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2019年12月

2019年12月31日 (火)

よいお年をお迎えください

Img_5961c  いよいよ令和元年も大晦日を迎えました。午前中は曇りがちで、時々時雨れましたが、いつも通り散歩をしてきました。コースImg_4808c もいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町から九華公園に戻り、珈琲館はせ川で畏友・Mさんと会い、その後、寺町商店街に立ち寄ってきました。6.7㎞。散歩友達も少なく、鳥も少ないまま年越しです。

Img_3707c_20191231135101  揖斐川ではカンムリカイツブリが4~5羽。九華公園では、久しぶりにアオサギさんが登場。ゴイサギ、ホシゴイも1羽ずつ。カモは少なImg_5958c_20191231135101 く、34羽。ユリカモメは35羽。他の小型野鳥はほとんど観られません。

Img_3746c_20191231135501  さて、今年1年、思いつくまま、気の向くまま記事を書き散らしてきましたが、お付き合いくださり、ありがとうございました。お陰様で2005年のブログ開設以来197万を超えるページビューをいただいています。来年はとうとう高齢者の仲間入りをしますが、これまで通り、自分の興味・関心にしたがって、歩き、見て、学び、それを記事に載せていこうと思っていますので、引き続き何卒よろしくお願いいたします。皆様には、どうぞよいお年をお迎えください。

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 ということで、今年の記事の締めは、駄洒落ながら、シメとしました(微笑)。



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20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その4)……名古屋城内を見てまわり、円頓寺商店街を通り抜けて、タワーズガーデンにゴール(完)

191221jrwalkingnagoya3 その3が長くなりそうなため、中途半端なところで終わりました。12月21日のJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市Img_4372c 政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」のその4です。入場料¥500なりを支払って、城内に入ったところからです。名古屋城の案内図は、こちらにあります。

Img_4387c  正門を潜ってすぐ左手に大行列。並んで待つのは大嫌いなのに、何の行列かはとても気になります(苦笑)。ヘンなヤツというのは十分自覚しています。天守閣にあるのと同じサイズの金シャチの模型が置いてあって、その前で写真を撮ってもらえるようでした。写真を撮るのは好きですが、写真に写るのは嫌いなので、パス(笑)。よその知らない、ヘンなおじさんが写るのです(爆)。

Img_4390c_20191230110801  案内図で西之丸とあるところに「必勝カヤの木」があります。高さ16m、幹周り8mの榧の巨木。推定樹齢は、600年。初代藩主・義直公が「大坂夏の陣」に出陣するにあたり、実を食したと伝えられています。それにあやかり、尾張藩主は毎年正月にこの実を食べて新年を祝ったという、縁起のよい木。昭和20(1945)年の空襲で火を浴びたものの、枯死を免れています。

Img_4404c  西南隅櫓近くから、この隅櫓と天守閣を眺めた写真。なかなかよい眺めではないかと思います。ここから時計回りに天守閣の向こう側へ回りました。ただし、御深井丸(おふけまる)の方へは、この日は行かず仕舞い。有名な「清正石」も見てきませんでした。改めて、出直しです。しかし、人が途切れないくらい観光客はたくさん。それも、日本語よりも中国語の方がよく聞こえてくる感じ。

Img_4431c_20191230112301  天守閣の北側へ回ると、「天守礎石」がありました。昭和20(1945)年に焼失した旧国宝天守の礎石です。近い穴蔵の地盤の上に置かれて、天守閣を支えていたものですが、天守閣を再建するとき、ここに移し、かつての敷設状況を再現したもの。

Img_4440c  その先へ少し進むと、先ほど通ってきた、城の北側の堀や、堀沿いの散策路が見えます。白い点々は、ユリカモメ。その向こうに広がるのは、名城公園

Img_4449c  不明門から本丸に入ります。不明門の外側は、枡形になっているはずでしたが、現地ではあまりよく分かりませんでした。市民大学郷土史学科で今年度、「城と城下町」の話を聞いたのに勉強が足りません。学んだことは実地で確かめないと身に付きません。

Img_4471c  天守閣の間近にやって来ました。昨年5月からは、天守閣には入れなくなっています。木造復元やら、耐震性に不安があるやらということですが、残念。名古屋城天守閣は、高さが36.2m、石垣を含めると55.6m。姫路城の31.5mをしのぎますし、延べ床面積は1,383坪という城郭建築最大級のスケールを誇っています。木造で復元できればよいのかも知れませんが、石垣の保全、修復など課題も多いようです。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14(1609)年、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と、清須から新城下への街まるごとの引越し(清洲越し)を決めました。このとき新たに造られた碁盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。慶長15(1610)年、名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました(天下普請)。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17(1612)年にほぼ完成。尾張初代藩主として家康九男の義直公が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。

Img_4464c_20191221175201  そして、名古屋城といえば、何といっても金の鯱。慶長17(1612)年、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1,940枚分、純金にして215.3㎏の金が使用されたといわれ、高さは約2.74mありました。現在の金鯱は復元されたもので、再建天守建造の時、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師であった大阪造幣局職員の手により製造されました。一対に使用された金の重量は88㎏、鯱の大きさは、雄2.62m、雌2.57m。

Img_4466c_20191221175201  左の写真が雌、右の写真が雄。江戸時代には、藩財政の悪化により、鯱の鱗は3度にわたって金板の改鋳を行って金純度を下Img_4462c げ続けたため、最後には光沢が鈍ってしまったという話もあります。また、盗難事件も何度かありました。江戸時代には、大凧に乗って金鯱に近づこうとした柿木金助(かきのききんすけ)の伝説がありますし、明治以降も4回発生し、犯人はいずれも盗んだ鱗を鋳潰し売却しようとして逮捕されています。

Img_4478c_20191221175201  平成30(2018)年に本丸御殿が復元されました。もとは、初代尾張藩主の住居・政庁として使用するたImg_4507 め、慶長20(1615) 年、徳川家康により建てられました。総面積は約3,100平方メートル、部屋数は30を超える平屋建ての建物でした。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられたといいます。昭和5(1930)年には、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定されたのですが、昭和20(1945)年の空襲により焼失してしまったのです。平成30年に復元されたのは、徳川家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」です。内部の拝観にはかなりの行列(苦笑)。行列は大嫌いですので、パスして外観のみ見てきました。西南隅櫓にも登れたのですが、そこも行列でした(苦笑)。

Img_4491c  本丸御殿の南側を歩いて、何枚か写真を撮ってきました。あとで名古屋城のサイトで「フォトスポット」をチェックしたら、Img_4502c 似たようなところからの写真が載っていました。的外れのセンスをしている訳ではなさそうです(微笑)。

Img_4518  本丸表二之門から本丸の外へ。古くは、南二之門。本丸大手の外門であり、内門である表一之門とともに枡形を形成していたといいます。本瓦葺の高麗門で、軒周りは漆喰塗り込め、柱や扉には金具が打ち付けられています。現存する数少ない名古屋城創建時の建物。

Img_4533c_20191221175201  本丸表二之門を出たところで12時半。さすがにお腹も空いてきました。門を出たところでImg_4525c_20191221175201 「きしめん」とのれんが掛かった店があり、熱田神宮で宮きしめんを食べられなかった記憶が蘇ってきました(苦笑)。ついフラフラと寄っていって、名物きしめん(¥600)を注文(笑)。宮きしめんではありませんが、ささやかなリベンジ。暖まりました。

Img_4546c_20191230122601  昼食を終えて、名古屋城にはほぼ1時間滞在。JRさわやかウォーキングでは、ゴール受付時間の制限がありますので、そろそろ次の目的地へ進むことにします。が、正門に行くところで、名古屋おもてなし武将隊の武将を発見。加藤清正公でした。正門をでたところで、スタートから歩いたのは、7.8㎞、12時50分頃。南へ向かい、高等裁判所などがあるところで右折し西へ。伏見通りに出て、中区三の丸一丁目交差点で左折します。このあたりは、旧・三の丸で城内でした。

Img_4564c_20191221190701  中区三の丸一丁目交差点の東南角にKKRホテル名古屋があります。正式には、「国家公務員共済組合連合会名古屋共済会館」といいます。いささかの思い出の地(微笑)。教員になる前、病院(国立療養所)で働いていた頃、プライベートで、とある一大イベントをここで執り行ったのです。平成に入った頃のお話しですから、今さらとくに書くことはありませんが……。

191221jrwalking0nagoya4  この先は、円頓寺商店街を通って、ゴールのJR名古屋駅・タワーズガーデンを目指します。実測ルートマップも、その4となります。中日新聞本社の前を通り、新御園橋で右折し再び外堀通りへ、景雲橋で堀川を渡って左折し、円頓寺商店街に向かいます。さらに円頓寺本町を抜けると、那古野に出て、ゴールも間近となります。

Img_4570c  中日新聞本社。時々、どうでもよい昔話を思い出して書いていますが、小学生のとき、社会見学に来た記憶があります。もう50年以上も前ですから、この建物でもありませんし(このビルは、昭和46(1971)年完成)、場所も別のところだったはず。輪転機の勢いに驚いたのと、屋上に伝書鳩が飼われていたように思います。

Img_4586c_20191230130301  途中、ちょっと端折りますが、左の写真は、円頓寺商店街東にある五条橋。慶長年間の「清洲越し」で、清洲の五条川にあった木造の橋をそのまま名古屋に移したため、名称ももとのままになっています。昭和13年に木造の橋に似せたデザインで架け替えられました。

Img_4597c_20191221190701  円頓寺商店街です。ここで9.1㎞。名古屋で最も古い商店街の一つといわれ、今も昔懐かしい面影が残ってImg_4604c います。明治に創業した老舗店も多く残っている一方で、最近は、個性的な新しい店舗も増えています(たとえば、右の写真のような食堂)。平成27(2015)年春にアーケードも改修され、魅力的なエリアとなっています。パリにあるパノラマ商店街とも姉妹提携をしています。ここは、去年10月27日のJRさわやかウォーキングで来ています(20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編)20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)。

Img_4610c  こちらは、商店街にある長久山円頓寺。商店街の名前の元になったお寺。円頓寺商店街は、このお寺の門前町が発展したもの。円頓寺は、承応3(1654)年に、普敬院日言上人によって開創された日蓮宗のお寺。当初は、普敬院と称したものが、円頓寺に改められました。ちなみに、お寺の名前は「えんどんじ」と読むようですが、商店街は「えんどうじしょうてんがい」。

Img_4617c_20191230133901  商店街のそこかしこに、この幟旗。「奉納 国府宮大鏡餅 令和2年2月6日 名古屋市西区奉賛会」とあります。来年の国府宮はだか祭に、ここ円頓寺商店街を含む西区奉賛会から大鏡餅を奉納するということでしょう。こちらのサイトに書かれていますが、大鏡餅を奉納するに当たっては、早くから準備も必要で、大変そうです。

Img_4629c_20191221190701  円頓寺商店街を抜けて、円頓寺本町商店街へ。円頓寺商店街でもここでも、何か美味しそうなものがあったら買おうとは思っていたものの、これといったものは見つかりませんでした。

Img_4633c_20191230144301  その代わり、今まで気づかなかった神社を見つけました。円頓寺本町商店街の中ほどにある多賀宮(たがぐう)がそれです。円頓寺商店街の方には、いつぞや名古屋弁みくじを引いた金比羅社がありますが(20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)、こちらは多賀宮。名古屋で多賀宮は珍しい気がします。商店街に面した鳥居から細い参道が奥に続いています。

Img_4637c_20191230144301  こちらが拝殿。奥に小さなお社が鎮座。このお社にも、正Img_4639c_20191230144301 面に鏡のようなものが見えます。御祭神は、伊邪那岐伊邪那美の2神。由来書によれば、明治中期、多賀大社から分祀したとあります。現在の社殿は、昭和32(1957)年に改修したもの。拝殿前には、「多賀大権現 おもかる石」があります。すべての願い事が、軽くなったり、重くなったりすることで霊験を受けることができるといいます。まず持ち上げてみて、願い事を述べ、「願い事が叶うなら、軽くなってください(重くなってください)」と頼んで、再度石を持ち上げ、軽くなっていたら(重くなっていたら)その願いが成就するそうです。

Img_4647c  境内社としては、拝殿に向かって左に倶利迦羅大龍不動明王、右に薬力稲荷大明神が祀られています。倶利Img_4641c_20191230144301 迦羅大龍不動明王は、犬鳴山(大阪府泉佐野市)から勧請したもののようです。ここは、真言宗犬鳴派の本山で、七宝龍寺は661年に役小角が開いたとされ、修験の根本道場のひとつとされます。薬力稲荷大明神は伏見稲荷大社の中にある薬力社から勧請したもの。薬力社の湧き水を飲むと健康で長生きできるとされています。それにしても、不思議な空間という感じでした。

Img_4671c_20191230151001  円頓寺本町商店街を抜けると、西区那古野に出ます。少し進むと、もう名駅前の高層ビル群が見えてきます。このあたりまで来ると、もうゴールまでは数100mのはず。

Img_4675c_20191230151101  那古野交差点の東側に「名古屋市特別消防隊第二方面隊」という表示のある建物がありました。いわゆるImg_4677c_20191230151101 「ハイパーレスキューNAGOYA」の庁舎でした。第一方面隊から第五方面隊まで5つの部隊が設置され、それぞれ異なる災害への装備・任務が与えられているそうで、ここ第二方面隊は、低所災害と地下災害に対応するのが役割だそうです。

Img_4690c  10㎞を過ぎて、JRゲートタワーや、JRセントラルタワーズが見えてきました。朝、出発したJR名古屋駅・Img_4715c タワーズガーデンに戻ってきたのは、13時40分。10.5㎞+αを歩きました。+αは、名古屋城で歩き回った分。4時間20分かかりましたが、名古屋城で1時間を費やしましたので、実質、歩いたのは3時間20分です。

Img_4711c_20191230151801 Img_4726c_20191221192201  ゴール看板を撮影しないと、JRさわやかウォーキングを完歩したという気になれませんので、この日も撮影。JRさわやかウォーキングのスタンプは、更新してから2つめ。来年11月までの1年間で10個をゲットするのが目標。。思っていたより暖かくて、汗を掻いたくらいです。このタワーズガーデンのゴール受付、実は、JR名古屋駅の関西線ホームに行くより、近鉄名古屋駅地下改札の方がはるかに近いので、JRさわやかウォーキングに来たのに、帰りは、近鉄名古屋線を利用することにしました(苦笑)。この少し南から階段を降りたら、12月15日の近鉄ハイキング(20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編))で地上に出て来た階段があり、すぐに近鉄名古屋駅の地下改札に行けるのです。14時1分に松阪行きの急行があり、それに乗車。桑名駅には14時22分着。¥450。近鉄の方が、JRよりも¥100高いのですが、いささかお疲れでしたので、この際、気にしないことに。

Img_4721c  この日のALKOOのデータ。23,250歩でした(Nintendoの生活リズム計では、21,461歩)。歩いたのは、JRさわやかウォーキングで10.5㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で、合計12.3㎞。よく歩きました。当初は、12時にはゴールだなと思っていたのですが、名古屋城に立ち寄ったので、プラス1時間半あまり。

 この日のJRさわやかウォーキングが、2019年の近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキング納めでした。今年は、1月26日の近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」(20190126近鉄ハイキング“酒蔵みてある記 銘酒「三重の寒梅」丸彦酒造をたずねて”へ(予告編))以来、合計41回に参加しました。来年は、1月12日の近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策」からと予定しています。

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2019年12月30日 (月)

20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その3)……いよいよ名古屋城へ(堀にてバードウォッチング)

191221jrwalkingnagoya3 12月21日のJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」のその3です。いよいよ金のシャチホコが輝く、名古屋城です。実測ルートマップその3です。清水橋東交差点から名古屋医療センターの前を通り、市役所交差点まで来ました。4.2㎞、11時10分。ここから反時計回りに名古屋城の周囲を歩いて、正門に向かいます。

Img_4156c_20191230052401  こちらは、以前、別のウォーキングのときにも載せましたが、地下鉄市役所駅の出入り口。この出入り口だけImg_4159c_20191230052401 が、こんな様式になっています。右は、そのすぐ南にあるオブジェ。インスタ映えスポットのようで、たくさんの人がここで写真を撮っていきます。

Img_4157c  市役所駅の出入り口の向かい側にある金シャチ横丁の看板。金シャチ横丁は2ヶ所あって、こちらは宗春ゾーン。尾張藩7代藩主・徳川宗春(むねはる)公の名前に因みます。宗春は、将軍徳川吉宗の倹約策に対抗して、人命重視、個性尊重、規制緩和など世の中を活性化させる政治を執り行ったため、吉宗と対立して、隠居させられています。

Img_4168c_20191230083301  ここからまずは、北へ向かい、名城公園前交差点まで。左側は、名古屋城、名城公園が広がっています。道を挟んで右側には、Img_4169c_20191230083301 名古屋医療センター、名古屋学芸大学看護学部などがあるエリア。その先には、愛知学院大学名城キャンパスがあります。昔は、公務員住宅などがあった記憶がありますが、今は文教地区という感じ。

Img_4179c_20191230083601  名城公園前交差点で左折。西へ。ここからは公道ではなく、公園内の散策路を進みます。左側Img_4181c (南側)には、名古屋城の堀、向かう先には遠く、天守閣も見えています。これからグルッと回って、あの天守閣の方へ行くのです。

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 堀というと、今の季節、渡り鳥たちが来ているかとほのかに期待します(微笑)。その期待に応えるかのように、しばらく行くとこの看板がありました。さわやかウォーキングと、バードウォッチングが楽しめそうです。

Img_4187c  早速見えたのは、ホシハジロ。ここにいたのはオスばかりですが、かなりの数がいます。そして、コガモも。遠いのでよく分Img_4176c_20191230085101 かりませんが、浅いところにいるか、何かの上でお休み中。

Img_4197c_20191230084401  さらに進むと、驚くべき光景が展開されます。何と、オナガガモが、堀端のすぐそばを、Img_4206c_20191230084401 悠々と泳いでいくのです。町屋川や、志登茂川で遠くからしか見たことはありませんし、近くにいるのを覗き込むとすぐに逃げられていたのに! この写真を撮ったあたりには、コイも集まってきていましたので、餌をやる人がいて、人に慣れているためでしょう。しかし、オナガガモをすぐ目の前で見られるとは、予想外の展開でした。

Img_4208c_20191230084401  ちょっと遠かったので、クリアには写っていませんが、マガモのカップルも見えましたし、オオバンもいました。先ほどの看Img_4193c 板に偽りはなさそうです。

Img_4228c  さらに、かなりたくさんいたのが、ユリカモメ。これまた、近寄ってもすぐには逃げませImg_4237c_20191230084401 ん。やはりエサをもらうので、人に慣れているとしか思えません。御城の北側のこの堀、もう少しじっくり見てみると、さらにいろいろな鳥がいそうです。この北側にも、名城公園が広がっていますから、そちらも含めて、バードウォッチングに来るというのもよいかも。

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 西北隅櫓のところまで来ました。スタートから5.6㎞。いつものことながら、私はあちこちフラフラと見て回り、写真を撮っImg_4306c_20191221173501 ていますので、ドンドンと追い越されていきます(微笑)。このあたりにも、ユリカモメがたくさん浮いていますが、このあと、さらに驚くべき鳥を発見。それは、右の写真。コブハクチョウでした。ことば通り、目を疑いました。後で調べたら、かなり以前からここで飼われているようでした(こちら)。全長150cmと、さすがに大きい。

Img_4321c  名古屋城の西というと、ホテルナゴヤキャッスルであります。今年50周年だそうですが、ほとんど縁はありません(苦Img_4326c_20191230090801 笑)。40年くらい前、友人の結婚式で一度来たのみ(苦笑)。2代目社長候補でしたので、国会議員の先生を始め、とてつもなく大勢の招待客がいたのに圧倒されたことを思い出します。このあたりから城を見ると、右の写真のようになります。

Img_4341c  名古屋能楽堂の北あたりで左折して、正門に向かうのですが、その手前で見慣れないカモを発見。ハイブリImg_4338c ッドかと思ったのですが、畏友・pnさんのご教示で、ヨシガモと判明。鳥図鑑プラス1です(微笑)。お馴染み、ハクセキレイさんもいたりします。

Img_4365c  さて、いよいよ名古屋城正門に到着。この写真のところでスタートからは6.2㎞、時刻は11Img_4370c_20191230093201 時50分を回ったところ。「恩賜元離宮名古屋城」という石碑が建っています。織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、慶長20(1615)年、徳川家康が天下普請によって築城したのが始まり。明治維新後の明治3(1870)年、徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出たのですが、明治12(1879)年、山縣有朋が保存を決定。天守は本丸御殿とともに保存されました。明治5(1872)年、東京鎮台第三分営が城内に置かれたのち、明治6(1873)年に名古屋鎮台、明治21(1888)年に第三師団に改組され、終戦まで続きました。明治26(1893)年、本丸は陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮と称しましたが、昭和5(1930)年に廃止され、名古屋市に下賜されました。昭和6(1931)年、恩賜元離宮として名古屋城が一般公開されたため、この石碑があります。

Img_4372c  こちらが正門。この前来たのは、子どもたちが小さい頃の19年前。大昔です(苦笑)。どうしようかちょっと迷ったのですImg_4383c_20191230093901 が、せっかく来たからにはと、思い切って¥500を払って見学することにしました。左の写真の正門は、明治43(1910)年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されたのですが、第二次世界大戦により焼失したため、昭和34(1959)年に天守閣と共に再建されたものだそうです。

Img_4386c_20191230105601  名古屋城も、事前の調べをせずに行きましたので、適当に回って来ました(苦笑)。それでもあちこち見てきましたので、長くなりそうです。区切りがよろしくありませんが、その3はここらで。その3は、ほぼ名古屋城バードウォッチング編となってしまいました(微笑)。

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20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その2)……名古屋東照宮、那古野神社、本町橋、大津橋を経て、名古屋市市政資料館へ

191221jrwalking0nagoya2 12月21日に参加したJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」のその2です。その2でようやく最初の目的地である名古屋東照宮と那古野神社に着きました(苦笑)。名古屋の官庁街の南、外堀通り沿いにあります。ここから、名古屋市市政資料館に寄って、名古屋拘置所の前を通って、名古屋城に向かうのです。

Img_3922c 名古屋東照宮は、スタートから1.9㎞、到着は、9時50分を過ぎた頃。その名の通り、名古屋で徳川家康を祀る神社。那古野神社と並んでいます。尾張藩初代藩主・徳川義直公が、父徳川家康公の三回忌である元和4(1618)年に大祭を行い、翌元和5(1619)、名古屋城内三の丸に取り込んだ亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を勧請し、成瀬正成竹腰正信を奉行にし、南天坊天海を導師とし9月17日家康の神像を祀ったのが創祀。三之丸東照宮とも呼ばれ、創建当時の境内は3,600坪もありました。本殿の社殿には権現造、楼門、唐門、渡殿、祭文殿等があり、東照宮としてもっとも豪華であったといわれ、社殿などには極彩色がほどこされた華麗なものであったといいます。

Img_3946c  東照宮は、明治9(1876)年にここに遷されていますが、昭和20(1945)年の戦災により焼失しています。現在の社殿は、義Img_3931c_20191229160801 直公の正室・高原院の霊廟で、万松寺内にあったものを大正3(1914)年、建中寺に遷し、さらに昭和28(1953)年に東照宮社殿として移建されたものです。棟札によると、慶安4(1651)年の建物だそうです。

Img_3928c  スタートから間もないところにあるためか、JRさわやかウォーキング参加者で大賑わい。拝殿前はもちろん、御朱印をいただくために、社務所前には大行列。御朱印を集めている方は、実にたくさんいらっしゃるものです。

Img_3952c  名古屋東照宮には、拝殿の東側に末社として福神社があります。御祭神は、大国主命事代主命です。家康公は、大国主命、すなわち大国(大黒)様を深く信仰され、天海僧正(慈眼大Img_3956c_20191229161401    師)をして彫刻した像が祀られています。名古屋開府に当たって、初代藩主徳川義直公に賜って、守護神として崇敬され、元和5(1619)年、名古屋東照宮創立に際し、相殿神として祀られました。この大国様は、腰に両刀を差し、両手に玉を抱えた姿だそうです。邪を斬り、悪魔を払い、玉の如く円満なる大慈悲心の表現といいます。この福神社の拝殿には、正面に鏡のようなものが置かれています。鏡は普通は、拝殿内に置かれているのに、珍しいと思います。

Img_4024c  東照宮に東隣して、那古野神社があります。「なごやじんじゃ」と仮名が振られていることがほとんどなのですが(教育委員  会による説明板も「なごやじんじゃ」でした)、「なごのじんじゃ」とされていることもあります。創建は醍醐天皇の御代、延喜11(911)年と伝わります。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社の一つで、当初は亀尾天王社と呼ばれました。天文元(1532)年の合戦で社殿を焼失しましたが、天文8(1540)年、織田信秀により再建。文禄4(1595)年、豊臣秀吉が社領348石を寄進。元和6(1620)年、徳川義直公が改めて同じ石高を寄進し、社殿を修造しています。創建時より若宮八幡社と隣接していたのですが、慶長15(1610)年の名古屋城築城の際に、当神社のみが三の丸の郭内に取り込まれ、若宮八幡社は城外に遷座しました。これ以降、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされました。また、この時、新たに三之丸東照宮(現・名古屋東照宮)と隣接しています。

Img_3998c  明治維新のとき、須佐之男神社と改称し、明治9(1876)年、名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座、明治32(1899)年に那古野神社と改称しています。神社は昭和20(1945)年3月19日の名古屋大空襲で本殿などを焼失、戦後再建されました。御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)、兵主神(ひょうすのかみ;弓矢を司る軍神)、八柱神。かつて、6月15・16日(現在は、7月15・16日)の例大祭には車楽(だんじり)が曳き出され、近隣からも山車が集まって賑やかだったといいます。

Img_3964c  那古野神社にはいくつもの摂社・末社があります。まず、左の写真は福壽稲荷社。由緒書きも、説明板もなく、詳細は不明。Img_4004c_20191229171901 右の写真は、金山神社。岐阜県不破郡垂井町にある南宮神社の分霊を祀っています。御祭神は、金山比古大神(金の神、鉱山の神)。由来には、「往古より祭祀する」とありますが、創建は不明。現在地に遷座したのは、昭和16(1941)4月といいます。名古屋の金物業者からの信仰が篤い神社とされています。

Img_3984c  さらに拝殿に向かって右手(東側)には、小さな社が5つ並んでいます。左の写真で、向かって左から順に日神社、月神社、白山社、弥五郎社、青麻社となっていました。日神社は「にちじんじゃ」で、天照大神を祀っているかと思います。月神社は、月読尊を祀るのでしょうか。白山社は、その1で立ち寄った白山神社と同じで、白山比咩(しらやまひめ)神社の分霊でしょう。弥五郎社は、よく分からなかったのですが、津島神社弥五郎殿社があります。弥五郎は、堀田弥五郎のことで、武内宿禰(たけのうちのすくね)の後裔。南朝方の忠臣で正平3(=貞和4、1348)年、楠木正行(くすのきまさつら;正成の長子)公にしたがい、四条畷で戦死した勇将といいます。青麻社に関連して、仙台市宮城野区に青麻(あおそ)神社という神社があります。青麻神社は、日本各地にある青麻神社・三光神社の総本社。天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ;高天原に最初に出現した神。造化の三神の一)、天照大御神月読神を主祭神とし、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん;平安後期~鎌倉時代の伝説的人物。源義経の家臣。比叡山または園城(おんじょう)寺の僧ともいわれます)を併祀します。主祭神三神はそれぞれ星神・日神・月神であり、神仏習合の時代には大日如来不動明王虚空蔵菩薩としていたといいます。と、調べただけで関連性などを考察しないまま書いています。アタマの整理が追いついていないのです(苦笑)。那古野神社を訪ねたときには、こんなにややこしいとは思わなかったというのもあります。

Img_4033c_20191229193801  那古野神社から北へ。すぐに外堀通りにでます。ここで右折し、東へ。2.3㎞地点。そこには本町橋。明治44(1911)年にでき、昭和14(1939)年に拡幅されています。単純RC橋であり、煉瓦アーチ橋であります。東側拡幅部分はコンクリート橋となっていますが、西側は市内で唯一の明治の煉瓦アーチ橋が残っています。と書きながら、これは後で調べたこと。写真は、東側しか撮って来ませんでした(苦笑)。後の祭り。

Img_4048c_20191229194401  さらに進むと、ライオン像が鎮座。何だろう? と思ったのですが、像の台座には「ライオンヘルスパーク」と書いてあります。ここには、昭和28(1953)年にライオン歯磨(現在のライオン株式会社)が寄附してつくられた温室のある公園があったところ。現在は、ブランコがある小公園になっています。

Img_4050c Img_4051c  その先、スタートから2.7㎞のところに大津橋。名古屋城三の丸のお堀と大津通りの交点にかかっています。大津通は、県庁や市役所のある官庁街から南、栄、大須、金山に向かう名古屋の南北の目抜き通りの一つです。欄干にあるベイス(飾り花瓶)と球形電球が4本ある照明がレトロ感を出しています。 昭和8(1933)年に完成。

Img_4073c  大津橋を過ぎて、3.1㎞のところにある市政資料館南交差点を左折すると、右手に「愛知縣議員会館」という表示のある建物がありました。元々は名古屋市長も務めた弁護士・大喜多寅之助(慶応2(1866)~昭和36(1961)年)の自邸兼事務所でした大喜多は、美濃国大垣出身。旧制・一高から、明治21(1888)年、東京帝国大学法科大学に入学。明治25(1892)年に卒業後、名古屋市で弁護士事務所を開業した。その後、名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、大正10(1921)年には名古屋市長に就任した[。大正9(1920)年に建てられた邸宅は、木造平屋建の洋館と木造二階建の日本家屋、土蔵で構成されていて、名古屋市の中心街に残る数少ない戦前の邸宅建築です。第二次大戦後大喜多家の手を離れ、現在は愛知県議員会館として県議会議員の会合や宿泊等に使われているといいます(2016年当時の情報)。こういう建物、邸宅は是非とも内部を見てみたいものです。

Img_4088c_20191221172501  スタートから3.4㎞、10時40分頃、名古屋市市政資料館に到着。すでにお馴染み。この向かいには、支援員養成講座でよくお邪魔するウィルあいちがあります。この建物は何度見てもいいところ。ここで出会った、同じウォーキング参加者の女性が、「名古屋にもこんなによいところがあるんですね」とおっしゃっていましたが、まさにその通りと思います。大正11(1922)年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、昭和54(1979)年まで裁判所として使用されました。昭和59(1984)年5月、国の重要文化財に指定されました。

Img_4101c_20191221172501 Img_4120c  もう何度も来ていて、ほとんど見て回っていますので、この日は、中央階段の先にあるステンドグラスと、地下にある留置場だけを見てきました。ステンドグラスは、もちろんきれいなので気に入っているのですが、留置場も何故だか、気になるのです。当然、こういうところに収容されたような経験はありませんし、これから先もないことを痛切に願っています(苦笑)。市政資料館の前庭で小休止。10時50分、再スタート。

Img_4132c_20191229201501  名古屋拘置所の前を通過。清水橋東交差点を渡って、左折し、中部公安調査局、国立病院機Img_4142c_20191229201901 構名古屋医療センターの前を通過していきます。右の写真の橋が、清水橋。橋の向こうに写っているのが、中部公安調査局。ここは何度も通っているのですが、今回調べるまでここが公安の建物とは思いませんでした。

Img_4146c  このあたりにも名古屋城の堀がありますが、空堀。名古屋市役所の北を通過。平成23(2011)年に退職するまでの19年間、「親方丸八」の職員でした。しかし、この本庁舎には行ったことはありません。用がなかったという次第。次の目的地は、名古屋城。キリが良いので、その2はここまで。

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2019年12月29日 (日)

九華公園にセグロカモメ再来、他にはジョウビタキのオス2羽とメジロくらい

Img_3558c_20191229151001  いよいよ今年も押し迫ってきましたが、ほぼいつも通りの生活。新年を迎えるからと行って、特別にすることは、あまりありません。というよりも、減らしているのが実態。それ故、今日も8時20分から散歩三昧。コースもほぼいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街から、帰りに蓮見町によって用を済ませ、10時45分頃帰宅。6.2㎞。しかし、さすがに散歩している人は少なく、それに付き合ったのか、鳥もあまりいません(苦笑)。冒頭の写真は、出がけに撮った木曽御嶽山。御嶽山に向かって左手に見えているのは、乗鞍岳と思います。

Img_5887c Img_3639c_20191229151201  今日の成果は、セグロカモメ。「昨日も見ただろう?」といわれそうですが、今日は九華公園に来ていたのです。今シーズン2回目。1シーズンに1~2回、やってくるのです。たいていは、二の丸堀の東側のエリアの中央あたりに来ています。前回のときにも書いたと思いますが、案外警戒心が強いようです。40~50mほど離れた遊歩道から見ていたのですが、気づいてから5分足らずで揖斐川方面へ飛び去って行きました。

Img_5850c  さて、話を戻して。住吉キンクロウズは、今日はキンクロハジロ2羽のみ。揖斐川にもキンクロハジロの姿はあったものの、20Img_3588c_20191229151701 羽足らず。一時期のように100羽を越えることはなくなりました。カンムリカイツブリは、7~8羽くらいが点在。七里の渡し跡では、ツグミ1羽。その他、ここまでで見たのは、カワラヒワ、スズメ、ハシボソガラスくらい。

Img_3600c  九華公園では、ゴイサギが2羽いたものの、アオサギさんはお休み。ヒヨドリもいつもよりかなり静かでしImg_5864c た。カモは、合計64羽。日当たりのよいところに浮いています。メンバーはいつも通り、ハシビロガモがオス、メスとも5羽、ヒドリガモはオス1羽にメス2羽、ホシハジロはオス1羽。他はキンクロハジロたち。

Img_3613c_20191229152001  もっとも元気に泳ぎ回っているのは、ハシビロガモ。泳ぎながら餌を採っています。ジャコウネズミのキャラバン行動のように、連なって泳ぐのが今冬は目立ちます(こちらもご覧ください)。

Img_5880c Img_3618c  ユリカモメは、34羽がいました。しばらく、野球場の外野フェンスの上にたむろしていました。今日は、九華公園では、ジョウビタキ、ツグミ、モズ、シメなどはまったく見ませんでしたしシロハラもまだ来ていません。散歩友達も、YさんとWさんに出会ったのみ。管理人のNさんも、今日から31日は午前中のみの勤務だそうです。

Img_3649c_20191229152501  全くしょうがないなぁとつぶやきながら貝塚公園に向かう途中、立教小学校の脇で鳥の鳴き声。探していたら、ジョウビタキのオスがいました。鳴き声は、ジョウビタキではありませんでしたが、他の鳥は探せず。貝塚公園では、ヒヨドリはいたものの、いつもよりはるかに少なく、静かでした。

Img_3658c  グルッと回って、寺町を通り抜け、住吉入江まで来たら、角を曲がるところで、その先からメジロの賑やかImg_3681c な声。3羽ほどが、遊歩道の脇に植えられた生け垣で戯れているように見えました。その先で、何かで木の枝を叩くような音が……。案の定、ジョウビタキのオスでした。今日は、まあ最後にジョウビタキ2羽と、メジロを見られたから良しとしましょう。

Img_5897c  オマケ。寺町商店街の陶器店の店頭に信楽焼のタヌキの置物や、傘立てが売られていました。タヌキの置物には値札がついていたのですが、端っこがめくれていて、¥1300なのか、それとも¥13000なのか……? 大きさからすると、¥13,000はしないような気がしますが……。

 

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20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(その1)……桜通、桜橋、白山神社

 ようやく12月21日のJRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」の本編、その1です。これが今年最後のハイキング/ウォーキングです。前回(12/15)は、近鉄ハイキングで名古屋の古墳めぐりでしたので、名古屋の街歩きが続きます。

Img_3837c_20191221164201  この翌日、岐阜大学で研修会の講師を務める予定でしたが、その準備も終えられて、仕事も一区切り付けられました。天気もよImg_3841c_20191221164301 くて暖かそうでしたので、予定通り、このJRさわやかウォーキング」に参加したという次第。当日は、JR名古屋駅・タワーズガーデンで受付が、8時半から11時。桑名駅を8時38分に出るJR関西線の普通電車・名古屋行きに乗車。名古屋駅には9時9分に到着。¥350。タワーズガーデンは、JR名古屋駅・JR名古屋タカシマヤの桜通口にあるテラス。左の写真のように、ミッドランドスクエアの向かい側が、今日の受付、スタート、ゴール。コースマップは右の写真の通り。ここをスタートして、那古野神社、名古屋東照宮、市政資料館、名古屋城、円頓寺商店街と約8㎞のコース。

191221jrwalking0nagoya

 こちらが実際に歩いたルートマップ。スタートしたのは、9時20分。桜通を歩いて、丸之内で北へ。名古屋東照宮、那古野神社にお参り。外堀通りを東へ行き、市政資料館南交差点で北へ。市政資料館を見て、清水橋東交差点を渡って左折し、西へ。名古屋医療センターの前から名古屋城へ。名古屋城を東から北、西と回って正門から城内へ。天守閣の周りと本丸御殿を外から見て、中区三の丸一丁目交差点を左折して、伏見通りを南下。景雲橋を越えて、円頓寺商店街、円頓寺本町を通り抜けて、那古野からタワーズガーデンに戻ってきました。10.5㎞+α。ゴールは、名古屋城に1時間もいたこともあって、13時40分。4時間20分もかかりました。

191221jrwalkingnagoya1  実測ルートマップのその1です。JRさわやかウォーキング名古屋駅のタワーズガーデンがスタート&ゴールでしたので、ルーImg_3842c_20191228220601 トマップ1その1も、スタートしてすぐのルートと、ゴール前のルートとが描かれています。コースマップでは、最初の目的地は、名古屋東照宮・那古野神社になっていますが、そこに至るまでにも桜通の景色や、堀川にかかる桜橋、その先で見つけた白山神社など面白いところがありました。

Img_3857c  スタートして、桜通を少し進んだところで名古屋駅方面を振り返ってみました。セントラルタワーズや、JRImg_3859c_20191228221001 ゲートタワー、大名古屋ビルヂングなどが見えますし、駅前の「飛翔」というモニュメントも視野に入ります。「飛翔」は、名古屋市制100周年の平成元(1989)年、世界デザイン博覧会の開催に伴い、地下鉄桜通線の開通や、名古屋駅前のロータリー交差点の整備が行われたときにつくられました。2027年のリニア中央新幹線開業にむけて、来年度(令和2(2020)年度)から解体されるといいます。さらに進みますが、名古屋で行われるJRさわやかウォーキングは、参加者数がかなり多い気がします。場所によっては、歩道が参加者で「渋滞」するくらい。

Img_3864c  スタートから600mほどで江川線・泥江(ひじえ)町交差点。交差点を渡ったところに国際センタービImg_3876c_20191228221901 ルがあります。そうです、時々ここで相談会を開催したり、支援員養成講座の講師として出向いたりしています。左の写真で、奥のビルがそれ。25階(最上階)には、ランチを楽しむ中華料理の「東天紅」が見えます。その先、1㎞の手前で堀川を桜橋で渡ります(右の写真)。昭和12(1937)年、名古屋汎太平洋平和博覧会が開催された時に、名古屋駅の正面から東へ延びる桜通を完成させ、近代都市名古屋をアピールするための意欲を現した記念的な橋です。その名の通り、親柱や橋灯、高欄などに桜をモチーフにした装飾が施されています。古い橋では、この桜橋のように、親柱、橋灯、高欄などに独自のデザインで装飾が施されているのがいいですね。こういうのを見るのも、ウォーキングの楽しみです。

Img_3882c  1㎞を過ぎて、ie丸の内ビルと、中京銀行の間にひっそりと(という感じ)白山(はくさん)神社がありました。御祭神は、菊理媛命(くくりひめのみこと)。元は白山権現と称しました。創建は明らかではありませんが、加賀国の白山比咩(しらやまひめ)神社を勧請したのが始まりといわれます。応永・永禄の頃(1394~1569)は、泥江縣神社(広井八幡宮;中区錦一丁目;実測ルートマップその1にあります)の境内続きの末社でしたが、慶長の検地の際に境内が二分されたといいます。延宝5(1677)年の広井八幡宮の祭礼の初めより、八幡宮の御旅所として神輿の渡御がありました。昭和12年、桜通の開通によって境内地が大幅に減少し、昭和39年現在地に移ったといいます(教育委員会による現地説明板による)。

Img_3914c_20191229045601  境内は細長く、奥まったところに拝殿があり、拝殿に向かう参道の左側(西側)に末社8社が並んでいます(天神社(菅原道真公)、少彦名(すくなひこな)神社(少彦名神)、疱瘡(ほうそうじんじゃ)神社(不詳、一説には源為朝公)、恵比寿宮 大国宮(事代主命大国主命)、松尾宮(大山咋神(おおやまくいのかみ)、神明宮(天照大神)、山神宮(大山津見神)、秋葉宮 金毘羅宮(火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)、大国主命))。すぐ右隣には、白玉稲荷社もあります。狭い境内にこれだけの神様がいらっしゃるというのは、歴史を辿るといろいろ興味深いことがありそうです。白山(はくさん)神社のリンク先(名古屋神社ガイド)もご覧ください。戦前までは境内が173坪あったといいます。

Img_3894c  この神社で私の目を引いたのは、狛犬。今までに見たことがないタイプ。左の写真は向かって左に立つ狛犬、右は向かって右Img_3902c_20191221165501 に立つもの。無角の獅子と有角の狛犬とが一対になっていたり、阿吽の一対になっているのが普通ですが、そうではありません。また、手にしているものが、左は、穴あき銭をヒモに通したようなもの、右は、雅楽に使う楽器のようなものでした。いや、面白い。詳細は、全く不明。説明書きにもありません。

Img_3900c_20191229052001

 向かって左の狛犬の基壇には、「建具製造業 渡辺鉦太郎」と、また、右の狛犬のそれには「氏子中」とありありましたが、裏側を見てこなかったのは、失敗でした。なかなか学習しないところが残っていて、我ながら苦笑。と思いつつ、ネットで検索したら、これがちゃんと乗っていました(こちら)。奇特な方がいらっしゃるものです。左の狛犬の基壇陰には、「昭和四十七年八月」と追刻があり、右のものには「當市西区塩町 伊藤萬蔵」とあるそうです。渡辺鉦太郎については、こちらに言及がありました。「名古屋兼喜会」を構成する団体の一つである「清鯱会」のメンバーである建具職人。その娘・富は、佐藤観次郎(通称・サトカン、衆議院議員などを歴任)の妻となっています。伊藤萬藏(天保4(1833)~昭和2(1927)年)は、尾張国出身の実業家、篤志家。こちらにも説明があります。いやぁ、面白いのですが、話が広がりすぎました。

Img_3888c  が、もう一つだけ(苦笑)。説明板には、「白山神社 自然石について」と題して、「元から境内にあったもの。いつの頃からか定かではないものの、ご神威を畏み慕う崇敬者などを諸事萬難より守護する不思議な力があると信じられている。お参りの際は石に軽く手を当て心を込めてご祈願ください」とありました。

Img_3916c_20191229074201 Img_3919c  最初の目的地に達しない内から寄り道をしていて、先が思いやられます(苦笑)。日銀前交差点の横断歩道橋を渡って、誓えて津丸の内駅を通過して、北へ。名古屋東照宮と那古野神社に向かいますが、長くなりそうですから、その1はここまで。

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2019年12月28日 (土)

今シーズン初めて町屋川へ……初見のミミカイツブリに、セグロカモメ、オナガガモ、マガモなど【鳥名を訂正しました(12/29)】

Img_5581c  今日は、風も弱く、10時過ぎからはよく晴れてきました。昨日のリベンジではありませんが、町屋川まで出かけてきました。今シーズン初です。桑Img_5824c 名駅前9時10分発の日の出橋行きのバスで、9時27分着。¥350。町屋川左岸を伊勢湾岸道の下を潜った先まで往復したのと、日の出橋を中程まで往復して、5㎞ほど。四日市港潮汐表で満潮が7時48分、干潮が13時10分とちょうどその間。帰りのバスは、11時44分。2時間あまりの時間があります。

Img_3490c  カモやカモメのほとんどは、川の中洲にいるものがほとんど。近い側にはヒドリガモとコガモくらいしかいません。なかなか何がいるか確認もできず、また写真もうまく撮れません。その中で、今日のベストはこちら。セグロカモメの若い鳥と思います。何度か、川の上空を飛んでいました。

Img_3386c  さて、日の出橋から歩き始めてすぐに、アオサギが廃船の上に。何となくよく似合う光景。しかし、さすがにアオサImg_3414c ギ、かなり離れたところから写真を撮ったにもかかわらず、逃げる、逃げる(苦笑)。今日もっともたくさんいたのは、ヒドリガモ。左岸側にも、中洲にも、右岸の川越町側にも、無数といってよいほどいます。

Img_5720c  ヒドリガモ、帰ってくるときに見た光景。遠くからは、白いカモがいるのかと思えたくらい。川面に逆立ちしImg_3435c_20191228191001 て餌を採っていたようです。他に割とたくさんいたのは、コガモ。コガモも町屋川左岸の堤防にあがっていたり、堤防すぐ下でエサを探していたりします。

Img_5599c  セグロカモメは、3枚目の写真の若い個体の他にもう1羽が中洲にいました。中洲あたりにImg_3504c_20191228191201 は、ユリカモメも2羽。

Img_5670c  こちらはハジロカイツブリミミカイツブリ。町屋川で見たのは、初めて。遠くにも似たような鳥がいたのですが、カンムリカイツブリだったかも知れません。しかし、プレジャーボートが1隻、遡ってきて、どこに行ったか不明。

Img_5661c  カワアイサのメスかと思うのですが、こんな不鮮明な写真ですし、自信はありません。2週間ほど前に、カワアイサが10羽くらいの群れでいたという話を聞いています。

Img_5683c  10時10分を過ぎて、伊勢湾岸自動車道の下まで来ました。この頃からよく晴れてきて、風もなく、気持ちよImg_3458c く感じられます。湾岸自動車道を潜ると、南には、中部電力川越火力発電所が見えます。川越火力は、我が家からもよく見えます。

Img_3468c_20191228192101  もう少し先まで行くと、ナガシマスパーランドがよく見えます。このあたりにいたのは、キンクロハジロの群れ。20羽くらい。揖斐長良川の先にある導水堤も見えるのですが、今日はそこには鳥影は全くなし。ここらから引き返します。

Img_5704c  往きにも見かけましたが、イソシギを何ヶ所かで見ましたし、ハクセキレImg_5786c_20191228192301 イも同様に、あちこちで見ます。

Img_5729c 遠く、右岸、川越町に近い方には、オナガガモの姿がありました。といっても、肉眼で見ても分かりませんし、単眼鏡で見ても今ひとつ、ハッキリしません。超望遠コンデジで撮って、パソコンで確認して、ようやくオナガガモだと判明した次第。しかし、このオナガがもがいたあたり、右岸に回ると見えるかというと、ちょっと難しいところなのです。

Img_5650c  中洲あたりには、オカヨシガモらしき姿もありましたが、今ひとつハッキリはしません。また、これも肉眼や単眼鏡で見たとImg_5777c きには気づかなかったのですが、マガモの姿もありました。超望遠コンデジのお陰(微笑)。しかし、これでは、「見た」とはいえません(苦笑)。

Img_3547c  日の出橋まで戻って来たのが、11時20分頃。帰りのバスまで、まだ時間がありますので、Img_3548c_20191228192401 日の出橋の中程まで行ったり、23号線の方へ少し足を伸ばしたり。日の出橋から中洲を見ると、ホオジロらしき鳥が行き交っていました。いたと思われるあたりにデジイチを向けて撮ったら、写っていました(苦笑)。

Img_5805c_20191228192401  23号線の方へ行くと、ツグミが樹上に。もう1羽もいたのですが、カラスが来ると、場所を譲ってしまい、こんな枝かぶりの写真しか撮れません。このあたりでは、ジョウビタキのオスも目撃し、さらにもう1羽小型野鳥もいたものの、何だかは分からず仕舞い。

Img_5822c  という次第で、肉眼、単眼鏡で見て確認できた鳥は多くはなかったものの、写真に写っていた鳥はそれなりにいたという、今日のバードウォッチングでした。ちょっと不満が残りますから、年明けにまた何度か行きたいと思っています。いつもは、日の出橋から伊勢湾岸自動車道あたりまでの往復なのですが、もうちょっと上流、たとえば、JR・近鉄の鉄橋あたりからずっと見て歩きたいと考えています。三岐鉄道北勢線で西別所駅まで行って、町屋川左岸に出て、JR・近鉄の鉄橋、国道1号線町屋橋、国道23号線町屋大橋と進み、日の出橋まで来ると4㎞ほどあります。さらに伊勢湾岸自動車道あたりまで行って日の出橋に戻ると、7㎞弱。これなら歩けます。朝、早めに出て北勢線に乗っていけば、昼までに十分見て回れそうです。次は、このコースにチャレンジしてみましょう。

【鳥名を訂正しました(12/29)】 何の疑問も持たず、ハジロカイツブリと書きましたが、pnさんのご教示により、ミミカイツブリであったことが判明しましたので、訂正しました。初見の鳥です。全長は35cm、日本では冬鳥として海岸、河口、湖沼に少数が飛来するということです。とくに日本海側に渡来するようですが、ハジロカイツブリより数は少ないといいます。

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2019年12月27日 (金)

揖斐川にかもめの水兵さん……ミサゴも煽られる強風かな

Img_5502c  気温は12℃を超えたものの、強風の1日でした。時々しぐれ模様。気温が高かったことを除けば、いかにも冬という天候でしImg_3294c た。右の写真は、桑名七里の渡し公園の拡張工事現場に掲げられている吹き流し。この吹き流しの様子と、風速が概ね対応しています。工事現場などでは安全管理のために吹き流しがあげられているということ。右の写真のように水平に近いと10m/s前後の風が吹いていると思われます。

Images  ネットで検索したら、こういう画像が出て来ました。実は、これ、工事現場などに表示するディスプレイで、Amazonなどで売っています。アメダスで見ると、今日の桑名、最大風速は、朝5時半に9.7m/sで、昼の間は5~8.5m/sくらいの北風。北風が強いと、我が家の玄関ドアが強風で開きにくくなって困ります。

Img_5514c  さて、町屋川に鳥見に行こうと思っていたのですが、これだけの強風ではいけません。計画を変え、いつも通りの散歩コースを歩いてきましたが、これという鳥はほとんどいませんでした。左は、我が家近くの住吉水門のすぐ内側。強風と波を避けたのか、ヒドリガモ6ペアと、キンクロハジロ1羽がここにいました。我が家前の住吉入江には、キンクロハジロが2羽。

Img_3315c  揖斐川には、白い点々が浮いているのが見えます。これ、我が家の玄関先からも見えて、「何だろう?」と思っていましたが、Img_5530c_20191227164501 ユリカモメでした。「かもめの水兵さん」の童謡が頭に浮かんできます(作詞:武内俊子、作曲:河村光陽、昭和12(1937)年発表)。

かもめの水兵さん 並んだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ 浮かんでる

Img_5534c  七里の渡し跡のところ(川口水門)の中にも、カモが20羽ほど。ヒドリガモ、コガモ、キンクロハジロたち。余談になりまImg_3319c_20191227164501 すが、左の写真が川口水門。この右手に七里の渡し跡があるのです。

Img_5374c  これは、12月25日に撮った、七里の渡し跡の写真です。伊勢一の鳥居の向こうに川口水門があり、左上の写真のような光景となっています。イメージが崩れるかも知れません。

Img_3324c_20191227164501  三の丸公園ではシメの鳴き声が聞こえたような気もしましたが、姿は見えず。三の丸水門あたりでも鳥影はなし。こういうシーンが見えたのみ。大群でいるのは、カワウ。向かって右が揖斐川の下流方向。雁とかだったらよいのですが、カワウではなぁ……という気持ちです。

Img_3335c  九華公園では、今日はアオサギも、ゴイサギたちもいませんでした。シメもいたのですが、真っ黒の写真。ツグミの証拠写真が撮れたのみ。他には、ヒヨドリ、ドバト、キジバト、ハクセキレイなど。鳥もいませんし、散歩友達もほとんどいませんので、散歩が早く進むこと(苦笑)。

Img_5552c  カモたちは、50羽。いつも通りのメンバーで、ハシビロガモ、ヒドリガモ、ホシハジロとキンクロハジロ。オオバンも2羽。左の写真は、二の丸跡から管理事務所のある方向を見たもの。この奥、右手に九華橋があります(昨日アオサギがいたところ)。このあと、貝塚公園に回ったものの、ヒヨドリのみ。

Img_3357c  内堀公園に向かっていたら、上空にミサゴの姿。ただし、折からの強風に煽られて、飛ばされそうになりながら、必死に体勢を保っている感じでした。猛禽類というイメージはあまりなし(微笑)。

Img_3286c  住吉神社、九華公園、貝塚公園から内堀公園を回って、ついでに用事を済ませるため、新築町、寿町を回ってから、寺町を通って帰宅。6.9㎞歩いてきました。昨日までの記録ですが、今年1年で歩いた距離は1748.2㎞、歩数の合計は3,343,864歩になっています。午後からは、年賀状をチェックして、投函してきました。その後は、「整理しろ」という天の声にしたがって、リビングに居候しているデスク周りの本や、資料の不要なものを片づけておりますが、なかなか進まずでした。

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2019年12月26日 (木)

アオサギに大接近、カワウの漁も眼前で目撃、さらにイソヒヨドリの採餌シーンも!

Img_5382c  曇天で、気温は11℃を超えたものの、寒い感じの1日でした。朝一番に用事を済ませて、8時半から2時間あまり散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.5㎞。天気はスッキリしませんでしたが、今日のバードウォッチングは、大いに成果ありでした(微笑&喜)。

Img_3246c  まずは、九華公園のいつものアオサギさん。今日は、北門を入ったすぐの堀端にいました。気づかずに接近しImg_5449c たら、いったん逃げられたのですが、逃げた先が、九華橋のすぐ近く。そっと近寄ったら、何と10mほどまで接近できました。それが、左の写真。Canon EOS kiss x-5の250mmズームで撮って、ノートリミングの写真です。いや、アオサギにこれだけ近づけたのは、初めて。いつも、鎮国稲荷神社の社務所裏にいるときでも、20mあまりの距離があるのです。アオサギがいたのは、右の写真のところ。赤丸の中にいます。手前の橋が、九華橋。堀にかかっています。左手には公園管理事務所があります。

Img_3184c_20191226171001  昨日くらいから、この九華橋の北側(右上の写真でいうと、橋を渡った、右手)にコイがたくさん集まってきています。何故だかは不明。大きなコイが数10匹も集まって並んでいます。餌を食べている訳でもありません。皆、50cm以上もあります。

Img_3195c  そして、ここにカワウも集まってきて、何かを企んでいるようでした。しばImg_3213c らく見ていると、ご覧のように、カワウが超特大のコイを捕まえたのです。これが九華橋のすぐ下で展開されたので、ものすごく迫力がありました。

Img_3199c_20191226171101  そこへ、やはりというか、横取り狙いの、別のカワウが登場して、大混乱。結局は、初めにコイを捕らえたカワウが離さなかったのですが、獲物が大きすぎたようで、そのうちに諦めて放置。闖入者のカワウが、放り出されたコイを狙ったものの、こちらも手に負えず、諦めていました。コイは、浮かんできたりはしませんでしたので、逃げおおせたと思うのですが、ケガをしているのは確実。いやぁ、ビックリしたものの、しっかりと目撃できました。

Img_3272c_20191226171101  さらに、寺町商店街の南端、商店街の裏手の寺町堀の端で、イソヒヨドリのオスを見つけました。私が近づいたので、いったImg_3275c んは商店の屋根に逃げたものの、そのうちに、急に飛び出してきました。私の方に向かってきたので、驚いたのですが、狙いは私ではありませんでした。道を挟んだ、東側にあるお宅のフェンスのところに降りてきました。慌てて写真を撮ったら、何かを捕まえたようでした。帰宅して、パソコンで見ると、カメムシを捕らえていました。右の写真、何となく、このイソヒヨドリが獲物を見せてくれたような感じもします(微笑)。

Img_3282c  さらに、さっきまでいた屋根に戻ってのこのシーン、「獲ったどー!」と自慢するかのように、もう一度こちらに見せた様な気がします。それにしても、屋根の上から、20mはあろうかという先にいるカメムシを見つけ、それを捕らえるとは、すごい能力だと思います。

Img_3112c_20191226173201  さて、散歩の初めに戻って。拙宅前の住吉入江、今日は、「住吉キンクロウ&ホシハジロウ」でした。キンImg_5396c_20191226171001 クロハジロのオス1羽と、ホシハジロのオス1羽でした。揖斐川では、カンムリカイツブリが5羽ほどあちこちに浮いていました。キンクロハジロなどは、10羽ほど。目を凝らしてみても見えません。揖斐長良川の中州にも誰もいません。ユリカモメが2羽、アオサギが1羽飛んでいったのみ。七里の渡し跡には、キンクロハジロが4羽。

Img_5415c  蟠龍櫓東の堤防には、ツグミが1羽いたのですが、写真はピンぼけ。高水敷には、ヒバリが5~6羽。この時期に見かけるのImg_3136c は、珍しいことです。向こうも驚いたようで、すぐに逃げられました。三の丸公園の東端のソメイヨシノの木には、シメが1羽。シメも、ほとんど見かけません。去年であれば、ツグミも、シメもこのあたりから九華公園でよく見かけました。ツグミは貝塚公園では、まったく見ていません。それに、シロハラ、今シーズンは全く確認できていません。

Img_5452c  九華公園のカモ。今日はやや増えて、70羽。ハシビロガモはオス、メスとも5羽。ヒドリガモは、オス、メスとも2羽。ホシハジロはオス1羽。他は、キンクロハジロ。キンクロハジロが増えたり、減ったりしています。ユリカモメは、柿安コミュニティパークから遠望したときには、数羽が野球場のフェンスに見えたのですが、九華公園で見ると、2羽のみ。ユリカモメも少ないのです。去年、12月の後半になると、多いときには100羽を越えていたのに。

Img_5488c_20191226171001  内堀公園では、ジョウビタキのオスを見ましたが、曇天で超証拠写真(苦笑)。「そんなもの載せるな」といわれそうですが、まぁ、自分の観察記録ですので、ご容赦ください。いやしかし、今日は天候の割には楽しめました(微笑)。

 午後からは、年賀状の印刷中。宛名印刷はスピーディーにできるのですが、裏の通信面は、写真を入れたせいもあって、かなりの時間を要しています。今使っているプリンタは、さほど性能のよいものではありませんから、余計に時間がかかっている気がしますが、今日中には終えられるでしょう。120枚あまりですが、「今年限りで失礼します」とさせていただくものもあります。

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20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(その3)……いよいよ熱田神宮へお参りし、名鉄神宮前駅でゴール(完)

191215kintetsuhikingnagoya5 12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」のその3です。その2では、断夫山古墳、白鳥古墳と回って来Img_3253c ました。このあたりまで来ると、熱田神宮ももう間近。白鳥古墳を出て、南へ。白鳥橋でっせつし、国道1号線を少しだけ歩いて、19号線を横断歩道橋で渡って、熱田神宮へ。コースマップにしたがって行ったら、表参道ではなく、脇から境内に入る羽目に(苦笑)。 これ、ゴールの神宮前駅へのルートだったようです。

Img_3245c  道草、寄り道大好きですが、横断歩道橋に上がるところで北を見たら、こんなものを見つけてしまいました。国道19号線と、国道22号線の起点がここ国道1号線との交差点だというのです。19号はここから長野まで270㎞、22号は岐阜までの37㎞。

Img_3257c  横断歩道橋を降りてすぐ、9㎞地点に「熱田神宮摂社 松姤(まつご)社」という石柱があり、奥に向かって参道が続いていました。ここも行かないという選択肢はありません。参道は突き当たって、左折し、西に向きます。

Img_3261c_20191225081101  そこに東を向いたお社が建っていました。これが、松姤社。陽がよく当たって、明るい感じの神社です。創建、御祭神などは不詳ということですが、上記のリンク先には、日本武尊と宮簀媛とが出会ったところという伝承もあると書いてあります。ちなみに、「姤」は、①あう、あいびきをする、②みめよい、美しいといった意味。松姤社に向かって左手にも小さいお社があり、そちらは十握(とつか)社というようです(十束などとも書くといいます)。何となく不思議な神社に来たという感覚にとらわれたまま、コースに戻って熱田神宮へ。なお、実測ルートマップ中、「松后社」としてしまいましたが、これはもちろん「松姤社」の誤りでした。

Img_3266c_20191225081101  上記の実測ルートマップにありますように、南の鳥居に入るコース設定ではなく、熱田神宮の東側を回って行くようになってImg_3268c_20191225081101 いましたので、それにしたがいました。お寺が並ぶところの西を歩いていましたが、熱田神宮に入るところにお社がありました。新宮坂(しんぐうさか)神社なのだろうと思います。熱田神宮の境内からは道を1本挟んで、外にあります。神宮内にある南新宮社の南の坂道を新宮坂と呼んだことから来ているとされています。ここも、創建年、祭神など詳しいことは分かりませんが、かつてこのあたりは喜見寺の境内だったようですから、寺の中の社だったかもしれません。神社、とくに小さな神社のことは難しい。よく分からないことが多々あります。

Img_3274c_20191225081101  この新宮坂神社のところから熱田神宮の境内に入って行ったのですが(12時20分頃、スタートからは9.3㎞)、ちょっとインチキをした気分(苦笑)。それと、たぶAtsutajingu ん就職したての頃、一度お参りした記憶があるものの、ほとんど忘却の彼方。さらに、このハイキング前後、用事が多くて、事前の調べを全くせずに参加(苦笑)。改めて境内図を眺めると、43の日割御子(ひさきみこ)神社の東側を歩き、36の清雪(せいせつ)門と42の孫若御子(ひこわかみこ)神社の間あたりから境内に入ったのです。事前に見たいと思っていたのは、信長塀だけでした。しかし、これほどたくさんの施設や、摂社末社、名所旧跡があるとは思ってもいませんでした。左の写真の鳥居は、21大楠のところのもの。

Img_3312c  その創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)で亡くなりました。妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)が、神剣を熱田の地に祀られたことが熱田神宮の始まりです。延喜式名神大社(みょうじんたいしゃ)・勅祭社に列せられ、国家鎮護の神宮として特別の取り扱いを受けました。御祭神は、熱田大神(草薙神剣を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のこと)。相殿神は、「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、天照大神素戔嗚尊日本武尊宮簀媛命建稲種命(たけいなたねのみこと)。宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々。

Img_3320c  拝殿前で気づいたのが、蕃塀の存在。伊勢神宮にもありますので、熱田神宮にもあるのではないかと思っていたのです。拝殿Img_3327c の正面に向かっているものの、距離はかなりあります。さらに、蕃塀の背後は森。「門を開いたときに、正面が直接見えないようにするため」といいますが、もしそうだとすると、この配置では意味をなさない気がします。別の意味があるのでしょうか?

Img_3299c  熱田神宮で是非見たかったところがあります。それは、信長塀。永禄3(1560)年、織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をし、みごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねたものです。兵庫西宮神社の大練塀京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つだそうです。

Img_3279c  境内に入った頃から、鶏の鳴き声が響いていました。上の写真の鳥居を潜った先、文化殿の北あたりで、名古屋コーチン2羽が悠然として歩いていて、参拝客に取り囲まれていました。熱田神宮の神鶏(しんけい)です。人になれているのか、逃げもせず、マイペースという感じ。鶏が神の使いとされるのは、天岩戸の神隠れのエピソードによります。天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、神々は天照大神を天岩戸から出そうといろいろ苦心したのですが、鶏が「コケコッコー」と鳴いたので、朝が来ないはずなのになぜ鶏が鳴いたのか不審に思った天照大神が顔をのぞかせたという話があります。鶏は、このときの功績で神の使いになったといいます。熱田神宮の鶏の由来には諸説あるようです(たとえばこちら)。熱田神宮のサイトには何も書かれていません。

Img_3397c  摂社末社は多数あります。左の写真は、上知我麻(かみちかま)神社。正門(南門;右の写真)を入ってすぐ左手にあります。御祭神Img_3393c_20191225180501 は、乎止與命(おとよのみこと)。知恵授け・商売繁盛の御利益があるといいます。乎止與命は、古代の尾張国を支配した尾張国造(おわりのくにのみやつこ)で宮簀媛命(日本武尊の妃)の父。この神社の拝殿の両脇には、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)が祀られています。

Img_3402c_20191225175801  上知我麻神社に向かって右手には、別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)があります。元明天皇和銅元年(708)に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて、祀ったことが創祀です。古来、武家の信仰がとくに篤く、天正3(1575)年、織田信長は長篠に出兵の際社殿の修造を命じ、また、慶長4(1599)年、家康は拝殿・回廊・築地の修造を、貞享3(1686)年、将軍綱吉は本殿の造替を行った等の記録が残っているといいます。

Img_3383c_20191225180001  このほかの摂社末社にもいくつかお参りしてきましたが、目立っていたのは、熱田神宮で唯一の朱塗りの社となっている南新宮社(みなみしんぐうしゃ;境内図では#35)。疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っています。平安時代中期に疫病が流行して、近隣の人々が旗鉾を捧げてここに疫神を祀ったのが始まり。その後、この旗鉾を活用して、大山や車楽の運行を始めたのですが、明治に入って電線が設けられて廃止されたそうです。

Img_3292c  その他見て来たもの。左の写真は、大楠。境内図では#21。弘法大師のお手植えと伝えられています。手水舎北側にあり、樹Img_3363c 齢は約1,000年とか。右は、佐久間燈籠(さくまどうろう)。境内図では#32。正参道と東参道の交差するところにある石の大燈籠。寛永7(1630)年5月、尾張国御器所の城主・佐久間盛次の四男・大膳亮勝之が海難に遭ったとき、熱田神宮に祈りその加護によってことなきをえたのを感謝して寄進されたといわれています。高さは約8m、江戸時代から日本三大燈籠の1つ。他の2つは、京都南禅寺、東京上野の東照宮の大燈籠。

Img_3342c  この日のハイキングでは、熱田神宮で土産にきよめ餅を買い、できれば宮きしめんを食べたImg_3352c いと思っていました。きよめ餅は、境内にある清め茶屋で無事に購入(5個入り¥600)。宮きしめんは、右の写真のように長蛇の列。神宮に着いたときと、お参りを済ませてからと2回確かめたのですが、変わりがありません。行列に並んで待つのが大嫌いですので(苦笑)、断念。

Img_3346c_20191215221401  こちらがきよめ餅、5個入り。こしあんをやわらかい羽二重餅でくるんだお菓子。純白に「きよめ」の焼き印が押されていまIndex_sweet01p す(右の写真は、きよめ餅総本家のサイトからお借りしました)。江戸中期の天明5(1785)年頃、「きよめ茶屋」が設けられ、参詣客にお茶を呈したといいます。元々、名物がなかった熱田神宮周辺の地域に、伊勢神宮における赤福餅のような名物を作ろうという考えから、きよめ茶屋の話を基に、きよめ餅総本家・初代・新谷栄之助が戦前に「きよめ餅」と名づけた菓子を考案し、今の名鉄神宮前駅前に店舗を構えたといいます。たちまち評判となり、「熱田参りにきよめ餅」「名古屋土産にきよめ餅」と知られるようになったそうです。もっと昔からあるお菓子かと思っていました。YouTubeに昔のテレビコマーシャルの動画がありました(こちら)。

Img_3413c  熱田神宮、とても周り切れていませんが、13時になりそうでしたので、また今度ということにして、ゴールの名鉄神宮前駅へ向かいます。神宮東門を出たところで、大津通の向かい側にきよめ餅総本家の本店がありました。「なぁんだ、どうせならここで買えばよかったかも」という気がしましたが、せっかくなので、写真だけは撮って来ました。

Img_3415c  名鉄神宮前駅には、13時5分を過ぎた頃到着。といってもこの建物は、神宮前駅西に隣接したパレマルシェ神宮という駅ビル。神宮前駅は、その名の通り、神宮東門からは目と鼻の先。11.2㎞+αを歩いて来ました。+αは、熱田神宮の中でかなり歩き回ったのです。駅ビルに宮きしめんの店がないかと思ったのですが、ありません。残念。我が家から遠くないところでは、ジャズドリーム長島に店があるようです。

Img_3422c_20191215222401  時間も時間でしたから、ここで昼食を食べて帰ることにしました。スタバなどもあるのですが、どうもこうImg_3417c いう店は好みません。豆腐料理の鈴の屋さんなどもあったのですが、けっこうな混雑。中華料理、うどんはパス。3階の喫茶店「カフェ・ルシータ」でランチメニューを見つけました。ハンバーグランチ。¥850。量もさほど多くなく、飲み物付き、けっこう美味しくいただきました。都会の喫茶店でこれならリーズナブル。

Img_3425c  名鉄神宮前駅を13時49分発の名鉄岐阜行き急行に乗車。名鉄名古屋駅に13時56分着。¥230。子どもの頃、名鉄三河線の線Img_3431c_20191215222701 路の近くに実家がありましたし、高校・大学・大学院と9年間、名鉄電車で通学しました。三河線は、ローカル路線で、パノラマカーなども乗り入れていませんでしたので、今風にいえば、ダサい電車と思っていました(失礼)。しかし、名鉄の電車も、その頃に比べると 格好良くなった気がします。セントレアに乗り入れるようになって、ミュースカイが走るようになってから、デザインの方針が変わったのかも知れません。

Img_3435c_20191215222701  前日(12/14)に引き続いて、名鉄名古屋駅から近鉄名古屋駅へ乗り換え。2日連続で、名鉄名古屋駅を利用(微笑)。近鉄名古屋駅を14時6分に出る四日市行き準急に乗車。桑名には、14時32分着。¥450。

Img_3444c_20191215222701  あみま倶楽部、会員証を更新して第1回目のハイキング参加でした。そして、ALKOOのデータは、右の写真Img_3446c_20191215222701 のように、24,686歩。ハイキングで11.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で13㎞。熱田神宮を歩き回りましたから、13.0㎞+αのはずで、18.9㎞は歩いていないと思います。

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2019年12月25日 (水)

ホシゴイは宮司さん宅の屋根でお休み

Img_5374c  クリスマスとは思えない暖かさです。天気がよくて日当たりもよい上に、風がありません。こんなに暖かいと、年の暮れというのを忘れます。冒頭に七里の渡し跡の写真を持ってきましたが、とくに意図はありません。いつも散歩では、この伊勢一の鳥居の向こう側を通過します。今日は、散髪が11時からでしたので、散歩の帰り、時間つぶしにこのあたりをウロウロしていたのです(行きつけの床屋さんはここから徒歩5分以内)。散髪してから散歩というのが、恒例のパターンなのですが、今日は逆。8時45分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、内堀公園、京町、寺町、田町、本町、七里の渡し跡、S理容院さんと、6.8㎞。昼前に帰宅。

Img_5275c  拙宅前の住吉入江に、住吉キンクロウズ。しばらく見ませんでした。キンクロハジロのオス2羽とメス1羽、そしてホシハジロのImg_5273c_20191225160101 オスも1羽。たいていホシハジロのオスが混じっていますから、「住吉キンクロウズ&ホシハジロウ」と名前を変えないと(笑)。住吉神社は、宮司さん(桑名宗社の宮司さんが兼務)がいらして、迎春準備。揖斐長良川の中州にアオサギが1羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが3~4羽。今日は、キンクロの群れは見当たりません。七里の渡し跡前の川口水門付近にキンクロハジロとヒドリガモ、コガモが入り交じって10数羽。

Img_5281c  そのまえに、桑名七里の渡し公園の様子。これは、南側エリア。住吉入江に面したところ。ここに門ができつつあり、また、柵が設けられてきています。門柱は、コンクリート製の芯の周りに煉瓦を積み上げてつくっています。今年度中に完成するはずですから、どのようになるか楽しみ。もっと年を取って、遠くまで歩けなくなったら、ここをウロウロしようと算段しています(苦笑)。

Img_5307c_20191225160701  三の丸水門あたりの堤防や、高水敷でツグミ3羽を目撃。ようやくたくさん出て来たかと思ったら、このあとは、九華公園で1羽Img_5311c 見たのみでした。

Img_5349c  九華公園到着は9時10分とやや遅め。アオサギは不在。ゴイサギはいたものの、西側からはImg_5354c_20191225161001 わずかにしか見えず。鎮国稲荷神社にお参りしてから、参道に回って覗くと、もろに枝かぶりでしたが、このようなところにいました。他にいないかと見回して、ちょっとビックリ。宮司さん宅の2階の屋根にホシゴイがお休み中。以前、宮司さんの奥さんからベランダの手すりに止まっていたりして、困ると伺ったのですが、さもありなん。

Img_5356c_20191225163001  カモは相変わらず少なめ。今日は、合計54羽。ハシビロガモのオス5羽、メス4羽、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロはオス1Img_5359c_20191225163101 羽と、これらのメンバーは種類、数ともあまり変わりなし。キンクロハジロが少ないのです。堀のあちこちに散在しています。ユリカモメは、グラウンドのフェンスの上に12羽ほど。このほか、メジロ、シジュウカラなども見たものの、今日は散髪に行くというので、超望遠コンデジしか持たず。とっさのとき、ピントが合いにくいのが難点。

Img_5381c_20191225163601  散歩友達も鳥も少なくて、時間が余ってしまいました。あちこちをウロウロ。11時前にS理容院さんへ。桑名に来てすぐくらいからお世話になっています。前にも書きましたが、「いつも通りでお願いします」で通用するのがありがたい。あとは、床屋政談やら、世間話やら。床屋さんの大将は、新聞やテレビに接する時間も長く、お客さんからもいろいろな話を聞いておられるので、物知り。

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20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(その2)……横井也有翁隠棲之址、下茶屋公園から東別院、コースをショートカットして寺をめぐって、断夫山古墳、白鳥古墳へ

191215kintetsuhikingnagoya2Img_3106c_20191223192601 12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」のその2です。その1では、近鉄名古屋駅地下改札をスタートし、ナナちゃん人形を見て、大須まで来ました。大須に古墳があるなど、今まで知りもしませんでした。商店街で何かを買ったり、食べたりはしませんでしたが、富士浅間神社、まねき稲荷など面白いところも見て、万松寺通りを抜けて、大津通に出て上前津から南に進みます。

Img_3109c  大津通を下って、スタートから3.3㎞ほどのところの歩道脇に「横井也有翁隠棲之址」碑があります。横井也有(元禄15(1702)~天明3(1783)年)は、江戸時代中期の俳人。名は時般(ときつら)。尾張藩の重臣で、武芸・詩歌・絵画・音曲などにもすぐれ、多芸多能であったといいますが、53歳で引退。知雨亭に石原文樵(ぶんしょう)とともに暮らしました。ここ前津に知雨亭があったと思われます。也有の「辞世」に、「病来辞世路 久隠舞津農」とあります。「病になったので世を辞し、久しく舞津(前津)の農となり隠棲した」という意味のようです。また「知雨亭記」に、「市中はなはだ遠からねば、杖頭に銭をかけて酒を賖る足を労せず、市中また近からねば、窓底に枕を支へて夢を求むる耳静かなり。こゝに少しの地を求めて、聊膝を容るるに幽居をいとなむ」と書かれており、と書かれているので、当時の前津は、幽居を営むには適地だったということでしょう(こちら)。羨ましい気もします。

Img_3118c  さらに進み、3.8㎞ほどのところに下茶屋公園がありました。この公園は、東別院の新御殿の後庭があったところです。江戸時代後期の庭園として貴重なもので、東別院所蔵の平面図には「新御殿御庭」という別記があり、天保年間に落成した建築群に伴って作庭されたものと考えられています。ちょっとだけ覗いてきました。

Img_3124c_20191223193401  その先、4㎞地点にあるのが、メ~テレ。この日は、日曜日で、とくにイベントもありませんので、閉まっていました。こういう意味では、テレビ局もフツーの会社と同じようです。お気に入りのキャラクターであるウルフィのイラストや、ロビーに置いてあるウルフィ人形を見て、通過。

Img_3127c  メ~テレから300m足らずのところに真宗大谷派名古屋別院(通称・東別院)があります。Img_3131c_20191215213301 10時50分到着、4.3㎞地点。このあたりは、今年9月28日のJRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」で来ています(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))。お参りして、10分ほど休憩させてもらいました。休憩中に考えました。この先は、古渡町交差点を越えて三桜橋交差点まで行って、左折し、江川線を歩くコースになっています。御菓子処の不朽園さんに立ち寄るのです。不朽最中が名物の店です。その不朽最中(小)5個入りが、通常594円のところ500円という特典があったのですが、最中はまぁいいかと思って、近道をすることにしました(苦笑)。

Img_3132c  ということで、古渡町交差点で左折(左の写真)。国道19号線を南に行きます。途中で、「九丁堀」と書かれた表示板を見Img_3135c つけました。時代小説の捕物帳に「八丁堀」が出て来ますから、気になりますねぇ(苦笑)。この九丁堀は、町名ではなく、交差点の名称として使われているようでした。しかも、江戸時代からの俗名といいます(こちら)。東別院が織田信長の古渡城の跡で、そこから九丁あった(丁は町とも書き、距離の単位です。時代によって変遷がありますが、明治時代にメートル条約に加盟して以降は、一町=109.09m。したがって、九丁=981.81m))などいろいろの説があり、決定版はないと思われます(たとえばこちら)。

191215kintetsuhikingnagoya3  このあたりから、実測ルートマップは、その3のエリアになります(左の写真)。本来のルートは、古渡町を直進し、堀川を超えて、山王橋交差点を右折し、南下。途中、不朽園に立ち寄り、そのまま八熊通交差点まで行って、左折。新尾頭交差点に出るのです。

Img_3152c_20191224124501  スタートから5.5㎞ほどのところで、JR・名鉄・市営地下鉄の金山総合 駅の西の高架橋(新橋)を通過します。電車が通る景色が撮れないかと思って少し待ったのですが、こういうときに限ってなかなかうまい具合にはやって来ません。かつては(私の学生時代など)、名鉄はこの南300mほどのところに「金山橋駅」がありました(昭和19(1934)年開業)。時は経ち、デザイン博開催を控えた平成元(1989)年7月9日に金山総合駅が開業し、3社の総合駅となっています。金山橋駅は、古い木造の駅舎だったと記憶しています。といささかの思い出に浸りつつ、さらに南へ。新尾頭交差点で、正規のコースへ戻りました。

191215kintetsuhikingnagoya4  実測ルートマップその4。

Img_3162c_20191225050501  スタートから約6.6㎞のところ、国道19号線沿いにお寺がありました。このあたり、見るところはないと思っていましたのImg_3164c で、写真だけ撮って通過したのですが、立ち寄ってくればよかったと反省しています。浄土宗鎮西派の寺院。稱讃淨土院遺迎山雲心(うんしん)寺。名古屋三大仏の一つである阿弥陀如来像がご本尊なのだそうです。元文4(1739)年に現在の東海市で開山しましたが、翌年、ここに一部を残し、移転しています(その時の寺院は現在も東海市に残っており、知多新四国霊場の札所となっているそうです)。明治維新までは檀家を持たず、名古屋の著名人の寄進で運営されていました。本尊である阿弥陀如来像は、江戸時代に京都の仏師山本茂祐が作成し、開眼したもの。着座していますので、大きくは見えないものの、2m以上といいます。興正寺の大日如来像、栄国寺の阿弥陀如来像と並び、名古屋の三大仏の一つとされます。気になったらor見つけてしまったら、やはり立ち寄ってくるべきです(苦笑)。

Img_3180c  雲心寺の先、もう次の目的地も近いのですが、6.9㎞地点にあるのが、青大悲寺(せいだいひじ)。ここは、宝暦4(1756)Img_3183c 年、この地で生まれたきの(1756~1826)という女性が開いた如来教の本山です。如来教は、新宗教の一派。ご本尊は釈迦牟尼仏、教典はきのの説教集「御経様」、修行は曹洞禅の形式を取入れています。信者数約3万3,000人。「御経様」は、きのの説法の速記録で、名古屋弁そのままで語られる特異な経典だといいます。ちなみに、東洋文庫(平凡社)の1冊として出版されてます(¥2,500とちょっとお高い)。

Img_3185c_20191225051601  山門を潜って、境内を拝観してきたのですが、静かで、何となく独特の雰囲気が感じられるお寺でした。この日は、紅葉がきれいで、陽の当たり方もちょうどよい感じ。

Img_3169c  この青大悲寺には、地蔵堂があり、等身大の鉄地蔵(てつじぞう)菩薩立像が安置されています。これは、像背面の裾近くImg_3176c_20191225051601 にある銘文から、室町時代の作だということが分かっています。尾張国(愛知県北西部)では、平安時代から鎌倉時代にかけて鉄地蔵が広まったそうです。鋳鉄製の地蔵菩薩像で、そのほとんどが地蔵立像であること、また像高が成人の身長に近いものが多いことがその特徴といいます。如来教というのは知りませんでした。

Img_3190c  さらに、青大悲寺の南隣には、浄土宗西山禅林寺派の壽琳寺があります。9月28日のJRさわやかウォーキンImg_3192c グのときは(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))、山門の写真を撮っただけで通過しました。この日は、覗いてみたのですが、奥の山門は入れないようになっていました。ネットで検索しても、これという情報はありません。

Img_3197c_20191225065701  壽琳寺のすぐ南が、熱田神宮公園。ここに次の目的地である断夫山(だんぷさん)古墳があります。この古墳も9月28日のJRさわやかウォーImg_3200c キングで訪ねました。断夫山古墳は、永らく熱田神宮の所属地でしたが、第二次世界大戦後、名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、昭和55(1980)年に愛知県の所有になり、都市公園として整備されました。

Img_3201c_20191225070001 Img_3205c_20191225070001  「古事記」「日本書紀」では、日本武尊が東征したとき、ここ尾張で豪族の娘・宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚の約束をかわしたのですが、東征の帰途、病気がもとで死に、白鳥となり飛去ったとあります。この白鳥となった日本武尊の墓が白鳥古墳であり、日本武尊への思いをいだいて死んだ宮簀媛の墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。この事から夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。なお、白鳥古墳は、現在の亀山市能褒野で亡くなった日本武尊が、死後、白い鳥となって飛び立ち、戻って来たところという話もあります。断夫山古墳は、東海地方最大の前方後円墳で、全長151m、前方部の幅116m、後円部の直径80m、後円部の高さ13mもあります。6世紀の初め、尾張南部に勢力を持っていた尾張氏の首長の墓と考えられています。右の写真は、公園内にある1/27サイズの断夫山古墳のミニチュア。古墳沿いに歩いて南に進んだのですが、全長151mというのは、かなり大きい。

Img_3212c  断夫山古墳だけを見て、熱田神宮公園から堀川沿いの道に出ます。ここまでで歩いたのは、7.6㎞、時刻は11時45分ころ。振り返ると、名古屋国際会議場が見えますし、堀の向こう(西)側には、9月28日のJRさわやかウォーキングで訪ねた白鳥庭園も見えます。

Img_3223c_20191215213501  その白鳥庭園から堀川を挟んで東側、白鳥公園に隣接して、白鳥古墳があります。熱田神宮では、「白鳥御陵」と呼んでいますが、その経緯は、断夫山古墳のところに書いたとおり。6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳で、法持寺のすぐ隣にあり、かつては法持寺が管理していました。明治9(1876)年からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移されました。墳丘全長が70mという、こちらも大きな古墳。ちょっとした小山という感じ。木々が生い茂っています。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としています。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づいています。

 その2はここまで。その3では、いよいよ熱田神宮へ。

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2019年12月24日 (火)

ミコアイサに会いに行ってきました……河口堰ではカワセミと、ミサゴの食事を遠望

Img_2886c  クリスマスイブですが、暖かくなりました。12.9℃まで上がっています。仕事に区切りがついたということで、プチ遠征に出かけました(微笑)。弥富市の某池公園と、長良川河口堰方面です。8時半出発、11時半帰宅。現地で歩いたのは4.9㎞。いいのです、今日は歩くのではなく、バードウォッチングが目的。初めに某池公園。今日、気づきましたが、遠くに見えているのはたぶん伊吹山。養老山地の北に見えます。形からしても、地図で確認しても(途中に遮るような高い山はなさそうなのです)、間違いはなさそう。桑名からですと、多度山などに遮られて見えないのです。

Img_5071c  某池公園、この時期、目的はもちろん、こちら。ミコアイサ、通称パンダガモ。前回来たのは、11月23日(河口堰でカワセミ、某池公園ではモズとユリカモメ……パンダガモは見当たらず)。もう1ヶ月も前でした。そのときは、ミコアイサはいませんでImg_4853c_20191224173701 した。今日いたのは、オス4羽とメス1羽。しかし、それにしても、ミコアイサも警戒心が強く、近くには来ません。池の中央あたりにいます。けっこう遠いのです。

Img_4989c  オス4羽のうち、2羽は、幼鳥かと思えます。というのも、まだ典型的なミコアイサのオスの色模様になりきっImg_2921c ていないように見えるのです。左の写真で、向かって左の個体がそれ。メスは、右の写真の1羽のみ。池の周囲を一周して戻って来たら、数が減っていたのですが、すぐに戻って来ました。池の中を移動しているようです。カワウが寄って来たりすると、逃げる様子も見られました。ということで、主たる目的はいきなりコンプリートで、満足。

Img_5045c_20191224174401  この池公園の主役は、カイツブリ。今日は数はさほどでもありませんでした。5羽ほど。今日は珍しく、漁&食餌シーンを見らImg_5061c れました。けっこう大きな魚でしたので(カイツブリにとっては、そう思えます)、これ1匹でお腹いっぱいになるのではないかと思えます。

Img_2901c  カモなど水鳥は、全体に少なめという印象でした。もっとも多かったのは、コガモ。そのImg_2945c 他、ヒドリガモ、ハシビロガモなど。あちこちに点在。写真のように上陸しているカモも多数。カンムリカイツブリも1羽。

Img_2961c_20191224174801  オオバンもいますし、セグロセキレイも1羽、登場しましImg_2966c た。

Img_2979c_20191224175101  去年まではたくさんいImg_2933c_20191224175101 たカルガモは、今日は2羽のみ。

Img_5098c  ここ、某池公園、桜が咲いています。シキザクラなのかと思うのですが、正確なことは分かりません。確認しようにも、スタImg_4955c ッフの方には出遭ったことがないのです(清掃や、草取りの方は見かけましたが……)。そして、ここは何といっても、私の好みの景色が広がっています。水辺が広く、遠くに山が見え、気持ちが解放されるような感じがするのです。

Img_5118c_20191224175601

 続いて、長良川河口堰へ。いつもとは逆の順序で、もうあまり鳥はいないかという気がしながら、です。こImg_3051c_20191224175701 こも、気持ちの良い空間。長良川の上は、風がやや強かったものの、さほど寒くはありません。カモは、キンクロハジロがほとんどで、ごくわずかのホシハジロが混じっていました。堰の下流側に130羽あまり、上流側には40羽ほど。

Img_5210c_20191224175901  カンムリカイツブリは、かなり多く、上流、下流合わせると、20~30羽くらい。例年、カルガモもかなりたImg_3101c_20191224180001 くさんいるのですが、今日は、ついたときにはゼロ。親水広場を回って戻るときになって5羽が登場。ただし、残念ながら後ろ姿。

Img_3076c  河口堰では、親水広場に向かう途中、カワセミを発見。前回もカワセミに遭遇しました。こImg_5222c れで2回連続。オスのようでした。親水広場に行くときに見つけ、しばらく見ていたのですが、動きそうもありませんでしたので、そのまま親水広場を一周。戻って来ても、同じ枝に止まっていました。15分くらい、同じところにいたのです。

Img_5236c_20191224180301  そして、ミサゴ。河口堰の管理橋の西の端から南に、こういうオレンジの柱が4本立っています。この上にミサゴがよくいるのです(カワウや、アオサギが止まっていることも多いのですが)。ただ、いかんせん遠すぎます(苦笑)。この写真は超望遠コンデジで、65倍ズーム(1,365mm相当)で撮っているのですが、これくらいにしか撮れません(ノートリミング)。220mあまり先なのです。ここに行くことはほとんど不可能。船で行けば近くまで行けるのですが、河口堰からは行けません。トリミングすると、画像が粗くて見られません(苦笑)。お食事中でしたが、時々顔を上げて、あたりを睥睨していました。

Img_5134c_20191224180801  アオサギさんは、西側の閘門へのアプローチの上に7羽ほどが並んでいましたが、ほとんどが下流の方を向いていました。見Img_5191c_20191224180801 たといえば見た、という程度。ダイサギは、西側上流の魚道脇に佇んでいましたが、このあと飛び立っていきました。

Img_5213c  親水広場にはほとんど鳥はいません。ハクセキレイの声もしたのですが、見たのは、メスのImg_3103c モズ1羽のみ。帰り道、東側の魚道・下流側にダイサギとコサギが1羽ずつ。某池公園も、河口堰も1ヶ月ぶりでしたが、いやぁ充実したバードウォッチングでした(微笑)。町屋川と、できれば両ヶ池公園にも、年内に出かけたいと思うのですが、両方は無理か。

 

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2019年12月23日 (月)

門松が立っています……鳥は相変わらず少ない

Img_2848c_20191223161801  昨日書きましたが、年内の仕事はほぼ完了。ということで、いささか脱力しています(苦笑)。10月初めからが、「遊び人」であった私には、用事が多すぎたということです。今日は午後から、アオサギさんのように、爆睡しておりました。が、午前中は、いつも通り、散歩。8時15分出発、10時半過ぎ帰宅。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町から、桑名宗社(春日神社)、本町、船津屋あたりを経て住吉入江沿いを歩いて、5.9㎞。

Img_2772c  朝は、5.2℃とやや冷えました。藤原岳は、頂上あたりがやや白くなっているのが見えました。しかし、午前中は風も弱く、よImg_2796c_20191223162201 く晴れて暖かく感じました。諸戸氏庭園、住吉入江にはほとんど鳥はいません。揖斐川も、今日はキンクロハジロが10羽くらいと、カンムリカイツブリが数羽。どこも静かです。七里の渡し跡で、コガモ7羽。三の丸公園に来て、ようやくスズメの群れ。今の時期はこういうところや、神社でよく見ます。

Img_4740c_20191223163201  その三の丸公園の東の端で、こちら。ツグミでしょうが、若い個体のような気がします。ツグミは、今年はまだ本当に少ないのです。去年まででしたら、今頃は、あちこちで地上に降りて、エサを探していたのに。そして、シロハラは、まだ見ていません(先日、拙宅マンションの玄関先で見た「お尻鳥」がシロハラかも知れませんが)。

Img_2815c  柿安コミュニティパークではシジュウカラ2羽。九華公園の方からやって来ました。北門近くまで歩いていましImg_2845c_20191223162501 たので、ちょっと戻って確認。九華公園に入ってすぐのサザンカから、やかましいくらいのメジロの鳴き声。そっと近づいたら、10数羽が集って、蜜を吸っていました。この時期、花は多くありませんから、貴重な食糧だと思います。

Img_2860c  鎮国守国神社の社務所の裏、今日は、冒頭の写真のように、アオサギ1羽と、ゴイサギが1羽。今頃の時期、私が歩いている時間帯は、西側からここを見ると、ちょうど逆光で、鳥を探しにくいので、見逃しているかも知れません。その他は、ヒヨドリ天国という感じ。

Img_4749c_20191223162901 Img_2852c_20191223162901  カモたち、今日もあまり多くなく、合計53羽。メンバーはいつも通り、ヒドリガモが2組4羽、ホシハジロはオス1羽、ハシビロガモはオス4羽、メス3羽。ただし、ホシハジロのメスもいたかもしれませんし、ハシビロガモはけけっこうあちこち泳ぎ回っているので見逃しがあるかも知れません。

Img_4761c_20191223163001  ユリカモメは、21羽。今日は誰もエサを与えていませんでしたので、じきに姿を消してしまいました。現金な鳥です。貝塚公園でも、ヒヨドリ、ドバト、カワラヒワ、メジロくらい。こういう天気がよくて、暖かい日にたくさん出て来て欲しいと思うのですが、なかなか思うとおりには行きません。

Img_4766c_20191223163401  さて、今日の散歩では、見て回ろうと思っていたものがあります。それは、門松。まずこちらは、鎮国守国Img_4775c 神社。12月21日(土)に氏子の皆さんがつくられたもの。午前中に竹を切りに行って、午後からつくると伺っていました。

Img_4803c_20191223163601  桑名宗社(春日神社)。楼門の前に立てられています。こちらは、建設業Img_4806c_20191223163601 組合の方々が奉納されたといいますから、ある意味本職の手によるもの。かなり立派なものに仕上げてあります。

Img_2877c_20191223164501  住吉入江まで戻って来たら、チョウが1羽飛んでいました。ヒメアカタテハと思われます。こんな12月も下旬になって、という気がします。「寒さに弱い」と書いてあったので、余計に気になります。

Img_4794c_20191223164701  年賀状、12月25日までに投函して欲しいということですが、まだどこに出すか、整理を始めたばかり(苦笑)。枚数が定まってない故、年賀ハガキも入手していません。先延ばしにも限界がありますから、そろそろ本気にならないと。

Img_4781c_20191223164801  オマケ。鎮国守国神社境内にある梅の木。新しい枝が伸びてきて、芽も吹いてきていました。

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20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(その1)……近鉄名古屋駅地下改札前をスタート、宝くじ名駅前チャンスセンター、ナナちゃん人形、後藤新平宅跡から日出神社、那古野山古墳、富士浅間神社、まねき稲荷、清寿院の柳下水へ

 予告編だけ取り敢えず書いて、そのまま放置してありましたが、12月15日の近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」の本編にようやく着手できます。10月頃から続いた、「私にしては多忙期間」もほぼ終わりであります。この間、他ごと(仕事です)に気を取られ、時間を取られていましたので、記憶があやしくなっています(苦笑)。長期記憶にしっかり保持する前に、妨害刺激の影響を受けてしまった、ということかも(屁理屈、講釈)。記憶を取り戻す努力をしつつ、ゆるりと書いて行きましょう。

Img_2898c  前日の夜、当日の朝といささか仕事をして、それなりにそれらを片づけていました。ちょっと無理矢理という感もありましたImg_2904c_20191215183801 が、仕事の方はまた頑張ることにして、出かけてきました。「気分転換も必要」という屁理屈。受付・スタートは、近鉄名古屋駅、地下改札口前で、9時半から11時。桑名駅を8時46分に出る名古屋行き準急に乗車。名古屋着は、9時17分。¥450。着いたときにはすでに受付が始まっていました。

Img_2911c  こちらがこの日のコースマップ。近鉄名古屋駅をスタートし、大須古墳群、名古屋 菓子処「不朽園」、断夫山191215kintetsuhikingnagoya 古墳、白鳥古墳、熱田神宮と回って、名鉄・神宮前駅がゴール。名鉄で名古屋駅まで戻るということ。コースマップを受け取り、スタートしたのは9時半。右の画像は、今日の実測ルートマップ。近鉄名古屋駅から南に向かい、大須で那古野古墳。熱田神宮公園で断夫山古墳と白鳥古墳。その後、熱田神宮にお参りし、名鉄・神宮前駅がゴール。両方の地図をよく見比べていただくと、実際に歩いたルートでちょっとインチキというか、ショートカットいうか、しております。「不朽園」に立ち寄ることになっていたのですが、「和菓子はまぁいいか」と思って、立ち寄らず、近道をしたのです(苦笑)。「ズルい」といわれればその通りなのですが、「臨機応変な対応」ともいえます(屁理屈こき故、ご容赦を)。

191215kintetsuhikingnagoya1  こちらは、実測ルートマップその1。スタート地点は地下にありますし、地上に出たあたりもいろいろとありますから、その辺は概略図。大須方面へ向かいます。大須へ行けるというのは知識としては理解しているものの、ホントに歩いて行くのかいな? と思いつつ歩きました。

Img_2927c  地下改札前からサンロード方面に向かい、階段を登ったところで右折し、名鉄名古屋駅方面へ出ます。名鉄名古屋駅の北側とImg_2930c いうことになります。この写真で横断歩道を渡って、左手に向かうとあの有名な「宝くじ名駅前チャンスセンター」があります。サイトを見ると、「1億円以上の高額当せんがなんと「268本」「総額454億円」に!」とありました。この日は、大安ということも関係するのか、超大賑わい(普段がどれくらいか分かりませんが)。「買わないという選択肢はない」と鶴瓶さんがいっていますが、私はたぶん買いません。300円しか当たったことがないのです。300円というのは、何というかベーシックインカムのようなもので、必ず当たりますから(苦笑)。「ヘェ~、すっげぇ」と思いつつ、人混みを避けて通過。

Img_2944c  名鉄名古屋駅の角を右折し、南へ。昔の「名鉄セブン」の前(昭和47(1972)年オープン。平成18(2006)年に「名鉄ヤング館」と改称後、平成23(2011)年に閉鎖。余談ですが、昭和47年は高校3年生、平成23年は退職した年)、今は、ヤマダ電機LABI名古屋のところに「ナナちゃん人形」。名古屋では有名。昭和48(1973)年4月28日生まれ、身長6m10cm、体重600kg、バスト2m07cm、ウエスト1m80cm、ヒップ2m15cm。そのファッションは季節ごとにチェンジ。今日は、スターウォーズのC3PO風。名駅かいわいで展開中の冬のイベント「メイエキイルミ2019」開催に合わせ、「ナナちゃんストリート GOLD X'mas」が展開されています。この一環で、映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の公開を記念し、「ナナちゃん」を装飾したということ。この先、下広井町、名駅南3丁目と進んでいきます。このコースは、今回がたぶん初めて。近鉄ハイキングにしては珍しく、名古屋の都心部を歩きます。

Img_2933c  都心部といえば、名駅前から笹島交差点あたりで振り返ったり、見上げたりすると、こんな景色が見えます。左は、近鉄名古Img_2950c 屋駅から地上に出て、名鉄名古屋駅の北あたりから見たもの。ミッドランドスクエアと、大名古屋ビルヂング。右は、笹島交差点のところにたつモード学園のスパイラルタワーズ。どれも、我が家の玄関先や、揖斐川の堤防沿いからもよく見えます。こういうところ、すっかり用がなくなりました。笹島交差点を南下、下広井町で斜め左へ入り、新州崎橋交差点の方へ進みます。

Img_2974c  左の写真は、名古屋高速の新州崎ジャンクションの下。このあたりで1㎞。若宮大通方面にImg_2983c_20191221074601進みます。新州崎橋。堀川にかかっています。こういう歴史のある橋はいい感じ。親柱のデザイン、僧職が堪りません(微笑)。

Img_3001c  若宮大通を歩いていると、落合ビルの前に石柱と縦看板がImg_2998c あるのに気づきました(約15.㎞地点)。気になって見てみると、「後藤新平宅跡」とありました。後藤新平(安政4 (1857)~昭和4(1929)年)といえば、いわゆる明治の元勲。帰農した伊達藩士の子で、当初は医師をしていました。児玉源太郎のもとで台湾経営に顕著な働きをみせたのち、南満州鉄道初代総裁、逓信大臣兼鉄道院総裁、拓殖局副総裁などを務め、外務大臣、東京市長にもなった人。福島県の須賀川医学校卒業後、招かれて来名。明治14(1881)年、愛知県病院長兼医学校長になり、明治16(1883)年に内務省に転ずるまでここに住んだといいます。明治15(188)年、自由党総裁・板垣退助が岐阜で刺客に襲われたとき、ここから人力車で駆けつけ応急手当をしたといわれます。これは、全く知りませんでした。

191215kintetsuhikingnagoya2

 若宮北とある「若宮交差点」を過ぎると、北側に白川公園。科学館や美術館があります。さらに進み、美術館の南あたりで右折し、日出神社。このあたりから実測ルートマップは、その2。日出神社にお参りし、大須にある那古野山古墳を目指すのですが、途中、ちょっと道を間違えたり、商店街を通り抜けるのにこのルートで大丈夫なのかと不安になったりしましたが、何とか切り抜けました。

Img_3028c  こちらが日出(ひので)神社。スタートからほぼ2㎞、10時少し過ぎ。慶長16(1611)年、清須にあった愛宕大権現と天道Img_3018c_20191221080401 宮の2つの社を、名古屋城築城の際に城下町に移してきたといいます。御祭神は、軻遇突智命(かぐつちのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見尊(つくよみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと;宗像むなかた三女神の一柱)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと;宗像むなかた三女神の一柱)。月夜見尊は、伊勢神宮のみに祀られているのかと思っていたのですが、新しい発見でした。この神社の由緒については、やや複雑なところがあるようで、こちらにわかりやすい解説があります。

Img_3036c  次の目的地である那古野山古墳に行くのに、細い路地が入り組んでいて、1本早く曲がってしまい、偶然、大須演芸場の前に出てしまいました。その存在はもちろん知っていたのですが、実際に来たのは、初めて。何度かつぶれかかったのですが、いろいろな方の支援で続いています。落語は市民会館などのホールで聞いたことはあるものの、演芸場、寄席というところは来たことがありません。場所も分かったことですし、一度は寄席で生の落語を聞きたいもの。

Img_3040c_20191215185801  那古野山古墳は、大須演芸場から1本東の通りでした。若干ウロウロしそうになりましたが、地図をよくよく眺めて無事到Img_3045c 着。元は前方後円墳で、前方部は取り壊されていますが、後円部の上に乗ることが可能でした(直径22m、高さ3m)。私も登って見たのですが、お墓の上に登るというのも、微妙な感覚でした。江戸時代末の元治2(1865)年3月、須恵器(足付有蓋短頸壺)が出土し、近くにある富士浅間神社に保存されています。平成8(1996)年の調査で「現在古墳の墳丘と考えられた土の多くは、中世以降の盛土で」「中世盛土の下、もしくは近くに古墳があることも確実」との報告があるそうです。那古野山古墳で2.4㎞。10時15分頃。ちなみに、ここには、「浪越公園跡」という説明板がありました。修験道の寺であった清寿院があったところで、明治12(1879)年、市内で最初の公園として市民に開放されたところだそうです。

Img_3067c  さぁ無事に那古野山古墳も見ましたので、万松寺通を抜けて次の目的地へと思ったら、曲がり角で神社を見つけてしまいました(苦笑)。見つけてしまったからには、行かないという選択肢はありません(微笑)。先ほど、那古野山古墳の出土品が保管されているという富士浅間神社でした。明徳4(1495)年、後土御門天皇の勅令によって駿河の浅間神社から勧請したという由緒が伝わっています。御祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、大山祗命(おおやまつみのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと;瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子。山幸彦の名で知られる)。

Img_3070c_20191222092401  それにしても、後土御門天皇は、なぜここに神社、それも浅間社を建てることを命じたのでしょう? 明徳4(1495)年は、戦国時代の前期。あの応仁Img_3077c の乱は、一応落ち着いたものの、室町幕府は弱体化し、天皇の権威も弱まっていた頃。本当に後土御門天皇が命じたのかなど、考え始めると疑問は多々。この富士浅間神社は、古墳の跡という説(浅間神社古墳)もあるようです。すぐ北には那古野山古墳があり、その北には日出神社古墳、西には大須二子山古墳(消失)がありますから、このあたりは何か意味のある場所だったのかも知れません。右は、富士浅間神社に咲いていた桜。シキザクラか、十月桜か(区別ができませんが……)。

Img_3082c_20191222092401  富士浅間神社の隣には、まねき稲荷。変わった名前のお稲荷さんです。もちろん、ここもお参り。由緒書き Img_3087c などはありませんし、ネットで調べてもこれという情報は出て来ません。

Img_3089c_20191223073701  現地では全く気づかず、記事を書くのに写真を見ていて気づいたのが、こImg_3091cc ちら。拝殿前の狐。向かって左の方をよくご覧ください。「招き猫」ならぬ、「招き狐」。なるほど、「まねき稲荷」というわけです(微笑)。

Img_3093c_20191223074501 相変わらず長くなっていますが、大須商店街を抜けるまでお付き合い願います。まねき稲荷から東へ。万松寺通にある喫茶店の一角というか、中心というか、そこに「清寿院の柳下水(せいじゅいんのりゅうかすい)」という井戸があります。名古屋三名水の一つといわれたそうです(他は、亀尾の清水と蒲焼町風呂屋の井)。清寿院は、修験道当山派・富士山観音寺ともいい、寛文7(1667)年、藩命により清寿院と改め、明治の廃仏毀釈により廃寺となりました。この清寿院の中門前にあり、寺の供水としてまた、将軍家上洛の際には飲用水として用いられたといいます。富士浅間神社はこの寺の鎮守だったと市教育委員会の説明板にありました。ちなみに、他の名水のうち、亀尾の清水は、東区の清水口交差点近くを通っていた犬山に通じる稲置街道の大曲と呼ばれたあたりにあったといいます(今ははもう枯れてしまって、道路か住居の地下に隠れてしまったそうです。こちら)。「亀尾清水」の名は、近くにある「七尾天神社(通称亀尾天満宮)」からきているといわれています。また、蒲焼町は中区にある地名で(名古屋国際ホテルあたりに「蒲焼町」という表示板が複数あるそうです)、清洲越し以前からここには遊里(飛騨屋町・ぞめき町)が存在したことにより、香倍(婆)焼町と呼んだとする説、桜の木の皮を焼いて加工する職人が居住することに由来する「かんばやき」町が転じたとする説、名古屋城築城の際に集まった大工などを相手に蒲焼を商う茶屋が出現したことに由来する説があります。賑やかな街に流れる紫川の泉も豊富で、「扇風呂」という銭湯が賑わったそうです。『尾張名陽図会』によると、肌がきれいになるといわれて芸妓に人気だった風呂の水が、名古屋三名水としてあげられているといいます。

Img_3097c_20191223122601  この清寿院の柳下水があるのは、大須観音通(左の写真)にあるシャポーブランという喫茶店の大須本店のところ。ここからImg_3101c_20191223122201 東へ。大須観音通を抜けて、万松寺通商店街へ(右の写真)。万松寺通商店街を抜けて上前津方面へ出ます。万松寺通では、招き猫のモニュメントがあるとマップにあったのですが、よく分からず。右の写真に写っているものでしょうか?? もう一つ、オマケ。万松寺(ばんしょうじ)は、織田家の菩提寺。山号は亀嶽林(きがくりん)。天文9(1540)年、織田信長の父、織田信秀公が、伯父の大雲永瑞大和尚(瀬戸市赤津・雲興寺七世)を迎え建立しました。慶長15(1610)年、名古屋城築城に当たって、現在地に移転。22,309坪あったといいます。大正元(1912)年、当時の37世大円覚典和尚がその大部分を開放し、大須を名古屋の大繁華街としたのが、現在の繁栄につながっています。

 長くなりましたが、大須商店街でキリも良いので、その1はここらで。

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2019年12月22日 (日)

冬至の今日は、岐阜で研修会の講師……織田信長公金ピカ像を見て、鶏ちゃん炒めランチを堪能し、肝心の研修はいかに?

Dscn2483c  冬至を迎えました。出先の岐阜では、夕方、用事が終わってバスを待っている頃からポツポツと降り始めました。桑名まで戻ってきた18時半頃は、Dscn2487c 本降り。今日は、予定通り、東海地区K-ABC研究会で岐阜大学へ。「KABC-Ⅱの解釈の基礎-評価点・標準得点への換算演習と尺度水準の解釈の基本-」ということで、不詳私めがお話しをしてきました。13時半から途中10分ほどの休憩を挟んで16時まで。演習と、基礎的なお話し、演習事例の解説という内容を準備していったのですが、演習でかなり時間を使ってしまい、参加者の皆様のご了解をいただいて、「次回に続く」とさせてもらいました。KABC-Ⅱについて全くの初心者の先生から、10例以上ご経験の方までさまざまでしたが、粗点から評価点への換算などの演習をじっくりとやっていただきました。次回は、年度が改まった、4月後半の予定。右の写真は、帰るとき、岐阜大学のバス停でバスを待っているとき、「一目で岐阜大学と分かる景色はないか?」と探したところ、これがもっとも目だったというもの。コンビニ&広報プラザ。

Dscn2467c  往復ともJRを利用するのですが、JR岐阜駅といえば、私のイメージはこれしかありません。織田信長公の金ピカ像。ここ数年、Dscn2475c 岐阜に行くたびにこの信長公の金ピカ像の写真を撮って、ブログに載せています。「お気に入り」というのでもないのですが、駅を降りてバス停に向かうとき、正面にあってとにかく目立つので、気になるのです(苦笑)。前にも書きましたが、この金ピカ像は、岐阜市制120周年を記念し、平成21(2009)年9月26日に市民の寄附によりJR岐阜駅北口前広場に建立されました。台座までの高さは約8m、像の高さは約3mで金箔3層張りとなっており、マントを羽織り、右手に種子島(鉄砲)、左手には西洋兜を持っています。今日はバスを待っている間に、「丸窓電車」を発見しました。かつて、岐阜市内を路面電車で走っていた車両ですが、調べてみたら、今年11月16日に岐阜市金町の金公園からここに移設されたばかりだそうです(こちらの岐阜新聞のサイトをご覧ください)。この電車は、大正15(1926)年に製造されており、楕円形の窓が特徴です。平成17(25005)年の廃線まで約80年活躍していました。11月にここに移設されたのであれば、安心。今まで、あったのに気づかなかったとなると、我ながら大丈夫か?と思えますから(苦笑)。

Dscn2462c  話が少しずつ遡っていますが、往きにJR岐阜駅に着いたのは、11時半過ぎ。昼食は、JR岐阜駅で食べようと思って出かけてきました。岐阜についてすぐ、ASTY岐阜にあるレストラン街へ。蕎麦屋さんかなぁと思って行ったのですが、レストラン街に入ってすぐ、「赤い鳥」という焼き肉店の店頭にあるランチメニューが目に飛び込んできました。「鶏(けい)ちゃん炒めランチ」が¥800。鶏ちゃんが、岐阜のローカルグルメというのは承知しています。そして、気づいてしまったからには、ここに行くしか選択肢はありません。

Dscn2457c  即断即決。右上にある鉢に入っているのが「鶏ちゃん炒め」。「鶏ちゃん」は、下呂市を中心とする南飛騨地方や郡上市を中心とする奥美濃地方の郷土料理で、しょうゆや味噌をベースにしたタレに漬け込んだ鶏肉をキャベツなどといっしょに焼いて食べる料理です。いや、美味しかった。「豚ちゃん」というのがありますが、それの鶏バージョン。などというと地元の方にはお叱りを受けるかも知れません。

 今日の研修会講師で、年内の仕事はほぼ終えられました。江戸橋での非常勤の関係では、試験問題の印刷は先日お願いしてきました。来年度のシラバスと、全回の授業のQ&Aは、いずれも今朝仕上げて、メールで送りました。年明けの授業準備も済ませていますので、これで年内の仕事はほぼ終了という次第。しかし、年賀状はまだほとんど手を付けていません。前にも書いたかも知れませんが、来年3月で高齢者の仲間入りですから、これを契機に、大幅に減らそうと思っています。

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2019年12月21日 (土)

20191221JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」へ(予告編)……年内最後のハイキング/ウォーキング【カモの名前を付記(12/22)】

Img_3837c_20191221164201 仕事も一区切り付けられましたし、天気もよくて暖かそうでしたので、予定通り、JRさわやかウォーキング「歴史や文化が見えImg_3841c_20191221164301 る市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」に行ってきました。JR名古屋駅・タワーズガーデンで受付が、8時半から11時。桑名駅を8時38分に出るJR関西線の普通電車・名古屋行きに乗車。名古屋駅には9時9分に到着。¥350。タワーズガーデンは、JR名古屋駅・JR名古屋タカシマヤの桜通口にあるテラス。左の写真のように、ミッドランドスクエアの向かい側が、今日の受付、スタート、ゴール。コースマップは右の写真の通り。ここをスタートして、那古野神社、名古屋東照宮、市政資料館、名古屋城、円頓寺商店街と約8㎞のコース。

191221jrwalking0nagoya

 こちらが実際に歩いたルートマップ。スタートしたのは、9時20分。桜通を歩いて、丸之内で北へ。名古屋東照宮、那古野神社にお参り。外堀通りを東へ行き、市政資料館南交差点で北へ。市政資料館を見て、清水橋東交差点を渡って左折。西へ。名古屋医療センターの前から名古屋城へ。名古屋城の東から北、西と回って正門から城内へ。天守閣の周りと本丸御殿を外から見て、中区三の丸一丁目交差点を左折して、伏見通りを南下。景雲橋を越えて、円頓寺商店街、円頓寺本町を通り抜けて、那古野からタワーズガーデンに戻ってきました。10.5㎞+α。ゴールは、名古屋城に1時間もいたこともあって、13時40分。

Img_3882c  今回は、予告編ということで、コースに設定された立ち寄り先を中心に。堀川を超えて、スタートから1㎞あまりのところに白山神社がありました。御祭神は、菊理媛命(くくりひめのみこと)。創建は明らかではありませんが、加賀国の白山比咩(しらやまひめ)神社を勧請したのが始まりといわれます。

Img_3894c  ここで目を引いたのが、狛犬でした。今までに見たことがないタイプ。左の写真は向かって左に立つ狛犬、Img_3902c_20191221165501 右は向かって右に立つもの。無角の獅子と有角の狛犬とが一対になっていたり、阿吽の一対になっているのが普通ですが、そうではありません。また、手にしているものが、左は、銭をヒモに通したようなもの、右は、雅楽に使う楽器のようなものでした。いや、面白い。詳細は、全く不明(説明書きにもありませんし、まだ調べてはいません)。

Img_3922c  スタートから1.9㎞、9時50分を回って名古屋東照宮に到着。ここと、次の那古野神社は、一度来てみたかったところ。東照Img_3946c 宮ですから、ご祭神は、徳川家康公。創建は、元和5(1619)年9月。家康公が亡くなられて3年後、尾張徳川家初代・義直公が、日光山鎮座の式に準じて、城内三の丸に社殿を創建したことに始まります。明治9(1876)年10月、藩校明倫堂跡地である現在地に遷座しています。名古屋で開催されるJRさわやかウォーキングは、参加者が多いのですが、ここで御朱印をいただく方の行列が数10メートルにもなっていました。

Img_4024c  名古屋東照宮のすぐ東隣が、那古野(なごの)神社。延喜11(911)年に現在の中区丸の内に鎮座され、城の総鎮守、名古屋の氏神として祭らてれいましたが、廃藩置県により明治9(1876)年に現在地に移されました。ご祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)、兵主神(ひょうすのかみ;兵主神社にまつられる神。弓矢をつかさどる軍神とされるが、実際にまつられているのは大己貴命(おおむなちのみこと、大国主神)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)など)、八柱神。東照宮、那古野神社ともに桜の名所だそうです。

Img_4088c_20191221172501  外堀通り、市政資料館南交差点を経て、スタートから3.4㎞、10時40分頃に名古屋市市政資料館に到着。この向かいにあるウィルあいちに研修会で何度も来ていますが、市政資料館にもたびたび来ています。この建物は何度見てもいいところ。ここで出会った、同じウォーキング参加者の女性が、「名古屋にもこんなによいところがあるんですね」とおっしゃっていましたが、まさにその通りと思います。大正11(1922)年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、昭和54(1979)年まで裁判所として使用されました。昭和59(1984)年5月、国の重要文化財に指定されました。

Img_4101c_20191221172501  何度も来ましたので、内部は、ステンドグラスと、留置場と2個所を見てきたのみ。ここへは、3月16日のJRさわやかウォーImg_4120c キング「早咲きの『桜みちまつり』を抜け『旅まつり名古屋2019』へ」でも来ましたし(2019年3月16日:20190316JRさわやかウォーキング「早咲きの「桜みちまつり」を抜け「旅まつり名古屋2019」へ」へ(予告編))、2月24日の支援員講座のときにも訪ねています(2019年2月24日:今日は、支援員養成講座で名古屋へ)。詳細は、そちらをご覧くだされば、幸いです。

Img_4159c_20191221173501  市政資料館からは、名古屋拘置所を眺めながら、清水橋東交差点を渡って左折し、西へ。名Img_4157c 古屋医療センターを過ぎて、名古屋城へ。市役所交差点で北へ。市役所駅出口のそばに金シャチ横丁宗春ゾーン。このあたりは、インスタ映えするスポットのようで、皆さんが写真を撮っています。ちなみに、金シャチ横丁は、見ただけ。

Img_4181c  ここから北へ向かい、愛知学院大学名状キャンパスの手前で左折。名古屋城の周りを歩いてImg_4197c 行きます。遙か西に天守閣が見えます。名古屋城の北側は歩いたことがなかったのですが、堀にはたくさんの水鳥が来ていました。右の写真は、オナガガモ。すぐ目の前にやって来て、逃げません。ちょっと感動したのですが、エサをもらうのに慣れているためでしょう。

Img_4208c_20191221173501  マガモも見えました。他には、ホシハジロ、オオバン、キンクロハジロ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、カワImg_4237c_20191221173501 ウ、ユリカモメなども。ウォーキングに来て、これだけのバードウォッチングができるとは、まさに望外の喜び(微笑)。

Img_4306c_20191221173501  それに、何とコブハクチョウまで1羽いるではありませんか。ビックリ。全長約150cm。悠Img_4341c 然と泳いでいたというか、漂っていたというか。さらに、右の写真のカモ。ヒドリガモのメスらしきかもと一緒に泳いでいたのですが、何でしょう? ハイブリッドかも知れません。もう少し調べることにします。

Img_4365c  そして、いよいよ名古屋城の正門へ。スタートから6.3㎞、11時50分に到着。大きな石柱には、「恩賜元離Img_4372c 宮名古屋城」とあります。織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下普請によって築城したのが始まり。明治維新後の明治3(1870)年、徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出たのですが、明治12(1879)年、山縣有朋が保存を決定。天守は本丸御殿とともに保存されました。明治5(1872)年、東京鎮台第三分営が城内に置かれたのち、明治6(1873)年に名古屋鎮台、明治21(1888)年に第三師団に改組され、終戦まで続きました。明治26(1893)年、本丸は陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮と称しましたが、昭和5(1930)年に廃止され、名古屋市に下賜されました。昭和6(1931)年、恩賜元離宮として名古屋城が一般公開されています。ここで若干、迷ったのですが、せっかくだからと入場料金¥500を払って、中へ。

Img_4471c  現在は、天守閣には上がれませんが、周りを歩いてきました。18年ぶり(笑)。大きくて立派。名古屋市長の河村たかしさんImg_4464c_20191221175201 が木造にすると頑張っていますが、石垣の保全など課題は多いようです。今のままでもよいような気がします。

Img_4466c_20191221175201  それに何といっても、金の鯱。慶長17(1612)年、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱はImg_4462c 一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3㎏の金が使用されたといわれ、高さは約2.74mありました。現在の金鯱は復元されたもので、再建天守建造の時、日本国内に数えるほどしか残っていなかった鎚金師であった大阪造幣局職員の手により製造されました。一対に使用された金の重量は88㎏、鯱の大きさは、雄2.62m、雌2.57m。左の写真が雌、右の写真が雄(のはず)。

Img_4478c_20191221175201  本丸御殿は、平成30(2018)年に、徳川家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が復元されています。もとは、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として慶長20(1615)年に完成。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられたといいます。昭和5(1930)年には、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定されたのですが、昭和20(1945)年の空襲により焼失してしまったのです。内部の拝観には、かなりの行列(苦笑)。行列は大嫌いですので、パスして、外観のみ見てきました。

Img_4533c_20191221175201  西南櫓にも行ったものの、こちらも行列で、引き返してきました。主なところは見ましたので、次へ進もうかと思って、正門Img_4525c_20191221175201 (追手門)へ向かっていたら、「きしめん」という看板が目に入り、ついつい、フラフラとこのお店へ(苦笑)。名古屋城きしめん亭。熱田神宮でのリベンジということではありませんが、12時半を回ってお腹も空いていましたので、きしめんを食べることにしました。もっともシンプルなきしめん、¥600。実は、さほど期待はしなかったのですが、けっこういけました。結局、名古屋城には1時間も滞在。

Img_4564c_20191221190701  円頓寺商店街に向かいます。中区三の丸一丁目交差点を左折。ここの角には、KKRホテル名古屋がありますが、ここは実は思Img_4570c い出深いところ(微笑)。南へ向かいます。中日新聞の本社の前を通って、新御薗橋交差点で右折。慶雲橋を越えて右折し、南下。

Img_4597c_20191221190701  円頓寺(えんどうじ)商店街に入ります。ここで9.1㎞ほど。13時10分を過ぎた頃。円頓寺商店街は、たぶImg_4617c_20191221190701 ん3回目くらい(2018年10月27日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編);2010年12月14日:名古屋、四間道を散歩)。去年来たときは、金刀比羅神社で名古屋弁みくじを引きました。今日は、右の写真のような幟旗があちこちに立っていました。国府宮の裸祭に、今年はこのあたりの方たちが大鏡餅を奉納するようです。

Img_4629c_20191221190701  円頓寺商店街から江川線を渡ると、円頓寺本町商店街。このあたりは、名古屋でも最も古い商店街として、また大須と同様に円頓寺の門前町として庶民に親しまれた街です。 歴史は江戸時代までさかのぼり、「清洲越」によって城下町が造成され、明治20年代に円頓寺に商店街が形成されました。今も名古屋下町の人柄と昭和時代の懐かしい雰囲気が残っています。

Img_4671c  円頓寺本町商店街を抜けると、9.7㎞。本末商店街を抜けて、左折すると、名駅前の高層ビル群が見えてきます。ゴールも間近。この写真は、那古野交差点の手前で撮影。

Img_4709c  13時40分、スタートしたタワーズガーデンに戻ってきまImg_4726c_20191221192201 した。10.5㎞+αを歩いて、4時間20分。名古屋城で1時間を費やしています。JRさわやかウォーキングのスタンプは、更新してから2つめ。向こう1年間で10個をゲットするのが目標。

Img_4711c  恒例により、ゴール看板を撮影。これを撮らないと、JRさわやかウォーキングでゴールした気がしません(苦笑)。思っていたより暖かくて、汗を掻いたくらいです。このタワーズガーデンのゴール受付、実は、JR名古屋駅の関西線ホームに行くより、近鉄名古屋駅地下改札の方がかなり近いのです。ということで、JRさわやかウォーキングに来たのに、帰りは、近鉄名古屋線を利用することにしました(苦笑)。この少し南から階段を降りたら、先日の近鉄ハイキングで地上に出て来た階段があり、すぐに近鉄名古屋駅の地下改札に行けるのです。14時1分に松阪行きの急行があり、それに乗車。桑名駅には14時22分着。¥450。近鉄の方が、JRよりも¥100高いのですが、いささかお疲れでしたので、この際、気にしないことに。

Img_4721c  本日のALKOOのデータ。23,250歩でした。歩いたのは、JRさわやかウォーキングで10.5㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で、合計12.3㎞。よく歩きました。当初は、12時にはゴールだなと思っていたのですが、名古屋城に立ち寄ったので、プラス1時間半あまり。

 本編は、週が明けたら、12月15日の近鉄ハイキングの記事に続いて、年内には書き終えたいと思っています。明日は、岐阜大学で東海地区K-ABC研究会

【付記(12/22)】 ハイブリッドか?と書いたカモは、pnさんのご教示でヨシガモと判明しました。一緒にいたカモも、ヒドリガモのように見えたのですが、ヨシガモの雌かも知れません。

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2019年12月20日 (金)

冬らしい日……ツグミ、モズ、シメ、ジョウビタキ、仕事は一段落間近

Img_3763c_20191220165401  冬らしい日でした。冒頭の写真は、揖斐川沿いで撮ったもの。長良川河口堰の方(北)の空。この雲の流れ方は、冬の空に典型的。風は2~3m/s位でさほど強くはなく、日当たりにいれば、暖かいくらい。今朝は、8時10分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、寺町、桑名別院(報恩講)と5.8㎞。暖かいので散歩友達にもけっこう会って、またもやかなりおしゃべりに時間を費やしてきました(微笑)。

Img_2648c  住吉神社から見た揖斐長良川の中州、昨日は、アオサギが10羽くらいいたのに、今日は2羽。キンクロハジロもImg_2656c 10羽あまり。こういう波がある日に登場するのは、カンムリカイツブリ。あちこちに合計10羽ほどが、点在。

Img_2665c  柿安コミュニティパーク西の堀には、コガモのオスが3羽とキンクロハジロ6羽。このあたり、今日は小型野鳥は、ほとんどいませんでした。

Img_2671c_20191220170801  九華公園では、アオサギさんがいました。が、お休み中。これ、たぶんカモImg_2741c_20191220170901 の「保温体勢」と同じような気がします。頭を胸のところに入れています。このアオサギさん、中州に来るアオサギたちと比べ、マジメというか、律儀というか、ほぼ毎日来てくれます。他は、ゴイサギが1羽と、ホシゴイが1羽。

Img_3773c  カモは、少なめで、50羽。堀には何ヶ所か橋があります。橋の上に立って数を数えようとすると、寄って来ます。ハシビロガモImg_2675c_20191220170801 のオス、メスとも4羽ずつ。ヒドリガモはオス、メスが2羽ずつ、ホシハジロはオス1羽(右の写真)。

 Img_2745c_20191220171401 キンクロさん、ワンポイントのおしゃれ。ご本人は、全く気づいていない様子で、笑えまImg_2755c す。右は、ヒドリガモのカップル。「見つめ合う二人、二人だけの世界」という感じ(ホントかどうかは分かりません)。

Img_2680c_20191220171501  奥平屋敷跡の入り口で、知人の女性が木を見上げておらImg_3778c_20191220172001 れました。この方もバードウォッチングがご趣味。ジョウビタキのオスと、ツグミが1羽ずつ。ツグミは、木の実を啄んでいました。

Img_2697c  二の丸跡へ行くと、ツグミが1羽、地上に降りていました。ようやく、ボチボチと地上に降りて来始めたのか、という期待がImg_3793c_20191220171801 高まります。しかし、それにしても数は少ない。揖斐川沿いの堤防や、貝塚公園ではまだまったく見られません。二の丸跡では、ほぼ同時にモズもやって来て、うれしい悲鳴(微笑)。オスのモズは、何かを咥えてきて、食べていました。

Img_2768c_20191220171901  グルッと回って本丸跡へ。ツグミも1羽、樹上にいたのですが、シメもいました。剽軽なところを見せてくれました。シメも少ない。地上に降りたところは、まだ見ていません。このあと、貝塚公園へ。ヒヨドリ天国でした。メスのモズ、ジョウビタキのオスを見たものの、すぐ逃げられ、写真はなし。他にはメジロの鳴き声のみ。ここには去年まで、シロハラが2~3羽来ていたのですが、今年はまだサッパリ。野鳥たち、例年と違う様子です。

Img_3821c_20191220172201  寺町商店街。大売り出しなのですが、平日は閑散としています。商店街に隣接してある真宗大谷派桑名別院・本統寺では、報恩講。今日・20日かImg_3824c_20191220172201 ら23日まで。ということで、お参りしてきました。境内は、お参りの方の車で一杯。

Img_3733c  ところで、日曜の研究会の資料作りは、ようやく区切りを付けました。午後からメールで事務局をしてくださっている先生にお送りし、一段落。江戸橋の来年度のシラバスもfirst draftをつくりました。来年度からは授業15回+試験1回と、授業が1コマ増えますので、その分を追加。締切は、来週ですので、もう一、二度見直すことにします。年内最後の授業のQ&Aが、まだ残っています。これは、明日にでも。その明日、資料作りも終えましたので、午前中は、JRさわやかウォーキングへ行ってこようかと思っています。「歴史や文化が見える市政資料館と輝く金のシャチホコ 名古屋城を歩こう」ということで、JR名古屋駅から、那古野神社、名古屋東照宮、市政資料館、名古屋城、円頓寺商店街と約8㎞(リンクは、明日(12/21)ウォーキング終了まで有効)。

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2019年12月19日 (木)

揖斐長良川の中州にアオサギ集合

Img_3648c  12月19日です。散歩で出会った皆さん、「早いねぇ、あと10日もすると正月だ」とおっしゃいます。本当に月日が過ぎるのは速いものです。朝のうちは晴れていたのですが、次第に薄い雲が広がってきました。例によって例の如く、8時半から11時過ぎにかけて散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6㎞。これまたいつも通り、あちこちで散歩友達とおしゃべり。鳥見の大先輩Sさん、御年83歳にも久しぶりにお目にかかったのですが、「もうあかん。死んでからではもらえんから、先に香典をくれ」とおっしゃいます。「そんなにお元気なら、当分大丈夫」というのですがねぇ(苦笑)。

Img_2566c  住吉神社前から揖斐・長良川の中洲を見たら、ずいぶん久しぶりにアオサギが10羽も集まっていました。いつ以来か思い出せなImg_2568c_20191219173501 いくらい久しぶり。その近くの揖斐川、中洲よりの辺りには、カモが80羽あまり。ほとんどはキンクロハジロでした。これほどたくさんのカモがこのあたりにいるのは、過去、あまり例がありません。少なくとも、去年まではほとんど見ませんでした。

Img_3670c_20191219173701  三の丸公園に来ると、鳥の鳴き声。戯れるようにしてやってきたのは、モズとシメでした。どちらも、いったImg_3677c_20191219173701 んはよく見かけたものの、その後あまり見なくなっています。モズは、前に回ろうとしたら、逃げられました。シメも、しばらくこの枝にいたのですが、すぐにどこかに行ってしまいました。シメは、まだ地上に降りたところは見ていません。

Img_2581c  九華公園では、今日はアオサギさんは不在。ホシゴイ2羽と、ゴイサギ1羽が、西から見ると、木の奥の方にいました。これでは、まともな写真は撮れません。最近、カワセミは見なくなっています。このあたり、ヒヨドリ天国。鎮国守国神社の境内にたくさんいるのです。

Img_3685c  カモは、餌をやる人がいて、大騒ぎ。数えた限りでは64羽。管理人さんは63羽といっておられましたから、Img_2589c だいたいこれくらい。メンバーはいつも通り。ヒドリガモはオス・メス2羽ずつ、ハシビロガモはオス・メス5羽ずつ、ホシハジロはメスが1羽だけ。残りはキンクロハジロ。このほか、カルガモ1羽と、カモではありませんが、オオバンが2羽。相変わらず60羽前後で推移。揖斐川に行っているので少ない気がします。

Img_3696c_20191219173901  本丸跡で、ツグミとシメ。ツグミはやはり少ないまま。昨年までであれば、今頃なら、三の丸公園、柿安コミュニティパーImg_2601c_20191219173901 ク、九華公園で地上にたくさん降りていました。シメも、昨シーズン、九華公園だけで多いときには4羽がいました。シロハラも、九華公園でも、貝塚公園でもまだ見ません。

Img_2632c  シジュウカラは、今日は1羽。メジロも少しだけいましたが、写真は撮れず。カワラヒワImg_3708c も、このところあまり多くはありません。ビンズイは1回見ただけ。ウ~ン、今のところ、野鳥は種類も、数も少なめ。

Img_2636c  ユリカモメは、九華公園に着いたときには数羽が舞っていましたが、すぐにいなくなり、1羽のみ。餌をやる人がいないか、偵察のために残っているのかと思えますが、実際のところは分かりません。

Img_2641c_20191219174001  入江葭町で見たネコちゃん。道路に描かれた「止まれ」の文字のところにずっと立ち止まっていたのですが、ここで止まっているとアブナイのですがねぇ……。

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 ところで、日曜の研究会の資料作りはヤマを越えたというところ。最終確認をして、修正を済ませたらお送りしようと思っています。10月頃から続いた、「私にしては多忙期間」もほぼ終わりが見えてきました。江戸橋での非常勤のQ&Aと、シラバスが残っていますが……。

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2019年12月18日 (水)

年内の授業は終了……志登茂川と四日市駅で道草するも、近鉄四日市駅のパタパタはすでになし

Dscn2455c  年内最後の江戸橋での仕事の日でした。出かけるとき、桑名では雨でしたが、途中四日市を過ぎる頃からは降ってはおらず。授業が終わって帰る頃には、晴れ間も出て来ましたので、微妙なところですが、勝ちに近い引き分けです(苦笑)。今日は、ストレスと人間関係というテーマ。大学生用対人ストレスコーピング尺度を実施して、学生たちが対人ストレスを解消するとき、どのような対処行動(coping)を行うかを調べてもらったりしたのです。出席率は、89%に回復。

Dscn2410c Dscn2414c  往きに江戸橋駅で電車を降りて、ホームを歩きながらふと見上げたら、架線にコサギが止まっていました。「これは幸先がいい」などと思ったのですが、まぁあまり関係ないかも知れません。コサギは、大山田あたりでも電線に止まっているところを見かけます。

Dscn2419c  授業終了後、いつもように志登茂川を覗いてきましたが、ご覧のようにまだ潮が満ちていて、鳥はあまりいませんでした。遠くにキンクロハジロや、ヒドリガモの姿が見えただけ。やむなく、川を少し眺めただけで、すぐに江戸橋駅へ。ここでは、2~3分という超短時間の道草。

Dscn2431c  超短時間で道草を終えたには、実は理由があったのです。もう1個所、寄り道をしようと企んでいたのです(苦笑)。それは、こちら。近鉄四日市駅です。ブロ友のTAKUさんが、「近鉄特急とパタパタ」という記事で「かつては色んな駅で見られたパタパタ行先案内も近鉄名古屋線では四日市駅が最後とのこと。それもまもなくLCD化されてしまうようです」と書いていらっしゃったのです。「パタパタ」って何? と思われる方も多いかも知れません。TAKUさんのことばにあるように「行き先案内板」です。以前は、駅や空港などでよく目にしましたが、最近はほとんど見なくなっています。気になる方は、リンク先のTAKUさんの記事をご覧ください。「あぁ~、これね」と思われるでしょう。

Dscn2429c  12時50分に四日市駅について、ホームに降りたら、ちょうど頭上に行き先案内板があったのですが、ガ~ン! すでにパタパタではなく、液晶表示ディスプレイ(LCD)に交換されてしまっていました。パタパタ、正式には、反転フラップ式案内表示機。文字を上下に分割して印刷した複数のフラップを回転させることで表示を行う装置です。変更稼働中の音から「パタパタ式」といわれたり、開発者の名前からとって「ソラリー式」ともいうようです。

Dscn2447c  そのまま、降りた電車にもう一度乗って帰ろうかとも思ったのですが、せっかくだから特急とのコラボを撮ろうと思い直しまDscn2432c した(よく考えれば、あまり意味はありません。曇天で暗い写真になってしまいましたし)。右の写真のホームの乗車位置表示も、そのうちになくなるかも知れないという気がして、撮影。せっかく途中下車したのに、残念な結果でした。

Dscn2417c  ところで、江戸橋の授業は、年明けに3回。うち1回は試験ですから、実質あと2回。今日は、試験問題の印刷をお願いしてきました。今日のQ&Aと、日曜の研究会の資料作りを急がねば。

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2019年12月17日 (火)

ミサゴ、地上に降りたツグミ、揖斐川には数百羽のキンクロ

Img_3646c_20191217193301  アメダスで見るとさほど降ったわけではありませんが、雨模様の1日でした。しかし、朝のうちは上がっていて、次第に明るくなりましたので、いつも通り散歩。8時半から2時間。今日は珍しく時間が短いのですが、こんな空模様で、散歩友達に会ったのは1組だけ。住吉神社、九華公園から貝塚公園、内堀公園、寺町商店街、八間通郵便局と、それでも5.9㎞。

Img_2528c_20191217193501  今日はまずは、こちら。ツグミがようやく地上に降りているところを確認できました。ところは、九華公園Img_2525c の野球場。1羽のみ。ツグミは、このほか、九華公園や拙宅マンションの玄関でも見ましたが、地上に降りているのを見たのは、今シーズン初めて。数も少ない気がしますし、シロハラもまだ来ません。どうなっているのでしょう。右は本丸跡で見たツグミ。

Img_3543c  さて、歩き始めに戻って、住吉入江。カワウがかなり大きな魚を咥えて、四苦八苦。私が見つけるかなり前から食べようとしてImg_2442c_20191217193801 いたようですが、さすがに無理だったようで、この写真を撮ったすぐ後に諦めて放棄。立ち去ってしまいました。住吉キンクロウズ、今日は、3羽。久しぶりにバッサバッサーを見せてもらいました。

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 住吉神社前から揖斐川や堤防を見ると、いろいろとありました。まずは、ミサゴ。川口水門のImg_2468c 東あたりで、川面に浮いているところから飛び立ったように見えました。かなり遠かったので、250mmズームでは、トリミングしてもこれが精一杯。また、住吉水門の南側には、ヒドリガモがたくさん上陸して、草を食んでいました。今の時期から上陸して食餌というのは、珍しい気がします。

Img_3556c  揖斐川には、あちこちにカンムリカイツブリ。6~7羽はいたと思います。さらに、このところ、揖斐川や、十万山の先の揖Img_2486c 斐川と長良川が合流するあたりに、キンクロハジロなどカモがたくさんいるところを見ます。今日は、300~400羽くらいはいたようでした。右の写真、わかりにくいのですが、小さな点々は、すべてカモ。単眼鏡や、超望遠コンデジのズームで見た限り、ほとんどがキンクロハジロ。これも、去年まではあまり見なかった光景。今年の野鳥の様子は、例年と違うようです。

Img_3629c  九華公園に着いたのは、9時頃。アオサギさんは、堀にいたのですが、そっと歩いたつもりなのに、樹上に逃げられましたImg_2494c (苦笑)。その他、ゴイサギ2羽とホシゴイ2羽。ゴイサギ1羽は、割と見つけやすいところにいたのですが、他は、背を向けていたり、木の葉や実の陰になって、それらしい写真は撮れません。

Img_2502c_20191217194601  カモは、53羽。例年に比べやや少なめ。ハシビロガモのオス、メスとも4羽、ヒドリガモはImg_2509c_20191217194601 オス2羽にメス1羽(右の写真)、ホシハジロはオス・メスとも1羽ずつ。他はキンクロハジロ(左の写真)。九華橋など橋の上に立つと、エサをもらおうと思って寄って来ます。

Img_3631c_20191217195001  貝塚公園ではヒヨドリとカワラヒワのみ。内堀公園には何もおらず。寺町、八間通郵便局を経て、住吉入江まで戻って来たら、ジョウビタキのオス。ちょっと遠かった上に、超望遠コンデジ写真で今イチ。

Img_3598c  今日は、土曜日のご相談の方に報告書を郵送。次の日曜の研究会の資料作りに本格的に着手。かなりつくってあって、確認、精選、修正作業中なのですが、依頼された内容をマジメに取り入れると、パワポのスライドが100枚近くになりそう。授業なら3~4回分の分量(苦笑)。どうしようか思案中。明日は、年内最後の江戸橋での授業。試験問題を作成しましたので、印刷をお願いしてこようと思っています。

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2019年12月16日 (月)

セグロカモメ登場……来年度の授業は試験以外に15回が必須

Img_3451c  晴れ間もあったものの、雲の多い日でした。気温は13度を超えたのですが、やはりソーラーパワーが欲しい(微笑)。いつも通り、8時過ぎから散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.6㎞。歩いたところも、距離も判で押したようなパターン。

Img_2380c_20191216182601  今日のハイライトは、こちら。年に1~2回ですが、セグロカモメが九華公園の堀に来ていました。たいてい、二の丸堀の東側の広いところの中央にいます。案外警戒心が強いのかも知れません。ゆったりとしばらく浮いていました。

Img_2310c  さて、話を戻して、拙宅を出たところから。マンションの玄関先の木にツグミが2羽。私はまImg_2313c だ地上に降りているところを見ていません。もう1羽、近くにいたのですが、右のような写真しか撮れず。ツグミか? と思うのですが、足の色が黄色っぽい気もします。諸戸氏庭園に姿を消しました。

Img_2319c  その諸戸氏庭園前の桜並木には、メジロ。マンションの庭にはサザンカが咲き始めているのですが、このメジImg_2326c_20191216182901 ロ、桜の木に残った枯れ葉の根元を探っていました。食べ物さがしに困っているのでしょうか。拙宅前の住吉入江には、キンクロハジロのオス2羽と、オオバンが1羽。

Img_2333c_20191216182901  さらに、住吉水門の内側には、キンクロハジロ5羽とホシハジロのオスが1羽。2個所に分かれImg_2339c てはいますが、まだ住吉キンクロウズ、続いています。さらに、今年よく見るのが、揖斐川と長良川の中洲・十万山近くにキンクロハジロがたくさんいることです(右の写真)。今日は、合計100羽くらい。九華公園のキンクロハジロがやや少ないのですが、ここにいるせいかという気もします。

Img_3466c  住吉水門の下流側には、コガモや、ヒドリガモが上陸していました。2個所でしたが、どちらもコガモ・ヒドリガモが接近しImg_3469c て、お休み体勢。

Img_2350c_20191216182901  九華公園では、アオサギ1羽、ゴイサギ3羽、ホシゴイ1羽。数は揃っていたものの、ゴイサImg_2355c ギは、西側から見ると葉っぱや枝の陰で、写真が撮りにくいこと。

Img_2404c  ゴイサギだけは、こちらに。しかし、何か気になるものがあるのか、ずっと上空を見上げていました。

Img_2372c_20191216185401  カモは、61羽。ヒドリガモのオス2羽、メス1羽、ハシビロガモのオス3Img_2374c_20191216185401 羽、メス2羽、ホシハジロはオス・メスとも1羽ずつ。他は、キンクロハジロ。やや少なめ。けっこう動き回っていましたので、カウントミスがあるかも知れません。

Img_2377c_20191216185601  ユリカモメは、16羽。野球場のフェンスImg_3539c にて待機していたものの、私がいる間に餌をやる人はなく、すぐにいなくなりました。

Img_2414c_20191216185901  ところで、この花、九華公園の外周遊歩道の南にあるお宅に咲いていました。金曜(12/13)には気づきませんでしたので、それ以降に咲いたと思うのですが、散歩友達の女性お二人と「何でしょう?」と。調べたら、たぶん「ネリネ(あるいはダイヤモンドリリー)」。ただし、ネットで検索すると、花の形がけっこう違うように見えるものも、同じ名前で出てくるので、今ひとつ確信が持てません。ネリネは、南アフリカ原産で、大正末期に渡来したそうです。11~12月頃、伸びた葉茎の先端に「彼岸花」に似たピンク色の花が咲くということです。花びらに光が当たると宝石のように綺麗に輝くので「ダイヤモンドリリー」の別名があるそうです。ちなみに、花言葉は「華やか」「可愛い」だとか。

 余談。江戸橋での非常勤先から、先日、メールが届き、12月26日までに来年度のシラバス(授業計画)を提出するよう依頼がありました。今年のを少しバージョンアップして……と思っていたのですが、今日、メール本文をよく読んだら、「令和2年度から15週の講義のあと、補講期間を挟み定期試験期間を設けることになりました。現在、15週目の講義の中で筆記試験を実施している先生には、15週目まで通常講義を行っていただき、試験は必ず定期試験期間の中で実施するようにしてください」と書いてあるではありませんか。「エッ?!」状態(苦笑)。たぶん、これもまた文部科学省のご指導の成果(苦笑)。先週、授業に行ったときに出欠チェックのことを書きましたが(今日は授業評価……帰りに桑名駅であみま倶楽部の踏破賞景品をいただき、会員資格も更新)、「給付型奨学金制度発足に伴い、厳格かつ適正な成績管理を実施・公表していることが、その適用要件の1つ」と思われます。いやはや。1回分、授業内容を考えて、追加しないといけません。

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2019年12月15日 (日)

20191215近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」(予告編)

Img_2898c 昨日の夜、今朝といささか仕事をして、それなりにそれらを片づけましたので、今日は、近鉄ハイキング「名古屋の繁華街に残る古墳めぐり」へ行ってきました。ちょっと無理矢理という感もありますが、また頑張ることにしましょう。今日の受付・スターImg_2904c_20191215183801 トは、近鉄名古屋駅、地下改札口前で、9時半から11時。桑名駅を8時46分に出る名古屋行き準急に乗車。名古屋着は、9時17分。¥450。着いたときにはすでに受付が始まっていました。

Img_2911c  こちらが今日のコースマップ。近鉄名古屋駅をスタートし、、大須古墳群、名古屋 菓子処「不朽園」、断夫山191215kintetsuhikingnagoya 古墳、白鳥古墳、熱田神宮と回って、名鉄・神宮前駅がゴール。名鉄で名古屋駅まで戻るということ。コースマップを受け取り、スタートしたのは9時半。右の画像は、今日の実測ルートマップ。近鉄名古屋駅から南に向かい、大須で那古野古墳。熱田神宮公園で断夫山古墳と白鳥古墳。その後、熱田神宮にお参りし、名鉄・神宮前駅がゴール。今日のところは、超予告編のつもり。

Img_2944c Img_2954c_20191215185101  ナナちゃん人形、今日は、スターウォーズのC3PO風。名駅かいわいで展開中の冬のイベント「メイエキイルミ2019」開催に合わせ、「ナナちゃんストリート GOLD X'mas」が展開されています。この一環で、映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」の公開を記念し、「ナナちゃん」を装飾したということ。この先、下広井町、名駅南3丁目と進んでいきます。このコースは、今回がたぶん初めて。近鉄ハイキングにしては珍しく、名古屋の都心部を歩きます。

Img_3022c  白川公園の南、スタートからほぼ2㎞のところに日出神社。慶長16(1611)年、清須にあった愛宕大権現と天道宮の2つの社を、名古屋城築城の際に城下町に移してきたといいます。御祭神は、軻遇突智命(かぐつちのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月夜見尊(つくよみのみこと)他、3柱。

Img_3036c  次の目的地である那古野山古墳に行く途中、道を1本早く曲がってしまい、大須演芸場の前に出ました。その存在はもちろん知Img_3040c_20191215185801 っていましたが、現地に来るのは初めて。古墳があるのは、もう1本東の通り。元は前方後円墳で、前方部は取り壊されていますが、後円部の上に乗ることが可能。江戸時代末の元治2(1865)年3月、須恵器(足付有蓋短頸壺)が出土し、近くにある富士浅間神社に保存されています。平成8(1996)年の調査で「現在古墳の墳丘と考えられた土の多くは、中世以降の盛土で」「中世盛土の下、もしくは近くに古墳があることも確実」との報告があるそうです。那古野山古墳で2.4㎞。10時15分頃。

Img_3101c  その後、大須商店街を通り抜け、大津通へ。10時半前でしたが、かなりの人出でした。上前津から南へ。メImg_3131c_20191215213301 ~テレ、東別院(右の写真)を通って、古渡町へ。コースマップでは、さらに西に行って、名古屋 菓子処「不朽園」を訪ねることになっていたのですが、私は、古渡町交差点からそのまま南下。コースをショートカットしました。和菓子店は、もういいかなという次第。

Img_3197c 新尾頭橋でもとのコースに戻りました。次の立ち寄りポイントは、熱田神宮公園にある断夫山(だんぷさん)古墳。スタートから7.2㎞、11時35分。ここImg_3200c は、9月28日にあったJRさわやかウォーキングで訪ねました(20190928JRさわやかウォーキング「名古屋の二大庭園とてづくり朝市を訪ねて」へ(予告編))。古事記や日本書紀では、日本武尊が東征の折、この尾張の地で豪族の娘・宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚の約束をかわしたものの、東征の帰途、病気がもとで死に、白鳥となり飛去ったとあります。この白鳥となった日本武尊の墓が白鳥古墳(このあと訪ねます)であり、日本武尊への思いをいだいて死んだ宮簀媛の墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。このことから夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。5世紀末から6世紀初頭に築造されたものと考えられています。

Img_3223c_20191215213501  断夫山古墳から堀川沿いに出て、南へ700mほど行ったところに白鳥古墳(しろとりこふん/しらとりこふん;熱田神宮では白鳥御陵という)があります。6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳で、法持寺のすぐ隣に位置しています。かつては法持寺が管理していたのですが、明治9(1876)年からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移されました。古墳は、尾張氏の首長墓と考えられていますが、熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としています。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づいています。神宮では、北方約300メートルにある断夫山古墳を「陀武夫御墓」と称して日本武尊妃の宮簀媛(みやずひめ)の墓とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭を行なっています。

Img_3393c_20191215214501  白鳥古墳から国道1号線に出て、最後の目的地である熱田神宮へ。就職したての頃に一度、お参りしたことがあると記憶してImg_3312c いるのですが、それはもう40年くらい前の話です。その創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)で亡くなりました。妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)が、神剣を熱田の地に祀られたことが熱田神宮の始まりです。延喜式名神大社(みょうじんたいしゃ)・勅祭社に列せられ、国家鎮護の神宮として特別の取り扱いを受けました。御祭神は、熱田大神(草薙神剣を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のこと)。相殿神は、「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命。宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々。

Img_3299c  熱田神宮で是非見たかったところがあります。それは、信長塀。永禄3(1560)年、織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をし、みごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねたものです。兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つだそうです。

Img_3320c  拝殿前で気づいたのが、蕃塀の存在。伊勢神宮にもありますので、熱田神宮にもあるのではないかと思ってImg_3327c いたのです。拝殿の正面に向かっているものの、距離はかなりあります。さらに、蕃塀の背後は森。門を開いたときに、正面が直接見えないようにするためといいますが、そうだとすると意味をなさない気もします。

Img_3287c  境内を歩いていると、鶏がいてコケコッコーという鳴き声が響いています。種類は名古屋コーチンで、神鶏とされています。鶏が神の使いとされるのは、天岩戸の神隠れのエピソードによります。天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、神々は天照大神を天岩戸から出そうといろいろ苦心したのですが、鶏が「コケコッコー」と鳴いたので、朝が来ないはずなのになぜ鶏が鳴いたのか不審に思った天照大神が顔をのぞかせたという話があります。鶏は、このときの功績で神の使いになったといいます。熱田神宮の鶏の由来には諸説あるようです(たとえばこちら)。熱田神宮のサイトには何も書かれていません。

Img_3342c  熱田神宮では、土産にきよめ餅を買い、できれば宮きしめんを食べたいと思っていました。きよめ餅は、境内にある清め茶屋Img_3352c で無事に購入(5個入り¥600)。宮きしめんは、右の写真のように長蛇の列。神宮に着いたときと、お参りを済ませてからと2回確かめたのですが、変わりがありません。行列に並んで待つのが大嫌いですので(苦笑)、断念。

Img_3413c  神宮東門を出たところできよめ餅総本家を見て、ゴールの名鉄名古屋線神宮前駅へ。神宮前駅は、その名のImg_3415c 通り、神宮東門からは目と鼻の先。11.2㎞+αを歩いて、13時5分にゴール。+αは、熱田神宮の中でかなり歩き回ったのです。駅ビルに宮きしめんの店がないかと思ったのですが、ありません。残念。ジャズドリーム長島にもがあるようです。

Img_3422c_20191215222401  やむなく、3階の喫茶店「カフェ・ルシータ」でランチメニュー。ハンバーグランチ。¥850。量もさほど多Img_3417c くなく、飲み物付き。都会の喫茶店でこれならリーズナブル。

Img_3425c  名鉄神宮前駅を13時49分発の名鉄岐阜行き急行に乗車。名鉄名古屋駅にImg_3431c_20191215222701 13時56分着。¥230。名鉄の電車も、昔に比べると格好良くなった気がします。ミュースカイから、デザインの方針が変わったのかも知れません。

Img_3435c_20191215222701  昨日に引き続いて、名鉄名古屋駅から近鉄名古屋駅へ乗り換え。2日連続で、名鉄名古屋駅を利用(微笑)。近鉄名古屋駅を14時6分に出る四日市行き準急に乗車。桑名には、14時32分着。¥450。

Img_3444c_20191215222701  あみま倶楽部、会員証を更新して1回目のハイキング参加でした。そして、ALKOOのデータは、右の写真のImg_3446c_20191215222701 ように、24,686歩。ハイキングで11.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞で13㎞。熱田神宮を歩き回りましたから、+αですが、18.9㎞は歩いていないと思います。本編は、また近いうちにボツボツと。

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20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その3)……猿田彦神社からいよいよ内宮へ、おはらい町で食べ歩いて萬金丹の店により、三重交通Gスポーツの杜伊勢から、月読宮を経て五十鈴川駅にゴール(完)

191201kintetsuhikingujiyamada2 12月1日に出かけた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人191201kintetsuhikingujiyamada3 気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」の記事、スローペースで進み、ようやくその3。猿田彦神社から、いよいよ伊勢神宮・内宮へと進みます。

Img_1893c_20191201200501  猿田彦神社。スタートから約3.7㎞、11時10分頃到着。猿田彦神(サルダヒコノカミ;サルタヒコノカミともいいます)は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際し道案内をした怪異な容貌の神様で、のちにここ伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したといいます。古事記、日本書紀などでは「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。猿田彦神社では、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神として祀っています。

Img_1880c  この日は、大賑わいでした。バスも何台か来て、団体の参拝客の方も多数いらしたようですし、七五三祭りも開かれていて、小さなお子さんを連れた家族も多数。拝殿前はご覧のように、とくに大混雑。今回は、「一度来たから」と事前の調べを怠っていたのですが、猿田彦神社には、本居宣長歌碑もあったのに、帰ってから調べて気づき、後の祭り(苦笑)。

Img_1883c_20191214050601 Img_1885c  境内には、天鈿女命を祀った佐瑠女(さるめ)神社があります。天鈿女命は、天照大御神が天岩戸に籠もられたとき、神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天照大御神が再び現れたといいます。天孫降臨に際しては、天八衢(あめのやちまた)にて猿田彦神と最初に対面し、高千穂の峰に至る道を啓いています。そして、その後は猿田彦神が五十鈴の川上の地に赴かれるとき、共に来て、その功により「猨女君」(さるめのきみ)と称号を受けたのです。芸能の神様として信仰が篤く、佐瑠女神社には、芸能人の方が奉納された幟旗もたくさんあります。

Img_1899c_20191214051501  猿田彦神社を出てすぐ先の宇治浦田町交差点を右折。国道23号線に出ます。ここは、御幸道路と呼ばれています。外宮と内宮を結ぶ、伊勢のメインストリートと行ってよい道路。明治43(1910)年に開通。天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝Img_1896c 経路として利用されます。神宮会館など、伊勢参拝者の宿泊施設や、商店、食堂なども並んでいます。以前は、篤志家によって献灯された石灯籠が並んでいましたが、バスによる事故があってすべて撤去されてしまいました。いかにも伊勢参りに来たという風情を感じたのですが、管理者が不明になってしまっていたということではやむを得ません。ここを歩いている途中、右の写真の店を発見。どこかで見た記憶があったのですが、10月5日のお伊勢参りハイキングのとき、松阪で立ち寄って「蜂蜜屋さんの最中アイス」を食べた店でした(2019年10月 5日:20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】)。松治郎の舗です。今回は、パス。

Img_1906c  11時半、内宮・宇治橋の近くまでやって来ました。スタートから4.6㎞。ここで、同行のMさんに是非とも見せたいものがあImg_1908c_20191214052501 ったのです。それは、1月のJRさわやかウォーキングで見つけた「国道23号線終点」という道路標識。これ、狙いがピタリと当たり、「国道に終点があるのか? しかもこんな道路標識は初めて見た」と感動してもらいました(微笑)。どこかで話の種や、うんちくを傾けるのに使うそうです。

Img_1912c  そして、やって来ました内宮・宇治橋前。ついでのうんちく(微笑)。この宇治橋外側の鳥居、式年遷宮のImg_1915c とき、払い下げられて、桑名の七里の渡し跡にやって来て、伊勢一の鳥居になります。鳥居になる前は、下苦正殿の柱だったと聞いた記憶があります。宇治橋を渡って、内宮の境内へ。宇治橋を渡っている間に、だんだんと厳かな気分になっていきます。

Img_1920c  宇治橋を渡ったところの鳥居。こちらは式年遷宮のとき、亀山・関宿に払い下げられるもImg_1925c の。神苑を進み、手水場で清めましたが、せっかくですから、五十鈴川にある御手洗場でも清めていくことにしました。ちょうど紅葉が綺麗で、皆さん写真を撮っておられます。

Img_1935c

 この五十鈴川の御手洗場で清めると、伊勢神宮に来たという実感もあり、さらに厳粛な気持Img_1937c ちになれます。今回は、別宮、摂社・末社は失礼して、内宮正殿へ向かいます。

Img_1940c_20191201202001  内宮正殿前。かなりの混雑でした。ここに着いたのが11Img_1945c 時50分頃。正殿前にたどり着いて、お参りができるまでに10分くらい。無事にお参りを済ませられ、一安心。この1年無事に過ごせたことの感謝を申し上げてきました。

Img_1952c Img_1956c_20191201202601  別宮、摂社・末社は、1月のJRさわやかウォーキングでお参りしていますので、上記のようにこの日はパス。神宮暦も外宮で授与していただいていますので、早速おはらい町へ向かいます。日曜日でしたから、かなり賑わっています。Mさんと相談の上、どこかに入って食事を取ることは断念し、適当な店で何かを買って、食べ歩くことにしました。このとき、近鉄ハイキング特典で、岩戸屋さんに行くとお茶とお菓子がいただけたということをすっかり失念していました。おはらい町を過ぎてから思い出し、引き返すにはちょっと距離があり過ぎて、諦めました(苦笑)。ちなみに、岩戸屋さん、私くらいの年齢ですと「お多福印の生姜糖」を思い出すのですが、今はそれ以外にもさまざまなお菓子などを製造販売しておられます。生姜糖、子どもの頃、よくもらったりしたのですが、失礼ながら美味しいとはあまり思えませんでした。子どもには分からない味ということでしょう。

Img_1974c   食べ物の話の前に、おはらい町で是非とも立ち寄りたいところがありました。それは、こちら。伊勢くすり本舗おはらい町Img_1970c 屋台です。野間の萬金丹を今に伝えるお店。11月16日のお伊勢参りハイキング第11日目のとき、小西萬金丹の店を見てきたのですが、そのときの予告編とインスタに“「野間の萬金丹」「護摩堂明王院に起源する萬金丹」「秋田教方中倉萬金丹」「小西萬金丹」の4つがあったのですが、このうち、21世紀の現在も製造・販売を継続しているのは小西萬金丹のみです”と書いてしまいました(20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(予告編))。調べが足らなかったのですが、ここおはらい町屋台店の方からインスタに「野間の萬金丹もあります。是非お立ち寄りください」とコメントをいただき、この日のハイキングで立ち寄ることをお約束していたのです。

Img_1976c  心配していきましたが、歓迎してくださり、一安心。萬金丹の75丸入り、15回分、¥500を買ってきました。わずかしか購入していないにもかかわらず、萬金飴もいただいてきました。萬金丹は、600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬万病に効く、お伊勢さんの霊薬とされます。荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹は大人気でした。武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもあったようです。江戸時代には旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっていたといいます。配合されている生薬は、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。ちなみに、「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡もあります。反魂丹(はんごんたん)も丸薬の一種で、胃痛・腹痛などに効能があります。中世から家庭用医薬品として使われていました。

Img_1961c_20191201202701  話は多少前後しますが、昼食代わりの食べ歩き。伊勢くすり本舗おはらい町屋台にお邪魔する前にまずは、岩戸屋参宮亭に入っていた若美家(わかみや)さんではんぺんをゲImg_1958c ット。ここは、本当は、伊勢エビコロッケ(1個¥250)で有名です。昭和6(1931)年創業の旅館で3代目が考案したのが伊勢エビコロッケ。エビがゴロゴロと入ったデラックス(1個¥450)もあるそうです。次はこれを食べましょう。

Img_1984c  はんぺんだけでは足らず(苦笑)、萬金丹を買ってから、松阪肉メンチカツ(1個¥450)。ちょっといい値Img_1978c 段だなとは思ったものの、せっかくの機会だからと。こちら、どこの店だったか記憶が定かではありません。ストリートビューで確認をと思ったのですが、おはらい町のものは、6年も前の2013年5月のもので、いかにもデータが古くて分かりません。ちなみに、おはらい町のマップはここにあります。

Img_1988c  おはらい町を食べ歩いて、赤福本店まで来ました。おかげ横丁も面白いところなのですが、この日は行って1mo_12_001 いません。この日は、12月1日で、赤福では「朔日餅」を売る日でしたが(12月は「雪餅」:右の写真、赤福のサイトから借りました)、さすがに12時半ではもう売り切れています。ここ本店で並んで買うか、「EXPASA御在所上り線赤福茶屋(東名阪自動車道・上り線・EXPASA御在所内)」で買えます。

Img_1990c_20191215051801 Img_1993c  こちらの写真は赤福本店の横からおかげ横丁の方向を見たもの。この日のハイキングコースは、赤福本店のところで右折し、新橋で五十鈴川を渡ります。五十鈴川は、内宮に御手洗場がありました。このあたりでスタートから6.8㎞、新橋で時刻は12時半を過ぎたくらい。300mほど、五十鈴川の右岸堤防を歩いて、浦田交差点へ。

Img_1998c_20191215051801  浦田町交差点で五十鈴公園、三重交通Gスポーツの杜伊勢方面に向かいます。この浦田町交差点で信号待ちをしているとき、Img_2000c_20191215051801 振り返ったら、「神宮工作所」という看板がありました。神宮司庁直轄で、木工作業をするところです。銀杏の黄葉の名所だそうで、黄葉シーズンの週末には、通り抜けられるそうです。

Img_2001c  交差点を渡って、「五十鈴公園」という石碑を見ながら、三重交通Gスポーツの杜伊勢へ。Img_2003cコース上は、通過するだけなのですが、駐車場の片隅でちょっと休憩。ここで7.5㎞ほど歩いてきています。

Img_2007c  スポーツの杜伊勢を過ぎて、御側橋(おそばばし)で再び五十鈴川を渡ります。「御側橋」という名前は何か由緒が歩きもして調べたのですが、不明。三重とこわか国体に向けて新しい端に描け変わるようで、工事中でした。

Img_2013c_20191201210301   その後、住宅街の細い道を通り抜け、国道23号線・御幸道路を横断すると(このあたりから、実測ルートマップはその2に戻Img_2015c っています)、伊勢神宮・内宮の別宮である月読宮にお参り。その2の記事で「月よみの宮さんけい道」という道標を取り上げましたが、あそこから来るのがこの月読宮。外宮にも、同じ神様を祀る月夜見宮が、JR・近鉄伊勢市駅の近くにあります。こちらは裏参道。

Img_2016c  鳥居を潜ってすぐの右手に小さなお社がありました。葦原(あしはら)神社です。内宮の末社で、田や畑を守護する五穀豊穣の神をお祀りしています。写真をよく見ていただくとお分かりになりますが、拝殿に向かって右に空き地があります。ここは古殿地。この葦原神社も、式年遷宮が行われるということです。御祭神は、佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比賣命(いかりひめのみこと)。神社の名前からは、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことがうかがえます。

Img_2029c_20191215051901 Img_2031c  ご祭神は月読尊。天照大御神の弟神で、外宮別宮である月夜見宮のご祭神と同じです。「月を読む」と記すとおり、月の満ち欠けを教え暦を司る神です。4つの拝殿があり、左の写真で、向かって右から月読荒御魂宮②、月読宮①、右の写真で向かって右から伊佐奈岐宮③、伊佐奈弥宮④が並んで鎮座し手おられます。参拝は、①から④の順にするのが一般的です。「古事記」、「日本書紀」よると、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱の御親神(みおやがみ)が、天照大御神を産んで、次に月読尊を産み、夜之食国(よるのおすくに)を治めるように委任したといいます。ここは、1月のJRさわやかウォーキングでもお参りしていますが(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))。

Img_2023c  これでこの日の立ち寄り個所はすべてコンプリート。近鉄志摩線・五十鈴川駅に向かいます。ちなみに月夜見宮でスタートかImg_2051c_20191201210601 ら8.5㎞、時刻は13時10分を回った頃。県道12号線に出て、五十鈴中学校の前を通って、志摩線の高架をくぐってすぐ左折すると、五十鈴川駅に到着。9.2㎞を歩いて、ゴールは、13時25分。これで、3月から続いたお伊勢参りハイキングも、全回参加を達成できました。

Img_2042c  こちらは、今日の参加賞のマグネット。これも12個すべて揃いました(微笑)。揃えて何をする、ということではありませんが、すべて揃ったということが重要。13時55分に名古屋行きの急行がありましたので、それに乗車。桑名駅には、15時22分に到着。¥1,300。運賃もそれなりですが、1時間半近くかかり、電車を堪能しました(苦笑)。

Img_2060c_20191201211001  この日のALKOOのデータ。16.1㎞は、いつも通り、ややオーバー。自宅から桑名駅往復の1.8㎞を含めてImg_2075c も、11.0㎞のはず。歩数は、21,051歩。これは妥当なところ。あみま倶楽部のスタンプは、32個になりました。12月が会員資格の更新月。目標の40個達成はとても不可能でしたので、12月11日に、江戸橋での仕事の帰りに桑名駅に立ち寄って、踏破賞の景品と引き換え、会員資格を更新してきました(今日は授業評価……帰りに桑名駅であみま倶楽部の踏破賞景品をいただき、会員資格も更新)。

Img_2080c_20191201205901  この日の土産は、伊勢くすり本舗おはらい町屋台で買ってきた「萬金丹」、¥500。おなかの調子がおかしいときに飲む黒い丸薬。苦みがあるはず。「あるはず」というのは、私はこれはのんだことがないのです。実家では、「御嶽百草丸」でした。しかし、伝統薬としては、同じようなくすりのはず。下に写っているのは、萬金飴。沖縄の黒糖に3種類の和漢植物(阿仙薬、甘草、桂皮)を配合した、風味豊かな黒飴。のどとお腹によいはず。

 「長い」というご批判も頂戴していますが、今回も長くなり、ご迷惑をおかけしました。12回の合計で133.8㎞を歩いています。駅から駅ですので、街道以外を歩いたところもかなりありますし、一部では、重複して歩いたところもあります。年内にできれば、まとめを書きたいと思っています。

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2019年12月14日 (土)

出張相談の行き帰りに俄鉄ちゃん

Dscn2409c  かねてからのお約束通り、今日は、出張相談。愛知県尾張地方まで出かけてきました。9時前に出かけ、14時過ぎに戻ってこらDscn2376c れました。出かけた先については、書けませんが、ヒントは右の写真。お分かりになる方は分かっていただけるでしょうが、ほとんどの方にとっては「何のこっちゃ?」でしょうが、それでご容赦くださいという次第。

Dscn2328c  名古屋駅までは近鉄で、その先は名鉄電車に乗り換えて行きました。名鉄に乗るのは、久しぶり。時々、東海地区K-ABC研究会で岐阜に行きますが、そのときはJRを利用し、関西線・東海道線と乗り継いでいきます。左の写真は、地下にある近鉄と名鉄の連絡改札口。ICカードになって、1回タッチするだけで乗り換えできるようになり、便利になったものです。久しぶりに名鉄名古屋駅に来たら、実に忙しい駅というのを改めて実感。2~3分ごとに電車がやって来ます。行き先によって、乗車位置がずれています。大学生、大学院生の6年間、ここを利用して通学していました。

Dscn2329c  名鉄に乗るのが久しぶりなら、当然、名鉄名古屋駅を利用するのも久しぶり。行き帰りを利用して、ホームの売店などを見てきました。「閑だなぁ」といわれそうですが、上記のように、40年以上前、6年もお世話になっていたので、その変貌ぶりを見たいと思ったのですが、昔の面影は、改札口の位置や、基本的な駅、ホームの構造くらい。学生時代、西三河から通っていましたので、来るときは今の2・3番線の降車ホームで降りて、帰りには4番線から乗車していました。左の写真は、1番線で、岐阜・津島・犬山方面ですので、あまり馴染みはありません。

Dscn2386c  4番線ホームの奥には、売店が何軒もあったのですが、今は、ファミマと吉野家のみでした。昔は、いわゆる駅の売店(新聞Dscn2334c その他を売っている)の他、立ち食いのうどん・そばや、お好み焼きなどを売る店もあったように記憶しています。学生時代、帰り道でどうしてもお腹が空いて、これらの店に寄った記憶があります。名古屋駅から実家最寄りの駅までは直通電車でも1時間ほどかかったのです(笑)。昔とはすっかり変わってしまっています。右の写真は、1番線ホームの様子。ファミマとドラッグスギヤマがありました。

Dscn2390c  帰りの近鉄電車、ご覧の車両が、松阪行き急行として入線してきました。これまで近鉄ハイキングのときなど、何度か目撃していたのですが、きちんと見たり、写真に撮ったりする機会はありませんでした。帰りは、準急か普通でゆっくり帰ろうと思っていたのですが、気づいてしまったからには、もう乗るしかありません(微笑)。もちろん内部は普通の車両と同様。ちょっと調べたのですが、志摩線開通90周年を記念した、三重交通志摩線時代の塗装を再現した復刻塗装列車です(こちら)。7月18日から運行されています(こちら)。

 ということで、出張相談に出かけたのですが、行き帰りの途中では、俄鉄ちゃん(微笑)。相談の報告を仕上げねばなりませんが、他にももろもろあって、帰宅後は、江戸橋での非常勤関係の仕事に大車輪で取り組みました。明日、近鉄ハイキングに行きたいと思っているのですが、今晩と明日の朝の仕事の進み具合による??

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2019年12月13日 (金)

20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その2)……長峰神社、フォトジェニックな麻吉旅館、寂照寺を見て古市参宮街道資料館、牛谷坂の常夜燈、伊藤小坡美術館を見て宇治総門跡まで

191201kintetsuhikingujiyamada2 12月1日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」のその2です。その1で、大林寺にお参りし、そのすぐ後に油屋跡の石柱を見ました。ここで、近鉄鳥羽線の線路を越え、さらに古市参宮街道を進みます。長峰神社にお参りし、1月のJRさわやかウォーキングでも見た麻吉旅館にMさんを案内。伊勢自動車道を越える手前で、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館に立ち寄ります。このあたりが頂上で、これ以降は下り。伊藤小坡美術館を通過し、猿田彦神社に向かいます。実測ルートマップの右側は、内宮にお参りしてから、ゴールの五十鈴川駅に向かったルート。

Img_1772c  スタートから1.9㎞のところ、東側に長峰神社があります。1月のJRさわやかウォーキングのときは、立ち寄りませんでしたのでImg_1776c (2019年2月4日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その2)……麻吉旅館、浅香つづら稲荷、寂照寺、古市参宮街道資料館、猿田彦神社など)、今回はお参り。「長峰」は、文字通り、長く続く峰。外宮と内宮を結ぶ、この古市の地形に因む名称。御祭神は、天鈿女命(あめのうづめのみこと)。天照大御神が天岩屋に隠れられた時、天鈿女命は神懸かりして舞を舞い、大御神のお出ましをいただいたと伝わっています。それ故、歌舞伎役者や伊勢音頭の遊女の祖神として、芸能の神様とされる天鈿女命を祀っていたのです。長峰神社は、この街道の(旧)中之地蔵町に鎮座していた宇須賣社(うずめのやしろ)を明治3(1871)年に、久世戸町・古市町・中之町・桜木町の4町の協議によって現在地に鎮座し、長峰の産土神として祀ってきたものです。その後、一帯に鎮座していたお社や祠の神々も合祀しています。相殿神は、木花開那姫命天津彦火瓊々杵命宇迦之御魂神、春日大神八衢比古神久郡戸神(くなどのかみ;もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神で、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されています)、菅原道真公。

Img_1787c_20191201195501  長峰神社から350mほど先を東に入ったところにあるのが、麻吉(あさきち)旅館。創業は明らかではありませんが、天明Img_1789c_20191211073801 Img_1801c 2(1782)年の「古市街並図」にその名前があるといいます。今年1月のJRさわやかウォーキングでも来ましたが(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))、インスタ映えするというか、フォトジェニックというか、魅力的な建物。現在は、5棟の建物があり、懸崖造りで最上階までは6層。朝熊山や二見まで見えるそうです。

Img_1801c  今回は、同行のMさんにも是非、見てもらおうと思い、案内しました。お陰様で、好評(微笑)。伊勢自動車道の方まで降りImg_1817c て見てきました。ここ、一見の価値、十分あります。近くへいらしたら、立ち寄ることをお勧めします。

 麻吉旅館の周囲には、道標が2つあります。まず、Img_1818c 西側の入り口の道標(左の写真)。碑表には「此Img_1807c おく/つヽらいし」、右面には「左 あさま/二見へちか道」とあります。碑陰には「天保□年/正月吉日 世話人… 華千部月の八日ゆ十二日/古話に物ふ水ゆ□供□」。天保は、1831~45年。東へ下った、伊勢自動車道の近くには、右の写真の道標。こちらの道標の正面には「つつら石道」、碑陰には「文化十年癸酉正月 大田小三郎建」とあります。文化10年は1814年。

Img_1820c  麻吉旅館から伊勢街道(古市参宮街道)に戻って少し行くと、栄松山寂照寺。浄土宗のお寺。創建は延宝5(1677)年。寂照知鑑上人(知恩院第37世)が、千姫(2代将軍・徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室)の菩提を弔うため開いたお寺。その後衰退したものの、安永3(1774)年、月僊(げっせん)上人により再興されました。現在の山門、八角輪蔵は月僊が再建したものと伝わっています。月僊は、円山応挙に師事したとされ、仏涅槃図や藤の図が残されています。ちなみに、千姫は、元和元(1615) 年、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから関東に帰る途中、桑名で本多忠政の長子忠刻と巡り合い、再婚しています。また、月僊は求めに応じて絵を描いては報酬を集めていましたので、批判する人もいました。しかし、彼は報酬を一銭も自分のものとせず、すべて寂照寺の再興と貧しい人々の救済などの社会福祉事業のために使ったというエピソードが伝わっています。1月にお参りし、境内も拝観しましたので、この日はパス。

Img_1825c  寂照寺の少し先、Img_1829c 伊勢自動車道のすぐ手前、スタートから2.5㎞地点に伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館があります。10時半過ぎに到着。ここも、1月のJRさわやかウォーキングで訪ねました(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))。入館は無料。館長さんがフレンドリーで話も面白く、古市の遊郭のことや、麻吉旅館についてあれこれ伺ってきました。右の写真は、館内にあった麻吉旅館の古い写真など。1時間ほど歩いてきましたので、ここで小休止。お茶を飲んで、小腹を満たします(微笑)。10時45分頃、再出発。

Img_1837c  伊勢自動車道を越えて、すぐ、道標が一つ。2.6㎞あまりのところ。年配のご夫婦が、「何と読むのか?」と苦労しておられました。「月よみの宮さんけい道」と碑表にあります。右面には、「建設主 田村吉兵衛」、碑陰には「明治廿七年六月」とありました。明治27年は1894年。さほど古いものではありませんが、文字は読みにくくなっていました。「月よみの宮」は、このあと訪ねることになっている「月読宮」でしょう。南東へ直線で1㎞足らずのはず。この近くに「桜木地蔵」があり、1月のときも気になっていたのですが、街道を外れ、200mほど入って行かねばならず、今回も寄り道は断念。桜木地蔵は、江戸時代に伊勢・山田奉行を勤めた大岡越前がここを訪れた後に、江戸町奉行になったことから、別名「出世地蔵」とよばれているのです。

Img_1841c  その先で雪峰稲荷の前を通過。1月も、写真を撮っただけで通過してしまいましたが、今回も。道から奥まったところにあるので、何となく。ここはm昔から近所の方々から「浅間さん」と呼ばれ親しまれてきた土地です。以前は、木花開那姫命を奉る桜木神社でした。これは、明治4()年の仏教政策により桜木町が引き受けたもので、その前は浅間神社だったといいます。延暦年中(782~806)に勧請されたそうです。立ち寄ってくればよかったかと、ちょっと反省。

Img_1843c  雪峰稲荷の少し先、神宮司庁頒布部(右の写真)の手前の街道の西側に「両宮参拝碑」があります。これは、また悪い癖が出て、「あとでImg_1848 調べたら分かる」と思ったのですが、ネット検索ではこれという情報なし(苦笑)。神宮司庁頒布部は、御札などをつくっているところです。前回のお伊勢参りハイキングで、外宮で神宮暦を入手してきましたが、これもここでつくっているのでしょう。

Img_1852 Img_1849  神宮司庁頒布部の向かい側に、大きな両宮常夜燈。牛谷坂の常夜燈。大正3年の建立。そばの石柱の碑表には、「奉献 両宮常夜燈 東京神田旭町 富樫文治」とあります。向かって左には、「管理者 油屋旅館」と。あの「油屋」と関係があるのでしょう。「大正三(1914)年二月二十七日建」とあります。大正時代になってもこんな大きな常夜燈2基を寄附する方がいらっしゃったというのはスゴい。このあたりは、牛谷坂といいます。この名は、この付近に牛鬼という怪物がいたという牛鬼伝説「枕返し物語」の由来によります。かつての参宮路は、ここより手前の「月よみの宮さんけい道」の道標にそって左に曲がりました。この牛谷坂は、延宝2(1674)年、内宮長官の藤原氏富が、山田奉行桑山丹後守貞政の許可を受け、数百両の私財を投じて改修しました。このため、参拝者は、内宮への近道となるこの牛谷坂を利用するようになったといいます。ただ、当時の道は、今のようなまっすぐな坂道ではなかったため、元禄10(1805)年、古市の妓楼「千束(ちづか)屋」の主人りと(当時65歳)が、山田奉行の許可を得て、千両余りを投げ出して本格的な改修工事を行ったのが、現在の牛谷坂です。

Img_1855c  神宮司庁頒布部と常夜燈からすぐ先、左側にいろいろなものがありました。ここはたぶん、Img_1859c もう猿田彦神社の境内と思われます。左の写真の石柱には「両宮参拝碑」とあります。この「両宮参拝碑」、牛谷坂の常夜燈の手前にもありましたが、検索してもよく分かりません。その先にあった石碑も、よく分からず。道路を挟んだ反対側の歩道を歩いていて、気づいたので写真を撮ってきただけというのが祟っています。なかなか学習しません(苦笑)。

Img_1861c さらに、同様の不始末。上の2つの石碑の先にあったのがこちら。碑表には「大阪 ○天 天草」とあります。「大阪」とあって、「大坂」でないところからは、さほど古いものではなさそう。江戸時代中期には「大坂」と「大阪」が併用され、明治維新後の1868年、新政府はもとの大坂三郷に大阪府を置きました。元来の「大坂」に代わって「大阪」が正式な表記となったのは、このころだそうですが、こんなことを書いていても始まりません(苦笑)。「郷(組?)長 加藤○七郎」(○は写真から判読不能)とあるように読めますが、検索しても、これも不明。

Img_1865c  スタートからは3.5㎞のところに伊藤小坡美術館。先日、桑名市博物館でも伊藤小坡の展覧会があり(2019年11月19日:珍客「ホオジロガモ」飛来、さらにはムシクイかウグイスか悩ましい鳥……散歩帰りに桑名市博物館で特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」を見る)見てきましたが、好みの日本画家です。伊藤小坡(いとうしょうは;明治10(1877)~昭Img_1872c_20191213200401 和43(1968)年)は、明治~昭和の日本画家。伊勢にある猿田彦神社宮司宇治土公(うじとこ)貞幹の長女。文展や帝展に複数回入賞するなどして高い評価を受けた日本画家です。個人的には、上村松園に負けず劣らずと思っています。

Img_1869c  牛谷坂を下りきる直前、右側(西側)に「宇治総門跡」の石碑がありました。これ、1月のJRさわやかウォーキングでは気づかず、通り過ぎています。「心焉に在らざれば見れども見えず」です。先を急いでいたりすると、「心焉に在らざれば」になるのでしょう。私淑しているJRさわやかウォーキング&近鉄ハイキングの先達がいらっしゃるのですが、「遊びに来ているんだから、慌てることはない」とよくおっしゃいます。まだまだ修行が足らないようです。ここは、明治維新頃まで黒門を構え、番所を設けて罪人等の通行を取り締まっていたといいます。滝倉川に架かる橋を黒門橋といいその名残となっており、ここで古市参宮街道の終わりとなります。

 ということでキリも良いので、今回も長くなりましたが、ここまで。その3は、猿田彦神社から。

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「認知症の方への声かけ体験」@寺町商店街 三八市に参加してきました

Img_2881c  今日もよく晴れました。最低気温は3.1℃とかなり冷え、最高気温も12.1℃止まりでしたが、風がなく、日向では暖かく感じました。いつも通り、8時10分には散歩に出て、住吉神社、九華公園、貝塚公園からシルバー人材センターへ(笑)。シルバー人材センターを出て、内堀南公園、入江葭町、京町、寺町商店街へ。今日もまた3時間も外出、歩いたのは5.4㎞。

Img_2871c  今日のメイン・イベントはこちら、寺町商店街にて遭遇。三八市開催中だったのですが、ひょっとしたら知りImg_2873c_20191213171601 合い(Oさん)に会えるかと思って商店街を歩いていたら、同じマンションにお住まいの知人Sさんから声をかけられたのです。「ちょっとやってみない?」と。最初はよく訳が分からなかったのですが、「認知症の方への声かけ体験」なるイベントでした。明日は我が身ですし、過去に九華公園を散歩していて、認知症と覚しき方に遭遇したことも一度ではありません。よく分からないまま「認知症患者役」というゼッケンを付けた男性と話すことに。職業柄ということでもありませんが、また、散歩友達に私よりはるかに高齢の方が多いことからということでもありませんが、高齢者の方と話すのは苦になりません。アンケートにも回答してきました(微笑)。

Img_2875c  今日は、三八市に合わせて「認知症 ともに暮らせるまちづくり」というキャンペーン活動が行われていたのです。桑員ホームニュースの方に写真を撮られ、「桑員ホームニュースに載せるかも知れませんが、いいですか?」と聞かれました(苦笑)。それならと、キャンペーン活動の担当の方と、協力しておられた「精義おたすけ隊(地元小学校区のボランティア団体)」の方にご了解を得て、写真を撮らせてもらい、ここに取り上げた次第。「ドンドン宣伝してください」ということでした。ちなみに、Sさんとは、写真のことで親しくさせてもらっています。「犬も歩けば棒に当たる」ではありませんが、ほぼ毎日歩いていると、いろいろなことに遭遇します。

Img_2808c  さて、話を戻して。こちらは、桑名七里の渡し公園の増設部分の工事の様子。重機も入って工事が進んでいImg_2194c ますが、門柱ができるらしいところ以外には、まだ構造物は姿を現してはいません。気になったのは、右の写真にある幟旗。最近、工事現場でよく見るスローガンです。こういうささいなものごとや、自分の生活にはあまり関わりのないようなものごとが気になる質です(苦笑)。「無事故の歳末 明るい正月」というスローガン。

Img_2201c  揖斐川には、今日もあちこちにキンクロハジロが点在。住吉神社前から十万山の南端あたりまでで、合計40~50羽くらいいる感じ。空には、今日も、カワウの大群が飛んで行きます。水曜日には、カモの大群も飛んでいたという話も聞きました。しかし、その他の鳥はあまりいません。

Img_2214c  九華公園。アオサギさんは1羽がいつものあたりにいました。あとで見に行ったら、堀に降りてきていましImg_2287c_20191213171601 た。漁をするか、と期待したものの、ちょっと移動して首を伸ばしたくらいで、私の方が時間切れ。この頃、このように時々、堀に降りてくるのを見ます。魚をゲットする瞬間を見たいところですが、それにはなかなか遭遇しません。

Img_2217c  公園に着いたときにいたゴイサギは、1羽。お休み中。このあと、公園内を半周して、鎮国稲荷社にお参りしImg_2264c て、参道から見ると、ゴイサギ3羽にホシゴイ1羽が見えました。これは、これまで冬になるとよく見かけた光景。いつも観察する場所は、右の写真の奥の方から。この奥に堀があり、その向こうに相撲場があるところから見るのです。反対側から見ていますから、このようにゴイサギがいても、見えないという訳。

Img_2292c  今日も小型の野鳥は少なし。ツグミは、野球場のグラウンドに降りていたという目撃情報があったものの、Img_2832c 私は見られず。シメにも遭遇したのですが、シャッターを押すのが間に合わず(苦笑)。ジョウビタキのメスは、木陰の暗いところにしか出てこず。なかなか恵まれません。

Img_2864c  2回目にアオサギを見に行ったとき、カワセミも出て来ていて、ダイビングもしていたのでImg_2244c すが、遠くて証拠写真。シジュウカラも見たものの、やはり今イチ。もう少したくさん鳥が来ていると、シャッターチャンスにも恵まれるのでしょうが、今シーズン、今のところはいけません(涙)。

Img_2828c  カモは、合計51羽。最近は、50羽前後で推移。九華橋や、吉之丸堀の四阿のあたりの橋に立つと、エサをくれとばかりに寄って来ます。今日は、ハシビロガモの採餌の様子を動画に撮ってきました。ここにYouTubeへのリンクを張っておきます。よろしければご覧ください。

Img_2300c  このあと、貝塚公園にいったん立ち寄ってから、シルバー人材センターへ行ってきました。会員登録して、仕事をしようということではありません。ここで働いている友人に会うためです。仕事中、邪魔をしてはいけないと思いつつ、ついあれこれと話し込んでしまいました。その後、貝塚公園を見て回って、内堀南公園から寺町方面へ。内堀南公園では、メジロに出会いましたが、写真は今イチ(苦笑)。今日はこんなことばかり。

Img_2842c_20191213180801  明日も天気は良さそうですが、出張相談の予定。愛知県尾張地方へ出かけてきます。日曜日は、JRさわやかウォーキングか(醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク)、近鉄ハイキング(名古屋の繁華街に残る古墳めぐり)に行きたい気持ちも強いのですが、其の次の日曜に話をする準備を優先した方がよさそうかも(微笑)。

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2019年12月12日 (木)

桑名宗社(春日神社)へ……桑名石取祭解説板を見る

Img_2801c  週末に相談お一方、来週末は研究会で話をする、さらには、年末までに非常勤先の期末試験問題の作成と、来年度のシラバス(授業計画)をつくって提出と、多用の日々。現役世代の若い方からすると、それくらいなんだ?!といわれそうですが、高齢者一歩手前で、能率低下をきたしつつある身にとっては、なかなか大変(苦笑)。まぁ、誰もが通る道でしょうから、ぼやいていても仕方ありません。冒頭の写真は、散歩から帰ったときに見えた、虹も写った景色。いつもの多度山です。

Img_2718c_20191212194801  しかしまぁ、何はなくとも江戸むらさきではなく、散歩です。今朝も8時10分からたっぷり3時間(忙しいなら、早く帰って来いよ!というツッコミありです)。住吉神社、九華公園、赤須賀郵便局、貝塚公園、内堀公園、桑名宗社、本町、船津屋、住吉入江と6.7㎞。用事をついでに済ませたり、思い出したことありで、いつもとは違うコースでした。写真は、鎮国守国神社で。ドウダンツツジの紅葉越しに見た狛犬さん。

Img_2088c  今日はかなり風があり、揖斐川は波立っていました。しかし、あちこちにキンクロハジロやカンムリカイツブリの姿がありましImg_2098c_20191212194801 た。ユリカモメも強風をものともせずに飛んで来ます。以前は、キンクロハジロが揖斐川にいるのはあまり見ませんでした。

Img_2107c Img_2102c  七里の渡し跡では、コガモのオス3羽とキンクロハジロ1羽。ヒドリガモもいたのですが、水に浮いているのがオス、メスそれぞれ2羽と、上陸しているヒドリガモが9羽。他にはスズメ、ハクセキレイ。

Img_2113c  三の丸水門まで来て、揖斐川を眺めたら、カワウの大群。下流の方からやって来て、着水する寸前の写真。黒い鳥が大群で飛んでいるのは、あまり気持ちのよいものではありませんが、記録の意味で載せておきます。

Img_2129c  九華公園。カモはさらに少なくなり、46羽。ウ~ン、一時的な現象なのImg_2131c_20191212200201 か、減少傾向なのか(オヤジギャグではありません)。ほとんどが九華橋に近くに固まっていました。ヒドリガモがオス・メスとも2羽、ハシビロガモはオス5羽、メス5羽、ホシハジロはオス1羽。他はキンクロ。

Img_2153c  ゴイサギが1羽。公園に着いたときには気づきませんでした。知人から、「ビワの木にいた」と聞いて、よくよく見たら発Img_2174c 見。今日は、アオサギもホシゴイもいません。カワセミも出てこず、残念。このあたりには、メジロ、シジュウカラの混群も出て来ました。そういえば、今日はヒヨドリも少なかったですね。ジョウビタキの鳴き声は聞いたものの、姿は見られず。東の空をミサゴが旋回しているのが見えました。いやぁ、鳥はやはり少ないですね。貝塚公園でも、ヒヨドリくらい。内堀公園は、掃除をしていたせいもあってか、何もいません。

Img_2735c  ところで、先だって相談を終えた方の報告書を送るのに、今回も赤須賀郵便局へ。いつも行っていた近くの郵便局、あまりにも愛想がよくないのです。局舎内の雰囲気もちょっと重い感じ。この間初めて赤須賀郵便局に行ったのですが、明るくて、局員の方の対応も愛想がよく、親切でした。ちょっとしたファンになった感じ(微笑)。九華公園からは、直線距離で500mほど。散歩のついでに立ち寄るのにも、さほど負担はないのです。

Img_2739c_20191212194801  郵便局を出て、貝塚公園、内堀公園を歩いて京町へ行く途中、一昨日の新聞記事を思い出して、桑名宗社(春日神社)へ。Img_2776c_20191212194801 一昨日(12/10)の中日新聞北勢版に「」歴史や概要、写真 桑名石取祭解説版」という記事が出ていたのを思い出したのです。「これは見てこなくては」と思っていました。場所は、右の写真にあるように、楼門の南側(向かって左手)。

Img_2751c_20191212194801  新聞記事に「12月11日に除幕式」とあったのです。桑名西ロータリークラブが、12月9日に寄贈したもの。解説板は2枚。Img_2757c_20191212194801 1枚には、右の写真のように、石取祭の歴史と概要が記され、今年の祭りの写真が載っています。

Img_2761c_20191212194801  東面には、江戸時代・天保年間の絵図から起こした当時の祭りの絵と、祭り唄「おかっつあん」の歌詞が記されています。絵は四日市市の伊藤吉昭さんが昭和初期の新聞に掲載された絵図の写真をもとに復元。現在は使われていない4輪の祭車も描かれています。歌詞の文字は、書家・江川香竹さんの筆によります。

Img_2781c  このあとは本町から船場町へ。途中で、料亭・船津屋の前を通過。敷居が高いので、桑名に来てから行ったのは、1~2回。Img_2795c_20191212194901 それもこの写真にある料亭にではなく、別館であった「蟹亭」で食事したくらい。一回りして、拙宅のとなりの住吉入江のベンチで一休み。ここはずいぶん前から、冬の散歩の帰り道の日向ぼっこスポット。背後(北側)にある諸戸氏庭園の木々で風が遮られるので、陽が当たれば暖かいのです。

Img_2184c_20191212202101  明日は、散歩の後、相談の準備と、研究会での話の用意をしたい(しなくては)と思っています。年賀状もそろそろ受付開始の頃。前にも書いたかと思いますが、かなり減らそうと考えています.しかし、来年の年賀状はその予告もしがてら、今まで通り出すつもり。よく考えて、もろもろ効率的にやりたいところ。どうなりますか?

 

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2019年12月11日 (水)

今日は授業評価……帰りに桑名駅であみま倶楽部の踏破賞景品をいただき、会員資格も更新

Dscn2269c  水曜日、江戸橋での仕事の日でした。今日も暖かい日で、天気もよかったのですが、学生の皆さんの出席率はとうとう80%を下回ってしまいました。寒暖を繰り返していますから、風邪を引いたり、体調を崩したりする学生が多いのかも知れません。出席を気にするのは、15回の授業中2/3以上出席しないと、期末試験の受験資格がなくなるからです。つまり、10回以上出席しないとダメで、すなわち、6回以上休むと試験受験資格を喪失するのです。昔風にいうと「公欠扱い」になる場合もありますが、今のところその届けはありません。体調不良が続くなど、とくに事情があれば申し出るように何度か伝えていますが、それもありません。したがって、欠席が6回になった時点で、機械的に「試験受験資格喪失」を宣告せざるを得ないのです。私たちが学生の頃は、体育実技や実験などの授業以外、出席などとりませんでしたが、今は、文部科学省からの強力な指導のお陰で(給付型奨学金制度発足に伴い、厳格かつ適正な成績管理を実施・公表していることが、その適用要件の1つだそうです)、出欠をきちんととるよう事務局からお達しが出ているのです。これまた、私が学生時代の話ですが、単位が取りやすいのは「老人、外人、非常勤」という話がありましたが(ウ~ン、この3条件のうち2つに該当しかかっていますねぇ)、これまた、「厳格かつ適正な成績管理」ということで、今はそうも行かなくなってきています。

Dscn2279c  さて、今日は、授業の終わりに授業評価をしてもらいました。15分前に授業は終了し、用紙を配布した後、教員は退室します。Dscn2318c 用紙の回収や事務室に届けるのは、学生たちに依頼します。「退室する」と、すなわち、われわれ非常勤講師は「帰ってよい」とほぼイコール。これ幸いにと(苦笑)、今日も志登茂川経由で江戸橋駅へ。干潮で、おぼろタオルから出たところから見た上流側は左の写真のような状況。アオサギ3羽や、カルガモなどが遠くに見えています。他には、マガモ、コガモ、ヒドリガモ、オナガガモなどもいます。もっと近いところで見られるとよいのですが、そううまくは行きません。

Dscn2309c  アオサギさんは、対岸に近いところにも1羽。その下流側には、コサギなども見えました。今日は風も弱く、川沿いで鳥を見てDscn2305c いても、寒くはありませんでした。

Dscn2303c  ユリカモメも時々飛んできたり、干潟になったところでエサを探したりしています。なかなDscn2312c かよいバードウォッチングスポットです。仕事の帰りに道草を食って、バードウォッチングまでできるというのは、ありがたい。もっとゆっくり見られるといいのですが……。そうそう、江戸橋のすぐ近くでは、ハジロカイツブリを見たのですが、ちょうどデジカメのバッテリーが充電切れ。予備も充電切れという不始末(涙)。

Img_2689c  帰りは、いつも道草するときより1本早い電車に乗れました(12時20分の名古屋行き急行)。ついでに、桑名駅で降りてから、近鉄の駅事務室に立ち寄って、あみま倶楽部のスタンプ(踏破賞)の景品交換と、会員資格の更新をしてきました。スタンプ40個が達成できないことが明らかになったからです。結局、12月1日のお伊勢参りハイキングまでで32個のスタンプ。20個で、銅賞のバッチと、近鉄グループで使える商品券1,000円か、カタログギフトですので、商品券をチョイス。年会費が1,000円ですから、それを戻してもらった感じ。あみま倶楽部は、来年2月末で会員資格の更新が停止され、4月以降新しいシステムになりますが、更新した会員資格は再来年3月末まで有効。

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2019年12月10日 (火)

陽気に釣られて(微笑)……アオサギ・カワセミ同時に登場、モズ、カシラダカに、ボタンも咲く

Img_2686c  暖かい1日でした。気温も16度を超え、陽気につられたのか、散歩もいろいろと楽しいことがありました。朝一番に用事を済ませ、8時半から11時にかけて、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園から内堀公園、京町、寺町と5.5㎞を歩いてきました。午後からは、先日の相談の報告書書きに勤しんでおりました。次の相談や、研究会で話をする内容の準備や、試験問題作成、来年度のシラバス(授業計画)の用意など、用事はけっこうあります。

Img_2670c_20191210182701  九華公園では、ボタンの花(戸川寒という種類)が咲いていたり、泥の中に潜ったはずのミドリガメたちが甲Img_2048c 羅干しに出て来たりしていました。いずれも陽気につられてでしょう。鳥たちも、暖かかったためか、いつもより多く、九華公園では珍しい鳥にも出遭いました。

Img_2617c_20191210182601  まず、九華公園の様子。北門を入ってすぐの堀に、カワセミ嬢が今日も登場。そして、そのそImg_1981c_20191210182601 ばには、アオサギさんが堀に降りてきていました。アオサギさん、私が付く直前には小魚を捕っていたそうですが、そのシーンには遭遇せず、ちょっと残念。アオサギさんは、一度樹上に行ったものの、再び堀に降りてきました。カワセミも、いったん姿を消したものの、再度登場。

Img_1994c  アオサギと、カワセミが同時に登場して、観察は大変でした(苦笑)。うれしい悲鳴というヤツです。カワセミとアオサギのツーショット写真も撮れそうだったのですが、これがまた微妙な距離にいて、なかなかうまく行かず。左の写真は、カモたち10羽ほどがやって来たところにアオサギが降りたって、カモは大慌てで逃げ出したところ。右上にカワセミも写っているのです。これが唯一のツーショット。ここで、もう一人、バードウォッチング好きの女性と一緒に40分以上見ていました。

Img_2661c  もう1種類。これは、九華公園では初見。カシラダカ。全長15cm。ホオジロの仲間の冬鳥。「九華公園の野鳥たち(改訂版)」のアルバム、2年前につくったままですが(2017年10月17日:九華公園でイソシギ……午前中は網戸張り替え、取り付け作業;この時点では59種類でした)、その後2~3種類増えて、60種類を越えたと思います。三訂版をつくらないと(微笑)。

Img_2598c  話の順序がバラバラになりますが、九華公園に着く前、柿安コミュニティパーク駐車場のところで、メスのモズを目撃。このImg_2649c モズ、九華公園に飛び去ったのですが、追いかけて撮ったのが左の写真。モズは久しぶりと思っていたら、朝日丸跡では、オスのモズも目撃。今日も、吉日です(微笑)。

Img_2583c  さて、話を戻して、住吉入江には、今日もキンクロハジロ5羽。これで3日連続。住吉キンImg_1967c クロウズ復活といってよいかも。揖斐川では、十万山近くにカンムリカイツブリや、キンクロハジロの姿。カンムリカイツブリは7~8羽、キンクロは約30羽。十万山の南端には、アオサギもいたと聞きましたが、私は確認できず。七里の渡し跡には、メスのキンクロハジロ1羽と、コガモのオスが3羽。

Img_2002c_20191210182601  九華公園、再び。鎮国守国神社の社務所裏、アオサギの他は、ヒヨドリ多数と、ゴイサギが1羽。去年だったか、ここからまるで手品のように、10数羽のゴイサギ&ホシゴイが出て来たことがありました。ああいうのをもう一度見てみたいですねぇ。

Img_2624c_20191210182601  カモたち、今日は、合計64羽。左は九華橋に立って、カモの数を数えていたときの様子。「エサくれ!」とImg_2007c-2 寄ってくるのです。平日は、もっと早い時間に餌をやる人があるそうです。ヒドリガモのオス、メスが2羽ずつ、ハシビロガモは泳ぎ回りますので性格ではないかも知れませんが、今日は、オス・メスとも5羽ずつ。ホシハジロはオス・メス1羽ずつ。他はキンクロハジロ。

Img_2050c-2  ユリカモメは、20羽ほど。私がいた時間には餌をやる人はなく、皆、野球場のフェンスの上で待機中。そのImg_2683c_20191210182601 うち、姿を消してしまいました。現金なもの。

Img_2680c  こちらはカワウの大群と思います。九華公園本丸跡のベンチで休んでいたら、南の空を飛んでいったところ。冬によく見ます。最近では2年前に揖斐川で見ました(2017年12月18日:久々にカワウの大群、ヒヨドリ・ムクドリのお食事も)。

Img_2570c_20191210191601  明日は、江戸橋での非常勤。天気予報は晴れて、暖かい。明日は、授業評価を受けることにしています。年内は、明日を入れて残すところ2回。写真は、諸戸氏庭園の紅葉。外から見たもの。紅葉、今年はまだ楽しめます。

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2019年12月 9日 (月)

野鳥はおらず、歯科へ行けば検診のつもりが、虫歯治療に(苦笑)

Img_2450c_20191209170101  終日、ほぼ曇天。風は2m/s以下と弱いのですが、気温は11.9℃。出遭う人によって「暖かいね」という人と、「今日も寒いね」という人とに分かれました。「えぇ、そうですね。風があまりないのでいいですよね」という返事をしています(微笑)。明日はもっと気温が上がるとか。8時10分から散歩。いつも通りの行動パターン。これがよいのです(笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.6㎞。

Img_2455c_20191209170101  拙宅マンションの玄関を出たところで、電線にツグミ。今日は1羽。ツグミはボチボチは見るのですが、まだ電線や木の上ばかImg_1845c り。数も少ない上に、公園などの広い場所や、原っぱには出て来ません。住吉入江にいる「住吉キンクロウズ」は今日は、13羽。そこに、ホシハジロのオスが1羽加入。名前を変えないといけません(微笑)。

Img_1849c-2 Img_1850c  揖斐川では十万山近くにキンクロハジロが10羽ほど。カンムリカイツブリは2羽。今日は、川にもあまり水鳥はいません。七里の渡し跡には、小ガモの雌1羽と、オオバン1羽。

Img_1858c  九華公園。まずは、アオサギと、ゴイサギ、ホシゴイが1羽Img_1861c-2 ずつ。右の写真はホシゴイ。後ろ向き。ゴイサギも、顔が見えない位置にいました。その他、別の1個所から糞が落下してきましたから、もう1羽いるはずなのですが、見つけられず。

Img_1869c-2 Img_1887c  カモは今日も少なく、合計52羽。記録データの入力を怠っていますが、低減傾向にある気がします。ホシハジロのオス1羽、メス1羽、ハシビロガモオス3羽、メス3羽(もう少しいたかも知れません)、キンクロハジロ。ヒドリガモの姿が見えなくなっています。ユリカモメも、私が行ったときには5羽のみ。誰も餌をやらないので、すぐに姿を消してしまいました。

Img_1874c  こちらはカワウさん。カワウ汁でも発射するのかと思ったのですが、それはなし。人間や、犬、猫でいうと「伸びをした」のかも知れません。

Img_2542c_20191209170201  神戸櫓跡近くでジョウビタキのメス。割と近くで行ったり、来たり。相手をしてもらったような感覚で楽しImg_1933c_20191209170201 めました。

Img_2507c_20191209170101  九華公園では他にツグミ2羽。奥平屋敷跡の樹上。高いところにいるのを写真に撮ると、どうしても「腹打ち写真」になってしまいます。鳥の写真としてはペケなのですが、まぁ私は観察記録という意味合いもありますので、ご容赦を。他に、外周の遊歩道でメジロも見たのですが、こちらはピンぼけ写真のオンパレード。

Img_2562c  という次第で、今シーズン、今までのところ、野鳥は少なく、散歩する人も多くなく、張り合いもありませんというところ。Img_2460c_20191209170101 寒さが身にしみます。午後から、歯科検診のつもりで歯科に行ったら、「おぉ! けっこう大きな虫歯があります。これを先に治療しないと」という有様(苦笑)。そこを削って、詰めてもらっていたら、「あれ! こっちにもある!」と。いやはや。30分で終わって、エディオンと三洋堂に行こうと思っていたら、小1時間かかりました。検診は、来週改めてということに。今日は何もなく終わると思ったら、大間違いでした。(勝手な)予定が狂って、ちょっとお疲れ。桑名七里の渡し公園のように「休園日」としたいくらい(笑)。左は、寺町商店街。今日・月曜は定休日。

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2019年12月 8日 (日)

散歩はなしの三題噺(笑)

Dscn2268c  昨日とは打って変わってよい天気。晴れて、風は弱く、暖かくなりました。気温も14.3℃まで上がっています。絶好の散歩orハイキング日和なのですが(微笑)、今日の午前中は、相談を承っておりました。詳細はもちろん、守秘義務がありますから書けませんが、学校で学業などについて適切な支援が受けにくい状況のお子さん。私は、発達障害などがあっても、知的に平均以上のお子さんについては、そのお子さんの特性を踏まえた上で読み書き計算をきちんと教えることが必要であり、重要であると考えています。しかし、実際には、情緒の安定や、集団適応などを中心とした支援に終始していることが多いのです。これらが不必要ということではありませんが、社会に出て自立していく上では、情緒の安定や集団適応だけではやっていけません。子どもたちの特性に応じて、学習面の支援をいかに行うかについての専門知識や、スキル、教材などが知られていないことがその要因と思います。報告書を通して、学校の先生方にも子どもたちの特性と、それに基づいた支援の方法を伝えようとしています。

Dscn2261c  さて、JR桑名駅の改札には、先日からこういう手書きメッセージボードが出ています。実は、11月30日のJRさわやかウォーキングでJR四日市駅に行ったときにも、手作り看板がいくつかあったそうでしたが気づきませんでした。ブロ友のTAKUさんが書いていらっしゃって(さわやかウォーキング@四日市)、そういえば桑名駅にもあったと思い出したのです(週1回は、必ずここを通過しているはずですが、見慣れた光景になっていました……苦笑)。四日市駅のものの方がインパクトがあるような気がしますが、なかなかの力作。たぶん他のJRの駅にもあるのでしょう。

0006123344f34_740x555y  ところで昨晩は、珍しく忘年会。高校の同級生2人と中華バルSAI SAIへ。中華料理のお店なのですが、なかなか洒落ていて、若い女性ばかり。オッサン3人組は、窓際に追いやられ(失礼、窓際に何とか席をいただいて……苦笑)、6時半から3時間半あまり盛り上がっていました。料理も、その辺にある中華料理店とはちょっと変わっていて、美味しい上に、量もたっぷり。海鮮入りふわぁ〜ふわぁ〜カニ玉(¥980)など4品を堪能。残念ながら、写真は撮っておりませんので、お店のサイトからお借りしました。リンク先をご覧ください。ということで、昨日は、2時間+3時間半=5時間半も、おしゃべりに専念しておりました。

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20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」(その1)……宇治山田駅をスタートし、古市参宮街道を行き、大林寺、油屋跡をみる

Kintetsuhikingisemairi  12月1日に行ってきた近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」の本編、その1です。この近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」も、3月10日に桑名を出発して以来(20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)、12回に分けて、東海道、日永の追分から伊勢街道を歩いてきました。この日は、タイトルにあるように、いよいよ最終日で、伊勢神宮・内宮に無事に参拝してきました。あまり大きな声ではいえませんが、実は、とある研究会をブッチして近鉄ハイキングに参加したのです(お世話をしてくださるG先生、講師のK先生には大変失礼をしました)。調べてみたら、12回で歩いたのは、合計133.8㎞でした。年内には、改めて全行程を振り返りたいと思います。

Img_1731c  この日の受付、スタートは、近鉄山田線・宇治山田駅。9時半から11時の受付でしたので、桑名駅を8時3分にImg_2075c 出る伊勢中川行きに乗車。伊勢中川に9時4分に着いて、9時7分の五十鈴川行き急行に乗り換え。宇治山田駅には9時31分に到着。¥1,220。コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、9時40分にスタート。あみま倶楽部のスタンプは32個になりましたが、会員資格を更新する必要がある今月中に40個達成は困難。ちょっと残念ですが、40回参加しようと思うと、今の状況ではやや無理があります。今日は、畏友M氏と二人、珍道中。

Img_1709c  こちらがこの日のコースマップ。B4サイズ片面。宇治山田駅から伊勢街道(古市参宮街道)を南に行くと、内宮に達します。お参りした後は、北へ。ゴ191201kintetsuhikingujiyamada ールは、近鉄鳥羽線・五十鈴川駅。1駅先なのですが、グルッと回りますので、マップ上、約9㎞のコース。主な立ち寄り個所は、大林寺、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社、皇大神宮(内宮)、岩戸屋、おかげ横丁、三重交通 Gスポーツの杜 伊勢です。が、おはらい町にある岩戸屋さんには立ち寄るのを忘れて、接待していただけたはずの湯茶とお菓子にはありつけず。しかし、伊勢くすり本舗おはらい町屋台には立ち寄り、野間の萬金丹を入手してきました。これには理由があるのですが、それはまた後ほど。右は、実測ルートマップ。余分なところには行っていませんので、歩いたのは、ほぼコースマップ通りの9.2㎞。

Img_1707c  近鉄宇治山田駅は、お気に入りの建物。昭和6(19319年、参宮急行電鉄線(のちの近鉄大阪線・山田線)全通に際し、宇治山田市(昭和30(1955)年に伊勢市と改称)の新たな玄関口となる伊勢神宮最寄りのターミナル駅として解説されました。ここは、昭和5(1930)年に開かれた「御遷宮奉祝神都博覧会」の会場跡Img_1719c_20191206202101 地。当時から長距離列車の始終着駅として賑わい、また、貴賓室があり、天皇や内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の際の乗降駅となっています。当時としては壮大であった高架ターミナル駅は「伊勢では電車も高天原に着く」と洒落て呼ばれたといいます。設計は、久野節(くの みさお 1882~1962年)。久野は、大阪府出身の建築家。東京帝国大学建築学科卒。鉄道省技師、中部鉄道管理局、鉄道省初代建築課長、逓信省技師を歴任。宇治山田駅と同じく、昭和6(1931)年に開業した東武鉄道浅草駅や、昭和7(1932)年竣工の南海電気鉄道難波駅(南海ビルディング)をも手がけました。駅舎外部壁面はクリーム色のテラコッタ・タイルで全面装飾され、入口上部には八角形の窓が並びます。屋根は茶色のスペイン瓦を使用しています。コンコースの高い天井共々、デザインに優れた昭和初期の名建築と評価されており、駅舎本屋は2001年に国の登録有形文化財に登録されました。

Img_1725c  この宇治山田駅の前に、今年5月30日、戦前、戦中のプロ野球で活躍した名投手・沢村栄治(大正6(1917)~昭和19(1944)年)の銅像が建てらImg_1724c_20191206203201 れています。沢村は、ここ三重県伊勢市の出身。駅前の明倫商店街に出生地とその記念碑があります。銅像は沢村の身長とほぼ同じで、約1.7m。左足を大きく上げた独特のフォームをかたどっています。除幕式には、沢村の長女・酒井美緒さんが出席され、「いまだに父のことを思い像を建ててくれる人がいて、父は幸せ者です」と話したそうです。沢村は、旧・京都商業を卒業し、昭和9(1934)年に巨人の前身球団に入り、プロ野球初の無安打無得点試合を達成するなど活躍しましたが、昭和9年に3度目の兵役に住持し、台湾沖で戦死しました(27歳)。

191201kintetsuhikingujiyamada1  こちらは、詳しい実測ルートマップのその1。宇治山田駅から南へ行き、御幸道路を岩淵交差点で越えて次の信号交差点を左折。ここからが伊勢街道(古市参宮街道)。小田橋は勢田川に架かっています。勢田川は伊勢神宮への物資を運ぶ水路でした。ここには伊能忠敬が測量を行ったという説明板があります。古市の町は伊勢参宮を終えた人たちの精進落としの場として栄えた町ですが、第二次大戦でほとんど灰燼に帰し、昔の建物が残っているところはほとんどありません。古市は小高い丘にあり、坂道をずっと上っていくと、大林寺があります。このあたり、歩いたコースは1月のJRさわやかウォーキングと同じです。そちらの記事もご覧ください(2019年2月1日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(その1)……外宮、豊川茜稲荷神社に参拝し、祖霊社を見て、古市参宮街道へ)。

Img_1734c_20191208052501  スタートから500mあまりで小田橋に来ます。勢田川は昔、御贄(おんべ)川といわれ、神宮の御饌(みけ、御供物≒御贄)Img_1736c がここを通って運ばれたそうです。ご遷宮の時、御用材がこの橋につき、ここからお木曳きが行われたといいます。左の説明板にはそうした内容が書かれています。この裏が、「伊能忠敬測量の地」という説明。伊能忠敬が現在の伊勢市を訪れたのは、第五次測量の文化2(1805)年4月(旧暦、太陽暦では5月)です。山田には5日間滞在し、木星の衛星(ガリレオ)による凌犯(りょうはん)観測を行い、経度差を求めたそうです。「凌犯(りょうはん)」とは、月が惑星や恒星を隠す現象のことで、この現象を観測した2地点の地方時(その地点を通る子午線を基準として定めた時刻)を正確に求めることで、時差から2地点の経度差がわかるのだそうです。5日間の滞在中には外宮を参拝したといいます。続いて、宇治に3日間滞在し、朝熊岳の測量や、恒星の観測をしたとありました。

Img_1739c  小田橋を渡ると、次第に古市の町に入っていきます。このあたりから緩い坂が続き、歩くのも楽ではありません(苦笑)。途Img_1740c 中、何ヶ所かに石柱が建っていて、栄えた頃が偲ばれます。たとえば、右の写真は「間の山 お杉お玉」とあります。「間(あい)の山」とは、江戸時代、伊勢神宮の内宮と外宮の中間の、このあたりをさします。ここ間の山に小屋掛けして、三味線・胡弓などを弾いて歌い、旅人から銭をもらっていた女芸人を「お杉お玉」と称したのです。

Img_1742c  さらにその先には、「備前屋跡」という石柱が建っています。天明年間(1781~1788年)、古市には妓楼が70あまり、遊女約1,000人がいたそうです。この備前屋は、牛車楼とも呼ばれたといい、古市では著名な妓楼であったといいます。油屋、備前屋、杉本屋が古市の三大妓楼と呼ばれ、内部には舞台のついた広間があり、毎晩、伊勢音頭を唄い踊り(こちらのNHKのサイトもご覧ください)、客への顔見世にしました(伊勢古市参宮街道資料館のサイトもご参照ください)。

Img_1744  途中、街道沿いにはいくつかお寺なども見えましたが、今回はパス。スタートから1.6㎞ほど、10時10分にImg_1748 浄土宗西山禅林寺派の大琳寺に到着。しゃべっていて、通り過ぎそうになったのですが、同じハイキング参加者の方が教えてくださいました(苦笑)。信空大和尚が、寛永2(1625)年に開いたお寺。浄土宗西山禅林寺派は、京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派です。ご本尊は阿弥陀如来。この境内には、歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」として今に伝えられている遊郭「油屋」で起こった刃傷沙汰「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」が建ち、供養しています。

Img_1754  油屋騒動は、寛政8(1796)年5月4日の夜更けに起こりました。事件は27歳の町医者・孫福斎(まごふくいつき)という男が、古市有数の伎楼「油屋」で、なじみの遊女・お紺(16歳)をめぐり、恋の嫉妬に 狂い、刀を振り回し、3人を斬り殺し、6人を負傷させたというもの。斉は後に自殺(27歳)。お紺は49歳で病死します。左の写真が境内にある「比翼塚(ひよくづか)」。向かって左がお紺の墓、右が孫福斎の墓、中央は六地蔵。昔は、塚にはほこら「愛染堂」が、建てられていましたが、残念ながら、 伊勢湾台風により全壊してしまいました。今でも、油屋騒動を題材に舞台などが行われると、出演する芸人さんなどが必ずこの菩提にお参りされるといいます。お紺の墓は文政12(1829)年、板東彦三郎によって、また、孫福斉の墓は昭和4(1929)年、実川延若似よってそれぞれ建てられています。

Img_1749  愛染堂にあった愛染明王(あいぜんみょうおう)は、現在は新しいお堂に安置されています。この愛染明王は遊廓の街・古市にあって、遊女たちの守り神として信仰がありました。現在でも水商売等に携わるかたがたのお参りも続いているそうです。

Img_1755  境内には、このほか、地蔵堂、庚申塔、稲荷社が並んでいます。お地蔵様は、田井戸地蔵。高さ約80cmの立像と、約20cmの座像があります。Img_1759 その年代、由緒とも明らかではありませんが、永代山の田井戸にあったものを大林寺へ預けられたものです。灌漑用の水祈願のために建立されたものとされます。

Img_1757  庚申塔は、もとは村の入り口とかに邪霊や悪鬼が村に入らぬように、病魔 悪魔 邪鬼を除くとされる正面Img_1760 金剛がを主尊としています。お稲荷さんの写真は、ちょっとピンぼけになりました。お堂には、「寒中御見舞」と書かれた札がたくさん貼られています。「家内安全、町内円満、商売繁盛」などとも書かれ、伊勢市内の町の講の名前になっています。この「寒中御見舞」は、伊勢の風習のようで、お稲荷さんに貼られるようです。商才はよく分かりませんが、たとえばこちらをご参照ください。

Img_1761c  これがその「寒中御見舞」の札。近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングに行き始めて3年目になりますが、これまでのところ、伊勢市内の稲荷社でしかみたことがありません。

Img_1768  大琳寺を出てすぐ、近鉄鳥羽線を越える陸橋の手前に「油屋跡」の石柱がありました。1月にもこれは観たのですが、ここがあの「油屋騒動」のあった、油屋という妓楼があったところ。ここでスタートから1.8㎞、時刻は10時20分頃。

 キリが良いので、その1はここまで。「お前の記事は長い」という評判も少し、気にして(苦笑)。

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2019年12月 7日 (土)

カワセミ登場……喫茶店で2時間超は、「ボケ防止友達」(^_^)

Img_2449c_20191207162301  今日も一段と寒くなっています。最低気温は4.6℃、最高気温は8.0℃とあまり上がっていません。風はあまりないので助かりますが、空は終日、曇天。勢いが出ない日です。勢いが出なくても、散歩であります。近鉄ハイキングで、酒蔵みてある記が始まったのですが(酒蔵みてある記・名鉄タイアップ企画 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて)、夜は忘年会ですから、本日は参加せず。青木酒造は、昨シーズン訪ねましたし、このコースもそのときに歩いています(コースミスをしたときです)。

Img_1737c_20191207162601  さて、散歩は8時10分スタート、12時を過ぎてから帰宅。住吉神社、九華公園から珈琲館はせ川さんへ。ここで2時間あまり過Img_1747c ごして、帰宅。5㎞。左の写真は、住吉水門内側の住吉入江。住吉キンクロウズがいます。往きには8羽でしたが、帰りには15羽に増えていました。揖斐川に出ると、川面は静かだったものの、近いところには何もおらず。下流方面から、ヒドリガモのペアが飛んで来たくらい。その後、柿安コミュニティパークの東まで歩くと、中洲の十万山あたりには、キンクロハジロを中心に合計80羽くらいのカモ。ホシハジロ、ヒドリガモも混じっています。ユリカモメも下流から数羽が飛んで来ますが、他の鳥はおらず。

Img_1777c  九華公園では、まずはカワセミが登場。いや、寒い中出て来た甲斐がありました(微笑)。北の堀端にしばらくいてくれましImg_1767c_20191207163501 た。ダイビングするかと思ったのですが、それはなし。数分で木陰に消えていき、出て来ませんでした。近くの土俵の上の樹上には、ツグミ。他にも声はしたのですが、姿は見えず。いずれもちょっと証拠写真気味。

 

Img_1779c-2  アオサギ。しかし、今日は、西の方には背中を向けています。近くにゴイサギもいたものの、やはり、後ろ姿。鳥たちも、こImg_1820c-2 うも寒くて、陽が当たらないとテンションが上がらないのか、という気がします。

Img_1786c_20191207163601  ゴイサギは、別の木の上。こちらを向いていたものの、枝の陰。枝かぶりでこれも本当は、ダメ写真。悔しいので、載せておきます。

Img_2423c  九華橋まで行くと、ユリカモメに餌をやる人がいて、ユリカモメとカモが集まって大騒ぎ。Img_1796c_20191207163801 餌やりが終わると静かになりますが、まだ皆落ち着かないので、数を数えるにはちょっと都合がよくありません。ただ、九華橋の石の欄干には、ユリカモメが並んでくれました。ユリカモメ、もう少し後で数えたら、22羽でした。

Img_1832c  カモたちも今日は、正確ではありませんが、合計61羽。あちこちに広く点在しています。ハシビロガモはよく泳ぎ回っていますが、キンクロさんは、本来夜行性ということもあって、お休み中ということが多くなっています。ハシビロガモがオス、メスとも5羽、ホシハジロはオス、メス1羽ずつ。ヒドリガモは今日は見当たらず。残りはキンクロハジロ。

Img_1799c  九華公園を回っているとき、西の方の空をミサゴが、獲物を鷲づかみして飛んで行きました。しかし、いかんせん遠すぎて、Img_2426c 曇天で、全くの証拠写真。残念。このほか、鎮国守国神社で目の前の木にシメがいたのに、気づかず、逃げられるという失態(涙)。カワセミがいて、ユリカモメが並ぶ写真が撮れましたから、まぁ良し。ちなみに、今日ももっともたくさんいたのは、ヒヨドリ。

Img_2444c_20191207164301  10時にMさんと約束していましたので、珈琲館はせ川さんへ。あれこれ話しまくって、気がついたら12時を回っていました(苦笑)。オヤジ同士がどうしてそんなにしゃべることがあるのか? と思われるでしょう。話題は尽きないのです。今日一致したのは、「ボケ防止友達だ」ということ。お粗末(苦笑)。

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2019年12月 6日 (金)

藤原岳、御在所岳、木曽御岳その他は皆雪景色で寒い

Img_1598c  今日もまた寒い1日でした。今日、明日が取り敢えず、冷え込みのピークだそうです。我が家あたりから見える山々は、軒並みImg_1603c_20191206172801 冠雪しています。左は、藤原岳。初冠雪は、ブロ友さんによれば12月4日だったそうです(頂上付近が白くなっている写真を載せておられました)。右は、お馴染み、木曽御嶽山。かなり白くなっているとともに、雲もかかっていて、まさに冬景色。

Img_1627c  こちらは、揖斐川沿い、住吉水門から見た上流の方向。白くなっているのは、地図と方角から、岐阜・福井のImg_1733c 県境の山並みではないかと思うのですが、確信が得られていません。伊吹山ではないかという方がありましたが、伊吹山は桑名からは多度山の陰になって見えません。しかし、いずれにしてもこれだけ雪が積もっているのを見ると、余計に寒さが身に応えます。そうそう、忘れるところでした。御在所岳も右の写真のように白くなっていました。

Img_1651c_20191206173701  寒いのですが、散歩は欠かせません(微笑)。8時10分スタートで、住吉神社、九華公園から京町、寺町と回って来ました。距離が短いのは、このあと、駅方面に用事があったからです。10時半前にいったん帰宅後、11時から12時15分頃まで、再度歩いて外出。合計6.7㎞を歩いてきました。この写真は、蟠龍櫓のところから藤原岳の方角を撮ったもの。望遠レンズの圧縮効果が面白くて、です。我が家の近くにあるマンションが、藤原岳のすぐ前にでもあるように見えます。鳥居は、七里の渡し跡に建つ、伊勢一の鳥居。

Img_2302c  拙宅マンションの玄関を出たら、頭上からツグミのコーラス。すぐ近くの電線にツグミが2羽。いや、これはなかなか幸先がよImg_1614c いと思って、寒さにめげず歩き始めます。住吉入江、ポンプ場の東には、オオバンが2羽。さらに、水門の内側には「住吉キンクロウズ」。今日は、11羽に増えていました。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ており(今日は、出漁日)、カワウくらいしかいません。

Img_1636c_20191206174201  ユリカモメが、揖斐川の下流の方から飛んできます。合計10羽弱。漁船に集っているところを見ることもあるのですが、揖斐川に出る漁船は、今の時期はシジミ取りですので、たぶん分け前にありつけるということはありません。

Img_1667c  九華公園の北門を入ってすぐの左手にサザンカの木があり、しばらく前から花が咲いています。今日はそこImg_1673c_20191206174401 へ、メジロの集団がやって来て、賑やかなこと。チーチー鳴きながら、あちこち移動しつつ、蜜を吸っていきます。蜜を吸っているときは、ソーッと行くとかなり近づけます。

Img_1675c  中には、こんなに首を伸ばして、アクロバティックな体勢で蜜を吸っていたりします。メジロを見ていると、退屈しません。

Img_1692c_20191206174701  サギは、アオサギ1羽とゴイサギが1羽。もっと早い時間には、もう1羽、Img_1697c_20191206174701 ゴイサギがいたといいます。上手に隠れますから、見つけられなかっただけかも知れません。鎮国守国神社の方にも回ったりして探しましたが、これだけ。

Img_1723c  そのアオサギさん、このあと突然飛び立ったので、いったい何ごと? と思って見たら、アオサギのいる木に猫が登ってきたのです。猫がアオサギを狙ったのかどうかは定かではありませんが、猫が来るとアオサギもさすがに逃げるというのは間違いなさそうです。

Img_2333c  カモたち、今日もやや少なめで、合計62羽。ハシビロガモのオス4羽、メス3羽、ヒドリガモのオス2羽、メImg_1730c ス1羽、ホシハジロは見当たらず。他はキンクロハジロ。オオバンは2羽。カルガモさんも1羽。

Img_2351c_20191206175201  ユリカモメは、14羽。しばらくは野球場のネットにいますが、餌をやる人がいないと、どこかへ飛び去ります。今シーズンはまだ、二の丸橋の欄干に並ぶ光景は見られていません。

Img_2338c  その他の鳥は今日も少なかったのですが、奥平屋敷跡への入り口で、ツグImg_2360c_20191206175401 ミとシメを確認。「確認」と書きましたように、証拠写真レベル(笑)。他にいたのは、カワラヒワ、ヒヨドリ、カラス。今日はジョウビタキには遭遇せず。

Img_2362c  午後は、ボチボチと仕事をしています。相談を承っている方がお二人、研究会で話をしなければなりませんから、その準備もあります。というところへ、非常勤先からは、試験問題作成と、来年度(令和2年度)のシラバス(講義計画)作成と2件の依頼が来ています。どちらも年末が締切。この年末締切というのは、なかなか(苦笑)。こういうことを書くとお叱りを受けること必至ですが、事務処理はたぶん年明けからではないかと思っています。しかしまぁ、ご迷惑をおかけするわけには行きません。間に合わせないと。年賀状作成もあります。来年で高齢者の仲間入りをしますから、思い切って断捨離ではありませんが、今回でこちらからお送りする方をかなり減らそうと思っています。

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2019年12月 5日 (木)

ドウダンツツジは綺麗に紅葉……ミサゴ、ツグミ、ジョウビタキのオス

Img_2184c  寒い1日でした。最高気温も9.9℃。北の地方では、豪雪といってよいほどの雪に見舞われているそうです。お見舞申し上げます。多度山あたりも、雪が降りそうな雰囲気でした。朝一番に用事を済ませ、8時半から11時過ぎまで散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6㎞。散歩友達は少なかったものの、寺町をでたところでOさんに久しぶりにお目にかかれ、今日は吉日でした(微笑)。

Img_2191c_20191205181801  住吉入江の、住吉水門のすぐ内側で、キンクロハジロが8羽。これは、ひょっとして「住吉キンクロウズ」の復活か? と期待Img_1473c が高まります。以前、住吉入江にしばらくキンクロハジロが滞在していたことがあり、そのとき、勝手に命名したのが「住吉キンクロウズ」なのです。住吉入江にキンクロハジロがいてくれると、我が家の目の前でバードウォッチングが楽しめることになるのです。

Img_1479c_20191205181701  揖斐川、住吉神社の前で、セグロカモメと、ミサゴを相次いで目撃。セグロカモメは下流側から、ミサゴは上Img_1482c 流方向から、それぞれ飛んできました。写真としては、どちらも今イチで、証拠写真レベルではありますが……。

Img_1497c_20191205181701  このあと、なぜか両者がちょっと絡み合うようなシーンも見られました。ミサゴの他にもう1羽、猛禽類らしき鳥も飛んでいたのですが、それはちょっと高すぎて撮れず仕舞い。そういえば、昨日、学生が、「猛禽類も見たい! 猛禽類、大好きです」といっていましたが、これではちょっと見せられる写真ではありません。

Img_1527c_20191205181801  七里の渡し跡では、雌のコガモが1羽だけ。揖斐川には、カンムリカイツブリが5羽ほど点在。十万山近くの揖斐川には、キImg_1531c ンクロハジロが30羽あまり見えましたし、十万山の南端、長良川の方には、やはりキンクロハジロらしき姿が50~60羽ほど見えました。三の丸公園では、ソメイヨシノの樹上にツグミ1羽。ツグミは久しぶりに見ました。

Img_1536c_20191205181801  九華公園、アオサギと、ゴイサギが1羽ずつ。ゴイサギは、鎮国守国神社の社務所裏ではなく、九華橋に近いImg_1544c ところにいたのですが、近寄って写真を撮ろうとしたら、飛び出して、社務所裏に移動していきました。サギは、今日はこの2羽のみ。そういえば、ツグミの鳴き声が複数のところから聞こえていました。

Img_1558c  さて、カモたち。合計63羽と、この時期にしてはやや少なめ。ハシビロガモはオス7羽、メImg_1577c ス6羽(移動していますから、それぞれ1~2羽、重複してカウントしているかも知れません)。ヒドリガモはオス、メスとも2羽ずつ。ホシハジロはオス1羽、メス1羽。他はキンクロハジロ。

Img_2239c_20191205181801  奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオス。鳥小屋の周りにいました。久しぶりです。人懐っこImg_1574c_20191205185601 い鳥で、割と近くにも寄ってきたりします。地上に降りたり、樹上や、花菖蒲園の柵の上にいたりと、けっこう忙しい。

Img_2271c_20191205181801  ユリカモメは、私が公園に行ったときには姿は見えなかったのですが、奥平屋敷跡への入りImg_2275c 口で餌をやる人が現れたら、どこからともなく登場。最終的には、20羽。

Img_2254c  鎮国守国神社の境内にあるドウダンツツジ。茶色っぽくなったように見えたりして、心配したのですが、きれいに真っ赤になってきました。

Img_1476c_20191205181701  相変わらず用事が重なっていて、ウロウロしています(苦笑)。もっと若い頃は、体力で押して、乗り切られたと思うのですが、この頃は疲れると能率低下が甚だしい。昨日は、非常勤から帰って出欠チェックと、出席票を読むだけで終了。疲れて、いつもの水曜ならしないのに、午睡をしていました。隙間時間も使って仕事を進めることにします。

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2019年12月 4日 (水)

今日も道草バードウォッチング……学生たちにも鳥の写真は好評か(?)

Dscn2254c  今日は、江戸橋での仕事。お陰様で、風は強かったものの、よく晴れました。出かけた先では、気温は13.9℃。後期の授業も10回目で2/3を終えられました。出席率は83%とやや少なめ。寒くなって、体調を崩している学生もいるかも知れません。今日のテーマは、ネット社会と人間関係。今の学生たちの年代は、生まれた頃(平成11~12年頃)にインターネット利用率が21~37%でした。その後、彼らが小学校に入学する頃には60%を越え、まさに「ネット世代」。何ごとにも光と影、功と罪、両面がありますが、ネット上の人間関係についても同様。学生たち自身も、たとえばSNSの利用については、慎重さが必要ということはよく理解してるようでした。

Dscn2219c  非常勤先の校舎1階のロビーには、クリスマスツリーが飾られていました。後期に授業に通うのは、初めてですから、初めて目にする光景。授業が終わって帰るときにちょっと見とれてしまいました(微笑)。かつて本務先や、非常勤先で校舎玄関にクリスマスツリーがあるのは見たことがありません。しかし、これ、悪くないと思います。

Dscn2225c  さて、朝の出勤時間は、かなり風が強くて、今日は道草バードウォッチングは無理かと思ったのですが、江戸橋駅に向かう途中、少し風が弱まりましたので、志登茂川を見てきました。四日市港潮汐表で見ると、11時40分が満潮でした。志登茂川の本流は、左の写真では正面奥から流れてきます。中央あたり、向かって左から合流するのは、五六川と毛無川。毛無川は、高田本山専修寺の南から流れてくる川。その合流地点あたりには、カワウ数羽と、セグロカモメらしき姿がありました。

Dscn2242c  下流側には、多数のオナガガモたち。このほかに、ヒドリガモも合計10羽ほどいました。志登茂川の右岸堤防の上を歩いて、江Dscn2244c 戸橋に向かいますが、途中、堤防の下のスペースにも、オナガガモはたくさん上がって、休んでいました。その中には、アオサギと、コサギが1羽ずつ混じっています。

Dscn2234c  こちら、アオサギ&コサギのいたあたりのクローズアップ写真。これらアオサギ、コサギは、珍しく逃げませんでした。逃げるタイミングを失ったのかも知れません(苦笑)。

Dscn2240c  ところで、前々回の授業でウォーキングやらバードウォッチングやらの余談をしたら、「鳥の写真が見たい」「バードウォッチングの話も聞きたい」という奇特な学生がいて、前回、今回と、前の授業のQ&Aの最後に少しだけ見せています。今日は、授業が終わってから女子学生が一人来て、「先生、猛禽類の写真はありませんか? 猛禽類、大好きです。それと、鳥の写真が見られると、その後眠くなりませんでした」といってくれました。気分を切り替え、覚醒水準を上げるという効果があるようです(微笑)。ただし、調子に乗ってはいけません。何ごともホドホドが肝心。

【付記】 12月1日に行ってきました近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」の本編の記事が遅れています。12回にわたって歩いて、内宮にお参りし、ゴールできて、気が抜けたとか、脱力状態に陥ったとか、そういうことではありません(笑)。用事が多くて、手が回りかねているのです。お付き合いいただける皆様には、気長にお待ちくださるようお願いいたします。

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2019年12月 3日 (火)

いよいよ本格的な冬という感じなるも、小型野鳥もカモもユリカモメも少なし

Img_2096c  いよいよ本格的な冬を思わせる天候でした。最高気温は12℃ちょうど。風も強く、午前中、散歩をしていた頃は4~6m/sほど。Img_2086c さすがに、散歩の時は冬支度。ダウンジャケットに手袋、そして今シーズンからはネックウォーマー。手袋とネックウォーマーは、100均で入手したものですが、十分暖かい。ワンシーズン持てばよいと思えば、これで大丈夫。その散歩は、8時40分から2時間あまり、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と5.5㎞。冒頭の写真は、住吉水門の所から見た、北の空。よく書いていますが、多度山や揖斐川の上流からこのように雲が流れているのは、ほぼ真冬の空。右は、我が家の北隣にある諸戸氏庭園脇の紅葉。例のように、「なんちゃって紅葉」の一つ。光の当たり具合と、どこを撮るかによってそれなりに見えます(苦笑)。

Img_1412c_20191203194101  揖斐川にはかなりの数のキンクロハジロと、ホシハジロやヒドリガモの姿がありました。また、コサギも揖斐川上空を飛んでいきました。三の丸公園で久しぶりにモズの鳴き声を聞いたものの、姿はこんな感じ(苦笑)。お尻の証拠写真(笑)。

Img_1418c_20191203194101  九華公園では、今日はシルバー人材センターの方々が、北門付近の落ち葉の掃除をしておられました。そのImg_1440c_20191203194101 せいもあるのか、アオサギは不在。ゴイサギが木の高いところに1羽いたのみ。今日は、小型野鳥も少なく、小数のカワラヒワと、ハクセキレイ2羽、鎮国守国神社でジョウビタキのメスを目撃したくらい。

Img_1435c_20191203194101  カモも、どういうわけか今日は、51羽。管理人さんに伺っても、この2~3日はかなり少ないというお話し。Img_1438c_20191203194101 ハシビロガモのオス、メスが5羽ずつと、ヒドリガモもオス、メスが2羽ずつ。ホシハジロはオスが1羽で、他の36羽がキンクロハジロ。ということは、キンクロハジロがかなり少なかったということです。揖斐川にも30羽くらいいましたから、出張していたのか?

Img_1452c_20191203194101  公園内を周り、鎮国守国神社の御車修祓殿の裏を見ていたら、ゴイサギが飛び出しました。いったんは社務所裏にいったものの、またすぐに飛び出して西の方へ行ってしまいました。

Img_2178c  ユリカモメも少なく、10羽。私が歩いていた時間には、餌をやる人もなく、野球場の外野フェンスの上に集Img_1457c まっていました。手持ちぶさたという感じ。

Img_1469c  貝塚公園も最近は野鳥が少なく、ヒヨドリとハクセキレイのみでした。仕Img_1465c_20191203194001 方がないので(失礼)、暴れん坊・ヒヨドリの写真を撮ってきました。今年は、ジョウビタキ、モズがいったん顔を見せたものの、ここしばらくはあまり見なくなっています。ツグミ、シメも「顔見世興行」はあったものの、やはりその後は姿を見なくなっています。これで、今日のようにカモも少ないとなると、ちょっと張り合いがありません。

Img_2122c  やむを得ませんので、まだ楽しめる「なんちゃって紅葉」を。左は、鎮国守国神社の拝殿南のところ。先だって「なんちゃっImg_2155c_20191203194101 て紅葉」としてたびたび載せていたあたり。散り始めてはいるものの、部分的に見ると、まだまだ鑑賞に耐えます。右は、同じく鎮国守国神社の御車修祓殿の西側。

Img_1446c_20191203194201  そして、こちらは毎年、撮影にチャレンジしていたのですが、なかなか満足する写真が撮れなかったところ。鎮国守国神社の境内、九華招魂社の前から、本丸跡の藤棚の方向を見たもの。木々が生い茂って、やや暗くなった向こうに紅葉が見え、さらにその向こうは明るいというシーンがそれなりに撮れないかと思ったものです。さて、どうなのでしょう?

Img_2165c  今日は、朝からたびたび虹を目撃。これは、九華公園を歩いているときに出ていた虹。明日は、江戸橋での仕事。ほぼ晴れという予報ですが、寒そう。相談を承った方もお二方ありますし、中旬に研究会で話をしなければなりません。まさに「怠け者の節季働き」状態で、大わらわ(苦笑)。

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2019年12月 2日 (月)

午後から市民大学講座……今日は修了式で修了証をいただきました

Dscn2188c  止み間もありましたが、夕方まで雨。時々強く降るときがあるという日でした。「晴歩雨読」のモットーのもと、現在進行形の用事がいくつかありますので、午前中は、必要な資料を整理しつつ、内容の確認をしていました。午後は、パブリックセンターへの市民大学ゼミナール郷土史学科の講座に行ってきました。今年度は、「城と城下町」というテーマで7回シリーズの講義&演習。今日が最終回です。

Dscn2209c  今日は、桑名城の家臣の屋敷、藩主の菩提寺そして城下の変遷について。前回までは、城の実測図(寸法が入ったもの)から、指定された建物や構造物のサイズをチェックするという演習がありましたが、今日は、講義のみ。

Dscn2204c  今日の資料。桑名城二の丸の左下(南東)に、「服部半蔵」という名前が書かれています(もとの絵図は、石水博物館にあるそうです。この地図は、上が西)。これは、幕末の桑名城の絵図に描かれた家臣の屋敷の配置図。服部半蔵は、もちろんあの服部半蔵。初代・服部石見守半蔵正成(まさなり)は徳川家康の部下で、江戸城で彼が守っていた門は半蔵門と呼ばれ、現在も残っています。彼の息子は兄が石見守正就(まさなり)といい、弟が二代目半蔵正重(まさしげ)と称しました。正就の妻は、桑名藩主松平定勝の娘でした。この正就は不祥事を起こして家康から暇を出されたため、妻は三人の息子を連れて実家に戻り、息子たちが松平家に仕えたのです。定勝の息子の代に松平家は松山、桑名、今治に分かれましたので、服部家の息子たちも三つの地に分かれました。次男は石見守正辰(まさとき)と称して桑名松平家の親族として代々続きました。一方、二代目半蔵正重も徳川家から暇を出されて、桑名松平家に仕えるようになりました。「服部半蔵」の名は、この正重の子孫が受け継いでいます。その屋敷がここ。桑名藩では家老職にありました。服部半蔵屋敷の下にある「松平信濃守」は、松平定綱公の弟の子孫で、藩主一族の屋敷。

Dscn2207c  もう一軒、桑名城の西にも服部家の屋敷が描かれています(上記の絵図と同じ絵図から)。左の写真・中央上に、逆さまになってはいますが、「服部石見」とあります。ここは、前のパラグラフで触れた服部石見守・正就の子孫。正就は、上述のように、藩主・松平定勝の娘を妻にしていますので、藩主一族として処されています。家老職よりもランクは上、藩主よりは下という位置づけです。桑名藩には、もう一人、吉村権左衛門という家老職がいました。その出身は、福島正則に仕えていたのですが、福島正則が改易されたときに浪人になります。あちこちの大名からの誘いがあったものの、吉村は一万石を欲しいと要求したため、引き受ける大名はありませんでした。春日局の仲介もあって、桑名藩主となった松平定綱が彼を寛永20年(1643年)に名目は五千石、実質は一万石で招いたといいます(父・息子をあわせて一万石ということでした)。

 などなど、今日も興味深い話が盛りだくさん。まとめたいと思っているのですが、なかなか(苦笑)。サボっているだけなのですが……。年末年始くらいに今年の歴史講座の内容、資料をきちんとまとめたいと思っています。

191202shuuryousiki  今日は、初めに書きましたように、最終回で、修了式も行われました。7回のうち5回以上出席すると修了証がいただけます。これで3枚目(3年連続)。「所定の課程」って何? とか聞かれると困りますが、私自身は7回とも皆出席で、めでたく修了証を授与されてきました。この年になりますと、こういう機会でもないとこのような賞状をいただくこともなくなりました。額に入れて飾ったりはしませんが、謹んで、五十音順に並べていただいたところから自分で受け取ってきました(微笑)。

Dscn2194c  帰りには、虹が出ていました。北日本を中心に荒れ模様の天気のようですが、このあたりは明日、明後日と天気は良さそうです。散歩と仕事に邁進しましょう。

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2019年12月 1日 (日)

20191201近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」……無事内宮に参拝し、全行程踏破(予告編)

 今日は、予定通り、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ」に参加してきました。タイトルにあるように、いよいよ最終日で、伊勢神宮・内宮に無事に参拝してきました。あまり大きな声ではいえませんが、実は、とある研究会をブッチして近鉄ハイキングに参加したのです(お世話をしてくださるG先生、講師のK先生には大変失礼をしました)。3月10日に桑名を出発して以来(20190310近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅1日目~東海道、旅人気分で七里の渡しから富田へ」……雨天決行にて「完」)、12回に分けて、東海道、日永の追分から伊勢街道を歩いてきました。たぶん100㎞ほど歩いたと思いますが、また改めて全行程を振り返りたいと思います。

Img_1731c  今日の受付、スタートは、近鉄山田線・宇治山田駅。9時半から11時の受付でしたので、桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行きにImg_2075c 乗車。伊勢中川に9時4分について、9時7分の五十鈴川行き急行に乗り換え。宇治山田駅には9時31分に到着。¥1,220。コースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらい、9時40分にスタート。あみま倶楽部のスタンプは32個になりましたが、会員資格を更新する必要がある今月中に40個達成は困難。ちょっと残念ですが、40回参加しようと思うと、今の状況ではやや無理があります。今日は、畏友M氏と二人、珍道中。

Img_1709c

 こちらが今日のコースマップ。B4サイズ片面。宇治山田駅から南に行くと、内宮に達します。お参りした後は、北へ。ゴール191201kintetsuhikingujiyamada は、近鉄鳥羽線・五十鈴川駅。1駅先なのですが、グルッと回りますので、マップ上、約9㎞のコース。主な立ち寄り個所は、大林寺、伊勢古市参宮街道資料館、猿田彦神社、皇大神宮(内宮)、岩戸屋、おかげ横丁、三重交通 Gスポーツの杜 伊勢です。が、おはらい町にある岩戸屋さんには立ち寄るのを忘れて、接待していただけたはずの湯茶とお菓子にはありつけず。しかし、伊勢くすり本舗おはらい町屋台には立ち寄り、野間の萬金丹を入手してきました。これには理由があるのですが、それはまた後ほど。右は、実測ルートマップ。余分なところには行っていませんので、歩いたのは、ほぼコースマップ通りの9.2㎞。今日の予告編では、コースマップにある立ち寄りポイントを中心に。 

Img_1744c_20191201193801   まずは、浄土宗西山禅林寺派大林寺。スタートから約1.6㎞。10時10分に到着。信空大和尚が、寛永2(1625)年に開いたお寺。浄土宗西山禅林寺派は、京都市左京Img_1748c 区の禅林寺(永観堂)を総本山とする広義の浄土宗の一派です。この境内には、歌舞伎狂言「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」として今に伝えられている遊郭「油屋」で起こった刃傷沙汰「油屋騒動」のお紺と孫福斎の墓「比翼塚」が建ち、供養しています。

Img_1754c  油屋騒動とは、寛政8(1796)年5月4日の夜更けに起こりました。事件は27歳の町医者・孫福斎(まごふくいつき)という男が、古市有数の伎楼「油屋」で、なじみの遊女・お紺(16歳)をめぐり、恋の嫉妬に 狂い、刀を振り回し、3人を斬り殺し、6人を負傷させたというもの。斉は後に自殺(27歳)。お紺は49歳で病死します。左の写真が境内にある「比翼塚」。昔は、塚にはほこら「愛染堂」が、建てられていましたが、残念ながら、 伊勢湾台風により全壊してしまいました。

Img_1768c_20191201194801  大林寺のすぐ先には、騒動の舞台となった油屋跡の石碑が建っています。碑が建っている場所は、伊勢街道が近鉄鳥羽線を越えるところの手前。古市は、第2次世界大戦のときの空襲によってほとんどが焼けてしまったそうです。古市は外宮と内宮を結ぶ伊勢街道(参宮街道)沿いにあり、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街としてにぎわっています。吉原、島原(京都)と並ぶ三大遊郭の一つといわれたといいます。現在も当時の面影をそのまま伝える木造の旅館が1軒だけ残り、営業を続けています(麻吉旅館)。

Img_1787c_20191201195501  大林寺の先、東側に少し入って行くと、その麻吉旅館があります。創業は明らかではありませんが、天明Img_1801c 2(1782)年の「古市街並図」にその名前があるといいます。今年1月のJRさわやかウォーキングでも来ましたが(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))、インスタ映えするというか、フォトジェニックというか、魅力的な建物。現在は、5棟の建物があり、懸崖造りで最上階までは6層。朝熊山や二見まで見えるそうです。

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 伊勢自動車道を越える手前に、伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館があります。ここも1月に訪ねています。古市の歴史、御師(おんし)のことがよく分かります。館長さんがフレンドリーで、いろいろと面白い話を聞かせてくださいました。

Img_1893c_20191201200501  古市を越えると、宇治浦田町交差点のところに鎮座するのが、猿田彦神社猿田彦神は、もImg_1880c のごとの最初に出現し、万事もっとも善い方へ導く神様。天孫降臨を啓行(みちひらき)した猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたったといいます。今日は、七五三まつりと、団体の参拝客で行ったときは大賑わい。

Img_1883c_20191201200801  境内社に佐瑠女(さるめ)神社があり、ここの御祭神が、天宇受賣命(あめのうずめのみこと;天鈿女命)。天照大神が天の岩屋に隠れたとき、その前で踊り、大神を誘い出した女神。芸能の神様と信仰されています。幟旗を奉納した方の名前を見ても、小薮千豊、南海キャンディーズ・山里、みやぞんなど芸能人が多数。

Img_1912c  猿田彦神社を出て、いよいよ内宮に向かいます。11時半に宇治橋前に到着。けっこう賑わっています。宇治Img_1908c_20191201201601 橋の少し手前に、「国道23号線終点」という標識があります。これには1月のJRさわやかウォーキングのときに気づいています。M氏は、国道にも終点があって、こんな標識があるのかといっておられましたが、そうなのです。

Img_1915c

 内宮の境内に進みます。普通の手水舎もあるのですが、せっかくですから、その先にある五十鈴川ほとりのImg_1925c 御手水場で身を清めます。紅葉もちょうど見頃で、なかなかの景色でした。

Img_1940c_20191201202001  内宮正殿には、12時頃到着。かなり混雑していました。階段の下まで参拝Img_1945c 者の列が続いているくらい。今日は、境内にある別宮、摂社・末社はパスさせてもらいました。

Img_1955c_20191201202401  再び宇治橋を渡って、神域の外へ。俗世界に戻ってくると、時間も時間でしたから、お腹が空いてきました(苦笑)。

Img_1956c_20191201202601  早速、おはらい町へ。ここもかなり賑わっています。どこかできちんとした食事をとることは断念。

Img_1961c_20191201202701  まずは、若美屋さんではんぺんをゲット。¥500。さらImg_1984c に、店は忘れてしまったものの、松阪牛のメンチカツ。¥450。これでかなりお腹がふくれました。今日の昼ご飯代わり。

Img_1974c  その前にというか、はんぺんを食べた後、今日、内宮にお参りすることに次いで、重要な目的地にお邪魔しImg_2080c_20191201205901 てきました。野間の萬金丹を今に伝える、伊勢くすり本舗おはらい町屋台です。インスタに小西萬金丹の写真を載せて「萬金胆はここしかない」と書いたところ、コメントをいただき、「野間の萬金胆もあります」と教えてくださったのがここの方。「今日、訪ねる」と伝えてあったのです。大歓迎してくださいました(微笑)。ちょっとお話しして、萬金丹を買い、萬金飴をいただきました。

Img_1988c Img_2003c  このあと、赤福本店のところで右折し、五十鈴川を新橋で渡って、三重交通Gスポーツの杜 伊勢方面へ。今日は12月1日で、赤福では朔日餅を売り出すのですが、さすがに12時半では売っていません。三重交通Gスポーツの杜伊勢で、7.4㎞。12時40分を過ぎた頃通過。

Img_2013c_20191201210301  最後に、月読宮に参拝していきます。ここは、内宮の別宮。主祭神は、月読尊。天照大御神の弟神で、「月を読む」と記すとImg_2029c_20191201210301 おり、月の満ち欠けを教え暦を司る神です。ここも1月のJRさわやかウォーキングでお参りしています。

Img_2051c_20191201210601  月読宮から御幸道路に出て、北へ。ゴールの五十鈴川駅までは1㎞足らず。13時25分に到Img_2042c 着。9.2㎞を歩いてきました。所要時間は3時間45分。今回も無事に記念品のマグネットをいただけました。これで12個すべてを揃えられ、満足(微笑)。13時55分に名古屋行きの急行がありましたので、それに乗車。桑名駅には、15時22分に到着。¥1,300。運賃もそれなりですが、1時間半近くかかり、電車を堪能しました(苦笑)。

Img_2060c_20191201211001  ALKOOのデータ。21,051歩。近鉄ハイキングで9.2㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですから合計11㎞。本編は、また改めて順次、記事を書いていきます。

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