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2019年12月26日 (木)

20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(その3)……いよいよ熱田神宮へお参りし、名鉄神宮前駅でゴール(完)

191215kintetsuhikingnagoya5 12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」のその3です。その2では、断夫山古墳、白鳥古墳と回って来Img_3253c ました。このあたりまで来ると、熱田神宮ももう間近。白鳥古墳を出て、南へ。白鳥橋でっせつし、国道1号線を少しだけ歩いて、19号線を横断歩道橋で渡って、熱田神宮へ。コースマップにしたがって行ったら、表参道ではなく、脇から境内に入る羽目に(苦笑)。 これ、ゴールの神宮前駅へのルートだったようです。

Img_3245c  道草、寄り道大好きですが、横断歩道橋に上がるところで北を見たら、こんなものを見つけてしまいました。国道19号線と、国道22号線の起点がここ国道1号線との交差点だというのです。19号はここから長野まで270㎞、22号は岐阜までの37㎞。

Img_3257c  横断歩道橋を降りてすぐ、9㎞地点に「熱田神宮摂社 松姤(まつご)社」という石柱があり、奥に向かって参道が続いていました。ここも行かないという選択肢はありません。参道は突き当たって、左折し、西に向きます。

Img_3261c_20191225081101  そこに東を向いたお社が建っていました。これが、松姤社。陽がよく当たって、明るい感じの神社です。創建、御祭神などは不詳ということですが、上記のリンク先には、日本武尊と宮簀媛とが出会ったところという伝承もあると書いてあります。ちなみに、「姤」は、①あう、あいびきをする、②みめよい、美しいといった意味。松姤社に向かって左手にも小さいお社があり、そちらは十握(とつか)社というようです(十束などとも書くといいます)。何となく不思議な神社に来たという感覚にとらわれたまま、コースに戻って熱田神宮へ。なお、実測ルートマップ中、「松后社」としてしまいましたが、これはもちろん「松姤社」の誤りでした。

Img_3266c_20191225081101  上記の実測ルートマップにありますように、南の鳥居に入るコース設定ではなく、熱田神宮の東側を回って行くようになってImg_3268c_20191225081101 いましたので、それにしたがいました。お寺が並ぶところの西を歩いていましたが、熱田神宮に入るところにお社がありました。新宮坂(しんぐうさか)神社なのだろうと思います。熱田神宮の境内からは道を1本挟んで、外にあります。神宮内にある南新宮社の南の坂道を新宮坂と呼んだことから来ているとされています。ここも、創建年、祭神など詳しいことは分かりませんが、かつてこのあたりは喜見寺の境内だったようですから、寺の中の社だったかもしれません。神社、とくに小さな神社のことは難しい。よく分からないことが多々あります。

Img_3274c_20191225081101  この新宮坂神社のところから熱田神宮の境内に入って行ったのですが(12時20分頃、スタートからは9.3㎞)、ちょっとインチキをした気分(苦笑)。それと、たぶAtsutajingu ん就職したての頃、一度お参りした記憶があるものの、ほとんど忘却の彼方。さらに、このハイキング前後、用事が多くて、事前の調べを全くせずに参加(苦笑)。改めて境内図を眺めると、43の日割御子(ひさきみこ)神社の東側を歩き、36の清雪(せいせつ)門と42の孫若御子(ひこわかみこ)神社の間あたりから境内に入ったのです。事前に見たいと思っていたのは、信長塀だけでした。しかし、これほどたくさんの施設や、摂社末社、名所旧跡があるとは思ってもいませんでした。左の写真の鳥居は、21大楠のところのもの。

Img_3312c  その創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)で亡くなりました。妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)が、神剣を熱田の地に祀られたことが熱田神宮の始まりです。延喜式名神大社(みょうじんたいしゃ)・勅祭社に列せられ、国家鎮護の神宮として特別の取り扱いを受けました。御祭神は、熱田大神(草薙神剣を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のこと)。相殿神は、「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、天照大神素戔嗚尊日本武尊宮簀媛命建稲種命(たけいなたねのみこと)。宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々。

Img_3320c  拝殿前で気づいたのが、蕃塀の存在。伊勢神宮にもありますので、熱田神宮にもあるのではないかと思っていたのです。拝殿Img_3327c の正面に向かっているものの、距離はかなりあります。さらに、蕃塀の背後は森。「門を開いたときに、正面が直接見えないようにするため」といいますが、もしそうだとすると、この配置では意味をなさない気がします。別の意味があるのでしょうか?

Img_3299c  熱田神宮で是非見たかったところがあります。それは、信長塀。永禄3(1560)年、織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をし、みごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねたものです。兵庫西宮神社の大練塀京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つだそうです。

Img_3279c  境内に入った頃から、鶏の鳴き声が響いていました。上の写真の鳥居を潜った先、文化殿の北あたりで、名古屋コーチン2羽が悠然として歩いていて、参拝客に取り囲まれていました。熱田神宮の神鶏(しんけい)です。人になれているのか、逃げもせず、マイペースという感じ。鶏が神の使いとされるのは、天岩戸の神隠れのエピソードによります。天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、神々は天照大神を天岩戸から出そうといろいろ苦心したのですが、鶏が「コケコッコー」と鳴いたので、朝が来ないはずなのになぜ鶏が鳴いたのか不審に思った天照大神が顔をのぞかせたという話があります。鶏は、このときの功績で神の使いになったといいます。熱田神宮の鶏の由来には諸説あるようです(たとえばこちら)。熱田神宮のサイトには何も書かれていません。

Img_3397c  摂社末社は多数あります。左の写真は、上知我麻(かみちかま)神社。正門(南門;右の写真)を入ってすぐ左手にあります。御祭神Img_3393c_20191225180501 は、乎止與命(おとよのみこと)。知恵授け・商売繁盛の御利益があるといいます。乎止與命は、古代の尾張国を支配した尾張国造(おわりのくにのみやつこ)で宮簀媛命(日本武尊の妃)の父。この神社の拝殿の両脇には、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)が祀られています。

Img_3402c_20191225175801  上知我麻神社に向かって右手には、別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)があります。元明天皇和銅元年(708)に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀です。古来、武家の信仰がとくに篤く、天正3(1575)年、織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ、また、慶長4(1599)年、家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3(1686)年、将軍綱吉は本殿の造替を行った等の記録が残っているといいます。

Img_3383c_20191225180001  このほかの摂社末社にもいくつかお参りしてきましたが、目立っていたのは、熱田神宮で唯一の朱塗りの社となっている南新宮社(みなみしんぐうしゃ;境内図では#35)。疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っています。平安時代中期に疫病が流行して、近隣の人々が旗鉾を捧げてここに疫神を祀ったのが始まり。その後、この旗鉾を活用して、大山や車楽の運行を始めたのですが、明治に入って電線が設けられて廃止されたそうです。

Img_3292c  その他見て来たもの。左の写真は、大楠。境内図では#21。弘法大師のお手植えと伝えられています。手水舎北側にあり、樹Img_3363c 齢は約1,000年とか。右は、佐久間燈籠(さくまどうろう)。境内図では#32。正参道と東参道の交差するところにある石の大燈籠。寛永7(1630)年5月、尾張国御器所の城主・佐久間盛次の四男・大膳亮勝之が海難に遭ったとき、熱田神宮に祈りその加護によってことなきをえたのを感謝して寄進されたといわれています。高さは約8m、江戸時代から日本三大燈籠の1つ。他の2つは、京都南禅寺、東京上野の東照宮の大燈籠。

Img_3342c  この日のハイキングでは、熱田神宮で土産にきよめ餅を買い、できれば宮きしめんを食べたImg_3352c いと思っていました。きよめ餅は、境内にある清め茶屋で無事に購入(5個入り¥600)。宮きしめんは、右の写真のように長蛇の列。神宮に着いたときと、お参りを済ませてからと2回確かめたのですが、変わりがありません。行列に並んで待つのが大嫌いですので(苦笑)、断念。

Img_3346c_20191215221401  こちらがきよめ餅、5個入り。こしあんをやわらかい羽二重餅でくるんだお菓子。純白に「きよめ」の焼き印が押されていまIndex_sweet01p す(右の写真は、きよめ餅総本家のサイトからお借りしました)。江戸中期の天明5(1785)年頃、「きよめ茶屋」が設けられ、参詣客にお茶を呈したといいます。元々、名物がなかった熱田神宮周辺の地域に、伊勢神宮における赤福餅のような名物を作ろうという考えから、きよめ茶屋の話を基に、きよめ餅総本家・初代・新谷栄之助が戦前に「きよめ餅」と名づけた菓子を考案し、今の名鉄神宮前駅前に店舗を構えたといいます。たちまち評判となり、「熱田参りにきよめ餅」「名古屋土産にきよめ餅」と知られるようになったそうです。もっと昔からあるお菓子かと思っていました。YouTubeに昔のテレビコマーシャルの動画がありました(こちら)。

Img_3413c  熱田神宮、とても周り切れていませんが、13時になりそうでしたので、また今度ということにして、ゴールの名鉄神宮前駅へ向かいます。神宮東門を出たところで、大津通の向かい側にきよめ餅総本家の本店がありました。「なぁんだ、どうせならここで買えばよかったかも」という気がしましたが、せっかくなので、写真だけは撮って来ました。

Img_3415c  名鉄神宮前駅には、13時5分を過ぎた頃到着。といってもこの建物は、神宮前駅西に隣接したパレマルシェ神宮という駅ビル。神宮前駅は、その名の通り、神宮東門からは目と鼻の先。11.2㎞+αを歩いて来ました。+αは、熱田神宮の中でかなり歩き回ったのです。駅ビルに宮きしめんの店がないかと思ったのですが、ありません。残念。我が家から遠くないところでは、ジャズドリーム長島に店があるようです。

Img_3422c_20191215222401  時間も時間でしたから、ここで昼食を食べて帰ることにしました。スタバなどもあるのですが、どうもこうImg_3417c いう店は好みません。豆腐料理の鈴の屋さんなどもあったのですが、けっこうな混雑。中華料理、うどんはパス。3階の喫茶店「カフェ・ルシータ」でランチメニューを見つけました。ハンバーグランチ。¥850。量もさほど多くなく、飲み物付き、けっこう美味しくいただきました。都会の喫茶店でこれならリーズナブル。

Img_3425c  名鉄神宮前駅を13時49分発の名鉄岐阜行き急行に乗車。名鉄名古屋駅に13時56分着。¥230。子どもの頃、名鉄三河線の線Img_3431c_20191215222701 路の近くに実家がありましたし、高校・大学・大学院と9年間、名鉄電車で通学しました。三河線は、ローカル路線で、パノラマカーなども乗り入れていませんでしたので、今風にいえば、ダサい電車と思っていました(失礼)。しかし、名鉄の電車も、その頃に比べると 格好良くなった気がします。セントレアに乗り入れるようになって、ミュースカイが走るようになってから、デザインの方針が変わったのかも知れません。

Img_3435c_20191215222701  前日(12/14)に引き続いて、名鉄名古屋駅から近鉄名古屋駅へ乗り換え。2日連続で、名鉄名古屋駅を利用(微笑)。近鉄名古屋駅を14時6分に出る四日市行き準急に乗車。桑名には、14時32分着。¥450。

Img_3444c_20191215222701  あみま倶楽部、会員証を更新して第1回目のハイキング参加でした。そして、ALKOOのデータは、右の写真Img_3446c_20191215222701 のように、24,686歩。ハイキングで11.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で13㎞。熱田神宮を歩き回りましたから、13.0㎞+αのはずで、18.9㎞は歩いていないと思います。

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