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2020年4月 1日 (水)

20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(その1)……北勢線星川駅をスタート、星川神社、星川山安渡寺、森忠名神明神社、ヤマモリの工場を見て、天皇八幡神社、市天然記念物のクロガネモチの木へ

200329hoshikawatouin  3月29日に「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」に行きました。今回は、その本編その1です。昨今の状況下では、不要不急の外出に間違いはありませんが、人と接触がきわめて少ない、旧街道を歩くハイキングなら、コロナの感染リスクも低く、健康増進にもよいと勝手に考え、3月15日の「益生(三ツ矢橋)~星川」に続いての第2弾として、三岐鉄道北勢線の星川駅から、桑名の隣の東員町にある北勢線・東員駅まで歩いてきました。休日の北勢線は、1両にせいぜい数人の乗客、歩いているのは旧街道で人混みとはほど遠い。昼食だけはカフェレストにてという次第。

Img_8071c_20200331203101  当日は、朝、雨がわりと遅くまで残りましたので、スタートを11時に変更。三岐鉄道北勢線西桑名駅を10時35分に発車Img_8085c する楚原行きに乗車。星川駅には10時48分着、¥240。実際には、10時55分にスタート。今日も、前回同様、K氏、M氏との「オッサン三人旅」。私の悪影響を受けたのか、お二人とも「是非とも行く」という意気込み(微笑)。何だかツアーコンダクターになった気分。「太一丸ツアーズ」か、「mamekichiトラベル」という会社でも立ち上げようかと思ったりします。

200329hoshikawatouin1  さて、実際に歩いたルートマップの詳しいもの、その1。星川駅を出て南へ。町屋川(員弁川)の堤防に突き当たるところからが、員弁街道。右折して、西に向かいます。1㎞までの間に星川城跡、星川神社、安渡寺とあります。星川の町を進み、森忠名神明神社(マップでは名神明神社)に寄って、2㎞を過ぎたところで天皇八幡神社(マップでは八幡神社)と市天然記念物のクロガネモチの木を見ます。続いて、道標を1つ確認してから七和駅の方に入って薬師堂。

Img_8089c_20200331211701  星川駅を出て300mほどで嘉例川(かれがわ)を渡ります。嘉例川は水量が少なく、すぐに枯渇するため、「枯川」の意味で名づけられたといいます。上流には、市天然記念物の「ヒメタイコウチ」が生息します。ヒメタイコウチ(姫太鼓打)は、カメムシ目タイコウチ科に属する小さな水生昆虫なのですが、私は見たことはありません。絶滅が危惧されていて、嘉例川地区ではビオトープを整備するなど保護事業も行われています。

Img_8087c_20200329180801  嘉例川を渡るあたりから進行方向(北西)を見た写真。中央に見える白い建物(万代家具)に向かって左手あたりに星川城がHoshikawacastleruin ありました。室町時代、春日部若狭守が居城したといいます。春日部氏は、旧朝明郡萱生(現在の四日市市萱生町)の豪族で、星川城主はその一族。織田信長の伊勢侵攻の時に滅んだといいます。現在は、はっきりした遺構はないようです(こちら)。右の画像は、桑名市教育委員会の文化財のサイトにある遺跡分布図に目印を記入したもの(こちら)。オレンジの網掛け部分が、星川城跡と考えられています。青いルートが員弁街道。

Img_8091c_20200331212901  嘉例川から少し先の員弁街道の様子。ゆるやかな登り坂になっています。偉そうにM・K両氏を引率して歩いていましたが、この先、実は未知の土地(苦笑)。予め調べて自作したコースマップを見ながらの道中なのです。

Img_8093c_20200329182201  星川駅から600mほどで星川神社。街道の北側に「延喜式内星川神社/神厨星川神明神社」と刻まれた社号Img_8109c_20200331213401 標があります(明治34(1901)年建立)。右は、一の鳥居。

Img_8106c_20200331213401  御祭神は、天照皇大神。相殿神は、須佐之嗚命(すさのおのみこと)、大山祇神(オオヤマツミノカミ;山の神)、宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと;五穀、食物をつかさどる神)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)。一説によれば、この地を開拓した星川武彦命の祖先を祀るともいいます(勢桑見聞志抄)。社伝によれば、創立は応神天皇時代とされますが、詳細は不明。明治40(1907)年11月に八坂神社、御厨神明社、山神社を、また、同45(1912)年2月に大字仲新田の稲荷社を合祀しています。ちなみに、勢桑見聞志抄は上巻が、桑名私立中央図書館のサイトで見られます(ここ)。

Img_8102c_20200331213401  神社は、台地の上にあります。社殿の背後は、この写真のようになっていて、「このあたりも星川城の範囲だったのかという気もした」と予告編に書いたのですが、上記の遺跡分布図によれば違ったようです。しかしながら、地図や資料を見たり、現地に行ったりして、あれこれ想像をたくましくするのは楽しいものです。

Img_8115c_20200329183101  街道に戻って、1㎞の手前に星川山安渡寺(ほしかわざんあんどじ)。ここは、特定の宗派には属さない単立Img_8130c_20200331220201 の寺院。ご本尊は、平安時代の聖観世音菩薩(桑名市指定文化財)。蓮華座、仏身約35cmの檜の一木造りで、平安中期の作とされます。伊勢巡礼30番札所といいますが、この「伊勢巡礼」は不明。

Img_8120c_20200329183201  奈良時代、行基によって創建され、その昔、本堂裏に行基の腰掛松があったといいます。星川城主・春日部Img_8148c_20200329183201 若狭守によって大伽藍が建立されたといいますが、織田信長の兵火で焼失したといいます。鎌倉時代から「星川の観音さん」として知られていたことが、四日市市南富田町の善教寺が所蔵する阿弥陀如来像の胎内文書に記されているそうです(こちらにその紹介があります)。子安観音として安産守護の霊験あらたかで、また開運・厄除けの守護としても人びとから篤く信仰されています。

Img_8152c_20200331220501  境内には、見事なしだれ桜(左の写真)とソメイヨシノがありましたし、ここからの眺めはかなりよいものImg_8122c があります。

Img_8158c_20200401071602  安渡寺を出てしばらく行くと森忠に入ります。員弁街道は、左の写真のような感じ。前回の三ツ矢橋から星川あたりは、クルマもほとんど通らなかったのですが、星川から西は、けっこう車が頻繁に通ります。このあたりの方が、前回歩いたところよりも住宅が多いからなのだろうと思います。旧東海道や、旧伊勢街道(参宮街道)も生活道路になっているところが多かったのですが、員弁街道のこのあたりもそうなのでしょう。

Img_8159c_20200329193301  森忠名神明神社(もりただなしんめいじんじゃ)が、1.2㎞ほどのところにあります。ちょっと珍しい名前の神社です。主祭Img_8169c_20200329193301 神は、天照皇大神。相殿神は、大山津見命。創始は不詳。古代、このあたりは伊勢神宮の領地で、「守忠」あるいは「盛忠」という人の名田(みょうでん)でした。神宮の領地管理に貢献があったので、その名が地名となったといいます。守忠/盛忠の名田に建てられた神明社から、神社の名前が来ています。

Img_8176c  この神社の境内には、「伊勢神宮遙拝所」と、「神武天皇遙拝所/明治天皇遙拝所」の石碑がありました。写真で向かって左が伊勢神宮遙拝所です。さほどたくさん見て回ったわけではありませんが、桑名市内の神社では、こうした遙拝所は初めて見ました。両遙拝所とも、皇紀二千五百八十三年(大正12(1923)年)に山上甚兵衛という方が建立しています。

Img_8171c  拝殿に向かって右手(東)にもう一つ、社殿がありました。神社検索三重のサイトには、「末社火産霊社(祭神火産霊命)」と、村内の「山神社(祭神大山津見命)」が、いずれも明治40(1907)年に合祀を許可されたとありますので、これらのどちらかかと思います。

Img_8188c  2㎞ほどのところにヤマモリの桑名工場があります。ヤマモリは、明治22(1889)年創業。三林専太郎が、Img_8190c 味噌・しょうゆ醸造業を始めました。今日では、それ以外にもかまめしの素、レトルト食品なども製造しています。三重大学カレーや、桑名カレーのレトルトもつくっています。ちなみに、昭和42(1967)年に日本で初めて「袋詰液体スープ」を発売したそうです。工場の正門脇に朱い鳥居が並んでいましたので、お稲荷さんが祀ってあるかと思いきや、猿田彦さんでした。工場、会社などにはお稲荷さんが定番だと思っていました。猿田彦さんは、導きの神様ですから、これもありかも知れません。

Img_8194c  ヤマモリのすぐ先の北に天皇八幡神社。芳ヶ崎(はがさき)の産土神。春日社と牛頭天王社を相殿とします。御祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト;応神天皇)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、火産靈命(ほむすびのみこと)、大山津見命(オImg_8199c オヤマツミノミコト)、天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)。由緒は不詳ですが、鳥居は文化2(1805)年に再建した記録があるといいます。

Img_8209c_20200403051901  境内には、拝殿横に順正稲荷大明神があります。以前には、このあと訪れる薬師堂の南に鎮座していたのでImg_8203c_20200403051901 すが、祠の老朽化もあり、建て替えて、平成24(2012)年11月に遷座。拝殿の屋根瓦には菊の紋章らしき模様がありましたが、よく見ると花弁が12枚。本物の菊の紋章は「十六八重表菊」ですから、異なったもの。ちなみに、天皇八幡神社という名前も、牛頭天王辛きていると説明がありました。

 ここの社号標に「村社」とあるのを見て、M氏から「村社とは?」と尋ねられました。神社には、その等級を示す「社格(しゃかく)」がありました。歴史的にそのあり方は変遷していますが、明治以降は、官幣の大社、中社、小社、国幣の大社、中社、小社、別格官幣社、府社、県社、郷社、村社、無格社などの別が定められました。第2次世界大戦後廃止されていますが、今でも「旧社格」といって、神社の格を表す目安になっています。Wikipediaの「近代社格制度」に詳しく説明がありますが、端的には、どこから奉幣(ほうへい)を受けるかということです(ちょっと乱暴な結論ではあります)。

Img_8222c_20200329194501  天皇八幡神社の南、員弁街道を越えたところに市の天然記念物に指定されているクロガネモチの木があります。クロガネモチは暖地に生える常緑高木。これは、天皇八幡神社のご神木で、地元が大切に守っていますが、剪定などはしてはならないとされているそうで、周囲にお住まいの方にはご苦労もおありのようです。多数の枝を四方に張り見事な傘状をした名木です。

 長くなりそうですから、ひとまずここで区切りとします。その2は、この近くにある九華はちみつ、道標、薬師堂から。 

 

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