地蔵

2018年12月27日 (木)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その3)……真光寺からいよいよ油正で酒蔵見学と試飲をして「完」

181223kintetsuhikinghisai2  12月23日、年内最後の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正181223kintetsuhikinghisai3 『初日』と桃園三地蔵」のその3です。今回でゴールできる見込み。光明寺、宝樹寺、栄松寺と回って、桃園三地蔵を拝観してきました。栄松寺でスタートから4.6㎞。栄松寺を11時に出て、この先、昔からの久居の町に入っていきます。右の実測ルートマップその3には、しまむらなどが見えますがこのあたりには来たことがあります。

Img_7154c 栄松寺から1㎞ほど、津市久居元町にある野辺山真光寺。11時25分着。こちらも天台真Img_7165c 盛宗のお寺。残念ながら、ここもネット検索では情報は出て来ませんし、久居城下案内人の方にいただいたパンフレットにも載っていません。このお寺は、かなり格式が高いお寺だったということで(久居城下案内人の方のお話し)、本堂の天井に、ご住職が江戸時代から明治時代にかけて葬儀や法要に出かけるときに使ったという駕籠が2つ下げてありました。
Img_7163c 山門の脇に地蔵堂があり、そこに石造の地蔵菩薩立像がおられます。高さImg_7158c 170cm。船底方の石に刻まれいます。体の割りに顔が大きく、優しいまなざしをしていらっしゃいます(津市指定文化財)。像には、慶長14(1609)年の銘があり、真光寺のために建立されたといいます。
Img_7166c 津市教育委員会の説明板。地蔵堂内に「石造五輪塔 3基」ともありまImg_7160c す。右の写真の端に写っているのがそれかと思います(が、5基ありますのでそのうちどれかは不明)。一石五輪塔(一本の石を刻んでつくったもの)。室町時代後半の天文年間(1532~55)につくられ、亡くなった人の供養に建てられたといいます。また、本堂には、鎌倉時代初期の作とされる木造地蔵菩薩立像があります(津市文化財)。
Img_7168c 境内にはこのほかにも、古いお地蔵様がいらっしゃいまImg_7171c したが、こちらについては詳細は不明。何らかの説明があるとありがたいのですが……。
Img_7156c 六地蔵様もおられました。
Img_7179c 栄松寺の先を右折し、昔からの町へ入っていきます。久居元町から久居Img_7181c 本町。商店街に向かいます。途中、神社が見えました。川併(かわい)神社です。門松がすでにしつらえられているのも見えましたが、油正さんも目前ですし、Gさんと一緒でしたので、寄り道はせず。創始は不詳ですが、このあたりは旧・野辺村といい、「野辺惣社」と称されて、久居城下設置以前は氏神であったといいます。戦国時代、荒廃していたものの、寛永2(1625)年、現在の本殿が造立され、また同7年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請したといいます。
Img_7183c 油正さんを目前にして通ってきた道を振り返ってしまいました(苦笑)。4Img_7185c 差路の交差点のすぐ脇にここまで来た道が通じていて、変則的な5差路になっています(左の写真で向かって左がここまで来た道)。中央の建物に「右すぐ江戸善→」とあります。さらに、西を見るとバス停が「江戸善前」となっています。気になります(笑)。これは何かすごいところかと思ったら、食器、包丁、金物類を売っているお店でした。
Img_7186c 与太話はこれくらいにして、いよいよ最大の目的地である油正さんへ到Img_7188c 着。12時ちょうど。スタートからは、6.2㎞。つい1ヶ月前に来たばかりのところ(2018年11月23日:油正さんの蔵開きと、かかしコンテスト……家内の実家方面にて)。
Img_7191c まずは、蔵見学へ。蔵の奥へと進んでいきますと、「初日(はつひ)」のしImg_7201c ぼりたてが出て来ています。「あらっぱしり」は、「荒走り(あらばしり)」。荒走りは、(もろみ)を圧搾濾過して、清酒と清酒粕に分離する操作をいい、あげふねとも呼ばれます。自動圧搾機が普及する以前は、酒袋(さかぶくろ)に醪をつめて、槽(ふね)の中にならべて搾ったそうです。まず、醪を酒袋(5~9リットル入り)につめ、槽(ふね)の中に並べて積みます。この間に、最初に出てくる白く濁った清酒を荒走り(あらばしり)というのです。
Img_7204c 早速、試飲をいただいてきました。前回、初めて飲んだときの方が、濃くImg_7208c て、アルコール度数も高いような感じがしましたが、微妙な差が分かるほどの通ではありません。決して「呑兵衛」ではありませんが、これは堪りません(微笑)。機会があれば、是非賞味なさることをお勧めします。
Img_7211c 試飲のあとは、これまたお約束の甘酒の振る舞いをいただいてきました。酒蔵で、そこの酒粕で造った甘酒も美味しいもの。何がどう違うか説明できるほどの味覚は持ち合わせていませんが、とにかく美味しい(微笑)。同行のGさんは、大吟醸の酒粕が欲しかったようですがあいにく売り切れ。
Img_7213c この日は、お楽しみ抽選会もありました。その商品は、油正さんのロゴ入Img_7237c りの前掛け。自分で使う機会はなさそうですが、これ欲しかったですねぇ。当選番号は、コースマップの番号の下2桁が72。残念。619番でしたから、掠りもせず(苦笑)。Gさんは、720番。惜しかった。
Img_7215c いつものように即売コーナーで、試飲した「あらっぱしり」を買ってきましImg_7241c た。720ml入りで¥1,400。ラベルには、「このお酒は、上糟(しぼり)中にくみ上げた“そのまま”の生原酒です。酒蔵でしか味わえない”味”をお楽しみください。含まれているもろみの発酵時のガスは、徐々に消えてしまいます。お早めにお召し上がり下さい」とあります。が、大晦日か、正月にと思って、冷蔵庫にキープ中。10日以内に飲むようにとありましたから、大晦日か元旦ならセーフ。
Img_7222c またもや余談。油正さんには、「油正ホール」があります。木造2階建、切妻造桟瓦葺の土蔵、149㎡のホールですが、もとは醸造のための米蔵兼精米所でした。江戸末期の建築で、登録有形文化財になっています。展覧会やコンサートなどが行われるそうです。
Img_7228c これにて、この日の近鉄ハイキングの予定は無事終了。久居本町の昔からの商店街を通って、近鉄久居駅へ。ゴールは、12時半。スタートから7.4㎞。Gさんは、これから四日市へ向かうということでしたので、一緒に久居駅を12時47分の名古屋行き急行に乗車。私は、桑名まで。13時40分に到着。¥820。一緒に行ってくださる方があるのも、また楽しという感じでした。
Img_7235c あみま倶楽部の会員証を更新して、この日でスタンプは3個目。これで、年内のウォーキング/ハイキングはすべて終了。新年は、まだ思案中。1月5日に近鉄ハイキングで伊勢神宮参拝のコースがあるのですが(特別企画ハイキング 新春初詣ハイキング 新春初願い・平成最後の伊勢神宮初詣~足神さんへもお参り~)、この日では伊勢も、近鉄電車も大賑わいでしょうね。まぁ、ゆっくり考えます。
Img_7196c オマケ。年末特別サービス(笑)。「初日」の樽の前で記念撮影。これらの樽は、伊勢神宮猿田彦神社二見興玉神社、護国神社、結城神社に奉納し、飾られた後、引き上げてきたものだそうです。まぁ、縁起物の一種。これで何か良いことがあるかもしれません(微笑)。

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2018年12月26日 (水)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ

181223kintetsuhikinghisai2_2  12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」のその2です。その1では長い余談を書いたあと、ようやくスタートし、最初の立ち寄り先である光明寺まで来ました。ここで、鎌倉時代後期につくられた地蔵菩薩立像を拝観。

Img_7031c 光明寺はスタートから2.1㎞。次の宝樹寺まで、1.3㎞ほど。近鉄名古屋線のImg_7033c 線路を桃園駅の南で渡ります。このあたりの近鉄路線は、近鉄ハイキングなどに出かけるようになって、何度も通ります。今まで知らなかったのですが、歴史は古く、昭和5(1930)年5月に参宮急行電鉄が開通したときに開業していました。無人駅ですが、急行が停車します。全くの余談ですが、そのため、近鉄名古屋線の急行は、江戸橋から伊勢中川までは各駅停車の状態になります。

Img_7035c 桃園駅の西でV字に左折、南へ。このあたりでマンホールに目が向きました(あちこちでなるべく見つけたら、写真を撮るようにはしています。どうでも良いことが気になる質で、我ながら困ります)。旧・久居市の下水道のもの。榊原温泉の露天ぶろ入浴を描いたデザイン蓋になっていました。

Img_7044c スタートから3.4㎞、10時35分に宝樹寺に到着。こちらも天台真盛宗のおImg_7046c 寺。しかしながら、由緒などについては情報がありません。ネットで検索しても、当日、久居城下案内人の方にいただいた「永久鎮居の地久居めぐり」のパンフレットにも記載がないのです。

Img_7049c 本堂は新しい感じです。が、残念ながら、本堂の扉は閉まっており、ご本Img_7051c 尊は拝観できませんでした。本堂に向かって左手に地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。

Img_7054c こちらがその地蔵菩薩坐像。高さ2.17m。円形の基台に複弁の「反花(かImg_7056c えりはな)」が刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「敷茄子(しきなす)」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されています。「反花」は、仏像の蓮華座で上向きについた蓮弁。「敷茄子」は、蓮華台の下の鼓型の台で、花と茎の付け根部を表したもの。光背に「願主 右衛門少尉 源 幹重」 「正和三年(1314)甲寅八月廿九日建立之」の刻銘があるそうです。願主の「右衛門少尉 源幹重」については、地元の人物らしいということしか分かっていません。

Img_7057c 境内には、左の写真にあるような、これまた古そうなお地蔵様もいらっしImg_7063c ゃいました。台座にある文字を追うと、日露戦役忠霊のため、三地蔵講の方が建てたということのようでした。他にも、右のように、これは六地蔵というのでしょう。説明も何もありません。

Img_7078c 宝寿寺を出て西へ向かいましたが、100mほどいったところに小さな道標がありました。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。ということは、奈良と伊勢街道(参宮海道)とを結んでいた道か? 永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです。

Img_7074c 調べてみましたら、「安濃津から伊賀街道・大和街道を経由して奈良へImg_7077c 通じる道を、かつては「伊賀越えならみち」「奈良道」と言った。現在では、五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐し、久居城下を経て月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流する区間が「奈良街道」と称される」ということでした(こちら)。江戸初期から中期位までは、この奈良街道から伊勢参宮街道へ入る人が多かったといいます。街道は久居城下町の中を、久居万町・久居幸町・久居旅籠町・久居本町・久居二ノ町・久居元町と進み、今の桃園工業団地辺りで雲出川を渡っていました(こちら)。ここにも道中記があります。

Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。ここは、立ち寄りポイントではありませんでしたが、見つけてしまったからには、立ち寄らなければなりません。ということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました(こちら)。八柱神社は、多くの場合、八王子神社とも呼ばれ、スサノオの八柱の御子神を祀る神社です(しかし、一方で、単に八柱の神を祀る神社ということもあるようです)。詳細は長くなりますので、リンク先のWikipediaの説明をご覧ください。

 ちなみに、郷里にある八柱神社は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)、多紀理毘売命(タキリビメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメ)を祀っています。

Img_7087c

 一の鳥居の手前、両側に山の神の石碑が6柱並んでいました。近くのもImg_7089c のをここに合祀したということかと思います。

Img_7108c 左は、二の鳥居と拝殿。右は、拝殿の写Img_7104c 真。かなり古びているというか、少し傷んでいる感じ。残念ながら、ネット検索では何も情報は出て来ません。

Img_7096c 拝殿に向かって右には、神武天皇御陵遙拝所がありました。神武天皇陵は、畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接して置かれています。

Img_7130c 寄り道を終え、正規ルートに戻ります。冒頭の実測ルートマップにありますように、ちょっとクネクネと曲がって、牧町と川方町の間を北に進みます。この少し南に雲津川が流れています。その昔、桃園村はもっと低いところにあり(桃園駅南約1㎞にある物部神社あたり)、雲津川の氾濫に悩まされたそうで、その後やや高いところに移ったといいます。確かに光明寺から宝樹寺、八柱神社は、一段高いところにありました。

Img_7123c このクネクネ道のあたりから東には、近鉄名古屋線の線路がよく見 えまImg_7132c す。雲津川を渡るとすぐに中川短絡線を通って伊勢中川駅になります。4㎞地点の辺りからは、青山高原にある風力発電用の風車がよく見えました。

Img_7140c 細い川沿いの道を歩いて、宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、Img_7142c コウヤマキでできています。上述のように、桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうで、洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした(久居城下案内人の方のお話し)。なかなか洒落ています。

Img_7145c 栄松寺についても、由緒などの情報は得られませんでした。ネット検索で

Img_7147c

も、「開創は不明」という記述のみ。こちらのお地蔵様は立像ですが、右の写真のように、境内の片隅に覆い屋を建てられ安置されていました。ちょっと独特な造りでした。柱状凝灰岩に深さ約30cm近くも二重光背を彫り窪め、(がん)(厨子)状にした中に地蔵立像を刻み出してあります。龕は、仏像を納めるため、岩壁を掘りくぼめた場所。お地蔵様自体は、高さ63.6cm。蓮華文の扁平な台座の上に鎮座。背面には「正和三年(1314)甲寅八月十六日造立也」、「願主沙弥淪海」とあります。この願主についても、詳細は不明。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。

 その2はここまでとしますが、栄松寺で、知人G氏と合流。油正の蔵開きにぜひとも行きたいということで、参加されました。が、諸般の事情で、私より1本後の電車で久居駅に到着。久居駅で待っているとかえって気を遣わせるかと思い、「先にゆっくり行っていますから」ということで先行していたのです。私はあちこちでいろいろと見て回りますから、どこかで追いついてくださると勝手に決めて、先にスタートした次第。ここからは、Gさんと同行。それは、その3にて。

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2018年12月25日 (火)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その1)……久居駅を出発、陸上自衛隊久居駐屯地を見て、光明寺へ

Img_6933c 12月23日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」の本編、その1です。これで、今年のウォーキング/ハイキング納めです。今年1月からの累計で、近鉄ハイキングには27回、JRさわやかウォーキングには6回、合計33回参加しました。

Img_6936c 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーImg_6931c キング/ハイキング納めということもあり、エイヤッと出かけました。受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記はいつも大人気。私が受け取ったコースマップの番号は、何と619番でした。
Img_6939c こちらがこの日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛181223kintetsuhikinghisai 隊の久居駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。久居駅からは南のあたりを歩きます。家内の実家が津市榊原町にありますが、このあたりの土地勘はほとんどありません。右は、この日、実際に歩いたルートマップ。あまり余分に立ち寄りませんでしたので、7.4㎞でした(立ち寄り先の中で歩いた分は割愛)。
Img_6945c 久居駅東口駅前広場のところには、「緑の風公園」があります。ここは、旧・国立津病院の跡地(三重中央医療センターのサイトのここに沿革があります)。旧・国立療養所鈴鹿病院に勤務していた頃、労働組合の用事などで何度か来たことがありました。津病院は、明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊の設置に伴い、津衛咸(えいじゅ)病院として創立され、戦後、国立津病院として平成10(1998)6月までここにありました(その後は、旧・国立療養所静澄(せいちょう)病院(現在の津市白山町二本木にありました)と統合され、国立三重中央病院から、国立病院機構三重中央医療センターになっています)。それ故、ちょっと懐かしいところ。ですが、病院があった面影はすっかりなくなっています。
Img_6951c この公園の一角に「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。Img_6949c 「ハチ公」は、あの忠犬ハチ公です。ハチ公の飼い主の東京帝国大学教授・上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6944c 銅像のすぐそばには句碑がありました。平成26(2014)年12月に「久居藩初代藩主藤堂高通公・俳聖松尾芭蕉 生誕370年記念」ということで建てられた「任口、芭蕉 久居句碑」だそうです。藤堂高通公と松尾芭蕉は、ともに寛永21(1644)年生まれで、この年に生誕370年を迎えることを記念してNPO法人俳句みえが建てています。「任口(にんこう)」は、高通公の俳号。です。生誕地のつながりで、任口の俳句を前葉泰幸津市長が、芭蕉の俳句を岡本栄伊賀市長が揮毫しました。
  • 詠(なが)むるや 江戸にはまれな 山の月 芭蕉
  • はなむけぞ 江戸紫の 菊の枝 任口
 芭蕉の句は、延宝4(1676)年、芭蕉33歳の時の作。二度目の帰郷のとき、伊賀上野で見た月を、江戸の濁った月と比較しての感慨を詠んだもの。この句には、「久居藩開祖藤堂高通公(任口)に挨拶」と添えられています。任口の句の方には、「武蔵野かたへゆくものにつかわしける」と。「伊勢久居藩史」にも芭蕉が松尾宗房・桃青時代より、藤堂高通とは京都の俳諧宗匠北村季吟の同門であったとの記述があり、江戸から伊賀上野へ帰郷の際には、久居藩にたびたび立ち寄ったようです(こちら)。
 ちなみに、「久居」の地名は、藤堂高通公がこの地に永久に鎮居するといったことに由来するといいます。
Img_6925c スタート前から余談が過ぎていますが、もう少しご容赦を。上に「明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊が設置されたのに伴い、津衛咸病院も創立された」と書きました。久居駅東には、陸上自衛隊久居駐屯地があります。主力部隊は、第33普通科連隊です。
Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地(Img_6926c 兵第51連隊)として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。現在駐屯する陸上自衛隊第33普通科連隊は、この旧・大日本帝国陸軍歩兵第33連隊の連隊番号を継承していることになります。
181223kintetsuhikinghisai1 さて、長々と余談を書き連ねましたが、ようやくスタートします。スタートしたのは9時43分。久居駅から南下し、すぐに右折(東へ)。自衛隊久居駐屯地の間の道路を歩いて行きます。この道路の北側は駐屯地で、さまざまな建物が建ち、また車両などが置いてあります。南側は訓練場。
Img_6968c 駐屯地の正門。「写真を撮って大丈夫か?」とちょっとビビったので、こんImg_6966c な風(笑)。すでに門松が立っていました。右は、訓練場の様子。またもや余談になりますが、久居の花火大会(サマーフェスタインひさい(久居花火大会))は、この訓練場で開催されます。昔(久居市だった頃)からそうで、結婚当初、見に来たことがありました。
Img_6972c 訓練場の東の方に、こういうものが見えました。気になります(苦笑)。そImg_6973c ばに寄ってよく見ると、「大正天皇御野立所御手植之松」という石柱が立っています。この訓練場は、旧・陸軍津練兵場でした。大正天皇は、皇太子時代に何度か三重県に行啓しておられます(下記参照。こちらを参照)。内容から推測するに、明治39年か、45年の行啓の際に立ち寄られた可能性が高い気がします。なお、この石碑は、昭和31(1956)年1月10日、時の久居駐屯地司令により建立されました。
  • 明治33(1999)年5月23~6月2日:伊勢神宮・神武天皇陵などに結婚奉告のため三重、奈良、京都を10日間初巡啓
  • 明治38(1905)年11月:陸海軍少将に進級、戦勝報告の為に伊勢神宮を参拝
  • 明治39(1906)年10月:名古屋を訪れ、愛知・三重・岐阜三県で行われた陸軍大学校参謀旅行演習を見学。はじめての本格的な軍事行啓
  • 明治43(1910)年9月:三重、愛知を巡啓
  • 明治45(1912)年4月22日から:滋賀県と三重県を舞台にした参謀本部参謀旅行演習の見学
Img_6979c 最初の立ち寄り先の来迎山光明寺までは、2㎞あまり。その間、立ち寄るImg_6980c ところは設定されていませんので、ひたすら歩きます。久居駐屯地を過ぎて、1㎞地点で県道24号線から右折。住宅地や、畑などのあるところがつづきます。1.3㎞ほどで津市立久居東中学校前を通過。10時ちょうど。
Img_6983c 少し歩いて右折。このあたりには、梨畑があります。久居は、梨の名産地なのです。幹線道路沿いの直売店などで販売されます。8月中旬~下旬にImg_6984c は「幸水」、9月初旬は「豊水」が採れます。
 これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6992c  スタートから2.1㎞で来迎山光明寺に到着。10時10分。天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。天台真盛宗については、よく知りませんでした。天台系仏教の一派であることは推測が付いていました。総本山は、戒光山西教寺(滋賀県大津市)。ここのご本尊は阿弥陀如来。開基は聖徳太子とする伝承もあるそうですが、判然としません。室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛(しんせい)が入寺(文明18(1486)年)してから栄えたお寺です。真盛は、伊勢の出身。
Img_6999c  光明寺については、創建などについての情報が得られませんでした。しImg_6990c かし、地蔵菩薩立像には、「正和三年(1314)甲寅八月廿四日 願主 沙弥道観」と一行の刻銘があります。沙弥道観は、光明寺の僧で、建長2(1250)年生まれ、石仏がつくられた正和3(1314)年には64歳でした。この頃には、すでに光明寺はあったということです。
Img_7007c こちらが、その地蔵菩薩立像。本堂に向かって左手にある薬師堂に安置Img_7010c されています。説明板によれば、高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りに像が彫られています。像そのものの高さは、1.4m。砂岩に彫られています。右手に錫杖、左手に宝珠を持っておられます。
Img_6996c 光明寺には、地蔵菩薩立像の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります(本堂内の撮影は不可)。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_6997c 境内には、もう一つの地蔵堂があります。こちらについては、詳細は不明。内部には2体のお地蔵様がいらっしゃいます。
Img_7016c 上の写真の地蔵堂にいらっしゃるお地蔵様。説明もありませんし、ネットImg_7018c で検索しても何も出て来ません。久居の郷土史についての本を見れば、何か記述があるかもしれません。
Img_7012c こちらは、庚申塔。「庚申」という文字と、その上部に何かが彫られているのですが、私には不明(梵字かという気もしますが、全くの当て推量)。
Img_7013c 墓所の側には石碑が2柱。向かって右のものには「故陸軍歩兵一等卒小玉(?)京蔵君碑」、左は「故陸軍歩兵上等兵小玉(?)久雄君碑」と読めます。碑陰にはそれぞれ法名があり、また、右側には明治38(1905)年の日付がありますから、おそらく日露戦争に従軍された方の碑と思われます。
Img_7024c 光明寺を出て、次の目的地である宝樹寺へ向かいます。光明寺を出たとImg_7031c ころにもお地蔵様。3体いらっしゃいましたが、何も説明もありません。宝樹寺へは、近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞。今日は、ここまで。その2で宝樹寺から、桃園三地蔵の続きも。
181223kintetsuhikinghisai2 その1で触れた光明寺から、次の立ち寄り先あたりの実測ルートマップは、左の画像の通りです。

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2018年12月23日 (日)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め

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 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーキング/ハイキング納めということもあり、近鉄ハイキングに参加してきました。今回は、「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正「初日」と桃園三地蔵」です。今日のところは、例によって予告編。
Img_6936c 受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、Img_6931c 勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記は大人気。
Img_6939c_2 本日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛隊の久居181223kintetsuhikinghisai_2 駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。右は、実測ルートマップ。今日は、寄り道をしたのは、2ヶ所でしたので、実際に歩いた距離は、7.4㎞でした(立ち寄り先内で歩いた距離はカウントしていません)。これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6948c スタートの久居駅東口広場前には、「緑の風公園」があり、その一角には、「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。あの忠犬ハチ公です。飼い主の上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6968c 久居駅のすぐ東には、陸上自衛隊の久居駐屯地があります。主要部隊は、第33普通科連隊Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。
Img_6992c スタートから約2㎞。来迎山光明寺天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。地蔵菩薩立像Img_6999c の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_7007c 地蔵菩薩立像は、本堂脇にある地蔵堂に安置されています。高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りになっています。先に述べたように、正和(しょうわ)3(1314)年の建立銘があるそうです。こちらのブログの情報に寄れば、
「栄松寺が同年8月16日、光明寺が8月24日、宝樹寺が8月29日の造立、殆ど同時期に同一作者だと思われる石工の作」だといいます。写真を並べてみると、姿形が何となく似ている気もします。
Img_7044c 光明寺から近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞、桃園駅からは300mほどでしょうか、宝樹寺へ。こちImg_7049c らも天台真盛宗のお寺。本堂は新しい感じです。
Img_7054c 宝樹寺も、地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。高さ2.17m。円形の基台に複弁の反花(かえりはな)我刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「しきなす」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されていると、説明板にありました(微笑)。もう少し勉強しないといけませんねぇ。顔を洗って出直してきます。
Img_7078c 宝樹寺を出て、少し行ったところに道標(津市牧町)。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。あれこれ眺めていたら、私よりも高齢の女性、二人連れの方が「何と刻んでありますか?」とお尋ね。現地では、「さんくう」が読めませんでした(苦笑)。このあと永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです(まだ十分には調べが付いていません)。
Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。立ち寄りポイントではありまImg_7104c せんが、ここに立ち寄らなければどこに立ち寄るということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました。残念ながら、ネット検索では何も出て来ません。ここには、山の神が6柱合祀されている他、神武天皇御陵遙拝所がありました。
Img_7114c コースに戻り、いったん雲津川の堤防に出て、すぐに北上。細い川というImg_7130c か、水路というかそれ沿いに歩いて行きます。地図を見ても、名前が書かれていないくらい(調べが足らないだけかもしれませんが)。遠くに青山高原や、そこにある風力発電の風車も見えました。
Img_7140c 宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、コウヤマキでできていまImg_7145c す。桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうです(久居城下案内人の方のお話し)。洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした。
Img_7147c  桃園三地蔵の3体目、地蔵菩薩立像が安置されています。像高66cm。方形の凝灰岩の一材を光背の形に彫りくぼめて(がん)(厨子)状にし、その中に半肉彫りになっています。龕は、仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。
Img_7154c 栄松寺から1㎞ほど、津市久居元町にある野辺山真光Img_7165c 寺。こちらも天台真盛宗のお寺。このお寺は、かなり格式が高いお寺だったということで(久居城下案内人の方のお話し)、本堂の天井に、ご住職が江戸時代から明治時代にかけて葬儀や法要に出かけるときに使ったという駕籠が2つ下げてありましたし、葛籠と思われるものも2つありました。本堂には、鎌倉時代初期の作とされる木造地蔵菩薩立像があります(津市文化財)。
Img_7158c_2 真光寺にも石造地蔵菩薩立像があります(市文化財)。こちらは、江戸時Img_7160c 代のもの。慶長14(1609)年の銘があるそうです。真光寺のために建立されたといいます。地蔵堂に納められていますが、同じお堂内には、津市文化財に指定された石造の五輪塔も3基あります。1つの石を刻んでつくられる「一石五輪塔」で、室町時代後半の天文年間(1532~55)につくられました。
Img_7190c 真光寺から、本日のメインイベントである、油正さんの酒蔵見学は目のImg_7191c 前。4~500mほど。1ヶ月前にも蔵開きで来ました(2018年11月23日:油正さんの蔵開きと、かかしコンテスト……家内の実家方面にて)。蔵開きのときに比べると、静かでした(微笑)。あのときは大賑わい。
Img_7201c 今日も蔵見学&試飲。油正さんは、「初日(はつひ)」というブランド。蔵開Img_7204c きのときもそうでしたが、しぼりたての「あらっぱしり」を今日も試飲させてもらいました。前回の方が、濃くて、アルコール度数も高いような感じがしましたが、微妙な差が分かるほどの通ではありません。
Img_7213c 今日のハイキング、配られたコースマップに振られた番号で、抽選会がImg_7237c ありました。油正さんの「初日」の前掛けが当たるということでしたが、残念ながら外れ。当選は、下2桁が72でしたが、私のマップのナンバーは、619。
Img_7215c 今日も、即売会でお買い上げ(苦笑)。いつも通り、試飲をしたお酒を買Img_7241c います。もちろん「あらっぱしり」です。720mlで、¥1,400。年越しか、新年の酒と思って買ったのですが、「含まれているもろみの発酵時のガスは、徐々に消えてしまいます。お早めにお召し上がり下さい」と書いてあって、気になりますねぇ(笑)。10日ほどは大丈夫そうですから、予定通りのつもり。
Img_7228c ゴールの久居駅には、12時半に到着。今日、途中の栄松寺で、旧知のG先生と合流。油正さんの蔵開きに行きたいということです。G先生も、「あらっぱしり」と酒粕をお買い上げ。四日市に行くとおっしゃるので、一緒に久居駅を12時47分の名古屋行き急行に乗車。私は、桑名まで。13時40分に到着。¥820。一緒に行ってくださる方があるのも、また楽しという感じでした。
Img_7235c あみま倶楽部の会員証を更新して、今日でスタンプは3個目。これで、年内のウォーキング/ハイキングは終了。新年は、まだ思案中。1月5日に近鉄ハイキングで伊勢神宮参拝のコースがあるのですが(特別企画ハイキング 新春初詣ハイキング 新春初願い・平成最後の伊勢神宮初詣~足神さんへもお参り~)、この日では大賑わいでしょうね。まぁ、ゆっくり考えます。
 本編は、また明日以降、年内には書き終えるつもり。ただ、ネットだけでは調べが付かない気もしています。

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2018年12月17日 (月)

20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(その1)……薬師寺の大楠・鯏浦城跡、難畑地蔵尊、興善寺地蔵へ

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 12月9日、多度山から北、養老山地の方は、雪が降っているような感じでImg_5664c あしたが、この日もまた、お出かけ(笑)。連日の近鉄ハイキングへの参加です。翌週(12/15、16)は、ハイキング/ウォーキングと予定が合わず、次に行けるのは12月22日になってしまいますし、今日は、待望の「酒蔵みてある記」の初回なのです。
Img_5521c  この日の近鉄ハイキングは、「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」。近鉄名古屋線・弥富駅がスタート&ゴールの約7㎞。コースマッ20181209kintetsuhikingyatomi プは、左の写真の通り。弥富駅をスタートし、薬師寺の大楠・鯏浦(うぐいうら)城跡、難畑地蔵尊、興善寺地蔵を経て、青木酒造で酒蔵見学&試飲、甘酒のふるまい、即売会・抽選会。そして、ひたすら歩いて、弥富駅に戻るというもの。ですが、試飲をしすぎたせいか(笑)、曲がるべきところを見逃し、大回り(爆)。500mほど余分に歩いてきました。といっても、他にも同じ誤りをしでかした方があり、大笑い。右の画像が実際に歩いたルート。歩くために行ったはずですから、まぁ良し。
Img_5527c_2 受付は、9時半からでしたので、桑名駅を9時11分の名古屋行き準急に乗Img_5517c 車。2駅目が弥富。9時19分着。¥260。受付は9時半からとなっていましたが、すでに始まっていました。というのも、この「酒蔵みてある記」は参加者が多いのです。9時28分にはスタートしました。
Img_5525c 最初に向かうのは、薬師寺の大楠・鯏浦城跡ですが、不勉強にしてこのImg_5528c 「鯏」という漢字を知りませんでした。駅を出て早速の電柱にもこの町名が表示されています。現地について、ボランティアガイドの方の説明を聞いてようやく分かりました。「うぐい」と読みます。ウグイは淡水魚ですから、昔このあたりにたくさんいたということかもしれません。午前中、北西の風が5m/s前後、気温6~8℃という「好条件」の中、頑張って歩きます。
Img_5532c 近鉄弥富駅の北口を出て、JR関西線の踏切を越え、800mほどで鯏浦山薬師寺Img_5535c に到着。9時40分。遠くからも大楠がよく見えています。
Img_5539c ここは、曹洞宗のお寺ですが、かつて織田信長が築いた鯏浦城と呼ばれる砦がありました。このあたりに勢力を持つ一向門徒・服部党を攻めるためです。信長の弟・彦七郎信興が城主となったのですが、元亀元(1570)年、小木江城(現在の愛西市)で戦死。怒った信長は大軍を送って、天正2(1574)年、ことごとく焼き尽くしたといいます。鯏浦城には信興の念持仏薬師如来を安置する御堂があり、それがこの薬師寺の前身です。明治時代、この薬師如来像を本尊とする薬師寺が建立され現在に至っています。この日のハイキングでは、弥富ふるさとボランティアガイドの方たちが待機して、説明してくださっています。
Img_5544c_2 境内には、この「鯏浦城跡」の石碑があります。この辺りは、昔は海岸線であり、荷之上集落とともに自然堤防上に立地し、蟹江城と並んで中世期城砦の最南に位置しており、織田が服部党に対峙する拠点だったのでしょう。この碑は昭和51(1976)年に建てられました。
Img_5560c 境内にあるクスノキの大木は、「薬師寺の大楠」として親しまれていまImg_5547c す。この大楠は、樹齢600年以上といわれます。かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名だったそうです。説明板(昭和51(1976)年の設置)によれば、目通り8.3mに及ぶとあります。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には、信長の一向門徒勢・服部党攻撃の際、信長軍がこの木に舟をつないだとも伝えられています。樹下には小祠が祀られ参拝者が跡を絶たなかったようですが、明治時代に弥富神杜に合祀されています。
Img_5562c この薬師寺には、境内と、山門の外にそれぞれ地蔵堂があります。境内Img_5574c にある地蔵堂の前には、「西国三十三ヵ所観音霊場御砂踏」という石柱が立っています。山門の外(ここも境内かも知れませんが)にあるのは、延命地蔵尊。このあと、2ヶ所のお地蔵様を巡るのですが、弥富には地蔵尊がたくさんあるように思えます。
Img_5580c 薬師寺の大楠を見て、出て来た道路にもお地蔵様があります。実測ルートマップで「1km」とあるところです。こちらのお地蔵様も延命地蔵尊で、その前には「南無延命地蔵菩薩」という石柱がありました。
Img_5584c この延命地蔵から200mも行かないところの道ばたに「難畑地蔵(なんばImg_5586c たじぞう)尊」があります。このお地蔵様は、織田信長と服部党・一向門徒との戦場となり多くの犠牲者を供養するために建立されたもので、もとは、この場所ではなく、この東にある東弥生台団地の一角にあったそうです(実測ルートマップで、難畑地蔵尊と入れたところの南西。今はそこに石碑が建っているそうですが、それは見て来ませんでした)。信長に一面焼き払われた「鯏浦下の割」古戦場は、その後、人骨や武具、矢刀などが掘り出され、耕作しようとしても大変難儀に合うことがあり、難畑と呼ばれていました。そのうちに遺骨などを集めて、地蔵尊を祀りました。明治になって、ある時、農家の娘が眼病になり、地蔵尊が「我を中地道の人通りに移してくれたらお前の眼病を治してやる」とその娘の夢枕に立ったそうです。村人十数人が、そのとおり、中地道の傍らにお堂を建立し、道行く人にお参りさせたら娘の眼病はたちどころに治ったという言い伝えがあります。案内してくださった弥富ボランティアガイドの方が熱心にしてくださったお話。
Img_5596c 難畑地蔵尊から西中地交差点で左折、北西に向かいます。東名阪自動Img_5602c 車道をくぐる手前には、興善寺地蔵があります。このあたりは、「白頭(しらこうべ)」といい、蓮如上人の孫にあたる実正を養子に迎えたほどの由緒ある寺「荷上山(がじょうざん)興善寺」がありました。末寺は70ケ寺にもおよぶ大きな勢力があったといいます。寺伝によると、桓武天皇の勅願で延暦14(796)年に創建されました。元は天台宗でしたが、永正年間(1504~1521年)に浄土真宗に改めています。信長の時代に長島の願證寺と組んで一揆を起こし、天正2(1574)年に焼き払われたものの、直ちに復興。しかし 寛永4(1627)年の大地震で倒壊し 清州に移転し さらに名古屋に移りました。
Img_5598c このあたりは、天正13年(1586)の地震で陥没し、白頭池ができています。明治24(1891)年、濃尾地震の後、村人がこの池を浚えた際に、2体の地蔵尊を探り当て、服部家と斉藤家が荷之上の墓地に安置してきました。この地蔵尊は、昭和51(1976)年に弥富市の文化財指定を受け、それ以降、荷之上区によって管理され、毎年3月に供養祭が営まれています。弥富市に残るもっとも古い石仏だそうです。
Img_5606c これでこの日のハイキングの前半部分は終了。東名阪自動車道を弥富Img_5624c インターの西で潜り、弥富インターあたりを通り、北へ向かいます.弥富インターのところで2.6㎞。10時10分くらい。北風がけっこう強く、多度山の北にある養老山地には、雪がかぶっているのが見えました(右の写真)。しかし、だんだんと青木酒造も近づいてきますので、足取りは重くはありません。
 その1はここまで。青木酒造の酒蔵みてある記、源空寺、そして痛恨の(笑)コースミスの話は、その2にて。

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2018年12月 9日 (日)

20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(予告編)……いよいよ「酒蔵みてある記」の季節到来

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 多度山から北、養老山地の方は、雪が降っているような感じであります。今Img_5664c 日もまた、お出かけ(笑)。「毎日、毎日、何をしているのだ?!」といわれそうですが、今日もまた近鉄ハイキングです。来週は、ハイキング/ウォーキングと予定が合わず、次になると12月22日になってしまいますし、今日は、待望の「酒蔵みてある記」の初回なのです。
Img_5521c  今日の近鉄ハイキングは、「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」。近鉄名古屋線・弥富駅がスタート&ゴールの約7㎞。コースマップ20181209kintetsuhikingyatomi は、左の写真の通り。弥富駅をスタートし、薬師寺の大楠・鯏浦(うぐいうら)城跡、難畑地蔵尊、興善寺地蔵を経て、青木酒造で酒蔵見学&試飲、甘酒のふるまい、即売会・抽選会。そして、ひたすら歩いて、弥富駅に戻ります。なのですが、試飲をしすぎたせいか(笑)、曲がるべきところを見逃し、大回り(爆)。500mほど余分に歩いてきました。といっても、他にも同じ誤りをしでかした方があり、大笑い。右の画像が実際に歩いたルート。歩くために行ったはずですから、まぁ良し。
Img_5527c 桑名駅を9時11分の名古屋行き準急に乗車。2駅目が弥富。9時19分着。Img_5517c ¥260。受付は9時半からとなっていましたが、すでに始まっていました。というのも、この「酒蔵みてある記」は参加者が多いのです。9時28分にはスタート。
Img_5525c 最初に向かうのは、薬師寺の大楠・鯏浦城跡ですが、この「鯏」という漢Img_5528c 字を知りませんでした。「うぐい」なのです。ウグイは淡水魚ですから、昔このあたりにたくさんいたということかもしれません。午前中、北西の風が5m/s前後、気温6~8℃という「好条件」の中、頑張って歩きます。
Img_5532c 1㎞足らずで、鯏浦山薬師寺に到着。ここは、曹洞宗のお寺ですが、かつ

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て織田信長が築いた鯏浦城と呼ばれる砦がありました。このあたりに勢力を持つ一向門徒・服部党を攻めるためです。信長の弟・彦七郎信興が城主となったのですが、元亀元(1570)年、小木江城で戦死。怒った信長は大軍を送って、天正2(1574)年、ことごとく焼き尽くしたといいます。鯏浦城には信興の念持仏薬師如来を安置する御堂があり、それがこの薬師寺の前身です。
Img_5544c 境内には、この「鯏浦城跡」の石碑があります。この辺りは、昔は海岸線であり、荷之上集落とともに自然堤防上に立地し、蟹江城と並んで中世期城砦の最南に位置しており、織田が服部党に対峙する拠点だったのでしょう。この碑は昭和51(1976)年に建てられました。
Img_5560c また、クスノキの大木があり、「薬師寺の大楠」として親しまれています。この大楠は、樹齢600年以上といわれます。かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名だったそうです。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には豊臣秀吉が舟をつないだとも伝えられています。樹下には小祠神明社が祀られ参拝者が跡を絶たなかったようですが、明治時代に弥富神杜に合祀されています。織田信長と一向門徒・服部党との戦いは、後の長島一向一揆にもつながるものですが、小生、その辺りは、知識不足。本編では、もう少し調べ、頭を整理して書きます。
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 西中地の交差点に向かう途中、スタートから1.3㎞ほどのところにあるのImg_5586c が、難畑地蔵尊。このお地蔵様は、織田信長と服部党・一向門徒との戦場となり多くの犠牲者を供養するために建立されたもので、もとは、この場所ではなく、この東にある東弥生台団地の一角にあったそうです。信長に一面焼き払われた「鯏浦下の割」古戦場は、その後、その後人骨や武具、矢刀などが掘り出され、耕作しようとしても大変難儀に合うことがあり、難畑と呼ばれていました。そのうちに遺骨などを集めて、地蔵尊を祀りました。明治になって、ある時、農家の娘が眼病になり、地蔵尊が「我を中地道の人通りに移してくれたらお前の眼病を治してやる」とその娘の夢枕にたったといいます。村人十数人が、そのとおり、中地道の傍らにお堂を建立し、道行く人にお参りさせたら娘の眼病はたちどころに治ったという言い伝えがあります。案内してくださった弥富ボランティアガイドの方に伺ったお話。
Img_5596c 東名阪自動車道弥富インターチェンジのすぐ南西、興善寺地蔵があります。このあたりは、「白頭(しらこうべ)」といい、蓮如上人の孫にあたる実正を養子に迎えたほどの由緒ある寺「荷上山(がじょうざん)興善寺」がありました。寺伝によると、桓武天皇の勅願で延暦14(796)年に創建されたといます。元は天台宗でしたが、永正年間(1504~1521年)に浄土真宗に改めています。信長の時代に長島の願證寺と組んで一揆を起こし、天正2(1574)年に焼き払われたものの、直ちに復興。しかし 寛永4(1627)年の大地震で倒壊し 清州に移転し さらに名古屋に移りました。
Img_5598c 廃跡となったその後、白頭池からこの2体の石仏が掘り出され、「興善寺の地蔵」として、服部肇家と斎藤光男家が先代より代々この墓地に安置してきました。昭和51(1976)年に弥富の文化財に指定を受けてからは荷之上区が管理しています。弥富市に残るもっとも古い石仏だそうです。
Img_5606c このあと、東名阪自動車道の下をくぐって、弥富から愛西市に入っていきImg_5624c ます。途中、寒く、北風もかなり強く吹いています。西の養老山地を見ると、薄ら雪が積もっているのが見えます。道理で寒いわけ。はやく青木酒造へ行って試飲がしたい(笑)。
Img_5666c 10時半、青木酒造に到着。スタートから約3.9㎞。弥富駅から東名阪自動Img_5634c 車道を越えて、愛西市まで行くと思うと、かなり遠いイメージでしたが、案外近く思えました。すでにたくさんの参加者が、試飲や即売会に。青木酒造さん、創業は江戸後期・文化2(1805)年。
Img_5642c 無料の試飲はこちら(というのも、有料の試飲、1杯100円もありました)。Img_5639c
早速、「米宗(こめそう)」をいただきました。「完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒」。純米酒で、辛口。トロッとした印象。美味い!
Img_5658c  このほか、限定商品の「活性手汲みどぶ 純米酒」も試飲に出て来ましImg_5657c たので、こちらも味わってきました(微笑)。搾られたばかりの原酒どぶろくが瓶詰めされています。そのため、いきなり開けると爆発(?)して「危険」なのだそうです。即売会で売っていた「米宗の活性ふなくち手汲みどぶ」には、「危険生原酒」という赤いラベルがあったくらい(笑)。体が温まり、美味しかったものですから、普通の「米宗」をもう1杯と、梅酒も1杯、都合4杯もいただいてきました(笑)。そうそう、甘酒もでした。
Img_5736c 「酒蔵みてある記」に参加したとき恒例のお買い上げ、今日は、こちら。Img_5654c 最初に試飲した「純米 米宗(完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒)」、720ml入り、¥1,300です。なかなか良いお値段ですが、たまにはいいでしょう。この頃、愚息もこれを密かに楽しみにしているようです。
Img_5675c 青木酒造を10時45分に出て、東へ。300mほどのところに、稱名山源空寺。浄土Img_5680c 宗のお寺がありましたので、勝手に立ち寄って来ました。由緒などを記した看板などはありませんでしたが、例によって、ネット検索すれば何か分かると高を括ったのが間違いでした。浄土宗のお寺を検索するサイトでは出てきたものの、それ以外は分かりませんでした。楠でしょうか、大木が印象的です。
Img_5685c 境内には、お社が3つ。これも何も説明はありません。神社に詳しい方であれば、お社の形からある程度のことはお分かりになるのでしょうが、あいにくそこまでの知識もありません。
Img_5691c このあと、はじめの方にも書きましたように、本来右折すべきところを見逃し、大回り。ただし、他にも10名以上の方が同様のミス。実際に曲がったあたりで、女性の方も「私、地図がよく読めないんです」と、迷っておられたのですが、「いずれにしても東名阪自動車道に突き当たれば良いのですから、ここから行きましょう」とお誘いし、結局、ゴールまでご一緒してきました。帰ってから調べたら、500mほど余分に歩いてきたという次第。青木酒造以降は、今日は立ち寄るところは設定されていませんので、3.8㎞ほどをひたすら歩いてきました。たくさん試飲をいただいて、ほろ酔い気分でよかったのかも知れません。
Img_5711c ゴールの弥富駅に戻ってきたのは、11時43分。7.7㎞を歩きましたが、その割りにかかった時間は、2時間15分でした。立ち寄り先が少なかったのと、立ち寄り先であまりウロウロと見て回るところがなかったからです。11時55分に五十鈴川行き急行がありましたので、それで帰宅。桑名駅着は、12時1分。¥260。
Img_5744c 昨日に続き、あみま倶楽部のスタンプをゲット。来週末は、この辺りでは近鉄ハイキングも、酒蔵みてある記もありません。12/16には、JRさわやかウォーキングが南四日市駅であり(醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク)、神楽酒造へ行くコースなのですが、あいにくと研究会(あいにくなどと書くと、お叱りを受けますが)。神楽酒造さん、去年も行って、好みなのですが、残念。また、酒蔵みてある記で来年2月に行く機会がありそうですから、そのときの楽しみに。
 昨日の近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」の本編と、伝馬公園遺跡発掘調査説明会の記事も書かねばなりませんが、少しずつ載せていきます。

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2018年10月20日 (土)

20181020近鉄ハイキング「芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング」へ……菰野駅をスタート、五郎兵衛地蔵、三滝川ジョギングコース、大羽根園運動公園から湯の山温泉駅、観光列車「つどい」もしっかり見てきました(完)

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 今月3回目の近鉄ハイキングへ行ってしまいました(微笑)。宇治山田や、前回の菰野の記事も書き終えていないのに、であります。今日は、「近鉄エリアキャンペーン(「芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング」で、またもや菰野です。冒頭の写真は、ゴールの湯の山温泉駅でいただいた記念の缶バッジ。日付、ハイキングのタイトルも入ったレアもの(笑)。鈴鹿国定公園指定50周年記念事業」ということです。
Img_8196c スタートは、10月12日のハイキングと同じく(10月12日:20181012近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”(予告編))、近鉄湯の山線・菰野駅。受付は、9時半からでしたが、桑名を9時1分の五十鈴川行き急行に乗車。近鉄四日市に9時14分着、湯の山線の湯の山温泉行き(9時30分発)に乗り換えて、菰野駅には、9時49分に到着。¥470。
Img_8191c こちらが今日のコースマップ。菰野駅をスタートして、五郎兵衛地蔵、三滝Img_8193c 川ジョギングコースを歩きながら鈴鹿山脈の風景を楽しみ、菰野町役場へ。ここには足湯があります。大羽根運動公園からパラミタミュージアム、アクアイグニス・片岡温泉と歩いて、湯の山温泉駅がゴール。マップ上は、約8㎞とあります。
20181020kintetsuhikingkomono 実測ルートは、こちらの通り。9㎞でした。ちなみに、スタートの菰野駅の標20181020kintetsuhikingkomono3 高は65m、湯の山温泉駅は135m(距離測のデータによります)。70mを上ったことになります。
20181020kintetsuhikingkomono1 菰野駅をスタートし、北へ。菰野駅口の交差点から少しだけ、巡見街道Img_8203c 歩きます。巡見街道は、江戸時代に幕府の巡見使が通った道。徳川家光が諸国に巡見使を派遣するため整備した街道で、亀山市で東海道と分かれ、菰野町、いなべ市の大安、北勢、藤原を経て岐阜県に入り、関ヶ原町の不破関で中山道と接していました。現在は、その大部分が国道 306号線となっています。右の写真は、菰野駅口の交差点にある「友愛の塔」。
Img_8226c スタートから800mほどで最初の立ち寄りポイントである五郎兵衛地蔵Img_8227c に到着。南部公民館の隣にあります。昔、五郎兵衛という男がおり、お地蔵様の前の石がみんなの邪魔になると思って動かしたところ、その後、五郎兵衛が困難に直面したとき、お地蔵さまは五郎兵衛を助けてくれたということです。これに因んでお地蔵様は、「五郎兵衛地蔵」と呼ばれ、大事にされてきていま。リンク先には、五郎兵衛地蔵の前に「重軽石」があると書かれています。確かめなかったのですが、賽銭箱の奥にある、布がかけられたものかも知れません。お地蔵様は、堤防にあったものを明治10(1877)年2月、ここにお堂を建てたそうです。
Img_8217c 五郎兵衛地蔵の前には、きれいな池があり、コイが泳いでいました。春Img_8223c には桜が咲いて、きれいだそうです。
Img_8243c 五郎兵衛地蔵のすぐ北に県立菰野高校があります。創立70周年。最近では、野球部の活躍が知られています。春夏の甲子園に合わせて3回出場しており、三重県内では強豪として知られています。今日も野球部は練習中でした。道路沿いのフェンス際にいた選手諸君、丁寧に挨拶をしてくれました。
Img_8253c 菰野高校のあたりで1km。前回(10/12)のハイキングで立ち寄った菰野Img_8262c 神社(廣幡神社御旅所)の前を通って、三滝川の庄部橋手前で左折します。庄部橋は、巡見街道にかかります。もとは橋はなく、巡見使が通行するときに臨時の橋を架けていたそうですが、天明8(1788)年、菰野藩の命で橋が架けられました。この年の巡見使・朝比奈左近一行を通すためでした。
Img_8269c この庄部橋のところから、三滝川ジョギングコースがスタート。2.9㎞のジョギングコース。こImg_8275c れから向かう大羽根園運動公園の先、アクアイグニスの裏手(北)まで続きます。ジョギングコースのスタートが、コースの1.6㎞地点。2.2㎞地点でいったんジョギングコースから離れ、国道306号にかかる菰野大橋を渡って、菰野町役場の方へ回ります。右の写真に見えているのが、菰野町役場。
Img_8288c 今日のコースでは、あちこちから御在所岳(御在所山が本来のようです)Img_8352c や、御在所岳ロープウェイ がみえます。御在所岳はこれから紅葉が見事になりますし、登山やロッククライミングで訪れる人もたくさんいます。御在所岳には、「神仏のおわすところ」のいわれがあるそうです。あの倭姫命が、天照大神の鎮座地を求めて旅をなさったとき、桑名の野代から亀山に至る途中、この山の上に仮の鎮座地(頓宮)を設けられたから御在所と呼ばれるようになったといいます。御在所岳の名前の由来、今までよく知りませんでしたが、それにしても、倭姫命の足跡は県内のあちこちにあります。8月下旬に開通した「湯の山かもしか大橋」も見えています。
Img_8297c 菰野町役場。国道306号に面しています。ここには、図書館、保健福祉セImg_8295c ンターなどが集まっています。明日、菰野町では、「鈴鹿山麓かもしかハーフマラソン」が行われますので、役場やその周辺では準備作業が行われていました。
Img_8305c 役場の裏で菰野町のコミュニティバスを発見。「かもしか」号。マラソン大Img_8304c 会の名称にもありますが、御在所岳にはニホンカモシカが生息しているのです。ニホンカモシカは、氷河期の生き残りの動物ともいわれ、国の特別天然記念物。三重県県民鳥獣、菰野町町の獣でもあり、大切に保護されているのです。
Img_8310c 保健福祉センターの南の公園で、小休止。公園内には、こんな石碑。石Img_8308c 碑と行っても、表側には何も刻まれておらず、裏に右の写真のようにありました。町内の千草財産区から寄贈された「朝明御影石」だそうです。菰野町は、「石の里」とも云われるほど、朝明川、三滝川上流では菰野石、朝明石と云われる花崗岩(御影石)が多く産出するそうです。ちなみに、湯の山温泉へ行くと、大石公園があり、そこには日本一大きいといわれる御影石があり、大石内蔵助が訪れた際に思わずたたずんでしまったと伝えられています。大石内蔵助は、吉良上野介を討つ際、湯の山温泉に一泊したという話があるといいます。
Img_8319c さらにもう一つ。伊藤冠峰の「菰野温泉歌」の碑も。伊藤冠峰は、三重郡東菰野村の出身(享保2(1717)~天明7(1787)年)。絹の糸反物を商う清水笹右衛門の次男に生まれました。名を一元、字を吉甫、冠峰、逸人と号しています。青少年時代を故郷で過ごし、延宝3(1746)年ころ、名古屋に出て儒学と医学を修め、宝暦6(1756)年、40歳を過ぎてから、美濃笠松の地に医院と学塾を開き、村人の施療と教育に尽力しました。
Img_8325c 彼は、望郷の念が強く、若いときによく登った鎌ヶ岳と御在所岳の自然を終生忘れなかったといいます。彼の残した漢詩集「緑竹園詩集」には、鈴鹿の山の自然を詠んだ詩が沢山あり、その代表作が、鎌ヶ岳(冠峰)を
賛美したもので、これの一部が石碑に刻まれています。「冠峰」は、鎌ヶ岳の別称。全文は、こちらにあります。
Img_8335c 保健福祉センター南の公園についたのが、10時40分。ここでほぼ3㎞。Img_8341c 足湯(けやきの湯)がこの南、三滝川の川原にあったのですが、ハイキング参加者は誰も行きませんので、小生もそのままパス。ちょっと残念。再び菰野大橋を渡って、三滝川ジョギングコースへ戻ります。
Img_8365c 菰野大橋がかかる三滝川。四日市まで流れています。その名の起こりには、2説あるそうです。1つは、上流水上に3つの滝があることから。滝は確かに、蒼滝、百間滝、潜り門(くぐりと)滝の3つがあります。もう1つは、御在所岳、鎌ヶ岳、国見岳の3つの山から流れ出る川であるということから。
Img_8372c 三滝川ジョギングコースの続き。菰野大橋を再び渡って、南の袂で約3.5Img_8378c ㎞。ここから大羽根園運動公園まで5㎞弱、三滝川と、鈴鹿山脈の景色を眺めながら、ひたすら歩きます。
Img_8389c 途中、川にはいくつか堰があります。ある堰のところで、セグロセキレイImg_8346c が2羽。そうそう、忘れるところでした。菰野町役場の南に蓮池があり、そこにはアオサギがいたのでした(右の写真)。モズもあちこちで見かけたり、鳴き声を聞けました。バードウォッチングも楽しめ、一石二鳥以上(微笑)。
Img_8406c 大羽根園運動公園。ここは、野球場2面、サッカー場1面、テニスコートもImg_8410c あり、大変広い運動公園。大羽根西野球場では、女子のソフトボールチームが練習中。ギャラリーもけっこう集まっていました。
20181020kintetsuhikingkomono2 大羽根園運動公園の南で、ちょうど5㎞。時刻も11時25分。このあと、公園などはなく、昼ご飯を食べられるところがありませんので、ここで弁当タイム。左のルートマップで、大羽根公園とあるところで弁当にしました(正しくは、大羽根園中央公園)。
Img_8426c ハイキング恒例、近鉄の駅ナカ・ファミマの弁当。おにぎり3個とおかず。税込み¥298。食べ過ぎると歩けなくなりますから。木陰のベンチは埋まってしまっていましたので、青空の下。とはいえ、日差しはさほど強くなく、快適な弁当タイム。
Img_8413c この公園には、中央公園という表示がありました。公園の入り口に向かImg_8415c って左(西側)には、山口誓子の句碑。「青の国 開くよ葛の 茂る地に」という句が刻まれています。碑陰には、「創業拾五周年記念 昭和四拾六年拾月 三交不動産株式会社 取締役社長 由良喜市」とあります。建立は、昭和46(1971)年10月。三交不動産は、昭和32(1957)年に設立されています(こちら)。ここ大羽根園は、住宅地ですが、ここを開発、分譲したのが三交不動産です(昭和39(1964)年、湯の山大羽根園として、1,100区画)。
Img_8436c 11時40分、再スタート。大羽根園中央公園からまっすぐ南へ。湯の山街道の大羽根園駅前の交差点を右折し、西へ。この途中で6㎞を通過。このあたりは、9月2日の近鉄ハイキングで、逆から歩いてきたところ(20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編)。
Img_8445c パラミタミュージアムと、アクアイグニス・片岡温泉が立ち寄りポイントにImg_8455c なっていますが、今日はパス。パラミタミュージアムでは、「笠間日動美術館・三重県立美術館コレクション 近代西洋絵画名作展 印象派からエコール・ド・パリまで」を開催していて、ちょっと気にはなったのですが……。アクアイグニスも興味はあるのですが、来るならここを目的にゆっくりと来たいと思います。パラミタミュージアムを過ぎて、7㎞。11時52分。大羽根園中央公園からこちら、どこも立ち寄らないと決めましたので、かなりのハイペースで歩いています(笑)。
Img_8449c このあたりからが、御在所岳や、御在所ロープウェイがもっともよく見えまImg_8450c した。白い鉄塔は、御在所ロープウェイ名物のロープウェーの鉄塔の中で「日本一」の高さを誇るもの。正式名は「6号支柱(ろくごうしちゅう)」は御在所岳の標高約943m地点に建つ、御在所ロープウエイの支柱です。鉄塔の高さは61mあり、「日本一」の規模です。右の写真、ロープウェイのゴンドラが並んでいるのも写っています。
Img_8461c 現在工事が進んでいる新名神高速道路の下を潜り、鈴鹿スカイライン入Img_8466c り口の交差点を右へ。
Img_8467c 千草を回ってゴールの湯の山温泉駅を目指します。千草交差点で8㎞なImg_8483c のですが、この交差点に向かってはかなりの上り坂で大変。千草交差点を左折し、下り。また三滝川を渡ると、湯の山温泉駅は目前。駅の西から、「つどい」が止まっているのを確認(微笑)。今日は、この列車も見たかったのです。つどいは、朝10時6分に近鉄名古屋駅を発車して湯の山温泉駅に11時22分に到着します。折り返しは、湯の山温泉駅発16時5分ですから、それまでは湯の山温泉駅に止まっているのです。ちなみに、湯の山温泉駅は、近鉄湯の山線の終点。まったくどうでもいい話ですが、奥村チヨに「終着駅」という歌謡曲がありました(昭和46(1971)年)ねぇ。ただし、今日の湯の山温泉駅は、落ち葉の舞い散る停車場でもありませんでしたし、悲しい女の吹きだまりでもありませんでした(笑)。
Img_8498c 近鉄湯の山線・湯の山温泉駅には、12時17分にゴール。9㎞ちょうど、スImg_8430c タートからは2時間20分。この時間で9㎞を上ってきたのですから、けっこう速いスピード。まぁ、今日はあまり立ち寄るところがありませんでしたから(微笑)。ここで、冒頭に触れた缶バッジをゲット。あみま倶楽部のスタンプは22個目。
Img_8505c 次の湯の山線・近鉄四日市行きは、12時32分発でしたから、それまでに

Img_8518c

つどいをしっかり見てきました。線路の終端側を通って、向かいのホームに平面で移動できるのです。つどいに乗るには、大人¥500が必要です。
Img_8531c この「つどい」、「足湯列車」です。利用するには、運賃・観光列車券のほImg_8529c か「足湯利用券(大人・子どもとも¥100)」が必要だそうです。もちろん、温泉の湯が使用されているそうです。菰野温泉けやきの湯(アルカリ性単純温泉)です。来年(平成31(2019)年)2月末までの運行。
Img_8535c 話の種に一度くらいは、乗ってみたい気がしますねぇ。ただし、桑名には停車しないのです。近鉄名古屋、近鉄四日市、近鉄湯の山温泉だけ。調べてみたら、バーカウンタがあり、地酒飲み比べができるそうです。この間買ってきた早春とか、菰野富士、菰野乃大物の3種が、菰野ばんこのおちょこ付きセットであるとか(¥1,000)。さらには、湯の山温泉割引手形が乗車記念にもらえるとか。これ、なかなかいいですねぇ。
Img_8546c ということで、「つどい」もあれこれ見て、12時32分発近鉄四日市行きの普通電車に乗車。近鉄四日市駅には12時59分着。13時10分の近鉄名古屋線・名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には13時22分着。¥520。ハイキングで歩いたのは9㎞。桑名駅までの往復が2.4㎞(帰りにちょっと寄り道)。「湯ったり」はありませんでしたが、しっかりと歩いて楽しんできました。
 明日は、絶好の行楽日和のようですが、午後からは心理アセスメントの研究会。午前中、サッサと九華公園方面に散歩してから出かけることにしましょう。
 長文となりましたが、今日のハイキングの記事は、これにて目出度く「完」。宇治山田、前回の菰野についての記事は、またなるべく早めに書きたいと思っています。

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2016年8月23日 (火)

九華公園でアオサギ……浄土寺の地蔵盆と、メダカの余談

Dscn7878_800x600 暦の上では、処暑で、暑さが落ち着く時期といいますが、今日も桑名は、34.6℃の暑さ。雲には、秋の気配も見て取れますが、実際には暑くて耐えられません(苦笑)。冒頭の写真は、住吉神社。9時前の西の空であります。今日もいつもと同じように、8時40分スタートで散歩(修行? 巡回?)であります。吉之丸コミュニティパークで散歩友達のWさんの話を40分ほど聞くこととなり、ちょっと調子が狂いました(苦笑)。九華公園、寺町と回り、清水町の浄土寺(今日、明日と地蔵盆です)を経て、11時過ぎに帰宅。4.8㎞。汗だくでした。

Img_0111_800x588  九華公園を出るとき、散歩友達のナナちゃんに久しぶりに会いました。余りに暑いせいか、ちょっとだらしない格好。これでも女の子です(微笑)。ちょっとあられもない姿でした。ワンちゃんも、さすがに食欲が落ちるそうです。食べ残したドッグフードは、冷凍して、次の日、ハトの餌になるそうでした。

Img_0013_800x528  今朝6時半頃の写真ですが、久しぶりに木曽御嶽山の姿が見えていました。夏の間はほとんど見られません。秋から冬になるとよく見えるようになります。ちょっとだけ、「秋も近いかな」と思わせてくれました。

Img_0067_564x800  さて、今日は何と言っても、こちらから。アオサギさんです。「昨日も見ただろImg_0087_800x599 う?」とおっしゃるかも知れませんが、九華公園に来ていたのです。奥平屋敷跡にあるステージの裏にいました。ステージのところに来たとき、何となくアオサギがいるような気がしたのです(アオサギ・センサー稼働中です……なぁんちゃって)。10数mのところから撮ることができました。堀をのぞき込む動作も繰り返していたのですが、15分ほど見ていた限りでは、餌はゲットせず。

Img_0090_800x555  二の丸跡から撮った写真。以前、「お立ち台」と呼んでいたところです。前は、ここによくアオサギが来ていたのですが、この頃はさっぱりでした。好みの場所というのがあるのだろうと思いますが、このアオサギさんにもここを好きになってもらいたいものです。この後、本丸跡などを回って、外周遊歩道に来たら、もういませんでした。

Img_0037_800x593  吉之丸コミュニティパーク、Wさんに捉まる前、ハクセキレイを3羽。余り暑い時期には、このあたりではハクセキレイを見かけませんから、少しは暑さが和らぐサインかと期待します。

Img_0040_800x541  こちらの2羽のハクセキレイは、戯れ合って飛んでいたもの。ペアなのかImg_0042_800x565 も知れません。



Img_0043_800x545  九華公園でこの頃ときどき見かける光景。エノキなのですが、ムクドリがImg_0109_800x603 たくさん集まって、まるで実がなっているかのようです。



Img_0095_800x599  他に九華公園で見られたのは、カワウさん。野球場の照明灯の上で、口を開け、のど元をブルブルしていました。カワラヒワや、シジュウカラの鳴き声もしていたのですが、姿はなし(残念)。

Img_0113_800x533  夕方6時前、浄土寺の地蔵盆の様子でも見てこようと、本日2度目の散歩Img_0114_800x526 に出ました。名古屋の方の空を見たら、ご覧のような入道雲。予報では、夕方、にわか雨といっていましたから、名古屋方面では降ったかも知れません。ちょうどセントレアに着陸する飛行機も飛んでいました(ズームをつけていなかったので、ちょっと分かりにくい写真でした)。

Img_0125_800x533  浄土寺の地蔵盆。もっと賑わっているのかと思ったのですが、案外でした。ちょっと早過ぎたのかも知れません。本堂の前に机が出て、子どもたちが座っていました。「お金をもらって、飴を渡して……」という声が聞こえてきました。飴? 買ってきませんでした。たぶん誰も食べないからです(苦笑)。

Dscn7892_600x800  袖野山浄土寺であります。袖野というのはこのあたりの古い地名と聞いDscn7891_800x600 ています。説明によれば、永承4年(1049年)、海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりといいます。桑名藩初代藩主・本多忠勝公の「慶長の町割り」により、現在地に移っています。本多家の菩提寺であり、忠勝公の本廟となっています。地蔵盆は、我が家の近くでは、北桑名神社の脇にあるお地蔵さんでも開かれ 、そこからは、石取祭に使う金・太鼓の音が聞こえてきています。こちらの方が、賑わっているかも知れません。

Dscn7914_800x609 余談であります。メダカ、その後も元気に育っています。ご近所のSさんかDscn7910_800x572 ら、「大きくなったら、ください」といわれていましたので、昨日、5匹を差し上げました。左は、Sさん宅のメダカ・ハウス。陶器製の鉢です。我が家もこういう住まいを提供したいと思っています。Sさんからは、冗談半分なのか、「いつでも世話をしていただいて構いません」といわれています(苦笑)。

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2015年9月21日 (月)

赤須賀でお地蔵様、イオンタウンの展望台そして養老鉄道“センロク”で俄撮り鉄……9/20の散歩写真

Img_9536 せっかくあちこちへ行き、写真もありますのでもったいないと思い、昨日(9/20)の分の記事を書いておきます。午前中、散歩は、いつも通り、住吉神社、九華公園から、赤須賀漁港へ足を伸ばしました。そのお陰で、距離は6.0㎞! 赤須賀漁港に、ウミネコや、サギなどがいないかと思ったのですが、残念なながらほぼ期待はずれ(笑)。ウミネコはいたのですが、遠い側の堤防の上。カワウの様子はそれなりに分かったのですが、ウミネコはいるのが分かっただけ。

Img_9527  赤須賀漁港近くでは、地蔵堂を発見。はまぐりプラザの西の漁港の脇に 立っています。前にもここを通っているのですが、その時には、あまりお地蔵様に関心がなかったので、スルーしてしまったのでしょう(罰当たりかも知れません)。優しいお顔で、女性のイメージを持ちました。

Img_9528_2  お地蔵様の近くには、お菓子屋さんがあり、店頭に「民話Img_9529  雷井戸 へそまんじゅう」という表示が。赤須賀神社の井戸に雷様が落ちて、助けてもらう代わりにしぐれの作り方を教えたという民話が伝わっていますから、それにちなんだものなのでしょう。買おうかどうしようか迷ったのですが、買わず仕舞い。御菓子処 十一万石というお店で、駅前の桑栄メイトにも入っているようです。

Img_9565  アオサギさんは、いつものように住吉水門のところに。ただ、最初は、首をすっかりすくめていましたので、蓑がぶら下がっているのImg_9572 かと思うくらい。近づいたら、首を出して、顔を上げてきました。

Rimg00260920  散歩から帰ってマンションの玄関についたとき、リサイクル施設と、新西方のイオンタウンに行くというので、そのままついていきまRimg00280920 した。ここのイオンタウンには展望台があると分かったから、一度はみておこうという次第(笑)。確かに見晴らしはよく、中電川越火力発電所、知多半島、セントレアも見えます(ただし、昨日は、セントレアはよく分かりませんでした)。

Img_9606  左は、中電川越火力発電所の煙突。250mmズーム+トリミング。右は、員Img_9617 弁川河口や、知多半島方面、湾岸道、さらに手前は近鉄・JR線を撮ったものですが、このアングルは、送電線が入ってしまい、あまりよくありません。

Img_9611  名古屋港のクレーン施設も見えました。ただ、この展望台、東南に向かって開けていて、昨日のような好天の日には、けっこう暑くRimg00290920 てしんどかったですねぇ。

Img_9620  たまには撮り鉄であります。イオンタウンから、播磨にあるリサイクル施設へ。そこからの帰り道、播磨、蛎塚新田辺りの裏道を通っていたら、養老線の踏切に出ました。警報器が鳴ったのImg_9626 で慌ててカメラを取り出したら、こちら、“センロク”がやって来ましたので“俄撮り鉄(笑)”。準備なしでしたので、証拠写真レベル。

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