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2019年11月15日 (金)

20191109近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」へ(その1)……弥富駅を出て、3個所の近鉄旧名古屋線の遺構を見て、尾張大橋へ

Img_6992c_20191109205101  11月9日の近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」の記事、「超予告編」を書いてから、放置してありました。ひとえに私が多用であるためですが、あくまでも私にしては多用ということで、世間の皆様から見れば、さほどでもないはず。現役当時なら、マルチタスクは何とも思わず処理していたと記憶しているのですが、最近はすっかり処理能力が低下しています。超予告編には、「もろもろ用事があり、時間的な制約がありますので、今日のところは「超予告編」。明日以降、順次、本編を書きますが、マジメに取り組めば2回くらいで終えられる気がしています」などと無責任なことを書いていて、お恥ずかしい限り。冒頭の写真は、この日のコースマップ。

Img_6967c  この日は、絶好のハイキング日和でしたので、予定通り、近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」に行ってきたという次第です。前日の記事に書きましたように、このあたりの近鉄名古屋線は、伊勢湾台風で甚大な被害を受けました。しかし、それを契機に、準備中であった狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌工事を一気に行ったのです。それ以前、名古屋線は狭軌であり、大阪線・山田線などは標準軌でしたから、名古屋~大阪間の直通客は、途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていました。名古屋線改軌はかねてから計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進んでいたのです。昭和34(1959)年9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の佐伯勇社長の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で、当初の計画を前倒しして実施されたのです。もっとも手間のかかる枕木の交換作業などの準備が前もってかなり進んでいたこと、また、架け替え工事中であった揖斐川・長良川・木曽川の各新橋梁は当日落成した上、台風で致命的な被害を受けずに済んだという幸運もあって、被災からわずか2か月後の昭和34(1959)年11月27日に名古屋線および神戸線(現在の鈴鹿線)の工事が完了したのです。この日のハイキングでは、近鉄弥富駅~木曽川橋りょう間にある、当時の国鉄関西本線(現在は、JR関西線)をクロスオーバーしていた橋の遺構と、桑名市長島町内にある国鉄関西本線を乗り越えるための築堤の一部やそこにあった架道橋の橋台、木曽川に残る旧橋梁橋脚跡などを見て回って来ました。

Img_6999c  受付は、近鉄名古屋線・弥富駅で10時から11時と、なぜかいつもより30分遅れのスタート。朝は、少し仕事をしてから、桑Img_6990c 名駅を9時36分に出る名古屋行き普通電車に乗車。弥富は2駅目で、9時44分に到着。¥260。コンコースは大賑わい。今日のハイキングは、名鉄タイアップ企画ということでしたから、参加者が多かったのでしょう。受付も早めに始まり、コースマップを受け取ってスタートしたのは、9時58分。

191109kintetsuhikingyatomi  こちらが、実際に歩いたルート。近鉄弥富駅をスタートして、JR関西線・弥富駅前に出て、関西線沿いに木曽川まで進みます。ここまでで3ヶ所の鉄道遺構を見て、尾張大橋を渡るのです(鉄道遺構は、見てきた順に丸数字で示してあります)。今年は、伊勢大橋も徒歩で渡りましたので、これで、両方の橋を徒歩にて制覇できます(微笑)。尾張大橋を渡ると、桑名市長島町。愛知県と三重県を歩いたことになります。長島運動公園から線路沿いに歩いて、近鉄長島駅へ。長島町内でも3ヶ所を見てきます。近鉄ハイキングのサイトでは約8㎞とありましたが、コースマップには約5㎞と書かれていました。実測しても、ほぼ5㎞。毎日の散歩くらいの距離。

191109kintetsuhikingyatomi1

 あまり広い範囲でないので、詳しい実測ルートマップを載せるまでもないかも知れませんが、左の画像が前半部分です。弥富駅を出て、木曽川にかかる尾張大橋の途中までのマップです。

Img_7006c_20191109210101  近鉄名古屋線・弥富駅とJR関西線・弥富駅はほぼ100mほど離れているだけです。近鉄弥富駅をスタートして北西へ細い道をImg_7009c 歩いて行きます。すぐにJR弥富駅の前を通過します。ここからはしばらくJR関西線の線路のすぐ南の道路を歩いて行きます。

Img_7012c_20191114212101  弥富駅から長島駅方向に工事用車両が留置してありました。「09-16 CSM」、「Plasser & Theurere」とあります。調べてみたら「連続作業マクラギ1丁突きマルタイ(マルチプルタイタンパー)」という車両のようです。そういえば、個人名を挙げさせてもらって恐縮なのですが、ブロ友のTAKUさんのブログで「マルタイ」というのを見た記憶があります。鉄道の保線用機械の一種で、車輛ではなく機械の扱いなのだそうですが、これが優れものでした。レールの上を自走し、レールのゆがみを直したり、枕木の下に砕石を敷きつき固めて行ったりするのだそうです。歪みの修整については、レールをつかんで持ち上げ、ミリ単位で補正できるといいます。

Img_7018c_20191114213001  スタートから700mあまりで、最初の鉄道遺構に到着します。実測ルートマップに①と記した地点。左の写真では、前方に見Img_7024c える森のように、木が生えているあたり。旧線は、弥富を出て長島方向に進むとき、現在の線路と分かれて築堤上を進んでいたといいます。その築堤に残る架道橋のあとがここです。下に道が通っており、ここを過ぎると、関西本線をオーバークロスして、関西線の北側に並行する木曽川の旧橋梁をわたっていました

Img_7037c  ①の架道橋跡にごく近くまで進んで撮ったのがこちら。あいにく逆光の位置になります。ここを通り過ぎるImg_7038c と、すぐに現在の近鉄名古屋線の線路を潜ります。往きに弥富まで行く電車からも目を凝らしていたのですが、これは線路に近いこともあって、気づかないまま通過してしまいました。

Img_7052c  ①の遺構から南西へ100mほどのところにコンクリート製の高架橋の遺構があります(②地Img_7058c 点)。これは、①の架道橋から、関西本線をオーバークロスしていた「弥富跨線橋」の跡です。これはまだ、JR関西線の南側にあり、関西線をまたいではいません。跨線橋跡と現在の近鉄名古屋線の線路の間から、弥富方向を見たのが、右の写真。

Img_7070c_20191109210101  ちょうど、名古屋行きの電車が通過していきました。近鉄と関西本線が交差していた時には、関西本線の線路も、現在よりもImg_6988c もう少し手前側を通っていたといいます(こちらと、ここ)。往きに弥富まで行く近鉄電車から撮った写真が、右のもの。

Img_7075c_20191115194501  元の道に戻ってじきにスタートから1㎞を過ぎます。「小島新田」の交差点まで来て右折。右折してすぐ近鉄名古屋線、JR関西線の線路をくぐりImg_7086c またすぐに左折して、木曽川の堤防に向かいます。

Img_7094c  スタートから約1.5㎞で木曽川左岸の堤防に出ます。左のImg_7098c 写真、ハイキング参加者が歩いている道路のすぐ左がJR関西線、左端が近鉄名古屋線。前方の山は、鈴鹿山脈です。振り返って、弥富駅の方向を見たのが、右の写真。上ってくる道のすぐ右手が、旧近鉄名古屋線の線路の築堤だと思われます。

Img_7104c_20191109210101  木曽川左岸の堤防から、木曽川を眺めた写真。JR関西線の鉄橋に向かって右側に旧橋梁のケーソン(橋脚の下に鎮められた潜Img_7121c_20191109212501 函)沈下点を示す古レールを利用した杭が並んでいます(③の地点)。旧伊勢電気鉄道(伊勢電)が桑名~名古屋間の免許を取得したのが、昭和3(1928)年。翌4年には鉄道省から木曽川橋梁が払い下げられました。当初の計画では、木曽川の橋梁も新設することになっていたのですが、折からの昭和初期の大不況。会社経営も厳しくなり、名古屋線は、昭和11(1936)年1月に参宮急行電鉄(参急)傘下の関西急行電鉄が設立され、免許と橋梁・用地を現物出資し、さらにその年9月、伊勢電は参急と合併。昭和13(1938)年、名古屋線が全通したのです。名古屋線は、計画では複線であったものの、桑名~弥富間は省線払い下げの橋梁を使用したため、単線で開通したのです。

 この橋梁は、関西本線の前身である関西鉄道時代にかけられた明治中期のトラスト橋で、昭和3(1928)年まで使われていました。このため、高速運転を売り物にしていた関急も、この木曽川橋梁と揖斐・長良川橋梁では、時速40㎞でゆっくり走り、関西本線のSL列車にスピードで負けていたといいます。近鉄に合併してからは、この区間は名古屋線で最大のネックになり、昭和23(1948)年には、播磨側分岐(信号所)~揖斐川分岐(信号所)の間を複線化し、その後、全区間の複線化と標準軌への改軌を踏まえ、昭和32(1957)年に新橋梁の建設が始まりました。

Img_6981c_20191115200901  ここも、往きの電車から写真を撮っています。左の写真は、桑名市長島町から木曽川を渡り始めたあたりで撮ったものです。JR関西線の橋梁の下に、上で述べた古レールを利用した杭が見えます。

Img_7118c  話は戻りますが、木曽川左岸の堤防から眺めていたら、余談ではありますが、カモの姿もありました。ここImg_7129c にいたのは、キンクロハジロと、カルガモたち。秋から春先、近鉄でも、JRでも、木曽川、揖斐・長良川を渡るときには、カモなど水鳥の姿が見られるのです。

Img_7142cc  木曽川橋梁跡を確認して、小島新田の交差点まで戻って来ました。10時25分頃です。ここで思い出したのが、「しまかぜ」。近鉄名古屋駅を10時25分に発車してくるのです。桑名駅はおおよそ10時40分を過ぎた頃通過していくのです。少し待てば、ここを通って行くはず。ロケーションは悪くはありませんでしたので、しばし待機することに。10時38分頃、通過していくのを撮影できました。ただ、この日持っていったのは、超望遠コンデジのみ。ちょっとタイミングがうまく行きませんでした(苦笑)。

Img_7171c_20191109213501  このあとは、尾張大橋を渡って、三重県桑名市長島町へ向かいます。尾張大橋に差し掛かったところで、10時42分、スターImg_7180c_20191109213501 トからはほぼ2㎞。尾張大橋は、愛知県弥富市と三重県桑名市にかかる、国道1号線の橋。橋がかかるまでは「ふたつやの渡し」と呼ばれる渡し船がありました。明治5(1873)年、新東海道(明治の東海道)が設定された際に設けられたもので、大正10(1921)年以降は愛知県営の無料渡船として運行されていました。尾張大橋は、昭和8(1933)年11月に供用が開始されました。伊勢大橋より1年早く、です。全長は878.8 m。「ランガートラス橋」という形式。尾張大橋も、伊勢大橋も増田淳が設計しています。

Img_7189c  今年9月25日に長良川河口堰に往くのに、伊勢大橋を徒歩で渡りましたが、それに引き続き、今回は尾張大橋も徒歩で制覇ということになります(2019年9月25日;徒歩にて長良川河口堰へ)。木曽川のほぼ中央部、愛知・三重の県境を越えます。キリが良いので、今日はここまで。その2では、三重県長島町にはいったところから。

【付記】 当日配布されたコースマップにあった説明と、「近鉄の廃線を歩く-懐想の廃止路線40 踏査探訪-」(徳田耕一著、JTBパブリッシング、2006年)を参照しています。

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