旅行・地域

2017年12月17日 (日)

雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)

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 曇天、寒さの中、予定通り、JRさわやかウォーキングへ行ってきました。今Img_7597c 日は、関西線南四日市駅がスタート&ゴール(醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク)。しかし、今日は、桑名で最高気温が5.8℃(ただし、真夜中の0時13分)、最低気温は1.0℃(9時45分)。歩いている途中、雪もちらつくという悪条件でした。とても「さわやか」とは行きません。小生の心がけが悪いワケではないと思っています(苦笑)。
171217sawayakaminamiyokkaitic 歩いたコースは、こちら。四日市市南部の日永、泊、四郷あたり。パンフレットでは、約10.9㎞、約2時間50分となっています。8時40分に歩き始め、ゴールしたのは12時10分と3時間半かかり、距離測定ツールで調べると、11.5㎞でした。前回のように、コースから少し外れた寺社や、旧蹟を見てきています。
Dscn5493c 中身に入る前に、今日の土産(微笑)。コースにあった神楽酒造で試飲させImg_7778c てもらった新酒をゲットしてきたのです。10日ほど前から販売開始になったばかりの「神楽(特別純米生酒)」(720ml)です。わずかに甘口の感じがしますが、香りは芳醇、酸味はまろやかです。神楽酒造さんでは、甘酒もいただけました。寒さで冷え切った身体に、とてもうれしいサービスでした。
Img_7609c さて、コースも長かったのですが、見てきたところも多いので、何回かに分Img_7611c けて記事にします。3回くらいを予定しています。JR南四日市駅から西へ。国道1号線を渡って、旧・東海道に入り南下します。1㎞半ほど歩いたところで、味噌醤油醸造の伊勢蔵へ立ち寄ります。創業大正3年。味噌汁の試飲をさせてもらいました。
Img_7617c 伊勢蔵からすぐ近く、日永の追分の手前に東海道日永郷土資料館があImg_7618c ります。日永郷土史研究会が中心になって、土蔵付きの商家の建物を借りて、平成25年11月に開館しました。館内には、「日永足袋」「日永うちわ」をはじめ、地域に残る歴史・民俗・文化・街道(東海道・伊勢街道)などに関わるさまざまな資料が、古代から昭和30年代ごろまで時代別、テーマごとに展示してありました。もとは、「八木新」というタバコや雑貨を販売していた店の建物だそうです。
Img_7625c これまたすぐに日永の追分があります。追分は、道が二つに分かれるところ。日永の追分は、江戸と京を結ぶImg_7623c 東海道と、伊勢に向かう伊勢街道との分岐点です。右の写真は、北から南を採っていますが、手前から来て、信号を右に向かうのが東海道(国道1号線)、信号で左に向かうのが伊勢街道(剣豪103号線)です。現在は、公園のように整備されています。
Img_7629c この日永の追分は、昭和13年4月に県の史跡に指定されています。まImg_7630c た、ここには、鳥居があり、桑名・七里の渡し跡の伊勢一の鳥居に対して二の鳥居と呼ばれました。四日市を描いた浮世絵には、このあたりの風景が数多く描かれています。鳥居は、安永3年(1774)年に一志郡須ヶ瀬村(現在の津市)出身の伊勢商人・渡辺六兵衛が東海道を往来する人のために遥拝鳥居として建てさせたのが最初です。その後、たびたび建替えが行われ、最近は、伊勢神宮の式年遷宮の際に、伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を移建されています。現在のものは、平成28年10月に建替えられました。
Img_7641c 現在の追分には、常夜燈、道標、手水場があります。常夜燈のひとつは奉献Img_7645c 時から存在したと推定されるといいます。道標は、明暦2(1656)年に建てられたものが、現存し、それは、現在日永神社に移されています。道標には、「右京大坂道 左いせ参宮道」「すく江戸道」「嘉永二年己酉春二月 桑名魚町尾張文助建之」と刻まれていました。思わぬところで、桑名の人の名前が出て来ました。
Img_7635c 手水場は、導水の関係もあって一段低くなっており、これで原位置を保っているようです。手水場の水は、ここで湧いているのではなく、ここから500m程西に位置する丘陵地、泊山(登城山)からの湧水です(註:ネットで調べると、そのほとんどがこのように、「500m西」と書いていますが、距離測定ツールで調べると、登城山は北西へ1.5㎞のところにあります)。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。
Img_7660c 日永の追分からは、泊町内を、四日市あすなろう鉄道の内部線沿いにImg_7669c 北に戻ります。鉄道好きの方は、ご存じでしょうが、狭軌の線路に小さな電車が走っています。ちなみに、小生、まだ載ったことがありません。一度は乗ってみたい路線です。
Img_7675c 県道44号線に出て西へ。ここから、丘陵地帯に向かいまImg_7676c すので、上り坂(苦笑)。白鬚神社へ。ちなみに、この道路は、海軍道路と呼ばれていたと聞きます(第2次大戦中、沿岸部の第二海軍燃料廠と泊山の「山の工場」を結ぶ軍用道路でした)。
Img_7684c 白鬚神社は、白髭大神(猿田毘古神)を祀っています。紀伊国から泊村Img_7689c に移り住んだ郷士・吉村家の祖先が近江国・高島町鵜川の白髭大神を崇めていたので、慶長年間(1596~1615)にここに勧請して、鎮守としたことに由来すると由緒書きにありました。由緒書きには、12月5日開催される開帳際では、本殿の扉が開かれ、御幌を掲げて、ご神体のお姿を目の当たりに配することができる、類例の内心寺が催されるとありました。
Img_7691c 神社は丘の上にあって、階段をかなり上らねばならなかったのは、大変でした。が、なかなか雰囲気のよい神社で、宮司さんともお話しでき、一息ついてきました。ここにも、神宮遙拝所が設けられていました。
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 この先は、三重県総合医療センター、泊山小学校のところを通って、南部丘陵公園の北ゾーンに入っていきます。その名の通り、丘陵なので先が思いやられます(苦笑)。公園の西にある笹川団地に住んでいましたので、子どもたちを連れてきたこともありますし、最初の勤務先で患者さんたちのレクレーション、遠足に来たこともあります。
Img_7714c 公園北ゾーンの東の端に、この日永冒険の森というものがありました。ここは、登城山。日永の追分にあった「追分鳥居の水」の水源はここだと思われます。ちなみに、四日市の工場夜景の撮影スポットの1つだそうです。ここまでで4㎞半ほど。全行程のまだ半分にも届きませんが、今日の記事はここまで。明日に続きます。
【余談】 「泊村」という地名、四日市・笹川に住んだときから(25年以上前)疑問でした。今日は行っていませんが、泊山崎町に光明寺があります。その由来に答えがありました(Wikipediaの説明は、こちら)。
聖武天皇(724年 - 749年)のころ、行基菩薩によって、現在地の西側にある、泊山の高台に、開山されたと伝えられ、本尊の聖観音像は、弘法大師一刀三礼の作といわれる。
その昔、西国三十三観音霊場を再興した花山法皇が谷汲山参詣後、京への帰路、当山にて一泊したときに、法皇が本尊を拝されると、奇しくも光明が輝いたので奇異に感じ入り、寺号を光明寺と称するよう勅したと伝えられ、法皇がこの地に泊まられたことを機に、地名を泊村と呼ぶようになったとされている。

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2017年12月14日 (木)

町屋川にて、ミサゴ、セグロカモメ、オナガガモ、オカヨシガモなど……マンホールカードもゲット

Img_0550c 今朝の桑名の最低気温は、0.7℃。冷えました。名古屋では、氷点下になったとImg_0795c いっていたくらいです。鈴鹿の山々も雪化粧です。冒頭の写真をご覧いただくと、すでに「ネタバレ」ですが、今日は、町屋川方面へ出かけてきました。桑名駅から、町屋川近くの日の出橋まで行くバスがあります。11月の旧東海道ウォークの時にも乗った路線です(11/9:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(前編))。9時10分発、27分着、片道\340。日の出橋は、桑名市と川越町との間の町屋川にかかる、県道401号線です。

171214walk  こういうコースで4.9㎞ほどを歩き、鳥を見てきました。スタートは、地図中央の日の出橋。町屋川左岸を南下。伊勢湾岸自動車道をくぐった少し先、伊勢湾に面したところでUターン。予定では、国道1号線の町屋大橋まで戻るつもりでしたが、時間の都合と、途中にあった「記念碑前」のバス停近くの銅像や、石碑が気になって、そちらを見てきました。帰りは、同じバス路線の、この「記念碑前」から桑名駅まで乗車。11時36分発、桑名駅11時57分着、運賃は同じく\340。往きの乗客は小生を含め2名(終点まで行ったのは小生のみ)、帰りは5名。三重交通さん、儲からないと思えます。

Img_0667c  ミサゴ。2度ほど現れましたが、同じ個体かどうかは不明。左の写真は、Img_6937c 超望遠コンデジで撮りました。このカメラ、やるときはやってくれます(微笑……コンデジだなぁと思うこともたびたびありますが)。右は、デジイチ写真。比較のため載せておきます。

Img_0651c  これは、セグロカモメと思ってみていましたが、確信があるわけではありImg_0647c ません。若い個体のように思います。この個体は、カニを食べていました。他にも、セグロカモメらしきカモメは、このほかに3羽確認。途中、カラスが横取りしようと思ったのか、寄って来ましたが、追い払って事なきを得ていました。

Img_7029c  さて、「シギの仲間」です(苦笑)。シギ・チドリは、難しいです。ハマシギのImg_7016c ように思うのですが、自信はほとんどありません(笑)。笑って済ませる場合ではありませんが……。日の出橋近くでも見ましたし、伊勢湾岸自動車道をくぐった辺りでは、右の写真のように4~5羽が集まっていました。

Img_6798c  もう一つ難題。「千鳥の仲間」であります。首のところの「黒帯」がはっきりImg_0582c しませんし、前までつながっていませんから、シロチドリと思います。シロチドリであれば、これは、三重県の県の鳥です。

Img_7096c  これは、大丈夫です(微笑)。イソシギ。なじみがあります。九華公園にも来るようになっています。今日は、数は多くはありませんでした。

Img_0741c  カモたち。オナガガモがけっこうたくさんいました。久しぶりに見ました。というのも、Img_0621c いつも行く九華公園には来ませんし、長良川河口堰、三ツ又池公園などでも見ないからです。


Img_0769c  こちらは、オカヨシガモと思われます。九華公園で、2012年1月に一度だImg_0597c け見たことがありましたので、ほぼ5年ぶり。いろいろと調べていたら、何かに「カモの中でもっともおいしい」と書いてあるところがありました。ちなみに、2番目はマガモ、3番目はコガモだそうです(もちろん、好みには個人差があると思います)。

Img_0560c  そのほかのカモたち。まずは、カルガモ。10羽ほどが日の出橋のすぐ下流 辺りに集まっていました。


Img_0635c  ヒドリガモは、かなりたくさんいます。時々、「ピュー」という、笛の音のようImg_0650c な強い鳴き声が響いてきていました。左の写真をパソコンで見て気づきましたが、先頭の個体、目の後ろが緑色になっていました。オオバンと一緒に移動しているグループもあります。

Img_0638c  コガモ。数はヒドリガモほどは、多くないように見えました。それと、キンクImg_7117c ロハジロもいました。見た限りでは、非常に少なかったように思います。


Img_7112c  そのほかの鳥たち。まずは、オオバン。ヒドリガモと一緒に、たくさんいましたが、それは右岸側でかなり距離がありました。このオオバンは、帰り道、左岸側にて。

Img_6778c  セキレイは、2種類。セグロセキレイと、ハクセキレイ。セグロセキレイは1Img_7118c 羽。ハクセキレイはあちこちにいました。そうそう、けっこうカラスがたくさんいたのには、ちょっと驚きました。カワウは、数羽しか見かけませんでした。

Img_0689c  伊勢湾岸自動車道をくぐったところは、伊勢湾に面しています。広々としImg_7014c ていますし、中電川越火力発電所や、ナガシマスパーランドなどがよく見えます。気持ちの良い空間。名古屋港や、知多にあるIHIの工場なども見えます。


Img_0810c  さて、帰り道、思いの外、時間がかかってしまったのと、往きに見たこのImg_0793c バス停側の銅像と石碑が気になって、見てきました。日の出橋からは、バス停2つ分戻りました。その前に、日の出橋のバス停の横には、神社がありました。神社の神社には、由緒書も、名前を示すものもありませんでしたが、地図で見る、萱町神明社となっていました。境内に萱町集会所がありました。

Img_0808c  途中、大貝須のバス停のところで、こんな石碑を見ましImg_0819c た。あとで調べたら、ここには大貝須神社があったのでした。急いでいたのでよく確かめず、この石碑だけ写真に撮ってきただけ(苦笑)。「春日三崎神社旧蹟地」という石碑。目的地は、城南漁協水産物荷捌場のところにあります。

Img_0812c  一つは、「後藤栄三郎翁像」。後藤栄三郎は、旧・城南村の村長を務めImg_0814c た方(弘化5(1848年)~明治43(1910)年)。三重県会議員などを経て、明治26(1893)年に城南村の村長となっています。水産養殖を推奨し城南漁業組合を創立してノリ養殖に力をそそいだそうです。石碑の方は、「後藤嘉一郎君碑」(右の写真)。「秋山断撰 佐治爲善書 根来市藏刻」とあります。ネット検索では詳しい情報は出て来ませんし、手元にある本にも載っていません。

Dscn5466c  余談であります。12月8日の中日新聞北勢版に桑名でもマンホールカードDscn5468c が配布されるというニュースが載っていました。4,000枚を桑名市物産観光案内所で配るということでしたので、帰りに立ち寄っていただいてきました。カードには、はまぐりのデザインのものが載っていますが、実際に使われているマンホールは、この他に、七里の渡し跡、桑名の千羽鶴の2種類があります。

Img_0825c  さらなる余談(苦笑)。この桑名市物産観光案内所は、桑栄メイトの1階にあります。ここは、昭和48(1973)年に建った、飲食店・物販店・サービス店・事務所・診療所など商業店舗と、住宅が入居する複合用途ビルです。ご覧のように、昭和の雰囲気たっぷりで、現在、NHK総合テレビで放映されている「マチ工場のオンナ」の冒頭シーンで、舘ひろしさんが出て来たのが、この場所です。この出入り口のすぐ左が、物産観光案内所。

Img_6907c  明日の朝は、さらに冷えるという予報です。四日市で-1℃とか。日中は暖かくなり、10℃を超えるといいます。ただ、明日は、大規模修繕工事の一環として、午前中、玄関周りの塗装をしてもらいますので、家にいなくてはなりません。ちょうどうまい具合に、ガス器具点検や、エレベーター点検も重なりましたので、午前中は、留守番(苦笑)。午後から、散歩に行きたいと思っています。

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2017年12月13日 (水)

九華公園のベンチ、新しくなりました……寒いせいか、鳥は少なし

Img_0486c 「こんなに寒いのだから、もっと暖かそうに見える写真はないのか」という声が聞こえてきそうですが、あいにく散歩コースにはそういうところはありませんので、ご容赦くださいm(_ _)m いつものように、揖斐川の上流を見たものですが、蟠龍櫓のところからの画像です。左端に住吉神社が写っています。家事をしていて(苦笑)、出るのが遅くなり、9時前から11時半にかけ、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、寺町と回って、6.1㎞。

Img_0481c  昨日、住吉水門のところにアオサギが集まっていましたが、今日はこの1羽のみ。しかし、ここで、アオサギさん、いったい何を思っているのでしょう? そういうことを考えさせる姿、表情をしている気がします(ひょっとしたら、自分自身の心が、アオサギに投影されているのかも知れませんが……)。

Img_0495c  九華公園。今日はアオサギもゴイサギもいません。他の鳥たちも少なめでした。カモも、41羽。ヒドリガモはペア2組とオス1羽、ホシハジロのオスが2羽、ハシビロガモのオスが2羽と他はキンクロさん。写真は、ヒドリガモとハシビロガモが写っています。

Img_0513c  ユリカモメは、29羽。二の丸跡を歩いているときは、飛び交っていたのですが、その後はご覧のように、野球場のフェンスに勢揃い。知人と、そのワンちゃんに会って話しているうちに姿を消してしまっていました。誰も餌をくれる人がいなかったからでしょう。割と現金です(苦笑)。

Img_6715c  本丸跡で、オスのモズが一瞬だけ姿を見せてくれました。証拠写真でしかありません(苦笑)。このほか、カワラヒワ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバトくらい。寒くて、雲が多いと、鳥たちの活動性も鈍るということでしょうか。

Img_0524c  シロハラが来ていたのがうれしくて、また貝塚公園に見に行ってしまいまImg_6732c した(微笑)。2回見ましたが、実数が2羽かどうかについては、確信が持てません。餌を啄んでいましたが、雑食性ですから、それが何かは、今ひとつよく分かりません。赤っぽい色をしています。

Img_0505c  ところで、九華公園のベンチ、無事に設置工事は終了していました。二のImg_0501c 丸跡と朝日丸跡とに、合計9基あります。4人がかけられます。「宝くじからの贈りもの」というプレートがついていました(一般社団法人日本宝くじ協会の助成を受けて更新したということかと思います)。一般財団法人公園財団の名前もあります。ここは、公園や緑地の管理運営などをしているようです。バールフレンドのお二人他、散歩友達の高齢者の皆さんからは、好評です。

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2017年12月11日 (月)

貝塚公園にシロハラ

Dscn5460c  最高気温は12℃を超えたとありましたが、それにしては寒いというか、冷えるというか。去年までよりも、寒さが身にしみるようになった気がします(苦笑)。「寄る年波には……」ということかと、少々がっかり(微笑)。めげずに今日も散歩。8時50分から11時半、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町から寺町と5.8㎞+α(αは、貝塚公園で、シロハラを求めてウロウロしたからです)。写真は、鎮国守国神社の拝殿脇。裏にあるイチョウの木はすっかり葉を落としました。

Img_6508c  貝塚公園、毎年、シロハラが複数やって来ますが、昨日までは不在。今日Img_6510c 歩いていたら、チラッとその姿が見えましたので、何度も歩き回ってようやく確認。その証拠写真です(苦笑)。シロハラをご存じの方には、お分かりいただけるという程度の写真ですが、ようやくシロハラが来てくれたと思うと、少し楽しくなります。

Img_0327c  さて、話を元に戻します。「住吉キンクロウズ」、このところ、オスのキンクロハジロが1羽のみです(「住吉キンクロ」と単数形で呼ばなくてはなりませんねぇ)。こちらは、住吉水門の外側にいたアオサギさん。朝なのに、なんだか黄昏れた感じです(笑)。冬になると、揖斐川右岸の堤防にアオサギが時々やって来ています。

Img_6434c  吉之丸コミュニティパーク西の堀。最近、ここにキンクロハジロが集まっています。いつも15羽くらい。九華公園の堀のカモが少ないのは、キンクロの一部がこちらに来ているからかも知れません。


Img_0331c  九華公園に到着。いつもよりやや遅め。北門近くでは、オスのモズが出迎え。少し写真を撮らせてくれた後、姿を消しました。しばらくあまり見なかったのですが、この頃はまたモズを見るようになりました。

Img_6447c  アオサギは、いつものように、鎮国守国神社社務所裏のセンダンの木の枝に。ただし、今日はなぜか、先端のところにいました。その日の気分によるのでしょうか?

Img_6443c  このセンダンの木の近くの堀に石があります。カメが甲羅干しをしていることもあるのですが、今日はオオバンが上がって身繕い。あの「弁足」がよく見えます。オオバンは、カモのような水かきはないのですが、足指(趾)の両側に弁状に膜が発達しているもの(これが弁足)があります。

Img_6453c  カモは、56羽。今日はあちこちの堀に分散していて、けっこう動いていまImg_6456c したので、数えにくいこと(苦笑)。ただし、メンバーはいつも通り。ホシハジロのオス2羽、メス1羽、ハシビロガモはオス・メスとも2羽ずつ、ヒドリガモのオス3羽、メス2羽に他はキンクロハジロ。

Img_6464c  最近ずっと不思議に思っていること、それはハシビロガモのオス2羽がいつも一緒に行動していることです。ホシハジロや、ヒドリガモはたいてい、オス・メスのペアが近くにいて、一緒に行動するのですが……(キンクロさんは、多すぎて、ペアになっているのかどうか、まったく不明です)。

Img_6482c  九華公園、こんな天候のせいか、鳥は少なく、ユリカモメはゼロ。ハクセキレイを2羽見たくらいで、他はヒヨドリ、ドバト、ムクドリくらい(ただし、これらも少なめでした)。

Img_6501c  貝塚公園では、到着したときは静かでしたが、シロハラを探している間Img_6496c に、コゲラ(このコゲラは、頭に赤いスポットがありますから、オス)、シジュウカラ、メジロが出て来ました。メジロは写真には撮れずじまい。このほか、ウグイスかと思える鳥もいたのですが、これも撮影できませんでした。

Dscn5391c  余談。最近、九華公園に散歩に来る人の間で話題になっていることがあります。それは、1週間前に木製のベンチがすべて撤去されてしまったことです。バールフレンドのYさんは、たいそうご立腹。「休むところがない」「ベンチに座って皆さんと話すのが生きがいなのに」などなど。どうやら市役所が新しいものと更新してくれるらしいのですが、掲示も何も出ていません。管理事務所には何人もの方から抗議があったようです。散歩仲間の間では、「いかにもお役所仕事」と悪評。張り紙1枚くらい出してくれても良いと思います。

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2017年12月 7日 (木)

カワウはせっかくの獲物を横取りされる……NHKドラマ「マチ工場のオンナ」についての余談も

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 風がないので、日当たりにいればそれなりに暖かいのですが、気温は低い日が続いています。今日も、最高気温は10.5℃、最低気温は、何と0.6℃でした。そのせいか、九華公園を散歩する人も激減という感じです。小生は、8時50分から11時半まで、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、寺町と5.8㎞を歩いてきました。
Img_5804c このところ毎回のように書いていますが、冬の鳥が少ないままです。「住吉キンクロウズ」も今朝は、1羽。揖斐長良川の中州のアオサギはゼロ。揖斐川には、キンクロハジロが5羽ほど、カンムリカイツブリが2羽浮いていただけ。ユリカモメが1羽通過していったくらい。
Img_5827c 「鳥が少ない」とぼやいている声が聞こえたのか、今朝は、久しぶりにゴイサギが登場。何やらこちらの様子をうかがっているようにも見えて、笑えます。ただし、2度目に見に行ったときには、姿を消してしまっていました。アオサギもこの頃は、来てくれません(涙)。
Img_5832c 九華公園にある筏橋の近くに、オスのモズが一瞬だけ姿を見せてくれました。こちらも、同情してくれたのかも知れません(苦笑)。モズたち、高鳴きを聞かなくなった頃、それは、おそらく縄張りを確保した頃から、あまり姿を見なくなりました。
Img_5870c カモは、今日は合計55羽。ヒドリガモのペアが3組、オスが1羽、ハシビロガモのオスが2羽、メスが1羽、ホシハジロのオスが2羽、メスが1羽。他はキンクロハジロたち。カモではありませんが、オオバンが2羽。左の写真は、よくホシハジロや、カルガモが日向ぼっこをしているところ。今日は、このヒドリガモのペアもいました。キンクロハジロはほとんど上陸しません。
Img_5847c ホシハジロ、今日は、九華橋近くにて、お休み中。左はメス、右はオス。Img_5848c どのカモも同じですが、お休み体勢であっても、時々は目を開けて周りの様子をうかがっています。
Img_5931c ユリカモメ、今日は9羽。公園内の野球場のフェンスに止まっています。はじめにも書きましたように、急に寒くなったので、散歩をする方が減り、その結果、餌をやる人もほとんどいませんので、集まってこないということだと思います。カモも、ユリカモメも去年より少なめの数で推移しています。
Img_5904c このところ、カワウが漁をするもあまり見ませんでしたが、今日は、久しぶりにそれを目撃。吉之丸堀にて。こちらのカワウさん(白くなっているのは、繁殖期である証拠)が魚を捕ったのですが、すぐに飲み込まず(飲み込めず?)、何度も咥えなおしたり、落としたりしていたのです。
Img_5924c そんなことをしていると、必ずといってよいほど、他のカワウが横取りしよImg_5926c うと寄ってきます。左のシーンのすぐ後、このカワウさんまたもや、獲物を落としてしまうのです。そうしたら、案の定、左の写真で手前にいたカワウが、それを横取り(右の写真)。このあとすぐに丸呑みに至りました。もともと魚を咥えていたカワウ、なんだか呆然としているように見えます。
Img_5933c 公園についたとき、イソシギが飛ぶのを見たものの、他に確認したのは、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、カワラヒワくらいでした。カワウの横取りシーンを見られたからまあよしとしましょう。左の写真は、九華公園の野球場のフェンスにいたスズメ。貝塚公園では、カワラヒワ、ヒヨドリの他、ツツジの植え込みで移動する小型の野鳥を追ったのですが、何かは確認できず。鳴き声は、ウグイスの地鳴きのように思えました。
Img_5960c 寺町からの帰り道、住吉入江の脇では、メスのジョウビタキを見かけたのですが、こんな証拠写真のみ。メジロもいたものの、写真は撮れずじまい。
Img_5936c 昨日は、更新しませんでした。散歩に入ったものの、昼頃から家内の実家に出かけ、帰宅が遅くなったのです。カモ、ユリカモメの数だけ、記録として残しておきます。12/6のカモは66羽。ハシビロガモのオスが2羽、メスが1羽、ホシハジロのオスが2羽、ヒドリガモのペアが2組、オスが1羽、他はキンクロハジロ。ユリカモメは20羽。
Dscn5433c 余談であります。先日から、寺町商店街に「『マチ工場のオンナ』コーナー」というものが、設置されています。実は、これ、11月24日からNHKで放映されている「マチ工場のオンナ」というドラマ(全7回)にちなむものなのです(金曜22時~、12/29迄;再放送は、翌週木曜0:10~(水曜深夜))。内山理名さんが主演で、「主婦だけど、社長やります!」というキャッチフレーズ。
Dscn5434c_2 このドラマ、原作は東京、舞台は愛知(名古屋)なのですが、実は、ロケDscn5435c のかなりの部分が桑名で行われているのです。ドラマのスタートシーンは、桑名駅前の「桑栄メイト」という、いささか古いビルと、駅前の広場でした。舘ひろしが出て来たのが、この桑栄メイトビル。また、「ダリア精機」という町工場が舞台なのですが、それは、我が家から徒歩10分ほどのところにある水谷精機工作所さん。内山理名さん扮する有元光の実家、須藤家もその近くのお宅なのです。この頃そちら方面にはあまり散歩に行きませんが、以前はよく歩いたところで、「オーっ、あそこだ!」といいながら、ドラマを見ています(微笑)。伊勢大橋が写ったり、車で走っているのが、中堤だったりするのです。
Dscn5441c 桑名フィルムコミッションのサイトにも、ロケ地紹介があります(こちら)。ドラマももちろん面白いのですが、知っているところが出てくるのを見つける楽しみもあります。また、このドラマ、「舘ひろしさん演じる父親が亡くなり、倒産寸前の父の会社を立て直していくところから始まるストーリーですが、物語が進み父親の会社に触れることによって、今まで知らなかった父の姿を知っていくという、実は父と娘の話でもあります」という内山さんのコメントがありました。自分の親のことは知っているようで知らないことが多いと実感しています。

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2017年11月28日 (火)

またもや四日市へ……「阿弥陀さまと極楽の世界-四日市の浄土教-」を見て、鵜の森神社、浜田城跡、諏訪神社そして旧・東海道も(微笑)

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 「また四日市?」といわれそうですが、今日も行ってきました(微笑)。先週土曜(11/25)、JRさわやかウォーキングで行ったばかりです(どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。そんなに用事があるわけではありませんが、とあるところへ行きたかったのです。
Amidayokkaichic それは、こちら。四日市市立博物館で12月3日まで開催している「阿弥陀さDscn5075c まと極楽の世界-四日市の浄土教-」という企画展が見たくて、行ってきたという次第です。「いったいどうしたんだ?」と思われるかも知れませんが、阿弥陀様は、我が家の宗旨である浄土真宗大谷派のご本尊なのであります。信心深いとは決していえませんが、関心はあります、ということです。四日市市内には200のお寺があるそうですが、そのうち、160ヵ寺が浄土真宗や浄土宗の寺院で、阿弥陀如来を本尊とします。この博物館の学芸員の方が20年あまり前から市内を回って調査なさった成果がこの展覧会になっています。平安から昭和までの仏像16点、仏画40点など、書、本、数珠など100点が展示されていました。仏像は、すべて寄せ木造りで、阿弥陀如来像12点、親鸞聖人座像、聖徳太子立像がそれぞれ2点ありました。こちらに中日新聞の記事があります。
Yokkaichimapc 博物館では、この企画展のみを見て、ほぼ1時間。ついでに近くで、行ってみたかったところ(四日市には、3年ほど住んだことがありましたが、いったことがありませんでした)を回ることにしました。それは、この地図にある鵜の森公園諏訪公園。いずれも近鉄四日市駅から徒歩5分ほど。
Dscn5096c 鵜の森公園で見たかったのは、文豪・丹羽文雄先生の句碑。「古里は菜Dscn5098c の花もあり父の顔」という句が刻まれています。丹羽文雄が、36歳ごろの作品といわれ、自筆の毛筆墨書を拡大したものです。丹羽文雄(1904~2005)は、四日市市北浜田にある浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺の住職の長男。旧制・富田中学(元・四日市高校)を経て、早大国文科卒業後、いったん住職を務めたものの、小説家に転じています。1977年に文化勲章受章、文化功労者。この碑は、市制施行90周年記念事業として、昭和62(1987)年5月に除幕されています。
Dscn5105c 公園内には、茶室・泗水庵(しすいあん)がありますが、お茶はどうも敷Dscn5107c 居が高いので建物と庭を覗いただけでパス(笑)。鵜の森神社、浜田城跡へ向かいます。鵜の森神社の脇で、水鏡になった紅葉を撮影。
Dscn5147c 鵜の森神社は、浜田城の旧跡で、文明年代(1400年代)から浜田城主・田原家が崇敬した社だそうです。元は江田神社あるいは鵜森大明神と称していたといいます。江田神社という名称は、江田川、江田町等の旧地名に由来すると言われ、また、「鵜森」の語源は、昔、このあたりが松林の続く海岸で、海鵜が多く生息していた森ということに由来しているようです。
Dscn5139c_2 天正12(1584)年、美濃加賀野井城の戦いで田原家は滅亡したのですが、その後、旧臣達が、城跡に慶長以後、万治以前(1596~1658)に鵜森大明神を創立し、同家の遠祖である田原藤太秀郷及び初代浜田城主・田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)以下4代の霊を祀ったのが、鵜の森神社の始まりといいます。さらに、天保8(1837)年、別社として御霊社を創建し忠秀以下4代の霊を祀り直し、鵜森大明神に、天照大御神と建速須佐之男命を祀って明治に至ったそうです。
Dscn5142c 境内には、皇大神宮遙拝所がありましたが、これまでにあちこちで見たDscn5144c 中では、もっとも立派な遙拝所でした。多くのところでは、右のような石柱が立っているだけなのですが、こんもりした丘になっていたのです。
Dscn5116c 先にも書きましたが、ここは浜田城跡でもあります。15世紀後半、この地を治める田原美作守忠秀(たはらみまさかのかみただひで)によって築かれた城です。田原氏は、もともと上野国赤堀庄(こうづけのくにあかほりのしょう)に住んでいたのが、応永年間(1394~1428)に景信(かげのぶ)が伊勢に移り、四日市の赤堀に城を構えたといいます。景信は、長男・盛宗(もりむね)を羽津に、次男・秀宗(ひでむね)を赤堀に、そして三男・忠秀を浜田に配しました(赤堀三家)。田原市の系図は、こちら
Dscn5115c 境内に新しい冠木門(かぶらきもん)が建てられていました。昨年(平成28、2016年)10月に、四日市の町の礎を築いた浜田氏を検証するとともに、浜田城跡の存在を認識してもらうために、浜田城や赤堀三家を中心に四日市の歴史研究を行う研究会「綱の会」が作ったということです。ちなみに、この研究会の調査で、浜田氏の末裔も発見したとありました。
Dscn5160c 鵜の森神社から10分ほどあるいて、諏訪公園へ。中世ヨーロッパ調の中庭をイメージした公園として、中央にせせらぎと噴水があります。奥の建物は、「すわ公園交流館」。元々は昭和4(1929)年に建てられたようですが、今は、様々なイベントを企画・開催し、中心市街地活性化をはかるための施設として活用されています。
Dscn5183c 公園に隣接して、諏訪神社があります。その名前の通り、鎌倉時代初期

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の建仁2(1202)年に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し、創祀されたそうです。御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)。四日市の歴史とともに歩んできた総産土神といいます。右の写真、向かって右が拝殿、左は社務所と思います。立派な建物です。
Dscn5166c 御祭神は、「武」と「文」にたける二神だそうです。建御名方命は、大国主Dscn5173c 命の子で、八重事代主命の弟。大国主命が高天原の天照大神から国の禅譲を迫られたとき、これに最後まで抵抗したということで、狩猟の神、また武神だといいます。八重事代主命は、豊漁、海上安全守護の神、またえびす信仰の福神とされます。商店からは、「諏訪恵比須」として崇敬されてきたそうです。
Dscn5193c 境内には、明治天皇の御製の歌碑もありました。「目にみえぬ 神にむかいて はぢざるは ひとのこころの まことなりけり」と刻されています。目に見ることのできない神様に向って、少しも恥ずかしくないという心境は、人としての誠の心であるという意味だそうです。この歌碑は、昭和8(1933)年9月、上田谷松(栖華)という画家が建立したもので、彼は、明治天皇を崇拝していたところからこの歌碑を自費で建立したということです。明治天皇は東京遷都の際を初めとして合計4回、四日市に行幸しているそうですが、それとは関わりはなさそうです。
Dscn5169c 諏訪神社で驚いたことは、こちら、「明治神宮遙拝所」があったことです。Dscn5171c 境内社である政成稲荷神社の脇に立っています。この地方では、伊勢神宮遙拝所はあちこちの神社にありますが、明治神宮遙拝所は、初めて見ました。この方角に明治神宮があり、ここから明治神宮を遥拝するということです。石柱は昭和9(1936)年1月に、稲葉町青年団によって寄進されたとありました。
Dscn5164c もう一つというか、もっと驚いたものも、諏訪公園で発見Dscn5209c しました。こちら。最初はなんだか分かりませんでしたが、上にある塔に刻まれた文言を見て、少し分かりました。右の写真をご覧ください。「廣く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。あの「五箇条の御誓文」です。五角柱に刻まれていましたし、しかも登れるようになっていたのにビックリ。昭和9(1934)年に建立されています。半田の乙川公園にもあるとするブログもありました(こちら)。
Dscn5214c ところで、この諏訪神社の門前には、旧・東海道が通っています。左の写Dscn5188c 真は、鳥居の前から東を見たものです。車が通っているのは、国道1号線。この斜めの道が、旧・東海道。さらに面白いのが、この先(向かって右)、旧・東海道は、アーケードの商店街になっているのです(表参道スワマエ発展会)。
Dscn5187c 左の写真のような横断幕や、右の写真のような旗が掲げDscn5217c られています。事情を知らないと、不思議に思うでしょうが、この表参道スワマエ発展会の商店街は、まさに旧・東海道に沿って作られたものです。旧・東海道ウォーク、そろそろ富田から、この四日市辺りを歩かねばなりません。

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2017年11月26日 (日)

諸戸氏庭園の紅葉

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 諸戸氏庭園の紅葉であります。そろそろ良いかと思って、今日、娘を連れてImg_4185c 行ってきました。我が娘、最近、何を思ってか、ミラーレス一眼デジカメを買い、「写真を撮る!」といっているのであります。諸戸氏庭園、11月30日まで秋の特別公開中です。散歩を早めに切り上げ、10時40分から1時間あまり、庭園内を散策してきました。冒頭の写真は、庭園外から、煉瓦蔵の東にある紅葉を撮ったものです。
Img_4197c こちらは、ドウダンツツジの紅葉。ドウダンツツジ、漢字では「満天星」。漢字のImg_4212c 方が何か良い感じがします(親父ギャグではありません。念のため……微笑)。たぶん花の様子から名付けられた気がします。ドウダンツツジの紅葉、庭園内のあちこちにあります。
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 推敲亭を望む景色。推敲亭は、覚々斎原叟(かくかくさいげんそう)(1687~1730)作と伝えられている草庵です。ほぼ300年前からあるということです。ここから手前の菖蒲池へと続く低い地形を水面に見立てて沢飛石が打たれ、山間の渓流のような雰囲気を醸し出しています。広さは三畳。茶室としても仕えますが、その名の通り、庭園を眺めながら思索にふけるのに良さそうですが、我々が入ることはできません。一度だけで良いので、ここに座して、景色を眺めてみたいものです。
Img_4237c こちらは、庭園の北側の方を見たところだったと思います。「と思います」なImg_4276c どと書くのは無責任ですが、夢中になって写真を撮っていたため、しっかりと思い出せないのです。菖蒲池を中心とした回遊式庭園で、諸戸氏庭園の中でも歴史的に最も古い部分です。この写真の奥には、六華苑があります。諸戸氏庭園の北の端に行くと、溝渠越しに六華苑が見えます(右の写真)。中央やや左に、六華苑の洋館が見えています。
Img_4253c 諸戸氏庭園から見える六華苑の紅葉も見事でした。Img_4258c 六華苑にも行けば良かったと思えます(微笑)。左の写真、右下の燈籠などは諸戸氏庭園のものですが、わずかに見える煉瓦塀やフェンスの向こうは六華苑。右の写真の右下に両庭園を分ける溝渠が少し見えています。
Img_4309c  本邸(主屋)の裏手にある茶室。良い景色なのですが、何枚も撮ったにもImg_4314c_2 かかわらず、なかなか満足がいく写真になりませんでした。実際にご覧になった方が良いと思います。どちらが良いか、自分としては甲乙つけがたかったので、2枚載せてしまいました。
Img_4321c 左は、推敲亭をバックに煉瓦蔵の方向を見た写真。これまたなかなかのImg_4348c 景色と思います。ローアングルで撮って、飛び石や、クマザサも入れてみました。右の写真は、本邸の裏から煉瓦蔵へ行くところ。東を見ています。
Img_4385c 途中で親しくしていただいている歴史案内人のKさんにお目にかかり、紅葉の撮影スポットや、庭園の歴史についていろいろと伺うことができました。晩秋の一日、拙宅のお隣というごく近場で紅葉を十二分に楽しんで来られました。

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2017年11月25日 (土)

どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き

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 珍しいところに降り立ちました。JR関西線四日市駅です。「いったい何用か?」といぶかしく思われるでしょうが、実は、今朝6時前に思い立ってやって来たのです。いつもより早く5時過ぎに起き出して、ネット検索をしていたら、今日、四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング」があるのを知ったのです。「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」というもの。
171125sawayakayokkaichic コースはご覧の通り。「駅がスタート、駅がゴール」という宣伝文句の通り、JR四日市駅から四日市旧港を回る、約6.6㎞、2時間ほどのコース(あちこちウロウロしましたので、実際の距離は8㎞ほど歩きましたし、2時間45分ほどかかりました)。思案橋、稲葉翁記念公園(ここからは潮吹防波堤が見られます)、臨港橋、末広橋梁の他、みなと公園近くの桟橋では、「清掃船じんべい」やタグボート「ちとせ丸」見学会もあります。この辺りで見たいと思っていたところが網羅されていましたので、これは行くしかないという次第なのです。
Img_3673c 桑名駅8時51分発に乗車。車内には、さわやかウォーキングに行くと思われImg_3674c る方多数。四日市駅着は、9時7分。ご覧のように降り立った人多数ですし、ウォーキングスタイルの方がほとんどに見えました。駅でコースマップや、スタンプラリーの用紙、「四日市旧港まちあるきMAPを受取、早速スタート。
Img_3698c 皆さん歩くのがとても速いのでビックリ。そして、ほとんどの方は脇目も振Img_3701c らずという風。小生は、500mも行かないところで寄り道。コースマップにはありませんが気になったので、不動寺(黄檗宗)へ。かつては、寺近くまで海であり四日市湊のそばにあったそうです。寛永16(1639)年、揖斐川の大洪水のとき、美濃国高須にある観音寺から不動明王像が流れだし、四日市南納屋の漁師の網にかかったといいます。この地に縁のある仏様だろうと、竜灯松(竜の形をした松に灯明をつけて、灯台代わりにしていたもの)の下にお堂を建立し、祀ったのが始まりと伝わっています。門の形がユニーク。境内はさほど広くありませんでした。由緒書きがなかったのは残念。
Img_3714c 一人だけコースを外れていましたが、元に戻って、国道164号線新町交Img_3709c 差点を右折(東へ)。関西線の踏切を越えたところに思案橋があります。天正10(1582)年6月、本能寺の変を避けた徳川家康は、泉州堺から三河岡崎に向かう途上、海路を進むか、陸路を進むかを思案にくれたという故事に因み、思案橋と呼ばれることになっています。昔は、このちかくに四日市湊があったのです。
Img_3770c  国道23号線を越え、さらに東進。稲葉翁記念公園へ。稲葉翁とは、四日Img_3739c_2 市湊を修築して、近代港湾への基礎を築いた稲葉三右衛門です。この公園の向かい側には、「潮吹き防波堤」が残っています。稲葉翁の貢献によって、四日市港が近代港湾としての形を整えたのは、明治17(1884)年でしたが、不幸にもその5年後、台風で防波堤などの施設が大破してしまいました。それを改修したのが、木曽三川の明治改修にも携わったオランダ人土木技師デ・レーケらなのです。
Img_3742c  潮吹き防波堤には、波の力を弱めるため、平行する大小2つの「こぶ」と水抜穴をもつという世界的にも珍しいユニークな構造が採用されているそうです。もっと近くまで行けるようでしたが、今日はまだ先が長いのでパス。
Img_3758c 稲葉翁記念公園には、この「潮吹き防波堤」のレプリカがあり、実際に動Img_3749c くようになっています。ここには、四日市案内人協会の方がいらして、説明して下さいました。また、四日市のゆるキャラである「こにゅうどうくん」もいて、カメラを向けるとポーズを撮ってくれ、和ませてもらいました。先日行われたゆるキャラグランプリでは、堂々4位入賞です。
Img_3817c プロムナードと呼ばれる、高潮護岸の防壁の平場を利用した遊歩道を通Img_3838c り、太平洋セメントへの引き込み線を渡り、みなと公園の方へ進みます。途中、千歳運河にかかる臨港橋 (可動橋)が上がるということで(今日のイベント用に特別)、そちらへ。このときは気づかなかったのですが、後で見学する「清掃船じんべい」が通過していきました。
Img_3859c 臨港橋の300mほど北には、末広橋梁があります。こちらも千歳運河にかImg_3867c かる可動橋で、三岐鉄道三岐線東藤原駅から関西本線富田駅、四日市駅を経由して、四日市港の太平洋セメントへセメントや土砂を運ぶ貨物列車が通る橋です。1日5往復程度の運行です。小生がここへ来る直前(10時10分頃)、列車が行きましたので、列車通過は見られませんでした。通常、橋は上がった状態で、列車が通るときに下ろされます。向かって左が四日市駅側です。この末広橋梁、是非とも見たかったところでした。
Img_3894c 千歳町の合同庁舎があるところへ。港のここには、公的な船がたくさんImg_3897c 係留されています。海上保安庁の船も3隻ありました。左は、巡視艇「いせぎく」。右は、同じく「さるびあ」。どちらも、20メートル型(汎用)だそうです。もちろん、巡視艇は、今日は見るだけ。
Img_3922c タグボートの見学会へ。「ちとせ丸」であります。四日市港管理組合の所有。2003年に進水しています。全長33.8m、型幅9.6m、最Img_3899c 高速力14.3ノット(約26㎞)、総トン数196トン、3,600馬力、曳航力は、前進56.0トン、後進51トンだそうです。海面に流出した油の処理装置や、放水銃3基も備えています。
Img_3914cc 操舵室や、機関室を見せてもらえました(内部の写真Img_3919c は、割愛します)。左は、操舵室から出たところで、前方を撮ったもの。右の写真は、降りてから操舵室とその上部にある放水中などを見たもの。
Img_3924c その後、戻ってきた清掃船「じんべい」を見てきました。こImg_3925c ちらは乗船はできません。双胴船で、この下に網があり、ゴミを掬うということでした。その様子が、ジンベイザメが餌を食べるところに似ているため、この名前をつけたということでした。流木なども切断して、収集できるそうです。これでコース半ばを過ぎたあたりでしょうか。11時になりましたので、次へと急ぎます。
Img_3967c 臨港橋を渡って、末広橋梁のところへ。ここでスタンプラリーはゴール。クImg_3974c リアファイルか、コーヒーをいただけるということで、スタバのコーヒー2袋をゲット。末広橋梁、次に列車が通過するのは、12時52分。2時間近く待つのは断念。列車通過を見るのは、また今度ということにしました。ちなみに、この橋は、橋梁技術史上貴重な存在だそうで、高名な橋梁技術者である山本卯太郎の設計によります。可動橋として、初の重要文化財に指定されています。橋梁上には、「構外側線」(JR関西線四日市駅~四日市港)が通っています。
Img_3998c ウォーキングコースは、北上して、南納屋町へ。ここでは、まず、鯨船明神丸山車Img_4005c を見学できました。蔵に保管されているのを見せていただいたので、飾りなどは施されてはいませんでしたが、全長約8m、幅約2mの船型の山車で、屋形があります。金箔張の彫刻と幕で飾り、船首部には大型の水押しと金糸の下がりを持つ豪華な意匠だそうです(写真が展示されていました。上のリンク先に画像があります)。ちなみに調べてみたところでは、富田地区の鳥出神社の鯨船祭とは別のようでした。
Img_4014c 鯨船明神丸山車蔵から200m足らずのところには、中納屋町の大入道山車蔵。毎年10月に行なわれる諏訪神社の祭礼の四日市Img_4023c 祭、毎年8月の第1土・日曜日に開催される「大四日市まつり」で曳き出されます。高さ2.2mの山車の上に、身の丈3.9m、伸縮し前へ曲がる首の長さが2.2mという大入道が乗ります。舌を出したり目玉が変わる巨大なからくり人形です。右は、大入道の顔。手と比べるとその大きさがお分かりいただけるでしょう。実際の画像は、リンク先にあります。一度実際のものを見てみたいと思うのですが、大四日市まつりは、桑名の石取祭と重なるのです。
Img_4016c こちらは、蔵の前に置かれていた大入道のわらじ。これもまた、トンでもImg_4026c なく大きなものでした。ちなみに、稲葉翁記念公園にいた、四日市市のゆるキャラ「こにゅうどうくん」は彼の息子という設定だそうです。このあとは、また国道23号線を越えて、スタート&ゴールのJR四日市駅へ向かいます。
Img_4030c 途中、国道23号線脇(中納屋町側)に、このような石碑が建っていました。この辺りの旧町名が、「桶之町」であったことを示すものです。説明によれば、延宝年間(1673~81)、海岸の州浜を開拓し、造成したところで、納屋地の一部でしたが、時代の変遷のなかで中納屋、南納屋とも呼ばれたものの、文化・文政年間(1804~1830)の頃、桶にちなみ、「桶之町」と呼ばれるようになったとあります。昭和38年の区画整理でその名は消えたということです。
Img_4055c JR関西線の踏切を越え、本町通り商店街を抜け、ゴールの四日市駅Dscn5049c へ。ほぼ12時に到着。参加カードと、今日の記念品(亀山運転区の運転士さん、車掌さん手作りの手形のようなもの)をいただき、無事終了。12時26分の快速みえ似て、桑名駅12時37分着。実際に歩いたのは8㎞+桑名駅往復が約2㎞で、10㎞!
171125yokkaitirallyc 今日のスタンプラリーの台紙。マップにもなっていて、なかなかのものでした。
Img_4048c まったくの余談(微笑)。四日市駅間近、本町通り商店街Img_4046c の一角にこういう看板がありました。お笑いコンビ「ザブングル」の加藤歩さんの出生の地だそうです。加藤さんが四日市出身というのは知っていましたが、ここだとは。なんとなく疲れが吹っ飛びました。

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2017年11月24日 (金)

冬鳥はやや少ない気がします……桑名七里の渡し公園の話も

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 九華公園の隣に立教小学校があります。今日は、そこの子どもたちが、公園の中を走り抜けていく姿が見られました。毎年、冬の恒例行事です。まだ11月ではありますが、そういう季節になったのですね。最高気温12℃あまり、10時頃から5m/s前後の風が吹いています。
Dscn5009c 散歩は8時50分頃から11時半過ぎにかけて、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、田町、桑名七里の渡し公園と回って、5.9㎞。ほぼいつも通りです。鳥たちも、ほぼいつも通り。写真は、住吉神社の前から見た、揖斐川の上流方向。今日は川の色がこんな風でした。
Img_3532c 住吉神社から少し上流辺りに、カモの群れが見えていました。30数羽。キンImg_3531c クロハジロが多かったのですが、中にヒドリガモも混じっていました。オオバンもところどころに見えました。カンムリカイツブリも、数羽。この頃、揖斐長良川の中州について触れませんが、アオサギの姿がないのです。
Img_3549c 三の丸公園では、ヒヨドリだけ。吉之丸コミュニティパークには、ハクセキレイが2羽。写真はそのうちの1羽。この辺り、今頃であれば、ツグミの姿が見られるのですが、今年はまだまったく来ていません。ホオジロは、先日チラッと見ただけ(写真には撮れませんでした)。モズやジョウビタキもいるはずですが、この頃見られません。冬の鳥たち、散歩コースでは少ないといわざるを得ません。
Img_3553c 九華公園には、数日姿を見せなかったアオサギさんが、例によってすました顔で佇んでました。いつものアオサギのようです。今日も、北を向いています。
Img_3550c 証拠写真ではありますが、ホシゴイも隠れていました。ホントに見えにくImg_3619c いところです。この頃は、木の奥にいることが分かっていますから、そういうところも探します。右の写真は、このあと、九華稲荷社の参道に回って撮ったもの。こちらの写真で見ると、眼が赤いのと、お腹の辺りの羽が茶色っぽくなってきているようです。典型的なホシゴイですと、眼は黄色、お腹にも白い斑点模様がありますから、大人になりかけて来ているのでしょうか? こちらにいろいろな写真が載っていました。
Img_3641c 時間をおいて見に行ったところ、アオサギ、ホシゴイの他、ゴイサギも隠れているのに気づきました。公園に到着したときには、気づかなかったのか、いなかったのか、なんともいえません。
Img_3648c ユリカモメ、今日は46羽。今シーズン最多と思います。ユリカモメは、例年、11月から12月初めにかけては、これくらいの数です。12月中旬になると、80羽、90羽と集まってくることがあります。
Img_3570c カモは、合計45羽。カモは、例年より少なめの数で推移しています。去Img_3588c 年、一昨年のデータでは、11月後半は、60~70羽くらい来ていました。日によっては80羽近くになることもあるくらい。今日の内訳は、ヒドリガモのペア2組、ハシビロガモのオス1羽、メス1羽、ホシハジロのメス1羽と、他はキンクロハジロ。
Img_3597c カモではありませんが、オオバンもこのところ毎日姿を見ます。たいてい2羽が一緒に行動しています。
Img_3647c
 ヒヨドリは、ずいぶん前から公園中で賑やかにしていますが、なかなか写真に撮れないでいます。もっと落葉が進み、また、センダンの木の実を食べに来るようになると、写真も撮りやすくなるのですが……。
Img_3660c 桑名七里の渡し公園、もっともよく見るのはハクセキレイ。今日も2羽。このほか、カワラヒワもみます。まれにジョウビタキのオスも来ます。この公園、公式には、現在は、「部分開園」となっています(国営木曽三川公園の一部です)。
Kskmap こちらは、一昨年11月にオープンしたときのパンフレット。左下、赤い丸をつけたところが未整備です。ここには、現在もあるせせらぎの流れが延長されるとともに、休憩所などが設置されるようです。
Dscn4468c ここにはつい最近まで、ある商店が営業していましたが、立ち退いて、建Img_2530c 物も撤去されました(土地などは、国交省のものという話を聞きました)。左の写真は営業を終え、品物などをほぼ運び終えた頃の写真(10/27撮影)。右は、解体工事の途中の様子(11/20)。
Dscn4966c こちらは、11月22日に撮影したもの。建物の解体はほぼ終わった状態です。これから公園としての整備工事が始まるものと思います。全体が整備され、利用できるようになるのはとても楽しみです。せせらぎも延長され、樹木も増えるようですから、憩いの場であり、鳥見スポットにもならないかと思っているのです。

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2017年11月23日 (木)

「刻印石」研究家に出会う……鳥果は上がらなかったものの、石や石垣の話は面白かったですねぇ(笑)

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 7時を過ぎた頃、雨は上がりました。勤労感謝の日でありますが、ごくまれにしか働いておりませんので、感謝しても良いか迷うような祝日です(苦笑)。それはさておき、晴れてくるという予報でしたので、いつも通り散歩に出たものの、雲がとれて、晴れてきたなと思ったら、北風が出て来ました。最大8m/s以上の風。鳥見にはあまり適さない天候です。結局、住吉神社から九華公園を往復して、4.1㎞だけ。しかし、面白い方に出会い、楽しめました。冒頭の写真は、諸戸氏庭園のイチョウの大木。よく色づいて、遠くからでも目立ちます。
Dscn4991c 面白い方というのは、この「刻印石」に関わります。管理事務所東にある、この刻印石について、小生が調べた範囲では(といってもたかが知れていますが)、「それが示すものは不明」としか分かりませんでした。城の石垣の石にはさまざまな文様や記号が刻まれています。これを「刻印」といい、刻印は、築城に関わった関係者による家紋、家印、符丁、石の産地などを示したものです。今日、九華公園についたら、管理人のSさんが、「刻印石を調べに来たという方がいらっしゃいますよ」と教えてくださったのです。
Dscn5001c 九華公園の管理事務所の東には、5つの刻印石があります。この方は、そDscn4990c れをビニールシートにマジックインキで写し取っていらっしゃいました。ちょうど写し終えたところに行き会わせ、話を伺ってきたのです。その方によれば、この刻印は、池田輝政のものだそうです。池田輝政と言えば、他の大名たちとともに、慶長11(1606)年の江戸城、同14(1609)年の篠山城、翌15(1610)年の名古屋城などの普請に従事し、篠山城普請では総普請奉行を務めています。輝政の刻印では、「三佐」が有名のようですが、篠山城の展示には、これに似た印も残っているといいます(こちら)。
Dscn4998c これら2つは、蜂須賀至鎮(はちすか よししげ;いわゆる蜂須賀小六の子Dscn5000c 孫)の刻印に似ているといいます。左の印では、上の横棒「横一」がない、「卍」だけであれば、蜂須賀のものだそうです。確かに、蜂須賀の家紋は、「蜂須賀卍」(丸の中に卍)。右の印では、「くびれ」がない形であれば、やはりそうだということでした。
Dscn4992c 残りのこれら2つは、不明ということでした。左のものは、○の中に書かれDscn4994c_2 た文字らしきものがよく分からないそうです。確かに、仮名でも、漢字でもなさそうです。梵字かという気もしますが、その方面は全く知識がありません。右の「四角に三(菱形に三、かも知れないと思いますが)」も不明。
Dscn4997c 最初に触れた3つが、池田輝政や、蜂須賀至鎮のものだとして、それらがなぜここにあるのでしょう? 桑名城は、慶長6(1601)年、本多忠勝が桑名10万石に封じられ、築城を開始しています。築城開始当初には徳川四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話があるそうですが、池田や蜂須賀が関わったのでしょうか。
Dscn4999c 池田輝政は、その頃、初代姫路藩主として姫路城を大規模に改修しています。蜂須賀至鎮は、はじめ父・蜂須賀家政ととともに、豊臣秀吉の家臣でしたが、徳川家康の養女(小笠原秀政の娘・氏姫)を娶ったことから、関ヶ原の戦には、東軍に与し、その功績で家康から所領を安堵され、阿波国徳島藩初代藩主になっています。一瞬、刻印の謎が一部解けたようにも思ったのですが、そうではありません。
 この、九華公園でお目にかかった方は、蒲郡市の郷土史家・壁谷善吉さん。名古屋城や吉田城(豊橋)を初めとする城に使われていた三河の石の産地を自らの足で、21年という永きに渡って調べておられます。地元・蒲郡の西浦半島は、名古屋城築城の際の石切場の一つで、ここで加藤清正、池田輝政、福島正則などの刻印がある石を発見なさったそうです。いやぁ、「面白い」というと失礼かも知れませんが、世の中にはいろいろなことに興味を持って、熱心に研究を続けている方がいらっしゃるものです。あれこれとお話を伺っていたら、あっという間に1時間以上経っていました(微笑)。久しぶりに「三河弁」を聞いて、大変懐かしかったということもあります。
Img_3483c ところで、鳥見の方はあまり成果が上がりませんでした。ゴイサギは、今Img_3500c 日は2羽。ホシゴイは1羽。左の写真は、このところいつもいるものたち。右は、このクスノキの南の端に潜んでいました。やはり「忍者」です。
Img_3440c カモは、合計41羽。と思います。「と思います」というのもヘンですが、今Img_3431c 日は、餌をくれる人もないのに、やたら動き回っていたからです。ハシビロガモのオスが1羽、メスが3羽、ヒドリガモのペアが2組に、キンクロハジロ。強風のためか、ユリカモメの姿は見られませんでした。
Dscn4975c それから注目している「住吉キンクロウズ」、今日もオスが3羽。「住吉キImg_3394c ンクロウズ三人衆」とでも、新しいニックネームを献上したいくらいです(微笑……「三人組」とすると、悪人のように聞こえますから)。
Dscn4983c 余談。今日は、桑名でJR東海の「さわやかウォーキング」が行われていDscn5004c ました。「桑名の海風が心地よい九華公園と七福神祭りで賑わう十念寺を楽しもう」というテーマです。実にたくさんの方が九華公園を通って、赤須賀神明社に向かって行かれました(マップは、ここにあります)。こういう鉄道会社のウォーキング・イベント、一度行ってみたいと思っていますが、なかなかお尻が重くて……。どうも集団行動をあまり好まないのかも知れません(笑)。

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