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2020年4月 4日 (土)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その2)……七和の道標、薬師堂、穴太徳の碑へ

200329hoshikawatouin1   3月29日の「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」のその2です。その1では、星川駅をスタートして、天皇八幡神社(マップでは八幡神社)、クロガネモチの木まで来ましたが、実際のルートマップは、まだその1のエリアです。

Img_8225c_20200402043501  天皇八幡神社のすぐ南の交差点の北西に九華(くわな)はちみつがあります。大正元(1912)年創業の舘養蜂場本店がやっている直売所。無添加で純粋に国産の蜂蜜を取り扱っています。ちょっとだけ覗いてきましたが、蜂蜜の甘い香りが漂っていました。菰野町・いなべ市で採った「そば蜜」などもあります。これは古くから咳止めに使われてきたとか。

Img_8226c Img_8228c  その先、七和駅から来る道との交差点の北西角に道標。「(西)楚原道/東 桑名道/北 多度道/南 七和駅道」とあります。三岐鉄道が、北勢鉄道として大山田(現在の西桑名)~ 楚原間(14.5km)の開業を果たしたのは、大正3(1914)年ですから、それ以降の道標と思われます。員弁街道と多度へ向かう道の交差点ということで、ちょっとした交通の要衝であったと考えられます。「楚原道」の上には、「西」と刻まれているようですが、薄くなって(もしくは削られた)います。右は、多度方向を見た写真。

Img_8230c Img_8240c_20200402051401  この道標がある交差点で左折し(南へ)、七和駅方向に150mほど入っていったところに瑠璃山薬師堂があります奈良時代に創建され、本尊は室町時代の作といいます。御堂の前にソメイヨシノが咲いていて、なかなか落ち着いた、よい感じ。ここは中世の芳ヶ崎城(羽笠城)の遺跡ともいいます。

Img_8237c_20200402051401  ここでまた、M氏から質問、「瑠璃山の瑠璃はよく見聞きするが、何?」。私は、「知っていることは何でも知っているが、知らないことはまったく知らない」と嘯いていますが(苦笑)、瑠璃についてはちょっとアヤシい。瑠璃色が濃い紫みの鮮やかな青色なのは知っています。鳥にも、オオルリ、コルリ、ルリビタキがいます。しかし、分からないことは確認しないといけません。「瑠璃(るり)」は、7つの仏宝の1つで、青色の美しい宝石。「ラピスラズリ」ともいうということでした。

Img_8235c_20200402051401 境内には地蔵堂らしき御堂もありましたが、こちらについては不明。ちなみにこのあたりは、旧七和村でした。七和村は員弁郡に属していましたが、昭和26(1951)年に桑名市と合併。郡境を越えての合併でした。江戸時代にあった五反田村、大仲新田、巌新田(いわお)、嘉例川村、芳ヶ崎村、森忠村、星川村が明治22(1889)年に合併して七和村ができました。七つの村が合併したので、七和村といったそうです。

200329hoshikawatouin2  員弁街道に戻ってハイキングを続けます。ルートマップはその2へ。五反田の町を歩いて行きます。しばらくは立ち寄るとこImg_8242c_20200402052401 ろはありません。町の風景は、右の写真のような感じ。写真を撮ったあたりは道幅が広くなっていますが、昔の街道は、写真の奥に見えるくらいの道幅だったのであろうと思います。

Img_8249c_20200329202701  2.9㎞のところで寒谷川を渡ると、そこに大日堂と地蔵堂があります。大日堂は、この五反Img_8251c_20200329202801 田にあった伝西寺が真宗大谷派に改修し、星川に移るとき、ご本尊であった大日如来を安置する御堂を設置したといいます。大日如来がご本尊ということは、真言宗系統かと思います(ちなみに、真宗のご本尊は、阿弥陀如来)。右は地蔵堂。

Img_8259c  これら大日堂と地蔵堂のすぐ先にも、街道左側(南)に地蔵堂がありましたが、みえの歴史街道マップにも、くわな史跡めぐりにも載っておらず、不明。御堂にも何地蔵とは書かれていません。お地蔵様は、あちこちにありますが、資料に載っていないものも多く、地元の方に伺わないと分かりません。

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 スタートから3.1㎞、弁天川にかかる弁天橋に来ます。ここが、桑名市と東員町との境界。M氏、K氏とも途中で「ブログに写真を載せられるかも知れんなぁ」とおっしゃっていたので(期待されていた??)、ちょっと登場してもらいました(微笑)。橋を渡って、員弁郡東員町に入ります。平成の大合併で、員弁町、藤原町、大安町、北勢町が合併し(平成15(2003)年12月1日)、いなべ市が誕生しましたので、今では、員弁郡も東員町のみ。

Img_8268c_20200329205201  弁天橋の先、100mほどの民家の庭に「穴太徳(あのうとく)の碑」があります。「穴太徳事 神戸屋徳次郎碑」と刻まれています。穴太徳(本名は中野徳次郎)は、慶応2年4月8日(1866年5月22日)の「荒神山の喧嘩」で、神戸の長吉(かんべのながきち)と私闘を展開した、桑名を縄張りとした博徒です。この荒神山の喧嘩では、神戸の長吉側の助っ人として乗り込んだ吉良仁吉は、鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡しました。吉良仁吉は、清水次郎長一家の応援をえて、穴太徳勢になぐりこんで、義理に殉じてしまったのです。「荒神山の喧嘩」は、2代目広沢虎造による「血煙荒神山」の浪曲で有名ですし、吉良の仁吉については、村田英雄の歌う「人生劇場」にも出てきました(♪俺も生きたや仁吉の様に~♫)。何度も書きましたが、この碑は、是非とも見たいと思っていました。ちなみに、「荒神山の喧嘩」があった荒神山観音は、鈴鹿にあり、私の最初の職場がその近くでした。近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングでも訪ねています(2018年12月7日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その3)……加佐登の町を経て、荒神山観音寺へ、2019年4月20日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(予告編)。荒神山の喧嘩については、2018年12月7日の近鉄ハイキングの記事に詳しくあります。

 この穴太徳の碑のすぐ先に神田屋敷と、六把野井水(ろっぱのいすい)があると「三重の歴史街道マップ 濃州道」にはあったのですが、結局よく分からず。マップには、小さな写真が載っていますが、それをよく確認し、記憶していなかったのです。さらに、マップをプリントアウトしたものを忘れて出かけていました(苦笑)。六把野井水について、こちらのサイトには「道の横を流れる六把野井水は江戸時代に桑名藩の行った水利開発の一つで、安政12年(1635)に完成した。今の北勢町麻生田にある大井口から員弁川の水を堰入れ、桑名市大仲新田山ケ道に至る流程12キロに渡る井水で、完成当時の受益面積は約460町といわれた」とありました。結局、このあたりでは員弁街道に沿って流れていたようです。本多忠勝が桑名に来てから着工したといいます。この先、北勢線楚原駅を過ぎたところにある「ねじり橋」があり、これが六把野井水にかかる橋ですから、そこで見ることにしましょう。神田屋敷は調べたものの、よく分かりません。手持ちの資料にも、ネットにも出てこないのです。

 この先穴太西の交差点から員弁街道は、県道14号線に合流します。こちらは、「現代の員弁街道」ともいえ、車の通行量がかなり多いところ。しばらく見るところはありません。ルートマップその2はここまでで、キリが良いので記事もここで区切りをつけます。

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