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2020年2月 4日 (火)

20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その1)……清水緑地、高札場跡、加納城大手門跡、加納城跡と「屋敷神」

20200201jrwalkinggifu  2月1日に行ってきたJRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」のその1です。この日、桑名では最高気温9.7℃でしたが、風は最大7.1m/sとかなり強く、風に当たると結構寒く感じる日でした。歩いた岐阜も似た感じで、手袋を填めたり、外したりしていました。加納は岐阜市内ですから、これでウォーキング/ハイキングもめでたく岐阜初進出!となりました。今回参加したのは、「城下町」というのと、「中山道」というところに興味を引かれたからです。街道には興味がありますが、中山道にとくに惹かれた次第。ちなみに、岐阜は、最近でこそ年に1~2回、東海地区K-ABC研究会で岐阜大学へ行きますが、町にはあまり馴染みはありません。20代の頃に2~3回来たくらい。畏友・M氏と同行二人。

Img_0179c  この日の受付は、JR岐阜駅で8時半から11時。桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋には8時56分に到着。東海道線に乗り変えます。9時4分発岐阜行き普通電車に乗車し、岐阜駅着が9時32分。料金は¥350+¥470で、計¥820。「プラス」としているのは、名古屋駅でいったん改札を出て、すぐにまた入場したのです。通しでで支払うと、¥920ですから、片道で¥100お得。生活の知恵(微笑)。

200201jrwalkgifu0  コースマップは冒頭に示したとおり。岐阜駅南口から清水緑地、加納城跡、玉性院、加納天満宮、芝生広場で丸窓電車を見て、岐阜駅北口にゴール。コースマップ上約6㎞とありましたが、実際に歩いたのは、5.7㎞。9時35分過ぎにスタートして、11時25分にはゴールと、2時間足らず。「家族向き」とありましたから、これくらいなのでしょうが、普段散歩している距離よりもやや短めでしたし、立ち寄るところも多くなく、ちょっともの足らない感じでした。

200201jrwalkgifu1  こちらは、詳しい実測ルートマップその1。岐阜大学に行くときは、北口にあるバスターミナルからバスに乗りますので、南口は、初めて降り立ちました。中央南口を出て最初の目的地は、駅からすぐの清水緑地。清水川沿いに歩いて、高札場跡。そこで右折して南へ。岐阜大学付属小中学校の手前に加納城大手門跡があります。マップには、加納城跡から戻ってくるルートもありますが、それはまたあとで。

Img_0187c  この日、コースマップは、改札口を出たところで配られていましたが、いつもの「スタート看板」がどこにあるか分からず、Img_0192c_20200204063401 確認しないまま過ぎてしまいました。ちょっと失敗。岐阜駅の出口から150mほどのところから清水緑地があります。ブラブラ歩きながら、季節を感じられるビオトープになっています。清水川に沿っていて、桜並木もあります。ホタルやカワニナ等が生息できる池やせせらぎもあり、ホタルも楽しめるようです。照明や、護岸のつくり方も環境に配慮されています。野鳥も観られるとありましたし、かわざかなもいろいろいるということです。駅の近くにこういう緑地があるのは羨ましい。ネットで調べたところ、カワセミもいるということが書いてありましたが、今日はハクセキレイやヒヨドリだけ。

Img_0194c  左は、清水緑地で駅の方を振り返って見た写真。本当に駅の目の前でした。途中、国道157号線の橋のところには、今日のタImg_0199c イトル「節分の巨大鬼が立ち並ぶ」にもある、巨大赤鬼です。交通安全に関わる内容が書かれたたすきを掛けていましたこれは、あとから訪ねる玉性院の節分の赤鬼。

Img_0206c  清水川の右岸、左岸を往き来しながら下っていき、スタートから800mほどで中山道に行き当たります。清水川にかかる広井橋のたもとに「高札場跡」。加納藩高札場があったところ。その昔勤めていた病院の職員旅行で馬篭宿などに行きましたので、「初中山道」ではありませんが、あの頃は「旧街道」などほとんど意識していませんでしたから、気分的には、初めてという感じ。写真奥からこちらに来る道が中山道。

Img_0204c_20200201165601  ここは加納城大手門の北で、「宿御高札場(やどごこうさつば)」と呼ばれ、加納藩の高札場の中でももっとも大きく、石積の上に高さ約3.5m、幅6.5m、横2.2mもあるものだったといいます。正徳元(1711)年に「親子兄弟の礼」が掲げられて以来、明治に至るまで使われていました。この高札場跡で右折し、加納城跡を目指し、少しだけ中山道を歩きます。

Img_0212c  高札場跡から100mほどで加納大手町の交差点に来ます。ここに加納城大手門跡という石碑が建っていました。昭和62(1987)年3月に建立されたもの。 門前は、かつては広小路と呼ばれていました。今は、民家が並んでいます。このすぐ西に大正時代に建てられた旧加納町役場があったのですが、老朽化が進み、平成28(2016)年に取り壊されています。ネットで調べていて、見たいと思ったのですが、すでに遅し。

200201jrwalkgifu2  ここから実測ルートマップは、その2。加納城大手門跡を過ぎ、岐阜大学教育学部付属小中学校や、岐阜市立加納小学校の前を通ります。道の反対側には岐阜聾学校。加納城跡に行き当たりますが、東側をグルッと回って、城跡に入っていきます。城跡を南から北に通り抜け、市街地を抜け国道157号線を北上していきます。

Img_0217c

 岐阜市立加納小学校の正門は、赤門として知られているそうです。観光案内のパンフレットには、ここは日本最古の小学校とありました。明治5(1872)年9月、旧加納藩藩校「文武館」が起源である憲章学校と、加納藩内の寺子屋を起源とする曲成義校が開設されました。憲章学校は士族、曲成義校は平民が入学したといいます。その後、 曲成義校が沓井小学校に、また、憲章学校が加納小学校にそれぞれ改称されたのち、明治28(1895)年に両小学校が合併し、新しい加納小学校となったといいます。憲章学校、曲成義校から数えると、今年で創立148年となります。正門は「赤門」と呼ばれ、岐阜の宝100選の1つになっています。ちなみに、松本氏にある旧開智学校が、日本最古の小学校として有名ですが、こちらの創立は、明治6(1873)年5月。

Img_0221c_20200204154801  スタートから1.3㎞で加納城跡(加納公園)に行き当たります。左の写真が、行き当たったところで、これは本丸北側の石垣Img_0228c でした。野面積みとなっています。加納城跡へは、南側から入るため東側を回っていきます。加納公園東にあるグラウンドの南に「ライオンにまたがった少年」の像がありました。あらかじめあれこれ調べて行きましたので、これがあるというのが分かっていたのですが、さもなければ全く気づかないところでした。これは、奥平家第17代当主奥平昌信氏が、先祖の偉業を偲ぶために昭和30(1955)年10月に寄贈したもの。彫刻の作者は、日展作家・小笠原安兵衛。昭和62(1987)年6月までは、岐阜市長良岐阜県総合運動場に設置されていましたが、同年7月、奥平氏関係地である加納城に移されました。昌信氏が、生前ライオンが好きで、児童に将来への夢を託すというアイディアで小笠原氏に相談を持ちかけたといいます。

Img_0230c  ライオン像の隣には、「加納領牓示石(ぼうじいし)」がありました。「牓示(ぼうじ・ほうじ)」とは領地の境を示した木の杭や石柱のこと。この石柱は、江戸時代に加納藩の領地を示すために建てられたものです。石柱には「従是東、道半分南加納領」と刻まれていますので、加納藩領地の北西部に立っていたと考えられます。関市(旧武儀郡洞戸村)の船戸家に移されていたものが寄贈されました。

Img_0238c  さて、いよいよ加納城跡へ。南の入り口で1.8㎞、時刻は10時5分頃。国指定史跡。慶長5(1600)年、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、西に備えるための要衝とImg_0244c して、本多忠勝に城を築かせたのが加納城の起源とされます。しかし、それ以前に、この地に上加納城があったという説もあります。城郭は、本丸・二の丸・三の丸・厩曲輪・南曲輪を備え、岐阜城から天守閣を移築するなどして、櫓・城門・居館等を整えたそうです。当時の城としてはかなりの規模の平城で、慶長6(1601)年、奥平信昌が10万石の城主として、この地に封じられました。その後、城主はたびたび交代しましたが、宝暦6(1756)年に永井直陳が入封し、永井氏6代で幕末に至っています。北側の清水川を利用して堀が築かれ、その周囲には侍屋敷が設けられていた。現在は、本丸跡を中心に、加納公園となっています。ここを訪ねたときは、本丸跡の広場でグラウンド・ゴルフが行われていました。ちなみに、奥平信昌の妻は家康の娘・亀姫です。

Img_0260c  このあとは、住宅地を通り抜けて、国道157号線に出て北に向かいます。住宅地や、国道沿いで珍しいものを見つけました。Img_0262c_20200201172601 家の前や角に小さなお社が祀られているのが目立ちました。気づいただけで、合計3個所。「屋敷神」といってよいのかな、と思います。屋敷神は屋敷およびその土地を守護する神で、屋敷の裏や敷地に付属した土地もしくはやや離れた山林などに祀られます。家との関わりが深い神であるが、神棚ように屋内には祀られません。屋敷神を祀る信仰は、浄土真宗の地域を除いて全国に分布しているといいますが、岐阜のこのあたりでもそうなのかは不明。屋敷神の起源について、明確なことは分かっていないようですが、農耕神・祖先神と同一の起源を持つ神だといわれています。

 名古屋でも、昔の面影が残る町には、民家の屋根に設けられた小さな祠(ほこら)があり、これは「屋根神」あるいは「屋根神様」などと呼ばれます。「軒の神様」、単に「神様」などと呼ばれることもあり、場合によっては軒下や台の上などで祀られているものもあります。まつられる。屋根神は明治初期から始まり、昭和初期に広まったと考えられています。津島神社、熱田神宮、秋葉神社の三社が祀ってあることが多く、屋根神は住居が密集した下町で祀られています。秋葉神社は火難除けで、また、津島神社は疫病を防ぐ天王信仰で有名ですから、火難や疫病除けの信仰に熱田神宮の信仰も加わった神様として屋根神様は祀られたと考えられています。となると、岐阜の加納で見つけた「屋敷神」とは性質は異なるとおもいます。

 ここで区切りが良いので、その1はここまで。その2は、加納宿本陣跡・和宮歌碑から。

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