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2020年8月24日 (月)

鳥も散歩友達も少なかったので、惣構現地調査2日目……今日は7.4㎞(爆)

Img_4600c_20200824145401  朝は、24.9℃と、かろうじて熱帯夜を免れ、北寄りの風で、多少過ごしやすい感じでしたが、日中は、34.3℃と相変わらずの暑さです。7時半スタートで散歩。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園と歩き、そこから昨日の続きで、惣構実地調査。柳原、江場、新屋敷、伝馬町から一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町、吉津屋町、京町、寺町と、またもや7.4㎞も歩いて、10時帰宅。「暑いのに、よく歩くな」と思われるかも知れませんが、先週の暑さに比べると少し楽に思います。

Img_4314c  住吉神社から見た揖斐長良川の中洲。ダイサギのようですが、1羽だけいました。ここは、以前は、よくアオサギが集合していた場所です。多いときには20羽以上もいたことがあります。そういう光景をまた見たいと思っています。

Img_4342c_20200824145501  柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイ。その他、ハシボソガラスたち。九華公園では、今日もあまり鳥Img_4352c はいません。奥平屋敷跡にある鳥小屋を確認してきたのですが、妙な具合になっていました。白いインコがペアで入れられたはずでしたが、カップルが、右の写真のように入れ替わっているようでした。う~ん、何と申しましょうか(笑)。

Img_4371c_20200824145501  その後、シルバー人材センターの脇を通ったら、ちょうど同級生K氏と遭遇。「ちょっと寄っていけ」ということになり、コーヒーをご馳走になりながら、少しばかりおしゃべり。猛暑の時期で、派遣されて仕事に行く方々も大変のようでした。冗談半分に「お前も、働くか?」といわれましたが、ブラブラ人生も長くなり、今さら役には立たない可能性大です(苦笑)。

Img_4563c_20200824145401  惣構実地調査の話は後にして、伝馬公園からは一色町、北鍋屋町、鍛冶町、大央町の境にある緑地帯を通り、定休日の寺町商店街を通過して、住吉入江へ。三崎見附跡の北でシジュウカラを目撃。2羽。Img_4596c しかし、ソメイヨシノの木に紛れてしまい、写真は撮れず。その後、拙宅前の住吉入江のところで休憩していたら、イソヒヨドリのメスが登場。実は、朝5時頃にも、鳴き声が聞こえていたのです。

0824walk  さて、惣構実地調査、2日目です。マップは、昨日とほぼ同じです。赤いラインは、惣構があったと考えられるところ、ブルーのラインが今日歩いてきたルート。昨日、回ってこなかった桑名税務署・桑名消防署の北から西側と、市営日進町住宅、長圓寺・報恩寺の南から、伝馬公園の裏手の2ヶ所が主な目的地でした。

Img_4377c  左の写真は、昨日も載せた桑名税務署から北に延びる桜並木。惣構の跡と考えられます。桑名税務署から北へ50mほどのところまで、桜並木と幅広い水路の跡らしきものが確認できます。

Img_4386c_20200824145501  桑名税務署のすぐ北にある交差点。向かって右手に一部見えているのが、税務署。その向こうに見える塔Img_4391c_20200824145501 は、消防署の訓練用のタワー。右の写真は、この交差点を曲がって、進む先。東新町市営住宅の北側へと続きます。堀の跡か? というと、何ともいいがたい感じです。

Img_4395c_20200824145501  少し進んだところの様子。道はほぼ直線で、少しだけ曲がっています。右Img_4400c の写真は、東新町市営住宅の西側を通っている道。直線で、県道401号線に向かっています。これまた、堀の跡かというと、微妙な感じです。ここは見通せて、道の様子も分かりましたので、曲がらず、東新町市営住宅の西側へ進むことにしました。

Img_4403c_20200824145501  税務署・東新町市営住宅の北の道を西に進み、行き当たりが、左の写真。三叉路になっています。江戸時代の城絵図では、惣Img_4405c_20200824145501 構は南の方に続いていますので、ここで左折して南へ。東新町市営住宅は、南北に建つ棟と、東西に建つ棟と2棟あります。左折して進むと、東西に建つ棟の裏につながります。

Img_4409c_20200824145501  市営住宅の敷地に行き当たったところに日進まちづくり拠点施設(公民館)。ここで道は右Img_4413c 折(西へ)。

Img_4418c_20200824145501  50mほどでT字路を左折すると、県道401号線が見えまImg_4421c_20200824145501 す。道幅はそれなりにあり、堀の跡といわれれば、そうかなと思える気がします。

Img_4423c_20200824145501  こちらは、県道504号線の手前で、歩いてきた道を振り返った写真。後ほど、城絵図と照らし合わせて、あれこれ考えてみましょう。

Img_4440c_20200824154301  昨日は、県道401号線から日進小学校方面に行くのに、東新町市営住宅と消防署の間の通りのところから南に向かいました。Img_4445c_20200824154301 そこで、今日は、県道401号線を西に向かい、日進小学校の東側の道路から行くことにしました。微妙なカーブになっています。古い道がそのまま残っているのかも知れません。

Img_4447c_20200824145501  日進小学校。七曲見附のあった辺りからの惣構は、ここの敷地内を通っていたと思われまImg_4450c_20200824145501 す。写真は、東から西を見ています。右の写真は、日進小学校の敷地の南東側にある交差点。昨日は、左から右へ(東から西へ)、ここを通過しています。昨日歩いたルートが、今のところ、惣構の跡ではないかと考えています。

Img_4456c_20200824145501  日進小学校南の交差点に出て来ました。左の写真で、正面が、今日歩くルート。左右(南北)の通りは、県道613号線。写真Img_4462c_20200824145501 に写っている辺りは、東海道が通っていたところで、向かって右に火の見櫓と消防団倉庫があります。そこから道路をはさんだ日進小学校の敷地にかかるあたりに七曲見附があったとされます。右の写真は、同じところから視線を少し左(南)に向けて撮ったもの。信号の向こうにある理髪店に向かってすぐ左から奥に向かうのが、東海道。

Img_4484c_20200824145501  県道613号線を渡って、伝馬公園の裏手に続く道に進みます。この右手に市営日進町住宅があります。その先には、長圓寺・Img_4487c_20200824145501 報恩寺があり、江戸時代の城絵図を見ても、道の形から、ここが惣構の跡であることは確実と思っています。少し進むと、道は右にカーブしていきます。

Img_4489c_20200824145501 Img_4493c_20200824145501  この左手(南側)には大きな民家があります。ここは、「廣瀬鋳物工場跡」です。桑名藩初代藩主本多忠勝公は、城の建設などのため、鋳物師を桑
名に招き地代を免除するなど優遇したのですが、廣瀬氏もその一人で、ここに土地を与えられました。そのため、この付近は「鍋屋町」と呼ばれています。工場は、戦災ご移転しています。

Img_4499c  道なりに進みますと、長圓寺と、報恩寺の裏手に出ます。向かって右が報恩寺、左が長圓寺。報恩寺は、真宗本願寺派。もとは江場村にありましたが、ここに移されています。寺内には、桑名町長を務めた竹内文平の墓があります。⻑圓寺は、大悲山(だいひざん)と号し、浄土真宗本願寺派。慶⻑の町割りでここに移りました。この寺の11世魯繽庵義道(ろこうあんぎどう、宝暦11(1761)〜天保5(1834)年)は「久波奈名所図会(くわなめいしょずえ)」などの地誌を著わすとともに、一枚の紙に切り込みを入れるだけで、連続した鶴を折る連鶴を考案し、寛政9(1797)年、『秘伝千羽鶴折形』が刊行され、49種類の連鶴が紹介されています(桑名の千羽鶴;市無形文化財)。今日のテーマからすると、余談が長くなりました。

Img_4508c_20200824145601  さらに進みますと、伝馬公園(願証寺跡)が見えてきます。惣構は、伝馬公園と天武天皇社の間を通っていました。左の写真Img_4513c_20200824145601 で三叉路を左手に進みます。それが右の写真。

Img_4516c  天武天皇社の裏(左の写真)を通って80mほど進むと道は右に曲がり、北向に(右の写Img_4528c_20200824145601 真)。この先で再び、県道401号線に出ます。この曲がるところまで、昨日、北側から来ています。

Img_4530c_20200824145601  さらに進んだ写真。柳の枝が垂れ下がったずっと向こうImg_4538c_20200824161001 に、昨日紹介した金刀比羅社が小さく見えています。これで、今日の目的は一通り、達成できました。

Img_4543c_20200824145401  伝馬公園で一休み。伝馬公園は、近世の桑名城下町でいうと、その南西端にあります。16世紀末頃からこの地に所在した浄土真宗の寺院「願証寺」の境内の一部であったと伝わっています。願証寺はImg_4545c もとは長島にあり、明応6(1497)年、蓮如上人の子・連淳が入って東海地方の浄土真宗の中心として、門徒10万人余を擁する一大勢力を保っていました。本願寺が織田信長と対立したとき、願証寺も信長に反旗を翻したのですが、天正2(1574)年に信長に滅ぼされました。しかし、江戸時代、桑名に再興し、約1万坪(約33,000平方メートル、野球場3個分くらい)に及ぶ境内を有していましたが、正徳5(1715)年の高田派への宗旨替えで内紛が起こり、廃寺に至ったといいます。伝馬役に従事する人々が多く住んでいたため、それが町名になりました。一昨年、市教育委員会が遺跡発掘調査を行い、江戸時代、桑名城下町に全国6番目に整備された上水道管が初めて敷設状態で見つかりました。その説明会に行っています(2018年12月13日:20181208伝馬公園遺跡発掘調査説明会に参加して来ました)。

Img_4586c_20200824145401  という次第で、2日間にわたり、惣構の現地調査をしてきました(たいそうなことではなく、現地と思われるところを歩いて、見て、写真を撮って来ただけ)。江戸時代の城絵図と現代、さらに明治などの地図と比較する作業をしっかりしてから、現地調査に行くべきだったかも知れませんが、散歩ルートから少し足を延ばせばよかったので、まずは見てきたということです。これから、地図をしっかり眺めることにします。遠隔授業は、先週が結果的に夏休み(オープンキャンパスが中止になったため)。明日、第9回のファイルをアップし、メールを送るのですが、今日、作業をしてしまい、メール送信の予約も済ませました。

【余談】Img_4297c_20200824182501  スマホの充電器が不調になって、ビックカメラで買ったと書きました。Anker PowerCore Fusion 5000 white A16210219です。まだ1回しか使っていません。Quick Chargeには対応していませんが、急速充電が無事にできました。気になったのは、ケーブルがちょっと熱を持ったこと。付属のケーブルは短かったので、別物を使用。スマホの充電が終わったあともコンセントに指しておくと、本体にあるバッテリーが充電され、モバイルバッテリーとして使用する準備ができます。もう少し使ってみて、また、レポートします。

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