寺院

2020年8月24日 (月)

鳥も散歩友達も少なかったので、惣構現地調査2日目……今日は7.4㎞(爆)

Img_4600c_20200824145401  朝は、24.9℃と、かろうじて熱帯夜を免れ、北寄りの風で、多少過ごしやすい感じでしたが、日中は、34.3℃と相変わらずの暑さです。7時半スタートで散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園と歩き、そこから昨日の続きで、惣構実地調査。柳原、江場、新屋敷、伝馬町から一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町、吉津屋町、京町、寺町と、またもや7.4㎞も歩いて、10時帰宅。「暑いのに、よく歩くな」と思われるかも知れませんが、先週の暑さに比べると少し楽に思います。

Img_4314c  住吉神社から見た揖斐長良川の中洲。ダイサギのようですが、1羽だけいました。ここは、以前は、よくアオサギが集合していた場所です。多いときには20羽以上もいたことがあります。そういう光景をまた見たいと思っています。

Img_4342c_20200824145501  柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイ。その他、ハシボソガラスたち。九華公園では、今日もあまり鳥Img_4352c はいません。奥平屋敷跡にある鳥小屋を確認してきたのですが、妙な具合になっていました。白いインコがペアで入れられたはずでしたが、カップルが、右の写真のように入れ替わっているようでした。う~ん、何と申しましょうか(笑)。

Img_4371c_20200824145501  その後、シルバー人材センターの脇を通ったら、ちょうど同級生K氏と遭遇。「ちょっと寄っていけ」ということになり、コーヒーをご馳走になりながら、少しばかりおしゃべり。猛暑の時期で、派遣されて仕事に行く方々も大変のようでした。冗談半分に「お前も、働くか?」といわれましたが、ブラブラ人生も長くなり、今さら役には立たない可能性大です(苦笑)。

Img_4563c_20200824145401  惣構実地調査の話は後にして、伝馬公園からは一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町の境にある緑地帯を通り、定休日の寺町商店街を通過して、住吉入江へ。三崎見附跡の北でシジュウカラを目撃。2羽。Img_4596c しかし、ソメイヨシノの木に紛れてしまい、写真は撮れず。その後、拙宅前の住吉入江のところで休憩していたら、イソヒヨドリのメスが登場。実は、朝5時頃にも、鳴き声が聞こえていたのです。

0824walk  さて、惣構実地調査、2日目です。マップは、昨日とほぼ同じです。赤いラインは、惣構があったと考えられるところ、ブルーのラインが今日歩いてきたルート。昨日、回ってこなかった桑名税務署・桑名消防署の北から西側と、市営日進町住宅、長圓寺・報恩寺の南から、伝馬公園の裏手の2ヶ所が主な目的地でした。

Img_4377c  左の写真は、昨日も載せた桑名税務署から北に延びる桜並木。惣構の跡と考えられます。桑名税務署から北へ50mほどのところまで、桜並木と幅広い水路の跡らしきものが確認できます。

Img_4386c_20200824145501  桑名税務署のすぐ北にある交差点。向かって右手に一部見えているのが、税務署。その向こうに見える塔Img_4391c_20200824145501 は、消防署の訓練用のタワー。右の写真は、この交差点を曲がって、進む先。東新町市営住宅の北側へと続きます。堀の跡か? というと、何ともいいがたい感じです。

Img_4395c_20200824145501  少し進んだところの様子。道はほぼ直線で、少しだけ曲がっています。右Img_4400c の写真は、東新町市営住宅の西側を通っている道。直線で、県道401号線に向かっています。これまた、堀の跡かというと、微妙な感じです。ここは見通せて、道の様子も分かりましたので、曲がらず、東新町市営住宅の西側へ進むことにしました。

Img_4403c_20200824145501  税務署・東新町市営住宅の北の道を西に進み、行き当たりが、左の写真。三叉路になっています。江戸時代の城絵図では、惣Img_4405c_20200824145501 構は南の方に続いていますので、ここで左折して南へ。東新町市営住宅は、南北に建つ棟と、東西に建つ棟と2棟あります。左折して進むと、東西に建つ棟の裏につながります。

Img_4409c_20200824145501  市営住宅の敷地に行き当たったところに日進まちづくり拠点施設(公民館)。ここで道は右Img_4413c 折(西へ)。

Img_4418c_20200824145501  50mほどでT字路を左折すると、県道401号線が見えまImg_4421c_20200824145501 す。道幅はそれなりにあり、堀の跡といわれれば、そうかなと思える気がします。

Img_4423c_20200824145501  こちらは、県道504号線の手前で、歩いてきた道を振り返った写真。後ほど、城絵図と照らし合わせて、あれこれ考えてみましょう。

Img_4440c_20200824154301  昨日は、県道401号線から日進小学校方面に行くのに、東新町市営住宅と消防署の間の通りのところから南に向かいました。Img_4445c_20200824154301 そこで、今日は、県道401号線を西に向かい、日進小学校の東側の道路から行くことにしました。微妙なカーブになっています。古い道がそのまま残っているのかも知れません。

Img_4447c_20200824145501  日進小学校。七曲見附のあった辺りからの惣構は、ここの敷地内を通っていたと思われまImg_4450c_20200824145501 す。写真は、東から西を見ています。右の写真は、日進小学校の敷地の南東側にある交差点。昨日は、左から右へ(東から西へ)、ここを通過しています。昨日歩いたルートが、今のところ、惣構の跡ではないかと考えています。

Img_4456c_20200824145501  日進小学校南の交差点に出て来ました。左の写真で、正面が、今日歩くルート。左右(南北)の通りは、県道613号線。写真Img_4462c_20200824145501 に写っている辺りは、東海道が通っていたところで、向かって右に火の見櫓と消防団倉庫があります。そこから道路をはさんだ日進小学校の敷地にかかるあたりに七曲見附があったとされます。右の写真は、同じところから視線を少し左(南)に向けて撮ったもの。信号の向こうにある理髪店に向かってすぐ左から奥に向かうのが、東海道。

Img_4484c_20200824145501  県道613号線を渡って、伝馬公園の裏手に続く道に進みます。この右手に市営日進町住宅があります。その先には、長圓寺・Img_4487c_20200824145501 報恩寺があり、江戸時代の城絵図を見ても、道の形から、ここが惣構の跡であることは確実と思っています。少し進むと、道は右にカーブしていきます。

Img_4489c_20200824145501 Img_4493c_20200824145501  この左手(南側)には大きな民家があります。ここは、「廣瀬鋳物工場跡」です。桑名藩初代藩主本多忠勝公は、城の建設などのため、鋳物師を桑
名に招き地代を免除するなど優遇したのですが、廣瀬氏もその一人で、ここに土地を与えられました。そのため、この付近は「鍋屋町」と呼ばれています。工場は、戦災ご移転しています。

Img_4499c  道なりに進みますと、長圓寺と、報恩寺の裏手に出ます。向かって右が報恩寺、左が長圓寺。報恩寺は、真宗本願寺派。もとは江場村にありましたが、ここに移されています。寺内には、桑名町長を務めた竹内文平の墓があります。⻑圓寺は、大悲山(だいひざん)と号し、浄土真宗本願寺派。慶⻑の町割りでここに移りました。この寺の11世魯繽庵義道(ろこうあんぎどう、宝暦11(1761)〜天保5(1834)年)は「久波奈名所図会(くわなめいしょずえ)」などの地誌を著わすとともに、一枚の紙に切り込みを入れるだけで、連続した鶴を折る連鶴を考案し、寛政9(1797)年、『秘伝千羽鶴折形』が刊行され、49種類の連鶴が紹介されています(桑名の千羽鶴;市無形文化財)。今日のテーマからすると、余談が長くなりました。

Img_4508c_20200824145601  さらに進みますと、伝馬公園(願証寺跡)が見えてきます。惣構は、伝馬公園と天武天皇社の間を通っていました。左の写真Img_4513c_20200824145601 で三叉路を左手に進みます。それが右の写真。

Img_4516c  天武天皇社の裏(左の写真)を通って80mほど進むと道は右に曲がり、北向に(右の写Img_4528c_20200824145601 真)。この先で再び、県道401号線に出ます。この曲がるところまで、昨日、北側から来ています。

Img_4530c_20200824145601  さらに進んだ写真。柳の枝が垂れ下がったずっと向こうImg_4538c_20200824161001 に、昨日紹介した金刀比羅社が小さく見えています。これで、今日の目的は一通り、達成できました。

Img_4543c_20200824145401  伝馬公園で一休み。伝馬公園は、近世の桑名城下町でいうと、その南西端にあります。16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わっています。願証寺はImg_4545c もとは長島にあり、明応6(1497)年、蓮如上人の子・連淳が入って東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。伝馬役に従事する人々が多く住んでいたため、それが町名になりました。一昨年、市教育委員会が遺跡発掘調査を行い、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかりました。その説明会に行っています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。

Img_4586c_20200824145401  という次第で、2日間にわたり、惣構の現地調査をしてきました(たいそうなことではなく、現地と思われるところを歩いて、見て、写真を撮って来ただけ)。江戸時代の城絵図と現代、さらに明治などの地図と比較する作業をしっかりしてから、現地調査に行くべきだったかも知れませんが、散歩ルートから少し足を延ばせばよかったので、まずは見てきたということです。これから、地図をしっかり眺めることにします。遠隔授業は、先週が結果的に夏休み(オープンキャンパスが中止になったため)。明日、第9回のファイルをアップし、メールを送るのですが、今日、作業をしてしまい、メール送信の予約も済ませました。

【余談】Img_4297c_20200824182501  スマホの充電器が不調になって、ビックカメラで買ったと書きました。Anker PowerCore Fusion 5000 white A16210219です。まだ1回しか使っていません。Quick Chargeには対応していませんが、急速充電が無事にできました。気になったのは、ケーブルがちょっと熱を持ったこと。付属のケーブルは短かったので、別物を使用。スマホの充電が終わったあともコンセントに指しておくと、本体にあるバッテリーが充電され、モバイルバッテリーとして使用する準備ができます。もう少し使ってみて、また、レポートします。

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2020年8月17日 (月)

39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット

Img_3183c_20200817153401  猛暑のピークは下がるかと期待して、今日は、桑名宗社(春日神社)の村正史跡めぐりスタンプラリーに行くことにしていました。が、期待は得てして裏切られる運命にあります(苦笑)。今日の最高気温は、39.2℃(14時1分)。桑名宗社では、「宝刀村正特別公開」に合わせて、8月13日から31日まで「村正史跡めぐりスタンプラリー」が企画されています。うちわ型スタンプラリー台紙をもって、市内8か所の村正にゆかりあるチェックポイントを回るということ。すべてを揃えたら村正の鐔(つば)の形をした記念ピンバッジが先着1,000名にプレゼントされるのです。

Img_3190c_20200817153401  今日は、同級生K氏、畏友M氏と3人連れ。前期高齢者に入った3人のオッサンが、猛暑の中、連れだってヨタヨタして大丈夫Img_3198c か? と危惧しつつ、熱中症対策を万全にして9時に集合、早速スタート。その前に、桑名宗社にある「細石」をチェック。細石は、境内社の母山神社の拝殿に向かって右手にあります。

200817muramasawalking  今日歩いたコースマップ。桑名宗社をスタートして、京町交差点へ(桑名市博物館近く)。そこから西へ、桑名駅に向かいます。北勢線で西桑名から馬道まで行こうかとも考えましたが、「歩こう」ということになり、そのまま走井山勧学寺へ。ここで最初のスタンプを押し、ゴールに向かいます。和菓子屋さん・玉川軒から、旧東海道を通って、天武天皇社。寺町近くの仏眼院、我が家近くの浄土寺、七里の渡し跡と歩き、最終ポイントの柿安コミュニティパーク入り口にある本多忠勝像を経て、桑名宗社に戻って来ました。この間歩いたのは、7.9㎞でした。9時過ぎにスタートして、正午直前にゴールというほぼ3時間コース。玉川軒で葛アイスを食べていましたし、あちこちで休憩していました。

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 桑名駅南の近鉄名古屋線(標準軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)の3つの幅の線路を渡る踏切を越Img_3205c_20200817153501 え、駅の西側へ。このあたりでスタートから1.5㎞ほど、時刻は9時20分。

Img_3208c Img_3210c  旧諸戸徳成邸(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)は、諸戸家墓所を残して住宅地になっています。しかもかなりの高級住宅が並んでいます。桑名高校近くの高台にあって、眺めはよいところ。諸戸徳成邸は、残して欲しかったと思います。

Img_3221c  走井山勧学寺には、9時40分頃到着。ここが最初の目的地。お参りして、本堂前に置かれたスタンプを押し、しばし休憩。雲があったもののやはり暑い。帰ってから調べたら、この時点ですでに32℃くらいあったようです。高野山真言宗の寺。開基は、聖武天皇の御代(724~49年)で、行基菩薩の草創によると伝えられています。元は走井山の麓にあったようですが、元和3(1617)年、七代桑名藩主松平定重が矢田城址に本堂を再建しました。桑名市内に現存する寺社建築では、もっとも古いものです。

Img_3231c_20200817153501  勧学寺から三岐鉄道北勢線・馬道駅の方に降りる階段の途中に「伝村正屋敷跡」があります。このすぐ東にあるマンションのあたりに村正の屋敷があったといいます。「勢桑見聞略史」によれば、「村正トテ(中略)其旧宅ノ地矢田走井山観音堂ノ下道ノ左、今庄屋ノ家是其旧地也」とあるそうです。

Img_3241c_20200817153501  馬道駅西の踏切。ちょうど北勢線の電車がやって来ました。私はこの踏切の北西に立つ「三猿像」が好きImg_3248c_20200817153501 で、このあたりに来ると必ず見ていきます。この先は、いつぞや歩いた員弁街道。員弁街道に出て左折し、東へ。市内に向かって行きます。

Img_3257c_20200817153501  国道1号線浅川交差点を横断歩道橋で渡り、2ヶ所目の目的地・玉川軒に向かいます。

Img_3264c  玉川軒。明治28(1895)年創業の老舗。冷たいものをと思い、葛アイス(1本¥200)をいただきました。見た目は普通のアイスキャンディーですが、葛でコーティングされていて、ムチっとした食感で噛み応えあり。アイスですが、溶けません。ここは、村正展で妖刀村正のお菓子を作っていました(現在は、Sold out)。ここでは、買い物をすることで、スタンプを押してもらえます。あまりにも暑かったので、写真を撮ることなど忘れて、アイスを食べてしまいました(爆)。ここで3.8㎞、10時25分頃。

Img_3267c  玉川軒さんの先(東)、掛樋交差点を右折し、さらに左折すると旧東海道に入ります。天武天皇社の手前で、「本願寺跡・梅花仏鏡塔」を見てきました。ここにはかつて本願寺という大きな寺があり、その境内に芭蕉の門人である各務支考の分骨墓・梅花仏鏡塔があります。墓は各務の姓にちなんで、円形の鏡を模しています。各務支考がなくなったあと、この地方の俳諧の指導的立場にあった、支考の門人・雲裡坊杉夫(桑名本願寺住職)がこれを建立しています。

Img_3272c_20200817153501  天武天皇社です。3ヶ所目の目的地。私自身は何度か訪ねています。ここで4.3㎞、時刻は10時35分。壬申の乱(672年)のときに大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名郡家に駐泊されたことにちなみ、のちに創建されました。元は新屋敷付近にあったのですが、江戸時代に鍋屋町(現在地)に移りました。天武天皇を主神として祀っている全国でここのみといいます。

Img_3281c_20200817153501 Img_3283c_20200817153501  さらに東海道を進みます。日進小学校前辺りには七曲見附がありました。そこから北には、寺が集まっています。慶長の町割でここに寺が集められています。左の写真は、仏光山十念寺。浄土宗のお寺。七福神祭で有名ですし、森陳明の墓所があります。右の写真は、鎮照山凝念院光徳寺。浄土宗。ここには、万古焼の創始者である沼波弄山の墓所があります。古くは泡洲崎念仏道場と称していました。

Img_3296c_20200817153501  鍛冶町付近では、枡形を通り、吉津屋町へ。ここで余談。NPO法人千姫のところにあった自販機で気になるものを見つけましImg_3298c た。この千姫は、精神保健ボランティアのグループです。あられやおかきを売っているのですが、もう一つ。ジャガイモも入っていたのです。千姫長島農園で獲れたもので、200gで60円。ちなみに千姫は、2代将軍徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の夫人。徳川・豊臣両氏和親のため慶長8(1603) 年、7歳で豊臣秀頼に嫁しています。元和元(1615)年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰り、本多忠政(本多忠勝の嫡男)の長子・忠刻と同2年9月29日に再婚。ということで、千姫は、桑名にも縁があるのです。

Img_3305c_20200817153501  京町でここでスタート直後に歩いた道とクロス。南魚町の寳興山(ほうこうざん)仏眼院。天台宗のお寺。創建は不詳ですが、最澄によると伝わっています(2020年8月15日:寺町寺めぐりの続き)。4ヶ所目のポイント。5.8㎞、時刻は11時10分頃。墓所で、千子宗入禅定門(承応4(1655)年没)の墓や、桑名城の前身・東城の城主であった伊藤武左衛門実房(天正11(1583)年没、桑名東城主初代)・実倫(慶長8(1603)年、同2代)父子の墓も確認(8月15日の記事をご参照ください)。

Img_3308c_20200817153501  寺町商店街を通過し、寺町交差点を渡って、袖野山浄土寺へ。西山浄土宗のお寺。我が家のすぐ近くで、このあたりは散歩などですっかり馴染み。写真でも分かりますように、本多平八郎忠勝公本廟があります。ここが5ヶ所目のポイント。6.5㎞、11時25分頃。慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となりました。

Img_3316c Img_3319c_20200817153501  こちらが本多忠勝公の墓所。前から不思議に思っているのは、鳥居が立っていることです。神仏習合のためかと思うのですが、確信はありません。ちなみにこの鳥居は、その形から神明鳥居でしょう。

Img_3324c_20200817153501  いよいよゴールも近くなりますが、またもや余談。船津屋さんの西に「七里のわたし湯」という銭湯があります。大正時代に創業、平成になってリニューアルしています。そこの自販機にハンディ・ファンを¥1,000で売っているのです。USB充電で使用可能というもの。

Img_3329c  本論に戻って、次の、6ヶ所目のポイントは、七里の渡し跡。ここはもっともお馴染み。毎日の散歩で通過しImg_3333c_20200817153501 ています。スタンプは、すぐ近くの「宿場の茶店 一(はじめ)」さんにありました。宿場町の小さな休憩所というイメージ。軽食や飲み物が楽しめます。6.9㎞、11時40分頃到着。

Img_3336c_20200817153501  ここからまた少しだけ旧東海道を歩いて、北大手橋を渡って、柿安コミュニティパークの方Img_3339c へ。コミュニティパークの入り口に立つのが、本多忠勝像。7ヶ所目。7.3㎞、11時45分。スタンプを探してウロウロしたのですが、コミュニティパーク駐車場の管理室のところにありました。ここに詰めているシルバー人材センターの方に尋ねてしまいました。

Img_3347c  11時55分、7.9㎞を歩いて、桑名宗社(春日神社)に戻って来ました。桑名宗社にもスタImg_3342c_20200817172801 ンプがありますが、それはスタートの時に押しており、これで村正史跡めぐりスタンプラリーをコンプリート。

Img_3353c Img_3355c_20200817153501  社務所で宮司さんに確認していただき、無事に記念品の村正の鍔の形のピンバッジをゲットできました。宮司さんとは知り合いですが、「こんな暑い日に1日で回って来たんですか?!」と驚かれるやら、呆れられるやら。

Img_3359c_20200817153501  いや、それにしてもやはり暑かった(苦笑)。ペットボトル2本(1,100ml)を飲み干しましたし、桑名宗社からの帰り道にさらに1本買ったくらい。スタンプラリーで歩いたのは、初めの方にも書きましたが、7.9㎞、ほぼ3時間。我が家から桑名宗社までの往復が2.0㎞ですから、合計9.9㎞。歩数は、スマホのAlkooのデータで17,788歩でした。Kさん、Mさんもお疲れ様でした。猛暑の中、体調も崩さずゴールできてホッとしました。体力的には自信にはなりましたが、過信せぬようにと自らを戒めておきます。

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2020年8月16日 (日)

連日の猛暑……いささかの仕事と昨日の散歩写真@家内の実家

Img_3157c  いわずもがな、連日の猛暑。日々暑くなっています(苦笑)。「わざわざ書くな!」というお叱りもあるとは思いますが、今日は、13時45分に38.3℃だったそうです。一昨日の夜から昨日の夜までは家内の実家へ。日中は猛暑でしたが、山里ですから、日が当たり始めるのは遅く、日が陰るのは早く、自宅にいるよりも涼しい。今日は、7時半前からほぼ2時間、6.1㎞を歩いてきました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園から入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町といつも通り。冒頭の写真は、帰宅した9時半頃、拙宅マンション前の光景。

Img_3112c_20200816154401  歩き始めた7時半頃にはもう30℃越え。鳥も散歩友達もいません。歩いているのは、よほどの物好きなどと書くと、今日出遭っImg_3116c た方々には失礼ですが……(苦笑)。Sさん、Wさん、Yさんにはお詫びします。ツバメは、桑名七里の渡し公園近くにて。今年生まれの若鳥のようです。九華公園、ハクセキレイもいたものの、他はハシボソガラス、ムクドリ、ドバト、スズメが数えるほど。アーちゃんは、今日もいました。

Img_3125c  お盆も今日まで、ということで、御坊さんへ。写真は、南門から入ったところ。鐘楼、真宗大谷派の三重教区Img_3129c が入っている同朋会館の向こうに本堂が少し見えています。桑名別院ですので、今でもかなりの規模がありますが、昔はもっと広かったようです。

Img_3132c_20200816154401  ずっと以前、書いたことがあると思いますが、境内には松尾芭蕉の句碑があります。貞享元(1684)年、野ざらし紀行の折、ここ本統寺に一泊し、そのときに詠んだ句「冬牡丹 千鳥よ 雪のほととぎす はせを」の句碑です。市の文化財に指定されています。昭和12(1937)年4月に小林雨月が建立しています。

Img_3140c_20200816155901  また、これも以前の記事にありますが、境内には親鸞聖人像が立っています。現在の境内地で唯一戦火を免れたのが、この親Img_3143c_20200816155901 鸞聖人の銅像です(昭和13(1938)年の建立)。聖人が被られている笠を下から見上げると焼夷弾が貫通してできた小さな穴が3つあるのを見ることができます。

Img_3160c  散歩から帰宅して、シャワーを浴び、昼までの間に遠隔授業1コマ分の録音作業を済ませられました。これで前期分の授業資料と音声ファイルは、準備完了です。午後からは、珍しく午睡も貪らず(爆)、先週の分のQ&A書きと、課題の回答のチェック&評価。今週は、オープンキャンパスが予定されていましたので、休講(結局、オープンキャンパスも中止になりましたが)。次は来週。

Img_2895c_20200816154501  ところで、ここからは昨日の散歩写真。家内の実家辺りの町内一周と、義父の墓参りをしてきました。5㎞ほど。津市郊外の山里です。西に青山高原が望め、風力発電の風車がよく見えます。

Img_2893c Img_2888c_20200816154501  歩き始めてすぐ、近所のお宅に栗の木(あちこちにあります)。もう実はかなり大きくなってきていて、道路にも落ちていますし、田んぼに水を入れる用水路を流れていくのを見ることもあります。

Img_2912c  用水路脇で、カワトンボの仲間。たぶんアオハダトンボと思います。体が金属的な光沢をしており、ヒラヒラという感じで飛びます。私は、どうもこういうタイプのトンボが好きなようです。

Img_2947c  氏神様の射山神社にお参り。大己貴命・少彦名命・天照大神などをお祀りしています。延喜式内社の1つ。境内の裏手にある湯之瀬川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹8合目に御社跡が残っています。

Img_2956c_20200816161401  境内には、芭蕉の反故塚があります。江戸時代の「温泉来由記」に掲載されている「榊原湯山図」に描かれているといいます。芭蕉が亡くなった後、芭蕉を慕う俳人がこの地で句会を開いた際に建立しました。かつて芭蕉がこの地で俳諧をした際に出た反故を埋めたと伝わっています。

Img_2995c  このあと、誓願寺、林性寺などを巡ってから、少し脚を伸ばして幼稚園近くへ。射山神社の「一の鳥居跡」の石柱(向かって左)と、「榊原信濃守塚跡」の石碑(向かって右)が並んで立っています。射山神社一の鳥居跡の背後は、射山神社の鎮守の森、さらにその後ろは貝石山です。

Img_3004c  左の写真が射山神社一の鳥居跡。貝石山は温泉の出る山、湯の山で、この「湯山」が転じてImg_3001c_20200816154401 「射山」になったといいます。それゆえ、温泉の神を祀ったということ。昭和63(1988)年に朽ちかけた石柱を立て替えています。右が、榊原信濃守塚跡碑。「榊原郷土を守る会」(田中萬年会長)が、明治27(1894)年に温泉会所が作成した絵地図を基に、榊原姓の発祥となった榊原城初代城主の榊原信濃守興経(おきつね)の塚跡碑を建立したものです(平成30(2018)年8月)。ここは、現在は、水田のあぜ道となっていますが、温泉に向かう古道沿いだそうです。碑と射山神社と御神体であった貝石山が一直線に並びます。

Img_3038c_20200816154401  歩いていると、稲穂がかなり実ってきて、頭を垂れ始めていました。良い景色です。途中、市営の温泉施設近くで、ヒガンバImg_3019c_20200816154401 ナと思われる花。1輪だけ咲いていました。真っ赤ではなく、ちょっとピンクっぽい気がします。

Img_3041c  少し脚を伸ばして、髙福山清淨光院圓淨寺へ。実家の菩提寺。永享元(1429)年に智海法師が開創したという、歴史のあるお寺。当初は、天台宗でしたが、寛文元(1661)年に真宗高田派線に改宗しています。線香も蝋燭も花も持っていなかったのですが、お盆ですから墓参り。ご住職のお孫さんが遊んでいたのですが、帰り際に大きな声で「ありがとうございました」といわれ、思わずニッコリ。

Img_3061c  川や水田でダイサギを合計3羽見られました。トビの鳴き声も聞こえて来たものの、姿は見られませんでした。水田を囲う動Img_3075c_20200816154401 物除けの電気柵には、よくトンボが止まっています。右は、全身真っ赤ですから、ショウジョウトンボのオスかと思います。

Img_3082c_20200816154401  実家近くに戻って、もう一軒のお寺。萬照山善福寺。こちらも真宗高田派のお寺。最近、掲Img_3086c 示板のことばが気になります(微苦笑)。高田本山作の「『なもあみだぶつ』は弥陀のよび声』というものが貼ってありました。「なもあみだぶつ」は、「南無阿弥陀仏」。「南無阿弥陀仏」とは、大辞林によれば、「阿弥陀仏に帰依するの意。浄土宗などでは、それを唱えることによって阿弥陀仏の浄土に救済されるとする」こと。主体は、個人であり、阿弥陀様ではないと思われますから、「弥陀の呼び声」とは違うんじゃないかというのが、凡夫の浅知恵ですが、いかに?

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2020年8月15日 (土)

寺町寺めぐりの続き

Img_2599c2   寺町寺めぐりの続きです。桑名別院本統寺、西福寺、佛乗寺、覚専坊、常信寺、香林寺、京町毘沙門堂と回って来ました。もっとも御坊さんについては、詳しくは書いていません。こちらにホームページがありますので、ご覧ください。慶長元(1596)年、本願寺第12代教如(きょうにょ)上人によって、聞法の中心道場として開創されたのが始まりです。「久波奈名所図会」には、「寺町西側にあり 浄土真宗東本願寺掛所なり」「夫當山草創は元亀天正の間摂州石山本願寺十一世顕如上人織田家と戦争の時、勢州桑名郡は関東の虎口尾州濃州には門未移設ゆへ、一ヶ所の寄合所を構へ、御加勢の評議所とせり。<以下略>」とあります。

Img_2770c  寳興山(ほうこうざん)仏眼院。天台宗のお寺。創建は不詳ですが、最澄によると伝わっています。江戸時代桑名藩藩士の寺でImg_2796c_20200814112001 あり、春日神社の別当もつとめ、神宮寺も兼ねていました。多くの寺宝があったのですが、建物とも戦災で全焼しています。現本堂は、平成元(1989)年の再建。銅鐘は、桑名市指定文化財です。明治初年まで春日神社の神宮寺にあったもので、明治元(1868)年3月の神仏混合廃止令により東金井の徳元寺に買収されていたものを、平成29(2017)年に仏眼院が買い戻しました。寛永15(1638)年、京都の冶工・近藤丹波、藤久の作で鐘銘は桑名藩三宅正堅の撰文だそうです。北勢地方最古の梵鐘です。

Img_2775c Img_2773c  毘沙門天堂の前には宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。宝篋印塔は、宝篋印経にある陀羅尼という呪文を収めた塔で、のちに供養塔、墓碑塔として建てられるようになっています。これを礼拝することで罪障が消滅し、苦を免れ、長寿を得ると信仰されました。また、ここは精義小学校創立の地であり、境内に記念碑が立っています。

Img_2791c_20200814112001  道を1本挟んで北側に墓地があります。桑名藩士の先祖代々の墓が残っている他、仏眼院は刀工千子村正の菩Img_2785c 提寺であったとする説もあり、その一族と思われる千子宗入禅定門(承応4(1655)年没)の墓(左の写真中央)や、桑名城の前身・東城の城主であった伊藤武左衛門実房(天正11(1583)年没、桑名東城主初代)・実倫(慶長8(1603)年、同2代)父子の墓もあります(右の写真、伊藤家累代の墓の左右。左の「自性院殿秋天観智居士」が実倫の、右の「常光院殿静斎蘭香大居士」が実房の墓)。墓所は、今回初めて訪ねてきました。

Img_2780c  ちなみに、ここ仏眼院は、桑名宗社(春日神社)で行われている宝刀村正特別公開の村正史跡めぐりスタンプラリーの立ち寄りスポットになっています。17日(月)に回ろうと思っていますので、下調べ。本堂前にスタンプが置いてありました。

Img_2801c_20200814112001  仏眼院の北西すぐのところに白蔵(はくぞう)稲荷があります。伏見稲荷から、春日神社の別当(神社を管理するために置かれた寺)である天台宗仏眼院の守護神として勧請されたということです。江戸時代、町衆の信仰が篤かったとありますから、それ以前にここに建立されたのでしょう。お稲荷さんに向かって右の建物は、南魚町の石取祭の祭車庫。ここに石取祭に使う祭車が保管されています。

Img_2827c Img_2830c  八間通に出て、松嶽山長寿院。北寺町にあります。臨済宗妙心寺派のお寺で、元は陽向寺と称しました。元和4(1618)年、桑名藩主松平定行夫人(薩摩藩島津家久の養女)が没しました。実家の宗旨が臨済宗であったため、当寺に葬られました。夫人の院号により、以後、長寿院と称しています。今年年4月27日にも来ています(まだいたジョウビタキのメス)。

Img_2841c_20200814112101  左の写真が墓地にある「長寿院墓」。墓所の門扉には、松平家の家紋である梅鉢紋が刻まれています。宝暦治水に関わった薩摩義士の墓3基もImg_2846c あります(右の写真)。このほか、「鶯宿雑記」を書いた駒井鶯宿(弘化3(1846)年没)の墓もあるのですが、これはどれか分からず。

Teramachi2  こちらが、寺町辺りのマップ。寺町寺めぐりで訪ねたところを描き入れたり、丸で囲んだりImg_2819c してあります。

Img_2621c_20200814132601  今さら感満載の余談。ニンテンドースイッチの「あつまれどうぶつの森セット」を当てた話を書きましたが、それと前後して、愚息がシャープのマスクを当てました。「今さら」という感じもしますが、記録まで。

Img_2701c  外出して帰宅が遅くなりそうですから、寺町寺めぐりの記事を予約投稿しておきました。左の写真は、ツマグロヒョウモンのオス(8/14撮影)。

 

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2020年8月14日 (金)

今日も、九華公園でカワセミ……寺町寺めぐりの続きも

Img_2849c_20200814112101  11時現在で34.4℃になっています。予想最高気温は、36℃となっています。今朝は、いつもより少し早く、7時20分スタートで散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新地公園、常盤町、三栄町、京町、南魚町、寺町と、何と6.8㎞も歩き回ってきました(苦笑)。9時40分帰宅。汗びっしょり。いつもの散歩に加え、寺町寺めぐりをして来たのです。

Img_2684c  九華公園では、今日もカワセミが登場してくれました。吉之丸堀のにかかる橋の上で、知人と「昨日は、アオサギとカワセミを見た」という話をしていたとき、という絶妙のタイミングで出て来ました。昨日よりはかなりマシな写真が撮れました(微笑)。一度、ダイビングしたのですが、獲物はなかったようです。やはり、暑くても毎日散歩するのが良さそうです。

Img_2638c_20200814111901 Img_2641c_20200814111901  話を戻して、住吉神社前から眺めた揖斐長良川の中洲。あちこちに点々とダイサギ3羽に、アオサギ2羽の姿が見えます。河口堰近くから、三の丸水門あたりまで、です。中洲に大型のサギが戻りつつあるということは、猛暑ではあるものの、季節は移り変わりつつあることを示している気がします。

Img_2658c_20200814111901  柿安コミュニティパーク西の堀で、こんな景色。初めて見ました。精霊流しのための燈籠のようです。いつも、桑名水郷花火大Img_2661c_20200814113101 会の時に、花火の打ち上げに先立って、揖斐川に流されるのですが、今年は花火が中止されましたから、ここに浮かべられたのかと思います。

Img_2741c_20200814111901  九華公園、歩く人は数少なく、今日も鳥は少なし。ハシボソガラス、スズメ、ムクドリ、ドバImg_2731c トの他、コゲラの鳴き声を聞いたのですが、姿は見つけられませんでした。アーちゃん、今日もやって来ていましたが、今日はシルバー人材センターの方が草刈りに来られる日。かわいがっておられるMさんと遭えるといいのですが。

Img_2599c2  貝塚公園では、ハシボソガラスとムクドリくらい。他の公園を含め、セミは賑やかでしたが、梅雨明けすぐの頃より、勢いがない気がします。今日も寺めぐりをしてきました。御坊さんの西にある覚専坊、常信寺の脇にある香林寺、京町公園近くの毘沙門堂、南魚町にある仏眼院、八間通にある長寿院と回って来たのです。こうやってウロウロしたお陰で6.8㎞も歩いたというワケ。

Img_2749c_20200814112001  覚専坊(かくせんぼう)。真宗大谷派のお寺。「久波奈名所図会」には、御坊さんの寺中寺としてあがっており、「同所南側にあり北向本尊阿弥陀如来安阿弥作」と説明がありました。建物は、南を向いています。

Img_2759c  こちらは、如法山常信寺。あの「煩悩」のお寺。「久波奈名所図会」には、「寺町西側にあり浄土真宗高田派一身田末」となっています。「本堂東向七間半」などの説明もついています。「高田山中興真恵上人大僧都法印伊勢国安芸郡一身田に専修寺建立の時、此辺度々往還あり、當地に一宇を創建ありて授法の弟子性圓に不属す。是當寺の開基なり」ともあります。

Img_2752c  常信寺の南、常信寺の敷地の一部のような形で、真宗高田派香林寺。ネット検索では情報は出て来ません。「久波奈名所図Img_2756c_20200814112001 会」には、常信寺の寺中寺となっており、「旧号観了坊 門内南側にあり 北向 本尊阿弥陀如来 安阿弥作」となっています。ここは、いつもひっそりとしてい、木々が生い茂っています。中へ入ったのは、今日が初めて。手入れはされていますし、掲示板の法語もときどき、更新されています。今は、「何一つとして人生において無駄はない」というものが掲げられていました。

Img_2764c  このあと、京町毘沙門堂へ。京町公園の東にあります。京町公園の前は旧東海道。このあたりに京町見附がImg_2767c_20200814112001 あり、寺町側に枡形がありました。京町公園は、昭和12(1937)年4月1日に桑名市が発足した当時、市役所が置かれたところ。「市制施行時市役所跡」の石碑があります。右が京町毘沙門堂。2018年1月10日の記事に書きましたが、ここの由来には説が複数あり、謎(ミサゴ、再び飛来……京町毘沙門堂の謎)。「松平定綱公が、桑名城の守りに、桑名城の京町御門前にあった毘沙門堂を、田口村の福王山に移して、その境内を藩のお建林に指定した」というエピソードがある一方で、福王山の毘沙門堂は、「元桑名京町の北側、職人町にあったものを慶長年間、桑名が町割りのとき、ここへ移した」という話もあります。「みえ歴史街道ウォーキングマップ 東海道」の説明では、「慶長年間の町割の頃に福王山に移されたが、再び現在の地に戻された」とあります。

Img_2816c_20200814112001  お盆ですから、家内の実家へも行かねばなりません。今日は、このあたりで。寺町寺めぐりの続きはまた明日。鬼灯は、寺町商店街の花甚さんの店頭にて。

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2020年8月13日 (木)

猛暑の九華公園はパラダイス……「あつもり」祝!ご当選

Img_2496c  15時までのところ、今日の最高気温は 9時48分に記録した34.7℃となっています。ヘンなの、と思えます。曇りがちで、昼頃には雨もぱらつきました。湿度は70%はあり、蒸し暑い。歩いている人は、やはり少ない。写真は、住吉神社の前にて。遠くに1人だけ歩いているのが見えます。今朝も、7時半から9時半過ぎまで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と5.8㎞。曇りがちで、陽が当たっていなかったので、少し楽。

Img_2549c_20200813151401  今日は、暑い中出かけた甲斐がありました(微笑)。まずは、カワセミさん。オス。九華公園を一回りして、再び鎮国守国神社の社務所裏に来たら、飛び出してきました。堀に落ちている枝のところ。あいにくこの時は、曇りがちでしたので、今ひとつきれいには撮れませんでしたが、贅沢はいえません。先日見たカワセミも、たぶんこのカワセミ。

Img_2508c_20200813151501  カワセミを見つける前にアオサギもいたのです。管理事務所西側の堀に。近寄ろうとしたら、逃げられたのでImg_2524c すが、これまた鎮国さんの社務所裏にいました。先日からよく来ているアオサギと思います。管理人さんに聞くと、このところよく見るそうで、今日最初に見つけた西側の堀にいることが多いといいます。期待通りに進んでいるか、と喜んでいます。猛暑の九華公園は、パラダイスでした(微笑)。

Img_2500c_20200813151501  さて、その前に、住吉神社の前から揖斐長良川の中洲を見たら、ダイサギらしき姿が1羽。長良川河口堰には、先日もいましたが、中洲で見るのは久しぶり。考えてみたら、これが吉兆だったかも(吉兆とは、大袈裟)。

Img_2504c_20200813151501  九華公園では、カワラヒワの鳴き声が聞こえたものの、今日は姿は見えず。他には、スズメも、ムクドリも少ない。カラスも見ません。知人と話していると、ドバトが寄って来て、まとわりつく感じ。たぶん散歩に来る人が少ないので、エサがもらえないのでしょう。同情はしますが、甘やかしはしません(笑)。

Img_2579c  その後は、公園で一休みするほかは、ひたすら歩いて寺町へ。お盆ですから、御坊さんへおImg_2596c_20200813155001 参り。本堂からは読経の声が流れてきます。今日は、三八市で、寺町商店街は賑わっていました。が、3密回避のため、ごく一部を通過したのみ。

Img_2599c2  最近、このあたりの寺を見て回っていますが、寺町商店Img_2588c 街には、大きな寺院案内図が掲げられています。中央右手にあるのが、御坊さん(真宗大谷派桑名別院本統寺)。その左手が常信寺(煩悩とあったお寺)。掲示板に「善人根性」とあったのは、本統寺の一角にある西福寺(右の写真)。西福寺は、「久波奈名所図会」には、「表門外北側にあり南向き本尊阿弥陀如来恵心僧都作当寺は御連枝入院の時京都小川の西福寺の中より随従し来れりとなり」とあります。八間通の方にある長寿院(2020年4月27日:まだいたジョウビタキのメス)や、海蔵寺(2020年7月18日:今日も降られました(苦笑)……ちっとも懲りませんというか、反省しないのです)は最近立ち寄っています。仏眼院も、何度か行っています(2018年6月7日:梅雨の晴れ間……いつもの散歩プラス仏眼院へ)。今日は、常信寺の北(右側)にあるりん(舟偏に侖)崇寺(りんそうじ)と、佛乗寺へ。

Img_2582c_20200813151401 Img_2585c  こちらが、帰帆山円林院りん(舟偏に侖)崇寺。その昔は、益生駅近くにある俊寬塚の辺りにあったといいます。桑名に帆山花乃舎(ほやまはなのや)という画僧がいます。この帆山花乃舎は、幕末から明治にかけて大和絵の日本画家として活躍しました。文政6(1823)年8月に生まれ、このりん崇寺の住職で、後に浄土真宗高田派本山専修寺の寺務所長や、執事を歴任した僧侶です。

Img_2593c_20200813161301  佛乗寺。「久波奈名所図会」には、本統寺の寺中寺として描かれています。「旧号法敬坊裏門の外にあり北向本尊阿弥陀如来聖徳太子作」だそうです。本統寺の寺中寺には、他に覚専坊という寺もありますし、常信寺の脇にある香林寺も、前は通っているものの、きちんと見たことがあります。という次第で、流れで「お盆、ご近所寺めぐり」中(微笑)。

Img_2574c_20200813151401  猛暑で、いつぞやも書きましたが、散歩が終わると、その日のdutyがすべて終わったという感じ(苦笑)。これはよくないと思いつつも、体力を消費してもなぁと言い訳を考えて、サボっています。

Atsumoritousen  大いなる余談。発売以来、家族からニンテンドースイッチの「あつまれ どうぶつの森セット」が欲しいといわれ続けてきました。皆もそれぞれあちこちのネットショップでの抽選販売に応募していたのですが、当たらず(スイッチ自体は当たったのですが、「どうぶつの森セット」ではありませんでした)。私は、ビックカメラで行われた2回の抽選販売に応募して、2回目で祝!ご当選を果たしました。昨日メールが届き、今日、申込を済ませました。明日の夕方、商品が届きます。「さすがは父さん」と、この時だけは褒められました(爆)。

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2020年8月12日 (水)

九華公園で、アオサギ再び

Img_2296c_20200812144701  日に日に暑くなってきています。今日は、12時過ぎに36.2℃15時18分に37.7℃。この夏最高(8月10日が35.7℃でした)。起きた5時過ぎにはすでに28℃もありましたから、7時から散歩に出ようと思ったものの、結局7時半スタート。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、常盤町、寺町商店街とちょうど6.0㎞。2時間あまり。公園の日陰では、風が通るところもありましたが、炎天下は暑いこと。

Img_2367c_20200812144701  九華公園では、今日もアオサギ。先日来ていた若い鳥。朝日丸跡で知人と話していたら、東の方から飛んで来て、吉之丸堀にあImg_2360c_20200812144701 る四阿を越えて行きました。本丸跡、鎮国守国神社を回って九華橋に来たら、神戸櫓跡の西にいるのを発見。40mあまり先でしたので、肉眼ではよく見えなかったのですが、何度か魚を捕っていました。が、そのシーンはうまく撮れず。右の写真、向こう向きですが、小ぶりの魚を咥えているようでした。

Img_2322c  さて、九華公園に着いたとき、北門の花壇のところで、ゴマダラチョウ。黄色い口吻を伸ばしています。花壇のコンクリートのところなのですが、こんなところで吸水ができるのでしょうか?

Img_2337c  吉之丸堀の上を撮る電線では、まず、ツバメ。1羽のみ。ヒナではないような気がします。尾が短いのでメス。Img_2342c ちょっと目を離したら、鳥が入れ替わっていてビックリ。ほぼ同じところにハクセキレイが来ていました。幼鳥のように見えます。暑いのですが、ハクセキレイはときどき見かけます。

Img_2355c_20200812144701  鎮国守国神社の鎮守の森の奥、柿安本社の駐車場に面したあたりで、カワラヒワ。数羽がいました。カワラヒワ、夏はあまり見かけないのですが、いたんですねぇ。ちょっと感激。

Img_2418c_20200812144701  カワウは、2~3羽がいます。これは、昔のアヒル小屋の近くの杭の上。カワウはよくここに止まっています。暑いので、嘴を開けて、のどをブルブル震わせています。放熱をしていると思うのですが、どれくらいの効率があるのでしょう?

Img_2432c_20200812144701  そして、何度も載せて、くどいと思われるでしょうが、東北八重のヒマワリ。気に入ったのです。また、この黄色を見ると、「暑くても、頑張って歩こう」という気になるのです(微笑)。この後、貝塚公園では、ムクドリ、カラスのみ。内堀公園には鳥はおらず。

Img_2438c  南寺町で、常信寺。一昨日、「煩悩」を見つけたところ。他に何かないか、見てきました。煩悩と刻まれたところから2~3m本堂寄りに「二河白道(にがびゃくどう)」。このことばは知らなかったのですが、「浄土教で、阿弥陀仏の救いを説く比喩」だそうです。火の河と水の河を人の貪欲と怒りにたとえ、この間にある白い道は極楽に通じる道で、往生を願う信心にたとえるということ。お盆を前に、ありがたいことばを知ることができました。

Img_2440c_20200812150401  常信寺には参道沿いに焼き物でできた壁画があります。そこには、「報恩謝徳」と、「天下和順」ということばがあります。「報恩」は、①恩にむくいること。恩返し、②仏・祖師などの恩に感じて仏事・布施などを行うこと。「謝徳」は、徳を謝すること。恩徳に対して礼の気持を表わすこと。謝恩。仏教では、宗祖の厚恩を謝するために開かれる法会を報恩講といいます。

Img_2442c_20200812150401  こちらは、「天下和順」。天下は、普通に天下のことと思います。「和順(わじゅん)」は、①気候が順調で穏やかなこと。また、そのさま、②気質が穏やかで、おとなしいこと。また、そのさま、③穏やかに従うこと。こちらは、とくに仏教用語ではなさそうです。天下が穏やかであることを願ってということかと思います。

Img_2444c_20200812150401  お釈迦様と思います。ということは、壁画に描かれている木は、菩提樹ということでしょう。猛暑のせいか、普段考えないことを考えております(微苦笑)。まぁ、お盆を前に、悪いことではないと勝手に決め込んでいますが……。

Img_2449c_20200812144801  常信寺のあたりは、寺町ですから、他にもいくつもお寺があります。桑名別院本統寺の南東角に真宗大谷派の西福寺があります。ここの掲示板も見てきました。「いつも誰かを悪者にしなければ気が済ない私の善人根性」と書かれていました。SNSの炎上とか、新型コロナに関わる差別とか、こういうことは大いにありそうです。ちなみに、西福寺は、「久波奈名所図会」によれば、本統寺の「寺中寺」となっています(デジタル大辞泉によれば、「大寺の境内にある小寺。塔頭」)。

Img_2473c  9時半前にマンション前まで戻って来て、住吉入江脇で一休み。昨日もここで撮った写真を載せています。住吉入江というウォーターフロントに、ソメイヨシノの木の下にベンチが並んでいて、一休みしろといっているようなところ。心理学的にいえば、アフォーダンスの典型(微笑)。公園や、こういう遊歩道沿いのベンチは、「一休みしたら」と誘っているのです。屁理屈をこねれば、間接的認識論では、動物は、環境からきた物理的な刺激を感受し、意味のあるイメージに仕上げると考えるのですが、環境はそれぞれ特定の性格を与えられた場所として存在している。つまり環境が、動物の行為を直接引き出そうと提供(アフォード)していると考えるのです。知覚心理学者 J.ギブソンが提唱した造語。ギブソンは、直接知覚説を展開した心理学者。学生、院生の時代、ギブソンの本や論文を読みました。

Img_2306c_20200812144701 Img_2314c_20200812144701  昨日のナガシマスパーランドの花火大競演の写真、基本的な整理は終えました。あとでゆっくり眺めて、いくつか紹介するなり、合成写真をつくるなりしたいと思っています。今週、空を眺めていますと、雲が気になります。いろいろとおもしろい表情を見せてくれています。

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2020年8月10日 (月)

猛暑日……寺で足元を見たら「煩悩」とあり苦笑

Img_1964c  熱帯夜に猛暑日となっています。11時52分に35.7℃だそうです。我が家では、こんな日に何を思ったか、家内がエアコン掃除に着手(爆)。15時過ぎになって、洗ったフィルターなどが乾いたようで、復旧作業が始まりました。ちゃんと元のように動くのでしょうか? 今日も朝7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町商店街と5.9㎞。所要時間は、1時間半と「高速散歩」(笑)。この夏もっとも汗びっしょりになりました。冒頭の写真は、帰り道、寺町交差点にて。市民プールに向かう親子連れの方が写っています。

Img_1897c_20200810151201 Img_1901c  野鳥はますますいません。猛暑ですとやはり、朝早くに活動して、私が散歩するような時間帯にはすでに休憩かも知れません。ハシボソガラス、スズメ、ムクドリなど以外に見たのは、ツバメ。九華公園の吉之丸堀の上の電線に、今日は2羽。今年生まれの若鳥と思います。

Img_1928c  暑いので、知人と会っても5分も話さず。お互い「暑いので」と早々に(苦笑)。久しぶりに真宗高田派の常信寺に立ち寄って来ました。暑くて、本堂の前で思わず立ち止まって汗を拭いたのですが、足元を見て苦笑した次第。「煩悩」と刻まれていたのです。確かに、私には煩悩が多いかも知れません。お盆前に的確な指摘をいただいた気がします。

Img_1933c_20200810151701  また、常信寺の掲示板には、こんなことばが掲げられていました。ウ~ン、確かにそうなのですが、ちょっと違うような気もしたり……。煩悩の多い私ですから、高田本山がつくったことばに異を唱えるほどの立場ではありません。

Img_1942c_20200810151901 Img_1950c_20200810151901  お盆も近いので、真宗大谷派桑名別院・本統寺へも。こちらが我が家の宗旨。それにしても暑いこと。

Img_1953c_20200810152001  本統寺(御坊さん)にお参りに行ったとき、本堂から読経が聞こえて来ました。ありがたいことです。中高年の女性がお二人、「ちょうどよかったわ」と山門の陰に座り込んで、数珠を手に読経を聞いておられました。せめてこれを見倣うくらいにならないと煩悩が減らないかも知れません。

Img_1939c  以前にも紹介したことがあります。仏壇屋さんの店頭に並んでいた「好物キャンドル」(カメヤマローソク)に目が向いてしまいます。欲しいのではありません、興味があるのです(どう違う?)。いずれにしても、困ったこと(苦笑)。

Img_1977c_20200810152401  エアコンは無事に復活(微笑)。これで涼しく過ごせます。今日は、昼食も、午睡も扇風機で済ませました。昨日のナガシマスパーランドの花火で合成写真もつくってみましたので、また後ほど。

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2020年7月 2日 (木)

車検待ちの間に川越町を散歩

3b6cee2f  気温は31.1℃と真夏日になりましたが、湿度が低く、室内にいれば風も通って、過ごしやすく感じます。予定通り、午前中は、愛車コペンの車検。平成17(2005)年に2年落ちの中古車で購入して以来の愛車。2シーター、スイッチ1つでオープンになるという遊びクルマ。64馬力の直列4気筒DOHCツインスクロールターボJB-DETエンジン。大変気に入っていて、乗り換える気はまったくありません(微笑)。写真は平成30(2018)年10月に撮影したものです(2018年10月7日:木曽川でミサゴ、カモたち、長島でトラクター祭……オープンカー日和でした

Dscn2979c  ずっとお世話になっている川越町にある共和モータースさんに今回もお願いしました。立ち会い、短時間の車検ですし、社長さん以下スタッフの皆さんは皆フレンドリーで親切。メカニックの方のスキルも確かで、すっかり頼っています。9時に入庫。30分ほど待つ間に点検をしていただき、その後、説明を受け、整備箇所を決めます。1時間半ほど要するということで、仕上がり予定は11時15分。事務所で待たせてもらってもよいのですが、このあたりは、近鉄ハイキングでも何度か通っていますので(たとえば、2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))、散歩してくることにしました。

Dscn2987c  共和モータースさんは、朝明川左岸、朝明橋の下流にあります。ここから左岸の堤防道路を下り、福崎橋をわたって右岸側へ。Dscn2982c 早川酒造部の前を通って、高松八幡社へ。そこからまた朝明川へ引き返し、今度は右岸を上流に向かって朝明橋まで戻ります。朝明橋を渡って、まだ時間があれば、豊田一色の神明神社や、一色薬師堂を見てこようという算段。日当たりを歩いているとさすがに暑いのですが、日陰に入るとけっこう涼しく感じました。空は、大気が不安定なのか、微妙な感じ。歩き始めてすぐ、朝明川にダイサギの姿があったのですが、写真を撮ったら後ろ姿になっていました。今日は、コンデジ写真(Nikon coolpix s7000)。

Dscn2988c  朝明川を下っていく先には、中部電力の川越火力発電所の煙突が見えます。これ、我が家からも南に見えています(この写真Dscn2986c は、東向きに撮っています)。歩き始めて600mあまりで福崎橋に来ます。朝明橋より1つ下流の橋。福崎橋をわたって、朝明川の右岸へ。

Dscn2990c  渡ったところに大きな工場のような建物が見えてきます。このブログをずっとお読みくださDscn2992c っている方にはご記憶がおありかも知れません。天一などをつくっている早川酒造部。近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記」で3回も訪ねたところ。直売所もありますが、今日は立ち寄りませんでした。

Dscn2998c  早川酒造部の先、ちょうど1㎞ほどのところを左折すると高松八幡社の参道。ここも3回目。ここは、なかなかよい感じのお宮さん。御祭神は、応神天皇。相殿神は、菅原道真天目一箇神(あめのまひとつのかみ)Dscn3000c 他5柱。この神社の祭は、「足上げ祭」というユニークなもの。ここの境内で一休み。

Dscn3030c  高松八幡社の少し先にあるコンビニまで足を伸ばして、買い物をして戻ります。コンビニはDscn3032c 四日市市。高松八幡社は、川越町。朝明川の福崎橋まで戻って、約2.3㎞。良いペースです(微笑)。

Dscn3038c  朝明川右岸を上流に向かって歩きます。堤防の下に住宅がDscn3042c 並び、遠くには鈴鹿山脈も見えます。雲は何だかヘン。というか、いつの季節の雲かよく分からない感じ。朝明橋に来ました。この橋は、国道1号線。この時点で3㎞あまり、10時45分。まだ30分ありますから、1号線を渡ってもう少し歩くことに。朝明橋を渡って、再び、朝明川の左岸へ。

Dscn3044c  途中、道路にカミキリムシ。ゴマダラカミキリでした。青みがかった黒地に白い点々もようがある、わりとよく見かけるカミDscn3047c キリムシ。さらに行くと、道路沿いのお宅でムクゲ(木槿)が咲き始めていました。これも夏の花です。

Dscn3052c  近鉄ハイキングでこのあたりは通ったはずなのですが、その時には気づきませんでした。狸の置物が玄関脇に並んでいます。もっとも大きいものは、人よりも背が高いくらい。信楽焼なのでしょうね。

Dscn3054c  川越北小学校近くにある里程元標を確認。これも過去に何度も見ています。「元標 三重縣廰 四二・三二七米 十里廿八町 川越村」と記されていました。左側には、「富田町 三・〇五四米 貳拾八町 四日市々 七・五二七米 壱里丗三町」と、また、右側には、「桑名町 七・二〇〇米 一里丗町 富州原町 二・二九一米 弐十壱町」と刻まれていました。この道路元標は、大正13(1924)年、昭和天皇(皇太子時代)の御成婚記念として建てられたもの。ここで3.4㎞。

Dscn3062c  近鉄名古屋線の踏切の手前に豊田一色の神明神社があります。主祭神は、Dscn3065c 天照大御神。相殿神は、大山祇命(オオヤマツミノカミ)。創祀は、社伝よれば天正年間(1573~92)以前といいます。この神明神社では、7月の最終日曜日とその前日(土曜)に石取祭が行われます(今年は、休祭)。ここの石取祭は、桑名の石取祭を取り入れて、約110年前に豊田一色地区が始めたことをきっかけに、現在では町内3地区に広まっています。神明神社で3.6㎞。

Dscn3071c  神明神社は朝明川の堤防上にあり、その堤防道路を北側に降りたところに一色薬師堂があります。ここに安置されている薬師Dscn3073c 像は、天正2(1574)年春、南福崎の利助という百姓が海辺から拾い、山の神へ捨てた仏像が、庄屋の大塚久太夫の夢枕に立ち、お告げをなしたといいます。時を同じくして、希前武右衛門の枕元にも現れ、両人とも驚き、恐れて仏像を手に取ったところ、まさに夢に現れた薬師如来のお姿をしていたそうです。両人、歓喜の涙を流し、直ちに一宇を建立し、敬い奉ったのだそうです。この薬師如来は、聖徳太子の御作と伝わっています。なお、南福崎は、伊勢湾岸自動車道みえ川越インターチェンジと朝明川の間のあたり。

Dscn3077c  境内には、「神明社𦾔跡」という石碑が建っています。碑陰には、「大正十二年五月 氏子中 社當 大塚嘉太郞書」と彫らDscn3087c れています。神明神社がここにあったということかとは思うのですが、調べた限りではよく分かりません。薬師堂からは、堤防下の道路を朝明橋の方に向かって戻ります。途中で「厄除薬師如来参詣道」という石柱がありました。この堤防下の道は初めて通るので、今までは気づかず。

Dscn3098c  堤防下の道路は、里程元標のところで堤防道路に合流。ここで約4㎞。朝明橋左岸北詰交差点で国道1号線を渡って、共和モータースさんに戻ります。1号線を渡ったところに川越町郷土資料館Dscn3107cがあります。平成6(1994)年6月に開館し、農具や漁具、生活用具、伊勢湾台風の時の写真などを展示しているそうです。一度訪ねたいと思うのですが、事前予約が必要ということで実現していません。

Dscn3111c  11時10分、約4.5㎞を歩いて共和モータースに戻って来ました。車検整備は、予定通り11時15分に終了。いやぁ、車検も無事終えられ、散歩までできて、一石二鳥とはこのことなり(微笑)。

 ところで、遠隔授業2回目、課題を課したためか、出欠確認がスローペース(苦笑)。今日、日中はゼロで、現在10名あまり。私としては、400字以内でもあり、さほど難しい課題ではないと思ったのですが、学生諸君にはそうではなかったのかも知れません。とくに1年生の皆さんには、まだハードルが高いのでしょうか。ちょっと気になっています。

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2020年5月 4日 (月)

20200501ご近所神社めぐり……(その2)一目連神社、本願寺跡・梅花仏鏡塔、天武天皇社、伝馬公園、金刀比羅神社

0501walking2  5月1日の「ご近所神社めぐり」のその2です。その1では、市役所から南あたりにある立坂神社、神舘神社、八重垣神社に参拝してきた話を書きました。続きをどうするか決めてありませんでしたが、取り敢えずは、このあと回って来た旧東海道沿いにある一目連神社、本願寺跡・梅花仏鏡塔、天武天皇社、さらに、伝馬公園、金刀比羅社について取り上げることにします。左はその1でも載せた歩いたルートマップですが、八重垣神社を出てから南に行き、若宮町方面を回っていますが、これは歩く距離を稼ぐためで、立ち寄ろうと思ったところはありません。地図では、本願寺とあるあたり(西鍋屋町交差点)で右折しています。右折して歩いたところは、旧東海道。東海道、西は善西寺の方に続き、益世小学校の手前(東)で左折し南に続いて、安永から町屋川方面に行きます。今日の記事で取り上げるところは、以前の記事でも取り上げていますから、内容の重複があります。

Img_6039c_20200503161901  グルッと回ったあたりには、カラオケ店とか、飲食店、パチンコ店が集まっています。写真は、県内の大手チェーンのパチンコ店の店頭の掲示。自粛要請を受けて休業中。私自身は、最初の勤務先の患者さんのレクレーションの付き添いで何度かしたことがあるくらいで、もう40年近くやったことはありません。あちこちで休業要請に応じないパチンコ店が問題になっていますが、かなりのランニングコストがかかるそうですから、パチンコ店もかなり大変なのでしょう(単なる感想です)。

Img_6054c_20200503161901   さて、旧東海道に入って50mほどのところに一目連神社があります。御祭神は、天目一箇命(あめのまひとつのみこと)。大Img_6060c_20200503161901 物主神をまつる祭具をつくったとき、鍛冶(かじ)を担当した神様。多度大社の別宮にも祀られています。先ほど「西鍋屋町交差点」を曲がったと書きました。このあたりは「鍋屋町」という名前が記すとおり、鍋屋が多かったので、天目一箇命に対する信仰が篤く、金属工業の神として勧請されたと考えられています。

Img_6058c_20200503161901  一目連神社の境内には、美濃派の俳人・徐風庵(じょふうあん)の句碑があります。「名いろいろ さだまる夏の 木かげかな 徐風庵」と刻まれています。徐風庵は、芭蕉門下の各務支考(かがみしこう)が美濃に興した俳諧の一派。美濃派(再和派)の第九世・多賀徐風庵(1772~1832)。旗本加藤平内に仕えた代官です。美濃派は、員弁街道ハイキングで、東員町交番の裏に自然石の石碑がありそこに岩田卜際の句「雲いくへ ひばりなくなく そりみ坂」が刻まれていました(2020年3月29日:20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(予告編))。卜際も徐風庵に学んでいます。

Img_6066c  一目連神社の向かいに道標が1基あります。「左 東海道渡舩場道」「右 西京伊勢道」と刻まれています。「渡舩場」は、七里Img_6067c_20200503161901 の渡しを指していると考えられます。碑陰には、「明治廿年十一月廿八日開店之祝意建…」とあります。明治20年は、1887年。「西京」とあるのは、京都のことで、東京に対しての表現と思われます。伊勢道は、東海道を下って、四日市の日永の追分から分かれます。

Img_6076c  一目連神社からさらに50mほど先の右手(南)に本願寺跡があります。火災で記録が消失したため、詳しいImg_6080c_20200503161901 ことは分かりませんが、江戸時代には本願寺村があり、古くからの古刹であったと考えられています。このあたりから東鍋屋町。

Img_6083c_20200503161901 Img_6086c_20200503161901  境内には、松尾芭蕉の門人である各務支考の分骨供養塔である「梅花仏鏡(鑑)塔(ばいかぶつかがみとう)」があります。支考は、上述のように、美濃派の創始者であり、美濃国だけに限らず近国に多数の門弟を抱えていました。支考は、宝永8(1711)年に佯死(ようし;死んだふりをすること)して、墓を同国山県郡北野村(現岐阜市山県北野)の獅子庵に建てました。この墓は各務の姓にちなんで、円形の鏡を模して、鑑塔と称しています。支考が実際に亡くなったのは、享保16(1731)年。この頃桑名では、美濃派の俳諧が流行しており、その指導的立場にあったのは、支考の直門の雲裡坊杉夫で、桑名本願寺住職を務めていたと考えられています。彼は、支考の没後に、その人物を片田舎に埋もれさせることを惜しみ、分骨を受けて北伊勢の門人たちの手により本願寺に鑑塔を建立し、「桑名万句」を編するなどして支考の霊を供養するとともに、東海道を往来する旅人にも参詣させようとしたといいます。この前後に雲裡坊を初代社長として北伊勢美濃派俳人等を統合し、「間遠社(まとおしゃ)」が結成されています。鑑塔の周囲には、歴代の間遠社社長の句碑が建っています。

Img_6092c_20200503174301  天武天皇社。天武天皇社の御祭神は、天武天皇、皇后持統天皇高市皇子です。天武天皇を主祭神とするのは、全国でこImg_6105c_20200503174301 の神社のみです。天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱の時に、皇后と共に吉野より潜幸され、桑名郡家に宿泊されました。「6月24日に吉野を出発した大海人皇子の一行は、26日には朝明郡を経て、桑名郡家に到着し、宿泊する。翌27日、大海人皇子は吉野から同行していた妃の讃良皇女(のちの持統天皇)を残して不破に向い進発した」というのですが、桑名郡家がどこかは確定していません。天武天皇の桑名滞在は僅かでしたが、皇后は約2ヵ月も逗留され、当地が2帝との関係浅からぬものがあるため、後世、祭ったものです。

Img_6123c_20200503174301  天武天皇社の背後(北側)には、伝馬(てんま)公園があります。伝馬公園は、近世の桑名城下町でいうと、その南西端にあります。16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わっています。願証寺はもとは長島にあり、明応6(1497)年、蓮如上人の子・連淳が入って東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。伝馬役に従事する人々が多く住んでいたため、それが町名になりました。一昨年、市教育委員会が遺跡発掘調査を行い、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかりました。その説明会にも行っています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。

Img_6125c_20200503174301  ここで一休み。上の写真のように、ほとんど誰もいませんでした。若い男性が一人、ベンチに座ってスマホを見ていただけ。私は藤棚の下のベンチで休憩。藤の花にはクマバチが寄って来ます。羽音が大きく、ずんぐりむっくりの体も壊そうに見えますが、温厚な性格なので、こちらが手を出さなければ大丈夫。

Img_6135c_20200503174301  伝馬公園の近くに掛樋という交差点があります。これは、江戸時代、御用水が城の惣構堀をまたぐための水Img_6137c_20200503174301 道橋がかけられたことに由来するものです。掛樋交差点の東に金刀比羅神社があります。宝永7(1710)年、桑名藩主・松平忠雅公が備後福山から移封されたときに随伴した円覚院住持が境内に祀られ、維新後廃寺となったものの、御祭神は現存したと由緒書きにあります。御祭神は、薬師十二神将の一つとあります。これは、宮毘羅 (くびら) です。薬師如来の家来から船神となり、航海安全を守る神となっています(桑名市史本編)。桑名は、伊勢湾舟運の中心の一つでしたから、金刀比羅神社の崇敬者は多かったかも知れません。由緒書きには水神を祀っているともあります。ちなみに、金刀比羅宮の御祭神は、大物主神と、崇徳天皇となっています。

Img_6145c_20200503174301  境内には、金刀比羅神社と宗霊社と2つの社が祀られています。たぶん向かって左が金刀比羅神社、右が宗霊社。神社検索三重のサイトには載っていませんので、神社庁傘下の神社ではありません。宗霊社は、祖霊社かという気がしますが、不明。祖霊社であるならば、祖先の霊を祭るための社です。

 5月1日の「ご近所神社めぐり」で回って来た神社は以上。それぞれの神社の境内社などについては触れていません。「補遺編」または「その3」として書こうと思っています。

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