歴史散歩

2017年8月12日 (土)

雨の中、長良川河口堰でカワセミを確認……伊勢大橋で第2次大戦の弾痕も

Dscn2299_800x600

 昼前からは晴れてきたのですが、午前中出かけたときは、相当の雨風にやDscn2277_800x600 られました(苦笑)。出かけた場所は、右の写真のとおり、長良川河口堰であります。出るときに空模様が怪しく迷ったのですが、エイヤッと勢いで来てしまいました。
Img_8414_800x560 そのお陰で、長良川河口堰にてカワセミを初めて確認できました(微笑)。ブImg_8420_800x545 ロ友のひらいさんが、昨日(2017.08.11 河口堰にて)、カワセミをご覧になったというので、早速やって来たのです。東側の魚道のところに2羽いました。しかし、到着前から雨が降り始め、こんな証拠写真しか撮れませんでした。
Img_8429_800x584 色があまりよく出ておらず、嘴の色も定かではありませんので、雌雄の判別は困難。しかし、このまましばらくいてくれれば、また挽回のチャンスも出てくると期待しています。
Img_8406_800x564 さて、カワセミを確認したあと、周りを見ますと、魚道の東側、上流にはコサImg_8439_800x550 ギが2羽。この2羽、魚道の水路を挟んでいたのですが、何やら動きがシンクロしているようにも見えました。このあと、飛び去って行きましたので、詳細は不明。下流側には、コサギらしき姿が1羽(右の写真)。
Img_8476_800x555 遠く、西に見える鈴鹿の山並みの方には晴れ間もありましたので、そのままImg_8457_800x566 河口堰を渡ることにしました。堰西側の閘門アプローチ、上流側にはアオサギ。ひらいさんの真似をして、伊勢志摩ライナーとセットで(左の写真)。近くには、ダイサギとコサギも(右の写真)。コサギは他にもう1羽いました。
Img_8495_800x533 閘門の下流側には、コサギ3羽と、カワウ1羽。カワウも一頃に比べるとDscn2276_800x600 減ってしまいました。ここまで来たのはよいのですが、雨がかなり強くなってきました。「雨中のバードウォッチング」であります(苦笑)。風も強く、折りたたみ傘が煽られます。
Img_8538_800x519 一時は、この左の写真に写っているくらいの雨。ダイサギかコサギらしき姿が2羽写っているのですが、ハッキリ確認できません。やむなく、閘門アプローチの上の通路へ避難。
Img_8503_800x553 小降りになってきたので、東に戻りますが、その前に西側の魚道あたりをImg_8518_800x534 もう一度確認。コサギが、魚道の水路に降りていました。魚道のさらに上流、橋の下にもう1羽のアオサギを発見。まさか雨宿りをしているのではないと思いますが……。
Img_8522_800x591 先ほど伊勢志摩ライナーとセットで撮ったアオサギさん。側にコサギがやって来ていました。前傾姿勢になっているのか、風がけっこう強かったからです。傘やカメラを持って行かれそうになるくらいの風も吹きました。
Img_8561_800x591 堰の東に戻ってきましたが、いくら待っても、もうカワセミの姿は出てきまImg_8569_800x587 せんでした。代わって、下流側にアオサギ。餌をゲットしようという様子もありましたが、獲物はありませんでした。右は、堰上流側にいたコサギ。このあとすぐに飛び立ちました。
Dscn2285_522x800  ということで、雨には降られたものの、長良川河口堰で初めてカワセミを確認できたので、成果は大いにありというところです。アクアプラザながらの2階展示室には、左の写真のように、「河口ぜき周辺で見られる留鳥たち」というパネルがあります。が、カワセミは含まれていないのです。カワセミが継続して確認できるようになったら、ここに追加してもらわないといけないかも(微笑)。ちなみに、ゴイサギ、なたね通信さんのブログによれば(最近個体数が少ないゴイサギ)、最近三重県内でも減少しているというお話で、ちょっと気になります。
Dscn2296_800x600 せっかく揖斐長良川を渡ってきましたので、あの臨時駐車場の様子を見Img_8585_800x533 てきました。しかし、カワラヒワやヒバリが少しいただけで、コアジサシや、コチドリ、ケリの姿は全くなし。ここは、なばなの里の、あの巨大イルミネーションのちょうど裏。もう足場のようなものが組まれていました。今年はどういうテーマなのでしょう? といいつつも、小生は一度も見に行っておりません(苦笑)。
Img_8595_800x533 終戦記念日を前にして、関連した話題を1つ。今までも見たいと思っていImg_8597_800x533 たのですが、なかなか機会がありませんでした。帰り道、ちょうど伊勢大橋の東の端で止まり、上を見上げたら、第2次大戦中の弾痕を確認できました。伊勢大橋は、スパンが15ありますが、最も東のところです。「桑名の戦争遺跡(桑名しるべ石勉強会発行、2012年)」によれば、この弾痕は、昭和20(1945)年7月30日の米軍艦載機の機銃掃射によるものだといいます。

| | コメント (4)

2017年7月27日 (木)

今日も会議……昼休みに「元市長 貝塚栄之助氏頌徳碑」を見る

Dscn1660_480x640_2  昨日とは打って変わって、どんよりした一日でした。今日は、一昨日に続いて、市役所で会議。9時から始まり、若干延長されて、5時半頃終了でした。「怠け者の節句働き」で、急にフルに働く日々が続きましたので、疲れました(苦笑)。これでは、もう一度どこかに勤めようと思っても、役に立たないこと必至であります。委員長の先生を初め、事務局を担当してくださった先生方は、さぞお疲れのことと思います。毎年、委員長の先生は、「土曜日の花火大会を楽しみに、この会議を乗り切ろうと思っています」とおっしゃいます(微笑)。
Dscn1671_480x640_2 今日は昼休みが45分ほどありましたので、弁当を食べてから市役所の周りDscn1661_640x425_2 を歩いて一回りしてきました。少しでも身体を動かそう、歩こうということです。市役所の北広場の片隅で、元桑名市長の貝塚栄之助氏の胸像を見つけました。「見つけました」などとエラそうに書いていますが、しっかり意識していなかっただけです。右の写真のように、北庁舎の脇にあります「ちなみにこの建物を北庁舎と呼ぶことも、2~3年前まで知りませんでした。昔々は、図書館だったように記憶しています。
Dscn1672_490x640_2  貝塚栄之助氏は、貝塚卯兵衛の三男。長男、次男が相次いで早世したため、貝塚家の家督を継いでいます。明治15(1882)年生まれ。三重県立一中学(現・津高校)、東京高等工業学校(現東京工業大学)電気化学科を卒業し、名古屋電燈に入社しています。その後、松阪工業学校(現・松阪工業高校)の教員をしたのですが、大正4(1915)年に父の死去に伴い家督を継いでいます。当時の貝塚家は大地主でしたが、栄之助氏は実業界へ乗りだしたということです。大正7(1918)年に名古屋で高岳製作所(現東光高岳)を設立し、社長となり、23年間務めました。その後、さまざまな企業の社長を務めた後、桑名町名誉助役(昭和5((1930)年)を経て、昭和9(1394)年4月に桑名町長に推薦されます。さらに、昭和12(1937)年には西桑名町と合併して成立した桑名市の初代市長となり、それ以後、戦中の激動期を市長として激務をこなした人物です(西羽晃先生の桑名歴史ニュースの関連記事は、こちら。また、中部電気協会のサイトにも記事があります。ここをご覧ください)。栄之助は昭和20(1945)年6月に桑名市長を退任しています。
 ちなみに、栄之助は2女・2男に恵まれました。長女の美代さんは昭和8(1933)年4月3日に京都の都ホテルで、京都帝国大学(現・京都大学)教授の小川茂樹氏と結婚しました。その後、貝塚家は連続して不幸に見舞われ、長男は戦死、次男は病死。跡継ぎがいなくなってしまったため、長女と結婚していた小川茂樹氏を昭和20(1945)年3月に貝塚家の養子としています。小川茂樹氏は、貝塚茂樹となったのですが、家業を継ぐことはなく、学者として研究活動を続けることを許され、生活費も栄之助から援助されたといいます。
 昭和20(1945)同年7月には、アメリカ軍の空襲で船馬町の自宅も内堀の別邸も焼失しています。敗戦後は財産税と農地解放で大きな打撃を受け、栄之助は昭和22(1947)年に永眠しました。
 今日見てきた「元桑名市長貝塚栄之助氏頌徳碑」は、栄之助の遺徳を偲び、昭和30年に建立されたものです。また、昭和44年には、もと貝塚家の別邸のあった、桑名市内堀(九華公園の南)に「貝塚公園」が開園しています。ここには、「桑名空襲慰霊之碑」も建てられています。貝塚公園でお目にかかる年配の方からは、「ここは風呂場のあとだ」といったお話を伺うことがあります。
 さらに余談を続けますが、貝塚茂樹氏は、東洋学者、中国史学者。専攻は古代中国考古学です。学生時代に、貝塚先生の論語や中国の歴史についての岩波新書を読んだ記憶があります。ただし、「読んだ記憶がある」だけで、中身については忘却の彼方であります(爆)。

| | コメント (0)

2017年7月22日 (土)

またもや万助溜公園でチョウトンボ……帰りに照源寺へ

Img_5409_640x427

 万助溜公園へ行ってきました。今シーズン、3回目です。ちょっとチョウトンボImg_5430_640x427 にこだわっているのです(微笑)。9時10分に到着、10時半頃まで粘りました。もう一人、小生よりも年配の男性もいらっしゃり、話をしながら撮ってきました。チョウトンボは10羽以上が飛んでいました。なかなか近いところには来ませんでしたが、青というか、群青色というかそういうタイプと、黒金色のタイプ、両者を捉えることができました。ネットの情報では、メスの一部に黒金色がいるということです。
Img_5422_640x444 この「黒金色タイプ」、金色がきれいです。2枚目の写真と同じ個体ですが、後ろの翅、身体の左側や、前の翅の右側にも少し金色が出ています。大げさに言えば、「虜になります」。
Img_5440_640x457 前回はメタリックカラーに「造形の妙」を感じたのですが、今日は、帰ってかImg_5441_640x442 らパソコンで拡大してみていましたら、翅の付け根あたりの筋肉部分なのでしょうが、そこが素晴らしいと感じました。解像度を落として載せていますので、トリミングしても今ひとつ分かりにくいのですが、右の写真もご覧ください。
Img_5461_640x461 同じようなパターンで恐縮ですが、別の個体で、別の角度から撮ったものでImg_5462_640x465 す。写真がではなく、自然がつくったものは素晴らしいです。
Img_5507_640x447 もう一つ今日、感心してしまったのは、トンボの止まり方。止まるとき、足の使い方と云いますか、捉まり方。チョウトンボに限りませんが、これまた絶妙のような気がしました(笑)。
Img_5532_640x455 その他、今日、万助溜公園で見たトンボたち。左の写真は、ショウジョウトImg_5387_640x447 ンボ。けっこうたくさんいます。右は、シオカラトンボのオス。
Img_5551_640x445 左の写真は、アカトンボの仲間ではなく、ウスバキトンボのように思われImg_5385_640x427 ます。胸の側面に黒条が見えませんので。右は、オオシオカラトンボのオスでしょう。この他、ギンヤンマ、コシアキトンボ、シオカラトンボのメスなども見かけましたが、写真には撮れませんでした。
Img_5542_640x466 モンキチョウ。お尻を葉っぱに付けていますが、何をしているのかと思ったのですが、産卵をしていたのかも知れません(こちらを参照)。
Img_5376_640x431 万助溜公園のハス、まだ楽しめました。7月7日に行ったときがもっとも花Img_5362_640x427 が多く(万助溜公園でチョウトンボ、蓮の花、そしてカワセミ……余談はライギョ)、それに比べれば少なくはなっています。
Img_5360_640x427 もちろん、写真を撮るときはそれなりに見映えがするように撮りますから、全体的にこのように咲いているわけではありません(微笑)。
Dscn1465_640x480 万助溜公園からの帰り道、照源寺(桑名市東方)に立ち寄ってきました。Dscn1474_640x480 このお寺の雰囲気が落ち着いていて、好みの場所なのです。このお寺は、寛永元(1624)年、桑名藩第3代藩主松平隠岐守定勝公(徳川家康公の異父弟)が亡くなられたとき、二代将軍徳川秀忠公の命により、定勝公の子である松平隠岐守定行公(桑名藩第4代藩主)が創建したものです。
Dscn1461_640x480 この時期、境内に鉢が並べられ、ハスが咲くので、毎年見に来ます。たImg_5561_640x470 だ、いつもタイミングが合わなかったりです。今日も咲いていたのは、一輪のみ(苦笑)。
Dscn1481_640x480 久しぶりに境内にある「松平一統墓所」へ。定行公は、松山へ移封されたDscn1482_640x480 のですが、弟定綱公が藩主を継いだので(第5代藩主)、照源寺は、松平家の菩提寺として存続したのです。この「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。
Dscn1484_640x480 2枚前の写真にあるところを上がると、このような案内板があります。右Dscn1496_640x480 の写真が、定勝公とその夫人のお墓。向かって左が定勝公の墓です。
 
Dscn1466_640x480 ということで、本日は、万助溜公園と照源寺という、いささか異質の組合せのところへ行ってきました。小生の中では、どちらも自分の興味、関心にしたがっていってきたということで、違和感はありません(微笑)。チョウトンボはもうかなり楽しみましたが、もうちょっとという気持ちもあります(苦笑)。

| | コメント (2)