学問・資格

2009年11月25日 (水)

心理職の資格法制化

 名古屋では20度近くの気温となり、まさに小春日和となりました。午後、仕事に一区切りをつけてから、また、プチ散歩をしてきたくらいです。今日は、とくにアポイントもなく、来週の授業準備や、統計学の勉強(検定力について)、アンケートへの回答、学会役員選挙の投票(ネットで行われていました!)などをしていました。

 さて、心理職の国家資格化につきましては、これまでにさまざまな経緯があり、なかなか実現に至っていませんでした。しかし、近着の“日本臨床心理士会雑誌”63号の記事によれば、ここ最近、著しく状況が変化したようです。

 結論から書きますと、関連諸団体の会議で、「一資格、一種類」の基本コンセプトで合意を見たようです。さらに、

  1. 資格名称は、○○心理士、心理士(心理師)などが考えられる
  2. 資格の性格は、汎用性(医療などに限定されない)
  3. 医療機関においては医師の指示を受ける
  4. 受験資格は、学部卒+大学院修了者、学部卒で○年間の実務を経験した者

という性格の資格になりそうです。

 現在の臨床心理士資格を有している場合には、経過措置を踏まえた然るべき手続き(国家試験受験など)を経て、国家資格を取得することが可能となる見通しです。ただし、国家資格を取得せずに、臨床心理士だけを続けていくこともできるようです。ということは、新たに設けられる国家資格としての心理職は、業務独占ではなく、名称独占の資格であろうと思われます。

 資格・免許の制度は、最低水準をクリアしていることを証明するだけですので、これから解決すべき課題もまだ多いと思われますし、既存の臨床心理士、学校心理士、臨床発達心理士などとの整合性をいかにつけていくかという問題も残っています。

 一方で、国による心理職の質の保証がなされることになれば、ユーザとなる国民にとっても安心して、心理職のサービスが受けられるようにしなければなりません。

 臨床心理士の職能団体である日本臨床心理士会では、次のような考え方をとっています:

  1. 資格の名称:臨床領域の心理職であることがわかる公共性のある名称
  2. 資格の性格:各領域において汎用性のある資格
  3. 医療提供施設においては医師の指示を受ける
  4. 業務の内容:①心理的な問題を有する者とその関係者に対する心理アセスメント・心理相談・心理療法・心理臨床的援助を行う ②①の内容に加え、国民の心理的健康の保持及び増進を目的とした予防並びに教育に関する業務を含む
  5. 受験資格:①学部で心理学を修めて卒業し、大学院修士課程・専門職学位家庭で臨床心理学等を終了した者を基本とする ②学部で心理学を修めて卒業し、保健医療、福祉、教育、司法矯正、産業その他の機関で、臨床心理職の有資格者の指導の下での実務経験が数年以上ある者
  6. 更新制のある資格とする
  7. 経過措置として臨床心理士資格保持者は受験できるものとする

 思えば、1990年~2000年には、診療補助職としての臨床心理技術者の国家資格化が、医師を中心に、途中から看護職2名、心理職6名をくわえて検討されましたが、当事者団体の方針が一本化できずに、旧・厚生省は法制化の検討を中止していました。2005年3月からは、議員立法が検討され、医療心理師議連と臨床心理職議連の2つの議連が組織され、それぞれが資格法制化を検討しましたが、2005年7月に「二資格・一法案」(臨床心理士及び医療心理師法案要綱骨子)が、2つの議連合同会議で了承されました。しかし、この法案は、例の「郵政解散」のあおりを受け、また、調整不十分であった一部の医療団体の反対表明にも遭遇し、上程前の段階で止まったままとなっていました。

 その後、日本の心理学系の学会40学会が加盟する「日本心理学諸学会連合」を主な調整の舞台として、この「二資格・一法案」指示が決議されました(2007年6月)。さらに、2008年7月以降、日本臨床心理士会や心理学会関係者と医療団体とが水面下で協議を進め、具体的な協議へと進みました。

 2009年4月以降、日本臨床心理士と、法人化された日本心理臨床学会、医療心理師巣殷賑協議会の動きが活発化してきました。9月末には、社団法人日本精神科病院協会も、その代議員会で、心理職の国家資格についての報告があり、基本的事項が了承されたとのことです。

 そして、この10月現在、冒頭に掲げました国家資格化案が大筋で合意されるに至ったということです。初めの方にも述べましたが、まだ解決すべき課題は多々あると思いますし、個人的にも意見はありますが、過去20年に渡る臨床心理士の活動実績がある程度は認められてきたことも、資格法制化に向けての大きな要因として作用していると思います。

 財団法人日本臨床心理士資格認定協会が認定している養成大学院は、平成21(2009)年7月1日現在、全国で157大学院となっています。量的拡大が、質的低下を招かないよう、教育カリキュラムの精選、教育内容の質的向上、教員の資質向上がさらに必要と思います。

 さらに、私自身は、もっと医療、とくに専門医(精神科医、児童・思春期専門の精神科医、小児科医、小児神経科医)の先生方との連携は必須と考えています。また、昨今、医学、医療の領域では常識化してきている「エビデンス・ベースト・アプローチ」については、もっと関心が払われ、努力される必要性が極めて高いと思います。そのために、当事者団体や関連学会が、共同研究などを行って、各種の心理アセスメント方法の妥当性や、心理療法の効果についての検証を進めるべきです。

 教員免許の更新制は、政権交代によって、いかにも中途半端な形で取りやめの方向に動いていますが、臨床心理士資格は、当初からずっと5年間で資格更新を行ってきています。これは、その間に一定の研修を自らに課す制度で、国家資格になったあともぜひとも継続し、専門職として、生涯にわたり研鑽を積むことが望ましいと思っています。それによって、心理職の国家資格化によって、心理的健康の維持・向上、不健康の改善といったメリットを享受していただく国民の方々に対するわれわれの責務であると思っています。

 まだ、国家資格化が確定した訳ではありません。よりよい資格制度の設計、制定や、円滑で利用しやすい、また利用される方には真にメリットのあるものにしていくために知恵を絞ることが重要です。私も、その一端をになって、微力を捧げたいと思います。

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2009年11月18日 (水)

ライブ・セッションの迫力

 晴れましたが、寒い1日でした。昨日、張り切りすぎた疲れが多少残っている感じでした。水曜日は、いつもであれば、自宅研修にさせてもらうところですが、明日が受診ですので、今日は出勤してきました。明日は、午前中は年休、午後は自宅研修という予定です。

 今日は、とくに急ぎの仕事もなく、来週分の授業の資料もできあがっていましたので、少々の資料整理と、所属している専門学会のいくつかに、学会誌送付先の変更依頼の連絡をしていました。休職中、事務の方に学会誌転送という、余分なお世話をおかけしてしまいましたので、途中から、すべて自宅宛に送付としていたものです。「もう、大丈夫かな」と思い、それを元に戻しつつあるというところです。

 さて、今日のライブ・セッションですが、残念ながら音楽ような楽しいものではなく、認知行動療法という心理療法の1つのお話です。先日来、認知行動療法のDVDを見て、実際の技法や介入法について勉強していることはすでに書きましたが、今日は、その創始者であるBeck, A.のライブ・セッションのDVDを見ていたのです。それぞれ別のクライエントについて、1セッションずつ、Beckが面接している場面を記録したものです。両者ともうつ病の女性がクライエントということで、一方は実際のクライエント、他方は、演技というか、ロール・プレイをしているようでしたが、実際のクライエントと区別は付かないくらいの迫真の演技でした。いずれも、1970年代に撮影されたモノクロ映像が原盤となっているようでした。

 そして、このBeckのセッションですが、さすがに、認知療法の創始者です。ポイントとなる技法を実際に見ることができ、それらの使い方がよく分かりました。初めは、1セッションだけを見るつもりでしたが、ついつい2セッションとも見てしまいました。英語も、だいたいは聞き取れましたが、邦訳の字幕がつけられているとともに、英文・和文の両方がテキストになって添付されていますので、助かりました。また、そのテキストには、監修者の本学医学研究科教授のF先生の手になる解説も添付されており、どういう技法が使われているかもよく分かるようになっていました。

 これで手元にある認知行動療法のDVD3種類、合計5枚すべてを見終えました。何となく、認知行動療法の面接法が分かったような気になっていますが、これだけで実施するのは、たぶん難しいでしょう。「そうは、問屋が卸さない」ところでしょうね。しかし、特別支援教育の面接の際にも、このスキルは使えると思います。

 ところで、初めの方に、「少々疲れ気味」と書きましたが、ふらつきや、眠気があります。眠気は、午後になるとちょっと強くなります。さらに帰りの電車から自宅へたどり着くまでも、足取りも重くなり、少々疲れる気がします。先週くらいから、こうした状態がだだんだんと増えてるようです。薬が効きすぎているように思うのですが、どうなのでしょう。明日、主治医にきちんと相談して来ようと思います。

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2009年11月16日 (月)

特別支援教育支援員養成講座

 ちょっと寒い1日となりましたが、大学の方は、今日から暖房が入るようになりました。学生の新型インフル発症も、少し落ち着いたようです。

 さて、今日は、午前中に来客がありました。ディスレクシア協会名古屋、子ども支援室カシオペアをしていらっしゃる、YさんとNさんのお二人です。Ogasawara-Laboのホームページに載せておきましたが、「特別支援教育支援員」養成のための講座を開催することについての協力のご依頼などでした。ご関心がおありの方は、リンクが張ってありますので、是非そちらをご覧ください。

 特別支援教育は、平成19年度から始まりましたが、私の知りうる範囲では、地域、すなわち地方自治体によって、その取り組みの現状や、進捗状況はさまざまです。私の地元の桑名市は、人口や都市規模もさほど大きくはなく、また、もともと人権教育などが盛んであったことや、教育委員会所管の桑名市教育研究所を中心とした熱心な取り組みで、比較的進んでいると思います。一方、私の勤務先の親方である名古屋市は、政令指定都市であるが故に、規模が大きすぎて、なかなか全体としての取り組みは進んでいないといわざるを得ません。

 そういう状況で、YさんとNさんは、民間のお立場で、こうした状況を何とかしたいという強い思いをもたれ、活動をしていらっしゃいます。とくにYさんは、パワーに溢れ、活動的な方でしたし、それでいて、謙虚さも兼ね備えた方でした。Nさんは、表面的には静かな印象の方ですが、うちには素晴らしいものを秘めていらっしゃるとお見受けしました。

 私自身も、復職から2ヶ月経ち、この先も何とかなりそうだという感触を持ち始めたところでしたので、可能な範囲でご協力することにしました。とりあえずは、上述の講座のうち1回を、本務先の教室を会場にして開催することにしました。来年度以降、今の軽減勤務の条件がはずれましたら、体調をみながら、もう少し本格的にかかわらせていただこうと思っています。また、Yさんからは、現在、休会中の東海地区K-ABC研究会の活動にも協力していただけるというお申し出をいただきましたので、また、幹事の先生方におはかりして、こちらも活動再開に向けていきたいと考えています。

 ということで、いろいろと話が盛り上がってしまい、お構いもしないで、1時間半あまりも話し込んでしまいました。しかし、こういう、自分の専門性が少しでも生かせるお話をいただくのは、ありがたいものです。ただ、まだまだ通院加療中で、「患者兼業」ですので、調子に乗りすぎないようにと思います。

 午後からは、来週分の授業資料の確認と修正や、認知行動療法のDVDを見ての勉強をしていました。久しぶりに充実した1日でした。認知行動療法のDVDは、最近医学書院から、本務先の医学研究科のF教授の監修で刊行された、ベック&ベックによる英語版のものです。ディスクは2枚ありますが、今日は、娘のジュディス・ベックのライブセッション、1時間50分ほどを一気に見てしまいました。重症のうつの女性のケースの1セッション分をもとに、他のサイコロジスト2人が、ジュディス・ベックにインタビューしながら、解説が進むというもので、かなり勉強になりました。もう1枚は、認知療法創始者のアーロン・ベックのライブ・セッションということで、こちらも楽しみです。

 ところで、先週は、夕方になると、けっこう疲れた感じがしていたのですが、今日は、変な疲れ方はなく、ごく普通に少し疲れたかなという程度でした。昼食後のプチ散歩が効いたのかも知れません。

 明日は、午前中に授業、午後は、大学院の教授会の予定です。残念ながら、今日の続きで、ベックのDVDを見る時間はないかも知れません。

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2009年11月15日 (日)

科学事業カット続出の事業仕分け

 11月も半ばとなりました。午前中には、ダイソー・アオヤマとTSUTAYAへ行ってきました。ダイソー・アオヤマでは、新聞の切り抜きを貼るための100円のA4サイズノートを買いに行ったという訳です。TSUTAYAでは、JazzのCDを借りてきました。寺井尚子のジャズ・バイオリンは聞いていましたが、もう少し本格的に聴いてみようと思った次第です。これまでにやったことのないことを、ということの一環です。

 さて、休日の話題としてはちょっと堅いという気がしますが、1度は書いておこうと思ったのが、今日の「事業仕分け」の件です。全体としては、「総論賛成、各論反対」というところなのですが、13日(金)に行われた文部科学省関係の科学技術関連事業では、カットが続出していましたので、所感でもということです。

 新聞報道によれば、次世代スーパーコンピューター開発から、学校での理科教育充実のための合計9事業までばっさり、総額305億円が削減対象となっていました。思い切ってやってくれるものです、というのが正直な感想です。というのも、高等教育関係の予算は、以前にも書きましたが、GDP比で0.5%と、韓国と並んで、いわゆる先進国中では最低水準なのですが、それをさらに削減しようというのですから、乱暴といわざるを得ません。

 池田信夫さんのブログでは、「事業仕分けという名の人民裁判」とまで酷評されています。少し引用させてもらいますと、次のように述べておられます:

きのうから行政刷新会議の始めた「事業仕分け」の実態は、ネット中継やツイッター中継までされたが、予想以上に混乱した会議の状況を見て唖然とした。こんな乱暴な人民裁判を続けるのは、民主党政権の恥だ。

まず問題なのは、仕分けの対象になったのは概算要求に出ている約3000の国の事業のうち15%足らずの447事業にすぎないということだ。残りの85%は仕分けの対象にならないので、勝負はこの段階でついている。これを選んだのは、実質的には財務省の主計局である。予算書というのは細かい数字の並ぶ膨大な書類で、素人が読んでもわからない。

しかも対象になった事業をみると、大竹文雄氏も指摘するように、期限付きの事業で来年度からやめることが容易なものが多い。こういう事業には恒久的な要員がついていないため廃止しても人件費は減らないので、官公労も反対しない。要するに本当に不要な事業を俎上に乗せたのではなく、民間企業の「派遣切り」と同じく、切りやすいものを切っているだけなのだ。

 さらに、この事業仕分けには、法的根拠はないということです。引用させてもらった部分にもありますが、仕分けの対象は、財務省主計局が選んだ項目ですから、政治主導ではなく、池田さんのいうように、政治家が官僚の下請けをしているようなものです。

 とくに問題である点は、方針や理念を決めないまま、いきなり、必要、不必要という議論を行っている点です。恣意的にやっているといわれても、反論できない乱暴なやり方です。国の事業ですから、単純にコスト・パフォーマンスを求めるのは、誤りです。科学技術の振興や、学問の発展においては、ノーベル賞を受賞するような研究でさえ、これだけの費用を投入したから、一定の成果が出るというよりも、失敗の中から大発見があったりするなど、ムダの中から意味のあるものがでてくるものだと思います。こういうところは、工場で大量生産品を作るのとは訳が違います。

 さらに、池田さんのブログで引用されている大竹文雄さんのブログでの「事業仕分けをみて思ったこと」では、次のように書かれています:

様子をネットやテレビで見ると、どこかのテレビ番組みたいで、面白いことは間違いない。「悪役」の官僚が説明をして、正義の味方が批判をして、多数 決で判決が即座に言い渡される。今まで、大きな利権のために、誰もが無駄だと思っていても、なかなか削減できなかった事業があぶりだされるという効果もあ るに違いない。ただ、テレビ番組のようによくできたショーを見ていて、心配になったこともある。

第一に、数多い事業のなかから対象事業がどうやって絞り込まれたかが不透明なことである。第二に、個別事業だけを判断することはより包括的な事業の効率性を歪める可能性があることだ。

それを感じたのは、大学関係の対象事業をみたからだ。以下にあげたものが大学関係で事業仕分けの対象にされている。

▽国立大学法人運営費交付金
▽大学教育・学生支援推進事業
▽グローバルCOEプログラム
▽グローバル30
▽組織的な大学院教育改革推進プログラム
▽戦略的大学支援プログラム
▽大学等奨学金
▽科学技術振興調整費(革新的技術推進費、先端融合領域イノベーション創出拠点の形成)
▽同(若手研究者養成システム改革)
▽科学研究費補助金(若手研究S~B、特別研究員奨励費)
▽特別研究員事業
▽女性研究者支援(科学技術振興調整費「女性研究者支援システム改革」)
▽世界トップレベル研究拠点プログラム

ここに挙げられているものは全て、期限付きの競争的資金か独立行政法人への運営費交付金である。つまり、本来の事業が必要かどうか、という判断で対 象が集められたというよりも、「来年から募集をやめます」、とか「来年から運営費交付金をx%カットします」と言えば、それで実行が可能なものが集められ ているように思えるのである。

期限付きの競争的資金が増えてきたのは、組織に自動的にお金を配分するよりも、研究を活性化したり、若手研究者の自立性を高めたりすることが目的で ある。私学助成の在り方も含めて、大学での教育・研究の仕組みの変更だったはずである。本来、そうした制度変更の効果があったのか否かをできる限りきちん と評価して、その制度変更の効果を検討すべきものだ。新しい制度を始めるのはいいけれど、それを評価する仕組みができていないため、削減しやすい個別事業 を取り上げて、効果がないと判断していくことにならないだろうか。

 つまり、成果の評価もきちんとしないで、切りやすいところを切っているだけだと思えてならないということです。十分ではありませんが、この頃は、大学でさえ、PDCAサイクルでものごとを進めようとしています。ご承知のように、Plan-Do-Chek-Actionです。

 テレビでは、「絵になる」部分しか取り上げませんので、全体像が分かりにくく、たとえば、国立女性教育会館の館長が、「こちらのいうことも聞いてください」と怒っている場面が繰り返し放映されていましたが、実は、館長さんは長々と説明をしていたという状況のようです。日本科学未来館の館長・毛利さんは、パネルまで用意して、プレゼントしてはかなり良くできたものだと思いますが、「慢性的赤字」ということで、コスト削減の余地があると判断されたようです。

 ああいうやり方で、いかにも成果が上がっていないものを正義の味方が追求し、追い詰めていくというパフォーマンスだけのためにやられますと、当事者の一人としては、モチベーションが下がります。

 いろいろな媒体の報道をみていますと、何というか、「問答無用」「切り捨て御免」とばかりに、「削減ありき」でやっているとしか思えません。優秀な人たちが、アメリカなどへ脱出する傾向に、これまで以上に拍車がかかると思います。また、ただでさえ、「高学歴フリーター」「高学歴ワーキングプア」などといわれる、博士号を取得したのに、就職口がない若手研究者が増えている状況の下で、大学院博士課程進学者が減少していますが、この傾向もさらに進み、「科学技術立国」とかつていわれたのは、どこの国の話しか?という時代が来るような気もします。

 それよりも何よりも、自分たちが政権を取ってからの予算の概算要求がこれまでにない95兆円にも達しているという点を、先に何とかするべきだと思います。

 今週は、木曜日が定例受診日です。減薬ステージに入れるか?というところです。少しだけ期待しておくことにします。

【付記】 この話題につきましては、東北大の大隅先生のブログ「大隅典子の仙台通信」や、北大のstochinai先生の「5号館のつぶやき」のエントリーも是非ご覧ください(11/16)。

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2009年11月 4日 (水)

背伸びしていた若かりし頃を思い出す……レヴィ・ストロース氏死去

 朝は、冷え込みましたが、日中は天気も良く、暖かくなりました。最近、習慣になりつつありますが、昼食後、13時過ぎから、プチ散歩に出かけてきました。研究室は、何となく冷えている感じが夕方まで続いていたのですが、外の方が暖かくて、心地よい感じでした。

 今日のプチ散歩は、勤務先の大学からは、西南の方へ出かけてみました。「市大病院南」の交差点を渡り、市立大学の滝子のキャンパスへ向かう方角です。天むすの多香野などの前から、しばらく西に向かい、駒場町あたりをブラブラして帰ってきました。ほぼ1㎞、30分弱です。散歩というよりも、気分転換のためにぶらついてきたという程度です。このあたりは、以前とあまり変わりない光景でした。あまり変わりがないと、何となく安心します。

 さて、仕事中、ネットのニュースを見ていましたら、フランスの思想家で、文化人類学者のレヴィ・ストロース氏が、100歳で亡くなったということが報道されていました。ここに、アサヒ・コムの記事へのリンクを張りました。新聞などでは、「レビストロース」と表記されていますが、私自身は、やはり「レヴィ・ストロース」と書いてあった方がしっくり来ます。原語では、Lévi-Straussですから。以下に、アサヒ・コムの記事の一部を引用させてもらいます:

20世紀を代表する思想家で文化人類学者のクロード・レビストロース氏が死去したと、AFP通信が3日、出版社の情報として伝えた。100歳。今月28日には101歳の誕生日を迎えるはずだった。

<中略>

レビストロース氏は構造主義の父といわれ、55年に発表した「悲しき熱帯」が人文社会科学全般に大きな影響を与えた。日本文化の愛好者としても知られる。

レビストロースさんは1908年、ベルギー生まれ。パリ大学で法学と哲学を学ぶ。35年、サンパウロ大学の社会学教授として赴任したブラジルで現地のイ ンディオ社会を調査する。その後アメリカでも教えるが、戦後フランスに戻り、59年、コレージュ・ド・フランス社会人類学講座の初代教授となった。

ソシュールの言語学などの影響を受けながら、世界各地の民族誌データや神話などの分析を踏まえ「親族の基本構造」(49年)、「構造人類 学」(58年)、「野生の思考」(62年)などの著作を次々と発表。未開社会の婚姻形態の比較などをもとに、人類の社会、文化には共通する不変の基本構造 があるとする「構造主義」は、学界に大きな衝撃を与えた。

 私も、学生時代に「野生の思考」などを読んだ記憶があります。野生や未開の中に現代文明の原型を求めるという立場でしたので、進歩主義的で、人間の理性を重視する立場にあった、実存主義の重鎮であったサルトルとは、対立していました。

 また、ボーヴォ・ワールや、メルロ・ポンティとは、哲学教授試験の同期だったといいます。ちなみに、サルトルは、この試験を1回落第したそうで、1期あとになるようです。

 内田樹さんのブログでも、「追悼・レヴィ=ストロース」というエントリーが書かれています。内田さんは、構造主義には造詣の深い方ですので、是非ご一読ください。

 それにしても、まったく手垢の付いた表現しか思いつかない自分の知性がイヤになりますが、“巨星落つ”という感じです。これで、サルトルをはじめ、ボーヴォ・ワール、メルロ・ポンティ、ジャック・ラカン、ミッシェル・フーコーなど、20世紀のフランスを代表する知性といわれた人たちは、すべていなくなってしまいました。

 学生時代、よく分からないまま、これら知的巨人の書いた書物を買い(もちろん、みすず書房から出ていた翻訳です)、ページをめくっていた日々を思い出します。今から思えば、理解できていた部分は、ほとんどないと思うのですが、当時の同世代の人文系の学生達は、皆こうした本を読んでいたような気がします。徐々に思い出してきましたが、仲間内で、これまた今の世の中からは絶滅してしまっていますが、これらの著者の本をテクストにして、「読書会」を続けていました。

 アタマの中身自体は、今の学生達と変わらないと思いますが、甘く見られないようにというか、舐められないようにというか、そういうために、かなり無理して、背伸びして、大人というよりも、一人前に見られるように精一杯振る舞っていたような気がします。こういうところは、今の学生達と異なっている点であるように思います。

 それにしても、今も研究室の書棚の下の奥の方に、メルロ・ポンティ他の著作があるはずですが、今なら、読みこなせるでしょうか?何となく、あの頃からすると、ずいぶん遠くへ来てしまったような気がします。

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2009年10月 5日 (月)

笑わせてもらいました

 何だか久しぶりに大学に出勤するような気がしていましたが、それもそのはずです。先週金曜日には、休みを取って、内視鏡検査を受けに行っていました。土日を挟んだら、検査を受けたことがずいぶん前のような気がしていました。

 さて、午前中は、明日の授業の資料の最終確認をし、学生達に配るパワーポイントの資料を印刷していました。学生達や、世間の皆様は、「本当か?」と思われるかも知れませんが、誰か他の人に命じて印刷してもらっているのではありません。私自身が、「リソグラフ」という、現代風謄写版印刷機(かつて、年賀状作成で大活躍したプリントゴッコを作っていた理想科学の製品です)で、自ら印刷をしております。学部発足当初、医学部から着任された先生が、「こういうことを自分でするのは、初めてだ」とおっしゃっていましたが、むしろこちらが驚いた記憶があります。助教の先生に依頼しておられる方もあるかも知れませんが、超零細企業になれきった私は、今でも、自分で印刷して、ステープラーで80数人分を綴じています。

 それでも、以前は、コレーターという帳合をしてくれる機械はありませんでしたので、ずいぶん便利になっています。まぁ、こういう風に「自家製」ですので、授業後、余ったプリントがその辺に散らかっていると、ちょっと腹立たしくなります。

 ところで、今日は、午後から、後期課程のSさんが来てくれました。D3ですので、明後日までの間に、「博士論文審査願」を提出しなければなりません。今日、そのため大学に来たついでに立ち寄ってくれたものです。本来は、私が主査を務めなければならないのですが、休職していましたので、主査も、実際の論文指導も替わってもらっています。

 この「願」には、論文概要を添付しなければなりません。今日は、その写しをもらって、おおよその説明を聞いた訳ですが、論文の構成も筋が通っており、何とか提出できるだろうと思います。年明け早々の提出締切に向かって、これから大車輪でやってもらうことになるでしょう。

 そのSさんと、ついでにいろいろと世間話などをしていました。彼女も私も、どうもおしゃべりが大好きで、ついつい長くなってしまいます。1時間半ほど、積もる話しをしていました。その中で、彼女のパソコンや、CD、DVD、ハードディスク、USBメモリなどの知識が、数年前のレベルに留まっていることが分かり、二人で大笑いをしていました。

 今では、CD-Rや、DVD-Rを「スピンドル買い」するというのは、半ば常識だと思うのですが、Sさんは、どうやらそういう形で売っているということ自体を知らないようでした。こっちが驚いてしまいました。ハードディスクも、数万円位の価格だと思い込んでいたようですし、USBメモリも、未だに256MBや、512MBを使っているという話しでした。USBメモリは、メーカ品でも、2GBのものが、今なら1,580円くらいで十分に買えます。

 ついでに、パソコンのメンテナンスの話しもして、「ディスク・クリーンナップ」や、「デフラグ」をすると、余分なゴミファイルが消え、使用できるハードディスク領域が増えたり、ハードディスクへのアクセスが速くなるということも説明しました。ものすごく感動されてしまいました。どちらも、Windowsには、標準で添付されているソフトですが、案外知られていないものなんですね。こちらが、感動してしまいます。

 ちなみに、「Windowsスタート」→「すべてのプログラム」→「アクセサリ」→「システムツール」とたどっていくと、どちらも出て来ます。もしご存じない方がいらっしゃれば、お試しください。

 彼女は、「帰りに、スピンドル買いしそうです」と言いながら、帰って行きました(苦笑)。Sさんが来てくれると、いつもこちらが楽しませてもらいますし、ブログネタをたくさん提供してくれます(Sさん、失礼)。

 明日は、2回目の授業。午後からは、これまた1年半ぶり以上の教授会です。うつの人にとっては、複数の人との話し合いや、こういう会議は、鬼門というか、難関です。17時までの勤務にさせてもらっていて贅沢を言ってはいけませんが、人と話すとか、会議は疲れてしまう可能性が大なのです。もちろん、明日は出席して、復職の挨拶をさせてもらい、17時まで出席のつもりです。が、そっと、密かに出席していようと思っています。

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2009年9月10日 (木)

見事に「鼻をへし折られました」

 今朝も涼しいというより、寒いくらいの風が吹き抜けています。今日は、このあと、午前中に受診してきます。この2週間は、とくに体調の変化もなく、お陰様でまあまあ元気に過ごしていますし、リハビリ出勤も順調にこなしてきています。ちょうど、来週の木曜日、17日は、正式に復職の辞令をいただく予定になっています。

 「復職の辞令」と書くと、「?」と思われる方がいらっしゃるかも知れません。勤務先の大学は、法人化されましたが、完全に民営化されたのではなく、まぁ、「準公務員」という感じですので、公務員に準じている制度が多々残っています。身分保障もその一つで、これまでの給食も、理事長(学長)の名前で、「休職を命じる」という辞令をもらって、つまり、「学長の命令で休職」していた、ということなのです。したがって、今回の復職も、まずは、産業医の先生が確認してくださり、それを踏まえて学部教授会で承認され、さらにそれを承けて、理事長から「復職してよろしい、復職しなさい」という辞令が出る、という仕組みなのです。

 さて、今日のタイトルですが、これだけをご覧になっても、やはり「?」かと思います。これは、「越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文(ディスカヴァー携書)」に取り組んだ結果のことをいっております。この本は、「ダ・ヴィンチ・コード」などの翻訳で知られる、翻訳家の越前敏弥さんが、翻訳学校などでの教授経験を踏まえて、書かれたものです。ご存じの方も多いかも知れません。

 そのオビに「英語自慢の鼻をへし折る!」とゴチック体で大書してあるのです。英語は、中学生以来、好きな科目でしたし、それなりに勉強してきました。高校時代の実力テストでは、当時、愛知県西三河地区の高校で行われていた、通称「西三<せいさん>テスト」で、1桁台の順位の成績だったこともあり、「得意だ!」と思っていました。

 ずいぶん前に入手し、通勤電車(ほとんどは、出勤の時で、座れたときに)で取り組んでいたのです。一言で総括すると、「結構やられたなぁ」ということでした。惨憺たる結果ではないと思いますが(思いたいの間違いかも知れませんが……)、思い違いしていたり、しっかり区別していなかったりしたことがかなりありました。

 辞書をまったく引かずにやったせいもあるということと、単文もしくは、2~3文からなる例題で、文脈が読めないということも影響しているとは思うのですが、言い訳の域を出ないでしょうから、それは、ここではこれ以上は書きません。見事に、「鼻をへし折られた」次第です。

 専門分野の英文であれば、ほぼ間違いなく読み取れていると思いますが、それにして、日々是精進が必要なことはいうまでもありません。さらに修行を重ねたいと思います。

 ところで、学問として、ある分野に取り組む上では、英語論文の内容を正確に読み取ることが必要不可欠になります。この点ができるようになるには何が必要かということについて、越前さんは、この本の中で、構文解析のような地道な勉強をある程度の期間、地道にしっかりやることの必要性を説いています。たとえば、大学受験のための勉強のように、ある一定の期間、徹底的に勉強することが必要だといいます。

 それと、これは私自身の個人的見解を裏付けてもらったことにもなるのですが、きちんと読めるためには、英会話学校でやる内容では太刀打ちできないというか、別物と考えた方が良いことや、アメリカやイギリスなどの英語を母国語とする国に、単に語学留学をしていただけではダメだ、ということも書いておられました。会話主体の学習から抜けて、上述のように、きちんとした勉強が必要だということです。

 もう一つは、英語以上に、日本語の能力も磨き、日本語にも敏感になることも重要だということを言っておられます。これも、私自身、十分首肯できることです。越前さんが、翻訳学校で10年間教えてこられた経験からは、99%の人にとって、日本語の運用能力と英語の読解能力とは、完璧に比例するとまで書いていらっしゃいます。

 さらに、学習教材としては、各種の大学受験用の参考書がもっとも適しているとも述べておられます。私自身は、見たことはなかったのですが、駿台予備校で教えておられた伊藤和夫先生の「英語構文詳解」や、「英文解釈教室」「英文法頻出問題演習」が有用であったと振り返っておられます。伊藤和夫先生の参考書が役立ったというのは、最近、売り出している京大教授の鎌田浩毅さんも、著書の中で述べていました。

 ということで、まだまだ修行が足らないようです。トホホ。地道な努力あるのみ、ですね。

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2009年8月26日 (水)

精神疾患の血液検査による診断……日本心理学会での発表

 今日から、立命館大学で日本心理学会第73回大会が開催されています。私は、主治医の指示により、出張禁止ですので、参加できませんが、明日のプログラムで、タイトルのように、統合失調症やうつ病などの精神疾患を判定できる血液中の分子が発見され、血液検査によって判定できる方法が確立されたという発表があります。

 今朝の毎日新聞に掲載されていますし、毎日.jpにも「精神疾患 血液で診断」という記事がアップされています。

大阪市大大学院医学研究科の関山敦生・客員准教授(43)=心身医学、分子病態学=が兵庫医科大と共同で、うつ病や統合失調症などの精神疾患を判定できる 血液中の分子を発見、血液検査に基づく判定法を確立した。問診や行動観察が主流だった精神科診療で、客観的な数値指標を診断に取り入れることができる。疾 患の判定だけではなくストレスの強度や回復程度もわかるという。関山准教授は27日午後、京都市の立命館大学で開かれる日本心理学会で発表する。

 記事によれば、関山准教授のグループは、ストレスや感染などを受けて、生成し分泌されるたんぱく質「サイトカイン」の血中濃度データの差異を積み上げて分析し、そのデータを パターン化することで、心身の変調やうつ病、統合失調症などを判定できることを明らかにしています。実際に、うつ病や統合失調症について、3,000人近くのデータから疾患のh判別式を作成し、それを別の400人の診断に用いた結果、うつ病の正診率は95%、統合失調症では、同じく96%に達したそうです。

 他の研究施設などでの追試実験が行われ、同様の結果が得られれば、科学的な事実として認められますが、この報告が正しければ、画期的な知見だと言えます。

 関山准教授たちは、さらに、精神疾患の判定だけではなく、健常者に対するストレスの強度、疲労からの回復スピードも数値化したようです。80名の男女を対象に、計算作業で精神的スト レス、エアロバイクなどで身体的ストレスを加える実験を実施したようで、これについても、どのストレスを受けたか、100%判別することに成功し、ストレスの強度を数値で評価でき る方法もつくり出したといいます。

 最初の引用にありますように、精神疾患の診断は、問診、行動観察の他に、心理検査の所見を参考にすることもありますが、こうした数値指標で客観的な診断が可能であれば、治療法の選択やその効果判定も、客観的、科学的に行うことができる道筋を拓いたことになります。

 こうした大きなかつ、画期的な研究成果が心理学会で発表されることは珍しいことです。私も、現実にその場にいて、この成果を聴きたかったものです。論文として発表されたら、是非、すぐにでも読みたいものです。

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2009年6月24日 (水)

データ分析

 夕方になって、涼しい風が吹き抜けていきます。昼の間も、思ったほど蒸し暑くはなかったように思います。

 さて、このところ、ときどきブログにも書いていますが、院生OGの方の修論データの再検討を、少しずつ進めています。ここ10年近くは、前半は多忙を極め、また、後半は、院生を指導して、各自にデータ分析をしてもらっていたのと、病休・休職がちでしたので、自分でデータの分析を手がけるという経験は、久しぶりです。

 当初は、手際が悪く、なかなか「昔取った杵柄」とは行きませんでしたが、次第に勘が戻りつつあります。理系のアタマで、数学が得意な方であれば、フリーソフトや、市販のパッケージソフトでも、簡単なsyntaxを書いて、さっさと分析を済ませてしまえるのかも知れませんが、私の場合は、どうもそうは行きません。

 人文・社会科学の分野で使われ始め、看護学領域でも多用されているSPSS(現在のバージョン17では、名前が変わり、PASWというようですが)を使っています。現在、所有しているのは、SPSSのバージョン16.0JのBase systemです。その他、オプションが多数ありますが、これがまたけっこうなお値段ですので、アカデミックプライスを利用しても、なかなかそろえることは難しいのです。Base systemも、アカデミックプライスで\102,900です。今の16.0Jからのバージョンアップ価格は、\31,500となっています。通常価格は、ほぼ倍近いものです。

 このSPSSは、普通のWindowsのソフトと同様にプルダウンのメニューから使うことができますし、ダイアログでいろいろと指定して使うことができます。値段は高いのですが、人文系の私にも使いやすくなっています。大学では、アプリケーション・サーバに最新バージョンがインストールしてありますが、自宅や出先でも使いたいと思い、研究費の残額で購入したもので、重宝しています。以前のバージョンとは異なり、グラフもまあまあきれいに書いてくれるようになりましたので、10万円払った価値はあると思います。

 ところで、こうやって、データをあれこれと分析しているのは、苦になりません。というよりも、むしろ楽しんでやっているのです。学生時代は、実験心理学を専攻していましたが、そのときの恩師の教えで、データは、さまざまな角度から分析し、データに語らせることが重要だということをたたき込まれたからです。その当時もSPSSはあるにはありましたが、大型計算機センターへ行って、パンチカードにデータを打ち込んで、Fortranか何か、プログラミング言語でプログラムを記述する必要があったと記憶しています。まさに隔世の感があります。と同時に、年をとったものだという気もしています。

 卒業論文を書いた頃、カシオ計算機だったかから、平均値や標準偏差といった統計量が、まさに「答え一発」で求められる電卓が発売され、「文明の利器だなぁ」と感激した記憶もあります。

 ということで、昔を思い出しつつ、データ分析にシコシコと取り組みつつ、その楽しさを思い出しているというところです。明日は、今週2回目のリハビリ出勤の予定です。梅雨の中休みのようでありがたいのですが、真夏のように暑いという予報もあり、良し悪しです。

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2009年5月15日 (金)

定期試験と実力試験の成績に影響する要因

 昨晩、就寝が23時過ぎと遅かったせいか、朝も、目覚ましが鳴るまで起きられませんでしたし、今日1日、何となく“お疲れモード”でした。湿疹ができてしまいましたので、午前中、時折お世話になる皮膚科を受診したのですが、これがまた、ちょうど混雑する時間帯に行ってしまったようで、調剤薬局で薬をもらうまでに、1時間15分ほどもかかってしまい、余計に疲れてしまいました。ということで、散歩は駅前の皮膚科往復でオシマイとなってしまいました。

 さて、帰宅したら、日本心理学会の学会誌、“心理学研究”の最新号(80巻1号)が届いていました。学会誌は、ご存じの方も多いかと思いますが、研究論文が、レフリーの査読を経て、パスしたものが掲載されています。その中に、なかなか実際的で、興味深い論文がありました。題して、“英語の定期テスト高成績者が実力テストで成績が振るわないのはなぜか?”というものです。早稲田大学の松沼光泰先生の書かれた論文です。以下に概要を示します:

高校英語では、定期テストでは比較的成績がよいのに、実力テストではそれが振るわない生徒が散見されるのですが、それは、生徒が適切な勉強方法を選択していない可能性があると考え、学習動機と学習行動の観点から検討しています。

まずは、英語学習方略尺度という、英語の学習スタイルを測定する質問紙を作成し、それを東京の私立高校2年生男子に実施した結果から、“学習動機・学習行動とテスト成績の関連性”についてのモデルを提案しています。この高校では、ほとんどの卒業生が、4年生大学に進学するところだということです。

研究に当たっては、多変量解析という統計手法を用いていますが、それは省略し、上述のモデルから、主要な結論だけを取り出して見てみます。中間テストの成績に影響している要因は、「暗記方略」と「テスト前学習時間」が強く、「文法・構文方略」も多少の影響を持っていました。これに対して、実力テストの成績に影響したのは、「文法・構文方略」と「日常の学習時間」の2つでした。ここでは「学習の動機」は、テストの成績には直接的な影響は認められていません。

定期テストの成績が高いのに、実力テストが低い生徒では、定期テストも、実力テストも成績の良い生徒に比べ、「文法・構文方略」と「日常の学習時間」の2つを遂行する頻度が、統計学的に少ないことが示されています。

興味深いことに、教師が生徒たちに望んでいるであろう日常生活での学習時間は、定期テストには反映せず、直前の暗記学習しか影響していませんでした。また、学習のスタイルとしては、より深い学習が必要と考えられる「文法・構文方略」は、両テストに有効ですが、範囲が限定される定期テストでは、「暗記方略」も有効性が認められる、という結果であると考えられます。

 ある意味で、常識的な結論といえるかも知れませんが、常識にはけっこう、実証的な裏付けがない場合があります。また、学問的には、常識を実証的に確認するということは、十分意義のある研究成果であると考えられます。この結果を一般化するには、さらに検討が必要ですが、興味深い成果だと思います。

 わが息子に確認してみたら、「俺は、定期テストでは、暗記をあまりしていないからできが今ひとつなのか。今度からは、暗記をしてみよう」と、感想を述べていました。中間テストは、今日で終わってしまいましたので、期末テストの成果が期待できるでしょうか??

【出典】 松沼光泰(2009):英語の定期テスト高成績者が実力テストで成績が振るわないのはなぜか?,心理学研究,89,9-16.

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