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2019年11月26日 (火)

20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その1)……竹神社、有明六地蔵、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王之墓従是五丁」道標、安養寺と明星水の井戸

Img_9019c_20191116175001  1週間以上も経ってしまいましたが、ようやく11月16日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」の本編です。今回は、その1。今回、第11日目でやっと伊勢神宮・豊受大神宮(外宮)にお参りします。それで、タイトルも「神領域へ」ということ。3月から始まって8ヶ月。長い道のりだったような気もしますし、あっという間という感じもします。

Img_8471c_20191123043101  この日は、近鉄山田線・斎宮駅をスタートし、竹神社、有明六地蔵、轉輪寺、宮川・桜の渡し跡、播田屋・浦の橋店、筋向橋Img_8475c_20191123043101 (伊勢本街道追分)、小西萬金丹を経て、豊受大神宮(外宮)にお参り。最近、リニューアルオープンした式年遷宮記念せんぐう館に立ち寄って、近鉄山田線・宇治山田駅がゴールという、コースマップ上約13㎞という長丁場。近鉄ハイキングのパンフレットにも「健脚向き」と書いてあったくらい。コースマップも、B4サイズ両面からなっていました。

Img_8476c_20191123043101  こちらが、スタートの近鉄山田線・斎宮駅。ここでの受付が、9時半から11時でしたので、桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時24分に到着。9時29分発の賢島行き普通に乗り換え、斎宮駅には、9時53分に到着。¥1,090。急行と普通を乗り継いでの1時間半は、乗り応え十分でした(苦笑)。

191116kintetsuhikngsaiku  コース全体の実測ルートマップ。近鉄・斎宮駅から、ほぼ近鉄山田線に沿って南東へひたすら歩きます。実際に歩いたのは、14.3㎞でした。このマップに1㎞ごとの距離と、主な立ち寄り先を記しました。14.3㎞というのは、近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキングでも長く歩いた方です。歩き始める前は、若干の不安もありましたが、スタートしたらあとは、ひたすら歩くのみ。というと正確ではありません。あちこち「見て歩き」も大切でした。

191116kintetsuhikngsaiku1  実測ルートマップのその1。斎宮駅は、前回のゴールでもありますし(2019年10月27日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編))、6月に斎王まつりに来たところでもあります(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。斎宮駅南口を10時ちょうどにスタート。このあたりの伊勢街道は初めて歩くところです。

Img_8486c_20191124201501  斎宮駅から130mほど進むと伊勢街道に出ます。前回は、斎宮歴史博物館の方から来ましたので、祓川橋を渡ってすぐのとこImg_8488c ろから1キロほど、歩いていない空白区間があります。左の写真は、伊勢街道に入ってすぐ。スタートから200mあまりのところ、左側(北側)に百五銀行斎宮支店がありました。銀行の支店ですから珍しくもないのですが、支店の表示が、右の写真のように、たいそう気合いの入った石碑タイプで目立っていました。

Img_8492c_20191124201901  300mほどのところ、牛場公民館の入り口に「齋王宮之遺跡」という石碑があります。この写真を撮って通り過ぎてしまったのですが、この奥に秋葉神社と庚申堂がありました。事前にチェックはしてあったものの、場所を十分に確認しなかったため。ちょっと残念。

Img_8495c_20191116180001  スタートから500mほどで竹神社があります。ここは、6月2日の斎王まつりに来たときに立ち寄っています(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。御祭神は、長白羽神天照大御神建速須佐之男命他9柱。神社の詳細は、この6月2日の記事をご覧いただければ幸いです。

Img_8509c  この日は、宮司さんや氏子の代表の方がいらっしゃったので、前回来たときに気になっていた、左の写真にある、拝殿前の石垣について伺ってみました。が、残念ながら、「結論が出ていない」ということでした。「蕃塀(ばんぺい)」かも知れませんが、ここは、もとは斎宮城があったと伝わるところでもあり、それにまつわるものかも知れないということで、残念ながらその正体は明らかにならず。

Img_8520c_20191124203001  スタートから1㎞を過ぎたところに道標があります。「天滿宮乃道」とあります。かつて存在した北野天満宮への道案内です。新しく建て替えられたもので、昔は、ここに黒木(樹皮を付けたままの木)の鳥居があったといいます。正面の下の方には、「○入 四丁」とあります(○は私には判読不能。4丁は約436m)。東面には「斎宮」と刻まれています。

Img_8524c  天満宮への道案内から100mも行かないところに「有明六地蔵」があります。ここは、笛川地蔵院の跡地Img_8533c_20191124204501 で、中町公民館があります。この地は伊勢神宮の「神領」であったため、明治時代の神仏分離令は大きな影響を及ぼしました。斎宮にあったほとんどの寺院は廃せられ、この笛川地蔵院も例外ではなかったのです。当時を偲ぶものとしては、わずかに六地蔵石幢が残るのみです。

Img_8527c_20191124205201  室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととImg_8529c り)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。六角形に削られた部(がんぶ;仏像を納めるため岩壁を掘りくぼめた場所)に六地蔵を刻んであります。六地蔵とは、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに衆生救済のため檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵が配されています。

Img_8532c  有明六地蔵のあるところには、庚申堂らしきものが3つありました。詳細は分かりません。Img_8536c_20191125194701

Img_8540c_20191125194001  伊勢街道に戻ってさらに進み、スタートから1.5㎞ほどのところ、左側に道標が2基建っていました。手前のものには「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と、奥のものには「斎王隆子女王之墓従是五丁」と刻まれています。「斎宮旧蹟蛭澤之花園」の方は、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内。ここは、6月の斎王まつりの近鉄ハイキングで行きました(2019年6月 2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。奥の道標は、明治41(1908)年建立。天延2(974)年、病気のため斎宮で亡くなった第43代斎王・隆子女王の墓への案内。隆子女王(醍醐天皇の孫女)は、わずか5歳で選ばれているのですが、斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、わずか在位3年で疱瘡(天然痘)で亡くなったといいます。

Img_8555c_20191125195901  この先、1.7㎞のところにある勝見交差点の北西側には、山の神が3基、集められていました。こうして歩いてあちこちを見て回っていると、町かどや神社、たまに寺院の境内に本当にいくつもの山の神様が祀られています。昔は、村のそこかしこにあったものと思われます。

Img_8557c  余談に近いのですが、勝見交差点の南東には、済生会明和病院が見えます。済生会といえば、恩賜財団。明Img_8566c_20191125200101 治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立した社会福祉法人。ここには「明和病院なでしこ」という重症心身障害の施設が併設されています。私も大変お世話になった小児神経科医の故H先生や、児童指導員の先輩であったO先生が勤務していらしたところ。済生会明和病院は旧国立療養所明星病院の移譲を受けてできた病院なので、旧国立療養所鈴鹿病院で働いていた私にとっても、何となく懐かしい感じがするのです。

 話を戻して、勝見交差点を過ぎると、南側に「斎王参向古道」という案内板があります。Img_8564c斎王参向古道のルートは確定できていないようですが、それを歩くイベントなども行われているようです(たとえば、こちら)。済生会明和病院の敷地を取り巻くあたりや、この近くにある水池土器製作遺跡付近を通っているようです。

Img_8571c_20191125202401  この「斎王参向古道」の案内板を過ぎ、スタートから2.2㎞ほどのところ、北側に長松山安養寺というお寺がImg_8578c_20191125202401 あります。10時40分。臨済宗東福寺派に属する大寺院で、東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。鎌倉時代のことです。かつては、現在の済生会明和病院のところにあり、その最盛期には、「百間四方の境内の周りには堀が巡らされ、その中には多くの堂塔が立ち並ぶ大寺院であった」といい、京の五山に準ずる格式の寺だったといいます。室町時代には幕府や伊勢国司の北畠氏から手厚い保護を受けていましたが、天正4(1576)年、戦火で焼失したと伝えられています。その後、天正16(1588)年、蒲生氏郷によって伊勢街道が付け替えられた頃、現在の場所に移されました。こちらに明和町の文化財解説シートがあります。その後、明治3(1870)年にいたって、廃仏毀釈のあおりで廃寺になったのですが、明治12(1879)年、当時の上野村の努力で再興されました。

Img_8570c_20191125202401  この安養寺境内にある井戸を「明星水」と呼び、この水を求めて多くの人が詣でたといわれます。この明星水は、「明星」のImg_8598c_20191125202401 地名の由来と伝えられています。後に、門前の在家が「如来清浄の禅に導き入れる」として明星水を使って茶店を商い、繁盛したそうです。この安養寺の火を使った湯茶には清めの力があると明星が降臨するといわれ、日本三霊水の一つに数えられたこともあります。

 まだまだ実測ルートマップはその1で、スタートから2.4㎞ほどしか進んでいませんが、その1はここまで。このところ、用事が多くてなかなか進みませんが、合間を見てボチボチと書き進めます。

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