神社

2018年12月26日 (水)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ

181223kintetsuhikinghisai2_2  12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」のその2です。その1では長い余談を書いたあと、ようやくスタートし、最初の立ち寄り先である光明寺まで来ました。ここで、鎌倉時代後期につくられた地蔵菩薩立像を拝観。

Img_7031c 光明寺はスタートから2.1㎞。次の宝樹寺まで、1.3㎞ほど。近鉄名古屋線のImg_7033c 線路を桃園駅の南で渡ります。このあたりの近鉄路線は、近鉄ハイキングなどに出かけるようになって、何度も通ります。今まで知らなかったのですが、歴史は古く、昭和5(1930)年5月に参宮急行電鉄が開通したときに開業していました。無人駅ですが、急行が停車します。全くの余談ですが、そのため、近鉄名古屋線の急行は、江戸橋から伊勢中川までは各駅停車の状態になります。

Img_7035c 桃園駅の西でV字に左折、南へ。このあたりでマンホールに目が向きました(あちこちでなるべく見つけたら、写真を撮るようにはしています。どうでも良いことが気になる質で、我ながら困ります)。旧・久居市の下水道のもの。榊原温泉の露天ぶろ入浴を描いたデザイン蓋になっていました。

Img_7044c スタートから3.4㎞、10時35分に宝樹寺に到着。こちらも天台真盛宗のおImg_7046c 寺。しかしながら、由緒などについては情報がありません。ネットで検索しても、当日、久居城下案内人の方にいただいた「永久鎮居の地久居めぐり」のパンフレットにも記載がないのです。

Img_7049c 本堂は新しい感じです。が、残念ながら、本堂の扉は閉まっており、ご本Img_7051c 尊は拝観できませんでした。本堂に向かって左手に地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。

Img_7054c こちらがその地蔵菩薩坐像。高さ2.17m。円形の基台に複弁の「反花(かImg_7056c えりはな)」が刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「敷茄子(しきなす)」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されています。「反花」は、仏像の蓮華座で上向きについた蓮弁。「敷茄子」は、蓮華台の下の鼓型の台で、花と茎の付け根部を表したもの。光背に「願主 右衛門少尉 源 幹重」 「正和三年(1314)甲寅八月廿九日建立之」の刻銘があるそうです。願主の「右衛門少尉 源幹重」については、地元の人物らしいということしか分かっていません。

Img_7057c 境内には、左の写真にあるような、これまた古そうなお地蔵様もいらっしImg_7063c ゃいました。台座にある文字を追うと、日露戦役忠霊のため、三地蔵講の方が建てたということのようでした。他にも、右のように、これは六地蔵というのでしょう。説明も何もありません。

Img_7078c 宝寿寺を出て西へ向かいましたが、100mほどいったところに小さな道標がありました。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。ということは、奈良と伊勢街道(参宮海道)とを結んでいた道か? 永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです。

Img_7074c 調べてみましたら、「安濃津から伊賀街道・大和街道を経由して奈良へImg_7077c 通じる道を、かつては「伊賀越えならみち」「奈良道」と言った。現在では、五百野(津市美里町)で伊賀街道と分岐し、久居城下を経て月本追分(松阪市中林町)で伊勢街道と合流する区間が「奈良街道」と称される」ということでした(こちら)。江戸初期から中期位までは、この奈良街道から伊勢参宮街道へ入る人が多かったといいます。街道は久居城下町の中を、久居万町・久居幸町・久居旅籠町・久居本町・久居二ノ町・久居元町と進み、今の桃園工業団地辺りで雲出川を渡っていました(こちら)。ここにも道中記があります。

Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。ここは、立ち寄りポイントではありませんでしたが、見つけてしまったからには、立ち寄らなければなりません。ということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました(こちら)。八柱神社は、多くの場合、八王子神社とも呼ばれ、スサノオの八柱の御子神を祀る神社です(しかし、一方で、単に八柱の神を祀る神社ということもあるようです)。詳細は長くなりますので、リンク先のWikipediaの説明をご覧ください。

 ちなみに、郷里にある八柱神社は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)、多紀理毘売命(タキリビメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメ)を祀っています。

Img_7087c

 一の鳥居の手前、両側に山の神の石碑が6柱並んでいました。近くのもImg_7089c のをここに合祀したということかと思います。

Img_7108c 左は、二の鳥居と拝殿。右は、拝殿の写Img_7104c 真。かなり古びているというか、少し傷んでいる感じ。残念ながら、ネット検索では何も情報は出て来ません。

Img_7096c 拝殿に向かって右には、神武天皇御陵遙拝所がありました。神武天皇陵は、畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接して置かれています。

Img_7130c 寄り道を終え、正規ルートに戻ります。冒頭の実測ルートマップにありますように、ちょっとクネクネと曲がって、牧町と川方町の間を北に進みます。この少し南に雲津川が流れています。その昔、桃園村はもっと低いところにあり(桃園駅南約1㎞にある物部神社あたり)、雲津川の氾濫に悩まされたそうで、その後やや高いところに移ったといいます。確かに光明寺から宝樹寺、八柱神社は、一段高いところにありました。

Img_7123c このクネクネ道のあたりから東には、近鉄名古屋線の線路がよく見 えまImg_7132c す。雲津川を渡るとすぐに中川短絡線を通って伊勢中川駅になります。4㎞地点の辺りからは、青山高原にある風力発電用の風車がよく見えました。

Img_7140c 細い川沿いの道を歩いて、宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、Img_7142c コウヤマキでできています。上述のように、桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうで、洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした(久居城下案内人の方のお話し)。なかなか洒落ています。

Img_7145c 栄松寺についても、由緒などの情報は得られませんでした。ネット検索で

Img_7147c

も、「開創は不明」という記述のみ。こちらのお地蔵様は立像ですが、右の写真のように、境内の片隅に覆い屋を建てられ安置されていました。ちょっと独特な造りでした。柱状凝灰岩に深さ約30cm近くも二重光背を彫り窪め、(がん)(厨子)状にした中に地蔵立像を刻み出してあります。龕は、仏像を納めるため、岩壁を掘りくぼめた場所。お地蔵様自体は、高さ63.6cm。蓮華文の扁平な台座の上に鎮座。背面には「正和三年(1314)甲寅八月十六日造立也」、「願主沙弥淪海」とあります。この願主についても、詳細は不明。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。

 その2はここまでとしますが、栄松寺で、知人G氏と合流。油正の蔵開きにぜひとも行きたいということで、参加されました。が、諸般の事情で、私より1本後の電車で久居駅に到着。久居駅で待っているとかえって気を遣わせるかと思い、「先にゆっくり行っていますから」ということで先行していたのです。私はあちこちでいろいろと見て回りますから、どこかで追いついてくださると勝手に決めて、先にスタートした次第。ここからは、Gさんと同行。それは、その3にて。

| | コメント (0)

2018年12月25日 (火)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その1)……久居駅を出発、陸上自衛隊久居駐屯地を見て、光明寺へ

Img_6933c 12月23日に行ってきた近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」の本編、その1です。これで、今年のウォーキング/ハイキング納めです。今年1月からの累計で、近鉄ハイキングには27回、JRさわやかウォーキングには6回、合計33回参加しました。

Img_6936c 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーImg_6931c キング/ハイキング納めということもあり、エイヤッと出かけました。受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記はいつも大人気。私が受け取ったコースマップの番号は、何と619番でした。
Img_6939c こちらがこの日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛181223kintetsuhikinghisai 隊の久居駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。久居駅からは南のあたりを歩きます。家内の実家が津市榊原町にありますが、このあたりの土地勘はほとんどありません。右は、この日、実際に歩いたルートマップ。あまり余分に立ち寄りませんでしたので、7.4㎞でした(立ち寄り先の中で歩いた分は割愛)。
Img_6945c 久居駅東口駅前広場のところには、「緑の風公園」があります。ここは、旧・国立津病院の跡地(三重中央医療センターのサイトのここに沿革があります)。旧・国立療養所鈴鹿病院に勤務していた頃、労働組合の用事などで何度か来たことがありました。津病院は、明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊の設置に伴い、津衛咸(えいじゅ)病院として創立され、戦後、国立津病院として平成10(1998)6月までここにありました(その後は、旧・国立療養所静澄(せいちょう)病院(現在の津市白山町二本木にありました)と統合され、国立三重中央病院から、国立病院機構三重中央医療センターになっています)。それ故、ちょっと懐かしいところ。ですが、病院があった面影はすっかりなくなっています。
Img_6951c この公園の一角に「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。Img_6949c 「ハチ公」は、あの忠犬ハチ公です。ハチ公の飼い主の東京帝国大学教授・上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6944c 銅像のすぐそばには句碑がありました。平成26(2014)年12月に「久居藩初代藩主藤堂高通公・俳聖松尾芭蕉 生誕370年記念」ということで建てられた「任口、芭蕉 久居句碑」だそうです。藤堂高通公と松尾芭蕉は、ともに寛永21(1644)年生まれで、この年に生誕370年を迎えることを記念してNPO法人俳句みえが建てています。「任口(にんこう)」は、高通公の俳号。です。生誕地のつながりで、任口の俳句を前葉泰幸津市長が、芭蕉の俳句を岡本栄伊賀市長が揮毫しました。
  • 詠(なが)むるや 江戸にはまれな 山の月 芭蕉
  • はなむけぞ 江戸紫の 菊の枝 任口
 芭蕉の句は、延宝4(1676)年、芭蕉33歳の時の作。二度目の帰郷のとき、伊賀上野で見た月を、江戸の濁った月と比較しての感慨を詠んだもの。この句には、「久居藩開祖藤堂高通公(任口)に挨拶」と添えられています。任口の句の方には、「武蔵野かたへゆくものにつかわしける」と。「伊勢久居藩史」にも芭蕉が松尾宗房・桃青時代より、藤堂高通とは京都の俳諧宗匠北村季吟の同門であったとの記述があり、江戸から伊賀上野へ帰郷の際には、久居藩にたびたび立ち寄ったようです(こちら)。
 ちなみに、「久居」の地名は、藤堂高通公がこの地に永久に鎮居するといったことに由来するといいます。
Img_6925c スタート前から余談が過ぎていますが、もう少しご容赦を。上に「明治41(1908)年11月、歩兵第51連隊が設置されたのに伴い、津衛咸病院も創立された」と書きました。久居駅東には、陸上自衛隊久居駐屯地があります。主力部隊は、第33普通科連隊です。
Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地(Img_6926c 兵第51連隊)として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。現在駐屯する陸上自衛隊第33普通科連隊は、この旧・大日本帝国陸軍歩兵第33連隊の連隊番号を継承していることになります。
181223kintetsuhikinghisai1 さて、長々と余談を書き連ねましたが、ようやくスタートします。スタートしたのは9時43分。久居駅から南下し、すぐに右折(東へ)。自衛隊久居駐屯地の間の道路を歩いて行きます。この道路の北側は駐屯地で、さまざまな建物が建ち、また車両などが置いてあります。南側は訓練場。
Img_6968c 駐屯地の正門。「写真を撮って大丈夫か?」とちょっとビビったので、こんImg_6966c な風(笑)。すでに門松が立っていました。右は、訓練場の様子。またもや余談になりますが、久居の花火大会(サマーフェスタインひさい(久居花火大会))は、この訓練場で開催されます。昔(久居市だった頃)からそうで、結婚当初、見に来たことがありました。
Img_6972c 訓練場の東の方に、こういうものが見えました。気になります(苦笑)。そImg_6973c ばに寄ってよく見ると、「大正天皇御野立所御手植之松」という石柱が立っています。この訓練場は、旧・陸軍津練兵場でした。大正天皇は、皇太子時代に何度か三重県に行啓しておられます(下記参照。こちらを参照)。内容から推測するに、明治39年か、45年の行啓の際に立ち寄られた可能性が高い気がします。なお、この石碑は、昭和31(1956)年1月10日、時の久居駐屯地司令により建立されました。
  • 明治33(1999)年5月23~6月2日:伊勢神宮・神武天皇陵などに結婚奉告のため三重、奈良、京都を10日間初巡啓
  • 明治38(1905)年11月:陸海軍少将に進級、戦勝報告の為に伊勢神宮を参拝
  • 明治39(1906)年10月:名古屋を訪れ、愛知・三重・岐阜三県で行われた陸軍大学校参謀旅行演習を見学。はじめての本格的な軍事行啓
  • 明治43(1910)年9月:三重、愛知を巡啓
  • 明治45(1912)年4月22日から:滋賀県と三重県を舞台にした参謀本部参謀旅行演習の見学
Img_6979c 最初の立ち寄り先の来迎山光明寺までは、2㎞あまり。その間、立ち寄るImg_6980c ところは設定されていませんので、ひたすら歩きます。久居駐屯地を過ぎて、1㎞地点で県道24号線から右折。住宅地や、畑などのあるところがつづきます。1.3㎞ほどで津市立久居東中学校前を通過。10時ちょうど。
Img_6983c 少し歩いて右折。このあたりには、梨畑があります。久居は、梨の名産地なのです。幹線道路沿いの直売店などで販売されます。8月中旬~下旬にImg_6984c は「幸水」、9月初旬は「豊水」が採れます。
 これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6992c  スタートから2.1㎞で来迎山光明寺に到着。10時10分。天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。天台真盛宗については、よく知りませんでした。天台系仏教の一派であることは推測が付いていました。総本山は、戒光山西教寺(滋賀県大津市)。ここのご本尊は阿弥陀如来。開基は聖徳太子とする伝承もあるそうですが、判然としません。室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛(しんせい)が入寺(文明18(1486)年)してから栄えたお寺です。真盛は、伊勢の出身。
Img_6999c  光明寺については、創建などについての情報が得られませんでした。しImg_6990c かし、地蔵菩薩立像には、「正和三年(1314)甲寅八月廿四日 願主 沙弥道観」と一行の刻銘があります。沙弥道観は、光明寺の僧で、建長2(1250)年生まれ、石仏がつくられた正和3(1314)年には64歳でした。この頃には、すでに光明寺はあったということです。
Img_7007c こちらが、その地蔵菩薩立像。本堂に向かって左手にある薬師堂に安置Img_7010c されています。説明板によれば、高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りに像が彫られています。像そのものの高さは、1.4m。砂岩に彫られています。右手に錫杖、左手に宝珠を持っておられます。
Img_6996c 光明寺には、地蔵菩薩立像の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります(本堂内の撮影は不可)。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_6997c 境内には、もう一つの地蔵堂があります。こちらについては、詳細は不明。内部には2体のお地蔵様がいらっしゃいます。
Img_7016c 上の写真の地蔵堂にいらっしゃるお地蔵様。説明もありませんし、ネットImg_7018c で検索しても何も出て来ません。久居の郷土史についての本を見れば、何か記述があるかもしれません。
Img_7012c こちらは、庚申塔。「庚申」という文字と、その上部に何かが彫られているのですが、私には不明(梵字かという気もしますが、全くの当て推量)。
Img_7013c 墓所の側には石碑が2柱。向かって右のものには「故陸軍歩兵一等卒小玉(?)京蔵君碑」、左は「故陸軍歩兵上等兵小玉(?)久雄君碑」と読めます。碑陰にはそれぞれ法名があり、また、右側には明治38(1905)年の日付がありますから、おそらく日露戦争に従軍された方の碑と思われます。
Img_7024c 光明寺を出て、次の目的地である宝樹寺へ向かいます。光明寺を出たとImg_7031c ころにもお地蔵様。3体いらっしゃいましたが、何も説明もありません。宝樹寺へは、近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞。今日は、ここまで。その2で宝樹寺から、桃園三地蔵の続きも。
181223kintetsuhikinghisai2 その1で触れた光明寺から、次の立ち寄り先あたりの実測ルートマップは、左の画像の通りです。

| | コメント (0)

久しぶりにカワセミ……最低気温は今シーズン初の氷点下

Img_7322c

 今朝は冷えたと思いました。この記事を書くに当たって、アメダスを見てビックリ。-0.8℃でした。昼は11.2℃まで上がって、室内にいると暖かく過ごせます。リビングでは、25℃を超えているくらい。冒頭の写真は、住吉神社の前から揖斐川、長良川河口堰を見たもの。今日も8時20分から、ここ住吉神社、九華公園、貝塚公園から入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.9㎞の散歩。
Img_7352c 今日は何といってもこの写真から。カワセミ。九華公園の奥平屋敷跡にて。飛ぶところは時々見ていたのですが、止まっているところを見て、写真に撮ることができたのは久しぶり。もう少しきれいに撮れたら良かったとは思いますが、まぁ良し(微笑)。
Img_6367c 住吉神社から見える、揖斐長良川の中洲。このところ、アオサギなどの姿は全くなかったのですが、今日、よく見ると、長良川の方にアオサギが1羽いるのが見えました。中央あたりに小さく見えています。また、ここにアオサギが集まってきてもらいたいと思っています。
Img_6371c 蟠龍櫓のところではイソヒヨドリのオス。左の写真は、フェンスのところで写Img_6376c 真としてはよくありませんが、虫のようなものを咥えているのが分かります。昨日は、この近くでイソヒヨドリのメスを見たという情報もあります。
Img_6387c 8時45分に九華公園。アオサギと、ゴイサギ&ホシゴイが5羽と、オールImg_6403c スター(笑)。ゴイサギが2羽、ホシゴイが3羽です。右の写真のホシゴイ、これからまさに飛んで、移動しようとするところです。
Img_6427c カモは合計82羽と、増えていました(昨日は59羽)。ヒドリガモのペアが2組、ホシハジロはオス3羽、メス1羽でしたが、ハシビロガモがオス2羽、9羽とこれが増えています。9時半を過ぎる頃までは、あまり活動性は高くありません。少し暖かくなると、動き始めるという印象があります。
Img_7345c 奥平屋敷跡では、まずはモズのオス。最近、九華公園でよく見ます。まImg_6421c た、シメの鳴き声がしていました。なかなか見つけられず、証拠写真のみ(苦笑)。シメは2羽いたように見えましたし、本丸跡でも鳴き声を聞いています。
Img_7362c こちらは、野球場の照明灯の上に集まっているカワウたち。向かって左から2羽目にお腹が白いものがいます。これもカワウなのですが、最近、散歩友達の方たちがこのカワウを見て、別の鳥と思って、「アレは、何という鳥だ?」と尋ねてこられます。
Img_6443c 公園内を半周して、再びアオサギ、ゴイサギなどを見に行ったら、相撲場Img_6466c の近くでコゲラ。今日はこの1羽のみ。ただし、シジュウカラやメジロと一緒に行動していました。
Img_6476c ユリカモメは、数えられた範囲では38羽。というのも、餌をやる人があっImg_6494c て、ご覧のように大騒ぎだったのです。カモたちも集まって、ウロウロ。ただし、いつも書きますが、運動能力はユリカモメの方が高いので、カモはなかなか餌をゲットできません。
Img_6498c 揖斐川からの導水路近くでは、カワウが漁の最中。水を入れていると、さImg_7348c なかも一緒に入ってくるのです。しかし、残念ながら、後ろ姿しか捕らえられませんでした。後ろ姿といえば、モズも(笑)。
Img_7366c ところで、今日は、鎮国守国神社では、「御由緒祭」が執り行われていまImg_7365c した。日付と名前は知っていたのですが、どういう祭かは分かっていませんでした。知人で氏子の役員をしている方も参列しておられ、話を伺ったところ、桑名藩主で、代々の松平家藩主(それも、たぶん久松の系統)の慰霊をするお祭のようでした。神社でセレモニーをしたあと、照源寺、円妙寺など、墓所のあるお寺を回って、参拝するということでした。
 照源寺は、寛永元(1624)年、桑名藩主・松平定勝公(徳川家康公の異父弟)の逝去に際し、二代将軍徳川秀忠公の命により、その子である松平定行公が菩提のため建立した、浄土宗のお寺です。照源寺には、定勝公をはじめとして、定綱、定儀、定輝、定信、定永、定和、定猷の歴代諸藩主とその一統26基の墓が建てられており、県指定史跡(松平定綱及び一統之墓所)となっています。また、円妙寺は、久松松平家第2代藩主・松平定良公の菩提寺として建立され、定良霊廟と一族縁者の墓があります。日蓮宗のお寺。定良霊廟、養仙院の墓は市指定文化財。
Img_7386c オマケ。またもや、立教小学校近くの作業所(はあぶ工房togetherさん)で売っている多度みかんを買ってきました。我が家のお気に入りになっていて、これで実は、4回目。昨日仕上げて、メールで送った江戸橋方面の授業のシラバスは、今日、届いたという連絡をいただきました。あとは年賀状をつくらなくては。
 本日の野鳥リスト:
  • ヒヨドリ(諸戸氏庭園、三の丸公園、九華公園、貝塚公園)
  • ムクドリ(住吉神社、蟠龍櫓、九華公園)
  • ハクセキレイ(住吉神社、九華公園)
  • イソヒヨドリ オス(蟠龍櫓)
  • カワラバト(蟠龍櫓、九華公園)
  • アオサギ
  • ゴイサギ
  • ホシゴイ
  • キンクロハジロ オス、メス
  • ヒドリガモ オス、メス
  • ホシハジロ オス、メス
  • ハシビロガモ オス、メス
  • オオバン
  • シメ
  • モズ オス
  • カワセミ
  • カワウ
  • カワラヒワ
  • シジュウカラ
  • メジロ
  • コゲラ
  • メジロ(九華公園、貝塚公園)
  • キジバト(九華公園、貝塚公園)

| | コメント (2)

2018年12月24日 (月)

鎮国守国神社に門松……仕事を少し進められました

Img_7245c

 世間的にはクリスマスイブだそうですが、一応仏教徒であり、子どもたちももう20代半ばになっていますので、ほとんど関係がないという状況です。ありがたいような、ちょっと寂しいようなそういう感じです(笑)。今日は、また、振替休日だそうですが、それもあまり関係ありません。私自身は、いつも通り、8時半前から散歩であります。これまたいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から京町、寺町と6.5㎞。
Img_6254c けっこう風が強く、揖斐川の川面も波立っていました。しかし、こういう日に限って、カンムリカイツブリがよくいます。中洲近くや、揖斐川の右岸からとおくないところなど、計3羽。ヒドリガモやキンクロハジロなども、併せて30羽ほどチャプチャプしていました。
Img_6260c 七里の渡し跡では、ヒドリガモのペア3組と、コガモが10羽。両方いるとこImg_6264c ろ、また、これだけの数のカモがいるところは、今シーズン初。
Img_7260c  柿安コミュニティパークでは、モズが出て来ました。メスですから、三の丸公園からこのあたりによく出没する個体と思えます。はじめの方にも書きましたが、今日は風が強くて、ドバトやスズメ、ヒヨドリなども少なめでした。ハクセキレイもいません。
Img_7265c 8時45分頃九華公園に到着。アオサギがいたという情報もあったのですImg_6273c が、私が着いた時には不在。代わって、ゴイサギとホシゴイが、この時点では1羽ずつ。ただし、ホシゴイは、東を向いていて、西側から見ていると背中を向けられていました。
Img_6286c カモ、今日は合計59羽。メンバーはいつも通り、ヒドリガモ、ホシハジロ、ハシビロガモ、キンクロハジロ。いずれもオスメスが揃っています。ヒドリガモと、ハシビロガモは、あのカメの甲羅干しスロープの残骸で休むのがお気に入りのようです。
Img_7286c ユリカモメは、相変わらず少なめ。一時、30羽以上が飛んできていたのでImg_6310c すが、餌をもらえないためかそのまままた飛び去っていきます。野球場のフェンスにいたのは、最大で20羽ほど。
Img_6293c 寒くなってきて、またカワウが集まるようになっています。野球場の照明Img_7278c 灯の上や、神戸櫓跡の松の木が定位置。20羽以上がいます。こちらは、吉之丸堀の西側で漁の最中。ボラと思いますが、捕まえていました。
Img_6333c 風が強かったためか、小型野鳥は少なめ。ヒヨドリも少ない感じ。見たのImg_7303c は、シジュウカラ、カワラヒワ、シメ、モズ、メジロくらい。ツグミも、ビンズイもいません。貝塚公園でも、ヒヨドリくらい。シロハラは、先日一度見ただけ。冬鳥皆が、顔は見せてくれたものの、その後どこかに行ってしまっているという印象。
Img_7291c 冒頭にクリスマスイブと書きましたが、ということは今年も残すところあと1Img_7295c 週間ほど。鎮国守国神社には、門松が準備されていました。昨日午後から氏子の役員の方が、竹など材料を取りに行って作ってくださったそうです。
Img_6363c 帰りには寺町商店街を通ってきましたが、フラッグは冬バージョン。ナンテンなどをデザインしたものと見えました。
Img_7310c 散歩から帰って東の空を見たら、木曽御嶽山がよく見えていました。かなり雪が積もっています。午後から、来年度の江戸橋方面の授業のシラバス(授業計画)を作成して、メールで送りました。来月末の研究会打ち合わせの連絡もして、あとのdutyは年賀状の作成のみ。
 本日の野鳥リスト:
  • ヒヨドリ(諸戸氏庭園、桑名七里の渡し公園、九華公園、貝塚公園)
  • ヒドリガモ オス、メス(揖斐川、九華公園)
  • キンクロハジロ オス、メス(揖斐川、九華公園)
  • カンムリカイツブリ(揖斐川)
  • コガモ オス、メス(七里の渡し跡)
  • ヒドリガモ オス、メス(七里の渡し跡)
  • オオバン(七里の渡し跡)
  • カワラヒワ(三の丸公園、九華公園)
  • カワラバト(三の丸公園)
  • ハクセキレイ(三の丸公園)
  • モズ メス(柿安コミュニティパーク)
  • ゴイサギ
  • ホシゴイ
  • カワウ
  • ハシビロガモ オス、メス
  • ホシハジロ オス、メス
  • シメ(鳴き声のみ)
  • オオバン
  • ユリカモメ
  • カルガモ
  • シジュウカラ
  • メジロ
  • ウグイス(鳴き声のみ)
  • モズ オス

| | コメント (2)

2018年12月23日 (日)

20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め

Img_6921c

 出がけに小雨がぱらついたりして、今ひとつの天気でしたが、年内のウォーキング/ハイキング納めということもあり、近鉄ハイキングに参加してきました。今回は、「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正「初日」と桃園三地蔵」です。今日のところは、例によって予告編。
Img_6936c 受付・集合は、近鉄名古屋線・久居駅。すでに何度も利用したことがあり、Img_6931c 勝手知ったる駅。9時半から10時半が受付でしたので、桑名駅を8時42に分に発車する松阪行き急行に乗車。9時34分着。¥820。改札口に向かう階段・エスカレーターは、右の写真のようにラッシュ並みの混雑。酒蔵みてある記は大人気。
Img_6939c_2 本日のコースマップ。久居駅の東口駅前広場で受付、陸上自衛隊の久居181223kintetsuhikinghisai_2 駐屯地の南を歩いて、光明寺、宝樹寺、栄松寺から、真光寺を回り、酒蔵・油正さんで酒蔵見学。ゴールは、スタートした久居駅(ただし、西口がゴール)。マップ上7㎞。右は、実測ルートマップ。今日は、寄り道をしたのは、2ヶ所でしたので、実際に歩いた距離は、7.4㎞でした(立ち寄り先内で歩いた距離はカウントしていません)。これから訪ねる桃園(ももぞの)地区は、かつては桃園村と呼ばれ、鎌倉時代後期(正和3(1314))年につくられた石造地蔵菩薩が3体残っており、これが「桃園三地蔵」と呼ばれています(三重県文化財)。3体の地蔵尊は、次の通り:
  • 栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)
  • 光明寺地蔵菩薩立像(津市新家(にのみ)町)
  • 宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)
 製作年の明らかな石仏では、三重県内最古のものです。
Img_6948c スタートの久居駅東口広場前には、「緑の風公園」があり、その一角には、「上野英三郎博士とハチ公」という銅像があります。あの忠犬ハチ公です。飼い主の上野英三郎博士が、現在の津市久居元町(一志郡本村)に生まれたという縁でここに平成24(2012)年10月銅像が建てられたのです。2016年4月28日にこれを見に来ています(久居駅で忠犬ハチ公、自衛隊の駐屯地など……家内の実家へ)。
Img_6968c 久居駅のすぐ東には、陸上自衛隊の久居駐屯地があります。主要部隊は、第33普通科連隊Img_6928c この駐屯地の歴史は古く、明治41(1908)年に旧日本陸軍の駐屯地として発足しています。大正14(1925)年には、名古屋市の守山駐屯地から歩兵第33聯隊がここに移ってきています。
Img_6992c スタートから約2㎞。来迎山光明寺天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)のお寺。地蔵菩薩立像Img_6999c の他、木造阿弥陀如来立像と、木造二十五菩薩像があります。二十五体の仏像群はいずれも江戸初期の作で、阿弥陀如来が西方浄土から二十五菩薩をしたがえて来迎される様子を彫刻化したもので、二十五菩薩象がすべて揃っているのは極めて珍しいそうです。
Img_7007c 地蔵菩薩立像は、本堂脇にある地蔵堂に安置されています。高さ2.11mで光背があり、半浮き彫りになっています。先に述べたように、正和(しょうわ)3(1314)年の建立銘があるそうです。こちらのブログの情報に寄れば、
「栄松寺が同年8月16日、光明寺が8月24日、宝樹寺が8月29日の造立、殆ど同時期に同一作者だと思われる石工の作」だといいます。写真を並べてみると、姿形が何となく似ている気もします。
Img_7044c 光明寺から近鉄名古屋線・桃園駅の南を通って1.2㎞、桃園駅からは300mほどでしょうか、宝樹寺へ。こちImg_7049c らも天台真盛宗のお寺。本堂は新しい感じです。
Img_7054c 宝樹寺も、地蔵堂があり、その中に地蔵菩薩坐像がおられます。高さ2.17m。円形の基台に複弁の反花(かえりはな)我刻んであり、その上に扁平にした丸形で、蓮の花弁を並べた「しきなす」、さらに単弁の台座を置いて座像が安置されていると、説明板にありました(微笑)。もう少し勉強しないといけませんねぇ。顔を洗って出直してきます。
Img_7078c 宝樹寺を出て、少し行ったところに道標(津市牧町)。写真は、西から宝樹寺の方角を撮っています。「左 さんくうみち 右 ならみち」と刻まれています。あれこれ眺めていたら、私よりも高齢の女性、二人連れの方が「何と刻んでありますか?」とお尋ね。現地では、「さんくう」が読めませんでした(苦笑)。このあと永松寺で久居城下案内人の方に伺ったところ、この道は、「奈良道」だそうです(まだ十分には調べが付いていません)。
Img_7086c 道標の先にかなり古びた神社がありました。立ち寄りポイントではありまImg_7104c せんが、ここに立ち寄らなければどこに立ち寄るということで、寄り道。社号標などはありません。帰ってから地図で調べたら、八柱神社。郷里にも同じ名前の神社がありました。残念ながら、ネット検索では何も出て来ません。ここには、山の神が6柱合祀されている他、神武天皇御陵遙拝所がありました。
Img_7114c コースに戻り、いったん雲津川の堤防に出て、すぐに北上。細い川というImg_7130c か、水路というかそれ沿いに歩いて行きます。地図を見ても、名前が書かれていないくらい(調べが足らないだけかもしれませんが)。遠くに青山高原や、そこにある風力発電の風車も見えました。
Img_7140c 宝窟山栄松寺。真宗高田派のお寺。山門は、コウヤマキでできていまImg_7145c す。桃園の集落は、以前は、もっと雲津川に近いところにあったそうですが、洪水を避けて少し高い、現在地あたりに移ったそうです(久居城下案内人の方のお話し)。洪水で流されるということもあって、このようなコウヤマキ山門になったということでした。
Img_7147c  桃園三地蔵の3体目、地蔵菩薩立像が安置されています。像高66cm。方形の凝灰岩の一材を光背の形に彫りくぼめて(がん)(厨子)状にし、その中に半肉彫りになっています。龕は、仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。桃園三地蔵は、これですべて拝観しました。
Img_7154c 栄松寺から1㎞ほど、津市久居元町にある野辺山真光Img_7165c 寺。こちらも天台真盛宗のお寺。このお寺は、かなり格式が高いお寺だったということで(久居城下案内人の方のお話し)、本堂の天井に、ご住職が江戸時代から明治時代にかけて葬儀や法要に出かけるときに使ったという駕籠が2つ下げてありましたし、葛籠と思われるものも2つありました。本堂には、鎌倉時代初期の作とされる木造地蔵菩薩立像があります(津市文化財)。
Img_7158c_2 真光寺にも石造地蔵菩薩立像があります(市文化財)。こちらは、江戸時Img_7160c 代のもの。慶長14(1609)年の銘があるそうです。真光寺のために建立されたといいます。地蔵堂に納められていますが、同じお堂内には、津市文化財に指定された石造の五輪塔も3基あります。1つの石を刻んでつくられる「一石五輪塔」で、室町時代後半の天文年間(1532~55)につくられました。
Img_7190c 真光寺から、本日のメインイベントである、油正さんの酒蔵見学は目のImg_7191c 前。4~500mほど。1ヶ月前にも蔵開きで来ました(2018年11月23日:油正さんの蔵開きと、かかしコンテスト……家内の実家方面にて)。蔵開きのときに比べると、静かでした(微笑)。あのときは大賑わい。
Img_7201c 今日も蔵見学&試飲。油正さんは、「初日(はつひ)」というブランド。蔵開Img_7204c きのときもそうでしたが、しぼりたての「あらっぱしり」を今日も試飲させてもらいました。前回の方が、濃くて、アルコール度数も高いような感じがしましたが、微妙な差が分かるほどの通ではありません。
Img_7213c 今日のハイキング、配られたコースマップに振られた番号で、抽選会がImg_7237c ありました。油正さんの「初日」の前掛けが当たるということでしたが、残念ながら外れ。当選は、下2桁が72でしたが、私のマップのナンバーは、619。
Img_7215c 今日も、即売会でお買い上げ(苦笑)。いつも通り、試飲をしたお酒を買Img_7241c います。もちろん「あらっぱしり」です。720mlで、¥1,400。年越しか、新年の酒と思って買ったのですが、「含まれているもろみの発酵時のガスは、徐々に消えてしまいます。お早めにお召し上がり下さい」と書いてあって、気になりますねぇ(笑)。10日ほどは大丈夫そうですから、予定通りのつもり。
Img_7228c ゴールの久居駅には、12時半に到着。今日、途中の栄松寺で、旧知のG先生と合流。油正さんの蔵開きに行きたいということです。G先生も、「あらっぱしり」と酒粕をお買い上げ。四日市に行くとおっしゃるので、一緒に久居駅を12時47分の名古屋行き急行に乗車。私は、桑名まで。13時40分に到着。¥820。一緒に行ってくださる方があるのも、また楽しという感じでした。
Img_7235c あみま倶楽部の会員証を更新して、今日でスタンプは3個目。これで、年内のウォーキング/ハイキングは終了。新年は、まだ思案中。1月5日に近鉄ハイキングで伊勢神宮参拝のコースがあるのですが(特別企画ハイキング 新春初詣ハイキング 新春初願い・平成最後の伊勢神宮初詣~足神さんへもお参り~)、この日では大賑わいでしょうね。まぁ、ゆっくり考えます。
 本編は、また明日以降、年内には書き終えるつもり。ただ、ネットだけでは調べが付かない気もしています。

| | コメント (0)

2018年12月20日 (木)

20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました(補遺というか、無駄話編)

20181211isejingu2  12月11日、思い立って伊勢神宮・外宮を参拝し、神宮暦を入手してきました (20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。記事はリンク先にありますが、そこに書き切れなかった内容を「補遺」として(というよりも「余談」、「無駄話」の類いです)。

Img_5828c 外宮さんの最寄り駅は、伊勢市駅。ここは、JR参宮線と、近鉄山田線の共Img_5832c 同駅。北側に近鉄、南側にJR。外宮に行くには、JR側から出なくてはなりません。近鉄伊勢市駅のホームにはあちこちに「伊勢神宮(外宮)はJR側出口へ」という表示があります。
Img_5815c
 今回は、近鉄で行ったのですが(それは、近鉄の方が料金が安く、乗り換えもなしで行けるからです)、わざわざ切符を買いました。近鉄は全線でICカードが使えるのですが、伊勢市駅でJRの改札を通ろうと思うと、切符を買わざるを得ないのです。JR東海では、関西線・四日市駅までしかICカードが使えないのです。なので、わざわざ。
C 冒頭の地図でも分かりますが、近鉄のホームからJR側の出口に行くには、Img_5840c 100m以上もありそうな連絡橋を通っていきます。ようやく改札口を出て、JR側の駅に。右は、JRの改札を出たところ。「↑伊勢神宮(外宮)」の表示の他、「赤福」や「おかげ横丁」の看板が目立ちます。近鉄電車も、伊勢中川を過ぎると、駅や沿線のあちこちに「赤福」の看板が目立ちます。
Img_5846c JR伊勢市駅。この写真は、本編にも載せました。ここから南西に直線でImg_5849c ほぼ500m行くと、外宮。右の写真もすでに載せましたが、伊勢市駅前の信号を渡って駅を振り返ったもの。鳥居があって、その向こうに駅が見えます。なんだか面白い景色。
Img_5852c 参道を歩いて行くと、。レトロな山田館という旅館があります。これも本編Img_6172c で触れましたが、その隣(伊勢市駅側)にもレトロな店。“ISE SIMA KANKO MIYAGE SIZUOKAYA”とあります。外国人観光客を意識したのでしょうが、ローマ字では通じないかも(笑)。さらにその近く、黒土塀が意表を突く店が。「伊勢菊一」だそうです。明治40(1907)年創業の刃物店「菊一文字金近本店」なのですが、平成23(2015)年に存続の危機に陥ってしまいました。そのため、日本文化を伝える場所として、リニューアルし「伊勢菊一」となりました。刃物店は存続し、さらに伊勢や、神宮を深く知ることができ、土産も売るところとなったそうです。これは後で調べて分かったことで、事前に知っていれば、寄って来たのにと後悔。
Img_5859c さらなる余談。山田館の玄関には、注連飾り。宇治山田での近鉄ハイキングの記事にも書きましたが(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))、伊勢志摩地方では、1年中注連飾りが飾られています。「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫家之門」という文言が書かれています。「蘇民将来」とは、神に宿を貸した善行により茅(ち)の輪の法を教えられ、子孫に至るまで災厄を免れることを約束された説話上の貧者の名です。この山田館の注連飾りはさすがに立派。
Img_5865c 伊勢神宮・外宮に10時40分に到着。外宮は、正式には、「豊受大神宮(とImg_5875c ようけだいじんう)」。御祭神は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。御鎮座は、雄略天皇22年(西暦477年とされます)。雄略天皇は、第21代。この雄略天皇の御代に、天照大御神の食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国から遷ってこられました。豊受大御神は、また、衣食住、産業の守り神でもあります。
Img_5882c 外宮さんについては、本編でほとんど触れました。左の写真は、境内にImg_6075c ある案内図。せんぐう館 は見たかったところでしたが、平成29(2017)年10月の台風21号による 浸水被害があって、現在は復旧工事のため休館中でした。今年ではなく、去年の台風の被害だそうです。そういえば、忌火屋殿は、しっかり見てきませんでした。確か、入れないようになっていたと思いますが……。
Img_5928c 正宮から別宮(多賀宮など)に行く途中、南側に池があります。そのほとりのモミジ、まだ紅葉が楽しめました。「三ツ石(みついし)」がある南です。
Img_6046c 神域内、至る所に巨木があります。それだけに歴史を感じるものなのでImg_6045c すが、こういう巨木には、なぜだかパワーを感じてしまいます。皆さん、けっこう手を当ててパワーをいただいて行かれますので、私も(笑)。
Img_5965c 神楽殿です。ここでお守りや御札、神宮暦を授与していImg_6242c ただけます。御札もとおも思ったのですが(神宮大麻というもの。ただし、大麻といってもヤバいものではありません)、神棚がありませんので、断念。神宮暦の大と小をここで授けていただきました。
Img_6245c 著作権がありますから、あまりおおっぴらには載せられませんが、左は「大」の一月のところ。二十四節気やら、日の出、南中、日の入りから、月の出、月の入り、満潮・干潮が載っています。科学的データを基礎として、日々の天体、気象の詳細値などをまとめた暦で、ざっと見た感じでは、理科年表にも共通する編集です。
Img_6248c こちらは「小」の神宮暦。日の出や満潮時刻など天体と気象に関する身近な情報や農事情報がまとめられています。農家の方や、ガーデニングファン等に人気があるそうです。これは1月の欄の一部。「今月の農作業」が載っています。
Img_6250c 神宮暦は、高島何とかの暦のように、占いのたぐいは一切載っていません。伊勢神宮の神宮司庁が奉製し頒布しています。その前身となるものは、江戸時代初期から伊勢国の神宮周辺の暦師たちによって発行されていた、伊勢暦と呼ばれる各種の暦本です。後に伊勢の御師(おんし)が年末に神宮大麻とともに伊勢暦を配るようになり、全国に知られるようになりました。
Img_6068c 一通りお参りし、神宮暦も入手しましたので、外宮に入ってきた火除橋にImg_6069c 向かいます。この火除橋の手前、北側に、清盛楠(きよもりぐす)があります。平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれています。樹齢は1,000年に近いといわれ、二本あるように見えますが実は一株の大木です。伊勢湾台風で分かれてしまったそうです。幹周9m、樹高10m。
Img_6101c 火除橋を渡るとき、なんだか気になって左側(北西)見たら、こちらの方がImg_6104c 佇んでおられました(なぜだか、敬語になります)。アオサギさんでした。「やぁ」と声をかけたくなります(微笑)。
Img_6136c 外宮参拝を終えたのが12時頃。この日の天気予報は下り坂ということもあって、内宮さんにも行こうかどうしようか迷いました。Img_6137c 一応外宮前のバス停で時刻を確認に行ったのですが、内宮行きのバスがちょうど出るところ。明治36(1903)年から昭和36(1961)年まで伊勢には、路面電車・神都線が走っていました。惜しまれつつ姿を消してから50数年。第62回式年遷宮(平成25(2013)年)にあわせて、路面電車型バス(神都バス )となって生まれ変わったのです。宇治山田での近鉄ハイキングのときにも見ています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。
Img_6142c バス停の北(伊勢市駅側)に、石碑がありました。何はさておき、石碑の類いは見てこなければなりません(笑)。陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ:明治31(1898)~昭和58(1983)年)の詩が刻まれていました。「戦敗れて萬家国旗を忘る/星条ひるがえる処惨として旗を看る/邦を興す正気はもと此に存す/願わくばこの民をして国旗を愛せしめん」とあります。「戦いに敗れて日本人はみな国旗を忘れてしまった。独立国家でありながら星条旗ばかりが翻っていて残念でたまらない。国旗こそ国を興す根源である。願わくばこの日本国民をして国旗を愛せしめんと」といった意味。第2次大戦に敗れ、日本人は国旗を忘れたが、国旗こそが国を興す根源である」ということで、国旗、国歌を大切にということ。
Img_6148c このあと、赤福「外宮前特設店」で「赤福盆」をいただいてきました。Img_6173c ¥210。赤福はやはり、伊勢で食べた方がいいですねぇ。さらに伊勢うどんをいただいて、伊勢市駅へ向かいました。駅前で世木神社に気づいて、お参りして帰途についたという次第。世木神社については本編でほぼ書き尽くしました。
20181211isejinguu1  外宮さんだけではありましたが、念願の伊勢参りもしてきましたし、興味Img_6228c 深い神宮暦も入手できましたので、充実した1日だったといえます。余談のさらなる余談。右の写真は、斎宮。電車が走っているときに撮りました。ここも一度は行ってみたいところ。近鉄山田線・斎宮駅のすぐそば。
 ということで、12月11日に行ってきた伊勢神宮・外宮の記事は一通り、終了であります。この記事では、つまらない余談、与太話となって恐縮です(いつも余談、与太話、無駄話ばかりだといわれれば、それまで)。

| | コメント (2)

2018年12月18日 (火)

20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(その2)……青木酒造、源空寺に立ち寄った後コースミスで余分に歩いて弥富駅へゴール(完)

20181209kintetsuhikingyatomi2  12月9日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」の続き(その2)です。その1では、薬師寺の大楠、鯏浦城跡を見て、難畑地蔵尊、興善寺地蔵を巡ってきました。東名阪自動車道・弥富インターのあたりから北へ向かいます。青木酒造までは1㎞あまり。

Img_5622c スタートからほぼ3㎞地点。西に養老山地が見えます。雪をかぶっていますImg_5626c し、養老山地から吹き下ろす風がけっこう冷たい。田園地帯を黙々と進みますが、今シーズン初の酒蔵みてある記ですから、期待も高まるのです(苦笑)。
Img_5662c スタートから3.8㎞、青木酒造に10時半に到着。実は、近鉄弥富駅から東名Img_5669c 阪自動車道を越え、愛西市(青木酒造は、愛西市本部田町)まで行かねばならないということで、かなり遠いイメージを持っていました。しかし、歩いてきてみて、けっこう近かったのに驚き。青木酒造さんの創業は、文化2(1805)年。江戸時代後期、210年以上の歴史があります。
Img_5637c まずは、抽選会の結果を確認。近鉄ハイキングのコースマップには、ナンバーが振ってあります。このナンバーで抽選というワケ。今回のナンバーは113。何度も見ましたが、残念ながら、何も当たらず(苦笑)。掠りもしませんでした。
Img_5642c 気を取り直して、試飲コーナーへ。ここは無料試飲。別に1杯100円でのImg_5639c 有料試飲コーナーもありました。まずは、「純米 米宗(こめそう)」を。「完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒」だそうです。ここに出ている「初しぼり 若水しぼりたて」と同じだと思います。純米酒で、辛口。トロッとした印象。美味い!
Img_5647c 飲みながら試飲コーナーを見ていますと、お代わりしても大丈夫そうでしたし、純米・米宗の他に、梅酒も出て来ていましたので、これも試飲をお願いしました(微笑)。山廃本醸造原酒と梅酒用品種である剣先梅を氷砂糖は控え目にして漬け込んだ梅酒だそうです。梅酒のエキスがかなり感じられました。
Img_5649c 続いて、甘酒の振る舞いへ。酒蔵の酒粕で造られた甘酒は、どこでいたImg_5634c だいても美味しい(微笑)。体も温まります。
Img_5654c 続いて即売コーナーへ。たいていは、試Img_5736c 飲した酒を買ってきます。「純米 米宗(こめそう) 完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒」の720ml入りを買ってきました。¥1,300と、なかなか良いお値段ですが、たまにはいいでしょう。この頃、愚息もこれを密かに楽しみにしています。
Img_5658c ところで、土産を買っていると、試飲コーナーから、「いきなり開けると危険だから、ちょっと待って」という話が聞こえImg_5657c て来ました。「危険な酒?」とは、気になります。そういえば、即売コーナーでも、小生が買った酒の隣にあった瓶に「危険 生原酒」と書かれたものがありました。これも試飲できるならと、無料試飲へ再度突入(笑)。「米宗の活性ふなくち 手汲みどぶ」です。どぶろくでした。純米生にごり酒で、瓶の中で2次醗酵させているため、いきなり開けると、炭酸ガスが吹きこぼれるということでした。最後に、最初の「純米 米宗」をもう1杯いただいて、試飲も、青木酒造みてある記も無事終了(微笑)。都合4杯も試飲してしまいました。
Img_5666c 青木酒造滞在は15分ほど。寒かったせいもあるのか、さほど飲んだ感じImg_5675c もありませんでした。ましてや酔っているという自覚はほとんどゼロ。青木酒造からは東に向かいます。300mほどのところに源空寺というお寺がありましたので、立ち寄って来ました。
Img_5681c 浄土宗のお寺。稱名山源空寺。由緒などを記した看板なImg_5684c どはありませんでしたが、例によって、ネット検索すれば何か分かると高を括ったのが間違いでした。浄土宗のお寺を検索するサイトでは出てきたものの、それ以外は分かりませんでした。楠でしょうか、大木が印象的です。
Img_5677c お寺の入り口に地蔵堂。さらに境内の墓地への入り口あたりには、お社Img_5685c が3つあったのですが、これも不明。木柱が建っていたものの、文字は読めず。やむなく、境内を一通り拝見してそのまま出て来ました。
Img_5691c このあとすぐの道を右折するのが、本来設定されたコースでしたが、「違うな」と勝手に思い込んでさらに300mほど先に行ってから右折。ところが、マップにある神社が見えず。「間違えたな」とは思ったのですが、正規ルートを行っても、再び東名阪自動車道に突き当たって右折し、西に向かいますから、そのまま間違ったルートで行くことにしました。同じあたりで、女性の参加者の方も、「私、地図が読めないんです」といって迷っておられたのですが、お誘いして同行。「旅は道連れ、世は情け」とばかりに(笑)、世間話や、ハイキングの話をしながら、本来のコースに戻りました。帰宅してから確かめたら、500mほど余分に歩いていました(苦笑)。冒頭の実測ルートマップには、正規ルートも入れてあります。「何本目で曲がる」ということもきちんと確かめないといけないという教訓を得ました。
Img_5694c 青木酒造から弥富駅までは立ち寄るところもありませんので、ひたすらゴImg_5696c ールの近鉄弥富駅を目指します。途中、愛西市西條町あたりで、アヤシげな(失礼)漢方薬局を発見。営業しているのかどうかも定かではありません。この日は閉まっていました。「薬草」と大書されていたり、「スッポンまむし」という看板があったりでした。
Img_5698c 往きに通った西中地北交差点で左折すると、弥富市内に戻ります。ここ20181209kintetsuhikingyatomi1 から南下。西中地の交差点からは、往きのルートをそのまま戻ります。再び難畑地蔵尊を見て、このあたりで7㎞。弥富駅も近づいてきます。
Img_5711c 11時43分に近鉄弥富駅に戻ってきました。歩いたのは7.7㎞。コースミスをしなければ、7.2㎞でしたが、まぁ歩きに来たのですから、多少はいいでしょう。養老でしでかしたように2㎞も余分に歩くといけませんが……。要した時間は、2時間15分。立ち寄り先が少なかったのと、あまりウロウロと見て回るところがなかったからです。11時55分に五十鈴川行き急行がありましたので、それで帰宅。桑名駅着は、12時1分。¥260。
Img_5744c 前日に続き、あみま倶楽部のスタンプをゲット。12月16日にはJRさわやかウォーキングがありました。神楽酒造へ行くものでしたが、研究会で参加できませんでした。この次は、12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ「中風封じの田村寺」と垂坂公園を訪ねて!」。去年も行ったコースですが、今年も行こうと思っています。

| | コメント (2)

2018年12月15日 (土)

20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(その2)……田村寺、聖武天皇社、長興寺で「完」

20181208kintetsuhikingkawagoetomi_4  12月8日の近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観Img_5134c 音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」のその2です。その1では、鏡ヶ池まで来ました。蒔田の交差点からわずかに歩いたところが、旧・東海道です(法勝寺へ行くのに、一度横切っています;右の写真)。この道は、この先、三岐鉄道とJR関西線がクロスする手前で八風道と交差します。コースは、八風道を上って、富田方面に向かいます。

Img_5142c 八風道に入って200mほど進むと、弘法山田村寺があります。10時25分に到着。ここは、昨Img_5156c 年(平成29(2017)年12月22日の近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」で訪ねています。真言宗醍醐派のお寺で、三重四国八十八箇所の5番札所に当たります。冬至の時期に「中風封じ」法要が開かれ、ご祈祷を受けた参拝者にかぼちゃぜんざいが振舞われます。「かぼちゃ大師」の日として親しまれています。今年も、この中風封じにあわせてまた、近鉄ハイキングがあります(12月22日:巨大かぼちゃ「中風封じの田村寺」と垂坂公園を訪ねて!)。
Img_5144c  創立は江戸時代末期(1850年頃~)。寺伝によれば、平安時代初期、坂上田村麻呂公が東征の帰途、この地で休息した際、村人のもてなしに感謝し、田村の姓を下賜され(それ故、この地区には田村姓が多いようです)、江戸時代に坂上田村麻呂公の霊を弔い、草庵を開いたといいます。明治時代、大慈遍照二世の大導師が弘法大師を信奉し、信徒ともに厄除け大師の恩恵に浴し、大師堂を建立。さらに真養大和尚により寺格を整え、弘法山・田村寺と称し、真言宗醍醐派に属することになった。(別の伝承もあります。こちらもご覧ください)。
Img_5147c 境内には地蔵堂があります。ここを覗いて驚きました。すでに大きなかぼちImg_5149c ゃが置かれていたのです。まさか去年のものということはないでしょうから、今年の中風封じの時に使うかぼちゃかと思います。
Img_5151c かぼちゃだけを撮影すると、こんな感じ。6個もの特大かぼちゃ。去年訪2604006d ねたときには、本堂にも大きなかぼちゃが置かれていましたし、参道にも右の写真のようにあり、皆さん撫でていました。
Img_5154c 境内には、こちらの碑があります。去年も気になったのですが、大混雑でImg_5158c 碑陰を見られませんでした。碑表には、「高野山開創千百五十年大法会記念 父母恩重碑」とあります。さらに細かい字で和歌らしきものが刻まれているのですが、あいにく読めないくずし字(苦笑)。「たらちねの」など部分的にしか読めませんでした。昭和42(1967)年2月に建てられています。4名の方の俗名と法名の他、一段と大きく、「田村将軍後裔 発願主 弘法山初代 田村眞養」とありました。「眞養」は、上に引用したように、明治時代にこの田村寺の寺格を整えた僧侶。今ひとつよく分かりませんが、田村眞養の名前で4名の方のご家族が建てたということでしょうか?
Img_5174c 疑問が解消し尽くせないまま、先に進みます。田村寺から南西へ。三岐Img_5178c 鉄道三岐線の高架を2回くぐり、また、南東へ進路を変え、さらに近鉄名古屋線をくぐって行きます。松原野球場の脇に出ます。この宮城は、近鉄名古屋線からもよく見えます。このときまた、「つどい」を目撃。本日2度目ですが、このときは運行中。近鉄名古屋駅から湯の山温泉駅へ向かっていました。
Img_5189c 田村寺を出て800mほどで聖武天皇社に到着。10時40分。その名の通Img_5184c り、御祭神は聖武天皇。例祭は7月16日で、これは松原の石取祭だそうです。旧社格は、村社で、松原の氏神様。
Img_5197c 「続日本紀」によれば、聖武天皇は、天平12(740)年の藤原広嗣の乱の際、伊勢に行幸されました。このとき、朝明郡衙(朝明郡の役所)に泊まったといいます。社伝では、神社の名称やこのあたりに樹木のあったことから考えて、松原村を朝明頓宮の跡として、鎌倉時代の安貞元(1227)年に聖武天皇社が創建されたといいます。
Img_5216c 境内には、聖武天皇の御製「妹に恋い 吾がの松原 見渡せば 潮干のImg_5222c 潟に 鶴鳴き渡る(いとしい人に焦がれて自分が逢うことを待っているという名の松原を見渡すと、潮の引いた遠浅の海に鶴が鳴いてずっと飛んでいくことだ)」という(万葉集に掲載)。ここに詠まれている松原をこの聖武天皇社付近と解釈する説があります。昭和30(1955)年に建てられています。揮毫は、鈴鹿の石薬師で幼少期を過ごした歌人佐々木信綱によります。
Img_5205c こちらは、白玉龍神社。龍神様を祀る神社はいろいろありますが、白玉Img_5210c 龍神はよく分かりません。名古屋市中村区太閤にも同じく、白玉龍神があるようです(こちら)。拝殿の前には右の写真のように石が2つ置かれていましたが、とくに説明はありませんでした。時々見かける「重軽石」のような気がします(持ち上げてはみませんでした)。
Img_5199c さらに「力石」も。説明によれば、800年の昔から若衆等が、ことある毎にImg_5203c 体力を試そうさんと競い合ってこの石を持ち上げたとあります。「健康の石」として松原村に保存されていたものを平成5(1993)年にここに移したということです。ちなみに、この富田地区の神社などには、こういう力石がたくさん残っています。
Img_5230c 石碑はもう1つありました。「聖武天皇社 造営基金芳名碑」で、大正Img_5246c 10(1921)年8月の建之。碑陰には、基金を寄せた方々のお名前が実にたくさん刻まれていました。これで、聖武天皇社の参拝も終え、境内も一通り見て回って来ました。
Img_5252c  聖武天皇社からは100mほどで国道1号線に出ます。イオンモール四日市北があります。ここにはかつて、東洋紡績(現:東洋紡)富田工場がありました。しかし、繊維業界の低迷を受けて、平成9(1997)年に閉鎖され、その跡地に平成13(2001)年1月にジャスコ四日市北ショッピングセンターとして開業しました。ここまで買い物に来ることもあります。
Img_5251c イオンモールの向かい側(北西)は、四日市北警察署があったところ。Img_5257c 「あったところ」というのは、最近、四日市市大字羽津に移転したからです。イオンモールの西はJR富田駅前交差点。ここには、JR関西線・富田駅の東口と、三岐鉄道の本社があります。三岐鉄道三岐線は、富田といなべ市の西藤原駅までを結んでいます。JR富田駅~三岐朝明信号場間は貨物列車専用で、旅客列車は近鉄富田駅~三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となっています。富田駅~東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っています。旅客列車は、主に西武鉄道の中古車両が使われています。このあたりでスタートから3㎞。
Img_5272c 富田三丁目の交差点を右折。国道1号線から離れ、富田の町へ入っていImg_5274c きます。300mほど入ったところに富田山長興寺。曹洞宗のお寺。養老6(722)年、泰澄大師が開基となって堂宇を創建。大師が寺前の大木を夜籠もりして彫刻した大日如来を本尊としたと伝わっています。伊勢西国三十三所観音巡礼第27番札所。弘仁8(817))年、弘法大師により再建されたといわれています。天文14(1545)年、この地の城主・南部甲斐守兼綱が菩提所として再興した際、真言宗から曹洞宗に改めています。その後、永禄11(1568)年、織田信長の伊勢侵攻の兵火により灰燼に帰しました。本堂は、明和3(1766)年に再建されたものの、安政元(1854)年の大地震で倒壊。明治11(1878)年になって再建されていますが、老朽化のため、平成15(2003)に現在の本堂が竣工。
Img_5277c この日は11時から法要が執り行われているということで、本堂への参拝Img_5291c や、ご本尊の拝観は叶いませんでした。ここまで来て、3.3㎞。このときは、3㎞あまりしか歩いていないことはあまり意識していませんでした。長興寺から100mほど、ちょうど寺の裏手に当たりますが、富田菓庵清華堂が最後の立ち寄りスポット。800円(税込)以上買うと、「鯨船ふやきせんべい」が1枚プレゼントされるということでしたが、申し訳ないと思いつつ、見て、写真を撮っただけで通過。
Img_5290c この富田菓庵清華堂の手前にある寺本商店(酒屋さん)の前には、里程Img_5281c 標があります。「津市元標へ拾里 三重郡富田町」と刻まれています。この里程標は、大正3(1914)年11月に三重県が建てたもの。向かって右側には「桑名郡桑名町大字桑名へ弐里弐拾町/員辨郡大泉原村大字楚原へ四里拾参町弐拾四間」と、また左側には「四日市市大字四日市へ壱里八町」とあります。
Img_5296c スタートから3.8㎞、11時7分に近鉄名古屋線・近鉄富田駅にゴール。多少寒かったものの、距離も短く、さほど負担ではありませんでした。午後からの伝馬公園遺跡発掘調査説明会は2時からですので、いったん帰宅することにしました。11時16分の名古屋行き急行に乗車。桑名には、11時22分着。¥260。
Img_5313c 先だって更新してきた新しいあみま倶楽部の会員証に1個目のスタンプ20181208kintetsuhikingkawagoetomi_2 を押してもらいました。また、今日のハイキングは、「近鉄あみま倶楽部KIPS対象ハイキング」。参加すると、KIPSポイント100ポイントがいただけました(微笑)。いわば「100円の駄賃をいただいた」ということ。桑名駅までの往復は、1.8㎞。都合ここまでで、本日は、5.6㎞。いつもの散歩並み(笑)。田村寺あたりからゴールの近鉄富田駅までの実測ルートマップは、右の画像の通りです。短い距離でしたが、聖武天皇に関わる旧跡、神社があって楽しめました。
Img_5066c ところで、その1で触れた宝性寺の参道入り口には、このような掲示が出ていました。東海道の表示と、龍王山宝性寺の説明、「伝承による昔の大矢知想像図」です。桑名、四日市への距離と時間も書かれています。四日市市内の旧東海道沿いには、「ここは東海道」という看板があちこちに掛かっています。また、名所・旧跡、寺社仏閣に、各地区の方がつくられた案内板、説明板が出ているのもよく見ます(教育委員会などの公的なものの他にも、ということ)。
Img_5067c こういうところを訪れる立場としてもありがたいものですし、地元を盛り上Img_5069c げるという点でも良いことと思えます。右の想像図には、現在地も示されています。桑名でもこういう活動があるといいといつも思うのです。

| | コメント (0)

2018年12月14日 (金)

20181208近鉄ハイキング「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」(その1)……宝性寺、御厨神明神社、長明寺から鏡ヶ池へ

Img_5031c 12月8日(土)、朝はご覧のように、真冬の空という印象でした。空を見て少し迷ったのですが、近鉄ハイキングに行ってきました。迷ったというのは、天候のこともあったのですが、この日は、午後2時から、市内の伝馬公園で「遺跡発掘調査説明会」もあり、少々キツいかと思ったからです。しかし、この日の近鉄ハイキングは約5㎞と案内に書いてありましたし、何とかなるだろうとまずは、ハイキングに出かけることにしました。結局は、どちらも参加しました(微笑)。

Img_5048c  この日の近鉄ハイキングは、名古屋線・川越富洲原駅が受付で、「千年の歴史を、あるこう 伊勢西国三十三所観音巡礼 四日市の古刹・宝性寺から街中の禅寺・長興寺へ」というテーマ。近鉄ハイキングでは、シリーズで伊勢20181208kintetsuhikingkawagoetomi_2 西国三十三所観音巡礼が行われていますが、その最終回ということでした。左は、コースマップ。ネットでは約5㎞となっていましたが、マップでは約4㎞。「ファミリー向き」とありましたから、これくらいなのでしょう。これはありがたい。伊勢西国三十三所観音巡礼は、宝性寺と長興寺の2つのお寺。川越富洲原駅をスタートして、龍王山宝性寺、聖武天皇神社、富田山長興寺から、富田菓庵清華堂に立ち寄って、名古屋線・近鉄富田駅がゴールです。右が実際に歩いたルートマップ。立ち寄り先でウロウロと見て回った分は省いてあります。3.8㎞でした。
Img_5052c  川越富洲原駅での受付は、9時45分から10時45分。桑名駅を9時9分の津Img_5040c 新町行き普通に乗車。川越富洲原までは、3駅です。9時17分に到着。¥260。すでに30名ほどの方が並んでいました。定刻までコンコースで待機。
Img_5034c いきなりの余談で恐縮ですが、川越富洲原駅に着いたとき、上りホームImg_5042c に「つどい」が停車していました。湯の山温泉開湯1300年のイベント列車。電車に足湯があるのです。普段は、白塚電車区に留置されていて、運航日の朝、名古屋まで回送されます。乗ってみたいと思うのですが、前売りでかなり売れているようです。
20181208kintetsuhikingkawagoetomi_3 川越富洲原駅をスタートしたのは、9時45分。左は、歩いたルートの前半部分。川越富洲原駅は、川越町の南の端にあり、少し歩くと四日市市になります。川越富洲原からまずは、北西へ進み、龍王山宝性寺に向かいます。約1㎞。
Img_5058c 宝性寺までは住宅街を縫っていきます。途中、暁小学校の前を通りましImg_5055c た。暁小学校は、四日市大学や、暁中学、暁高校と同じく、暁学園の学校。暁学園は、平田漁網製造(後の平田紡績)株式会社の宗村佐信社長が、当時の四日市市長吉田勝太郎氏等と相諮り、「文化国家の建設は次代を担う国民の教育の振興にあり」との信念の下に、1946(昭和21)年3月財団法人暁学園を創立したことに始まる、歴史のある学園です。当初は、暁幼稚園と暁女子専門学校でスタートしました。などということを書いたのは、小生が学んだ大学の研究室の初代教授が、戦後、この暁女子専門学校で教鞭を執っておられたからです。
Img_5062c 最初の立ち寄り先である龍王山宝性寺には、10時3分に到着。ここは、伊勢西国三十三所観音巡礼の第28番札所。ご本尊は、十一面観音菩薩像。それを安置している本堂が市指定文化財です。享保4(1719)年の棟札が残りますが、現在の本堂は、鬼瓦の銘から文化11(1814)年の建立と推定されます。宝性寺は、実は2回目去年(平成29(2017)年11月9日に「旧・東海道ウォーク」をしましたが、そのときです(2017年11月10日:旧・東海道ウォーク(安永~富田)へ(後編))。
Img_5093c_2  天平12(740)年、聖武天皇が朝明行宮の際、摩伊多の里に野立されたImg_5083c 地で、勅願により建立されたのが創建とされています。ちなみに、現在地の西方300mには、宝性寺、堂前の地名が残っているそうです。創建時は、樹木が鬱蒼とした敷地28,000㎡の中に七堂伽藍の荘厳なお堂が立並んでいたと伝わっています。御本尊の十一面観世音菩薩像は、江州(滋賀県)石山寺を開基した良弁僧正(689~773)による一刀三礼の彫刻になるものだそうです。
Img_5081c その後、永禄11(1568)年の春、織田信長の家臣滝川一益の長島一揆Img_5085c 攻略の戦火に遭遇して焼失しました。のちに現在地に小堂が建立されたのですが、正徳元(1711)年の冬、火災により再度焼失してしまいます。享保4(1719)年6月、桑名藩第6代藩主・松平忠雅公の寄進によって再興されたのが現在の本堂です。御本尊とともに「蒔田観音」と愛称され、今日まで広く信仰されています。もとは天台宗でしたが、現在は、住職はいらっしゃらず、蒔田第一自治会が所有しています。それ故、特定の宗派には属さず、いわゆる単立寺院です。
Img_5101c 前回訪れた時には気づかなかったのですが、本道の南には阿弥陀堂がImg_5103c ありました。この阿弥陀堂については、案内板にも触れられていませんし、ネット検索でも情報は出て来ませんでした。
Img_5071c ところで、この宝性寺の参道には鳥居もあります。2度目ですのでヘンにImg_5065c は思わなかったのですが、初めてご覧になると不思議に感じられるかもしれません。8枚前の写真の右手に「御厨神明神社」という、神社の社号標があります。
Img_5108c 宝性寺の本堂の北東にこの御厨神明神社があります(リンク先の神社検索(三重)のサイトでは単に神明神社となっています)。左の写真で、右端に半分くらい社殿が移っています。
Img_5087c 御祭神は、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ;豊受大神の異称)。大山祇命(おおやまつみのみこと;山の神)、応神天皇(おうじんてんのう)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)も祀られています。創建年代は不明でImg_5090c すが、伊勢神宮の御厨の地に建てられ、蒔田村の氏神として信仰されました。明治41(1908)年、三重郡大矢知村蒔田字古屋敷の山神社を合祀しました。拝殿近くに右の写真のように、「山神」の石碑がありますが、これが合祀された山神社を示すものかもしれません。
Img_5074c 宝性寺の境内で見てきたもの。こちらは、「奉建立十一面観世音菩薩専祈」と刻まれています。さらにその下に「國家安穏 村内隆昌」と小さくありました。いつものように碑陰を見たかったのですが、柵で囲われていて裏側には入れませんでした。 
Img_5095c こちらは前回も見て来ましたが、「舟止石」だそうです。約Img_5097c 60㎝。変形した穴が通る硅灰岩(珪灰石か?)で、この穴に縄を通し、海中に投入して、船の碇にしたと説明されています。この寺の本尊と、近江国石山寺の開基である良弁上人の縁によって石山寺から運ばれたものと考えられているそうです。寄進者は、羽津庄屋・伊藤源衛門。
Img_5113c 宝性寺と御厨神明社のすぐ南にもお寺があります。朝明殿長明寺です。Img_5111c ここも、昨年11月、訪ねています。浄土真宗本願寺派。立派な山門があるのと、寺の周りが、素掘りの環濠で囲まれています。環濠に囲まれているのは、ここは文治年間(1185~90)に蒔田相模守宗勝が居城した、蒔田城(まいた)跡といわれるからです。宗勝は、平安時代の末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めました。もともとは、寿永年間(1182~1185)に伊勢平氏の一族である平家資(たいらのいえすけ)が、富田館と同時期にここに築城したものに始まると説明板にありました。その当時、外堀は南にある鏡ヶ池(後で触れます)まであったそうです。
Img_5126c 創立年代、開基などは不明ですが、寺誌によれば、もとは真言宗潮音寺といい、近郷の豊田村(川越町豊田)にあったと考えられています(字長恩寺という地名があるといいます)。文明17(1485)年、画像本尊を下付されたといいますので、その頃、真宗に改宗したと考えられます。慶長9(1604)年、現在の寺号を公称し、のち慶安4(1651)年、領主松平隠岐守(松平定綱公と思います)から現在の寺地を賜り、翌年寺基を移したといいます。
Img_5118c 山門脇に、「文化三年丙寅二月」と刻まれた石碑が建っています(文化3年は、1806年)。何の石碑かと思ったのですが、よく分かりませんでした。ネットで検索してみて、こちらのブログに橋に関わるものだと書かれていました。新しい、白い橋の下に古い橋があるのだそうです。さすがにそこまで気が回りませんでした(笑)。橋の親柱なのでしょうか。
Img_5132c_2 長明寺を出て200mあまりのところに「鏡ヶ池」があります。ここも2度目。東海道が、八風街道と交わるところの少し手前。ここは、聖武天皇ゆかりの地です。聖武天皇の伊勢行幸の際(天平12(740)年11月23日に朝明郡の頓宮にお着きになったといいます)、このあたりで天皇の笠が風で飛んで池に落ちたのを洗濯をしていた娘が拾い上げたそうです。翌日、旅立つ天皇と見送る娘の姿が池に映り、それが鏡のようだったとして鏡池と言うようになったと伝わっています。なお、この鏡ヶ池は、旧・東海道に面しています。
 その1はここまで。今回は、2回で終えられそうです。

| | コメント (0)

2018年12月11日 (火)

20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました

Img_5815c

 こんなものを持って、こういうところへ出かけてきました(微笑)。「遊んでばImg_5828c かりいるのか?!」とおっしゃる方がたくさんおありかと思いますが、その通りです(笑)。反論の余地がありません。昨日の夜思い立って、伊勢まで行ってきました。
Img_5846c 桑名を9時1分の五十鈴川行き近鉄急行に乗車。伊勢市駅に10時24分着。¥1,200。何を思い立ったかといいますと、一つには最近伊勢神宮にお参りしていないということ(これは、ずっとそう思っていました)。もう一つは、ある方のブログで知ったのですが、神宮司庁が発行する「神宮暦」というものがあるというのを一昨日の夜知ったのです。いつもいく鎮国守国神社や、春日神社(桑名宗社)で伺うと入手できるかと思ったのですが、昨日の散歩ではどちらも宮司さんにはお目にかかれず。ならば、伊勢まで行って手に入れようということにしたのです。
Img_5849c 伊勢市駅を出て、外宮参道へ。振り返ってみたら、鳥居の向こうに駅が見Img_5854c えています。こちら(南側)はJR参宮線の伊勢市駅。近鉄は、反対側。レトロな旅館(山田館)を見ながら、外宮へ向かいます。この山田館は、木造三層楼の古い建物。外宮参道のシンボル的な役割も果たしているようです。創業は、大正時代、およそ100年前といわれています。宮大工の方がご自分で建築した旅館で、戦火を逃れ、このような創業当時のたたずまいを残しています。
Img_5865c 伊勢市駅からは500mほど、10時40分に到着。内宮さんには何度かお参りImg_5871c したことはあるのですが、実は外宮さんは初めてなのです。常夜燈の大きさにビックリ。右の写真をご覧ください。
Img_5879c 外宮は、正式には、「豊受大神宮(とようけだいじんぐImg_5875c う)」。御祭神は、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。御鎮座は、雄略天皇22年(西暦477年とされます)。雄略天皇は、第21代。この雄略天皇の御代に、天照大御神の食事を司る御饌都神(みけつかみ)として丹波国から遷ってこられました。豊受大御神は、また、衣食住、産業の守り神でもあります。
Img_5881c 表参道火除橋を渡って、神域に入ります。鳥居をくぐって、まずは正宮Img_5900c お参り。ここは、高倉山の麓。古くから内宮に対して外宮と並び称されています。御鎮座は、今から約1,500年前。内宮の御鎮座から約500年後です。以来、外宮御垣内の東北に位置する御饌殿(みけでん)で、朝と夕の二度、天照大御神を始め相殿及び別宮の神々に食事を供える「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が続けられています。
Img_5906c 余談気味の話題ですが、正宮の正面には、このように板の塀があります。これは、「蕃塀」といわれるもの。神社の施設の一つで、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀です。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれます。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われますが、正確な目的は不明のようです。
Img_5905c 『神道大辭典第三巻』(昭和12年臨川書店発行)には、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀。」とあるそうです(こちら)。愛知県尾張地方の神社にはよく見られるそうです(先のリンク先をご覧ください)。この蕃塀も実際に見たかったものの一つ。
Img_5909c 正宮に向かって右手には、古殿地(こでんち)。遷宮される前には、正宮Img_5918c があったところ。よく見ますと、ここの左手に正宮への入り口があり、鳥居と蕃塀も見えています。上記引用のように、隠蔽をなす塀」ということなのでしょうか。
Img_5941c いささかの疑問を残しつつ、正宮の南にある別宮にお参り。まずは、「土宮(つちのみや)」。御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)。古くから山田原(やまだのはら)の鎮守の神でしたが、外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しています。
Img_5946c 続いて「多賀宮(たかのみや)」へ。多賀宮は、外宮に所属する四つの別宮のうち、第一の位。殿舎も正宮に次ぐ大きさ。御祭神は、「豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)」。神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂にぎみたま」というのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわす御魂の働きを、「荒御魂」とたたえるのだそうです。
Img_5961c 次いで「風宮(かぜのみや)」。御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)。風雨を司る神様で、内宮別宮の「風日祈宮(かざひのみのみや)」のご祭神と同じ。雨風は農作物に大きな影響を与えるため、古より正宮に準じて丁重にお祀りされているということです。
Img_6038c 3つの別宮の近くには、「下御井神社(しものみいのじんじゃ)」があります。外宮の所管社で、内部には井戸があります。「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」を始め、お祭りにお供えする御水をいただく「上御井神社(かみのみいのじんじゃ)」で不都合があった場合は、ここ「下御井神社」でいただいた御水をお供えするそうです。別宮にお参りしたときには見逃してしまい、あとでお参りしてきました。上御井神社へは、立ち入り参拝することはできません。
Img_6023c 正宮のすぐ東にある「別宮遙拝所」。正宮前の参道にある、注連縄を張った小石敷きの一面が南面してあります。多賀宮を遙拝するところです。もちろん、時間に余裕があれば正面の参道を進み、丘の上に鎮座する多賀宮を参拝します。
Img_5922c  正宮から別宮に行くところにあるのが、「三ツ石(みついし)」。古殿地の南側にあります。3個の石を重ねた石積みで、この前で、「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう:正殿の内外をお飾りする品々や、武具、馬具、楽器などの調度品)」や奉仕員を祓い清める式年遷宮の「川原大祓(かわらおおはらい)」が行われる神聖な場所だそうです。
Img_6049c
 こちらは、「亀石(かめいし)」。多賀宮など別宮に進む参道の途中、中の御池にかけられている、1枚の大石からなる橋です。亀に似ているところから亀石と呼ばれています。ここをパワースポットとみなして、拝んでいく方や、頭に見えるところを撫でていく方がありました。
Img_5979c 北御門口や、その西にある2つの神社も見て、お参りしようと思って行ってきました。その途中、九丈殿(くじょうでん)、五丈殿(ごじょうでん)(こちら:雨天の際、祓所に代わってここで神饌(しんせん)などが祓い清められます)や、忌火屋殿(いみびやでん:神饌の調理を行う「神様の台所」。忌火(いみび)は、「清浄な火」という意味))の前を通っていくと、御厩(みうまや)がありました。神馬がいるところですが、小生が行ったときには、「笑智(えみとも)号」も、「草音(くさおと)号」も不在。
Img_5985c 北御門口へ行く前に、御厩のすぐ北にある細い道を西に入って行きます。この先には、2つの神社があるのですが、ここにお参りする方はかなり限られていました。まずは、度会國御神社(わたらいくにみじんじゃ)。豊受大神宮の摂社です。御祭神は、「彦国見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)」で、伊勢国造・度会神主の祖とされます。参道から脇道に入って200mほど進んだところにあります。周囲は、老杉、巨楠の自然林です。ここで女性お二人から声をかけられました。地元の方ということでしたが、ここは初めてとか。ご退職になって余裕ができたので、ここまでお参りにいらしたということで、小生と似たようなふう。お一人は、桑名高校まで通っていらしたということであれこれお話しをしてきました。
Img_5995c こちらは、さらに少し奥にある大津神社。豊受大神宮の末社。御祭神は、「葦原神(あしはらのかみ)」。五十鈴川河口の守護神だそうです。「津」には港の意味があるように、港口の潮の神であることが、社名から窺えます。
Img_6016c 北御門口(きたみかどぐち)からいったん外へ出て、こちらの火除橋を見Img_5965c てみました。このあとまた御厩、忌火屋殿などのところを通って、 外宮神楽殿(げくうかぐらでん)へ。ここでは、ご祈祷の受付やお札・お守りなどの授与がしていただけますし、参拝記念のご朱印もいただけます。現在の神楽殿は、元の御殿(明治26(1893)年築)を全面改築して、平成12(2000)年12月に竣功開殿祭が執り行われました。ここで、本日の最大の目的である「神宮暦」を授与していただきました。
Img_6242c 神宮暦は、2種類あります。小さい方の「神宮暦」には、日の出や満潮時刻など天体と気象に関する身近な情報や農事情報がまとめられています。大きい方の「神宮大暦(じんぐうたいれき)」は、科学的データを基礎として、日々の天体、気象の詳細値などをまとめた暦で、ざっと見た感じでは、理科年表にも共通する編集です。神宮暦は、高島何とかの暦のように、占いのたぐいは一切載っていません。伊勢神宮の神宮司庁が奉製し頒布しています。その前身となるものは、江戸時代初期から伊勢国の神宮周辺の暦師たちによって発行されていた、伊勢暦と呼ばれる各種の暦本です。後に伊勢の御師(おんし)が年末に神宮大麻とともに伊勢暦を配るようになり、全国に知られるようになりました。
Img_6107c  明治4(1871)年、御師制度が廃止され、伊勢暦の頒布も中止されました。翌明治5(1872)年、文部省主導の下、全国の暦師が集められて頒暦商社が組織され、明治7(1874)年から政府発行の官暦の独占頒布が認められたのですが、その後、太政官布告で、明治16(1883)年から、官暦は神宮司庁が発行することになったのです。迷信的記述は排除され、科学的情報のみを記述した、実用的な暦としてつくられています。農林漁業に携わる方や、家庭菜園やガーデニングをなさる方も活用しておられるといいます。ちなみに、この赤丸で囲われた「神宮」と書かれた手提げ袋も気に入りました。
Img_6147c 参拝も無事に終え、神宮暦も入手しました。内宮へのお参りも考えたのImg_6155c_2 ですが、天気は下り坂という予報でもあり、帰宅することにしました。その前に、赤福外宮前特設店で「赤福盆」をいただいてきました。¥210。赤福といえば、最近、「いすず 野あそび餅」が売り出されているのですが、これはあいにく五十鈴野遊びどころ内 赤福 五十鈴川店へ行かないと入手できません。この「いすず 野あそび餅」、白小豆と手亡豆を合わせた白あん、よもぎでつくった緑あん、赤福餅のこしあん、黒砂糖風味の黒あんの4種類を詰め合わせなのです。また今度。
Img_6173c そして、昼ご飯は、行きの電車の中から決めていました。伊勢うどん、こImg_6177c れしかありません(微笑)。たまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えた、黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い緬に絡めて食べます。店によって独特のだしを用います。太い麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられています。具やトッピングは少なく、薬味の刻みネギだけで食べることが多いのですが、入った店のおすすめということで、卵の天ぷらをトッピング。¥600。暖かくて、美味しくいただきました(微笑)。
Img_6190c 食事を終えて12時50分。「さぁ、帰ろう」と伊勢市駅の前まで来て、ふと見たら、すぐ東に神社があるではありませんか。見つけてしまったからには、立ち寄らねばなりません。世木神社です。古くからこの地に鎮座してきました。「世木」は「堰」のようで、ここは、往古、宮川の分流豊川の沿岸にあり、その上流と下流とに堰を設け、その間を関川と称していたところだそうです。
Img_6192c 創始年代は不詳ですが、天福・建長(1233~1256)以前と推定されていImg_6207c ます。明治41(1908)年5、度会郡宮本村藤里鎮座の度会氏神社(天牟羅雲命)、岩渕町鎮座の松木社(度会春彦神主)を合祀し、社号を世木坐度会氏神社と改称しました。さらに、大正9(1920)年8に境内社の菅原社(菅原道真公・宇迦御魂命・大国主命)を合祠。昭和31年3月に世木神社と称し、現在にいたっています。
Img_6206c 境内には、三吉稲荷神社もありますが、それよりも珍しいのは、この手水Img_6198c 鉢。隠れているところもありますが、10ヶ所ほど、大小不揃いの穴があります。「盃状穴(はいじょうけつ)」というそうです。盃状穴は、手水鉢や、灯籠基壇などに穴を掘ったもの。これは、子孫繁栄、つまり子どもを授かりたいという願いから、女性器を象徴した一種の民間信仰と考えられているそうです。
Img_6214c 世木神社にお参りして、伊勢市駅には13時少し前に戻って来ました。Img_6219c が、名古屋行き急行は、13時ちょうど。ホームに降りる階段のところで発車。やむなく、帰りは豪華に伊勢志摩ライナー(微笑)。13時16分発名古屋行き特急に乗車。
Img_6224c 桑名駅には、14時19分着。¥1,200。急行に乗るよりも早く到着。外宮さんだけではありましたが、念願の伊勢参りもしてきましたし、興味深い神宮暦も入手できましたので、充実した1日だったといえます。
20181211isejingu 今日歩いたコース。伊勢市駅から外宮さんまでは、片道500m。合計で約4㎞歩いてきましたので、外宮の中で3㎞ほど歩き回ってきたことになります。まだ他にも見て来たところがありますから、そのうちに「補遺編」でも書きます(他の記事も山のようにたまっていますしねぇ)。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧