« 「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子 | トップページ | 桜満開の中、ツツジが咲いていました(驚) »

2020年4月 5日 (日)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その3)……六把野新田の地蔵堂、道標、自然石の道標、鳥取塚と珪化木の碑を見て、東員駅へゴール(完)

200329hoshikawatouin3  3月29日に出かけた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のその3です。東員一中の手前でスタートから4㎞。その先に地蔵堂と道標1基。ピアゴ、しまむらを過ぎてまた、員弁街道は脇道に入っていき、藤川(上流に行くと、イヌナシを見に行った鳥取神社の横に続いています)を渡り、東員交番の裏で自然石の道標。その先で鳥取塚とそこに立つ珪化木の碑を見て、いよいよ東員駅にゴールします。

Img_8295  東員一中を過ぎ、4.4㎞のところに地蔵堂があります。「みえの歴史街道マップ(濃州道)」には、「延命地蔵堂」とありましImg_8292c たが、確か「病難除地蔵」と書かれていました。新型コロナウィルスも蔓延していますので、丁寧にお参りしてきました。大正末期に有志によってここに建立されたそうです(東員町観光パンフレットによる)。

Img_8286  地蔵堂の手前、交差点の東側に小さな道標があります。危うく見落としそうになります。「多度香取道」とあるのがかろうじて読めます。香取道は、ここ六把野新田の地蔵堂東側から大仲新田を通り、嘉例川を経て多度へ通じている道。この道は、昔は、3~4尺幅(約90~120cm)の細い道だったそうですが、多度祭ではかなり賑わったといいます。

Img_8298c  4.7㎞のところにある神田公園に「旧神田小学校跡」という案内板があります。明治34(1901)年、穴太にあった弘道尋常小学校と鳥取の養義(尋常)小学校が合併して、その中央に位置する六把野新田に神田小学校の前身である「神田尋常高等小学校」が創立され、ここに3棟の校舎が新築されたそうです。その後、昭和6(1931)年には木造2階建て北校舎が完成。さらに戦後、講堂が新築されたのですが、昭和48(1973)年に移転し、現在の神田小学校となっています。跡地が、神田公園として整備されました。

Img_8305  5㎞を歩き、神田変電所前の交差点から員弁街道は、右に逸れ、県道からは離れます。時刻は13時5分頃。このすぐ先で、藤Img_8307 川を渡ります。橋は、七ツ橋と呼ばれた橋。

Img_8317c_20200404204001  この藤川、鳥取神社のところから来ています(2020年4月 2日:今日も東員町で花見とバードウォッチング……イヌナシの花リベンジ、藤川の桜並木と町天然記念物のトウインヤエヤマザクラ)。鳥取神社までは1㎞足らずと思いますが、桜並木が続いているようです。

Img_8326  東員交番の裏に道標があります。自然石でできています。「右あげきはった/左大いづみ石Img_8322 ぐれ」とあります。それぞれ、阿下喜、治田、大泉、石榑を指しています。道標は、文化14(1817)年に鳥取(このあたりの地名)の俳人岩田卜斎(ぼくさい)によって建てられたものです。卜斎については、調べがつきませんが、こちらには「美濃派徐風庵で学ぶ」とあります。美濃派は俳諧の一派で、各務支考の系統。「徐風庵」は、美濃派の分派・再和派の九世・多賀徐風庵(1772~1832)。

Img_8331c_20200404204301  裏面には卜斎の「雲いくへ ひばり鳴くなり そりみ坂」の句が記されています(芭蕉が詠んだという説もあるようです。いつ詠まれたかなどは不詳)。かなり薄くなっていて詠みにくいのですが、こちらによれば、碑陰には、上記の句の他「文化十四丁丑年孟春中旬岐路人惑標石指南。楚里見坂 卜斎建立。是より道法 御城下へ二り半 あげきへ同はつたへ同 石南村へ同」とあるそうです。「そりみ坂」は、「楚里Img_8327c_20200404204301 見坂」「曲見坂」などと書きました。また、このこの小高いあたりにはヒバリがたくさん生息していたそうで、「雲雀が岡」と呼んだといいます。私は、春、揚げ雲雀を見上げるのに、体を反らせて見たから「反り見坂」かと想像しました。この道標のところで、道は二股に分かれ、一方は大木へ向かう道でしたが、今ははっきりしなくなっているようでした。道標は、平成19(2007)年4月に東員交番ができて、少し移動しました。

Img_8337c_20200405045001 Img_8349c_20200405045001  この道標の先、街道の北側に大きなお屋敷があります。庭の手入れもされており、立派な屋敷で、「岩田」という表札が出ていました。調べて見たら、ここが鳥取を代表する旧家である岩田家でした。そり見坂の道標を建てた卜斎も、ここ岩田家の俳人です(こちら)。

Img_8343c_20200329211901  もう少し西へ行き、スタートから5.4㎞を過ぎたところに、鳥取塚と珪化木の碑がありまImg_8353c す。鳥取塚は、饅頭型の円丘で、かつては古墳が4~5基ありました。今残っているのは1つで、東西21m×南北17m、高さ2.5m。桜などが植わっています。珪化木の碑には「鳥取塚」と刻まれています。碑は、明治44(1911)年3月の建立。珪化木(けいかぼく)とは、樹幹が珪質化(シリカ(SiO2)に富むようになること)して保存された植物化石。この鳥取塚のあるところを左折したところが、チリン坂で、「律師智伝之碑」があると思い込んでいたのですが、見当たらず。もう一度落ち着いて調べたら、これらはもう一本先を曲がったところでした(苦笑)。これは、次に見なくては。

Img_8360c_20200405050201  鳥取塚で13時20分。この日はここまでとし、ゴールに決めておいた三岐鉄道北勢線東員駅に向かいます。昼食は、予め調べておいた、東員駅近くのカフェレスト・ラフィーネで摂ることにします。写真は、東員駅に向かう途中に見た、鈴鹿山脈。この日は雨上がりで、風は強かったものの、それなりによい天気で、山もよく見えました。

Img_8372c_20200329212501  ラフィーネ。東員駅から線路を挟んですぐ北。13時40分着。オムライスが美味しそうでしたので、ランチのセットに。スImg_8370c_20200329212501 ープ、サラダ、茶碗蒸し、ミニハンバーグがついて、¥980。前期高齢者には、ボリュームたっぷりすぎるくらい。オムライスの中のご飯には、細かな海老やタマネギやニンジンなどの野菜、それにたまごなども入っていました。右の写真、先に出て来たミニハンバーグをかじってしまっています(苦笑)。満腹。この日の夕食は控えめにしました(微笑)。

Img_8383c Img_8384c  食事を終え、東員駅へは14時25分に着きました。ちょうどタイミング良く14時32分発の西桑名行きがありましたので、それに乗車。鉄道むすめ・楚原れんげのイラストが描かれた電車でした。西桑名までは¥340。M氏は星川駅で、K氏は蓮花寺駅でそれぞれ下車。西桑名には14時56分着。帰りも電車は空いていました。

Img_8395c_20200329212601  この日のALKOOのデータ。17,208歩でした。距離は、ハイキングで6.3㎞、自宅から西桑名駅往復が2.1㎞ですから、合計8.4㎞(キョリ測で測定)。帰り道、K氏、M氏からは、「次はいつ?」「どこを歩く?」と催促(苦笑)。員弁街道を阿下喜あたりまで歩くことにして、現在、少しずつ下調べ中。「勝手にハイキング」企画もそれなりに大変。過去の近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングで歩いたコースに行くのも一つの手かと思いついたところ。これにて、3月29日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」も無事に「完」。

|

« 「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子 | トップページ | 桜満開の中、ツツジが咲いていました(驚) »

旅行・地域」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

地蔵」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

勝手にハイキング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ひのとり」、照源寺の金龍桜、道祖神、走井山公園の桜に北勢線の「ゆる鉄写真」……土産は宝来軒本店の花見団子 | トップページ | 桜満開の中、ツツジが咲いていました(驚) »