文化・芸術

2017年7月20日 (木)

クルマの点検の1日……先日訪れた大智院のお話も

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 写真は、夕景。18時半の南西の空です。この方角には、いつも散歩に行く九華公園や、春日神社、さらには国道23号線の揖斐長良大橋から、ナガシマスパーランドが見えます。
 さて、今日は予定通り、愛車・コペンの定期点検。9時に入庫し、とくに何もなければ、1時間くらいで終わるということでしたが、バッテリー、プラグ、エンジンオイル、エアフィルターなどの交換が必要でした。ダイハツから取り寄せなければならない部品もあって、時間がかかるということで、状況を確認してから、代車(三菱のekワゴン)を借りて帰宅し、夕方5時頃に取りに行きました。いつもは乗らない車を運転するのは、おもしろいのですが、コペンとは対極にあるような車で、ちょっと戸惑いました。コペンは、スポーツタイプであるのに対して、ekワゴンはたぶんごくフツーの軽自動車。加速は今ひとつで、足回りは柔らかくフワフワする感じ、それにブレーキはかなり踏み込まないと効かない印象でした。悪口を言っているのではありませんので、誤解なきよう願います。
Dscn1218_640x480 整備完了の連絡待ちという次第で散歩に行っておりません。代わりに、7月16日の鳥見の帰りに行ってきた大智院(桑名市長島町西外面)を紹介しておきます。ここは、元禄2(1689)年松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝に行ったのですが、その最初に立ち寄ったところです。実は、地元のタウン誌「ぽろん(2017年6月号)」に「巻頭特集 大智院に残る直筆の色紙 曽良の旅日記から見る芭蕉と長島」という記事があり、一度訪れようと思ったのです。
Dscn1217_640x480 国道1号線、伊勢大橋東詰交差点から堤防道路を北に800mあまり行ったとDscn1216_640x480 ころにあります。芭蕉は挨拶句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」をしたためたといいます。その直筆の色紙「真蹟懐紙」が残されています。芭蕉が来訪した100年後に長島藩主・増山正賢(雪斎)公は、近習などを集めて詩文をつくったり、記念の石碑を建立しました。
Dscn1219_520x640 「蕉翁信宿処」の石碑です。正賢公が大智院訪問百年を記念して、寛政元(1789)年に、 自筆によって建立した碑です。時の藩主が自ら筆をとり顕彰碑を建立したのは珍しいでしょう。歴史、文学的に評価が高いものだそうです。 三重県内に現存する芭蕉碑(約120基)中11番目に古く大切に保管されてきたそうです。
Dscn1223_480x640 山門の脇にある碑。リサーチ不足のまま訪ね、また、不勉強にして、文字がほとんど読めないのですが、曽良碑です(こちらにあります)。右の方には、「伊勢乃国 長島……曽良」とあるようです。調べてみましたら、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」という句が刻まれているということです。元禄2年8月の「おくのほそ道」本文に、山中温泉滞在中の出来事として、「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立ちて行に、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」曾良 と書置たり(後略)」とあるそうです。この「ゆかり」が大智院で、第四世住職法印良就が曽良の叔父です。
 ちなみに、調べないまま訪れましたので、大失態を犯してしまいました。境内にあるという芭蕉の句碑をチェックし忘れたのです(爆)。 上述のように、芭蕉はここで「うき我を さひしからせよ 秋の寺」という句を詠んでいます。この句に「伊勢国長島大智院に信宿ス」という前書きがつけられた句碑があるのに見逃したのです(「信宿」は、二泊という意味)。元の句碑は、伊勢湾台風でながされてしまい、後に再建されたそうです。この芭蕉の句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」は、後に『嵯峨日記』で推敲されて、「憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥」とかえられています。
 「うき我を さひしからせよ 秋の寺」の句を芭蕉直自身が書いた色紙「真蹟懐紙」、2014年に桑名市博物館で開催された「桑名、文学ト云フ事。」という展覧会に出ていましたので、見たはずですがあまり記憶にありません(苦笑)。門外不出で、この展覧会が初めての一般公開だったそうです(図録は持っていますが、小さい写真でした)。写真は、こちら(桑名市の観光ガイドのサイト)にも載っています。
 大智院訪問は、ちょっと準備不足でしたし、これではいかにも中途半端ですから、もう一度行かねばなりません。
 オマケ。桑名市にある松尾芭蕉の句碑は、以下の通りです:
  • 冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす(北寺町本統寺)
  • 明ぼのや白魚しろき事一寸(小貝須浜の地蔵跡)
  • 闇の夜や巣をまとはして鳴くちとり(小貝須浜の地蔵跡)
  • 雪薄し白魚しろき事一寸 白うをに身を驚ろくな若翁(松尾芭蕉・谷木因)(小貝須浜の地蔵跡)
  • 今日斗り人も年よれ初時雨(東鍋屋町本願寺旧東海道脇)
  • 宮人よ我が名を散らせ落ち葉川(多度町多度大社)
 上から4つの句碑は、現地を訪れて自分の目で確かめていますが、多度大社のものは未見です。機会があれば行ってこようと思います。これら芭蕉の句も含め、桑名市内にある
句碑のリストは、こちらにあります(俳句の国三重というサイト。三重県が運営)。
 桑名で芭蕉が詠んだ俳句は、この他に次の1つがよく知られています:
  • 蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
 さあ、明日はきちんと散歩に行きたいと思っています。

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2017年7月 8日 (土)

春日神社の算額と、「くわな史跡めぐり」の正誤表ゲットの話

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 九州地方では、大雨が続き、亡くなられた方や行方の分からない方もいらっしゃるというのに、こちらでは晴れで暑い日が続きます。被害を被っていらっしゃる方々にはお見舞い申し上げます。桑名は33.8℃。ノウゼンカズラの鮮やかなオレンジ色が、今日の暑さに似合う気がします。
Img_3133_640x427 暑さを強調する写真ばかりではいけませんので、多少は日陰や涼しさをイImg_3091_640x427 メージできる写真を(微笑)。左は、今北町のお宅にあったもの。鬼灯でしょうか。右は、九華公園の外周遊歩道東にあるお宅。毎年、ゴーヤを作っていらっしゃいます。実も付き始めていました。
Rimg0010_640x480 少しでも暑くなる前に散歩をと思って、8時20分頃出かけ、11時過ぎに帰ってきました。九華公園には8時40分頃着いたのですが、朝稽古、すでに終わったようでした。明日から名古屋場所。たぶん8時頃には終わると思います。今日も、何人かの見物の方がいらしたのですが、残念そうでした。散歩は、いつも通り住吉神社、九華公園から春日神社、石取会館、京町、吉津屋町、寺町、田町とあちこち歩き回り、5.7㎞。お茶のペットボトル500mlを1本を飲んでしまい、スポーツドリンクを買い、これも半分ほど飲みました。
Rimg0013_640x480 春日神社に立ち寄ったのは、春日神社のブログに「算額(さんがく)奉納いRimg0017_640x480 ただきました」という記事が載っていましたので、見に行ったという次第。算額は神社や仏閣に奉納した数学の絵馬のことです。この算額を奉納されたのは、四日市市在住の寺尾憲二さんだそうです。手水場の東側に掲げられていました。
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 こちらがその算額。江戸時代中期、寛文年間の頃から始まった風習といわれ、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、益々勉学に励むことを祈願して奉納されたと考えられています。人の集まる神社仏閣を発表の場とし、難問や問題だけを書いて解答を付けないで奉納するものもあったそうで、その問題を見て解答を算額にしてまた奉納する といったことも行われたといいます。
Img_3112_473x640 もう少し大きい写真で、2つに分けて載せておきます。といいつつ、小生、Img_3113_456x640 学生時代は、数学と物理、化学が大の苦手でして、算額に書かれた内容については、何かいえるほどの能力はありません(苦笑)。江戸時代の桑名藩は算学が盛んで、藩内には数学局が設けられ、藩士、町民は高度な知識を共有していたそうです。藩内には『大日本数学史』を著した偉大な和算家遠藤利貞のほか、宮崎善之、小川師房、庭山政勝などの数学者がいたといいます。この算額には、桑名に関係する問題が記されています。数式、図形のところを除いた文章を次に引用しておきます。
奉納
 江戸時代、旅人が七里の渡しに無事着けば、ここから伊勢路の東海道七次が始まります。七里の渡しには、「伊勢国一の鳥居」が立っており、東海道から伊勢街道へと続く伊勢参宮街道の起点でもあります。七里の渡しの傍らには六華苑があり、7×6=42番目の東海道宿場町が桑名(九華)で、桑名城跡が九華公園となっています。
 江戸時代の桑名藩は桑名市史によれば算額が盛んで、桑名藩士不破梅仙、『大日本数学史』を著した日本最後の偉大な和算家 遠藤利貞のほか、宮崎善之、小川師房、庭山政勝などの算学者の名が見られます。小川師房は天保9年に、春日神社に算額を奉納しています。一方藩内には数学局が設けられ、藩士、町人の教育に努めたとあります。
 今次、七に因んだ数学の問題を春日神社に奉納します。
 以下、3つの問題が掲げられています。
  1. 循環小数に関する分割和
  2. 正七角形調和
  3. 正七華形
 そして、奉納者名などは、次のようになっています:
平成29 年7月7日 七夕の日
元桑名藩領内 東海道枩寺在住 甲田遊

 数式、図形について詳しくお知りになりたい方がいらっしゃれば、撮ってきた写真を差し上げます。
Rimg0023_640x480  春日神社で算額を見て、お参りしてから、石取会館へ。先日来書いていRimg0021_640x480 ます、「くわな史跡めぐり」の正誤表が、入手できることを確認しましたので、もらいに行ったという次第です。ここは、石取祭を紹介している施設です。石取祭を紹介している施設です。大正14(1925)年に四日市銀行桑名支店として建築された鉄筋コンクリートの建物です。平成3(1991)年に桑名市に寄贈され、平成4(1992)年に石取祭を紹介する施設として開館しました。
Rimg0019_480x640_2 会館内には、石取祭の祭車が展示されている他、祭の歴史や行事を紹介するパネル、壁面映像、お囃子体験コーナーがあります。係員の方も常駐しています。この展示されている祭車は、永年諸戸家が所有、保存していたものです。漆仕上げで、江戸時代末期の作。当時の技術の粋を集めたものです。彫刻は、幕末期の桑名彫刻の一端を担った野々垣兵助により施された総牡丹彫りといいます。平成元年12月に寄贈を受け、漆塗装、天幕等の補修を行い、当時のままに修復されています。
Kuwanashisekimeguri_640x498 話がそれました。石取会館では、無事に、正誤表をゲット。この間の博物館の対応は何だったのでしょう。石取会館の方はとても親切で、この方の責任ではないのに、「大変ご迷惑をおかけしました」とおっしゃっていました。左は、正誤表の一部。正誤表は、A4サイズで4ページ。150項目もありました。地図の訂正もありますので、シールも付いています。この正誤表、あまり文句をいってはいけませんが、ページ数の他は、訂正箇所の位置が「左上」とか、「右中ルビ」とかしか書かれていません。行数を示しておいてもらうと、訂正するのが楽だったのですがねぇ(苦笑)。熟読しながら、訂正しなければなりません。
Img_3093_527x640 午後からは、共同研究のデータを検討した結果が送られてきましたので、その確認。久しぶりに統計について、アタマを使っておりました。用いられていた検定方法、ちょっとアヤシいところがありましたので調べて、詳しくコメントを書いていました。こういう方面のアタマ、使わないとさびてきます(苦笑)。こうして、ときどきアタマを使う仕事を頂くのはありがたいことです。明日にでも、コメント内容を確認して送ることにします。

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2017年7月 4日 (火)

峯崎部屋に新弟子君か?……くわな史跡めぐりの正誤表、ゲットできず(`へ´)フンッ。

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 16時半頃に撮影しました。16時台、24.5mmというかなりの雨が降り、Dscn1111_640x480 南側のベランダからは、九華公園さえ雨に霞んでいるくらいでした。これを書いている18時前後は、雨はほとんど降っていませんが、これから台風が近づいてくるようですから、しばらくは警戒しなくてはなりません。
Img_2417_640x427 午前中はまだ雨は大丈夫だろうと、9時から2時間ほど、いつものコースを散歩して来ました。田町から九華公園、京町、吉津屋町、寺町と4.1㎞ほど。湿度がかなり高く、歩き始めてすぐに汗が出てきました。
Img_2413_640x453 田町の商店にあるツバメの巣。昨日の夕方と同様、親が巣に就いていましImg_2557_640x480 た。この巣は、かなり深いので、「頭隠して尻隠さず」のような状態になっていました。卵はあると思います。右は、吉津屋町のお宅にある巣。しばらくツバメの姿を見ませんでしたが、今日は、親ツバメがいました。こちらは、卵があるのかどうか、確信が持てません。
Img_2424_640x467 田町から九華公園への途中に、多聞橋があります。この橋は、七里の渡し跡から歴史を語る公園につながる堀にかかっています。北側を見ると、ハシブトガラスが2羽。向かって右のカラスが、魚か、干物のようなものを食べています。左のカラスは、それに向かって何度も鳴いていました。「俺にも頂戴」とでもいっているような感じでしすが、右のカラス、相手にしていません。
Img_2486_640x427 さて、九華公園の土俵。今日も峯崎部屋の朝稽古が行われていました。荒鷲関の姿はありませんでしたが、名古屋場所も近づいているためか、気合いの入った稽古が続いていました。ふと見ると、この間まで見なかった、まるで中学生かと思えるような、若者が廻しを着けて、ダンベルをしたりしていました。左の写真、中央の奥をご覧ください。
Img_2452_509x640 昨日のニュースで、名古屋場所を前に新弟子検査が行われたといっていImg_2500_640x427 ました。ひょっとしたら、この若者、新弟子君かも知れません。丸刈り頭ですから、中学生かと思ってしまいました。腕には筋肉がついていますが、身体は相撲取りとしては、まだまだ。周りのお相撲さんと比べると、貧弱に見えてしまいます。右の写真のように足の屈伸運動は、こなしていたのですが……。
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 さすがに、股割りはしんどそうでした。後ろに先輩力士がついて指導してImg_2522_640x447 いたのですが、なかなか。それでも、そのうち右の写真のようになったのですが、股割りというよりも、開脚して土俵に座っているという感じ。身体が硬いのかも知れません。前にいる先輩力士と比べてはいけませんが、これからまだかなりトレーニングが必要なようです。今後の健闘を祈ります。
Img_2484_640x427 今日は、こんなシーンも撮るには撮れたのですが、ピントが甘く、また、迫力も今ひとつでした。今シーズンのうちに、もっとよい写真が撮れるでしょうか? 
Img_2553_640x427 散歩からいったん帰って、シャワーを浴びて、再び出かけてきました。ホームセンタと博物館へ。博物館へ行ったのは、去年入手した「くわな史跡めぐり」という、桑名市が観光したガイドブックの正誤表を入手しようと思ったからです。この本、去年10月に出てすぐに間違いが100ヵ所以上あると話題になったのです(朝日新聞デジタルの記事はこちら)。市のサイトには、昨年11月28日付で「対応が決まったらお知らせします」とあっただけ(こちら)。今月になってやっと、「広報くわな7月号」に正誤表を配布するという記事が出たのです。その記事には、博物館でも正誤表を配布するとあったので、出かけて尋ねたのですが、「こちらには届いていません。市役所2階の商工観光文化課へ尋ねてください」というつれない返事。
Sisekimeguri_640x639 広報には、左の写真のように出ていたのに、何という対応でしょう。博物館の職員の方、「広報くわな」を読んでいないのでしょうね、きっと。やる気がないと思わざるを得ません。広報に載せるなら、きちんとしてくれないと。ちょっと腹に据えかねています(`へ´)フンッ。 

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2017年5月 8日 (月)

公民館デビューを果たす(微笑)……「俄歴史案内人」にもなりました(苦笑)【付記あります(5/9)】

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 ゴールデンウィークも終わり、新緑の季節です。9階の玄関先からの眺めも、ご覧のように緑濃いものです。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という句が思い出されます(たいていは、「目に青葉」とされますが、正確な引用は、この通りだそうです)。江戸中期の俳人・山口素堂(1642~1716)の作。
Dscn9139_800x600 昨日、思わせぶりな書き方をしていましたが、実は、本日、「公民館デビュー」を果たしました(微笑)。4月の市の広報に載っていた「平成29年度 くわな市民大学の受講生募集」に応募し、抽選で当たったのです。「ゼミナール 郷土史学科」という講座、今回のテーマは、「桑名の歴史発掘~くわなの重要事件を探る~」というものです。講師は、市博物館元館長の大塚由良美先生。今日から、12月にかけて、全7回の講座です。午前中2時間。
 今日は、開講式に続き、「桑名が正式な歴史書に最初に書かれたのは」というお話でした。壬申の乱のとき、大海人皇子(後の天武天皇)が、桑名でお泊まりになったということが、日本書紀巻第28に書かれています。これが最初ということです。
是の日に、天皇、桑名郡家に宿りたまふ。即ち停りて進さず。<このひに、てんのう、くわなこおりのみやけにやどりたまふ。すなわちとどまりていでまさず>
 お話は、もちろんこれだけではありません。導入として、国家が国家として成立し、発展していく上では「道の整備」が必須であるというところから説き起こされました。ローマ帝国、中国の秦や漢、ペルシャ帝国の例を踏まえ、日本での道の整備の大まかな歴史を見て、上記の話に収斂していったのです。
 常日頃、自分の授業を受けている学生の皆さんには、「復習してね」といっていますので、小生もこれからノートを見直し、自分でまとめ直してみようと思っています。
Dscn9163_800x600 わが家から中央公民館まではほぼ1㎞。市民大学の講座には歩いて行ったのですが、もう少し歩こうと思い、午後から、九華公園まで往復してきました。結局、2回合わせて6.5㎞。ツツジは、盛りを過ぎつつあります。写真のような遠景はまだ鑑賞に堪えますが、近寄ると、すでに傷み始めた花も目立ちます。
Img_3209_800x573 散歩する方はあるのですが、ゴールデンウィークまでの賑わいがウソのImg_3213_800x534 ように、静かでした。ツツジの中には、左の写真のような花を咲かせているものものありました。右のような、白い花にピンクの模様が入っているものはよく見かけるのですが、左のような花は珍しいです。
Dscn9172_800x600 ツツジの盛りは過ぎつつありますが、花菖蒲は、写真のようにかなり成長してきて、青々としています。今月後半になると咲き始めるものと思います。
Img_3183_800x534 時期的にも、時間帯的にも鳥はいません。スズメ、ムクドリ、ドバト、カワウ、カルガモくらい。ツツジの花には、チョウもあまり来ないのですが、朝日丸跡では、アゲハチョウが蜜を吸っていました。ナガサキアゲハのオスと思われます。
Img_3238_800x572 帰り道、田町交差点でツバメの鳴き声が聞こえてきました。とある商店のImg_3247_800x534 前からです。信号を渡って見に行くと、巣がありました。たまに通るところなのですが、これまで気づいていませんでした。散歩コースで5つめのツバメの巣を発見です。確認すべきヶ所が増えました(微笑)。
Dscn9136_800x573 余談です。九華公園を出たところで、女性から呼び止められました。「石取祭ってどんなお祭りですか? やかましいと聞いたのですが、どういう風なのですか?」などなど。石取祭や、諸戸家に関係する庭園、お屋敷、さらには、水郷花火大会についても聞かれました。「俄歴史案内人」になって、知っていることをお話ししました。小生などが説明したとなると、本物の歴史案内人の方にお叱りを受けそうです(苦笑)。この方、石取祭は、「石を投げ合う祭で、それがやかましいのは、どうして?」と思っていらっしゃったそうです。諸戸家の庭園も、先日公開のあった徳成邸と、六華苑はご覧になったようですが、諸戸氏庭園についてはご存じありませんでした。
 ということで、今日は歴史に始まり、歴史に終わった1日でした。
【付記(5/9)】 壬申の乱は、672年天智天皇没後、皇位継承をめぐって天智の子大友皇子と実弟大海人皇子との間に起こった約1か月に及ぶ大乱です。吉野に隠棲していた大海人皇子が地方豪族の支持を得て大友皇子を破り、翌673年に即位して天武天皇となりました。

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2017年4月29日 (土)

「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで

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 昨日の中日新聞北勢版に「豪商諸戸邸 見納め」という記事が載り、諸戸徳成邸が、今夏にも解体される見通しで、今日・明日と「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」によって、特別見学会が開かれるということでした。これはもう行くしかありません(微笑)。小生も、過去2回、見に行っています(2013/11/30、諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました;2015/5/17、諸戸徳成邸特別公開)。
Img_1384_800x533 9時半過ぎに現地到着。10時からでしたので、徳成邸の目の前にある「諸戸Img_1385_800x478水道貯水池遺構」を見て、時間つぶし。高齢の女性お三方と徳成邸や、諸戸氏庭園、六華苑についておしゃべり。この頃、初対面の方とも、平気でおしゃべりするスキルを身につけました(微笑)。
Img_1561_800x533_2 予定より10分ほど早く、9時50分頃から受け付け開始。この時点で、40人あまりの人たちが待っていました。今回は、防空壕と北蔵が初公開ということでした。しかし、まずは、主屋へ。というのも、一度に入れる人数に制限があったからです(写真は、11時頃のもの。この時点で、主屋から大門まで行列!)。
Img_1399_800x503 主屋1階の広間。大正末から昭和初期にかけて建てられたものですが、すImg_1403_800x549 でにセントラルヒーティングが設備されています。そのため、屋敷の北側にはボイラー室もあります。
Img_1414_650x800 お屋敷の主、二代目諸戸清六氏の肖像画。二代目清六氏は、明治21(1888)年、初代の四男(清吾)として誕生。早稲田中学に進学するものの、18歳のとき初代が亡くなられ、桑名に呼び戻されます。初代の4人の息子のうち、長男と三男は早世していたため、二男精太氏と四男清吾氏が諸戸家を継いでいます。精太氏は太一丸の屋敷(現在の諸戸氏庭園)を継ぎ、諸戸宗家と称し、また、清吾氏は、初代清六の名を襲名し、諸戸本家と称したそうです。二代目清六氏は、諸戸宗家の東隣に新居を建てています(現在の六華苑、大正2年竣工)。二代目清六氏は、戦前までは本邸(現・六華苑)と徳成邸とを行き来し、生活したのですが、太平洋戦争で本邸が空襲の被害を受けたことを期に徳成邸に定住したといいます。
Img_1417_800x533 左は、主屋1階にある「夫人室」。右は、大蔵。主屋からは北西の方向にImg_1427_800x533 あります。
Img_1429_800x522 調理室の西の部屋には、大きな食器棚。中には、まだ食器類がたくさんImg_1432_544x800 入ったままです。この部屋には、右の写真のような、「奉祈念秋葉三尺坊守護所」というお札が貼られていました。「秋葉」さんの関係のようですから、火防(ひよけ)・火伏せのお札だろうと思います。
Img_1436_800x527 同じ部屋には、こんな「防火週間」のポスターも残っていました。どうもこういうものがあると、気になってしまうのです(苦笑)。
Img_1445_800x555 主屋2階は、残念ながら室内は撮影禁止でした。左は、2階からお庭の一Img_1451_800x599 部を見下ろした写真。ガラスは、昔のものがそのまま使われているようで、端っこなど、歪みがあり、懐かしい気がしました。右は、東の方を眺めたのですが、今は、木々やマンションのため、遠くまでは見えませんが、かつては木曽三川を望めたと思います。
Img_1493_800x533 防空壕へ。配置図で見ますと、主屋と大蔵の間あたりに、防空壕への入Img_1463_533x800 り口があるようです。狭いところを通り、階段を下っていきます。
Img_1481_533x800 左は、防空壕を少し入ったところ。突き当たって右へ曲がっており、ちょうどImg_1483_507x800 L字型の通路のようになっています。すれ違いがやっとできるくらいの幅。曲がっていった先は、少し進むと、出入り口になっていました。配置図を見ると、大蔵の北西側に出るようです。
Img_1484_521x800 右上の写真の出入り口から外を覗いてみました。土壁というのか、土塁Img_1486_800x533 といった方がよいのか、そういう感じになっていました。右はこの出入り口から戻るときに撮った写真。左上の写真とつながります。防空壕というものに入ったのは、初めてでした。
Img_1518_520x800 つづいて、茶室、茶庭を通って、北蔵へ。敷地のもっともImg_1540_533x800_2 北側にあります。左右の写真は、外観。コンクリート造りのようですが、確かに蔵でした。
Img_1523_800x533 下司な話で恐縮ですが、「お宝満載」かと思ったのですが、空っぽでしたImg_1530_533x800 (微笑)。外観からも分かるとおり、内部は2階建て。収納棚がぎっしり。「山林王」といわれ、とてつもなくお金持ちだったと思うのですが、我々庶民の想像を絶するくらいなのでしょう。
Img_1529_800x533 棚の各所には、それぞれ何を収納していたか、きちんとImg_1537_800x533 ラベルが貼られていたのが、印象的でした。整理整頓のお手本のようです。そういう中、とある棚には、はたきががそのまま置かれていたのが、何だか印象的でした。
Img_1539_800x533 北蔵の出入り口を内側から見たところ。厳重な外扉に、格子戸(といってよいのか、分かりませんが)で、テレビなどでよく見る、まさに蔵の作り。
Img_1559_533x800_2 茶室の南、諸戸家の墓所へ通ずる通路の脇に井戸があります。この井Img_1558_800x533 戸は、諸戸水道にも関わりの深いものだそうです。徳成邸は、愛宕山として親しまれた段丘を利用して建てられています。この丘の水源を利用して、諸戸水道がつくられています。水をくみ上げるポンプの先には、神社にあるよう手水石のようなものが置かれています。これには、諸戸家の家紋である「違い鷹羽」が刻まれています。ここにいらっしゃった、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方に、その由来などを伺ってきました。諸戸家は、古い家系で、織田信長が伊勢攻めた長島一向一揆のときに寺侍として参戦したといいます(そのときは、丹羽という姓だったそうです)。形勢不利なときに、長島城もしくは願証寺のとを外し、それを盾に戦に参加し、活躍したのだそうです。その活躍に対して、「諸戸」という名字と、「違い鷹羽」の紋を与えられたということでした(記憶に基づいて書いています。誤りがありましたら、是非ともご教示ください)。鷹の羽紋は、勇猛な様子から尚武的な意味で用いたといいます。
Img_1590_800x533 最後にお庭から、仏間、洋室へ。左の写真で向かって右が仏間、左が洋Img_1580_800x533 室。洋室の入り口近くには、本棚が置かれたままになっていました。他人様の本棚にどんな本が並んでいるか、興味があります。小説の他、日光に咲く花、慶應義塾百年史、野の佛など多様でした。
Img_1576_800x533 こちらは仏間。ただし、内部は撮影禁止でした。仏間の屋根を見ると、鬼Img_1592_800x583 瓦には、やはり「違い鷹羽」の紋が入っていました。諸戸氏庭園では、カタカナで「モロト」と入っています。
Img_1587_533x800_2 洋室の裏側にも回ることができました。「土塁」があり、「調査前なので、触らないように」という掲示が出ていました。敷地面積は、7,638.46平方メートルだそうです。敷地の西側は、ちょっとした丘になっていて、木々が生い茂っています。
Img_1621_800x533 これで一通り見学してきました。11時半近くです。帰ろうと大門に向かったら、主屋からすごい人数の人が並んでいました。午前中は、10~12時の見学ということでしたが、時間内にはとうてい収まらないような気がします。
Img_1626_533x800 大門の前の通りに面して、少し北側には通用門があります。通用門のとImg_1627_800x550 ころには、フジの木があり、花が咲いて、少し香りがしていました。中でお話しした歴史案内人の女性は、この前を通って桑名高校に通ったとおっしゃっていました。
Img_1630_800x533 通用門のさらに北(桑高側)には、墓所門があります。現在は使われておらず、西側の門から墓所に出入りされるようです。
Img_1638_800x533 徳成邸の西側。この道は通ったことはあるものの、ここが「諸戸徳成邸」Img_1640_800x533 であるとしっかり意識して歩いてはいませんでした。せっかくの機会だから見ておこうと、回って来ました。建物や墓所の西側にあたり、小高くなったところに樹木が生い茂っています。少し歩いて行くと、ここにも墓所に通じる門がありました。諸戸家の子孫の方々が墓参されるときは、こちらをお使いだそうです。
Img_1623_533x800_2 「諸戸徳成邸」の保存については、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方を初めとして、多くの方が運動してくださったのですが、結局、桑名市は昨年、市長が取得断念を発表しています。そのため、新聞記事によれば、現在の所有者の方は、諸戸家に関わりのある建築会社に売却を決め、この夏にも解体される見通しになったといいます。母屋や茶室は解体するものの、北側の庭園や蔵など1,300平方メートルは残す意向だそうです。桑名市も、「本物力こそ、桑名力。」というブランドキャッチフレーズを打ち出しています。それならば本物中の本物であるこの「諸戸徳成邸」の保存をしない手はないと、私は思うのですがねえ。
Motoyotokunari_800x600 配置図と、航空写真は、今日の見学会でいただいたパンフレットからおTokunariphoto_744x523 借りし、掲載しました。以前の記事もお読みください(2013/11/30、諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました;2015/5/17、諸戸徳成邸特別公開)。

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2017年4月 2日 (日)

堀巡りの舟から逃げるオオバン、ユリカモメとゴイサギ飛来、ツバメも……九華公園でライブも楽しむ

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 懲りもせず、飽きもせず、淡々と本日も散歩です。それも、例によって住吉Img_5946_800x533 神社から九華公園、5.1㎞。今日は暖かく、天気も良いので午前中から九華公園は賑わっていましたし、堀巡りの舟に乗る人もけっこういらっしゃいました。枝垂れ桜はかなり見られるようになってきていますが、ソメイヨシノはまだまだ。しかし、もうブルーシートを敷いて、花見を楽しむグループもいくつか。
Img_5913_800x534 公園到着は9時頃。まだ人出も少なく、野鳥も出てきていました。ただし、カImg_5917_800x580 モは、今日もゼロ。まずは、管理事務所の南で、ヒヨドリ。丸いパンのようなものをどこかから咥えてきて食べていました。向かって右のヒヨドリさんが独り占め。地面に降りてくるのは、珍しいことです。
Img_5925_800x558_2 奥平屋敷跡への入り口で、まずはシメさん。写真は1羽分しかありませんが、見ていると2羽が行動を共にしているようにも見えました。写真のシメさん、木の実を咥えていますが、空中浮揚しているのは、パソコンで見て初めて気がつきました。
Img_5938_800x600 同じあたりでエナガも2羽が出てきていました。しかし、いつものように動き回りますので、きちんとした写真には撮れず仕舞い。
Img_5953_800x557 朝日丸跡では、アオジが1羽。東の端のツツジの根元にいました。移動するのを追いかけたのですが、結局逃げられ、このかなり後、公園の外周遊歩道の東でも見付けました。しかしまたもや逃げられ、結局こんな写真1枚。
Img_6031_800x533 公園の南、立教小学校の体育館近くにオオバンが2羽来ていました。しかImg_6032_800x533 し、このオオバン、堀巡りの舟が近づいてくるのに驚いて、飛んだり、水を蹴ったりして逃げ回るハメに。この2枚の写真は、そのうち1羽が、水上をかけ逃げるシーン。もう1羽が、飛ぶところも目撃はしたのですが、写真はピンぼけばかりで残念。
Img_6064_800x579 公園の外廻りを一周して、管理事務所近くに戻ったところで、今日もユリカモメ登場。15羽ほどが飛来したのです。去年は、4月には姿を見なくなっていましたが、今年は違うようです。
Img_6082_800x523 帰りがけ、ゴイサギが1羽、九華公園の上空を旋回していました。2周ほどしたところで見失いましたが、降りてきた様子はありません。あの、鎮国守国神社の社務所裏にいたゴイサギなのでしょうか?
Dscn7037_800x600 ところで、奥平屋敷跡にはステージがあります。昔は、ここでいろいろと行事もあったようですが、最近は使われていません。数日前から、ステージや、その前にあるベンチを掃除する若い男性がいらっしゃり、伺ったところ、今日(4/2)、11時からライブをするということで、30分ほど楽しんできました。オリジナル曲の他にカバー曲なども歌っておられました。近くにお住まいのようで、昨年もライブをなさったそうです。聴衆は、小生を含め5名でしたが、よく通る声でなかなかのものでした。
Dscn7069_800x565 オマケ。帰宅後、川口町の川市に食事に出かけたのですが、店の前のDscn7074_800x600 電線でツバメが2羽、羽を休めていました。つば桃、もうあちこちを飛んでいるのを見るようになりました。今年もまた、あちこちのツバメの巣を確認して回らないと(笑)。

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2017年3月14日 (火)

林性寺の涅槃図を再び見に行く

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 本日は、久しぶりに家内の実家へ行ってきました。朝9時出発、夜は21時頃Dscn6002_600x800 帰宅。国道1号、23号経由で片道1時間半あまりという行程。病院や、接骨院、買い物などをしてきたのですが、他にもう一つ目的がありました。去年の3月15日にも行ったのですが(2016年3月15日、林性寺へ涅槃図を見に行く【涅槃図の写真(猫も写っています)へのリンクを追加(3/17)】)、林性寺というお寺でお釈迦様の涅槃図のご開帳があり、それも拝観したいということです。
Dscn5990_800x600 林性寺は、かつてこの地を治めていた榊原氏の菩提寺として、天正Dscn5996_800x600 16(1588)年に開基されました。天台真盛宗のお寺で、大龍山という寺号です。
Dscn5988_800x600 許可を頂いて、写真を撮らせてもらってきました。左が涅槃図の全体像でDscn5970_800x600す。この涅槃図は、室町時代のもの。津市指定文化財で、絹本着色の掛軸になっています。画面巾は、2.50m、立2.59m、総軸巾2.82m、立3.79mという立派なもの。涅槃像は、お釈迦様入滅の様子を描いた絵で、そのお慈悲を受けて救われた生き物(人類だけでなく、鳥・獣・魚な ど全て)が、ご臨終に会おうと駆けつけ、悲しむ姿が描かれてい ます。 しかし、唯一、猫だけは仏縁がなく、間に合わなかったために、描かれていないのが通例だそうです。しかし、林性寺の涅槃図には、日本に三幅だけ猫が描かれている珍しい涅槃図の一つがあります。
Dscn5969_800x600 猫は、この左の写真の中央に、青色と白色とで描かれています。猫が描かれているのは、お釈迦様の頭の下あたりです。今回もじっくりと拝見してきました。
Dscn5976_800x600_2 涅槃図の右下あたりには、集まってきた獣たちが描かれています。反対Dscn5979_800x600 側の左下には、鳥たちが主に描かれていました。ご存じのように、鳥にはひとかたならぬ興味があります。
Dscn5980_800x600 せっかく写真を撮ってきましたので、少し詳しく見ていきましょう。もっともDscn5981_800x600 左側の部分(左の写真)。中心から右のあたりに描かれているのは、クジャクのようです。右の写真は、もう少し右に描かれたもの。中央にいるのは、キジのオスかと思います。
Dscn5982_800x600 さらに右のあたりを撮ったものが、左の写真。ツルは分かりますが、写真に写っている鳥のほとんどはよく分かりません(苦笑)。思わぬところで勉強不足が露呈され、困ったものです。
 遠方からいらした方もおありのようでした。「明日は、(鈴鹿の)神戸にある龍光寺の寝釈迦を、明後日は京都へ別のものを拝観に行くとおっしゃっていました。

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2017年3月13日 (月)

ウグイスの鳴き声を聞く

Img_5085_800x574  今朝、散歩に出るとき、拙宅マンションにある小公園からウグイスが鳴いているのが聞こえてきました。同じマンションの方に伺ったところ、昨日から鳴いているということでした。まだお世辞にも上手ではなく、「ホー、ケキョ」という感じでした。貝塚公園にはいつもウグイスがいますので、早速確認に行ったら、ウグイスらしき鳥、いました。この鳥、ウグイスの地鳴き(ヂッ、ヂッ、ヂッというような鳴き声)と同じ鳴き方をしていましたので、ウグイスで間違いないと思います。ただし、茂みの中を移動していて、写真は撮れませんでした(冒頭の写真は、2013年1月2日に大山田川で撮影したもの)。こちらでウグイスの鳴き声、地鳴きが聞けます。

Img_2846_800x552 3月30日から4月2日まで、今年初めての企画で、「灯街道・桑名宿」というイImg_2854_588x800 ベントが開かれます。散歩帰りに寺町交差点を渡っていたら、係の方が提灯や、幟を立てておられました。提灯のデザインは、中央の円から外に向かって蛤を配置し、石取祭の祭車の車輪と花を表す紋、「車輪花蛤」というものだそうです。1張¥6,500で販売されています。売っているものには、提灯の下に桑名鋳物の特製鈴がついています。このイベント、せっかくなら旧・東海道筋で開催すればよいと思うのですが、九華公園周辺で行われます。
Img_2836_800x604 さて、散歩はいつも通り(笑)。8時40分から11時半過ぎにかけて、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町から寺町と、6.3㎞。九華公園内をかなりウロウロしましたので、6㎞を越えました。写真は、外堀あたりのお宅にいたジョウビタキのメス。格子戸越しに撮りました。
Img_2618_800x598 揖斐川には、今日もカンムリカイツブリの姿があちこちに見られます。ほとImg_2619_800x560 んどが夏羽に換わってきています。褐色っぽくなるのですが、右の写真をご覧になるとその特徴がよく分かると思います。ライオンのたてがみのようなものが見えます。
Img_2634_800x626 蟠龍櫓脇の揖斐川堤防では、ホオジロが4羽。ペア2組だったように思いImg_2640_800x518 ます。左の写真がメス、右がオス。ホオジロと良いながら、頬は真っ白ではありません(微笑)。
Img_2778_800x609 鎮国守国神社社務所裏のゴイサギ、今日は何度確認してもこの1羽だけ。昨日、ゴイサギ2羽とホシゴイ1羽が飛んで行ったところをみていますが、戻ってきていないのか? とちょっと気になります。
Img_2692_647x800 カモは、合計45羽。少なめです。ただ、ハシビロガモのオスが2羽いましImg_2657_800x534 た。二の丸堀の前でカウントしていたら、どこから飛んで来たのです。メスはすでにいましたが、ハシビロさんたちはときどき他へ出かけるのかも知れません。ユリカモメは、最多で28羽。堀にいたり、野球場のフェンスにいたりです。オオバンも、このところ毎日、九華公園の堀に来ています。今日は2羽。カモやユリカモメのいるところにもやって来ますが、今日は、ユリカモメに攻撃されていました。
Img_2671_800x566 エナガは今日も、奥平屋敷跡や、二の丸跡でみられました。相変わらずよく動き回りますので、写真に撮りにくいこと(苦笑)。
Img_2749_800x573 先日も目撃したのですが、エナガ、地面に降りることがあります。これはImg_2744_800x595 二の丸跡で撮ったもの。地面に落ちている羽毛を咥えて行きます。巣の材料にするのかと思うのですが、最終的には確認できません。二の丸跡にある松の大木に入っていき、見えなくなるからです。
Img_2664_800x616 九華公園ではこれらの他、シロハラ(左の写真)や、シメ(右の写真)なImg_2755_800x591 ど。シロハラは、奥平屋敷跡にて、シメは朝日丸跡にて。いずれもちょっと距離のあるところでした。
Img_2829_800x531 貝塚公園では、シロハラ(左の写真)の他に、シジュウカラ、コゲラ、カワラヒワ、ツグミなど。シジュウカラは賑やかにさえずっていました。餌を咥えて移動していましたので、求愛のためかも知れません。

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2017年3月 1日 (水)

パラミタミュージアム(三重県菰野町)で「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永堂版と丸清版」展を見る

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 午前中は晴れ、午後からは曇ってきて、15時頃から雨が落ちてきました。今Dscn5499_800x600 日は、曇ってこない内にと、こちらへ外出。といっても、これだけでお分かりになる方は少ないでしょう(微笑)。左の山は、御在所岳。わが家からも見えますが、すぐ近くまで行きました。右は、近鉄湯の山線の大羽根園駅前。
Dscn5508_800x578 実は、三重県菰野町にあるパラミタミュージアムで、「歌川広重 二つの東Dscn5506_800x600 海道五拾三次 保永堂版と丸清版」という展覧会を観に行ったのです。
Dscn5486_800x600 わが家辺りの方であればクルマで行く方が多いと思いますが、小生は、近Dscn5487_800x586 鉄電車で。桑名駅発8時57分の準急で四日市まで(準急とはいえ、富吉からこちらは各停)。三重県に住んで30数年になりますが、近鉄湯の山線にはまだ乗ったことがなかったのと、昨年末、近鉄あみま倶楽部に入り、乗車券、特急券の割引がきくのです(右の乗車券をよくご覧いただくと、「あみま割」と表示があります)。乗車券は2割引(ただし、特急停車駅でないとこの割引は扱ってもらえません。帰りはICカード利用)。
Dscn5491_800x600 近鉄四日市で湯の山線に乗り換え。9時31分発。初めての経験で、ドキドキDscn5494_800x600 (笑)。いわゆる「鉄ちゃん」ではありませんが、電車や鉄道、駅その他には興味はあります。電車には、湯の山温泉開湯1300年ということで、それを記念するヘッドマークがついていました。パラミタミュージアムの最寄り駅が、大羽根園で、ここには9時53分着。
Dscn5496_800x600 左は大羽根園駅のホーム。目の前に鈴鹿の山並みが見えます。わが家かDscn5501_800x599 らも見えますが、菰野町はその麓の町ですから、すぐ間際という感じ。駅前のコンビニの背後に御在所岳というロケーション。コンビニの向こう、左手の高い山が御在所岳です。
Dscn5544_800x599 大羽根園駅です。記憶では、昔からこんな風だったように思います。駅員Dscn5550_800x600 さんはいません。自販機も、切符売り場もありません。ホームは単式で、入り口近くに、右の写真のように、ICカードをタッチする機械2台と、乗車票発券機があります。典型的なローカル駅という感じ。
Hiroshige1_568x800 前置きが長くなりすぎました。「歌川広重 二つの東海道五拾三次 保永Hiroshige2_568x800 堂版と丸清版」展は、¥1,000。歌川広重(1797~1858)は、 天保3年(1832) 、 京都御所へ御料馬を献上する「八朔御馬進献」の行事を記録する命を幕府から受け、江戸から京都へ上り、このときのスケッチをもとに「東海道五拾三次之 内」を出版しています(はじめ保永堂と遷鶴堂から共同出版、 のちに保永堂からの単独出版)。天保5年(1834)、53ヶ所の宿場に日本橋と京都を加えた大判錦絵全55図を完 結したといいます。これが好評を博したことで、名所絵師としての地位を築いた広重は、20種以上もの東海道シリーズを残しています。画題が隷書体で書かれていることから「隷書版東海道」ともいわれる「丸清版の東海道五拾三次」もその一つで、嘉永2年(1849)、丸屋清次郎の寿 鶴堂から出版されました。今回の展覧会では、「保永堂版」と「丸清版」の2種類が同時に展示されて、比較できるようになっています。さらに、大正時代に撮影された宿場町の写真、平成に入ってからの写真も併せて見られるという企画になっています。
 五拾三次の浮世絵、各地の有名なものや、地元三重県を描いたものは、これまでにも本などで見ましたし、実物も一部は博物館などで見たことがありました。しかし、実物が一度にこれだけ見られるという機会はなかなかありません。しっかり堪能してきました。「保永堂版」と「丸清版」の比較はもちろん興味深いものがありますし、大正、平成に撮影された写真とも見比べられるというのは、おもしろい企画です。
Dscn5563_800x695 こちら、図録に載ったものを撮影しました。地元、桑名です。上が、保永堂版」で、「七里渡口」というタイトル。接岸しようという船の背後には、桑名城が描かれていますが、この時代、すでに天守閣は焼失して、ありません。蟠龍櫓が描かれているとされます。下の「丸清版」では、渡しの道中、船上での旅人の様子が描かれ、背後には桑名城と思われる城が見えています。
Dscn5566_800x532 浮世絵は、現代では、一般に多色摺りの木版画錦絵を指します。絵師が描いた原画を彫り師が木版にし、その後、色を重ね刷りしていきます。今日の展覧会では、この「庄野 白雨」を例に、どのように色を重ねていくかも展示されており、これまた興味深く見てきました。記憶では、13回重ね刷りしてありました。
Dscn5514_800x631 広重を見終えて出てきたら、ちょうどこのからくり人形「納曾利(なそり)」Dscn5516_800x600 のデモンストレーションが始まるところでしたので、それも見てきました。制作者は、二代目萬屋仁兵衛<よろずやにへい>さん。舞の途中で人間から龍神へ早替わりするシーンもあります。
Dscn5523_800x609 仕掛けは、絹糸をより合わせた紐とセミクジラの鬚でできたバネが使われており、伝統技術そのものなのですが、人間が操作するのではなく、コンピューター制御で行われていました。舞台の下を覗いてみると、それがよく分かります。
Dscn5562_800x647 ということで、1時間半近く楽しんできました。帰りにミュージアムショップで、図録と「桑名 七里渡口」の表紙のメモ帳をお買い上げ(笑)。図録があると、どうも欲しくなるという悪いクセがあります(\1,700)。メモ帳も、どうしたものかと思ったのですが、\125でしたので、まぁいいかと。
Dscn5555_800x600 大羽根園駅11時35分発の電車で、近鉄四日市経由、帰途へ。帰りに桑名駅近くで用事を済ませ、1時頃帰宅。買ってきた図録を見直して、楽しもうと思っています。明日は雨のようですが、午後、特別支援教育支援員養成講座で講師を務めます。昼前に出かけ、先日と同じく、名古屋国際センターへ。

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2017年1月18日 (水)

博物館にて「昔がたり」展を見る

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 今朝の鈴鹿山脈の山並みです。といっても、マンションが並んでいる向こうImg_4440_800x565 の方に見えるだけですが(苦笑)。雪化粧しているのはお分かり頂けると思います。左の写真(一眼デジカメの55mmで撮ったもの)の中央に見えているのが、御在所岳。ここだけ250mmでズームし、トリミングすると、右のようになります。頂上附近には、雨量観測用の気象レーダーのドームが、また、写真中央よりやや左したには、御在所ロープウェイの鉄塔(白いもの)が見えています。
Poster 今日は、何となく風邪気味で、用心して散歩は止めておきました。代わりに図書館に借りていた本を返しに行き(図書館が休みであったのを失念していましたが)、そのあと、桑名市立博物館で開催中の新春企画展「昔がたり」 を見てきました。源氏物語の中の場面を描いたものや、中に記された和歌、源氏物語を書写したものなどを中心にとした、平安時代の雅が展示されています。桑名の画僧・帆山花之舎が描いた「源氏物語図屏風」や、松平定信公が写した源氏物語(書物)、加賀瑞山の萬古焼の香合など、新春にふさわしいものが展示されていて、ゆっくりと観て回ってきました。
Mukasigatari1_568x800 展示品は、合計63点。リストは、左右の画像の通りです。江川香竹さんの書Mukashigatari2_568x800 がたくさん出ていますが、桑名市の文化功労者の方です。このブログでも、以前、この博物館で展覧会を見た記事を書いています(2012年5月6日、桑名市博物館へ……市文化功労者・江川香竹・水谷桑丘展【花名の誤りを訂正、一部削除しました(5/7)】)。年配の方が、チラホラと来館しておられました。この展覧会、3月12日(日)まで、桑名市博物館(桑名市京町37-1)で開催されています。入場無料、原則として月曜休館です。
 余談ですが、桑名市博物館の来館者、案外地元の方が少ないという話をあちこちで聞きます。もったいないことです。私はここ何年か、すべての展覧会を見ています。よく知らない領域のものもありますが、何か新しいことが分かるかも知れないと思うのです。
Dscn4201_800x585 博物館のあとは、九華公園の管理事務所に立ち寄ってきました。昨日の「ユリカモメ・オン・アイス」の写真を届けるためです。「九華公園の野鳥たち」のアルバムに付け加えて頂けると思います。公園内は歩きませんでしたが、吉之丸堀辺りは、まだ氷が張っており、カルガモ以外のカモの姿は確認できませんでした。どこかに避難(?)しているのだろうと思います。
Dscn4218_800x600 今日は、鳥見を諦めていたのですが、帰ってきて、拙宅マンション内の公園にジョウビタキのメスがちょうどよいタイミングで出てきました。シロハラの鳴き声もしていたのですが(先日来、ここで目撃しています)、写真は撮れず。その他、借りている駐車場近くでは、メジロが2羽が2羽電線にいました。満足とはいきませんが、ちょっとだけフラストレーションは解消(微笑)。

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