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2019年11月 1日 (金)

20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その3)……櫛田川を越え、大乗寺、早馬瀬神社、野仏地蔵、梵字による六字名号を見ていよいよ祓川を越え、斎宮跡、斎宮歴史博物館を回って、斎宮駅にゴール(完)

191027kintetsuhikingmatsusaka5 10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」も櫛田川を渡り、その3になります。櫛田川を渡ったあたりはまだ松阪市です。櫛田川を渡ったということで、ちょっと気持ちが楽になりました。というのも久しぶりのハイキングで、11㎞も歩けるかと若干心配していたのです。

Img_0821c  櫛田橋を渡ってすぐ右のところには、常夜燈があったのですが、これは、松坂城跡に移設されています。去年11月3日の近鉄ハイキング(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)の時に見てきたこの常夜燈がそれだと思います(こちらのサイトの説明による)。

Img_5457c  櫛田橋を渡って左折し、漕代(こいしろ)地区市民センターを過ぎたところ、右手(南)に医王山善福院Img_5459c_20191031044801 大乗寺。浄土宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。本堂はかなり古い建物に見えましたが、境内は綺麗に整えられていました。明治初期には、ここに寺子屋があったといいます(こちら)。本堂に向かって左手(西)には、山の神が13基集められていました。お寺にあるのは珍しい。

Img_5462c_20191031044901  その奥には、石碑が1基。「平和之礎」と読めます。碑表には、20名の方々のお名前と「満州国」「比島」「ビルマ」などの地名、昭和20年4月6日などの日付が刻まれていました。第二次世界大戦で戦没された方々の慰霊碑でした。碑陰には回りませんでしたので、建立されたのがいつかや、どなたが建てられたかは確認できませんでした(三重県遺族会のリストにもありません)。

Img_5468c  大乗寺の南に小さなお社があります。これが、早馬瀬神社。お寺の方からも入れますが、表参道は西側の道にImg_5475c 面しています。不思議な神社です。右の写真のように、本殿の社の前にまるで目隠しのようなものが建っているのです。これは初めて見る形式。

Img_5477c  本殿近くまで行ってみると、このようになっています。「蕃塀」なのでしょうか? しかし、この前に賽銭箱が置いてありますから、違うのでしょう。う~ん、これはよく分かりません。ご存じの方がいらっしゃったら、是非ともご教示をお願いします。

Img_5479c  さらに南側(お寺の側)の裏参道に当たるところの両側には、道標が建てに2つに割れたもImg_5481c_20191031044901 の(割ったもの?)が左右に建っているのです。向かって右に建つものには「右けかう……」(……部分は、地中に埋まっています)。左に建つものには正面に「文化十三丙子春 櫛田川 越場…/同志…」とあります(こちらによる)。その左側に「左さんくう……」(……は同様に地中に埋まっています)。この道標、元は、渡し場付近にあったものをここに移設しています。文政13(1816)年建立。いや、それにしても不思議なというか、興味深い神社です。しかし、神社検索(三重)のサイトにも、ネット検索してもほとんど情報は出て来ません。大乗寺、早馬瀬神社のあたりで9㎞。

Img_5486c  伊勢街道に戻って次の交差点のところ、南側に野仏地蔵様がいらっしゃいました。このお地蔵様は、天保9(1838)年の建Img_5488c 立。裏に「天保九戊年十月一日 施主 正木五良兵ェ時尋」と刻まれています。施主がどこのどなたかは不明。みえの歴史街道の伊勢街道のマップには、ここは、機殿(はたどの)道との分岐とありました。「機殿」はおそらく、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ;大垣内町;御祭神の神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどののまもりのかみ)は、神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する御機殿の鎮守の神)と神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ;井口中町;御祭神の神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ)は、神御衣祭(かんみそさい)に供進される荒妙(あらたえ・麻布)を奉職する御機殿の鎮守の神)のあるところをさします。この両社、元々は同じ場所に鎮座していたものが分かれたと考えられています。いずれも皇大神宮(内宮)所管社で、両社を合わせて両機殿と呼びます。両機殿の所在地は旧機殿村で、松阪市立機殿小学校にその地名を残しています。

Hatanodo  余談が過ぎていますが、位置関係はこのようになっていました。櫛田川沿いに下流に行ったところでした。

Img_5494c  野仏地蔵様からしばらくは見るべきところ、ものはありません。近鉄山田線・漕代駅近くまで進みます。大稲木交差点を過ぎて、10.1㎞ほどのところに「六字名号碑」があります。六字名号は、「南無阿弥陀仏」の六文字をいいますが、この碑にはそれが梵字で刻まれています。文化14(1817)年建立。「ヘェ~、珍しいな」と思って、つくづく眺め、先に進もうと思ったら、さらに珍しいものを発見。

Img_5499c_20191031070701  それはこちら。実測ルートマップその5には、表現に困って「神棚のような社」と書いたもの。家庭にある郵便受けか、鳥のImg_5504c 餌台のような感じ。道路脇(東側)のコンクリート製の杭に固定されています。ガラス戸の内側には、家庭用の神棚らしきものが納められています。覗き込んでみたら、向かって右側には津島神社の御札。どなたか個人の方がこれをつくったのでしょうかねぇ? それにしても歩いていると、いろいろなものに遭遇。まさに「犬も歩けば棒に当たる」です。余分な講釈。これ、本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味でした。しかし、今では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われています。

Img_5506c  漕代駅のすぐそばには、この建物。消防団分団の倉庫でした。赤電球がシンボル。昔も、消防団の倉庫などにこの赤電球が灯っていた記憶があり、ちょっと懐かしい感じと思いつつ、歩を進めます。

Img_5509c  スタートから10.4㎞、12時45分頃、祓川(はらいがわ)に到着。この川が、松阪市と明和Img_5517c_20191027213101 町の境。「祓川」は、「神仏に参拝するとき、身を清めるために禊(みそぎ)する川」という意味で、普通名詞として用いられますし、あちこちにこの名前の川があります。ここは、斎王が、群行の際、祓いをして斎王宮に入ったのでこの名が付いています。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性です。歴史に見られる斎王制度は、天武2(674)年、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ;神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として伊勢に遣わしたことに始まります。ちなみに、この払川、江戸初期以降、冬から春の渇水期には仮板橋をかけ、夏から秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭、舟銭を徴収していたそうです。

S_map  さらなる余談。制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる5泊6日の旅を経て伊勢まで赴きます。今年6月2日の近鉄ハイキングでここ斎宮跡で行われた斎王まつりを見に来ましたが、そのとき、この斎王群行が再現されていました(20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。左の図は、明和町のサイトからお借りしました。斎王群行のルートです。

 そろそろ「王朝ロマン」が盛り上がってくる期待があるかも知れませんが、実際に歩いている立場では、10㎞を歩いてかなり疲れてきたものの、ゴールも近いので、「あとひとがんばり」という気持ちも一方では出て来たのです(苦笑)。

Img_5525c_20191031145001  祓川橋から100mあまりのところ、左側(北側)には、道標。「従是外宮三里」と刻まれています。いよいよ外宮さんまで3191027kintetsuhikingmatsusaka6 里になってきました。弘化4(1847)年の建立。桑名・七里の渡し跡から歩いてきたことになりますが、東海道に比べ、参宮街道の方が、常夜燈や道標が多い気がします。今回の近鉄ハイキングでは、ここでいったん参宮街道から離れ、斎宮跡に進み、これから斎宮歴史博物館に向かいます。ここを左折。実測ルートマップは、最後のその6になりました。伊勢街道は、この先も直進し、斎宮小学校前、竹神社前の交差点を進みます。

Img_5530c  左折して、しばらくは田園地帯。近鉄山田線の線路をくぐって行きます。このあたりも斎宮跡に含まれるとImg_5542c_20191031145501 思われます。線路を潜ってから振り返ると、伊勢志摩ライナー。

Img_5549c_20191031145601  斎宮跡に含まれると思われると書きましたが、実際にまだ発掘調査が進んImg_5555c でいる場所もありました。この脇を通って斎宮歴史博物館に向かいます。11㎞を過ぎ、博物館手前の森に入ったところに「祓戸跡 竹川」という表示があります。このあたりには竹川という小さい川が流れています。斎王はここでも禊ぎを行ったといいます。また、5月と11月には竹川祓を行ったそうで、そのために河畔に祓殿が特設されたいた跡が、ここということ。

Img_5559c  斎宮歴史博物館に到着。スタートから11.4㎞、13時頃です。斎宮歴史博物館では、ちょうど斎宮歴史博物館開館30周年記念・史跡斎宮跡指定40周年記念特別展として、「東雲(しののめ)の斎王 大来皇女(おおくのひめみこ)と壬申(じんしん)の乱」が開催されていますので、これを観てきました。こちらも近鉄ハイキングの特典で一般¥400のところ、¥320。ここが最後の立ち寄り先。大来皇女は、天武天皇の皇女。「大伯皇女」とも書きます。天武2 (673) 年に斎王に任じられ、奉仕していましたが、朱鳥1 (686) 年、同母弟大津皇子の謀反事件が起こって任を解かれました(こちらを参照)。斎王の制度が確立したのは、この大来皇女からだといわれます。

Img_5566c  大来皇女は、その激動の人生を暗示するかのように、661年正月、百済救援軍を率いた斉明(さいめい)天皇らが筑紫へ向かう船上で誕生しました。大来皇女の人生はまさに、「倭国」から「日本」に成長していく日本史の中で最も変革の多い時期と重なっています。今回の展覧会では、大来皇女の斎王として、また、万葉歌人としての人生(万葉集に6首が収められています)を中心に、壬申の乱や最新の斎宮跡発掘調査の成果も含めて紹介されています。

Img_5572c  多武峯縁起絵巻(とうのみねえんぎえまき) 下巻之一(室町時代、談山神社蔵)、国宝 崇福寺跡塔心礎納置 舎利容器及び供養具(すうふくじあととうしんそのうち しゃりようきおよびくようぐ)(飛鳥時代 近江神宮蔵)などの文化財の他に、里中満智子さんの「天上の虹」の複製原画も出ていました。「天上の虹」は、持統天皇を主人公にした歴史物語です。

Img_5589c  斎宮歴史博物館を出て(11.5㎞)、塚山古墳群を見ながら歴史の道を歩いて、斎宮跡へと向かいます。このあたりは、6月2日にも歩いImg_5590c たところです(2019年6月 2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。塚山古墳群は、斎宮歴史博物館および周辺に分布する群集墳で、5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。

Img_5602c  芝生広場の西を歩いて、12㎞地点を過ぎ、近鉄山田線の線路に突き当たって、線路沿いに東へ。スタートかImg_5610c_20191027213201 ら12.5㎞、時刻は13時20分にゴールの近鉄山田線・斎宮駅に到着。北側にある史跡公園口が、ゴール。この日は、松阪駅についてスタートする頃から次第に晴れてきて、けっこう蒸し暑く、かなり汗を掻きました。また、久しぶりの近鉄ハイキングで、10㎞以上歩いたのも10月5日以来でしたので(2019年10月5日:20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】)疲れました(苦笑)。

Img_5612c_20191027204301  いつものように、記念のマグネットをいただき、これで10個コンプリート。今回は、神戸神社のデザインでした。子どもみImg_5613c たいな気もするのですが、こういうものでもいただけるとなると欲しくなりますし、全部集めたくなります。右の写真は、東側から見た史跡公園口の駅舎。

Img_5628c  さあ、これで無事にゴールしましたので、いよいよ昼ご飯タイム。あの「元祖特選牛肉弁当(¥1,500)」を食べられるのです。幸い天気もよいので、斎宮跡のどこかでということにしました。ちょっとウロウロして、いつき茶屋という休憩所&食事処のそばのベンチへ。この弁当、松阪牛のももの柔らかい部分を厳選し、独特の焼き方を工夫、最後に絡めるたれも秘伝のもの。冷めても美味しいというキャッチフレーズに間違いはありませんでした。いやぁ、去年食べた「モー太郎弁当」も美味しかったですが、これも甲乙つけ難し。この弁当は、昭和34(1959年)7月15日に紀勢本線が全通したのを記念して、日本初の牛肉、しかも松阪肉の駅弁として売り出され、それ以来食べ続けられているのです。当時の値段は150円だったといいます。「還暦の弁当」です。

Img_5620c_20191031200701  弁当を食べる前に見たのは、「御館の碑(みたちのひ)」。いつき茶屋の南にあります。この説明板によれば、斎宮跡顕彰運Img_5622c 動のシンボルだそうです。この石碑はもともと、明治36(1903)年、斎宮旧蹟表彰会が建てたもので、碑文には「斎王御館之遺跡」と刻まれています。碑が建てられた当時、地元で斎宮跡を復興しようとする動きが盛んになり、これ以外にも斎宮跡に関わる9ヶ所に石碑が建てられたといいます。「御館」は、中院の寮頭館舎のあった址と考えられています。

Img_5618c_20191031201201  伊勢志摩ライナーや近鉄特急が通って行くのを見ながら、青空の下で弁当を食べるのは、なかなか気持ちのよいものです。近Img_5649c_20191031201701 鉄ハイキングに来られ、伊勢参りツアーも10回目を無事に歩き終えられ、美味しい弁当をいただけていうことはありません(微笑)。帰りの電車まで時間がありましたので、あたりを少し歩いて、斎宮駅の南口へ。結局12.9㎞を歩きました。

Img_5658c  帰りは、斎宮駅を13時58分に出る伊勢中川行きの普通に乗車。松阪駅に14時11分に到着。14時15分に名古Img_5669c 屋行き急行が来ましたので、それに乗り換えて、桑名駅には15時22分着。料金は¥1,090。とうとう、片道の料金が¥1,000を越えました(爆)。歩数は、スマホのALKOOによれば、25,436歩。久しぶりにこれだけ歩くと、疲れます。ハイキングで最終的には12.9㎞、自宅から駅の往復が1.8㎞で、14.7㎞でした。

Isemairi_20191031202701  次の伊勢参りハイキングは、11月16日(土)。「昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」です。この日のゴール斎宮駅からスタートし、宮川を渡り、豊受大神宮(外宮)にお参りして、宇治山田駅までの約13㎞。マップ上13㎞となると、実際には15㎞くらい歩くことになる気がします。最終の12回目は、12月上旬だそうです。是非ともコンプリートしたいと思っています。事前になるべく調べ、あとは実際に歩いて、現地、現物を見てさらに学ぶということで行きましょう。「あみま倶楽部」の「あみま」は、「歩く・見る・学ぶ」だそうですし。

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