日記・コラム・つぶやき

2018年2月20日 (火)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その2)……大師堂と、椿岸神社あれこれ

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 2月17日の酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」のその2です。昨日のその1では、東名阪自動車道をくぐるところまで書きました。東名阪自動車道を過ぎてすぐに大師堂があります。今日は、ここから。
Img_9519c こちらがその大師堂。ご本尊は、弘法大師坐像(高さ30cmの石像)。弘法大師として知られる空海は、平安初期(弘仁12(821)年)に、現在の香川県にある「満濃池」をはじめとして、各地に灌漑用溜池をつくり、水不足に悩む農民を救っています。これに因み、あちこちの溜池や掘り抜き井戸などの守り仏として「弘法大師像」が祀られています。この大師堂も同様です。
Img_9522c 江戸時代末期、一生吹山山麓の開発が行われ、山頂の北西にあった窪地に雨水を溜め、「雨池」をつくり、水路を通すなどして周囲を灌漑しました。この大師堂のあたりへは、川を利用するとともに、掘り抜き井戸を用いて給水しています。ここは、地形上も、地下水が集まるところで、豊富な清水が湧き出したといいます。説明板には、この水が永遠に絶えん事を祈って、昭和の初め頃、徳志(篤志か?)の人が弘法大師を祀り、今に受け継がれているとあります。こちらに、桜郷土史研究会の詳しい説明があります。
 大師堂を通った頃は、ちょうど雨・霰・風が強く、見ていく方はほとんどありませんでした。私も急いだため、大師堂の西にある「掘り抜き井戸跡」を見てくるのを失念。慌てるといけませんが、こんな天候ではねぇ……。
Img_9528c 大師堂から北西に向かうと、「矢合川」を渡ります。昨日の「その1」で触Img_9530c れた一生吹山の歴史に、天文8(1539)年、時の佐倉城主・小林備前守重則が、鈴鹿郡峯大和守盛定に攻められたとき、この矢合川北の殿腹で自刃したということがありましたが、その矢合川(元は、生水川といったといいます)です。左の写真は、下流側、右は上流側。
Img_9537c 大師堂から1㎞ほどで、椿岸神社(つばきぎしじんじゃ)に到着。まだ雨がImg_9545c_2 降っていました。桜郷土史研究会のサイトによれば、創立年不詳ですが、社伝では、天平12(740)年頃、現・桜町西区字椿尾に創建とあるそうです。「延喜式(延長5 (927) 年完成)」にも椿岸神社の名が記されているといいます。
Img_9543c 神社検索(三重)によれば、御祭神は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)の他、豊受姫命大御神(トヨウケビメ)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)、豊臣秀吉、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、木花之開耶姫命(コノハナノサクヤビメノミコト)、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、品陀和気命(ホンダワケノミコト)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコ)、八衢比古命(ヤチマタヒコノミコト)、八衢比売命(ヤチマタヒメノミコト)、大山祇命(オオヤマツミノカミ)、猿田毘古神(サルタビコノカミ)、天照大御神(アマテラスオオミカミ)となっています。なんだかややこしいというか、賑やかというか。
Img_9551c 桜郷土史研究会のサイトによれば、「『明治17年調伊勢國三重郡智積村地誌』には次のように記されています。祭神は、猿田彦大神、天受賣受命(天鈿女命)、天照大御神の三座を祭る。」ということです。その後明治政府の神社合祀にうより、次の神社が、椿岸神社に合祀されています:須佐社(智積字御所垣内)、浅間社(智積字一生吹)、桜神社(桜村字南垣内)、桜神社(桜村字武佐)と同境内社・浅間社、幸田神社(桜村字南垣内)、桜岡神社(桜村字山上垣内)と同境内社・稲荷社、稲荷社(桜村字砂子谷)、大谷神社(桜村字大谷)、稚瑳良神社(わかさくらじんじゃ。桜村字猪之峡)、そのほか桜地区内各地の「山神」10体。これだけの神社が合祀されたがために上記のように、多数の相殿神がおられるということかと思います。第2次大戦終了後などに、分祀された神社もいくつかあります。桜郷土史研究会のサイトのここに詳しく書かれています。写真は、椿岸神社の拝殿。
Img_9554c 境内社を見る前に、拝殿前の狛犬を確認します。向かって左が「子取Img_9552c り」、右が「玉取り」となっていました。このタイプ、けっこうよく見かけます。
Img_9569c こちらは、猿田彦社。境内の東側のエリアにあります。鳥居にある神額は、「宮司 Img_9577c 川島敏孝 謹書」とあります。お社は、右の写真の通り。北に向かって拝むように建っていました。猿田彦は、天孫降臨のとき、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神。
Img_9574c 猿田彦社の脇には、「神宮遙拝所」の石柱が立てられていました。ここで、例によって、うっかり(苦笑)。裏に回って、いつ建てられたのかを確認することを忘れました。神宮遥拝所は江戸時代に建てられたこともあるようですが、今に残っているもののほとんどは、昭和12(1937)年、近衛内閣の時代に始まった「国民精神総動員」運動の最中に建てられたものが多いといいます。
Img_9580c  椿岸神社の拝殿の東、猿田彦社の北には、椿岸稲荷神社があります。

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慶長10(1605)年8月に、京都の伏見稲荷神社の祭神・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を勧請して、字大門(あざだいもん;現・桜町南公民館の南)に「幸田神社」として創建されました。そこに至る経緯については、右の説明板にもありますし、こちらにもあります。
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 明治政府の一村一社の方針にしたがって、幸田神社は、明治42(1909)年に椿岸神社に合祀されました。しかし、昔を懐かしむ人々の声によって、昭和35(1960)年に、幸田神社は椿岸稲荷神社と名を変えて椿岸神社本殿の東側に再建されています。
Img_9585c この椿岸稲荷神社の参道の東には、「皇居遙拝所」の石柱が立っています。裏Img_9590c に回って確認すると、「皇紀二千六百年紀念 昭和十六年菊月巳庚會建之」とあります。「皇紀」は、日本書紀の記述をもとに、神武天皇即位の年(西暦紀元前660年にあたる)を元年とする紀元です。亡父から、この「皇紀二千六百年」という事はよく聞かされた記憶があります。これを機会に、当時の日本政府は、日本が長い歴史を持つ偉大な国であることを内外に示し、また、国民生活の窮乏や疲弊感を晴らそうとして、大規模な行事を展開したようです(こちらを参照)。ちなみに、皇居遙拝所は、昨年12月22日に行った、近鉄ハイキングの「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で、南伊賀留我神社にもあるのを確認しています(近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完))。
 椿岸神社、まだまだ他にもいろいろとありましたが、長くなりますので、今日は取り敢えず、ここまで。この記事に追記するか、その3として続きを書くか、いずれかにします。

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九華公園にアオサギが2羽いたかも!?

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 風はやや冷たい感じもしましたが、暖かい日でした。冒頭の写真は、九華公園の様子ですが、堀の水がかなり少なくなっています。東屋の基礎のコンクリートが見えるほどです。吉之丸堀の南あたりは、ヘドロやゴミがたまってしまい、それを取り除く作業をするための措置です。
Img_0190c 今日も今日とて、散歩三昧であります(苦笑)。8時45分から11時半、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から寺町と6.2㎞。左の写真は、九華公園内の九華招魂社にある枝垂れ梅。毎日のように確認に行っていましたが、今日、開花です。
Img_0084c さて、こちらは住吉神社の前。揖斐川の堤防から、川に降りられる階段があImg_0098c ります。ここ2~3日、コガモがやって来るようになりました。今日は、上陸しているものが6羽。近くには4羽が浮かんでいました。揖斐川の堤防、蟠龍櫓あたりには、しばらく前からヒバリをよく見るようになっています。
Img_6428c 九華公園では、久しぶりにカワセミを目撃。とはいえ逆光の位置でしたし、枝かぶりの全くの証拠写真。順光の位置に回り込もうとしたものの、逃げられました。残念。
Img_6450c 奥平屋敷跡、この頃、野鳥がよくいます。シメ(左)や、ジョウビタキのメスImg_0141c (右)、シロハラはほとんど常連さん。ビンズイや、エナガもこの2~3日連続して目撃しています。ビンズイ、エナガは、小生が九華公園につく、9時過ぎにはこのあたりにいて、その後、二の丸跡、本丸跡と移動していくことが多くなっています。
Img_0149c エナガの写真は、二の丸跡で撮りました。このところ、シジュウカラと一緒に移動しています。コゲラが混じっていることもあります。とても賑やかで、しかもチョコチョコよImg_0158c く動き回ります。
Img_0170c 昨日は、「ツグミ・デー」というタイトルをつけましたが、今日もツグミをあちこちでみました。ツグミは渡りの途中で、餌が豊富にあるとそこにとどまっている傾向があるそうです。遅れてやって来たということでしょうか。
Img_6484c アオサギは、珍しいところにいました。ここにいるのは初めて見ました。右Img_0196c の写真の通り、クスノキのてっぺんあたり。そして、アオサギについては、驚いたことにほぼ同じ時刻に、奥平屋敷跡にもいたということでした(鳥好きの方の情報ですから、確実と思われます)。しかし、小生が確認に行った時にはすでにそちらには姿はありませんでした。
Img_0205c ゴイサギは、3羽。これも、最近はいつも通り。前は、上の写真にある、アImg_6490c オサギがいるクスノキにいましたが、最近は、北側へ20mほどのこちらにいることがよくあります。アオサギ、ゴイサギを観察している、堀の西側には、シロハラがよくいます。
Img_6512c 貝塚公園は、今日も樹木の手入れが行われていました。今日は、枯れた枝などの伐採作業で、チェーンソーが使われていました。作業場所から離れたところにツグミや、シロハラがいました。モズのメスは、作業の合間にやって来たところを捉えられました。

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2018年2月19日 (月)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その1)……一生吹山「登山」、一生吹配水池、毘沙門天を経て、東名阪自動車道の下まで

Sakaguramitearuki

 確定申告の準備やら、ブログの過去記事と写真の整理やらをしていたら、1日あいてしまいました。2月17日(土)に出かけた「20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」、予告編に続き、本編のその1です。この画像は、近鉄のサイトから借りましたが、「蔵出しの一杯に、のどが鳴る。」のキャッチコピー、堪りませんねぇ(微笑)。
Uzume この日の目的地は、。三重県四日市市桜町にある伊藤酒造。不勉強にして、この酒蔵のことは知りませんでした。創業は、弘化4(1847)年といいますから、170年の歴史があります。「鈿女」「猿田彦」「鈴鹿山麓」「日本華」という地酒を醸造しておられます。ちなみに、三重県は地酒の醸造元が多いという話を何かで読んだ気がします。
20180217kintetsuhikingitohshuzoc コースは、この画像の通り、近鉄湯の山線・高角(たかつの)駅から桜駅まで。5.3㎞でしたが、難行・苦行とまでは申しませんが、天候の悪化もあって、大変でした(苦笑)。普段の行いが悪いという自覚はないのですが、「酒蔵みてある記」に参加すると、天候が優れないことが多いのです。
Img_9425c 近鉄湯の山線を利用しての「酒蔵みてある記」は、1月27日の「銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて」に続いて2回目。桑名駅を9時2分の松阪行き急行に乗車。近鉄四日市駅には9時14分着。湯の山線・湯の山行き普通(9時30分)発に乗り換えます。高角には9時41分着。¥420。左の写真は、高角駅到着直前に、この日のコースの方を撮ったもの。正面やや左に写っている山が、今日登る「一生吹山(いっしょうぶきやま)」のはず。
Img_9428c 近鉄・高角駅。近鉄四日市駅からは、4つめ。受付は、9時50分からとなっImg_9435c ていましたが、参加者が多かったのか、すでに受付は始まっており、歩き始めている方も多数。。いつものように地図を受け取り、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい(これで5個。まだまだです)、スタート。スタートは9時48分。
Img_9439c 湯の山線の踏切を越え、南西の方角へまっすぐ。左の写真で、中央右に見えているのが、これから登る一生吹山。調べたら、標高は109mということでした。普段から歩いているし、楽勝と、この時点では、高を括っていました(苦笑)。
Img_9442c  途中、四日市市水道局の「三滝西水源地」の前を通ります。四日市市のImg_9440c_2 上水道の主な水源は、鈴鹿山脈の伏流水だそうです。この三滝西水源地も同様で、このあと立ち寄る「一生吹配水池」から配水されます。この水源地の前には、「震災時の応急給水拠点」の看板があったのですが、これは、一生吹配水池のことのようでした。
Img_9445c 三滝西水源地を過ぎると、徐々に登り坂になってくるのを感じます。前方Img_9447c には、エビノ園 という障害者支援施設があります。ここはけっこう歴史のある施設だった気がします。エビノ園の手前に、気になる看板がありました。「四日市友の会」というもので、さらに小さな文字で「幼児生活団」とありました。この「幼児生活団」の募集ポスターが散歩コースのあるところに貼ってあり、ずっと気になっていたのです。昭和5(1930)年、ジャーナリストで教育者の羽仁もと子を中心に「婦人之友」の愛読者によって始められた団体のようでした。
Img_9449c ここで振り返って、スタート地点の高角駅の方を眺めてみたら、少し上りImg_9451c 坂になっていました。先の方は、右の写真のようになっています。だんだんと上り坂がきつくなっていきます。ちょっと不安になってきます(苦笑)。
201802171c コースマップには、左の画像のように、「急な上り坂」と書Img_9453c いてあるとおり、かなり急な坂でした。写真を撮る余裕もあまりなく(苦笑)、息を切らしながら登る有様(爆)。右の写真模糊野坂の途中ですが、これはまだまだ楽勝のところ。
Img_9456c 一生吹山の、たぶん最高点には、四日市市水道局の「一生吹配水池」がImg_9458c あります。ここには、池(タンク)が2つあって、何らかの理由で取水ができなくなったとしても半日以上は水道水を供給できるようにしているそうです。ゆっくりと写真を撮りながら、小休止(苦笑)。ここが、先程、三滝西水源地のところに看板があった「応急給水拠点」。しかし、ここまで登ってくるのは大変です。
Img_9455c 一生吹配水池の西には、NTTドコモの四日市智積無線局がありました。Img_9461c 携帯電話の基地局なのでしょう。この手前を右折(北へ)。「一生吹山、毘沙門天王、七福神……」などの看板が出ています。
Img_9468c すぐに一生吹山毘沙門天に到着。鳥居には、「毘沙門天王」という神額がかかっています。皆さん、坂登りが堪えたのか、ここで一休みという方もたくさんいらっしゃいました。
Img_9484c この写真は、毘沙門堂。ここにあった「一生吹山 毘沙門天王由来」の案Img_9496c 内板によれば、「大正3(1914)年、浅間神社が椿岸神社に合併され同年桜智積の有志の各位により信貴山毘沙門天王を勧請し」たとあります(ただし、桜郷土史研究会の「検証 桜の重大事件」のサイトには、昭和3(1928)年に勧請したとありました)。
Img_9470c 毘沙門堂の脇には、毘沙門天以外の「六福神」を祀る御堂が並んでいまImg_9474c す。はじめは、「七福神なのに、どうして6つしか御堂がないのか?」などとトンでもないことを考えました(爆)。向かって左から、布袋尊、寿老神、福禄寿神、弁財天、恵比寿天、大黒天でした。
Img_9489c この一生吹山には、歴史がありました。「一生吹山由来」の案内板によれImg_9492c ば、天文8(1539)年、時の佐倉城主・小林備前守重則は18歳でしたが、この一生吹山に北西の南朝方の守りのため出城を築き、鈴鹿郡峯大和守盛定の来攻に備えたものの、戦に利なく、落城し、矢合川北方の殿腹で自刃したそうです。境内の南方には、崩れた土塁の後もあるそうです。その後、浅間神社が建てられ、近年まで「デジロ祭」が毎年7月1日、若くして逝った痛恨を慰めたといいます。明治44(1911)年、浅間神社は椿岸神社に合祀されます。大正3(1914)年に(異説あり)信貴山から毘沙門天王を勧請し、今日に至っています(桜郷土史研究会の「検証 桜の重大事件」のサイトに詳しい説明があります)。ちなみに、明治・大正の頃、ここは松茸山だったそうです。現在は、桜の名所となっています。
Img_9477c 毘沙門天の境内には、このほかいろいろなものがありました。その一つImg_9478c が、こちらの母子観世音菩薩像です。「母わ子を愛情をもって育成し 子わ母を慈しみ慕いて 恩を忘れじ」と刻まれています。由来は、ネット検索では分かりませんでした。台座の他の面に書かれていたかも知れません。
Img_9482c もう一つは、「御大典記念碑」。昭和3(1928)年10月に建てられたものでImg_9480c すから、昭和天皇のご即位を記念しての碑と考えられます。建てたのは、「帝国在郷軍人會櫻村分會東區班(石藤)」とあります。昭和天皇のご即位の式典は、大正天皇の喪が明けた翌年である、昭和3(1928)年11月に京都御所で行われています。それ故、この記念碑はそれに先だって建てられたということになります。
Img_9494c この境内の東の端に行くと、四日市市街地が眺められます。この頃から、時雨れてきましたので、はっきりとは見えていませんが、この写真の中央あたりが、近鉄四日市駅あたりになります。
Img_9503c 一生吹山毘沙門天で、出発から約1.5㎞。ここからはもう下り坂。10時20Img_9504c_2 分頃から下り始めました。が、だんだんと空模様が怪しくなってきました。ほんの2~3分歩くか歩かないかのうちに、雨やら霰やらがかなり激しく降ってきてしまいましたし、風もかなり強く、傘を差したら煽られるくらい(爆)。どうして、近鉄ハイキングの酒蔵みてある記に参加すると、こんな目によく遭うのでしょう? 日頃、さほど行いが悪いとは思っていないのですが、自覚が足らないのでしょうか?
Img_9509c 独りでぼやいたり、恨み言をつぶやいたりしながら、トボトボ歩いて行くImg_9511c と、1㎞ほど下っていくと、東名阪自動車道に突き当たります。トンネルで自動車道の下をくぐりますが、ちょうどよいとばかりに、このトンネルで一休み。右の写真では人は少なくなっていますが、着いた時は、数10人の方が雨宿りを兼ねて小休止中でした。
Img_9515c  ここまででスタートから2㎞半弱。40分ほど経過。東名阪自動車道の四日市インターチェンジの南西1㎞弱のあたり。今日は、ここまでにさせていただきます。明日は、この近くの大師堂のお話から続けます。

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ツグミ・デーでした

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 鎮国守国神社の拝殿前にある白梅です。少しずつ咲いてきました。やはり、去年より半月ほど遅い印象です。朝は冷えていましたが、日が昇るにつれ、少し暖かくなりました。8時40分から11時半過ぎまで、まったくいつものように散歩(笑)。「判で押したように」とは、このことです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園から京町、寺町と5.7㎞。
Img_6314c 今日はさながら「ツグミ・デー」でした。合計10羽を確認。昨年並みになってImg_6406c 来たという印象です。左は、揖斐川の堤防で、右は内堀南公園で。右の写真、背景には餌を啄むスズメたちも写っています。
Img_9926c こちらは、散歩に出たとき住吉入江にいたヒドリガモのオス。メスはいませImg_6319c んでしたから、単独オスの方と思います。このほか、住吉神社前の揖斐川には、コガモが9羽、ヒドリガモが22羽、カンムリカイツブリが1羽と賑やか。
Img_9934c 蟠龍櫓の東の堤防には、今日もヒバリの家族。枯れ草に紛れていて、なかImg_6318c なか見分けがつきません。地鳴きではなく、さえずりに近い鳴き声が聞こえていました。すでに春が来ているのかも知れません。
Img_0053c 九華公園のゴイサギは、いつも通り3羽。社務所裏のクスノキには1羽。こちら、社務所北のところに2羽。向かって右下のゴイサギは、羽の色が薄いと、まったく同じパターン。今日は、アオサギは不在。
Img_9951c カモも、数が64羽と多かったことを除けば、いつもと同じ(苦笑)。ハシビImg_0060c ロガモのオス3羽、メス2羽、ホシハジロのオス1羽、他はキンクロさん。もう2月も半ばですから、ヒドリガモや、ホシハジロのメスなどは来ないかも知れません。ちなみに、ユリカモメは今日もゼロ。餌がもらえないからというのがもっとも考えられる理由。
Img_6351c オオバンもすっかり、九華公園の堀に定着しています。左の写真は、甲羅干しスロープに上がったところ。あの、大きな「弁足」がよく見えています。オオバンは、ここに上陸して、身繕いをしています。
Img_6360c 今日は、いろいろな小型野鳥が出て来ていました。ビンズイ(左の写真)Img_0029c の他に、シメ(右)。ビンズイは、奥平屋敷跡や本丸跡で、シメは吉之丸コミュニティパークでも見ましたが、これは本丸跡で。何か、丸いものを食べています。よく見つけるものです。
Img_0050c シロハラは、3ヶ所で確認。奥平屋敷跡と、土俵近くで2羽。写真は、土俵近くにいたもの。ここでは、この2羽が互いに牽制し合うように鳴いていました。テリトリー争いかという印象があります。今日は、このほか、エナガ、シジュウカラ、コゲラ(以上は群れで移動)、ジョウビタキのメス、オスなども見たものの、きちんとした写真には撮れずじまい。
Img_6403c 貝塚公園、今日は、造園業者の方が入って、手入れの最中でした。ツグミ1羽を見たほかは、このシロハラ、カワラヒワくらいで残念。
Img_0073c 梅が咲いてきましたので、桜が気になります。これは、寺町商店街にある河津桜。つぼみは結構大きくなってきている感じがします。なばなの里では、ごく一部ですでに咲き始めているといいます(2018.02.12 アオサギ探しの旅、運が良いのか悪いのか(笑))。
Img_6336c 余談です。昨日、「桑名の城跡・47」のパネル展示などについて書きましImg_6341c たが、今日、Oさんがさらにこのような看板を設置してくださいました。恐縮です。ほとんどはOさんの手によるお仕事で、元ネタを提供しただけなのに、です。「九華公園を楽しく歩こう」の資料とともに、管理事務所前にファイルを置いていただいています(左の写真)。
Img_6347c 昨日も載せましたが、この「城跡マップ」は、Oさんの力作です。一目瞭然とはこのこと。お近くの方、機会がおありでしたら、是非実物をご覧にお立ち寄りください。

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2018年2月18日 (日)

九華公園のパネル展示を「桑名の城跡・47」に変えていただきました

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 九華公園のパネル展示を、「九華公園を楽しく歩こう」から「桑名の城跡・47」に変えていただきました(「くわなのしろあと・フォーティセブンとお読みください)。今回も前管理人・Oさんのお仕事です。この「桑名の城跡・47」は、ブログでは紹介していませんでしたが、桑名市の文化財のサイトにあるデータや、「桑名市文化財地図(遺跡編)」(桑名市教育委員会発行)などをもとにつくったものです。
Img_6241c こちら、桑名市内の城跡マップ。上記の「文化財地図(遺跡編)」を参考に、Img_6247c Oさんが苦労して、何度もやり直した上で仕上げてくださった力作です。いつものように、マルサン文具さんのご協力をいただいています。右の写真に市中心部のクローズアップを載せました。城跡とはいえ、戦国時代の頃の「砦」がかなりの割合を占めています。したがって、市内でも、丘陵地など、高いところにたくさんそれがあります。
Img_6244c 47ヶ所の城跡は、それぞれ1枚ずつ、別のパネルがあります。このパネルには、城跡の所在地、詳しい地図、簡単な説明が載せてあります。こちらは、小生が元をつくり、Oさんがバージョンアップしてくださったもの。
Dscn6063c 管理事務所には、元の資料をこのようにファイルしたものが置いてありまDscn6065c す。管理人さんが事務所にいらっしゃるときにご覧いただけます。120ページを越える「超大作(爆)」となっています。お願いすると、事務所内で診ていただけると思います。右は、「江場城跡」のページです。各城跡とも、このようなスタイルでまとめてあります。地図、索引(五十音別、地域別)もつけました。ちなみに、pdfファイルもありますから、ご希望があれば、差し上げます。
Img_9791c さて、今日も寒くなりました。多度山にはうっすらと雪が積もっていました。さすがに2日連続の酒蔵みてある記は断念(苦笑)。今日の近鉄ハイキングで行くところは、3月にJRさわやかウォーキングのコースになっていましたから、そのときにでもと思います。8時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回ったものの、鳥も、散歩友達も少なく、11時過ぎには帰宅。5.8㎞。
Img_9780c 拙宅近くの住吉入江、最近、賑やかです。住吉キンクロウズの他、ヒドリImg_9918c ガモのペアと、単独オスが1羽、たいていいます。オオバンも2羽くらいが居着いている感じ。さらに、今日は、帰ってきたときには、カイツブリが1羽。カイツブリは若い個体のようですが、時々来ています。

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 時々来るといえば、ジョウビタキのオスや、イソヒヨドリのメスも姿を見せることがあります。 イソヒヨドリの写真は、逆光でうまく撮れませんでした。そういえば、先日は、諸戸氏庭園の中から、ウグイスの地鳴きと思える鳴き声が聞こえてきました。
Img_6253c 今日は、冷たい北西の風がけっこう強く、こういう日は鳥は少ない傾向にImg_6257c あります。しかし、二の丸跡では、ジョウビタキのメスと、シロハラが1羽。
Img_9823c カモは、今日は、49羽。固定メンバー(苦笑)。ハシビロガモのオス3羽、メス2羽、ホシハジロのオス1羽とキンクロ。オオバンも2羽。ハシビロガモは、最近、日当たりのよい、野球場の南あたりが好みの場所になっています。ユリカモメは、ゼロ。最近、餌をくれる人はあまりいないようです。
Img_6235c ゴイサギは、3羽。これも変わりなしです。最近、ホシゴイを見なくなっていImg_6275c ます。もう少し続けて観察しなければなりませんが、この左の写真のゴイサギは、ホシゴイから進化しているものかという気がします(証拠はありません)。他2羽のゴイサギは、いつものように社務所裏のクスノキにいます。
Img_9828c シメは、本丸跡の樹上。日陰になってしまっていますが、顔だけこちらにImg_6263c 向けています。嘴のまわりの黒いところが笑えます。ビンズイは、どういうわけか、今日は1羽のみしか見えませんでした。
Img_9853c エナガは、シジュウカラも含めた小集団で、公園内を移動しています。今の時期、松の木にいることが多くなっています。しかし、相変わらず賑やかで、よく動きますので、写真には撮りにくいこと。
Img_6290c 貝塚公園では、ツグミを1羽見て、コゲラの鳴き声を聞いただけ。内堀公園に寄ってみたら、ジョウビタキのオスが出て来ました。ごくたまにここに出て来ます。背景がよくありませんが、贅沢は言わないでおきます。
Img_9912c 今日は、来月予定されている支援員講座の資料を仕上げ送りました。「心理検査で分かること 検査結果の支援への活かし方」という、いつものテーマです。あとは、確定申告を済ませなければなりません。準備はほとんどできましたが、パソコンを更新しましたし、カードリーダも新調しましたので、ドライバや申告ソフトのインストールからやり直し。手間はかからないと思うものの、面倒な感じが先に立っています。紅梅は、南寺町の常信寺のものです。

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2018年2月17日 (土)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(予告編)

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 朝出かけるとき、多度山の方に虹が出ていました。これはなかなか幸先がよいと思ったものの、豈図らんや(笑)。詳細は、また追々書きますが、酒蔵みてある記に行くと、寒くて、天気が悪いという「ジンクス」が再現されてしまいました(苦笑)。
Uzume 本日も、予定通り、近鉄ハイキング・酒蔵みてある記に行ってきました。「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」であります。伊藤酒造さんは、三重県四日市市桜にあります。創業は、弘化4(1847)年といいますから、170年の歴史があります。「鈿女」「猿田彦」「鈴鹿山麓」「日本華」という地酒を醸造しておられます。
Img_9428c 集合は、近鉄湯の山線・高角駅。桑名発9時2分の松阪行き急行に乗車。Img_9425c 近鉄四日市で、湯の山線の普通電車・湯の山行き(9時30分)に乗り換え。車内は、近鉄ハイキングに行くと思われる人で賑わっています。高角駅到着は、9時41分。¥420。右は、高角駅に着く直前に撮った、今日歩くあたり。中央の山(一生吹山)に登るはず。
Img_9435c 近鉄・高角駅前。受付は9時50分からの予定でしたが、たぶん参加者が多かったのでしょう、すでに始まっていました。いつものように地図を受け取り、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい(これで5個。まだまだです)、スタート。スタートは9時48分。
20180217kintetsuhikingitohshuzoc 今日歩いたコースは、この地図の通りです。赤丸をつけたのが、スタートの高角駅。南西から西に向かい、一生吹山(いっしょうぶきやま、標高109m)へ。水道局の配水池、毘沙門天を経て、東名阪自動車道をくぐります。くぐったところには、大師堂。北に向かい、桜町へ。ここでは、智積養水、椿岸神社、西勝寺を経て、目的地の伊藤酒造へ。赤い四角で囲んだ桜駅がゴール。2時間弱、実際に歩いた距離は、5.3㎞でした。余談ですが、いきなりコースから外れて、北西に向かう人がありました。向かった方角からすると、「山登り」を避けたか、あるいは、伊藤酒造へ直行したかと思われます。
Img_9451c 今日は、前回に倣って、予告編ということで、概要についてまとめます。Img_9456c 高角駅から次第に上り坂になります。目的地の一生吹山は、標高109mとはいえ、かなり急な坂道を登る羽目になりました(「羽目になった」と書きましたように、けっこうしんどかったのです)。登り切ったところに、四日市市水道局の「一生吹配水池」があります。ちなみに、坂を登る前には、「三滝西水源地」がありました。ここ一生吹山は、歴史的にいろいろな時券、エピソードがあるところです。詳しいことはまた本編にて。
Img_9468c 一生吹配水池のすぐ北には、一生吹毘沙門天。ここには、もともと、浅間神社(ご祭神は、木花佐久夜比賣命(このはなのさくやひめ):大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘、富士山の神とされ、浅間(せんげん)神社に祀られます)が祀られていたものの、明治42(1909)年に明治政府の政策で「一村一社の神社合祀」が実施されて椿岸神社に合祀されました。昭和3(1928)年、有志によって、信貴山より毘沙門天が勧請され、今日に至っています。
Img_9484c こちらが、毘沙門堂。山頂は小公園となっており、桜の名所にもなっているようで、4月3日の毘沙門天例祭の頃には桜が満開だそうです。ここには、御大典記念碑や、母子観世音菩薩像、七福神それぞれの御堂がありました。
Img_9504c 毘沙門天を10時15分を過ぎたくらいに出発し、ここからは、下り坂。ところが、この頃から、雨や霰がかなり酷く降ってきて、冷たい西風も吹きまくり(苦笑)。「ジンクス再現」というのは、このこと。結局、伊藤酒造に着く直前まで、こんな天気。やむなく傘を差して歩くことになりました。
Img_9509c 10時半頃、東名阪自動車道の下をくぐります。ここのトンネルでしばし休Img_9519c 憩。トンネルを出てじきに、左手(南側)に大師堂がありました。弘法大師を祀っています。江戸末期、このあたりを開墾し、田地化するさいに溜池をつくって灌漑しました。昭和初期、この水が永遠に絶えないことを祈って、徳志(篤志か?)の人が、水に縁の深い弘法大師をここに祀ったといいます。
Img_9515c このあたりは、東名阪自動車道の四日市インターチェンジの南西、5~600mほどのところ。雨・霰・風は相変わらず強く、傘を飛ばされそうになりながら歩き続けます。時々、「一体何をしているのか?」と思わないわけでもありませんが、リタイアして帰るにしても、ここからでは桜駅に行かざるを得ません(苦笑)。
Img_9537c_2 大師堂から800mほど。椿岸神社に到着。主たる御祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)。天照大神が天の岩屋に隠れたときに、その前で踊り、天照大神を誘い出した女神です。それ故、ここの御利益の一つには、「芸能」が揚げられています。ちなみに、天宇受売命は、「天鈿女命」とも書きます。これが、おそらく、伊藤酒造の「鈿女(うずめ)」の由来でしょう。
Img_9551c 前回の近鉄ハイキングで訪ねた「高松八幡社」のところで、「神社はワンImg_9617c ダーランド」と書きましたが、ここも同じでした。相殿神もたくさんいらっしゃいましたし、ここで初めて見つけたものもあります。それは、右の写真にある、「橿原神宮遙拝所」です。橿原神宮は、もちろんあの、奈良県橿原市にある橿原神宮でしょう。西を向いて遙拝するようになっています。ネットで少しだけ検索してみると、大分県にもあるという記述(こちら)もありました。地蔵堂の陰になっていて、今日の参加者の方もほとんど気づく方はありませんでしたので、ちょっとした「発見」をした気分です。
Img_9628c ところで、智積養水(ちしゃくようすい)は? と思ったら、椿岸神社の西、西勝寺の前に流れていました。江戸時代につくられた灌漑用水で、昭和60(1985)年に環境省選定の「名水百選」に選ばれています。
Img_9629c こちらが、桜岡山西勝寺(浄土真宗本願寺派)。ここは、境内に「引石」Img_9644c があります。近くの矢合川(元は、生水川)は、雪解けや浮きの増水時には、川水が橋上を流れて危険だったそうです。そこで、この「引石」を橋の両側に建て、その間に綱を張って手すり代わりにしたといいます。綱を頼りに「南無阿弥陀仏」を唱えながら橋を渡ったのでしょう。
Img_9663c 山登りからスタートして4kmほどで、伊藤酒造さんに到着。今日は、まさImg_9677c に「酒蔵みてある記」でした。酒蔵の見学ができたのです。今月仕込んだばかりの発酵用タンクを覗かせてもらえました(右の写真)。ぶくぶくと泡立っていました。昨日などは、タンクを乗り越えそうなくらい発酵が進んでいるということでした。香りだけで十分酔えそうでした。
Img_9679c 見学した後は、いよいよ待望の試飲(微笑)。「鈿女 特別本醸造 搾りたImg_9680c て生原酒」であります。蔵の中で試飲させていただきましたので、ちょっと暗く(オヤジギャグではありません)、ピントが甘い写真になりました。「搾りたて生原酒」ということで、アルコール度数は18度。甘めの感じで、濃厚という印象。私印のコップが矢や小ぶりで、ちょっと残念でした。
Img_9688c 試飲のあと、甘酒の振る舞い。今日は、前回とは異なり、無事に甘酒もいただけました(笑)。こちらは、「どれくらい飲みますか?」と尋ねていただき、コップ一杯に注いでもらいました(笑)。暖かく、美味しい甘酒。
Img_9690c 試飲がちょっともの足らず、ウロウロしました(微笑)。飲食ブースがあり、そこで<ショット原酒>を売っていたからです(爆)。「生原酒が200円」とありました。「300ミリ瓶」が¥400とか¥600円ですから、0.5合くらいなのでしょう。あまり飲むと、帰り道に差し障ります。誰か相手がいれば、もうちょっと飲んでもよいのですが、ここはグッと我慢することにしました(苦笑)。
Img_9728c 伊藤酒造さんから、ゴールの近鉄湯の山線・桜駅までは1km足らず。桜Img_9733c の町の中を歩いて、11時45分に無事到着。到着とほぼ同時に、四日市行き普通が出てしまい(11時44分発)、次の電車を待つことに(12時10分発、普通電車四日市行き)。
Img_9747c 写真は、湯の山の方向。雪雲に隠れて、御在所岳をはじめ、鈴鹿山脈は見えません。四日市で、12時28分発名古屋行き急行に乗り換え、桑名到着は、12時40分着。¥420ということで、往復で¥840。ハイキングで歩いたのが、5.3㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2kmですので、合計7.5㎞。距離は、普段の散歩に毛が生えたくらいですが、一生吹山を登ったのはけっこうしんどかったですねぇ。普段から高低差のあるところを歩いた方が良さそうです。
Img_9763c 今日の土産は、試飲させてもらったこちら。「鈿女 特別本醸造 搾りたてImg_9767c 生原酒」720ml。ちなみに、¥1,200でした。右の写真のように、瓶のキャップにまで「生」と記されていました。まだ、今日は飲んでおりません。
 明日以降、また順次、詳しく書いて行きます。今日は、予告編ということで、ご了解ください。

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2018年2月16日 (金)

イカル再見……常信寺の梅、開花進む

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 常信寺の梅です。かなり咲いてきました。こうやってとってもそれなりに見らImg_9396c れる景色になりました。右の写真も、同じく、常信寺の白梅。散歩コースあたりでは、鎮国守国神社よりもこの常信寺の方が、梅がよく咲いています。今日は、8時半から11時過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、寺町と5.7㎞。暖かくて楽な散歩でしたが、鳥は思いの外少なかったのはちょっと残念。
Img_9307c 三の丸公園と、吉之丸コミュニティパークの間で、イカル1羽を発見。シメがImg_9312c 側にいて、互いに牽制しあっているような感じでした。イカルは、2月8日にここで見て以来です(イカルと、ヘンなゴイサギ)。
Img_6179c 九華公園では、アオサギが珍しいところにいました。ここ数年、見たことがなImg_9333c かった場所です。神戸櫓跡に生えている木の上。色・模様からして、昨日、奥平屋敷跡にいたアオサギと思います。10時頃いつもこの下にいらっしゃる女性が、興奮して、「ねぇねぇ、あの鳥なぁに? 大きくてビックリ。初めて見た」と尋ねてこられたくらい。初めて、間近でご覧になるとビックリされるでしょうね。
Img_6174c ゴイサギは、今日も3羽。ただし、そのうち1羽は、どう見ても色が薄め。すぐImg_6177c 近くにいたゴイサギは、右の写真。左の写真のゴイサギは、大人への変身中かと思い、あれこれ検索中。まだはっきりとしたことは分かっていません。分かれば、追記します。
Img_9343c カモたち、今日は57羽。メンバーはほぼ同じ。ハシビロガモのオス3羽、メImg_9346c ス2羽とキンクロハジロ。今日は、ホシハジロのオスは見当たりませんでした。左は、公園内の野球場の南。カルガモとハシビロガモが集まっていました。ちなみに、ユリカモメは、4羽ほどしか来ていません。
Img_9351c このほかには、ジョウビタキのオス(左の写真)や、メジImg_9367c ロ、シロハラ、エナガなどを確認したくらい。モズの鳴き声もしていたものの、姿は見えず。
Img_6204c 貝塚公園では、シロハラを目撃したものの、撮影できたのは、ジョウビタキのメスのみ。毎週、月・水・金は、シルバー人材センターの方が清掃に入っていらっしゃいますが、清掃の場所によっては、鳥はほとんど見られなくなります。このほか、アオジのメスか?と思う鳥も見たのですが、はっきりとは確認できませんでした。
 明日は、またまた、近鉄ハイキング「酒蔵みてある記」がありますので、行こうかと思っています。四日市市内で、「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」が開催されます。日曜(2/18)は、蟹江駅で、「歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」」もあるのですが、連チャンはちょっと大変かと思っています。
【付記】 ブログの容量が、またもや減ってきました。大量の写真をアップしているので、当然ですが……。「お知らせ」にも書きましたように、2012年12月までのデータは削除しつつありますが、抜本的な対処が必要かも知れません。この2月4日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の方にもあります。

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2018年2月15日 (木)

スズメのなる木にアオサギ……午後からは、鳥少なし

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 気温は12℃を超えたようですが、曇っていて、気温ほど暖かくは感じられません。午前中は、予定通り、市役所にて特別支援教育関係の会議に出席。特別支援教育にも課題はあるのですが、最近は、家庭の養育力に支障がある子どもたちや、親御さんたちに何らかの支援が必要と思われることも多いと感じられ、教育の枠組みの中だけでは解決が難しいことが増えてきています。自治体や、国として、子育てをどうするのかについて、新たなグランドデザインを描くことが必要と思います。ただし、単に「改革」を目指すということではなく、基本的に重要、必要なことをきちんと行うという意味で、原点に返った取り組みを着実に進めることが必要という気がします。
Img_6108c などという、身の丈に合わないような「大言壮語」はさておき(苦笑)、午後からは散歩であります。歩かないことには始まりません(微笑)。午後1時半から2時間ほど、住吉神社、九華公園、寺町と4.7㎞を歩いてきました。しかし、分かってはいたものの、午後のこの時間帯、鳥はいません。
Img_9204c はじめは、「スズメのなる木」です。七里の渡し跡にある桜の木にスズメがImg_9199c 集まっていたのです。チュンチュン、賑やかなこと。この下を通った時だけ静まりかえったのみ。逃げるかと思ったのですが、ちょっと意外でした。
Img_6118c 蟠龍櫓の南にある三の丸公園。今年は雑草が刈られないままで、ツグミもImg_6119c ほとんど来ません。今日は珍しく、ヒヨドリと、ツグミが1羽ずつ。ヒヨドリは、最近散歩コースでは少なくなっています。食べるものがないということでしょう。ツグミは、今日は、あちこちで見かけました。
Img_6131c 2時前に九華公園に到着。ゴイサギは、2羽。いつもいるクスノキではありImg_6132c ません。こちらの方が居心地がよいのでしょうか。右の写真のゴイサギ、目を閉じていますが、ほほえんでいるような、妖怪・子泣き爺のようなで、笑えます。
Img_6135c 気温が上がったせいか、あの「甲羅干しスロープ」にカメが1匹出て来ていました。ミドリガメではなく、イシガメのようです。しかし、今頃から出て来て大丈夫なのか、気になります。
Img_9228c カモは、いつもの固定メンバーが53羽。ハシビロガモのオス3羽、メス2Img_9234c 羽、ホシハジロのオス1羽、キンクロハジロたち。気温が高いせいか、皆、割と活発。
Img_9239c ユリカモメは、38羽ほど。二の丸堀、野球場のフェンスなどで「待機」(笑)。「待機」と書いたのには訳があります。小生が、九華橋などでカモの数を数えようとしたら、餌をもらおうと思って、スゴイ勢いで集まってきたのです。この写真はそのときのもの。
Img_6142c 管理事務所で、管理人Sさんとお話しし、外周遊歩道を回って寺町に向Img_9266c かっているとき、いったん何気なく通り過ぎたものの、気になって振り返ったら、そこにアオサギ(微笑)。奥平屋敷跡のステージの裏。いるならいるといって欲しいくらい(笑)。アオサギが経っている石垣を見ると、かなり白くなっています。これは、アオサギ汁などと思われます。とすると、最近、ここによく来ているという証拠です。
Img_6139c アオサギのいたあたりで、シロハラ2羽を目撃。1羽は、奥平屋敷の方で、もう1羽は、立教小学校側で。シメも一瞬出て来たものの、「枝かぶり」の位置でしたので、場所を変えようと思ったら逃げられました。
Img_9275c 住吉入江まで戻ってきて一休みしていたら、例のハクセキレイが登場。「餌、ちょうだい」という感じで寄って来ました(微笑)。もっと仲良くなりたいと思っています。

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2018年2月14日 (水)

20180211近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”へ(その3)……高松八幡社、山武食品に立ち寄って、川越富洲原駅にゴールで「完」

2010211kintetsuhikingiseasahic
 近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”のそのImg_8234c 3です。最大の目的である早川酒造部を訪ね、試飲も済ませ、土産も買いました(微笑)。早川酒造部は、この地図の右下に位置しています。残りは、2㎞あまり。ほろ酔い気分で、歩き続けます。
Img_8396c 次の立ち寄りポイントは、早川酒造部を出て、200mあまりのところにある高Img_8397c 松八幡神社。ただし、道路に面して、この鳥居があるものの、拝殿はさらに東に200mほど入ったところにありました。いきなりの余談になりますが、鳥居の北には「満腹キッチンでぶや」というお店がありました。右の写真のように、「でぶや」と大書してあり、インパクト抜群。食べログなどで調べると、かなりお値打ちにランチが食べられるようです。
Img_8457c 鳥居を入ったところの燈籠、いわゆる「春日燈籠」と言われる、ごく普通の燈Img_8459c 籠なのですが、「火袋」のところだけ、色が違っていました。もともとかなり古いもののようで、火袋のところだけ新しくしたと思われます。何となく違和感がありますが、年月が経てばなじむのでしょう。
Img_8399c 参道を東へ100m足らず進むと、また立派な燈籠があり、「村社 八幡神社」Img_8403c と書かれた標柱が立っています。にの鳥居はここからさらに50mほど先になります。参道のまわりには、民家などが建っていて、その向こうに鎮守の森が見えます。ここまで来て気づいたのですが、今回のハイキング参加者の方で、ここに立ち寄る方はほとんどゼロ。早川酒造部からの道を見ていると、皆さん目もくれず、スルーして行かれます(苦笑)。物好きしか立ち寄らないのかも知れません。
Img_8408c 二の鳥居の先、南側に真新しい地蔵堂がありました。覗いてみると、おImg_8410c 地蔵様が五体。お地蔵様は五体いらっしゃるのに、下がっている、名前を書いた提灯は4つ。さて、これ如何に? 地蔵堂を建て直したものなのか、新しくつくったのか? ネットでは情報は見つかりません。分からないことが多々あります。
Img_8411c 地蔵堂を過ぎると、狛犬が鎮座。この狛犬Img_8414c さん、お約束通り「子取り玉取り」になっていました。向かって左が「子取り」で、こちらは口を閉じており、右が「玉取り」で口を開けています。向かって右の「玉取り」の方が古そうな感じでしたが、しっかりと確かめては来ませんでした。
Img_8415c なかなか拝殿まで行き着きません(苦笑)。いろいろなものがあって、目をImg_8416c 引かれてしまうのです。狛犬の次は、この赤い鳥居。赤い鳥居ですから、お稲荷さんかと思ったのですが、御堂はありません。代わりに右の写真のような石に「○○○神」と刻まれていたのですが、読めませんでした。崩し字(あるいは、古文書)の読み方を勉強した方が良さそうです。
Img_8418c この神様、一の鳥居は南向きにくぐるのですが、その先で直角に曲がって、二の鳥居、賽銭箱などが置かれています。敷地の関係なのか、これまた不明。
Img_8419c さて、いよいよ拝殿が見えてきます。一の鳥居からここまで100数十m。八幡様ですから、御祭神は、応神天皇。その他に、菅原道真天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、天照大御神火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)、罔象女神(みつはのめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、大日孁貴尊(おおひるめのむち:天照大神の別称)が祀られています。神様の名前、だいぶ慣れてきましたが、まだまだややこしい(苦笑)。
Img_8425c 神社検索(三重)には、「創祀については詳らかにし難い」とありました。Img_8426c 明治4(1872)年、村社に列格され、同40~41(1907~1908)にかけて、字亀崎の村社・神明社、字亀須の村社・神明社、字川下の無格社・葭野神社、字暗尾新田出の村社・神明社及びそれぞれの境内社を合祀したといいます。これは、明治時代に行われた神社合祀政策によるものなのでしょう(2/7:町屋川遠征3回目余談……大貝須神社と、古い看板の話など)。大正8(1919)年には、それまでの社名「八幡社」を「八幡神社」に改称しています。戦後の昭和30(1955)年に、亀崎、字亀須、字新関に神明社を分祀して現在に至っています。
Img_8422c 拝殿の前に、柱が立っており、一体何に使うのかと思ったのですが、帰宅して調べたら、伝統の神事である「足上げ祭」に使うものだということが分かりました。このお祭りは、8月14日の盆の晩に小学生が松明を担ぎ、青年は大太鼓と鉦をたたいて八幡神社まで参道を練り歩き、境内中央に設けられた、この「しんばしら」の周りを火の点いた松明を青年が持って跳び歩くという特異な祭りだそうです。こちらに動画があります(三重県のサイト)。
Img_8428c 御祭神に、菅原道真公がありましたが、拝殿前には、この牛の象が奉納され(昭和60(1985)年10月)、鎮座していました。鎮国守国神社にある牛の象も、これによく似ている気がします。
Img_8436c 拝殿の東に、八幡竜神社という神額がかかった、もう一つの鳥居がありImg_8438c ます。奥に進むと、右の写真のような拝殿と本殿があります。罔象女神が、水の神様ということです。また、コースマップにあった説明では、「……竜宮神(水神、海神)を祀っていた村社が始まり……」とありました。拝殿に向かって左手には、「天下り 授け賜いし鈴の音 鳴るたひ毎に 心ひきしめ」と書かれています。
Img_8440c 拝殿の東南には、小さな池がありました。説明などは特にありませんでしたが、「竜宮神(水神、海神)」を祀っているからなのだろうと勝手に解釈しています。
Img_8443c 八幡竜神社のさらに東、チヨダウーテという会社との境界近くに、玉垣にImg_8445c 囲まれた燈籠らしきものがありました。正面にも文字らしきものが刻まれていたのですが、これまた読めません。一つは、「御」という文字のような気がします。向かって右(南側)には、「文政六年」とありました。文政6年は、1823年。異国船打払令(文政8(1825)年)や、シーボルト事件(文政11(1828)年が起きる前の頃。この高松八幡社、いろいろと謎めいた(少なくとも小生にとっては)ものがあり、まるで「ワンダーランド」です(微笑)。
Img_8432c 拝殿前に戻って、西側を見ると、歌碑があります。近づいてよく見たら、Img_8433c 明治天皇御製の歌碑。「目にみえぬ 神乃心に 通ふこそ人乃こころの まことなりけれ」 という、明治40(1907)年に詠まれた歌。「私心を去り、神の心に自分を近づけることができた状態こそが、人の心のまこと(まごころ)というものであろう」という意味でしょうか。大正時代に氏子の方が奉納されたものでした。
Img_8447c さあこれで、高松八幡社もコンプリートと思ったら、来るときには気づかなImg_8449c かった、忠魂碑を見つけてしまいました。三重県遺族会のリストによれば、川越町高松地区戦没者41柱を祀るものだそうです(こちら)。裏は、ほとんど文字が判別できませんでした。
Img_8453c コンプリートとは書きましたが、もう一つ気になるものがあります。二の鳥居の脇、北側にある、この塀です。今のところ、調べ方が足りず、不明。ご存じの方がいらっしゃれば、是非ともご教示ください(もちろん、他の内容についても是非ともお願いします)。
Img_8463c 11時45分。コースに戻ります。八幡神社のすぐに西は、もう四日市市。天Img_8466c カ須賀三丁目の交差点を右折し、北西に向かいます。次の立ち寄りポイントである山武食品までは、ほぼ1㎞。右の写真は右折してからの道。この道は、国道1号線・高松川原交差点と23号線・高松交差点を結んでいます。
Img_8468c 途中、コンビニに立ち寄り、20分ほどで山武食品に到着。本社工場内にImg_8473c 直売所があります。「海旬工房 矢馬竹」として営業しているのです。「何も買うな」という指令でしたが、こちらに載っていた「焼きそばバリバリ天」とか、「ばくだん揚げ」などが単品で売っていれば買おうと、密かに決意していたのです。しかし、これはどうもセット商品で、結局、中を一通り見てきただけです(苦笑)。
Img_8474c ちなみに、矢馬竹の店舗脇にお稲荷さんが祀られていましたが、こちらはパスしてきました。
Img_8481c 山武食品さんの前の国道1号線は、何度も通っていますImg_8482c が、ここに来たのは初めて。交差点を渡って、しばらく国道1号線を進みます。このあたり、川越町の繁華街。マックスバリュや、吉野家、マックなどの他、何故か焼き肉屋さんなど肉関係の店がたくさんあります。
Img_8487c 山武食品から500mほど、国道1号線を進み、スシローや、吉野家のあるImg_8489c ところを右折(西へ)すると、じきに近鉄名古屋線・川越富洲原駅が見えてきます。ここが本日のゴール。12時20分に到着。駅の東西の広場には、右のようなモニュメントがあります。これ、実は時計。夜になると内蔵されたLED照明が広場の街路灯と連動して点灯するようになっているそうです(こちら)。ここは、毎年年末になると、朝明商工会によってイルミネーションも設置されます。
Img_8497c 前回、ここ川越富洲原駅に来たときは(2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))、西口に降りましたので、気づかなかったのですが、東口から上がったところに「川越町の物産品」を展示するコーナーがありました。昔はあちこちの駅にあったと思いますが、最近では珍しい。土産に買ってきたお酒の他に、乾麺、しぐれ蛤、あられ、かまぼこなども展示されていましたが、すぐに電車があったので、ゆっくりとは見てきませんでした。
Img_8502c 12時23分の普通電車名古屋行きに乗車。桑名着は、12時31分。¥260

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。電車賃は、往復の合計で¥470。いやぁ、これで半日しっかり楽しめます(微笑)。コースマップ上は7㎞でしたが、実測で8㎞。今回も、強風、時雨の中、めでたく完歩であります。今週末も、酒蔵みてある記はあります。2月17日には、「駅長お薦め酒蔵みてある記 伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(近鉄湯の山線・高角駅)、18日には「駅長お薦め酒蔵みてある記 歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」」です。2日連続というのは、今まで試していません。「鈿女」・「醉泉」・「最愛」、いずれも味わったことはありません。どうしようか思案中。

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アオサギ、珍しいところに登場……梅の開花、進む

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 天気予報のように10℃には達しませんでしたが(9.2℃、14:30)、それでも久しぶりに暖かい日になり、散歩もずいぶん楽でした。冒頭の写真は歩き始める前のものですが、遠くを見ると、霞んでいるような感じさえあります。8時45分から2時間半ほど、いつものコースを歩いて、5.8㎞でした。
Img_6042c 最初は、アオサギです。珍しくはありませんが、これまでいなかったところでImg_6046c 見つけたのです。場所は奥平屋敷跡でしたが、いつもようにステージの裏ではなく、立教小学校の体育館に近いところ。ここにいたのは初めて。危うく見逃すどころか、気づかずに近づくところでした。
Img_6044c 直前にジョウビタキを見つけ、そっと追いかけていて、慎重だったこともあっImg_6048c て、かなり近づくこともできました。アオサギ、このあと、体育館側を通る人があって、二の丸跡へ(右の写真)。さらに二の丸橋に移動した後、いつものステージ裏に戻ってきました。
Img_8981c さて、いつものように住吉神社、揖斐川の堤防と歩いたのですが、三の丸Img_6021c 水門のところで、ヒバリの家族連れ。合計5羽でしたので、このあたりによくいる家族と思います。今日は、鳴き声も聞かれていました。
Img_6081c ゴイサギは、朝一番には2羽しか見つからなかったのですが、10時過ぎにImg_9121c は3羽を確認しました。1羽は、いつものクスノキの奥。もう2羽は、そこから20mほど北にある木に(右の写真)。
Img_6073c 上右の写真で、向かって左下にいるゴイサギさん、なんとなく背中のブルーの色が薄いような気もします。肉眼で見てもそうでしたし、他の写真でも同様。
Img_6032c ゴイサギを見ていた近くにはシロハラ。土俵があるところですが、このあImg_9022c たりによくシロハラがいます。右の写真のコゲラは、奥平屋敷跡の入り口にて。木に産み付けられた虫の卵をつついていました。
Img_6041c そして、アオサギを見つけるのを助けてくれた、ジョウビタキのメス(微Img_6069c 笑)。奥平屋敷跡の中を移動していました。2日ほど見かけなかったシメも、今日は、定位置の本丸跡の中央で、餌探し中。人間の目で見ると、餌があるのかと思うのですが、丁寧に拾って食べています。
Img_9132c 10時過ぎにゴイサギを再び見に行ったとき、近くに出て来たメジロ。1羽のみ。今日は、九華公園ではこのほか、ジョウビタキのオス、モズのオス、エナガの群れにも出会ったのですが、きちんとした写真は撮れず。ユリカモメはゼロ。カモは、68羽とかなりたくさんいました。メンバーは、同じく、ハシビロガモのオス3羽、メス2羽、ホシハジロのオス1羽にキンクロハジロ。
Img_9162c 貝塚公園で撮影できたのは、ジョウビタキのメスだけでした。エナガ、メジロ、シジュウカラの交じった群れにも出会ったのですが、うまく撮れず。この群れ、九華公園から移動してきたのかという気もします(九華公園から貝塚公園は、直線距離で200~300mほどです)。今日はシロハラは、見られませんでした。梅は、ここはまだつぼみが堅いまま。
Img_9166c 入江葭町に行く途中の内堀南公園には、たまにツグミがいます。「いかにもツグミ!」というポーズで1枚。このあと、京町を通って、寺町へ。寺町では、常信寺の梅を確認に。
Img_9170c 常信寺では、紅梅はかなり咲いてきて、これなら「梅も咲いた」といえるくImg_9176c らいの感じになって来ました。また、白梅といってよいのでしょうか、これも咲き始めてきていました。2~3日は暖かいそうですから、これで散歩コースあたりも梅の開花が進んでくれるものと期待しています。
Img_9185c オマケは、こちら(笑)。今迄あまり意識しませんでしたが、常信寺の睡蓮鉢のところにあります(存在そのものは、知ってはいましたが)。撮影にもっとも協力的なカモさんです(微笑)。明日は、午前中、教育委員会の仕事。午後、散歩に行けたら出たいと思っています。

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