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2019年12月30日 (月)

20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その2)……名古屋東照宮、那古野神社、本町橋、大津橋を経て、名古屋市市政資料館へ

191221jrwalking0nagoya2 12月21日に参加したJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」のその2です。その2でようやく最初の目的地である名古屋東照宮と那古野神社に着きました(苦笑)。名古屋の官庁街の南、外堀通り沿いにあります。ここから、名古屋市市政資料館に寄って、名古屋拘置所の前を通って、名古屋城に向かうのです。

Img_3922c 名古屋東照宮は、スタートから1.9㎞、到着は、9時50分を過ぎた頃。その名の通り、名古屋で徳川家康を祀る神社。那古野神社と並んでいます。尾張藩初代藩主・徳川義直公が、父徳川家康公の三回忌である元和4(1618)年に大祭を行い、翌元和5(1619)、名古屋城内三の丸に取り込んだ亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を勧請し、成瀬正成竹腰正信を奉行にし、南天坊天海を導師とし9月17日家康の神像を祀ったのが創祀。三之丸東照宮とも呼ばれ、創建当時の境内は3,600坪もありました。本殿の社殿には権現造、楼門、唐門、渡殿、祭文殿等があり、東照宮としてもっとも豪華であったといわれ、社殿などには極彩色がほどこされた華麗なものであったといいます。

Img_3946c  東照宮は、明治9(1876)年にここに遷されていますが、昭和20(1945)年の戦災により焼失しています。現在の社殿は、義Img_3931c_20191229160801 直公の正室・高原院の霊廟で、万松寺内にあったものを大正3(1914)年、建中寺に遷し、さらに昭和28(1953)年に東照宮社殿として移建されたものです。棟札によると、慶安4(1651)年の建物だそうです。

Img_3928c  スタートから間もないところにあるためか、JRさわやかウォーキング参加者で大賑わい。拝殿前はもちろん、御朱印をいただくために、社務所前には大行列。御朱印を集めている方は、実にたくさんいらっしゃるものです。

Img_3952c  名古屋東照宮には、拝殿の東側に末社として福神社があります。御祭神は、大国主命事代主命です。家康公は、大国主命、すなわち大国(大黒)様を深く信仰され、天海僧正(慈眼大Img_3956c_20191229161401    師)をして彫刻した像が祀られています。名古屋開府に当たって、初代藩主徳川義直公に賜って、守護神として崇敬され、元和5(1619)年、名古屋東照宮創立に際し、相殿神として祀られました。この大国様は、腰に両刀を差し、両手に玉を抱えた姿だそうです。邪を斬り、悪魔を払い、玉の如く円満なる大慈悲心の表現といいます。この福神社の拝殿には、正面に鏡のようなものが置かれています。鏡は普通は、拝殿内に置かれているのに、珍しいと思います。

Img_4024c  東照宮に東隣して、那古野神社があります。「なごやじんじゃ」と仮名が振られていることがほとんどなのですが(教育委員  会による説明板も「なごやじんじゃ」でした)、「なごのじんじゃ」とされていることもあります。創建は醍醐天皇の御代、延喜11(911)年と伝わります。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社の一つで、当初は亀尾天王社と呼ばれました。天文元(1532)年の合戦で社殿を焼失しましたが、天文8(1540)年、織田信秀により再建。文禄4(1595)年、豊臣秀吉が社領348石を寄進。元和6(1620)年、徳川義直公が改めて同じ石高を寄進し、社殿を修造しています。創建時より若宮八幡社と隣接していたのですが、慶長15(1610)年の名古屋城築城の際に、当神社のみが三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座しました。これ以降、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされました。また、この時、新たに三之丸東照宮(現・名古屋東照宮)と隣接しています。

Img_3998c  明治維新のとき、須佐之男神社と改称し、明治9(1876)年、名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座、明治32(1899)年に那古野神社と改称しています。神社は昭和20(1945)年3月19日の名古屋大空襲で本殿などを焼失、戦後再建されました。御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)、兵主神(ひょうすのかみ;弓矢を司る軍神)、八柱神。かつて、6月15・16日(現在は、7月15・16日)の例大祭には車楽(だんじり)が曳き出され、近隣からも山車が集まって賑やかだったといいます。

Img_3964c  那古野神社にはいくつもの摂社・末社があります。まず、左の写真は福壽稲荷社。由緒書きも、説明板もなく、詳細は不明。Img_4004c_20191229171901 右の写真は、金山神社。岐阜県不破郡垂井町にある南宮神社の分霊を祀っています。御祭神は、金山比古大神(金の神、鉱山の神)。由来には、「往古より祭祀する」とありますが、創建は不明。現在地に遷座したのは、昭和16(1941)4月といいます。名古屋の金物業者からの信仰が篤い神社とされています。

Img_3984c  さらに拝殿に向かって右手(東側)には、小さな社が5つ並んでいます。左の写真で、向かって左から順に日神社、月神社、白山社、弥五郎社、青麻社となっていました。日神社は「にちじんじゃ」で、天照大神を祀っているかと思います。月神社は、月読尊を祀るのでしょうか。白山社は、その1で立ち寄った白山神社と同じで、白山比咩(しらやまひめ)神社の分霊でしょう。弥五郎社は、よく分からなかったのですが、津島神社弥五郎殿社があります。弥五郎は、堀田弥五郎のことで、武内宿禰(たけのうちのすくね)の後裔。南朝方の忠臣で正平3(=貞和4、1348)年、楠木正行(くすのきまさつら;正成の長子)公にしたがい、四条畷で戦死した勇将といいます。青麻社に関連して、仙台市宮城野区に青麻(あおそ)神社という神社があります。青麻神社は、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社。天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ;高天原に最初に出現した神。造化の三神の一)、天照大御神月読神を主祭神とし、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん;平安後期~鎌倉時代の伝説的人物。源義経の家臣。比叡山または園城(おんじょう)寺の僧ともいわれます)を併祀します。主祭神三神はそれぞれ星神・日神・月神であり、神仏習合の時代には大日如来不動明王虚空蔵菩薩としていたといいます。と、調べただけで関連性などを考察しないまま書いています。アタマの整理が追いついていないのです(苦笑)。那古野神社を訪ねたときには、こんなにややこしいとは思わなかったというのもあります。

Img_4033c_20191229193801  那古野神社から北へ。すぐに外堀通りにでます。ここで右折し、東へ。2.3㎞地点。そこには本町橋。明治44(1911)年にでき、昭和14(1939)年に拡幅されています。単純RC橋であり、煉瓦アーチ橋であります。東側拡幅部分はコンクリート橋となっていますが、西側は市内で唯一の明治の煉瓦アーチ橋が残っています。と書きながら、これは後で調べたこと。写真は、東側しか撮って来ませんでした(苦笑)。後の祭り。

Img_4048c_20191229194401  さらに進むと、ライオン像が鎮座。何だろう? と思ったのですが、像の台座には「ライオンヘルスパーク」と書いてあります。ここには、昭和28(1953)年にライオン歯磨(現在のライオン株式会社)が寄附してつくられた温室のある公園があったところ。現在は、ブランコがある小公園になっています。

Img_4050c Img_4051c  その先、スタートから2.7㎞のところに大津橋。名古屋城三の丸のお堀と大津通りの交点にかかっています。大津通は、県庁や市役所のある官庁街から南、栄、大須、金山に向かう名古屋の南北の目抜き通りの一つです。欄干にあるベイス(飾り花瓶)と球形電球が4本ある照明がレトロ感を出しています。 昭和8(1933)年に完成。

Img_4073c  大津橋を過ぎて、3.1㎞のところにある市政資料館南交差点を左折すると、右手に「愛知縣議員会館」という表示のある建物がありました。元々は名古屋市長も務めた弁護士・大喜多寅之助(慶応2(1866)~昭和36(1961)年)の自邸兼事務所でした大喜多は、美濃国大垣出身。旧制・一高から、明治21(1888)年、東京帝国大学法科大学に入学。明治25(1892)年に卒業後、名古屋市で弁護士事務所を開業した。その後、名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、大正10(1921)年には名古屋市長に就任した[。大正9(1920)年に建てられた邸宅は、木造平屋建の洋館と木造二階建の日本家屋、土蔵で構成されていて、名古屋市の中心街に残る数少ない戦前の邸宅建築です。第二次大戦後大喜多家の手を離れ、現在は愛知県議員会館として県議会議員の会合や宿泊等に使われているといいます(2016年当時の情報)。こういう建物、邸宅は是非とも内部を見てみたいものです。

Img_4088c_20191221172501  スタートから3.4㎞、10時40分頃、名古屋市市政資料館に到着。すでにお馴染み。この向かいには、支援員養成講座でよくお邪魔するウィルあいちがあります。この建物は何度見てもいいところ。ここで出会った、同じウォーキング参加者の女性が、「名古屋にもこんなによいところがあるんですね」とおっしゃっていましたが、まさにその通りと思います。大正11(1922)年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、昭和54(1979)年まで裁判所として使用されました。昭和59(1984)年5月、国の重要文化財に指定されました。

Img_4101c_20191221172501 Img_4120c  もう何度も来ていて、ほとんど見て回っていますので、この日は、中央階段の先にあるステンドグラスと、地下にある留置場だけを見てきました。ステンドグラスは、もちろんきれいなので気に入っているのですが、留置場も何故だか、気になるのです。当然、こういうところに収容されたような経験はありませんし、これから先もないことを痛切に願っています(苦笑)。市政資料館の前庭で小休止。10時50分、再スタート。

Img_4132c_20191229201501  名古屋拘置所の前を通過。清水橋東交差点を渡って、左折し、中部公安調査局、国立病院機Img_4142c_20191229201901 構名古屋医療センターの前を通過していきます。右の写真の橋が、清水橋。橋の向こうに写っているのが、中部公安調査局。ここは何度も通っているのですが、今回調べるまでここが公安の建物とは思いませんでした。

Img_4146c  このあたりにも名古屋城の堀がありますが、空堀。名古屋市役所の北を通過。平成23(2011)年に退職するまでの19年間、「親方丸八」の職員でした。しかし、この本庁舎には行ったことはありません。用がなかったという次第。次の目的地は、名古屋城。キリが良いので、その2はここまで。

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