歴史散歩

2019年1月10日 (木)

「旅展 たびの途中~四日市かいわいの旅事情~」(四日市市文化会館)と、「昭和のくらし 昭和のまちかど」(四日市市立博物館)へ

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 寒いというか、冷たいというか、この冬一番冷えていると思います。桑名のDscn0731c アメダスを見ても、最低気温は、朝5時55分に-2.2℃、最高気温も何と、3.3℃ (14時8分)。こんなに寒い日は、コタツで丸くなるということはありません。今日は散歩には行かず、別のところへ。四日市であります。
190110yokkaichi 四日市市文化会館と、四日市市立博物館で展覧会をハシゴしてきました。どちらも近鉄四日市駅の西にあり、徒歩1キロ圏内。いずれも9時半スタートでしたので、近鉄桑名駅を8時57分に出る準急四日市行きに乗車。近鉄四日市駅には9時23分着。左のマップのルートで回って来ました。
Dscn0632c まずは、文化会館。四日市駅の北口を出て、ララスクエア四日市に向い、ラDscn0634c ラスクエアのところから近鉄湯の山線の高架沿いに歩いて10分あまり。ここには、平成3(1991)年から平成13(2001)年にかけて、松坂屋四日市店がありました(当時は、「アムスクエア」といっていました)。その後、再開発が行われ、平成16(2004)年109シネマズ四日市店とゲームセンターなどが開業。平成17年になってアピタ四日市店などの入居が決まり、「ララスクエア四日市」となっています。
Dscn0640c 9時40分に四日市市文化会館に到着。ずいぶん久しぶり。四日市に住んでDscn0644c いた頃(27~8年前)、枝雀の落語会に来たことがあります。その前、最初の職場にいた頃、患者さんたちのバンドの演奏会をここの第2ホールで開催したこともありました。ホールのある建物とは、別の展示棟へ。
Dscn0648c この第2展示室(常設展示室)で、昨年11月から「旅展 たびの途中~四日市かいわいの旅事情~」という展覧会が1月20日まで開かれているのでDscn0650c_2 す。去年12月始めの新聞記事で知って、これは是非とも見たいと思っていたのです。ただ、これだけに来るのはと思い、博物館の「昭和のくらし」展が始まるのを待っていました。
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 四日市は、東海道五十三次の宿場町として発展してきましたし、市内の190110tabi 日永は、東海道と伊勢街道(参宮街道)の追分となっています(日永の追分)。それゆえ、江戸時代に街道が整備されてからは、たくさんの旅人で賑わったのです。いました。この展覧会では、それらの旅人を取り上げ、東海道中膝栗毛に登場する弥次さん喜多さんにも注目し、当時の風習や設備が紹介されています。右は、出品リスト。安政6(1859)年に刷られた「東海道中膝栗毛」の本、江戸時代の旅人が持っていた耳かきやはさみなどの、今でいうトラベル用品、おかげ参りのシンボルになった「柄杓」、広重の東海道五十三次の浮世絵などが出ていて、興味深く見て来ました。これで一つ念願を叶え、四日市市立博物館へ。
Dscn0728c 文化会館からは10分足らずで四日市市立博物館。こちらは、何度も来てDscn0683c います。去年8月には、ミュージアムマイスターカードをもらい、今年8月までは2割引で入館できます(微笑)。今回は、
昭和のくらし 昭和のまちかど」という、開館25周年記念の企画展。毎年この時期に「昭和のくらし」展があり、何年か続けて通っています(2018年2月28日:四日市市立博物館で「なつかしいくらしと昭和の元気な子どもたち」展を見る……鉄道図録とマンホールをゲットし、ちょっとだけ散歩 、2017年1月13日:「昭和のくらし・昭和の子ども」展へ……四日市市立博物館)。小学生の学習支援展示にもなっています。¥400のところを¥320で入館。
20190110shouwanokurashi1 今回の個人的な目玉は、佐溝力さんがコレクションなさった琺瑯看板が20190110shouwanokurashi2 たくさん見られることでした(サミゾチカラコレクション)。琺瑯看板(ホーロー看板)は、屋外用の表示として使用される看板で、主に光沢のある塗装ないし印刷で仕上げられた金属製のものを意味します。明治20年代の初め(1888年~1889年頃)に誕生したとされ、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝の主な手段としてよく用いられていました。しかし、商品サイクルの加速化や住宅事情、新聞やテレビ等のメディアの発達に伴い、昭和50(1975)年頃から次第にその姿を消していきました。今でも、古い住宅などに残っていることがあります。大村崑さんのオロナミンCの宣伝や、金鳥の蚊取り線香、ボンカレーの松山容子さんの看板などは、ある年齢以上の方ですとご記憶かと思います。
 琺瑯看板の他、昭和のくらしに使われた道具なども多数出展されており、私のように還暦を過ぎた者にとっては大変懐かしく見て来ました。黒電話はもちろん(小学生向けに黒電話の使い方の説明があるくらい)、ワープロ専用機、初期の携帯電話も展示されており、「おいおい、ちょっと待ってくれよ」という感じがしないでもなかったのですが……。
Dscn0695c 四日市市立博物館へ来ると、もう何度も見ている展示なののですが、ついついDscn0699c 時空街道に足を運んでしまいます。とくに江戸時代の四日市宿を再現したエリアが気に入っています。左は、旅籠、右は焼き蛤屋(焼き蛤は、正確には四日市宿ではなく、桑名藩領の富田や、小向(現在の朝日町)で売られていました。焼き蛤屋は、季節によっては、饅頭屋に模様替えされています。
Dscn0713c 左は、焼き蛤屋の店を外から見たもの。建物や、設備、人形も本当によくできています。時空街道は、四日市の原始・古代から江戸時代までの歴史が扱われています。明治時代から現代までの四日市のあゆみは、2階の四日市公害と環境未来館で見ることができます。こちらの展示も充実しています。
Dscn0723c 博物館を出たのが11時前。ララスクエアにある宮脇書店と、四日市近鉄百貨店にある丸善、文房具店に立ち寄って来ました。司馬遼太郎の「街道を行く 43 濃尾参州記」と、「松浦武四郎入門」、ボールペン替え芯を買って、近鉄四日市駅を12時28分に出る名古屋行き急行で帰宅。桑名には12時40分着。運賃は片道¥300。
【オマケ】
B5a67f01s 桑名近辺にたくさん残っている琺瑯看板の1つが、左の写真の「結納品 宝石 羽田」のもの。これは、2018年2月7日に町屋川へ行ったときに撮ったもの(町屋川遠征3回目余談……大貝須神社と、古い看板の話など)。三重県の北勢地方では、結納品屋さんの琺瑯看板が多い気がします。

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2019年1月 8日 (火)

京町公園でウドちゃんを目撃、「旅してゴメン」で三八市の取材か……鳥は少なし&多度土産をいただきました

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 正月も8日。このあたりでは、公立小中学校では3学期が始まったはず。早いもので、今年ももう1週間以上が過ぎてしまいました(笑)。散歩に出た午前中はあまり陽が当たらず、結構寒い思いをしてきました。さらにその上(くどい!)、鳥がおらず、足取りも重く一回りという次第。8時半前から11時半頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.9㎞。京町公園で、あのウド鈴木さんを目撃。メ~テレで放送中の「ウドちゃんの旅してゴメン」のロケのようでした。通りかかった人が、「ウドちゃん!」と声をかけると、気さくに「どうもどうも」と返事をしておられました。写真は勝手に撮ってきましたが、これを載せるのはちょっとマズいかと思いますので、泣く泣く割愛します。
Img_8013c 住吉水門のすぐ下流側の堤防にヒドリガモの集団。20羽あまり。時々こういImg_8015c うところに集まっています。右の写真のところ。蟠龍櫓の手前に七里の渡し跡があります。
Img_8016c 揖斐川にはカンムリカイツブリがいたものの、見つけられたのは、この1羽のみ。住吉水門近くにやって来ました。他は、揖斐川や、中洲を見渡しても、鳥影はなし。
Img_8830c 8時45分に九華公園に到着。今日もヒヨドリは少なく、静かです。アオサギさImg_8831c んは、またもや休み。ゴイサギは2羽、ホシゴイは3羽でした。陽が当たっていた方が、よく出て来ているように思います。ホシゴイ3羽は、皆、そろそろ大人になりかけのもののようです。
Img_8833c これらの写真の3羽をよく見ますと、星模様が薄くなる一方で、背中の羽毛が青みがかってきているように見えます。西側から見ていますが、後ろ向きのお陰でその違いが分かります。ただ、40mほどの距離がありますから、肉眼でパッと見て区別というのは、今のところまだ難しい。
Img_8039c カモは、やや増えて合計86羽。ホシハジロのオス2羽、メス1羽、ヒドリガモ2ペア。これはいつも通りですし、例年並み。ハシビロガモのオスが3羽、メスが6羽と、これは例年より多くなっています。他はキンクロハジロ。カルガモ1羽。カルガモは昨年前半は2羽いたのですが、6月くらいから1羽になっています。今日は、オオバンは見られませんでした(ただし、柿安コミュニティパーク西の堀に2羽いましたから、プチ遠征かも)。
Img_8048c  このほかは、ウグイスの鳴き声がしていましたが、もちろん(?)姿は見えず。ヒヨドリ、カワラヒワ、ムクドリなどはいたものの、他の小型の野鳥は、鳴き声も聞こえませんでした。こういうことも珍しい。スイセンは、鎮国守国神社の拝殿の裏にたくさん咲いています。
Img_8850c 三八市は、今年第1回目でしたので、覗いてきました。京町から寺町商店Img_8848c_2 街に入るところで、ウドちゃんを目撃したという次第。カメラマンなどスタッフ数名の方と、ロケの待機中でした。京町公園で待機となると、三八市の取材でしょう。三八市そのものは、けっこう賑わっていましたから、あそこへウドちゃんが登場したら、少々混乱したかも。
Img_8859c  鳥は少なかったのですが、散歩友達のAさんからは、「多度へお参りに行Img_8860c ったから」とお土産(八壺豆)をいただきました。多度は、多度大社のこと。八壷豆(やつぼまめ)は豆菓子で、桑名市多度町の名物。多度大社の参詣者のための土産菓子として江戸時代に考案されたもの。多度山の八壺渓谷に由来し、そこにある禊ぎ滝のしぶきをかたどったものとされています。まだ開封していませんので、袋に入ったままですが、右の写真のようなもの。大豆を核にして、きな粉と砂糖水を混ぜたもので固めて3倍程度の大きさの球状にし、その後、白砂糖で包み込んであります。いただいたものは、宮川屋さんのものでしたが、今もいくつかのお店でつくられています。
Img_8852c また、今年に入って初めてお目にかかったYさんは、「久しぶりに諸戸氏Img_8856c 庭園の方に歩いて行ったら、主屋の工事をしていましたね」と話しかけられました。去年春の特別公開が終わってから主屋(左の写真)の半解体修理が始まっていましたが、その頃からこちらにはいらしていなかったようです。私が寺町を通って帰ってきたら、工事現場の前で、本日2度目の遭遇(微笑)。またもや、俄and/orインチキ歴史案内人になって、知っていることをお話ししてきました。平成22年から工事が始まり、御殿や玄関、ビリヤード場の修理はほぼ終わっていますが、まだ3年くらいはかかりそうです(こちらに諸戸氏庭園のホームページがあります)。
 本日の野鳥リスト:
  • ヒヨドリ(諸戸氏庭園、三の丸公園、九華公園、貝塚公園)
  • ヒドリガモ オス、メス(住吉水門、九華公園)
  • カンムリカイツブリ(揖斐川)
  • スズメ(七里の渡し跡)
  • ムクドリ(七里の渡し跡、三の丸公園、九華公園)
  • キンクロハジロ メス(川口水門の奥)
  • ハクセキレイ(柿安コミュニティパーク、九華公園)
  • オオバン(柿安コミュニティパークの西の堀)
  • カワラバト
  • ホシゴイ
  • ゴイサギ
  • ウグイス(鳴き声のみ)
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ホシハジロ オス、メス
  • ヒドリガモ オス、メス
  • キンクロハジロ オス、メス
  • カルガモ
  • カワラヒワ(九華公園、貝塚公園)
  • ツグミ(内堀公園)

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2018年12月29日 (土)

2018勝手にハイキング/ウォーキングその他の記録

 今年(平成30(2018)年)中に出かけた、「勝手にハイキング/ウォーキング」の記録です。独断と偏見に基づいて選んでおります故、ご了解下さい(笑)。いずれも、元の記事へのリンクをつけてあります。

1.2018年1月16日:高田本山専修寺と一身田寺内町散歩 7.5㎞
A7fbddd8  1月11日に近鉄ハイキングで「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」886f9352 に行ったのですが、高田本山で見てきた範囲が限られていたのと、一身田寺内町がなかなか興味深いところだったので、もっと見て回ろうと考えたのです。それと、小声で言いますが、「御非時」、もう1カ所でも食べてみたいという気もありました。
 近鉄高田本山駅から一身田寺内町、専修寺を回って、JR紀勢線一身田駅まで。予告編はこちらにあります。
2.2018年2月28日:四日市市立博物館から作家丹羽文雄が生まれた崇顕寺 2.7㎞
16cc5bccs  四日市市立博物館で「なつかしいくらしと昭和の元気な子どもたち」展を6ac2cd36 見に行ってきました。展覧会は、学習支援展示でしょう学生向けなのですが、楽しめます。ここで鉄道図録とマンホールカードをゲットし、ちょっとだけ足を伸ばして、作家丹羽文雄の生家である仏法山崇顕寺を見てきました。こちらをご覧ください。
3.2018年3月14日:林性寺の涅槃図と稲荷大師堂(津市榊原町)
43dfb32e  「勝手に」シリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散54f651fb 歩の一つとしてカウントします。 大龍山林性寺は、かつてこの地を治めていた榊原氏の菩提寺として、天正16(1588)年に開基。天台真盛宗。このお寺には日本に3幅しかないといわれる、猫が描かれている涅槃図があります(室町時代の画僧兆殿司による)。毎年3月14~16日に開帳されるので拝観してきたのです。記事は、こちら。お寺には「稲荷大師堂」があり、お稲荷さんと、弘法大師様と、鯖大師様が同居しておられます。
4.2018年4月23日:近鉄名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など 8.8㎞
D20fd086  津にある松菱百貨店で「夢のメダカの祭典と山野草・盆栽展」を覗くつい1094b995 でに、近くを独りで「近鉄ハイキング」してきました(微笑)。津藩主・藤堂家にかかわる「寒松院」、浄明院(ここには江戸川乱歩が建てた、彼の実家・平井家の墓もあります)、大門商店街、津観音、津城跡・お城公園、藤堂高虎公を祭神とする高山神社を巡ってきました。お昼は、あの千寿の「天むす」でした。予告編は、こちら
5.2018年6月24日:朝日町天神山、苗代神社、縄生廃寺跡から東海道を江場まで 6.6㎞
36fc8e75  この日は、三重郡朝日町の天神山とその近くにある苗代神社(左の写真)と縄生廃1b1e4b72 寺跡(右の写真)を見たのち、旧東海道を桑名市江場あたりまで歩いてきました。往きは近鉄、帰りは三重交通バスを利用。こちらをご覧ください。正式な(?)「勝手にハイキング/ウォーキング」シリーズとしては、第3弾。
6.2018年7月 3日:桑名市内旧東海道を歩く 8㎞
Ddefab9d  次の九華公園のパネル展示を「桑名市内の東海道案内」にしようというF369b6e4 ことで、そのための、いわば取材ウォーキング(パネルは、現在「桑名の東海道」として展示中)。市内の東海道はずいぶん前に歩いていますが、パネルを作成するに当たって、写真を撮り直すのと、以前と様子が変わったところがないかを確認するため歩いてきたという次第。町屋橋跡から七里の渡し跡に向かって歩くことにしました。三交バスで城南口まで行き、京町見附跡あたりまで歩いてきました。本当は、七里の渡し跡まで行く予定でしたが、時間切れ。「京町見附跡」まで歩いて、その後は寺町を通り、帰宅。記事は、その1その2その3の3本立て。左の写真は、町屋橋(国道1号線)。右は、桑名城の文が移設されたという了順寺。
7.2018年7月10日:東海道旧蹟撮影 5.3㎞
Img_8940c  この日は、「桑名の東海道」パネルの補足取材のため、七曲見附跡と蟠Img_7983c 龍櫓の再撮影。猛暑でしたので、寺町から、七曲がり見附跡最寄りの萱町までバスを利用(アンパンマンバス、ナガシマスパーランド往きです)。たかだか1.4㎞、所要時間は5分(笑)でした。撮影場所は、七曲見附跡、顕本寺、蟠龍櫓の3ヶ所。途中、九華公園にも立ち寄っています。
Img_8015c  顕本寺は、桑名藩ゆかりの人物のお墓がいくつかあります。吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓の他、服部半蔵の墓もあります。服部半蔵は、それを通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主。3代目服部半蔵・正就は父と同じ石見守を名乗り、桑名藩主・松平定勝公の娘・松尾を妻としました。仔細あって改易を申し付けられ、岳父である松平定勝の元で蟄居となっています。その弟・正重は、兄を継いで服部半蔵を襲名し、徳川秀忠の小姓や家康の近侍、佐渡金山同心を務めたものの、のちに改易となり、その後、桑名藩主・松平定綱公に年寄の身分で召し抱えられ、二千石を得ています。これによって桑名藩の家老として服部半蔵家が存続したのです。また、正就の系統は、上述のような血統から藩主一族の扱いを受け、重臣たちが住まう丸の内にひときわ大きな屋敷を与えられるなど、服部半蔵家以上に優遇されました。写真は、服部半蔵を名乗り、家老となった系統の服部家の墓。現存するのは、正重(伊豆守)、正啓(正賢)、日記(内記)、正義。
8.2018年11月21日 :四日市市楠町でバードウォッチング 9㎞
Img_2397c  ブロ友のひらいさんのお勧めもあ、四日市市楠町方面へ野鳥観察に出Img_2581c かけてきました。四日市港の潮汐表を確認したら、干潮が10時37分でちょうど良いということもあってです。名付けて“20181121勝手に「近鉄バードウォッチング(笑)」in四日市楠町”。近鉄名古屋線楠駅を下車し、町内を歩き回り、北楠駅まで。記事は、こちら
9.2018年11月25日 千代保稲荷神社 
Img_3666c  これもこのシリーズに入れて良いか迷いましたが、歴史散歩の一環としImg_3683c て。迷った理由は、家内の母親を連れての気晴らしだったからです。海津市にある千代保稲荷神社は、この地方では、「おちょぼさん」という愛称で親しまれています。商売繁盛・家内安全のご利益があるとされ、正月の他、月末もたくさん参拝する方が訪れます。毎月末(晦日)から翌1日にかけては、「月越参り」ということで、境内は夜通し多くの参拝者が来られるそうです。
Img_3743c おちょぼさんの南には、「荷席(かせき)稲荷大明神」がありました。隣にある早川家の先祖が創設したものです。早川家は、第59代宇多天皇(887~890)に源を発し、佐々木源寺として近江国に栄えたという家柄。9代目の子孫・早川兼明左近が弘治元(1555)年、この地に来て、地頭地主となりました。その守り神として、以前は別のところにあったものを農地解放後、ここに移設し、早川家と地域社の守護神として祀られているということですから、まぁ歴史散歩もしてきたというワケです。記事はこちら
10.2018年12月11日 :伊勢神宮・外宮参拝、神宮暦を入手 4㎞
Img_5900c  最近伊勢神宮にお参りしていないということと、もう一つ、ある方のブログImg_6242c で知った「神宮暦(神宮司庁発行)」を入手したいと思って、伊勢まで行ってしまいました。外宮にお参りにするには、JR・近鉄伊勢市駅が最寄り。ただし、桑名から近鉄でも、1時間半弱、¥1,200かかります。けっこう遠い(笑)。伊勢神宮・外宮のご正宮、別宮などにお参りし、無事に神宮暦を入手。
Img_6147c せっかく伊勢まで来ましたから、伊勢グルメ。まずは、赤福。赤福外宮前Img_6173c 特設店で「赤福盆」をいただいてきました。¥210。昼食は、行く前から伊勢うどんに決めていました。黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い緬に絡めて食べます。麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられています。具やトッピングは少なく、薬味の刻みネギだけで食べることが多いのですが、入った店のおすすめということで、卵の天ぷらをトッピング。¥600。元の記事は、こちら。補遺編もあります(ここ)。
オマケ:伝馬公園遺跡発掘調査説明会 
Img_5420c  12月8日午後、桑名市内の伝馬公園遺跡発掘調査説明会が開催され、20181208setsumeikai 参加してきました。伝馬公園では市の公共施設整備計画がありますが、市教育委員会が行っている遺跡発掘調査で、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかったのです。我が家からは、南へほぼまっすぐ。徒歩で1.7㎞、20分あまりで行けますので、歩いて往復。伝馬公園は、16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わります。願証寺はもとは長島にあり、東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。元の記事はここにあります。
Img_5349c 左は、町屋御用水の遺構と考えられたもの。上水道管は途中で途切れImg_5373c ていますが、手前側(東側)には、割れているものを含め5本、向こう側(西側)には3本が、それぞれつながった状態で見つかっています。右は、墓地の後と思われるところ(人骨が写っていますので、ご注意ください)。倒壊した多数の墓石の下に、甕棺や木棺などに埋葬された人骨がたくさん出て来たそうです。遅くとも18世紀中頃には墓地として利用され、19世紀以降廃絶したと見られるといいます。
 以上、正式な(?)JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキング以外に、歴史やバードウォッチングその他で、自分の興味に関わって出かけた記録であります。ハイキングやウォーキングを入れると、週に1回くらい、あちこちウロウロしているようです。活動は、振り返ってみると気づかなかったことが見えてきそうです。

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2018年12月27日 (木)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その3)……真光寺からいよいよ油正で酒蔵見学と試飲をして「完」

181223kintetsuhikinghisai2  12月23日、年内最後の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正181223kintetsuhikinghisai3 『初日』と桃園三地蔵」のその3です。今回でゴールできる見込み。光明寺、宝樹寺、栄松寺と回って、桃園三地蔵を拝観してきました。栄松寺でスタートから4.6㎞。栄松寺を11時に出て、この先、昔からの久居の町に入っていきます。右の実測ルートマップその3には、しまむらなどが見えますがこのあたりには来たことがあります。

Img_7154c 栄松寺から1㎞ほど、津市久居元町にある野辺山真光寺。11時25分着。こちらも天台真Img_7165c 盛宗のお寺。残念ながら、ここもネット検索では情報は出て来ませんし、久居城下案内人の方にいただいたパンフレットにも載っていません。このお寺は、かなり格式が高いお寺だったということで(久居城下案内人の方のお話し)、本堂の天井に、ご住職が江戸時代から明治時代にかけて葬儀や法要に出かけるときに使ったという駕籠が2つ下げてありました。
Img_7163c 山門の脇に地蔵堂があり、そこに石造の地蔵菩薩立像がおられます。高さImg_7158c 170cm。船底方の石に刻まれいます。体の割りに顔が大きく、優しいまなざしをしていらっしゃいます(津市指定文化財)。像には、慶長14(1609)年の銘があり、真光寺のために建立されたといいます。
Img_7166c 津市教育委員会の説明板。地蔵堂内に「石造五輪塔 3基」ともありまImg_7160c す。右の写真の端に写っているのがそれかと思います(が、5基ありますのでそのうちどれかは不明)。一石五輪塔(一本の石を刻んでつくったもの)。室町時代後半の天文年間(1532~55)につくられ、亡くなった人の供養に建てられたといいます。また、本堂には、鎌倉時代初期の作とされる木造地蔵菩薩立像があります(津市文化財)。
Img_7168c 境内にはこのほかにも、古いお地蔵様がいらっしゃいまImg_7171c したが、こちらについては詳細は不明。何らかの説明があるとありがたいのですが……。
Img_7156c 六地蔵様もおられました。
Img_7179c 栄松寺の先を右折し、昔からの町へ入っていきます。久居元町から久居Img_7181c 本町。商店街に向かいます。途中、神社が見えました。川併(かわい)神社です。門松がすでにしつらえられているのも見えましたが、油正さんも目前ですし、Gさんと一緒でしたので、寄り道はせず。創始は不詳ですが、このあたりは旧・野辺村といい、「野辺惣社」と称されて、久居城下設置以前は氏神であったといいます。戦国時代、荒廃していたものの、寛永2(1625)年、現在の本殿が造立され、また同7年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請したといいます。
Img_7183c 油正さんを目前にして通ってきた道を振り返ってしまいました(苦笑)。4Img_7185c 差路の交差点のすぐ脇にここまで来た道が通じていて、変則的な5差路になっています(左の写真で向かって左がここまで来た道)。中央の建物に「右すぐ江戸善→」とあります。さらに、西を見るとバス停が「江戸善前」となっています。気になります(笑)。これは何かすごいところかと思ったら、食器、包丁、金物類を売っているお店でした。
Img_7186c 与太話はこれくらいにして、いよいよ最大の目的地である油正さんへ到Img_7188c 着。12時ちょうど。スタートからは、6.2㎞。つい1ヶ月前に来たばかりのところ(2018年11月23日:油正さんの蔵開きと、かかしコンテスト……家内の実家方面にて)。
Img_7191c まずは、蔵見学へ。蔵の奥へと進んでいきますと、「初日(はつひ)」のしImg_7201c ぼりたてが出て来ています。「あらっぱしり」は、「荒走り(あらばしり)」。荒走りは、(もろみ)を圧搾濾過して、清酒と清酒粕に分離する操作をいい、あげふねとも呼ばれます。自動圧搾機が普及する以前は、酒袋(さかぶくろ)に醪をつめて、槽(ふね)の中にならべて搾ったそうです。まず、醪を酒袋(5~9リットル入り)につめ、槽(ふね)の中に並べて積みます。この間に、最初に出てくる白く濁った清酒を荒走り(あらばしり)というのです。
Img_7204c 早速、試飲をいただいてきました。前回、初めて飲んだときの方が、濃くImg_7208c て、アルコール度数も高いような感じがしましたが、微妙な差が分かるほどの通ではありません。決して「呑兵衛」ではありませんが、これは堪りません(微笑)。機会があれば、是非賞味なさることをお勧めします。
Img_7211c 試飲のあとは、これまたお約束の甘酒の振る舞いをいただいてきました。酒蔵で、そこの酒粕で造った甘酒も美味しいもの。何がどう違うか説明できるほどの味覚は持ち合わせていませんが、とにかく美味しい(微笑)。同行のGさんは、大吟醸の酒粕が欲しかったようですがあいにく売り切れ。
Img_7213c この日は、お楽しみ抽選会もありました。その商品は、油正さんのロゴ入Img_7237c りの前掛け。自分で使う機会はなさそうですが、これ欲しかったですねぇ。当選番号は、コースマップの番号の下2桁が72。残念。619番でしたから、掠りもせず(苦笑)。Gさんは、720番。惜しかった。
Img_7215c いつものように即売コーナーで、試飲した「あらっぱしり」を買ってきましImg_7241c た。720ml入りで¥1,400。ラベルには、「このお酒は、上糟(しぼり)中にくみ上げた“そのまま”の生原酒です。酒蔵でしか味わえない”味”をお楽しみください。含まれているもろみの発酵時のガスは、徐々に消えてしまいます。お早めにお召し上がり下さい」とあります。が、大晦日か、正月にと思って、冷蔵庫にキープ中。10日以内に飲むようにとありましたから、大晦日か元旦ならセーフ。
Img_7222c またもや余談。油正さんには、「油正ホール」があります。木造2階建、切妻造桟瓦葺の土蔵、149㎡のホールですが、もとは醸造のための米蔵兼精米所でした。江戸末期の建築で、登録有形文化財になっています。展覧会やコンサートなどが行われるそうです。
Img_7228c これにて、この日の近鉄ハイキングの予定は無事終了。久居本町の昔からの商店街を通って、近鉄久居駅へ。ゴールは、12時半。スタートから7.4㎞。Gさんは、これから四日市へ向かうということでしたので、一緒に久居駅を12時47分の名古屋行き急行に乗車。私は、桑名まで。13時40分に到着。¥820。一緒に行ってくださる方があるのも、また楽しという感じでした。
Img_7235c あみま倶楽部の会員証を更新して、この日でスタンプは3個目。これで、年内のウォーキング/ハイキングはすべて終了。新年は、まだ思案中。1月5日に近鉄ハイキングで伊勢神宮参拝のコースがあるのですが(特別企画ハイキング 新春初詣ハイキング 新春初願い・平成最後の伊勢神宮初詣~足神さんへもお参り~)、この日では伊勢も、近鉄電車も大賑わいでしょうね。まぁ、ゆっくり考えます。
Img_7196c オマケ。年末特別サービス(笑)。「初日」の樽の前で記念撮影。これらの樽は、伊勢神宮猿田彦神社二見興玉神社、護国神社、結城神社に奉納し、飾られた後、引き上げてきたものだそうです。まぁ、縁起物の一種。これで何か良いことがあるかもしれません(微笑)。

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2018年12月26日 (水)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ

181223kintetsuhikinghisai2_2  12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」のその2です。その1では長い余談を書いたあと、ようやくスタートし、最初の立ち寄り先である光明寺まで来ました。ここで、鎌倉時代後期につくられた地蔵菩薩立像を拝観。

Img_7031c 光明寺はスタートから2.1㎞。次の宝樹寺まで、1.3㎞ほど。近鉄名古屋線のImg_7033c 線路を桃園駅の南で渡ります。このあたりの近鉄路線は、近鉄ハイキングなどに出かけるようになって、何度も通ります。今まで知らなかったのですが、歴史は古く、昭和5(1930)年5月に参宮急行電鉄が開通したときに開業していました。無人駅ですが、急行が停車します。全くの余談ですが、そのため、近鉄名古屋線の急行は、江戸橋から伊勢中川までは各駅停車の状態になります。

Img_7035c 桃園駅の西でV字に左折、南へ。このあたりでマンホールに目が向きました(あちこちでなるべく見つけたら、写真を撮るようにはしています。どうでも良いことが気になる質で、我ながら困ります)。旧・久居市の下水道のもの。榊原温泉の露天ぶろ入浴を描いたデザイン蓋になっていました。

Img_7044c スタートから3.4㎞、10時35分に宝樹寺に到着。こちらも天台真盛宗のおImg_7046c 寺。しかしながら、由緒などについては情報がありません。ネットで検索しても、当日、久居城下案内人の方にいただいた「永久鎮居の地久居めぐり」のパンフレットにも記載がないのです。

Img_7049c 本堂は新しい感じです。が、残念ながら、本堂の扉は閉まっており、ご本Img_7051c 尊は拝観できませんでした。本堂に向かって左手に地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。

Img_7054c こちらがその地蔵菩薩坐像。高さ2.17m。円形の基台に複弁の「反花(かImg_7056c えりはな)」が刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「敷茄子(しきなす)」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されています。「反花」は、仏像の蓮華座で上向きについた蓮弁。「敷茄子」は、蓮華台の下の鼓型の台で、花と茎の付け根部を表したもの。光背に「願主 右衛門少尉 源 幹重」 「正和三年(1314)甲寅八月廿九日建立之」の刻銘があるそうです。願主の「右衛門少尉 源幹重」については、地元の人物らしいということしか分かっていません。

Img_7057c 境内には、左の写真にあるような、これまた古そうなお地蔵様もいらっしImg_7063c ゃいました。台座にある文字を追うと、日露戦役忠霊のため、三地蔵講の方が建てたということのようでした。他にも、右のように、これは六地蔵というのでしょう。説明も何もありません。

Img_7078c 宝寿寺を出て西へ向かいましたが、100mほどいったところに小さな道標がありました。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。ということは、奈良と伊勢街道(参宮海道)とを結んでいた道か? 永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです。

Img_7074c 調べてみましたら、「安濃津から伊賀街道・大和街道を経由して奈良へImg_7077c 通じる道を、かつては「伊賀越えならみち」「奈良道」と言った。現在では、五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐し、久居城下を経て月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流する区間が「奈良街道」と称される」ということでした(こちら)。江戸初期から中期位までは、この奈良街道から伊勢参宮街道へ入る人が多かったといいます。街道は久居城下町の中を、久居万町・久居幸町・久居旅籠町・久居本町・久居二ノ町・久居元町と進み、今の桃園工業団地辺りで雲出川を渡っていました(こちら)。ここにも道中記があります。

Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。ここは、立ち寄りポイントではありませんでしたが、見つけてしまったからには、立ち寄らなければなりません。ということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました(こちら)。八柱神社は、多くの場合、八王子神社とも呼ばれ、スサノオの八柱の御子神を祀る神社です(しかし、一方で、単に八柱の神を祀る神社ということもあるようです)。詳細は長くなりますので、リンク先のWikipediaの説明をご覧ください。

 ちなみに、郷里にある八柱神社は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)、多紀理毘売命(タキリビメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメ)を祀っています。

Img_7087c

 一の鳥居の手前、両側に山の神の石碑が6柱並んでいました。近くのもImg_7089c のをここに合祀したということかと思います。

Img_7108c 左は、二の鳥居と拝殿。右は、拝殿の写Img_7104c 真。かなり古びているというか、少し傷んでいる感じ。残念ながら、ネット検索では何も情報は出て来ません。

Img_7096c 拝殿に向かって右には、神武天皇御陵遙拝所がありました。神武天皇陵は、畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接して置かれています。

Img_7130c 寄り道を終え、正規ルートに戻ります。冒頭の実測ルートマップにありますように、ちょっとクネクネと曲がって、牧町と川方町の間を北に進みます。この少し南に雲津川が流れています。その昔、桃園村はもっと低いところにあり(桃園駅南約1㎞にある物部神社あたり)、雲津川の氾濫に悩まされたそうで、その後やや高いところに移ったといいます。確かに光明寺から宝樹寺、八柱神社は、一段高いところにありました。

Img_7123c このクネクネ道のあたりから東には、近鉄名古屋線の線路がよく見 えまImg_7132c す。雲津川を渡るとすぐに中川短絡線を通って伊勢中川駅になります。4㎞地点の辺りからは、青山高原にある風力発電用の風車がよく見えました。

Img_7140c 細い川沿いの道を歩いて、宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、Img_7142c コウヤマキでできています。上述のように、桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうで、洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした(久居城下案内人の方のお話し)。なかなか洒落ています。

Img_7145c 栄松寺についても、由緒などの情報は得られませんでした。ネット検索で

Img_7147c

も、「開創は不明」という記述のみ。こちらのお地蔵様は立像ですが、右の写真のように、境内の片隅に覆い屋を建てられ安置されていました。ちょっと独特な造りでした。柱状凝灰岩に深さ約30cm近くも二重光背を彫り窪め、(がん)(厨子)状にした中に地蔵立像を刻み出してあります。龕は、仏像を納めるため、岩壁を掘りくぼめた場所。お地蔵様自体は、高さ63.6cm。蓮華文の扁平な台座の上に鎮座。背面には「正和三年(1314)甲寅八月十六日造立也」、「願主沙弥淪海」とあります。この願主についても、詳細は不明。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。

 その2はここまでとしますが、栄松寺で、知人G氏と合流。油正の蔵開きにぜひとも行きたいということで、参加されました。が、諸般の事情で、私より1本後の電車で久居駅に到着。久居駅で待っているとかえって気を遣わせるかと思い、「先にゆっくり行っていますから」ということで先行していたのです。私はあちこちでいろいろと見て回りますから、どこかで追いついてくださると勝手に決めて、先にスタートした次第。ここからは、Gさんと同行。それは、その3にて。

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2018年12月25日 (火)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その1)……久居駅を出発、陸上自衛隊久居駐屯地を見て、光明寺へ

Img_6933c 12月23日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」の本編、その1です。これで、今年のウォーキング/ハイキング納めです。今年1月からの累計で、近鉄ハイキングには27回、JRさわやかウォーキングには6回、合計33回参加しました。

Img_6936c 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーImg_6931c キング/ハイキング納めということもあり、エイヤッと出かけました。受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記はいつも大人気。私が受け取ったコースマップの番号は、何と619番でした。
Img_6939c こちらがこの日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛181223kintetsuhikinghisai 隊の久居駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。久居駅からは南のあたりを歩きます。家内の実家が津市榊原町にありますが、このあたりの土地勘はほとんどありません。右は、この日、実際に歩いたルートマップ。あまり余分に立ち寄りませんでしたので、7.4㎞でした(立ち寄り先の中で歩いた分は割愛)。
Img_6945c 久居駅東口駅前広場のところには、「緑の風公園」があります。ここは、旧・国立津病院の跡地(三重中央医療センターのサイトのここに沿革があります)。旧・国立療養所鈴鹿病院に勤務していた頃、労働組合の用事などで何度か来たことがありました。津病院は、明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊の設置に伴い、津衛咸(えいじゅ)病院として創立され、戦後、国立津病院として平成10(1998)6月までここにありました(その後は、旧・国立療養所静澄(せいちょう)病院(現在の津市白山町二本木にありました)と統合され、国立三重中央病院から、国立病院機構三重中央医療センターになっています)。それ故、ちょっと懐かしいところ。ですが、病院があった面影はすっかりなくなっています。
Img_6951c この公園の一角に「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。Img_6949c 「ハチ公」は、あの忠犬ハチ公です。ハチ公の飼い主の東京帝国大学教授・上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6944c 銅像のすぐそばには句碑がありました。平成26(2014)年12月に「久居藩初代藩主藤堂高通公・俳聖松尾芭蕉 生誕370年記念」ということで建てられた「任口、芭蕉 久居句碑」だそうです。藤堂高通公と松尾芭蕉は、ともに寛永21(1644)年生まれで、この年に生誕370年を迎えることを記念してNPO法人俳句みえが建てています。「任口(にんこう)」は、高通公の俳号。です。生誕地のつながりで、任口の俳句を前葉泰幸津市長が、芭蕉の俳句を岡本栄伊賀市長が揮毫しました。
  • 詠(なが)むるや 江戸にはまれな 山の月 芭蕉
  • はなむけぞ 江戸紫の 菊の枝 任口
 芭蕉の句は、延宝4(1676)年、芭蕉33歳の時の作。二度目の帰郷のとき、伊賀上野で見た月を、江戸の濁った月と比較しての感慨を詠んだもの。この句には、「久居藩開祖藤堂高通公(任口)に挨拶」と添えられています。任口の句の方には、「武蔵野かたへゆくものにつかわしける」と。「伊勢久居藩史」にも芭蕉が松尾宗房・桃青時代より、藤堂高通とは京都の俳諧宗匠北村季吟の同門であったとの記述があり、江戸から伊賀上野へ帰郷の際には、久居藩にたびたび立ち寄ったようです(こちら)。
 ちなみに、「久居」の地名は、藤堂高通公がこの地に永久に鎮居するといったことに由来するといいます。
Img_6925c スタート前から余談が過ぎていますが、もう少しご容赦を。上に「明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊が設置されたのに伴い、津衛咸病院も創立された」と書きました。久居駅東には、陸上自衛隊久居駐屯地があります。主力部隊は、第33普通科連隊です。
Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地(Img_6926c 兵第51連隊)として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。現在駐屯する陸上自衛隊第33普通科連隊は、この旧・大日本帝国陸軍歩兵第33連隊の連隊番号を継承していることになります。
181223kintetsuhikinghisai1 さて、長々と余談を書き連ねましたが、ようやくスタートします。スタートしたのは9時43分。久居駅から南下し、すぐに右折(東へ)。自衛隊久居駐屯地の間の道路を歩いて行きます。この道路の北側は駐屯地で、さまざまな建物が建ち、また車両などが置いてあります。南側は訓練場。
Img_6968c 駐屯地の正門。「写真を撮って大丈夫か?」とちょっとビビったので、こんImg_6966c な風(笑)。すでに門松が立っていました。右は、訓練場の様子。またもや余談になりますが、久居の花火大会(サマーフェスタインひさい(久居花火大会))は、この訓練場で開催されます。昔(久居市だった頃)からそうで、結婚当初、見に来たことがありました。
Img_6972c 訓練場の東の方に、こういうものが見えました。気になります(苦笑)。そImg_6973c ばに寄ってよく見ると、「大正天皇御野立所御手植之松」という石柱が立っています。この訓練場は、旧・陸軍津練兵場でした。大正天皇は、皇太子時代に何度か三重県に行啓しておられます(下記参照。こちらを参照)。内容から推測するに、明治39年か、45年の行啓の際に立ち寄られた可能性が高い気がします。なお、この石碑は、昭和31(1956)年1月10日、時の久居駐屯地司令により建立されました。
  • 明治33(1999)年5月23~6月2日:伊勢神宮・神武天皇陵などに結婚奉告のため三重、奈良、京都を10日間初巡啓
  • 明治38(1905)年11月:陸海軍少将に進級、戦勝報告の為に伊勢神宮を参拝
  • 明治39(1906)年10月:名古屋を訪れ、愛知・三重・岐阜三県で行われた陸軍大学校参謀旅行演習を見学。はじめての本格的な軍事行啓
  • 明治43(1910)年9月:三重、愛知を巡啓
  • 明治45(1912)年4月22日から:滋賀県と三重県を舞台にした参謀本部参謀旅行演習の見学
Img_6979c 最初の立ち寄り先の来迎山光明寺までは、2㎞あまり。その間、立ち寄るImg_6980c ところは設定されていませんので、ひたすら歩きます。久居駐屯地を過ぎて、1㎞地点で県道24号線から右折。住宅地や、畑などのあるところがつづきます。1.3㎞ほどで津市立久居東中学校前を通過。10時ちょうど。
Img_6983c 少し歩いて右折。このあたりには、梨畑があります。久居は、梨の名産地なのです。幹線道路沿いの直売店などで販売されます。8月中旬~下旬にImg_6984c は「幸水」、9月初旬は「豊水」が採れます。
 これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6992c  スタートから2.1㎞で来迎山光明寺に到着。10時10分。天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。天台真盛宗については、よく知りませんでした。天台系仏教の一派であることは推測が付いていました。総本山は、戒光山西教寺(滋賀県大津市)。ここのご本尊は阿弥陀如来。開基は聖徳太子とする伝承もあるそうですが、判然としません。室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛(しんせい)が入寺(文明18(1486)年)してから栄えたお寺です。真盛は、伊勢の出身。
Img_6999c  光明寺については、創建などについての情報が得られませんでした。しImg_6990c かし、地蔵菩薩立像には、「正和三年(1314)甲寅八月廿四日 願主 沙弥道観」と一行の刻銘があります。沙弥道観は、光明寺の僧で、建長2(1250)年生まれ、石仏がつくられた正和3(1314)年には64歳でした。この頃には、すでに光明寺はあったということです。
Img_7007c こちらが、その地蔵菩薩立像。本堂に向かって左手にある薬師堂に安置Img_7010c されています。説明板によれば、高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りに像が彫られています。像そのものの高さは、1.4m。砂岩に彫られています。右手に錫杖、左手に宝珠を持っておられます。
Img_6996c 光明寺には、地蔵菩薩立像の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります(本堂内の撮影は不可)。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_6997c 境内には、もう一つの地蔵堂があります。こちらについては、詳細は不明。内部には2体のお地蔵様がいらっしゃいます。
Img_7016c 上の写真の地蔵堂にいらっしゃるお地蔵様。説明もありませんし、ネットImg_7018c で検索しても何も出て来ません。久居の郷土史についての本を見れば、何か記述があるかもしれません。
Img_7012c こちらは、庚申塔。「庚申」という文字と、その上部に何かが彫られているのですが、私には不明(梵字かという気もしますが、全くの当て推量)。
Img_7013c 墓所の側には石碑が2柱。向かって右のものには「故陸軍歩兵一等卒小玉(?)京蔵君碑」、左は「故陸軍歩兵上等兵小玉(?)久雄君碑」と読めます。碑陰にはそれぞれ法名があり、また、右側には明治38(1905)年の日付がありますから、おそらく日露戦争に従軍された方の碑と思われます。
Img_7024c 光明寺を出て、次の目的地である宝樹寺へ向かいます。光明寺を出たとImg_7031c ころにもお地蔵様。3体いらっしゃいましたが、何も説明もありません。宝樹寺へは、近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞。今日は、ここまで。その2で宝樹寺から、桃園三地蔵の続きも。
181223kintetsuhikinghisai2 その1で触れた光明寺から、次の立ち寄り先あたりの実測ルートマップは、左の画像の通りです。

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2018年12月23日 (日)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め

Img_6921c

 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーキング/ハイキング納めということもあり、近鉄ハイキングに参加してきました。今回は、「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正「初日」と桃園三地蔵」です。今日のところは、例によって予告編。
Img_6936c 受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、Img_6931c 勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記は大人気。
Img_6939c_2 本日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛隊の久居181223kintetsuhikinghisai_2 駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。右は、実測ルートマップ。今日は、寄り道をしたのは、2ヶ所でしたので、実際に歩いた距離は、7.4㎞でした(立ち寄り先内で歩いた距離はカウントしていません)。これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6948c スタートの久居駅東口広場前には、「緑の風公園」があり、その一角には、「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。あの忠犬ハチ公です。飼い主の上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6968c 久居駅のすぐ東には、陸上自衛隊の久居駐屯地があります。主要部隊は、第33普通科連隊Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。
Img_6992c スタートから約2㎞。来迎山光明寺天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。地蔵菩薩立像Img_6999c の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_7007c 地蔵菩薩立像は、本堂脇にある地蔵堂に安置されています。高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りになっています。先に述べたように、正和(しょうわ)3(1314)年の建立銘があるそうです。こちらのブログの情報に寄れば、
「栄松寺が同年8月16日、光明寺が8月24日、宝樹寺が8月29日の造立、殆ど同時期に同一作者だと思われる石工の作」だといいます。写真を並べてみると、姿形が何となく似ている気もします。
Img_7044c 光明寺から近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞、桃園駅からは300mほどでしょうか、宝樹寺へ。こちImg_7049c らも天台真盛宗のお寺。本堂は新しい感じです。
Img_7054c 宝樹寺も、地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。高さ2.17m。円形の基台に複弁の反花(かえりはな)我刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「しきなす」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されていると、説明板にありました(微笑)。もう少し勉強しないといけませんねぇ。顔を洗って出直してきます。
Img_7078c 宝樹寺を出て、少し行ったところに道標(津市牧町)。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。あれこれ眺めていたら、私よりも高齢の女性、二人連れの方が「何と刻んでありますか?」とお尋ね。現地では、「さんくう」が読めませんでした(苦笑)。このあと永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです(まだ十分には調べが付いていません)。
Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。立ち寄りポイントではありまImg_7104c せんが、ここに立ち寄らなければどこに立ち寄るということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました。残念ながら、ネット検索では何も出て来ません。ここには、山の神が6柱合祀されている他、神武天皇御陵遙拝所がありました。
Img_7114c コースに戻り、いったん雲津川の堤防に出て、すぐに北上。細い川というImg_7130c か、水路というかそれ沿いに歩いて行きます。地図を見ても、名前が書かれていないくらい(調べが足らないだけかもしれませんが)。遠くに青山高原や、そこにある風力発電の風車も見えました。
Img_7140c 宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、コウヤマキでできていまImg_7145c す。桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうです(久居城下案内人の方のお話し)。洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした。
Img_7147c  桃園三地蔵の3体目、地蔵菩薩立像が安置されています。像高66cm。方形の凝灰岩の一材を光背の形に彫りくぼめて(がん)(厨子)状にし、その中に半肉彫りになっています。龕は、仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。
Img_7154c 栄松寺から1㎞ほど、津市久居元町にある野辺山真光Img_7165c 寺。こちらも天台真盛宗のお寺。このお寺は、かなり格式が高いお寺だったということで(久居城下案内人の方のお話し)、本堂の天井に、ご住職が江戸時代から明治時代にかけて葬儀や法要に出かけるときに使ったという駕籠が2つ下げてありましたし、葛籠と思われるものも2つありました。本堂には、鎌倉時代初期の作とされる木造地蔵菩薩立像があります(津市文化財)。
Img_7158c_2 真光寺にも石造地蔵菩薩立像があります(市文化財)。こちらは、江戸時Img_7160c 代のもの。慶長14(1609)年の銘があるそうです。真光寺のために建立されたといいます。地蔵堂に納められていますが、同じお堂内には、津市文化財に指定された石造の五輪塔も3基あります。1つの石を刻んでつくられる「一石五輪塔」で、室町時代後半の天文年間(1532~55)につくられました。
Img_7190c 真光寺から、本日のメインイベントである、油正さんの酒蔵見学は目のImg_7191c 前。4~500mほど。1ヶ月前にも蔵開きで来ました(2018年11月23日:油正さんの蔵開きと、かかしコンテスト……家内の実家方面にて)。蔵開きのときに比べると、静かでした(微笑)。あのときは大賑わい。
Img_7201c 今日も蔵見学&試飲。油正さんは、「初日(はつひ)」というブランド。蔵開Img_7204c きのときもそうでしたが、しぼりたての「あらっぱしり」を今日も試飲させてもらいました。前回の方が、濃くて、アルコール度数も高いような感じがしましたが、微妙な差が分かるほどの通ではありません。
Img_7213c 今日のハイキング、配られたコースマップに振られた番号で、抽選会がImg_7237c ありました。油正さんの「初日」の前掛けが当たるということでしたが、残念ながら外れ。当選は、下2桁が72でしたが、私のマップのナンバーは、619。
Img_7215c 今日も、即売会でお買い上げ(苦笑)。いつも通り、試飲をしたお酒を買Img_7241c います。もちろん「あらっぱしり」です。720mlで、¥1,400。年越しか、新年の酒と思って買ったのですが、「含まれているもろみの発酵時のガスは、徐々に消えてしまいます。お早めにお召し上がり下さい」と書いてあって、気になりますねぇ(笑)。10日ほどは大丈夫そうですから、予定通りのつもり。
Img_7228c ゴールの久居駅には、12時半に到着。今日、途中の栄松寺で、旧知のG先生と合流。油正さんの蔵開きに行きたいということです。G先生も、「あらっぱしり」と酒粕をお買い上げ。四日市に行くとおっしゃるので、一緒に久居駅を12時47分の名古屋行き急行に乗車。私は、桑名まで。13時40分に到着。¥820。一緒に行ってくださる方があるのも、また楽しという感じでした。
Img_7235c あみま倶楽部の会員証を更新して、今日でスタンプは3個目。これで、年内のウォーキング/ハイキングは終了。新年は、まだ思案中。1月5日に近鉄ハイキングで伊勢神宮参拝のコースがあるのですが(特別企画ハイキング 新春初詣ハイキング 新春初願い・平成最後の伊勢神宮初詣~足神さんへもお参り~)、この日では大賑わいでしょうね。まぁ、ゆっくり考えます。
 本編は、また明日以降、年内には書き終えるつもり。ただ、ネットだけでは調べが付かない気もしています。

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2018年12月20日 (木)

20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました(補遺というか、無駄話編)

20181211isejingu2  12月11日、思い立って伊勢神宮・外宮を参拝し、神宮暦を入手してきました (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。記事はリンク先にありますが、そこに書き切れなかった内容を「補遺」として(というよりも「余談」、「無駄話」の類いです)。

Img_5828c 外宮さんの最寄り駅は、伊勢市駅。ここは、JR参宮線と、近鉄山田線の共Img_5832c 同駅。北側に近鉄、南側にJR。外宮に行くには、JR側から出なくてはなりません。近鉄伊勢市駅のホームにはあちこちに「伊勢神宮(外宮)はJR側出口へ」という表示があります。
Img_5815c
 今回は、近鉄で行ったのですが(それは、近鉄の方が料金が安く、乗り換えもなしで行けるからです)、わざわざ切符を買いました。近鉄は全線でICカードが使えるのですが、伊勢市駅でJRの改札を通ろうと思うと、切符を買わざるを得ないのです。JR東海では、関西線・四日市駅までしかICカードが使えないのです。なので、わざわざ。
C 冒頭の地図でも分かりますが、近鉄のホームからJR側の出口に行くには、Img_5840c 100m以上もありそうな連絡橋を通っていきます。ようやく改札口を出て、JR側の駅に。右は、JRの改札を出たところ。「↑伊勢神宮(外宮)」の表示の他、「赤福」や「おかげ横丁」の看板が目立ちます。近鉄電車も、伊勢中川を過ぎると、駅や沿線のあちこちに「赤福」の看板が目立ちます。
Img_5846c JR伊勢市駅。この写真は、本編にも載せました。ここから南西に直線でImg_5849c ほぼ500m行くと、外宮。右の写真もすでに載せましたが、伊勢市駅前の信号を渡って駅を振り返ったもの。鳥居があって、その向こうに駅が見えます。なんだか面白い景色。
Img_5852c 参道を歩いて行くと、。レトロな山田館という旅館があります。これも本編Img_6172c で触れましたが、その隣(伊勢市駅側)にもレトロな店。“ISE SIMA KANKO MIYAGE SIZUOKAYA”とあります。外国人観光客を意識したのでしょうが、ローマ字では通じないかも(笑)。さらにその近く、黒土塀が意表を突く店が。「伊勢菊一」だそうです。明治40(1907)年創業の刃物店「菊一文字金近本店」なのですが、平成23(2015)年に存続の危機に陥ってしまいました。そのため、日本文化を伝える場所として、リニューアルし「伊勢菊一」となりました。刃物店は存続し、さらに伊勢や、神宮を深く知ることができ、土産も売るところとなったそうです。これは後で調べて分かったことで、事前に知っていれば、寄って来たのにと後悔。
Img_5859c さらなる余談。山田館の玄関には、注連飾り。宇治山田での近鉄ハイキングの記事にも書きましたが(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))、伊勢志摩地方では、1年中注連飾りが飾られています。「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。この山田館の注連飾りはさすがに立派。
Img_5865c 伊勢神宮・外宮に10時40分に到着。外宮は、正式には、「豊受大神宮(とImg_5875c ようけだいじんう)」。御祭神は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。御鎮座は、雄略天皇22年(西暦477年とされます)。雄略天皇は、第21代。この雄略天皇の御代に、天照大御神の食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国から遷ってこられました。豊受大御神は、また、衣食住、産業の守り神でもあります。
Img_5882c 外宮さんについては、本編でほとんど触れました。左の写真は、境内にImg_6075c ある案内図。せんぐう館 は見たかったところでしたが、平成29(2017)年10月の台風21号による 浸水被害があって、現在は復旧工事のため休館中でした。今年ではなく、去年の台風の被害だそうです。そういえば、忌火屋殿は、しっかり見てきませんでした。確か、入れないようになっていたと思いますが……。
Img_5928c 正宮から別宮(多賀宮など)に行く途中、南側に池があります。そのほとりのモミジ、まだ紅葉が楽しめました。「三ツ石(みついし)」がある南です。
Img_6046c 神域内、至る所に巨木があります。それだけに歴史を感じるものなのでImg_6045c すが、こういう巨木には、なぜだかパワーを感じてしまいます。皆さん、けっこう手を当ててパワーをいただいて行かれますので、私も(笑)。
Img_5965c 神楽殿です。ここでお守りや御札、神宮暦を授与していImg_6242c ただけます。御札もとおも思ったのですが(神宮大麻というもの。ただし、大麻といってもヤバいものではありません)、神棚がありませんので、断念。神宮暦の大と小をここで授けていただきました。
Img_6245c 著作権がありますから、あまりおおっぴらには載せられませんが、左は「大」の一月のところ。二十四節気やら、日の出、南中、日の入りから、月の出、月の入り、満潮・干潮が載っています。科学的データを基礎として、日々の天体、気象の詳細値などをまとめた暦で、ざっと見た感じでは、理科年表にも共通する編集です。
Img_6248c こちらは「小」の神宮暦。日の出や満潮時刻など天体と気象に関する身近な情報や農事情報がまとめられています。農家の方や、ガーデニングファン等に人気があるそうです。これは1月の欄の一部。「今月の農作業」が載っています。
Img_6250c 神宮暦は、高島何とかの暦のように、占いのたぐいは一切載っていません。伊勢神宮の神宮司庁が奉製し頒布しています。その前身となるものは、江戸時代初期から伊勢国の神宮周辺の暦師たちによって発行されていた、伊勢暦と呼ばれる各種の暦本です。後に伊勢の御師(おんし)が年末に神宮大麻とともに伊勢暦を配るようになり、全国に知られるようになりました。
Img_6068c 一通りお参りし、神宮暦も入手しましたので、外宮に入ってきた火除橋にImg_6069c 向かいます。この火除橋の手前、北側に、清盛楠(きよもりぐす)があります。平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれています。樹齢は1,000年に近いといわれ、二本あるように見えますが実は一株の大木です。伊勢湾台風で分かれてしまったそうです。幹周9m、樹高10m。
Img_6101c 火除橋を渡るとき、なんだか気になって左側(北西)見たら、こちらの方がImg_6104c 佇んでおられました(なぜだか、敬語になります)。アオサギさんでした。「やぁ」と声をかけたくなります(微笑)。
Img_6136c 外宮参拝を終えたのが12時頃。この日の天気予報は下り坂ということもあって、内宮さんにも行こうかどうしようか迷いました。Img_6137c 一応外宮前のバス停で時刻を確認に行ったのですが、内宮行きのバスがちょうど出るところ。明治36(1903)年から昭和36(1961)年まで伊勢には、路面電車・神都線が走っていました。惜しまれつつ姿を消してから50数年。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)にあわせて、路面電車型バス(神都バス )となって生まれ変わったのです。宇治山田での近鉄ハイキングのときにも見ています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。
Img_6142c バス停の北(伊勢市駅側)に、石碑がありました。何はさておき、石碑の類いは見てこなければなりません(笑)。陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ:明治31(1898)~昭和58(1983)年)の詩が刻まれていました。「戦敗れて萬家国旗を忘る/星条ひるがえる処惨として旗を看る/邦を興す正気はもと此に存す/願わくばこの民をして国旗を愛せしめん」とあります。「戦いに敗れて日本人はみな国旗を忘れてしまった。独立国家でありながら星条旗ばかりが翻っていて残念でたまらない。国旗こそ国を興す根源である。願わくばこの日本国民をして国旗を愛せしめんと」といった意味。第2次大戦に敗れ、日本人は国旗を忘れたが、国旗こそが国を興す根源である」ということで、国旗、国歌を大切にということ。
Img_6148c このあと、赤福「外宮前特設店」で「赤福盆」をいただいてきました。Img_6173c ¥210。赤福はやはり、伊勢で食べた方がいいですねぇ。さらに伊勢うどんをいただいて、伊勢市駅へ向かいました。駅前で世木神社に気づいて、お参りして帰途についたという次第。世木神社については本編でほぼ書き尽くしました。
20181211isejinguu1  外宮さんだけではありましたが、念願の伊勢参りもしてきましたし、興味Img_6228c 深い神宮暦も入手できましたので、充実した1日だったといえます。余談のさらなる余談。右の写真は、斎宮。電車が走っているときに撮りました。ここも一度は行ってみたいところ。近鉄山田線・斎宮駅のすぐそば。
 ということで、12月11日に行ってきた伊勢神宮・外宮の記事は一通り、終了であります。この記事では、つまらない余談、与太話となって恐縮です(いつも余談、与太話、無駄話ばかりだといわれれば、それまで)。

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2018年12月18日 (火)

20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(その2)……青木酒造、源空寺に立ち寄った後コースミスで余分に歩いて弥富駅へゴール(完)

20181209kintetsuhikingyatomi2  12月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」の続き(その2)です。その1では、薬師寺の大楠、鯏浦城跡を見て、難畑地蔵尊、興善寺地蔵を巡ってきました。東名阪自動車道・弥富インターのあたりから北へ向かいます。青木酒造までは1㎞あまり。

Img_5622c スタートからほぼ3㎞地点。西に養老山地が見えます。雪をかぶっていますImg_5626c し、養老山地から吹き下ろす風がけっこう冷たい。田園地帯を黙々と進みますが、今シーズン初の酒蔵みてある記ですから、期待も高まるのです(苦笑)。
Img_5662c スタートから3.8㎞、青木酒造に10時半に到着。実は、近鉄弥富駅から東名Img_5669c 阪自動車道を越え、愛西市(青木酒造は、愛西市本部田町)まで行かねばならないということで、かなり遠いイメージを持っていました。しかし、歩いてきてみて、けっこう近かったのに驚き。青木酒造さんの創業は、文化2(1805)年。江戸時代後期、210年以上の歴史があります。
Img_5637c まずは、抽選会の結果を確認。近鉄ハイキングのコースマップには、ナンバーが振ってあります。このナンバーで抽選というワケ。今回のナンバーは113。何度も見ましたが、残念ながら、何も当たらず(苦笑)。掠りもしませんでした。
Img_5642c 気を取り直して、試飲コーナーへ。ここは無料試飲。別に1杯100円でのImg_5639c 有料試飲コーナーもありました。まずは、「純米 米宗(こめそう)」を。「完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒」だそうです。ここに出ている「初しぼり 若水しぼりたて」と同じだと思います。純米酒で、辛口。トロッとした印象。美味い!
Img_5647c 飲みながら試飲コーナーを見ていますと、お代わりしても大丈夫そうでしたし、純米・米宗の他に、梅酒も出て来ていましたので、これも試飲をお願いしました(微笑)。山廃本醸造原酒と梅酒用品種である剣先梅を氷砂糖は控え目にして漬け込んだ梅酒だそうです。梅酒のエキスがかなり感じられました。
Img_5649c 続いて、甘酒の振る舞いへ。酒蔵の酒粕で造られた甘酒は、どこでいたImg_5634c だいても美味しい(微笑)。体も温まります。
Img_5654c 続いて即売コーナーへ。たいていは、試Img_5736c 飲した酒を買ってきます。「純米 米宗(こめそう) 完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒」の720ml入りを買ってきました。¥1,300と、なかなか良いお値段ですが、たまにはいいでしょう。この頃、愚息もこれを密かに楽しみにしています。
Img_5658c ところで、土産を買っていると、試飲コーナーから、「いきなり開けると危険だから、ちょっと待って」という話が聞こえImg_5657c て来ました。「危険な酒?」とは、気になります。そういえば、即売コーナーでも、小生が買った酒の隣にあった瓶に「危険 生原酒」と書かれたものがありました。これも試飲できるならと、無料試飲へ再度突入(笑)。「米宗の活性ふなくち 手汲みどぶ」です。どぶろくでした。純米生にごり酒で、瓶の中で2次醗酵させているため、いきなり開けると、炭酸ガスが吹きこぼれるということでした。最後に、最初の「純米 米宗」をもう1杯いただいて、試飲も、青木酒造みてある記も無事終了(微笑)。都合4杯も試飲してしまいました。
Img_5666c 青木酒造滞在は15分ほど。寒かったせいもあるのか、さほど飲んだ感じImg_5675c もありませんでした。ましてや酔っているという自覚はほとんどゼロ。青木酒造からは東に向かいます。300mほどのところに源空寺というお寺がありましたので、立ち寄って来ました。
Img_5681c 浄土宗のお寺。稱名山源空寺。由緒などを記した看板なImg_5684c どはありませんでしたが、例によって、ネット検索すれば何か分かると高を括ったのが間違いでした。浄土宗のお寺を検索するサイトでは出てきたものの、それ以外は分かりませんでした。楠でしょうか、大木が印象的です。
Img_5677c お寺の入り口に地蔵堂。さらに境内の墓地への入り口あたりには、お社Img_5685c が3つあったのですが、これも不明。木柱が建っていたものの、文字は読めず。やむなく、境内を一通り拝見してそのまま出て来ました。
Img_5691c このあとすぐの道を右折するのが、本来設定されたコースでしたが、「違うな」と勝手に思い込んでさらに300mほど先に行ってから右折。ところが、マップにある神社が見えず。「間違えたな」とは思ったのですが、正規ルートを行っても、再び東名阪自動車道に突き当たって右折し、西に向かいますから、そのまま間違ったルートで行くことにしました。同じあたりで、女性の参加者の方も、「私、地図が読めないんです」といって迷っておられたのですが、お誘いして同行。「旅は道連れ、世は情け」とばかりに(笑)、世間話や、ハイキングの話をしながら、本来のコースに戻りました。帰宅してから確かめたら、500mほど余分に歩いていました(苦笑)。冒頭の実測ルートマップには、正規ルートも入れてあります。「何本目で曲がる」ということもきちんと確かめないといけないという教訓を得ました。
Img_5694c 青木酒造から弥富駅までは立ち寄るところもありませんので、ひたすらゴImg_5696c ールの近鉄弥富駅を目指します。途中、愛西市西條町あたりで、アヤシげな(失礼)漢方薬局を発見。営業しているのかどうかも定かではありません。この日は閉まっていました。「薬草」と大書されていたり、「スッポンまむし」という看板があったりでした。
Img_5698c 往きに通った西中地北交差点で左折すると、弥富市内に戻ります。ここ20181209kintetsuhikingyatomi1 から南下。西中地の交差点からは、往きのルートをそのまま戻ります。再び難畑地蔵尊を見て、このあたりで7㎞。弥富駅も近づいてきます。
Img_5711c 11時43分に近鉄弥富駅に戻ってきました。歩いたのは7.7㎞。コースミスをしなければ、7.2㎞でしたが、まぁ歩きに来たのですから、多少はいいでしょう。養老でしでかしたように2㎞も余分に歩くといけませんが……。要した時間は、2時間15分。立ち寄り先が少なかったのと、あまりウロウロと見て回るところがなかったからです。11時55分に五十鈴川行き急行がありましたので、それで帰宅。桑名駅着は、12時1分。¥260。
Img_5744c 前日に続き、あみま倶楽部のスタンプをゲット。12月16日にはJRさわやかウォーキングがありました。神楽酒造へ行くものでしたが、研究会で参加できませんでした。この次は、12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ「中風封じの田村寺」と垂坂公園を訪ねて!」。去年も行ったコースですが、今年も行こうと思っています。

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2018年12月17日 (月)

20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(その1)……薬師寺の大楠・鯏浦城跡、難畑地蔵尊、興善寺地蔵へ

Img_5508c

 12月9日、多度山から北、養老山地の方は、雪が降っているような感じでImg_5664c あしたが、この日もまた、お出かけ(笑)。連日の近鉄ハイキングへの参加です。翌週(12/15、16)は、ハイキング/ウォーキングと予定が合わず、次に行けるのは12月22日になってしまいますし、今日は、待望の「酒蔵みてある記」の初回なのです。
Img_5521c  この日の近鉄ハイキングは、「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」。近鉄名古屋線・弥富駅がスタート&ゴールの約7㎞。コースマッ20181209kintetsuhikingyatomi プは、左の写真の通り。弥富駅をスタートし、薬師寺の大楠・鯏浦(うぐいうら)城跡、難畑地蔵尊、興善寺地蔵を経て、青木酒造で酒蔵見学&試飲、甘酒のふるまい、即売会・抽選会。そして、ひたすら歩いて、弥富駅に戻るというもの。ですが、試飲をしすぎたせいか(笑)、曲がるべきところを見逃し、大回り(爆)。500mほど余分に歩いてきました。といっても、他にも同じ誤りをしでかした方があり、大笑い。右の画像が実際に歩いたルート。歩くために行ったはずですから、まぁ良し。
Img_5527c_2 受付は、9時半からでしたので、桑名駅を9時11分の名古屋行き準急に乗Img_5517c 車。2駅目が弥富。9時19分着。¥260。受付は9時半からとなっていましたが、すでに始まっていました。というのも、この「酒蔵みてある記」は参加者が多いのです。9時28分にはスタートしました。
Img_5525c 最初に向かうのは、薬師寺の大楠・鯏浦城跡ですが、不勉強にしてこのImg_5528c 「鯏」という漢字を知りませんでした。駅を出て早速の電柱にもこの町名が表示されています。現地について、ボランティアガイドの方の説明を聞いてようやく分かりました。「うぐい」と読みます。ウグイは淡水魚ですから、昔このあたりにたくさんいたということかもしれません。午前中、北西の風が5m/s前後、気温6~8℃という「好条件」の中、頑張って歩きます。
Img_5532c 近鉄弥富駅の北口を出て、JR関西線の踏切を越え、800mほどで鯏浦山薬師寺Img_5535c に到着。9時40分。遠くからも大楠がよく見えています。
Img_5539c ここは、曹洞宗のお寺ですが、かつて織田信長が築いた鯏浦城と呼ばれる砦がありました。このあたりに勢力を持つ一向門徒・服部党を攻めるためです。信長の弟・彦七郎信興が城主となったのですが、元亀元(1570)年、小木江城(現在の愛西市)で戦死。怒った信長は大軍を送って、天正2(1574)年、ことごとく焼き尽くしたといいます。鯏浦城には信興の念持仏薬師如来を安置する御堂があり、それがこの薬師寺の前身です。明治時代、この薬師如来像を本尊とする薬師寺が建立され現在に至っています。この日のハイキングでは、弥富ふるさとボランティアガイドの方たちが待機して、説明してくださっています。
Img_5544c_2 境内には、この「鯏浦城跡」の石碑があります。この辺りは、昔は海岸線であり、荷之上集落とともに自然堤防上に立地し、蟹江城と並んで中世期城砦の最南に位置しており、織田が服部党に対峙する拠点だったのでしょう。この碑は昭和51(1976)年に建てられました。
Img_5560c 境内にあるクスノキの大木は、「薬師寺の大楠」として親しまれていまImg_5547c す。この大楠は、樹齢600年以上といわれます。かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名だったそうです。説明板(昭和51(1976)年の設置)によれば、目通り8.3mに及ぶとあります。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には、信長の一向門徒勢・服部党攻撃の際、信長軍がこの木に舟をつないだとも伝えられています。樹下には小祠が祀られ参拝者が跡を絶たなかったようですが、明治時代に弥富神杜に合祀されています。
Img_5562c この薬師寺には、境内と、山門の外にそれぞれ地蔵堂があります。境内Img_5574c にある地蔵堂の前には、「西国三十三ヵ所観音霊場御砂踏」という石柱が立っています。山門の外(ここも境内かも知れませんが)にあるのは、延命地蔵尊。このあと、2ヶ所のお地蔵様を巡るのですが、弥富には地蔵尊がたくさんあるように思えます。
Img_5580c 薬師寺の大楠を見て、出て来た道路にもお地蔵様があります。実測ルートマップで「1km」とあるところです。こちらのお地蔵様も延命地蔵尊で、その前には「南無延命地蔵菩薩」という石柱がありました。
Img_5584c この延命地蔵から200mも行かないところの道ばたに「難畑地蔵(なんばImg_5586c たじぞう)尊」があります。このお地蔵様は、織田信長と服部党・一向門徒との戦場となり多くの犠牲者を供養するために建立されたもので、もとは、この場所ではなく、この東にある東弥生台団地の一角にあったそうです(実測ルートマップで、難畑地蔵尊と入れたところの南西。今はそこに石碑が建っているそうですが、それは見て来ませんでした)。信長に一面焼き払われた「鯏浦下の割」古戦場は、その後、人骨や武具、矢刀などが掘り出され、耕作しようとしても大変難儀に合うことがあり、難畑と呼ばれていました。そのうちに遺骨などを集めて、地蔵尊を祀りました。明治になって、ある時、農家の娘が眼病になり、地蔵尊が「我を中地道の人通りに移してくれたらお前の眼病を治してやる」とその娘の夢枕に立ったそうです。村人十数人が、そのとおり、中地道の傍らにお堂を建立し、道行く人にお参りさせたら娘の眼病はたちどころに治ったという言い伝えがあります。案内してくださった弥富ボランティアガイドの方が熱心にしてくださったお話。
Img_5596c 難畑地蔵尊から西中地交差点で左折、北西に向かいます。東名阪自動Img_5602c 車道をくぐる手前には、興善寺地蔵があります。このあたりは、「白頭(しらこうべ)」といい、蓮如上人の孫にあたる実正を養子に迎えたほどの由緒ある寺「荷上山(がじょうざん)興善寺」がありました。末寺は70ケ寺にもおよぶ大きな勢力があったといいます。寺伝によると、桓武天皇の勅願で延暦14(796)年に創建されました。元は天台宗でしたが、永正年間(1504~1521年)に浄土真宗に改めています。信長の時代に長島の願證寺と組んで一揆を起こし、天正2(1574)年に焼き払われたものの、直ちに復興。しかし 寛永4(1627)年の大地震で倒壊し 清州に移転し さらに名古屋に移りました。
Img_5598c このあたりは、天正13年(1586)の地震で陥没し、白頭池ができています。明治24(1891)年、濃尾地震の後、村人がこの池を浚えた際に、2体の地蔵尊を探り当て、服部家と斉藤家が荷之上の墓地に安置してきました。この地蔵尊は、昭和51(1976)年に弥富市の文化財指定を受け、それ以降、荷之上区によって管理され、毎年3月に供養祭が営まれています。弥富市に残るもっとも古い石仏だそうです。
Img_5606c これでこの日のハイキングの前半部分は終了。東名阪自動車道を弥富Img_5624c インターの西で潜り、弥富インターあたりを通り、北へ向かいます.弥富インターのところで2.6㎞。10時10分くらい。北風がけっこう強く、多度山の北にある養老山地には、雪がかぶっているのが見えました(右の写真)。しかし、だんだんと青木酒造も近づいてきますので、足取りは重くはありません。
 その1はここまで。青木酒造の酒蔵みてある記、源空寺、そして痛恨の(笑)コースミスの話は、その2にて。

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