文学者の捉えたうつ
曇りがちの1日でしたが、雨は降りません。東海地方の週間天気予報をみても、雨マークはほとんどついていません。今日の最高気温は、29度くらいあったようですが、今の時間、風もあって、気持ちよく感じられます。
朝方、起きる前の1~1時間半くらい、夢ばかり見ていて、熟睡できたという感じがありません。どうやら、その間は、いびきもかいていたようです。
とくにdutyもありませんし、これといったこともしていませんので、却って自分の体調に関心が集中しているのかも知れません。今週は、自分自身のことを書いている記事が多いようです。今日も、午前中は、何となくスッキリしない感じでした。自室でゴロゴロしていたのですが、あちこちから、工事の音がして、眠いのに寝られませんでした。自宅のマンションの南側では、5階建てくらいの小さいマンションの建設工事が行われていますし、今朝からは、北側の諸戸氏庭園の横の空き地に囲いを作る工事が始まりました。宅配便も、2回届くなど、落ち着きませんでした。
午後からも、何となく眠いのに眠れない状態でしたが、ようやく4時頃から1時間ほど昼寝ができました。昼寝から目覚めた後は、気分的にも、体調的にも、かなりスッキリできました。前回の受診で薬が増えましたが、そのせいで、やはり眠気が増しているようです。先日も、“さじ加減”ということを書きましたが、そのときの状態に合わせ、必要量の薬を処方するというのも難しいようです。眠気が強いとか、日中にもそれが残るということは、抗うつ剤がやや多いということだろうと思います。
ところで、この間から、三浦朱門さんの“うつを文学的に解きほぐす”という本を読んでいましたが、今日の夕方、読了できました。専門医の手による、精神医学書の記述も役に立つのですが、文学者の見るうつというのも、鋭いものがあると思わされました。この本では、三浦さんの奥さんの曾野綾子さんをはじめ、北杜夫、遠藤周作のうつ、渡辺淳一、阿川弘之など著名な作家を見つめて、“鬱は知性の影”であると喝破しています。
別に自分自身が、知性ある人間だとうぬぼれているわけではありませんが、先日読んだ、五木寛之さんの言説と同等か、それ以上に頷ける結論でした。「21世紀の鬱は、未来に明るい状態が見えないが故に、前世紀のそれに較べて閉ざされたものである」、「未来に明るさがない状態では、スポーツ、趣味、信仰などに入ることで鬱を解決するのは、困難であろう」という点です。また、「鬱の原因は、素朴なものでは、幼年期からの成長の過程で受けた心の傷、いわゆるトラウマである。それから成長してからの人間関係、社会に出てからの職業や社会生活に同調しようとする際の心の負担」というのも、これまでの自分の人生を振り返ると、十分に納得できます。
「現在、うつの人は自分のうつを外界の愚かしさと自分の『賢明さ』を対比させることで、自分のうつを解放できればよいが、と私はいささかの希望を持ってはいる」とも書かれています。繰り返しますが、自分自身を賢明な人間であるとは思ってはいませんが、外界や社会と、自分自身との関連性についてのとらえ方を変えることで、うつから脱却できる可能性を示してもらえたものです。これで何かが変われば、というか変えるきっかけにすることができればと思います。
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