今朝書きました「事業仕分け」のエントリーには、いくつかのコメントをいただきました。いただいたコメントも参考にさせていただき、所感というほどではなく、雑感を書いておきます。
まずは、マスメディアの取り上げ方についてです。私自身、これまでの人生で、何回か、新聞やテレビの取材を受けた経験がありますが、それらの経験も踏まえて感じたことは、マスメディアは、決して、客観的に報道している訳でもなく、中立の立場で取材、報道している訳でもないと考えています。
私の少ない経験の中でも、最もひどかったのは、病院に勤務している頃、私自身のことではなく患者さんのことで取材を申し込まれたことがありました。しかし、患者さん自身は、「取り上げて欲しくない」という意向でしたので、取材をお断りしたにもかかわらず、その患者さんに無断で写真を撮り、その写真も掲載した上で、お涙頂戴式の記事をでっち上げられたことがあります。また、勤務先の教職員対象のセクハラ調査の責任者をした際には、報道用の発表資料を見て、電話をしてきて、「報告書原本(50ページほど)をファクスですべて送れ」と要求してきたり、「こういうデータを隠しているだろう。出さないと、そう書くぞ」と脅されたりしたことがあります。この2件の出来事はいずれも全国紙の記者の方によるものでした。
もちろん、その一方で、きちんと取材に来られ、疑問点や取材し忘れた点について、さらに電話で確認して、正確な記事にしようということがよく分かる記者の方も複数以上ありました。
ただ、どうしても、初めの方に書きましたように、中立の立場ではなく、また、白紙の状態から取材して、記事にするというのではなく、予め、ストーリーを想定して(悪く書けば、勝手にストーリーを造っておいて)、それに合致する内容をつまみ食いして、記事にする(あるいは、番組にする)ということもありました。とくに、映像メディアでは、今朝のエントリーにも書いたかと思いますが、「絵になる」素材を求める傾向があります。
したがって、きわめて控えめに結論的なことを書くとしても、マスメディアの報道だけを見ていても、全体像は分からないし、決して客観的な報道はしていないということになると思います。今回の「事業仕分け」については、ネットなどでリアルタイムの中継もされたようですが、それを視聴できない方も多いでしょうから、マスメディアはきちんと情報提供をする役割を担ってもらいたいと思います。
ところで、今回の事業仕分けについて、ジャーナリストの上杉隆さんは、ダイヤモンド・オンラインの「週刊・上杉隆」で、5日間のすべてを傍聴した結果、一定の評価をしておられます。それによれば、ほとんどの仕分けは、淡々と行われ、廃止、削減、減額だけではなく、認定もされていることを書いています。また、霞ヶ関に対しては、一定の「牽制効果」はあると述べておられます。政権が替わったことにより、これまではオープンではなかったことが、一部分であるとは言え、公開されるようになった点については、私も評価して良いと思います。さらに、上杉さんによれば、今回これを公開したことで、財務省の力は相対的に低下したと考えられるということです。
フリーのジャーナリストである上杉さんがこれだけの取材をしているのですから、大マスメディアは、記者を動員すれば、もっとマシな報道ができても良さそうな気がします。ただし、日本独自の「記者クラブ」なる存在が、阻害的に作用している可能性は高いかも知れません。
むしろ問題は、これもいつか、私のブログでも書いたかとは思いますが、民主党政権下で初めて編成される予算の要求段階で、95兆円にも要求額が膨らんだことの方だと思います。これにどう対処していくのかが、目下の最大の問題でしょう。こちらについて、マスメディアは、きちんとフォローし、目立つ部分だけでなく、全体像がどうなっているか、グランドデザインに基づいているのかなどについての情報を知らせてもらいたいと思います。
いずれにしても、政権だけではなく、何らかの権力があまりにも長く続くことは、それなりの安定はあるのでしょうが、むしろ見えなくなってしまう部分が多くなり、弊害が大きいことは確かです。政権交代が行われたことの意義は大きいと言えます。
さて、科学研究費はいらないというコメントをくださった方もありました。どういう背景や、ご経験がおありなのかは分かりませんが、私はこれはちょっと行き過ぎた意見であると思います。コメントいただいたようなことが全くないとは思いませんが、基礎研究、応用研究などへの投資も含め、少なくとも、高等教育への予算配分は、GDP比で先進国中最低であることは、数値的なデータの裏付けもあって指摘されています。
また、どんな研究であれ、研究者が一人で実施できるものはありません。サポートするスタッフ、ポスドクなどの共同研究者などがいなければなりません。とくに、人文社会学系の分野では、この点がまったく不十分です。研究計画の立案、書類作成からコピーなどまで、研究者自身がやっているという、超零細企業の状態が、普通の人文社会学系の研究室の実態です。最近は、以前のように、講座制のところでも、助手(現在は、助教)のポストを、より上位の職位に振り替えてしまい、教授職が、大学教員の40%以上を占めています。これ自体が、まともなことではないと思うのですが、そうでもしないと、教育研究が成り立たない方向に進まされてきたのです。
くわえて、研究のことではありませんが、授業に使う配付資料の印刷やホチキス止めまで、教員が自ら行っています。
以上の話題に共通する点は、機能的で、ある程度効率的で、公正、透明性のあるシステムが構築されていないという点にまとめられると思います。予算の単年度執行という方式も弊害が大きいと思います。また、こうしたシステムは、その組織の、一定のミッション(使命)を明確にした上で構築する必要があります。しかしながら、現状では、ミッションが明確でないこともよく見受けられます。ミッションがないか、不明確であれば、きちんとしたシステムを作ることはできません。
つまるところ、ミッション、システムといった全体像と、個々の事業といった構成要素が有機的に関連していることが必要だということです。
また、いくら立派なシステムを構築したとしても、それを運営していくのは、生身の人間であるという点も重要なポイントです。人間が、人間の作ったシステムに則って運営する訳ですから、限界や問題が生じることを伴います。そのために、評価が必要ですし、評価をするためには、明確なミッションが必要だという、いささか循環論になってしまいますが、PDS(PDCA)のようなサイクルが必要です。
今回の事業仕分けについて言えば、時間制限の厳しい中では、それなりの成果を上げているといって良いかとは思いますが、本当の問題や、課題はこれからどういう取り組みをするかであることも確かでしょう。
最後に、「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」ブログや、小田嶋隆さんのコメントでも指摘されていましたが、仕分けの対象となっている側の人間の発言を途中で遮るとか、相手の話が終わらないうちに、次の質問をかぶせるやりかたについては、やはり、相手の人格を尊重していないことの現れだと言えます。例が不適切ではありますが、「盗人にも三分の理」という言葉もあります。裁判においても、被告人の意見はきちんと述べ、よほど不適切でなければ、それは遮られずに聞かれるはずです。時間制限が厳しいとはいえ、あれでは、上から目線で、一方的にやっていると受け取られても仕方ないでしょう。
国会では、与野党、立場が変われば、かつての与党は審議拒否、かつての野党は強行採決と、見慣れたことをやっていますので、両方についてしっかりと見ていく必要があるのは確かではないかと思います。
以上、まとまりませんが、ご容赦のほどをお願い致します。
本日は、鈍楽亭狸親爺でした。謹白。
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