文化・芸術

2018年9月 7日 (金)

散髪のあと桑名市博物館で「山林王の蔵の中」を見る……説明の入れ違いを発見(微笑)【9/8の中日新聞記事の写真に写り込んでいました】

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 朝のテレビの天気予報では、雨が降ったり止んだりということでしたので、9時から散髪と、博物館へ行ってきました。しかし、午前中に時々ぱらついたくらいで、午後からは晴れ間も出て来ています。夕方、散歩に行ってこようと思っています。
20180810124437 散髪を終えて、10時から桑名市博物館へ。いつもの散歩コースにあります。今は、「山林王の蔵の中」という展覧会が行われています。9月24日まで。山林王というのは、桑名の諸戸家のこと。諸戸家は、戦国時代に一向宗門徒として、織田信長に抗した丹羽定直に発するといわれます。定直は織田軍との戦闘の際、城中の戸坂を集め、これによって矢や石を防ぎつつ縦横無尽の働きをしたため、証意上人(伊勢国長島(現在の三重県桑名市長島町)の願証寺4世)より「諸戸」の姓と違鷹の羽紋とを賜わり、これが諸戸家の始まりとされています。
97023185  諸戸家はその後、郷里の西外面村(現三重県長島町)で、さらには自ら開墾した加路戸新田(現三重県木曽岬町)で代々庄屋を勤め、幕末に至りました。しかし、江戸時代末期、清九郎の代に塩の売買が不調に終わり、2,000両もの負債を抱えてしまいました。清九郎の長子、初代・清六は、一4b4ad1da 家で桑名に移住し、父の死後、文久3(1863)年、18歳の頃から米穀業を営み、わずか3年で負債を完済した上、田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主となったのです。明治39年、清六が死去すると諸戸家は次男・精太の血をひく西諸戸家と、二代目清六を襲名した四男・清吾の東諸戸家に分かれ、現在に至っています。現在、六華苑として公開されているのは、二代目清六が明治44年に着工し、大正2年に竣工した旧諸戸清六邸であり、諸戸氏庭園となっているのは、初代・清六が、桑名藩の御用商人であった山田彦左衛門が隠居所を購入し、その後、店を兼ねた本邸、御殿や洋館などを建てたもの。左の写真が六華苑の洋館(2017年8月31日撮影)、右が諸戸氏庭園のお庭(2017年9月30日撮影、修復工事現場見学会)。Img_1523_800x533
Img_2120  今回の「山林王の蔵の中」は、諸戸家の第3のお屋敷である諸戸徳成(とくなり)邸で使用された茶道具を中心に、新しく寄贈された諸戸家コレクションの展示会です。「徳成」は、人の名前ではなく、地名。この諸戸徳成邸は、二代目・清六が、大正末期~昭和初期に桑名市東方に建てた邸宅でした。「でした」というのは、ブログにも何度か書きましたが、現在は取り壊されて、跡地にマンションを建設中なのです(左の写真は、2015年5月17日に撮影)。
Img_1427_800x533 昨年4月29日に最後の公開を見て来ましたが(「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)、そのときには蔵も覗かせてもらえまImg_1523_800x533_2 した。左の写真は、大蔵。主屋からは北西の方向にあったもの。ここには、そのときまだ品物が納められていました。右の写真は、北蔵。敷地のもっとも北側にあり、コンクリート造りで2階建てでした。残念ながら、このときには、空っぽでした。
180907kuranonaka1 前置きが長くなりすぎました。出品リストは、これらの画像の通り。こちらにpdfファイルがあります。諸戸家の記録、諸戸清六と政財界の交友関係、蔵の中の逸品、 諸戸徳成邸の茶道具の4つのカテゴリーで、合計88180907kuranonaka2 点が出品されています。諸戸家の記録には、家系図や、木曽崎村旧邸之図などが含まれます。家系図には、上記の由来が記されています。政財界との交友関係では、品川弥二郎、岩崎小弥太、御木本幸吉、益田鈍翁、山県有朋、松方正義、岩槻礼次郎など明治時代の有名人との交流が窺える手紙など多数。蔵の中の逸品には、古萬古を始め、越前松平家が持っていた組物長盆など、また、茶道具は松尾流に関わる茶碗、茶会記(名古屋の揚輝荘で行われたもの)などなど。
 交友関係を示す中に、元桑名藩士で、戊辰戦争でも活躍し、のちに陸軍大将となった立見尚文からの葉書、書簡が展示されていました。実物と説明とを見比べていたら、どうも葉書の説明と、書簡の1つの説明とが入れ違っているように思えてなりませんでした。念のため、スタッフの方に確認したら、やはり入れ違っているということでした。こんなこともあるんですねぇ。

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 今回の特別展示、無銘の太刀ですが、村正作という伝承があるものでDscn0252c す。これだけ撮影可でした。梵字と素剣の彫り物があります。たなご腹の茎(なかご)が村正の特長だそうです。
Dscn0255c 梵字の部分をクローズアップ。説明によれば、「不動明王」と思われるそうです。
Dscn0260c 展覧会は、9月24日まで。月曜日休館、高校生以上は一人150円です。私見では、150円でこれだけ楽しめるなら、安いものです。
【付記(9/8)】
Dscn0279c 今朝、中日新聞北勢版を見ていたら、桑名市博物館の「山林王の蔵の中」展覧会の紹介記事が載っていました。そこにある写真に目が点! 確かに昨日、新聞記者の方が取材しておられました。2階の展示室で出展されたものを見ている時、写真を何枚か撮影なさっていたのですが、まさか自分が写り込んでいるとは(笑)。記事中、左上の展示ケースを覗き込んでいるのは、小生であります。以前、メ~テレの番組で、VTRに登場してしまったこともありますが(2013年4月27日:すし清で大長藤とアゲハチョウ、桑名別院のアヤメそして恐れていたとおり……)、不覚でした(苦笑)。

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2018年9月 5日 (水)

20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ(その1)……湯の山温泉駅から、アクアイグニスを通過してパラミタミュージアムへ

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 9月2日に行ってきた近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”の本編その1です。8月5日に「ユネスコ無形文化遺産 祭り一色の桑名 日本一やかましいまつり「桑名石取祭」にふれる」に行って以来です(今日は石取祭、本楽……近鉄ハイキング「ユネスコ無形文化遺産 祭り一色の桑名 日本一やかましいまつり「桑名石取祭」にふれる」について付記しました)。近鉄湯の山線・湯の山温泉駅がスタート、菰野駅がゴールで、案内では約6㎞のコース。
Img_4221c こちらは、スタートの湯の山温泉駅。受付時間が9時~11時でしたので、桑Img_4220c 名駅を8時42分の松阪行き急行に乗車。四日市には8時54分着。湯の山 線に乗り換え。9時2分発。湯の山温泉駅には、9時27分に到着。¥520。もらったコースマップのナンバーは221。
Img_4228c 子どもたちが小さい頃でしたか、来た記憶があるのですが、半分以上忘却の彼方(笑)。駅前にもバスがたくさん来ていて、もっと立派な駅だったような気もしますが、アヤシい(苦笑)。
Img_4224c この日のコースマップ。あみま倶楽部会員証にスタンプを押してもらい、また、今日のハイキングはKIPSポイント100ポイントがもらえますので、KIPSカードも確認。湯の山温泉駅をスタートして、アクアイグニス・片岡温泉、パラミタミュージアム、道の駅菰野から東町商店街を通って、菰野藩主・土方家の菩提寺である見性寺へ。今日は、「土方雄豊(ひじかたかつとよ)公開湯1300年記念祭」が開かれています。そして、ゴールは、湯の山線・菰野駅。
20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen こちらは、当日実際に歩いたルートを距離測β上に描いたもの。見性寺からゴールの菰野駅に行く直前、近鉄四日市行きの電車が通過してしまいましたので、菰野城跡にも立ち寄って来ました。その結果、歩いたのは8.4㎞。
 湯の山温泉駅をスタートしたのは、9時35分。Img_4231c いったん西に向かい、神明20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen1 橋をわたって、折り返し、千草方面へ向かい、若干回り道をして、湯の山街道に行きます。左の写真は湯の山温泉駅を出てすぐのあたり。閉まっている商店もあり、いささか寂しい気がします。
Img_4234c 湯の山温泉駅は、近鉄湯の山線の終点。このように、行き止まりとなっている駅こそ、終着駅という感じがします。全くの思いつきですが、「終着駅」というと、高校生の頃流行った、奥村チヨの歌(こちら)を思い浮かべてしまいます(苦笑)。ここまで乗ってきた電車が、折り返し運転のため停車しています。
Img_4237c 三滝川にかかる神明橋をわたって、ほぼUターンする感じで千草方向Img_4242c へ。このあたりから鈴鹿の山並みがよく見えますが、鈴鹿山脈の主峰である御在所岳は見えていません。右の写真は、神明橋をわたって右折したあたり。少し上り道。
Img_4246c 千草交差点を右折して、湯の山街道に入り、南に向いて進みます。このあたりからは、御在所岳(1,212m)が望めます。この写真で、山腹に白い鉄塔が見える山がそれ。鉄塔は、御在所ロープウェイの「6号支柱」。御在所岳の標高約943m地点に建つ御在所ロープウエイの支柱です。その高さは61mで、「日本一」の規模。天気がよいと我が家からでも肉眼で見ます。
Img_4253c 再び三滝川を渡る手前で、保護猫カフェ「またたび庵」という看板が掲げImg_4260c られた建物を発見。飼い主のいない猫をなくし、殺処分ゼロを目指す地域猫活動やTNR活動を応援する里親募集型の猫カフェだそうです。いろいろなところがあるものです。右はこのまたたび庵の先で三滝川を渡るところから眺めた鈴鹿山脈。
Img_4267c 1㎞をやや過ぎたところで、鈴鹿スカイライン入り口の交差点へ。現在、こImg_4272c こは、第2名神高速道路の工I事が進んでいます。ご覧のような巨大施設。新四日市ジャンクションから亀山市の新名神高速道路につながります。ちなみに、鈴鹿スカイラインは、菰野町と滋賀県滋賀県甲賀市を結ぶ道路で、国道477号の一部。若い頃はここによく走りに来ました(微笑)。さらにちなみに、その頃は、スプリンタートレノGT-APEX(いわゆる86トレノ)なるスポーツタイプのクルマを乗り回しておりました。このクルマよく走る、いいクルマでした。
Img_4273c この写真は、鈴鹿スカイライン入り口交差点の東側から撮ったもの。向こうに見える山は鈴鹿山脈。この交差点、東から来て、右に曲がると鈴鹿スカイライン、直進すると、湯の山温泉駅方面。
Img_4278c 鈴鹿スカイライン入り口の交差点からやや東にアクアイグニスがありまImg_4285c す。スタートからほぼ1.5㎞、時刻は9時55分頃。昔々は、片岡温泉からスタートしています。石窯パン、イタリアンカフェ、スイーツの店などがありますが、ハイカラすぎて、小生には縁はありません。なので、見て、写真を撮るだけで通過してきました(苦笑)。
Img_4286c アクアイグニスから次の目的地であるパラミタミュージアムへ歩いていると、クラシックカーが走って行きました。この日、他にもクラシックカーを見ましたが、鈴鹿スカイラインをドライブしたら気持ちよさそうです。今度は、愛車・コペンで走りに来るといいかも。
Img_4342c パラミタミュージアム。スタートから2㎞あまり。10時5分に着いて、40分ほど過ごしてきました。小生にとっては、本日の主たる目的地の1つ。「英国自動人形展オートマタ・アナログの美」を見たかったのです。この間、四日市市立博物館に行ったとき、足を伸ばそうかとも思ったのですが、今日のコースにありましたので、楽しみに取っておきました。ハイキング参加者は、¥100引きの¥900で入館出来ました。自動人形のほとんどが、ボタンを押すと動くようになっていて、楽しんできました(プラスティックケースに収まっています)。
20180902paramitaautomata イギリスの現代オートマタ作家、ポール・スプーナー(1948~)の作品を中心に紹介されています。オートマタは「西洋のからくり人形」で、自動で動く機械仕掛けの人形です。この展覧会では、からくりによって動くだけではなく、その小さな世界でちょっとしたストーリーが展開されるものが紹介されているのが特徴。オチがあったりして、ニヤリとさせられました。出品リストは、こちらにあります。このほか、特別企画として、「泰良木(やすらぎ)ゆめ 創作人形展-昭和からの伝言-」(こちらの料金も入館料に含まれています)も開催されており、それも見て来ました。
Img_4304c パラミタミュージアムには、立派な庭もあります(パラミタガーデン)。前回来たときには見ていませんでしたが(2017年3月1日:パラミタミュージアム(三重県菰野町)で「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」展を見る)、今日は一回りして来ました。
Img_4307c なかなかよい感じの庭園ですし、よく手入れされていて気持ちの良い散Img_4319c 策路です。小生の他には、カップルが1組。二人の様子を見ていて、「いやぁ、若いというのはいいなぁ」などと思いました(微笑)。
Img_4330c 右上の写真にもありますが、ここがとくに気に入りました。右の写真のよImg_4329c うな景色もあって、とくにいい感じ。庭園もアートという気がします。壺や石彫作品も点在しています。パラミタミュージアムでは、9月9日から18日まで、加古川利彦さんの「~身近な自然を感じる~ 野鳥画と植物画」という展覧会が予定されています(無料)。これも見たいと思っています。
Img_4297c パラミタミュージアムには、この「納曾利(なそり)」というからくり人形が2Img_4301c 階エレベーター前に展示されています(これは撮影可)。二代目萬屋仁兵衛さんの作。雅楽の演目「納曾利」の龍神を表し、音楽に合わせて旋回しながら、首や手足を動かして舞を披露します。人形は全て木製で、動作は舞台の下に置かれたコンピューター制御の機械によって行われています。毎日午前11時と午後2時の2回、舞が披露されます。前回来たときに見ています。
Img_4350c パラミタミュージアムを10時45分に出て湯の山街道を下っていきます。大Img_4360c 羽根園駅の手前でほぼ3㎞、10時53分。次の目的地・道の駅菰野を目指します。途中、今では珍しくなったサークルKを発見。サークルK菰野桜野店です。サークルKがもっとも好みのコンビニでした。今となっては、貴重なので、写真を1枚(微笑)。
20180902kintetsuhikeyunoyamaonsen2  本日は、ここまで。次は、道の駅・菰野から。

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2018年8月30日 (木)

四日市市立博物館で萬古焼展

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 本日は、こちらへ。毎度のことながら、行こうと思いつつ、会期末になって慌Dscn0075c てて出かけるというパターン。出かけた先は、四日市市立博物館です。近鉄四日市駅から西へ徒歩3分。ここは、その昔、三重県立四日市工業高等学校があったところ。博物館は、平成5(1993)年11月に開館しています。他に、「じばさん三重」と「四日市市民公園」、アムスクエア、四日市都ホテルがあります。アムスクエアには、当初松坂屋が入っていましたが、撤退(平成3(1991)年11月に開店、平成13(2001)年に撤退)。平成17(2005)年3月にはアピタ四日市店などが入り、ララスクエアとして営業しています。と講釈を垂れましたが、自分の覚えのためで、恐縮。
Dscn0077c 今回は、「開館25周年記念 企画展 沼波弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業 ばんこやき再発見-受け継がれた萬古不易の心-」という展覧会を見て来たのです。テーマにありますが、今年は、萬古焼の祖である沼波弄山が生れて300年ということで、萬古焼を所蔵している近隣の博物館が連携して展覧会をしています。桑名市博物館でも、6月1日~7月8日に「沼波弄山生誕300年記念 古萬古とそれを継ぐ者」という展覧会が行われました(6月1日:ツバメのヒナへの給餌シーンがすごい……博物館で古萬古も見てきました)。この2館の他、パラミタミュージアムでは「萬古の名陶(6/7~7/29)」、朝日町歴史博物館では「再考! 萬古焼(10/27~11/25)」が開かれます。パラミタミュージアムの展覧会はバタバタしていて見逃しました。
180830bankoyokkaichi_3  9時半の開館早々に入って、10時40分までいました(常設展示の時空街道も見ていました)。萬古焼の展示も写真撮影可でしたが、ネットにはあげないようにということでしたので、泣く泣く割愛(微笑)。というのは、面白かったのです。焼き物を見て面白かったというのはあまりありません。古萬古も良かったのですが、個人的には、ネコ、犬、虎、カメなど動物の置物、香合、急須とか、福助や寿老人の首振り人形、さらには布袋さんの置物、骸骨文型の急須などもあり、しっかり楽しめました。写真が掲載できないのがとても残念です。
Dscn0135c また、このように「あたっても砕けちゃならぬ 大江戸やき物語~翻刻 書雑春錦手(かきまぜてはるのにしきで)~」というコーナーがありました(この写真くらいは載せても差し支えないでしょう)。これは、いわば、大人向けの絵本。「書雑春錦手」は、天明8(1788)年に刊行(徳川家斉が将軍になった翌年)。吉原遊郭を舞台に遊女の身請けを巡って展開する物語で、10産地の焼き物が擬人化されて登場し、萬古焼は遊女の身請け話で争う伊万里焼(佐賀県産)と南京焼(中国産)を仲裁する僧の姿で描かれています(こちら)。図録を¥600で売っていたのですが、今回は購入せず。原典は、国立国会図書館デジタルコレクション で見られます(ここ)。
Dscn0171c 企画展をしっかり楽しんだ後、時空街道を見て来ました。ここはもう何度Dscn0172c_2 も見ていますが、新しい発見があります。今日、じっくり見てきたのは、江戸時代の旅籠を再現した展示。「泗水(しすい)屋」と名付けられています。人形はかなりリアル。しかも当時の大人の平均的な身長で再現したそうです。
Dscn0174c 左は、旅籠に着いた旅人が、足をすすぐシーンの再現。草鞋に濯ぎ水。Dscn0180c 時代劇や時代小説に出てくる様子。右は、旅籠の部屋に置かれた食事。上右の写真で女性が運んでいるもの。
Dscn0188c 問屋場を再現したところの裏手に、馬がいます。ちょっとピンぼけで恐縮Dscn0190c です。注目すべきは、馬の足下。現代であれば、蹄鉄がつけられているところ、草鞋を履いています。ちなみに問屋場を再現したところにあった掲示によれば、四日市宿から桑名宿まで馬一匹を借りると142文とありました(3,550円)。けっこうな値段です。
Dscn0192c 四日市市立博物館を楽しんだ後は、ララスクエアへ。最近ここの3階、アピタ四日市店にコジマ×ビックカメラが入ったので見て来ました。写真保存用のハードディスクなど。また、4階の宮脇書店もチェック。さらに、近鉄百貨店で東急ハンズ(期間限定で入っています)、丸善も。
Dscn0210c ところで、四日市市立博物館、ミュージアムカードなるものがあり、有料でDscn0211c の観覧1回につき、スタンプ1個を押してもらます。スタンプが3個集まると、引換えで、観覧が2割引となるミュージアムマイスターカードがもらえます。今日はこれをめでたくゲット。今日から1 年間有効です(微笑)。展覧会にもプラネタリウムにも使えるのです。

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2018年6月 2日 (土)

「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ(完)

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 よく晴れて、暑い日になりました。若干迷ったものの、予定通り、「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ行ってきました(微笑)。近鉄名古屋線・塩浜駅が受付、日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、伝統工芸日永うちわ「稲藤」、御菓子司東京堂、四日市市立博物館・四日市公害と環境未来館などを回り、四日市ふれあいモール(名古屋線・近鉄四日市駅)がゴールという約10㎞のコース。
Img_4581c もうお馴染みになりました。こちら、近鉄名古屋線・塩浜駅(西口)。桑名駅を9Img_4578c 時1分の五十鈴川行き急行に乗車し、9時18分着。¥350。冒頭の写真にあるマップをもらい、9時25分にスタート。今回は、テーマにあるように、あみま倶楽部30周年記念ということで、ピンバッチをもらえました。
180602kintetsuhikingyokkaichi1 塩浜駅は、四日市市南部の工場地帯にあります。そこから西へ向かって、180602kintetsuhikingyokkaichi2 東海道と参宮海道(伊勢街道)の追分から、しばらく旧・東海道を歩きます。その後、国道1号線を経て、旧・東海道に戻り、浜田城跡の鵜の森公園(鵜の森神社)から四日市市立博物館や、じばさん三重を見て、近鉄四日市駅がゴールというコース。実は、初めて訪れたというところは、御菓子司東京堂さんくらい(ただし、ここ、今回は前を通過したのみ)。日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、日永一里塚跡、名残の一本松は、去年12月17日のJRさわやかウォーキングで来ました(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。このときは、笹川を経て、四郷にある神楽酒造訪れています(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2))。
Img_4787c 今日は、こちら、四日市市立博物館がコースにありました。明日までここImg_4789c で、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」が開かれており、これが見たかったので、暑い中を出かけてきたという次第。パンフレットのpdfファイルは、ここにあります。写楽、歌麿、北斎、広重などの浮世絵が見られます。小生はとくに、東海道五十三次など、浮世絵に描かれた四日市が見たいと思ったのです。5月31日から、広重と北斎の4点について、「初摺」と「後摺」が比較できるようになったといいますので、これは是非と思った次第。
Img_4593c さて、スタートの塩浜駅からは少し南下した後、西に向かいます。このあImg_4599c たりは、工場地帯。昔は、公害、四日市ぜんそくなどが問題となったときの中心でした。今は、すっかり改善されていますし、緑地公園などもたくさんあります。左は、中里緑地
Img_4591c 今日のコースマップは、冒頭の写真にもありますが、詳細なもので分かりやすいパターンでした。それに、こんなことを書くと失礼なのですが、近鉄ハイキングでは珍しく、コースに誘導の矢印がたくさん掲出されていました。
Img_4605c 出発から2㎞ほどのところに川尻公園があります。すぐ西をJR関西線がImg_4606c 通っています。すでに休憩をする方も多かったのですが、小生は、石碑に目が向いてしまいます。ただし、この字体(何という字体かさえ、よく知りません)、読みにくいのです。
Img_4608c 「故村長石榑君之碑」と書いてあるようです(本文の上部にもありましImg_4610c た)。河原田村の村長兼藍浜村の村長であった石榑君が亡くなって数年経ってから建てられた顕彰碑と思われます。詳細は不明。また、この公園には、右の写真にあるように、「明治百周年記念桜」と刻まれた碑もありました。こちらは、昭和43(1968)年に明治百年を記念して百本植樹したと碑陰にあります。ただし、この碑が建てられたのは平成7(1995)9月に、四日市市制施行100年を記念してのことです。
Img_4620c 塩浜駅から3㎞半近く、日永の追分に到着。時刻は10時10分。東海道伊勢街道(参宮海道)との追分。この写真は、北を向いて撮っています。奥から来て左に向かうのが、東海道であり、現在の国道1号線。右手前に来るのが、伊勢街道となっています。鳥居は桑名の七里の渡しに建てられた伊勢一の鳥居に対して、二の鳥居と呼ばれました。
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 大賑わい(笑)。常夜灯やら、道標やらがありますし、ここには清めの手水所もあります。この水は、西に位置する丘陵地(泊山(登城山))からの湧水です。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。
Img_4638c こちらは、2枚前の写真とは逆に、北から南を見て撮っています。手前かImg_4640c ら右に向かう道が、国道1号線(東海道)。左端に見えているのが県道103号線(伊勢街道)。次に向かう前に、近くにある三重銀行追分支店の裏の地蔵堂をチェック。昨年12月17日のJRさわやかウォーキングの時に見逃していたのです。由緒書きはなく、ネット検索でもそれらしい情報は出てこず、詳細不明。
Img_4649c このあとは、東海道日永郷土資料館が立ち寄りスポットですが、昨年12Img_4650c 月17日のJRさわやかウォーキングで来ていますので、前を通過。そのまま次の立ち寄りポイントである伊勢蔵へ。味噌、醤油の醸造元。ここも、JRさわやかウォーキングで来ていますが、今回は蔵も見せていただけるということで寄って来ました。
Img_4657c 大正3(1914)年創業。現在は、4代目と5代目が伝統を守っておられまImg_4659c す。工場の中は、味噌のよい香りが漂っていました。杉桶を使っておられます。今回も味噌汁の試飲サービスがありましたが、暑くなってきたということもあって、冷やし汁になっていて、ありがたく頂戴。
Img_4664c 東海道日永郷土資料館や、伊勢蔵の前の道は、旧・東海道です。桑名Img_4667c の七里の渡しから、富田まではきちんと歩きましたが、その先は、細切れにしか歩いていません。取り敢えず、三重県内は歩き通したいと思っていますが、夏を越えてからでしょうか(微笑)。
Img_4674c この先に、名残の一本松があります。旧・東海道の東側に立っていまImg_4676c す。かつて、ここ日永の集落と、泊村の集落との間は、家は一軒もなく、松並木の縄手道だったそうです。今では、この一本松だけが今に残り、往時を偲ぶよすがになっています。そのため「東海道名残の一本松」と呼ばれているのです。たくさんあった松は、戦時中、松根油を採ったためほとんどなくなったといいます。
Img_4686c 名残の一本松からさらに北、民家の間にひっそりと日永一里塚跡の石碑Img_4684c が建っています。スタートの塩浜駅からはほぼ5㎞。県指定史跡(昭和13(1938)年4月指定)です。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました(富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり))。日永の一里塚は、江戸からちょうど百里だそうです。塚自体はすでにありません。コースマップにも書かれているのですが、ハイキング参加者はほとんど素通り。「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」(文化3(1806)年)によれば、西側の塚に松の木3本、エノキ1本、東側の塚にエノキ1本が描かれています。
Img_4688c このあとは、浄土真宗高田派の雲祥山西唱寺の前を通ります。前回、境Img_4706c 内にあるはずの水道記念碑を見忘れたのですが、今日も予習不足で、完全に失念。大失態でした……苦笑)。日永神社の手前には長命山薬師堂。JRさわやかウォーキングで立ち寄りましたので、今回は通過。市指定文化財である薬師如来座像が納められています。
Img_4708c 日永神社に到着。このあたりは、すべて昨年12月17日のJRさわやかウImg_4710c ォーキングで来ています。主祭神は、天照大御神。詳細は、「雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)」をご参照ください。ここで、スタートから5㎞半、時刻は10時45分頃。
Img_4714c ということで、小休止。いわば、「もぐもぐタイム(微笑)」。家から持参した「へんば餅」を1個。これ、好物なのです(微笑)。家内の母が、先日、旅行に行った先のお土産に買ってくれたもの。ついでに、余計な講釈。変わった名前ですが、安永4(1775)年に創業。伊勢の宮川のほとりに茶店を設け、餅を商ったのが初め。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休んで、馬を返し、参宮したため、いつしか「へんば(返馬)餅」と名づけられたというのです。三重県内の東海道、伊勢街道は、別名「餅街道」と言われるくらい、さまざまな餅があります。桑名、四日市では「なが餅」が有名。
Img_4702c ついでにもう一つ余談。日永あたりを歩いていましたら、あちこちにこの「つんつく踊り」のチラシが貼ってありました。この近くにある天白川の堤防を築く(つんつく)ために、村人が参加したときの踊りが始まりといわれます(四日市市指定無形民俗文化財)。2020年には発祥400年目を迎えるそうです。
Img_4728c 一休みして、笹川通りに出ます。ここで、日永うちわの製造・販売をしている「イナトウ」へ。日永うちわは、丸い竹をそのまま使った「丸柄」のうちわです。女竹を使っていますので、竹が弓のようにしなり、扇ぐ風が柔らかくなびくという何とも優雅な持ち味をかもし出すといいます。四日市に住んでいた30年ほど前から知ってはいるのですが、なかなか手は出せません。今回もざっと拝見してすぐ出て来てしまいました。
Img_4730c このあとはすぐに国道1号線に出て、2㎞以上北東へ進みます。途中、天Img_4735c 白川、鹿化川などを渡り、四日市南警察の前を通って、中央緑地を過ぎます。28.50haもある、大きな公園です。体育館、陸上競技場、野球場、プールなどなどがあります。余談ですが、愚息が家内のお腹に入っているとき、何度か来た思い出があります。
Img_4748c スタートから8㎞を過ぎる頃、国道1号線を離れ、再び旧・東海道へ。11時Img_4749c 半近くです。ここで、御菓子司東京堂さんに立ち寄るのですが、小生は、前を通過。都饅頭を割引価格で買えたそうです。こちら、昭和4(1929)年創業ですが、もともとは東海道沿いの宿場町でお茶屋として営んでいたそうです。
Img_4757c 四日市の中心街に入ってきました。東京堂さんからほど近いところに、鵜Img_4770c の森公園、鵜の森神社があります。ここも何度か来たところで、旧・浜田城跡。たぶんここがコースにあるだろうと思い、ここでお昼にしようと考えてきていました。ファミマの弁当を買ってきましたので、ここで昼食&休憩。今日は、お稲荷さんがいいなということで右のような弁当。弁当を食べ終わって、休憩していたら、大阪からいらした、80歳の男性が同じベンチにやってこられました。たいそうお元気な方で、日頃、英語とスペイン語の勉強(NHKのラジオ講座)、テニスに水泳(昨日も1㎞泳いだとおっしゃいました)、最近囲碁を始めたとも! いやぁ、ひっくり返りそうになりました。60歳以降が人生は面白い、忙しいとおっしゃっています。
Img_4786c この方と、次にはじばさん三重へ。ここの1階にある「三重名品館」では、三重県北勢地域の代表的な地場産品が展示、即売されています。この80歳男性をご案内しながら、お話ししていたのですが、「あなたはここで何を買うの?」と聞かれ、若干クエスチョンマークが点灯(微笑)。80年生きていらっしゃるといろいろおありでしょう。知り合いの方がいらしたので、バトンタッチして、小生は、四日市市立博物館へ。最初に書きましたように、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」を見てきました。本来、入場料は¥800なのですが、ハイキング参加者は2割引で見られました。
Img_4791c 今日の近鉄ハイキングは、あみま倶楽部30周年記念ということで、会員Dscn7026c にはお楽しみ抽選会がありました。塩浜駅で、「抽選会用番号カード」をいただいていたのです。ゴールの四日市ふれあいモールに当選番号が出ているということで、期待してゴールインしたものの、残念ながらそうそううまい話はありません。いただいたのは、ポケットティッシュ1つでした(爆)。
Img_4794c ガッカリして、ゴール地点の写真を撮り忘れました(苦笑)。ゴールは、13時52分。スタートから4時間35分余り。歩いたのは、10.3㎞ほど(拙宅から桑名駅往復で、さらに+2.3㎞で、合計12.6㎞)。近鉄四日市駅を14時10分に出る名古屋行き急行で帰宅。桑名駅到着は、14時22分、¥300。しっかり歩きましたし、暑くてかなり汗を掻き、干からびそうでした(笑)。今日のビールは、格段に美味しいものとなりました。

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2018年6月 1日 (金)

ツバメのヒナへの給餌シーンがすごい……博物館で古萬古も見てきました

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 気持ちよく晴れました。こういう日に江戸橋方面へ行きたいような、もったいImg_5345c ないような(微笑)。8時半から12時前まで散歩と、博物館へ。住吉神社、九華公園から桑名市博物館へ。博物館は京町にあります。そして、寺町、田町とまわり、5.6㎞。冒頭の2枚の写真は、住吉神社の前で撮ったもの。左は揖斐川上流から、多度山、伊勢大橋方面。右は、余り載せませんが、下流方向。蟠龍櫓と、旧・本陣の船津屋、旧・脇本陣の旅館山月が見えます。風があり、川面がきらきら光ってきれいでした。
Img_4480c 今日は何といってもこれ。九華公園、吉之丸堀の上の電線にて。ツバメのヒImg_4489c ナが2羽、親がエサを運んでくるのを待っていましたので、1時間近く見ていました。親のアタマまで食べそうな勢いで、笑えます。親が近くへ飛んでくると、猛烈なアピール。
Img_4437c 公園内を回って、吉之丸堀に浮かぶ東屋のあたりまで来たら、ツバメのヒナの鳴き声がしてきたのです。探すと、本丸跡の辰巳櫓近くに2羽のヒナがいたのです。たぶん巣立ってきたばかり。ここの電線には、毎年今頃から、ときどき、こういう巣立ったばかりのヒナが来ています。
Img_4399c 今日は、他でも巣立ったツバメのヒナを見ました。まず左は、三の丸水門近Img_4538c くで。地面に降りていたので、飛べなくて困っているのかと思ったのですが、大丈夫でした。近寄ったら、飛んで逃げました。右は、京町の呉服屋さんの前の電線にいたヒナ。この呉服屋さんで育ったものかという気がします。
Img_4545c こちらは、京町のマンション駐車場のヒナ。4羽いたはずですが、3羽しかImg_4549c 見えません。ちょっと気になります。ここも親がエサを運んできます。右は、マンションの向かいにある公園に降り立ったツバメ。この巣の親と思います。
Img_4416c さて、九華公園は、花菖蒲まつり。といっても昨日書いたように、花菖蒲Img_4412c に関わるイベントはありません。桑名市や、観光協会ももうちょっと気合いを入れて欲しいところ。小生自身は、花菖蒲はもうかなり楽しんでしまいました。という訳だからでもありませんが、カメの産卵シーンが見られないかと思っています。右の写真のように、産卵のための穴を掘っているところはよく見るのですが、今年はまだ産卵そのものは見られていません。
Img_4402c カメといえば、九華公園名物の甲羅干し。元々はアヒル、ガチョウの小屋へ上がるスロープ。今ではすっかり甲羅干しスポットになっています。大賑わいです。子どもたちはこれを見ると大喜び。ただ、大人の中には、砂や石を投げて、カメが堀に落ちるのを楽しむという、ちょっと困った方もいらっしゃいます。
Img_4532c 鳥は相変わらず少なし、というところ。今日もエナガは見たものの、遠くて証拠写真。このほかは、カワラヒワ、ドバト、ムクドリ、スズメ、カラスくらい。シジュウカラの鳴き声もしていましたが、姿は確認できず。
Img_4427c 奥平屋敷跡入り口の花菖蒲園では、アゲハチョウ(ナミアゲハ)がやって来ていました。花菖蒲からも蜜が吸えるということなのでしょうね。まさに花から花へと移動しつつ、蜜を吸っているようでした。
Img_5373c 九華公園の後は、桑名市博物館へ。しばらく休館していたのですが、今日から7月8日(日)まで“水無月の企画展「古萬古とそれを継ぐ者」「絵画展―水無月余情―」”が開催されています。今年は、萬古焼の創始者である沼波弄山の生誕300年にあたりますので、この展覧会も、沼波弄山生誕300年記念として開かれています。ちなみに、弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業として、近隣の3ヶ所の博物館、美術館でも展覧会が予定されています。
Img_5367c 古萬古を中心とした展示となっています。主な展示作品20180328155500 は、沼波弄山「古萬古 赤絵人物文水盤(市文化財)」、同「古萬古 赤絵獅子文燭台(市文化財)」、同「古萬古 オランダ写手焙(市文化財)」、森有節(初代)「再興萬古 舶来草花模様菓子鉢(桑名市博物館蔵)」、森翠峰「五節句絵菓子鉢(桑名市博物館蔵)」などです。併せて、水無月にちなんだ絵画も展示されています。右は、沼波弄山の「古萬古 赤絵窓山水文雪輪鉢」です(博物館のサイトからお借りしました)。今回は、高校生以上は¥150と有料。今日、小生が訪ねたときは、他に来館者はなく、独占して、ゆっくりと見て回ってきました。ちなみに、「古萬古」は、後代の萬古焼と区別するため、弄山のものを指しています。
Img_5384c 午後からは、江戸橋方面の授業の準備。新しい科目の準備に勤しんでおりました。自転車操業とまでは行きませんが、前の授業で次の授業資料を渡して、予習できるようにしていますので、早めの進行になるのです。ちょっと余裕をつくりたいのですが、なかなかどうも(苦笑)。明日は、四日市で近鉄ハイキングがあるのですが、暑そうな中、約10㎞というコース設定で思案中。四日市市立博物館が立ち寄りスポットになっていて迷っています。明後日まで「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」が開催されているのです。

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2018年4月23日 (月)

またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編)

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 研究会も終わり、依頼された仕事もほぼ一段落つきましたので、今日はこDscn6823c ちらへ出かけてきました。津市内、近鉄名古屋線・津新町駅であります。桑名を9時1分に発車する五十鈴川行き急行に乗って、9時50分に到着。津にある松菱百貨店で「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」が、今日まで開催されていますので、これを覗いてこようという次第。せっかくだから、松菱百貨店だけでは、もったいないと思い、ついでに、独りで「近鉄ハイキング」を催してきました(微笑)。。先だって(4月14日)の「徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」も予告編で止まっており、困ったもの(苦笑)。
20180423tsuwalk  こちらが今日、歩いたコース。近鉄・津新町駅がスタートImg_2026c &ゴール。津新町駅から東へ。ここは、旧・伊賀街道。津新町の商店街に沿って歩いて、岩田川にかかる岩田橋まで。15分ほど。
Img_2432c 岩田橋の東北に津松菱百貨店があります。県内には、百貨店(歴史的用Dscn6821c 語!)は、この松菱百貨店と四日市近鉄百貨店のみと思います。しばらく前までは、四日市に松坂屋があり、松阪には三交百貨店がありましたが、いれも撤退、廃業(と思います)。
Dscn6827c 「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」ということですが、実際には、展Dscn6837c 示・即売会でした。今日が最終日。お客さんはそれなりに。メダカは、高級品種がほとんど。たとえば、黒ラメ幹之 松井ヒレ長 1匹(税込)5,000円とか、三色ラメ 1匹(税込)6,000円とか。とても手が出ませんし、買ったとしても小生では、夜もおちおち眠れません(苦笑)。結局、「このままスイレン栽培セット」を1つお買い上げ(笑)。しかし、これで予定通りなのです。
Dscn6828c いきなり余談でありますが、松菱百貨店の6階催事場脇には、茶室があDscn6831c ります。「松南軒」。江戸末期、京都に建てられ、西郷隆盛や、富岡鉄斎なども来たといわれます。百貨店創業者の方が移築なさったそうです。
Img_2052c 松菱百貨店からは、津藩主・藤堂家の菩提寺である「寒松院」へ。ここImg_2062c は、津藩主・藤堂家と、久居藩主・藤堂家の墓所があります。久居藩は、津藩の支藩という位置づけ。右の写真は、津幡初代藩主・藤堂高虎公のお墓。境内には、ずらりと藤堂家の墓が並んでいて、壮観。
Img_2113c 次いで、フェニックス通りを越えて、浄明院。ここは、津藩Img_2131c 3代藩主・藤堂高久公が建てたお寺。まずは、石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)があります(県文化財)。高さ1.5m。鎌倉時代の作です。ほとんどが花崗岩製。笠の四隅に「角(つの)」と呼ばれる突起があり、屋根に何段かの造出しがあるのが特徴。
Img_2222c また、この浄明院は、探偵小説作家の江戸川乱歩の祖先(津藩士)の菩提寺で、乱歩が建てた先祖代々の墓があります。ここには、乱歩の骨もぶんこつされているといいます。
Img_2140c 上宮寺(真宗大谷派)。実は、門前から拝見し、そのままImg_2145c 通り過ぎ、次の目的地である西来寺に向かおうとしたのですが、右の写真にあるように「あこぎ平治の寺」という看板があってビックリ。引き返して見てきました。
Img_2151c 「阿漕平治」は、貧しい漁師。病床の母のためにやがらとImg_2175c いう魚を獲ったのは、漁が禁止されている阿漕浦でした。阿漕浦は、お伊勢さんにささげる魚を獲る海でな、禁漁の海。このおきてを破ったため、平治はむしろで簀巻きにされ、生きたまんま海へしずめらたという話が伝わっています。
Img_2182c 上宮寺のすぐ北には、天台真言宗・別格中本山・西来寺があります。塀Img_2186c に3本線が入っていますので、それなりに格式の高いお寺と思えます。門を入ってすぐの右手には、元三大師堂があります。第二次大戦のときの焼夷弾による空襲をくぐり抜けた元三大師の絵があります。
Img_2195c 西来寺は、別格中本山というだけあって、境内には塔頭がたくさんありまImg_2203c した。今日は、元三大師堂と、この普門院と本堂だけ見てきました。
Img_2233c 続いて、大門にある「だいたて商店街」へ。ここは、津観音への参道になImg_2239c っています。向かしながらのというか、まさに昭和レトロの商店がたくさん並んでいます。今日は、残念ながら定休日でほとんどの店は閉まっていました。休みでないときにもう一度来たいと思います。
Img_2256c 商店街を通り抜けて、津観音へ。ここは以前から一度はImg_2245c お参りしたかったところ。日本三観音の一つと言われます。
Img_2352c 「津の観音さん」として親しまれています。ここの境内にもImg_2355c いろいろなものがあり、「お寺もワンダーランド」という気がしてきました(笑)。五重塔は、入れませんでしたが、Googleのインドアビューで内部が見られるそうです。
Img_2404c 国道23号線沿いに戻って、津の名物のImg_2417c 一つ、「蜂蜜まん」をゲット。さらに、ちょっと戻って、千寿で「天むす」をテイクアウト。この千寿は、天むす発祥の店。
Img_2427c 23号線に戻って、津の繁華街を通り、センターパレスや、三重会館のあImg_2432c_2 る三重会館前交差点にやって来ました。ここのすぐ近くに津城跡のお城公園があります。お昼は、お城公園でと考えていたのです。センターパレスには都ホテルもありますし、中央公民館も入っています。三重会館には、津の郵便局があります。昔々、この三重会館には、伝説の「メリーさん」という全身赤い服を身にまとった女性がいたという話があります。小生も、見たような記憶があります。
Img_2514c お城公園に到着。13時頃。津城は、もともと織田信長の弟・信包(のぶかImg_2518c ね)によって築城されました。天正8(1580)年には五層の天守閣も完成していたのですが、関ヶ原の戦いのとき、星群の攻撃を受け、戦火に遭い城内の建造物の大半を焼失。その後、慶長13(1608)念、藤堂高虎公が伊予今治から移り、城を大改修するとともに、城下町を整備しました。現在は、丑寅櫓が再建されています。
Img_2499c ここでようやくお昼御飯。千寿でゲットしてきた天むすをImg_2505c いただきました。5個で650円なり。現職のとき、勤務先近くの多香野の天むすを何度か食べましたが、ちょっとタイプが違います。
Img_2553c お昼を食べてから、お城公園を散策。左の写真は、藤堂高虎公。近江国に生まれ、何度も主君を変えた戦国武将として知られます。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城しています。秀吉の死去直前から、徳川家康に急接近。その後、高虎は徳川家の重臣として仕えます。慶長13年(1608年)に計22万石に加増移封され、津藩主となっています。
Img_2585c こちらは入徳門。津藩第10代藩主・藤堂高兌公が設立した藩校の有造館の講堂の正門。その名は、「大学は諸学徳に入る門なり」ということばから来ているといいます。明治4(1871)年に廃校になってから、小学校や師範学校、旧制・津中学などの正門として使われたそうです。
Img_2670c 最後に行ってきたのが、お城公園の西にあります高山神社(こうざんじんImg_2615c じゃ)。藩祖・藤堂高虎公を御祭神とします。高虎公の諡である「高山居士」に由来します。もともとは、本丸跡にあったそうです。ここの境内にもいろいろなものがありました。
Img_1960c 9時50分にスタートし、津新町駅に戻ってきたのは、14時10分。4時間あImg_1961c まりかけて、8.8㎞を歩いてきました。案外たくさん歩きました(苦笑)。14時13分に名古屋行き急行があったのですが、改札を通ったところで発車して、乗れずじまい。14時35分の名古屋行き急行で、桑名まで。桑名には15時22分着。片道¥750なり。いつも行く江戸橋や、津までは¥690ですが、一駅先まで乗るだけで+60円とはちと厳しい(笑)。
 ということで、本日は、またもや勝手に近鉄ハイキングに出かけました(笑)。名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなどの予告編です。先だって(4月14日)の「徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」も予告編で止まっております(苦笑)。明日くらいには、依頼された仕事が片付くはずですので、順次、本編を掲載したいと思います(ただし、あれこれ調べますので、本当に、順次です)。

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2018年3月20日 (火)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ

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 その1がずいぶん長くなりました。子安観音寺、スタートの鼓ヶ浦駅からは200mあまりしか進んでいません(苦笑)。この先どうなるやら、我ながら思いやられます。くだらない与太話は避けたいと思ってはおりますが……。
Img_4256c 子安観音寺の次は、いきなり寄り道をしました。子安観音寺の南隣に比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています。大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。
  • 大屋津姫命 (オオヤツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 抓津姫命 (ツマツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 少彦名命 (スクナビコノナノミコト)……山や丘の造物者であり、命名神
  • 天照大神 (アマテラスオオミカミ)
  • 伊弉冉尊 (イザナミノミコト)……伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった
  • 誉田別尊(ホンダワケノミコト)……応神天皇
  • 天児屋命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 速玉男命 (ハヤタマノオカミ)……絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神
  • 事解男命(コトサカノオノミコト)……伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神
Img_4252c 創立年代は不明ですが、延喜式神名帳(延喜5(905)年から編纂された)に載った式内社ですから、その頃にはあったと思われます。江戸時代は、観音寺の境内(南側)に木館神明社(木立神明社)、神明社(3社)、熊野権現、天満宮、富士権現として祀られていたといい、木館神明社が比佐豆知神社となったのは明治になってからです(神社でいただいた説明文書による)。明治40(1907)年に比佐豆知神社、神明社(3社)、熊野権現(熊野神社)の3社が合祀され、比佐豆知神社となっています。上記のように多くの神様が祀られているのは、この明治の一村一社政策によるわけです。なお、左の社名標は、明治12(1879)年9月に建てたとあります。
Img_4264c 拝殿の北側には、もう一つのお社がありました。こちらは、二柱神社(にはしらじんじゃ)。一村一社政策のとき、4社の山神社と、八雲神社(牛頭天王社)が合祀されたものです。
 ちなみに「比佐豆知」はすなわち「久土」であり、皆親しむという意味があるといいます。土に親しむ心を持って生物増産する意味を含めて「久土」と名づけ、これと同じ意味を持つ「比佐豆知」の文字を当てたと、昭和初期の神社誌にあるといいます。さらに余談。「比佐豆知」と呼ばれる神社は、ここの他に津市鳥居町には、同名の比佐豆知神社が、また、津市安濃町の京ヶ峰登山口近くに比佐豆知菅原神社があるそうです。
Img_4266c 二柱神社の脇には、もう一つ社というか、祠というかがあります。こちらImg_4269c は、庚申塚でした。「庚申」と刻まれた石に注連縄が張られていました。写真は割愛しますが、狛犬は、子取り・玉取りではないタイプでした。
Img_4261c このほか境内にあったのは、この国旗掲揚塔の台座(といってよいのか?)。「出征軍人家族中」とあり、昭和12(1937)年12月に建てられていました。この年には盧溝橋事件などが起こり、日中戦争が始まっています。 
 
Img_4283c 次も寄り道。子安観音寺の南東すぐにある西方寺です。真宗高田派。境Img_4288c 内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。
Img_4290c この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。
Img_4293c 西方寺を出て、旧・伊勢街道へ出る途中に「昭和湯」というお風呂屋さんImg_4297c_2 の建物を発見。リンク先には、2002年12月に利用したという記録がありました(何事についても、調べている方があるものです)。今は廃業したように見えました(こちら)。昭和湯からすぐ(50m)でようやく旧・伊勢街道に出ました。とはいえ、スタートからは、寄り道分を除いて400mほど(苦笑)。南西に向かいます。
Img_4300c 堀切川排水機場への途中、たばこ屋さん(南部商店)の脇に「楳荘(ばいそう)翁Img_4298c 碑」。儒者・別府梅荘(文政10(1827)~明治28(1895)年)。河芸郡上野村に生まれ、寺家(このあたり)に住んだといいます。絵をよくし、生け花、煎茶にも優れたといいます。明治29(1896)年12月建立。富岡鉄斎の撰並びに書。
Img_4309c 堀切川排水機場の前に石碑と道標があります。石碑は、鼓ヶ浦海水浴Img_4313c 場のところにも同じものがありましたが、「鼓ヶ浦」と刻まれています。道標には、「右 いせみち ひたり ○みち(○は、小生には判読不明でした)」とあります。ここは、逢来橋の北のたもと。伊勢街道を行くには橋を渡って右折します。左は今日のハイキングコース。鼓ヶ浦海岸に出るはず。
Img_4327c 逢来橋からしばらくは堀切川の右岸堤防を歩きます。川には、ヒドリガモ、カルガモ、ユリカモメの姿も見えましたが、持参したデジイチには18~55mmのレンズをつけており、野鳥撮影は断念。川に入って貝を捕っているらしい人もいました。
Img_4332c 鼓ヶ浦海岸に出ました。左の写真は南の方を見たもの。松林のすぐ左にImg_4339c は、津市の南部が見えます。その先は、松阪から伊勢の方です。右は正面(東)。こちらは知多半島が見えます。名古屋港などに入港する大型の船の姿もあります。
Img_4349c 無理矢理トリミングしたり、コンデジ画像を用いたりしていますので、きれDscn6375c いではありませんが、このあたりセグロカモメかと思われるカモメがたくさんいました。
 
Img_4361c 堤防道路を350mほど行くと、鼓ヶ浦海水浴場があります。大正9(1920)Img_4365c 年開設。白砂の浜に美しい松、遠浅の海。夏の海水浴シーズンにはたくさんの人でにぎわうそうです。昭和62(1987)年には、「日本松の緑を守る会」により、「白砂青松100選」に選定されました。今でも海水浴客は多いようです。この日は、近くの鼓ヶ浦中学校の生徒さんたちが何かの活動をしていました。
Img_4363c 更衣室から海岸に降りたところにあったのは、服部憺風(たんぷう)(慶応3(1867)~昭和39(196)年)の漢詩碑。憺風は、愛知県弥富の生まれで、漢詩や書で有名。昭和28(1953)年に日本芸術院賞を受賞。桑名付近に門下で漢詩に長ずる人が多く出たといいます。こちらに石碑に刻まれた漢詩の詳しい内容とその説明があります。鼓ヶ浦をたたえる詩でした。この写真の右下に「招仙松」という石柱が見えます。「招仙松」はここにある(あった?)松のようで、憺風が命名しています。
Img_4178c これは、その1に載せた、鼓ヶ浦駅前の観光案内板。「招仙松」も描かれImg_4357c ていました。しっかり意識していませんでしたので、現地でも確認しなかったのですが、たぶん右の写真に写っている、半ば切られた松がそうではないかという気がします(ネット検索では調べきれませんでした)。
Dscn6378c 海水浴場を出て、再び堀切川を鼓橋で渡り、鈴鹿市伝統産業会館へ向Dscn6385c かいます。橋の上から、アオサギや、マガモ、ヒドリガモ、コサギの姿が見え、ちょっとバードウォッチング気分(微笑)。
Img_4383c こちらが、鈴鹿市伝統産業会館。ここまでで約1時間、実際に歩いたのImg_4378c は、2.7kmほど。鈴鹿市の伝統工芸は鈴鹿墨と伊勢型紙で、ここにもこれらが展示されています。ギャラリーやショップもありますし、型紙教室なども開催されています。
Img_4381c 鈴鹿墨の発祥は、延暦年間(782~806年)ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。しかし、現在も墨を作り続けているのは進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1,000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。
 本日は、ここまで。このあと少し歩いて、また伊勢街道に戻ります。

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2018年3月19日 (月)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】

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 3月17日(土)に出かけた“近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道と2018317kintetsuhiking おひなさまめぐり」”の本編その1です。風はややあったものの、よく晴れて、絶好の行楽日和(微笑)。学校を卒業して最初の就職先が鈴鹿市内にあり、白子駅は出張でよく利用しましたが、今回のハイキングコースあたりは行ったことがありませんでした。コースマップでは、約6kmとなっていましたが、距離測βで見ると、実測8.9㎞。
20180317kintetsuhiking1 左は、実際に歩いたルートを、、距離測βで調べ、描いたもの。赤丸をつけImg_4175c た、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅が今回のスタート。桑名駅を9時2分の五十鈴川行き急行に乗り、白子駅で普通電車に乗り換えて、9時38分に到着。¥560。受付は9時半から始まっており、この時間さほど並んではいませんでした。「酒蔵みてある記」でないと、空いているのかも知れません(苦笑)。マップをもらって、9時42分スタート。
Img_4178c 鼓ヶ浦駅前にあった鼓ヶ浦海水浴場の案内板。一応写真に撮っておこうと思っただけでしたが、帰宅後よく考えたらもっとしっかり確認すべきでした。というのも、山口誓子の句碑を始め、文学碑が6つもあるのでした。とくに鼓ヶ浦海水浴場には5つもあるのでした(苦笑)。
Img_4185c 最初の立ち寄りスポットは、鼓ヶ浦駅から200mあまりの白子山観音寺。地Img_4193c 元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。
Img_4189c 上左の写真にある「仁王門」は、三重県指定文化財(昭和47(1972)年にImg_4199c 指定)。仁王門は、元禄16(1703)年に建立されたもので、正面両脇に鎌倉様式の金剛力士が配されています。江戸時代の楼門の典型とされる、堂々とした構えです。高さは12.37m、桁行は7.42m、本瓦葺の立派なものです。
Img_4226c こちらが本堂。中央に写っているのは、マスコットキャラクImg_4212c ターでしょうか。中に入ると、「子安」と大書された大きな提灯が頭上に下がっています。
Img_4214c 正面の上には、「白子山 観音寺大聖院 ご本尊 白衣観音」などと描かImg_4210c れた額が掲げられていました。また、お祈りするときの注意事項というか、唱えるべきことばも示されています。ちなみに「おん しべてい しべてい はんだら ばしに そわか」と三遍乃至七遍唱えるようにとありました。ご真言というのだそうです。
Img_4207c 境内の中央にあるのが、三重県指定有形文化財の「銅燈籠」。です。寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作です。辻越後は、藤堂高虎の頃、近江から津の釜屋町に来た鋳物師。高田本山専修寺には、その三代目である辻越後守陳種が作った銅燈籠がありますし(2018年1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺)、初代・家種の作になる梵鐘が津観音にあるそうです(こちら)。
Img_4233c 境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されていま
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す(大正12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。この不断桜の葉の虫食い跡をみて伊勢型紙を思いついたというエピソードも残っています。
Img_4243c 不断桜の周囲には、いくつか石柱、石碑、説明板があります。左の写真の石柱は、不断桜が天然記念物に指定された記念として建てられたもので、「天然記念物白子不断桜 内務省」と刻まれています。大正12(1923)年4月1日に建設。正面に向かって左側には、「史跡名勝天然記念物保存法ニ依リ 大正十二年三月十日 内務大臣指定」とありました。
Img_4205c こちらは、智慧の塔。三重塔で、広く人々の苦難を救われる観音様の功徳を求め、ご縁の深い皆様の御安泰と子孫繁栄を祈念し、併せて寺門興隆の悲願を込めて建立したといいます。塔内には、金剛界大日如来(真言密教の教主)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ、普通には普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左脇に侍し、智慧を司る菩薩として信仰されている)、普賢菩薩(ふげんぼさつ、仏陀の実践的理性を司る菩薩で、文殊菩薩と並んで釈迦仏の二脇侍として知られる)の三尊が祀られています。建築様式は、鎌倉時代様式を取り入れたものだそうです。
Img_4275c 本堂の前には、こういう立派な幟が立てられていました。山門を入ったとImg_4190c ころに右のような看板がありました。ここに出てくる「大幟」がこれかという気がします。浅沼一道(あさぬま いちどう)は、書家。こちらに紹介がありました。
Img_4228c これもよく見てくればよかったと反省しています(反省だけならサルでもできるといわれそうですが……)。「永代常夜燈」です。こちらを見ると、対になっているということでしたが、片方しか気づきませんでした。裏側には「尾州 名古屋 木綿問屋」と刻まれていました。「天保三年壬辰冬」とあります(天保3年は1832年)。この頃は、白子の木綿問屋が衰退し、名古屋の問屋が勢力を増してきた頃だそうです。ちなみにもう一つの永代常夜燈には、「白子 川合氏」とあるといいます。白子の川合氏は、積荷問屋・河合氏(江島在住)。
Img_4227c 境内には、山口誓子の句碑が2つあります。その一つには、「虹の環を以て地上のものかこむ」とあります。昭和46(1971)年10月建立。子安観音寺は、誓子が白子居住時に時折訪れ親しんだ地だそうです(こちら)。ちなみに、山口誓子(明治34(1901)年~平成6(1994)年)は京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和15(1940)年に病気療養のため四日市市富田に転居。昭和22(1947)年からは鈴鹿市白子で5年間過ごし、体調も順調に回復したといいます。鈴鹿市には、誓子が詠んだ11の句碑が建てられているそうです。
Img_4278c もう一つがこちら。「寺の古び月夜のけふのごときはなし」とあります。三重の句碑のサイトにも、当然ながら載っていました(こちら)。昭和57(1982)年6月の建立。
Img_4221c 子安観音寺には他にも句碑がいくつかあります。まず、こちらは、「花の香のたえぬ恵みの御堂かな」という坪田(五老井)梥雄(まつお:「梥」は「松」の古い字といいます)の句が刻まれています(こちら)。梥雄は森川許六(江戸前・中期の俳人。彦根藩士)を祖とする五老井八世(明治40(1907)年、五老井八世を嗣号)で正風俳諧継承者の一人。万延元(1860)年滋賀県に生まれ、無々庵とも号して全国各地で俳句に遊び、全国の有名な地に句碑36基を建設し、その一つがこれだそうです。梥雄の句碑は県下では二見浦にあるものとで2基現存するそうです。この句碑は、大正2(1913)春建立。
 以下は、追記です(3/19)。昨日の時点(3/18)で調べがついていなかったものです。まずは、不断桜のところにあった石碑。
Img_4238c 「不断櫻」と刻まれています。右から文字が刻まれていますし、いかにも古びていますから、相当前のもの。「不断櫻」とある下には、漢文が刻まれています。気楽に、写真があればわかると思ったのが間違いの元。ネットで検索したところ、こちらにありました(喜)。何事もきちんと調べる方がいらっしゃるものです。桑名藩士であった山田松齋(文化6(1809)年~明治29(1896)年)によるものだそうです。松齋は奥州白川に生まれ、父に従い桑名へ来ています。文武両道を極めた人で、後に津藩に仕えています。文末に「仝戌辰春相議建之」とあります。「」は「同」の古字とされます。直前に「慶應丙寅……」とありますから、ここでの「仝」は「慶應」と考えられます。したがって、「慶應戌辰」(慶応4(1868)年、ただし、この年に明治に改元されています)にこの石碑が建てられたということです。内容は、上記のリンク先(こちら)をご覧ください。
Img_4240c もう一つはこちらの句碑。上の写真の石碑と並んで不断桜の前にありました。これまた写真に撮っておけば大丈夫と高を括ったのでした(苦笑)。これも、上の石碑と同じサイトに説明があり、助けられました。「養老舎梥琳句碑」で、「波音を鼓に寺の桜かな」と刻まれているようです。この句碑は、五老井門人が大正8(1919)年5月に建立したもの。「五老井門人」は、芭蕉の門人である五老井許六(きょりく)を一世とする俳諧の系統。五老井許六は、宝井其角の手引きで芭蕉に入門しています。六芸に通じているという意味で許六と号し、芭蕉に画報を伝授したといいます。以上2つの石碑&句碑の説明は、天明元年大宝転社絵馬というサイトによります。
Img_4249c これで子安観音寺の最後。境内の南側、塀際に立っています。「寄附者姓名」と読めます。その下には、寄付をしたと思われる方々のお名前が多数刻まれています。裏側は未確認。
 以上、昨日のその1の記事の加筆修正で、今日(3/19)は終わってしまいました。まだ先は長いので、お時間がおありでしたら、気長にお付き合いを願います。次は、寄り道した比佐豆知神社から。
 かなり加筆修正しましたので、投稿の日付を3月19日に変更しました。ご了解下さい。

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2018年3月13日 (火)

九華公園でウグイスの初鳴き

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 天気予報通り、14時前には17℃。散歩で少したくさん歩いたら、汗を掻きました。今日は8時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、シティホール、寺町といつものところを、少し違った道を通って歩いたら、7.1km。ちょっと歩きすぎ(苦笑)。
Img_3576c 暖かい日が続き、NTNシティホール前の薄墨桜、つぼみも昨日以上に膨らImg_8085c み、今にも咲き出しそうな感じでした。右は、桑名別院・本統寺にある梅。梅も色々と種類がありますが、小生にはそれは判別できません。しかし、ちょっと変わった感じの梅です。これも満開。
 今日のトピックスは、九華公園でウグイスの初鳴きを聞いたことです。今まで「地鳴き」は何度か聞いていましたし、ツツジの植え込みの中を移動するところを見たりはしていましたが、あの「ホーホケキョ」は、今日が今シーズン初。ただし、遠いところでしたので、小さくしか音が入っていません。耳を澄ませていただくか、音量を上げていただくか、お願いします。
Img_3483c さて、順番に行きましょう。住吉神社前の揖斐川では、カンムリカイツブリ。羽も、夏モードに変わりつつあるようです。真冬の頃は、川のあちこちに10羽近くが浮いていましたが、この頃は1羽を見るか、見ないかくらい。揖斐川には、他に中洲近くにヒドリガモの群れが24羽。七里の渡し跡には、コガモ5羽と、ヒドリガモ8羽。
Img_3495c 三の丸水門の上空には、「揚げ雲雀」。今日は、このほかにも1羽のヒバリがいました。このあたりに巣があるとすれば、散歩コースですから観察もしやすく、楽しみになります。
Img_3497c 九華公園に入り、土俵の先まで来たところで2羽のカワラヒワがいましImg_8044c た。ちょっとわかりにくいのですが、どちらも枯れた草の茎のようなものを咥えています。巣の材料を集めているようです。
Img_8069c ゴイサギ、今日は2羽。クスノキと、北側とに1羽ずつ。ほぼいつもの定位Img_3503c 置。
Img_3508c 暖かい日続きで、このところカメの姿もよく見ます。あの「甲羅干しスロープ」にも、今日は、4匹。このまわりにも数匹が泳いでいましたし、石垣にとりついているカメも見られました。ミドリガメがほとんどですが、イシガメかと思うものもまれに見ます。
Img_3524c 今日も、「尾曲エナガ」を狙っていったのですが、そうそううまくはいきません。このエナガは二の丸跡で見ました。尾が乱れていますが、曲がっているような、今ひとつハッキリしないような……。
Img_8054c その他には、ツグミと、ジョウビタキのオス。これらは、朝日丸跡で見たもImg_8059c の。このほかにも、ビンズイがいたように見えたのですが、知人と話をしていて、しっかりとは確認していません。
Img_8072c カモは合計46羽。ヒドリガモのオスが1羽、ハシビロガモのオス2羽、メス1Img_3565c 羽の他は、キンクロハジロ。そして、今日は、実に久しぶりにユリカモメが3羽やって来ていました。まだお見限りではなかったと、少し安心(微笑)。
Img_8074c ところで、昨日は、NTNシティホールにある「鑄造報国」の石碑を載せましたが、もう一つ、ブロンズ像もあります。シティホールが耐震改修される前には、もう少し建物に近いところにありました。昭和42(1967)年3月に桑名ロータリークラブが寄贈したというプレートが、正面に向かって左側に取り付けられています。
Img_8078c 像の左下には、「今日わ」と刻まれたプレートがついています。これがテImg_8081c ーマなのでしょう。サインと落款らしきものもあるのですが、小生には判読不能(苦笑)。シティホールの東側に建っています。

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2018年3月10日 (土)

エナガはすでに卵を抱いているのか?……桑名市博物館で「刀剣日和-村正とその仲間たち」を見る

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 風はやや冷たいものの、日差しは春のものです。散歩に出る頃は風が強かったため、遠征(町屋川あたり)や、イベント(国指定重要文化財「末広橋梁」と港の線路跡を巡る見学会)に出かけるのは止めたのですが、次第に風も収まりましたので、ちょっと惜しいことをしたかも知れません。8時半からいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、博物館、寺町と6.3㎞を回って来ました。
Img_3224c まずは、エナガ。先週くらいから巣材を集め、運んで、巣作りをしているような様子が見られていました。今日であったエナガは、ご覧のように、尾が曲がっていました。これは、メスで、巣に就いていることを示してます。エナガの巣は、丸くまとめた袋状のものです。こうした巣に就いているため、尾が曲がってしまうのです。ということは、すでに卵があるのでしょう。抱卵期間は12~14日といいますから、うまくいくとそのうち雛が見られるかも知れません。
Img_3195c この時期おなじみの「ウメジロウ」。九華公園では、管理事務所の南にある白梅の木にペアでよくやって来ています。鎮国守国神社にはたくさんの梅がありますが、公園の方はこの一本しかありません。
Img_3203c このウメジロウを追いかけていたら、そのうち松の木に移動しました。見てImg_3239c いると、枝が出ている、又になった部分や、葉っぱの根元などに嘴を突っ込んでいます。松の木にもメジロが食べるものがあるということなのでしょうか? 引き続きよく見てみることにしましょう。
Img_3137c さて散歩ルートには、ほぼいつものメンバーが揃っていました。ツグミは、Img_3140c 旅館・山月の裏の堤防にて。ヒドリガモは、住吉水門の内側に1ペア、七rの渡し跡に4ペア。今日は、ヒバリは鳴き声も聞かれませんでした。
Img_3142c ゴイサギは、鎮国守国神社の社務所の裏に合計3羽。やはり思わぬところに隠れていますので、今日も危うく見逃すところでした。よくいるところだけでなく、いろいろなところをしっかりチェックする必要があります。
Img_3188c 今日のカウントボード。カモは合計48羽。ハシビロガモのオス1羽と、ヒドImg_3146c リガモ3ペアの他は、すべてキンクロハジロ。9時頃はまだ「保温体制」で休憩していますが、10時近くになると活発に動き始めます。ホシハジロは来なくなりましたし、ハシビロガモもオス2羽、メス2羽はいなくなりました。ユリカモメの姿は、このところ見ていません。
Img_3156c 奥平屋敷跡では、ジョウビタキのメス。外周の遊歩道から飛んできたのに気づいたものの、いったんは見失いました。が、花菖蒲園のところに再び登場。まるで「写真を撮って」といわんばかり(微笑)。
Img_3167c 奥平屋敷跡でも見たシロハラ。この写真は、二の丸跡にて。近くにいても平気なときと、割と警戒心が強いときとがあるような気がします(個体差かも知れません)。このシロハラには、ずいぶん警戒されました。
Img_3171c シメはやはり、本丸跡にいました。大木の陰、それも日が当たらないとこImg_7800c ろにいることが多く、なかなか写真には撮りにくいものがあります。右の写真、パソコンで見て分かったのですが、何かの実の皮だけをはき出しているところのようでした。
Img_3251c ハクセキレイ。九華橋のところですぐ目の前で撮れました。20mmズームでほとんどトリミングなしです。いやぁ、他の鳥たちもこれくらい近くで撮らせてもらえないものかと思います。
Img_3275c 貝塚公園へ移動。ツグミ3羽、カワラヒワ2羽などの他、シロハラ2羽。やImg_3278c はり今年、貝塚公園は冬の鳥はかなり少ない気がします。一時期見かけたウグイスもこの頃はサッパリ。
Img_7831c 帰り道、まだ早かったので、桑名市博物館に寄って来ました。3月25日(日)まで春季企画展「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 が開かれているのです。午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、入館は無料。休館日は、月曜日と、3月22日(木)。
20180208112055 今回の展覧会では、博物館が所蔵するものを中心に、「村正」を含む刀剣やなぎなたなどが展示されています。しかも今回の企画は、女性の学芸員の方によるものだそうで、「刀剣の魅力を女性目線で発信」することも狙いだそうです。「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 というテーマも、オッサンでは思いつかないでしょう(微笑)。11時過ぎに行ったのですが、失礼ながら、桑名市博物館としては賑わっていました。女性の姿も多く、「刀剣女子」ということばも実感しました。単眼鏡で刃紋を詳しく見ていらっしゃる方もあり、感心して帰って来た次第。
 主な出品作品は、次の通りでした:
  • 桑名市指定文化財 《短刀 銘 村正》 (立坂神社蔵)
  • 《短刀 銘 村正》 (個人蔵)
  • 三重県指定文化財 《四弁花繋文錦包糸巻太刀拵》 (桑名宗社蔵)
  • 《長刀 銘 宝寿》 (桑名市博物館蔵)
  • 《備前介藤原宗次/文久二年八月日》 (個人蔵)
 出品目録は、ここにpdfファイルのものがあります。桑名総社蔵の「四弁花繋文錦包糸巻太刀拵」は初出展。見る価値あります。
Img_7826c 原則撮影禁止なのですが、毎回一点だけは撮影できるものがあります。今回は、こちら。照明の当て方にもよるのでしょうが妖しい魅力があります。見入ってしまいました。
 なお、桑名市博物館では、この秋(10~11月)に「村正展(Ⅱ)」を企画しているそうです。2年前に開催された“特別企画展「村正 」-伊勢桑名の刀工-”の続編です。このときは、桑名市博物館始まって以来の大人気展でした。小生も見に行っています(2016年9月27日:妖刀「村正」を見る……桑名市博物館にて)。期待しましょう。
Img_7817c 明日は、天気もよく暖かくなって散歩日和のようですが、午前中、名古屋で開催される特別支援教育支援員養成講座でお話をしてきます。それ故、残念ながら散歩はできません。会場は、名古屋市の市政資料館近くですから、少しぶらぶらできるかも知れません。

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