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2019年12月13日 (金)

20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その2)……長峰神社、フォトジェニックな麻吉旅館、寂照寺を見て古市参宮街道資料館、牛谷坂の常夜燈、伊藤小坡美術館を見て宇治総門跡まで

191201kintetsuhikingujiyamada2 12月1日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」のその2です。その1で、大林寺にお参りし、そのすぐ後に油屋跡の石柱を見ました。ここで、近鉄鳥羽線の線路を越え、さらに古市参宮街道を進みます。長峰神社にお参りし、1月のJRさわやかウォーキングでも見た麻吉旅館にMさんを案内。伊勢自動車道を越える手前で、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館に立ち寄ります。このあたりが頂上で、これ以降は下り。伊藤小坡美術館を通過し、猿田彦神社に向かいます。実測ルートマップの右側は、内宮にお参りしてから、ゴールの五十鈴川駅に向かったルート。

Img_1772c  スタートから1.9㎞のところ、東側に長峰神社があります。1月のJRさわやかウォーキングのときは、立ち寄りませんでしたのでImg_1776c (2019年2月4日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その2)……麻吉旅館、浅香つづら稲荷、寂照寺、古市参宮街道資料館、猿田彦神社など)、今回はお参り。「長峰」は、文字通り、長く続く峰。外宮と内宮を結ぶ、この古市の地形に因む名称。御祭神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)。天照大御神が天岩屋に隠れられた時、天鈿女命は神懸かりして舞を舞い、大御神のお出ましをいただいたと伝わっています。それ故、歌舞伎役者や伊勢音頭の遊女の祖神として、芸能の神様とされる天鈿女命を祀っていたのです。長峰神社は、この街道の(旧)中之地蔵町に鎮座していた宇須賣社(うずめのやしろ)を明治3(1871)年に、久世戸町・古市町・中之町・桜木町の4町の協議によって現在地に鎮座し、長峰の産土神として祀ってきたものです。その後、一帯に鎮座していたお社や祠の神々も合祀しています。相殿神は、木花開那姫命天津彦火瓊々杵命宇迦之御魂神、春日大神八衢比古神久郡戸神(くなどのかみ;もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神で、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されています)、菅原道真公。

Img_1787c_20191201195501  長峰神社から350mほど先を東に入ったところにあるのが、麻吉(あさきち)旅館。創業は明らかではありませんが、天明Img_1789c_20191211073801 Img_1801c 2(1782)年の「古市街並図」にその名前があるといいます。今年1月のJRさわやかウォーキングでも来ましたが(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))、インスタ映えするというか、フォトジェニックというか、魅力的な建物。現在は、5棟の建物があり、懸崖造りで最上階までは6層。朝熊山や二見まで見えるそうです。

Img_1801c  今回は、同行のMさんにも是非、見てもらおうと思い、案内しました。お陰様で、好評(微笑)。伊勢自動車道の方まで降りImg_1817c て見てきました。ここ、一見の価値、十分あります。近くへいらしたら、立ち寄ることをお勧めします。

 麻吉旅館の周囲には、道標が2つあります。まず、Img_1818c 西側の入り口の道標(左の写真)。碑表には「此Img_1807c おく/つヽらいし」、右面には「左 あさま/二見へちか道」とあります。碑陰には「天保□年/正月吉日 世話人… 華千部月の八日ゆ十二日/古話に物ふ水ゆ□供□」。天保は、1831~45年。東へ下った、伊勢自動車道の近くには、右の写真の道標。こちらの道標の正面には「つつら石道」、碑陰には「文化十年癸酉正月 大田小三郎建」とあります。文化10年は1814年。

Img_1820c  麻吉旅館から伊勢街道(古市参宮街道)に戻って少し行くと、栄松山寂照寺。浄土宗のお寺。創建は延宝5(1677)年。寂照知鑑上人(知恩院第37世)が、千姫(2代将軍・徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室)の菩提を弔うため開いたお寺。その後衰退したものの、安永3(1774)年、月僊(げっせん)上人により再興されました。現在の山門、八角輪蔵は月僊が再建したものと伝わっています。月僊は、円山応挙に師事したとされ、仏涅槃図や藤の図が残されています。ちなみに、千姫は、元和元(1615) 年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰る途中、桑名で本多忠政の長子忠刻と巡り合い、再婚しています。また、月僊は求めに応じて絵を描いては報酬を集めていましたので、批判する人もいました。しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使ったというエピソードが伝わっています。1月にお参りし、境内も拝観しましたので、この日はパス。

Img_1825c  寂照寺の少し先、Img_1829c 伊勢自動車道のすぐ手前、スタートから2.5㎞地点に伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館があります。10時半過ぎに到着。ここも、1月のJRさわやかウォーキングで訪ねました(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))。入館は無料。館長さんがフレンドリーで話も面白く、古市の遊郭のことや、麻吉旅館についてあれこれ伺ってきました。右の写真は、館内にあった麻吉旅館の古い写真など。1時間ほど歩いてきましたので、ここで小休止。お茶を飲んで、小腹を満たします(微笑)。10時45分頃、再出発。

Img_1837c  伊勢自動車道を越えて、すぐ、道標が一つ。2.6㎞あまりのところ。年配のご夫婦が、「何と読むのか?」と苦労しておられました。「月よみの宮さんけい道」と碑表にあります。右面には、「建設主 田村吉兵衛」、碑陰には「明治廿七年六月」とありました。明治27年は1894年。さほど古いものではありませんが、文字は読みにくくなっていました。「月よみの宮」は、このあと訪ねることになっている「月読宮」でしょう。南東へ直線で1㎞足らずのはず。この近くに「桜木地蔵」があり、1月のときも気になっていたのですが、街道を外れ、200mほど入って行かねばならず、今回も寄り道は断念。桜木地蔵は、江戸時代に伊勢・山田奉行を勤めた大岡越前がここを訪れた後に、江戸町奉行になったことから、別名「出世地蔵」とよばれているのです。

Img_1841c  その先で雪峰稲荷の前を通過。1月も、写真を撮っただけで通過してしまいましたが、今回も。道から奥まったところにあるので、何となく。ここはm昔から近所の方々から「浅間さん」と呼ばれ親しまれてきた土地です。以前は、木花開那姫命を奉る桜木神社でした。これは、明治4()年の仏教政策により桜木町が引き受けたもので、その前は浅間神社だったといいます。延暦年中(782~806)に勧請されたそうです。立ち寄ってくればよかったかと、ちょっと反省。

Img_1843c  雪峰稲荷の少し先、神宮司庁頒布部(右の写真)の手前の街道の西側に「両宮参拝碑」があります。これは、また悪い癖が出て、「あとでImg_1848 調べたら分かる」と思ったのですが、ネット検索ではこれという情報なし(苦笑)。神宮司庁頒布部は、御札などをつくっているところです。前回のお伊勢参りハイキングで、外宮で神宮暦を入手してきましたが、これもここでつくっているのでしょう。

Img_1852 Img_1849  神宮司庁頒布部の向かい側に、大きな両宮常夜燈。牛谷坂の常夜燈。大正3年の建立。そばの石柱の碑表には、「奉献 両宮常夜燈 東京神田旭町 富樫文治」とあります。向かって左には、「管理者 油屋旅館」と。あの「油屋」と関係があるのでしょう。「大正三(1914)年二月二十七日建」とあります。大正時代になってもこんな大きな常夜燈2基を寄附する方がいらっしゃったというのはスゴい。このあたりは、牛谷坂といいます。この名は、この付近に牛鬼という怪物がいたという牛鬼伝説「枕返し物語」の由来によります。かつての参宮路は、ここより手前の「月よみの宮さんけい道」の道標にそって左に曲がりました。この牛谷坂は、延宝2(1674)年、内宮長官の藤原氏富が、山田奉行桑山丹後守貞政の許可を受け、数百両の私財を投じて改修しました。このため、参拝者は、内宮への近道となるこの牛谷坂を利用するようになったといいます。ただ、当時の道は、今のようなまっすぐな坂道ではなかったため、元禄10(1805)年、古市の妓楼「千束(ちづか)屋」の主人りと(当時65歳)が、山田奉行の許可を得て、千両余りを投げ出して本格的な改修工事を行ったのが、現在の牛谷坂です。

Img_1855c  神宮司庁頒布部と常夜燈からすぐ先、左側にいろいろなものがありました。ここはたぶん、Img_1859c もう猿田彦神社の境内と思われます。左の写真の石柱には「両宮参拝碑」とあります。この「両宮参拝碑」、牛谷坂の常夜燈の手前にもありましたが、検索してもよく分かりません。その先にあった石碑も、よく分からず。道路を挟んだ反対側の歩道を歩いていて、気づいたので写真を撮ってきただけというのが祟っています。なかなか学習しません(苦笑)。

Img_1861c さらに、同様の不始末。上の2つの石碑の先にあったのがこちら。碑表には「大阪 ○天 天草」とあります。「大阪」とあって、「大坂」でないところからは、さほど古いものではなさそう。江戸時代中期には「大坂」と「大阪」が併用され、明治維新後の1868年、新政府はもとの大坂三郷に大阪府を置きました。元来の「大坂」に代わって「大阪」が正式な表記となったのは、このころだそうですが、こんなことを書いていても始まりません(苦笑)。「郷(組?)長 加藤○七郎」(○は写真から判読不能)とあるように読めますが、検索しても、これも不明。

Img_1865c  スタートからは3.5㎞のところに伊藤小坡美術館。先日、桑名市博物館でも伊藤小坡の展覧会があり(2019年11月19日:珍客「ホオジロガモ」飛来、さらにはムシクイかウグイスか悩ましい鳥……散歩帰りに桑名市博物館で特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」を見る)見てきましたが、好みの日本画家です。伊藤小坡(いとうしょうは;明治10(1877)~昭Img_1872c_20191213200401 和43(1968)年)は、明治~昭和の日本画家。伊勢にある猿田彦神社宮司宇治土公(うじとこ)貞幹の長女。文展や帝展に複数回入賞するなどして高い評価を受けた日本画家です。個人的には、上村松園に負けず劣らずと思っています。

Img_1869c  牛谷坂を下りきる直前、右側(西側)に「宇治総門跡」の石碑がありました。これ、1月のJRさわやかウォーキングでは気づかず、通り過ぎています。「心焉に在らざれば見れども見えず」です。先を急いでいたりすると、「心焉に在らざれば」になるのでしょう。私淑しているJRさわやかウォーキング&近鉄ハイキングの先達がいらっしゃるのですが、「遊びに来ているんだから、慌てることはない」とよくおっしゃいます。まだまだ修行が足らないようです。ここは、明治維新頃まで黒門を構え、番所を設けて罪人等の通行を取り締まっていたといいます。滝倉川に架かる橋を黒門橋といいその名残となっており、ここで古市参宮街道の終わりとなります。

 ということでキリも良いので、今回も長くなりましたが、ここまで。その3は、猿田彦神社から。

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