寺院

2017年10月 5日 (木)

朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼

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 今日もまた外出してきました。今日は、JR関西線に乗って一駅、三重郡Img_5796c 日町へ。運賃は¥190。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。
Asahiwalking  今日の目的は、歴史散歩。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットをしばらく前に入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現したということです。左の画像が、これに載っていたウォーキングコース。2㎞、1時間と書いてあったのですが、小生が歩いたら、4㎞、2時間でした。他にも行ってみたいところはあったものの、今日のところは、ほぼこのコース通りに回ってきました。
Img_5802c JR朝日駅から、まずは、この旧・東海道に出ます。コース図に「スタート」と矢印がついている先の曲がり角から、上り方向を撮ったものです。今は、生活道路となっていて、クルマも案外たくさん通ります。
Img_5805c 最初の目的地である朝明山西光寺。浄土真宗大谷派。確実な證跡はないImg_5826c そうですが、現存する絵像御本尊の裏書からは、明応5(1496)年に開基とされています。その後、貞享2(1685)年、大谷派に転じ現在に至ったといいます。現在の建物は、明治10~23年にかけて建立されたもの。立派な松があり、松並木の名残かという気がします。
Img_5812c 本堂の南隅に半鐘がかかっていますが、これは江戸時代のものだそうです。ただ、この西光寺、バイクや、自転車はおかれていたのですが、人気がありませんでした。
Img_5841c 西光寺から旧・東海道を約5分進みますと、小向山浄泉坊に到着します。Img_5842c 浄土真宗本願寺派。慶長8(1603)年に、伊勢慶昭が小向にあった正治寺を再興し、小向山浄泉坊と改称したのに始まります。徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺になっていたことがあるといわれ、本堂の棟や、山門に徳川家の定紋三ツ葉葵が入っています。そのため参勤交代の大名はこの寺の門の前では駕籠から降りて一礼したと伝えられます。右の写真は、山門脇にあった、旧本堂の鬼瓦を安置したもの。
Img_5855c 左は、本堂の屋根の写真。右は、山門の扉。いずれも、三ツ葉葵のご紋Img_5858c が入っています。このお寺では、地元の男性から声をかけられました。その方もカメラを持っていらしたのですが、ご住職から寺の絵を描くよう依頼され、その構想を練るために写真を撮っているということでした。
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 浄泉坊のほぼ斜向かいに、国学者・橘守部誕生地遺跡の案内板があります。17歳のとき、一家離散のため江戸に下り、20歳を過ぎてから学問を志したのですが、香川景樹、平田篤胤、伴信友とともに「天保の国学四大家」の一人に数えられるに至っています。
Img_5891c この「誕生地遺跡」の案内板の裏手に町役場があります。その一角に「橘守部翁生誕の地」の石碑が建っていました。県史跡に登録されているのは、こちらのようです。この碑は、昭和27(1952)年に建立。鈴鹿市出身の歌人佐佐木信綱の賛歌2首「くちせぬ名を国つ学の道の上に残せる大人はこの里そ生みし」「時じくのかぐのこのみのかぐわしきたかき名仰がむ八千とせの後も」が刻まれています。
Img_5874c ちなみに、この橘守部の父親である、庄屋・飯田長十郎元親の墓が、浄泉坊にあります。浄泉坊を出て、誕生地遺跡を見ているときに思い出して、戻ってみてきました。元親は、亀崎、金井などの村々を支配する大庄屋格で、津の国学者・谷川士清の門人であったといわれています。寛政4(1792)年に一揆加担の疑いをかけられ、そのため一家が離散したといいます。
Img_5881c 「橘守部誕生地遺跡」からさらに東海道を上ると、「御厨 小向神社」といImg_5884c う石柱が立つ交差点に出ます。ここで右折(東へ)。少し行くと、朝日町歴史資料館があります。ただ、うっかりして見逃しそうになりました(苦笑)。大正5(1916)年に建てられた旧朝日町役場庁舎で、国の登録文化財にも指定されています。ただし、公開は、木曜・土曜で、今日は見られませんでした。
Img_5911c ここでUターンして西へ約10分。東海道、JR関西線を横切って、小向神社Img_5913c へ。御厨神明社とも呼ばれたといいます。「御厨」は、「御」(神の)+「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のことですから、このあたりは神領だったと思われます。御祭神は、右の写真の通りですが、大日霊貴尊は天照大神です。橘守部も祀られています。
Img_5919c 境内は広く、また、木々が鬱蒼としていて、神聖な雰囲気を醸し出していImg_5931c ます。 垂仁天皇の25年、皇大神宮が桑名郡の野代宮から鈴鹿郡忍山へ遷るときの頓宮の跡と伝えられています。「頓宮」とは、仮の宮、一時的な宮のことです。垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神の御杖代として大和から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされますが、それに因むものかと思います。
Img_5937c 境内には、「皇大神宮遙拝所」という石柱が立っていました。ちょうど伊勢Img_5935c 神宮の方角を向いたと思われるところです。ほとんど余談というか、感想なのですが、この小向神社の拝殿前には、とても大きな灯籠がありました。春日神社の灯籠も大きいのですが、負けず劣らずという印象です。
Img_5944c 神社の掃除をしていらっしゃった地元の女性が、「裏山に登ると、見晴らしがよい」と教えてくださったので、行ってきました。普段、主に平地を歩いていますから、ちょっと苦労しましたが、ご覧のような眺め。四日市市街や、港、コンビナート、ポートビルがよく見えます。帰ってから気づいたのですが、このあたり、小向城があったところのようでした(苦笑)。飯田庄之助の居城でしたが、織田信長に攻められて滅んだところです(1567年)。このあたりから西、今は白梅の丘という住宅団地になっていて、消滅してしまっています。
Img_5966c 次の目的地は、初代森有節の墓です。JR関西線沿いの道に戻り、5分ほImg_5968c ど。名谷(めんだに)公園の中にあります。有節は、萬古焼中興の祖です。ここは、18世紀半ばに沼波弄山によって萬古焼が始められたところです。一時途絶えていたのを19世紀初め、有節がここに窯を構えて再興したのです。実は、ここまで大回りしてきたのですが、有節の墓から右(北)を見上げたら、さっきまでいた小向神社の裏山が見えたのです。そこからストレートに降りてくる道もあります(苦笑)。まぁ、散歩にきたのですから、たくさん歩くのはよいことです。
Img_5972c 有節の墓の横には、「三重県指定史跡 有節萬古窯跡」の説明板があります。有節は、独自の作風を確立し、明治以降、パリ万国博覧会へも出品するなど活躍しました。その技法は四日市萬古などに引き継がれているのですが、桑名在住者としては、萬古焼は、桑名の豪商・沼波弄山が始めただけに四日市が中心になっているのは、ちょっと残念です。
Img_5982c 残りは2カ所。朝日町歴史博物館と、柿城跡。歴史博物館までは、約9Asahimuseum 分。JR関西線沿いをてくてくと歩き、朝日町体育館のところから少し坂を上らねばなりません。ここへは、今年1月24日に来ています(朝日町歴史博物館へ真田信繁(幸村)の書状を見に行く)。今は常設展だけ開催中でしたが、10月28日からは、“開館20周年記念企画展「朝日のいにしえ ―縄生廃寺―」”が開催されますので、見に来ます。
Img_5991c さぁ、いよいよ最終目的地、柿城跡です。ここも実は、2度目。博物館からはImg_5992c 徒歩4分なのですが、標高40mほどの丘陵先端に位置していますので、これまた坂道(苦笑)。トレーニング不足であります。城主は佐脇氏。室町幕府に奉公衆として仕えました。弘治3(1557)年に近江国の戦国大名六角氏によって攻められ、柿城は落城しています。城跡は、現在は公園となっています。
Img_5994c 主郭があったところからは伊勢平野や東海道が一望できます。Img_6004c 戦国時代の城(というか、城館といった方がよいのかも知れません)は、こういう眺めのよいところにあったのだという気がします(小向城跡もそうです)。
Ts3v0113  この後、本来であれば、JR関西線朝日駅に戻るのですが、今日の昼は、Img_6007c 家内と外食することにしており、朝日町歴史博物館に戻って、迎えを待ってクルマで天ぷら兎波へ。味噌天丼をいただいてきました。「おすすめの食べ方」として、半分ほど食べたら、「味噌天茶漬け」にとありましたので、試してみました。味噌は八丁味噌。味噌の味が結構強いので、この茶漬けで食べるというのは、なかなかよいものです。
 余談。今日は、ウォーキングガイドにしたがって散歩してきました。しかし、朝日町には、まだまだ見所がたくさんあります。縄生廃寺跡や、苗代神社、井後神社は是非とも行きたいところですし、東海道沿いには、山口誓子句碑、一里塚跡、小向立場跡、多賀大社常夜灯などがあります。また近いうちに。

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2017年9月21日 (木)

コサメビタキ(?)、ゴイサギ

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 好天で、散歩日和です。8時40分頃から11時半まで、5㎞を歩いてきました。時間が長かった割に距離が伸びていませんが、久しぶりに会った知り合いと話し込んだのと、待望の鳥に出会えたからです。住吉神社から九華公園、寺町と周り、お彼岸ですから桑名別院にお参りしてきました。
Img_3356_800x620 「待望の鳥」と書きましたのは、こちら。コサメビタキかと思うのですが、自信Img_3339_800x620 がありません。エゾビタキではないと思いますが、サメビタキかもしれません。そんな判別に自信がない鳥なのですが、毎年9月頃、短い期間、九華公園や吉野丸コミュニティパークに姿を見せるのです。今日は、九華公園の本丸跡で見かけました。
Img_3249_800x611 そして、今日はゴイサギの姿もありました。いつものように、鎮国守国神社Img_3245_800x535 の社務所の裏です。今のところ1羽だけのようですし、毎日いるかどうかは不明。というのも、ゴイサギは、この気の中に上手に隠れている(堀の対岸からは見えないという意味)ことが多いからです。いつも、様々な位置から、視線の高さを変えたりしてよく見ているつもりですが゙、見逃しているかもしれません。
Img_3212_800x516 さて、散歩の前半、揖斐川の堤防を歩いていましたら、中州の方からダイサギImg_3213_800x566 が1羽飛んできました。旅館・山月の裏あたりに降りたのですが、アオサギがこのようにやってくることは時々あるものの、ダイサギは珍しいことです。
Img_3239_800x533 九華公園の北門あたり。暑い時期には、ドバトもあまりいなかったのですImg_3238_800x533 が、涼しくなったためか戻ってきたようです。べったりと座り込んでいるハトもいますが、これは何をしているのでしょう?
Img_3240_800x573 ハクセキレイも割とよく見かけます。このハクセキレイは、ドバトと同じく、Img_3244_800x546 北門のところにいました。九華公園に常駐するカルガモは、北門近くの堀で、浮かんでいた落ち葉を懸命につついていました。
Img_3312_800x533 ところで、鎮国守国神社の拝殿の裏には、たくさんの彼岸花が咲いてきました。アングルを工夫すると、それなりに撮れます(微笑)。ただ、この間から、鎮国さんの境内、すごいにおいが蔓延していて、参ります(苦笑)。
Img_3315_800x533 その元は、こちら。台風18号の強風で、銀杏がたくさん落ちたためです。Img_3322_800x533 台風直後よりも、日にちがたった今の方が、臭いは強烈です。時期的にも早いのでしょうし、最近は拾う方も減ったと聞きます。拾ったとしても、始末が大変だからでしょう。
Dscn3894_800x600 帰り道、お彼岸ということで、寺町にある浄土真宗大谷派・桑名別院本統寺にお参りしてきました。慶長元(1596)年、本願寺第12代教如上人によって、儀式・聞法の中心道場として開創されたのが始まりだそうです。徳川家茂や明治天皇も宿泊なさったお寺でもあります。
Dscn3886_800x600 パソコン不調のため、回復に時間を要していました。この記事は、9月23日に、21日付で投稿しました。パソコンは、一応回復したように思うのですが、まだ細かいところでいくつか調整などが必要です。パソコンが不調に陥りますと、元に戻すのにかなりの労力が必要となりますので、ガックリします(苦笑)。

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2017年9月14日 (木)

長島で鳥見、歴史散歩……河口堰と、長島城跡、蓮生寺、八幡社へ

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 台風来襲を前に、長良川河口堰他へ遠征であります。夕方の予報では、土Dscn3548_800x600 日が雨のようですし、台風もまともに来そうです。河口堰には9時到着、1時間あまり滞在。カワセミを久しぶりに堰西側で見ました。せせらぎ魚道の上流側から、親水広場に降りるスロープを越えて、揖斐川との中州に飛んでいきました。あっという間で、写真は撮れず仕舞い。それと、例のヤギさん、あの会社の周りを歩いてみましたが、本日は不在でした。
Img_2212_800x560 河口堰の東側にいたのは、アオサギさん1羽。このアオサギさん、一回りしImg_2349_800x598 て戻ってきたら、楽しませてくれました。先にその話題から。右のように、一段降りて、覗き込んでいました。「位置について、ヨーイ」という感じでした(微笑)。
Img_2350_800x563 期待に違わず、ダイビングしてくれました! 今シーズン初のダイビングシImg_2351_800x551 ーンであります。といいながら、右の写真を見ますと、足が付くところで、頭を長良川に突っ込んだということのようでした。
Img_2352_800x572 やや遠くて(かなりトリミングしています)、首尾がどうだったかよく分かりません。しかし、何となくではあるものの、獲物はあったような感じがします。
Img_2223_800x574 河口堰西側。いつもの閘門へのアプローチには、ダイサギ1羽と、カワウImg_2225_800x592 が計9羽。そこへ、別のダイサギが飛来。右の写真は、この場所へ着地寸前の様子。先日も着地シーンを載せましたが、サギたちのこの場面、なかなか興味深いものがあります。
Img_2241_800x546 西側の魚道、上流。アオサギが1羽。今日見たアオサギは、合計4羽。たImg_2243_800x547 だし、このアオサギさんも、かなり離れていたものの、このあとすぐに逃げられました。右は、その逃げた先での様子。閘門へのアプローチ、上流側のところです。
Img_2233_800x607 ハクセキレイは、この頃、河口堰でよく見られます。今日も管理橋の上Img_2325_800x610 や、堰西側あたり、親水広場で何羽も目撃。イソシギは、閘門のところで見かけました。イソシギもいつも、逃げ足が速いのです。
Img_2309_800x577 こちらは、揖斐川の方から飛来して、閘門の上流側に降り立ったアオサギさん。親水広場の東側。西側にいたのですが、大急ぎで回って、写したもの。しかし、これを撮った直後、逃げられました。全く、どうしようもありません。
Img_2249_800x590 アオサギがやってくる直前、猛禽類の姿が。トビかと思ったのですが、違うかも知れません。管理橋の上空を悠然と旋回しつつ、次第に下流方向へ飛び去りました。
Dscn3567_800x551 さて10時過ぎからは、長島町内歴史散歩(微笑)。やすらぎパーク駐車場にクルマを入れて、長島城跡と、蓮生寺へ。
Dscn3579_800x600 長島城の跡は、ほとんど遺構はありません。長島中学校と長島中部小学Img_2371_800x545 校になっています。ただ、長島中部小学校の敷地内には、本丸の南西隅にあった樹齢300年以上の黒松が今でも城郭の名残として、その威容を誇っています。
Dscn3583_800x600 長島城は、文明年間(1469~87)に伊勢国安濃郡の長野氏一族といわれる伊藤重晴が築城したと言われます。その後、長島北部にあった願証寺が浄土真宗の一大拠点となり、伊藤氏は滅ぼされ、長島城も願証寺の支配下に入ります。長島一向一揆の際には、織田信長に攻められ、破れます。その後、菅沼氏、松平氏が藩主となった後、元禄15(1702)年に増山正弥が藩主になってからは、明治維新まで増山家が支配しました。
Dscn3600_800x567 長島城の遺構はないと書きましたが、近くの蓮生寺(長島町又木)には、Dscn3606_800x600 大手門の一部が山門として使われています。蓮生寺第十一世賢道のとき(明治9(1876)年)に払い下げを受けたものです。旧大手門より縮小されているようです。
Dscn3587_800x600 長島城跡に立つ長島中学校、なかなかおもしろい意匠で建てられていまImg_2377_800x533 す。左は、門。まるで城の大手門のようです。右は、校舎の一つ。何だか、お城の天守閣のようにも見えます。勉強するにも気分が違うかも知れません。この他、近くにあった正敬寺、花林院なども見てきました。
Dscn3624_800x600 帰り道、もう1ヵ所立ち寄ってきました。長島最古の神社である八幡神社Dscn3626_800x600 です。今日・明日が例祭。以前箱の冷菜に合わせて奉納されていたようですが、獅子舞神事があるのです(今は、9月の第3土・日)。
Dscn3631_800x600 この神社は、寛元3(1245)年に藤原道家が勧請したと伝えられていまDscn3635_800x600 す。歴代長島城主からも武神として崇敬されていたそうです。獅子舞は、元禄12(1699)年に北島村の氏子によって始められたといいます。一度見てみたいと思うのですが、土・日は台風18号の襲来と重なりそうです。

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2017年4月11日 (火)

明日から「新学期」……専正寺の「蛤墳」についても

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 夜には上がるという予報ですが、朝から終日雨です。ホームセンターかどこかへ行って歩くという手もあるのですが(笑)、明日から小生にとっては新学期ですので、その準備などをして過ごしていました。というのも、明日から7月末まで、15回にわたって、毎週水曜日に1コマだけ、津市の江戸橋あたりへ非常勤で講義に出かけるのです。昨年度前期に引き続いてですが、今年度も依頼があったということは、昨年の授業では特段の不始末はしでかさなかったということでしょう(笑)。冗談はともかく、授業の資料は、昨年のものを何度か見直し、加除修正をほぼ終えています。
Dscn7759_800x592 出講先の短大、今日までオリエンテーションなどがあり、明日から授業開始です。昨年の例では、受講生は、1年生が2/3以上でした。授業は、1コマ90分。高校の授業はおそらく1コマが45~50分というのが多いと思うのですが、1年生の皆さんにとっては、それがいきなり倍というのは大変かも知れません。まぁ、明日の小生の授業では、オリエンテーションをした後、「自己理解の演習」ということで、自分自身の社会的スキルを知るための質問紙を行うつもりですから、何とか頑張ってもらいたいと思っています。
Dscn7463_800x537 さて、散歩にも行っていませんので、持ちネタから、近所にある専正寺の蛤Dscn7462_800x600 墳について書くことにします。専正寺は、桑名市今中町にある浄土真宗本願寺派のお寺。三龍山専正寺。寛永4(1627)年に「称念寺」として創建されています。承応元(1652)年、藩主松平定良公から境内地の寄付があり、その時に「正念寺」と改名しました。戦災にて焼失後、昭和22(1947)年に専久寺と合併して「専正寺」となっています。
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Dscn7467_600x800  この専正寺に「蛤墳(こうふん)」(市指定文化財)があるということは、桑名に来てすぐの頃から知っていたのですが、訪れたことがありませんでした。山門をくぐって、正面やや右手にありました。勝手に、もっと大きくて立派なものを想像していましたので、ちょっと拍子抜け。失礼な感想であります。
Dscn7471_800x600 蛤墳が造られたのは、文政6(1823)年です。このあたりは当時、今一色と呼ばれ、漁村でした。付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていたため、今一色に住んでいた谷氏が蛤供養のため、正念寺にこの蛤墳を建てました。大正12年(1923)には、時雨蛤業者によって建て替えられ、現在に至っています。
 この蛤墳の碑文は、桑名の狂歌師・黒沢行業(一雲山人)が書いています。行業は、奥平松平家の家臣。行業の息子は、国学者・歌人として知られた翁満(おきなまろ)です。
あまおふねのりのみ声にはまぐりの貝の耳にもとめてしのばむ
 ところで、このときはまったく失念していたのですが、専正寺には、あの鳥居強右衛門(とりいすねえもん)一族の墓7基もあったのです。不覚でした(苦笑)。もっともこういうことは、最近、たびたびです(爆)。
 鳥居強右衛門は、奥平家の家臣で(陪臣であったとも言われます)、戦国時代の足軽です。名は勝商(かつあき)か、とされています。強右衛門が、有名になったのは、天正3(1575)年の長篠の戦いの時です。
 強右衛門は、天正3(1575)年、長篠の合戦の前哨戦で、長篠城が武田勝頼の大軍に包囲された長篠城から脱出し、援軍依頼の使者の役割を果たし、帰陣の寸前で捕らえられました。そのとき、徳川・織田の援軍が来ることを大声で叫び、城内に告げたため磔刑(たっけい)に処せられていますが、結果的にこれが織田・徳川連合軍の大勝の大きな要因となったのです。この功績により、強右衛門の子・信商が、千石を与えられ、奥平家の重臣になっています。この逸話については、池波正太郎が、「炎の武士」(角川文庫)に書いています。
 詳細は、割愛しますが、松平(奥平)忠雅が宝永7(1710)年に備後国福山から桑名藩へ移封となり、鳥居強右衛門の子孫6代目強右衛門清商(きよあき)も桑名へ移りました。鳥居家の墓所は、最初は藩主ゆかりの桃林寺にあったのですが、松平家が忍藩に移封後は、真如寺が墓地を管理。それ以後、日進学校の拡長、都市計画などで無縁墓地となってしたのですが、戦後、この7基は奇特の人の世話で専正寺へ移ったといいます。専正寺に7代商宥、9代商義、10代商寿、11代商正などの墓碑が現存しているそうです。
 強右衛門一族のお墓も、今度尋ねて来ようと考えています。

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2017年1月25日 (水)

今日も蟄居……正受老人の「一日暮らし」が気になる

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 今日5時過ぎの夕景です。17時過ぎ。太陽が鈴鹿の山並みに沈んだ直後です。なかなかよい景色だと思い、コンデジで何枚か撮った内の1枚です。昨日出かけたのがよくなかったのか、まだ風邪気味です(苦笑)。今日は、終日、蟄居です。
 来月依頼された講演の準備をしたり、論文や、捕物帖などを読んだりして過ごしておりました。論文と捕物帖を並べてはいけないかも知れませんが……(苦笑)。
Shoujuroujin_748x303 今日読んでいた中に、この昨日の中日新聞の切り抜きがありました。「今週のことば」というコラムで、正受老人(道鏡慧端)の「一日暮らし」という言葉が取り上げられていました。
 正受老人というのは、不勉強にして知りませんでしたが、道鏡慧端(1642-1721)の通称です。道鏡慧端は、江戸時代前期-中期の僧で、松代藩主真田信之の子です。つまり、あの真田信繁(幸村)の甥。白隠禅師の師でもあります。信濃飯山に正受庵をむすび、修行に専念し、享保6年10月6日に80歳で亡くなられています。
 「一日暮らし」とは、千年万年の始めである一日をよく暮らすようにしていると、その日は充実したものとなり、それは一生をよく暮らすことにつながるといった意味です。飯山市教育委員会から「正受老人物語」が発行されており、その概要がこちら、龍雲寺のブログで読めます。

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2016年11月 2日 (水)

九華公園にユリカモメ、ツツドリらしき鳥も……住吉入江でカイツブリの漁

Img_9525_800x533_2  九華公園にユリカモメがやって来ました。「冬の使者」の代表といってよいImg_9447_800x579_2 でしょう。今日は2羽が、10時半すぎに二之丸堀の東側に登場。去年は、10月24日に初めて1羽が飛来。次は、11月16日でした。

Img_9416_800x586_2  早速、いろいろなシーンを撮ることができました。やはり鳥は、飛んでいるImg_9481_800x533_2 ところが美しいですねぇ。ほれぼれします(自分の写真にではありません。鳥の方にです)。

Img_9412_800x533_2  キンクロさんたちに混じって餌をもらっていましたが、ユリカモメの方が運動能力が高く(ユリカモメは、浮いていてもそこからすぐに飛べますが、キンクロさんたちカモは、助走を付けないと飛べません)、ユリカモメが餌を独占してしまいます。

Img_9562_800x533_2  今日は、もう一つよいことがありました。九華公園の外周遊歩道東を歩いていたら、目の前にこの鳥がやってきました。最初は、ヒヨドリかと思ったのですが、ヒヨドリよりはかなり大きく、カッコウの仲間のツツドリかなと考えています。夏鳥で、秋の渡りの時には、市街地の桜の木などにやってくるとありました。

Img_9564_800x551_2  追いかけたのですが、結局、北側の野球場を越えて飛んで行ってしまい、あまりはっきりした写真は、撮れませんでした。

Img_9280_800x547_2  さて、ここからは時間的順序に沿って行きます。住吉水門の内側には、カImg_9304_800x566_2 イツブリと、オオバンが1羽ずつやって来ていました。珍しいシーンが撮れました。右の写真をご覧ください。魚を捕らえたところです。初めて見ました。カイツブリの体の大きさに比べ、かなり大きな魚を捕まえるものだと感心します。もう少しクリアに撮れていればよかったのですが……。

Img_9299_800x604_2  オオバンは、冬になるとここ住吉入江や、七里の渡し跡などにも姿を見せます。今日は、住吉水門の内側にある浮き桟橋のところで、桟橋についた藻のようなものを啄んでいました。

Img_9317_800x521_2  住吉神社前から見える、揖斐長良川の中州。今日はアオサギは7羽。拡大していただいても、よく分からないとは思いますが、自分の記録のようなものです。ご容赦ください。

Img_9345_800x540_2  九華公園のカモたち、今日は、合計47羽と、昨日に比べやや少なくなってImg_9353_800x545 いました。キンクロさんが44羽。ハシビロガモが2羽(オス、メス1羽ずつと見えました。右の写真)。そして、ホシハジロのオスが1羽(左の写真)。

Img_9371_800x583  ナナちゃんのお父さんから(この方も鳥好きでいらっしゃいます)から、「コImg_9383_800x607 ガラの群れがいた」という情報をいただいたのですが、見つからず。代わりにシジュウカラと、メジロ。曇天になって、証拠写真(苦笑)。

Img_9507_800x595  公園内の野球場では、フェンスの上にハクセキレイが1羽。グラウンドにImg_9537_800x554 は、セグロセキレイ。これらの他にも、ハクセキレイが2羽、戯れながら飛んでいました。

Img_9552_800x597  野球場の東側のフェンスには、メスのモズ。九華公園では久しぶりにモズImg_9571_800x611 の姿を確認しました(鳴き声はしていたのですが)。また、久しぶりといえば、ジョウビタキのメス。外周遊歩道の東の電線の上。ツツドリらしき鳥を追いかけて、少し戻ったところで発見。

 だんだんと冬の役者たちがそろってきて、散歩が楽しみになります。

Img_9605_800x577  散歩は、9時半から12時。ちょっとした用事で遅くなりました。住吉神社かImg_9613_800x542 ら九華公園、京町、寺町と回り、もう一度住吉水門の方へ(オオバンや、カイツブリがまだいるか、見に行ったのです)。5.8㎞。帰りがけに立ち寄った住吉入江にて、ハクセキレイ2羽。左のハクセキレイ、やたら白いような気がします。下から見上げたからかも知れません。

Img_9615_800x538  諸戸氏庭園の東側、桑名七里の渡し公園との境にある電線には、よくカImg_9620_800x598 ワラヒワや、キジバトがいます。時にはモズが止まっていることもあります。


Img_9406_800x533  九華公園で巣作りをしていたコゲラ、日曜日から姿を見ません。これだけきちんとした巣穴を作ったのに、どうしたのでしょう? 鳥の行動、よく分からないことがたくさんあります。

Img_9603_800x533  余談であります。10月31日の中日新聞朝刊の「くらし歳時記」に「菩提樹の実」という記事がありました。「菩提樹の苞がプロペラのようにくるくる回り、種を運んでいる」というのが、気になって、寺町の桑名別院で見てきました。が、ご覧のように、実がなっているだけ。風もあまりありませんでしたし、また見に行こうと思っています。ちなみに、お釈迦様がその下で悟りを開いたというのは、印度菩提樹で、日本にある菩提樹とは違うのだそうです。

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2016年10月20日 (木)

九華公園にはホシハジロのオス登場……吉津屋堀で大きなカニ(いったい誰ぁれ?)

Dscn0516_800x600 最低気温20℃、最高気温28.1℃だそうです。道理で朝から「ちょっと暑いDscn0543_800x599 な」と感じるわけです。明日の朝は、気温が下がるそうですから、風邪を引かないようにしなくてはなりません。冒頭の写真は、諸戸氏庭園の煉瓦蔵。手前は、桜の木。土手の雑草はいただけませんが、好みの景色。今日は8時半から11時過ぎまで6.0㎞も歩いてきました(苦笑)。いつもの住吉神社から九華公園、貝塚公園のあと、吉津屋町あたりから旧東海道をちょっと南に下って、吉津屋見附跡まで足を延ばしてきたからです。右の写真で、「現在地」とあるあたりまで。ここは、旧東海道が、枡形になっています。その後は、吉津屋堀、寺町とたどってきました。

Img_6559_800x601  今日はまず、こちらから。九華公園の堀にホシハジロのオスが1羽、登場しImg_6584_800x553 ました。ただし、昨日いたオナガガモのメスと思われるカモは、不在。ハシビロガモのメスは、今日もいてくれました(右の写真)。

Img_6515_800x533  この2羽を含み、今日の九華公園には、カモは計16羽。当初は、二之丸堀Img_6540_800x532 の東西に分かれていましたが、グループは適宜離合集散するようです。左は、吉之丸堀の西、神戸櫓の下にいたキンクロさんたち。この近くにハシビロガモのメスもいました。右は、東屋の東にいたカモたち。この中にホシハジロのオスがいます。

Img_6479_800x586  さて、アオサギさんを何羽か見ました。左の写真は、川口水門(七里の渡し跡のところ)の上流側にいたアオサギさん。住吉水門のところから撮ったもので、200mほど先。この他、住吉神社の前の中州にもアオサギが3羽いるのが見えました。

Img_6490_800x532  吉之丸コミュニティパークの西側、水門近くにも1羽のアオサギ。そっと近Img_6494_800x533 寄ろうとしたのですが、30mほどの距離があったにもかかわらず、逃げました(笑)。揖斐川を越えて、長良川との中州方面へ飛び去りました。

Img_6505_800x552 九華公園、鎮国さんの社務所の裏の、いつもの場所にもアオサギさんがImg_6507_800x537 いました。ここに来るアオサギはいつも同じ個体のように思えます。興味、見ていたほとんどの時間、身繕いに費やしていました。

Img_6475_800x573  今日は、モズも、諸戸氏庭園の東や、六華苑入り口のイチョウの木、また、九華公園でも2箇所で見たのですが、残念ながら、きちんとした写真は撮れず仕舞い。左は、六華苑入り口のイチョウの木のてっぺんにいたモズ。100数十m先ですから、そもそも250mmズームでは撮れません。

Img_6467_800x546  代わりに、スズメさん。住吉神社のあたりにはいつもスズメがいます。普Img_6470_800x560 段は滅多に撮らないのですが、今日は気になって撮ってきました。休憩所や、案内板の上で遊んでいるところです。

Img_6484_800x570  川口水門に来たハクセキレイ。もう1羽やって来たのですが、そちらはピンぼけ写真(苦笑)。貝塚公園では、ヒヨドリなどはいたものの、これという鳥はいません。

Img_6615_800x580  ところで、吉津屋堀で、こんな大きなカニを見つけました。モクズガニかとImg_6629_800x532 思ったのですが、そうであれば、体長はせいぜい数㎝。ちょうど流れてきた落ち葉の何倍もの大きさがありました。ガザミでもありません。いったい誰なのでしょう? よく分からないこと、知らないこと、この年になっても多々あります。もう少し調べますが、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

Img_6645_800x532  オマケは、御坊さん(桑名別院本統寺)の山門前でとった落ち葉などの写Img_6649_800x533 真。ここにはソメイヨシノの木が何本かあります。夏は涼風が通り過ぎ、これからの時期は日だまりになり、一休みに好適な場所です。

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2016年9月19日 (月)

彼岸の入り……ヒヨドリ、シギ(?)、ヒガンバナ、猫歩き

Dscn8924_800x600 彼岸の入りだそうです。桑名別院本統寺でも、本堂に飾りがなされていましDscn8927_800x397 た。お墓参りをなさる方もチラホラといらっしゃいました。小生は、本堂に向かってお参りして来ました。寺町商店街から、桑名別院に入るところには、右のような「寺院案内」の看板が出ています。

Dscn8877_800x600  さて、午前中は雨という予報でしたが、降らないような空模様でしたし、雨雲レーダーを見ても、しばらくは降りそうにありませんでしたので、歩いてきました。昨日など、出歩かなかったら、1日の歩数が、932歩ととんでもない数値だったこともあります(苦笑)。いつものように、8時50分から2時間弱。住吉神社から九華公園、京町、寺町と5.1㎞。

Img_2415_800x566  住吉神社前から七里の渡し跡方面に向かって歩いている時、揖斐川の水Img_2416_800x521 面近くを2羽の鳥が飛んでいきました(下流に向かって)。慌ててシャッターを押したのですが、何だかよく分かりませんでした。パソコンで見ると、シギの仲間のようでした。このあたりでシギの仲間を見ることはあまりありません。

Img_2425_800x557  七里の渡し跡の川口水門から漁船を撮ったら、ちょうどカワウが1羽飛んできました。川の向こう岸は、なばなの里。夕方、家内が、「イルミの試験点灯しているんじゃない?」といっていましたが、確認できませんでした(灯りは付いていましたが、イルミではないと思います)。

Img_2458_800x589  九華公園では、久しぶりにあちこちで、ヒヨドリの姿と鳴き声が。ただ、このImg_2522_800x643 曇天では、クリアには撮れません。一応、証拠写真を載せておきます(苦笑)。


Img_2463_800x532  他には、カワウさんたちくらい。野球場の照明灯の上に数羽。揖斐川から水を入れていると、魚も入ってきて、カワウももう少したくさん集まるようですが、今日はダメでした。

Dscn8892_800x600  やむなく、今日もまたヒガンバナで遊んでみました。花菖蒲園のところも、Dscn8913_800x600 鎮国さんの裏手や、社務所の裏もかなり咲いてきました。朝方雨が降っていましたので、花には水滴が結構付いていました。これらは、花菖蒲園のところで撮ったもの。

Img_2457_800x572  水滴にはなかなかうまくピントが合いません。そこで、いつものように、Img_2481_800x594 「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で撮って選んでみました。左の写真には、花の赤が写り込んでいます(花菖蒲園のところ)。右の推定には、ヒガンバナの茎が写っています(鎮国さんの裏手)。

Dscn8904_800x600

 去年もやりましたが、花の裏側(下側)からの写真も撮ってみたのですが、曇天では今ひとつでした。ヒガンバナの赤色もイマイチ鮮やかにはなりません。また天気のよい日に再挑戦です。

Img_2513_660x800  オマケは、「猫歩き」。今日は、九華公園で5匹の旅ネコさんに遭遇。ベスImg_2512_800x533 トショットは、左の写真。このネコさん、普通に撮ると右のようなふうです。

Img_2509_800x532  本丸跡の藤棚近くに3匹が集まっていました。あまり見ない顔ぶれでしたImg_2517_800x532 が、近づいても逃げず、多少相手をしてくれました(笑)。

Img_2531_800x532  台風16号が九州に接近しています。東海地方へは、明日の午後以降近づくようです。大雨と高波に注意ということです。被害なく通り過ぎてくれることを願います。

 

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2016年9月12日 (月)

ヒガンバナが出始めました……コゲラの餌取りや、昨日、浄土寺を案内した話も

Dscn8564_800x569 萩があちこちに咲いてきました。萩が咲き始めると、残暑はもう来ないと何かで読んだ記憶があります。そう願いたいものです(写真は、昨日・9/11に九華公園で撮影)。秋雨前線が停滞しているということで、今週前半は天気は良くないようです。今日も夜から降るという予報。気温は28.5℃だったようですが、湿度が高く蒸し蒸ししていて、いやです。

Img_2142_800x573  さて、早いところでは、もうヒガンバナが咲き始めたと聞きますので、散歩しImg_2145_800x532_2 ながら探していました。なかなか見つけられなかったのですが、今日、鎮国守国神社の拝殿の裏で、ヒガンバナが出てきていました。まだ出始めたばかりで、「咲いた」といえるものはありません。

Img_2131_800x533  九華公園でも管理事務所の南や、外周の遊歩道の南にありますし、土曜日(9/10)に出かけた大山田川沿いでも咲きます。伊勢大橋のすぐ北にある長願寺のところでは、数年前までシロバナヒガンバナが咲いていました(その後、改修工事でなくなってしまっています)。小生自身は、とくに好みの花ではありませんが、季節の花として、また、被写体としては気になります。

Img_2070_800x617  鳥はたくさんはいませんでしたが、コゲラをすぐ近くで撮ることができました。Img_2081_800x591 九華公園の朝日丸跡。数メートル先の木にやって来て、餌となる虫をほじりだしていました。懸命になっているあまり、こちらの存在は気にならなかったようです。

Img_2076_800x596  これらの3枚は同じ個体ですが、近くにももう1羽いましたし、本丸跡などでも鳴き声が聞こえていました。


Img_2105_800x567  シジュウカラと思って見ていたのですが、写真で見ると、シジュウカラならば胸にある「黒ネクタイ」がないような気もします。ヒガラなのかも知れません。正面から写真が撮れませんでしたので、確認はできませんでした。ヒガラも、シジュウカラも鳴き声は、「ツッピー、ツッピー」と似ています。場所は、野球場のライト側フェンスに近い枝垂れ桜の木。

Img_2119_800x592  その野球場のフェンスには、シジュウカラ(目が写っていませんし、写真としてはイマイチです)がいました。上のヒガラ(?)と一緒に行動しているようでした。

Img_2040_800x529  その他の鳥さんたち。ハクセキレイは、吉之丸コミュニティパークにて。ここの藤棚で、鳥好きのSさんに遭遇。望遠鏡を取り付ける三脚をずっと探していらしたのですが、小生が朝日町のモ○マ○アにありませんかとお話ししたら、早速行ってこられ、気に入ったものを見つけることができたとよろこんでいただけました。

Img_2044_800x599  九華公園の奥平屋敷跡の石碑の近くには、カワラヒワが数羽。曇っていImg_2049_800x577 ましたので、こんな写真です。右の写真など、ムクドリかと思ったくらい(苦笑)。


Img_2052_800x532  しばらくカルガモの姿がありませんでした。今日は、奥平屋敷跡から東に行く橋の下にカメさんと一緒に休憩中でした。見当たらない時は、どこにいるのかは、相変わらず謎です。

Img_2101_800x584  今日の散歩は、8時45分から2時間あまり。例のように、住吉神社から九華公園、京町、寺町と4.9㎞。蒸し暑く、結構汗をかきました。


Img_1903_800x532  ところで、昨日もサボらず散歩には行っていました。似たようなコースで、Img_1904_800x533 4.5㎞、2時間半ほどです。トピックスだけ載せます。写真は、住吉水門の内側にある浮き桟橋。ときどき船巡りの船の発着に使われます。昨日は、流木らしきものが置かれていました(今日はありませんでしたので、誰か持ち去ったのでしょうか?)。

Img_1909_800x533  この桟橋のすぐ西に県道が通っています。住吉入江の上で、奥(西)に見えるのが、住吉ポンプ場。ここは、Img_1907_800x533 隠れた釣りスポットのようで、釣りをしている人がよくいます。昨日も2組。日陰になりますし、風も通って涼しいのです。ハゼが釣れるようですから、小生も子どもの頃を思い出して、一度ハゼ釣りでもしてみたい気がします。

Img_1911_800x522  揖斐川の堤防から、揖斐長良川の中州の南端を見たら、何かいました。Img_1912_800x554 「鳥にしては大きいし、形が違う」と思って、よくよく見ましたら、釣り人でした(笑)。向こう(長良川の方)を向いて、川の中に立っているのか、何かに乗って浮いているのかよく分かりませんが、釣りをしているようです。

Dscn8567_800x600  鎮国守国神社の「御車修祓殿」、完成が近いようです。お社の前には、石Dscn8571_800x600 畳が敷かれ、周囲には玉垣がしつらえられつつありました。ちなみに、玉垣、1つを奉納するのに、20~30万円だそうです。実費はこんなにはしないと思いますが……。

Dscn7890_800x570  散歩をほぼ終え、三崎見附まで戻ってきたら、ハイキングの一団の方かDscn7897_600x800 ら、「浄土寺はどこですか?」と聞かれました。「本多平八郎忠勝の墓所が見たい」ということです。NHKの大河ドラマ「真田丸」が始まってから、ときどき尋ねられるようになりました。おもしろいことに皆さん「本多平八郎忠勝とフルネーム(?)でおっしゃいます。

Dscn8213_600x800  本多忠勝公については、吉之丸コミュニティパークの入り口に銅像がありImg_0775_800x533 ます。この銅像は、立坂神社が所蔵する「紙本淡彩 本多忠勝像」がもとになっていると思います。リンク先に画像があります。江戸初期のもので、作者は不詳、出陣姿を描いたものだといいます。この銅像を写真に撮っている方もよく見かけます。

Tadakatsu_1024x515  桑名中心街マップの一部です。浄土寺と本多忠勝像は、赤丸で囲んであります。その他、小生の散歩コースでよく登場するところは、赤枠をつけてあります。ご参考までに。

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2016年8月23日 (火)

九華公園でアオサギ……浄土寺の地蔵盆と、メダカの余談

Dscn7878_800x600 暦の上では、処暑で、暑さが落ち着く時期といいますが、今日も桑名は、34.6℃の暑さ。雲には、秋の気配も見て取れますが、実際には暑くて耐えられません(苦笑)。冒頭の写真は、住吉神社。9時前の西の空であります。今日もいつもと同じように、8時40分スタートで散歩(修行? 巡回?)であります。吉之丸コミュニティパークで散歩友達のWさんの話を40分ほど聞くこととなり、ちょっと調子が狂いました(苦笑)。九華公園、寺町と回り、清水町の浄土寺(今日、明日と地蔵盆です)を経て、11時過ぎに帰宅。4.8㎞。汗だくでした。

Img_0111_800x588  九華公園を出るとき、散歩友達のナナちゃんに久しぶりに会いました。余りに暑いせいか、ちょっとだらしない格好。これでも女の子です(微笑)。ちょっとあられもない姿でした。ワンちゃんも、さすがに食欲が落ちるそうです。食べ残したドッグフードは、冷凍して、次の日、ハトの餌になるそうでした。

Img_0013_800x528  今朝6時半頃の写真ですが、久しぶりに木曽御嶽山の姿が見えていました。夏の間はほとんど見られません。秋から冬になるとよく見えるようになります。ちょっとだけ、「秋も近いかな」と思わせてくれました。

Img_0067_564x800  さて、今日は何と言っても、こちらから。アオサギさんです。「昨日も見ただろImg_0087_800x599 う?」とおっしゃるかも知れませんが、九華公園に来ていたのです。奥平屋敷跡にあるステージの裏にいました。ステージのところに来たとき、何となくアオサギがいるような気がしたのです(アオサギ・センサー稼働中です……なぁんちゃって)。10数mのところから撮ることができました。堀をのぞき込む動作も繰り返していたのですが、15分ほど見ていた限りでは、餌はゲットせず。

Img_0090_800x555  二の丸跡から撮った写真。以前、「お立ち台」と呼んでいたところです。前は、ここによくアオサギが来ていたのですが、この頃はさっぱりでした。好みの場所というのがあるのだろうと思いますが、このアオサギさんにもここを好きになってもらいたいものです。この後、本丸跡などを回って、外周遊歩道に来たら、もういませんでした。

Img_0037_800x593  吉之丸コミュニティパーク、Wさんに捉まる前、ハクセキレイを3羽。余り暑い時期には、このあたりではハクセキレイを見かけませんから、少しは暑さが和らぐサインかと期待します。

Img_0040_800x541  こちらの2羽のハクセキレイは、戯れ合って飛んでいたもの。ペアなのかImg_0042_800x565 も知れません。



Img_0043_800x545  九華公園でこの頃ときどき見かける光景。エノキなのですが、ムクドリがImg_0109_800x603 たくさん集まって、まるで実がなっているかのようです。



Img_0095_800x599  他に九華公園で見られたのは、カワウさん。野球場の照明灯の上で、口を開け、のど元をブルブルしていました。カワラヒワや、シジュウカラの鳴き声もしていたのですが、姿はなし(残念)。

Img_0113_800x533  夕方6時前、浄土寺の地蔵盆の様子でも見てこようと、本日2度目の散歩Img_0114_800x526 に出ました。名古屋の方の空を見たら、ご覧のような入道雲。予報では、夕方、にわか雨といっていましたから、名古屋方面では降ったかも知れません。ちょうどセントレアに着陸する飛行機も飛んでいました(ズームをつけていなかったので、ちょっと分かりにくい写真でした)。

Img_0125_800x533  浄土寺の地蔵盆。もっと賑わっているのかと思ったのですが、案外でした。ちょっと早過ぎたのかも知れません。本堂の前に机が出て、子どもたちが座っていました。「お金をもらって、飴を渡して……」という声が聞こえてきました。飴? 買ってきませんでした。たぶん誰も食べないからです(苦笑)。

Dscn7892_600x800  袖野山浄土寺であります。袖野というのはこのあたりの古い地名と聞いDscn7891_800x600 ています。説明によれば、永承4年(1049年)、海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりといいます。桑名藩初代藩主・本多忠勝公の「慶長の町割り」により、現在地に移っています。本多家の菩提寺であり、忠勝公の本廟となっています。地蔵盆は、我が家の近くでは、北桑名神社の脇にあるお地蔵さんでも開かれ 、そこからは、石取祭に使う金・太鼓の音が聞こえてきています。こちらの方が、賑わっているかも知れません。

Dscn7914_800x609 余談であります。メダカ、その後も元気に育っています。ご近所のSさんかDscn7910_800x572 ら、「大きくなったら、ください」といわれていましたので、昨日、5匹を差し上げました。左は、Sさん宅のメダカ・ハウス。陶器製の鉢です。我が家もこういう住まいを提供したいと思っています。Sさんからは、冗談半分なのか、「いつでも世話をしていただいて構いません」といわれています(苦笑)。

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