文化・芸術

2017年9月17日 (日)

諸戸氏庭園、本邸の修復工事現場を覗く

Dscn3697_800x600  今日、散歩に行くとき、諸戸氏庭園の修復工事現場のシャッターが開いてDscn3694_800x600 いました。たぶん台風に備えてなのでしょうが、中が見えましたので、ちょっと覗いてきました。ロープが張られていましたので、それよりも内側には入っておりません(微笑)。

Dscn3700_800x600 本邸の前には、ブルーシートがかかったものがありますが、これは、本邸前を掘った土だったと思います。このシートがかかったところの向こう側を掘っていました。諸戸水道のパイプが埋まっていたと諸戸氏庭園のFacebookにあったように記憶しています。本邸は、1884年(明治17年)から数年の間に建てられ、1889年(明治22年)「諸戸店」開業時に、店舗として使用されたといいます。初代清六氏は、玄関外の脇に縁台を置いて、せんべい座布団に座っていらしたそうです。本邸は、重要文化財。
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 1枚前の写真のさらに左手奥、御殿や、玉突場に行く途中には、主奥脇にあった大門があります。こちらも国の重要文化財。薬医門形式というそうです。2本の本柱の背後だけに控え柱を立て、切妻屋根をかけてあります。
Dscn3701_800x600 本邸の正面玄関。玄関の上にあった門灯と表札は取り外されていImg_2668_800x533 ます。「桑名商工會議所會員」というプレートだけが残っています。このプレートの左上にある表札には、住所が書かれているのがかすかに見えました。
Dscn3704_800x600 本邸に向かって右にある洋室の部分。煉瓦塀が見えていますが、現在Dscn3743_800x600 、ここも解体しています。煉瓦塀の上には薄いコンクリートが被せてありました。それをはがし、さらに煉瓦を一つずつ取り外して、丁寧に掃除しています。修復の際、再利用するものと思います。
Img_3803_800x564 この煉瓦塀のところ、7月11に撮った写真では、左のようになっていましImg_1111_800x569 た。コンクリート塀とばかり思っていました。右は、9月5日の写真。煉瓦塀から一つずつ煉瓦を取り外して、本邸前でそれをきれいにしている作業をしています。気が遠くなるような作業と思います。
Dscn3711_800x592 この煉瓦塀、煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積んでありますので、イギリス積みのようです。諸戸氏庭園の煉瓦蔵も同じだったと記憶しています。
Dscn3710_600x800 洋館部分の東側、軒のあたりは、けっこう傷んでいます。本邸全体を解体修理すると聞いています。3~4年はかかるものと思います。今年の秋の公開は、まだ日程が出ていませんが、煉瓦蔵から出入りするようになると伺っています。工事現場見学会が9月30日にあるのですが、申し込みをすっかり失念していました(苦笑)。すでに予約一杯ということで、残念。
 諸戸氏庭園は、今年6月3日、見学しています。「諸戸氏庭園 春の一般公開へ【花菖蒲の名前、訂正あります(6/10)】」をご覧下さい。

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2017年9月 2日 (土)

「旅する浮世絵、くらしの版画」展と、「明治改修」着工130周年記念パネル展へ

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 良い天気です。風は割とさわやかで、散歩日和なのですが、歩いてはいません。昨日の散歩中、九華公園で段差を踏み外して、足首をひねってしまったのです。たぶん大事には至っていません。湿布を貼って一晩様子を見ましたが、痛みはほとんどなくなりましたので。
Dscn3191_800x600 しかし、終日在宅というのも気詰まりですので、クルマでちょっとだけ出かけてきました(微笑)。まずは、こちら、桑名市博物館。「この間行ったばかりじゃないのか?」とおっしゃるかも知れません。その通りです。8月25日にも行きました(散髪のあと博物館へ……ビードロ、切り子、徳利を見る)。
Dscn3189_619x800 実は、今日から、この「旅する浮世絵、くらしの版画」という展覧会が始まっ20170228153650 たのです(9月24日・日まで。入場無料です)。桑名市博物館が所蔵する、歌川広重≪五十三次名所図会≫(右の写真。博物館のサイトから借りました)など、“旅”に関する浮世絵を中心に浮世絵・版画計91点が展示されています。広重は、初代から三代までの作品がそろっていますし、初代広重も、保永堂版五十三次だけでなく、「隷書東海道四十三 桑名」や「行書 東海道五十三次之内 桑名」なども出品されていて、比べて楽しめます。この他、「五十三次名所図会」や、「人物東海道五十三次」などもあります。
Ukiyoe1_623x800  浮世絵の他で、私が最も興味を持って見てきたのは、羽柴忠弘さんのUkiyoe2_775x800 「桑名百景」という版画。16点が並んでいます。石取祭のものもありますし、鎮国守国神社の金魚まつりを彫ったものも2点。金魚まつり、この頃はちょっと淋しくなっていますが、境内一杯に金魚の店が出ているものもあり、往時の賑わいを彷彿とさせます。この「桑名百景」は、是非とも全点を見てみたいと思っています。博物館で企画してくれないでしょうかねぇ? 写真はありません。市内の新光堂書店さんが、何点かを絵はがきにしたものを販売していたと思います。
Dscn3193_600x800 続いてもう1ヵ所。くわなメディアライブにある桑名市中央図書館へ。9月1Library_530x739 日の防災の日にちなんで、木曽三川を分離した「明治改修」の着工130周年を記念したパネル展が開かれています(9月26日まで)。先日(8/29;伊曽島神社の御利益か、アオサギに恵まれ、ウミネコまで登場した遠征……伊曽島神社南で、「明治改修着工之地」石碑も見る)、「明治改修着工之地」の石碑を見つけたこともあり、「これは見なくては」と思ったのです。治水の歴史、支流の締切や堤防建設の概要などがパネルにしてありました。右は、「図書館だより」から借りたものです。

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2017年8月31日 (木)

六華苑へ……六華苑新収蔵品展を見る

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 ずいぶん久しぶりに行ってきました。六華苑です。昨日書きましたが、今日Img_0590_563x800 まで「六華苑新収蔵品展」が行われていましたので、それを見に行ったというわけです。この展覧会は、六華苑が重要文化財に指定されて20周年となる記念で開催されたものです。新たに寄附を受けて収蔵予定の建設当時の調度品や、二代・諸戸清六氏の肖像画、愛用の茶碗などが展示されていました。残念ながら、展示品は撮影禁止。出品リストは、末尾に載せておきます。
Img_0954_800x533 左は、長屋門。入場券の販売窓口があります。その脇にImg_0566_800x533 は、イチョウの大木。これは遠くからでも見えますので、目印になると思います。
Img_0572_800x547 六華苑は、山林王と呼ばれた桑名の実業家二代目諸戸清六氏の邸宅として大正2年に竣工しています。洋館部分は、ジョサイア・コンドルが手がけた地方に唯一残る作品です。揖斐・長良川を望む約18,000平方メートルの敷地に洋館、和館などの建物、地泉回遊式の庭園があります。創建当時の姿をほぼそのままとどめているといわれます。洋館と和館は、平成9年に国の重要文化財に指定されています。庭園も平成13年に国の名勝になっています。今日は、かいつまんで紹介します。
Img_0576_800x533 長屋門をくぐり、左にカーブしていくと、塔屋が付属した洋館が見えてきます。全体的にはシンプルなデザインとなっていますが、4階建ての塔屋が目立ちます。設計段階では3階となっていたものを4階建てに変更したといいます。「揖斐川を見渡せるように」という清六氏の意向によります。揖斐長良川などがよく見えました。過去形で書いたのは、以前は4階まで上れた記憶があるのですが、最近は、3・4階は非公開です。
Img_0693_800x521 2階の南側にあるサンルーム。奥にはロッキングチェアも見えます。太陽が燦々と注ぎ込みますし、庭園が一望できます。そのためか、大変気持ちのよい空間となっています。
Img_0879_800x533 洋館の西に続く和館。この写真は、庭園の南側から撮ったもの。明治期の洋風建築には和館を併設する例が多くあったそうです。
Img_0723_800x531 洋館と和館の接続部分から、和館の方を見た写真。廊下が、畳廊下と、普通の板敷きの廊下と2つあります。板敷きの廊下は、使用人が通ったところで、畳敷きの方はお客や家族が使ったもの。小生? 本来であれば畳廊下などは使える身分ではありませんが、今日のところは勝手ながらそちらを歩かせてもらいました(微笑)。
Img_0769_800x533 苑内には、洋館、和館の他に内玄関棟、複数の蔵、稲荷社、番蔵棟などImg_0790_800x533 がありますが、こちらは、離れ屋。離れ屋は桑名市の有形文化財です。ここに限りませんが、部屋の中も開放的で、気持ちのよい空間です。私がいったときは、お客さんも少なく、しばらく座り込んで眺めを楽しんできました。最高気温は33℃を超える日でしたが、庭園や室内は風が通って、涼しくさえ感じられました。
Img_0900_800x533 建物の外観や、内部など見るべきところは多々あります。ディテールにもImg_0909_800x533 こだわりがあり、紹介したいところもたくさんあります。右は、洋館の基礎部分。換気口と思いますが、意匠は諸戸家の家紋である「違い鷹羽」になっていました。
Img_0939_800x533 洋館1階のホール部分を、北側の窓の外から撮った写真です。「鑑定団」Img_0716_533x800_2 に出てきそうなランプがあります。右手には2階に続く階段が一部見えています。この階段の手すり部分には、右のような意匠が凝らされています。その他、シャンデリアやランプ、和室の欄間などなど見どころは満載です。
Img_0808_800x533 ところで、5枚目の写真にある案内図をよくご覧いただくとお分かりになりますが、六華苑は溝渠を挟んで諸戸氏庭園と隣り合っています。六華苑の南端に行くと、左の写真のように、諸戸氏庭園が見えます。
Img_0848_800x533 これはほとんど余談でありますが、諸戸氏庭園が見えるあたりに行き、Img_0550_800x497 場所を選ぶと、左の写真にあるように、拙宅マンションが木々の合間に見えるのです。ちなみに、拙宅玄関前(9階)から見ると、右の写真のようになります。六華苑の洋館の塔屋部分が見えますし、左下にある大きな屋根は、諸戸氏庭園の御殿です。御殿は、3枚前の写真(諸戸氏庭園が見えるという写真)に写っている建物です。
Img_0926_800x523 という次第で、今日は、9時過ぎからほぼ2時間、六華苑を訪れてきました。午後は、仕事の続き。夕方は、仕事に倦んできましたので、住吉入江から田町、九華公園、住吉神社と小1時間散歩して来ました。明日からは9月。といってもほとんど生活に変わりはありませんが、気分を変えてやっていきたいところです。
Rokka1_583x800 Rokka2_583x800 こちらの2枚は、「六華苑新収蔵品展」の出品リスト。二代目・諸戸清六氏の肖像画や、六華苑で使っていた調度品、清六氏愛用の茶碗、清六氏が夫人のために作られた茶碗などがありましたが、個人的には、吉田初三郎が描いた「西桑名町鳥瞰図」(昭和9年頃)が最も興味を引きました。

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2017年8月30日 (水)

残暑続き……大規模修繕準備進む

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 厳しい残暑が続きます。今日、桑名では、最高気温は34.4℃。9月になるとDscn3086_800x600 涼しくなるという話も聞きましたが、そろそろ我慢も限界かも知れません(苦笑)。午前中、住吉神社から九華公園、京町、寺町といつものように4.2㎞を歩いてきましたが、鳥はムクドリくらいしかいませんでした。相変わらずの「修行」状態です。
Img_0509_800x528 揖斐川あたりも、中州にはアオサギの姿はなし。代わりに、河口堰下流の揖斐川と長良川をつなぐ水路のところに、ダイサギらしき姿が1羽、見えただけでした。散歩の方も少なく、知り合いにも出会いませんでした。
Dscn3091_587x800 さて、拙宅マンション、先日から2回目の大規模修繕が始まっています。まだそのDscn3100_800x600 準備段階として、建物の周囲に工事用の足場を組む作業が続いています。クレーン車がやって来て、足場の材料を運び、作業員の方が組み上げている最中です。マンションの南側、中央に消防用の空き地があり、そこにクレーン車が入っています。建物西側のわが家がある側の足場を先に組んでいます。昨日の記事にもありますが、わが家の目の前にそのクレーンのブームの先端が来ていて、何となく不思議な光景です。今日は、さらに高層階に作業が進むためクレーン車も昨日よりも大型が来ています。
Dscn3113_800x600 夕方、作業が終わった段階で、左右の写真のように、とうとうわが家のベラDscn3115_800x600 ンダのところまで足場ができあがってきています。ちょうど目の前に、足場の材料を置くための少し広いスペースまであります。ベランダ側の窓から覗くと、作業員の方と目が合いそうでしたので、カーテンを閉めて、おとなしくしています(苦笑)。足場が組み上がると、シートがかかるはずですから、眺めも、陽当たりも悪くなると思います。工事は、年末までかかる予定です。
Dscn3119_600x800 この写真は、今ひとつよく分からないかも知れませんが、組み上げられた足場を固定するため、外壁に穴を開け、そこに金属製の棒で足場を固定しているところのものです。中央、横に見えているのがその固定用の金具。これを取り付けるのに、ドリルで外壁に穴を開けます。今日は、わが家のところで作業が行われましたので、かなり大きな音が出て、響き、昼寝はできませんでしたし、読書や書き物をするのにも、集中できませんでした。
Img_0512_800x533 明日はいよいよ8月も最終日。明日まで六華苑で「新収蔵品展」が行われ、二代目諸戸清六氏の肖像画や、愛用の茶碗、家具類が見られます。グズグズ、ウロウロしているうちに最終日。何とか見逃さずに行ってきたと思っています。

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2017年8月25日 (金)

散髪のあと博物館へ……ビードロ、切り子、徳利を見る

Dscn2823_800x600  昨日(公式発表は、37.4℃でした)ほどではありませんが、今日も、アメダスのデータは36.3℃になっていました。朝9時頃には、すでに「熱中症警報」のメールが届くほど。それもありましたし、明日は名古屋で相談会。まだ準備が完了していませんでしたし、散髪にも行きたかったしということで、散歩はパスしました。朝一にいつものようにS理容院さんへ。

Dscn2809_800x600 その後、10時からは、こちら、桑名市博物館へ。明後日まで「ビードロと切Dscn2811_579x800 子、涼を競う」と「桑名の徳利コレクション」が開催されているのです。夏休みで、「学習支援展示」ということですから、子どもたち向けの企画なのでしょう。
Citymusium1_578x800 左は、ビードロ、切り子の出品リスト。館蔵のガラスの酒器Citymusium2_551x800 や江戸・薩摩の切子が展示されていました。「紫色ちろり」、「江戸ガラス 笄・簪」、「江戸切り子籠目小皿」など、江戸時代につくられたものもあります。切り子、良いですよね。盃を持っています。右は、徳利のリスト。酒などは、量り売りされていましたが、そのための容れ物。一升徳利が多かったそうですが、二升、三升とかもっとたくさん入るものもあります.実際、樽形徳利という樽の形を登記で作った大きなものもありました。地名、店名、屋号などが書かれ、なかなか楽しめます。久波奈名所図会にも出てくる「波切屋」の名が入った徳利も出ていました。
 帰宅後は、仕事に専念。夕方には、明日の準備も何とか終えられました。
Dscn2804_596x800 ネタがありませんのでということではないのですが、余談を2つ。朝、6時Dscn2807_800x600 過ぎに朝刊を取りに1階の集合郵便受けまで降りて行きます。しかし、今日は、5分以上待ってもエレベーターがやって来ません。故障していたようです。やむなく、9階から階段で往復。起きがけから大汗を掻きました。その後、いったんは動き始めたようでしたが、8時頃には5階で止まって、扉が開きっぱなしのようでした。9時頃になって業者さんが来て修理作業。散髪に行くときも修理中で、またもや階段を降りて1階へ。戻ってきたときには動いていて助かりましたが、今日は階段で1階まで一往復半。けっこうな運動であります(苦笑)。
Dscn2826_600x800 もう一つ。拙宅マンション、完成以来25年近くが経過し、今年は2回目の大規模修繕です。今日から、そのための足場を組む作業が始まりました。今日は、1~2階部分で作業が行われていました。よく考えてみたら、足場は当然下の方からくみ上げていきます。低層階のお宅では、それだけ長期間足場が組まれている影響を受けることになるんですね。
 明日は、上述のように名古屋にて相談会。夕方、散歩できるでしょうか。

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2017年7月20日 (木)

クルマの点検の1日……先日訪れた大智院のお話も

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 写真は、夕景。18時半の南西の空です。この方角には、いつも散歩に行く九華公園や、春日神社、さらには国道23号線の揖斐長良大橋から、ナガシマスパーランドが見えます。
 さて、今日は予定通り、愛車・コペンの定期点検。9時に入庫し、とくに何もなければ、1時間くらいで終わるということでしたが、バッテリー、プラグ、エンジンオイル、エアフィルターなどの交換が必要でした。ダイハツから取り寄せなければならない部品もあって、時間がかかるということで、状況を確認してから、代車(三菱のekワゴン)を借りて帰宅し、夕方5時頃に取りに行きました。いつもは乗らない車を運転するのは、おもしろいのですが、コペンとは対極にあるような車で、ちょっと戸惑いました。コペンは、スポーツタイプであるのに対して、ekワゴンはたぶんごくフツーの軽自動車。加速は今ひとつで、足回りは柔らかくフワフワする感じ、それにブレーキはかなり踏み込まないと効かない印象でした。悪口を言っているのではありませんので、誤解なきよう願います。
Dscn1218_640x480 整備完了の連絡待ちという次第で散歩に行っておりません。代わりに、7月16日の鳥見の帰りに行ってきた大智院(桑名市長島町西外面)を紹介しておきます。ここは、元禄2(1689)年松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝に行ったのですが、その最初に立ち寄ったところです。実は、地元のタウン誌「ぽろん(2017年6月号)」に「巻頭特集 大智院に残る直筆の色紙 曽良の旅日記から見る芭蕉と長島」という記事があり、一度訪れようと思ったのです。
Dscn1217_640x480 国道1号線、伊勢大橋東詰交差点から堤防道路を北に800mあまり行ったとDscn1216_640x480 ころにあります。芭蕉は挨拶句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」をしたためたといいます。その直筆の色紙「真蹟懐紙」が残されています。芭蕉が来訪した100年後に長島藩主・増山正賢(雪斎)公は、近習などを集めて詩文をつくったり、記念の石碑を建立しました。
Dscn1219_520x640 「蕉翁信宿処」の石碑です。正賢公が大智院訪問百年を記念して、寛政元(1789)年に、 自筆によって建立した碑です。時の藩主が自ら筆をとり顕彰碑を建立したのは珍しいでしょう。歴史、文学的に評価が高いものだそうです。 三重県内に現存する芭蕉碑(約120基)中11番目に古く大切に保管されてきたそうです。
Dscn1223_480x640 山門の脇にある碑。リサーチ不足のまま訪ね、また、不勉強にして、文字がほとんど読めないのですが、曽良碑です(こちらにあります)。右の方には、「伊勢乃国 長島……曽良」とあるようです。調べてみましたら、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」という句が刻まれているということです。元禄2年8月の「おくのほそ道」本文に、山中温泉滞在中の出来事として、「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立ちて行に、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」曾良 と書置たり(後略)」とあるそうです。この「ゆかり」が大智院で、第四世住職法印良就が曽良の叔父です。
 ちなみに、調べないまま訪れましたので、大失態を犯してしまいました。境内にあるという芭蕉の句碑をチェックし忘れたのです(爆)。 上述のように、芭蕉はここで「うき我を さひしからせよ 秋の寺」という句を詠んでいます。この句に「伊勢国長島大智院に信宿ス」という前書きがつけられた句碑があるのに見逃したのです(「信宿」は、二泊という意味)。元の句碑は、伊勢湾台風でながされてしまい、後に再建されたそうです。この芭蕉の句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」は、後に『嵯峨日記』で推敲されて、「憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥」とかえられています。
 「うき我を さひしからせよ 秋の寺」の句を芭蕉直自身が書いた色紙「真蹟懐紙」、2014年に桑名市博物館で開催された「桑名、文学ト云フ事。」という展覧会に出ていましたので、見たはずですがあまり記憶にありません(苦笑)。門外不出で、この展覧会が初めての一般公開だったそうです(図録は持っていますが、小さい写真でした)。写真は、こちら(桑名市の観光ガイドのサイト)にも載っています。
 大智院訪問は、ちょっと準備不足でしたし、これではいかにも中途半端ですから、もう一度行かねばなりません。
 オマケ。桑名市にある松尾芭蕉の句碑は、以下の通りです:
  • 冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす(北寺町本統寺)
  • 明ぼのや白魚しろき事一寸(小貝須浜の地蔵跡)
  • 闇の夜や巣をまとはして鳴くちとり(小貝須浜の地蔵跡)
  • 雪薄し白魚しろき事一寸 白うをに身を驚ろくな若翁(松尾芭蕉・谷木因)(小貝須浜の地蔵跡)
  • 今日斗り人も年よれ初時雨(東鍋屋町本願寺旧東海道脇)
  • 宮人よ我が名を散らせ落ち葉川(多度町多度大社)
 上から4つの句碑は、現地を訪れて自分の目で確かめていますが、多度大社のものは未見です。機会があれば行ってこようと思います。これら芭蕉の句も含め、桑名市内にある
句碑のリストは、こちらにあります(俳句の国三重というサイト。三重県が運営)。
 桑名で芭蕉が詠んだ俳句は、この他に次の1つがよく知られています:
  • 蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
 さあ、明日はきちんと散歩に行きたいと思っています。

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2017年7月 8日 (土)

春日神社の算額と、「くわな史跡めぐり」の正誤表ゲットの話

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 九州地方では、大雨が続き、亡くなられた方や行方の分からない方もいらっしゃるというのに、こちらでは晴れで暑い日が続きます。被害を被っていらっしゃる方々にはお見舞い申し上げます。桑名は33.8℃。ノウゼンカズラの鮮やかなオレンジ色が、今日の暑さに似合う気がします。
Img_3133_640x427 暑さを強調する写真ばかりではいけませんので、多少は日陰や涼しさをイImg_3091_640x427 メージできる写真を(微笑)。左は、今北町のお宅にあったもの。鬼灯でしょうか。右は、九華公園の外周遊歩道東にあるお宅。毎年、ゴーヤを作っていらっしゃいます。実も付き始めていました。
Rimg0010_640x480 少しでも暑くなる前に散歩をと思って、8時20分頃出かけ、11時過ぎに帰ってきました。九華公園には8時40分頃着いたのですが、朝稽古、すでに終わったようでした。明日から名古屋場所。たぶん8時頃には終わると思います。今日も、何人かの見物の方がいらしたのですが、残念そうでした。散歩は、いつも通り住吉神社、九華公園から春日神社、石取会館、京町、吉津屋町、寺町、田町とあちこち歩き回り、5.7㎞。お茶のペットボトル500mlを1本を飲んでしまい、スポーツドリンクを買い、これも半分ほど飲みました。
Rimg0013_640x480 春日神社に立ち寄ったのは、春日神社のブログに「算額(さんがく)奉納いRimg0017_640x480 ただきました」という記事が載っていましたので、見に行ったという次第。算額は神社や仏閣に奉納した数学の絵馬のことです。この算額を奉納されたのは、四日市市在住の寺尾憲二さんだそうです。手水場の東側に掲げられていました。
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 こちらがその算額。江戸時代中期、寛文年間の頃から始まった風習といわれ、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、益々勉学に励むことを祈願して奉納されたと考えられています。人の集まる神社仏閣を発表の場とし、難問や問題だけを書いて解答を付けないで奉納するものもあったそうで、その問題を見て解答を算額にしてまた奉納する といったことも行われたといいます。
Img_3112_473x640 もう少し大きい写真で、2つに分けて載せておきます。といいつつ、小生、Img_3113_456x640 学生時代は、数学と物理、化学が大の苦手でして、算額に書かれた内容については、何かいえるほどの能力はありません(苦笑)。江戸時代の桑名藩は算学が盛んで、藩内には数学局が設けられ、藩士、町民は高度な知識を共有していたそうです。藩内には『大日本数学史』を著した偉大な和算家遠藤利貞のほか、宮崎善之、小川師房、庭山政勝などの数学者がいたといいます。この算額には、桑名に関係する問題が記されています。数式、図形のところを除いた文章を次に引用しておきます。
奉納
 江戸時代、旅人が七里の渡しに無事着けば、ここから伊勢路の東海道七次が始まります。七里の渡しには、「伊勢国一の鳥居」が立っており、東海道から伊勢街道へと続く伊勢参宮街道の起点でもあります。七里の渡しの傍らには六華苑があり、7×6=42番目の東海道宿場町が桑名(九華)で、桑名城跡が九華公園となっています。
 江戸時代の桑名藩は桑名市史によれば算額が盛んで、桑名藩士不破梅仙、『大日本数学史』を著した日本最後の偉大な和算家 遠藤利貞のほか、宮崎善之、小川師房、庭山政勝などの算学者の名が見られます。小川師房は天保9年に、春日神社に算額を奉納しています。一方藩内には数学局が設けられ、藩士、町人の教育に努めたとあります。
 今次、七に因んだ数学の問題を春日神社に奉納します。
 以下、3つの問題が掲げられています。
  1. 循環小数に関する分割和
  2. 正七角形調和
  3. 正七華形
 そして、奉納者名などは、次のようになっています:
平成29 年7月7日 七夕の日
元桑名藩領内 東海道枩寺在住 甲田遊

 数式、図形について詳しくお知りになりたい方がいらっしゃれば、撮ってきた写真を差し上げます。
Rimg0023_640x480  春日神社で算額を見て、お参りしてから、石取会館へ。先日来書いていRimg0021_640x480 ます、「くわな史跡めぐり」の正誤表が、入手できることを確認しましたので、もらいに行ったという次第です。ここは、石取祭を紹介している施設です。石取祭を紹介している施設です。大正14(1925)年に四日市銀行桑名支店として建築された鉄筋コンクリートの建物です。平成3(1991)年に桑名市に寄贈され、平成4(1992)年に石取祭を紹介する施設として開館しました。
Rimg0019_480x640_2 会館内には、石取祭の祭車が展示されている他、祭の歴史や行事を紹介するパネル、壁面映像、お囃子体験コーナーがあります。係員の方も常駐しています。この展示されている祭車は、永年諸戸家が所有、保存していたものです。漆仕上げで、江戸時代末期の作。当時の技術の粋を集めたものです。彫刻は、幕末期の桑名彫刻の一端を担った野々垣兵助により施された総牡丹彫りといいます。平成元年12月に寄贈を受け、漆塗装、天幕等の補修を行い、当時のままに修復されています。
Kuwanashisekimeguri_640x498 話がそれました。石取会館では、無事に、正誤表をゲット。この間の博物館の対応は何だったのでしょう。石取会館の方はとても親切で、この方の責任ではないのに、「大変ご迷惑をおかけしました」とおっしゃっていました。左は、正誤表の一部。正誤表は、A4サイズで4ページ。150項目もありました。地図の訂正もありますので、シールも付いています。この正誤表、あまり文句をいってはいけませんが、ページ数の他は、訂正箇所の位置が「左上」とか、「右中ルビ」とかしか書かれていません。行数を示しておいてもらうと、訂正するのが楽だったのですがねぇ(苦笑)。熟読しながら、訂正しなければなりません。
Img_3093_527x640 午後からは、共同研究のデータを検討した結果が送られてきましたので、その確認。久しぶりに統計について、アタマを使っておりました。用いられていた検定方法、ちょっとアヤシいところがありましたので調べて、詳しくコメントを書いていました。こういう方面のアタマ、使わないとさびてきます(苦笑)。こうして、ときどきアタマを使う仕事を頂くのはありがたいことです。明日にでも、コメント内容を確認して送ることにします。

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2017年7月 4日 (火)

峯崎部屋に新弟子君か?……くわな史跡めぐりの正誤表、ゲットできず(`へ´)フンッ。

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 16時半頃に撮影しました。16時台、24.5mmというかなりの雨が降り、Dscn1111_640x480 南側のベランダからは、九華公園さえ雨に霞んでいるくらいでした。これを書いている18時前後は、雨はほとんど降っていませんが、これから台風が近づいてくるようですから、しばらくは警戒しなくてはなりません。
Img_2417_640x427 午前中はまだ雨は大丈夫だろうと、9時から2時間ほど、いつものコースを散歩して来ました。田町から九華公園、京町、吉津屋町、寺町と4.1㎞ほど。湿度がかなり高く、歩き始めてすぐに汗が出てきました。
Img_2413_640x453 田町の商店にあるツバメの巣。昨日の夕方と同様、親が巣に就いていましImg_2557_640x480 た。この巣は、かなり深いので、「頭隠して尻隠さず」のような状態になっていました。卵はあると思います。右は、吉津屋町のお宅にある巣。しばらくツバメの姿を見ませんでしたが、今日は、親ツバメがいました。こちらは、卵があるのかどうか、確信が持てません。
Img_2424_640x467 田町から九華公園への途中に、多聞橋があります。この橋は、七里の渡し跡から歴史を語る公園につながる堀にかかっています。北側を見ると、ハシブトガラスが2羽。向かって右のカラスが、魚か、干物のようなものを食べています。左のカラスは、それに向かって何度も鳴いていました。「俺にも頂戴」とでもいっているような感じでしすが、右のカラス、相手にしていません。
Img_2486_640x427 さて、九華公園の土俵。今日も峯崎部屋の朝稽古が行われていました。荒鷲関の姿はありませんでしたが、名古屋場所も近づいているためか、気合いの入った稽古が続いていました。ふと見ると、この間まで見なかった、まるで中学生かと思えるような、若者が廻しを着けて、ダンベルをしたりしていました。左の写真、中央の奥をご覧ください。
Img_2452_509x640 昨日のニュースで、名古屋場所を前に新弟子検査が行われたといっていImg_2500_640x427 ました。ひょっとしたら、この若者、新弟子君かも知れません。丸刈り頭ですから、中学生かと思ってしまいました。腕には筋肉がついていますが、身体は相撲取りとしては、まだまだ。周りのお相撲さんと比べると、貧弱に見えてしまいます。右の写真のように足の屈伸運動は、こなしていたのですが……。
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 さすがに、股割りはしんどそうでした。後ろに先輩力士がついて指導してImg_2522_640x447 いたのですが、なかなか。それでも、そのうち右の写真のようになったのですが、股割りというよりも、開脚して土俵に座っているという感じ。身体が硬いのかも知れません。前にいる先輩力士と比べてはいけませんが、これからまだかなりトレーニングが必要なようです。今後の健闘を祈ります。
Img_2484_640x427 今日は、こんなシーンも撮るには撮れたのですが、ピントが甘く、また、迫力も今ひとつでした。今シーズンのうちに、もっとよい写真が撮れるでしょうか? 
Img_2553_640x427 散歩からいったん帰って、シャワーを浴びて、再び出かけてきました。ホームセンタと博物館へ。博物館へ行ったのは、去年入手した「くわな史跡めぐり」という、桑名市が観光したガイドブックの正誤表を入手しようと思ったからです。この本、去年10月に出てすぐに間違いが100ヵ所以上あると話題になったのです(朝日新聞デジタルの記事はこちら)。市のサイトには、昨年11月28日付で「対応が決まったらお知らせします」とあっただけ(こちら)。今月になってやっと、「広報くわな7月号」に正誤表を配布するという記事が出たのです。その記事には、博物館でも正誤表を配布するとあったので、出かけて尋ねたのですが、「こちらには届いていません。市役所2階の商工観光文化課へ尋ねてください」というつれない返事。
Sisekimeguri_640x639 広報には、左の写真のように出ていたのに、何という対応でしょう。博物館の職員の方、「広報くわな」を読んでいないのでしょうね、きっと。やる気がないと思わざるを得ません。広報に載せるなら、きちんとしてくれないと。ちょっと腹に据えかねています(`へ´)フンッ。 

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2017年5月 8日 (月)

公民館デビューを果たす(微笑)……「俄歴史案内人」にもなりました(苦笑)【付記あります(5/9)】

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 ゴールデンウィークも終わり、新緑の季節です。9階の玄関先からの眺めも、ご覧のように緑濃いものです。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という句が思い出されます(たいていは、「目に青葉」とされますが、正確な引用は、この通りだそうです)。江戸中期の俳人・山口素堂(1642~1716)の作。
Dscn9139_800x600 昨日、思わせぶりな書き方をしていましたが、実は、本日、「公民館デビュー」を果たしました(微笑)。4月の市の広報に載っていた「平成29年度 くわな市民大学の受講生募集」に応募し、抽選で当たったのです。「ゼミナール 郷土史学科」という講座、今回のテーマは、「桑名の歴史発掘~くわなの重要事件を探る~」というものです。講師は、市博物館元館長の大塚由良美先生。今日から、12月にかけて、全7回の講座です。午前中2時間。
 今日は、開講式に続き、「桑名が正式な歴史書に最初に書かれたのは」というお話でした。壬申の乱のとき、大海人皇子(後の天武天皇)が、桑名でお泊まりになったということが、日本書紀巻第28に書かれています。これが最初ということです。
是の日に、天皇、桑名郡家に宿りたまふ。即ち停りて進さず。<このひに、てんのう、くわなこおりのみやけにやどりたまふ。すなわちとどまりていでまさず>
 お話は、もちろんこれだけではありません。導入として、国家が国家として成立し、発展していく上では「道の整備」が必須であるというところから説き起こされました。ローマ帝国、中国の秦や漢、ペルシャ帝国の例を踏まえ、日本での道の整備の大まかな歴史を見て、上記の話に収斂していったのです。
 常日頃、自分の授業を受けている学生の皆さんには、「復習してね」といっていますので、小生もこれからノートを見直し、自分でまとめ直してみようと思っています。
Dscn9163_800x600 わが家から中央公民館まではほぼ1㎞。市民大学の講座には歩いて行ったのですが、もう少し歩こうと思い、午後から、九華公園まで往復してきました。結局、2回合わせて6.5㎞。ツツジは、盛りを過ぎつつあります。写真のような遠景はまだ鑑賞に堪えますが、近寄ると、すでに傷み始めた花も目立ちます。
Img_3209_800x573 散歩する方はあるのですが、ゴールデンウィークまでの賑わいがウソのImg_3213_800x534 ように、静かでした。ツツジの中には、左の写真のような花を咲かせているものものありました。右のような、白い花にピンクの模様が入っているものはよく見かけるのですが、左のような花は珍しいです。
Dscn9172_800x600 ツツジの盛りは過ぎつつありますが、花菖蒲は、写真のようにかなり成長してきて、青々としています。今月後半になると咲き始めるものと思います。
Img_3183_800x534 時期的にも、時間帯的にも鳥はいません。スズメ、ムクドリ、ドバト、カワウ、カルガモくらい。ツツジの花には、チョウもあまり来ないのですが、朝日丸跡では、アゲハチョウが蜜を吸っていました。ナガサキアゲハのオスと思われます。
Img_3238_800x572 帰り道、田町交差点でツバメの鳴き声が聞こえてきました。とある商店のImg_3247_800x534 前からです。信号を渡って見に行くと、巣がありました。たまに通るところなのですが、これまで気づいていませんでした。散歩コースで5つめのツバメの巣を発見です。確認すべきヶ所が増えました(微笑)。
Dscn9136_800x573 余談です。九華公園を出たところで、女性から呼び止められました。「石取祭ってどんなお祭りですか? やかましいと聞いたのですが、どういう風なのですか?」などなど。石取祭や、諸戸家に関係する庭園、お屋敷、さらには、水郷花火大会についても聞かれました。「俄歴史案内人」になって、知っていることをお話ししました。小生などが説明したとなると、本物の歴史案内人の方にお叱りを受けそうです(苦笑)。この方、石取祭は、「石を投げ合う祭で、それがやかましいのは、どうして?」と思っていらっしゃったそうです。諸戸家の庭園も、先日公開のあった徳成邸と、六華苑はご覧になったようですが、諸戸氏庭園についてはご存じありませんでした。
 ということで、今日は歴史に始まり、歴史に終わった1日でした。
【付記(5/9)】 壬申の乱は、672年天智天皇没後、皇位継承をめぐって天智の子大友皇子と実弟大海人皇子との間に起こった約1か月に及ぶ大乱です。吉野に隠棲していた大海人皇子が地方豪族の支持を得て大友皇子を破り、翌673年に即位して天武天皇となりました。

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2017年4月29日 (土)

「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで

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 昨日の中日新聞北勢版に「豪商諸戸邸 見納め」という記事が載り、諸戸徳成邸が、今夏にも解体される見通しで、今日・明日と「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」によって、特別見学会が開かれるということでした。これはもう行くしかありません(微笑)。小生も、過去2回、見に行っています(2013/11/30、諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました;2015/5/17、諸戸徳成邸特別公開)。
Img_1384_800x533 9時半過ぎに現地到着。10時からでしたので、徳成邸の目の前にある「諸戸Img_1385_800x478水道貯水池遺構」を見て、時間つぶし。高齢の女性お三方と徳成邸や、諸戸氏庭園、六華苑についておしゃべり。この頃、初対面の方とも、平気でおしゃべりするスキルを身につけました(微笑)。
Img_1561_800x533_2 予定より10分ほど早く、9時50分頃から受け付け開始。この時点で、40人あまりの人たちが待っていました。今回は、防空壕と北蔵が初公開ということでした。しかし、まずは、主屋へ。というのも、一度に入れる人数に制限があったからです(写真は、11時頃のもの。この時点で、主屋から大門まで行列!)。
Img_1399_800x503 主屋1階の広間。大正末から昭和初期にかけて建てられたものですが、すImg_1403_800x549 でにセントラルヒーティングが設備されています。そのため、屋敷の北側にはボイラー室もあります。
Img_1414_650x800 お屋敷の主、二代目諸戸清六氏の肖像画。二代目清六氏は、明治21(1888)年、初代の四男(清吾)として誕生。早稲田中学に進学するものの、18歳のとき初代が亡くなられ、桑名に呼び戻されます。初代の4人の息子のうち、長男と三男は早世していたため、二男精太氏と四男清吾氏が諸戸家を継いでいます。精太氏は太一丸の屋敷(現在の諸戸氏庭園)を継ぎ、諸戸宗家と称し、また、清吾氏は、初代清六の名を襲名し、諸戸本家と称したそうです。二代目清六氏は、諸戸宗家の東隣に新居を建てています(現在の六華苑、大正2年竣工)。二代目清六氏は、戦前までは本邸(現・六華苑)と徳成邸とを行き来し、生活したのですが、太平洋戦争で本邸が空襲の被害を受けたことを期に徳成邸に定住したといいます。
Img_1417_800x533 左は、主屋1階にある「夫人室」。右は、大蔵。主屋からは北西の方向にImg_1427_800x533 あります。
Img_1429_800x522 調理室の西の部屋には、大きな食器棚。中には、まだ食器類がたくさんImg_1432_544x800 入ったままです。この部屋には、右の写真のような、「奉祈念秋葉三尺坊守護所」というお札が貼られていました。「秋葉」さんの関係のようですから、火防(ひよけ)・火伏せのお札だろうと思います。
Img_1436_800x527 同じ部屋には、こんな「防火週間」のポスターも残っていました。どうもこういうものがあると、気になってしまうのです(苦笑)。
Img_1445_800x555 主屋2階は、残念ながら室内は撮影禁止でした。左は、2階からお庭の一Img_1451_800x599 部を見下ろした写真。ガラスは、昔のものがそのまま使われているようで、端っこなど、歪みがあり、懐かしい気がしました。右は、東の方を眺めたのですが、今は、木々やマンションのため、遠くまでは見えませんが、かつては木曽三川を望めたと思います。
Img_1493_800x533 防空壕へ。配置図で見ますと、主屋と大蔵の間あたりに、防空壕への入Img_1463_533x800 り口があるようです。狭いところを通り、階段を下っていきます。
Img_1481_533x800 左は、防空壕を少し入ったところ。突き当たって右へ曲がっており、ちょうどImg_1483_507x800 L字型の通路のようになっています。すれ違いがやっとできるくらいの幅。曲がっていった先は、少し進むと、出入り口になっていました。配置図を見ると、大蔵の北西側に出るようです。
Img_1484_521x800 右上の写真の出入り口から外を覗いてみました。土壁というのか、土塁Img_1486_800x533 といった方がよいのか、そういう感じになっていました。右はこの出入り口から戻るときに撮った写真。左上の写真とつながります。防空壕というものに入ったのは、初めてでした。
Img_1518_520x800 つづいて、茶室、茶庭を通って、北蔵へ。敷地のもっともImg_1540_533x800_2 北側にあります。左右の写真は、外観。コンクリート造りのようですが、確かに蔵でした。
Img_1523_800x533 下司な話で恐縮ですが、「お宝満載」かと思ったのですが、空っぽでしたImg_1530_533x800 (微笑)。外観からも分かるとおり、内部は2階建て。収納棚がぎっしり。「山林王」といわれ、とてつもなくお金持ちだったと思うのですが、我々庶民の想像を絶するくらいなのでしょう。
Img_1529_800x533 棚の各所には、それぞれ何を収納していたか、きちんとImg_1537_800x533 ラベルが貼られていたのが、印象的でした。整理整頓のお手本のようです。そういう中、とある棚には、はたきががそのまま置かれていたのが、何だか印象的でした。
Img_1539_800x533 北蔵の出入り口を内側から見たところ。厳重な外扉に、格子戸(といってよいのか、分かりませんが)で、テレビなどでよく見る、まさに蔵の作り。
Img_1559_533x800_2 茶室の南、諸戸家の墓所へ通ずる通路の脇に井戸があります。この井Img_1558_800x533 戸は、諸戸水道にも関わりの深いものだそうです。徳成邸は、愛宕山として親しまれた段丘を利用して建てられています。この丘の水源を利用して、諸戸水道がつくられています。水をくみ上げるポンプの先には、神社にあるよう手水石のようなものが置かれています。これには、諸戸家の家紋である「違い鷹羽」が刻まれています。ここにいらっしゃった、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方に、その由来などを伺ってきました。諸戸家は、古い家系で、織田信長が伊勢攻めた長島一向一揆のときに寺侍として参戦したといいます(そのときは、丹羽という姓だったそうです)。形勢不利なときに、長島城もしくは願証寺のとを外し、それを盾に戦に参加し、活躍したのだそうです。その活躍に対して、「諸戸」という名字と、「違い鷹羽」の紋を与えられたということでした(記憶に基づいて書いています。誤りがありましたら、是非ともご教示ください)。鷹の羽紋は、勇猛な様子から尚武的な意味で用いたといいます。
Img_1590_800x533 最後にお庭から、仏間、洋室へ。左の写真で向かって右が仏間、左が洋Img_1580_800x533 室。洋室の入り口近くには、本棚が置かれたままになっていました。他人様の本棚にどんな本が並んでいるか、興味があります。小説の他、日光に咲く花、慶應義塾百年史、野の佛など多様でした。
Img_1576_800x533 こちらは仏間。ただし、内部は撮影禁止でした。仏間の屋根を見ると、鬼Img_1592_800x583 瓦には、やはり「違い鷹羽」の紋が入っていました。諸戸氏庭園では、カタカナで「モロト」と入っています。
Img_1587_533x800_2 洋室の裏側にも回ることができました。「土塁」があり、「調査前なので、触らないように」という掲示が出ていました。敷地面積は、7,638.46平方メートルだそうです。敷地の西側は、ちょっとした丘になっていて、木々が生い茂っています。
Img_1621_800x533 これで一通り見学してきました。11時半近くです。帰ろうと大門に向かったら、主屋からすごい人数の人が並んでいました。午前中は、10~12時の見学ということでしたが、時間内にはとうてい収まらないような気がします。
Img_1626_533x800 大門の前の通りに面して、少し北側には通用門があります。通用門のとImg_1627_800x550 ころには、フジの木があり、花が咲いて、少し香りがしていました。中でお話しした歴史案内人の女性は、この前を通って桑名高校に通ったとおっしゃっていました。
Img_1630_800x533 通用門のさらに北(桑高側)には、墓所門があります。現在は使われておらず、西側の門から墓所に出入りされるようです。
Img_1638_800x533 徳成邸の西側。この道は通ったことはあるものの、ここが「諸戸徳成邸」Img_1640_800x533 であるとしっかり意識して歩いてはいませんでした。せっかくの機会だから見ておこうと、回って来ました。建物や墓所の西側にあたり、小高くなったところに樹木が生い茂っています。少し歩いて行くと、ここにも墓所に通じる門がありました。諸戸家の子孫の方々が墓参されるときは、こちらをお使いだそうです。
Img_1623_533x800_2 「諸戸徳成邸」の保存については、「諸戸徳成邸の保存・活用を考える会」の方を初めとして、多くの方が運動してくださったのですが、結局、桑名市は昨年、市長が取得断念を発表しています。そのため、新聞記事によれば、現在の所有者の方は、諸戸家に関わりのある建築会社に売却を決め、この夏にも解体される見通しになったといいます。母屋や茶室は解体するものの、北側の庭園や蔵など1,300平方メートルは残す意向だそうです。桑名市も、「本物力こそ、桑名力。」というブランドキャッチフレーズを打ち出しています。それならば本物中の本物であるこの「諸戸徳成邸」の保存をしない手はないと、私は思うのですがねえ。
Motoyotokunari_800x600 配置図と、航空写真は、今日の見学会でいただいたパンフレットからおTokunariphoto_744x523 借りし、掲載しました。以前の記事もお読みください(2013/11/30、諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました;2015/5/17、諸戸徳成邸特別公開)。

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