は11時(微笑)。九華公園の管理事務所では1時間近くも話し込んでいました。
Img_2623c 涼しかったものの、強風で九華公園に行くまで、わずかなスズメとムクドリをImg_2631c 見たくらいでしたが、鎮国守国神社の社務所裏にはアオサギが1羽いました。素知らぬ顔をして佇んでいる、といういつものパターン。九華公園では、スズメ、ムクドリが多数。朝日丸跡に行ってようやくハクセキレイ1羽。
Img_0323c 九華公園を半周して、いつものように鎮国守国神社、九華招魂社、稲荷社Img_0333c にお参り。日当たりでは少し暑いくらいでしたが、日陰は涼しいこと。公園に隣接した市民プール、いつぞや書いたように、今年は子どもたちの歓声があまり聞こえて来ません。
Img_2654c 公園を半周してからもう一度アオサギを確認。アオサギを見ていたら、近くの木にコゲラが出て来ました。猛暑の間も時々鳴き声がしていました。夏も九華公園にいるということでしょう。シジュウカラも来ていました(写真はありません)。シジュウカラも夏の間、九華公園あたりにいるようです。
Img_2678c 公園の外周遊歩道の南では、ハクセキレイの幼鳥。いつもこのあたりにいる個体と思えます。もう独り立ちしたのでしょうか。ちょっと気になるところ。
Img_2686c 貝塚公園では、クマゼミの鳴き声ばかりで鳥はいません。しかし、遊歩道でこんな光景を見つけました。枯れ葉が直立していたのです。誰かが立てたのでなければ、風のいたずらか(微笑)。それにしてもよくできています。
Img_0341c 帰り道、寺町商店街を通ってきました。お盆も終わり、商店街は静か。いImg_0344c つもは通過するだけであまり写真は撮ってきませんが、たまにはということで何枚か。右は、寺町堀からの入り口にある看板。向かって左はあの「うなぎや」。いつもながら、良い匂いがしてきます。
Img_0345c こちらはあるお店で売っていた人形。福助人形でしょう。正座をした男性Img_0347c で、大きな頭とちょんまげが特徴。幸福を招くとされる縁起人形ですが、今時、買って行く方はあるのでしょうか? ¥6400という値段がついています。
Img_0354c 午後からは、来週の教研研究大会の資料読みの続き。レポート4編を読

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んで、コメントをしなければなりません。が、それぞれの世界でレポートの書き方などに独特の流儀があり、なかなか慣れません。「読み解く」作業が必要ですし、この流儀に配慮した上でコメントを考えようと思うと、なかなか難しい。白熊アイスを食べてアタマをクールダウンしながら、ボチボチと進めています。左の写真は、ナガシマスパーランドへ行く三重交通のアンパンマンバス。

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