文化・芸術

2018年6月 2日 (土)

「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ(完)

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 よく晴れて、暑い日になりました。若干迷ったものの、予定通り、「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ行ってきました(微笑)。近鉄名古屋線・塩浜駅が受付、日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、伝統工芸日永うちわ「稲藤」、御菓子司東京堂、四日市市立博物館・四日市公害と環境未来館などを回り、四日市ふれあいモール(名古屋線・近鉄四日市駅)がゴールという約10㎞のコース。
Img_4581c もうお馴染みになりました。こちら、近鉄名古屋線・塩浜駅(西口)。桑名駅を9Img_4578c 時1分の五十鈴川行き急行に乗車し、9時18分着。¥350。冒頭の写真にあるマップをもらい、9時25分にスタート。今回は、テーマにあるように、あみま倶楽部30周年記念ということで、ピンバッチをもらえました。
180602kintetsuhikingyokkaichi1 塩浜駅は、四日市市南部の工場地帯にあります。そこから西へ向かって、180602kintetsuhikingyokkaichi2 東海道と参宮海道(伊勢街道)の追分から、しばらく旧・東海道を歩きます。その後、国道1号線を経て、旧・東海道に戻り、浜田城跡の鵜の森公園(鵜の森神社)から四日市市立博物館や、じばさん三重を見て、近鉄四日市駅がゴールというコース。実は、初めて訪れたというところは、御菓子司東京堂さんくらい(ただし、ここ、今回は前を通過したのみ)。日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、日永一里塚跡、名残の一本松は、去年12月17日のJRさわやかウォーキングで来ました(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。このときは、笹川を経て、四郷にある神楽酒造訪れています(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2))。
Img_4787c 今日は、こちら、四日市市立博物館がコースにありました。明日までここImg_4789c で、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」が開かれており、これが見たかったので、暑い中を出かけてきたという次第。パンフレットのpdfファイルは、ここにあります。写楽、歌麿、北斎、広重などの浮世絵が見られます。小生はとくに、東海道五十三次など、浮世絵に描かれた四日市が見たいと思ったのです。5月31日から、広重と北斎の4点について、「初摺」と「後摺」が比較できるようになったといいますので、これは是非と思った次第。
Img_4593c さて、スタートの塩浜駅からは少し南下した後、西に向かいます。このあImg_4599c たりは、工場地帯。昔は、公害、四日市ぜんそくなどが問題となったときの中心でした。今は、すっかり改善されていますし、緑地公園などもたくさんあります。左は、中里緑地
Img_4591c 今日のコースマップは、冒頭の写真にもありますが、詳細なもので分かりやすいパターンでした。それに、こんなことを書くと失礼なのですが、近鉄ハイキングでは珍しく、コースに誘導の矢印がたくさん掲出されていました。
Img_4605c 出発から2㎞ほどのところに川尻公園があります。すぐ西をJR関西線がImg_4606c 通っています。すでに休憩をする方も多かったのですが、小生は、石碑に目が向いてしまいます。ただし、この字体(何という字体かさえ、よく知りません)、読みにくいのです。
Img_4608c 「故村長石榑君之碑」と書いてあるようです(本文の上部にもありましImg_4610c た)。河原田村の村長兼藍浜村の村長であった石榑君が亡くなって数年経ってから建てられた顕彰碑と思われます。詳細は不明。また、この公園には、右の写真にあるように、「明治百周年記念桜」と刻まれた碑もありました。こちらは、昭和43(1968)年に明治百年を記念して百本植樹したと碑陰にあります。ただし、この碑が建てられたのは平成7(1995)9月に、四日市市制施行100年を記念してのことです。
Img_4620c 塩浜駅から3㎞半近く、日永の追分に到着。時刻は10時10分。東海道伊勢街道(参宮海道)との追分。この写真は、北を向いて撮っています。奥から来て左に向かうのが、東海道であり、現在の国道1号線。右手前に来るのが、伊勢街道となっています。鳥居は桑名の七里の渡しに建てられた伊勢一の鳥居に対して、二の鳥居と呼ばれました。
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 大賑わい(笑)。常夜灯やら、道標やらがありますし、ここには清めの手水所もあります。この水は、西に位置する丘陵地(泊山(登城山))からの湧水です。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。
Img_4638c こちらは、2枚前の写真とは逆に、北から南を見て撮っています。手前かImg_4640c ら右に向かう道が、国道1号線(東海道)。左端に見えているのが県道103号線(伊勢街道)。次に向かう前に、近くにある三重銀行追分支店の裏の地蔵堂をチェック。昨年12月17日のJRさわやかウォーキングの時に見逃していたのです。由緒書きはなく、ネット検索でもそれらしい情報は出てこず、詳細不明。
Img_4649c このあとは、東海道日永郷土資料館が立ち寄りスポットですが、昨年12Img_4650c 月17日のJRさわやかウォーキングで来ていますので、前を通過。そのまま次の立ち寄りポイントである伊勢蔵へ。味噌、醤油の醸造元。ここも、JRさわやかウォーキングで来ていますが、今回は蔵も見せていただけるということで寄って来ました。
Img_4657c 大正3(1914)年創業。現在は、4代目と5代目が伝統を守っておられまImg_4659c す。工場の中は、味噌のよい香りが漂っていました。杉桶を使っておられます。今回も味噌汁の試飲サービスがありましたが、暑くなってきたということもあって、冷やし汁になっていて、ありがたく頂戴。
Img_4664c 東海道日永郷土資料館や、伊勢蔵の前の道は、旧・東海道です。桑名Img_4667c の七里の渡しから、富田まではきちんと歩きましたが、その先は、細切れにしか歩いていません。取り敢えず、三重県内は歩き通したいと思っていますが、夏を越えてからでしょうか(微笑)。
Img_4674c この先に、名残の一本松があります。旧・東海道の東側に立っていまImg_4676c す。かつて、ここ日永の集落と、泊村の集落との間は、家は一軒もなく、松並木の縄手道だったそうです。今では、この一本松だけが今に残り、往時を偲ぶよすがになっています。そのため「東海道名残の一本松」と呼ばれているのです。たくさんあった松は、戦時中、松根油を採ったためほとんどなくなったといいます。
Img_4686c 名残の一本松からさらに北、民家の間にひっそりと日永一里塚跡の石碑Img_4684c が建っています。スタートの塩浜駅からはほぼ5㎞。県指定史跡(昭和13(1938)年4月指定)です。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました(富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり))。日永の一里塚は、江戸からちょうど百里だそうです。塚自体はすでにありません。コースマップにも書かれているのですが、ハイキング参加者はほとんど素通り。「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」(文化3(1806)年)によれば、西側の塚に松の木3本、エノキ1本、東側の塚にエノキ1本が描かれています。
Img_4688c このあとは、浄土真宗高田派の雲祥山西唱寺の前を通ります。前回、境Img_4706c 内にあるはずの水道記念碑を見忘れたのですが、今日も予習不足で、完全に失念。大失態でした……苦笑)。日永神社の手前には長命山薬師堂。JRさわやかウォーキングで立ち寄りましたので、今回は通過。市指定文化財である薬師如来座像が納められています。
Img_4708c 日永神社に到着。このあたりは、すべて昨年12月17日のJRさわやかウImg_4710c ォーキングで来ています。主祭神は、天照大御神。詳細は、「雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)」をご参照ください。ここで、スタートから5㎞半、時刻は10時45分頃。
Img_4714c ということで、小休止。いわば、「もぐもぐタイム(微笑)」。家から持参した「へんば餅」を1個。これ、好物なのです(微笑)。家内の母が、先日、旅行に行った先のお土産に買ってくれたもの。ついでに、余計な講釈。変わった名前ですが、安永4(1775)年に創業。伊勢の宮川のほとりに茶店を設け、餅を商ったのが初め。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休んで、馬を返し、参宮したため、いつしか「へんば(返馬)餅」と名づけられたというのです。三重県内の東海道、伊勢街道は、別名「餅街道」と言われるくらい、さまざまな餅があります。桑名、四日市では「なが餅」が有名。
Img_4702c ついでにもう一つ余談。日永あたりを歩いていましたら、あちこちにこの「つんつく踊り」のチラシが貼ってありました。この近くにある天白川の堤防を築く(つんつく)ために、村人が参加したときの踊りが始まりといわれます(四日市市指定無形民俗文化財)。2020年には発祥400年目を迎えるそうです。
Img_4728c 一休みして、笹川通りに出ます。ここで、日永うちわの製造・販売をしている「イナトウ」へ。日永うちわは、丸い竹をそのまま使った「丸柄」のうちわです。女竹を使っていますので、竹が弓のようにしなり、扇ぐ風が柔らかくなびくという何とも優雅な持ち味をかもし出すといいます。四日市に住んでいた30年ほど前から知ってはいるのですが、なかなか手は出せません。今回もざっと拝見してすぐ出て来てしまいました。
Img_4730c このあとはすぐに国道1号線に出て、2㎞以上北東へ進みます。途中、天Img_4735c 白川、鹿化川などを渡り、四日市南警察の前を通って、中央緑地を過ぎます。28.50haもある、大きな公園です。体育館、陸上競技場、野球場、プールなどなどがあります。余談ですが、愚息が家内のお腹に入っているとき、何度か来た思い出があります。
Img_4748c スタートから8㎞を過ぎる頃、国道1号線を離れ、再び旧・東海道へ。11時Img_4749c 半近くです。ここで、御菓子司東京堂さんに立ち寄るのですが、小生は、前を通過。都饅頭を割引価格で買えたそうです。こちら、昭和4(1929)年創業ですが、もともとは東海道沿いの宿場町でお茶屋として営んでいたそうです。
Img_4757c 四日市の中心街に入ってきました。東京堂さんからほど近いところに、鵜Img_4770c の森公園、鵜の森神社があります。ここも何度か来たところで、旧・浜田城跡。たぶんここがコースにあるだろうと思い、ここでお昼にしようと考えてきていました。ファミマの弁当を買ってきましたので、ここで昼食&休憩。今日は、お稲荷さんがいいなということで右のような弁当。弁当を食べ終わって、休憩していたら、大阪からいらした、80歳の男性が同じベンチにやってこられました。たいそうお元気な方で、日頃、英語とスペイン語の勉強(NHKのラジオ講座)、テニスに水泳(昨日も1㎞泳いだとおっしゃいました)、最近囲碁を始めたとも! いやぁ、ひっくり返りそうになりました。60歳以降が人生は面白い、忙しいとおっしゃっています。
Img_4786c この方と、次にはじばさん三重へ。ここの1階にある「三重名品館」では、三重県北勢地域の代表的な地場産品が展示、即売されています。この80歳男性をご案内しながら、お話ししていたのですが、「あなたはここで何を買うの?」と聞かれ、若干クエスチョンマークが点灯(微笑)。80年生きていらっしゃるといろいろおありでしょう。知り合いの方がいらしたので、バトンタッチして、小生は、四日市市立博物館へ。最初に書きましたように、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」を見てきました。本来、入場料は¥800なのですが、ハイキング参加者は2割引で見られました。
Img_4791c 今日の近鉄ハイキングは、あみま倶楽部30周年記念ということで、会員Dscn7026c にはお楽しみ抽選会がありました。塩浜駅で、「抽選会用番号カード」をいただいていたのです。ゴールの四日市ふれあいモールに当選番号が出ているということで、期待してゴールインしたものの、残念ながらそうそううまい話はありません。いただいたのは、ポケットティッシュ1つでした(爆)。
Img_4794c ガッカリして、ゴール地点の写真を撮り忘れました(苦笑)。ゴールは、13時52分。スタートから4時間35分余り。歩いたのは、10.3㎞ほど(拙宅から桑名駅往復で、さらに+2.3㎞で、合計12.6㎞)。近鉄四日市駅を14時10分に出る名古屋行き急行で帰宅。桑名駅到着は、14時22分、¥300。しっかり歩きましたし、暑くてかなり汗を掻き、干からびそうでした(笑)。今日のビールは、格段に美味しいものとなりました。

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2018年6月 1日 (金)

ツバメのヒナへの給餌シーンがすごい……博物館で古萬古も見てきました

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 気持ちよく晴れました。こういう日に江戸橋方面へ行きたいような、もったいImg_5345c ないような(微笑)。8時半から12時前まで散歩と、博物館へ。住吉神社、九華公園から桑名市博物館へ。博物館は京町にあります。そして、寺町、田町とまわり、5.6㎞。冒頭の2枚の写真は、住吉神社の前で撮ったもの。左は揖斐川上流から、多度山、伊勢大橋方面。右は、余り載せませんが、下流方向。蟠龍櫓と、旧・本陣の船津屋、旧・脇本陣の旅館山月が見えます。風があり、川面がきらきら光ってきれいでした。
Img_4480c 今日は何といってもこれ。九華公園、吉之丸堀の上の電線にて。ツバメのヒImg_4489c ナが2羽、親がエサを運んでくるのを待っていましたので、1時間近く見ていました。親のアタマまで食べそうな勢いで、笑えます。親が近くへ飛んでくると、猛烈なアピール。
Img_4437c 公園内を回って、吉之丸堀に浮かぶ東屋のあたりまで来たら、ツバメのヒナの鳴き声がしてきたのです。探すと、本丸跡の辰巳櫓近くに2羽のヒナがいたのです。たぶん巣立ってきたばかり。ここの電線には、毎年今頃から、ときどき、こういう巣立ったばかりのヒナが来ています。
Img_4399c 今日は、他でも巣立ったツバメのヒナを見ました。まず左は、三の丸水門近Img_4538c くで。地面に降りていたので、飛べなくて困っているのかと思ったのですが、大丈夫でした。近寄ったら、飛んで逃げました。右は、京町の呉服屋さんの前の電線にいたヒナ。この呉服屋さんで育ったものかという気がします。
Img_4545c こちらは、京町のマンション駐車場のヒナ。4羽いたはずですが、3羽しかImg_4549c 見えません。ちょっと気になります。ここも親がエサを運んできます。右は、マンションの向かいにある公園に降り立ったツバメ。この巣の親と思います。
Img_4416c さて、九華公園は、花菖蒲まつり。といっても昨日書いたように、花菖蒲Img_4412c に関わるイベントはありません。桑名市や、観光協会ももうちょっと気合いを入れて欲しいところ。小生自身は、花菖蒲はもうかなり楽しんでしまいました。という訳だからでもありませんが、カメの産卵シーンが見られないかと思っています。右の写真のように、産卵のための穴を掘っているところはよく見るのですが、今年はまだ産卵そのものは見られていません。
Img_4402c カメといえば、九華公園名物の甲羅干し。元々はアヒル、ガチョウの小屋へ上がるスロープ。今ではすっかり甲羅干しスポットになっています。大賑わいです。子どもたちはこれを見ると大喜び。ただ、大人の中には、砂や石を投げて、カメが堀に落ちるのを楽しむという、ちょっと困った方もいらっしゃいます。
Img_4532c 鳥は相変わらず少なし、というところ。今日もエナガは見たものの、遠くて証拠写真。このほかは、カワラヒワ、ドバト、ムクドリ、スズメ、カラスくらい。シジュウカラの鳴き声もしていましたが、姿は確認できず。
Img_4427c 奥平屋敷跡入り口の花菖蒲園では、アゲハチョウ(ナミアゲハ)がやって来ていました。花菖蒲からも蜜が吸えるということなのでしょうね。まさに花から花へと移動しつつ、蜜を吸っているようでした。
Img_5373c 九華公園の後は、桑名市博物館へ。しばらく休館していたのですが、今日から7月8日(日)まで“水無月の企画展「古萬古とそれを継ぐ者」「絵画展―水無月余情―」”が開催されています。今年は、萬古焼の創始者である沼波弄山の生誕300年にあたりますので、この展覧会も、沼波弄山生誕300年記念として開かれています。ちなみに、弄山生誕300年萬古焼所蔵館連携事業として、近隣の3ヶ所の博物館、美術館でも展覧会が予定されています。
Img_5367c 古萬古を中心とした展示となっています。主な展示作品20180328155500 は、沼波弄山「古萬古 赤絵人物文水盤(市文化財)」、同「古萬古 赤絵獅子文燭台(市文化財)」、同「古萬古 オランダ写手焙(市文化財)」、森有節(初代)「再興萬古 舶来草花模様菓子鉢(桑名市博物館蔵)」、森翠峰「五節句絵菓子鉢(桑名市博物館蔵)」などです。併せて、水無月にちなんだ絵画も展示されています。右は、沼波弄山の「古萬古 赤絵窓山水文雪輪鉢」です(博物館のサイトからお借りしました)。今回は、高校生以上は¥150と有料。今日、小生が訪ねたときは、他に来館者はなく、独占して、ゆっくりと見て回ってきました。ちなみに、「古萬古」は、後代の萬古焼と区別するため、弄山のものを指しています。
Img_5384c 午後からは、江戸橋方面の授業の準備。新しい科目の準備に勤しんでおりました。自転車操業とまでは行きませんが、前の授業で次の授業資料を渡して、予習できるようにしていますので、早めの進行になるのです。ちょっと余裕をつくりたいのですが、なかなかどうも(苦笑)。明日は、四日市で近鉄ハイキングがあるのですが、暑そうな中、約10㎞というコース設定で思案中。四日市市立博物館が立ち寄りスポットになっていて迷っています。明後日まで「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」が開催されているのです。

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2018年4月23日 (月)

またもや勝手に近鉄ハイキング(笑)……本日は、名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなど(予告編)

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 研究会も終わり、依頼された仕事もほぼ一段落つきましたので、今日はこDscn6823c ちらへ出かけてきました。津市内、近鉄名古屋線・津新町駅であります。桑名を9時1分に発車する五十鈴川行き急行に乗って、9時50分に到着。津にある松菱百貨店で「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」が、今日まで開催されていますので、これを覗いてこようという次第。せっかくだから、松菱百貨店だけでは、もったいないと思い、ついでに、独りで「近鉄ハイキング」を催してきました(微笑)。。先だって(4月14日)の「徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」も予告編で止まっており、困ったもの(苦笑)。
20180423tsuwalk  こちらが今日、歩いたコース。近鉄・津新町駅がスタートImg_2026c &ゴール。津新町駅から東へ。ここは、旧・伊賀街道。津新町の商店街に沿って歩いて、岩田川にかかる岩田橋まで。15分ほど。
Img_2432c 岩田橋の東北に津松菱百貨店があります。県内には、百貨店(歴史的用Dscn6821c 語!)は、この松菱百貨店と四日市近鉄百貨店のみと思います。しばらく前までは、四日市に松坂屋があり、松阪には三交百貨店がありましたが、いれも撤退、廃業(と思います)。
Dscn6827c 「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」ということですが、実際には、展Dscn6837c 示・即売会でした。今日が最終日。お客さんはそれなりに。メダカは、高級品種がほとんど。たとえば、黒ラメ幹之 松井ヒレ長 1匹(税込)5,000円とか、三色ラメ 1匹(税込)6,000円とか。とても手が出ませんし、買ったとしても小生では、夜もおちおち眠れません(苦笑)。結局、「このままスイレン栽培セット」を1つお買い上げ(笑)。しかし、これで予定通りなのです。
Dscn6828c いきなり余談でありますが、松菱百貨店の6階催事場脇には、茶室があDscn6831c ります。「松南軒」。江戸末期、京都に建てられ、西郷隆盛や、富岡鉄斎なども来たといわれます。百貨店創業者の方が移築なさったそうです。
Img_2052c 松菱百貨店からは、津藩主・藤堂家の菩提寺である「寒松院」へ。ここImg_2062c は、津藩主・藤堂家と、久居藩主・藤堂家の墓所があります。久居藩は、津藩の支藩という位置づけ。右の写真は、津幡初代藩主・藤堂高虎公のお墓。境内には、ずらりと藤堂家の墓が並んでいて、壮観。
Img_2113c 次いで、フェニックス通りを越えて、浄明院。ここは、津藩Img_2131c 3代藩主・藤堂高久公が建てたお寺。まずは、石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)があります(県文化財)。高さ1.5m。鎌倉時代の作です。ほとんどが花崗岩製。笠の四隅に「角(つの)」と呼ばれる突起があり、屋根に何段かの造出しがあるのが特徴。
Img_2222c また、この浄明院は、探偵小説作家の江戸川乱歩の祖先(津藩士)の菩提寺で、乱歩が建てた先祖代々の墓があります。ここには、乱歩の骨もぶんこつされているといいます。
Img_2140c 上宮寺(真宗大谷派)。実は、門前から拝見し、そのままImg_2145c 通り過ぎ、次の目的地である西来寺に向かおうとしたのですが、右の写真にあるように「あこぎ平治の寺」という看板があってビックリ。引き返して見てきました。
Img_2151c 「阿漕平治」は、貧しい漁師。病床の母のためにやがらとImg_2175c いう魚を獲ったのは、漁が禁止されている阿漕浦でした。阿漕浦は、お伊勢さんにささげる魚を獲る海でな、禁漁の海。このおきてを破ったため、平治はむしろで簀巻きにされ、生きたまんま海へしずめらたという話が伝わっています。
Img_2182c 上宮寺のすぐ北には、天台真言宗・別格中本山・西来寺があります。塀Img_2186c に3本線が入っていますので、それなりに格式の高いお寺と思えます。門を入ってすぐの右手には、元三大師堂があります。第二次大戦のときの焼夷弾による空襲をくぐり抜けた元三大師の絵があります。
Img_2195c 西来寺は、別格中本山というだけあって、境内には塔頭がたくさんありまImg_2203c した。今日は、元三大師堂と、この普門院と本堂だけ見てきました。
Img_2233c 続いて、大門にある「だいたて商店街」へ。ここは、津観音への参道になImg_2239c っています。向かしながらのというか、まさに昭和レトロの商店がたくさん並んでいます。今日は、残念ながら定休日でほとんどの店は閉まっていました。休みでないときにもう一度来たいと思います。
Img_2256c 商店街を通り抜けて、津観音へ。ここは以前から一度はImg_2245c お参りしたかったところ。日本三観音の一つと言われます。
Img_2352c 「津の観音さん」として親しまれています。ここの境内にもImg_2355c いろいろなものがあり、「お寺もワンダーランド」という気がしてきました(笑)。五重塔は、入れませんでしたが、Googleのインドアビューで内部が見られるそうです。
Img_2404c 国道23号線沿いに戻って、津の名物のImg_2417c 一つ、「蜂蜜まん」をゲット。さらに、ちょっと戻って、千寿で「天むす」をテイクアウト。この千寿は、天むす発祥の店。
Img_2427c 23号線に戻って、津の繁華街を通り、センターパレスや、三重会館のあImg_2432c_2 る三重会館前交差点にやって来ました。ここのすぐ近くに津城跡のお城公園があります。お昼は、お城公園でと考えていたのです。センターパレスには都ホテルもありますし、中央公民館も入っています。三重会館には、津の郵便局があります。昔々、この三重会館には、伝説の「メリーさん」という全身赤い服を身にまとった女性がいたという話があります。小生も、見たような記憶があります。
Img_2514c お城公園に到着。13時頃。津城は、もともと織田信長の弟・信包(のぶかImg_2518c ね)によって築城されました。天正8(1580)年には五層の天守閣も完成していたのですが、関ヶ原の戦いのとき、星群の攻撃を受け、戦火に遭い城内の建造物の大半を焼失。その後、慶長13(1608)念、藤堂高虎公が伊予今治から移り、城を大改修するとともに、城下町を整備しました。現在は、丑寅櫓が再建されています。
Img_2499c ここでようやくお昼御飯。千寿でゲットしてきた天むすをImg_2505c いただきました。5個で650円なり。現職のとき、勤務先近くの多香野の天むすを何度か食べましたが、ちょっとタイプが違います。
Img_2553c お昼を食べてから、お城公園を散策。左の写真は、藤堂高虎公。近江国に生まれ、何度も主君を変えた戦国武将として知られます。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城しています。秀吉の死去直前から、徳川家康に急接近。その後、高虎は徳川家の重臣として仕えます。慶長13年(1608年)に計22万石に加増移封され、津藩主となっています。
Img_2585c こちらは入徳門。津藩第10代藩主・藤堂高兌公が設立した藩校の有造館の講堂の正門。その名は、「大学は諸学徳に入る門なり」ということばから来ているといいます。明治4(1871)年に廃校になってから、小学校や師範学校、旧制・津中学などの正門として使われたそうです。
Img_2670c 最後に行ってきたのが、お城公園の西にあります高山神社(こうざんじんImg_2615c じゃ)。藩祖・藤堂高虎公を御祭神とします。高虎公の諡である「高山居士」に由来します。もともとは、本丸跡にあったそうです。ここの境内にもいろいろなものがありました。
Img_1960c 9時50分にスタートし、津新町駅に戻ってきたのは、14時10分。4時間あImg_1961c まりかけて、8.8㎞を歩いてきました。案外たくさん歩きました(苦笑)。14時13分に名古屋行き急行があったのですが、改札を通ったところで発車して、乗れずじまい。14時35分の名古屋行き急行で、桑名まで。桑名には15時22分着。片道¥750なり。いつも行く江戸橋や、津までは¥690ですが、一駅先まで乗るだけで+60円とはちと厳しい(笑)。
 ということで、本日は、またもや勝手に近鉄ハイキングに出かけました(笑)。名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園などなどの予告編です。先だって(4月14日)の「徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて」も予告編で止まっております(苦笑)。明日くらいには、依頼された仕事が片付くはずですので、順次、本編を掲載したいと思います(ただし、あれこれ調べますので、本当に、順次です)。

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2018年3月20日 (火)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その2)……比佐豆知神社、西方寺の山口誓子句碑、レトロな風呂屋などを見て鼓ヶ浦海水浴場と、伝統産業会館へ

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 その1がずいぶん長くなりました。子安観音寺、スタートの鼓ヶ浦駅からは200mあまりしか進んでいません(苦笑)。この先どうなるやら、我ながら思いやられます。くだらない与太話は避けたいと思ってはおりますが……。
Img_4256c 子安観音寺の次は、いきなり寄り道をしました。子安観音寺の南隣に比佐豆知神社(ひさずちじんじゃ)があります。式内社。主祭神は、五十猛命(イタケルノミコト)。素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子。木種(こだね)をもって天降り、大八洲国(おおやしまぐに)をことごとく青山にしたといいます。このほか、次の9柱の神様も祀られています。大屋津姫命と抓津姫命は姉妹で、兄が五十猛命。
  • 大屋津姫命 (オオヤツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 抓津姫命 (ツマツヒメノミコト)……樹木の女神
  • 少彦名命 (スクナビコノナノミコト)……山や丘の造物者であり、命名神
  • 天照大神 (アマテラスオオミカミ)
  • 伊弉冉尊 (イザナミノミコト)……伊弉諾尊(イザナギノミコト)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に、黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となった
  • 誉田別尊(ホンダワケノミコト)……応神天皇
  • 天児屋命 (アマノコヤネノミコト)……天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神
  • 速玉男命 (ハヤタマノオカミ)……絶命して黄泉国へ去ったの伊奘冉尊を伊奘諾尊が訪れたとき、見ないで欲しいといわれたその姿をみてしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神
  • 事解男命(コトサカノオノミコト)……伊弉諾尊、伊弉冉尊の関係を掃う神。速玉男命 ともども熊野速玉大社の御祭神
Img_4252c 創立年代は不明ですが、延喜式神名帳(延喜5(905)年から編纂された)に載った式内社ですから、その頃にはあったと思われます。江戸時代は、観音寺の境内(南側)に木館神明社(木立神明社)、神明社(3社)、熊野権現、天満宮、富士権現として祀られていたといい、木館神明社が比佐豆知神社となったのは明治になってからです(神社でいただいた説明文書による)。明治40(1907)年に比佐豆知神社、神明社(3社)、熊野権現(熊野神社)の3社が合祀され、比佐豆知神社となっています。上記のように多くの神様が祀られているのは、この明治の一村一社政策によるわけです。なお、左の社名標は、明治12(1879)年9月に建てたとあります。
Img_4264c 拝殿の北側には、もう一つのお社がありました。こちらは、二柱神社(にはしらじんじゃ)。一村一社政策のとき、4社の山神社と、八雲神社(牛頭天王社)が合祀されたものです。
 ちなみに「比佐豆知」はすなわち「久土」であり、皆親しむという意味があるといいます。土に親しむ心を持って生物増産する意味を含めて「久土」と名づけ、これと同じ意味を持つ「比佐豆知」の文字を当てたと、昭和初期の神社誌にあるといいます。さらに余談。「比佐豆知」と呼ばれる神社は、ここの他に津市鳥居町には、同名の比佐豆知神社が、また、津市安濃町の京ヶ峰登山口近くに比佐豆知菅原神社があるそうです。
Img_4266c 二柱神社の脇には、もう一つ社というか、祠というかがあります。こちらImg_4269c は、庚申塚でした。「庚申」と刻まれた石に注連縄が張られていました。写真は割愛しますが、狛犬は、子取り・玉取りではないタイプでした。
Img_4261c このほか境内にあったのは、この国旗掲揚塔の台座(といってよいのか?)。「出征軍人家族中」とあり、昭和12(1937)年12月に建てられていました。この年には盧溝橋事件などが起こり、日中戦争が始まっています。 
 
Img_4283c 次も寄り道。子安観音寺の南東すぐにある西方寺です。真宗高田派。境Img_4288c 内に山口誓子の代表作「海に出て 木枯帰る ところなし」の句碑があります(昭和53(1988)年建立)。
Img_4290c この句にちなんで誓子が命名した書院「木枯亭」が本堂に隣接してあります。内部の写真は、こちらにあります。誓子は、ここで俳句教室を開いたり、句会に通ったりしていたそうです。武家造りで江戸中期に建てられたものを明治の初めに移築しています。
Img_4293c 西方寺を出て、旧・伊勢街道へ出る途中に「昭和湯」というお風呂屋さんImg_4297c_2 の建物を発見。リンク先には、2002年12月に利用したという記録がありました(何事についても、調べている方があるものです)。今は廃業したように見えました(こちら)。昭和湯からすぐ(50m)でようやく旧・伊勢街道に出ました。とはいえ、スタートからは、寄り道分を除いて400mほど(苦笑)。南西に向かいます。
Img_4300c 堀切川排水機場への途中、たばこ屋さん(南部商店)の脇に「楳荘(ばいそう)翁Img_4298c 碑」。儒者・別府梅荘(文政10(1827)~明治28(1895)年)。河芸郡上野村に生まれ、寺家(このあたり)に住んだといいます。絵をよくし、生け花、煎茶にも優れたといいます。明治29(1896)年12月建立。富岡鉄斎の撰並びに書。
Img_4309c 堀切川排水機場の前に石碑と道標があります。石碑は、鼓ヶ浦海水浴Img_4313c 場のところにも同じものがありましたが、「鼓ヶ浦」と刻まれています。道標には、「右 いせみち ひたり ○みち(○は、小生には判読不明でした)」とあります。ここは、逢来橋の北のたもと。伊勢街道を行くには橋を渡って右折します。左は今日のハイキングコース。鼓ヶ浦海岸に出るはず。
Img_4327c 逢来橋からしばらくは堀切川の右岸堤防を歩きます。川には、ヒドリガモ、カルガモ、ユリカモメの姿も見えましたが、持参したデジイチには18~55mmのレンズをつけており、野鳥撮影は断念。川に入って貝を捕っているらしい人もいました。
Img_4332c 鼓ヶ浦海岸に出ました。左の写真は南の方を見たもの。松林のすぐ左にImg_4339c は、津市の南部が見えます。その先は、松阪から伊勢の方です。右は正面(東)。こちらは知多半島が見えます。名古屋港などに入港する大型の船の姿もあります。
Img_4349c 無理矢理トリミングしたり、コンデジ画像を用いたりしていますので、きれDscn6375c いではありませんが、このあたりセグロカモメかと思われるカモメがたくさんいました。
 
Img_4361c 堤防道路を350mほど行くと、鼓ヶ浦海水浴場があります。大正9(1920)Img_4365c 年開設。白砂の浜に美しい松、遠浅の海。夏の海水浴シーズンにはたくさんの人でにぎわうそうです。昭和62(1987)年には、「日本松の緑を守る会」により、「白砂青松100選」に選定されました。今でも海水浴客は多いようです。この日は、近くの鼓ヶ浦中学校の生徒さんたちが何かの活動をしていました。
Img_4363c 更衣室から海岸に降りたところにあったのは、服部憺風(たんぷう)(慶応3(1867)~昭和39(196)年)の漢詩碑。憺風は、愛知県弥富の生まれで、漢詩や書で有名。昭和28(1953)年に日本芸術院賞を受賞。桑名付近に門下で漢詩に長ずる人が多く出たといいます。こちらに石碑に刻まれた漢詩の詳しい内容とその説明があります。鼓ヶ浦をたたえる詩でした。この写真の右下に「招仙松」という石柱が見えます。「招仙松」はここにある(あった?)松のようで、憺風が命名しています。
Img_4178c これは、その1に載せた、鼓ヶ浦駅前の観光案内板。「招仙松」も描かれImg_4357c ていました。しっかり意識していませんでしたので、現地でも確認しなかったのですが、たぶん右の写真に写っている、半ば切られた松がそうではないかという気がします(ネット検索では調べきれませんでした)。
Dscn6378c 海水浴場を出て、再び堀切川を鼓橋で渡り、鈴鹿市伝統産業会館へ向Dscn6385c かいます。橋の上から、アオサギや、マガモ、ヒドリガモ、コサギの姿が見え、ちょっとバードウォッチング気分(微笑)。
Img_4383c こちらが、鈴鹿市伝統産業会館。ここまでで約1時間、実際に歩いたのImg_4378c は、2.7kmほど。鈴鹿市の伝統工芸は鈴鹿墨と伊勢型紙で、ここにもこれらが展示されています。ギャラリーやショップもありますし、型紙教室なども開催されています。
Img_4381c 鈴鹿墨の発祥は、延暦年間(782~806年)ともいわれ、江戸時代には墨染め用、紋書き用としてより精度の高い高級な墨が開発され、その後文房(ぶんぼう)としての用途も多くなったといいます。しかし、現在も墨を作り続けているのは進誠堂のみ。一方、伊勢型紙は本来、友禅、ゆかた、小紋など着物の柄や文様を染めるために用いる型紙で、1,000年余りの歴史があります。和紙を柿渋で加工した型地紙に彫刻刀で着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていきます。
 本日は、ここまで。このあと少し歩いて、また伊勢街道に戻ります。

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2018年3月19日 (月)

近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道とおひなさまめぐり」へ(その1)……子安観音寺【加筆修正しました(3/19)】

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 3月17日(土)に出かけた“近鉄ハイキング「伊勢型紙とおひなさま 旧参宮街道と2018317kintetsuhiking おひなさまめぐり」”の本編その1です。風はややあったものの、よく晴れて、絶好の行楽日和(微笑)。学校を卒業して最初の就職先が鈴鹿市内にあり、白子駅は出張でよく利用しましたが、今回のハイキングコースあたりは行ったことがありませんでした。コースマップでは、約6kmとなっていましたが、距離測βで見ると、実測8.9㎞。
20180317kintetsuhiking1 左は、実際に歩いたルートを、、距離測βで調べ、描いたもの。赤丸をつけImg_4175c た、近鉄名古屋線・鼓ヶ浦駅が今回のスタート。桑名駅を9時2分の五十鈴川行き急行に乗り、白子駅で普通電車に乗り換えて、9時38分に到着。¥560。受付は9時半から始まっており、この時間さほど並んではいませんでした。「酒蔵みてある記」でないと、空いているのかも知れません(苦笑)。マップをもらって、9時42分スタート。
Img_4178c 鼓ヶ浦駅前にあった鼓ヶ浦海水浴場の案内板。一応写真に撮っておこうと思っただけでしたが、帰宅後よく考えたらもっとしっかり確認すべきでした。というのも、山口誓子の句碑を始め、文学碑が6つもあるのでした。とくに鼓ヶ浦海水浴場には5つもあるのでした(苦笑)。
Img_4185c 最初の立ち寄りスポットは、鼓ヶ浦駅から200mあまりの白子山観音寺。地Img_4193c 元では、「白子の子安観音」で親しまれています。その名の通り、安産祈願で有名。高野山真言宗。聖武天皇の命令で藤原不比等が建立したと伝えられ(道證上人の開山によります)、1250年以上の歴史があります。本尊は、「白衣観世音菩薩」。縁起によれば、「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり、怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上がらせ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺となりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているそうです。異説には、鼓ヶ浦の海の中から赤ん坊に背負われてご本尊が現れたという話もあります。
Img_4189c 上左の写真にある「仁王門」は、三重県指定文化財(昭和47(1972)年にImg_4199c 指定)。仁王門は、元禄16(1703)年に建立されたもので、正面両脇に鎌倉様式の金剛力士が配されています。江戸時代の楼門の典型とされる、堂々とした構えです。高さは12.37m、桁行は7.42m、本瓦葺の立派なものです。
Img_4226c こちらが本堂。中央に写っているのは、マスコットキャラクImg_4212c ターでしょうか。中に入ると、「子安」と大書された大きな提灯が頭上に下がっています。
Img_4214c 正面の上には、「白子山 観音寺大聖院 ご本尊 白衣観音」などと描かImg_4210c れた額が掲げられていました。また、お祈りするときの注意事項というか、唱えるべきことばも示されています。ちなみに「おん しべてい しべてい はんだら ばしに そわか」と三遍乃至七遍唱えるようにとありました。ご真言というのだそうです。
Img_4207c 境内の中央にあるのが、三重県指定有形文化財の「銅燈籠」。です。寛文6(1666)年、辻越後守玄種の作です。辻越後は、藤堂高虎の頃、近江から津の釜屋町に来た鋳物師。高田本山専修寺には、その三代目である辻越後守陳種が作った銅燈籠がありますし(2018年1月12日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」へ(その2)……石積神社、窪田の常夜灯、高田本山専修寺)、初代・家種の作になる梵鐘が津観音にあるそうです(こちら)。
Img_4233c 境内には、不断桜があり、天然記念物に指定されていま
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す(大正12(1923)年3月指定)。樹齢については諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「一年中葉や花が途絶えない不思議な桜」として著名な木だったといいます。すずかし観光ガイドによれば、真夏以外は梢のあちらこちらにちらほらと花をつけ、四季を通じて桜の花が咲くことから不断桜と名付けられたそうです。3月~4月には薄桃色の花が一面満開となります。この不断桜の葉の虫食い跡をみて伊勢型紙を思いついたというエピソードも残っています。
Img_4243c 不断桜の周囲には、いくつか石柱、石碑、説明板があります。左の写真の石柱は、不断桜が天然記念物に指定された記念として建てられたもので、「天然記念物白子不断桜 内務省」と刻まれています。大正12(1923)年4月1日に建設。正面に向かって左側には、「史跡名勝天然記念物保存法ニ依リ 大正十二年三月十日 内務大臣指定」とありました。
Img_4205c こちらは、智慧の塔。三重塔で、広く人々の苦難を救われる観音様の功徳を求め、ご縁の深い皆様の御安泰と子孫繁栄を祈念し、併せて寺門興隆の悲願を込めて建立したといいます。塔内には、金剛界大日如来(真言密教の教主)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ、普通には普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左脇に侍し、智慧を司る菩薩として信仰されている)、普賢菩薩(ふげんぼさつ、仏陀の実践的理性を司る菩薩で、文殊菩薩と並んで釈迦仏の二脇侍として知られる)の三尊が祀られています。建築様式は、鎌倉時代様式を取り入れたものだそうです。
Img_4275c 本堂の前には、こういう立派な幟が立てられていました。山門を入ったとImg_4190c ころに右のような看板がありました。ここに出てくる「大幟」がこれかという気がします。浅沼一道(あさぬま いちどう)は、書家。こちらに紹介がありました。
Img_4228c これもよく見てくればよかったと反省しています(反省だけならサルでもできるといわれそうですが……)。「永代常夜燈」です。こちらを見ると、対になっているということでしたが、片方しか気づきませんでした。裏側には「尾州 名古屋 木綿問屋」と刻まれていました。「天保三年壬辰冬」とあります(天保3年は1832年)。この頃は、白子の木綿問屋が衰退し、名古屋の問屋が勢力を増してきた頃だそうです。ちなみにもう一つの永代常夜燈には、「白子 川合氏」とあるといいます。白子の川合氏は、積荷問屋・河合氏(江島在住)。
Img_4227c 境内には、山口誓子の句碑が2つあります。その一つには、「虹の環を以て地上のものかこむ」とあります。昭和46(1971)年10月建立。子安観音寺は、誓子が白子居住時に時折訪れ親しんだ地だそうです(こちら)。ちなみに、山口誓子(明治34(1901)年~平成6(1994)年)は京都府出身の俳人。高浜虚子に師事。昭和15(1940)年に病気療養のため四日市市富田に転居。昭和22(1947)年からは鈴鹿市白子で5年間過ごし、体調も順調に回復したといいます。鈴鹿市には、誓子が詠んだ11の句碑が建てられているそうです。
Img_4278c もう一つがこちら。「寺の古び月夜のけふのごときはなし」とあります。三重の句碑のサイトにも、当然ながら載っていました(こちら)。昭和57(1982)年6月の建立。
Img_4221c 子安観音寺には他にも句碑がいくつかあります。まず、こちらは、「花の香のたえぬ恵みの御堂かな」という坪田(五老井)梥雄(まつお:「梥」は「松」の古い字といいます)の句が刻まれています(こちら)。梥雄は森川許六(江戸前・中期の俳人。彦根藩士)を祖とする五老井八世(明治40(1907)年、五老井八世を嗣号)で正風俳諧継承者の一人。万延元(1860)年滋賀県に生まれ、無々庵とも号して全国各地で俳句に遊び、全国の有名な地に句碑36基を建設し、その一つがこれだそうです。梥雄の句碑は県下では二見浦にあるものとで2基現存するそうです。この句碑は、大正2(1913)春建立。
 以下は、追記です(3/19)。昨日の時点(3/18)で調べがついていなかったものです。まずは、不断桜のところにあった石碑。
Img_4238c 「不断櫻」と刻まれています。右から文字が刻まれていますし、いかにも古びていますから、相当前のもの。「不断櫻」とある下には、漢文が刻まれています。気楽に、写真があればわかると思ったのが間違いの元。ネットで検索したところ、こちらにありました(喜)。何事もきちんと調べる方がいらっしゃるものです。桑名藩士であった山田松齋(文化6(1809)年~明治29(1896)年)によるものだそうです。松齋は奥州白川に生まれ、父に従い桑名へ来ています。文武両道を極めた人で、後に津藩に仕えています。文末に「仝戌辰春相議建之」とあります。「」は「同」の古字とされます。直前に「慶應丙寅……」とありますから、ここでの「仝」は「慶應」と考えられます。したがって、「慶應戌辰」(慶応4(1868)年、ただし、この年に明治に改元されています)にこの石碑が建てられたということです。内容は、上記のリンク先(こちら)をご覧ください。
Img_4240c もう一つはこちらの句碑。上の写真の石碑と並んで不断桜の前にありました。これまた写真に撮っておけば大丈夫と高を括ったのでした(苦笑)。これも、上の石碑と同じサイトに説明があり、助けられました。「養老舎梥琳句碑」で、「波音を鼓に寺の桜かな」と刻まれているようです。この句碑は、五老井門人が大正8(1919)年5月に建立したもの。「五老井門人」は、芭蕉の門人である五老井許六(きょりく)を一世とする俳諧の系統。五老井許六は、宝井其角の手引きで芭蕉に入門しています。六芸に通じているという意味で許六と号し、芭蕉に画報を伝授したといいます。以上2つの石碑&句碑の説明は、天明元年大宝転社絵馬というサイトによります。
Img_4249c これで子安観音寺の最後。境内の南側、塀際に立っています。「寄附者姓名」と読めます。その下には、寄付をしたと思われる方々のお名前が多数刻まれています。裏側は未確認。
 以上、昨日のその1の記事の加筆修正で、今日(3/19)は終わってしまいました。まだ先は長いので、お時間がおありでしたら、気長にお付き合いを願います。次は、寄り道した比佐豆知神社から。
 かなり加筆修正しましたので、投稿の日付を3月19日に変更しました。ご了解下さい。

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2018年3月13日 (火)

九華公園でウグイスの初鳴き

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 天気予報通り、14時前には17℃。散歩で少したくさん歩いたら、汗を掻きました。今日は8時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、シティホール、寺町といつものところを、少し違った道を通って歩いたら、7.1km。ちょっと歩きすぎ(苦笑)。
Img_3576c 暖かい日が続き、NTNシティホール前の薄墨桜、つぼみも昨日以上に膨らImg_8085c み、今にも咲き出しそうな感じでした。右は、桑名別院・本統寺にある梅。梅も色々と種類がありますが、小生にはそれは判別できません。しかし、ちょっと変わった感じの梅です。これも満開。
 今日のトピックスは、九華公園でウグイスの初鳴きを聞いたことです。今まで「地鳴き」は何度か聞いていましたし、ツツジの植え込みの中を移動するところを見たりはしていましたが、あの「ホーホケキョ」は、今日が今シーズン初。ただし、遠いところでしたので、小さくしか音が入っていません。耳を澄ませていただくか、音量を上げていただくか、お願いします。
Img_3483c さて、順番に行きましょう。住吉神社前の揖斐川では、カンムリカイツブリ。羽も、夏モードに変わりつつあるようです。真冬の頃は、川のあちこちに10羽近くが浮いていましたが、この頃は1羽を見るか、見ないかくらい。揖斐川には、他に中洲近くにヒドリガモの群れが24羽。七里の渡し跡には、コガモ5羽と、ヒドリガモ8羽。
Img_3495c 三の丸水門の上空には、「揚げ雲雀」。今日は、このほかにも1羽のヒバリがいました。このあたりに巣があるとすれば、散歩コースですから観察もしやすく、楽しみになります。
Img_3497c 九華公園に入り、土俵の先まで来たところで2羽のカワラヒワがいましImg_8044c た。ちょっとわかりにくいのですが、どちらも枯れた草の茎のようなものを咥えています。巣の材料を集めているようです。
Img_8069c ゴイサギ、今日は2羽。クスノキと、北側とに1羽ずつ。ほぼいつもの定位Img_3503c 置。
Img_3508c 暖かい日続きで、このところカメの姿もよく見ます。あの「甲羅干しスロープ」にも、今日は、4匹。このまわりにも数匹が泳いでいましたし、石垣にとりついているカメも見られました。ミドリガメがほとんどですが、イシガメかと思うものもまれに見ます。
Img_3524c 今日も、「尾曲エナガ」を狙っていったのですが、そうそううまくはいきません。このエナガは二の丸跡で見ました。尾が乱れていますが、曲がっているような、今ひとつハッキリしないような……。
Img_8054c その他には、ツグミと、ジョウビタキのオス。これらは、朝日丸跡で見たもImg_8059c の。このほかにも、ビンズイがいたように見えたのですが、知人と話をしていて、しっかりとは確認していません。
Img_8072c カモは合計46羽。ヒドリガモのオスが1羽、ハシビロガモのオス2羽、メス1Img_3565c 羽の他は、キンクロハジロ。そして、今日は、実に久しぶりにユリカモメが3羽やって来ていました。まだお見限りではなかったと、少し安心(微笑)。
Img_8074c ところで、昨日は、NTNシティホールにある「鑄造報国」の石碑を載せましたが、もう一つ、ブロンズ像もあります。シティホールが耐震改修される前には、もう少し建物に近いところにありました。昭和42(1967)年3月に桑名ロータリークラブが寄贈したというプレートが、正面に向かって左側に取り付けられています。
Img_8078c 像の左下には、「今日わ」と刻まれたプレートがついています。これがテImg_8081c ーマなのでしょう。サインと落款らしきものもあるのですが、小生には判読不能(苦笑)。シティホールの東側に建っています。

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2018年3月10日 (土)

エナガはすでに卵を抱いているのか?……桑名市博物館で「刀剣日和-村正とその仲間たち」を見る

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 風はやや冷たいものの、日差しは春のものです。散歩に出る頃は風が強かったため、遠征(町屋川あたり)や、イベント(国指定重要文化財「末広橋梁」と港の線路跡を巡る見学会)に出かけるのは止めたのですが、次第に風も収まりましたので、ちょっと惜しいことをしたかも知れません。8時半からいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、博物館、寺町と6.3㎞を回って来ました。
Img_3224c まずは、エナガ。先週くらいから巣材を集め、運んで、巣作りをしているような様子が見られていました。今日であったエナガは、ご覧のように、尾が曲がっていました。これは、メスで、巣に就いていることを示してます。エナガの巣は、丸くまとめた袋状のものです。こうした巣に就いているため、尾が曲がってしまうのです。ということは、すでに卵があるのでしょう。抱卵期間は12~14日といいますから、うまくいくとそのうち雛が見られるかも知れません。
Img_3195c この時期おなじみの「ウメジロウ」。九華公園では、管理事務所の南にある白梅の木にペアでよくやって来ています。鎮国守国神社にはたくさんの梅がありますが、公園の方はこの一本しかありません。
Img_3203c このウメジロウを追いかけていたら、そのうち松の木に移動しました。見てImg_3239c いると、枝が出ている、又になった部分や、葉っぱの根元などに嘴を突っ込んでいます。松の木にもメジロが食べるものがあるということなのでしょうか? 引き続きよく見てみることにしましょう。
Img_3137c さて散歩ルートには、ほぼいつものメンバーが揃っていました。ツグミは、Img_3140c 旅館・山月の裏の堤防にて。ヒドリガモは、住吉水門の内側に1ペア、七rの渡し跡に4ペア。今日は、ヒバリは鳴き声も聞かれませんでした。
Img_3142c ゴイサギは、鎮国守国神社の社務所の裏に合計3羽。やはり思わぬところに隠れていますので、今日も危うく見逃すところでした。よくいるところだけでなく、いろいろなところをしっかりチェックする必要があります。
Img_3188c 今日のカウントボード。カモは合計48羽。ハシビロガモのオス1羽と、ヒドImg_3146c リガモ3ペアの他は、すべてキンクロハジロ。9時頃はまだ「保温体制」で休憩していますが、10時近くになると活発に動き始めます。ホシハジロは来なくなりましたし、ハシビロガモもオス2羽、メス2羽はいなくなりました。ユリカモメの姿は、このところ見ていません。
Img_3156c 奥平屋敷跡では、ジョウビタキのメス。外周の遊歩道から飛んできたのに気づいたものの、いったんは見失いました。が、花菖蒲園のところに再び登場。まるで「写真を撮って」といわんばかり(微笑)。
Img_3167c 奥平屋敷跡でも見たシロハラ。この写真は、二の丸跡にて。近くにいても平気なときと、割と警戒心が強いときとがあるような気がします(個体差かも知れません)。このシロハラには、ずいぶん警戒されました。
Img_3171c シメはやはり、本丸跡にいました。大木の陰、それも日が当たらないとこImg_7800c ろにいることが多く、なかなか写真には撮りにくいものがあります。右の写真、パソコンで見て分かったのですが、何かの実の皮だけをはき出しているところのようでした。
Img_3251c ハクセキレイ。九華橋のところですぐ目の前で撮れました。20mmズームでほとんどトリミングなしです。いやぁ、他の鳥たちもこれくらい近くで撮らせてもらえないものかと思います。
Img_3275c 貝塚公園へ移動。ツグミ3羽、カワラヒワ2羽などの他、シロハラ2羽。やImg_3278c はり今年、貝塚公園は冬の鳥はかなり少ない気がします。一時期見かけたウグイスもこの頃はサッパリ。
Img_7831c 帰り道、まだ早かったので、桑名市博物館に寄って来ました。3月25日(日)まで春季企画展「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 が開かれているのです。午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)、入館は無料。休館日は、月曜日と、3月22日(木)。
20180208112055 今回の展覧会では、博物館が所蔵するものを中心に、「村正」を含む刀剣やなぎなたなどが展示されています。しかも今回の企画は、女性の学芸員の方によるものだそうで、「刀剣の魅力を女性目線で発信」することも狙いだそうです。「刀剣日和―村正とその仲間たち―」 というテーマも、オッサンでは思いつかないでしょう(微笑)。11時過ぎに行ったのですが、失礼ながら、桑名市博物館としては賑わっていました。女性の姿も多く、「刀剣女子」ということばも実感しました。単眼鏡で刃紋を詳しく見ていらっしゃる方もあり、感心して帰って来た次第。
 主な出品作品は、次の通りでした:
  • 桑名市指定文化財 《短刀 銘 村正》 (立坂神社蔵)
  • 《短刀 銘 村正》 (個人蔵)
  • 三重県指定文化財 《四弁花繋文錦包糸巻太刀拵》 (桑名宗社蔵)
  • 《長刀 銘 宝寿》 (桑名市博物館蔵)
  • 《備前介藤原宗次/文久二年八月日》 (個人蔵)
 出品目録は、ここにpdfファイルのものがあります。桑名総社蔵の「四弁花繋文錦包糸巻太刀拵」は初出展。見る価値あります。
Img_7826c 原則撮影禁止なのですが、毎回一点だけは撮影できるものがあります。今回は、こちら。照明の当て方にもよるのでしょうが妖しい魅力があります。見入ってしまいました。
 なお、桑名市博物館では、この秋(10~11月)に「村正展(Ⅱ)」を企画しているそうです。2年前に開催された“特別企画展「村正 」-伊勢桑名の刀工-”の続編です。このときは、桑名市博物館始まって以来の大人気展でした。小生も見に行っています(2016年9月27日:妖刀「村正」を見る……桑名市博物館にて)。期待しましょう。
Img_7817c 明日は、天気もよく暖かくなって散歩日和のようですが、午前中、名古屋で開催される特別支援教育支援員養成講座でお話をしてきます。それ故、残念ながら散歩はできません。会場は、名古屋市の市政資料館近くですから、少しぶらぶらできるかも知れません。

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2018年2月17日 (土)

20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(予告編)

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 朝出かけるとき、多度山の方に虹が出ていました。これはなかなか幸先がよいと思ったものの、豈図らんや(笑)。詳細は、また追々書きますが、酒蔵みてある記に行くと、寒くて、天気が悪いという「ジンクス」が再現されてしまいました(苦笑)。
Uzume 本日も、予定通り、近鉄ハイキング・酒蔵みてある記に行ってきました。「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」であります。伊藤酒造さんは、三重県四日市市桜にあります。創業は、弘化4(1847)年といいますから、170年の歴史があります。「鈿女」「猿田彦」「鈴鹿山麓」「日本華」という地酒を醸造しておられます。
Img_9428c 集合は、近鉄湯の山線・高角駅。桑名発9時2分の松阪行き急行に乗車。Img_9425c 近鉄四日市で、湯の山線の普通電車・湯の山行き(9時30分)に乗り換え。車内は、近鉄ハイキングに行くと思われる人で賑わっています。高角駅到着は、9時41分。¥420。右は、高角駅に着く直前に撮った、今日歩くあたり。中央の山(一生吹山)に登るはず。
Img_9435c 近鉄・高角駅前。受付は9時50分からの予定でしたが、たぶん参加者が多かったのでしょう、すでに始まっていました。いつものように地図を受け取り、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい(これで5個。まだまだです)、スタート。スタートは9時48分。
20180217kintetsuhikingitohshuzoc 今日歩いたコースは、この地図の通りです。赤丸をつけたのが、スタートの高角駅。南西から西に向かい、一生吹山(いっしょうぶきやま、標高109m)へ。水道局の配水池、毘沙門天を経て、東名阪自動車道をくぐります。くぐったところには、大師堂。北に向かい、桜町へ。ここでは、智積養水、椿岸神社、西勝寺を経て、目的地の伊藤酒造へ。赤い四角で囲んだ桜駅がゴール。2時間弱、実際に歩いた距離は、5.3㎞でした。余談ですが、いきなりコースから外れて、北西に向かう人がありました。向かった方角からすると、「山登り」を避けたか、あるいは、伊藤酒造へ直行したかと思われます。
Img_9451c 今日は、前回に倣って、予告編ということで、概要についてまとめます。Img_9456c 高角駅から次第に上り坂になります。目的地の一生吹山は、標高109mとはいえ、かなり急な坂道を登る羽目になりました(「羽目になった」と書きましたように、けっこうしんどかったのです)。登り切ったところに、四日市市水道局の「一生吹配水池」があります。ちなみに、坂を登る前には、「三滝西水源地」がありました。ここ一生吹山は、歴史的にいろいろな時券、エピソードがあるところです。詳しいことはまた本編にて。
Img_9468c 一生吹配水池のすぐ北には、一生吹毘沙門天。ここには、もともと、浅間神社(ご祭神は、木花佐久夜比賣命(このはなのさくやひめ):大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘、富士山の神とされ、浅間(せんげん)神社に祀られます)が祀られていたものの、明治42(1909)年に明治政府の政策で「一村一社の神社合祀」が実施されて椿岸神社に合祀されました。昭和3(1928)年、有志によって、信貴山より毘沙門天が勧請され、今日に至っています。
Img_9484c こちらが、毘沙門堂。山頂は小公園となっており、桜の名所にもなっているようで、4月3日の毘沙門天例祭の頃には桜が満開だそうです。ここには、御大典記念碑や、母子観世音菩薩像、七福神それぞれの御堂がありました。
Img_9504c 毘沙門天を10時15分を過ぎたくらいに出発し、ここからは、下り坂。ところが、この頃から、雨や霰がかなり酷く降ってきて、冷たい西風も吹きまくり(苦笑)。「ジンクス再現」というのは、このこと。結局、伊藤酒造に着く直前まで、こんな天気。やむなく傘を差して歩くことになりました。
Img_9509c 10時半頃、東名阪自動車道の下をくぐります。ここのトンネルでしばし休Img_9519c 憩。トンネルを出てじきに、左手(南側)に大師堂がありました。弘法大師を祀っています。江戸末期、このあたりを開墾し、田地化するさいに溜池をつくって灌漑しました。昭和初期、この水が永遠に絶えないことを祈って、徳志(篤志か?)の人が、水に縁の深い弘法大師をここに祀ったといいます。
Img_9515c このあたりは、東名阪自動車道の四日市インターチェンジの南西、5~600mほどのところ。雨・霰・風は相変わらず強く、傘を飛ばされそうになりながら歩き続けます。時々、「一体何をしているのか?」と思わないわけでもありませんが、リタイアして帰るにしても、ここからでは桜駅に行かざるを得ません(苦笑)。
Img_9537c_2 大師堂から800mほど。椿岸神社に到着。主たる御祭神は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)。天照大神が天の岩屋に隠れたときに、その前で踊り、天照大神を誘い出した女神です。それ故、ここの御利益の一つには、「芸能」が揚げられています。ちなみに、天宇受売命は、「天鈿女命」とも書きます。これが、おそらく、伊藤酒造の「鈿女(うずめ)」の由来でしょう。
Img_9551c 前回の近鉄ハイキングで訪ねた「高松八幡社」のところで、「神社はワンImg_9617c ダーランド」と書きましたが、ここも同じでした。相殿神もたくさんいらっしゃいましたし、ここで初めて見つけたものもあります。それは、右の写真にある、「橿原神宮遙拝所」です。橿原神宮は、もちろんあの、奈良県橿原市にある橿原神宮でしょう。西を向いて遙拝するようになっています。ネットで少しだけ検索してみると、大分県にもあるという記述(こちら)もありました。地蔵堂の陰になっていて、今日の参加者の方もほとんど気づく方はありませんでしたので、ちょっとした「発見」をした気分です。
Img_9628c ところで、智積養水(ちしゃくようすい)は? と思ったら、椿岸神社の西、西勝寺の前に流れていました。江戸時代につくられた灌漑用水で、昭和60(1985)年に環境省選定の「名水百選」に選ばれています。
Img_9629c こちらが、桜岡山西勝寺(浄土真宗本願寺派)。ここは、境内に「引石」Img_9644c があります。近くの矢合川(元は、生水川)は、雪解けや浮きの増水時には、川水が橋上を流れて危険だったそうです。そこで、この「引石」を橋の両側に建て、その間に綱を張って手すり代わりにしたといいます。綱を頼りに「南無阿弥陀仏」を唱えながら橋を渡ったのでしょう。
Img_9663c 山登りからスタートして4kmほどで、伊藤酒造さんに到着。今日は、まさImg_9677c に「酒蔵みてある記」でした。酒蔵の見学ができたのです。今月仕込んだばかりの発酵用タンクを覗かせてもらえました(右の写真)。ぶくぶくと泡立っていました。昨日などは、タンクを乗り越えそうなくらい発酵が進んでいるということでした。香りだけで十分酔えそうでした。
Img_9679c 見学した後は、いよいよ待望の試飲(微笑)。「鈿女 特別本醸造 搾りたImg_9680c て生原酒」であります。蔵の中で試飲させていただきましたので、ちょっと暗く(オヤジギャグではありません)、ピントが甘い写真になりました。「搾りたて生原酒」ということで、アルコール度数は18度。甘めの感じで、濃厚という印象。私印のコップが矢や小ぶりで、ちょっと残念でした。
Img_9688c 試飲のあと、甘酒の振る舞い。今日は、前回とは異なり、無事に甘酒もいただけました(笑)。こちらは、「どれくらい飲みますか?」と尋ねていただき、コップ一杯に注いでもらいました(笑)。暖かく、美味しい甘酒。
Img_9690c 試飲がちょっともの足らず、ウロウロしました(微笑)。飲食ブースがあり、そこで<ショット原酒>を売っていたからです(爆)。「生原酒が200円」とありました。「300ミリ瓶」が¥400とか¥600円ですから、0.5合くらいなのでしょう。あまり飲むと、帰り道に差し障ります。誰か相手がいれば、もうちょっと飲んでもよいのですが、ここはグッと我慢することにしました(苦笑)。
Img_9728c 伊藤酒造さんから、ゴールの近鉄湯の山線・桜駅までは1km足らず。桜Img_9733c の町の中を歩いて、11時45分に無事到着。到着とほぼ同時に、四日市行き普通が出てしまい(11時44分発)、次の電車を待つことに(12時10分発、普通電車四日市行き)。
Img_9747c 写真は、湯の山の方向。雪雲に隠れて、御在所岳をはじめ、鈴鹿山脈は見えません。四日市で、12時28分発名古屋行き急行に乗り換え、桑名到着は、12時40分着。¥420ということで、往復で¥840。ハイキングで歩いたのが、5.3㎞。自宅から桑名駅往復が、2.2kmですので、合計7.5㎞。距離は、普段の散歩に毛が生えたくらいですが、一生吹山を登ったのはけっこうしんどかったですねぇ。普段から高低差のあるところを歩いた方が良さそうです。
Img_9763c 今日の土産は、試飲させてもらったこちら。「鈿女 特別本醸造 搾りたてImg_9767c 生原酒」720ml。ちなみに、¥1,200でした。右の写真のように、瓶のキャップにまで「生」と記されていました。まだ、今日は飲んでおりません。
 明日以降、また順次、詳しく書いて行きます。今日は、予告編ということで、ご了解ください。

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2018年2月14日 (水)

20180211近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”へ(その3)……高松八幡社、山武食品に立ち寄って、川越富洲原駅にゴールで「完」

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 近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”のそのImg_8234c 3です。最大の目的である早川酒造部を訪ね、試飲も済ませ、土産も買いました(微笑)。早川酒造部は、この地図の右下に位置しています。残りは、2㎞あまり。ほろ酔い気分で、歩き続けます。
Img_8396c 次の立ち寄りポイントは、早川酒造部を出て、200mあまりのところにある高Img_8397c 松八幡神社。ただし、道路に面して、この鳥居があるものの、拝殿はさらに東に200mほど入ったところにありました。いきなりの余談になりますが、鳥居の北には「満腹キッチンでぶや」というお店がありました。右の写真のように、「でぶや」と大書してあり、インパクト抜群。食べログなどで調べると、かなりお値打ちにランチが食べられるようです。
Img_8457c 鳥居を入ったところの燈籠、いわゆる「春日燈籠」と言われる、ごく普通の燈Img_8459c 籠なのですが、「火袋」のところだけ、色が違っていました。もともとかなり古いもののようで、火袋のところだけ新しくしたと思われます。何となく違和感がありますが、年月が経てばなじむのでしょう。
Img_8399c 参道を東へ100m足らず進むと、また立派な燈籠があり、「村社 八幡神社」Img_8403c と書かれた標柱が立っています。にの鳥居はここからさらに50mほど先になります。参道のまわりには、民家などが建っていて、その向こうに鎮守の森が見えます。ここまで来て気づいたのですが、今回のハイキング参加者の方で、ここに立ち寄る方はほとんどゼロ。早川酒造部からの道を見ていると、皆さん目もくれず、スルーして行かれます(苦笑)。物好きしか立ち寄らないのかも知れません。
Img_8408c 二の鳥居の先、南側に真新しい地蔵堂がありました。覗いてみると、おImg_8410c 地蔵様が五体。お地蔵様は五体いらっしゃるのに、下がっている、名前を書いた提灯は4つ。さて、これ如何に? 地蔵堂を建て直したものなのか、新しくつくったのか? ネットでは情報は見つかりません。分からないことが多々あります。
Img_8411c 地蔵堂を過ぎると、狛犬が鎮座。この狛犬Img_8414c さん、お約束通り「子取り玉取り」になっていました。向かって左が「子取り」で、こちらは口を閉じており、右が「玉取り」で口を開けています。向かって右の「玉取り」の方が古そうな感じでしたが、しっかりと確かめては来ませんでした。
Img_8415c なかなか拝殿まで行き着きません(苦笑)。いろいろなものがあって、目をImg_8416c 引かれてしまうのです。狛犬の次は、この赤い鳥居。赤い鳥居ですから、お稲荷さんかと思ったのですが、御堂はありません。代わりに右の写真のような石に「○○○神」と刻まれていたのですが、読めませんでした。崩し字(あるいは、古文書)の読み方を勉強した方が良さそうです。
Img_8418c この神様、一の鳥居は南向きにくぐるのですが、その先で直角に曲がって、二の鳥居、賽銭箱などが置かれています。敷地の関係なのか、これまた不明。
Img_8419c さて、いよいよ拝殿が見えてきます。一の鳥居からここまで100数十m。八幡様ですから、御祭神は、応神天皇。その他に、菅原道真天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、天照大御神火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)、罔象女神(みつはのめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、大日孁貴尊(おおひるめのむち:天照大神の別称)が祀られています。神様の名前、だいぶ慣れてきましたが、まだまだややこしい(苦笑)。
Img_8425c 神社検索(三重)には、「創祀については詳らかにし難い」とありました。Img_8426c 明治4(1872)年、村社に列格され、同40~41(1907~1908)にかけて、字亀崎の村社・神明社、字亀須の村社・神明社、字川下の無格社・葭野神社、字暗尾新田出の村社・神明社及びそれぞれの境内社を合祀したといいます。これは、明治時代に行われた神社合祀政策によるものなのでしょう(2/7:町屋川遠征3回目余談……大貝須神社と、古い看板の話など)。大正8(1919)年には、それまでの社名「八幡社」を「八幡神社」に改称しています。戦後の昭和30(1955)年に、亀崎、字亀須、字新関に神明社を分祀して現在に至っています。
Img_8422c 拝殿の前に、柱が立っており、一体何に使うのかと思ったのですが、帰宅して調べたら、伝統の神事である「足上げ祭」に使うものだということが分かりました。このお祭りは、8月14日の盆の晩に小学生が松明を担ぎ、青年は大太鼓と鉦をたたいて八幡神社まで参道を練り歩き、境内中央に設けられた、この「しんばしら」の周りを火の点いた松明を青年が持って跳び歩くという特異な祭りだそうです。こちらに動画があります(三重県のサイト)。
Img_8428c 御祭神に、菅原道真公がありましたが、拝殿前には、この牛の象が奉納され(昭和60(1985)年10月)、鎮座していました。鎮国守国神社にある牛の象も、これによく似ている気がします。
Img_8436c 拝殿の東に、八幡竜神社という神額がかかった、もう一つの鳥居がありImg_8438c ます。奥に進むと、右の写真のような拝殿と本殿があります。罔象女神が、水の神様ということです。また、コースマップにあった説明では、「……竜宮神(水神、海神)を祀っていた村社が始まり……」とありました。拝殿に向かって左手には、「天下り 授け賜いし鈴の音 鳴るたひ毎に 心ひきしめ」と書かれています。
Img_8440c 拝殿の東南には、小さな池がありました。説明などは特にありませんでしたが、「竜宮神(水神、海神)」を祀っているからなのだろうと勝手に解釈しています。
Img_8443c 八幡竜神社のさらに東、チヨダウーテという会社との境界近くに、玉垣にImg_8445c 囲まれた燈籠らしきものがありました。正面にも文字らしきものが刻まれていたのですが、これまた読めません。一つは、「御」という文字のような気がします。向かって右(南側)には、「文政六年」とありました。文政6年は、1823年。異国船打払令(文政8(1825)年)や、シーボルト事件(文政11(1828)年が起きる前の頃。この高松八幡社、いろいろと謎めいた(少なくとも小生にとっては)ものがあり、まるで「ワンダーランド」です(微笑)。
Img_8432c 拝殿前に戻って、西側を見ると、歌碑があります。近づいてよく見たら、Img_8433c 明治天皇御製の歌碑。「目にみえぬ 神乃心に 通ふこそ人乃こころの まことなりけれ」 という、明治40(1907)年に詠まれた歌。「私心を去り、神の心に自分を近づけることができた状態こそが、人の心のまこと(まごころ)というものであろう」という意味でしょうか。大正時代に氏子の方が奉納されたものでした。
Img_8447c さあこれで、高松八幡社もコンプリートと思ったら、来るときには気づかなImg_8449c かった、忠魂碑を見つけてしまいました。三重県遺族会のリストによれば、川越町高松地区戦没者41柱を祀るものだそうです(こちら)。裏は、ほとんど文字が判別できませんでした。
Img_8453c コンプリートとは書きましたが、もう一つ気になるものがあります。二の鳥居の脇、北側にある、この塀です。今のところ、調べ方が足りず、不明。ご存じの方がいらっしゃれば、是非ともご教示ください(もちろん、他の内容についても是非ともお願いします)。
Img_8463c 11時45分。コースに戻ります。八幡神社のすぐに西は、もう四日市市。天Img_8466c カ須賀三丁目の交差点を右折し、北西に向かいます。次の立ち寄りポイントである山武食品までは、ほぼ1㎞。右の写真は右折してからの道。この道は、国道1号線・高松川原交差点と23号線・高松交差点を結んでいます。
Img_8468c 途中、コンビニに立ち寄り、20分ほどで山武食品に到着。本社工場内にImg_8473c 直売所があります。「海旬工房 矢馬竹」として営業しているのです。「何も買うな」という指令でしたが、こちらに載っていた「焼きそばバリバリ天」とか、「ばくだん揚げ」などが単品で売っていれば買おうと、密かに決意していたのです。しかし、これはどうもセット商品で、結局、中を一通り見てきただけです(苦笑)。
Img_8474c ちなみに、矢馬竹の店舗脇にお稲荷さんが祀られていましたが、こちらはパスしてきました。
Img_8481c 山武食品さんの前の国道1号線は、何度も通っていますImg_8482c が、ここに来たのは初めて。交差点を渡って、しばらく国道1号線を進みます。このあたり、川越町の繁華街。マックスバリュや、吉野家、マックなどの他、何故か焼き肉屋さんなど肉関係の店がたくさんあります。
Img_8487c 山武食品から500mほど、国道1号線を進み、スシローや、吉野家のあるImg_8489c ところを右折(西へ)すると、じきに近鉄名古屋線・川越富洲原駅が見えてきます。ここが本日のゴール。12時20分に到着。駅の東西の広場には、右のようなモニュメントがあります。これ、実は時計。夜になると内蔵されたLED照明が広場の街路灯と連動して点灯するようになっているそうです(こちら)。ここは、毎年年末になると、朝明商工会によってイルミネーションも設置されます。
Img_8497c 前回、ここ川越富洲原駅に来たときは(2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))、西口に降りましたので、気づかなかったのですが、東口から上がったところに「川越町の物産品」を展示するコーナーがありました。昔はあちこちの駅にあったと思いますが、最近では珍しい。土産に買ってきたお酒の他に、乾麺、しぐれ蛤、あられ、かまぼこなども展示されていましたが、すぐに電車があったので、ゆっくりとは見てきませんでした。
Img_8502c 12時23分の普通電車名古屋行きに乗車。桑名着は、12時31分。¥260

Img_8506c

。電車賃は、往復の合計で¥470。いやぁ、これで半日しっかり楽しめます(微笑)。コースマップ上は7㎞でしたが、実測で8㎞。今回も、強風、時雨の中、めでたく完歩であります。今週末も、酒蔵みてある記はあります。2月17日には、「駅長お薦め酒蔵みてある記 伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(近鉄湯の山線・高角駅)、18日には「駅長お薦め酒蔵みてある記 歴史と文学のまち蟹江町散策と山田酒造「醉泉」・「最愛」」です。2日連続というのは、今まで試していません。「鈿女」・「醉泉」・「最愛」、いずれも味わったことはありません。どうしようか思案中。

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2018年2月13日 (火)

20180211近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”へ(その2)……豊田一色薬師堂、神明神社、道路元標を見つけて、いよいよ早川酒造部へ

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 近鉄ハイキング“駅長お薦め酒蔵みてある記 早川酒造部「天一」”の2回Img_8228c 目です。その続き。伊勢湾岸自動車道をくぐると、三重県立川越高校が見えてきます。
Img_8229c 川越高校を左手に見て、南西に曲がると、朝明川の堤防が見えてきます。Img_8246c 堤防に上がって、近鉄名古屋線の踏切を越えると、次の立ち寄りポイントである神明神社があります(右の写真で、踏切の向こうにある森がそれ)。が、ここで、小生は勝手により道(笑)。他はどなたも行く人はありませんでした。
Img_8249c 豊田一色薬師堂です。ネットで検索してみても、川越町のサイトに消防訓練Img_8251c をしたという記事が出てくるくらいでした。しかし、ここはなかなか由緒あるところのようです。
Img_8253c 「一色薬師由来」という案内板によれば、次のような由来があるということでした。すなわち、ここに安置されている薬師像は、天正2(1574)年春、南福崎の利助という百姓が海辺から拾い、山の神へ捨てた仏像が、庄屋の大塚久太夫の夢枕に立ち、お告げをなしたといいます。時を同じくして、希前武右衛門の枕元にも現れ、両人とも驚き、恐れて仏像を手に取ったところ、まさに夢に現れた薬師如来のお姿をしていたそうです。両人、歓喜の涙を流し、直ちに一宇を建立し、敬い奉ったのです。この薬師如来は、聖徳太子の御作と伝わっているそうです。なお、南福崎は、伊勢湾岸自動車道みえ川越インターチェンジと朝明川の間のあたり。
Img_8258c 御堂は、明治初年建立のものが修復も困難なほど痛んできたため、昭和Img_8277c 58(1983)年夏、再建を発願し、昭和60(1985)年5月に落慶開眼法要を厳修したとあります。ちなみに、再建を発願したとき、東大寺長老の清水公照師がこのことを聞知され、日光月光両菩薩の奉納など、力添えをいただいたそうです。
Img_8265c この豊田一色薬師堂の境内、本堂の西側に「神明社𦾔蹟」という石碑がImg_8267c 建っているのを見つけました。碑陰には、「大正十二年五月 氏子中 社當 大塚嘉太郞書」と彫られているように見えます。
Img_8264c 石碑のところには、古い神社の瓦や、屋Img_8269c 根の飾り(何というか、分かりませんので、ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示ください)。
Img_8272c こういうものもありました。前の写真のものともども、なんだか気に入りました。前の写真のものなど、ユーモラスな感じがします。
Img_8284c 豊田一色薬師堂は、堤防道路から坂道を降りたところにありました。もう一度坂を登って、コースに復帰。神明神社であります。御祭神は、天照大御神(神明社ですから、当たり前といえば当たり前)。相殿神は、大山祇命(オオヤマツミノカミ)。大山祇命は、山をつかさどる神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。
Img_8302c_2 神社検索(三重)の説明によれば(こちら)、創祀は、つまびらかではないものの、社伝よれば天正年間(1573~92)以前と伝えられているといいます。近世には、氏神として近郷の人々の崇敬を集めていたそうです。明治41(1908)年7月、豊田八十積椋(やそつみくら)神社に合祀されたものの、氏子崇敬者の熱意によって、昭和5(1930)年4月、現鎮座地に社殿等の設備を整えて分祀されています。豊田一色薬師堂にあった「神明社𦾔跡」と関係があるのかどうか、定かではありません。
Img_8308c この神明神社では、石取祭が行われています。7月の最終日曜日とその前日(土曜)です。豊田一色の祭車は、明治15(1882)年に桑名市の北本町祭車として造られたもので、大正6(1917)年頃、譲られたもの蛇そうです(こちらをご覧ください)。川越町の石取祭は、桑名の石取祭を取り入れて、約110年前に豊田一色地区が始めたことをきっかけに、現在では町内3地区に広まっています。3地区とも、五ツ拍子の鉦と太鼓を打ち鳴らしながら、地区内を練り歩きます。
Img_8299c この頃、神社へ行くと、狛犬が気になります。「子取り玉取り」が標準といImg_8300c うのを知ってからです。神明神社、拝殿前は、「子取り玉取り」ではなかったのですが、鳥居をくぐったところは、そのようになっていました。
Img_8309c 全くの余談ですが、神明神社を出たところで、西の踏切を近鉄特急・しまかぜが通過していきました。俄撮り鉄でありますが、やはりきちんと撮るには、準備と心構えが必要でした(苦笑)。それにしても、一度は乗ってみたい電車です。
Img_8319c 神明神社の次が、いよいよ早川酒造部なのですが、堤防道路を1㎞半ほど歩かねばなりません。途中、国道1号線・朝明橋を渡って、朝明川、右岸を歩きます。前方(東)には、わが家からも見える、中部電力川越火力発電所の煙突が見えています。
Img_8320c 神明神社から250mほど歩いた、川越北小学校の脇で、「道路元標」を発見。予習したときには、見逃していました。道路元標(どうろげんぴょう)は、道路の起終点を示す標識です。明治6(1873)年、各府県ごと「里程元標(りていげんぴょう)」を設け、陸地の道程(みちのり)の調査が命じられています。各県は府県庁所在地の交通枢要地に木標を建てて管内諸街道の起程とするものとされたといいます。
Img_8322c この「道路元標」には、「元標 三重縣廰 四二・三二七米 十里廿八町Img_8325c  川越村」と記されていました。左側には、「富田町 三・〇五四米 貳拾八町 四日市々 七・五二七米 壱里丗三町」と、また、右側には、「桑名町 七・二〇〇米 一里丗町 富州原町 二・二九一米 弐十壱町」と刻まれていました。この道路元標は、大正13年、昭和天皇の御成婚記念として建てられたということでした(皇太子でいらした頃です)。
Img_8345c 参加者、いろいろな方がいらっしゃいます。こちらの女性が穿いているのImg_8342c は、どう見てももんぺ(笑)。むしろ、なかなかよさげです。朝明川沿いを歩いているのですが水鳥は見ません。その他にも、豊田一色薬師堂に行く直前、モズを見ただけ。
Img_8358c 南福崎の橋。ここで、右折(南下)。いよいよ早川酒造部に到着します。Img_8361c 11時半。スタートからは、1時間40分ほど。途中、強風で、時雨れていましたので、ここの試飲で暖まりたいと思っています(微笑)。
Img_8364c 早川酒造部は、江戸時代から米穀商を営んでいた初代早川半三郎が、明治6(1873)年に、現在の四日市市天カ須賀で酒造りを始めたのが最初。創業の地の地名の「天」と天下一品の酒を目指すという初代の願いから、主力銘柄は「天一」と命名されています。また、「天慶」というブランドもあり、それには愛でたく天からの賜物という意味があるそうです。大正6(1917)年に、現在の朝明川の辺りに蔵ごと移築し、 以来百年近くにわたって、日本酒を醸し続けていいす。水は、朝明川の豊富な伏流水を用いているということです。
Img_8366c その早川酒造部は、大賑わい。左の写真は、甘酒の振る舞いを待つ行列。小生も、いったんここに並んだものの、なかなか進まず、今回は、断念。
Img_8235c 今回の企画の一つ、「お楽しみ抽選会」の会場へ。抽選は、抽選箱に入Img_8371c れられた、清酒の瓶の蓋を引くというやり方でした。なかなか考えてあります。「赤」が出ると、「しぼりたて原酒720ml」が当たったのですが、残念ながら、外れ(苦笑)。
Img_8373v 気を取り直して、試飲会場へ。ありがたいことに、今回は試飲は2種類。Img_8516c 飲み比べとなっていました(微笑)。まずは、天一の絞りたて原酒。予告編では、「やや甘い感じで、濃いめという印象」と書きました。これ、土産に買ってきた「天一 蔵出し 生原酒」と同じと思います。濃いわけです。アルコール度数は、19度以上20度未満とありました。
Img_8375v もう一種類は、「天一 清酒」。こちらは、純米吟醸と思いImg_8376c ます。写真ではもう一つよく分からないかも知れませんが、色も少し違います。この「清酒」の方は、透明でしたが、「しぼりた手」の方はわずかに黄色っぽいという感じ。
Img_8519c 「天一 清酒」とあった方は、たぶん土産で買ってきたこちら(純米酒 天一 神の穂)と同じ。純米酒ですから、醸造用アルコールは添加されておらず、とても飲みやすい酒でした。家内には、こちらが大好評。ちなみに、720ml入りで¥980。「天一 蔵出し 生原酒」の方は、300ml入りで¥400でした。
Img_8384c 地場産品販売の店が、10店出ていました(早川酒造部をImg_8381c 除いて)。11時半を過ぎ、お腹も空いてきていましたので、鯛ちくわを¥300で購入。つまみ代わりに。ここで焼いて売っていたもので、熱々をいただきました。
Img_8390c 仕込み蔵の中で、「酒蔵コンサート」も催されていたのですが(10時40分~11時50分頃)、それは失礼しました。甘酒はパスしたものの、2種類の試飲をさせてもらい、鯛ちくわで小腹も満たせ、土産もゲットできましたので、満足。30分足らずの滞在で、次の目的地・高松八幡社へ。今日は、ここまで。以下、まだもう1回くらい、続きます。

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