城・城跡

2020年11月 8日 (日)

20201108JRさわやかウォーキング「蟹江町を散策。寺社・史跡巡り」へ(完)

1108kanie

 新型コロナウィルス感染症のため、2月からJRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングも中止になっていましたが、11月に入ってどちらも再開。ただし、近鉄ハイキングはイベントタイプのものはまだ行われず、常設コースに近い形。JRさわやかウォーキングは、感染症対策を施して、3密にならないよう配慮された、イベントタイプで行われるようになりました。ほぼ9ヶ月ぶりに参加(微笑)(近鉄ハイキングは、2月9日以来:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完);JRさわやかウォーキングは、2月2日以来:20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(予告編))。

Img_9465c_20201108162201  今日のJRさわやかウォーキングは、JR関西線蟹江駅がスタート&ゴール。受付は、8時半~12時。桑名駅を9時2分に出る名古屋行き普通に乗車。蟹江駅には9時21分着のところ、3~4分遅れ。¥240。蟹江のウォーキングは、去年11月3日にも開催され、参加しています(2019年11月3日:20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(予告編))。

Img_9473c_20201108162201  駅前でコースマップ(冒頭の画像)と、「第3回蟹蟹フェア」のチラシを受け取ります。そして、久しぶりに「JRさわやかウォKanikani3 ーキング スタート」の看板を見られました。蟹江町のキャラクター「かに丸くん」がポーズを取ってくれます。受付開始から1時間経っていますが、参加者はコロナ以前よりも少ない印象があります。

20201108jrwalkingkanie  こちらは、今日歩いたルートの全体マップ。コースマップ上、7.8㎞となっていましたが、実際に歩いたのは、8.5㎞(実は途中で少しだけショートカットしているのですが)。蟹江でのJRさわやかウォーキングに参加するのは、上述の去年11月の他、2018年3月4日にも来ています(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))。それ故、3回目でかなり馴染みがあります。ほとんど訪ねたことがあるところですので、今回は1回完結の記事。

20201108jrwalkingkanie1  こちらは、コース前半部分の詳しいルートマップ。JR蟹江駅から南へ。蟹江城跡、蟹江神明社から、お楽しみの甘強酒造、銭洗尾張弁財天富吉神社にお参り。蟹江川を越えて、まちなか交流センター「楽人」、尾張温泉かにえ病院のところにある「足湯かにえの郷」と周り、JR関西線を越えます。

Img_9486c_20201108162201  蟹江駅前通に神社があったのですが、社号標も説明板もありません。ネットの地図にも載っておらず、不Img_9489c 明。三重県の神社については、「神社検索(三重)」というサイトがあって便利なのですが、これの愛知県バージョンはなさそう。右の写真は、駅前公民館の東あたりの様子。

Img_9499c_20201108162201  最初の立ち寄り先は、蟹江城跡。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時Img_9505c_20201108162201 任(ときとう)が城塞を築いたのが初めといわれます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。城跡の西、30mのところにで蟹江城本丸井戸跡。細い路地の、民家の軒先にあります。江戸時代の蟹江本町村絵図にも、ここに「古井」と記されています。この井戸跡が、蟹江城がここにあった証拠と考えられています。

Img_9507c_20201108162201  蟹江城本丸井戸跡のすぐ西には、秋葉社があり、氏子の方々が清掃奉仕をしていらっしゃいました。この秋葉社も、ネットの地図にも載っていませんし、ネット検索しても情報は出て来ません。しかし、地域の方が大事に守っていらっしゃる神社と思いました。以前のハイキングでも感じたことですが、蟹江のあたりには、秋葉社がたくさんあります。江戸時代に、火災予防のために祀ったのかも知れません。

Img_9532c_20201108162301  蟹江川沿いを歩いて、蟹江神明社へ。永享年間(1429~1441年)、北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸Img_9518c_20201108162301 南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まり。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。御祭神は、天照大神。

Img_9535c_20201108162301  蟹江神明社の東隣には、「東照山」と山号のあるお堂と、地蔵堂がありますが、これもよく分かりません。「分からないのに何故書くのか?」と思われるでしょうが、その昔、研究者の端くれでした。研究をする上では、何が分かって、何が分からないかを区別しておくことが大切ですし、必要なのです。ひょっとしてご存じの方もいらっしゃるかも知れませんし、教えていただける可能性もゼロではないからなのです。

Img_9543c_20201108162301  続いて、私にとって、今日の最大の目的地・甘強(かんきょう)酒造。左の写真にある旧本社事務所の建物は、昭和12(1937)年建築で、登録有形文化財。味醂、清酒などをつくっておられます。去年11月にも来ています。

Img_9556c_20201108162301 Img_9558c_20201108162301  試飲を楽しみに来たのですが、去年同様、ミニカップでした(微苦笑)。名古屋正宗(本醸造)、いっこく(純米吟醸)(甘強酒造の日本酒のリストはここ)、里香梅 紅麹梅酒、味醂などから選べました。いっこくをいただいてきました。お願いすれば、他も試飲できそうでしたが、時節柄、自粛(苦笑)。

Img_9566c_20201108162301  直売も行われていましたが、今年はセット販売のみ。いっこく、名古屋正宗、あまさけの3本セット(いずれも350ml)を¥1,000でお買い上げ。¥3,000以上買うと、記念品(アルコール カンキョウ77:消毒用エタノールの代用品として、手指消毒に使用可能なもの。飲めませんし、火気厳禁だそうです。左の写真で右端に写っているのがそれ)がいただけ、抽選もできたのですが、さすがに荷物になりますからパス。

Img_9580c_20201108162301  甘強酒造さんの構内にも「蟹蟹フェア」の会場が設けられていました。かにかまの天ぷら、かにかま寿司もあったのですが、Img_9577c_20201108162301 気になったのは魚屋バーガーの蟹コロバーガー(蟹みそ入り)、¥600。「限定50食」とあって、並んでいる人もあり気になります(微苦笑)。元来、行列は大嫌いなのですが、さほど並んではいなかったので、少しだけ我慢。今日の昼ご飯にしようという算段(微笑)。これで、土産も買い、昼ご飯も用意しましたので、安心して歩けます。

Img_9598c_20201108162301  次に立ち寄るのは、銭洗尾張弁財天富吉神社。ここも、たぶん3回目の訪問。尾張で唯一の銭洗弁財天です。Img_9596c_20201108162301 室町時代、永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を洗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。さすがにお札を洗うのは、憚られましたし、大金はありませんので、持っているだけの小銭を洗ってきました。

Img_9621c_20201108162401  蟹江川を渡り、蟹江町役場、蟹江町体育館の前を通って、スタートから2.7㎞ほどで、まちなか交流センター「楽人」。カワラケツメイ茶のサービスがあるということでしたが、よく分からず、通過。カワラケツメイ茶は、健康茶として飲まれているようです。あとで訪ねた蟹江山龍照院でも、提供されていました。

Img_9630c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院に行くまでの道路の歩道に写真のようなものがあるのを見つけました。「大相撲ストリート」といって、ここ尾張温泉通りに、二子山部屋・高砂部屋の力士16名の足型が路上に設置されていましImg_9634c_20201108162401 た。貴乃花、若乃花、朝青龍などの足型もありました。

Img_9637c Img_9646c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院のところには、「足湯かにえの郷」。源泉掛け流しの足湯で、無料で利用できます。ウォーキング参加者でも足を浸している方もありましたが、今日は、21℃を超え、この時期にしては少し暑いくらい。なので、パス。

Img_9649c Img_9656c_20201108162401  蟹江のハイキング・ウォーキングは3回目と思いますが、西の方に来たのは初めて。帰ってから地図を見て、ホントに尾張温泉近くまで行ったんだと実感。しかし、温泉には立ち寄りません。北上してJR関西線を越えます。右の写真は、JR関西線を越えたあたりの公園のそば。マップで「今西3」とあるあたり。この先に八幡神社や、地図にはありませんが、松秀寺があり、立ち寄ってみたいとは思いつつ、先を急ぎました。

20201108jrwalkingkanie2  詳しいルートマップは、その2へ。スタートから6㎞ほど、須西小学校のところで、再び蟹江川沿いを歩きます。この先に観光交流センター「祭人」。そのすぐ北東に富吉建速神社・八剣社と、蟹江山龍照院。ここが最後の立ち寄りスポット。龍照院を出てからは、1.3㎞ほど歩いてゴールのはつらつ公園へ。コロナの関係で、ゴール受付はあるものの、参加証へのスタンプ押印はなし。はつらつ公園から蟹江駅までは約300m。

Img_9678c_20201108162401  途中、割愛して、観光交流センター「祭人」。ここは大賑わい。ユネスコ無形文化遺産「須成祭」の展示もありますが、それImg_9681c_20201108162401 は以前見たのでパス。去年も買ったのですが、蟹江の味彩もへのさんが出展していたので、「蟹タクちらし」(¥300)をゲット。去年11月のJRさわやかウォーキングのとき、「小腹が空いていませんか?」と売り込まれ、思わず買っしまったのが、とても美味しかったのです。ただし、これ、今日は土産にするつもり。

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 「祭人」では蟹タクちらしを買っただけで、富吉建速神社・八剣社、蟹江山龍照院へ。本来設定されたコースでは、御葭橋まで戻って、蟹江川を東に渡って行くようになっていたのですが、ショートカット(苦笑)。割とマジメだと自認しているのですが、そこまで堅くはありません(微笑)。

Img_9694c  まずは、富吉建速(とみよしたけはや)神社・八剣(はっけん)社にお参り。両社とも、天平5(733)年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれます。須成祭は、この両社の祭礼とImg_9699c_20201108162401 して行われる川祭です。津島神社の天王祭りと似たお祭です。

Img_9705c_20201108162401 Img_9708c_20201108162401  両社の北に蟹江山常楽寺龍照院真言宗智山派のお寺。天平5年に行基菩薩によって、本尊に十一面観世音菩薩を奉安し創建されたといわれています。御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182年)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。今日は、特別にご開帳があり、拝観してきました。

Img_9735c_20201108185501  境内には、大日如来堂があり、木曾義仲の菩提を弔うために巴御前が安置したといわれる大日如来坐像があります。巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。義仲の妾(しょう)とされ、元暦元(1184)年1月、近江粟津の戦では敵の首をねじ捨てるなどの活躍をしたのですが、死を覚悟した義仲の命令で戦場を離脱しています。巴御前は、故郷の信濃に向かう途中義仲が建てた寺があることを知り、出家、剃髪し義仲を弔ったという話があり、それがここ常楽寺龍照院だといいます。

Img_9722c  龍照院にお参りしたら、お下がりだということで、飴とポケットティッシュをいただいてしまいました。実Img_9719c は、銭洗尾張弁財天富吉神社で洗った小銭しかなかったので、お賽銭を上げず、拝んだだけなので、気が引けました(苦笑)。

Img_9725c  旧・須成村は、新撰組隊士・佐野七五三之助(さのしめのすけ)の出身地だそうで、境内にはその展示パネルがあり、「かにえボランティア夢案内人」の方が出て、説明をしておられました。佐野七五三之助は、天保5(1834)年、尾張国海部郡須成村の神職、寺西伊予守家班(いよのかみいえのり)の嫡子として誕生。嘉永3(1850)年、父が死去したImg_9728c 後、尊王攘夷を志し、名前を佐野七五三之助と改め、江戸へ向かい、北辰一刀流を学び、元治元(18649年、30歳のとき、新選組の隊士となり京へ行きました。慶応3(1867)年、新選組総員の幕臣取立に抗議し、新選組からの離脱を企てたものの挫折。京都守護職邸で仲間3人とともに自刃。ほぼ即死状態だったといわれる状況で、遺体を運ぼうとした新選組隊士に自分ののどに刺さっていた小刀で斬りかかったといいます。驚いたほかの隊士によりわき腹にとどめを刺されたのですが、屯所に運ばれる途中にも、息絶えたはずの佐野が、縛られていた縄を噛んだといい、隊士たちを仰天させたという壮絶な最後が伝わっています。京都・光縁寺に埋葬されています。享年34。明治2(1869)年、故郷須成村に伝えられ、神葬祭が営まれ、須成天王橋西に墓があります。佐野七五三之助の甥(妹の子)が、第24代内閣・総理大臣加藤高明

Img_9770c_20201108162501  これですべて回りましたので、ゴールのはつらつ公園に向かいます。龍照院からは1.3㎞ほど。11時42分に到着。ゴールにImg_9778c_20201108162501 は、いつものJRさわやかウォーキングのゴールパネル。これを観たのも9ヶ月ぶり。

Img_9784c  はつらつ公園では、甘強酒造さんでゲットしてきた蟹コロバーガーを食べることに。昼食という次第。美味しかったのですが、味が淡泊で、ちょっともの足らない気もしました。蟹みそも入っているということでしたが、よく分からず。バンズは、「全粒粉入りオーガニック」ですから、健康志向のバーガー。味が薄いのもやむを得ないか?

Img_9801c_20201108162501  ゴールのはつらつ公園から蟹江駅までは約5分。11時55分に到着。蟹江駅までが、8.5㎞。割とよく歩いていました。12時ちょうどに四日市行き普通電車があり、それに乗って桑名まで。12時16分着。

Img_9823c_20201108162501  今日のALKOOのデータ。17,066歩。JRさわやかウォーキングで歩いたImg_9824c_20201108162501 のが、8.5㎞。桑名駅往復が2.2㎞。合計10.7㎞を歩きました。JRさわやかウォーキングは、コロナで中断していましたので、スタンプの有効期間は、1年延長されます。スタンプ、今日で6個目。延長のお陰で有効期間はまだ1年以上ありますから、10個はクリアできそう。

Img_9817c_20201108162501  蟹タクちらしは、晩ご飯の時に家族でシェア。甘強酒造で買ってきた土産から、「名古屋正宗」を晩酌に(微笑)。酒蔵に行ったのも、2月9日に早川酒造部に行って以来(20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。次は、11月21日(土)に開催予定の「戦国武将ゆかりの地を眺めながら、岐阜公園を訪ねて」に行きたいのですが、この日は相談会を調整中。

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2020年10月 7日 (水)

「桑名城惣構ツアー」とバードウォッチング少々……キンクロハジロ飛来、サメビタキ(?)も

Img_2596c_20201007151701  今日は、かねてからのご依頼で、「桑名城惣構ツアー」に行ってきましたというか、俄(インチキ?)ツアーコンダクターを務Kuwanasougamae0_20201007151701 めてきました。ずいぶん以前のブログの記事について、ご質問をいただいてメールでやりとりをしたSさんから、「桑名城の惣構(そうがまえ:城や砦の外郭、またはその囲まれた内部をいいます。今回は、惣構堀です)を案内して欲しい」というご依頼を受け、今日のツアーに至りました。柿安コミュニティパーク入り口にある本多忠勝銅像前にて待ち合わせ。Sさんご一行4名と、歩いてきました。桑名城惣構については、8月に実地調査を何回かして、右の画像のように確認。住吉神社のところから、住吉入江、寺町堀、吉津屋堀から吉津屋見附西の緑地帯、伝馬公園の南、七曲がり見附跡、日進小学校南、市営東新町住宅から桑名税務署付近、柳原の南から赤須賀へと約3.4㎞。

Img_2601c_20201007151701  今日は、昼食をはまぐりプラザの食堂はまかぜで11時半に予約ということで、まずは、本多忠勝銅像から九華公園(桑名城址)、中橋から歴史を語る公園あたりの桑名城城壁、春日神社の青銅鳥居、志るべ石、貝塚公園を経てはまぐりプラザへ。ここで昼食の後、赤須賀から惣構を辿って歩いて来ました。ほぼ2枚目の画像通りに歩いたのですが、吉津屋見附跡からは東海道を京町見附跡(京町公園)へ。一部寺町商店街を通って、桑名別院本統寺で、芭蕉の句碑を見て、本多忠勝の菩提寺である浄土寺へ。この頃から雨が降り始め、ちょっと残念。その後は、拙宅前を通りましたので、私はここでお役御免としていただきました。Sさんご一行は、六華苑をご覧になって、揖斐川沿いを歩いて、七里の渡し跡、蟠龍櫓から本多忠勝銅像に戻られたはず。「ブラタモリ」みたいでおもしろいといっていただいたので、素人ツアコンとしては一安心。

Dsc_0003c  昼食は、ご馳走になってしまいました。食堂はまかぜで、焼きはまぐり定食(¥2,000)。焼Dsc_0004c き蛤4個の他、シジミの味噌汁、海苔の風味のはまぐり磯部揚げ、はまぐりフライなど、あさりの時雨の炊き込みご飯。デザートもついていました。

Dsc_0005c  焼き蛤は、その場でコンロで焼いて食べます。アルミホイルにつつまれた生の蛤。焼けると殻が開いてきます。生の蛤ですので、塩分が利いていて、プルプルで美味しい。満腹(微笑)。別れ際には、我が家の大好物であるお土産までいただいてしまい、恐縮至極。楽しんで帰っていただけたらなら幸いです。

Img_2580c_20201007151701  ところで、待ち合わせは9時半過ぎでした。時間に余裕がありましたので、少し早めに出て、九華公園を半周し、バードウォッチング(微笑)。良いことがありました。二の丸堀にキンクロハジロが1羽、やって来ていました。今年のカモ飛来第1号です。去年は、10月4日にハシビロガモのオスが1羽(2019年10月4日:九華公園に遠来の客、ハシビロガモ……上之輪新田偵察の結果はいかに?)、キンクロハジロは10月7日に来ています(2019年10月 7日 :九華公園にキンクロハジロ飛来、揖斐川沿いでノビタキか?……午後は市民大学講座へ【付記:コメントの反映遅延について】)。ほぼ同じ時期にやって来ます。

Img_2592c_20201007151701  他には、こちら。ちょっと判別が難しいのですが、胸のあたりに縦の斑紋がはっきりとは見えませんから、エゾビタキではなさそう。灰褐色の、不明瞭な斑紋があるので、サメビタキかという気がしますが、斜め後ろからしか見えませんでしたので、自信はありません。サメビタキなら、鳥図鑑+1になるのですが……。

Img_2552c_20201007151701  アオサギさんは、2羽。左の写真は、九華橋近くの高いところにいつも来ているアオサギ。右は、鎮国守国神Img_2549c_20201007151701 社の社務所裏に近い木にいたアオサギ。なお、今日は、トータルで9.5㎞を歩いてきました。よく歩きました。

Img_2526c_20201007151701 Img_2522c  今日は、時間割上、後期の遠隔授業第1回の日。16時現在で、受講登録者は、51名。けっこう多い(去年の対面授業に近い人数)。出席確認は、13名ほど。コメントを見ても、まあまあ順調にスタートしたかと思います。左の写真は、今朝の南東の空(6時20分過ぎ)。アサガオ、さすがにもうつぼみは出て来ていません。

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2020年8月25日 (火)

今日も結局、「桑名城惣構調査」の補足……九華公園でゴイサギを一応確認

Img_4625c  今朝は、早くから湿度が高いのか、南風の影響もあるのか、蒸し暑くなっています。正午までのところでは、最高気温は32.5℃。9階の我が家は開け放しておくと、風は通るのですが、日が高くなるにつれ、湿った温風に変わってきます。さて、今日もいつも通り、散歩へ。散歩をしないことには始まりません。7時40分から、住吉神社、九華公園、貝塚公園へ。ここから、昨日で調べ終えたと思った「桑名城惣構調査」の補足調査へ。柳原から東野、伊賀町、赤須賀辺りを歩いて、貝塚公園に戻り、京町、寺町と6.4㎞。2時間コース。昨日までの2日間より、若干短め。

Img_4614c_20200825115401  住吉神社から見る揖斐長良川の中洲、今日もダイサギがいるのが確認できました。向かって右の黒い鳥は、カワウ。それにしてImg_4640c_20200825115401 も我が家から、三之丸公園あたりまで、セミがほとんど鳴いていません。昨日はまだ三之丸公園でクマゼミが鳴いていたのに。九華公園まで来ると、ところどころでまだクマゼミが鳴いて、木の下を歩くと、アブラゼミが逃げまどいます。今日も、散歩する人も、鳥も少なく、張り合いがありません。前管理人Oさんが、「暑くて鳥がいないので、あかんなぁ」とおっしゃいます。本当です。9月になると渡り鳥が立ち寄るかも知れません.もう少しの辛抱。

Img_4642c  その九華公園で、奥平屋敷跡の東側を歩いていたら、カラスとゴイサギらしき鳥が、空中戦。というと大袈裟ですが、追いかけあいをしているのが見えました。二の丸橋の向こうに降りたように見えたので、二の丸跡から朝日丸跡へ急いだのですが、肉眼でははっきり確認できません。「たぶんあの辺」と見当をつけて、公園の外周遊歩道の南を撮ったら、ホシゴイからゴイサギになりかけくらいのゴイサギ(ヘンな書き方)がいました。

Img_4659c_20200825115401  その他はいつも通り、ハシボソガラス、スズメ、ムクドリ、キジバト、カワラヒワくらい。アーちゃんもいましたが(微Img_4647c_20200825115401 笑)。これといって変わったこともありませんし、ヘンな人もいません(苦笑)。まぁ、フツーが何より。このあと貝塚公園から「桑名城惣構調査(補足編)」へ。それについては、後ほど。

Img_4766c_20200825124601  寺町商店街のアーケードの南端です。種苗店のあとに占いの店があったのですが、今日は看板が撤去されていました。一昨日まではあったような気がします。見るところ、お客さんはあまり入っていないようでした。今年の3月7日開店で、占いは500円とあったのですが(2020年3月5日:不安定な天候で雨宿り3回、散歩のメインは寺町商店街)、立地条件がよくないのかという気がします。占いに興味がある(と私が思う)若い女性はほとんど通らないのです。

18881898  さて、桑名城惣構調査(補足編)の話。昨日、ブログの記事を書いてから、「今昔マップon the Web」というサイトで、該当する辺りの古い地図を見ていました。左の画像は、そのハードコピーに描き込んだもの。この今昔マップでは、古い地図と現代の地図を比較してみられます。向かって左は1888~1898年の地図。明治でいうと、21~31年。これがもっとも古い地図です。明治になってはいますが、江戸時代の終わり頃から激しく変化はしていないだろうという前提です。赤で囲んだ辺りが、柳原交差点から桑名税務署・桑名消防署の東辺りの桜並木のところ。惣構は、桜並木から柳原交差点を通り、貝塚公園の南から東に続いたと考えていたのですが、柳原交差点の南100m足らずのところから東に向かっているように描かれています。これが新たに出来した課題。もう一つは、現在の桑名税務署・桑名消防署の付近で、惣構がどうなっていたかという課題がありました.地図では緑で囲ったところ。これは、昨日通ってきたルートでほぼ間違いなさそうです。さらに、七曲見附付近から東の辺りがどうであったかも今ひとつ明確にはなっていません。今日は、赤枠のところ、惣構が柳原交差点の南から東に向かっているように描かれていた現地を見てこようという次第。

Img_4666c  左の写真は、柳原交差点のすぐ北から東を見た写真(一昨日も同じような写真を載せました)。向かって左手の森は、貝塚公Img_4671c_20200825115401 園。ずっと奥に見えている大きな建物がはまぐりプラザ。これが惣構だと思っていたのですが、上記の明治の地図を見ると、間違っている可能性が出て来たということ。右の写真は、柳原交差点を渡ったところから見た南の方角。桜並木が見えていますが、ここまでが惣構であったのはほぼ確実と考えられます。

0525walk  こちらは、今日の補足調査で歩いたルート(薄いブルーのラインで示しました)。貝塚公園の南西から南へ100mほど進んで左折し、東へ。赤須賀郵便局前を通って、船溜まりの東へ.そこから貝塚公園に戻って来ました。赤い太いラインは、これまで惣構があったと考えていたところ。柳原交差点の南から東へ描いた緑のラインは、上記の明治の地図で見た堀と考えられるところ。

Img_4673c  左の写真は、柳原交差点から南へ100m弱進んだところから見た東側の様子。すぐ手前にある道は、堀があったと思われるとImg_4682c_20200825115401 ころの1本手前の道。右の写真は、もう1本南にある曲がり角。向かって右手に桜並木があります。上の古地図・現代地図の対比図で見ると、ここから東に堀が延びていたように読めますので、こちらを進みます。この辺はときどき歩いていたのですが、この道は初めて通ります。

Img_4688c_20200825115401  上記の角を曲がったところ。道は細いのですが、向かって左側にずっと先まで、2階建てのImg_4694c_20200825115401 それなりに新しい長屋が続いています。長屋が建っているところまで含めて見ると、惣構堀があったと思っても、納得できそうな印象。

Img_4697c  右上の写真を撮ったところから、来た道を振り返って撮った写真。向かって右側(上2枚の写真では、左側)は、伊賀町という名前。未確認ですが、服部半蔵にしたがってきた伊賀者の侍屋敷があったので、伊賀町という名前になったという話を、年配の方からよく伺います。侍屋敷があったのであれば、城下で、惣構の内と考えてもよいのですが、この辺は、江戸時代の城絵図をよく見て考える必要があります。

Img_4700c_20200825115401  さらに進んで、東野神社の近くまで来ました。右は、東野神社の北東にある四差路。四差路の東(向こう側)や、南(右側)Img_4707c が赤須賀(あかすか)になります。左手にある建物は、スナック「スミ」。営業はしていない感じでしたが、赤須賀は漁師町ですから、漁師さんなどが来ていたかも知れません。

Img_4713c_20200825115401  ちょっと東野神社により道。赤須賀神明社の境外神社。御祭神は火産霊室神、天津彦根命、Img_4716c_20200825115401 大物主神。明治40(1907)年にいったん赤須賀神明社へ合祀されましたが、昭和29(1954)年に分祀独立して現在に至っています。

Img_4721c_20200825115401  スナックスミや、東野神社のある交差点から来た道を振り返って撮った写真。道幅は狭いものの、途中にあった2階建て長屋や、このスナックの建物の建っている敷地の幅と道の幅を合わせると堀の幅のように見えます。

Img_4728c_20200825115401  この四差路から先、堀があったとしてどうなっていたか、上掲の明治の地図では読み取りにくくなっています。堀はここまでのようにも見えますし、左下(南西)から来ている道?堀?が、現在の船溜まりの方へと続いているようにも見えます。すぐ先にもう一つ四差路の交差点があり、左折すると赤須賀郵便局の前を通って船溜まりに行き当たります。郵便局が面している方がメインストリートかと考え、そちらに行くことにしました。左の写真は、この一つ先の四差路から赤須賀郵便局方面に行く道。

Img_4738c_20200825115401  赤須賀郵便局の前を通ります。ここは何度か来ましたので、ここまで来れば土地勘があります。郵便局の前をさらに進むと、Img_4740c_20200825115401  右の写真のように、低い堤防があるところに行き当たります。ここが赤須賀漁港の奥(西)にある船溜まり。このすぐ右にはまぐりプラザがあります。

Img_4749c_20200825115401  船溜まりの様子。堤防のところから覗いた写真。この船溜まりから右手(東)に堤防道路をImg_4744c_20200825115401 くぐり、水門を通して赤須賀漁港、揖斐長良川へと続きます。右の写真は、同じところから見た東の方角。右手には伊勢しぐれの本店があります。奥には、はまぐりプラザの建物の一部が写っています。その先は、赤須賀漁港。

Img_4752c_20200825115401  同じところから左(西)を見た写真。左にややカーブして奥の方向に続く道が県道504号線。ずっと先に柳原交差点があります。

Img_4755c  左は、船溜まりから西を見た写真。貝塚公園と柳原交差点の間から続く、当初惣構の跡と考えたルートが続Img_4758c_20200825115401 いています。右の写真は、この「堀跡」の北側を貝塚公園に向かう途中で撮った写真。

 これで伝馬公園~七曲見附跡・日進小学校~桑名税務署・桑名消防署の付近~柳原交差点南~赤須賀と現地を歩いてきたことになります。昨日書いたように、地図を比較対照して調べ、考えることになります。

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2020年8月24日 (月)

鳥も散歩友達も少なかったので、惣構現地調査2日目……今日は7.4㎞(爆)

Img_4600c_20200824145401  朝は、24.9℃と、かろうじて熱帯夜を免れ、北寄りの風で、多少過ごしやすい感じでしたが、日中は、34.3℃と相変わらずの暑さです。7時半スタートで散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園と歩き、そこから昨日の続きで、惣構実地調査。柳原、江場、新屋敷、伝馬町から一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町、吉津屋町、京町、寺町と、またもや7.4㎞も歩いて、10時帰宅。「暑いのに、よく歩くな」と思われるかも知れませんが、先週の暑さに比べると少し楽に思います。

Img_4314c  住吉神社から見た揖斐長良川の中洲。ダイサギのようですが、1羽だけいました。ここは、以前は、よくアオサギが集合していた場所です。多いときには20羽以上もいたことがあります。そういう光景をまた見たいと思っています。

Img_4342c_20200824145501  柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイ。その他、ハシボソガラスたち。九華公園では、今日もあまり鳥Img_4352c はいません。奥平屋敷跡にある鳥小屋を確認してきたのですが、妙な具合になっていました。白いインコがペアで入れられたはずでしたが、カップルが、右の写真のように入れ替わっているようでした。う~ん、何と申しましょうか(笑)。

Img_4371c_20200824145501  その後、シルバー人材センターの脇を通ったら、ちょうど同級生K氏と遭遇。「ちょっと寄っていけ」ということになり、コーヒーをご馳走になりながら、少しばかりおしゃべり。猛暑の時期で、派遣されて仕事に行く方々も大変のようでした。冗談半分に「お前も、働くか?」といわれましたが、ブラブラ人生も長くなり、今さら役には立たない可能性大です(苦笑)。

Img_4563c_20200824145401  惣構実地調査の話は後にして、伝馬公園からは一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町の境にある緑地帯を通り、定休日の寺町商店街を通過して、住吉入江へ。三崎見附跡の北でシジュウカラを目撃。2羽。Img_4596c しかし、ソメイヨシノの木に紛れてしまい、写真は撮れず。その後、拙宅前の住吉入江のところで休憩していたら、イソヒヨドリのメスが登場。実は、朝5時頃にも、鳴き声が聞こえていたのです。

0824walk  さて、惣構実地調査、2日目です。マップは、昨日とほぼ同じです。赤いラインは、惣構があったと考えられるところ、ブルーのラインが今日歩いてきたルート。昨日、回ってこなかった桑名税務署・桑名消防署の北から西側と、市営日進町住宅、長圓寺・報恩寺の南から、伝馬公園の裏手の2ヶ所が主な目的地でした。

Img_4377c  左の写真は、昨日も載せた桑名税務署から北に延びる桜並木。惣構の跡と考えられます。桑名税務署から北へ50mほどのところまで、桜並木と幅広い水路の跡らしきものが確認できます。

Img_4386c_20200824145501  桑名税務署のすぐ北にある交差点。向かって右手に一部見えているのが、税務署。その向こうに見える塔Img_4391c_20200824145501 は、消防署の訓練用のタワー。右の写真は、この交差点を曲がって、進む先。東新町市営住宅の北側へと続きます。堀の跡か? というと、何ともいいがたい感じです。

Img_4395c_20200824145501  少し進んだところの様子。道はほぼ直線で、少しだけ曲がっています。右Img_4400c の写真は、東新町市営住宅の西側を通っている道。直線で、県道401号線に向かっています。これまた、堀の跡かというと、微妙な感じです。ここは見通せて、道の様子も分かりましたので、曲がらず、東新町市営住宅の西側へ進むことにしました。

Img_4403c_20200824145501  税務署・東新町市営住宅の北の道を西に進み、行き当たりが、左の写真。三叉路になっています。江戸時代の城絵図では、惣Img_4405c_20200824145501 構は南の方に続いていますので、ここで左折して南へ。東新町市営住宅は、南北に建つ棟と、東西に建つ棟と2棟あります。左折して進むと、東西に建つ棟の裏につながります。

Img_4409c_20200824145501  市営住宅の敷地に行き当たったところに日進まちづくり拠点施設(公民館)。ここで道は右Img_4413c 折(西へ)。

Img_4418c_20200824145501  50mほどでT字路を左折すると、県道401号線が見えまImg_4421c_20200824145501 す。道幅はそれなりにあり、堀の跡といわれれば、そうかなと思える気がします。

Img_4423c_20200824145501  こちらは、県道504号線の手前で、歩いてきた道を振り返った写真。後ほど、城絵図と照らし合わせて、あれこれ考えてみましょう。

Img_4440c_20200824154301  昨日は、県道401号線から日進小学校方面に行くのに、東新町市営住宅と消防署の間の通りのところから南に向かいました。Img_4445c_20200824154301 そこで、今日は、県道401号線を西に向かい、日進小学校の東側の道路から行くことにしました。微妙なカーブになっています。古い道がそのまま残っているのかも知れません。

Img_4447c_20200824145501  日進小学校。七曲見附のあった辺りからの惣構は、ここの敷地内を通っていたと思われまImg_4450c_20200824145501 す。写真は、東から西を見ています。右の写真は、日進小学校の敷地の南東側にある交差点。昨日は、左から右へ(東から西へ)、ここを通過しています。昨日歩いたルートが、今のところ、惣構の跡ではないかと考えています。

Img_4456c_20200824145501  日進小学校南の交差点に出て来ました。左の写真で、正面が、今日歩くルート。左右(南北)の通りは、県道613号線。写真Img_4462c_20200824145501 に写っている辺りは、東海道が通っていたところで、向かって右に火の見櫓と消防団倉庫があります。そこから道路をはさんだ日進小学校の敷地にかかるあたりに七曲見附があったとされます。右の写真は、同じところから視線を少し左(南)に向けて撮ったもの。信号の向こうにある理髪店に向かってすぐ左から奥に向かうのが、東海道。

Img_4484c_20200824145501  県道613号線を渡って、伝馬公園の裏手に続く道に進みます。この右手に市営日進町住宅があります。その先には、長圓寺・Img_4487c_20200824145501 報恩寺があり、江戸時代の城絵図を見ても、道の形から、ここが惣構の跡であることは確実と思っています。少し進むと、道は右にカーブしていきます。

Img_4489c_20200824145501 Img_4493c_20200824145501  この左手(南側)には大きな民家があります。ここは、「廣瀬鋳物工場跡」です。桑名藩初代藩主本多忠勝公は、城の建設などのため、鋳物師を桑
名に招き地代を免除するなど優遇したのですが、廣瀬氏もその一人で、ここに土地を与えられました。そのため、この付近は「鍋屋町」と呼ばれています。工場は、戦災ご移転しています。

Img_4499c  道なりに進みますと、長圓寺と、報恩寺の裏手に出ます。向かって右が報恩寺、左が長圓寺。報恩寺は、真宗本願寺派。もとは江場村にありましたが、ここに移されています。寺内には、桑名町長を務めた竹内文平の墓があります。⻑圓寺は、大悲山(だいひざん)と号し、浄土真宗本願寺派。慶⻑の町割りでここに移りました。この寺の11世魯繽庵義道(ろこうあんぎどう、宝暦11(1761)〜天保5(1834)年)は「久波奈名所図会(くわなめいしょずえ)」などの地誌を著わすとともに、一枚の紙に切り込みを入れるだけで、連続した鶴を折る連鶴を考案し、寛政9(1797)年、『秘伝千羽鶴折形』が刊行され、49種類の連鶴が紹介されています(桑名の千羽鶴;市無形文化財)。今日のテーマからすると、余談が長くなりました。

Img_4508c_20200824145601  さらに進みますと、伝馬公園(願証寺跡)が見えてきます。惣構は、伝馬公園と天武天皇社の間を通っていました。左の写真Img_4513c_20200824145601 で三叉路を左手に進みます。それが右の写真。

Img_4516c  天武天皇社の裏(左の写真)を通って80mほど進むと道は右に曲がり、北向に(右の写Img_4528c_20200824145601 真)。この先で再び、県道401号線に出ます。この曲がるところまで、昨日、北側から来ています。

Img_4530c_20200824145601  さらに進んだ写真。柳の枝が垂れ下がったずっと向こうImg_4538c_20200824161001 に、昨日紹介した金刀比羅社が小さく見えています。これで、今日の目的は一通り、達成できました。

Img_4543c_20200824145401  伝馬公園で一休み。伝馬公園は、近世の桑名城下町でいうと、その南西端にあります。16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わっています。願証寺はImg_4545c もとは長島にあり、明応6(1497)年、蓮如上人の子・連淳が入って東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。伝馬役に従事する人々が多く住んでいたため、それが町名になりました。一昨年、市教育委員会が遺跡発掘調査を行い、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかりました。その説明会に行っています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。

Img_4586c_20200824145401  という次第で、2日間にわたり、惣構の現地調査をしてきました(たいそうなことではなく、現地と思われるところを歩いて、見て、写真を撮って来ただけ)。江戸時代の城絵図と現代、さらに明治などの地図と比較する作業をしっかりしてから、現地調査に行くべきだったかも知れませんが、散歩ルートから少し足を延ばせばよかったので、まずは見てきたということです。これから、地図をしっかり眺めることにします。遠隔授業は、先週が結果的に夏休み(オープンキャンパスが中止になったため)。明日、第9回のファイルをアップし、メールを送るのですが、今日、作業をしてしまい、メール送信の予約も済ませました。

【余談】Img_4297c_20200824182501  スマホの充電器が不調になって、ビックカメラで買ったと書きました。Anker PowerCore Fusion 5000 white A16210219です。まだ1回しか使っていません。Quick Chargeには対応していませんが、急速充電が無事にできました。気になったのは、ケーブルがちょっと熱を持ったこと。付属のケーブルは短かったので、別物を使用。スマホの充電が終わったあともコンセントに指しておくと、本体にあるバッテリーが充電され、モバイルバッテリーとして使用する準備ができます。もう少し使ってみて、また、レポートします。

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2020年8月21日 (金)

猛暑の中、桑名城惣構を調べる

Img_3819c_20200821121201  今日の予想最高気温は、34~35℃(リソースによって微妙に異なります)ですが、正午までにすでに34.5℃(11時30分)。湿度は60%くらいですから、けっこう蒸し暑く感じます。7時半から散歩開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園から柳原、外堀、入江葭町、鍛冶町と廻り、吉津屋町、新築公園、常盤町、京町、寺町と6.3㎞。いつもと違うところを回ったのは、桑名城の惣構堀がどうなっているか、現地調査(微笑)。昨日より1時間早くスタートしたものの、散歩する人はほとんどありません。冒頭の写真は、住吉神社前から北の様子。

Img_3889c_20200821121201  九華公園では、管理人Kさん、前管理人Oさん、散歩友達のYさん、Mさん、Oさんご夫婦と会ったくらい。皆さん、異口同音に「暑いねぇ」とおっしゃいます。8月10日以降、昨日まで、13日と19日を除いて猛暑日となっています。暑さに用心して、あるいは暑さ疲れで散歩に来ないのかも知れません。

Img_3835c_20200821121201  奥平屋敷跡にある鳥小屋。今日も覗いてきました(微笑)。昨日、地面にばかりいた白いセキセイインコ1羽Img_3855c も、今日は止まり木にいました。超望遠コンデジでマニュアルフォーカスで撮ったものの、老眼のせいで液晶ビューをよく見ても、ピントが合っているのか合っていないのかよく分からず(苦笑)。

Img_3862c_20200821121201  他にはカワラヒワ。しばらく前から戻って来ています。スズメは、たまにエサが欲しいのか、私の足元まで寄ってImg_3860c くるものがいます。ハシボソガラス、ムクドリ、キジバトもいます。シジュウカラの鳴き声も聞いた気がしますが、姿は見えず。散歩友達Yさんも、2日ほど前にシジュウカラらしい小鳥を見たとおっしゃっていました。

Img_3954c  拙宅近くまで戻って来たら、頭上からイソヒヨドリの鳴き声がよく聞こえてきました。電柱の上にいました。メスで、若い個体のように見えました。最近散歩コースでときどき、イソヒヨドリの鳴き声を聞きます。我が家あたりから新築公園、吉津屋町、寺町などにいるようです。

Sougamae  さて、このあとは、惣構の現地調査。左のマップで赤丸をつけた3ヶ所でチェックしてきました。薄いブルーのラインが、おおよその惣構の位置というか、形というか。

Img_3894c_20200821121201  まずは、貝塚公園のすぐ南にある柳原の交差点辺り。左の写真は、貝塚公園を出て、柳原の交差点に行く手前で東を撮ったもの。細い水路が見えていますが、元はコンクリートで固められたところも堀だったように思えます。写真を撮っている背後(西側)も同じようになっています。

Img_3913c_20200821121201  左の写真は、柳原交差点を渡って、南を見たところ。1枚前の写真と同じような水路になっています。写真の奥に桜並木が見Img_3919c_20200821121201 えます。そこまで行って撮ったのが右の写真。この先には、桑名税務署、桑名市消防本部があります。ここの桜並木も、昔の地図で見る惣構の堀の位置、形とよく似ています。惣構堀を埋めて、桜並木にしたと思われます。

Img_3929c_20200821121201  続いて、鍛冶町と書いてあるところのすぐ北の交差点あたりから南を見た写真。緑地帯になっています。こImg_3931c_20200821121201 れが伝馬公園(上のマップの範囲外)の北まで続いていますが、昔の地図にある惣構の形とほぼ同じ。

Img_3936c_20200821121101  さらに、マップでは、京町の交差点のすぐ北西にある、現在の地名でいうと京橋。向かって右には寺町堀が、左には吉津屋堀があるところ。寺町堀も、吉津屋堀も惣構の名残。惣構の調べは、昔の七曲見附あたりから桑名市消防本部あたりがまだ十分ではありませんが、それ以外はほぼ分かりました。七曲見附~消防本部の付近は、惣構が、短い距離で屈折を繰り返しています。現在の道路にその名残があるようにも思うのですが、もう少しきちんと見比べる必要があります。「徳川四天王の城-桑名城絵図展-」の図録は、城絵図がA4サイズ1ページに収められていますので、細部の確認が困難。そこで、「元禄年間桑名街区復元図(桑名市立文化美術館 昭和58年発行 目でみる桑名の江戸時代に掲載)」と、「文政年間桑名市街之図(桑名市博物館 平成2年発行 桑名藩資料集成Ⅱ)」でチェック中。とくに後者は原寸大で再現されたもので、2m四方足らずの大きさ。これはよく分かって便利なのですが、広げるのにスペースが必要なのが難点。

Img_3927c  初めの方に書きましたが、猛暑日が続いていますので、何となく「暑さ疲れ」という気もします。週末に雨かと思っていたら、Yahoo!の天気予報では、「曇りときどき晴れ」。いやはやひと雨欲しいところ。午前中に散歩して、午後からは家にいますが、夕方、17時半近くになって、日が陰ってこないと、モチベーションが湧いてきません。エアコンを使っていても、です。あの真夏の太陽の明るさもよくないのかという気がしています。左の写真は、ケイトウかと思って撮って来たのですが、どうなのでしょう? ケイトウ、子どもの頃はあちこちで見た記憶がありますが、最近はほとんど見ない気がします。

 

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2020年8月17日 (月)

39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット

Img_3183c_20200817153401  猛暑のピークは下がるかと期待して、今日は、桑名宗社(春日神社)の村正史跡めぐりスタンプラリーに行くことにしていました。が、期待は得てして裏切られる運命にあります(苦笑)。今日の最高気温は、39.2℃(14時1分)。桑名宗社では、「宝刀村正特別公開」に合わせて、8月13日から31日まで「村正史跡めぐりスタンプラリー」が企画されています。うちわ型スタンプラリー台紙をもって、市内8か所の村正にゆかりあるチェックポイントを回るということ。すべてを揃えたら村正の鐔(つば)の形をした記念ピンバッジが先着1,000名にプレゼントされるのです。

Img_3190c_20200817153401  今日は、同級生K氏、畏友M氏と3人連れ。前期高齢者に入った3人のオッサンが、猛暑の中、連れだってヨタヨタして大丈夫Img_3198c か? と危惧しつつ、熱中症対策を万全にして9時に集合、早速スタート。その前に、桑名宗社にある「細石」をチェック。細石は、境内社の母山神社の拝殿に向かって右手にあります。

200817muramasawalking  今日歩いたコースマップ。桑名宗社をスタートして、京町交差点へ(桑名市博物館近く)。そこから西へ、桑名駅に向かいます。北勢線で西桑名から馬道まで行こうかとも考えましたが、「歩こう」ということになり、そのまま走井山勧学寺へ。ここで最初のスタンプを押し、ゴールに向かいます。和菓子屋さん・玉川軒から、旧東海道を通って、天武天皇社。寺町近くの仏眼院、我が家近くの浄土寺、七里の渡し跡と歩き、最終ポイントの柿安コミュニティパーク入り口にある本多忠勝像を経て、桑名宗社に戻って来ました。この間歩いたのは、7.9㎞でした。9時過ぎにスタートして、正午直前にゴールというほぼ3時間コース。玉川軒で葛アイスを食べていましたし、あちこちで休憩していました。

Img_3201c_20200817153501

 桑名駅南の近鉄名古屋線(標準軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)の3つの幅の線路を渡る踏切を越Img_3205c_20200817153501 え、駅の西側へ。このあたりでスタートから1.5㎞ほど、時刻は9時20分。

Img_3208c Img_3210c  旧諸戸徳成邸(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)は、諸戸家墓所を残して住宅地になっています。しかもかなりの高級住宅が並んでいます。桑名高校近くの高台にあって、眺めはよいところ。諸戸徳成邸は、残して欲しかったと思います。

Img_3221c  走井山勧学寺には、9時40分頃到着。ここが最初の目的地。お参りして、本堂前に置かれたスタンプを押し、しばし休憩。雲があったもののやはり暑い。帰ってから調べたら、この時点ですでに32℃くらいあったようです。高野山真言宗の寺。開基は、聖武天皇の御代(724~49年)で、行基菩薩の草創によると伝えられています。元は走井山の麓にあったようですが、元和3(1617)年、七代桑名藩主松平定重が矢田城址に本堂を再建しました。桑名市内に現存する寺社建築では、もっとも古いものです。

Img_3231c_20200817153501  勧学寺から三岐鉄道北勢線・馬道駅の方に降りる階段の途中に「伝村正屋敷跡」があります。このすぐ東にあるマンションのあたりに村正の屋敷があったといいます。「勢桑見聞略史」によれば、「村正トテ(中略)其旧宅ノ地矢田走井山観音堂ノ下道ノ左、今庄屋ノ家是其旧地也」とあるそうです。

Img_3241c_20200817153501  馬道駅西の踏切。ちょうど北勢線の電車がやって来ました。私はこの踏切の北西に立つ「三猿像」が好きImg_3248c_20200817153501 で、このあたりに来ると必ず見ていきます。この先は、いつぞや歩いた員弁街道。員弁街道に出て左折し、東へ。市内に向かって行きます。

Img_3257c_20200817153501  国道1号線浅川交差点を横断歩道橋で渡り、2ヶ所目の目的地・玉川軒に向かいます。

Img_3264c  玉川軒。明治28(1895)年創業の老舗。冷たいものをと思い、葛アイス(1本¥200)をいただきました。見た目は普通のアイスキャンディーですが、葛でコーティングされていて、ムチっとした食感で噛み応えあり。アイスですが、溶けません。ここは、村正展で妖刀村正のお菓子を作っていました(現在は、Sold out)。ここでは、買い物をすることで、スタンプを押してもらえます。あまりにも暑かったので、写真を撮ることなど忘れて、アイスを食べてしまいました(爆)。ここで3.8㎞、10時25分頃。

Img_3267c  玉川軒さんの先(東)、掛樋交差点を右折し、さらに左折すると旧東海道に入ります。天武天皇社の手前で、「本願寺跡・梅花仏鏡塔」を見てきました。ここにはかつて本願寺という大きな寺があり、その境内に芭蕉の門人である各務支考の分骨墓・梅花仏鏡塔があります。墓は各務の姓にちなんで、円形の鏡を模しています。各務支考がなくなったあと、この地方の俳諧の指導的立場にあった、支考の門人・雲裡坊杉夫(桑名本願寺住職)がこれを建立しています。

Img_3272c_20200817153501  天武天皇社です。3ヶ所目の目的地。私自身は何度か訪ねています。ここで4.3㎞、時刻は10時35分。壬申の乱(672年)のときに大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名郡家に駐泊されたことにちなみ、のちに創建されました。元は新屋敷付近にあったのですが、江戸時代に鍋屋町(現在地)に移りました。天武天皇を主神として祀っている全国でここのみといいます。

Img_3281c_20200817153501 Img_3283c_20200817153501  さらに東海道を進みます。日進小学校前辺りには七曲見附がありました。そこから北には、寺が集まっています。慶長の町割でここに寺が集められています。左の写真は、仏光山十念寺。浄土宗のお寺。七福神祭で有名ですし、森陳明の墓所があります。右の写真は、鎮照山凝念院光徳寺。浄土宗。ここには、万古焼の創始者である沼波弄山の墓所があります。古くは泡洲崎念仏道場と称していました。

Img_3296c_20200817153501  鍛冶町付近では、枡形を通り、吉津屋町へ。ここで余談。NPO法人千姫のところにあった自販機で気になるものを見つけましImg_3298c た。この千姫は、精神保健ボランティアのグループです。あられやおかきを売っているのですが、もう一つ。ジャガイモも入っていたのです。千姫長島農園で獲れたもので、200gで60円。ちなみに千姫は、2代将軍徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の夫人。徳川・豊臣両氏和親のため慶長8(1603) 年、7歳で豊臣秀頼に嫁しています。元和元(1615)年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰り、本多忠政(本多忠勝の嫡男)の長子・忠刻と同2年9月29日に再婚。ということで、千姫は、桑名にも縁があるのです。

Img_3305c_20200817153501  京町でここでスタート直後に歩いた道とクロス。南魚町の寳興山(ほうこうざん)仏眼院。天台宗のお寺。創建は不詳ですが、最澄によると伝わっています(2020年8月15日:寺町寺めぐりの続き)。4ヶ所目のポイント。5.8㎞、時刻は11時10分頃。墓所で、千子宗入禅定門(承応4(1655)年没)の墓や、桑名城の前身・東城の城主であった伊藤武左衛門実房(天正11(1583)年没、桑名東城主初代)・実倫(慶長8(1603)年、同2代)父子の墓も確認(8月15日の記事をご参照ください)。

Img_3308c_20200817153501  寺町商店街を通過し、寺町交差点を渡って、袖野山浄土寺へ。西山浄土宗のお寺。我が家のすぐ近くで、このあたりは散歩などですっかり馴染み。写真でも分かりますように、本多平八郎忠勝公本廟があります。ここが5ヶ所目のポイント。6.5㎞、11時25分頃。慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となりました。

Img_3316c Img_3319c_20200817153501  こちらが本多忠勝公の墓所。前から不思議に思っているのは、鳥居が立っていることです。神仏習合のためかと思うのですが、確信はありません。ちなみにこの鳥居は、その形から神明鳥居でしょう。

Img_3324c_20200817153501  いよいよゴールも近くなりますが、またもや余談。船津屋さんの西に「七里のわたし湯」という銭湯があります。大正時代に創業、平成になってリニューアルしています。そこの自販機にハンディ・ファンを¥1,000で売っているのです。USB充電で使用可能というもの。

Img_3329c  本論に戻って、次の、6ヶ所目のポイントは、七里の渡し跡。ここはもっともお馴染み。毎日の散歩で通過しImg_3333c_20200817153501 ています。スタンプは、すぐ近くの「宿場の茶店 一(はじめ)」さんにありました。宿場町の小さな休憩所というイメージ。軽食や飲み物が楽しめます。6.9㎞、11時40分頃到着。

Img_3336c_20200817153501  ここからまた少しだけ旧東海道を歩いて、北大手橋を渡って、柿安コミュニティパークの方Img_3339c へ。コミュニティパークの入り口に立つのが、本多忠勝像。7ヶ所目。7.3㎞、11時45分。スタンプを探してウロウロしたのですが、コミュニティパーク駐車場の管理室のところにありました。ここに詰めているシルバー人材センターの方に尋ねてしまいました。

Img_3347c  11時55分、7.9㎞を歩いて、桑名宗社(春日神社)に戻って来ました。桑名宗社にもスタImg_3342c_20200817172801 ンプがありますが、それはスタートの時に押しており、これで村正史跡めぐりスタンプラリーをコンプリート。

Img_3353c Img_3355c_20200817153501  社務所で宮司さんに確認していただき、無事に記念品の村正の鍔の形のピンバッジをゲットできました。宮司さんとは知り合いですが、「こんな暑い日に1日で回って来たんですか?!」と驚かれるやら、呆れられるやら。

Img_3359c_20200817153501  いや、それにしてもやはり暑かった(苦笑)。ペットボトル2本(1,100ml)を飲み干しましたし、桑名宗社からの帰り道にさらに1本買ったくらい。スタンプラリーで歩いたのは、初めの方にも書きましたが、7.9㎞、ほぼ3時間。我が家から桑名宗社までの往復が2.0㎞ですから、合計9.9㎞。歩数は、スマホのAlkooのデータで17,788歩でした。Kさん、Mさんもお疲れ様でした。猛暑の中、体調も崩さずゴールできてホッとしました。体力的には自信にはなりましたが、過信せぬようにと自らを戒めておきます。

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2020年4月 4日 (土)

「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子

 風も弱く、好天で暖かい日。散歩日和です。今日も、3密を避けて市内を7.6㎞歩いてきました。まずは、東海山照源寺(とうかいざんしょうげんじ)。久松松平家の菩提寺で、ここに金龍桜があります。照源寺近くで道祖神探し。「くわな史跡めぐり」に載っていたのを見てきました。そこから県立桑名高校近くを通って、走井山公園へ。矢田城跡が公園になっていて、桜の名所。ここには句碑があるのですが、今まで見つけられずにいました。花見と句碑探し。走井山勧学寺というお寺もあり、お参り。馬道に降りて、先日歩いた員弁街道にある宝来軒本店で花見団子、いばら餅を買い、伝馬公園へ。ここは、願証寺跡で、一昨年、江戸時代の上水道管が敷設状態で見つかったところ。さらにNTNシティホールから寺町と桑名駅、市役所あたりを中心に一周してきた感じ。

Img_9782c  照源寺へは、国道1号線・参宮町交差点の近くで、美濃街道から分かれた八丁畷という道がまっすぐ続いています。この道は、Img_9790c_20200404170201 照源寺開基のときに新たに造られた道。桑名駅の北を通っています。踏切に差し掛かったら、近鉄の上下線の電車が通過するところ。名古屋行きのアーバンライナーが通過した後、何と、あの「ひのとり」がやってきました。そうでした、土日休日は、名古屋からの最初のひのとり、8時20分発でした。

Img_1690c_20200404170201  先日、上之輪新田で撮影しましたが、そのとき、次はもっと間近で迫力ある写真をと思っていImg_1695c_20200404170201 ました。いや、カッコイイ。ヨーロッパの電車みたいです。それにこのメタリックレッドの色、いいですね。メタリックですから、陽の当たり方によって微妙に色合いが異なります。いきなり登場しましたので、気持ちの準備が不十分でしたが、ラッキーでした。

Img_9805c_20200404170201 Img_9818c  照源寺は、浄土宗のお寺。寛永元(1624)年、桑名藩主であった松平定勝公(徳川家康公の異父弟)がなくなったとき、子の松平定行公が建立した、久松松平家の菩提寺です。この照源寺は私の気に入ったお寺で、たびたび来ています。静かで落ち着いた寺。本堂の裏手には、「松平定綱及一統墓所」があります。

Img_9827c  こちらが金龍桜。松平定綱公が、摂津の天台宗金龍寺から分植したという桜です。現在の木は、何度か植え継がれたものと思Img_9824c われます。「徳川時代初期以来存在している名木のひこばえとして、今日にその特徴を伝えているものである」昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定されましたが、1959年の伊勢湾台風の被害で枯れ、指定は解除されました。

Img_9833c_20200404170201 Img_9855c_20200404170201  花びらは6~12枚、中には花びらが変形したものもあるといいます。色は淡紅色で、葉も同時に出ます。花の直径4~5 cm(こちらによります)。ちなみに、桑名宗社(春日神社)の境内にも、同じく金龍桜があります(こちら)。

Img_9853c  いきなりの余談ですが、照源寺には、最近、てらカフェ「茶所 御堂」ができています。ただし、営業は毎週木・金の8時~15時。一度来てみたいと思うのですが、今は、新型コロナウィルスの蔓延の影響で、休業中(寺内の掲示によれば、4/10まで)。

Img_9864c  さて、続いては、「くわな史跡めぐり」に書かれていた道祖神探し。説明、地図によれば、照源寺の南側の道路沿いにあります。由来ははっきりしないそうですが、交差点の民家の前に立っていました。「くわな史跡めぐり」には写真がなく、「道祖神」ということばからはもっと小さい、素朴なものを想像していましたので、ちょっと驚きました。ちなみに、「以前はこの近くに高浜虚子の句碑もあった」と「桑名史跡めぐり」には書いてあったのですが、三重の句碑のサイトにはそのような記述はありませんでした。虚子は、娘の星野立子と昭和24(1949)年4月に桑名を訪れ(桑名史跡めぐりには、昭和30年に訪れたとありますが、それは、句碑の建立年月日と混同しているようです)、「老一日落花をあだに踏むまじく」と詠んだそうです。星野立子は「今年はも満朶の花を桑名に見」という句を残しています(こちら)。「満朶」は、「ばんだ」と読み、多く垂れ下がった枝だそうです。三重の句碑のサイトには、佐藤信之助氏の母・益女(ますじょ)が記念に碑を立て、東方の佐藤信義氏邸に碑があるとなっています。

Img_9897c Img_9900c  市立桑陽保育所や、県立桑名高校近くを通って、走井山公園へ行くのですが、公園内に入る前にとなりにある上野浄水場の桜を見ていきます。ここは、浄水場ですから敷地には入れないのですが、見事なソメイヨシノがあります。フェンスの外からですと、なかなかよいポジションから撮るのは難しいのが難点。

Img_9887c_20200404174501  走井山公園。戦国時代に矢田城があった場所に造られた公園です。 春には100本以上の桜Img_9911c_20200404174601 が咲き乱れ、市内では花見の名所として知られています。しかし、昨今の状況から、花見客は例年に比べ、かなり少ない印象でした。

Img_9936c_20200404174601  まずは、「みえの歴史街道マップ(濃州道)」にあった「梶島一操の句碑」を探します。今まで気づかず(苦笑)、このマップを見てその存在を知った次第。公園の南側、お菊稲荷社の東にありました。「琅扞の竹ひびかせて木の葉降る」という句が刻まれていました。「琅扞(ろうかん)」は、暗緑色または青碧(せいへき)色の半透明の硬玉。また、美しいもののたとえ。色が似るところから、青々とした美しい竹という意味もあります。碑陰には、「昭和五十三年四月吉日 梶島一操先生句碑建立会」とあります。建立されたのは、 昭和53(1978)年4月。梶島一操については、詳細は不明。

Img_1739c_20200404174601 Img_1756c  走井山公園の南には、三岐鉄道北勢線が通り、馬道駅があります。先日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング(員弁街道)」でも歩いたあたり。北勢線の電車の音が聞こえてきましたので、「俄撮り鉄」、それも「ゆる鉄写真」に挑戦(微笑)。左の写真は、西桑名行き電車が、馬道駅に入ってくるところを見下ろしています。右の写真は、勧学寺の鐘楼から、同じ電車がJR関西線・近鉄名古屋線をまたぐ跨線橋に差し掛かるところ。もうちょっとサクラの花がたくさんあるところを通して見える写真の方がよかったと反省。

Img_0008c_20200404174601  走井山勧学寺。ここにあった矢田城は織田信長に滅ぼされたのですが、桑名藩主・松平定重公により跡地に本堂が再建されまImg_1785c_20200404174701 した。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。しばらく前から旅ネコさんたちが集まっています。人に慣れているようで、近くに寄っていっても逃げません。

Img_0024c_20200404181401  走井山公園から北勢線馬道駅の方に降りていきます。階段の途中で振り返ると、左の写真のImg_0039c_20200404174701 ような景色。北勢線の踏切の手間には、私の好みの「三猿」の石像があります。桜を背景に撮ってみました。現役の頃、「魔除け」と称して、この三猿の写真を研究室の入り口に貼っていたことがありました(微笑)。

Img_0066c  先日歩いた員弁街道に出て、益生駅方面に向かいます。まったく個人的な思い出なのですが、天神堂書店。最初の勤務先の国立療養所S病院時代、養護学校の小・中学部はあったものの、高等部がなく、高校は県立四日市高校の通信制課程を受講していました。先生方が病院にスクーリングに来てくださったのですが、日本史を担当しておられた先生のお宅が、ここ天神堂書店でした。当時の先輩児童指導員のM先生の高校時代の恩師。ヒゲを蓄えておられ、私など「本当に天神様みたいだ」と思った記憶があります。この先生、飄々としておられ、「僕の専門は、新選組だ」と。

Img_0073c_20200404174701 Img_0181c_20200404182501  その先、先日は通過したのですが、宝来軒本店という和菓子屋さんがあります。創業100年以上。現在の5代目店主は女性。我が家近くの浄土寺(本多忠勝の菩提寺)の地蔵盆で売られる幽霊飴もここでつくっておられます。一度、ここのお菓子を食べたいと思っていました。今日は土産に花見団子を買い、おやつに「へそだんご(みたらし団子)」をと思ったのですが、へそだんごはこれから焼くということで、「いばら餅ができたてですからどう?」と勧められ、おやつはいばら餅にしました(1個¥135)。へそだんごは、故郷の天王の団子屋さんの団子と同じく、砂糖は使わずたまり醤油を使っているのです。へそだんごは、またの機会に是非とも食べてみたいと思います。花見団子4本といばら餅1個で、計¥620。

Img_0101c_20200404183601   このあと近鉄益生駅から、員弁街道の起点・三ツ矢橋を経て、相川町交差点で国道1号線を渡り、伝馬公園へ。伝馬公園の手前、掛樋交差点のところに金刀比羅神社。地名の「掛樋(かけい)」は、江戸時代、町屋川の水を願証寺(伝馬公園のあたりにありましたが、その後、廃寺)まで運ぶのにつくられた水道の名前に由来します。この金刀比羅神社は、宝永7(1710)年、8代桑名城主・松平忠雅公が、備後福山から移封された際に、随伴してきた円覚院住職が境内に祭ったことによるといいます。

Img_0107c  伝馬公園。10時40分到着。上にも書きましたが、このあたりに願証寺という大きな寺がありました。最初に書きましたが、一昨年、江戸時代Img_0114c_20200404183601 の上水道管が敷設状態で見つかっています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。桜の名所ではありませんが、今日のようにグルッと回って散歩する途中、休憩するのに好適なところにあります。ということで、ここでおやつタイム。宝来軒本店で買ってきたいばら餅をいただきました。何というか、昔ながらのいばら餅という感じ。

Img_0123c_20200404184101  このあと、掛樋交差点近くまで戻って、大央町まで市道の1本東の道を歩いて行きます。ここは吉津屋堀の先ですから、たぶん堀の跡。遊歩Img_0127c_20200404184101 道のようになっていて、あちこちに花壇があります。ハナモモも咲いていました。1本の木で、色違いの花が咲くとは不思議。このあと、NTNシティホールから寺町を通過。シティホールの薄墨桜は、かなり葉桜になっていました。

Img_0142c  寺町交差点から住吉入江に。左の写真は、三崎見附跡から見た住吉入江。いつも見ている景Img_0157c_20200404183601 色なのですが、桜が咲いていると、どこかよそに来たようにも思います。今日の桜&ゆる鉄写真ツアーもゴール間近。

Img_0158c_20200404183601  玉重橋の東詰にある桜。エドヒガンザクラの系列という看板が出ていたように思うのですが、記憶にも自信がありませんし、エドヒガンザクラかどうかについても自信はありません。

Img_0167c_20200404183601  そして、今日のマイソメイヨシノ。満開で、まさに春爛漫という感じ。新Img_1823c_20200404183601 入生と思われる男の子と、ご両親、兄弟の方が記念撮影をしておられました。そうなのです、このソメイヨシノ、記念写真を撮りたくなるのです。

Img_0190c_20200404183601  今日のALKOOのデータ。13,237歩。公共交通機関は使っていませんので、正味の歩数です。明日は、久しぶりにいつもの散歩コースを歩いて、三之丸公園、九華公園の桜を見てこようと思っています。揖斐川沿いの桜堤防も見たいところ。ならば、逆回りの方がいいかもしれません。

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2020年4月 1日 (水)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その1)……北勢線星川駅をスタート、星川神社、星川山安渡寺、森忠名神明神社、ヤマモリの工場を見て、天皇八幡神社、市天然記念物のクロガネモチの木へ

200329hoshikawatouin  3月29日に「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」に行きました。今回は、その本編その1です。昨今の状況下では、不要不急の外出に間違いはありませんが、人と接触がきわめて少ない、旧街道を歩くハイキングなら、コロナの感染リスクも低く、健康増進にもよいと勝手に考え、3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。

Img_8071c_20200331203101  当日は、朝、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタートを11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車Img_8085c する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。実際には、10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との「オッサン三人旅」。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。何だかツアーコンダクターになった気分。「太一丸ツアーズ」か、「mamekichiトラベル」という会社でも立ち上げようかと思ったりします。

200329hoshikawatouin1  さて、実際に歩いたルートマップの詳しいもの、その1。星川駅を出て南へ。町屋川(員弁川)の堤防に突き当たるところからが、員弁街道。右折して、西に向かいます。1㎞までの間に星川城跡、星川神社、安渡寺とあります。星川の町を進み、森忠名神明神社(マップでは名神明神社)に寄って、2㎞を過ぎたところで天皇八幡神社(マップでは八幡神社)と市天然記念物のクロガネモチの木を見ます。続いて、道標を1つ確認してから七和駅の方に入って薬師堂。

Img_8089c_20200331211701  星川駅を出て300mほどで嘉例川(かれがわ)を渡ります。嘉例川は水量が少なく、すぐに枯渇するため、「枯川」の意味で名づけられたといいます。上流には、市天然記念物の「ヒメタイコウチ」が生息します。ヒメタイコウチ(姫太鼓打)は、カメムシ目タイコウチ科に属する小さな水生昆虫なのですが、私は見たことはありません。絶滅が危惧されていて、嘉例川地区ではビオトープを整備するなど保護事業も行われています。

Img_8087c_20200329180801  嘉例川を渡るあたりから進行方向(北西)を見た写真。中央に見える白い建物(万代家具)に向かって左手あたりに星川城がHoshikawacastleruin ありました。室町時代、春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。現在は、はっきりした遺構はないようです(こちら)。右の画像は、桑名市教育委員会の文化財のサイトにある遺跡分布図に目印を記入したもの(こちら)。オレンジの網掛け部分が、星川城跡と考えられています。青いルートが員弁街道。

Img_8091c_20200331212901  嘉例川から少し先の員弁街道の様子。ゆるやかな登り坂になっています。偉そうにM・K両氏を引率して歩いていましたが、この先、実は未知の土地(苦笑)。予め調べて自作したコースマップを見ながらの道中なのです。

Img_8093c_20200329182201  星川駅から600mほどで星川神社。街道の北側に「延喜式内星川神社/神厨星川神明神社」と刻まれた社号Img_8109c_20200331213401 標があります(明治34(1901)年建立)。右は、一の鳥居。

Img_8106c_20200331213401  御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命(すさのおのみこと)、大山祇神(オオヤマツミノカミ;山の神)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと;五穀、食物をつかさどる神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。一説によれば、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀るともいいます(勢桑見聞志抄)。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。ちなみに、勢桑見聞志抄は上巻が、桑名私立中央図書館のサイトで見られます(ここ)。

Img_8102c_20200331213401  神社は、台地の上にあります。社殿の背後は、この写真のようになっていて、「このあたりも星川城の範囲だったのかという気もした」と予告編に書いたのですが、上記の遺跡分布図によれば違ったようです。しかしながら、地図や資料を見たり、現地に行ったりして、あれこれ想像をたくましくするのは楽しいものです。

Img_8115c_20200329183101  街道に戻って、1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。ここは、特定の宗派には属さない単立Img_8130c_20200331220201 の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音菩薩(桑名市指定文化財)。蓮華座、仏身約35cmの檜の一木造りで、平安中期の作とされます。伊勢巡礼30番札所といいますが、この「伊勢巡礼」は不明。

Img_8120c_20200329183201  奈良時代、行基によって創建され、その昔、本堂裏に行基の腰掛松があったといいます。星川城主・春日部Img_8148c_20200329183201 若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代から「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されているそうです(こちらにその紹介があります)。子安観音として安産守護の霊験あらたかで、また開運・厄除けの守護としても人びとから篤く信仰されています。

Img_8152c_20200331220501  境内には、見事なしだれ桜(左の写真)とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものImg_8122c があります。

Img_8158c_20200401071602  安渡寺を出てしばらく行くと森忠に入ります。員弁街道は、左の写真のような感じ。前回の三ツ矢橋から星川あたりは、クルマもほとんど通らなかったのですが、星川から西は、けっこう車が頻繁に通ります。このあたりの方が、前回歩いたところよりも住宅が多いからなのだろうと思います。旧東海道や、旧伊勢街道(参宮街道)も生活道路になっているところが多かったのですが、員弁街道のこのあたりもそうなのでしょう。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)が、1.2㎞ほどのところにあります。ちょっと珍しい名前の神社です。主祭Img_8169c_20200329193301 神は、天照皇大神。相殿神は、大山津見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田(みょうでん)でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、「伊勢神宮遙拝所」と、「神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所」の石碑がありました。写真で向かって左が伊勢神宮遙拝所です。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。両遙拝所とも、皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に山上甚兵衛という方が建立しています。

Img_8171c  拝殿に向かって右手(東)にもう一つ、社殿がありました。神社検索三重のサイトには、「末社火産霊社(祭神火産霊命)」と、村内の「山神社(祭神大山津見命)」が、いずれも明治40(1907)年に合祀を許可されたとありますので、これらのどちらかかと思います。

Img_8188c  2㎞ほどのところにヤマモリの桑名工場があります。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、Img_8190c 味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。ちなみに、昭和42(1967)年に日本で初めて「袋詰液体スープ」を発売したそうです。工場の正門脇に朱い鳥居が並んでいましたので、お稲荷さんが祀ってあるかと思いきや、猿田彦さんでした。工場、会社などにはお稲荷さんが定番だと思っていました。猿田彦さんは、導きの神様ですから、これもありかも知れません。

Img_8194c  ヤマモリのすぐ先の北に天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、火産靈命(ほむすびのみこと)、大山津見命(オImg_8199c オヤマツミノミコト)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8209c_20200403051901  境内には、拝殿横に順正稲荷大明神があります。以前には、このあと訪れる薬師堂の南に鎮座していたのでImg_8203c_20200403051901 すが、祠の老朽化もあり、建て替えて、平成24(2012)年11月に遷座。拝殿の屋根瓦には菊の紋章らしき模様がありましたが、よく見ると花弁が12枚。本物の菊の紋章は「十六八重表菊」ですから、異なったもの。ちなみに、天皇八幡神社という名前も、牛頭天王辛きていると説明がありました。

 ここの社号標に「村社」とあるのを見て、M氏から「村社とは?」と尋ねられました。神社には、その等級を示す「社格(しゃかく)」がありました。歴史的にそのあり方は変遷していますが、明治以降は、官幣の大社、中社、小社、国幣の大社、中社、小社、別格官幣社、府社、県社、郷社、村社、無格社などの別が定められました。第2次世界大戦後廃止されていますが、今でも「旧社格」といって、神社の格を表す目安になっています。Wikipediaの「近代社格制度」に詳しく説明がありますが、端的には、どこから奉幣(ほうへい)を受けるかということです(ちょっと乱暴な結論ではあります)。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南、員弁街道を越えたところに市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。クロガネモチは暖地に生える常緑高木。これは、天皇八幡神社のご神木で、地元が大切に守っていますが、剪定などはしてはならないとされているそうで、周囲にお住まいの方にはご苦労もおありのようです。多数の枝を四方に張り見事な傘状をした名木です。

 長くなりそうですから、ひとまずここで区切りとします。その2は、この近くにある九華はちみつ、道標、薬師堂から。 

 

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2020年3月29日 (日)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(予告編)

Img_8073c_20200329180701 Img_8082c_20200329180701  不要不急の外出は避けるべきところではありますが、厚生労働省の勧告「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まることを避けてください」を遵守して、「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』に行ってきました。3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。本日は、予告編で主な立ち寄り先を取り上げます。

Img_8085c  朝方、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタート時刻を11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との三人旅。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。

200329hossikawatouin  こちらが本日歩いたコース。前回同様、ほとんど三岐鉄道北勢線に沿っています。ハイキングで歩いた距離は6.3㎞。自宅から西桑名駅往復が、2.1㎞ですから、合計8.4㎞。今日のコースには、寺社仏閣、地蔵堂などの他、道標、桑名市の天然記念物、穴太徳の碑などさまざま見るべきところがあり、楽しめます。予定していたところで見つけられなかったものもありましたが、概ね満足。

Img_8087c_20200329180801  星川駅をスタートして、北勢線の踏切を渡って右折する(西に向かう)と員弁街道に出ます。嘉例川を越え、すぐにまた北勢線を渡った先、右手あたりが星川城跡です(左の写真で、中央に見える万代家具に向かって左あたりの守と思われます)。室町時代の城館跡。春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。

Img_8093c_20200329182201  スタートから700mほどで星川神社の参道入り口に来ます。員弁街道脇には一の鳥居と、「延喜式内星川神社/神厨星川神明Img_8106c_20200329182201 神社」の石柱(明治34(1901)年建立)。星川神社は、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀ります(勢桑見聞志抄)。御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命、大山祇神、宇迦之御魂神、火産霊神。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。台地の上にあり、このあたりも星川城の範囲だったのかという気もしました。

Img_8115c_20200329183101  1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。特定の宗派には属さない単立の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音Img_8120c_20200329183201 菩薩(桑名市指定文化財)。檜の一木造り。伊勢巡礼30番札所。奈良時代、行基によって創建され、星川城主・春日部若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代には、「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されています。境内には、見事なしだれ桜とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものがあります。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)です。スタートからは約1.2㎞。主祭神は、天照皇大神。相殿神は、大山津Img_8169c_20200329193301 見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、伊勢神宮遙拝所と、神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所の石碑がありました。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に、山上甚兵衛という方が両者とも建立しています。

Img_8190c  その先でヤマモリの桑名工場脇を通り、天皇八幡神社へ。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。

Img_8194c  天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神Img_8199c は、品陀和気命、素盞嗚命、火産靈命、大山津見命、天兒屋根命。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南に桑名市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。ヤマモリの工場の西。クロガネモチは関東以西から四国九州、沖縄に分布する常緑高木樹。この木は雄株。天皇八幡神社のご神木で、剪定などはしてはならないとされているそうです。このあたりでスタートから約2㎞。

Img_8226c  天皇八幡神社のすぐ西に道標。ここを下ると北勢線七和駅に行きます。「(西)楚原道/東 桑名道/北 多度道/南 七和Img_8230c 駅」とあります。三岐鉄道が、北勢鉄道として大山田(現在の西桑名)~ 楚原間(14.5km)の開業を果たしたのは、大正3(1914)年ですから、それ以降の道標と思われます。道標のある交差点から、南、七和駅に向かってはいると、薬師堂があります。奈良時代に創建され、ご本尊は室町時代の作で、ここは中世の芳ヶ崎城跡(羽笠城跡)といいます。

Img_8249c_20200329202701  員弁街道に戻って五反田地内を進みます。大仲新田に入る手前、寒谷川を渡ったところに大日堂と地蔵堂がImg_8251c_20200329202801 あります。2.9㎞地点です。大日堂は、五反田にあった伝西寺が真宗大谷派に改宗し、星川に移るとき、本尊であった大日如来を安置する御堂を設けたといいます。現在、伝西寺は、バロー星川店の東にあります。地蔵堂については、詳細は不明。

Img_8261c  スタートから3.1㎞で弁天川にかかる弁天橋に来ます。ここが、桑名市と東員町の境界。昭和5(1930)年に完成した橋。弁天橋の先、100mほどの民家の庭に「穴太徳(あのうとく)の碑」があります。「穴太徳事 神戸屋徳次郎Img_8268c_20200329205201 碑」と刻まれています。穴太徳は「荒神山の喧嘩」の一方の当事者で、2代目広沢虎造による「血煙荒神山」の浪曲で有名です。かなり以前から、このあたりにこの碑があることを知っていて、是非とも見たいと思っていました。「穴太徳」は、通称(穴太徳次郎(あのうのとくじろう))で、本名は中野徳次郎。昨日の記事にも書きましたが、穴太徳は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒です。この荒神山の喧嘩では、神戸の長吉側の助っ人として乗り込んだ吉良仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡しました。吉良仁吉は、清水次郎長一家の応援をえて、穴太徳勢になぐりこんで、義理に殉じたのですが、講談で紹介され、庶民の人気者となりました。また、村田英雄の歌う「人生劇場」にも出てきました(♪俺も生きたや仁吉の様に~♫)。ちなみに、吉良は現在の愛知県西尾市吉良町。故郷からほど近いところですし、忠臣蔵で有名な吉良上野介は、この吉良の領主でした。話が広がってしまいましたが、あれこれいろいろなところで思わぬつながりがあるものだ、ということです。この穴太徳の碑の近くに「神田屋敷」と「六把野井水(ろっぱのゆすい)」があるはずでした。神田屋敷はここかと思うところはあったものの、確信が持てず。六把野井水は、見つけられませんでした。みえの歴史街道マップを見直したら、かなり細い水路でした。もう少ししっかり予習が必要です。

Img_8295  ここからしばらくは見どころはありません。3.8㎞地点で県道14号線に出ます。東員一中の前を通過し、六把野新田ふれあいImg_8286 広場近くに延命地蔵堂と、道標があります(4.4㎞あたり)。みえの歴史街道マップには延命地蔵堂とありましたが、「病難除地蔵尊」と書かれていました。大正末期、有志の方々が建立し、祀ったもの。道標は、小さい上にかなりすり減ってしまっており、危うく見逃すところでした。「多度香取道」と刻まれています。右面は読めなかったのですが、こちらによれば「草薙稲次郎建」とあるようです。昔は、幅3~4尺(約90~120cm)の細い道だったのですが、多度祭では参詣客で賑わったそうです。

Img_8305  神田変電所前の信号のすぐ先で県道から分かれます。しまむらのすぐ先で藤川を渡ります。Img_8307 藤川橋という細い橋がありますが、かつては七ツ橋と呼ばれたそうです。この富士川の堤防、左岸にはソメイヨシノの桜並木。満開になったら見事だと思います。

Img_8326  東員交番の裏に道標があります。自然石でできています。「右あげきはった/左大いづみ石Img_8322 ぐれ」とあります。阿下喜、治田、大泉、石榑を指しています。道標は、文化14(1817)年に鳥取(このあたりの地名)の俳人岩田卜斎によって建てられ、裏面には卜斎の「雲いくへ ひばりなくなく そりみ坂」の句が記されています。「そりみ坂」は、「楚里見坂」「曲見坂」などと書いたといいます。また、このこの小高いあたりにはヒバリがたくさん生息していたそうで、「雲雀が岡」と呼んだといいます。私は、春、揚げ雲雀を見上げるのに、体を反らせて見たから「そりみ坂」かと想像しました。この道標のところで、道は二股に分かれていたようです(向かって左は途絶えたというのか、県道になったというか)。

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 道標の先、5.7㎞のところに鳥取塚と、珪化木の碑があります。鳥取塚は、饅頭型の円丘で、かつては古墳が4~5基ありました。今残っているのは1つで、東西21m×南北17m、高さ2.5m。桜などが植わっています。珪化木の碑には「鳥取塚」と刻まれています。明治44(1911)年の建立。この先にチリン坂や、「律師智傳之碑」という自然石の碑があったのですが、私が、この鳥取塚の西の道沿いにあると勘違いしていて、「碑がない」と思ってしまいました。次があれば、チリン坂や石碑からスタートしたいと思います。最後に勘違いがありましたが、予定ではここまで。ちょっと戻って、ゴールに設定した三岐鉄道北勢線・東員駅に向かいます。東員交番の交差点から南へ。

Img_8372c_20200329212501  その前に13時半を過ぎていましたので、昼食を摂ることに。あらかじめリサーチしておいたカフェレスト・Img_8370c_20200329212501 ラフィーネへ。東員駅から線路を挟んですぐ北。オムライスが美味しそうでしたので、ランチのセットに。スープ、サラダ、茶碗蒸し、ミニハンバーグがついて、¥980。前期高齢者には、ボリュームたっぷりすぎるくらい。オムライスの中のご飯には、細かな海老やタマネギやニンジンなどの野菜、それにたまごなんかも入っていました。右の写真、先に出て来たミニハンバーグをかじってしまっています(苦笑)。

Img_8383c  食事を終え、東員駅へ。14時32分発の西桑名行きに乗車。鉄道むすめ・楚原れんげの電車でした。西桑名までは¥340。M氏Img_8384c は星川駅で、K氏は蓮花寺駅でそれぞれ下車。西桑名には14時56分着。帰りも電車は空いていました。

Img_8395c_20200329212601  本日のALKOOのデータ。17,208歩でした。距離は、初めの方に書いたとおり、8.4㎞(キョリ測で測定)。本編は、また明日以降ボチボチと書きますが、K氏、M氏からは、次はいつ? どこを歩く? と催促(苦笑)。員弁街道を阿下喜あたりまで歩くことにするかも知れませんが、企画、下調べともストックがありません。

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2020年3月15日 (日)

20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編)

 近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキングも今月いっぱいは中止です。近鉄ハイキングは、4月の予定がネットに載っていましたが、どうなりますか? ということで、「勝手にハイキング」企画の第2弾。「桑名の員弁街道を歩く」に出かけてきました。員弁街道(濃州道)は、桑名市の三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流して濃州(今の岐阜県)へ向かう街道です。

200315masuohoshikawa  こちらが、今日歩いたコースの全体像。近鉄名古屋線・益生駅に集合。有王塚・俊寬塚を見たあと、東に向かい、スタートの三ツ矢橋町交差点へ。ここから、益生駅までは来た道を戻り、県道63号線と三岐鉄道北勢線に沿って西へ歩いて行きます。県道と北勢線の間を通るところがほとんど。地蔵堂などが多いところ。寺社仏閣、名所旧跡は、星川から先の方がたくさんあります。天気もよく、風はややあったものの、まぁまぁのハイキング日和でした。

Img_6485c  近鉄名古屋線・益生駅。M氏と二人で、桑名駅を8時59分に出る塩浜行き普通に乗車。何と1分で益生駅着。これで¥160はちょっと高い(?)。ここでK氏と合流。お二人に確認したところ、有王塚/俊寬塚を訪れたことはないということでしたので、員弁街道を歩く前にそちらへ行くことにしました。益生駅の西にあります。9時少し過ぎにスタート。

Img_6487c_20200315161201  左の写真が俊寬塚、右が有王塚。俊寬は、平安末期の真言宗の僧。平氏討伐の謀議に参加したのですが、発Img_6493c_20200315161201 覚。平清盛に捕えられて薩摩国鬼界ヶ島に配流されました。共に流された藤原成経・平康頼は翌年許され帰京したが、俊寛は一人残され、治承3(1179)年頃同地で没したとされます。有王は、俊寬の侍童。俊寬を慕って鬼界ヶ島を訪ねましたがすでに俊寬は死亡。遺骨を持って全国を行脚中、桑名で倒れ、亡くなったと伝わります。

Img_6502c_20200315161201  有王塚/俊寬塚を見たあと、県道63号線を東へ。員弁街道のスタート地点である三ツ矢橋の交差点へ向かいます。三ツ矢橋Img_6505c 交差点は、旧・東海道の矢田立場から北へ100mほどのところにあります。旧地名は「本願寺村枝郷」。大きな水車があったといいます。知人に伺ったところ、このあたりの地名を「水車(みずぐるま)」と呼んだり、「水車」という名前がつく店があったりしたそうで、不思議に思っていたということです。ここから来た道を戻り、益生駅北の踏切(JR側は「員弁街道踏切」という名称)を越え、旧道に入っていきます。国道421号線の1本北の道です。

Img_6510c_20200315161201  こちらが、踏切を越えたあたりの員弁街道。馬道という地名で、明治時代に建てられた古い家が残っています。中には、江戸Img_6511c_20200315161201 時代のものもあるとみえの歴史街道マップには書かれていました。三岐鉄道北勢線・馬道駅の東に阿耨山善龍寺。真宗本願寺派のお寺。もとは、萱町にある真宗本願寺派・法盛寺(ほうじょうじ)の末寺。寛永2(1625)年、本尊と寺号を授与され、明治14(1881)年にここに移ってきました。話が逸れますが、法盛寺は、桑名坊舎柳堂と号し、元は三河国矢矧(やはぎ、現同崎市)にあり、室町時代後期に戦乱を避けて桑名三崎に移り、長島一向一揆では本願寺の基幹寺院として重要な位置を占めました。この戦乱ののち法盛寺と改称、慶長の町割で萱町へ移りました。東御坊の本統寺に対し、西御坊とも呼ばれ、明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内地4,000坪余、寺内寺7ヵ寺があるという大きな寺でした。明治8(1875)年桑名別院となっています。

Img_6523c  馬道駅を過ぎると、右手(北)に走井山、勧学寺が見えます。走井山は戦国時代に矢田城があったところ。春には桜の名所とImg_6525c して親しまれています。北畠氏の家臣である矢田半右衛門俊元の居城でしたが、織田信長の伊勢侵攻の際に滝川一益によって攻められ落城すると、その後は一益に与えられ、長島一向一揆を攻略する最前線基地として使われました。公園内には庚申塔がたくさん集められているなど、見どころがあります。勧学寺は、織田信長に滅ぼされたあと、桑名藩主・松平定重により跡地に本堂が再建されました。市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。また、伝説では、このあたりに村正の屋敷があったといいます。私は、この馬道駅から走井山に上がっていく階段の下にある「三猿」が気に入っています。現役の頃、この三猿の写真を研究室のドアに貼って「魔除け」と称していました(微笑)。

Img_6535c_20200315161201  走井山からさらに進み、三ツ矢橋交差点から800mほどのところに玉三(たまみつ)稲荷神社があります。伏見稲荷大社の桑Img_6538c 名支部となっています。江戸時代末期に、松平定永が白河藩(現福島県)より桑名藩へ移封された際に、初代が家臣として随行し、現在の地に鎮座されたと伝えられています。みえの歴史街道マップには「安藤家の屋敷神であった」とあります。御祭神は、玉三稲荷大神と清龍大神。

Img_6550c  明正中学校の北西あたりで、員弁街道は右折(北へ)します。そこに地蔵堂と、石碑がありImg_6556c_20200315161301 ます。地蔵堂の詳細は不明。大きなお地蔵様がいらっしゃいました。地蔵堂に向かって右手に「瑠璃山明光寺 三界萬霊」と刻まれた石碑が建っています。光明寺は、西山浄土宗で、新町にあります。光明寺は、室町時代にはすでに本町付近に設立されていたといい、江⼾時代、慶⻑の町割の時、新町に移っています。なぜこの石碑がここに建っているのかは不明。

Img_6562c_20200315161301  西別所駅の南、スタートから1.6㎞地点に小さな祠堂が建っています。ウッカリすると見逃しそう。中を拝見Img_6580c_20200315161301 すると、高さ10cmほどの小さなお地蔵様がいらっしゃいました。このあと、話に夢中で、地蔵堂1箇所を見逃していました(苦笑)。オッサンも話しに夢中になるのです。2㎞地点の手前に照林寺。西別所の会所でしたが、明治44(1911)年に萱町の法盛寺の塔頭であった照林寺がここに移転してきています。真宗本願寺派のお寺。この北東300mほどのところに万機庵跡(江戸時代の城館跡)がありますが、ちょっと離れていますから、今回はパス。

Img_6584c  西別所駅から蓮花寺駅あたりの員弁街道。蓮花寺川沿いをしばらく歩いていきます。城下橋をわたって、蓮Img_6588c 花寺川の南に出るのですが、そこでも子安地蔵様を見忘れました(苦笑)。もとは北部の台地の上に祀られていたのが、廃寺に伴い、安全祈願のため街道沿いに遷されたといいます。在良小学校を過ぎると、蓮花寺駅。

Img_6604c_20200315161301  その先、ヤマザキマザック精工の工場あたりで、北勢線のレトロカラー電車(楚原行き)がやって来ましImg_6621c た。昭和34(1959)年8月に、当時の三重交通が三重線に導入した車両。当時の色に塗装されています。この先、3.7㎞地点、東名阪道の下に在良駅があり、ここで電車の行き違いがあるのです。代わって、西桑名行きの電車。鉄道むすめ「楚原れんげ」のキャラクターが描かれています。「楚原れんげ」の由来は、いなべ市「楚原駅」と桑名市「蓮花寺駅」、勤務地は東員町「東員駅」だそうです。これ、一度見たかった車両です。

Img_6629c_20200315173601  東名阪自動車道の高架下に在良駅。実は、この高架下にお地蔵様がいらしたのですが、これも見忘れ(苦笑)。今日はこんなImg_6634c_20200315161301 ことばかり。4㎞の手前、員弁街道が左折するところに、額田(ぬかた)神社の石碑。ここから北に参道があり、400mほど行くと山の中腹に額田神社があります。神社には行っていません。式内社。意富伊我都命(おおいがつのみこと:額田連(ぬかたのむらじ)の祖)、天照大御神、天津彦根命を祀っています。

Img_6640c  左折していったん県道63号線に出ます。県道を100mほど進んでまた、左斜めに進みます。ここにも地蔵堂。子安地蔵です。石仏の他、五輪塔片なども祀られています。これらは、旧・浄蓮寺(額田廃寺)跡の一部といいます。額田廃寺は、大化改新以前に建てられたお寺で、大変立派な寺であったようです。現在は宅地になってしまっていて、昔の様子はうかがえず、残念です。

Img_6647c  額田地内の員弁街道。この先で、町屋川の堤防に出ます。三ツ矢橋交差点からは4.5㎞ほどで右の写真のように町屋川の堤防Img_6651c_20200315161301 に出ます。ここまで来ると、ゴールの三岐鉄道北勢線・星川駅はすぐ近く。町屋川は、正式には員弁川ですが、桑名では町屋川と呼んでいます。

Img_6660c_20200315174801  一説によれば、この坂井橋を境に上流を員弁川、下流を町屋川というといいます。坂井橋のImg_6664c 「坂井」は「境」だというわけです。坂井橋を過ぎると(坂井橋は渡りません)、星川南交差点を通って、三岐鉄道北勢線・星川駅にゴール。11時25分。所要時間は2時間20分ほど。歩いたのは、6.6㎞。

Img_6669c  11時41分に西桑名行きの普通電車がありましたので、それに乗車。あのレトロカラー電車Img_6673c が来ました。これにも乗ってみたかったのです。ちなみにK氏は三岐鉄道北勢線初体験、M氏は40年ぶりだそうです。¥240。西桑名駅には、11時56分着。

Img_6674c  途中、蓮花寺駅で「鉄道むすめ・楚原れんげ」の駅名板を撮影。本当は、中止になってしまImg_6681c_20200315161301 った2月22日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 令和2年2月22日に歩いて銘酒「青雲」で祝酒」の集合・受付が、ここ蓮花寺駅でしたから、そのときに見ようと思っていたもの。ようやく念願を果たした次第。西桑名駅に楚原れんげちゃんの等身大パネルがあったのだそうですが、見落とし(苦笑)。まぁ、西桑名駅ならまた歩いても行けますから。

Img_6684c_20200315161301  昼は、桑栄メイト2階にあるエベレストでカレーランチ。チキンキーマカレー(辛さは普通)、ナン、チャイをチョイス。ヨImg_6686c ーグルトとサラダもついて、¥700。我が家近くでは、たぶんもっとも美味しいカレー屋さんです。桑栄メイトは、老朽化のため今年6月か、7月で閉鎖。取り壊して、ホテルが建つという噂。桑栄メイトには、ハンバーガーのドムドムや、餃子の新北京もあります。今のうちに楽しんでおかないといけません。

Img_6691c  今日の歩数は、ALKOOのデータで16,662歩。朝、桑名駅までが0.9㎞、西桑名駅で下車して昼食を食べて帰宅するのに、1.4㎞、ハイキングで歩いたのが6.6㎞で、合計8.9㎞。それなりによく歩きました。見てきたところが多くありませんので、今のところ、本編とするか、補遺編とするか未定。来週の相談会の準備との兼ね合いもあります。「桑名の員弁街道を歩く」の続き、北勢線の星川駅から東員駅までも近いうちに歩きたいと思っていますが、今のところまだ決めていません。この区間の方が、たくさんの寺社仏閣などがあります。

【付記(員弁街道起点の「水車」その他について(3/21)】

 員弁街道の起点である三ツ矢橋は、本願寺村に属し、その枝郷(支郷)「水車(みずくるま)」と称していました。慶長年間、綿実から油を絞るための水車を儲けたので、この地名となったといいます(三重県教育委員会編集、歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年)。

 馬道は、「久波奈名所図会」には、「馬道 員弁郡への通路、御城下町の出はつれり、矢田村と本願寺村の地内なり、日々午馬の通り道なるゆへ、自然と地名に呼なせるなり……」とありました。

 現在、三重県教育委員会編集、歴史の道調査報告書 美濃街道、濃州道、八風道、菰野道、巡見道、巡礼道、鈴鹿の峠道、1984年を読んでいますので、さらに追記するかも知れません。

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