旅行・地域

2017年10月 5日 (木)

朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼

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 今日もまた外出してきました。今日は、JR関西線に乗って一駅、三重郡Img_5796c 日町へ。運賃は¥190。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。
Asahiwalking  今日の目的は、歴史散歩。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットをしばらく前に入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現したということです。左の画像が、これに載っていたウォーキングコース。2㎞、1時間と書いてあったのですが、小生が歩いたら、4㎞、2時間でした。他にも行ってみたいところはあったものの、今日のところは、ほぼこのコース通りに回ってきました。
Img_5802c JR朝日駅から、まずは、この旧・東海道に出ます。コース図に「スタート」と矢印がついている先の曲がり角から、上り方向を撮ったものです。今は、生活道路となっていて、クルマも案外たくさん通ります。
Img_5805c 最初の目的地である朝明山西光寺。浄土真宗大谷派。確実な證跡はないImg_5826c そうですが、現存する絵像御本尊の裏書からは、明応5(1496)年に開基とされています。その後、貞享2(1685)年、大谷派に転じ現在に至ったといいます。現在の建物は、明治10~23年にかけて建立されたもの。立派な松があり、松並木の名残かという気がします。
Img_5812c 本堂の南隅に半鐘がかかっていますが、これは江戸時代のものだそうです。ただ、この西光寺、バイクや、自転車はおかれていたのですが、人気がありませんでした。
Img_5841c 西光寺から旧・東海道を約5分進みますと、小向山浄泉坊に到着します。Img_5842c 浄土真宗本願寺派。慶長8(1603)年に、伊勢慶昭が小向にあった正治寺を再興し、小向山浄泉坊と改称したのに始まります。徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺になっていたことがあるといわれ、本堂の棟や、山門に徳川家の定紋三ツ葉葵が入っています。そのため参勤交代の大名はこの寺の門の前では駕籠から降りて一礼したと伝えられます。右の写真は、山門脇にあった、旧本堂の鬼瓦を安置したもの。
Img_5855c 左は、本堂の屋根の写真。右は、山門の扉。いずれも、三ツ葉葵のご紋Img_5858c が入っています。このお寺では、地元の男性から声をかけられました。その方もカメラを持っていらしたのですが、ご住職から寺の絵を描くよう依頼され、その構想を練るために写真を撮っているということでした。
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 浄泉坊のほぼ斜向かいに、国学者・橘守部誕生地遺跡の案内板があります。17歳のとき、一家離散のため江戸に下り、20歳を過ぎてから学問を志したのですが、香川景樹、平田篤胤、伴信友とともに「天保の国学四大家」の一人に数えられるに至っています。
Img_5891c この「誕生地遺跡」の案内板の裏手に町役場があります。その一角に「橘守部翁生誕の地」の石碑が建っていました。県史跡に登録されているのは、こちらのようです。この碑は、昭和27(1952)年に建立。鈴鹿市出身の歌人佐佐木信綱の賛歌2首「くちせぬ名を国つ学の道の上に残せる大人はこの里そ生みし」「時じくのかぐのこのみのかぐわしきたかき名仰がむ八千とせの後も」が刻まれています。
Img_5874c ちなみに、この橘守部の父親である、庄屋・飯田長十郎元親の墓が、浄泉坊にあります。浄泉坊を出て、誕生地遺跡を見ているときに思い出して、戻ってみてきました。元親は、亀崎、金井などの村々を支配する大庄屋格で、津の国学者・谷川士清の門人であったといわれています。寛政4(1792)年に一揆加担の疑いをかけられ、そのため一家が離散したといいます。
Img_5881c 「橘守部誕生地遺跡」からさらに東海道を上ると、「御厨 小向神社」といImg_5884c う石柱が立つ交差点に出ます。ここで右折(東へ)。少し行くと、朝日町歴史資料館があります。ただ、うっかりして見逃しそうになりました(苦笑)。大正5(1916)年に建てられた旧朝日町役場庁舎で、国の登録文化財にも指定されています。ただし、公開は、木曜・土曜で、今日は見られませんでした。
Img_5911c ここでUターンして西へ約10分。東海道、JR関西線を横切って、小向神社Img_5913c へ。御厨神明社とも呼ばれたといいます。「御厨」は、「御」(神の)+「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のことですから、このあたりは神領だったと思われます。御祭神は、右の写真の通りですが、大日霊貴尊は天照大神です。橘守部も祀られています。
Img_5919c 境内は広く、また、木々が鬱蒼としていて、神聖な雰囲気を醸し出していImg_5931c ます。 垂仁天皇の25年、皇大神宮が桑名郡の野代宮から鈴鹿郡忍山へ遷るときの頓宮の跡と伝えられています。「頓宮」とは、仮の宮、一時的な宮のことです。垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神の御杖代として大和から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされますが、それに因むものかと思います。
Img_5937c 境内には、「皇大神宮遙拝所」という石柱が立っていました。ちょうど伊勢Img_5935c 神宮の方角を向いたと思われるところです。ほとんど余談というか、感想なのですが、この小向神社の拝殿前には、とても大きな灯籠がありました。春日神社の灯籠も大きいのですが、負けず劣らずという印象です。
Img_5944c 神社の掃除をしていらっしゃった地元の女性が、「裏山に登ると、見晴らしがよい」と教えてくださったので、行ってきました。普段、主に平地を歩いていますから、ちょっと苦労しましたが、ご覧のような眺め。四日市市街や、港、コンビナート、ポートビルがよく見えます。帰ってから気づいたのですが、このあたり、小向城があったところのようでした(苦笑)。飯田庄之助の居城でしたが、織田信長に攻められて滅んだところです(1567年)。このあたりから西、今は白梅の丘という住宅団地になっていて、消滅してしまっています。
Img_5966c 次の目的地は、初代森有節の墓です。JR関西線沿いの道に戻り、5分ほImg_5968c ど。名谷(めんだに)公園の中にあります。有節は、萬古焼中興の祖です。ここは、18世紀半ばに沼波弄山によって萬古焼が始められたところです。一時途絶えていたのを19世紀初め、有節がここに窯を構えて再興したのです。実は、ここまで大回りしてきたのですが、有節の墓から右(北)を見上げたら、さっきまでいた小向神社の裏山が見えたのです。そこからストレートに降りてくる道もあります(苦笑)。まぁ、散歩にきたのですから、たくさん歩くのはよいことです。
Img_5972c 有節の墓の横には、「三重県指定史跡 有節萬古窯跡」の説明板があります。有節は、独自の作風を確立し、明治以降、パリ万国博覧会へも出品するなど活躍しました。その技法は四日市萬古などに引き継がれているのですが、桑名在住者としては、萬古焼は、桑名の豪商・沼波弄山が始めただけに四日市が中心になっているのは、ちょっと残念です。
Img_5982c 残りは2カ所。朝日町歴史博物館と、柿城跡。歴史博物館までは、約9Asahimuseum 分。JR関西線沿いをてくてくと歩き、朝日町体育館のところから少し坂を上らねばなりません。ここへは、今年1月24日に来ています(朝日町歴史博物館へ真田信繁(幸村)の書状を見に行く)。今は常設展だけ開催中でしたが、10月28日からは、“開館20周年記念企画展「朝日のいにしえ ―縄生廃寺―」”が開催されますので、見に来ます。
Img_5991c さぁ、いよいよ最終目的地、柿城跡です。ここも実は、2度目。博物館からはImg_5992c 徒歩4分なのですが、標高40mほどの丘陵先端に位置していますので、これまた坂道(苦笑)。トレーニング不足であります。城主は佐脇氏。室町幕府に奉公衆として仕えました。弘治3(1557)年に近江国の戦国大名六角氏によって攻められ、柿城は落城しています。城跡は、現在は公園となっています。
Img_5994c 主郭があったところからは伊勢平野や東海道が一望できます。Img_6004c 戦国時代の城(というか、城館といった方がよいのかも知れません)は、こういう眺めのよいところにあったのだという気がします(小向城跡もそうです)。
Ts3v0113  この後、本来であれば、JR関西線朝日駅に戻るのですが、今日の昼は、Img_6007c 家内と外食することにしており、朝日町歴史博物館に戻って、迎えを待ってクルマで天ぷら兎波へ。味噌天丼をいただいてきました。「おすすめの食べ方」として、半分ほど食べたら、「味噌天茶漬け」にとありましたので、試してみました。味噌は八丁味噌。味噌の味が結構強いので、この茶漬けで食べるというのは、なかなかよいものです。
 余談。今日は、ウォーキングガイドにしたがって散歩してきました。しかし、朝日町には、まだまだ見所がたくさんあります。縄生廃寺跡や、苗代神社、井後神社は是非とも行きたいところですし、東海道沿いには、山口誓子句碑、一里塚跡、小向立場跡、多賀大社常夜灯などがあります。また近いうちに。

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2017年9月30日 (土)

今日は鳥は少なし……諸戸氏庭園では工事現場見学会

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 午前中、九華公園へ。カッコウの幼鳥がいたという情報がありましたし、先日からコサメビタキ、エゾビタキもいましたので、6日間連続で通いました。いつものように、8時40分頃から11時過ぎまで。住吉神社、九華公園、貝塚公園、京町、寺町と。九華公園内をかなり歩き回りましたので、6.2㎞。
Img_5117c 結局、カッコウの幼鳥と思われる鳥は、一瞬見ただけで、写真は撮れませImg_5091c んでしたし、確信も持てないままでした(残念)。写真が撮れたのは、コサメビタキと、ムシクイの仲間(?)と思われる鳥(右)くらい。
Img_5068c 他には、この間からいるメスのモズだけ(苦笑)。アオサギは、揖斐長良Img_5043_2
川の中州にいるのを遠望したのみ。右の写真は、中州のいつものところですが、この2羽の他、もう少し下流でも2羽がえさ探しをしているようでした。貝塚公園でもヒヨドリ、カワラヒワなどを見た程度です。
Dscn4094c 貝塚公園の北にある立教小学校では、運動会が行われていました。この運動会は、写真にもありますように、立教地区と合同で、「立教大運動会」として開催されています。保護者、教員など大人の方が出場する地区対抗リレーもプログラムにあるようでした。
Dscn4097 もう一つ。拙宅マンションまで帰ってきたら、諸戸氏庭園では、「工事現場見学会」が行われていました。申し込みを失念していたのですが、ご厚意で本邸の玄関先からちょっとだけ覗かせていただくことができました。本邸内部の写真は、約束で載せられませんので、玄関先のものだけ。諸戸氏庭園のFacebookをご覧いただくと、この本邸の解体工事の様子などが見られます。秋の特別公開は、10月28日~11月30日に行われます(原則として、月曜休園)。詳細は、こちら
 新しいパソコンへのデータ移行は、結局、外付けハードディスクにバックアップしていたファイルをコピー&ペーストしました。ついでに、不要なものをバッサバッサと消しています。パソコンのファイルも、本や資料その他も、いらないもの、使わないものをため込んでいます。我ながらあきれます。

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2017年9月14日 (木)

長島で鳥見、歴史散歩……河口堰と、長島城跡、蓮生寺、八幡社へ

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 台風来襲を前に、長良川河口堰他へ遠征であります。夕方の予報では、土Dscn3548_800x600 日が雨のようですし、台風もまともに来そうです。河口堰には9時到着、1時間あまり滞在。カワセミを久しぶりに堰西側で見ました。せせらぎ魚道の上流側から、親水広場に降りるスロープを越えて、揖斐川との中州に飛んでいきました。あっという間で、写真は撮れず仕舞い。それと、例のヤギさん、あの会社の周りを歩いてみましたが、本日は不在でした。
Img_2212_800x560 河口堰の東側にいたのは、アオサギさん1羽。このアオサギさん、一回りしImg_2349_800x598 て戻ってきたら、楽しませてくれました。先にその話題から。右のように、一段降りて、覗き込んでいました。「位置について、ヨーイ」という感じでした(微笑)。
Img_2350_800x563 期待に違わず、ダイビングしてくれました! 今シーズン初のダイビングシImg_2351_800x551 ーンであります。といいながら、右の写真を見ますと、足が付くところで、頭を長良川に突っ込んだということのようでした。
Img_2352_800x572 やや遠くて(かなりトリミングしています)、首尾がどうだったかよく分かりません。しかし、何となくではあるものの、獲物はあったような感じがします。
Img_2223_800x574 河口堰西側。いつもの閘門へのアプローチには、ダイサギ1羽と、カワウImg_2225_800x592 が計9羽。そこへ、別のダイサギが飛来。右の写真は、この場所へ着地寸前の様子。先日も着地シーンを載せましたが、サギたちのこの場面、なかなか興味深いものがあります。
Img_2241_800x546 西側の魚道、上流。アオサギが1羽。今日見たアオサギは、合計4羽。たImg_2243_800x547 だし、このアオサギさんも、かなり離れていたものの、このあとすぐに逃げられました。右は、その逃げた先での様子。閘門へのアプローチ、上流側のところです。
Img_2233_800x607 ハクセキレイは、この頃、河口堰でよく見られます。今日も管理橋の上Img_2325_800x610 や、堰西側あたり、親水広場で何羽も目撃。イソシギは、閘門のところで見かけました。イソシギもいつも、逃げ足が速いのです。
Img_2309_800x577 こちらは、揖斐川の方から飛来して、閘門の上流側に降り立ったアオサギさん。親水広場の東側。西側にいたのですが、大急ぎで回って、写したもの。しかし、これを撮った直後、逃げられました。全く、どうしようもありません。
Img_2249_800x590 アオサギがやってくる直前、猛禽類の姿が。トビかと思ったのですが、違うかも知れません。管理橋の上空を悠然と旋回しつつ、次第に下流方向へ飛び去りました。
Dscn3567_800x551 さて10時過ぎからは、長島町内歴史散歩(微笑)。やすらぎパーク駐車場にクルマを入れて、長島城跡と、蓮生寺へ。
Dscn3579_800x600 長島城の跡は、ほとんど遺構はありません。長島中学校と長島中部小学Img_2371_800x545 校になっています。ただ、長島中部小学校の敷地内には、本丸の南西隅にあった樹齢300年以上の黒松が今でも城郭の名残として、その威容を誇っています。
Dscn3583_800x600 長島城は、文明年間(1469~87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族といわれる伊藤重晴が築城したと言われます。その後、長島北部にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となり、伊藤氏は滅ぼされ、長島城も願証寺の支配下に入ります。長島一向一揆の際には、織田信長に攻められ、破れます。その後、菅沼氏、松平氏が藩主となった後、元禄15(1702)年に増山正弥が藩主になってからは、明治維新まで増山家が支配しました。
Dscn3600_800x567 長島城の遺構はないと書きましたが、近くの蓮生寺(長島町又木)には、Dscn3606_800x600 大手門の一部が山門として使われています。蓮生寺第十一世賢道のとき(明治9(1876)年)に払い下げを受けたものです。旧大手門より縮小されているようです。
Dscn3587_800x600 長島城跡に立つ長島中学校、なかなかおもしろい意匠で建てられていまImg_2377_800x533 す。左は、門。まるで城の大手門のようです。右は、校舎の一つ。何だか、お城の天守閣のようにも見えます。勉強するにも気分が違うかも知れません。この他、近くにあった正敬寺、花林院なども見てきました。
Dscn3624_800x600 帰り道、もう1ヵ所立ち寄ってきました。長島最古の神社である八幡神社Dscn3626_800x600 です。今日・明日が例祭。以前箱の冷菜に合わせて奉納されていたようですが、獅子舞神事があるのです(今は、9月の第3土・日)。
Dscn3631_800x600 この神社は、寛元3(1245)年に藤原道家が勧請したと伝えられていまDscn3635_800x600 す。歴代長島城主からも武神として崇敬されていたそうです。獅子舞は、元禄12(1699)年に北島村の氏子によって始められたといいます。一度見てみたいと思うのですが、土・日は台風18号の襲来と重なりそうです。

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2017年9月 4日 (月)

歴史講座5回目へ……本多忠勝や、桑名築城、慶長の町割の話

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 晴れるという予報でしたが、終日曇天。最高気温は、27.7℃。ただ、湿度がやや高いようで、少し蒸し暑く感じられました。午前中は、2ヶ月ぶりに「くわな市民大学 ゼミナール 郷土史学科」の講座の日でした。7回シリーズの5回目。テーマは、「桑名の歴史発掘~くわなの重要事件を探る~」ですが、今日から江戸時代のお話。本多忠勝桑名配備の意味、桑名築城と慶長の町割、千姫と本多氏の姫路移封という内容でした。
 本多忠勝は、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも登場していました。去年は、散歩していても、「本多忠勝の菩提寺はどこ?」と何度か聞かれました。徳川四天王の一人にして、初代桑名藩主であります。ちなみに菩提寺は、袖野山浄土寺(西山浄土宗)であります。
 慶長の町割(慶長6(1601)年~)は、忠勝が桑名に来て手がけた城下町の整備です。忠勝が来た頃の桑名は、町屋川と大山田川が町中に流れ込んで、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の三つの島をつくり、そのなかに自然発生的な町を形づくっていたといいます(久波奈名所図会の「益田荘桑名三三崎天正元亀以前之図にあります。これについては、7/3;午前中は歴史講座へ……夕方、九華公園へ散歩に書きました)。
 「町中の家をすべて壊して、新しい道路をつくり、屋敷地を区割りした。強制的に立ち退かされた町民たちは、堤の上に小屋を建てたり、川に筏を浮かべて一時的に生活した」というほどの大規模なものだったようです(慶長自記)。町屋川も大山田川も、それらの流れを付け替えて、外堀に利用しています。町は城を中心に武家屋敷、その西側は商工業地とし、職業によって居住地を定めました。そのため、鍜冶町・職人町・油町・紺屋町・鍋屋町など、今に伝わる町名もたくさんあります。寺は、主に南北2ヵ所(現在の寺町と、新町・伝馬町・萱町あたり)に集め、街道の守りとしています。
 この他、桑名城築城の話や、その特徴なども聞いてきました。徳川家康など将軍家に便利なようにつくったのだそうです。地方にある城としては、、堅固な守りになっているといいます。「正保城絵図」についての話は、桑名市立中央図書館のブログにあります(こちら)。
 午後からは、講座の復習(笑)。自分の授業でも、「復習してね」といつも学生たちに言っておりますから、自分も実践です(苦笑)。
Dscn3210_800x582 歴史講座に行ったというのと、足首のねんざの用心のため、散歩にはいDscn3220_800x600 っておりません。講座の帰りに、拙宅マンションと諸戸氏庭園の間にある水路の方を回って来ました。ここでは、この夏、イトトンボをよく見ます。今日も、10羽近く見かけました。また、今日は、ギンヤンマが交尾&産卵中でした。
Dscn3219_800x553 この水路、ご多分に漏れず、ミドリガメもいます。この頃は、小さいのがいますが、今年生まれたカメかなと思ってみています。九華公園では、今のところ、こんな小さなミドリガメは見ていません。他には、ボラの子どもがけっこう泳いでいます。愚息が中学生くらいの頃には、ライギョもいたといいます。
 さて、明日くらいには、足首が大丈夫か、少し歩いてみようかと思っています。散歩に出ないとどうもいけません(苦笑)。

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2017年9月 2日 (土)

「旅する浮世絵、くらしの版画」展と、「明治改修」着工130周年記念パネル展へ

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 良い天気です。風は割とさわやかで、散歩日和なのですが、歩いてはいません。昨日の散歩中、九華公園で段差を踏み外して、足首をひねってしまったのです。たぶん大事には至っていません。湿布を貼って一晩様子を見ましたが、痛みはほとんどなくなりましたので。
Dscn3191_800x600 しかし、終日在宅というのも気詰まりですので、クルマでちょっとだけ出かけてきました(微笑)。まずは、こちら、桑名市博物館。「この間行ったばかりじゃないのか?」とおっしゃるかも知れません。その通りです。8月25日にも行きました(散髪のあと博物館へ……ビードロ、切り子、徳利を見る)。
Dscn3189_619x800 実は、今日から、この「旅する浮世絵、くらしの版画」という展覧会が始まっ20170228153650 たのです(9月24日・日まで。入場無料です)。桑名市博物館が所蔵する、歌川広重≪五十三次名所図会≫(右の写真。博物館のサイトから借りました)など、“旅”に関する浮世絵を中心に浮世絵・版画計91点が展示されています。広重は、初代から三代までの作品がそろっていますし、初代広重も、保永堂版五十三次だけでなく、「隷書東海道四十三 桑名」や「行書 東海道五十三次之内 桑名」なども出品されていて、比べて楽しめます。この他、「五十三次名所図会」や、「人物東海道五十三次」などもあります。
Ukiyoe1_623x800  浮世絵の他で、私が最も興味を持って見てきたのは、羽柴忠弘さんのUkiyoe2_775x800 「桑名百景」という版画。16点が並んでいます。石取祭のものもありますし、鎮国守国神社の金魚まつりを彫ったものも2点。金魚まつり、この頃はちょっと淋しくなっていますが、境内一杯に金魚の店が出ているものもあり、往時の賑わいを彷彿とさせます。この「桑名百景」は、是非とも全点を見てみたいと思っています。博物館で企画してくれないでしょうかねぇ? 写真はありません。市内の新光堂書店さんが、何点かを絵はがきにしたものを販売していたと思います。
Dscn3193_600x800 続いてもう1ヵ所。くわなメディアライブにある桑名市中央図書館へ。9月1Library_530x739 日の防災の日にちなんで、木曽三川を分離した「明治改修」の着工130周年を記念したパネル展が開かれています(9月26日まで)。先日(8/29;伊曽島神社の御利益か、アオサギに恵まれ、ウミネコまで登場した遠征……伊曽島神社南で、「明治改修着工之地」石碑も見る)、「明治改修着工之地」の石碑を見つけたこともあり、「これは見なくては」と思ったのです。治水の歴史、支流の締切や堤防建設の概要などがパネルにしてありました。右は、「図書館だより」から借りたものです。

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2017年8月31日 (木)

六華苑へ……六華苑新収蔵品展を見る

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 ずいぶん久しぶりに行ってきました。六華苑です。昨日書きましたが、今日Img_0590_563x800 まで「六華苑新収蔵品展」が行われていましたので、それを見に行ったというわけです。この展覧会は、六華苑が重要文化財に指定されて20周年となる記念で開催されたものです。新たに寄附を受けて収蔵予定の建設当時の調度品や、二代・諸戸清六氏の肖像画、愛用の茶碗などが展示されていました。残念ながら、展示品は撮影禁止。出品リストは、末尾に載せておきます。
Img_0954_800x533 左は、長屋門。入場券の販売窓口があります。その脇にImg_0566_800x533 は、イチョウの大木。これは遠くからでも見えますので、目印になると思います。
Img_0572_800x547 六華苑は、山林王と呼ばれた桑名の実業家二代目諸戸清六氏の邸宅として大正2年に竣工しています。洋館部分は、ジョサイア・コンドルが手がけた地方に唯一残る作品です。揖斐・長良川を望む約18,000平方メートルの敷地に洋館、和館などの建物、地泉回遊式の庭園があります。創建当時の姿をほぼそのままとどめているといわれます。洋館と和館は、平成9年に国の重要文化財に指定されています。庭園も平成13年に国の名勝になっています。今日は、かいつまんで紹介します。
Img_0576_800x533 長屋門をくぐり、左にカーブしていくと、塔屋が付属した洋館が見えてきます。全体的にはシンプルなデザインとなっていますが、4階建ての塔屋が目立ちます。設計段階では3階となっていたものを4階建てに変更したといいます。「揖斐川を見渡せるように」という清六氏の意向によります。揖斐長良川などがよく見えました。過去形で書いたのは、以前は4階まで上れた記憶があるのですが、最近は、3・4階は非公開です。
Img_0693_800x521 2階の南側にあるサンルーム。奥にはロッキングチェアも見えます。太陽が燦々と注ぎ込みますし、庭園が一望できます。そのためか、大変気持ちのよい空間となっています。
Img_0879_800x533 洋館の西に続く和館。この写真は、庭園の南側から撮ったもの。明治期の洋風建築には和館を併設する例が多くあったそうです。
Img_0723_800x531 洋館と和館の接続部分から、和館の方を見た写真。廊下が、畳廊下と、普通の板敷きの廊下と2つあります。板敷きの廊下は、使用人が通ったところで、畳敷きの方はお客や家族が使ったもの。小生? 本来であれば畳廊下などは使える身分ではありませんが、今日のところは勝手ながらそちらを歩かせてもらいました(微笑)。
Img_0769_800x533 苑内には、洋館、和館の他に内玄関棟、複数の蔵、稲荷社、番蔵棟などImg_0790_800x533 がありますが、こちらは、離れ屋。離れ屋は桑名市の有形文化財です。ここに限りませんが、部屋の中も開放的で、気持ちのよい空間です。私がいったときは、お客さんも少なく、しばらく座り込んで眺めを楽しんできました。最高気温は33℃を超える日でしたが、庭園や室内は風が通って、涼しくさえ感じられました。
Img_0900_800x533 建物の外観や、内部など見るべきところは多々あります。ディテールにもImg_0909_800x533 こだわりがあり、紹介したいところもたくさんあります。右は、洋館の基礎部分。換気口と思いますが、意匠は諸戸家の家紋である「違い鷹羽」になっていました。
Img_0939_800x533 洋館1階のホール部分を、北側の窓の外から撮った写真です。「鑑定団」Img_0716_533x800_2 に出てきそうなランプがあります。右手には2階に続く階段が一部見えています。この階段の手すり部分には、右のような意匠が凝らされています。その他、シャンデリアやランプ、和室の欄間などなど見どころは満載です。
Img_0808_800x533 ところで、5枚目の写真にある案内図をよくご覧いただくとお分かりになりますが、六華苑は溝渠を挟んで諸戸氏庭園と隣り合っています。六華苑の南端に行くと、左の写真のように、諸戸氏庭園が見えます。
Img_0848_800x533 これはほとんど余談でありますが、諸戸氏庭園が見えるあたりに行き、Img_0550_800x497 場所を選ぶと、左の写真にあるように、拙宅マンションが木々の合間に見えるのです。ちなみに、拙宅玄関前(9階)から見ると、右の写真のようになります。六華苑の洋館の塔屋部分が見えますし、左下にある大きな屋根は、諸戸氏庭園の御殿です。御殿は、3枚前の写真(諸戸氏庭園が見えるという写真)に写っている建物です。
Img_0926_800x523 という次第で、今日は、9時過ぎからほぼ2時間、六華苑を訪れてきました。午後は、仕事の続き。夕方は、仕事に倦んできましたので、住吉入江から田町、九華公園、住吉神社と小1時間散歩して来ました。明日からは9月。といってもほとんど生活に変わりはありませんが、気分を変えてやっていきたいところです。
Rokka1_583x800 Rokka2_583x800 こちらの2枚は、「六華苑新収蔵品展」の出品リスト。二代目・諸戸清六氏の肖像画や、六華苑で使っていた調度品、清六氏愛用の茶碗、清六氏が夫人のために作られた茶碗などがありましたが、個人的には、吉田初三郎が描いた「西桑名町鳥瞰図」(昭和9年頃)が最も興味を引きました。

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2017年8月29日 (火)

伊曽島神社の御利益か、アオサギに恵まれ、ウミネコまで登場した遠征……伊曽島神社南で、「明治改修着工之地」石碑も見る

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 本当に性懲りもなく、またもや長良川河口堰へ行ってきました(苦笑)。9時Dscn2963_800x600 過ぎに到着、1時間あまり鳥を見ながら歩いてきました。残念ながら、カワセミは目撃できず。また、あのヤギさんの姿も見つけられませんでした。ヤギさんがいた会社の正門の方へも回ってみたのですが、確認できません。左の写真は、河口堰管理橋の中央あたりから、伊勢大橋の西詰(桑名側)を見たもの。右の写真も管理橋の途中から、西を眺めたもの。管理橋は、たぶん800mくらいの長さがあります。
Img_0264_800x587 今日はまずは、こちら。アオサギさんの飛び姿。左は、9時半過ぎ、河口堰Img_0329_800x579 の西から伊勢大橋に向かって飛ぶところ。右は、親水広場を回って、堰の東に戻ろうとしたとき(10時前)、閘門の上流から南へと飛ぶアオサギ(左とは別個体)。カワセミは見られませんでしたが、アオサギの飛び姿を捉えられましたので、まぁ満足であります。
Img_0290_800x595 上右の写真のアオサギだと思いますが、堰の南へ飛ぶ前に、閘門上流のImg_0294_800x543 ところへ降り立つシーンも。後ろ姿ではありますが、羽の使い方というか、動きはなかなか興味深いところが捉えられた気がします。まだ後からもありますが、今日はアオサギさんに楽しませてもらいました。
Img_0188_800x569 さて、河口堰の東側には、上流、やや遠くにアオサギが1羽と、下流にカワImg_0205_800x533 ウがいただけでした。西側の閘門へのアプローチの上流側、先日賑わっていたのに、今日は、閑散としていました(右)。カワウ3羽にアオサギ1羽。アオサギは、先端の方(向かって左)に小さく写っています.アオサギのさらに先にコサギもいましたが、遠すぎます。
Img_0225_800x541 堰の西、下流側にある中州の中の池には、ダイサギらしく姿が1羽と、コImg_0237_800x589 サギが2羽。親水広場の水路で、今日もイソシギを目撃。イソシギは、アオサギと同じか、それ以上に逃げ足が速いので、これだけでも写真に撮れるのは珍しいくらい。
Img_0318_643x800 親水広場には、今日はスズメくらいしかいません。よくいるカワラヒワは、Dscn2974_800x600 鳴き声もせず。親水広場を回って東へと戻るとき、閘門へのアプローチの上流に、カワウ、アオサギ、コサギ。このアオサギが、4~6枚目の写真のアオサギさん。今日のように、平日に河口堰に行きますと、管理点検作業などが行われています。親水広場にあるマンホールのところは、右のようになっていました。係の方がクルマで移動されたのに、姿が見えないと思ったら、こういう次第。秘密の地下施設(?)があるようです。今日はもう1ヵ所、西側の魚道のところでも同じような作業が行われていました。
Img_0370_800x533 初めにも書きましたが、「ヤギさん探し」に行ってきました。堤防上からもImg_0371_800x533 見えません(左の写真)。堤防から降りて、会社の正門の方へ回ってみましたが、同様(右の写真)。作業している方はいらっしゃったのですが、ヤギさん、姿形も鳴き声もなしでした。
Dscn3011_800x600 このあと、木曽川の水制(国道23号線木曽川大橋の北)に行くことにしたDscn3009_800x575 のですが、その前に久しぶりに伊曽島神社に立ち寄ることにしました。河口堰から長良川左岸を南下、国道23号線の下をくぐって、長島スポーツランドの南から回りました。このルートから行くのは初めて。これが幸い。伊曽島神社のすぐ南に「明治改修着工之地」という石碑を発見(というか、今まで気づかなかっただけですが……)。
Dscn2996_600x800 何と、ヨハネス・デレーケが計画した明治改修(木曽三川の分流工事)のDscn3008_600x800 工事が、ここ長島町横満蔵(当時は、伊曽島村横満蔵)で明治20(1887)年に始まったというのです。この記念碑は、昭和62(1987)年に、木曽三川近代治水百周年に当たって、これを記念して建立されたのだそうです。伊曽島神社や、木曽川の水制には何度も来たのですが、気づきませんでした(苦笑)。
Dscn3003_800x600 こちらは、説明板にあった「明治改修計画図」の一部。長島町あたりのところを撮ったもの。現在の桑名市長島町あたりは、輪中の集まりであったことがよく分かります。黒線は旧堤防、黄色い線は新堤防、緑に塗られた川は廃川地、灰色のところは「開削地」とあります。この石碑や、伊曽島神社のあるあたりは、改修以前は、青鷺川だったところです。葭ヶ須輪中と、横満蔵・白鶏新田の間に青鷺川が流れています。青鷺川の跡には長島の七里の渡し跡があります(2016/08/19;木曽川、伊曽島神社・七里の渡し跡あたりへ遠征……コサギ、アオサギ、シギの他、ネコと戯れ、旧・青鷺川を知る【白鷺川について追記あります(8/20)】)。あまり明確に記憶していたわけではありませんが、今日の遠征は、アオサギさんに導かれているようです(微笑)。
Dscn3024_800x600 ということで、伊曽島神社にお参りして、こちら、木曽川の水制へ。左のDscn3025_800x600 写真で右端に写っているのが、国道23号線木曽川大橋。上流側、1番目の水制です。右の写真は、上流方向。中央あたりは、弥富市街地。
Img_0431_800x576 今日は、ここでもアオサギさんに恵まれました。伊曽島神社にお参りしたImg_0435_800x588 御利益であります。左の写真は、木曽川の北東から小生のいた方に向かって飛んで来たところ。右は、同じアオサギさんが、方向をやや変え、2枚前の水制に降りる前のところ。
Img_0415_800x606 この水制には、ウミネコもやって来ました。下流側から飛んで来て、着Img_0421_800x582 水。初めは少し離れた木曽川に降りたのですが、しばらくして、水制の上に移動。見ていましたら、どうも左足に支障があるようでした。
Img_0422_800x564 ウミネコのやって来た水制には、ダイサギらしきサギと、コサギ2羽がいまImg_0472_800x598 した。ここには、上のアオサギも降り立ちました。が、アオサギさん、暑そうで、のどをブルブルしていました。
Img_0468_800x533 もう一つ上流側の水制の方が、賑やかでした。カワウも5~6羽いたほか、コサギも10数羽、ダイサギらしきサギも。さすがに暑くて、近くまで行くのは諦めました。
Dscn3014_800x600 ということで、伊曽島神社の御利益か、アオサギさんに恵まれた遠征でしImg_0379_800x588 た。伊曽島神社の境内では、ナガサキアゲハ。2羽(2頭というのが正しいようです)。
Dscn3052_800x600 余談といいますか、自分のための記録。拙宅マンション、2回目の大規模Dscn3043_600x800 修繕が始まっています。現在、工事のための足場を組む作業中。今日は、大型クレーンが入って、その作業が進んでいます。このクレーン、9階まで届くもの。目の前にクレーンの先端部分があって、ちょっと驚きます。明日は、わが家のベランダも作業にかかってきて、洗濯物はベランダには干せないようです。鬱陶しいといってはいけませんが、ちょっと不便な日々が続くことになります。メダカハウス、現在5軒に分かれているのですが、これをどうしましょう?

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2017年8月27日 (日)

河口堰、伊勢湾台風記念館、木曽川の水制へ

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 性懲りもなく(笑)、長良川河口堰へ行きました。サギたちはもちろん、カワDscn2852_800x600 セミとヤギの確認のためであります。今日は、かなり速く出発し、河口堰到着は8時5分でした。しかし勢い込んで出かけた割に、東側には、鳥影はありませんでした(苦笑)。
Dscn2856_800x600 堰の管理橋を渡って西へ向かいます。今日は、川面も穏やかで、伊勢大橋から多度山がよく見えました。この景色を見ると、気持ちが解放されるような感じがします。広々として、水がある光景がよいのだと持っています。
Img_9750_800x533 河口堰西側、閘門へのアプローチの下流のところ。コサギ10羽、アオサギ6Img_9749_800x509 羽、カワウ5羽が並んでいます。なかなかの景色です。右は、アオサギ四人衆。それにしても、ここは餌取りには適さないほど、高いところ。たぶん、居心地がよいのでしょうね。
Img_9784_800x536 親水広場へと降りて行きます。いずれも証拠写真なのですが、ホオジロと、Img_9826_800x564 イソシギ。ホオジロは、河口堰あたりで割とよく見かけます。イソシギは、親水広場に来ると必ずと言ってよいほど、その姿を見ます。しかし、イソシギ、アオサギに負けず劣らず、逃げ足が速く、なかなか写真には撮れません。
Img_9841_800x578 親水広場を一周して戻ってきました。閘門の上流側には、コサギと、たぶImg_9860_800x601 んダイサギ。コサギは、ちょうど通路の下にいましたので、上からのショットが撮れないかと企み、そーっと近づいた(つもり)ですが、逃げられました。何か特殊なセンサーでも装備しているかのようです(苦笑)。
Img_9897_800x533 東の空を見ますと、コサギたちが集団で飛んでいます.見ていると、長良Img_9907_800x533 川を渡って、閘門の上流側へ。ここには、ダイサギ1羽と、コサギ7羽ほど。
Img_9930_800x533 閘門を上流へと、漁船が通過。サギたちは一斉に逃げます。ダイサギImg_9937_800x584 は、旋回して戻ってきます。閘門上流側にある通路のところへ降り立とうとします。
Img_9939_800x559 . 体操競技の着地シーンでも見ているかのような、錯覚を起こします(笑)。見事なものです(ダイサギなど鳥にとっては、朝飯前の芸当なのでしょうが)。
Img_9946_800x564 堰の東側に戻ってきました.魚道の上流にアオサギが1羽。何気なくと言うか、素知らぬ表情でたたずんでいました。まさにアオサギの面目躍如という感じです.翻弄されます(苦笑)。
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Img_9953_800x533 このあと、ヤギさんを確認に行ってみたのですが、あいにく、堤防の上からは八木の姿は見られませんでした。左の写真には、先日ヤギが縛られていたロープのようなものがみえます。敷地内のどこかにいるのかも知れません(そう願っています)。
Img_9958_800x533 ススキでしょうか? 違うような気もしますが、自信はありません。河口堰上流にあるモーターボート(巡視用)が係留してあるあたりで見かけました。そうそう、カワセミ。西側でせせらぎ魚道を上流方向に飛ぶのを一瞬見ただけでした.写真は撮れず仕舞いで、残念ですが……。
Dscn2884_800x600 まだ10時を少し過ぎたくらいでしたので、南下。ナガシマスパーランドのDscn2910_800x600 駐車場の西に「伊勢湾台風記念館」があります。9時から4時半に利用できるはずですが、10時をかなり回っていたのに、入り口にはチェーンが欠けられたままでした。
Img_0027_800x533 ナガシマスパーランドのジェットコースターも目の前に見えます.乗客のDscn2920_800x600 皆さんの歓声もよく聞こえます。伊勢湾岸自動車道も目の前を通っています。右の写真で、奥の方が桑名市街です。ちなみに、今日は、9時過ぎに満潮。河川敷にはおりませんでした。
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Img_0055_800x546 ナガシマスパーランドの南を回って、木曽川へ。国道23号線木曽川大橋のすぐ上流の水制、3ヵ所を見て回ってきました。水制には、それぞれコサギ、ダイサギ、カワウなどがいました。
Img_0086_800x511 しかし、河川敷から見ているだけなのに、どこでもサギたちは、逃げる、逃げる。見て、写真を撮るだけですから、そんなに嫌わなくてもよいのにと思います(苦笑)。
Img_0065_800x548 こちらは、水制にある灯標の上。カワウ4羽が、騒々しくしていました。見ていると、どうやら、場所争いをしていた模様。このあと、向かって左端にいたカワウが飛び去りました。
Img_0101_800x533 木曽川からの帰り道、長島町内を縦断する県道7号線を通ってきました。Img_0107_800x581 あるところで、「トラクター祭」(ブロ友のひらいさんの命名)が開催されていました。トラクターにかなり近づいていますし、アマサギが多いようでした。
Img_0109_800x536 稲刈りが済んでいるところも多く、こうしてトラクターで田起こしをしているImg_0104_800x580 のだと思いますが、サギたちが食べる餌となる生き物がたくさん出てくるのでしょう。
Dscn2874_800x600 ということで、本日は、河口堰、伊勢湾台風記念館、木曽川水制と長島町内へ遠征してきました。汗は掻いたものの、先日までのように蒸し暑くはありませんでした。

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2017年8月26日 (土)

名古屋へ相談会に

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 気温もやや低くなり(しかし、桑名では31.8℃)、湿度も下がった気がします。散歩日和ではありますが、今日は、名古屋で相談会。名古屋国際センタービルまで行って、10時から12時までお二人の方の相談。多少はお役に立てているとありがたいところです。
Dscn2832_800x575 帰り、桑名駅に着いたとき、養老鉄道のホームに止まっていた電車。「養老改元1,300年」記念のラッピング電車です。西暦717(霊亀3)年、養老を訪れ、Dscn2833_800x574 泉がもつ若返りの効能に感心なさった元正天皇が、元号を「霊亀」から「養老」へ改元されたという故事に因むといいます。そういえば、連休頃でしたか、散歩途中にお目にかかった養老町からいらした女性グループに、「養老改元1,300年の行事をしているから、来てね」と言われた記憶があります。
Dscn2837_800x600_2 さて、相談会の方は、報告書を作成してお送りしなければなりません。もう少し調べて、考えなければならないところもあります。新学期も始まりますから、なるべく早めにと思います。昨日、今日と2日間、散歩していません。大陸からの高気圧に覆われ、カラッとした気候になるという予報だったと思いますので、出かけなくては(笑)。河口堰のサギやら、カワセミやら、ヤギさんも気になります。
 

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2017年8月24日 (木)

37.1℃!?

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 九華公園、外周の遊歩道の東から西の空を撮ったものです。良い天気です。白い雲が浮かび、飛行機雲も見えています。写真は気持ちよく見えますが、暑かったです(苦笑)。今朝9時過ぎ、このときすでに30℃を超えていました。今日は、35℃を超えるという予報でしたので、散歩は8時出発、9時半帰宅。住吉神社から九華公園、京町、寺町と4.3㎞。
Img_9718_533x800_2 こうも暑いと、鳥はいません。昨日は、アオサギ、エナガ、シジュウカラがいImg_9721_800x533 たものの、今日は、ムクドリ、スズメ、カワウ、ドバトくらい。あとは、こちら、常駐組のカルガモさん2羽。野球場の南の、吉之丸堀に。日差しがきついと、橋の下などにいることが多いのですが、珍しく出てきていました。カルガモたちも暑いでしょうに。
Img_9687_800x533 暑いといえば、あちこちで、力尽きたセミをよく見ます。こういう光景は、夏の終わりを思わせますが、桑名では15時に37.1℃でした。ベランダに出ると、この時間(20時過ぎ)でも、熱風に襲われます。
Img_9710_800x571 先日、九華招魂社の脇で咲き始めたと書きましたが、萩の花。少しずつ増えています。内堀南公園では、時季外れの藤の花が咲いているという話を聞きましたが、こうも暑いとそちらへ回ろうという気力が湧いてきません。内堀南公園まで回ると、1㎞ほどたくさん歩かねばならないのです。
Dscn2801_800x600 散歩から帰ってシャワーを浴び、一休みしてから、定例の内科受診&健康診断。「そんなに歩いて、膝は痛くならないか」と聞かれましたが、今のところは大丈夫です。それよりも暑さの方が堪えます(微笑)。「散歩ではなく、修行だ」と言ったら、笑われました。修行も十分重ねてきましたから、そろそろ勘弁してもらいたいところです。
Img_9729_800x533 午後からは惰眠をむさぼることもなく(爆)、土曜日の相談会に向けて、その準備に勤しんでいました。昨日、今日は地蔵盆。近くの浄土寺では幽霊飴の行事が行われ、北桑名神社脇にある地蔵様からは、鉦太鼓の音が聞こえています。いずれも「去りゆく夏」というイメージの行事なのですが、いつまで暑いのでしょう?

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