« 20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その1)……清水緑地、高札場跡、加納城大手門跡、加納城跡と「屋敷神」 | トップページ | ミュージアム・ツアーin菰野&四日市【頑張れ受験生! サクラサクきっぷの撮影スポット@大羽根園駅について付記しました(2/6)】 »

2020年2月 5日 (水)

20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その2)……加納宿本陣跡・和宮歌碑、玉性院、加納天満宮、繊維問屋街を経て丸窓電車を見て「完」

200201jrwalkgifu3

 2月1日のJRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」の本編、その2です。その1では、加納城跡を見てから、国道157号線に出ました。その途中、「屋敷神」と思われる、小さな祠がありました。実測ルートマップはその3。加納宿本陣跡・和宮歌碑に立ち寄り、玉性院、加納天満宮にお参りして、再び中山道をしばらく行きますが、その途中には目的地はありません。JR岐阜駅の西あたりで右折し、中山道から離れ、JR東海道線の高架をくぐって駅の北側へ。

Img_0265c_20200201173101  加納城跡の次に指定された目的地は、玉性院でしたが、予習の結果、この手前に加納宿本陣跡・和宮歌碑があることが分かって いましたので、寄り道。民家の玄関先にひっそりと立っています。石碑正面には、「中山道加納宿本陣跡」とあります。慶長6(1601)年に徳川家康の命により岐阜城が廃城となり、代わりに加納城が築城され、宿場は城下町としての役割も兼ね発展しました。しかし、豊臣家が滅ぼされてからは、西国に向けた守りという意義は低下し、宿場町として栄えたといいます。

Img_0266c Img_0268c_20200204165701  石碑の左面には「皇女和宮御仮泊所跡」とあります。ここに加納宿の本陣があり、皇女和宮も宿泊されたということです。和宮(弘化3(1846)~明治10(1877)年)は、仁孝天皇第8皇女、孝明天皇の妹。嘉永4 (1851) 年、有栖川宮熾仁親王と婚約したのですが、ペリー来航、日米修好通商条約の調印、安政の大獄、桜田門外の変と尊王攘夷運動が激しくなる中、公武合体論が台頭し、第14代将軍家茂に降嫁することとなり、文久元 (1861) 年10月20日、京都桂御所を出発。江戸に向けて中山道を下る途中、10月26日に加納本陣の松波藤右衛門宅(この地)に宿泊されたのです。奥にある歌碑には、そのとき読まれた歌が、和宮の直筆で刻まれています。「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」とあり、和宮の心情が偲ばれます。歌碑は、平成14(2002)年6月、中山道加納宿文化保存会が建立。

Img_0274c  この先には、脇本陣跡、問屋場跡もあったのですが、それらはパスして、コースマップに指定されたルートに戻りました。本Img_0282c 陣跡・和宮歌碑があった通りの1本先で左折し、東光山玉性院(とうこうざんぎょくしょういん)へ。ここで約3㎞、10時25分。かなり速いペース。。玉性院は、真言宗醍醐派の寺。慶長年間(1604~14年)創建と伝わる寺院。毎年節分に「節分つり込み祭り」が開催され、多くの人でにぎわうそうです。ご本尊は、不動明王庚申青面金剛秋葉三尺坊大権現弘法大師聖天

Img_0278c_20200204171501  「節分つり込み祭」は、赤鬼にふんした厄男を神輿に、おかめにふんした厄女を御所車に乗せ町内を練り歩いた後、本堂に担ぎ込み、おはらいをして無病息災を祈る行事。クライマックスは赤鬼が担ぎ手の中に飛び込み、もみくちゃにされながら本堂につり込まれるのだそうです。街中にも大きな鬼があちこちに出現するのも節分の時期の岐阜の名物になっているといいます。その1に載せた、清水緑地での写真の1枚にも、大きな赤鬼が写っていました。

Img_0353c_20200201182501  玉性院の隣が加納天満宮。文安2(1445)年、斎藤利永が加納の東南に沓井城(旧加納城)を築き、その守Img_0304c 護神として天満宮を勧請しました。記録によれば創始はさらに古く、それより100余年以前からすでに吉田郷(広江川の北方、上加納の地)に祭祀されていたといいます。その後、城主・斎藤道三稲葉山城に移り沓井城は廃城となったのですが、天満宮は住民たちによって厚く奉斎されました。慶長5(1600)年の関ケ原戦後、徳川家康は、岐阜城(旧稲葉山城)を廃し、加納城を構築し、その際に天満宮が城廓内に入ったため、新しい加納城鎮護の神として、慶長6(1601)年、これを広江川(清水川)を背にした閑静な現在地に遷座しました。これが加納天満宮の起源です。加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住人たちの信仰は厚く、現代にまで受けつがれています。御祭神は、菅原道真公。

Img_0317c  神社の公式サイトには、摂社・末社については詳しい説明がありませんが、拝殿の北東に福寿稲荷と津島神Img_0319c_20200204172501 社がありました。これらの他、神社のサイトにあった、摂社・末社は次の通り:

 

  • 八幡神社(祭神:応神天皇、慶長13(1608)年、奥平信昌の正室亀姫により勧請、明治42(1909)年、水野町より合祀)
  • 春日神社(祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)、沓井町より合祀)
  • 出雲神社(祭神:大国主命、天保4(1833)年、永井肥前守尚佐が加納城に勧請、明治42(1909)年に合祀)
  • 神明神社(祭神:天照大御神
  • 市神神社(祭神:大市姫命(おおいちひめのみこと);市神
  • 白太夫神社(祭神:渡会晴彦(春彦?):伊勢神宮の神職。白太夫ともいい、道真の死をみとったという伝承がある)
  • 福寿稲荷神社(祭神:宇賀御魂神
  • 御鍬神社(祭神:豊受大神
  • 津島神社(祭神:素佐之男尊
  • 事代主神社(祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと))
  • 老松神社(祭神:島田忠臣:娘の宣来子(のぶきこ)が道真の妻となった)
  • 紅梅神社(祭神:五十川能福(詳細は不明))

Img_0323c_20200204172501  さらに、以前、「神社はワンダーランド」と書いたことがありますが、ここ加納天満宮にもいろいろな石碑、記念碑がありました。まずは、「明治卅七八年戦役祈念碑」。これは、日露戦争戦勝を記念したもの。碑表には、「明治卅七八年戰役 紀念碑/希典書」と、また、碑陰には「當役第三軍司令官/陸軍大将乃木希典君表書/明治四十年紀元節日建之 加納尚武會」とあります。あの乃木希典が書いたものを刻んでいるということ。

Img_0329c  その隣には、「殉国慰霊碑」。碑表には、「殉国慰霊碑/靖国神社宮司 筑波藤麿」とありImg_0331c ます。碑陰には、建立の趣旨が刻まれていました。日清戦役~大東亜戰争に至る英霊の功績を顕彰するため、昭和34(1969)年5月に加納殉國慰霊碑建設委員が建てたとあります。この慰霊碑には600余柱の戦没者が合祀されているそうです。さらにその南には、「村澤源市翁像」。村澤源市は元加納町長で、この加納天満宮の戦災復興に功績があり、有志により昭和29(1954)年10月に建立されたもの。

Img_0334c_20200204172501  さらにこれは面白いと思いましたし、最初は何の碑かよく分かりませんでした。「傘祖彰徳碑(さんそしょうとくひ)」。加納は、和傘の生産が盛んでしたが、加納に和傘を興した元祖である加納藩主松平丹波守光重頌徳の碑です。松平光重が、寛永16(1639)年、播州明石から加納城主となった時に傘職人を連れて来て傘の製造に従事させたのが始まりといいます。昭和37(1962)年11月の建立。加納傘の伝統は今も受け継がれ、近年は美術品として海外へ輸出もされています。

Img_0339c  このほか、筆塚、扇塚などもあります。筆塚は、廃筆を焼き、灰を埋めて筆霊をまつるもので、昭和60(1985)年11月建Img_0341c 立。これは天満宮であるからなのでしょう。4月に筆塚祭りが行われます。塚の前に筆を納めるところもありました。扇塚は、日本舞踊の女性らが扇を納めて舞踊の上達を祈るもので、昭和39(1964)年4月建立。加納天満宮のサイトには、花柳素和という名前がありました。詳細は不明でしたが、日本舞踊の花柳流と関連があるのでしょう。このほか、「岐阜県ボーイスカウト運動発祥の地」の石碑もありました。

Img_0359c  加納天満宮から南西に100mほど行くと、また中山道に出ます。ここからは700mほど中山道を歩いて行きます。ここにもImg_0361c_20200204193801 「屋敷神」らしき祠。謎は十分には解明し切れてはいませんが、ネット検索では限界があります。地元の文献を入手すればもう少し分かるのでしょうが、それには自ずと限界があります。

Img_0366c  加納天満宮から県道187号線を渡った西側で、秋葉神社。御祭神は、軻遇突智神。ただし、社頭には、由緒書きなどは何もなく、私もそのまま通り過ぎましたので、詳細は不明。加納宿の街中でしょうから、火難除けに勧請されたものかという気がします。このあと、中山道を加納本町9丁目まで進みます。ここで右折するのですが、この近くに「加納宿西番所跡」があるはずでしたが、しかし、見つけられず。もう少し先にあったのかも知れません。

Img_0370c  加納本町の8丁目と9丁目の境で、右折し、JR岐阜駅西のJR東海道線の高架橋を潜ります。この先はあまり見るところはないのですが、繊維問屋街を通りました。20代前半の頃、母親が「背広を買いに行こう」といって、岐阜まで来たことがありました。あの当時、この地方で繊維問屋街があり、それなりにリーズナブルな価格でスーツが買えるといえば、名古屋の長者町繊維街か、ここ岐阜の繊維問屋街だったと思います。まだ今のように「スーツ」といういい方はしていませんでした。名鉄で当時の「新岐阜駅(現在は名鉄岐阜駅)」まで来て、少しだけ歩いて「繊維問屋街」というところに行ったと思います。もう詳しいことは覚えていませんが、このあたりだったのかも知れません。今は、シャッターが閉まっているところがかなりあり、寂れてきてしまっています。このあとは、JR岐阜駅の北側の飲食店街などを通ったのですが、このあたりは、県道54号線をバスで通るくらいで、土地勘がありません。

Img_0406c_20200205045001  JR岐阜駅の北側に来ました。丸窓電車を見るのですがその前に、私としては、ここに来たら必ず見なければならないものがあります。そうです、金ピカの織田信長像です(微笑)。この金ピカ像は、岐阜市制120周年を記念し、平成21(2009)年9月26日に市民の寄附によりJR岐阜駅北口前広場に建立されました。台座までの高さは約8m、像の高さは約3mで金箔3層張りとなっており、マントを羽織り、右手に種子島(鉄砲)、左手には西洋兜を持っています。

Img_0404c_20200201193601 Img_0401c  そして、芝生広場にある丸窓電車。戸袋窓が楕円形状、いわゆる「丸窓」であったことが特徴で、「丸窓電車」の愛称で親しまれました。正面の形が半円筒型で、5枚窓となった半流線型車体でなかなかカッコイイと思います。去年12月22日に東海地区K-ABC研究会で岐阜大学に来たときにバス停から見つけました(2019年12月22日:冬至の今日は、岐阜で研修会の講師……織田信長公金ピカ像を見て、鶏ちゃん炒めランチを堪能し、肝心の研修はいかに?)。「モ513」という形式で、かつて、旧名鉄岐阜市内線(平成17(2005)年4月に全線廃止)を路面電車で走っていた車両です(名鉄資料館の「廃止から10年・岐阜の電車(平成27年 春季特別展)」も参照)。昨年(令和元(2019)年)11月16日に岐阜市金町の金公園からここに移設されました(こちらの岐阜新聞のサイトをご覧ください)。この電車は、大正15(1926)年に製造されており、楕円形の窓が特徴で、このため「丸窓電車」と呼ばれます。平成17(25005)年の廃線まで約80年活躍していました。平成31(2019)年3月に岐阜市の重要文化財に指定されています。

Img_0398c_20200201193601 Img_0396c  車内も見学できましたので、せっかくの機会ですから見てきました。左は運転席。かなり狭いのです。運転士用の座席はあるものの小さなものでした。右は車内の様子。オリジナルではロングシートでしたが、昭和42(1967)年に岐阜市内線と揖斐線との直通運転が開始されるに当たり転換式のクロスシートになっています。このとき他にもいくつかの改造が施されました。

Img_0408c_20200205051501  これでこの日の目的地はコンプリート。すぐ目の前にあるJR岐阜駅のゴールに向かいます。ゴール受付は駅Img_0409c のコンコースに設けられていました。ゴールに着いたのは、11時25分。歩いたのは、5.7㎞。スタートしたのが、9時35分でしたから、1時間50分歩いたのみ。「もう着いた、早かったな」というのが実感。

Img_0412c

 恒例のゴール看板&完歩記念パネルの撮影も忘れずにしてきました。JRさわやかウォーキンImg_0432c_20200201195101 グのスタンプは、4個目をゲット。前年より速いペースで、いい感じです。

Dscn2462c  11時半ですから少し早いものの、昼食を摂って帰ることにしました。昨年12月22日に岐阜Img_0418c 大学に来たときに行った「赤い鳥」(左の写真、ただし、昨年12月22日の撮影)を覗いたら、「飛騨牛コロッケランチ」がありましたので、これをチョイス(税別¥800)。

Img_0426c_20200201195101  帰りは、岐阜駅を11時53分に出る豊橋行きの新快速に乗車し、名古屋駅に12時13分着。関西線は、12時37分に快速みえがありましたので、それに乗り換え。桑名には、12時57分着。行きと同じく、名古屋駅で途中下車して、合計¥820。歩数は、15,344歩でしたが、帰宅したときに写真を撮り忘れ、この歩数には帰ってから動いた分も含まれています。

 

|

« 20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その1)……清水緑地、高札場跡、加納城大手門跡、加納城跡と「屋敷神」 | トップページ | ミュージアム・ツアーin菰野&四日市【頑張れ受験生! サクラサクきっぷの撮影スポット@大羽根園駅について付記しました(2/6)】 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

散歩」カテゴリの記事

神社」カテゴリの記事

寺院」カテゴリの記事

歴史散歩」カテゴリの記事

JRさわやかウォーキング」カテゴリの記事

名所旧跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 20200201JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」へ(その1)……清水緑地、高札場跡、加納城大手門跡、加納城跡と「屋敷神」 | トップページ | ミュージアム・ツアーin菰野&四日市【頑張れ受験生! サクラサクきっぷの撮影スポット@大羽根園駅について付記しました(2/6)】 »