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2018年8月12日 (日)

河口堰から上之輪新田へ……カワセミ、オオタカ(?)、イソシギに近鉄「つどい」

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 お盆の頃から長良川河口堰あたりには野鳥が戻ってきますから、今日は、Img_9803c 河口堰へ。8時35分に到着。着いた頃は天気はよかったものの、次へ行こうと思ったら雨。帰宅しようと伊勢大橋を渡っていたら、雨が止んできたので、上之輪新田に寄って来ました。
Img_1918c 今日は何といってもこちらから。カワセミ嬢。河口堰西側の魚道の上流側に登場。カワセミを見るのも久しぶりですし、河口堰でカワセミを見たのもいつ以来かというほど。このあと、いったんダイビングしてすぐ下流の堤防に上がりましたが、獲物はなし。その後、下流方向に飛び去り、見失いました。
Img_1874c もう一つは、こちら。ダイサギがヘンな格好をして飛んでいたり、アオサギがImg_1875c 慌てて飛び出してきたり。サギがこんな風に飛んでいるのは初めて見ました。状況がよく飲み込めませんでした。
Img_1876c 証拠にもならない証拠写真で恐縮ですが、オオタカらしき鳥が出て来たからImg_1884c のようでした。オオタカであれば、オスはスズメなど小型の小鳥からハト大あたり、メスはムクドリ大からカラス大までの鳥を捕らえて餌にするそうですから、サギは大丈夫と思うのですが、大騒ぎ。場所は、河口堰管理橋の西端、すぐ南にある林あたり。右の写真では、オオタカらしき鳥は、木の中へ止まろうとしています。先日見たときも、このあたりから出て来ています。
Img_1751c さて、話を戻して順番に。アユのぼりの近くには、先日と同じ所にアオサImg_1753c ギが1羽。根拠はないものの、同じアオサギのような気がします。前回同様、ペタンと座り込む姿も見られました。管理橋を渡る途中、スズメ。嘴の端っこに黄色いところが残りますから、今年生まれかと思います。
Img_1818c 河口堰西側、閘門へのアプローチには、コサギ1羽、ダイサギ2羽。さらにImg_9821c下流の先端にアオサギが1羽。このあと、この閘門へのアプローチ脇には、アオサギやらダイサギやらがやって来たり、飛び立ったり。入れ替わりが激しく、トータルの数は不明。
Img_1846c_2 閘門の上流側にも、アオサギとダイサギが3羽。右の写真のアオサギ

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は、魚道の下流側にいたもの。いやぁ、予想通り、サギたちが戻ってきています。このあと、カワセミを見つけ、さらにはオオタカらしき鳥の騒ぎが勃発したのです。
Img_1947c 親水広場の方へ降りていきます。水路には、イソシギやハクセキレイのImg_1960c 姿。イソシギはこのほかも含め少なくとも2羽。ハクセキレイは6羽以上が見られました。
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 イソシギさん、水路の中を移動しながら、エサ探しのようで、珍しくすぐにImg_9865c は逃げませんでした。左の写真で、イソシギの後ろに点々とついているのは、足跡。
Img_2011c 水路の北の端では、カニが大集合。ベンケイガニの仲間たちように思います。
Img_1991c 親水広場では、スズメやキジバトの他にも、カワラヒワ多Img_1986c 数や、シジュウカラの姿も見られました。
Img_1785c このほか、河口堰西側の閘門へのアプローチ脇では、ダイサギが飛んでImg_1789c きて、降り立つ姿が何度か見られました。鳥、とくに大型のサギのこういう姿には、けっこう美しいものがあります。
Img_9838c 河口堰での余談。現在、管理橋などで塗装工事が行われています。先だって来たときにも驚かされたのですが、センサーで人などが通ると「工事中です。気をつけてお通り下さい」というアナウンスが流れます。何度通ってもビックリします。
Img_2067c 河口堰から上之輪新田へ。予定外でしたが、雨が止んできたので立ち寄Img_2103c って来ました。サギがいるかも知れないと思ったからですが、案の定でした。水田地帯の道沿いにたくさんダイサギや、アオサギの姿が見られました。
Img_2079c ここは、大山田川の北。上之輪神社の裏手。東は揖斐川、北から西は、Img_2096c_2 JR関西線と近鉄名古屋線に囲まれているところ。稲はかなり生長し、稲穂もたくさんついてきていて、頭を垂れ始めていました。ここでは珍しい光景。ダイサギがカラスを追いかけているようなシーンを目撃(右の写真)。
Img_2118c ここでさらに予定外に、俄撮り鉄(苦笑)。そういえば、近鉄の「つどい」がImg_2132c たぶん10時過ぎに来るはずと思いだしたのです。近鉄名古屋を10時6分発、四日市に10時45分着でした。急に思い出したので、ロケーションがあまりよくありませんでしたが、一応これで「つどい」写真をゲット。
Img_2149c 9月2日までの毎週土日と、お盆期間(8/13~15)に運行するといいますから、再チャレンジすることにしましょう。

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2018年8月10日 (金)

九華公園にアオサギ……なばなの里で熱帯スイレンと押し寿司

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 夏のようなそうではないような空。朝8時頃、蟠龍櫓あたりから見た南の空。Img_1628c 今日も7時40分出発で散歩。昨日と同じく、住吉神社、九華公園、京町、寺町と4.7㎞。朝は蒸し暑い感じでした。最高気温は、34.1℃。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が2隻。貝を捕っていると思います。
Img_1635c 8時に九華公園に着くと同時に、北西の方からアオサギが1羽飛来。鎮国守Img_1650c 国神社の社務所裏の木に降り立ちました。すぐに最初に降りたところから移動して、木の奥へ。のど元をブルブルしていましたので、暑いのでしょう。
Img_1641c どこに移動したかというと、こちら。日差しをうまく避けています。いつもなら、向かってもう1本右の木の枝にいることが多いのです。このアオサギさん、8時50分になったら、南の方へ飛び去っていきました。
Img_1658c アオサギを見ていたら、小生に向かってクマゼミが飛んできたのですが、何Img_1663c がどうなったかよく分からないまま、堀に落ちました。この写真、クマゼミが泳いでいるシーンではありません。おぼれているといってよいのかどうかわかりませんが……。このあと、静かになって堀に浮いていたのですが、ミドリガメが近づいてきて、パクリ。水中に引き込んで行きましたので、たぶん食べられたのでしょう。
Img_1645c というつまらないことを書くくらい、九華公園では変わったこともありませんでした。ただただ暑いだけです(苦笑)。暑い生なのか何なのかよく分かりませんが、カメの甲羅干しスロープは閑散としています。カメにとって、甲羅干しは必須の行動のはずなのに、です。ということで、今日もまた2時間ほどで帰宅。
Dscn7402c 帰宅してシャワーを浴び、再び外出。今日は、こちらへ。なばなの里にある花市場へ。昨日新聞に折り込まれていた広告に「熱帯スイレン」の特売があると書いてあったのです。熱帯スイレンといえば、4月23日に津の松菱百貨店で、「このままスイレン栽培セット(ロイヤルパープル)」を買ってきたのですが(またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編)20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その1)……津新町駅界隈、松菱百貨店、藤堂家墓所の寒松院)、葉っぱは出て来てもつぼみはまったく見られないでいました(実は、植えるのをちょっと焦ったのです)。
Dscn7406c ¥980なり。熱帯スイレンであります。栽培キットと同じく赤塚植物園製。「ミニミニロク」とあります。4号鉢。秋まで咲き続け、一鉢で30~50輪くらいの花がつくそうです。花は朝開いて、夕方には閉じます。3日間開閉を繰り返した後水没して終わりといいます。半日日が当たれば、何もしなくてよいというのが、小生のような素人にはありがたい。
Dscn7409c ついでに、こちらも買ってきました。箱寿司(押し寿司)。桑名市長島町の郷土料理ということですが、小生の生まれ故郷でも祭りの時などによく作ってもらいました。なばなの里で買えるのですが、人気商品で午前中には売り切れ必至。¥500。見つけると欲しくなります。

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2018年7月10日 (火)

アンパンマンバスに乗って「東海道旧蹟撮影」へ

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 午後1時過ぎに32℃を超えました。梅雨明け、猛暑とお約束の通り(苦笑)。冒頭の写真のように、バス停におります。この間から時々書いていますように、九華公園の次の展示パネルの準備中。「桑名の東海道(仮称)」です。パワーポイントでパネル原稿をつくっているのですが、写真を撮り忘れていたり、どうも今ひとつという写真しかなかったりということが起きてきます。そこで、今日は、七曲見附跡と蟠龍櫓の再撮影。バスに乗って出かけ、その後は歩いてこようという算段。
Img_8940c 寺町商店街近くの寺町バス停から長島温泉行きのバスに乗車。このルーImg_7978c ト、ご覧のように「アンパンマンバス」が走っています。なぜかというと、ナガシマスパーランドに「名古屋アンパンマンこどもミュージアム&パーク」があるからです。このバス、よく見かけていましたが、乗車は初めて。もっとも内部は、ごく普通のバスでした(笑)。
Img_7980c 寺町バス停を8時38分に発車。5分で目的地の萱町バス停に到着。¥180。Img_7983c たかだか1.4㎞ほど(苦笑)。歩いてももちろんいけますが、この暑さの中、全行程を歩くのは大変と思ってのことです。目的地の七曲見附跡は、旧東海道にあった桑名藩の見附跡。今は、日進小学校と、道路を挟んだ消防団の車庫のあたりにありました(右の写真)。ここも枡形になっていたのですが、今はありません。右の写真で、向かって右手奥から来て、写真からは外れますが、左の方で奥に曲がるルートになっていました。
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 東海道上に七曲門(または釘貫門)があり、桑名城下南端の見附。この名前は、七里の渡しから7度曲がったところにあるからといいます。小学校の敷地内に左の写真のような案内板があります。7月3日に市内の東海道を歩いた記事は、7月4日のブログに載せました(桑名市内旧東海道を歩く(その2)……天武天皇社から十念寺まで【七曲見附跡などについて追記しました(7/5)】)。
Img_7999c  ここから九華公園まで歩いたのですが、その前に一ヶ所立ち寄り。日進Img_7998c 小学校のすぐ北に日蓮宗自栄山顕本寺があります。もとは天台宗で、大泉寺といい、三の丸付近にありました。永正6(1509)年、日蓮宗に改宗。慶長の町割の際、現在地へ移転。
Img_8001c 今回の「桑名の東海道」には載せませんが、ここは檀家に桑名藩士が多く、桑名藩ゆかりの人Img_8002c 物のお墓があるのです。中でも、吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されています。今まで見たことがありませんでしたので、今日、立ち寄って来ました。
Img_8022c まずは、水谷九左衛門光勝(みつかつ)の墓(市指定文化財)。左の写真で向かって右がそれです。水谷光勝は、伊勢塩浜あたりの出身と推測されています。徳川家康最大の難とされた、本能寺の変の際の「神君伊賀越え」の折、伊勢から三河への渡海の案内をしました。その後、四日市代官、名古屋城築の作業奉行、山田奉行などを歴任しています。
Img_8009c  もう一基、市指定文化財になっているのは吉村権左衛門宣充(よしむらごんざえもんのぶみつ)の墓。宣充は福島正則に仕えて、多くの戦功を挙げたものの、福島家が取り潰され、浪人となってしまいました。あちこちの大名からの誘いがあったのですが、彼は一万石を要求したので、なかなか引き受ける大名はありませんでした。桑名藩主となった松平定綱は彼を寛永20(1643)年に、名目五千石、実質一万石で招きました。 その後の吉村家は本家、分家の二家系とも松平家の家老として代々勤めたのです。宣充は慶安3(1650)年に没し、ここ顕本寺に葬られました。
 さらに、これは桑名の方でもあまりご存じないと思うのですが、服部半蔵の墓も、顕本寺にあります。「半蔵」は、服部半蔵家の歴代当主の通称の名乗りです。2代の服部半蔵正成は、上述の神君伊賀越えの際、家康を助けた功で伊賀忍者を束ねることとなり、晩年は大名格の一万石を与えられました。
 その二人の息子が桑名藩に関係したのです。兄正就は父と同じ石見守を名乗り、桑名藩主・松平定勝公の娘・松尾を妻としました。仔細あって改易を申し付けられ、伊賀同心の支配の役目を解かれ岳父である松平定勝の元で蟄居となっています。
 弟正重は、兄の後を継いで服部半蔵を襲名し、徳川秀忠の小姓や家康の近侍、佐渡金山同心を務めました。のちに改易となり、その後、桑名藩主・松平定綱公に年寄の身分で召し抱えられ、二千石を得ました。これによって桑名藩の家老として服部半蔵家が存続したのです(大服部家)。
 なお、正就の系統は、上述のような血統から藩主一族の扱いを受け、重臣たちが住まう丸の内にひときわ大きな屋敷を与えられるなど、服部半蔵家以上に優遇されました(小服部家)。
Img_8015c  顕本寺には、服部半蔵を名乗り、家老となった系統の服部家の墓があります。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義です。
Img_8043c 九華公園には9時20分過ぎに到着。思ったより早く着きました。大雨の影Img_8041c 響で揖斐川の水が濁っており、堀に導水できない状態が続いています。そのため、堀の水位はかなり低下。右の写真のように、露出した岩にカメたちが乗って甲羅干し(いつもの甲羅干しスロープは、水面から10cm以上高い位置になってしまい、登れません)。
Img_8050c 九華公園内はいつものように一回り。この暑さなのに、散歩友達の高齢者の皆さん、元気に歩きに来ていらっしゃいます。蟠龍櫓に立ち寄って撮影。いつもは西側(三の丸公園側)から撮ってしまい、このような揖斐川の方からの写真(左のもの)は、あまり撮りません。こちら側の屋根に「蟠龍」が乗っています(写真中央あたり)。「蟠龍」は、天に昇る前のうずくまった状態の龍のこと。龍は水を司る聖獣ですから、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。
Img_8950c ということで、我が家から寺町バス停までと、萱町バス停から我が家までとをあわせて5.3㎞の散歩でした。アブラゼミの声が賑やかになって来て、いかにも夏を思わせます。時節柄、皆様にはご自愛ください。

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2018年7月 7日 (土)

久しぶりに散歩に……博物館にもツバメの巣!

Img_7741c 朝早い時間は、晴れ間も出ていましたが、8時過ぎにはこんな空。午前中は何とか降らないで済むだろうと思って、火曜日以来の散歩に行ってきました。途中、2~3度少し降られましたが、大したことはありませんでした。住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.9㎞。まぁまぁの距離でした。

Img_8560c2 大雨が続いています。被害もたくさん出ており、お見舞い申し上げます。明日くらいまではこの天候が続くということですから、気をつけなくてはなりません。写真は、散歩に出るときに撮った揖斐川から長良川、長良川河口堰の写真。上流部の岐阜県でも大雨のため、水量がかなり増えていますし、水が濁っています。河口堰のゲートは、水量が多いため全開。
Img_7772c 九華公園は、7月2日(月)以来。ほとんど変わりなしでしたが、あのカルガモImg_8580c さんたち、2羽いたうちの1羽は、やはり姿が見られなくなっています。管理人さんにうかがっても、シルバー人材センターの方に聞いても、同じことをおっしゃいます。ハイブリッドの、大きい方がいなくなったのです。もう1ヶ月くらいになります。
Img_7765c 峰崎部屋の朝稽古。今日は親方は不在。力士たちは、いつも通りに稽古をImg_7769c 重ねています。雨に降られると嫌でしたので、今日は早々に次へ。右の写真、股割をしている力士。長年稽古を積むと、このようにほぼ180度の開脚ができるものなのですね。
Img_8571c 野鳥は少ないものの、ゼロではありませんでした。ハクセキレイは、三の丸Img_8576c 水門にて。シジュウカラは九華公園で。シジュウカラは公園内の何カ所かで見られます。
Img_7775c さて、ツバメの巣ですが、7月3日に市内の東海道を歩いたときに博物館Img_8610c の軒先にもあるのを見つけました。いつもは、北側から博物館に行きますし、この北にある京町交差点を通りますので、まったく気づきませんでした。まさに盲点(苦笑)。左の写真で左手が北で、京町交差点。ヒナは2羽。もう巣立ちそうな感じです。
Img_8597c こちらは、京町の呉服屋さんにある巣。2ヶ所あるうちの奥の方。3羽のヒナがいますが、親が来ないときは隠れている感じ。見ているときに親がやって来ると、エサを与えた後、警戒音を発し、隠れるよう促しています。カラスなどに襲われないようにするためでしょう。
Img_8620c 田町の商店の巣。先日見たとき、かなり大きくなっていましたので(7月 2

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日:午前中は散歩の傍ら、またもや朝稽古見学……午後は市民大学講座へ)、もう巣立ったかも知れないと思ったのですが、まだまだ巣にいました。
Img_8640c こちらは、商店近くの別の巣。ヒナは3羽います。まだ孵って間もないようで、目が開いていません。まだまだツバメのヒナで楽しめます。
Img_7735c ところで、拙宅隣の諸戸氏庭園。修復工事が進んでいまImg_7789c_2 す。現在は、主屋を半解体修理中。諸戸氏庭園のFacebookによれば、そろそろ揚屋を行い、地盤を改良し、また下すのだそうです。9月頃には工事見学会も予定しているそうです。今度こそ見てみたいものです。

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2018年7月 4日 (水)

桑名市内旧東海道を歩く(その2)……天武天皇社から十念寺まで【七曲見附跡などについて追記しました(7/5)】

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 夕方近くになって晴れ間も出て来たのですが、今日は水曜日。そうなのです、江戸橋方面のお仕事の日。朝の通勤電車、鈴鹿あたりまでは曇りだったのに、津市内に入る頃から雨が降り始めました。駅に着く頃には本降り(苦笑)。非常勤先について、授業を始める頃には小降りになって、その後はそのまま。行いが悪いのか、運が悪いのか、ジンクスは活きております(爆)。授業は、2科目ともつつがなく終了。レポートも返却。レギュラー科目は、残り3回となりました。
1c  さて、昨日の「桑名市内旧東海道を歩く」の続きです。町屋橋をスタートしたのが、9時25分頃。一目連神社は、左のマップでは、87ページ(左側のページ)のほぼ中央にあります。ここに着いたのが、10時40分頃。町屋橋からは2.1㎞ほど。2㎞あまりで1時間以上かかっていますが、写真を撮りつつ、ウロウロしつつですから思いの外、時間がかかりました。
Img_8293c 続いては、天武天皇社。御祭神は、天武天皇、持統天皇、高市皇子(天武Img_8296c 天皇の子)です。天武天皇を主祭神として祀っている神社は、全国で唯一です。大海人皇子(のちの天武天皇)が壬申の乱(672年)のときに、桑名郡家に駐泊されたことにちなみ、のちに創建された神社です。鳥居の脇に立つ石柱には「天武天皇御𦾔跡」と刻まれています。これは、幕末の桑名藩主・松平定敬公によるもの。
Img_8300c 由緒書きには、明治天皇が御東幸の際、この天武天皇社のことをお聞きになり、明治2(1869)年2月に次のような沙汰をなさったと書いてあります:天武天皇社は御旧蹟であるので、永世湮滅(いんめつ)なきよう藩において取り扱う旨、御沙汰候こと。「行政官」の名前になっていますが、この「行政官」は、慶応4 (1868) 年閏4月に定められた「七官」中の一つで、いくつかの官からなり、政府行政の中心機関でした。明治2 (1869) 年の官制改革で、太政官と改められています。
Img_8305c こちらは拝殿なのですが、賽銭箱に菊の御紋章が付いているのが目立Img_8307c ちます。まだ新しい賽銭箱ですので、比較的最近設置されたものでしょう。以前にも何度か訪れていますが、賽銭箱に菊の御紋章があったのには気づきませんでした。
Img_8304c 気になったのは、拝殿前にある鳥居。笠木や島木がなく、柱と貫だけです。壊れているのか?とも思ったのですが、柱のてっぺんには照明が付いていたりして、よく分かりません。天武天皇社は、春日神社(桑名宗社)の宮司さんが兼務していらっしゃるようですから、機会があればうかがってみたいものです。境内には、稲荷社と、もう一つお社がありました。神社検索(三重)のサイトによれば、火産霊神(ホムスビノカミ)を祀っているそうですから、そのお社かという気がします。
Img_8325c 天武天皇社の先には、廣瀬鋳物工場跡があります。桑名藩初代藩主・本多忠勝公が、城の建設などのため、鋳物師を桑名に招いたのですが、廣瀬氏もその一人で、ここに土地を与えられました。このため、この付近は「鍋屋町」と呼ばれています。文政9(1826)年には、シーボルトがここを通った際に工場を見学したといいます。戦災後、工場は移転し、現在は個人のお宅となっています。
 と、ここまで来て、何やら忘れたような気がしてきました。本を見直すと、本願寺跡をスルーしてきていたのに気づき、戻ります。一目連神社と天武天皇社の間、西側にあるのに、すっかり忘れたのです(苦笑)。戻って確認してきました。ただ、この本願寺跡、道路から奥まっていますので、見逃しやすいと思います。
Img_8338c 御影山(みえいざん)本願寺という、西山浄土宗のお寺があったとされます(マップには、本願寺と書いてありますが、現在は廃寺になっています)。由来は不詳ですが、江戸時代には本願寺村があり、古くから巨刹であっ たと思われます。室町時代に天台宗の寺として創建されたそうです。
Img_8343c 境内に梅花仏鏡塔(ばいかぶつかがみとう)と句碑(桑名市指定史跡)があります。梅花仏鏡塔は、各務支考(1665~1731)の分骨墓です。支考は美濃の人で、松尾芭蕉について俳句を学び、美濃俳壇の中心人物でした。当時のこの寺の住職雲裡坊は支考の俳諧の弟子で、「間遠社(まどおしゃ)」という俳句結社を結成していました。支考が亡くなった時、雲裡坊は骨を分けてもらいこの鏡塔を建立したのです。形が円形なのは、支考の姓「各務=鏡」にちなんだものといいます。ちなみに、この梅花仏鏡塔、「くわな史跡めぐり」では、「鑑塔」と訂正されていますし、市の観光パンフレットにもそう記載されています。
Img_8340c 梅花仏鏡塔の周囲には、句碑が立ち並んでいます。それらは間遠社歴代社長のものだそうです。ちなみに、「間遠社」というのは、桑名の七里の渡しを「間遠の渡し」ともいったことから来ていると思われます。天武天皇が桑名から熱田に渡られるとき、船が着くのが遅いので「間遠なり」と仰せられたことによるという言い伝えがあります(こちら)。
Nanamagarimitsukeato  廣瀬鋳物工場跡から日進小学校前の交差点で左折(東へ)。ここには、七曲見附があったといいます。桑名城下南端の見附で、門(木戸)と番所がありました。この名称は、七里の渡しから東海道を7度曲ってきたことに由来します。門は、「七曲門」とも「釘貫門(くぎぬきもん)」ともよび、門を出ると道は枡形に曲折していたそうです。ただし、今は、この枡形はありません。跡地は日進小学校の一部と桑名市消防団第一分団車庫付辺です。
 なお、日進小学校敷地に七曲見附の説明板と泡洲橋の親柱がありますが、今回は見てImg_8323c きませんでした。泡洲橋の親柱らしきものは、天武天皇社の境内にもありましたが(右の写真)、そうかどうかは未確認(このパラグラフ、7/5に追記しました)。
Img_8355c 報恩寺。浄土真宗本願寺派のお寺。山号は、謝徳山。「くわな史跡めぐImg_8361c り」によれば、もとは江場村にあり、ここに移ったといいます。報恩寺のすぐ隣には大悲山(だいひざん)長圓寺があります(ただし、このちゃんと歩ける東海道の本の地図には、載っていません。長圓寺は載せていただかないといけません)。浄土真宗本願寺派。もとは真言宗で江場にありましたが、明応5(1496)年、真宗に改宗、江戸時代の慶長の町割りで現在地に移りました。
Img_8370c このお寺の11世・魯繽庵義道(ろこうあんぎどう;宝暦11(1761)~天保5(1834)年)は、桑名を語る上で欠かせない人です。博学の人で、『久波奈名所図会(くわなめいしょずえ)』『 桑府名勝志(そうふめいしょうし)』(いずれも市指定文化財)などの地誌を著わした他、「桑名の千羽鶴」の創始者としても知られています。桑名の千羽鶴は、一枚の紙に切り込みを入れるだけで、連続した鶴を折るもので、寛政9(1797)年、『秘伝千羽鶴折形』が刊行され、49種類の連鶴が紹介されています(市無形文化財)。
Img_8368c こちらは、魯縞庵義道顕彰碑。平成25(2013)年1月に魯縞庵義道の事績を称えるために建立されました。このほか、墓地には、大坂相撲の力士である千田川善太郎(せんだがわぜんたろう:釈宗香・文化元81804)年没)の墓があります。千田川は四日市出身、文筆が得意でしたので、代筆を頼まれ、その筆の先に毒を塗られ、桑名で亡くなったといわれています。墓は義道が建立し「文化改元歳次甲子(1804)十月九日、難波力士千田川於当駅終(以下略)」とあるそうです(あとで調べて分かったので、今回は見ておりません)。
Img_8380c 県道421号線を渡ります。「ちゃんと歩ける東海道」の地図では、十念寺があると書かれていますが、これは間違い。この地図では、十念寺と寿量寺とが入れ替わっています。ということで、まずは妙延山(みょうえんざん)寿量寺。日蓮宗のお寺。
Img_8401c 初めは一色町にあり、天台宗で「妙蓮寺」といいましたが、法華宗に改宗し、寺の名称も改めました。江戸時代の慶長の町割の時、現在地へ移転しています。寺宝には、「銅磬(どうけい)(市指定文化財)、「日蓮聖人御本尊(市指定文化財)」などがあります。
Img_8413c 境内にある旧大黒殿(左の写真)と鐘楼(右の写真)は、平成25(2013)年Img_8397c に国登録有形文化財となりました。
Img_8391c また、寿量寺には、狩野光信の墓があ
ります(桑名市指定史跡)。狩野光信(永禄4(1565)~慶長13(1608)年)は、信長・秀吉・家康に仕えた狩野派の絵師で、安土城の襖絵などを描きました。江戸城のふすま絵を描いて、江戸から京都への帰路、桑名で病気になり亡くなり、当寺に葬られました。入口すぐ南則に「狩野光信墓」の小さな五輪塔がありますが、一見すると、これがあの有名な狩野光信の墓?と思ってしまうほど。
 なお、境内には明治2(1689)年銘の仏足石がありますが、今回は見忘れました。
Img_8418c_2 続いては、仏光山九品院(ぶっこうさんくほんいん)十念寺。浄土宗のお寺で、元は朝明寺(あさけでら)といい、朝明郡切畑(現在の三重郡菰野町)にあり、室町時代に桑名(のちの桑名城本丸の地)に移り、慶長町割の際に現在地に移ったといいます。寺宝には、「祭礼図屏風」(江戸初期)、「 当麻曼荼羅図(たいままんだらず)」(室町初期)、「仏涅槃図」(室町時代)などがあります。

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 十念寺には、西側道路を隔てた墓地に「森陳明(もりつらあき)之墓」がImg_8443c あります。森陳明は明治維新の際に、桑名藩敗北の責任を負って切腹した藩士です。森陳明は、松平定敬公が京都所司代に在職中、公用人として助け、勤王佐幕に心を砕き、戊辰戦争当時は、定敬公に従って函館に立て籠りました。戊辰戦争に負けて、朝廷から反逆の主謀者を出せと命じた時、陳明が進んで全藩に代わって出頭し、明治2(1869)年11月13日、東京深川にあった藩邸で死に就きました。享年44、法号は智勇院清挙忠誠義剣居士。九華公園には、別に殉難旌節の「精忠苦節」の碑があります。
Img_8436c 十念寺境内には七福神が祀られ、11月23日に七福神まつりが行われます。まつりでは、七福神が勢揃いし、市内を練り上げ、氏子各家の七福神祈願を行います。境内では大正琴・舞踊などが終日奉納され、七福神とミス桑名を写す会や競書大会表彰式も行われます。最後の餅投げで投げる餅は七福餅と呼ばれ、無病息災・七福開運が舞い込むといわれています。この祭り、小生はまだきちんと見たことがありません。
 というところで、今日はここまで。天武天皇社から十念寺までは、500m足らずしか進んでいません(苦笑)。時刻は11時20分。小生の歴史散歩、あちこち立ち寄って、あれこれ見て回りますので、けっこう時間がかかるのです。続きは明日にでも。

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2018年7月 3日 (火)

桑名市内旧東海道を歩く(その1)……伊勢両宮常夜燈から一目連神社まで

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 相変わらず蒸し暑い天候が続きます。いつもの散歩コースは鳥がいませんし、そろそろ九華公園に展示しているパネルの次のバージョンを仕上げなければなりません。ということで、天気も良さそうでしたから、桑名市内の旧東海道を歩いてきました。
2c 今度の九華公園のパネル展示は、東海道にしようということになっていま1c す。基本的な参考文献は、マイブックスにもあげてありますが、「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西袋井宿~京三条大橋」です。この桑名市内のところを取り上げようということです。いつものOさんとの「企み」(微笑)。このマップに取り上げられた名所旧跡、寺社仏閣をパネル化しようということです。いつものようにパワーポイントでパネル原稿を作り始めているのですが、市内の東海道を歩き通したのはずいぶん前。チェックと、写真撮影を兼ねて、町屋橋跡から上ってきました。三交バスで城南口まで行き、京町見附跡あたりまで歩いてきました。本当は、七里の渡し跡まで行く予定でしたが、時間切れ。朝駅前のバス停まで歩いたのも含めると、8㎞。画像は、「ちゃんと歩ける東海道」の本の該当ページ。左の「伊勢神宮常夜燈(正しくは、伊勢両宮常夜燈(かように本には間違いもありますので、そのチェックも含め))」から右の画像の「京町見附跡」まで歩いて、その後は寺町を通り、帰宅。
Img_8005c 左は町屋橋。町屋川(員弁川)にかかる、国道1号線の橋。旧・東海道の町Img_8021c 屋橋は、ここより約100mに上流(向かって右)に、寛永10(1635)年に掛けられたといいます。右は、旧・東海道筋にある伊勢両宮常夜燈。文政元(1818)年に東海道の道しるべとして、また、伊勢神宮への祈願を兼ねて、桑名・岐阜の材木商が寄進したもの。向かって右に建つのは、里程標。町屋川の中央から北が桑名郡であること、三重県庁・桑名郡役所までの距離が刻まれています。里程標は、明治26(1893年)の建立。「三重縣廰拾一里丗甼余」、「桑名郡役所丗三町余」とあります。桑名郡役所は、現在の総合福祉会館です。
 常夜燈からすぐのところに玉喜亭があります。このあたりは安永立場の跡で、玉喜亭の本宅で安永餅が売られていました。その話は、6月24日に書きましたので、そちらをご覧ください(20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」
Img_8071c 国道258号線を地下道でくぐり、しばらく行くと、西側(左手)に晴雲寺があImg_8100c ります。浄土真宗大谷派、山号は清浄山。右は、城南神社。倭姫命が皇祖神天照大神の鎮座地を求めて巡行なさったとき、この地で休息したとの言い伝えがあります。晴雲寺、城南神社ともに、“20180624勝手に近鉄・三交バスハイキング「朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで」”に詳しく書きました。
Img_8142c 日立金属桑名工場の東あたりは、今ではまったく面影はありませんが、江戸時代は家はなく、松並木が続いていたところ。鈴鹿山脈もよく見えたといいます。6月24日は、ここで時間切れとなっていました。
Img_8146c 城南神社から300mほど進みますと、了順寺に出ます。桑部山と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。戦国時代の桑部城主・毛利秀重の孫・秀元が出家して元和7(1621)年に創建した寺。写真に写っている山門は、桑名城の門を移したものといいます。
Img_8175c 神戸岡神社。「ごうどおかじんじゃ」なのか「かんべおかじんじゃ」なのか、不明(資料によって読み方が違うのです)。縁起は不詳。このあたりに伊勢神宮の領地があり、古地図には「神戸岡」とあるそうです。明治には、立坂神社に合祀されたものの、昭和35(1960)年に現在地に再建。
Img_8195c 矢田の火の見櫓跡。文政8(1825)年、町方からの願いによって火の見櫓Img_8223c が建てられています。現在のものは、東海道宿駅制定400年を記念して復元されたもの。矢田には立場があったのですが、それは、国道1号線の矢田町西にある善西寺のあたり。右がその善西寺。山号は走井山。浄土真宗本願寺派のお寺。善西寺を検索したら、ご住職は、名古屋大学大学院理学研究科修了の理学博士。生命科学の研究者でいらしたそうです。なお、「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西袋井宿~京三条大橋」では、この火の見櫓跡に「浄土真宗」という説明が付いていますが、これは明らかな誤り。善西寺に付ける注釈ではないかと思います。
Img_8215c 矢田立場、善西寺の西にある竹内家には、馬をつないだ輪が今も街道Img_8218c に面して残っています。前にも見た記憶があったのですが、場所の記憶があやふやで、もっと火の見櫓跡に近いかと思って、ウロウロ(笑)。
Img_8236c 善西寺のすぐ東が、国道1号線矢田町交差点。写真は、朝日町方面を向いて撮ったもの。よくご覧いただくと、左右に建っている建物が、対称なのです。左側は和菓子屋さんの「(かず)」です。右側は呉服屋の「にし眞」ですが、もう営業はしていないようです。和の最中は絶品。
Img_8249c 矢田町交差点からさらに東海道を上ります。交差点のすぐ東には、中川Img_8250c 梵鐘店(中川鋳造所)。全国各地の梵鐘を手がけておられ、永平寺、名古屋の日泰寺、三河の鳳来寺などもここがつくったものだそうです。店に並んでいる鐘は音色などの点で納得できず、出荷しなかったものだといいます。
Img_8254c こちらは、教覚寺。浄土真宗本願寺派のお寺。文明3(1471)年、深谷部Img_8267c の地主・紀伊氏の一族紀伊直行が出家して正玄と名乗り、町屋に道場を開いたのが始まりとされます。右は明圓寺。山号は瑞瑋山。浄土真宗大谷派のお寺。開基は不明ですが、戦国時代に香取(多度)の安田空明の家臣・伊藤孫右衛門が出家して再興したといいます。
Img_8277c 続いて、一目連神社。多度大社の別宮で、天目一箇命を祀っています。Img_8287c 天目一箇命は、古くから金属工業の神として知られ、鍛冶や鋳物を生業とする人から信仰を集めました。ここ鍋屋町には、鋳物師が多く住んでいたことから、勧請されたと思われます。境内に徐風庵の句碑「名いろいろ定まる夏の木げ 可南」があり、さらに、道路の向かい側には明治20(1887)年建立の道標があり、「左東海道渡船場道、右西京伊勢道」と刻まれています。
 まだ続きますが(こんなのばかりで、途中で止まっている記事が山積しています)、今日は、ここまで。

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2018年7月 2日 (月)

午前中は散歩の傍ら、またもや朝稽古見学……午後は市民大学講座へ

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 今日は、半夏生だそうです。七十二候の一つで、本来は夏至後10日目から小暑の前日までをいったようですが、現在では、7月1日か2日が半夏生とされています。昔は田植を終わる目安だったといいますが、今のように日にちが決まっていると、季節感はない気もします。地域によって、タコ、焼き鯖、うどんを食べるという習慣があったようです。「半夏生」の「半夏」は「烏柄勺」(からすびしゃく)という薬草のことで、この薬草が生える時期を指した名称だといわれています(こちら)。
 そうそう、忘れないために書いておきます。写真はありませんが、九華公園で蝉の鳴き声が聞こえてきていました。今シーズン初確認です。
Img_7636c 午前中は、いつものように8時半前から散歩。住吉神社、九華公園、歴史をImg_7913c 語る公園、内堀公園、京町、寺町、田町と回ってから、バローで買い物。5.8㎞。峰崎部屋の朝稽古は、今日も行われています。昨日は、また芝田山親方を始め、芝田山部屋の力士が出稽古に来ていたそうです。右の写真、こちらを向いているのは、荒鷲関。
Img_7862c 荒鷲関の稽古で、投げを打つシーンも撮れたのですが、あいにく土俵を覆Img_7887c うテントの柱などに被ってしまいました。なかなか難しいものです。それにしても、荒鷲関のように幕内力士と、幕下では力量がかなり違うように見えました。
Img_7902c 荒鷲関、名古屋場所の番付は、西前頭12枚目。頑張って勝ち越して、1枚でも番付をあげてもらいたいものです。
Img_7824c さて、野鳥はかず少ないものの、ヒナの姿があちこちに見られました。左は、散歩に出てすぐ、拙宅マンションと諸戸氏庭園との間ところにいたハクセキレイ。色が薄いので、幼鳥のように見えます。
Img_7935c こちらは、九華公園二の丸跡にて。九華公園では、割りとよくハクセキレImg_7923c イの幼鳥を見かけます。幼いと、警戒心がさほど強くないので、近くまで寄っていけます。右も同じく、二の丸跡に来たスズメの幼鳥。スズメは、この頃幼鳥だけで行動しているところもよく見かけます。
Img_7964c 一方、こちらは田町にある商店のツバメの巣。ヒナは2羽。もうかなり大きくなって、図体は親並のように見えます。いつ巣立ってもおかしくない気がしました。しかし、まだエサをもらっています。なんだか笑えます。
Img_7983c 親が近づいてくると、ご覧のように大騒ぎ。もっと小さいヒナと同じなのでImg_7984c す。しばらく見ていたのですが、親は平等にエサを与えてはいないようでした。向かって右のヒナが何度もエサをもらうのです。アピール上手なのかも。最初にアピールしたヒナにエサを与えるというのを雑誌で読んだ記憶があります。
Img_7976c 説明をつけないとお分かりいただけませんし、拡大してよくよくみていたImg_7977c だかないと気づかないのですが、向かって左のヒナ、お尻を突き出して何をしているかというと、ウ○チなのです。お尻から白いものが出かかっています。向かって右のヒナ、「何だ、こんなところでするのかよぉ!?」とでも言いたげな、不機嫌な表情に見えます。右の写真、下の方に白い物体が落ちていくのが写っています。これが、そのウ○チ(笑)。
Img_7836c 鳥が少ないので、昆虫をと思うのですが、それもなかなか。蝉はまだ数Img_7941c が少ないので、鳴いている近くに行くと泣き止んでしまい、姿を見つけられません。左は、ツマグロヒョウモンのメス。右は、オナガアゲハか?
Dscn7164c 午後は、1時半から市民大学講座に出席。今年度のテーマは、「戊辰戦Dscn7162c 争 それぞれの戦い」。桑名藩を中心に戊辰戦争に関わった各藩の立場、事情を読み解くという内容です。毎回課題が出ますので、それなりに準備が必要です。年表を使っての講義、今日は、戊辰戦争前後の話。桑名では有名ですが、山崎、淀城あたりで、津藩が旧幕府軍を裏切って川の対岸から砲弾を撃ち込んだというエピソードも出て来ました。戊辰戦争などをめぐって裏切ったという話はあちこちにあるようで、「○○から嫁をもらうな」という言い伝えがかなり最近まであったというのが各地に残っているそうです。

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2018年6月28日 (木)

峰崎部屋の朝稽古に芝田山親方登場……春日さんで茅の輪くぐり

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 昨日の江戸橋方面のお仕事の後処理(Q&A書きなど)が片付いていないまま、今日もまたImg_7261_2c 散歩がてら、峰崎部屋の朝稽古を見てきました。今日は、あの「スイーツ親方」で有名になった、芝田山親方が来ていらっしゃいました。力士も14~5名いましたので、芝田山部屋からの出稽古かも知れません。昨日も、朝稽古の終わりがけにいらしていたそうです。それと、昨日は、パンデココ鈴鹿で目撃されたという情報もあります。
Img_7098c_2 今日も400枚ほどの写真を撮ってきたのですが、駄作、ピンぼけのオンパレImg_7162c_2 ードで我ながら笑えてきます。ほとんど削除しました(笑)。「精選した」といえば聞こえはよいのですが、数少ない、それなりのショットの中から選んだというのが実態(苦笑)。さらに精進努力を重ねないといけません。
Img_7174_2c 向こう側の力士は、芝田山部屋の魁と思います。やはり、出稽古のようでImg_7210_2c す。写真は、がっつんと当たったような迫力のあるシーンとか、投げを打ったようなダイナミックなところなどをとりたいと思うのですが、なかなか難しい。もう少し通って、下手な鉄砲を撃たないといけません(笑)。
Img_7090c 8時40分過ぎに到着。荒鷲関が稽古をするのを待ってずっと見ていたら、10Img_7248_2c 時近くになってしまいました。荒鷲関は、この中で唯一の幕内力士。まわしも白。終わりの方で登場。もう少し格好良く撮らないと、お叱りを受けそうです。
Img_7275_2c 芝田山親方、スイーツがお好きで「スイーツ親方」などといわれ、テレビにもよく出ていらっしゃいますが、さすがに稽古場での雰囲気は違います。第62代横綱・大乃国だけあって、存在感もあります。芝田山部屋は、大府市に宿舎を構えているそうです。
Img_7127c 稽古シーンが思うように撮れないからという訳ではありませんが、稽古余Img_7133c 滴(微笑)。思わず「頑張れよ」と声を掛けたくなる姿。番付が下位の力士は、土俵に転がされることも多いようです。
Img_7291_2c 自転車を愛用するお相撲さんはたくさんいます。九華公園相撲場でも、鎮国守国神社にある宿舎から来るのに、わずか200mほどの距離を自転車でやって来ます。自転車の方に応援したくなるようなシーンです(爆)。
Img_7188c さて、今日の散歩は、8時25分出発。住吉神社、九華公園、春日神社、寺町、田町と5.4㎞。相撲を1時間20分も見ていた割には、それなりに歩いていました。九華公園の吉之丸堀上空の電線には、合計26羽もツバメのヒナがやって来ていました。これだけいるということは、もちろん単一のファミリーではありません。10組に近いくらいだろうと思います。他の鳥は少なく、カワラヒワ、コゲラなど。10時頃まで相撲を見て、春日神社で茅の輪くぐりをし、ツバメの巣を巡回して帰宅。
Img_7316c 南寺町にあるお宅の巣は、こんな状況になっていました。壊されていたのです。目もあいていないヒナが1羽だけいたのですが、それにもかかわらず壊されたように思えます。このお宅は数年前にも、ツバメが営巣していたにもかかわらず、巣を壊しています。それぞれにお考えはあると思いますが、残念。
Img_7328c 田町にある商店の巣。ここには巣が2つあります。北側の巣には、ヒナがImg_7323c 3羽。元気そうですから親もエサを与えていると思います。ここにあるもう1つの巣、先だって雛が巣立って行ったのですが、今日、また親が2羽やって来ていました。2番仔の期待が高まります。このほか、京町の呉服屋さんの巣にも、田町のパン屋さん近くの巣には親がいます。
Img_7270c 春日神社では、茅の輪くぐりをしてきました。「夏越しの大祓」です。ここImg_7280c 数年、毎年恒例の行事になっています。本来は、「水無月の夏越の祓ひする人は 千歳<ちとせ>の命 延ぶといふなり」と唱えながら、くぐらねばなりませんが、記憶が怪しくなっています(苦笑)。
4163b66a 鎮国守国神社でも茅の輪くぐりが行われるのですが、昨年は7月10日でした(左の写真は、去年7月21日のもの)。こちらも忘れずに行かねば。午後からは、江戸橋方面のお仕事の続き。出席票のQ&Aを仕上げてから、試験問題作成に着手。来週持参しないといけません。レポートもチェックしなければなりませんので、それなりに大変。週末、近鉄ハイキングもあるのですが、ちょっと余裕がないかなぁ。

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2018年6月12日 (火)

梅雨の晴れ間……ウォーキングシューズを新調

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 梅雨の晴れ間、30℃近くになっています。日向は暑い。北西の風が数m/sImg_6023c 吹いていますが、余り涼しい感じはしません。散歩の途中、あちこちで空を見上げていました。左は拙宅玄関前から、右は、七里の渡し跡。8時半から11時、いつも通り、住吉神社、九華公園、京町、寺町、田町と5.7㎞。けっこう汗を掻きました。
Img_5793c 散歩友達の方に聞かれるものの、珍しい鳥はいません(苦笑)。この季節、Img_5800c やむを得ません。揖斐川沿い、三の丸水門のところでカルガモが1羽飛んできて、着水。九華公園では、この頃、ヒヨドリが少しずつ戻ってきている感じです(右)。まだ賑やかというほどではありません。
Img_5806c こちらは、九華公園の辰巳櫓近くに出て来たカワラヒワ。カワラヒワは、公園内の何カ所かで見ました。このカワラヒワ、羽毛らしきものを咥えて飛んでいったのですが、今頃から巣作りというのは考えにくいのですが、どうしたのでしょう?
Img_6029c 九華公園の花菖蒲は、そろそろオシマイ。昨日から造園業者さんが来て、月末に行われる花菖蒲の株分け会の準備を行っておられます。株分け会は、6月29、30日(金、土)、いずれも9時から12時、桑名市役所南駐車場屋外スペースで行われます。2日間で約2,500株(5種類)が配布される予定です(こちらをご覧ください)。プランターでも育てられるようですが、小生は自信がないので、もらったことはありません。
Img_6039c ところで、一昨日載せた色とりどりのアジサイ(6月10日;子スズメはまだImg_6041c エサをもらう(微笑))、今日も見てきました。車や人が通らない合間を見てです(この方がよほど不審人物みたい)。根元は右の写真の通り、同じ株から生えているようでもあり、そうでもなさそうでもあり(苦笑)。ご意見を承りたく思います。
Img_5824c ツバメの巣、一通りチェックしてきました(京町で3ヶ所、南寺町で1ヶ所、Img_5826c 田町で2ヶ所の計6ヶ所)。ヒナはいません。親がいたのは、田町の商店(左の写真)と、近くのお宅(右の写真)の2ヶ所でした。田町の商店の巣の様子は、相変わらずよく分かりません。羽繕いをしていたりもしますし……。
Img_6043c 明日は、江戸橋に行く日にしては珍しく晴れという予報。行き帰りに雨が降るとモチベーションが下がりますので、ありがたいところ。30℃近くになりそうですから、教室は蒸し暑いかも。1科目は普通の講義ですが、もう1科目はDVD視聴の予定。
Img_6014c 散歩&ウォーキング、ハイキング用の靴を新調。父の日も近いということで、プレゼントしてもらいました(微笑)。けっこうな距離を歩きますので(ちなみに、今年に入って昨日まで、記録がある限りで、合計777.8㎞です。1ヶ月あたりでは、ほぼ150㎞)、割と早く、底がすり減ったり、本体が破れたりします。アディダスのsolarglide。初心者向けの陸上ランニングシューズだそうです。近所のデポで店員さんに勧められ、試し履きしたら気に入ってしまいました。軽くて歩きやすいのです。店員さんにうかがったところでは、丈夫なことや、安定性がいいことのほか、ランニングに使う場合に比べ、重量があり、クッション性が高い方がよいということでした。

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2018年5月12日 (土)

近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(懲りずに予告編か?)【一部訂正しました(5/22)】

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 JRさわやかウォーキングの“「朝市、三滝川慈善橋市場」と「四日市萬古まつり」を満喫しよう”と、近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ”とで若干迷ったものの、結局、近鉄ハイキングに参加してきました。どちらも萬古まつりがコースに含まれていたのですが、近鉄に軍配を揚げたのは、四日市港ポートビルに行けるからでした。冒頭の写真は、本日のスタートである、近鉄名古屋線・富田駅。桑名を9時22分発の松阪行き急行に乗り、9時30分到着。¥260。受付は9時40分開始予定が若干早め。到着時にはすでに100名以上が列をなしていました。
Img_3873c 左の写真は、今日のコースマップ。富田駅から、四日市港ポートビル、霞ヶ浦緑地、霞ヶ浦パークブリッジ、三滝公園を経て、萬古まつり会場へ。近くに20180512 は、ばんこの里会館萬古神社があります。ゴールは、近鉄名古屋線・川原町駅まで。約8㎞。右は、距離測βに描いた、実際に歩いたルート。約8.9㎞ありました。今日は、ほとんど寄り道はしていません。というよりも、ほとんど四日市港や、その周辺の緑地を歩きましたので、立ち寄るところがなかったのです(苦笑)。
Img_3880c 近鉄富田駅を9時40分にスタートし、東南へ。300mほど行ったところで、旧・東海道とクロスしまImg_3881c す。左の写真は、下り方面(南西)。右は、上り方向。旧・東海道のこのあたりは、昨年12月22日にも近鉄ハイキングで歩きました(近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))。
Img_3895c 800mほど歩くと、今度は国道1号線に出ます。しばし下り方向に歩き、富田浜元Img_3898c 町で脇道に入るのですが、そこに富田一本松がありました。「伊勢軍記」による永禄3(1560)年の茂福合戦で、鈴鹿の神戸勢が海路から上陸する際、目印になったといいます。樹齢700年を数え、高さ12mの立派な松でしたが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風などで遂に枯れてしまい、今見られるのは、その後に植えられた二代目の松だそうです。
Img_3905c 一本松の脇には、かつてこの地に居住していた俳人山口誓子の「町なかの 昔の松の 春の暮」の句碑が立っています。病気療養のため富田にしImg_3903c ばらく居を移していた時にこの一本松を詠んだもの。昭和22(1947)年7月に富田保勝会が建てたものです。句碑に並んで、やはり山口誓子による「史跡 一本松の碑」が立っています。こちらは、昭和49(19749年9月、富田文化財保存会が建てたもので、碑陰には「碑の謂われ」が刻まれています。
Img_3917c 冨田一本松の先には、赤煉瓦の塀があります。網勘製網株式会社といImg_3920c う看板が掛かっていますが、現在の社名は、アミカン。寛政6(1794)年に始まる老舗の漁網製造をする会社。現在は製網事業意外にも進出しています。この本社事務所は、昭和初期に完成した木骨タイル張りの2階建て一部3階建て塔屋付きの建物。ここは瓦屋根の木造建築が多い四日市富田地区でモダンな洋風の建物として国道1号線を通行する人々目印となったそうです。本社事務所・正門・煉瓦塀は、国の登録有形文化財(建造物)。
Img_3930c_2  富田浜の町を進み、Img_3938c 富田浜病院のある交差点を左折し、東へ。国道23号線を富田浜交差点で渡って、浜園緑地沿いの国道23号線を南下し、霞大橋に向かいます。このあたりで出発から2km。
Img_3948c 霞大橋を渡ると、霞埠頭に入っていきます。これまでのコースのところどImg_3950c ころからも見えていましたが、いよいよ四日市港ポートビルがよく見えてきます。四日市港ポートビルも、これまでに来たことがないのです。近くにいながら、行ったことのないところというのが、けっこうたくさんあります。そういうところへ行きたいということもあって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに参加しています。
Img_3963c 四日市港ポートビルには、10時20分到着。出発から2.8㎞ほど。今日のImg_3979c 近鉄ハイキング参加者は、無料入場券がもらえ、ラッキー(微笑)。このビルは、四日市港の開港100周年を記念して、平成11(1999)年8月5日に開館。14階建てですが、13~14階の間は18mの吹き抜け構造になっています。高さは地上100mで三重県内で最も高いビルです。
Img_3983c 14階の展望展示室は、愛称「うみてらす14(フォーティーン)」。地上90mImg_3984c で、昼は鈴鹿山脈からセントレア、名古屋方面まで見渡せます。夜は全国的にも有名になった四日市港の夜景が一望できるスポットです。今日は霞んでいて、遠くの眺望は今ひとつでしたが、それでも眺めは抜群。右は、ここに来るのに渡ってきた霞大橋が見える、西側。写真の左端あたりが、近鉄四日市駅あたり。鈴鹿山脈は、霞んでしまっています。
Img_3986c 左の写真は、南側の眺め。コンビナート地帯です。ここの夜景が素晴らしImg_3999c いのです。右の写真は、東側の眺め。伊勢湾の向こうには、細い筋のように、知多半島が見えています。セントレアも見えるはずなのですが、肉眼ではハッキリしませんでした。
Img_4002c そこでエイヤッとだいたいこの方角と思われる方向を、超望遠コンデジで撮ったのが、左の写真。結果オーライで、セントレアの管制塔と、滑走路、ジェット旅客機らしき姿が映っていました(微笑)。霞んでいなければ、当然もっときれいに見えたと思います。
Img_4028c 北側の眺め。右上に見える高い煙突があるところは、中部電力川越火力発電所。霞埠頭の先(ガントリークレーンの左あたり)に橋が見えます。こImg_4013c の橋は、4月1日に開通したばかりの愛称「四日市・いなばポートライン」です。伊勢湾岸自動車道の「みえ川越IC」から9分で来られるといいます。
Img_4019c わが家から、この四日市港ポートビルのうみてらす14あたりが見えますImg_4290c ので、逆も可能と思って探しました。これまた肉眼ではよく分からなかったものの、写っていました(微笑)。左の写真の通りです。ちなみに、わが家のベランダからは、右の写真のようにポートビルが見えています。ポートビル脇の2本の煙突は、中部電力四日市火力発電所のもの。
Img_4045c 中央は展示室になっており、四日市港のジオラマがあります。また、周囲Img_4057c には、四日市港の歴史などの紹介がされています。右の写真は、稲葉三右衛門の港づくりを紹介したもの。稲葉三右衛門は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手し、私財を投じて明治17(1884)年に完成しました(現在、旧港とよばれるエリア;ここも去年11月25日(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)と、今年3月23日(近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)と2回訪れています)。
Img_4082c 無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的には今日のImg_4092c ハイキングの主要目標は達成してしまいました。このあとは四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下します。左の写真は、霞ヶ浦緑地脇にある「ロングビーチ通」。
Img_4097c ここですごいものを発見(微笑)。他の参加者は、どなたも気づいておらImg_4098c れなかったと思います。これは、おそらく「環水平(かんすいへい)アーク」。太陽と同じ方向に現れ、水平の帯の形状をしています。大気光学現象の一種で、太陽の下46度の水平線上の薄雲に虹色の光の帯が見えるもの出そうで、たぶん条件を満たしていると思います。過去に2回、見ています(2013年4月23日:これも虹?……「環水平アーク」という珍しい虹でした、そして、市博物館の”五霊硯と酔李白図”展……テレビロケで写ったかも!?、2017年5月15日:「環水平アーク」再び……ムクドリのバトルと、ツバメの巣の巡回結果も
Img_4119c その後、ずっとひたすら歩きました。霞ヶ浦緑地には、運動施設がたくさImg_4125c ん集まっています。これら2枚の写真は、四日市ドーム。内部は、人工芝のアリーナと観客席。サッカーなどのスポーツの他、各種展示会、フリーマーケット、コンサートなどが行われます。家内はここで行われた小田和正のコンサートに行ったことがあります。
Img_4128c 野球場も2つあります。夏の甲子園の予選の一部もここで行われます。Img_4131c 今日も、アナウンスなどが聞こえていましたので、第一球場をちょっと覗いたら、少年野球の試合が行われていましたが、暑かったので、先を急ぎました。
Img_4134c 霞ヶ浦緑地公園の先には、海蔵川。ここにかかる橋が、霞ヶ浦パークブImg_4138c リッジ。ブロ友のひらいさんが冬にバードウォッチングに来られるところ。来シーズンからは、小生もと思います。今日は、コサギ1羽と、カルガモ2羽の姿がありました。
Img_4157c このあとしばらく、国道23号線の一本東の道を歩きます。中部電力四日Img_4161c 市火力発電所の脇に、こんな空き地が。マサカ、ケリや、コチドリはいないよなと思ったのですが、あるものですねぇ、そのマサカが(微笑)。コチドリの親子を発見。何やら動くものが見えたので、超望遠コンデジで撮影したら、写っていました。このあたりで出発から6.2㎞。時刻は、11時50分頃。
Img_4187c 暑い中を歩いてきましたので、汗も掻き、いささかお疲れ。国道23号線をImg_4193c 渡り、三滝公園へ。正面入口に噴水があるそうです。テニスコートがたくさんあって、スポーツも楽しめるようですが、そのまま前を通過し、北西へ。8㎞地点で、国道1号線・川原町交差点を渡ると、いよいよ萬古まつりの会場に到着します。
Img_4196c 今日、明日と萬古まつりが開催中。好天とあって、人出もかなりありまImg_4199c す。萬古焼は、今では、四日市の代表的な地場産業になっています。耐熱性の特長を活かした紫泥の急須や土鍋が有名で、とくに土鍋の国内シェアは、7~8割を占めるといわれます。また、豚の形の蚊遣器「蚊遣豚」も有名です。ただ、小生は買い物の予定は、残念ながらありません。
Img_4200c 露店などを見ながら、ばんこの里会館へ。萬古焼は、もともと桑名の豪Img_4263c沼波弄山(ぬなみろうざん)が、元文年間(1736~1740年)に朝明郡小向(あさけぐん おぶけ、現在の三重郡朝日町小向;当時は桑名藩領)で創始したものです。弄山が、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を押したのが、名前の由来です(弄山の時代の作品は、現代では古萬古と呼ばれます)。弄山の没後、一時途絶えたものの、天保年間(1830~1843年)に森有節(本名は与五左衛門)らによって再興されました(桑名萬古焼)。四日市萬古焼は、山中忠左衛門の尽力によって興り、阿倉川や末広に最初の窯が建ったといいます。ちなみに、今年は沼波弄山生誕300年です。
Img_4268c ばんこの里会館の正面には、萬古神社があります。昭和10(1935)年にImg_4213c 創設されています。主祭神は、埴安彦神(はにやすひこのかみ;土を司る神)、埴安姫神(はにやすひめのかみ;土器・陶器の女神)、罔象女神(みずはのめのかみ;水の神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。沼波寿山も合祀されています(沼波弄山命(ぬなみろうざんのみこと))。焼き物に関する御神徳があるとされます。
Img_4249c 境内にはいろいろな石碑などもあったのですが、まず目を引いたのは、Img_4261c こちらの灯籠。茶色をしています。陶器製に間違いありません。さすがというしかありません。また、右の写真にありますように、四日市萬古焼の礎となった山中忠左衛門(やまなかちゅうざえもん)を顕彰する碑もありました。山中忠左衛門は、幕末から明治の陶工。伊勢末永村(現在の四日市市)の人で、嘉永(1848~54年)の頃、森有節の万古製法をまねて急須などを製作し、その製品は新万古焼とよばれたといいます。碑は、昭和40(1965)年6月に建てられています。
Img_4212c さほど広くない境内は、イベントも行われていて大賑わい。いささか高齢Img_4247c のフラガールのダンスや、歌なども行われていて、なぜか小生もしばし見てしまいました(苦笑)。他にも句碑、石碑などがありましたが、今日のところは割愛。萬古神社についたのは、12時20分頃。露店では何も買いませんでしたが、ここで持参のコンビニおにぎりを1つ食べて、腹を満たしました。
Img_4272c ゴールの近鉄名古屋線・川原町駅。近鉄四日市駅から1駅名古屋方向。Img_4280c 12時40分到着。約8.9㎞。ホームの駅名表示板には、「萬古焼の郷」とあります。ウ~ム、もともと桑名発祥の萬古焼なのに、すっかりお株を奪われています。12時54分発の名古屋行き準急に乗車。桑名着は、13時11分。¥300。
Img_3875c あみま倶楽部のスタンプは、今日で11個目をゲット。今日は、お土産も、食レポもありません。それにしてもしかし、4月28日のの“20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」”どころか、4月23日の“勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」”も記事を書き終えていません。我ながら困ったもの(苦笑)。まぁ、慌てない慌てない(微笑)。
Dscn6951c それから、こちらも。うみてらす14のスタンプ。リーフレットの裏が台紙になっています。うみてらす14内の、各説明コーナーにありましたので、押してきました。あちこちの観光地や、お寺などにこういうスタンプがありますから、けっこうよく押してきます。ちなみにいつも行く九華公園にはこれがないですね。作ってもらいたいと思います。

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