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2020年3月 6日 (金)

20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編)

Img_5923c  3月1日に引き続き、「勝手に養老鉄道ハイキング」に行ってきました。前回は、東海道・七里の渡し跡から200mほどの、桑名市川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点をスタートし、下深谷駅まで歩きました。今日は、その続きとして、下深谷駅から美濃街道に出て、多度駅まで。冒頭の写真はよく載せていますが、奥に見えるのが多度山。この手前まで歩いたという次第。今日のところは、予告編。主な立ち寄り先を紹介します。

Img_5485c_20200306183801  養老鉄道には播磨駅から乗車。桑名駅からは大垣方向に1駅目。8時47分発の大垣行きに乗車。やって来た電車は、通称「ラビImg_5498c_20200306183801 ットカラー」リバイバル塗色の車両。この車両には、初めて乗ります。無人駅ですので、ホームにある機械から乗車票を取ります。車内で係の方が回ってこられ、料金を支払い、今では珍しいカーボン複写の「車内補充券」を受け取りました。

Img_5505c  下深谷駅は、播磨駅から1駅。8時51分に到着。ハイキングは、8時55分にスタート。駅から踏み切りの手前のImg_5512c 細い道を通って、前回通ったところまで(右の写真)。前回は、手前奥から来ました。美濃街道は右折するのですが、直進して養老鉄道の踏切を渡って、深江神社、西林寺方面に行ったのです。

Img_5516c  美濃街道を北に進みます。写真の中央に、遠く、小さく今日のゴール近くにある多度山が見え200306tado ています。これを目標に、ほぼ養老鉄道に沿って歩いて行きます。右が今日、歩いたルート。船着社から南で今日立ち寄ったところのほとんどは、一昨年4月の近鉄ハイキングでも訪ねています(2018年4月28日:20180428近鉄ハイキング「多度観音堂から美濃街道を歩き雨尾山飛鳥寺へ」(予告編))。今日のコースも、「みえの歴史街道」にある美濃街道のウォーキングマップを参照しました。

Img_5534c_20200306185701  深谷小学校を過ぎて、スタートから900mほどのところにあるのが、高野山真言宗のお寺、法光寺。山号や、由緒、詳細は不明。境内には、稲荷社があります。しかも稲荷社の社は、本堂に接続するように建っています。法光寺の背後の丘には、かつて三砂城という城館がありました。この先で、養老鉄道の線路を潜った西に薬師如来堂があるはずでしたが、竹林の奥深くで結局パス。

Img_5547c_20200306190101  1.1㎞を過ぎたところで細い川を渡ります。これが三砂川。日本武尊が東国征伐に行く途中、御衣野で休憩したとき、その庭Img_5565c_20200306190101 にこの里の五色の砂を奉ったといいます。さらに進み、1.5㎞で、森大明神社。勧請年月は不詳。主祭神は、天日方奇日方命(あめのひがたくしびがたのみこと:事代主神(ことしろぬしのかみ)の子)。相殿神は、宇迦之御魂命品田和気命大山津見神天照大神

Img_5579c Img_5606c  森大明神社のすぐ先にあるのが、真宗大谷派の明光寺。北畠氏が奥州の国司の時、奥州海老原に妙光寺を建立。北畠氏が伊勢に移ったとき、寺もここに移転し、寺号も改称しています。下野代に入ってスタートから2.8㎞のところに地蔵堂があります。明治4(1871)年に建立。お地蔵様は僧形で、左手に宝珠、右手には錫杖を持っています。

Img_5619c  この地蔵堂の西、養老鉄道の線路のすぐ西に岩井戸、大淀の松跡、石仏があります。「大淀の松跡」の石柱は、明治Img_5624c_20200306202201 31(1898)年のもの。ここにその昔、大淀の松という巨大な松があったといいます。この石柱に向かって左にあるのが、石仏と弘法大師の石像。手前にある岩井戸は、扇状地帯の地形、地質を示すのだそうですが、私にはよく分かりませんでした。

Img_5647c  地蔵堂のすぐ北には、無畏野山徳蓮寺。真言宗東寺派のお寺。ここは、弘仁11(820)年、弘法大師によって建立されました。ご本尊は弘法大師がつくった虚空蔵菩薩像で、これは7年に一度開帳されます。ちょうど今年4月4、5日にご開帳があるという掲示が出ていました。この寺には、200枚を超えるナマズなどの珍しい絵馬も奉納されています。これは、この寺が明応7(1499)年と、天正13(1586)年の2回の地震で破壊されたのですが、行方不明になったご本尊が、土中からナマズとウナギに守られた状態で見つかったことに由来します。

Img_5690c_20200306203501  下野代駅を過ぎて、野志里神社の手前、養老鉄道の西側に無量山延柳寺。天正2(1574)年、比叡山から阿弥陀仏を本尊として授与されましたが、後に真宗本願寺派に改宗。野志里神社の東にあったのですが、江戸時代後期にここに移転しています。

Img_5696c  美濃街道に戻って野志里神社(のじりじんじゃ)。垂仁天皇の御代の創始と伝わっています。倭姫命が天照Img_5720c_20200306203701 大神を奉じて美濃の伊久良河宮から尾張中島宮にお移りになり、 さらに桑名郡野代宮にお着きになり、4年間この地で宮居を造られたというのがここです。主祭神は、天照大神。相殿神は、建御雷神天児屋根命経津主神(フツヌシノカミ)など17柱。野志里神社でスタートから3.8㎞、時刻は10時5分。

Img_5730c  4.3㎞で肱江川に行き当たります。ここまで来ると、多度山がかなり近くなります。肱江橋で肱江川を渡りまImg_5747c_20200306204501 す。肱江橋を渡って、ほぼ直進するのですが、それらしい道はなく、細い階段があるだけ。地図を見直しても、この階段を降りるのが美濃街道と考えられますので、そのまま階段を降りて直進。この先で、昔の美濃街道は部分的に途絶えています(マップには群青色で示してあります)。

Img_5756c  迂回ルートから本来の美濃街道に戻ったあたりに菜の花。この先にあったみかん直売所のご主人から声をかけられ、「菜の花を撮りに来たのか?」と。左の写真のところと、国道258号線の東に菜の花畑があるようで、これが新聞に載ったため撮影に来る方が多いのだそうです。

Img_5774c_20200306205101  さらに進んで、県道26号線の手前で船着社。多度神社別宮の一目連大神が最初にここに船で着いたという伝承があります。上げ馬神事の時の御旅所になっています。主祭神は、表筒男神中筒男神、大山津見神、火之迦具土神

Img_5799c  船着社から県道26号線の下を潜って、多度町戸津の町に入っていきます。多度大社の大きImg_5807c_20200306205601 な鳥居が、県道にかかっています。この鳥居は、我が家の玄関先からも見えます。

Img_5813c_20200306210101  戸津の町の中を進む美濃街道。昭和の初めまでは人家もなく、一人歩きは恐ろしいほどであったといいます。戸津の町には、戸津村の庄屋を世襲した西田家があり、長屋門と塀があると「みえの歴史街道」のマップにはあったのですが、見つけられませんでした。コースミスをしたかと思って、あたりを回ったのですが見つかりません。

Img_5887c_20200306210501  やむを得ず、さらに進んで美濃街道が多度川に突き当たるところまで行きました。川を渡ると、多度中学校があります。左手Img_5885c_20200306210501 の方には、多度山。川口町と江戸町の境にある美濃街道の起点からは、寄り道をしなければ10.5㎞ほどのはず。ここで引き返して、尾津神社に向かいます。ただし、尾津神社という名前の神社は、多度町には小山、戸津、御衣野の3箇所にあります。このうち、戸津は古代には川湊であり、日本武尊が刀を忘れたという「尾津前」も戸津のあたりといいます。まずは、戸津にある尾津神社を目指します。

Img_5819c_20200306210901  戸津の尾津神社。戸津の氏神様。延喜式の式内社。主祭神は、倭建命。相殿神は、足鏡別命(アシカガミワケ:倭建命のImg_5836c 子)、稚武彦命(わかたけひこのみこと:第7代孝霊天皇皇子で、吉備臣(吉備氏)の遠祖。「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」と称される)、品陀和気命など8柱。

Img_5852c  戸津の尾津神社から南西に300mほど行くと、小山の尾津神社があります。主祭神は、倭建Img_5866c 命と、足鏡別命。相殿神は、大山津見神の他、不詳の神様。これで、今日訪ねようと思ったところは、ほぼコンプリート。多度駅に向かいます。美濃街道を若干もどって、西田家があるはずのところから西へ。

Img_5906c_20200306212101  多度駅には11時半に到着。スタートからは2時間35分をかけて7.9㎞を歩いてきました。桑名行きの普通電車は、12時2分までありません。大阪からいらしたという男性に出会いました。「どこも新型コロナウィルスとかで行くところがないから、人が少なそうなところに来て、多度山を登ってきた」とおっしゃいます。午後からはなばなの里へいらっしゃるとか。

Img_5915c_20200306212101  やって来た電車は、通称「赤歌舞伎」。東急電鉄で活躍した7700系。昭和37(1962)年から製造開始された、日本初のオImg_5916c ールステンレス車両です。赤歌舞伎には、初めて乗れました。桑名駅には、12時18分着、¥310。これで、桑名市内の美濃街道はほぼコンプリート。多度川から先、岐阜県境まで1㎞あまり残すのみ。一度、多度山に登りたいと思っていますので、それが実現できたら、そのときに残りを歩こうと思っています。歩数は、16,000歩あまり。帰りに桑名駅から自宅までが0.9㎞ですから、今日歩いたのは、8.8㎞ほど。

 本編はまた追々書いて、載せていきます。ただ、今月下旬以降2回の相談会を予定しており、その資料も届き始めていますから、そちらの読み込みや、アセスメントを優先しなくてはなりません。また、来年度の江戸橋での仕事の準備もありますし、市民大学郷土史学科の「城と城下町」のまとめも終わっていません。忙しい(苦笑)。勝手に忙しくしているだけですが、次の「勝手にハイキング」は濃州道(員弁街道)を歩こうと計画中。こちら、三岐鉄道北勢線に沿っています。

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コメント

ひらいさん、こんばんは。

とうとう、多度まで歩いて行きました(微笑)。
近鉄も、JRもイベントが中止ですので、一人ハイキングです。

アイカンというのは、船着社あたりですね。
なるほど、野鳥が集まるとはいいことを聞きました。

戸津の町中で「こんな細い道が美濃街道か?」と心配になって、出遭った人に確認したら、「えっ? ここ街道なの?」と逆に聞かれました。

多度山、一度は登ろうと思っています。
足腰が立たなくなる前に達成しなければなりません(笑)。
いくつかルートがあるそうですから、よく調べないといけませんね。

養老鉄道の新しい(?)車両、緑歌舞伎も、赤歌舞伎も乗ってきました。
ひのとりも見てみたいですねぇ。

投稿: mamekichi | 2020年3月 7日 (土) 18時38分

mamekichiさん、こんにちは!

この辺りは、自分も自転車で行った事が有る所なので、良く知っている場所が多く楽しめますね。アイカン周辺の田んぼは、夏頃には多くの野鳥が集まって来ます、小山の尾津神社は、自分も良く行く所です。(位置情報ゲームで遊ぶ為に(笑))
多度山は標高400m程ですが、山頂まで歩いて登るのは結構大変でした。それでも山頂到着時の開放感は素晴らしかったです、眺めも良いですよ。
養老鉄道、どんどん車両が更新されているようですね、3両編成は何度か撮影しましたが、2両編成は一度も撮影しておらずです、あと以前センロクと呼ばれていた4号機が、京急色になったのも撮影してないので、そろそろ行かなければと思っております、後は近鉄ひのとりも見たいですね、ひのとりは道後温泉繋がりですし。

投稿: ひらい | 2020年3月 7日 (土) 15時10分

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