趣味

2019年1月18日 (金)

6日ぶりにいつも通りの散歩……オマケは、天使の梯子

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 晴れていますが、時々曇りという天気。午前中は、さほど風も強くありませんでした。ということで、いつも通り散歩に出て来ました。8時半から11時過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町と6.2㎞。帰ってからも今のところは、大丈夫そうです(微笑)。
Img_8500c 住吉入江にヒドリガモのオス。先週も見かけました。ヒドリガモはたいていペImg_8511c アで行動していますから、これは珍しい。その先、揖斐川につながる住吉水門には、コガモのオス、ホシハジロのオス、オオバン、キンクロハジロの姿。
Img_8526c 8時50分、九華公園。アオサギはおらず。ゴイサギ4羽とホシゴイ1羽がいたImg_9166c ものの、いつものところにハシボソガラスが闖入し、ゴイサギたちは大騒ぎ。落ち着かない様子で、あちこち移動。カラスは直接アタックはしないのですが、歓迎されていない様子はありあり。
Img_9172c カモは、今日は、合計100羽。左は、九華橋から南を見た光景。この直前にImg_8548c 餌をやる人があったようで、皆活発に動き回っていました。ハシビロガモのオスが5羽、メスが10羽(多いのです)、ヒドリガモのペアが2組、ホシハジロは、オス2羽、メス1羽。他はキンクロハジロ。ユリカモメは、このところサッパリ、姿を見せません。カルガモは1羽。
Img_8599c 鎮国守国神社にも久しぶりにお参り。境内には、カワラヒワの群れが降りてきて、餌を啄んでいます。冬によく見られる光景。秋に集団となり、春、ペアリングをするまでよく見られます。
Img_8609c 再び奥平屋敷跡をチェックへ。ここは、ジョウビタキ、シメがよく出ます。アImg_9212c オサギ、ゴイサギなどを見た後ここへ行きますが、最近は、もう一度チェックするようにしています。これが幸い。ジョウビタキのオスと、シメがいました。公園の外周の遊歩道東で、メジロなども見たものの、写真には撮れず。
Img_8637c 貝塚公園では、シロハラを2羽。先だってと同じく、公園南側のエリア(左の写真)と、Img_8655c 西側(右の写真)の2ヶ所に1羽ずつ。シロハラ以外にいたのは、ヒヨドリとキジバトくらい。貝塚公園、最近本当に鳥が少なくなりました。
Img_9228c 寺町を通って、住吉入江へ。寺町商店街に近いところに、ホシハジロのオスが1羽。出がけに住吉水門のところで見たホシハジロかもしれません。最近、ヒドリガモのオスとともに、ここでよく見かけます。
Img_9148c オマケは、朝8時前に撮影した「天使の梯子」。いいことでもあるかと思ったのですが、きわめて平凡な1日でした(微笑)。平凡な方がありがたいのかもしれません。風邪もこのまま治まってくれることを願いたいところ。

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2018年12月20日 (木)

20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました(補遺というか、無駄話編)

20181211isejingu2  12月11日、思い立って伊勢神宮・外宮を参拝し、神宮暦を入手してきました (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。記事はリンク先にありますが、そこに書き切れなかった内容を「補遺」として(というよりも「余談」、「無駄話」の類いです)。

Img_5828c 外宮さんの最寄り駅は、伊勢市駅。ここは、JR参宮線と、近鉄山田線の共Img_5832c 同駅。北側に近鉄、南側にJR。外宮に行くには、JR側から出なくてはなりません。近鉄伊勢市駅のホームにはあちこちに「伊勢神宮(外宮)はJR側出口へ」という表示があります。
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 今回は、近鉄で行ったのですが(それは、近鉄の方が料金が安く、乗り換えもなしで行けるからです)、わざわざ切符を買いました。近鉄は全線でICカードが使えるのですが、伊勢市駅でJRの改札を通ろうと思うと、切符を買わざるを得ないのです。JR東海では、関西線・四日市駅までしかICカードが使えないのです。なので、わざわざ。
C 冒頭の地図でも分かりますが、近鉄のホームからJR側の出口に行くには、Img_5840c 100m以上もありそうな連絡橋を通っていきます。ようやく改札口を出て、JR側の駅に。右は、JRの改札を出たところ。「↑伊勢神宮(外宮)」の表示の他、「赤福」や「おかげ横丁」の看板が目立ちます。近鉄電車も、伊勢中川を過ぎると、駅や沿線のあちこちに「赤福」の看板が目立ちます。
Img_5846c JR伊勢市駅。この写真は、本編にも載せました。ここから南西に直線でImg_5849c ほぼ500m行くと、外宮。右の写真もすでに載せましたが、伊勢市駅前の信号を渡って駅を振り返ったもの。鳥居があって、その向こうに駅が見えます。なんだか面白い景色。
Img_5852c 参道を歩いて行くと、。レトロな山田館という旅館があります。これも本編Img_6172c で触れましたが、その隣(伊勢市駅側)にもレトロな店。“ISE SIMA KANKO MIYAGE SIZUOKAYA”とあります。外国人観光客を意識したのでしょうが、ローマ字では通じないかも(笑)。さらにその近く、黒土塀が意表を突く店が。「伊勢菊一」だそうです。明治40(1907)年創業の刃物店「菊一文字金近本店」なのですが、平成23(2015)年に存続の危機に陥ってしまいました。そのため、日本文化を伝える場所として、リニューアルし「伊勢菊一」となりました。刃物店は存続し、さらに伊勢や、神宮を深く知ることができ、土産も売るところとなったそうです。これは後で調べて分かったことで、事前に知っていれば、寄って来たのにと後悔。
Img_5859c さらなる余談。山田館の玄関には、注連飾り。宇治山田での近鉄ハイキングの記事にも書きましたが(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))、伊勢志摩地方では、1年中注連飾りが飾られています。「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。この山田館の注連飾りはさすがに立派。
Img_5865c 伊勢神宮・外宮に10時40分に到着。外宮は、正式には、「豊受大神宮(とImg_5875c ようけだいじんう)」。御祭神は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。御鎮座は、雄略天皇22年(西暦477年とされます)。雄略天皇は、第21代。この雄略天皇の御代に、天照大御神の食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国から遷ってこられました。豊受大御神は、また、衣食住、産業の守り神でもあります。
Img_5882c 外宮さんについては、本編でほとんど触れました。左の写真は、境内にImg_6075c ある案内図。せんぐう館 は見たかったところでしたが、平成29(2017)年10月の台風21号による 浸水被害があって、現在は復旧工事のため休館中でした。今年ではなく、去年の台風の被害だそうです。そういえば、忌火屋殿は、しっかり見てきませんでした。確か、入れないようになっていたと思いますが……。
Img_5928c 正宮から別宮(多賀宮など)に行く途中、南側に池があります。そのほとりのモミジ、まだ紅葉が楽しめました。「三ツ石(みついし)」がある南です。
Img_6046c 神域内、至る所に巨木があります。それだけに歴史を感じるものなのでImg_6045c すが、こういう巨木には、なぜだかパワーを感じてしまいます。皆さん、けっこう手を当ててパワーをいただいて行かれますので、私も(笑)。
Img_5965c 神楽殿です。ここでお守りや御札、神宮暦を授与していImg_6242c ただけます。御札もとおも思ったのですが(神宮大麻というもの。ただし、大麻といってもヤバいものではありません)、神棚がありませんので、断念。神宮暦の大と小をここで授けていただきました。
Img_6245c 著作権がありますから、あまりおおっぴらには載せられませんが、左は「大」の一月のところ。二十四節気やら、日の出、南中、日の入りから、月の出、月の入り、満潮・干潮が載っています。科学的データを基礎として、日々の天体、気象の詳細値などをまとめた暦で、ざっと見た感じでは、理科年表にも共通する編集です。
Img_6248c こちらは「小」の神宮暦。日の出や満潮時刻など天体と気象に関する身近な情報や農事情報がまとめられています。農家の方や、ガーデニングファン等に人気があるそうです。これは1月の欄の一部。「今月の農作業」が載っています。
Img_6250c 神宮暦は、高島何とかの暦のように、占いのたぐいは一切載っていません。伊勢神宮の神宮司庁が奉製し頒布しています。その前身となるものは、江戸時代初期から伊勢国の神宮周辺の暦師たちによって発行されていた、伊勢暦と呼ばれる各種の暦本です。後に伊勢の御師(おんし)が年末に神宮大麻とともに伊勢暦を配るようになり、全国に知られるようになりました。
Img_6068c 一通りお参りし、神宮暦も入手しましたので、外宮に入ってきた火除橋にImg_6069c 向かいます。この火除橋の手前、北側に、清盛楠(きよもりぐす)があります。平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれています。樹齢は1,000年に近いといわれ、二本あるように見えますが実は一株の大木です。伊勢湾台風で分かれてしまったそうです。幹周9m、樹高10m。
Img_6101c 火除橋を渡るとき、なんだか気になって左側(北西)見たら、こちらの方がImg_6104c 佇んでおられました(なぜだか、敬語になります)。アオサギさんでした。「やぁ」と声をかけたくなります(微笑)。
Img_6136c 外宮参拝を終えたのが12時頃。この日の天気予報は下り坂ということもあって、内宮さんにも行こうかどうしようか迷いました。Img_6137c 一応外宮前のバス停で時刻を確認に行ったのですが、内宮行きのバスがちょうど出るところ。明治36(1903)年から昭和36(1961)年まで伊勢には、路面電車・神都線が走っていました。惜しまれつつ姿を消してから50数年。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)にあわせて、路面電車型バス(神都バス )となって生まれ変わったのです。宇治山田での近鉄ハイキングのときにも見ています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。
Img_6142c バス停の北(伊勢市駅側)に、石碑がありました。何はさておき、石碑の類いは見てこなければなりません(笑)。陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ:明治31(1898)~昭和58(1983)年)の詩が刻まれていました。「戦敗れて萬家国旗を忘る/星条ひるがえる処惨として旗を看る/邦を興す正気はもと此に存す/願わくばこの民をして国旗を愛せしめん」とあります。「戦いに敗れて日本人はみな国旗を忘れてしまった。独立国家でありながら星条旗ばかりが翻っていて残念でたまらない。国旗こそ国を興す根源である。願わくばこの日本国民をして国旗を愛せしめんと」といった意味。第2次大戦に敗れ、日本人は国旗を忘れたが、国旗こそが国を興す根源である」ということで、国旗、国歌を大切にということ。
Img_6148c このあと、赤福「外宮前特設店」で「赤福盆」をいただいてきました。Img_6173c ¥210。赤福はやはり、伊勢で食べた方がいいですねぇ。さらに伊勢うどんをいただいて、伊勢市駅へ向かいました。駅前で世木神社に気づいて、お参りして帰途についたという次第。世木神社については本編でほぼ書き尽くしました。
20181211isejinguu1  外宮さんだけではありましたが、念願の伊勢参りもしてきましたし、興味Img_6228c 深い神宮暦も入手できましたので、充実した1日だったといえます。余談のさらなる余談。右の写真は、斎宮。電車が走っているときに撮りました。ここも一度は行ってみたいところ。近鉄山田線・斎宮駅のすぐそば。
 ということで、12月11日に行ってきた伊勢神宮・外宮の記事は一通り、終了であります。この記事では、つまらない余談、与太話となって恐縮です(いつも余談、与太話、無駄話ばかりだといわれれば、それまで)。

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2018年12月13日 (木)

20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました

Img_5470c  このところ、あちこち遊び歩いていて、12月8日(日)の午後行ってきた桑名市内の伝馬公園遺跡発掘調査説明会のことを書いていませんでした。桑名市伝馬町の伝馬公園では市の公共施設整備計画がありますが、市教育委員会が行っている遺跡発掘調査で、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかりました。12月8日午後2時から現地説明会があるということで、行ってきました。我が家からは、南へほぼまっすぐ。徒歩で1.7㎞、20分あまりで行けますので、歩いて往復。試掘調査は、今年9月からこの12月にかけて行われています。

Img_4973c  伝馬公園は、近世の桑名城下町でいうと、その南西端にあります。16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わります。願証寺はもとは長島にあり、明応6(1497)年、蓮如上人の子・連淳が入って東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。伝馬役に従事する人々が多く住んでいたため、それが町名になりました。
20181208setsumeikai 左の画像は、当日配布していただいた説明資料(A4版4ページ)。当日は、Img_5420c 13時半から入場ができ、説明会は14時からで、調査を担当なさった学芸員の方が説明してくださいました。遺跡発掘調査の説明会には、興味はあったものの、今回が初めての参加でしたが、大変面白いものでした。参加者は、思ったよりもたくさん。右の写真は、水道管が発掘された試掘孔(トレンチ)での説明の様子。現地には13時40分頃到着。14時までは自由に見て回って良いということでした。
181208trench 左の画像は、説明会資料からお借りしました。伝馬公園内のトレンチの位置を示した図。今回は、T1-1とT3について説明があったほか、出土品も展示され、説明がありました。T1-1では、町屋御用水の遺構、T3では江戸時代の墓域が見つかっています。T1-2とT2はすでに埋められていました。ここは中世末から近世初頭頃に盛り土したと考えられる整地面が確認できたそうで、この頃以降本格的に土地利用が始まったと考えられます。桑名では、このころ「慶長の町割」が行われていますので、それに関連するかもしれません。
Img_5337c T1-1を北東から眺めた写真。手前の方に東西方向に土管が並んでいま

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す。近世遺物包含層に掘り込まれるように埋められていますから、町屋御用水の遺構と考えられたということです。右の写真は、同じトレンチを東側から見たもの。上水道管は途中で途切れていますが、手前側(東側)には、割れているものを含め5本、向こう側(西側)には3本が、それぞれつながった状態で見つかっています。「久波奈名所図会」には、「願証寺境内に桑名町中の水道を通す」とありますから、それに該当する可能性があるそうです。

Img_5344c 左は、東側部分をクローズアップした写真(写真奥が東側)。手前側の2Img_5353c 本は割れてしまっていますが、奥(東)は3本の水道管が連結された状態になっています。右の写真は、西側部分。こちらには3本がつながっています。
Img_5335c これは、別のところ(新屋敷)から出土した町屋御用水の上水道管。長さImg_5454c 30㎝、外径10㎝、内径5㎝。瓦のように焼かれたものだそうです。
Img_5373c こちらは、T3を東から見た写真です(人骨が写っていますので、ご注意ください)。倒壊した多数の墓石の下に、甕棺や木棺などに埋葬された人骨がたくさん出て来たそうです。副葬品や骨壺、お供えに用いたと思われる陶磁器もたくさん出土しています。試掘範囲では10人以上が埋葬されたと思われるそうです。また、説明会資料によれば、墓石の祈念銘から遅くとも18世紀中頃には墓地として利用され、19世紀以降廃絶したと見られるといいます。願証寺との関連は、現時点では不明。
Img_5367c 左は甕棺。上左の写真では、手前の深い水たまりの向こう側(西)に見えていImg_5365c るものです。右の写真は、この甕棺に向かって右(北)にある人骨(写真をクリックすると拡大しますので、ご注意ください)。人骨は、トレンチに見えている限りで4体ありました。かなり年月を経ているので、もろくなっており、取り出すには慎重な作業が必要だそうです。
Img_5409c T1-1の西側には、T3から出土した墓石などがクリーニングの上、展示さImg_5404c れていました。たとえば、右の墓石には、「宝永八辛卯年 法名釋教西信士 二月廿七日」と刻まれています。宝永8年は1711年(なお、この年4月には正徳に改元されています)。墓石は、説明会の時点で65点(ただし、パーツに分かれていますので、墓が65基ということではありません)。
Img_5400c こちらは、墓碑銘と思われます。野呂さんという、元禄8(1695)年Img_5394c に生まれ、明和元(1764)年に亡くなった医師のもの。これら2点の墓石・墓碑銘は、18世紀初め~半ばのものですから、ここは、上記のように遅くとも18世紀半ばには墓地となっていたことを示しています。
Img_5458c 説明会の受付には、今回の試掘調査で発掘された出土品の一部が展示されていました。左の写真には、地蔵様の頭部、皿、徳利、鍋、植木鉢などがあります。これらはトレンチ2、3から出土したもの。
Img_5455c こちらはトレンチ2からの出土品。横に説明が書かれていました。左上のImg_5456c_2 大きな破片は、すり鉢。右側、上から2列目には天目茶碗とあります。天目茶碗といえば、鑑定団などでも「お宝」として出てくることがあります。
Img_5331c さらにトレンチ3からは、瓦もたくさん出て来たということでした。この試掘調査で得られた遺物は、近世の瓦屋陶磁器が多いものの、中世のものも一定量出土しているといいます。トレンチ2の最深部では、中世末から近世初頭の陶磁器がまとまって出土したそうです。このあたりの土地利用がいつ頃始まったということを考える上で重要な手がかりということです。
Img_5377c 説明会では、試掘調査のプロセスを示す写真も展示されており、興味深Img_5384c く見て来ました。町屋御用水は、複数の絵図が残っていて、江戸時代の通り沿いに埋まっていると考えられていたのですが、現場はそれより約30m南に位置しており、想定外の発見だったといいます。
 以下は、補足説明。
【町屋御用水】
 桑名の土地は、木曽三川(揖斐・長良川、木曽川)の砂が積もってできた低い土地でした。そのため、大雨によって土地が水につかり、井戸水は飲み水に適していませんでしたので、上水道の整備は、桑名藩の大きな願いでした。桑名藩主の松平定行は、桑名藩の水問題を解決するために、寛永3(1626)年に上水道をつくり始めました。これが「町屋御用水」で、それ以降、明治37(1904)年に諸戸水道が完成するまで約280年にわたって使われました。
Img_6371c  町屋御用水の取水口は上野にあり、現在は水を調整するための水門がImg_6536c 残っています。ここから2.5㎞の間は溝を掘った形で地上に水路が見えており、その先は地中に潜っています。吉津屋御門(今の吉津屋町)から町内に入ると水道は地下に潜り、所々に水をくむめの井戸がつくられました。その井戸を「通り井」といいます。人々は、長い竿のついた桶をもって水をく みに来たといいます。左の画像は、「久波奈名所図会」から撮ったもの。下水道工事により見つかっ た「通り井」の場所には右の写真にあるような標識が埋められ、現在でもその場所を知ることができます。これは、旧・東海道筋にある歌行燈(うどん屋)の近くのもの。
【掛樋(かけひ)】
Img_5477c  伝馬公園のすぐ近く、矢田郵便局付近に「掛樋」という地名があります。Img_5478c 交差点の名前にもなっています。これは、当時、御用水が城の惣構え堀をまたぐための水道橋がかけられたことに由来するものです。
【願証寺】
Img_6374c こちらは、「久波奈名所図会」に描かれている願証寺。画面、左上に「願Tenmapark 證寺」と書かれています。顕本寺(日蓮宗)は、現在も日進小学校の北にあります。中央には、「傳馬町通」が通っています。右は、伝馬公園あたりのマップ。赤いラインが旧・東海道。

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2018年11月12日 (月)

九華公園にシメ4羽……午後は市民大学最終回で修了証をいただきました

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 九華公園にシメ、再登場です(微笑)。それも、4羽いたのです。今まで集団(というと大げさですが)でいるのは見たことがありません。少し離れたところから鳴き声が聞こえ、観察した結果、4羽いることを確認。11月8日に1羽を見て以来、確認できなかったのですが(九華公園にシメ登場)、これで居着いてくれるとありがたいところ。まだ警戒心が強いのか、樹上にいてばかりでした。
Img_2025c こちらはジョウビタキのメス。珍しくないといわれそうですが、小生の散歩コImg_2023c ースでは、ここしばらくオスばかりでした。柿安コミュニティパークのところにて。すぐ近くには、三の丸公園あたりを縄張りにしているモズのメスもいましたが、とくにトラブルという様子もありませんでした。
Img_2016c さて、今日の散歩もいつも通り。ちょっとくらい遠征したい気もしていますが、今日は、午後から市民大学でしたので、いつも通りに。8時20分から11時にかけて、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園と公園巡りをして、京町、寺町という5.8㎞コース。写真は、住吉神社の前。水郷花火大会に向け、草刈りが行われ、サッパリしています。
Img_1332c 九華公園に着くまでに(8時40分頃)、ジョウビタキのメス、モズのメスの他、ハクセキレイ2羽(柿安コミュニティパーク)、ヒドリガモのペア1組(三の丸水門)。九華公園のアオサギ、鎮国守国神社の社務所裏にいるのですが、木のどこにいるかは、日によって微妙に異なります。左の写真は、わざと枝かぶりのものを載せました。
Img_1381c カモは、今日も合計53羽。ハシビロガモのオスが2羽、メスが3羽、ホシハジロのメスが1羽、ヒドリガモのペアが1組、他はキンクロハジロ。ヒドリガモは、遅れて登場しましたので、三の丸水門からやって来たのかも知れません(まったくの推測です)。
Img_2036c ホシゴイは2羽。こちら、公園についたときには見つけられず、2回目(9時Img_2039c 半過ぎ)のチェックで確認(アオサギ、ゴイサギ、ホシゴイは何故か2回見に行く習慣になっています)。左は、鎮国稲荷の参道から撮ったもの。右は、社務所裏にいるのを堀を挟んだ西側から撮影。こういう枝かぶりの位置にばかりいます。このあと左の写真のホシゴイは、西の方へ飛んで行ってしまいました。
Img_1349c こちら、写真としてはできが悪いと思いますが、カワラヒワの行動が分かるもの。松の木に来て、松の実を啄んでいます。
Img_1391c 九華公園の野球場横でハクセキレイ、右のジョウビタキのオスは内堀公Img_1398c 園にて。貝塚公園も毎回チェックしていますが、ヒヨドリばかり。カワラヒワは割りとよく見ますが、最近、他の鳥は少なくて残念。ここにはシロハラやツグミが来ますので、それを楽しみに足を伸ばしているのです。
18jukouhyou ところで、5月7日に開講した本年度の「くわな市民大学」講座ゼミナール「郷土史学科」、本日、最終回を迎えました。10月1日は台風の影響で日にち変更がありましたが、無事に皆出席。今年のテーマは「戊辰戦争 それぞれの戦い」。戊辰戦争に至った経緯、朝廷と幕府の関連、諸藩や公家の立場と動き、外国の影響、桑名藩の動きなど7回にわたって聴講。講師のO先生は、毎回手作りの年表を示してくださいました。最後に、戊辰戦争とはいったい何だったのかという問いかけ。「薩長のための戦争。徳川幕府が、薩長幕府になっただけ」ということをおっしゃった方があり、思わずうなずいてしまいました。ものごとにはいろいろな立場からそれぞれの見方がありますから、これがすべてではありませんが、1つのポイントを突いていると思います。
181112shuuryoushou この年になってもこういうものがいただけると、嬉しいものです(微笑)。無事に修了証もいただけました。
 以下、本日の野鳥リスト(写真を載せたものと重複します):
  • ドバト
  • ヒヨドリ
  • キジバト
  • ヒドリガモ
  • ハクセキレイ
  • キンクロハジロ オス、メス
  • モズ メス(柿安コミュニティパーク)
  • ジョウビタキ オス(九華公園、内堀公園)、メス(柿安コミュニティパーク)
  • アオサギ
  • ホシゴイ
  • シメ
  • ホシハジロ メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • カワラヒワ

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2018年11月 9日 (金)

萬古焼の展覧会巡り……「再考!萬古焼」と「萬古焼の粋」へ

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 雨という予報で、朝8時前から降ってきました。かねてから雨が降ったら出かけようと思っていた萬古焼の展覧会へ行ってきました。今年は、萬古焼の祖である沼波弄山生誕300年ということで、この地方の博物館が「弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業」ということでそれぞれ展覧会を行っています。
 萬古焼(ばんこやき、万古焼)は、陶磁器・焼き物の一つで、葉長石(ペタライト)を使用して耐熱性に優れた特徴があります。もともと、江戸時代中期に桑名の豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)が、元文年間(1736~1740年)に朝明郡小向(あさけぐん おぶけ、現在の三重郡朝日町小向)で創始ししました。弄山が、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を押したのが、名前の由来です。
 古萬古はいったん廃絶しますが、後に各地で萬古焼の再興が試みられました。天保年間(1830~1843年)、桑名の古物商森有節(本名は与五左衛門)らによって萬古焼が再興されました(有節萬古)。華麗な粉彩による大和絵の絵付と、木型成形法によって製造された斬新な急須は桑名の名物となり、桑名藩も製造を奨励しています。射和村(現在の松阪市)の竹川竹斎は射和萬古を、弄山の弟子の沼波瑞牙が津で安東焼(後の阿漕焼)を興しました。
 四日市萬古焼は、幕末期に山中忠左衛門の尽力によって興り、明治時代に地場産業として定着しました。現在、萬古焼というと、土鍋や蚊遣りぶたが有名かも知れませんが、これらは四日市萬古の品物。
 小生も、これまでに桑名市博物館で行われた「沼波弄山生誕300年記念 古萬古とそれを継ぐ者」(2018年6月1日:ツバメのヒナへの給餌シーンがすごい……博物館で古萬古も見てきました)と、四日市市立博物館の「開館25周年記念 企画展 沼波弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業 ばんこやき再発見-受け継がれた萬古不易の心-」(2018年8月30日:四日市市立博物館で萬古焼展)の2つを見て来ました。このほか、パラミタミュージアムでも「萬古の名陶」展が6月から7月にかけてあったのですが、それは見逃してしまいました。
Dscn0378c まずは、朝日町歴史博物館へ。ここでは、「再考! 萬古焼」という企画展Dscn0381c が10月27日~11月25日に開かれています。入場は無料。原則として月曜休館。この展覧会では、幕末に小向村(現在の朝日町小向)で萬古焼を再興した森有節、松阪で射和萬古を始めた竹川竹斎、津市で安東焼に参加した瑞牙の作品など62点が出品されています。有節は、木型による成形法や、腥臙脂(しょうえんじ)釉による淡紅彩などを創始したことで有名。木型による成形法は今でも用いられているそうですし、この展覧会にも多様な木型が出展されています。「再考」というのは、再興された万古の歴史的な意義を再考する機会にしたいということです。
Dscn0457c 続いて四日市へ。四日市市陶栄町にある「ばんこの里会館」3階ホールで開催されてDscn0383c いる「萬古焼の粋(いき)」展へ。9月29日から始まり、12月28日まで。高校生以上は入場料500円。こちらも原則として月曜休館。400点ほどの作品が出ています。会場は、右の写真のように、三重県産の杉材をあしらい、時代、テーマ別に並んでいます。
Dscn0385c こちらの展覧会は“CAMERAS OK”となっていました。左の写真は、古萬Dscn0399c 古。右は、有節による腥臙脂釉によるもの。腥臙脂釉は、金をわずかに使ったピンク色が出る釉薬です。ピンクが色鮮やかです。
Dscn0409c 明治になって、輸出用につくられた萬古焼にはさまざまなというか、かなDscn0414c りユニークものがあります。左は、髑髏のインクボトル。ちょっと不気味。右は、陶製のキューピー人形。
Dscn0423c 急須にもさまざまな意匠のものがあります。左は、鳥のウズラのデザイDscn0427c ン。ウズラの嘴が注ぎ口。右は、ひょっとこや、七福神のもの。注ぎ口がゾウの鼻になったものもあります。動物のものはまだしも、ひょっとこでは見るには良いと思いますが、自分で使うのは遠慮したいところ(微笑)。
Dscn0431c こちらは戦時中のもの。政府の統制下、金属製品の代わりを萬古焼が受Dscn0432c け持ったのです。左は、陶器製のガスコンロ、右は同じくヤカン。
Dscn0439c こんな陶器製の狛犬もあります。たしか、このばんこの里Dscn0455c 会館の向かいにある萬古神社の狛犬にも陶器製があるという話ですし、萬古神社には陶器製の灯籠がありました(2018年6月3日:20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その3)……萬古神社からゴールの近鉄・川原町駅へ(完))。
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 ということで雨の中、朝日町歴史博物館と、ばんこの里会館の2ヶ所で萬古焼の展覧会を巡って、楽しんで来ました。これで、はじめにも書きましたように、「弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業」の展覧会5つのうち、4つを制覇しました(微笑)。

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2018年10月19日 (金)

九華公園にハシビロガモ飛来……3日連続でコスモス畑、近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真

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 九華公園にハシビロガモのメスがやって来ました。調べてみたら、去年は1Img_9043c 日違いの10月20日にメスが1羽やって来ています(2017年10月20日:イソシギ、ハシビロガモのメス、キンクロハジロのメス@九華公園)。そのときのメスと同じ個体のように見えます。カモたち、けっこう時間厳守なのかも(笑)。キンクロハジロは、合計7羽(オス3羽、メス2羽)。
Img_8078c こちらは、今シーズン初めて確認したゴイサギ。珍しいところにいますし、何Img_9073c やら緊張している様子。というのも、いつもゴイサギがいる鎮国守国神社の社務所裏近くで、今日は、シルバー人材センターの方が草刈り作業中で、ここに避難している様子。右の写真のようにかなり高い松の木にいました。
Img_8080c 散歩は、いつものように8時20分からまずは、九華公園へ。住吉神社、九華公園と回って、片町、江戸町、田町、住吉入江と若干異なったコースで、4.8㎞。片町近くに、数年前ゴイサギのコロニーがありました。そこを見て来たのです(ゴイサギはいませんでした)。
Img_8058c 三の丸公園ではモズ。いつもこのあたりにいるメスのように見えます。このImg_9035c ほか、近くにもう1羽がいたような感じでした。今日は案外鳥が少なく揖斐川の中洲にもダイサギとアオサギが1羽見えたのみ(右の写真、背後に見えるのは長良川河口堰)。
Img_9040c 九華公園では、アオサギがいつものところに。ほぼ毎日、確実にここにいImg_9069c てくれます。何気なく佇んでいますが、「おぅ、今日も来たか?」という雰囲気(という気がするだけですが……)。仲良くなりたいですねぇ。他には、グラウンドにハクセキレイ1羽。このほか、カワラヒワや、ヤマガラの鳴き声も聞こえていました。
Img_8144c 10時にいったん自宅に戻って、再び(三度ですが)、こちらへ。上之輪新田のコスモス畑です。そうです、昨日、運休日とは知らずに近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真を撮ろうとして失敗しましたので、早速リベンジという次第。10時15分に現地到着。
Img_9103c 平日は、近鉄名古屋発10時25分、近鉄四日市発10時53分というダイヤ。Img_8121c 桑名通過は、10時40分過ぎ。今日は、若干遅く、10時50分近くになってやって来ました。いやぁ、何とかコラボ写真が撮れました。必ずしも満足がいくものでもありませんでしたが、まずは撮れたことで良しとしましょう。
Img_9077c しまかぜも撮れたので、回りの水田にいる鳥たちも見て来ました。左はダImg_9083c イサギ。サギたちは少なくなりました。右は、ヒバリ。コスモス畑の南の水田に数羽います。近くを歩くと、飛び立って、春先に見られるような「揚げ雲雀」を見せてくれます。「縄張りだから、入るな!」と宣言しているかのようです。
Img_9091c ハクセキレイもたくさんいます。写真は撮れませんが、2羽が戯れているのか、牽制し合っているのか分かりませんが、空中戦をしているように見える行動をよくしています。
Img_8162c ということで、上之輪新田のコスモスと電車を堪能。おっと忘れるところでImg_9097c した。キハ11の名古屋への回送車両とコスモスコラボ。10時40分過ぎにここを通過していきます。調べてみると、平日の昼に名古屋へ、夜に下りで回送されているようです(こちら)。さらに、こちらによれば、キハ11は紀勢本線での運用を終了したのですが、ステンレス車の300番台は現在も名松線で単行運用されており、そのメンテナンスのために名古屋車輌区まで関西線を通過するようになったといいます。
Img_9076c 明日は、菰野で近鉄ハイキングがあります(芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング)。明日も行きたいと思っています。この分では、菰野通になれそうです。明後日・日曜は、心理アセスメントの研究会で、いつもの某女子大学へ潜入予定(微笑)。

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2018年10月13日 (土)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その1)……伊勢中川駅、宇治山田駅、神都バス、度会府庁跡、シンフォニアテクノロジー響きホール、伊勢豊受稲荷神社、箕曲中松原神社

 近鉄ハイキングに立て続けに出かけたため、記事が滞っています。こういうのを自業自得というのかも知れませんが、1つずつ順番に書いていくしかありません(笑)。まずは10月8日の分。「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」のその1です(予告編は、こちら)。

Img_5748c この日は体育の日。天気もよく、暑いくらいでした。歩き始めてからは、半袖Kic Tシャツ1枚で十分なくらいでした。この日のハイキングの受付は、近鉄山田線・宇治山田駅。右の地図をご覧ください。桑名からでは、名古屋に行く方がはるかに近いのです。近鉄電車では、桑名駅-宇治山田駅の間は、83.4kmもあります。急行で行くと、1時間半。
Img_5751c ということで、これまでの近鉄ハイキング/JRさわやかウォImg_5770c ーキングの中でもっとも早く、近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川は、近鉄の名古屋線、大阪線、山田線の乗換駅。ここに9時4分に到着。9時7分発の五十鈴川行き急行に乗り換えます。
Isenakagawa_station いきなりの余談で恐縮。鉄道好きの方はご存じですが、この近鉄・伊勢中Img_5767c 川駅、なかなかおもしろい駅なのです。左に伊勢中川駅の線路・ホームの配置図を載せました。駅そのものは、5面6線のホームを持つ地上駅ですが、3路線の接続駅で、乗り換えに便利なように、2~4番線は両側をホームで挟まれる構造になっています。右は、実は降車ホームを間違えたのですが(2番ホーム側に行かねばならなかったのです)、3番線と4番線の間のホーム。4番ホームに止まっているのは、大坂の上本町行き急行でした(これに乗ってしまわなくて良かった)。ちなみに、階段を上り下りせずに、電車を通過して向かい側のホームに行けます。
Img_5771c すぐに間違いに気づき、乗ってきた伊勢中川行き急行の車両の中を通Img_5776c 過して(両側のドアが開いているのです)、2~3番線ホームへ行き、五十鈴川行きの急行に無事乗り換えました。
Img_5761c もう一つ屁理屈というか、講釈。上の線路・ホームの配置図にもありますが、名古屋線から大阪線へは、伊勢中川駅に入らないでいける「中川短絡線」があります。短絡線は伊勢中川駅の一部だそうで、プラットホームは通らないものの、伊勢中川駅構内を通過しているとみなされ、運賃は伊勢中川駅で折り返したとみなして計算されます。昭和36(1961)年3月に供用開始。平成24(2012)年1月に新しい橋が造られています。アーバンライナーなど、名阪間のノンストップ特急は、この短絡線を通って行きます。
Img_5777c ということで、いったん降車ホームを間違えたものの、無事に五十鈴川行き急行に乗り換えられ、宇治山田駅には9時31分に到着。¥1,200。ほぼ1時間半を要しました。これまで26回ほど、近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキングに参加しましたが、最長の乗車時間であり、最高の運賃です。
Img_5786c 近鉄山田線・宇治山田駅。24歳で最初の職場(鈴鹿にある某国立病院)Img_5808c に就職した年の大晦日、先輩Mさんに連れられ、伊勢神宮の初詣に来たとき、ここに降りた記憶があるのですが、どういう駅であったかまったく記憶がありません(テレビや新聞、雑誌では見ていますが)。写真や画像で見ると、なかなか雰囲気の良い駅なので、一度(もう一度?)よく見てみたいとは思っていました。
Img_5828c  宇治山田駅は、昭和6(1931)年に開業。当時の面影を、今でも残していImg_5806c ます。国登録有形文化財です。駅名は、開業当時の市名である宇治山田にちなんでいます。内部のコンコースは広々として2階までの吹き抜けがあり、荘重でゆったりとした駅舎ですが、団体待合室や食堂など、多数の参詣客に対応できる機能的な設計もされています。貴賓室があり、天皇など皇族の方や、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。
Img_5860c  駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート3階建て(塔屋を含めると5Img_5836c 階建て)。設計は、同じ1931年に開業した東武鉄道浅草駅や1932年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節(建築家。鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任)。建築面積は3,201㎡、幅128mの堂々たる駅舎です。外壁はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並んでいます。屋根には茶色のスペイン瓦が使われていて、昭和初期の名建築です。
Img_5802c 個人的には、このベンチも風情があっていいなと思っています。コースマップをもらってから、このベンチに座ってみました。小生は建築には詳しくはありませんので、宇治山田駅の魅力を伝えられません。ご興味がおありの方には是非お訪ねくださるようお勧めします。
Img_5795c この日のハイキングの受付は、宇治山田駅コンコース。こんなチラシも貼Img_5801c ってあり、気合いが入ります。受付は9:30〜10:40で、ちょうど良い時間に到着。それに「名物二軒茶屋餅で舌鼓」が楽しみであります。右がいただいたコースマップ。宇治山田駅をスタートして御幸道路、錦水橋を経て、河崎の町並みを見て、勢田川沿いを散策。二軒茶屋で角屋本店さんの二軒茶屋餅をいただき、松尾観音寺、倭姫宮をめぐって、鳥羽線・五十鈴川駅がゴールという、約8㎞のコース。
20181008kintetsuhikingujiyamada こちらが実際に歩いたルート。多少寄り道をしましたので、9.7㎞を歩きました。伊勢へ来たのですが、外宮、内宮など伊勢神宮にお参りするコースではありません。河崎といって、江戸時代から伊勢の台所として発展した問屋街あたりを回り、勢田川沿いを散策。伊勢名物の一つ、二軒茶屋餅を味わいます。最後に、伊勢神宮の別宮の一つである倭姫宮へお参りします。倭姫命は、垂仁天皇の第四皇女。天照大神の社を、伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられます。倭姫命は、伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢の国をめぐられたのですが、その途中、桑名にも立ち寄っておられます。桑名野代宮(現在の野志里神社とされます)には4年間滞在されたといわれます。こういうことで桑名にも縁がありますので、お参りしたいという次第。
Img_5830c さて、宇治山田駅の駅舎から出て撮影をしていましたら、こちらのバスがImg_5890c やって来ました。神都バスと呼ばれ、三重交通が運用しています。伊勢には、明治36(1903)年から昭和36(1961)年の間、路面電車・神都線が走っていました。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)に合わせて、路面電車型バスとなって生まれ変わったものです(右の写真は、あとで触れます錦水橋のところで撮影)。
Img_5862c 宇治山田駅を出たところで、度会(わたらい)府庁跡の石柱を見つけました。慶応3(1867)年の大政奉還を受けて、翌年7月、度会府が設置され、橋本実梁(さねやな)が知事となり、小林(おはやし)村の旧・山田奉行所に着任しました。余談ですが、山田奉行といえば、18代奉行であった大岡越前守忠相が有名です。
Img_5865c 度会府は、明治2(1869)年に度会県と改称され、翌3(1870)年、県庁舎は、箕曲(みの)町(ここ岩淵2丁目)に移ってきました。度会県は、一志、飯高、飯野、多気、度会、答志、英虞、南牟婁、北牟婁の9郡を所管し、北の安濃津県とともに、三重県を二分していました。その後、明治9(1876)年4月、三重県(安濃津県から改称)と合併し、度会県の歴史は幕を閉じたのです。ちなみに、この石碑は、昭和8(1933)年3月に「宇治山田市教育會」によって建てられています。さらに講釈を重ねますが、伊勢市の旧名が宇治山田市。宇治に皇大神宮 (内宮) 、山田に豊受大神宮 (外宮) があり、両地区とも中世には自治都市を形成していました。鎌倉時代以降、両者とも門前町として繁栄したのですが、神権の優劣を争ったり、商業利権の競合から対立したりし、文明 18 (1486) 年には宇治山田合戦と呼ばれる流血の抗争が起ったこともありました。明治39(1906)年、両地区が合併し、伊勢市 (昭和30(1955)年成立) の前身である宇治山田市となっています。
Img_5815c 宇治山田駅の向かいにあるのが、シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢。小生のような年代のものには、伊勢市観光文化会館という名前の方がなじみがあります。シンフォニアテクノロジーは、旧・神鋼電機です。
Img_5867c ようやく宇治山田駅を出発(9時45分)、駅前を左折して南へ。曲がってすImg_5869c ぐ、朱い鳥居が目に入りました。朱い鳥居といえば、お稲荷さん。伊勢にお稲荷さんがあるのかとちょっとビックリ。伊勢豊受稲荷神社です。名前がすごい。というのも、「豊受」というのは、いわゆる外宮さん、正式には豊受大神宮にある名前。お稲荷さんですから、ご祭神は、宇迦之御魂神。ここは西にある箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)の境内社です(こちら)。
Img_5871c その箕曲中松原神社の鳥居は、伊勢豊受稲荷神社の鳥居の南にありまImg_5875c した。古来、現在地に鎮座していたと考えられ、大歳社、中松原社、美野社、箕曲社などと称していたものを後世、箕曲中松原神社と改めたようです。創始年代は不詳ですが、長徳3(997)年の文献に出てくるそうです。外宮参拝玄関口にあって、正月には初詣の参拝客で賑わうといいます。境内には樹齢千年の楠があり、古来より神霊として崇敬され、特に疱瘡の守護神として現在も崇敬されているそうです。
20181008kintetsuhikingujiyamada1  宇治山田駅からまだ100mほどしか進んでいませんが、長くなりますので、その1はここらで。左のマップでは、「岩淵」交差点のところあたりです。次は、御幸道路、錦水橋から。

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2018年10月 8日 (月)

20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編)

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 体育の日、絶好のハイキング日和です。今日は、近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」に行ってきました。近鉄名古屋線・宇治山田駅から、御幸道路、錦水橋、河邊七種神社、河崎の町並み、河崎商人館、勢田川沿い散策、橘神社、二軒茶屋餅角屋本店、松尾観音寺そして倭姫宮を訪ね、近鉄鳥羽線・五十鈴川駅がゴールという、コースマップ上8.4㎞のハイキング。
Img_5751c いつもハイキングに出かける時よりも1時間近く早い電車に乗ります。自宅は7時40分過ぎに出発。というのも、桑名から宇治山田まで急行で行くと、ほぼ1時間半かかるのです。8時3分の伊勢中川行き急行に乗り、伊勢中川に9時4分着、9時7分発の五十鈴川行き急行にに乗り換え、宇治山田到着は、9時31分。料金は、何と¥1,200! これまでに参加した近鉄ハイキングでは、最長の乗車時間であり、最高の運賃(笑)。本日は、例によって「予告編」。写真もどういう風か、800枚以上撮ってきており、まだざっと見ただけです。
Img_5786c 近鉄名古屋線・宇治山田駅。昭和6(1931)年に開業。当時の面影を、今でも残しています。国登録有形文化財。駅名は開業当時の市名である宇治山田にちなんでいます。内部のコンコースは広々として二階までの吹き抜けがあり、荘重でゆったりとした駅舎ですが、団体待合室や食堂など、多数の参詣客に対応できる機能的な設計もされています。貴賓室があり、天皇など皇族の方や、内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。
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 駅舎は開業当時からの鉄骨鉄筋コンクリート3階建て(塔屋を含めると5階建て)。設計は、同じ1931年に開業した東武鉄道浅草駅や1932年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけた久野節。建築面積は3,201㎡、幅128mの堂々たる駅舎です。外壁はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並んでいます。屋根には茶色のスペイン瓦が使われていて、昭和初期の名建築です。就職した年、初詣で来たと思うのですが、夜中でしたのではっきりした記憶がありません。一度しっかりと見ておきたかった駅。
Img_5801c 左は、本日のコースマップ。伊勢へ来たのですが、外宮、内宮など伊勢20181008kintetsuhikingujiyamada 神宮にお参りするコースではありません。河崎といって、江戸時代から伊勢の台所として発展した問屋街あたりを回り、勢田川沿いを散策。伊勢名物の一つ、二軒茶屋餅を味わいます。最後に、伊勢神宮の別宮の一つである倭姫宮へお参りします。右は、実際に歩いたルートマップを、いつものように距離測に描いたもの(こちらを参照)。多少とも寄り道をしたりしましたので、実際には、9.6㎞を歩きました。自宅から桑名駅までの往復を含め11.6㎞ほどです。
Img_5889c 宇治山田駅を出て左折を重ね、御幸道路へ出ます。伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)を結んでいます。全長はおよそ5.5km。明治天皇の行幸で神宮へ参拝するための道路として、自動車が通行できる道が倉田山を経由して作られたのです。明治43(1910)年に竣工。篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいたのですが、今年4月路線バスがバス停に止まろうとした際、道路脇に設置されていた石灯籠に接触。これが倒壊して歩行者の男性を直撃し、亡くなるという事故があって、撤去されてしまいました。歩道の新しい舗装は、石灯籠があったところと思います。
Img_5900c  上の写真に写っている橋が、錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。
Img_5904c 錦水橋からは、勢田川沿いを歩き、河崎の町並みに向かいます。写真は、清浄坊橋のやや上流から、上流方向(南)を見たもの。勢田川は、伊勢市街地を流れる主要な河川で、江戸時代にはお蔭参りの客や物資の輸送で大変賑わいました。
Img_5939c 河崎の町並み。今もたくさんの店などが営業していて、楽しめます。こちImg_5930c らにある「伊勢河崎商人館」のサイトにたくさん情報が載っています。町歩き地図もあります(ここ)。河崎を始め、伊勢地方では、右のような注連飾りが年中飾ってあります。「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。
Img_5960c 河崎の氏神様である河邊七種神社(かわべななくさじんじゃ)。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名由来に依り、河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。
Img_5985c 主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。相殿神は、八衢比古神、八衢比売神、久那斗Img_5987c 神、大物主神、火産霊神、菅原道真公、水神、宇迦之御魂神、祭神不詳二座(相殿神は、本編で触れます)。
Img_5991c 境内社には、吉家稲荷神社があります。町内に無格社として祀られていたものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。
Img_6043c 河崎商人館。江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋「小川酒店」を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなっています。といっても、小生は、中は見ておりません(苦笑)。9時30分~17時00分、火曜日休館、大人300円です。ちなみに、町並みは「切妻妻入(きりづまつまいり)」になっています。神宮の御正殿が平入りのため、同じでは畏れ多いという理由だそうです。
Img_6034c 川に面して建つ酒類の商品蔵は、日常で使う雑貨、食品を中心とした販Img_6054c 売と展示をしています(こちらを参照)。ちょっとだけ覗いてきました。また、商家には大きな鬼瓦、飾り瓦があります。飾り瓦には「隅蓋」といわれる、切り妻の両端にあり、水が建物に入り込むのを防ぐ蓋の役割をするものがついています。右は、河崎商人館のものの1つ。火災から家を守るという祈りも込められているようです。
Img_6074c 川辺の蔵。かつては、川の両岸に川から直接荷物を運び入れることができる蔵が建ち並んでいたといいます。左の写真は、「川の駅」近くで撮ったもの。勢田川の左岸にあります。これも見たかった景色。
Img_6108c その後は、勢田川沿いを延々と歩きます(笑)。次の目的地である橘神社に行くまで、瀬田大橋を渡って2.5㎞。川沿いです。しかし、退屈はしません。川沿いで、カワウ、モズ、トビ、イソヒヨドリなどが登場してくれたからです。
 瀬田大橋を渡って、勢田川の右岸を歩き、4.5㎞地点。橘神社です。Img_6129c しかImg_6144c し、参加者の方、ほとんどここには見向きもしません。次の二軒茶屋餅・角屋本店が気になるのでしょう(笑)。御祭神は、橘諸兄(たちばなのもろえ)。橘諸兄は、敏達天皇の子孫で、天平9(730)年に大納言に抜擢された、いわば奈良時代の政治家。
Img_6122c 境内には、勝廣稲荷社もありました。倉稲魂神が御祭神。御鎮座は不明ですが、伊勢学園高校の敷地に鎮座していたものの、平成6(1994)年、ここに移転してきたそうです。
Img_6196c 次は、いよいよ「名物二軒茶屋餅で舌鼓」であります。5㎞直前、11時25Img_6193c 分。お腹は空いています(微笑)。二軒茶屋餅は、角屋本店の商品。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業されました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は、今はありません。
Img_6170c 今日の近鉄ハイキング参加者には、二軒茶屋餅を1つプImg_6174cc レゼントされます。二軒茶屋餅は、きな粉餅で、中にあんこが入っています。三重県内、東海道から伊勢街道(参宮街道)沿いは、「餅街道」なのです。ちなみに、まだ全部制覇はしていません。
Img_6158c 二軒茶屋餅角屋本店の敷地内には、明治天皇の記念碑があります。樹齢400余年の大楠の下に建っています。 この記念碑は、明治5(1872)年に明治天皇が海路より伊勢神宮に参拝した際、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立されたものです。
Img_6244c ちょっと飛びますが、倉田山公園。野球場のところに「野口みずき金メダルロード」の顕彰記念碑と、沢村栄治投手・西村幸生投手の胸像がありましたので、寄り道。野口Img_6250c みずき選手は、アテネオリンピックの女子マラソンで優勝しました。伊勢市出身で、県立宇治山田商業高校時代に実際にトレーニングで走ったコースを顕彰記念道路としています。沢村、西村ともに伊勢市出身の偉大なプロ野球選手。ともに太平洋戦争当時に、沢村投手は現読売巨人軍、西村投手は現阪神タイガースで、それぞれエースとして活躍したのですが、両選手とも戦争で命を落としています。
Img_6286c 倉田山公園野球場から3~400mのところに、松尾観音寺があります。山号は、龍池山。約1,300年前の奈良時代始め(712年)、当時の高僧・行基が伊勢神宮参拝の折、この松尾山に雄・雌の龍が住むと伝えられる池があることを知り、その池のほとりに自ら観音様を刻み寺を創建したと伝えられています。創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない“単立”という特異な形態の祈願寺です。ご本尊は、「十一面観世音菩薩」と脇仕の「地蔵菩薩」「毘沙門天」。龍神伝説に因んで、「災難除け」「縁結び」などに利益があるとされます。 龍池は、本堂裏(伊勢学園高校の南)にあります。「二つ池」と呼ばれ、東の池には雄龍、西の池には雌龍がそれぞれ住んでおり、観音様をお守りになっていると言われています。松尾観音寺に着いたのは、12時ちょうど。ここで6.4㎞ほど。
Img_6301c 境内には、松尾龍池社などいろいろなもなものがありました。まだこれかImg_6358c ら調べないといけませんので、それは本編にて。松尾観音寺から、皇學館大学、高校、中学などの脇を通って、倭姫宮へ向かいます。右は、皇學館大学の寮。門がかなり立派。
Img_6376c 倭姫宮へ入るところの交差点は、「倭姫前」。交差点のところには、「神宮Img_6380c 文庫」という看板がありました。よく分からなかったのですが、この奥には皇學館大学の神道博物館があるようです。交差点を渡って、倭姫宮への入口には、「古市へニ町」という道標が建っていました(道標好きです)。
Img_6391c 倭姫宮。内宮の別宮。御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)。伊勢神宮には内宮と外宮と合わせ別宮は14宮ありますが、そのうち創建が明確であるのはここ倭姫宮だけです。大正12(1923)年11月5日創建で、もっとも新しい別宮です。倭姫命は、第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられます。倭姫命は天照大神を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、祭祀や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったと伝えられます。その途中、桑名にも立ち寄られています。
Img_6413c こちらが、倭姫宮。伊勢神宮の別宮ですので、倭姫宮も遷宮が行われまImg_6415c す。最近では、平成26(2014)年12月10日に遷御の儀が執り行われました(こちらを参照)。
Img_6431c この倭姫宮のあたりは、「倭姫文化の森」として整備されています。神宮Img_6439c 徴古館(左の写真)、神宮農業館、神宮美術館など神宮に関わる博物館もすぐ近くにあります。時間的、体力的余裕があれば、是非とも立ち寄りたいところですが、12時半を過ぎていましたので、ここのいこいの広場で昼食&休憩としました。今日も桑名駅の駅ナカコンビニでゲットしてきました。選択肢があまりなかったのと、電車の時間が迫っていたので、「いなり&おむすびのミニセット」(税込み¥298)。
Img_6468c 13時に再スタート。倭姫前の交差点から再び御幸道路に出て、ゴールの五十鈴川駅へ。倭姫前の交差点からは、ほぼ直線で1㎞弱。左の大鳥居をくぐって、下り坂。帰りに下り坂は楽ちん(微笑)。ここの御幸道路にも石灯籠があったのですが、すべて撤去。風情はありましたが、昭和30(1955)年に設置したもので、管理責任も曖昧になっていましたから、撤去やむなしと思います。

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 ゴールの近鉄鳥羽線・五十鈴川駅。13時18分に到着。スタートからほぼ3時間半。9.6㎞を完歩。ここは初めて来ました。江戸橋の仕Img_6503c 事の時、五十鈴川行きの急行に乗ることがありましたが、その電車は、ここまで来ていたのです。 特急停車駅ですが、コンビニもありません。ただ、周りの景色はとてもよい感じ。右の写真で奥に見えているのは、朝熊山と思います。我が家からも天気がよければ、この朝熊山は見えます。
Img_6543c 昼の時間帯、ここから名古屋まで直通の急行は、1時間に1本。特急は、2本。急行が出るまで40分弱。たくさん歩いて疲れましたので、ちょっと贅沢をして、特急で帰ることにしました。桑名までの特急料金は\1,320、運賃は¥1,270。合計¥2,590という大枚をはたきました。13時49分発で、桑名着は14時59分。特急なら1時間あまりということでした。
Img_6530c 五十鈴川駅は、直線区間の途中にあります。何かで調べたら、「隠れたImg_6538c 電車撮影スポット」と書いてありました。素人考えですが、確かにそうかも知れません。
Img_6561c お陰様で、今日であみま倶楽部のスタンプは、目出度く20個を達成しました。12月まで、1年の会員期間がありますので、もうちょっと頑張ってみたいと思うのですが、次は40個スタンプを集めないと賞品がもらえません。これはさすがにキツそう(笑)。
 以上、今日の近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」の予告編でした。800枚以上の写真を整理し、あれこれ調べてまた本編を書くことにします。

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2018年10月 7日 (日)

木曽川でミサゴ、カモたち、長島でトラクター祭……オープンカー日和でした

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 近鉄ハイキング(豊臣秀吉ゆかりの豊国神社と金シャチ横丁をたずねて)に行こうか迷った末に、バードウォッチングを選択しました。明日は必ず行こうと思っていますが(路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓)、今日は9㎞、明日は8㎞ではちょっとと二の足を踏みました。ということで朝8時頃、こちらへ。木曽川の国道23号線木曽川大橋上流のあたり。
Img_7251c パッと見たところ、あまり鳥の姿が見えなかったのですが、カモたちはいましImg_7368c た。左の写真は、コガモのような気がします。右は、ヒドリガモと思えます。マガモや、ハシビロガモは、今日も見当たらず。
Img_5571c 木曽川大橋から上流へ3つの水制を見て回りましたが、ダイサギや、アオサImg_5586c ギもいて、一通りは見られました。
Img_7281c 水制にある灯標には、ミサゴの姿もありました。最初に見たときは、カワウImg_7284c かぁと思ってしまいました。まだ修行が足りません(苦笑)。飛び立った姿も見たのですが、なかなかピントが合った写真が撮れません。
Img_7332c そのしばらくあと、魚を鷲掴みにして飛んで行く様子も見えたのですが、距離があったのと、このときはあいにくの曇り空で、これまたクリアな写真にはなりませんでした。
Img_7264c 途中、木曽川の下流の方からカモたちが30羽以上飛んできたりしましたが、ミサゴの登場で逃げてしまったり、忙しいこと。
Img_5607c 木曽川に30分ほどいて、河口堰に移動中、長島町内でトラクター祭に遭Img_7416c 遇。ちょっと立ち寄って見てきました。コンバインで稲刈りをすると、稲わらが丸められ、金属製の網で覆われて出てくるようでした。水田にいる昆虫やカエルなどが追われて出てくるため、サギたちが集まっていると思います。
Img_7398c 小さくてわかりにくいのですが、こちらのサギさん、カエルらしきものを咥Img_5626c_2 えて飛んできました。稲わらのロールは、右の写真にあるような働くクルマでトラックに乗せられ、どこかへ運んで行っていました。
Img_5630c 9時前には河口堰に到着。天気はよくなってきましたが、今日は、鳥はあImg_5632c まりいません。それでも、東側の魚道観察室のところには、コサギがいました。西側に行って戻ってきてもまだいたら、また、魚道観察室からのコサギ撮影にチャレンジすることにします。
Img_5636c 東側には、このほかアオサギが1羽だけ。堰下流側の魚道あたりにはカImg_5670c ワウもいません。西側に行っても、閘門へのアプローチの下流側にダイサギが1羽のみ。他は、カワウが数羽。猛禽類はもちろん、アオサギもいません。遠く、揖斐川の右岸にアオサギとダイサギが1羽ずつ見えただけ。
Img_5681c 親水広場も静かでしたが、モズが1羽いました。先日清掃作業をしていたImg_5677c 水路は、ご覧のような状況で、ハクセキレイなどは見当たりません。鳥たちにとっては「新奇環境」。これでは寄って来ません。
Img_7474c 東側の魚道に戻ってきました。コサギはいたものの、前回と同じく、観察Img_5690c までの横の隙間に入り込んでいて、条件はよくありません。しかし、それでもチャレンジします(笑)。まぁ、右のような写真しか撮れません。
Img_5701c 前回の失敗に懲りて(うまくいえば、学習して)、カメラのバリアングルモニターを使い、小生の姿がなるべく見えないようにして撮ったのが、この写真。この位置にいられては、これが精一杯。
Img_5708c まだ時刻は、10時前でしたので、九Img_5716c 華公園にも立ち寄ることにしました。天気もよいので、久しぶりに愛車コペンをオープンにして走ることに。ぶっ飛ばしてはいませんが、今日のような日は、オープンカー日和です。右は、伊勢大橋の上で信号で止まったあと、スタートする直前の写真。
Img_5735c 九華公園到着は10時。知人多数にであい、11時半までImg_5731c いたうちの1時間くらいはおしゃべり(笑)。「桑名の東海道」のパネル、付録の「久波奈名所図会」の該当箇所を用いたものも追加していただき、これで完成。
Img_5298c 前管理人のOさん作の大型マップの上には、飾りとして、東海道五十三Img_5435c 次の宿場名が並べられました。桜の枝を加工して、「桑名宿」「七里の渡し」などが示されています。一つ一つに笠を被せてあるなど、細かい細工が施されています。これは、小生にはとても手に負えません。
Img_5726c 九華公園、少し時間が遅めでしたが、それでも何種類かの鳥を見られまImg_7497c した。モズは、相撲場の近くの樹上で鳴いていました。木のてっぺんを探したら見当たらず、焦りましたが、ちょっと低いところに。本丸跡では、シジュウカラが2羽。
Img_7505c そして、コサメビタキとおもわれるサメビタキの仲間(苦笑)。北門近くと、Img_7515c 扇橋近くとで見ましたが、同じ個体かと思っています。英語の名前であるflycatherの通り、時折飛び立っては虫を捕まえていました。
Img_5745c ということで7時半出発、11時半帰宅、3ヶ所を回って来ました。歩いたのは、合計で5キロほど。明日こそ、近鉄ハイキングに行こうと思っています。宇治山田駅出発で、「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」というもの。宇治山田駅は、大昔行った記憶がありますが、よく覚えていません(内宮さんに年越し参りに行ったことがあったのです。24歳の頃ですから、おおかた40年前)。レトロな駅舎が楽しみ。
【追記】
Img_5523c  しばらく前から、朝早くから我が家近くでイソヒヨドリが鳴いています。今朝、ようやくその姿を捉えられました。我が家の南にある4階建ての賃貸マンションのテレビアンテナにいるところ。一昨日(10/5)の記事(今日も天気はイマイチ……モズ、メジロ、サメビタキで、キンクロハジロとアオサギは不在)に載せたのと同じイソヒヨドリと思います。

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2018年9月25日 (火)

20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(その1)……宗宝院と三重県総合博物館

Img_2980c  9月22日に出かけたJRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」の本編その1です(20180922JRさわやかウォーキング「国宝高田本山専修寺御影堂・如来堂と一身田寺内町を訪ねて」へ(予告編)……【キョリ測データを付記しました(9/23)】)。この日は、朝方まで雨でしたが、8時過ぎには上がってきましたので、予定通り、出かけました。
Img_2991c JRさわやかウォーキングなのに、近鉄の切符を買っています。JRで桑名かImg_2994c ら津まで行くと¥920かかるのですが、近鉄ならご覧のように、¥690で済むからです(苦笑)。時間的には、JRの快速みえで30分あまりに対して、近鉄の急行では50分弱かかります(近鉄特急であれば、30分あまりですが、特急料金が¥900)。急ぐ訳ではありませんから、50分かかってもまったく問題はありません。ということで、桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車し、津駅に9時46分到着。
Img_3002c 津駅は、JR紀勢線と近鉄名古屋線が乗り入れています。桑名駅と同じく、Img_3010c JRは東口、近鉄は西口。スタート受付は、東口を出たところに設けられていました。津は県庁所在地ではありますが、人出は多くありません。近鉄四日市駅の方がよほど賑やか。東口には、駅ビルはチャム、北側にアスト津(ちなみに、明日都だそうです)というビルがあります。
Img_3004c_2 こちらがコースマップ。津駅をスタートして、宗宝院、三重県立博物館Img_3006c (MieMu、みえむ)、勝楽寺、下津醤油、一身田商店街、高田本山専修寺、一身田寺内町の館がゴール。コースマップ上は5.9㎞です。先着700名に「一身田商店街のすてきなプレゼント引換券」がプレゼントされるということで、見事ゲット。ウォーキングスタートは、10時。
20180922jrwalkingtsu1 実際に歩いたルートはこの地図の通り。こちらにキョリ測に描いたルート20180922jrwalkingtsu11 マップがあります。とくに寄り道、道草はしなかったものの、高田本山専修寺の中を歩き回ったりしましたので、JR紀勢線・一身田駅に着いたときには、7.5㎞を歩いていました。
Img_3012c 今日のコースは、津駅から見ると西側ですので、東西連絡の地下通路をImg_3013c 通って、駅西に出ます。西側が、上にも書きましたが、近鉄津駅。
Img_3014c 近鉄津駅(西口)から津駅西の交差点に向かいます。ここからは、キツくImg_3015c はないものの、上り坂。津駅西の交差点の向こうは、住宅街が広がり、三重県立美術館もあります。住宅街はたぶんけっこう高級。交差点の角には、津偕楽公園があります(右の写真)。津藩第11代藩主・藤堂高猷(たかゆき)が安政6(1859)年につくった別荘「御山荘」(ござんそう)を起源としています。以前、小生はお城公園と区別が付いてませでした(笑)。昔、子どもたちが小さい頃、ここに保存されているD51蒸気機関車を見に行ったことがあったのに、です。この日の目的地の一つ、三重県立博物館は昔は、この公園の一角にありました。
Img_3019c 偕楽公園を見て右折し、県道10号線を歩きます。津駅あたりは標高4mImg_3020c ほどですが、この先、20mほどを上る(登る?)ことになります。こういうダラダラ坂、けっこうキツいのです。なので、黙々と登って行きます。このあたり、マンションなどがけっこう建っています。途中、ヒガンバナも咲いています。
Img_3022c 途中、歩道にはこんな道案内があったり、よく分からないモニュメントがImg_3023c あったり(笑)。地名でいうと、大谷町から上浜6丁目のあたり。
Img_3025c 上浜6丁目のバス停で1.1㎞ほど。バス停を過ぎてすぐにImg_3031c この日最初の目的地である宗宝院に向かうため、ひょうたん池のところを左折し、西へ。こういう池は、冬になるとカモたちがやって来そうです。
Img_3033c スタートから1.7㎞、けっこう蒸し暑い中、汗をかきながら最初の目的地でImg_3036c ある白龍山宗宝院に到着(10時20分)。曹洞宗のお寺。コースマップには、彼岸の行事で、本堂には入れないと書いてありましたが、扉は開いていましたので、ご本尊は拝めました。
Img_3042c ここ宗宝院は、慶長9(1604)年、当時の津藩主・富田信濃守信高の子Img_3039c 息・千代丸(享年12)の菩提を弔うため、現在の津市栄町(津駅の東南あたり)に建立されました。寺名の由来は、この千代丸の法名によります(宗宝院殿桂室芳公大禅定門)。その後、大正年間に白龍天山禅師によって法地開山されましたが、昭和20(1945)年7月の戦災で一切を焼失します。しかし、四世大鑑良雄大和尚によって再建が図られ、昭和45(1970)年には本堂も再建されました。
Img_3050c ところが、昭和60年代に入って、津市の都市計画事業がおこり、宗宝院Img_3053c もその計画の対象となったため、平成に入って移転再建が行われるに至りました。平成8(1996)年5月に一切の移転が完成しました。本殿の裏には、右の写真のような「安楽石(席)」がありました。静かに座ると、心が安まるそうですので、指示通り、静かに座ってみました。瞑想する(迷走ではありません)のに、なかなかよい感じでした。
Img_3061c 安楽石(席)の脇には、こちらのワンちゃんが控えておられました。「ジョImg_3056c ージュ」だそうです。今ようやく気づきましたが、「成就」なのでしょうね。お寺の守護犬だそうですが、なかなか徳のあるお顔のように見えました。修行のためではなく、健康維持のため、食物はお断りします、だそうです(微笑)。そういえば、見るからにふくよかです。
Img_3063c 宗宝院の墓地には、観音様と思われる石像がありました。コースマップImg_3065c では、宗宝院の裏手を進むように指示されています。「大丈夫か?」とちょっと不安になりつつ、右の写真のようなところを歩いて行きます。
Img_3067c しばらく行くと、この写真のような建物が見えてきました。これが、三重県総合博物館のようでした(ちなみに、これまで三重県立博物館と書いていましたが、正しくは、三重県総合博物館でした)。よかった、よかった。
Img_3070c 建物をグルッと回ってエントランス。スタートからほぼ2㎞、時刻は10時35Img_3072_5 分。ここはずっと以前から、一度は来てみたいと思っていたところ。愛称は、MieMu(みえむ)。前身の「三重県立博物館」は、昭和28(1953)年6月に開館。博物館の建物が耐震基準を満たさないため、平成19(2007)年10に閉鎖。平成26(2014)年4月に三重県総合文化センターの隣接地にこの新しい博物館が開館しました。
Img_3075c ここでまず見たかったのは、この「ミエゾウ」全身復元骨格。「ミエゾウ」Img_3083c は、その化石が三重県内で最初に発見されたことから、世界中で通用する正式な学名を「Stegodon miensis(ステゴドン・ミエンシス)」と名づけられた太古のゾウ。県内各所からも多数の化石が発見され、ここでも多くの化石資料が収蔵されています。これは、国内各地で発掘・保管されているミエゾウ化石の形態データを3次元スキャンで収集して制作した全身骨格復元標本。
Img_3080c 「ミエゾウ」の脇には、ミエゾウのものと推定される足跡化石のレプリカがImg_3081c 展示されています。これは、伊賀市から出土したもの。5本の指の形が分かり、それからゾウの足跡と判別されるそうです。当時日本にいたゾウはミエゾウだけであることから、ミエゾウの足跡と推定されています。
Img_3086c この日、もう一つみたいと思ったのは、「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」展です。この展覧会は、武四郎の生誕200年を記念したもの。松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888))は、現在の三重県松阪市に生まれ、幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者です。「北海道の名付け親」とよばれる武四郎の北海道踏査の軌跡や、幕末の志士・文人たちとの幅広い交友、当代随一の情報収集家・古物蒐集家としての魅力が展示されています。11月11日まで。大人は¥800(この日は、ウォーキング参加者割引で¥700)。
20180922j1  松浦武四郎は16歳の江戸への一人旅をきっかけに、武四郎は諸国をめ20180922j ぐり、名所旧跡を訪ね、日本の百名山にも登ります。自らが見て、聞いたことを記録し、多くの資料を残しました。冒険家、探検家、地誌学者、作家、出版者と、いわばマルチ・タレントであり、知の巨人といえる人物です。記録は『初航蝦夷日誌』・『再航蝦夷日誌』・『三航蝦夷』などの日誌風の地誌や、『石狩日誌』・『唐太日誌』・『久摺日誌』・『後方羊蹄日誌』・『知床日誌』などの大衆的な旅行案内、蝦夷地の地図など多くの出版物になっています。堪能しました。
Img_3376c 基本展示も見て(この日は、あのあずきバーや、肉まん・あんまんの井村Img_3379c 屋グループのお陰で、無料開放されていました)、ミュージアム・ショップへ。博物館のグッズよりも、食べ物に目が向いてしまいました。というのも大好物の「関の戸」を売っていたのです。関宿(三重県亀山市)にて、江戸時代から14代続く「深川屋 陸奥大掾(ふかわや むつだいじょう)」がつくっています。「関の戸」は、赤小豆のこし餡をぎゅうひ餅で包み、阿波特産の「和三盆」をまぶした、一口大の餅菓子です。最近、これに亀山茶の分待つをまぶした「お茶の香 関の戸」もあるのですが、昔からある関の戸をお買い上げ(¥600)。さらに、井村屋の「煮小豆 ようかん」も気になっていたので、これも買ってきました。1本15gの食べきりサイズのミニようかんが7本入っています(¥291)。
Img_3097c ということで博物館を11時半まで楽しんできました。今日は、ここまで。次は、また県道10号線に戻って、一身田地内をひたすら歩きます。

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