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2020年2月 6日 (木)

20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(補遺編)……比佐豆知神社と四天王寺

20200201jrwalkingtsu  2月2日に行ってきたJRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」の「補遺編」です。この日のコースは、過去に訪れたところがほとんどでした。初めて行ったのは、比佐豆知(ひさずち)神社のみ。そこで、今回は、比佐豆知神社で見たものと、四天王寺で前回見忘れたところを中心に「補遺編」として書くことにしました。

20200202jrwalkingtsu1 20200202jrwalkingtsu2  比佐豆知神社は津市鳥居町、津駅からは徒歩で15分足らず、四天王寺は津市栄町1丁目にあり、津駅から徒歩10分。いずれも津駅に近いところにあります。左は、実測ルートマップその1、右はその2です。その1のマップの下(南)にその2が続きます。

Img_0471c  まずは、比佐豆知神社。予告編と重複するところもありますが、ご了承ください。社宝の高麗狛犬に記されてある年号によると、およそ1,300年前から現在の地に祀られているといいます(これは、社頭にあった由緒書きによっていますが、「高麗狛犬」という表現は意味不明。「こまいぬ」は、「狛犬」と書くのが多いのですが、「高麗犬」と書くこともあります)。延喜式内社。藤堂家からは、代々御供米等が寄附され、毎年の大祭には、藩主を始め領内の人民多数の篤い崇敬があったそうです。

Img_0488c_20200202175401  主祭神は、火之迦具土神(火の神)。相殿神は、伊邪那美命天照大御神建御名方神品陀和気命菅原道真宇迦之御魂命大山祇命建速須佐之男命天之菩卑能命(アマノホヒノミコト;天照大神の子)、天津日子根命活津日子根命天之忍穂耳命多紀理毘売命多岐都比売命市寸島比売命。実にたくさんの神様がいらっしゃいます。明治の神社合祀令によってたくさんの神社がここに合祀されたためかも知れません。三重県下では、このとき県内の神社全体の9割が廃されたといいます。ずいぶん乱暴なことをしたものだという気がします。

Img_0484c Img_0483c_20200202190901  比佐豆知神社にはいろいろ興味深いものがありました。まずは狛犬。由緒書きにあった「高麗狛犬」はこれを指すのだろうと思います。なかなか珍しい狛犬。狛犬ファンの間では、その髪型から「クレオパトラ狛犬」といわれるようです。こちらのサイトによれば、神殿狛犬のレプリカのようです。本物はかなり古いもので、本殿の奥に保存されているそうです。

Img_0490c_20200205063701  拝殿には、祀られている神様の一覧が、それぞれどのような神様でいらっしゃるかの説明と共に掲げられていました。そこには、境内社の説明もありましたし、また、Img_0492c その下には御由緒もあり、これは神社好きにはありがたい。

Img_0496c_20200205080401 Img_0498c_20200205080401  拝殿内にはこちらの書も掲げられていました。「稲荷山下……」は読めましたが、あとは気力が続かず(苦笑)。しかし、大丈夫。傍らにきちんと説明がありました。これは、あの斎藤拙堂に関わるものでした。斎藤拙堂(寛政9(1797)~慶応元(1865)年)は、江戸時代後期の儒者。文政3(1820)年、津藩校有造館の学職となり、郡奉行などを経て、弘化元(1844)年、藩校督学になっています。歴史・文章に秀でた人。

 ちなみに、文章は「稲荷山下新居を卜(ぼく)す/新主は吾たり旧主は狐/吾れ豈(あ)に墩(とん)を争わんや王介甫と/半山(はんざん)は汝に属し 半山は吾れたり」。その意味は、「稲荷山の麓に新しい家を建てた。新しい主人は私だが、旧主人は狐さんだ。私はこの小高い丘のことで争った王介甫とおなじようなことはしませんよ。半分は狐さんのものであり、半分は私のものだから」。

Img_0511c  斎藤拙堂がここに住んだことについて、境内にもそれに関わるものがあります。この写真は、「拙堂先生山荘遺址」という石碑。「江戸末期津藩儒拙堂 斎藤正謙 晩年別墅茶麿山荘を神社西隣に設く 其の学識詩文一世を風靡し四方の人士来訪する者殆ど虚日無しと云ふ/平成廿八年八月/玄孫斎藤正和識并書」とあります。

Img_0526c Img_0513c  また、上記の詩文にも「稲荷山」とありますが、そのお稲荷さんもここにあります。傍らに立つ説明板には、「茶麿山上・弧王の祠」というタイトルで、「江戸後期の儒学者・斎藤拙堂(1797~1865)が晩年を過ごした茶麿山荘での詩の中に詠われている稲荷社がここに有ります」と書かれ、上掲の詩文がその続きとともに載っています。斎藤拙堂は、慶応元(1865)年に69才で没しましたが、このあと訪ねた四天王寺に葬られています(2019年9月10日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その1)……津駅をスタートし、四天王寺へ)。また、この日先に行ってきた津偕楽公園には、「拙堂斎藤先生碑」があります(20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)拙堂の詳しい業績、門人については、ここに説明がありますが、門人にも優秀な人物が多かったようです。

Img_0504c  その他の境内社。まずは「祖先の社(みおやのやしろ)」。これは、氏子崇敬者の神徒や、比佐豆知神社にとくに信仰の篤いImg_0524c 方の御霊を祀ってあります。毎月24日の命日祭の他、春分の日、秋分の日に慰霊祭が執り行われるとありました。右の写真は、山の神。8柱が集められていました。

Img_0526c  こちらは、「白龍大明神」。商売繁盛、子育て、子授け、縁結びの神だそうです。松下幸之助が松下電器の守護神として祀っていたという話があります。龍神様ですから、水の神様かと思ったのですが、龍神様にもいろいろといらっしゃるようです(こちら)。

Img_0476c  そして、ここ比佐豆知神社の隣には、三重県神社庁がありました。役所のような名前ですが、役所ではありません。三重県内の神社を統括する団体。三重県には、神社庁傘下の神社は815社あるそうです。

Img_0662c Img_0671c_20200202195101  続いて、四天王寺。ここは、9月7日の近鉄ハイキングお伊勢さん参りハイキングで訪ねました(2019年9月 7日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(予告編))。このときにほとんど見て回ったと思ったのですが、しっかり見ていないところもありました。

Img_0679c_20200206072601  まずは鐘楼。前回は、裏から見ただけできちんと写真を撮らなかったのです。昭和20(1945)年の戦災で焼け残ったのが、Img_0682c この鐘楼の他に総門、中雀門です。鐘楼に向かって右手前には石碑があり、「史跡 地蔵堂跡/平景清鎧掛松/定行書」とありました。碑の裏には何も説明がありません。ネット検索では十分な情報が得られませんでしたが、「平景清鎧掛松」については、「津市案内記」(津市役所発行)と「津市郷土読本」(津市教育会)には、「四天王寺の七不思議として、『血天井・景清鎧掛松・亀の甲の三尊像・蛇の鱗・薬師堂の瓦・風呂神・生佛』がある」とされているようです(こちら)。景清は、平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平景清と呼ばれますが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいいます。「悪七兵衛」(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛であったそうです。平景清については、あちこちに伝説が残り(こちらを参照)、桑名市志知にも「景清屋敷跡」があります。

Img_0673  山門に向かって右手には、お堂が2つありました。左の写真は山門すぐ脇にある地蔵堂。こちらのサイトによれば、これは「目洗地Img_8354c_20200206115301 蔵」というとありますが、前回来たときに撮影してきた、本堂前の境内図では、目洗地蔵は本堂に向かって左手にあるとされており、この場所には「四天王稲荷」が描かれています。ただし、この境内図もいつ描かれたものかは不明です。

Img_0676  もう一つのお堂。中をきちんと確認してこなかったのですが、写真を拡大してみる限り、地蔵堂のように思えます。けっこう大きなお寺で、いろいろ見るところもありましたので、きちんとすべてを確認するにはゆっくりと回ってくる必要がありました。やはり下調べは重要なのですが、ネット検索や、一般的なガイドブック、案内書(三重県内については、「三重県の歴史散歩(山川出版)」などを参考にします)では、細かいことまでは分かりません。地元の自治体、教育委員会などが発行する資料を見れば良いのですが、そこまで徹底するのは大変。今は、あちこちで「案内人」の方がいて、説明してくださいますので、そういう方に伺うのがよいかも知れません。

 ということで、調べが十分行き渡りませんでしたが、2月2日のJRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」の補遺編を終えます。

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