近鉄ハイキング

2018年8月 5日 (日)

今日は石取祭、本楽……近鉄ハイキング「ユネスコ無形文化遺産 祭り一色の桑名 日本一やかましいまつり「桑名石取祭」にふれる」について付記しました

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 11時で34.2℃。自力では何ともしようがないのに、毎日毎日気温が気になりImg_9198c ます。今朝は、家事をせねばならず、散歩に出たのは8時半を回っていました。暑いので、いつものコースをサッサと歩いてきました。住吉神社、九華公園、春日神社、京町、寺町と4.9㎞。10時過ぎ帰宅。九華公園の野球場では、この暑さの中、野球の試合。
Img_1176c 暑いので野鳥も、散歩友達も少なし。このスズメさん、九華公園の筏橋近くImg_1187c でボーッとして、空を見上げていました。ごく近くに行くまで逃げず。暑さでボンヤリしている感じ。他には、カワウとカルガモ1羽ずつ。こちらは奥平屋敷跡。ハクセキレイも見かけましたが、写真は撮れず。
Img_9213c 吉之丸堀の電線には、ツバメ。巣立ってきたヒナのように見えます。昨日までは、揖斐川沿いや、蟠龍櫓近くで餌を撮りに来たツバメの親を見ましたが、今日はゼロ。そろそろツバメの巣立ちも終わりかも知れません。
Img_9208c セミは相変わらず元気ですが、撮影のバリエーションが限られます(苦笑)。トンボやチョウも暑さのせいかあまり見ません。こちらは、ウチワヤンマ。好みのトンボ。戦闘型ヘリコプタを思わせるスタイルがカッコイイ。
Img_1206c ところで、今日は、石取祭の本楽の日。13:00から「南市場整列」。昨日もMinamiitiba 載せた地図ですが、鍛冶町とあるところを先頭に旧・東海道に38台の祭車が整列します。鍛冶町(吉津屋見附跡)までは我が家からは1.2㎞ほどですが、この暑い時間帯、なかなか腰が上がりません(苦笑)。
Img_1208c 昨日というか、今朝未明まで試楽が続いていたのですが(賑やかで何度Img_9229c も目が覚めました)、9時過ぎくらいから各町内とも祭車の準備をしておられました。左上は、三崎通、左は今片町、右は宮通。暑い時期のお祭りですので、大変です。
Img_9242c 先ほど、11時20分頃、鉦太鼓の音が響いてきたので、ベランダから見ましたら、今北町の祭車が出発。町内を練り歩いてから、整列場所へ向かいます。暑い中、浴衣に羽織の正装で大変です。この祭車、人力で曳いていくのです。
Img_9075c  本楽は、春日神社の楼門前で、18時30分から「花車」(一番くじを引いたImg_7814c 町内の祭車)の渡祭(奏楽の奉納)が始まります。それに先駆けて、花車を先頭に鍛冶町を16時30分に出発、各町内の祭車は列をなして春日神社を目指します。渡祭後は、七里の渡し跡を経て、22時頃から田町交差点で4台ずつの祭車による曳き別れが行われ。これが深夜過ぎまで続くのです。窓を閉め切って、エアコンを使っていてもよく聞こえて来ます。右の写真は、七里の渡し跡。次の写真は、田町交差点。
Img_8618c 春日神社前での渡祭は、大賑わいになります。子どもたちが小さい頃、180804chuunichisinbun 祭りに参加したときは出かけましたが、その後はご無沙汰。最近は夜は外出しませんし、大賑わいなのでたぶん今年も行かないでしょう。こちらにたたき出しの時の中日新聞の記事があります(リンク切れがあるかも知れません)。右に記事の画像を載せておきます。
 以下、追記です。
Img_9258c 15時半過ぎ、こちらへ行ってきました。桑名駅西口。近鉄桑名駅ですImg_9253c (東口は、JR桑名駅)。右の写真のマップをいただきました。そうなのです、近鉄ハイキングに参加。「特別企画ハイキング(踏破賞対象)ユネスコ無形文化遺産 祭り一色の桑名 日本一やかましいまつり「桑名石取祭」にふれる」であります。
Img_9251c 今日も、近鉄電車には乗らず、徒歩にて桑名駅へ。ただし、東口で入場券¥140なりを購入し、西口へ。入場券で桑名駅に入ったのは、たぶん2度目くらい。前回、いつだったか記憶がありませんが、入場券を買って入ったことだけは覚えています。
Img_9260c 桑名駅西口の先を北へ。スイミングスクールのあるところで右折して、東Img_9264c へ。近鉄名古屋線、養老鉄道、JR関西線の踏切をわたります。このあたりは時々、散歩で歩くところ。JR関西線の踏切は、八丁畷踏切という名前。JRの踏切は、このように地名が付けてあるので、なかなか興味深いのです。ここは、美濃街道から分かれてきた道。美濃街道は、桑名市川口町と江戸町の境で東海道から分かれ、三崎通を経て、参宮通で左右に分かれます。右へ行くと美濃・多度方面へ向かう「福島縄手」。左へ来ると、ここを経て照源寺に向かう「八丁畷」なのです。
Img_9282c 最初の立ち寄りポイントは、昨日、石取祭試楽を楽しんだ北桑名神社。ここは、元は、三崎神明社と称して、今一色各町内(現在の今片、今中、今北など)の氏神でした。我が家の氏神様でもあります。御祭神は、天照大御神建速須佐之男命鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、泣沢女神(なきさわめのみこと)、天児屋根命(アマノコヤネノミコト)、持統天皇応神天皇宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)、火産霊神(ホムスビノカミ)、高水上命(タカミナカミノミコト:石清水の神といいます。こちらに言及があります)。
Img_9268c 創祀年代や鎭座の次第は詳かではありません。桑名は、古代には、自Img_9270c 凝洲崎(おのころすざき)・加艮洲崎(からすざき)・泡洲崎(あわすざき)の3つの洲に分かれていました。自凝洲崎に江ノ奥(えのおく)の記載があり、このあたりに社が奉斎され「江ノ奥神明」とも「三崎大神明」とも呼ばれていたようです。明治41(1908)年6月、太一丸神明社、同境内の八幡・稲荷・火産靈諸社を、また、同年10月、さらに、宝殿町にあった佐乃富神社、三崎中臣神社、持統天皇社、船魂神社を合祀し、「北桑名宗社北桑名神社」と改称しています。
Img_9278c 境内には摂社があり、ここには八天宮(火産霊神)、稲荷大明神(宇迦之Img_0803c 御魂神)、金刀比羅宮(大物主命)、天神社(菅原道真公)、船魂社(神功皇后)が祀られています。神社のある堤原の石取祭の祭車には神功皇后が飾り物となっていますが、この縁でしょうか。この神功皇后が載った祭車は、俳句にも詠まれており、春日神社境内にその句碑があります(7月13日:20180609近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」(その2)……春日神社を参照)。
Img_0854c 北桑名神社には、このように「持統天皇御𦾔跡」の碑が建っています。由緒書きによれば、壬申の乱(672年)のとき、大海人皇子は一族を連れて桑名に来ています。妻の菟野皇女(うののひめのみこと、後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名に残し戦場となる不破へと向かいました。、戦いは大海人軍が勝利し桑名の地にもどられました。この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えられています。菟野皇女が所持していた御物、鏡や硯を収めていた宝殿があったといわれる場所が「宝殿町」という地名で残っています。
Img_9271c 不覚にも今まで気づかなかったのですが、北桑名神社にも「献石」が奉Img_9272c 納されていました。堤原、寺町、今中町、今北町、今片町、宝殿町、新宝殿町、太一丸の8つの町内からのもの。これは、神社検索三重のサイトにある氏子地域とほぼ同じ。
Img_9287c 北桑名神社にお参りし、門前にある小川茶店を見たら、「アイス饅頭」のImg_9292c 看板が(微笑)。寿恵廣のものを売っていたのです。小豆を4個、土産にお買い上げ。
 近鉄ハイキングは、このあととらや饅頭、春日神社、石取り快感、京町交差点、吉津屋見附跡を周り、寺町商店街から八間通を経て桑名駅へ戻るのですが、このあたりは勝手知ったるというか、ほとんど毎日歩いているルート。それ故、勝手に「歩いたと見なし」ました(微笑)。

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2018年7月25日 (水)

20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その3)……鶴澤神社を見て、伊坂ダムへ、そしてようやく三岐鉄道三岐線・暁学園前駅へゴール(完)

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 7月14日の近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねImg_9253c て」もその3で、ようやくゴールインできそうです。その2では、6㎞を過ぎて、円光寺を覗いて、東名阪自動車道の下のトンネルをくぐってきました。伊坂ダムは目の前に見えているのですが、坂道を上っていかねばなりません。
Img_9248c ルートマップで、右に曲がるところに鶴澤(つるさわ)神社があります。拝殿Img_9252c に行くには階段を上っていかなければなりませんでしたので(右の写真)、今日のところは、参拝はパス。鳥居の先に手水場が見えましたので、タオルを濡らさせてもらっただけ。御祭神は天照皇大神で、大山祇神が合祀されています。
Img_9250c 創立年代は不詳。明治40(1907)年、旧三重郡八郷村の山神社を同じく八郷村の村社神明社へ合祀し、社名を鶴澤神社としています。大正2(1913)年、さらに八郷村の郷社穂積神社に合祀しましたが、昭和22(1947)年、穂積神社から分祀して、再建されました。背後の山は、神奈備山といい、ここには5世紀後半から6世紀初めのものと思われる7基の古墳群があるそうです(こちら)。
Img_9255c ここまで来ると、伊坂ダムは目の前。ですが、ぐるっと回り込んで、坂道を上Img_9257c っていかねばなりません。右の写真の時点で11時15分過ぎ。坂の途中でスタートから7㎞(コースマップには約8㎞とありましたので、歩いているときにはそんな長距離を来たとは思わず)。息を切らしつつ、何とか上り終えます。
Img_9262c 伊坂ダムは、北伊勢工業用水の水源として建設され、昭和41(1966)に完成しました。四日市市を中心とする北伊勢臨海工業地帯へ工業用水を供給しています。ダム湖周辺はサイクリングロードや遊歩道として利用され、ウォーキング、ランニング、サイクリングに来る方多数。また、野鳥観察スポットとしても有名。小生も子どもを連れて来たり、野鳥を見に来たことがあります。伊坂ダムサイクルパークがあり、自転車のレンタルができます。このときはまったく思いつかなかったのですが、帰宅してからダムカードをもらい忘れたのに気づきました(苦笑)。
Img_9264c かなりへばっていましたので、木陰で休憩。お茶だけでは水分補給にならないと思い、スポーツドリンクを買って、ほぼ1本飲み干してしまいました。ご覧のように、眺めは良いのですが、ここで問題は、ハイキングのテーマ通り、「湖面を渡る風が心地よい」か? であります。
Img_9266c 答えは、これらの写真にあります。お分かりになるでしょうか? 湖面がきわめて静かで、水鏡のようになり、青い空や、白い雲がきれいに映っています。そうなのです、ほぼ無風。「湖面を渡る風は吹かず、ただただ蒸し暑い夏の伊坂ダム」を訪れてしまった、ということ(爆)。さらに、冒頭のルートマップのように、ダム湖を半周あまり歩くのです。地図ではわかりませんが、ここはけっこうアップダウンがあります。最後でこんな仕打ちに遭うとは(笑)。しかし、ゴールまでたどり着かないことには、帰宅できません。
Img_9276c ルートマップで「伊坂ダム」と書いてあるあたりからは、四日市港方面がよく見えます。先日行ったポートビルも見えますし、ガントリークレーンもよく見えます。手前に左右に通っているのは、東名阪自動車道。その向こう、四日市港のこちらには、これまた通ってきた北勢バイパスも見えます。
Img_9278c いくら暑くても、石碑があるとついつい見てしまいます。左は、ダム竣工Img_9279c 記念碑。「四日市市千代田町」とあります(このあたりの地名)。右は、「千秋桜由来」の碑。この桜は、樹齢200年だそうで、享和年間(1801~1804)に植樹されたといいます。老木に思いをはせて「千秋桜」と名付けたとあります。文を読むと、個人の方が建てたのかとも思えますが、碑陰を確認してきませんでした。これだけ暑いと、気持ちの余裕もなくなります。
Img_9283c 2㎞弱をひたすら歩きます。左の写真で奥の方に建物が見えますが、喫Img_9292c 茶店と伊坂ダムサイクルパークなどの建物。冒頭のルートマップで、ほぼ180度曲がっているあたり。ダム湖は、県立桑名西高校ボート部の練習場所になっています。9㎞地点の手前にはボート部の艇庫があり、生徒さんたちがたくさん来て、ボートの手入れなどをしていました。
Img_9295c 桑名西高校は、ここから3~400mほど上がったところにあります。暁学園前駅の方から、女子生徒さんが何人か歩いて上がってきて、すれ違うと挨拶をしてくれました。猛暑でヘトヘトでしたが、ちょっとさわやかな風が吹いた気分(微笑)。暁学園前駅に向かうには、いったん坂を上って、その後はほとんど下り。
Img_9297c 坂のピークを過ぎると、萱生の町や、あかつき台の住宅地などが見えてImg_9302c きます。遠くには、東芝メモリ四日市工場が見えていました。坂を下ったあたりでは、右手(西)に鈴鹿の山並みが見えます。こんなに暑くなければ、気持ちよさそうなのですがねぇ……。
Img_9307c 朝明川を再度渡るあたりで、サギ。アオサギもいましたが、うまく写真にImg_9316c 取れず。写真のサギは、ダイサギと思います。朝明川を渡って、三岐鉄道三岐線の跨線橋へ。ようやくゴールの暁学園前駅が見えてきます。12時を少し過ぎた頃。ホームには、たくさんのハイキング参加者が見えます。
Img_9320c このあたりに来ると、暁学園の中学、高校が見えます。ここは、萱生城があったところ。この一帯を支配した北勢四十八家の一つ春日部宗方(春日部家)が築城。 永禄11(1568)年、織田信長による北勢侵攻で、攻撃を受け、後に落城しています。容易に陥落しなかったものの、数日後に水分が不足して落城したといいます。一部は土塁状態になったようですが、その他の遺構としては、通称「髪(け)のびの井戸」だけが残されています。暁学園のサイトに萱生城をめぐる歴史が述べられています。
Img_9322c そして、12時10分、暁学園前駅へ到着。ゴールインであります。いやぁ、Img_9324c 暑かったですし、疲れました。駅前には「ちゃめっぺ」という店があり、時間があれば立ち寄りたかったのですが、ホームにあれだけ人がいたということは電車が来るかと思い、断念。以前、立ち寄ったことがあるのですが、この店、昔から駄菓子屋で売っている10円で買える駄菓子や当たりクジ付きのお菓子などが数多く売られているのです。暁学園の生徒さんにも人気だろうと思います。
Img_9327c 切符を買っていたら、ちょうど、近鉄富田行きの電車がホームに入ってきました。ラッキー。12時11分発。2両編成でしたが、何とか座れ、エアコンも効いていて快適。富田までは、平津、大矢知の2駅。近鉄富田駅着は、12時21分。鉄ちゃんではありませんので、詳しくはないのですが、乗ってきた車両は西武鉄道から譲り受けたものと思います(たぶん西武の401系、クモハ105でしょうか)。
Img_9354c 三岐鉄道の乗車券は、今でも、いわゆる硬券が使われています。小生は桑名までの乗車券を買いましたが、三岐線内のみのものと少しタイプが違うようです(こちら)。今では大変珍しいものです。ちなみに、暁学園前から近鉄桑名まで¥460でした。
Img_9338c こちらは近鉄富田駅。三岐鉄道三岐線は、近鉄富田駅に乗り入れています。三岐線(さんぎせん)の旅客列車は、この近鉄富田駅からいなべ市の西藤原駅までを結んでいます(貨物は、JR富田駅に入ります。JR富田駅から三岐朝明信号場間は貨物列車専用線があります)。近鉄名古屋線の下り(四日市、津、伊勢、大阪方面)が1番線、上り(桑名、弥富、名古屋方面)が2番線。三岐鉄道は3番線となっています。
Img_9335c ここまで乗ってきた電車は、折り返し、12時42分の西藤原行きになります。近鉄の上りは、12時33分に名古屋行き急行がありましたので、それに乗車。桑名着は12時41分。朝もらったコースマップでは、約8㎞となっていましたが、帰宅後距離測βで確かめたら、10.4㎞も歩いていました。我が家から桑名駅が、片道1㎞ほどですから、この猛暑の中、合計12.4㎞も歩いたという次第。しかし、アクシデントも起こさず、無事に完歩できました。
Img_9367c あみま倶楽部のスタンプは、この日で15個目をゲット。12月までの目標は20個ですから、これは何とか達成できそう。しかし、夏のハイキングは大変というのを十二分に実感しました。JRさわやかウォーキングは、7、8月はお休みというのがよく分かりました。「さわやか」ということは、まったくあり得ません(苦笑)。ただ、近鉄ハイキング、このあと桑名水郷花火大会や、石取祭にあわせて開催されるものがあります。これは、ちょっと来になりますねぇ。

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2018年7月24日 (火)

20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その2)……旧・大矢知村役場跡、龜屋佐吉でかき氷、八郷小学校の3つの石碑から東名阪自動車道まで

Img_9104c  7月14日に出かけた近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」のその2です。実はいったん書き始めたものの、再起動せざるを得なくなり、ガックリ(苦笑)。猛暑などもあって、しばらく続きを書こうという気力が戻ってこなかったのです。

Img_9159c 伊藤手延製麺所の先の3差路を右折し、200mほど行くと、旧・大矢知(おおやち)村役場跡に出ます。現在は、JAみえきた大矢知があるところから道を挟んだ向かい側です。冒頭のコースマップでは、「記念碑」と書かれているところですが、他の参加者の方々は、見向きもされません(苦笑)。
Img_9158c 大矢知村は、後で出てくる三岐鉄道三岐線・大矢知駅の周辺で、明治Img_9150c 22(1889)年4月、町村制の施行により、朝明郡垂坂村・西富田村・蒔田村・松寺村・大矢知村(枝郷山添を除く)・下之宮村・川北村の区域をもって発足。昭和29(1954)年7に四日市市に編入されました。ここには、昭和3(1928)年に建設された村役場が昭和63(1988)年四日市市大矢知地区市民センターの新築移転によって取り壊された跡地という石碑が建っています。
 余談ですが、大矢知の地名は、朝明(あさけ)川流域で最初の大きな谷地を形成することに由来するといわれます。古くは朝明郡に属し、中世には「大矢知御厨」がありました。「御厨(みくりや)」は、神領。伊勢神宮の神領を御厨、御園 (みその) と呼んでいますから、このあたりもそうだったと思われます。江戸時代に入ると、大矢知村は桑名藩領となりますが、文政6(1823)年には武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。
Img_9146c この跡地にはいくつかの石碑があります。まずこれは、「日清戦役従軍祈念碑」です。「陸軍中将男爵大鳥義昌書」と書かれています。大鳥義昌は、明治27(1894)年7月の日清戦争開戦時には、第9旅団を率いて朝鮮半島におり(朝鮮国の首都漢城(ソウル)市内に1,000、その郊外に主力の7、000が駐留)、本国からの命令一下、清軍といつでも戦闘開始出来るよう準備を整えていたといいます(こちら)。この祈念碑は、明治40(1907)年の建立のようです(こちら)。
Img_9149c 日清戦役従軍祈念碑に向かって左には、「慰霊塔」が建っています。いのりむし文庫の説明では、「三重県遺族会『終戦50周年 三重県遺族会記念史』(平成7)によると、大正7年、帝国在郷軍人会大矢知村分団により設置され、1952年再建されたようです。かつては大矢知興譲小学校校庭にあったようですが、移築の時期・経緯は不明」ということです。大矢知興譲小学校は、ここから北西に100mほど。大正7年は1918年、1952年は昭和27年。
Img_9152c もう一つは、「西南の役 殉難碑」です。西南の役(西南戦争)は、明治Img_9155c 10(1877)年に鹿児島士族が起した、西郷隆盛を首領とする大規模な反乱ですが、政府軍としてこの地区からも多くの方が出征したといいます。11名の方のお名前我刻まれているとありますが、石碑そのものはかなり風化して読みにくくなっています。 元は観音山にあったあります(大矢知興譲小学校のすぐ西に観音寺がありますので、そこかと思います)。
Img_9164c 大矢知の町の中を歩き、三岐鉄道三岐線の踏切を越えると写真の道に出ます。ここは、八風道。八風道の起点は、四日市市富田一色。すぐに東海道と交差し、ここ大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流します。巡見道の西は、八風越の道が八風峠を越え、滋賀県に至り、近江八幡市武佐町(中山道武佐宿)まで続きます。なんとなく昔からの道というイメージ。ここを西へ。この先に楽しみがあるのです(微笑)。
Img_9167c それはこちら。亀屋佐吉という和菓子屋さん。2年前にここに来たことがあります(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑))。このときは、「白玉和三盆金時みるく」を食べたのですが、今日もコースマップには「お茶の振る舞いと和菓子の販売」とあり、ひょっとしたらかき氷も……と期待していたのです。暑い中、3㎞半ほど歩いてきて、汗だく&ヘロヘロになりかかっていましたし。
Img_9168c ありました! 「近鉄ハイキング限定200食 かき氷」です(微笑)。メニューに「白玉和三盆金時みるく(¥690だったと思います)」はなかったのですが、「和三盆みるく ¥280」があります。この中ではもっとも良いお値段ですが、もうこれをチョイスするしかありません。他の参加者の方は、ご存じないのか、イチゴやメロンを頼んでおられます。
Img_9175c こちらが、その「和三盆みるく」。白玉が入っていると、和菓子屋さんのものだけに絶品なのですが、今日はこれで大満足ですし、これが¥280なのですから、いうことなし。和三盆みるくを食べて、汗も引き、元気も回復。まさにかき氷パワーです。龜屋佐吉さんについたのは10時10分くらい、出発は10時25分。八風道をもう少し行きます。
Img_9182c 三岐鉄道三岐線・大矢知駅に入らなければならなかったのですが、またもやコースミス。少し行き過ぎました。歩きながら左後ろを振り返ったら、駅が見えて気づいた次第。他にも数名。慌てて戻って、正しいコースへ。駅の東を回って、裏に入り、大矢知幼稚園へ。
Img_9185c 幼稚園の前(南)に石碑が2つ建っています。向かって右のものは、「神Img_9186c 社御旧蹟」とありますが、これはネット検索では情報が得られませんでした。ネット検索では調べるのに限りがありますねぇ。向かって左の石碑には、「白龍○神」と刻まれていると思うのですが、これも不明(最初の文字はたぶん「白」。間違っていたら、ご教示ください。3文字目は、縄で隠れた部分があります)。
Img_9195c 大矢知から大矢知新町の住宅街を抜けて北に曲がります(左の写真)。Img_9202c ここで再び三岐鉄道三岐線を陸橋で越えますが、その手前から伊坂ダムが遠望できます(左の写真の中央)。右は、養雲寺跨線橋に差し掛かったとき、ちょうど西藤原行きの電車が通過。
Img_9204c 跨線橋を降りたところが、八郷小学校。八郷小学校は、八風道に面しています。ここには、石碑が合計3つありまImg_9205c した。まず、校舎南側に2つ。西側の運動場入り口に1つ。校舎南にあった2つの内、向かって右は「平田翁頌徳碑」。
平田翁とは、八郷村村長を務めた平田武氏。こちらに碑文が載っています。昭和28(1953)年12月の建立。篆額は三重県知事の青木理題、村上国市撰、水谷潔書。
Img_9207c 向かって左は、「島翁彰功碑」。「島翁」とは、島豊太郎氏。島氏は、江戸、明治、大正期の生涯を通じ、平津村村長、八郷村村長を歴任した方です。この碑は、大正8(1919)年8月建立。三重郡長従五位勲四等今村真福撰、斉木参渓謹書。八郷地区の広報誌に説明があります(こちらと、ここと2回)。
Img_9214c 八郷小学校西、運動場への入り口にあったのは、「忠魂碑」。建立年は、不明ですが、「陸軍中将渡辺章 書」とあります。三重県遺族会のサイトには「英霊137柱を祀る」とあります。裏には、以下の戦没者を対象としたものであることが記されています。
明治二十七八年日清戦役戦没者2名
明治三十七八年日露戦役戦没者11名
大正七年起シベリア出兵戦没者1名
昭和十二年起日支事変戦没者14名
昭和十六年起大東亜戦争戦没者109名

Img_9219c 八郷小学校でスタートから5㎞。かき氷パワーも長続きしません(苦笑)。というのも、この日四日市の最高気温は34.6℃、湿度は平均77%(こちら)。こんな日にハイキングなんか、来るんじゃなかったなどと思ったりしつつ、仕方なく歩き続け、朝明川を渡ります。

Img_9222c 朝明川を渡ったところに公園らしきものがあり、木陰も見えましたので、Img_9224c 小休止することに。ここで水分補給、塩分補給。ベンチもあったので座って木陰で休憩。他の参加者の方々でも、休憩する方がありました。ここは、四日市市水道局水源管理センター分所でした。ここで10分ほど休憩し、11時再スタート。この水源管理センター分所のところで左折し、北西に向かいます。
180714kintetsuhikingtomida3 地図では、「千代田町」とあるところ。ここから、伊坂ダムまではほぼ一直Img_9226c 線。水田地帯を進みますが、稲は青々としてきていて、それは気持ちよい景色なのですが、とにかく蒸し暑いことこの上なし(苦笑)。
Img_9232c お寺を見つけてしまったので、ちょっとだけ寄り道。浄土真宗本願寺派のImg_9234c 彼佛山円光寺というお寺を見つけました。山門と本堂だけ拝見。御本尊は、阿弥陀如来(こちら)。由緒などは、ネット情報には出て来ません。
Img_9242c 円光寺から100mあまりで、東名阪自動車道の下をくぐります。ここは、もちろん日陰ですし、風が通って涼しいこと! 他の参加者の方も、帽子を取って、汗をぬぐっておられます。「今日はトンでもなく暑いね」などと話しながら、小休止。小休止ばかりしていますが、本当に暑くてしんどかったのです。
Img_9243c ここまで来ると、伊坂ダムは目の前。距離にして1㎞もないのですが、ただし、ダムに上がるのに、坂を上らねばなりません。気合いを入れ直して進むことにします。
 今日は、ここまで。その3では、鶴澤神社、伊坂ダムを経てゴールの三岐鉄道三岐線・暁学園前駅までたどり着く予定。

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2018年7月16日 (月)

20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その1)……吉玉稲荷、十四川堤、伊藤手延製麺所と長倉神社【長倉神社について付記しました(7/17)】

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 7月14日に出かけた近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂180714kintetsuhikingtomida1 ダムを訪ねて」の本編、その1です。連日の猛暑の中、この日も正午過ぎには、35℃を超え、熱中症警報メールが来る状況。少し迷ったものの、今月、まだ近鉄ハイキングに行っていないということもあって、参加してきました。ちなみに、JRさわやかウォーキングは、7、8月はお休み。さすがに「さわやか」とは行かないからでしょう(笑)。この日の近鉄ハイキングも、果たして「湖面を渡る風が心地よいか?」という根本的疑問もあったものの、途中の亀屋佐吉を楽しみに歩くことにしました。
Img_9108c スタートは、近鉄名古屋線・近鉄富田駅。9時20分から受付ということで、桑Img_9102c 名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。9時8分に到着。¥260。駅前にはすでに数10人の方が集まっていました。それも、小生よりも高齢と覚しき方が大半。皆さんお元気です。
Tomidastation マップをもらい、あみま倶楽部の会員証にスタンプを押してもらい、スタート20180714kintetsuhaike は9時25分。ここで、いきなり躓きました(苦笑)。コースを誤ったのです。左の地図で、赤い矢印のように駅からすぐ右折すべきところをそのまま直進してしまったのです。コースマップをよく見れば、百五銀行の先をすぐに曲がるように書いてあるのですが、見逃しました。が、そのお陰で、以前から気になっていた吉玉稲荷を見てこられました(苦笑)。その後、旧東海道との交差点まで進んでミスに気づき、引き返したという次第。念のため書いておきますが、小生だけでなく、曲がり角を間違えてウロウロしていた方、多数でした。
Img_9109c こちらが、数ヶ月前からの課題であった吉玉稲荷。「富田地区まちづくりImg_9113c 協議会」が平成29年度に発行した「とみだまちあるきマップ」によれば、「吉玉祭事・宇迦之御魂命稲荷神社」とあります。明治39(1906)年に伏見稲荷大社から勧請してつくられました。「とみだまちあるきマップ」には、この神殿に“三種の神器「別格大々祀式」の書簡”があるといいます。
 この「別格大々祀式」は、神社の格式と思われます。「大々祀式」については、こちらに言及がありました(以下、引用)。
万延元年の伏見稲荷での分祀に関しての式料と供物代がありましたのでご紹介します。大々祀式料20両(供物3両)、大祀式料7両2分(供物1両)、本祀式料3両(供物3分)、中祀式料2両(供物2分)、小祀式料1両(供物1分)、略祀式料3分(供物2朱)、大略祀式料2分(供物2朱)の7段階で、それぞれの神璽(印鑑もそれぞれ大きさが異なっている)を捺したお札を分祀してもらっています。

 要するに勧請する(分祀してもらう)にあたって、どれだけの式料、供物料を収めたかによるランクづけでしょう。万延元年は、1860年。桜田門外の変が起きた年。
Img_9115c 社殿の西には、小さいお社が2つありましたが、こちらは詳細不明。まImg_9110c た、境内には「天地龍神」の石碑があります。龍神は、龍宮に住むと伝えられる龍で、水神や海神として各地で祀られています。この石碑は、大正15(1926)の建立。コース間違いをしたお陰で吉玉稲荷について、ある程度分かったという次第。ケガの功名(笑)。
 旧東海道のところまで出て、コース間違いに気づきました。というのも、コースマップでは、富田幼稚園、富田小学校の北西側を通ることになっているのに、東海道から行くと南東側を歩くのです。一応、マジメに150mほど戻って正規ルートへ。
Img_9118c 近鉄富田駅南西の踏切。ここから十四川堤沿いを進みます。左の写真Img_9124c でも見えていますが、桜並木が続くのです。十四川は、四日市の花見スポットの一つ。1.2㎞ほどに渡って、桜並木が続きます。十四川の桜は、近鉄電車からは何度も見ていますが、花見に来たことはありません。
Img_9126c 近鉄富田駅の西、十四川に沿って県立四日市高校があります。「四高(しこう)」と呼ばれています。文武両道の名門校。明治32(1899)年4月、
三重県第二中学校として創立して以来、今年で119年。進学実績は素晴らしいものがありますし、昭和30(1955)年には甲子園で優勝しています。丹羽文雄や、藤田敏八など著名な文化人その他を輩出しています(こちら)。小生の学生時代にもここの出身の同級生がいましたし、最初の勤務先では入院している子どもたちが、通信制の教育を受けさせてもらっていました。卒業式にも付き添ったりしましたので、四高には親近感があります。
Img_9127c などと思いながら、十四川堤を進みます。1㎞半足らずですが、この時点で相当暑い! このあたりは、茂福。昨年12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で、茂福城跡や、伊賀留我神社、天武天皇迹太川御遥拝所跡を訪ねていますが、それらは、この日歩いたところのやや南西あたりにあります(2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)、12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完))。冒頭2枚目の歩いたルートマップにも、伊賀留我神社の名前が見えますし、そのすぐ北あたりに天武天皇迹太川御遥拝所跡があります(地図には記載なし)。こうやって歩くと、アタマの中の地図もよくつながって来ます。
Img_9134c 茂福から大矢知へ、2回ほど右折して、国道1号線北勢バイパスを目指し

Img_9136c

ます。北勢バイパスが近づいたところに久留部官衙遺跡があります。おおよそこのあたりにあるだろうというのは知っていましたし、一度来てみたいところです。奈良時代に伊勢国朝明郡の役所があったところ。国指定の史跡。最近、この遺跡を紹介する施設「くるべ古代歴史館」もオープンしましたので、一度見たいと思っています。
Img_9139c 北勢バイパスをくぐってしばらく行くと、この日最初の立ち寄りポイントで180714kintetsuhikingtomida2_2 ある伊藤手延製麺所。このあたりの大矢知地区は、手延べ素麺が名産。約200年前(江戸時代)より農家の副業として生産されるようになっています。旅の僧侶が朝明川畔の農家に一夜の宿を乞い、親切なもてなしに大変喜び、お礼として麺の作り方の秘伝を授けたと言い伝えられているそうです。ここ伊藤手延製麺所さんの製品は、「金魚印」。素麺、個人的には買いたいと思っていたのですが、「買ってこなくてよろしい」という指示で泣く泣くスルーしてきました。
Img_9140c 伊藤手延製麺所の向かいに長倉神社の鳥居があり、昇格記念参道という石柱が立っていました。由緒は不詳ですが、大矢知村の産神で八幡と称されていました。明治6(1873)年村社、明治41(1908)41月に式内桜神社を合祀。昭和6年9月御祭神は応神天皇木花之佐久夜毘売神大山祇命高おかみ神天照大御神倭姫命宇迦能御魂の6柱の神様が合祀されています。ただ、神社はこの鳥居からさらに200mほど奥にあるようで、そこまで寄り道する元気、意欲がありませんでした。
 ちなみにこの長倉神社、桜神社、斎宮神祠などを合祀しているようです。斎宮神祠(いつきのみやしんし)は、天武天皇迹太川御遙拝所跡にあったといいます。また、境内には境内に 「宮城遥拝所」 の碑があるといいます(こちら)。
 
 本日は、出かけていましたので、時間切れ。ここまで。次は、大矢知村旧役場跡の記念碑などから。

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2018年7月14日 (土)

20170714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(予告編)……猛暑でしたが、10㎞あまりを完歩!8

180714weather

 今日も正午過ぎには35℃を超える猛暑日。熱中症警報は午後になってメールが来ましたが、暑いこと。若干迷ったものの、予定通り、近鉄ハイキングへ行ってきました(湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて)。ほぼ1ヶ月ぶり。前回は、6月9日に「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に参加しています。
Img_9104c 今日のコースは、近鉄名古屋線・近鉄富田駅が受付(9時20分から)、十四Img_9102c 川堤、伊藤手延製麺所、亀屋佐吉を経て、伊坂ダムを半周し、三岐鉄道・三岐線暁学園前駅がゴール。案内では、約8㎞ということでした。桑名駅を9時1分発の五十鈴川行き急行に乗車。近鉄富田駅には9時8分に到着。¥260。駅前にはすでに数10人が集まっています。それも小生よりも高齢と覚しき方が大半。皆さんお元気です。今回は、いつものように予告編として、概要を記事にします。
180714kintetsuhikingtomida こちらは今日、実際に歩いたルートを距離測βで描いたもの。約8㎞だったはずが、ほとんど寄り道もしていないのに、10.4㎞。これに、我が家から桑名駅までの往復2㎞をプラスすると、この暑さの中、12.4㎞以上歩いたことになります。ひんやりグッズを首の後ろに貼る、水分補給をしっかりするなどの対策をしましたが、暑かったこと!
Img_9108c 受付は、お馴染み近鉄名古屋線・近鉄富田駅。ハイキングでもう何度も来ています。地図を受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、9時25分にスタート。なのですが、いきなり道を間違えました(苦笑)。ただし、小生だけでなく、他にもゾロゾロ。その間違え方もいろいろ。早めに曲がったり、曲がらないまままっすぐ東に行ったり。今日の地図、わかりにくいところが多々ありました。他の参加者の方もおっしゃっていたので、小生だけではありません。
Img_9109c 曲がるところを間違えて直進したお陰で今まで気になっていたものの、確かめていなかった富田駅東のお稲荷さんを見てきました。吉玉稲荷といいます。明治39(1907)年、伏見稲荷大社から勧請。境内には、「天地龍神」の石碑もありました。詳細はまた改めて。
Img_9118c  吉玉稲荷の先の、旧・東海道まで出てコース間違いに気づきました(苦Img_9127c 笑)。150mほど戻って、富田幼稚園、富田小学校の北西の細い道から十四川堤に出ます。十四川は、四日市の花見スポットの一つ。1.2㎞ほどに渡って、桜並木が続きます。
Img_9134c 十四川沿いから1.5㎞ほど歩くと、国道1号線の北勢バイパスが見えてきます。このあたりには久留部官衙遺跡があります。奈良時代の役所跡で、国指定の史跡。伊勢国朝明郡の役所があったところ。最近、この遺跡を紹介する施設「くるべ古代歴史館」もオープンしましたので、一度見たいと思っています。
Img_9139c 北勢バイパスをくぐって300mほど行くと、今日、最初の立ち寄りポイントである伊藤手延製麺所があります。このあたり、大矢知は素麺で有名(大矢知素麺)。個人的には買いたいと思っていたのですが、「買ってこなくてよろしい」という指示でスルーしてきました。
Img_9140c 伊藤手延製麺所の向かいに長倉神社の鳥居があり、昇格記念参道という石柱が立っていました。御祭神は応神天皇。他に木花之佐久夜毘売神など6柱の神様が合祀されています。ただ、神社は、この鳥居からさらに200mほど奥にあるようで、そこまで寄り道する元気、意欲がありませんでした。
Img_9159c 伊藤手延製麺所の先を右に曲がって300mほど行くと、JAみえきた大矢Img_9150c 知に出ます。このJAの向かいに旧・大矢知村役場がありました。その跡地に役場の記念碑の他、日清戦役従軍記念碑、慰霊塔、西南の役殉難碑が建っていました。
Img_9164c このあたりは、大矢知といいますが、その由来は、朝明川流域で最初の大きな谷地を形成することによるといわれれます。古くは朝明郡に属し、中世には、大矢知御厨がありました。江戸時代には、大矢知村は桑名藩領となりました。文政6(1823)年武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。JAみえきた大矢知から300mほどあるいて、昔の八風道に出ます(左の写真)。
Img_9167c 八風道に出てすぐに亀屋佐吉があります。ここは2年前にわざわざかき氷を食べに来たところ(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑))。そのときに食べたのは、「白玉和三盆金時みるく」。今日も空いていたら、是非とも食べたいと思って、猛暑の中を歩いてきた次第。
Img_9175c 今日は、店舗前で近鉄ハイキング参加者向け、200食限定販売が行わImg_9168c れていました。「和三盆ミルク」をチョイス。店内で食べると¥550のところが、¥280とかなりお得。亀屋佐吉まで約3.5㎞、相当へばっていたのですが、これで元気回復(微笑)。歩き続けられます。
Img_9182c このあとコースは、大矢知駅の前から大矢知新町に向かうのですが、駅Img_9185c に入るところがわかりにくくて、行き過ぎていったん戻るというミス(他にも何名かいらっしゃいました)。大矢知幼稚園の前には、「神社御旧蹟」他の石碑がありました。
Img_9199c 養雲寺跨線橋で三岐鉄道三岐線を越え、八郷へ。この跨線橋のところかImg_9195c ら、遠くに次の目的地である伊坂ダムが見えます。右の写真でほぼ中央にあるのがそれ。
Img_9204c_2  跨線橋を下ったところにある八郷小学校には、頌徳碑など3つも石碑が建っていました。詳細は、また本編にて(これから調べるのです……微笑)。
Img_9222c 八郷小学校で5㎞を過ぎ、朝明川を渡ります。かき氷パワーも切れそうにImg_9226c なって来ましたので、朝明川を越えたところにあった四日市市水道局の水源管理センター分所の公園でまた小休止。水分補給を行い、ひんやりグッズを交換。水源管理センターから左折し、伊坂ダムへほぼ直線。東名阪道をくぐってほぼ1㎞。
Img_9232c 途中で、浄土真宗本願寺派の円光寺というお寺を見つけました。ルートImg_9243c からすぐでしたので、山門と本堂だけ拝見。その後、東名阪道をくぐります。右の写真で前方に見える山の右手から伊坂ダムに登って行きます。
Img_9248c 伊坂ダムに登って行く道に入るところに、鶴澤神社。御祭神は、天照皇Img_9257c 大神。鳥居脇脇に手水場がありましたので、ちょっとお水を拝借。タオルを濡らしたりさせてもらいました。ここから先、上り道(苦笑)。今日の難所。
Img_9255c 伊坂ダム到着は、11時半。入り口あたりで、7.2㎞ほど。サイクルパークImg_9264c 管理事務所前の木陰&ベンチで一休み。来るときにコンビニで買ったお茶は、ホットになっている有様。自販機でスポーツ飲料を買って、一気飲み。ちなみに、伊坂ダムは、北伊勢工業用水の水源として昭和41(1966)年に完成。と書きながら思い出しました。ダムカードをもらい忘れました(苦笑)。
Img_9266c サイクルパークがあり、自転車をレンタルできますし、ダム湖周囲はウォImg_9276c ーキングの方もたくさん来ます。過去に2~3回、野鳥観察に来ました。東南のあたりからは、四日市港や、ポートビル、ガントリークレーンなどもよく見えます。今日は、ダム湖周囲をほぼ半周。ちなみに、今日のテーマは、「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」でしたが、ほぼ無風でした(苦笑)。
Img_9292c ダム湖の北西には、近くにある県立桑名西高校カヌー部の艇庫がありImg_9297c ます。今日もたくさんの生徒たちが集まっていました。ここまで来ると、ゴールまではあと1㎞ほど。少し上れば後は、ほぼ下り坂。ただし、木陰がないので、暑いこと。
Img_9302c 坂を下りてくると、西には鈴鹿山脈が見えます。御在所岳のロープウェイImg_9307c は、改修工事が終わり、ゴンドラも新しくなって、床がシースルーだそうです。今の時期頂上まで行くと、涼しいだろうななどと思いながら、暑さに耐え、修行をするかのようにゴールを目指します(笑)。再び朝明川を渡りますが、ここでアオサギ1羽と、ダイサギ(?)1羽を目撃。
Img_9316c 12時少し過ぎ、三岐鉄道の跨線橋からゴールの暁学園前駅が見えてきImg_9323c ました。ようやくゴールできそうな実感。12時10分に到着。スタートから2時間45分かかりました。暑くてヘトヘトであります。
Img_9327c 切符を買っていたら、12時11分発の近鉄富田駅行きの電車がちょうどホImg_9335c ームに入ってきて、ラッキー。2両編成でしたが、何とか座れ、エアコンも効いていて快適。富田までは、平津、大矢知の2駅。近鉄富田駅着は、12時21分。鉄ちゃんではありませんので、詳しくはないのですが、乗ってきた車両は西武鉄道から譲り受けたものと思います(たぶん西武の401系、クモハ105でしょうか)。
Img_9354c それと三岐鉄道の乗車券は、今でも、いわゆる硬券が使われています。小生は桑名までの乗車券を買いましたが、三岐線内のみのものと少しタイプが違うようです(こちら)。今では大変珍しいものです。ちなみに、暁学園前から近鉄桑名まで¥460でした。
Img_9338c 三岐鉄道三岐線は、近鉄富田駅に乗り入れています。近鉄名古屋線の下り(四日市、津、伊勢、大阪方面)が1番線、上り(桑名、弥富、名古屋方面)が2番線。三岐鉄道は3番線となっています。12時33分の名古屋行き急行に乗車し、桑名着は12時41分。という次第で、猛暑ではありましたが、無事に完歩し、帰宅いたしました。お付き合いくださり、お疲れ様でした(微笑)。詳細は、またいつものように何編かに分けて書く予定でいます。

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20180609近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」(その3)……住吉神社(完)

 6月9日の近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」、その3です。住吉神社について、「完」というつもり。住吉神社は、ほぼ毎日、散歩でお参りしています。

Img_5509c ハイキング当日は、春日神社から九華公園を経て、七里の渡し跡を通り、Img_5545c 揖斐川の堤防を通って、住吉神社に向かいました。左の写真は、九華公園の入り口(西門)にある旧・桑名城の絵図。正保年間(1644~48)に作成された「勢州桑名城中之絵図」の一部です。右は、七里の渡し跡。奥に見えているのが、蟠龍櫓。
Img_5555c こちらが住吉神社。桑名は古くから伊勢湾や木曽三川を利用した舟運の拠点港として、「十楽の津」と呼ばれ、木材や米などの集散する自由活発な商業都市として発展してきました。住吉神社のある住吉浦は、廻船の舟溜まりで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。これらの人達によって航海の安全を祈り、正徳5(1715)年に摂津の国「住吉大社」より勧請してこの住吉神社が建立されました。
Shitiric 現在は、上の写真のようになっていますが、これは平成15(2003)年に揖斐川防潮堤が高潮対策として改修整備され、社殿が新しく建て替えられてからの様子。小生が25年前(平成5(1993)年3月に桑名に引っ越してきた当時は、この写真のようになっていました(山川出版社,三重県の歴史散歩より)。子どもたちを連れ、散歩がてら住吉神社に来て、写真にある石段を降りてカニを捕まえたりして遊んだ記憶があります。
Img_5557c 御祭神は、底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつImg_5566c のおのみこと)、表筒之男命(うわつつのおのみこと)のいわゆる住吉三神(すみよしさんじん)と、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。合祀されているのは、天照大神、住吉町・東太一丸神明社、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。天照大神と東太一丸神明社は、明治40(19079年に、また、倉稲魂命は玉重稲荷として祀られていたのを大正15(1926)年に合祀しています。桑名宗社(春日神社)の境外末社として、地元・西船場町が管理しています。
Img_5265  3枚目の写真をよく見ていただくとお分かりですが、石造の一の鳥居の奥に、木造の二の鳥居があります。さらに、すぐ上の写真でお分かりのように、拝殿のすぐ前にも小さな鳥居があります。これは他ではあまり見たことがない気がします。
Img_5268 狛犬は、平成15(1993)年の社殿新築に伴って新しくつくられてImg_5267 います(台座は、昔のもの)向かって左は、「子取り」のタイプ。しかし、向かって右は「玉取り」ではありません。何故でしょう? 分かりません。分からないことがたくさんあり過ぎ(苦笑)。なお、もともとあった狛犬は、明治中頃に備前・備中や阿波の国の廻船業者たちによって寄進されたものでした。
Img_5569c 神社前の石の鳥居や、石灯籠は、天明8(1788)年に江戸の材木商たちによって寄進されたものです。
Img_5559c 境内には詩碑と句碑とが、合計2つあります。こちらは、有本芳水(ありもとほうすい)の詩碑です。大正5(1916)年につくられた「桑名にて」という詩が彫られています。昭和38(1963)年10月、芳水詩碑建設期成会が建てています。有本芳水は、明治-昭和時代の詩人(明治19(1886)~昭和51(1976)年)。以下のように刻まれています:
揖斐乃ながれのしがらみに
にほいあせたる花うきて
波にうたひて波に去る
可もめよ何を鳴き行く可
150x150_square_71277611  ちなみに、桑名の和菓子屋さん「花乃舎」に「志がらみ」というお菓子があります。それは、この有本芳水の詩に因むものだそうです。羽二重餅にやわらかい薄紅の羊羹をはさんだ川波型のお菓子です。食べたこと、あったかなぁ?
Img_5562c 句碑は、山口誓子のもの。「水神に 守られ冬も 大河なり」という句が刻まれています。絲遊俳句会が昭和49(1974)年6月に建立。絲遊俳句会は桑名市内の俳人グループで、同会が誓子氏の指導を受けて10年の記念に建てました。山口誓子(やまぐちせいし)は、大正-平成時代の俳人。明治34(1901)~平成6(1994)年。
 山口誓子は、このブログにも頻繁に登場していますが、肋膜炎の療養のため、昭和16(1941)年、伊勢冨田(現在の四日市市天カ須賀)に移って療養しています。その後、昭和23(1948)10月から昭和28年(1953)年10月までは鈴鹿市鼓ヶ浦で療養を継続しています。天カ須賀にいるときはなかなか健康が優れなかったようですが、鼓ヶ浦では目に見えて健康が回復したと回想しています。こういう関係で三重県北勢地方に多くの句碑があると考えられます。
 住吉神社、我が家から440m。徒歩5分。氏神様がどこか知らない間は、勝手に「マイ・氏神様」に認定していました(その後、北桑名神社が氏神様であることが判明)。今でも、通常の散歩コースを歩くときには、まずここに立ち寄ってお参りしています。
1_2 「久波奈名所図会」には、住吉神社の絵はありませんが、左の画像のような文章での説明があります。
住吉社 太一丸の東にあり。祭日六月三十日夏越祓なり。本社東向。祭神四座。底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命、神功皇后。鳥居 額 住吉大明神 滋野井亜相公麗卿筆 石灯籠二基 當社は中古水主町御船役方より勧請あり。よって本社西向きなりしが、近年東向にして七里の渡口を正面とす。祭礼の節は船場町の川岸に遙拝所を設て、諸人小舟の渡しを越て参詣す。
 6月9日の近鉄ハイキング「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」は、このあと、桑名七里の渡し公園と六華苑がコースでしたが、記事はこれにて完。
 今回の関連記事は、次の通り:

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2018年6月 9日 (土)

今日は桑名で近鉄ハイキング……桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る(概要編)

Img_5266c

 今日は桑名で近鉄ハイキングであります。「桑名九華公園花菖蒲まつりと文化・歴史を知る」に行ってきました。近鉄名古屋線・益生駅から桑名駅までというコース(左のコースマップ参照)。走井山公園(勧学寺・村正屋敷跡)、諸戸水道貯水池遺構、桑名市博物館、石取会館、六華苑といったなじみの場所(4月のJRさわやかウォーキングでも行きました)や、春日神社、九華公園、桑名七里の渡し公園などいつもの散歩コースを回って来たという次第。
Img_5263c 桑名駅を8時58分の塩浜行き普通電車に乗って、次の駅が益生。9時ちょうImg_5273c_2 ど着、¥160。9時から受付となっていましたが、早めに始まっ
たようです。コースマップのナンバーは163でした。益生駅の北には、JR関西線・近鉄名古屋線と、県道421号線を渡る歩道橋があります。それを渡って、北へ。三岐鉄道北勢線に沿って、西へ。
Img_5279c 三岐鉄道北勢線の馬道駅を過ぎた踏切を北へ渡って、走井山公園に入っImg_5281c て行きます。このあたりは何度も来ていますし、4月14日のJRさわやかウォーキングでも、逆コースで歩いたところ(徒歩にてJRさわやかウォーキングへ(笑)……桑名の山野辺散策とサンジルシ醸造をたずねて(予告編))。
Img_5284c 走井山公園入り口の「三猿像」。10年以上前からのお気に入り。台座には、Img_5288c_2 「此の心 我れができぬは 人?はせよとハそれハむり志や ?てくだされハ ありがたし」と刻まれています。三猿像を左手に眺めながら、公園への階段を上っていきます。階段沿いにはアジサイ。
Img_5290c 階段の途中に、「伝村正屋敷跡」という案内板があります。村正は、あの妖刀村正をつくった桑名の刀工。室町時代中期以後、代々活躍しました。文亀・天文年間 (1501~55年) に同名の刀工が数代あるのですが、永正年間 (1504~21年) の作品に傑作が多いといいます。あくまでも「伝」ということですが、この東にあるマンションのところに村正の屋敷があったと伝わっています。本多忠勝公入府以前は、この近くを町屋川が流れ、地下水が豊富であったので、作刀に適していたのかも知れません。
Img_5314c 走井山公園勧学寺を一通り見て来ました。JRさわやかウォーキングでImg_5324c 見逃したと思った「佐藤崋山翁遺愛碑」を探したのですが、結局分かりませんでした。あのお菊稲荷神社も再度見てきましたが、新しい発見はなし。勧学寺は、本堂に入ることができました。天井絵や、絵馬など古いものがたくさんあります。勧学寺は、市内に現存する寺社建築としては最も古いと推測されています。詳細は、改めて記事にしようと思っています。
Img_5353c 次の目的地である諸戸水道貯水池遺構に行くのに、徳成を通っていきまImg_5354c すが、途中で「徳成農園跡」という看板がありました。「35m先」となっていましたので見てきましたが、たぶん右の写真の公園。。明治30(1897)年に、近くに諸戸家の墓地が出来てから、その西に諸戸家が農園を開いたようです。諸戸農園の隣に明治43(1910)年に四日市の伊藤伝七が「徳成農園」を開いたといいます。伊藤は四日市の三重紡績の創立者であり、社長であった人。後で調べたら、公園には「徳成農園之記」という石碑があるようでしたが、見てきませんでした。
Img_5356c こちらは、諸戸徳成邸の跡地。諸戸家の墓所と、茶室などは残っていまImg_5358c すが、その他は、マンション建設工事が進んでいます。過去に見学に来た時の記事は、こちら:2013年11月30日;諸戸徳成邸特別公開へ行ってきました 、2015年5月17日;諸戸徳成邸特別公開 、2017年4月29日;「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで。3回見学しています。
Img_5367c この諸戸徳成邸の跡地の向かい(東)に諸戸水道貯水池遺構がありまImg_5362c す。ここも何度も来ているところ。ここにいらした歴史案内人の方が、降りていくと、近くにある「水源井」がチラッと見えるとおっしゃったので、探したのですが、分からず。草が生い茂っていたので、その陰になっていたかも知れません。
Img_5370c 水源井を探しているうちに、養泉寺というお寺の前に出ました。浄土真宗本願寺派。山号は蓮華山。郡代を務め、藩政に功労があったものの、譜代家老らの憎悪(私怨)によって滅ぼされた野村増右衛門の位牌と過去帳がここにあるそうです。
Img_5377c このあと、近鉄、JR、三岐鉄道と、3種類の幅のレールが見られる三崎跨線橋を渡り、桑名の市街地へ。写真は、南側(四日市方向)。ちょうど、三岐鉄道北勢線の電車と、近鉄特急がやって来たところ。
Img_5381c 桑名市中央町の国道1号線交差点。賑やかなあたりです。南東の角に大Img_5384c きな仏壇屋さんのビルがあり、その上に鳳凰が載っています。ここからさらに東へと向かいます。この交差点で、スタートからほぼ3㎞、時刻は10時頃でした。
Img_5388c 市民大学講座を受講する中央公民館や、桑名郵便局、体育館の前を通Img_5390c り、大央町交差点からさらに東へ。吉津屋堀のところで左折(北へ)。余談ではありますが、市営の体育館は、あの「ネーミング・ライツ」とやらで、ヤマモリ体育館になっています。ヤマモリは桑名にある、醤油、つゆ、レトルト食品などのメーカー。ヤマモリさんには他意はありませんが、このネーミング・来つとやら、どうも小生は馴染めません。
Img_5398c 吉津屋堀あたりも散歩に来ます。ここを北東に進むと、寺町商店街の南Img_5402c の入り口。ここはもう目をつぶっても歩けるくらい(微笑)。京町公園は、旧・東海道沿いにあり、京町見附跡であり、桑名が市政施行したときの市役所があったところ。
Img_5404c 京町交差点角には桑名市博物館があります。現在、「古萬古とそれを継ぐ者」の展覧会が開催されていますが、これは先日見てきたので(6月1日: :ツバメのヒナへの給餌シーンがすごい……博物館で古萬古も見てきました)、今日はパス。
Img_5408c 博物館のすぐ東には石取会館があります。あの石取祭について展示さImg_5410c れています。大正14(192)年に建てられた四日市銀行桑名支店です。登録有形文化財人っています。ただし、概観はほぼ当時の姿をとどめているものの、内部は改修されています。
Img_5413c 館内には、祭車が1台展示されています。この祭車は漆仕上げで、江戸時代末期の作だそうです。彫刻は、幕末期の桑名彫刻の一端を担った野々垣兵助により施された総牡丹彫り。諸戸家が所有、保存していたものを、平成元(1989)年12月に寄贈を受け、漆塗装、天幕等の補修を行い、当時のままに修復したものです。諸戸家は、もう1台の祭車を所有しておられ、諸戸氏庭園の祭車庫に保存されています(たとえば、桑名七里の渡し公園のオープニングセレモニーの時に引き出されていました:2015年11月3日:「桑名七里の渡し公園」オープニングセレモニー)。
Img_5494c このあとは、昨日も来たばかりですが、春日神社。桑名宗社が正式名称ですが、地元では「春日さん」と呼ばれ、親しまれています。桑名宗社は、桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称で、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っているのです。
Img_5423c 桑名神社も、中臣神社も、平安時代の延喜式神名帳にその名がある歴史ある神社です。桑名神社は、天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神をお祀りしています。また、中臣神社は、神護景雲3(769)年に常陸国鹿島社(茨城県の鹿島神宮)より建御雷神霊が御通過になった址に祀られるようになったものです。御祭神は、天日別命。
Img_5430c 左の写真が中臣神社、右の写真が桑名神社です。中臣神社は、正応2(1289)年に桑名神社の境内に遷し、永仁4(1296)年に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀しています。境内社もいくつかありますし、細石もありますので、それはまた別に書きます。
Img_5485c 春日神社の楼門前にある「とらや老舗」。酒饅頭の一種である「とらや饅Img_5489c 頭」を製造・販売しています。桑名の銘菓といってよいでしょう。宝永元(1704)年創業。江戸時代には桑名宿の土産物などとして武士や町人に親しまれたといいます。
Img_5483c こちらがそのとらや饅頭。薄皮で中に小豆のこし餡が入っています。なぜこれを手にしているかといいますと、今日は、通常1個¥170のところを¥150で売っていましたので、ここで休憩&おやつタイムとしたのです(微笑)。4枚前の楼門の写真、右下に写っているように、わずかな距離ではあるものの「出張販売」をしていました。
Img_5507c 春日神社からは、いよいよ九華公園。ここもよく通りますが、中橋という、Img_5509c 七里の渡し跡から続く堀に架かった橋を渡っていきます。いつもは、九華公園へは北門から入りますが、今日は、正門である西から。
Img_5514c 九華公園に毎日来ていらっしゃる方もたぶんほとんどご存じありませんが、このような立派な石碑に「九華公園」と刻まれています。陸軍中将・福原銭太郎によります。福原は、桑名藩士・福原資英の長男。慶応3(1867)年~昭和13(1938)年。陸軍士官学校を卒業し、日清、日露戦争に出征した後、桑名町長、三重県議会議員、長島村長を務めました。この石碑は、昭和3(1928)年5月に桑名町会議員一同が建てています。ここで4.7㎞ほど、10時40分。
Img_5523c 毎日のように来てはおりますが、きちんと花菖蒲園も見てきました(笑)。管理人さんにも挨拶し、知り合いにも会っておしゃべりもしてきました。このあたりはいつも通り。
Img_5533c 九華公園にある相撲場では、大相撲名古屋場所に備えて、土俵の準備が鎮国守国神社の氏子の皆さんによって行われていました。峯崎部屋が今年も宿舎を構えるのです。例年の様子からすると、6月24日に子ども相撲があって、それから朝稽古が始まるのではないかと思います。
Img_5536c 柿安コミュニティパーク入り口にいらっしゃる本多忠勝公の銅像を見てImg_5539c (この銅像は柿安が寄附しています)、七里の渡し跡へ行くのですが、今日のルートは、北大手橋経由。桑名城には、北大手橋と、南大手橋と2つの入り口がありました。南大手橋は、歴史を語る公園の南に架かっています。右は北大手橋の東。いわゆる「枡形」になっています。手前が御城側。
Img_5540c 北大手橋を渡った西側には、旧・東海道が通っています。右の写真は、Img_5542c 向かって右(北側)で、七里の渡し跡方面。突き当たりの右が七里の渡し跡。旧・脇本陣跡に立つ「旅館・山月」も見えます。
Img_5545c 七里の渡し跡。大鳥居は、ここから伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」といわれ、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。宇治橋の鳥居をいただくのです。東海道は、ここから右手に向かって行きます。右奥に見えるのは、蟠龍櫓。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓が象徴的に描かれています。
Img_5551c 七里の渡し跡を揖斐川の方から見た写真。昔の旅人は、この景色を眺Img_5555c_2 めて桑名にやって来たのでしょう。いつもの散歩コースとは逆回りですから、このあと住吉神社へ(右の写真)。このあたりは廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていたそうです。そのため航海の安全を祈り、住吉神社から勧請してこの住吉神社が建立されました。神社前の常夜灯2基は、江戸時代の材木商達が寄進したものです。
Img_5570c 住吉神社の前から直接六華苑に行く参加者もたくさんあったのですが、Img_5571c コースは、こちら、桑名七里の渡し公園を通っていくようになっています。現在、拡張工事中で、7月末には修景池などができる予定。ここは、国営木曽三川公園の一部(住吉地区)。
Img_5575c 桑名七里の渡し公園の北隣が六華苑。二代目諸戸清六の邸宅として大Img_5577c 正2(1913)年に完成。鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、和館や蔵、池泉回遊式庭園などがあります。ここが最終立ち寄りポイントですが、今日はパス(微笑)。周りを回って来ただけ。
Img_5256c このあと、本来であれば1.5㎞ほど歩いて、桑名駅がゴールになるのですImg_5592c が、六華苑とわが家は目と鼻の先。右の写真をご覧ください。わが家の玄関先から撮ったもの。毎日、この景色を見下ろして暮らしています(微笑)。そこで、本日の近鉄ハイキングは、六華苑の周囲を回ったところで、いわば「途中下車」(苦笑)。それでも益生駅からは、7.7㎞を歩いて、12時に勝手に自宅にゴール(爆)。朝、桑名駅までのほぼ1㎞を加え、本日の歩行距離は、8.7㎞、ほぼ3時間でした。
Img_5593c あみま倶楽部のスタンプは、14個目をゲットできました。ほぼ半年での成果。夏場はハイキングも少なくなりますが、現在の会員有効期間の12月までには20個は達成できそうです。今日のハイキングは、勧学寺、春日神社、住吉神社についての詳しい記事を別途書くつもりです。

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2018年6月 3日 (日)

20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その3)……萬古神社からゴールの近鉄・川原町駅へ(完)

201805123  5月12日に出かけた近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”のその3です。もう6月ですから、いい加減にキリをつけないとと思い、大車輪であります(笑)。

Img_4201c_2 萬古神社は、昭和10(1935)年に萬古陶磁器商工組合によって創設された、新しい神社です。氏子地域はImg_4203c 特になく、崇敬者の方々によって維持されています。鎮座地は、四日市市陶栄町。まさに陶器が栄えるように名付けられたような名前。御祭神は、埴安彦神(ハニヤスヒコノカミ、土を司る神様)、埴安姫神(ハニヤスヒメノカミ)、罔象女神(みつはのめのかみ、水の神)、火産霊神(ホムスビノカミ=迦具土神(カグツチノカミ)、火の神)。さらに、萬古焼の創始者である沼波弄山(ぬなみろうざん)も祀られています。
Img_4207c_2  ちなみに、埴安神の「ハニ」(埴)は粘土で、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意味といわれます。埴安神は、イザナギとイザナミの間に産れた諸神の一柱です。「日本書紀」では埴安神とされます。「古事記」では、火神を産んで死ぬ間際のイザナミの大便から波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の二神が化生したとしています。埴山彦神・埴山姫神の二神は、埴安神と同一の神格で、彦・姫の二神を一神の名として称したのが埴安神であるとされます。境内には、この写真のように、萬古焼でつくったと思われる説明板もありました。
Img_4213c 境内は狭く、萬古まつりのため大賑わい。イベントのためのテントも張られImg_4215c ていて、拝殿の全体像の写真をとることは不可能。拝殿はけっこう立派で、御神酒がたくさん供えられていました。
Img_4219c
 「萬古神社」の額は、公爵「一条實孝」の書によるとあります。一条実孝(1880~1959)は、明治から昭和時代前期の軍人、華族。いわゆる五摂家の一つですが、萬古神社と何か関係があるのでしょうか? 蟹江のJRさわやかウォーキングでも(JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その1)……蟹江町歴史資料館、蟹江城址、秋葉神社他)、秋葉神社の社名標を五摂家の一つ、二条弼基が揮毫していましたが、こういう方々は地元と何か関係があるのでしょうかねぇ? よく分かりません。
Img_4217c こちらの奉納された「絵馬(といってよいのかどうか? 絵馬は、 ご祈願やお礼参りの際に神社に奉納する絵を描いた板だそうですから、あながち間違ってはいないような気もします)」。何気なく写真を撮ってきたのですが、よく見ますと、「奉納」という文字に向かって左横に縦に「加藤清正 名古屋城手植松」とありました。名古屋城築城に参加した加藤清正公がお手植えになった松の木からとった板を使ったということでしょうか? 「木下賢山」は、萬古焼の名工の方のようです。ネット情報では、これ以上詳しいことは不明。
Img_4249c 境内にはいろいろな石碑などもあったのですが、まず目を引いたのは、こちらの灯籠。茶色をしています。陶器製に間違いありません。さすがというしかありませんが、由来などは不明。このほか調べてみると、拝殿の向こうに陶製の狛犬があるとか、網に囲われた、陶製の恵比寿様のような像が2体あるとか、いろいろとあとから分かったものの、当日の賑わいでは気づきませんでした。
Img_4224c 狛犬チェック。拝殿前の狛犬は、ごく普通のものでした。Img_4228c といっても、知識のある方がご覧になると、どういうタイプであるなど詳しいことが分かるかも知れません。
Img_4232c その他、順不同になりますが、境内にあったものを見てImg_4265c いきます。こちらは、境内の北側にあった石碑。「萬古神社祭神」と刻まれていると思います。碑陰には、「昭和十年四月十五日建之 宮田小右衛門」と読めました。神社が創始されたときのものかと思います。
Img_4236c こちらの石像は、大正時代に登り窯からImg_4238c 石炭窯へと萬古焼の技術革新に貢献した森太郎右衛門の像です。台座の正面には、「太郎右衛門碑」と刻まれていると思います。向かって左には、「大正十二年十一月建之 萬古窯○有志者 勲七等青色桐葉章 山本忠太郎叙勲 子弟 西野與次」とあります。この石像はもともと阿倉川の唯福寺にあったものを昭和52(1977)年4月にここに移築しています。田端山唯福寺は、四日市市東阿倉川にある浄土真宗大谷派のお寺。四日市における萬古焼は、幕末に唯福寺の住職が信楽の陶工・上島庄助を招いて窯を開いたことに始まるといわれ、唯福寺の境内には「海蔵庵窯跡」碑があり、門前には「四日市萬古発祥之地」と刻まれた石碑もあるそうです。
Img_4261c こちらは、鳥居の北に建つ「山中忠左衛門翁顕彰碑」。山中忠左衛門Img_4256c は、末永村(三重県四日市市橋北地区)の人。幕末~明治時代の陶工で、嘉永(1848~54)の頃、森有節の萬古焼の製法をまねて急須などを製作し、その製品は新萬古焼とよばれ、四日市萬古焼の父とされています。この顕彰碑は、昭和40(1965)年6月に、熊本貞治郎、山本貞三のお二人の「国家褒賞受賞記念」として、萬古陶磁器工業協同組合、萬古陶磁器卸商業協同組合との連盟で建てられています。
Img_4252c こちらは、田中七草(1899~1987)の句碑。「更紗文 あかき古陶や 春Img_4254c ふかむ」と書かれているそうです(達筆すぎて、読めません……涙)。七草は本名を雄吉といい、東大医学部出身の産婦人科医。昭和医学専門学校教授の後、四日市で開業。「ホトトギス」に出句、のちに「馬酔木」に入会し句歴を重ねた。30年には「四日市馬酔木会」を結成し、36年には「馬酔木」同人に推挙されています。この句碑は、昭和61(1986)年5月に三重馬酔木会が建立。田中七草の説明は、こちら(pdfファイル)の12ページ、「シリーズ郷土の偉傑⑩」にあります。
Img_4243c 陶製灯籠の傍らにあった石柱。「大巧若拙 四日市市長井上哲夫」と刻まれています。碑陰を見ると、萬古陶器卸商業協同組合が記念植樹をした時のものでした。平成12(2000)年11月に建之。井上哲夫は、弁護士。参議院議員を一期(1989~1995年)務めた後、第15代四日市市長(3期、1996~2008)。
Img_4207c_3 境内には、萬古焼でつくられたものが他にもあります。左Img_4205c_2 は、由緒書きというか、萬古神社の説明。右は、萬古焼の説明ですが、こちらは色が薄れてほとんど読み取れません。
Img_4247c 神社では、萬古まつりのイベントが開催されていました。テントが張られ、Img_4251c ブルーシートを敷いた仮設「舞台」も。いささか高齢のフラガールのダンスや、歌なども行われていて、けっこうな人気。テントの下の椅子席はほぼ満杯。小生も、なぜかしばし見てしまいました(苦笑)。
Img_4268c 萬古神社に到着したのは、12時20分頃。境内は賑わっていたのですが、Img_4270c お腹も空いたので、ここで持参のおにぎり2個で昼食。大賑わいのお陰で、上に書きましたように気づかなかったものもあったのですが、これでこの日のハイキングのスポットはすべて制覇。萬古まつりが行われているとおりに出ると、ゴールの近鉄名古屋線・川原町駅はすぐそこ。
Img_4272c 川原町駅には、12時40分到着。近鉄富田駅を9時40分にスタートして、右の地図のコースをたどって3時20180512 間。約8.9㎞。川原町駅は、近鉄四日市駅から1駅名古屋方向。平成28(2016)年5月に高架化工事が完了した新しい駅。
Img_4280c ホームの駅名表示板には、「萬古焼の郷」とあります。ウ~ム、もともと桑名発祥の萬古焼なのに、すっかりお株を奪われています。12時54分発の名古屋行き準急に乗車。桑名着は、13時11分。¥300。
Img_3875c ところで、あみま倶楽部のスタンプは、この日で11個目をゲット。萬古まつりで萬古焼の品物をはじめとしていろいろと店が出ていましたが、何も買わず仕舞い。ということで、今回は、お土産も、食レポもありません。これにて「完」。

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20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その2)……ロングビーチ通りで環水平アーク、パークブリッジ、コチドリのヒナ、三滝公園からいよいよ萬古まつりへ

Img_3963c  前回のその1(20180512近鉄ハイキング“四日市港ポートビルからの眺望と賑わう「四日市萬古まつり」を楽しむ」”へ(その1)……冨田一本松と四日市港ポートビル、うみてらす14)では、無事に四日市港ポートビルを見学し終えましたので、個人的にはこの日のハイキングの主要目標は達成してしまった感じ。これでテンションが下がった訳ではありませんが、その後バタバタとしていて、続きを書くのが遅れました。
Img_4089c 四日市港ポートビルのあとはいったん霞大橋まで戻り、そこから四日市港にある公園沿いを三滝川の手前まで南下します。霞大橋のすぐ南には、米洗川(よないがわ)の樋門があります。この米洗川は、天武天皇が壬申の乱で、奈良の吉野を離れて鈴鹿を経て三重県に入り、迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したという記録が日本書紀にありますが、その迹太川は現在の米洗川とされます。「天武天皇迹太川御遥拝所跡は、昨年12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で訪れたところ(近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完) )。ここに流れてきていると思うと、ちょっとした感慨(微笑)。
Img_4082c 米洗川の樋門を過ぎてしばらくは、「ロングビーチ通り」と名付けられた通Img_4092c り。ここは、霞ヶ浦緑地の東側。四日市市が、アメリカ・カリフォルニア州ロングビーチと、姉妹都市だからのようです。近くを歩いておられた女性2人連れが、「え~っ!? ここがロングビーチ!」などといっておられましたが、小生には何ともいえません。ロングビーチの名前は知っていますが、どういうところか知らないのです。単なる「長い海岸」のようでもあります。
Img_4096c ここ霞ヶ浦緑地は、海岸線に沿った南北に長い公園です。まさに「ロング・ビーチ」。そのロングビーチ通りあたりの西側には、こんな遊具があり、家族連れで賑わっていました。霞☆ゆめくじらというようです。この先、南側部分は野球場、サッカー場、四日市ドームなどのスポーツ施設があります。
Img_4097c ここですごいものを発見(微笑)。他の参加者は、どなたも気づいておらImg_4098c れなかったと思います。これは、おそらく「環水平(かんすいへい)アーク」。虹の一種ですが、太陽と同じ方向に現れ、水平の帯の形状をしています。大気光学現象の一種で、太陽の下46度の水平線上の薄雲に虹色の光の帯が見えるもの出そうで、たぶん条件を満たしていると思います。過去に2回、見ています(2013年4月23日:これも虹?……「環水平アーク」という珍しい虹でした、そして、市博物館の”五霊硯と酔李白図”展……テレビロケで写ったかも!?、2017年5月15日:「環水平アーク」再び……ムクドリのバトルと、ツバメの巣の巡回結果も)。
Img_4103c 港の方では、シギの仲間を発見。かなり遠かったので、ハッキリとは捉えられず。何でしょう? キアシシギ??
Img_4112c その後、ずっとひたすら歩きました。霞ヶ浦緑地には、運動施設がたくさん集まっています。左の写真は、テニスコート。今年度は、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)が三重県で行われますが、このテニスコートも会場のようで、きれいに整備されていました。
Img_4119c こちらは、四日市ドーム。内部は、人工芝のアリーナと観客席。サッカーImg_4125c などのスポーツの他、各種展示会、フリーマーケット、コンサートなどが行われます。家内は、2年前にここで行われた小田和正のコンサートに行ったことがあります。
Img_4128c 野球場も2つあります。夏の甲子園の予選の一部もここにある霞ヶ浦第Img_4131c 一野球場で行われます。この日も、アナウンスなどが聞こえていましたので、第一球場をちょっと覗いたら、少年野球の試合が行われていましたが、暑かったので、先を急ぎました。
Img_4134c 霞ヶ浦緑地公園の先には、海蔵川が流れています。ここにかかる橋が、Img_4136c 霞ヶ浦パークブリッジ。ブロ友のひらいさんが冬にバードウォッチングに来られるところ。来シーズンからは、小生もと思います。
Img_4138c 橋から見る下流側は、左の写真のような眺め。向こうに見える煙突は、中部電力四日市火力発電所のもの。今日は、コサギ1羽と、カImg_4142c ルガモ2羽の姿がありました。それにしても暑い(苦笑)。ひたすら歩き続けます。
Img_4152c  公園地帯も、霞パークブリッジまで。橋を渡ったところは、四日市市午起。この「午起」という地名がずっと気になっていました。こちらのサイトに「元祿15(1702)年の午年に三重郡四日市町と浜一色村が新田開発したことによる」とありました。
Img_4157c_2 それはともかく、中部電力四日市火力発電所西にある空き地、気になりImg_4161c ました。ケリやコチドリなどが営巣しそうなところなのです。よくよく目を凝らしてみたら、何やら動くものが見えます。こういうこともあろうかと思って、この日持参したカメラは、超望遠コンデジ。威力発揮であります(微笑)。
Img_4165c 近鉄ハイキングに来て、バードウォッチングができるとは、まさに「一石二鳥」です。コチドリを見て、写真を撮っている間にも他の参加者の方々が通過していきますが、「こいつ、何してんだ!?」という視線を感じました(笑)。
Img_4179c 国道23号線の1本東の道を歩いてきましたが、午起交差点の手前(北)でImg_4181c 歩道橋を渡って、23号線の西へ。JR関西線の踏切を渡ったのですが、この踏切の名前が傑作。「第一天然踏切」とありました。踏切の写真を集めて掲載していらっしゃるサイトはありましたが、名称の由来はよく分かりません。
Img_4187c 出発した近鉄名古屋線・富田駅からほぼ7㎞、ちょうどお昼頃、三滝公園の前に到着。暑い中を歩いてきましたので、汗も掻き、いささかお疲れではありましたが、ここまで来ると、萬古まつりの会場まで1㎞ほど。このまま歩くことにしました。三滝公園は、正面入口に噴水があり、また、テニスコートがたくさんあって、スポーツも楽しめるようです。
Img_4193c ほぼ8㎞、国道1号線の川原町交差点にたどり着きました。ここから西で萬古まつりが開かれています。今年は、このハイキングに行った5月12日(土)と、13日(日)の2日間、萬古まつりが開かれています。ここも、近くにいて、まつりそのものは知っていながら、来たことがなかったところ(微笑)。近鉄さん、JRさんのお陰でいろいろなところへ来られます。
Img_4195c 萬古焼の業者の方の店以外にも、普通の露店も多数出ていて、かなりImg_4196c の賑わい。四日市駅からシャトルバスも出ていました。中京テレビのクルーも取材に来ているのを見ました。このあたりは、四日市萬古焼と称しています。四日市市の代表的な地場産業です。耐熱性の高さを活かした紫泥の急須や土鍋が有名で、とくに土鍋の国内シェアは、7、8割を占めるといわれています。最近では、豚を模った蚊遣器「蚊遣豚」でも知られています。市内の橋北地区と海蔵地区で萬古焼が盛んです。
Img_4199c 店はいくつか覗いてみたものの、買い物の許可が下りていませんから、見ただけ(苦笑)。萬古焼の土鍋は、家の中を探すとどこかから出てくるはずです。急須は欲しい気もしますが、小生自身は常滑焼の、あの赤い急須になじんでいます。
Img_4200c まつり会場の通りの近くには、ばんこの里会館。萬古陶磁器振興協同組Img_4263c 合連合会が運営しており、陶芸教室、即売店(うつわ亭)の他、にじいろ堂というシェフが日替わりでランチを提供する店もありました。この日は、その他にも臨時の店がいくつも会館内に出ていて、ごった返していましたので、ざっと見ただけ。
Img_4201c ばんこの里会館から道を挟んで向かいに萬古神社があります。今日、訪Img_4207c れたかったところのもう一つ。新しくて、小さい神社でしたが、ここもワンダーランドそのものでした。長くなりますので、萬古神社は、その3で書くことにして、今回はここまで(続く)。
 

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2018年6月 2日 (土)

「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ(完)

Img_4577c

 よく晴れて、暑い日になりました。若干迷ったものの、予定通り、「近鉄あみま倶楽部30周年記念ハイキング ~ものづくりのまち・四日市探訪~ 伝統工芸、老舗の味を満喫。わくわく感いっぱいの四日市を楽しもう!」へ行ってきました(微笑)。近鉄名古屋線・塩浜駅が受付、日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、伝統工芸日永うちわ「稲藤」、御菓子司東京堂、四日市市立博物館・四日市公害と環境未来館などを回り、四日市ふれあいモール(名古屋線・近鉄四日市駅)がゴールという約10㎞のコース。
Img_4581c もうお馴染みになりました。こちら、近鉄名古屋線・塩浜駅(西口)。桑名駅を9Img_4578c 時1分の五十鈴川行き急行に乗車し、9時18分着。¥350。冒頭の写真にあるマップをもらい、9時25分にスタート。今回は、テーマにあるように、あみま倶楽部30周年記念ということで、ピンバッチをもらえました。
180602kintetsuhikingyokkaichi1 塩浜駅は、四日市市南部の工場地帯にあります。そこから西へ向かって、180602kintetsuhikingyokkaichi2 東海道と参宮海道(伊勢街道)の追分から、しばらく旧・東海道を歩きます。その後、国道1号線を経て、旧・東海道に戻り、浜田城跡の鵜の森公園(鵜の森神社)から四日市市立博物館や、じばさん三重を見て、近鉄四日市駅がゴールというコース。実は、初めて訪れたというところは、御菓子司東京堂さんくらい(ただし、ここ、今回は前を通過したのみ)。日永の追分、東海道日永郷土資料館、伊勢蔵、日永神社、日永一里塚跡、名残の一本松は、去年12月17日のJRさわやかウォーキングで来ました(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完))。このときは、笹川を経て、四郷にある神楽酒造訪れています(雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2))。
Img_4787c 今日は、こちら、四日市市立博物館がコースにありました。明日までここImg_4789c で、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」が開かれており、これが見たかったので、暑い中を出かけてきたという次第。パンフレットのpdfファイルは、ここにあります。写楽、歌麿、北斎、広重などの浮世絵が見られます。小生はとくに、東海道五十三次など、浮世絵に描かれた四日市が見たいと思ったのです。5月31日から、広重と北斎の4点について、「初摺」と「後摺」が比較できるようになったといいますので、これは是非と思った次第。
Img_4593c さて、スタートの塩浜駅からは少し南下した後、西に向かいます。このあImg_4599c たりは、工場地帯。昔は、公害、四日市ぜんそくなどが問題となったときの中心でした。今は、すっかり改善されていますし、緑地公園などもたくさんあります。左は、中里緑地
Img_4591c 今日のコースマップは、冒頭の写真にもありますが、詳細なもので分かりやすいパターンでした。それに、こんなことを書くと失礼なのですが、近鉄ハイキングでは珍しく、コースに誘導の矢印がたくさん掲出されていました。
Img_4605c 出発から2㎞ほどのところに川尻公園があります。すぐ西をJR関西線がImg_4606c 通っています。すでに休憩をする方も多かったのですが、小生は、石碑に目が向いてしまいます。ただし、この字体(何という字体かさえ、よく知りません)、読みにくいのです。
Img_4608c 「故村長石榑君之碑」と書いてあるようです(本文の上部にもありましImg_4610c た)。河原田村の村長兼藍浜村の村長であった石榑君が亡くなって数年経ってから建てられた顕彰碑と思われます。詳細は不明。また、この公園には、右の写真にあるように、「明治百周年記念桜」と刻まれた碑もありました。こちらは、昭和43(1968)年に明治百年を記念して百本植樹したと碑陰にあります。ただし、この碑が建てられたのは平成7(1995)9月に、四日市市制施行100年を記念してのことです。
Img_4620c 塩浜駅から3㎞半近く、日永の追分に到着。時刻は10時10分。東海道伊勢街道(参宮海道)との追分。この写真は、北を向いて撮っています。奥から来て左に向かうのが、東海道であり、現在の国道1号線。右手前に来るのが、伊勢街道となっています。鳥居は桑名の七里の渡しに建てられた伊勢一の鳥居に対して、二の鳥居と呼ばれました。
Img_4622c
 大賑わい(笑)。常夜灯やら、道標やらがありますし、ここには清めの手水所もあります。この水は、西に位置する丘陵地(泊山(登城山))からの湧水です。昭和4(1929)年、地元実業家・稲垣末吉が、泊山に別荘を建てた時、掘った井戸からとても良い水が湧き出したので、自費で配管を敷設して、日永の追分まで引き、旅人達に供したのだといいます。「追分鳥居の水」と呼ばれ、名水の評判が高く、たくさんの人が汲みに来ます。
Img_4638c こちらは、2枚前の写真とは逆に、北から南を見て撮っています。手前かImg_4640c ら右に向かう道が、国道1号線(東海道)。左端に見えているのが県道103号線(伊勢街道)。次に向かう前に、近くにある三重銀行追分支店の裏の地蔵堂をチェック。昨年12月17日のJRさわやかウォーキングの時に見逃していたのです。由緒書きはなく、ネット検索でもそれらしい情報は出てこず、詳細不明。
Img_4649c このあとは、東海道日永郷土資料館が立ち寄りスポットですが、昨年12Img_4650c 月17日のJRさわやかウォーキングで来ていますので、前を通過。そのまま次の立ち寄りポイントである伊勢蔵へ。味噌、醤油の醸造元。ここも、JRさわやかウォーキングで来ていますが、今回は蔵も見せていただけるということで寄って来ました。
Img_4657c 大正3(1914)年創業。現在は、4代目と5代目が伝統を守っておられまImg_4659c す。工場の中は、味噌のよい香りが漂っていました。杉桶を使っておられます。今回も味噌汁の試飲サービスがありましたが、暑くなってきたということもあって、冷やし汁になっていて、ありがたく頂戴。
Img_4664c 東海道日永郷土資料館や、伊勢蔵の前の道は、旧・東海道です。桑名Img_4667c の七里の渡しから、富田まではきちんと歩きましたが、その先は、細切れにしか歩いていません。取り敢えず、三重県内は歩き通したいと思っていますが、夏を越えてからでしょうか(微笑)。
Img_4674c この先に、名残の一本松があります。旧・東海道の東側に立っていまImg_4676c す。かつて、ここ日永の集落と、泊村の集落との間は、家は一軒もなく、松並木の縄手道だったそうです。今では、この一本松だけが今に残り、往時を偲ぶよすがになっています。そのため「東海道名残の一本松」と呼ばれているのです。たくさんあった松は、戦時中、松根油を採ったためほとんどなくなったといいます。
Img_4686c 名残の一本松からさらに北、民家の間にひっそりと日永一里塚跡の石碑Img_4684c が建っています。スタートの塩浜駅からはほぼ5㎞。県指定史跡(昭和13(1938)年4月指定)です。四日市市内には4ヶ所の一里塚がありました(富田、三ツ谷(海蔵川の北詰)、日永、釆女(杖衝坂を登りつめたあたり))。日永の一里塚は、江戸からちょうど百里だそうです。塚自体はすでにありません。コースマップにも書かれているのですが、ハイキング参加者はほとんど素通り。「東海道分間延絵図(とうかいどうぶんげんのべえず)」(文化3(1806)年)によれば、西側の塚に松の木3本、エノキ1本、東側の塚にエノキ1本が描かれています。
Img_4688c このあとは、浄土真宗高田派の雲祥山西唱寺の前を通ります。前回、境Img_4706c 内にあるはずの水道記念碑を見忘れたのですが、今日も予習不足で、完全に失念。大失態でした……苦笑)。日永神社の手前には長命山薬師堂。JRさわやかウォーキングで立ち寄りましたので、今回は通過。市指定文化財である薬師如来座像が納められています。
Img_4708c 日永神社に到着。このあたりは、すべて昨年12月17日のJRさわやかウImg_4710c ォーキングで来ています。主祭神は、天照大御神。詳細は、「雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)」をご参照ください。ここで、スタートから5㎞半、時刻は10時45分頃。
Img_4714c ということで、小休止。いわば、「もぐもぐタイム(微笑)」。家から持参した「へんば餅」を1個。これ、好物なのです(微笑)。家内の母が、先日、旅行に行った先のお土産に買ってくれたもの。ついでに、余計な講釈。変わった名前ですが、安永4(1775)年に創業。伊勢の宮川のほとりに茶店を設け、餅を商ったのが初め。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休んで、馬を返し、参宮したため、いつしか「へんば(返馬)餅」と名づけられたというのです。三重県内の東海道、伊勢街道は、別名「餅街道」と言われるくらい、さまざまな餅があります。桑名、四日市では「なが餅」が有名。
Img_4702c ついでにもう一つ余談。日永あたりを歩いていましたら、あちこちにこの「つんつく踊り」のチラシが貼ってありました。この近くにある天白川の堤防を築く(つんつく)ために、村人が参加したときの踊りが始まりといわれます(四日市市指定無形民俗文化財)。2020年には発祥400年目を迎えるそうです。
Img_4728c 一休みして、笹川通りに出ます。ここで、日永うちわの製造・販売をしている「イナトウ」へ。日永うちわは、丸い竹をそのまま使った「丸柄」のうちわです。女竹を使っていますので、竹が弓のようにしなり、扇ぐ風が柔らかくなびくという何とも優雅な持ち味をかもし出すといいます。四日市に住んでいた30年ほど前から知ってはいるのですが、なかなか手は出せません。今回もざっと拝見してすぐ出て来てしまいました。
Img_4730c このあとはすぐに国道1号線に出て、2㎞以上北東へ進みます。途中、天Img_4735c 白川、鹿化川などを渡り、四日市南警察の前を通って、中央緑地を過ぎます。28.50haもある、大きな公園です。体育館、陸上競技場、野球場、プールなどなどがあります。余談ですが、愚息が家内のお腹に入っているとき、何度か来た思い出があります。
Img_4748c スタートから8㎞を過ぎる頃、国道1号線を離れ、再び旧・東海道へ。11時Img_4749c 半近くです。ここで、御菓子司東京堂さんに立ち寄るのですが、小生は、前を通過。都饅頭を割引価格で買えたそうです。こちら、昭和4(1929)年創業ですが、もともとは東海道沿いの宿場町でお茶屋として営んでいたそうです。
Img_4757c 四日市の中心街に入ってきました。東京堂さんからほど近いところに、鵜Img_4770c の森公園、鵜の森神社があります。ここも何度か来たところで、旧・浜田城跡。たぶんここがコースにあるだろうと思い、ここでお昼にしようと考えてきていました。ファミマの弁当を買ってきましたので、ここで昼食&休憩。今日は、お稲荷さんがいいなということで右のような弁当。弁当を食べ終わって、休憩していたら、大阪からいらした、80歳の男性が同じベンチにやってこられました。たいそうお元気な方で、日頃、英語とスペイン語の勉強(NHKのラジオ講座)、テニスに水泳(昨日も1㎞泳いだとおっしゃいました)、最近囲碁を始めたとも! いやぁ、ひっくり返りそうになりました。60歳以降が人生は面白い、忙しいとおっしゃっています。
Img_4786c この方と、次にはじばさん三重へ。ここの1階にある「三重名品館」では、三重県北勢地域の代表的な地場産品が展示、即売されています。この80歳男性をご案内しながら、お話ししていたのですが、「あなたはここで何を買うの?」と聞かれ、若干クエスチョンマークが点灯(微笑)。80年生きていらっしゃるといろいろおありでしょう。知り合いの方がいらしたので、バトンタッチして、小生は、四日市市立博物館へ。最初に書きましたように、「開館25周年記念 特別展浮世絵十人絵師展」を見てきました。本来、入場料は¥800なのですが、ハイキング参加者は2割引で見られました。
Img_4791c 今日の近鉄ハイキングは、あみま倶楽部30周年記念ということで、会員Dscn7026c にはお楽しみ抽選会がありました。塩浜駅で、「抽選会用番号カード」をいただいていたのです。ゴールの四日市ふれあいモールに当選番号が出ているということで、期待してゴールインしたものの、残念ながらそうそううまい話はありません。いただいたのは、ポケットティッシュ1つでした(爆)。
Img_4794c ガッカリして、ゴール地点の写真を撮り忘れました(苦笑)。ゴールは、13時52分。スタートから4時間35分余り。歩いたのは、10.3㎞ほど(拙宅から桑名駅往復で、さらに+2.3㎞で、合計12.6㎞)。近鉄四日市駅を14時10分に出る名古屋行き急行で帰宅。桑名駅到着は、14時22分、¥300。しっかり歩きましたし、暑くてかなり汗を掻き、干からびそうでした(笑)。今日のビールは、格段に美味しいものとなりました。

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