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2019年12月23日 (月)

20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(その1)……近鉄名古屋駅地下改札前をスタート、宝くじ名駅前チャンスセンター、ナナちゃん人形、後藤新平宅跡から日出神社、那古野山古墳、富士浅間神社、まねき稲荷、清寿院の柳下水へ

 予告編だけ取り敢えず書いて、そのまま放置してありましたが、12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」の本編にようやく着手できます。10月頃から続いた、「私にしては多忙期間」もほぼ終わりであります。この間、他ごと(仕事です)に気を取られ、時間を取られていましたので、記憶があやしくなっています(苦笑)。長期記憶にしっかり保持する前に、妨害刺激の影響を受けてしまった、ということかも(屁理屈、講釈)。記憶を取り戻す努力をしつつ、ゆるりと書いて行きましょう。

Img_2898c  前日の夜、当日の朝といささか仕事をして、それなりにそれらを片づけていました。ちょっと無理矢理という感もありましたImg_2904c_20191215183801 が、仕事の方はまた頑張ることにして、出かけてきました。「気分転換も必要」という屁理屈。受付・スタートは、近鉄名古屋駅、地下改札口前で、9時半から11時。桑名駅を8時46分に出る名古屋行き準急に乗車。名古屋着は、9時17分。¥450。着いたときにはすでに受付が始まっていました。

Img_2911c  こちらがこの日のコースマップ。近鉄名古屋駅をスタートし、大須古墳群、名古屋 菓子処「不朽園」、断夫山191215kintetsuhikingnagoya 古墳、白鳥古墳、熱田神宮と回って、名鉄・神宮前駅がゴール。名鉄で名古屋駅まで戻るということ。コースマップを受け取り、スタートしたのは9時半。右の画像は、今日の実測ルートマップ。近鉄名古屋駅から南に向かい、大須で那古野古墳。熱田神宮公園で断夫山古墳と白鳥古墳。その後、熱田神宮にお参りし、名鉄・神宮前駅がゴール。両方の地図をよく見比べていただくと、実際に歩いたルートでちょっとインチキというか、ショートカットいうか、しております。「不朽園」に立ち寄ることになっていたのですが、「和菓子はまぁいいか」と思って、立ち寄らず、近道をしたのです(苦笑)。「ズルい」といわれればその通りなのですが、「臨機応変な対応」ともいえます(屁理屈こき故、ご容赦を)。

191215kintetsuhikingnagoya1  こちらは、実測ルートマップその1。スタート地点は地下にありますし、地上に出たあたりもいろいろとありますから、その辺は概略図。大須方面へ向かいます。大須へ行けるというのは知識としては理解しているものの、ホントに歩いて行くのかいな? と思いつつ歩きました。

Img_2927c  地下改札前からサンロード方面に向かい、階段を登ったところで右折し、名鉄名古屋駅方面へ出ます。名鉄名古屋駅の北側とImg_2930c いうことになります。この写真で横断歩道を渡って、左手に向かうとあの有名な「宝くじ名駅前チャンスセンター」があります。サイトを見ると、「1億円以上の高額当せんがなんと「268本」「総額454億円」に!」とありました。この日は、大安ということも関係するのか、超大賑わい(普段がどれくらいか分かりませんが)。「買わないという選択肢はない」と鶴瓶さんがいっていますが、私はたぶん買いません。300円しか当たったことがないのです。300円というのは、何というかベーシックインカムのようなもので、必ず当たりますから(苦笑)。「ヘェ~、すっげぇ」と思いつつ、人混みを避けて通過。

Img_2944c  名鉄名古屋駅の角を右折し、南へ。昔の「名鉄セブン」の前(昭和47(1972)年オープン。平成18(2006)年に「名鉄ヤング館」と改称後、平成23(2011)年に閉鎖。余談ですが、昭和47年は高校3年生、平成23年は退職した年)、今は、ヤマダ電機LABI名古屋のところに「ナナちゃん人形」。名古屋では有名。昭和48(1973)年4月28日生まれ、身長6m10cm、体重600kg、バスト2m07cm、ウエスト1m80cm、ヒップ2m15cm。そのファッションは季節ごとにチェンジ。今日は、スターウォーズのC3PO風。名駅かいわいで展開中の冬のイベント「メイエキイルミ2019」開催に合わせ、「ナナちゃんストリート GOLD X'mas」が展開されています。この一環で、映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の公開を記念し、「ナナちゃん」を装飾したということ。この先、下広井町、名駅南3丁目と進んでいきます。このコースは、今回がたぶん初めて。近鉄ハイキングにしては珍しく、名古屋の都心部を歩きます。

Img_2933c  都心部といえば、名駅前から笹島交差点あたりで振り返ったり、見上げたりすると、こんな景色が見えます。左は、近鉄名古Img_2950c 屋駅から地上に出て、名鉄名古屋駅の北あたりから見たもの。ミッドランドスクエアと、大名古屋ビルヂング。右は、笹島交差点のところにたつモード学園のスパイラルタワーズ。どれも、我が家の玄関先や、揖斐川の堤防沿いからもよく見えます。こういうところ、すっかり用がなくなりました。笹島交差点を南下、下広井町で斜め左へ入り、新州崎橋交差点の方へ進みます。

Img_2974c  左の写真は、名古屋高速の新州崎ジャンクションの下。このあたりで1㎞。若宮大通方面にImg_2983c_20191221074601進みます。新州崎橋。堀川にかかっています。こういう歴史のある橋はいい感じ。親柱のデザイン、僧職が堪りません(微笑)。

Img_3001c  若宮大通を歩いていると、落合ビルの前に石柱と縦看板がImg_2998c あるのに気づきました(約15.㎞地点)。気になって見てみると、「後藤新平宅跡」とありました。後藤新平(安政4 (1857)~昭和4(1929)年)といえば、いわゆる明治の元勲。帰農した伊達藩士の子で、当初は医師をしていました。児玉源太郎のもとで台湾経営に顕著な働きをみせたのち、南満州鉄道初代総裁、逓信大臣兼鉄道院総裁、拓殖局副総裁などを務め、外務大臣、東京市長にもなった人。福島県の須賀川医学校卒業後、招かれて来名。明治14(1881)年、愛知県病院長兼医学校長になり、明治16(1883)年に内務省に転ずるまでここに住んだといいます。明治15(188)年、自由党総裁・板垣退助が岐阜で刺客に襲われたとき、ここから人力車で駆けつけ応急手当をしたといわれます。これは、全く知りませんでした。

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 若宮北とある「若宮交差点」を過ぎると、北側に白川公園。科学館や美術館があります。さらに進み、美術館の南あたりで右折し、日出神社。このあたりから実測ルートマップは、その2。日出神社にお参りし、大須にある那古野山古墳を目指すのですが、途中、ちょっと道を間違えたり、商店街を通り抜けるのにこのルートで大丈夫なのかと不安になったりしましたが、何とか切り抜けました。

Img_3028c  こちらが日出(ひので)神社。スタートからほぼ2㎞、10時少し過ぎ。慶長16(1611)年、清須にあった愛宕大権現と天道Img_3018c_20191221080401 宮の2つの社を、名古屋城築城の際に城下町に移してきたといいます。御祭神は、軻遇突智命(かぐつちのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見尊(つくよみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと;宗像むなかた三女神の一柱)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと;宗像むなかた三女神の一柱)。月夜見尊は、伊勢神宮のみに祀られているのかと思っていたのですが、新しい発見でした。この神社の由緒については、やや複雑なところがあるようで、こちらにわかりやすい解説があります。

Img_3036c  次の目的地である那古野山古墳に行くのに、細い路地が入り組んでいて、1本早く曲がってしまい、偶然、大須演芸場の前に出てしまいました。その存在はもちろん知っていたのですが、実際に来たのは、初めて。何度かつぶれかかったのですが、いろいろな方の支援で続いています。落語は市民会館などのホールで聞いたことはあるものの、演芸場、寄席というところは来たことがありません。場所も分かったことですし、一度は寄席で生の落語を聞きたいもの。

Img_3040c_20191215185801  那古野山古墳は、大須演芸場から1本東の通りでした。若干ウロウロしそうになりましたが、地図をよくよく眺めて無事到Img_3045c 着。元は前方後円墳で、前方部は取り壊されていますが、後円部の上に乗ることが可能でした(直径22m、高さ3m)。私も登って見たのですが、お墓の上に登るというのも、微妙な感覚でした。江戸時代末の元治2(1865)年3月、須恵器(足付有蓋短頸壺)が出土し、近くにある富士浅間神社に保存されています。平成8(1996)年の調査で「現在古墳の墳丘と考えられた土の多くは、中世以降の盛土で」「中世盛土の下、もしくは近くに古墳があることも確実」との報告があるそうです。那古野山古墳で2.4㎞。10時15分頃。ちなみに、ここには、「浪越公園跡」という説明板がありました。修験道の寺であった清寿院があったところで、明治12(1879)年、市内で最初の公園として市民に開放されたところだそうです。

Img_3067c  さぁ無事に那古野山古墳も見ましたので、万松寺通を抜けて次の目的地へと思ったら、曲がり角で神社を見つけてしまいました(苦笑)。見つけてしまったからには、行かないという選択肢はありません(微笑)。先ほど、那古野山古墳の出土品が保管されているという富士浅間神社でした。明徳4(1495)年、後土御門天皇の勅令によって駿河の浅間神社から勧請したという由緒が伝わっています。御祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、大山祗命(おおやまつみのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと;瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子。山幸彦の名で知られる)。

Img_3070c_20191222092401  それにしても、後土御門天皇は、なぜここに神社、それも浅間社を建てることを命じたのでしょう? 明徳4(1495)年は、戦国時代の前期。あの応仁Img_3077c の乱は、一応落ち着いたものの、室町幕府は弱体化し、天皇の権威も弱まっていた頃。本当に後土御門天皇が命じたのかなど、考え始めると疑問は多々。この富士浅間神社は、古墳の跡という説(浅間神社古墳)もあるようです。すぐ北には那古野山古墳があり、その北には日出神社古墳、西には大須二子山古墳(消失)がありますから、このあたりは何か意味のある場所だったのかも知れません。右は、富士浅間神社に咲いていた桜。シキザクラか、十月桜か(区別ができませんが……)。

Img_3082c_20191222092401  富士浅間神社の隣には、まねき稲荷。変わった名前のお稲荷さんです。もちろん、ここもお参り。由緒書き Img_3087c などはありませんし、ネットで調べてもこれという情報は出て来ません。

Img_3089c_20191223073701  現地では全く気づかず、記事を書くのに写真を見ていて気づいたのが、こImg_3091cc ちら。拝殿前の狐。向かって左の方をよくご覧ください。「招き猫」ならぬ、「招き狐」。なるほど、「まねき稲荷」というわけです(微笑)。

Img_3093c_20191223074501 相変わらず長くなっていますが、大須商店街を抜けるまでお付き合い願います。まねき稲荷から東へ。万松寺通にある喫茶店の一角というか、中心というか、そこに「清寿院の柳下水(せいじゅいんのりゅうかすい)」という井戸があります。名古屋三名水の一つといわれたそうです(他は、亀尾の清水と蒲焼町風呂屋の井)。清寿院は、修験道当山派・富士山観音寺ともいい、寛文7(1667)年、藩命により清寿院と改め、明治の廃仏毀釈により廃寺となりました。この清寿院の中門前にあり、寺の供水としてまた、将軍家上洛の際には飲用水として用いられたといいます。富士浅間神社はこの寺の鎮守だったと市教育委員会の説明板にありました。ちなみに、他の名水のうち、亀尾の清水は、東区の清水口交差点近くを通っていた犬山に通じる稲置街道の大曲と呼ばれたあたりにあったといいます(今ははもう枯れてしまって、道路か住居の地下に隠れてしまったそうです。こちら)。「亀尾清水」の名は、近くにある「七尾天神社(通称亀尾天満宮)」からきているといわれています。また、蒲焼町は中区にある地名で(名古屋国際ホテルあたりに「蒲焼町」という表示板が複数あるそうです)、清洲越し以前からここには遊里(飛騨屋町・ぞめき町)が存在したことにより、香倍(婆)焼町と呼んだとする説、桜の木の皮を焼いて加工する職人が居住することに由来する「かんばやき」町が転じたとする説、名古屋城築城の際に集まった大工などを相手に蒲焼を商う茶屋が出現したことに由来する説があります。賑やかな街に流れる紫川の泉も豊富で、「扇風呂」という銭湯が賑わったそうです。『尾張名陽図会』によると、肌がきれいになるといわれて芸妓に人気だった風呂の水が、名古屋三名水としてあげられているといいます。

Img_3097c_20191223122601  この清寿院の柳下水があるのは、大須観音通(左の写真)にあるシャポーブランという喫茶店の大須本店のところ。ここからImg_3101c_20191223122201 東へ。大須観音通を抜けて、万松寺通商店街へ(右の写真)。万松寺通商店街を抜けて上前津方面へ出ます。万松寺通では、招き猫のモニュメントがあるとマップにあったのですが、よく分からず。右の写真に写っているものでしょうか?? もう一つ、オマケ。万松寺(ばんしょうじ)は、織田家の菩提寺。山号は亀嶽林(きがくりん)。天文9(1540)年、織田信長の父、織田信秀公が、伯父の大雲永瑞大和尚(瀬戸市赤津・雲興寺七世)を迎え建立しました。慶長15(1610)年、名古屋城築城に当たって、現在地に移転。22,309坪あったといいます。大正元(1912)年、当時の37世大円覚典和尚がその大部分を開放し、大須を名古屋の大繁華街としたのが、現在の繁栄につながっています。

 長くなりましたが、大須商店街でキリも良いので、その1はここらで。

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