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2019年11月

2019年11月30日 (土)

20191130JRさわやかウォーキング「JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまちめぐり」へ(完)

 今日は、鈴鹿市駅から、石薬師寺などを歩いて四日市あすなろう鉄道・内部駅までの近鉄ハイキング「秋を彩る 紅葉の石薬師寺と旧東海道めぐり」もあり、少し迷ったのですが、JRさわやかウォーキングに行ってきました。鉄ちゃんではないのですが、JR貨物四日市駅コンテナ基地へ行くというのが魅力的だったのです。

Img_1258c-2  受付は、JR関西線・四日市駅で8時半から11時。桑名駅を8時51分に出る亀山行き普通電車に乗車。四日市には、9時6分着、Img_1254c_20191130153201 ¥240。近い、早い、安いと3拍子揃ったウォーキング(微笑)。コースマップをいただいて、9時15分にスタートします。

191130jrwalkingyokkaichic  こちらが今日のコースマップ。四日市駅をスタートして、まちなか農園・よんとまちゃん家、末広橋梁(国重要文化財)、臨港橋、ボードウォーク、壁画を見て、プロムナードから稲葉翁記念公園、さらに最後にJR貨物四日市駅コンテナ基地に周り、四日市駅に戻るという、約7.5㎞コース。このコースは、以前にも歩いています(2018年11月24日:20181124JRさわやかウォーキング四日市「日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング」へ……四日市旧港で桑名城の石垣の石を使った場所を確認【地図を付記(11/26)】)が、今日は、JR貨物四日市駅コンテナ基地に最後に立ち寄る関係で、これまでとは逆回り。それに、初めてJRさわやかウォーキングなるものに参加して、ハマってしまったのも、今回と同様のコースでした(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。そういう意味では、記念すべきというか、思いで深いというか、そういうコースでのさわやかウォーキングでした。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングに行くようになって、丸2年が過ぎ、3年目に入りました。

191130jrwalkingyokkaichimap  こちらが実際に歩いたルートマップ。コースマップとほぼ変わりません。余分に立ち寄ったところはなし。マジメに歩いてきました(苦笑)。末広橋梁に行くため、臨港橋のたもとから往復しています。実際に歩いた距離は、8.1㎞。今回は、この記事1回ですべて書き終える予定。

Img_1261c  JR四日市駅から西へ向かい、四日市市役所のところで左折。最初の立ち寄り先に指定されていたのは、まちImg_1264c なか農園・よんとまちゃん家でした。しかし、店頭に「イベント用販売は終了しました」という掲示。よんとまちゃん家は、9時から営業開始だったはずなのに、もう終了とは。まぁ、買い物はしないつもりでしたから、個人的にはまったく構いません。ここでほぼ1㎞。

Img_1288c_20191130154701  その先で左折し、東へ。港中学校と四日市自動車学校の間を過ぎ、JR関西線を渡り、国道23号線を横断し、Img_1299c 四日市港へ進んで行きます。スタートから2.3㎞あたりに「港橋」の親柱と欄干だけが、道路の左右に残っています。この南のところまで水路が入っています。ここも水路だったのでしょう。2.6㎞で臨港橋のたもとにやって来ます。この臨港橋は、千歳運河にかかる可動橋で、過去のJRさわやかウォーキングのときにもその様子を見ています。

Img_1322c_20191130155301  こちらが末広橋梁。ここを左折して、まずは末広橋梁へ。こちらも千歳運河にかかる可動橋で、三岐鉄道三岐線東藤原駅からImg_1313c 関西本線富田駅、四日市駅を経由して、四日市港の太平洋セメントへセメントや土砂を運ぶ貨物列車が通る橋です。昭和6(1931)年に完成した、日本最古の鉄道用可動橋。全長58m、幅4m、中央の桁部分16.6mを橋脚上に立つ高さ15.6mの鉄塔頂部からワイヤで巻き取り80度に跳ね上がる仕組みです。去年来たときは、台風24号の影響で、可動不能となっていましたが、今年は動くところが見られます。今日のさわやかウォーキングは、鉄道関係の施設が入っているため、小さいお子さんや小学生を連れた親御さん、老若の鉄道ファンでけっこうな賑わい。末広橋梁南の千歳運河沿いの道にもたくさんカメラを持った方が待機していました。

Redbear1  9時55分頃、JR貨物のディーゼル機関車のレッドベアが、港に向かって通過していきました。取り敢えず、ここにYoutubeに載せた動画にリンクしておきます(ココログのリニューアル、Youtubeの更新にともない、動画の埋め込み方法が不明になってしましました……涙)。

Img_1342c_20191130160801  こちらは、10時10分頃、レッドベアが港から戻って来たときの様子は、スチール写真にて。今日は、機関車のみで、貨車はImg_1347c引いていませんでした。ひょっとしてイベント用の特別運行なのでしょうか。

Img_1386c  さらに10時19分過ぎからは、末広橋梁が跳ね上がるところが見られました。Youtubeに載Img_1327c_20191130163301 せた動画へのリンクは、ここにあります。

Img_1375c_20191130161301  末広橋梁で30分ほどいたのですが、その間(10時10分頃)には、臨港橋も開閉が見られまImg_1334c_20191130161401 した。ちょうど逆光でいけませんが、様子はお分かりいただけると思います。過去記事にもあります。また、末広橋梁近くの千歳運河には、ホシハジロのオスが3羽、メスが1羽浮かんでいました。お陰でさほど退屈せずに済んだ次第。

Img_1391c  臨港橋まで引き返して、橋を渡って港のエリアへ行きます。右の写真は、千歳町を過ぎて、港湾合同庁舎のあるところ。この先、第二、第三埠頭へ入って行きますImg_1411c_20191130163401  。このあたりで10時半頃、スタートからは3.8㎞ほど歩いてきました。さすがに、末広橋梁あたりからは、海も近くなり、風がけっこうあって、冷たい。今日は、手袋とネックウォーマーを持参。ネックウォーマーはまだ使う必要はありませんでしたが、手袋は必須です。

Img_1418c_20191130163901 Img_1416c  ここでは、ボードウォークを少し歩いて、壁画を見ます。一昨年は、巡視船ちとせの内部を見学させてもらえたのですが、去年も今年もそれはありません。残念。

Img_1436c  臨港橋のすぐ東まで戻って右折、北に向かいます。5㎞地点の手前で、先ほどの末広橋梁がよく見えました。写真を撮っているときには気づかなかったのですが、末広橋梁の先に見える山は、御在所岳でした

Img_1438c  5.4㎞ほどで千戈橋(ちとせばし)のところに来ます。そこに踏切があるのですが、踏切Img_1440c 脇に小屋がありました。交通整理をしてくださっていたさわやかウォーキングのスタッフの方に伺うと、この踏切は、列車が通るときだけ係員の方が来られ、小屋で待機して遮断機を上げ下げするのだというようなお話しでした。昔風にいうと、踏切番とか、踏切警手とかいったと思います。

Img_1444c  千戈橋を渡ったところでプロムナードへ降りて、稲葉翁記念公園に向かいます。このプロムナードも今回で3Img_1449c 回目。なかなかよいところです。九鬼のごま油の工場脇を通っています。

Img_1479c  水鳥がいないかと思って探したら、ハジロカイツブリが1羽(微笑)。ラImg_1474c_20191130165001 ッキーです。今シーズン初見。キンクロハジロ(スズガモかも?)も数羽。ウォーキングしながら、バードウォッチングもできるのは、何とも幸せ。

Img_1499c  11時頃、稲葉翁記念公園に到着。スタートから約6.2㎞。四日市港開港のImg_1510c 祖である稲葉三右衛門の名を冠しています。稲葉は、四日市で廻船問屋を営んでいました。明治6(1873)年、四日市港の修築に着手しています。左の写真は、稲葉翁記念碑。右の写真は、「波止改築記念碑」。防波堤改築を記念して明治27年(1894)に建てられた碑です。

Img_1492c  今日は、スタンプラリーも開催されており、末広橋梁、ボードウォークそしてここ、稲葉翁Img_1520c 記念公園の3個所でスタンプをもらうと、記念品がいただけました(微笑)。去年は、観光案内のパンフレットと、AGFのコーヒー2つ、カントリーマーム1個でした。

Img_1694c  今日の記念品、帰宅してから見たのですが、観光案内と、マウスパッド、ポケットティッシImg_1501c_20191130165201 ュ2つでした。マウスパッドは、四日市港ポートビル展望展示室「うみてらす14」のキャラクター「ポルテ君」のデザインでした。何にしてもこういう企画があって、ちょっとしたものでもいただけるのはうれしいこと。

Img_1507c Img_1504c  ところで、稲葉翁記念公園の先には、潮吹き堤防と、旧・桑名城の石垣の石が基礎に使われた突堤があります。潮吹き堤防は、オランダ人土木技術者デ・レーケによるものです。

Img_1522c  公園内には、潮吹き防波堤のレプリカがあり、ボタンを押すと動きが再現されるはずなのですが、今日は、ボタンを押しても動かず。親子連れの方が何度もボタンを押していたのに、残念。

Img_1527c Img_1530c  公園の北にある黒川沿いを西に向かいます。今日は、そこにある水門を渡るコース設定。右の写真は、水門上から、稲葉翁記念公園を振り返って撮ったもの。

Img_1536c  水門を渡ってから向かうのが、こちらの写真にあるところ。奥に見えている逢来橋まで行って、この橋を渡ります。

Img_1553c  逢来橋の先を右折し、相生橋。ここの歩道からは、コスモ石油四日市製油所を中心とした工場夜景を観賞できるのだそうです。夜間に訪れる人は少なく、穴場スポットだとか。工場夜景の写真も、撮って見たいと思うのですが、夜、遠いところまで出かけるのが億劫になって来ています(苦笑)。それにしても、橋の飾りのデザインがレトロで、いい感じです。

Img_1568c  相生橋の先でスタートから7㎞を過ぎ、国道23号線を渡り、いよいよJR貨物四日市駅コンテナ基地へ。ちょっと期待が高まりImg_1570c_20191130170901 ます。子どもの頃、名鉄三河線の近くに住んでいました。まだその頃は、名鉄でも貨車による輸送が行われており、駅まで見に行ったこともたびたびあります。貨車を見るのは好きでした(微笑)。実家近くの駅には、日本通運(マル通といっていました)の倉庫もたくさん建っていて、貨車というとマル通という連想ができています。今日も期待に違わず、JR貨物四日市駅コンテナ基地の入り口前には、日通の建物がありました。

Img_1571c Img_1576c  JR貨物四日市駅コンテナ基地は、JR関西線・四日市駅の東側。11時25分頃到着。7.4㎞。今までは、貨車などが並んでいるなという認識しかありませんでした。入り口には、「関係者以外立ち入り禁止」「鉄道営業法第37条により罰せられます」などと警告も出ていて、ちょっとビビります。しかし、入ってみると、コンテナに「JR貨物四日市駅へ ようこそ」とあり、ホッとします。

Img_1605c

 コンテナ基地自体は、もちろん広いのですが、立ち入りが認められたところはさほどでもなく、けっこう混雑している感じでImg_1623c_20191130171701 した。ディーゼル機関車のDD51と、DF200、それぞれ1両が展示されていて、DD51の方は、先頭のデッキ(?)に載って、写真が撮れるというイベントが行われていて、数10mの行列。皆さん、待ちながら、貨車の写真を撮ったりしています。JR貨物の職員の方にお願いすれば、シャッターも押してもらえるのでしたが、いい年をしたオッサンが一人では、ちょっとねぇと思い、パス。

Img_1581c  ディーゼル機関車の写真はそれなりに撮って来ました。まずは、DD51。見慣れた機関車ですが、国鉄によって昭和Img_1586c 37(1962)年から昭和53(1978)年にかけて製造されたものだそうです。見慣れているわけです(苦笑)。このあたりでは、関西線を中心に石油やコンテナを運んでいます。大型機関車なのに、運転台が中央にあります。

Img_1612c_20191130172001  もう1両は、DF200。DD51が老朽化してきたため、新型本線用ディーゼル機関車として、平成4(1992)Img_1597c 年から、JR貨物によって開発されたもの。"ECO-POWER RED BEAR"(エコパワーレッドベア)という愛称があります。単機でDD51重連に相当する牽引力と、高速化が実現された電気式ディーゼル機関車だそうです。動力源となる機関と発電機がセットで搭載されているといいます。先ほど、末広橋梁をとおったのも、このDF200でした。

Img_1608c  JR貨物のブースがあり、機関車の人気投票や、機関車をデザインしたハンカチの販売も行われていました。JR貨物四日市駅コンテナ基地は、末広橋梁についで、賑わっていました。まさに老若男女で。小さいお子さんもカメラを持っていたりしますし、若い女性ファンの姿もそれなりにありました。個人的には、コンテナの中とか、コンテナにどのように荷物を積むのかとか、石油を運ぶ貨車の説明とかがあるといいのにと思います。これで、今日のJRさわやかウォーキングの立ち寄り個所はすべてクリア。JR四日市駅に向かうため、諏訪新道に戻って、本町交差点を左折していkます。

Img_1634c  スタートしたJR四日市駅に戻ってきました。11時42分。8.1㎞を歩いてきたことになります。スタートから2時間半あまり。Img_1636c_20191130173801    おおよそ予定通りの時間がかかりました。いつものように「完歩記念パネル」を撮影。

Img_1639c_20191130173901  さわやかウォーキングのスタンプカードは、先日、多気でのさわやかウォーキングで10個Img_1641c のスタンプをゲットし、賞品に交換しましたし、11月23日で古いものが1年の期限を迎えましたので新しくなりました。また、地道に参加していきましょう。今日の記念に保線車両の写真が入ったカードもいただきました。

Img_1647c  JR四日市駅前には、いつものようにAGFのキッチン・カーが来ていて、無料でコーヒーをいただけました。ちょっと寒かったので、ホットコーヒーをお願いして、その場で飲んできました。

Img_1651c  そして、JR四日市駅のコンコースには、地元名産品の即売所。今日は、神楽酒造さんと、味噌・醤油の伊勢Img_1653c 蔵さんが出店。これは、もう神楽酒造さんのものを買うしかありません。本醸造の「神楽」、300ml瓶詰めを1本、買ってきました(¥500)。「燗にするのがお勧め」だそうです。

Img_1659c  帰りは11時54分に名古屋行き快速がありましたので、それに乗車。桑名には12時6分着。¥240。快速ですから、四日市を出たら次の停車駅が桑名。今日は、朝、家を出たのが8時半。4時間で帰宅。初めに書きましたように、近い、早い、安いウォーキングでした。

Img_1673c Img_1691c  ALKOOのデータは、16,780歩。歩いた距離は、JRさわやかウォーキングで8.1㎞、自宅から桑名駅往復が1.8㎞ですから、合計9.9㎞でした。

 明日は、いよいよ近鉄ハイキングのお伊勢参りハイキングの最終回の予定(お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ)。無事に内宮にお参りしてきたいところです。

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2019年11月29日 (金)

2019諸戸氏庭園の紅葉

Img_0891c  諸戸氏庭園の秋の特別公開が12月1日まで。今週、天気が良い日に紅葉を見に行こうと思っていましたが、今日は絶好の日和と思い、九華公園まで行った帰りに行ってきました。10時半から1時間ほど、写真を撮りながら園内を散策し、楽しんで来ました。10時から17時(入園は16時まで)、大人1人¥500(六華苑との共通券もあります。これは確か¥750)。室町時代、ここには「江の奥殿」と呼ばれた矢部氏の屋敷がありました。貞享3(1686)年に桑名藩の御用商人であった山田彦左衛門が隠居所として購入し、拡張整備しました。杜若池を中心に築庭し、推敲亭、御成書院、藤茶屋などを建てました。久波奈名所図会(享和2(1802)年)にも山田氏林泉としてその絵が載っています(昔のブログで書いていました。2006年1月1日:久波奈名所図会)。その後、明治時代に諸戸清六の所有となり、西隣に新しく御殿を建て、庭園を拡張したのです。

Morotogardenmap  こちらは、諸戸氏庭園でいただいたリーフレットにあった園内案内。令和3(2021)年度までの予定で修復工事が続いています。現在は、煉瓦蔵(マップで⑥)が仮の入り口。ここから入って、⑦の藤茶屋へ。反時計回りに⑧菖蒲池の北側から⑨神祠周辺、⑩御殿前、池庭、⑤推敲亭(茶室)を経て煉瓦蔵に戻るというコース。園内は石組みが多くなっています。

Img_0901c  藤茶屋に向かうあたり。庭園のもっとも東のところから北を見た景色。去年は、2回の台風でモミジも塩害に遭Img_0905c ってしまい、葉が痛み、紅葉するよりも枯れてしまったという感じでしたが、今年は綺麗に紅葉しつつありました。まだ緑の葉も多く、時期的には微妙ですが、完全に紅葉してしまうよりも見応えがあるかも知れません。

Img_0915c-2   藤茶屋。この庭園、江戸時代は、豪商・山田山田家時代には、藩主が藤を愛でるために訪Img_0926c れたといわれる茶室。昭和20(1945)年の戦災で焼失し、昭和43(1968)年に再建されました。

Img_0910c  左は、藤茶屋の蹲踞(つくばい)。右は、藤茶屋の先にあImg_0933c-2柴折り戸越しに見た紅葉。この先に菖蒲池があります。菖蒲池には、江戸時代には杜若が植えられていたそうですが、今は菖蒲(2019年6月4日:諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)。

Img_0940c  菖蒲池のところから北を見た景色。なかなかよい感じ。右は、西にある推Img_0948c_20191129182001 敲亭の方を見たもの。前にも何度も書いていますが、この推敲亭、気に入っているのです。3畳の茶室。覚々斎原叟(かくかくさいげんそう:1687~1730)作と伝えられている草庵。もちろん立ち入り禁止なのですが、一度でよいので、この茶室に座って景色を眺めてみたいと思っています。

Img_0954c  神祠。金刀比羅神社という社号額がかかっていますが、住吉神社・伏見稲荷・玉船稲荷・菅原神社が祭られているといいまImg_1015c_20191129182101 す。明治時代に科いつされたといいますから、それ以前、山田彦左衛門の時代からあったのでしょう。この近くからはとなりにある六華苑が見えます。六華苑は、山林王として知られた実業家・二代諸戸清六の新居として明治44(1911)年に着工、大正2(1913)年に竣工しています。諸戸氏庭園から六華苑が見えるところがあります。

Img_1008c  六華苑と諸戸氏庭園の間には、水路があります。確か、揖斐川から水を引いて、庭園内の池に導いていたところだと思いまImg_0988c す。紅葉している木々は、六華苑にあるものなのですが、ここの景色は、私の好みのところ。何かで、諸戸家の方々がここに船を浮かべて楽しんでいる写真を見たことがあります。一度くらいそういう遊びをしてみたいものです。

Img_1041c_20191129195001  御殿や、池庭の辺りには紅葉はありませんので、その先へ。御殿玄関・車廻しの東あたり。この先に、推敲Img_1074c_20191129182201 亭があります(右の写真)。右の写真は、推敲亭を通り過ぎて、東側から撮ったもの。

Img_1003c_20191129182001  この推敲亭、前から何度も書きますが、お気に入り。とはいえ上述のようImg_1050c_20191129182101 に立ち入り禁止で、残念。毎回、来るたびに推敲亭から見たらこうなるだろうという写真を撮っています(右の写真)。

Img_1049c_20191129182101  しゃがんで、推敲亭に座ったつもりで撮ると、このようになります。ここも一度でよいので、入らせていただきたいと思っています。いや、一度ではいけません。許されるなら、花菖蒲の頃、紅葉の頃そして雪が積もった景色も見てみたいと思います。

Img_1074c_20191129182201  推敲亭と紅葉。この眺めも気に入っています。向かって左にある紅葉の背Img_1082c-2 景の建物の修復が終わると、もっとよい景色になるはず。右の写真は、もう少し東に進んでから撮ったもの。この景色もなかなかいい感じです。

Img_1100c_20191129182301  上右の写真を撮ったところから東を見たのが、この写真。これもいいですねぇ(と自画自Img_1124c 賛……苦笑)。

Img_1138c  園内をほぼ一周してきました。左の写真は、現在修復工事Img_1153c_20191129182301 が行われている主屋の近くで撮ったもの。右はもう少し進んだところで見た東の景色。見て回ってきた感じでは、庭園の南側のエリア、主屋の西から煉瓦蔵から入ってきたあたりが、紅葉の撮影スポットのように思えます。

Img_1162c  まもなく、庭園の出入り口の煉瓦蔵につきますが、その直前の景色。こうImg_1171c_20191129200701 して庭園を一回りしてくると、まぁそれなりに良いタイミングで見に来たなという気がします(またもや自画自賛で、恐縮)。諸戸氏庭園の係の方は、「毎年、紅葉は遅くなっています」とおっしゃっていました。秋の特別公開の最終週に観に来るのがベストと思います。

Img_1208c_20191129200801  以上、諸戸氏庭園の紅葉、お陰様でしっかりと楽しめました。桑名歴史案内人の会の方が、交代で受付に詰めていらっしゃいImg_1223c_20191129182501 ます。お願いすると案内していただけます。

Img_1233c_20191129201001  こちらは、我が家(9階)の玄関先から見た諸戸氏庭園。「借景」として、毎日、この景色が見られるのは幸せです。

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カワウとユリカモメのカーニバル、カワセミ嬢も登場

Img_1134-2c  朝は4.7℃まで冷えましたが、日中は晴れて、陽が当たり、体感的にはさほど寒くはない1日でした。11月も今日、明日でオシImg_1184-2c マイ。早いもの。今年も残すところ1ヶ月というのが現実になって来ました(微笑)。揖斐川沿いからは、木曽御嶽山と乗鞍(左の写真)、そして白山と思われる山も見えていました(右の写真、長良川河口堰の機械室の間)。どの山も上の方は白く、本格的な冬の到来を思わせます。8時15分から散歩に出ました。今日は、よく晴れましたので、諸戸氏庭園の紅葉を見てこようということで、住吉神社から九華公園を往復し、諸戸氏庭園へ。帰宅は11時45分、歩いたのは6.2㎞+α。諸戸氏庭園の紅葉は、別の記事にします。

Img_0817c_20191129165802  住吉入江では、キンクロハジロのオスが1羽と、オオバンが2羽。キンクロさんは、我が家近くのエリアに、オオバンは、住吉水Img_1132-2c 門を入った、桟橋のあるところにいます。

Img_1148-2c  揖斐川では、セグロカモメや、ユリカモメが飛来してきていました。セグロカモメは、ダイビングしたり、着水したりして漁をしています。長良川の方では、アオサギが飛んでいたり。カモも浮いていましたが、キンクロハジロのようで、今日は、カンムリカイツブリの姿はなし。

Img_1193-2c  柿安コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロが6羽と、ユリカモメが3羽、オオバン1Img_1206-2c 羽。もう少し早くには、ユリカモメがもっとたくさんいたようです。そのユリカモメ、オオバンを襲いに行ったように見えたのですが、中央のユリカモメが小魚をくわえていました。紛らわしい。

Img_0831c  九華公園では、アオサギ1羽と、ゴイサギ、ホシゴイが2羽ずつ。ゴイサギ、ホシゴイは木Img_1217-2c の高いところや、葉の陰にいて、見つけにくい。

Img_1364c  念のためにと思って、先日ホシゴイが2羽いた、鎮国守国神社の御車修祓殿のところを見に行ったら、今日も1羽のホシゴイがいました。ただし、完全にお休み中。

Img_1227-2c  カモは、あちこちに分散しつつ合計78羽。ハシビロガモのオス3羽、メスImg_1228-2c 4羽、ヒドリガモのオス2羽、メス1羽、ホシハジロのオス1羽と、残りはキンクロハジロ(写真はヒドリガモ)。カモを見ながら歩いていたら、白人男性と日本人女性のカップルから、「どんな鳥がいますか?」と聞かれました。白人の男性もかなり流暢な日本語。「シメもいるんですか。シメは1回しか見たことがありません」といわれ、何となく妙な気分(別に他意はありません)。「カワセミはいますか?」とも。「いますよ、昨日も見ましたから」と伝えると、「ワァォ。今日はいるかなぁ?」と。

Img_1240c  朝日丸跡から見ると、揖斐川からの導水口の辺りが賑やか。揖斐川からの導水路が、堀にここでつながっています。川から水Img_1252c_20191129165901 を入れていると、魚も一緒に入ってくるようで、よくカワウが集まっていますが、今日は、ユリカモメも来て、大騒ぎ。

Img_1258c  ユリカモメは、ダイビングはするものの、潜水はしません。それに対して、カワウは潜水し、その能力はけっこう高いので、魚をゲットする確率もかなり高くなっています。

Img_1316c  ユリカモメは、集まって騒ぐものの、なかなか魚を捕ることはできません。餌やりでカモたImg_1324c_20191129170001 ちと競るときには、圧勝しますが、カワウには負けます。それでも、それなりに小魚を捕るシーンも見られます。カワウはたいていその場で飲み込みますが、ユリカモメは魚を咥えて、別のところへ移動していきます。このカワウ&ユリカモメカーニバル、しばらく楽しませてもらえました。

Img_1371c  公園内、小型の野鳥は少なく、シジュウカラとカワラヒワくらい。ジョウビタキもあまり出て来ませんし、モズは最近はさっぱり。ツグミも、シメも同様。どこへ行ったのでしょう?

Img_0879c_20191129170001  公園を一回りし、諸戸氏庭園に向かう前に、もう一度、鎮国守国神社の社務所裏を見に行くと、超ラッキー! カワセミに遭遇。ただ、ちょっと距離があって、証拠写真。メスのカワセミですから、ここでよく見るカワセミ嬢。

Img_0888c  このあと、来たルートをそのまま戻って、住吉神社前から諸戸氏庭園へ。空は青く、風も弱くて、川沿いでImg_0891c も寒くなく、広々とした空間は気持ちよい。諸戸氏庭園の紅葉などは、別記事にて。

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20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その3)……宮川・桜の渡し跡から伊勢の町へ、茶屋町の道標、街道の分岐点である筋向橋、小西萬金丹を見て、いよいよ外宮参拝を果たし、ゴールの宇治山田駅へ(完)

191116kintetsuhikngsaiku4  11月16日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」も、いよいよ宮川までやって来ました。桜の渡し跡を見て、宮川橋を渡って、伊勢の町へと進みます。

Img_8823c_20191116195701  汁谷川にかかる宮古橋を越え、三重県南部自動車学校の前を過ぎると、宮川に突き当たります。左の写真を撮ったあたりでスタートから8.9㎞、時刻は12時20分頃。雲出川、櫛田川と大きな川を越えてきましたが、最後の川越えとなります。その前に、桜の渡し跡を見ていきます。

Img_8826c  宮川の堤防に上がると、桜の渡し跡が見えます。ちょうどそのとき、下流側にかかる近鉄の鉄Img_8831c 橋をしまかぜが通過していきました。現在、近鉄の車両ではもっともデラックスなもので、先日、天皇・皇后両陛下が伊勢にいらしたときもお召し列車となっていました。一度、乗ってみたいとかねがね思っていますが、なかなか実現しません。

Img_8838c  川原にある宮川・桜の渡し跡へ降りてみました。宮川は、伊勢に入るときは必ず渡らなければなりません。川を渡るのは、すべImg_8843c て渡し船を利用します。宮川の渡しは、上の渡し(川端町)、下の渡し(小俣町)、磯の渡し(磯町)と3個所あり、とくに小俣と伊勢とを結ぶ下の渡し(別名・桜の渡し)がもっとも多く利用されました。春には謳歌が美しく先、堤に沿っては茶屋が並び、恩師の出迎えの看板が林立したといいます。また、めでたく参宮を終えて帰る伊勢講の人々を送る道中歌も響きました。

Img_8847c_20191127072701  さて、今は当然、渡し船はありませんので、上流側に迂回して、宮川を宮川橋で渡ります。河川敷を少し上流側に歩き、JR参宮線の鉄橋を潜って宮川橋へ。宮川橋は、長さ360mほど。幹線道路ではないため幅はさImg_8863c ほど広くはありません。宮川橋を渡り終えたところで、また、伊勢街道に戻ります。

Img_8885c  東のたもとから少し行ったところに「桜の渡し跡」の大きな説明板が建てられています。桜の渡しは、明治30(1897)年、参宮鉄道が開通するまで生き続けてきた渡し場です。参宮鉄道は、現在のJR東海の紀勢本線・参宮線の津~山田(現伊勢市)間を結びました。明治40(1907)年には、国有化されています。

191116kintetsuhikngsaiku5  ここから、実測ルートマップはその5。JR参宮線に粗って伊勢街道を進みます。途中、山田上口駅の手前でスタートから10㎞Img_8902c_20191116201201 を過ぎます。県道60号線の高架をくぐったところに、「茶屋町の道標」があります。伊勢街道は、宮川を越えて中川原(宮川町)に入り、茶屋町(常盤町)、堤世古(浦口町)を経て、筋向橋(すじむかいばし)に至ります。この道は、正保4(1647)年の開通。茶屋からは大間(おんま)の社(大間国生社(おおまくなりしゃ))への道が分岐していました。分岐点は現在地より一本北側で、この道標も元はそこに建っていたといいます。南面には「すぐ 外宮江 十三丁半/内宮江 壱里三十三丁半」、西面には「左 二見浦 二里十五丁」、北面には「右 宮川渉場 六丁三十九間」とあります。そして、東面には「文政五年壬午孟春 恩師橋村右近太夫/大阪 吹田屋喜兵衛/みさき河喜/美崎香河喜」とあります。文政5年は、1822年。

Img_8915c  このあと、県道60号線を越えて南へ。筋向橋に向かいます。ここで本当は、播田屋さんの浦の口店に寄ってから筋向橋に行くImg_8931c のですが、ウロウロしていて順序を間違えました(苦笑)。県道に出ると、左の写真のように、「伊勢神宮(外宮)」という案内標識が出て来ます。この時点では気づいていなかったのですが、百五銀筋向橋支店行の前に筋向橋がありました。

Img_8940c_20191127205801  こちらは百五銀行の向かいから撮った写真。今は、清川(宮川の支流)は暗渠になっていて(昭和45(1970)年から)、地上には欄干しImg_8951c か残っていません。欄干は、嘉永2(1849)年のもの。元はもう少し北に建っていたといいます。江戸から伊勢までの距離は、日本橋からここ筋向橋までの距離を測ったといいます。筋向橋という名前は、もと道筋と橋の板が筋交い(すじかい)になっていたことから付けられました。古くは反り橋でしたが、大正4(1915)年から平橋になり、昭和3(1928)年にはコンクリート橋になりました。さらにここは、伊勢街道伊勢本街道熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていました。往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールである神宮を目ざしたのだとか。いよいよ「神領域」が近づいた気分です。

Img_8957c_20191127210801  筋向橋でコースマップを見直していたら、播田屋さんに立ち寄っていないことに気づきました(苦笑)。交差点を行ったり来Img_8960c_20191127210801 たりして、播田屋さんへ。本店は河崎にあります。ここは浦の口店。江戸末期(万延元(1860)年)に参宮客をもてなす茶店として創業しています。現在では、絲印煎餅をはじめ菓子を製造販売。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を用いて薄く焼き上げた煎餅。表面には絲印の印影が焼きつけられています。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のことで、小さな鈕(ちゅう)のついた印です。輸入生糸の一荷には、必ず銅印一個をつけ、わが国に到着した後その斤量をあらため、受領証書にこの印を押して、取引の証とする優雅な風習があったといいます。その絲印煎餅を買ってきました。以前にも何度か食べたことがあります。

Img_9269c  こちらが絲印煎餅。絲印は、合計16種類あるそうです。明治38(1905)年に明治天皇が日露戦争戦勝報告で伊勢神宮に参拝Img_9273c した際、献上品として考案されたのが始まり。サクッとした食感に優しい甘さがじわりと広がります。お茶請け、ちょっとしたおやつには最適(微笑)。このあたりでスタートから11㎞。播田屋さんで13時。

Img_8962c  筋向橋のところからは県道22号線を東へ。途中、かなり由緒のある旅館を目にしました。Img_8966c紅葉軒」といいます。創業は、明治30(1897)年。現在も営業しています。けっこうリーズナブルな料金です。こういうところに泊まって、ゆっくり伊勢参宮というのもよいかも知れません。さらにその先には、右の写真のような歯科医院。「岡安歯科医院」という木製の看板が掛かっています。診療していないのかと思ったのですが、ネット検索するといくつか情報が出て来ました。昔、子どもの頃通っていた歯医者さんというイメージ。その歯科医院は、実家近くの駅前通にありました。削られて「痛い!」というと、「男なら、○玉を握っていろ!」と叱られましたっけ(苦笑)。

191116kintetsuhikngsaiku6  続いての立ち寄りスポットは、小西萬金丹のお店。実測ルートマップのその6になります。八日市場のバス停の前、スタートからは11.7㎞。12㎞あたりで右折して、外宮さんに向かいます。

Img_8977c  こちらが小西萬金丹の店。萬金丹(まんきんたん)は伊勢国(三重県伊勢市周辺で伝統的に製造販売されてImg_8970c いる漢方薬で、主に「野間の萬金丹」「護摩堂明王院に起源する萬金丹」「秋田教方中倉萬金丹」「小西萬金丹」の4つがありました。このうち、21世紀の現在も製造・販売を継続しているのは、ここ小西萬金丹(製造は県外に委託)と、野間の萬金丹の2軒です。インスタに小西萬金丹の写真を載せて、「今はここしかない」と書いたところ、野間の萬金丹のお店(おはらい町)の方から「伊勢に今は小西萬金丹と野間の萬金丹と2種類あります。おはらい町の屋台へもお越し下さい」というコメントをいただきました。Wikipediaの記述を信用して、予告編では間違いを犯し、失礼してしまいました。12月1日にお伊勢参りハイキングの最終回があります。時間があれば、お邪魔してこようと思っています。野間の萬金丹は、もともと伊勢・朝熊山の参道にありました。この萬金丹は600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬。万病に効く、お伊勢さんの霊薬とされます。荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹は大人気でした。武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもあったようです。江戸時代には旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっていたといいます。配合されている生薬は、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。こちらに伊勢市立図書館がつくった資料があります。ちなみに、我が家(実家)では、子どもの頃、御嶽百草丸が常備されており、お腹の調子が悪いというと飲まされていた記憶があります。余談、「越中富山の反魂丹、鼻くそ丸めて萬金丹」という俗謡があるそうです。

Img_8979c  小西萬金丹を過ぎると、伊勢神宮・外宮はすぐ近く。3つめの信号を右折して、この日は北御門口(きたみかどぐち)から境内に入るルート。駐車場の脇を通って行きます。

Img_8988c  そこで、古いコンクリート製の電柱に気づきました。「昭和の歴史とともに歩んだコンクリート電柱」とあります。昭和天皇の御大典が昭和3(1928)年に行われ、その年の11月に両陛下が伊勢神宮に参拝なさいました。それにあわせて、内宮・宇治橋付近から宇治浦田町交差点付近までの間(通称・おはらい町通り)約600mに通信ケーブル架渉用にコンクリート電柱23本が建設されました。その後、おはらい町の再開発にともない、電話センの地中化が行われ、平成4(1992)年10月にすべて取り除かれ、この1本だけが保存されているのです。

Img_8989c_20191128061401  いよいよこの日のメイン、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)へ。上記のように、北御門口からImg_8993c 境内に入ります。スタートして12.2㎞、時刻はすでに13時20分頃。10時に斎宮駅をスタートしましたから、3時間以上歩いてきました。何となく姿勢を正して、気分を改めてしまいます。右は、火除け橋。この奥に北御門鳥居があり、それをくぐって行きます。こちらに内宮・外宮のイラストマップがあります。

Img_9003c  北御門鳥居を潜ってすぐの右手(西)に御厩(みうまや)があります。去(平成30(2018)年12月に来たときは、御神馬は不在でしたが、この日は、「笑智(えみとも)号」という白馬がいました。「豊受大神宮御料御馬」、アングロアラブ種で、平成18(2006)年生まれだそうです。誕生地は、宮内庁の御料牧場。神宮に来たのは平成23(2011)年9月とありました。

Img_9019c_20191116175001  13時半前に外宮正殿へ。11ヶ月ぶり。土曜日ということもあってか、けっこうな賑わいでした。この1週間後に、天皇皇后両陛下が「親謁の儀」のためにいらっしゃるのに備え、雨儀廊が設置されていたのですが、鳥居から先は撮影禁止。この1年ほど、無事に過ごせたことのお礼を申し上げてきました。外宮にも、別宮、っしゃ・末社がありますが、この日は、ゴール受付の時間もあり、それらは失礼してきました。去年の記事をご覧ください(2018年12月11日:20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。

Img_9026c_20191128072101  続いて、神楽殿へ。ここは、元来、お神楽を奉納したり、御饌(みけ)をしたりする建物ですが、御札などを授与していただImg_9047c けるところでもあります。昨年、神宮暦を授与していただいたのもここ。来年のものがあればいただいてこようと思って立ち寄った次第。すでに授与が始まっていましたので、神宮暦を1冊、授与していただきました(¥200)。去年は神宮大暦もいただきましたが、普段使いには神宮暦で十分なのです。

Img_9033c_20191128072601  無事にお参りも済ませ、神宮暦も授与していただき、せんぐう館へ回りました。正式名称は、「式年遷宮記念せんぐう館」。2年前の台風で浸水し、その後リニューアル工事を行い、最近、再開されたばかり。式年遷宮にまつわるさまImg_9037c_20191128072601 ざまな情報、資料が保存、展示されている「記録館(アーカイブズ)」。迷ったものの、ここでもう13時半を回っていました。宇治山田駅でゴール受付が設置され、参加証のマグネットがもらえるのは、14時半まででしたので、この日はパス(苦笑)。外の休憩所に座ってしばし、野鳥を眺めながら休憩。去年はマガモもいた記憶がありますが、この日はカルガモばかり。昼ご飯も食べないまま、歩きます。

Img_9053c_20191128075301  帰りは、表参道から。左は表参道の火除け橋。右は、外宮正面にある巨大な常夜燈。これ、どういうわけImg_9055c か気に入っているのです(微笑)。右の写真で、向かって右に行くと外宮参道から、JR・近鉄の伊勢市駅に行けますが、この日のゴールは近鉄・宇治山田駅。外宮を出てまだ1㎞ほど歩いて行かねばなりません。

Img_9060c_20191128075501  外宮を出て、すぐ右手、せんぐう館の東側に当たりますが、茜社・豊川茜稲荷神社があります。ここは、去年立ち寄ったので、参道の入り口で拝ませてもらい、通過。

Img_9067c_20191128075801  岡本一丁目の交差点で左折。祖霊社(右の写真)の脇を北へ向かいます。Img_9069c 祖霊社(ここも以前、訪ねています)のところを右折して、東に向かうのが、伊勢街道(左の写真)。この道は、次回・最終回、歩いて行きます(お伊勢さん参りハイキング も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ)が、今年1月、JRさわやかウォーキングですでに一度、歩きました(2019年1月27日:20190127JRさわやかウォーキング「新春に二千年の時を刻む大神宮へのおかげ参り」へ(予告編))。

Img_9073c_20191128171401  このあと、14㎞地点を過ぎて、御幸道路を岩淵交差点で渡って宇治山田駅に無事、ゴール。13時55分。4時間近くかかってImg_9087c_20191116201601 14.3㎞を歩き終えました。いや、けっこう汗を掻いて、疲れました。小俣町にある気象データを見ると、最高気温は、19.8℃まであがっていました。当初、昼食は、宇治山田駅で伊勢うどんを食べようと思っていたのですが、あいにく駅コンコースにはうどん屋はなく、また外に出て、駅前の商店街に行く必要があるようでした。ちょっと残念なのですが、今回は、断念。

Img_9145c_20191116201601  今日もまた、参加証のマグネットをいただけました。この日のものは、外宮正殿がデザインされていました。これで11個連続、コンプリート中。大したものではないのですが、こういう記念品がいただけるのは、うれしいもの。

Img_9101c_20191116201601  さすがにこれだけの距離を歩いてくると疲れます。気温も、この時期にしては上昇し、汗を掻きましたかImg_9121c_20191116201601 ら。それで、疲れてしまい、帰りは大盤振る舞いの続きで、近鉄特急に乗車することに。直通の名古屋行き急行が出たばかりだったというのもあります。14時14分発の名古屋行き特急に乗車。久しぶりにビスタカーの2階座席。運賃は¥1,220、特急料金が¥1,340で、合計¥2,560。桑名には15時19分に到着。

Img_9103c  その前に、宇治山田駅のホームで電車を待っていたら、偶然、目の前をミスインターナショナルの女性と、その御一行が通過。慌ててしまい、ピントがきちんと合っていません(苦笑)。いや、背が高く、美人ですらっとしていて、足も長い。周りの人たち、皆振り返ったり、ビックリしたように見ていたり。私も単なるオッサンになっていました。調べてみたら、第59回ミス・インターナショナル世界大会が、11月12日に東京ドームシティホールで開催され、その後、11月15日から、2019ミス・インターナショナル世界大会出場者82名のうち、タイ代表を含むTOP5に選出された5名が、三重県にあるミキモト真珠島や伊勢神宮を訪問したということでした(こちら)。この日(11/16)は、伊勢神宮を参拝したということです。眼福でした(微笑)。

Img_9130c

 今日であみま倶楽部のスタンプは31個目。12月中に40個を達成するのは、難しそうですが、できるだけ記録を伸ばします。Img_9140c ALKOOのデータは右の写真のとおり。26,332歩。生活リズム計よりもやや多めになります。ハイキングで歩いた14.3㎞に、自宅から桑名駅の往復1.8㎞を加算すると、今日の歩行距離は16.1㎞でした。

Amima1912  ところで、このハイキングが終わってから、近鉄あみま倶楽部から郵便が届きました。会員資格の更新のお知らせかと思っていたら、何と「サービス終了のお知らせ」でした。既存会員の更新手続きは、来年2月29日まで。サービスの終了は、令和3(2021)年2月28日ということでした。その代わり、スマホを活用したスタンプラリーアプリのサービスが,来年4月から開始されるとか。う~ん、どういうサービスになるのでしょうか。サービスは再来年まで続くということですから,12月に資格更新をした方がよいのか?? まぁ、取り敢えずは、今週末・12/1に、お伊勢参りハイキングの最終回に参加しなくては。

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2019年11月28日 (木)

木曽御嶽山はまた積雪……寒い!

Img_0720c  最低気温が8.5℃、ただし、18時に記録しています! 最高気温は、夜中過ぎの13.6℃(0時1分)のもの。北国にお住まいの方Img_1058c からは笑われそうですが、寒いというよりも、底冷えする感じ。夕方には、とうとう、「試運転」という言い訳で、ファンヒーターを使っています。木曽御嶽山には、雪が積もっているように見えます。それもかなり低いところまで。散歩には、いつものウィンドブレーカーを来て出てしまったのですが、北風が強くて寒く、失敗しました。その散歩、8時半から2時間あまり。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町商店街と5.6㎞。鳥も少なく、散歩友達もおらずでした。

Img_0722c  諸戸氏庭園の紅葉を見に行きたいのですが、こういう天候ではあまりきれいに撮れないだろうと思って、今日は行っていませImg_0728c ん。明日、晴れたら行こうかと考えています。代わりに外から撮影というか、外に出ているところを撮影。まぁ、これも「なんちゃって紅葉」の1つです。

Img_1055c  証拠写真ではありますが、揖斐川上空でミサゴ。肉眼では判別できないくらい。長良川の上空を飛んでいたのです。揖斐川にはImg_0738c 鳥はおらず。七里の渡し跡まで来たら、ヒドリガモたちが、上陸して草を食べていました。冬になると見られる光景。オスが4羽、メスが2羽いました。

Img_0740c_20191128175501  九華公園の様子。カモは、もっと早い時間に餌をやる人が複数あったようで、大騒ぎだったそImg_1082c_20191128175501 うです。私が行った9時頃には、静かでした。合計70羽。ホシハジロはオス2羽、メス1羽、ヒドリガモはオス1羽、メス1羽。ハシビロガモは、オス4羽、メス4羽。泳ぎ回っているのは、ヒドリガモとハシビロガモ。

Img_0781c  アオサギさんは不在。よくよく探したら、ゴイサギ1羽を発見。それも、木の奥の方(堀を挟んで西から見て)。もっといるかも知れませんが、場所を変えたり、建ったり、座ったりして探したのですが……。赤外線センサーでも導入すると、どこにいるか分かるかなぁなどと思ったりしています。カワセミが飛ぶのも見たものの、ホンの一瞬の出来事。写真を撮るどころではありませんでした。カワセミといえば、例年、寒くなるとあまり見なくなったのですが、今年はまだ見られます。

Img_0755c  ユリカモメ、今日は2羽のみ。ユリカモメももっと早い時間、餌をやる人がいるとたくさん来ていると管理人さん情報。ユリカモメにしたら、適応的な行動なのかも知れませんが、もっとたくさん集まって、例年のように、二の丸橋の欄干に並んで欲しいところ。

Img_0794c  貝塚公園。去年くらいから、ここに来る野鳥が減っています。今日も、ヒヨドリとカワラヒワくらい。今Img_0797c 年、私は、モズも見ていません。メジロ、シジュウカラはたまに来ます。そうなると、枯れ葉が余計に目立ち、寒さも身にしみます。

Img_0806c_20191128175501  貝塚公園を出ると、内堀南公園や吉津屋堀あたりを歩いてきますが、この辺では、スズメ、ヒヨドリ、ハクセキレイくらいしか見ません。三八市が行われた寺町商店街を過ぎて、住吉入江まで来たら、シジュウカラの姿が。住吉入江あたりは、ジョウビタキがけっこうよくいたり、モズも来たりしますが、最近はさっぱり。ツグミやシメも含めて、いったん顔見せがあったものの、その後あまり姿を見ません。

Img_0752c_20191128175501  諸事繁多が続いています。江戸橋での授業準備もまだ残っていますし、来月の研究会での講演準備も。相談も来月はお二人おImg_0741c 受けしていますが、まだ資料が来ず、気を揉んでいます。やれることを順番に片づけている状態。明日は今日よりも寒くなるとか。いよいよ本格的な冬の到来。用事も多いので、体調に気をつけないといけません。ハイキングも、ウォーキングも本格化する季節でもあります。

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2019年11月27日 (水)

今日も引き分けか……ちょっと苦し紛れ

Dscn2144c  水曜日、江戸橋での仕事。今日も微妙な天気でした。自宅から仕事先までは曇り。授業が終わって、江戸橋駅に行くまでは、小雨がやや降っている感じ。結局、志登茂川に道草したのですが、途中からは降ってきました。判定は、かなり主観的ですが、負けに近い引き分け(笑)。今日は、非言語行動について。学生諸君も思い当たるところが多々あったようです。非言語行動は、無意識的に表出されることが多く、発信者の本音が現れやすいという特徴があるのです。

Dscn2148c  さて、帰り道、傘がいるかいらないか微妙な空模様でしたが、せっかくだからと志登茂川経由で江戸橋駅まで行くことにしましDscn2154c た。左の写真は、おぼろタオル工場脇から志登茂川に出て、上流方向を見たもの。思ったほど鳥は見えません。それでも、カルガモたちの姿が見えました。

Dscn2150c  カモメ(セグロカモメか?)も2羽ほどいるのが見えました。この頃からポツポツとまた降ってきて、傘を差しながら観察して、撮影。カメラはいつも通り、コンデジ(Nikonのcollpix s7000)。単眼鏡はリュックにしまったまま。

Dscn2162c  こちらは下流側の様子。ヒドリガモや、オナガガモがいますが、さほどたくさんいたわけではDscn2161c ありません。右の写真は、ヒドリガモ。

Dscn2165c  こちらはオナガガモのオス。江戸橋方面に歩いて行くと、右Dscn2180c 岸の堤防の下にアオサギさんを発見。しかし、少しずつそっと近寄ったつもりでしたが、やはり逃げられました。右の写真は、すでに逃亡体勢に入ったところ。

 江戸橋駅からは、12時42分の名古屋行き急行に乗ろうと思ったのですが、大変な事態に遭遇しました。ホームのベンチで電車を待っているときに、人身事故が発生したのです。ネット上ではさまざまな情報が流れていますが、何とも痛ましい。電車は、結局10分あまり遅れて動きました。早くに対応されたこと自体はありがたいのですが、こういうことに遭遇すると何とも複雑な気分。

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20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その2)……そうめん坂道標、轉輪寺、徳浄上人千日祈願の塔、へんばや本店でへんば餅を味わい、宮川の手前へ

191116kintetsuhikngsaiku2 11月16日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」のその2です。その1では、まだ2.4㎞ほどしか進んでいません。このところ、用事が多く、なかなか落ち着いて書けないためです。すべきことがあるのはうれしいのですが、「忙しい」のはちょっとどうかという気もします。左は、実測ルートマップその2。安養寺を出て、明星地内を進みます。あまり立ち寄るところはありません。近鉄明星駅の南あたり。

Img_8607c  大堀川を越えて明星に入ったところから、緩やかな坂が始まります。その坂の入り口あたりの古いお宅をふと見上げたら、面白Img_8609c いものを発見しました。鬼瓦のところに、大国様と恵比寿様がいらっしゃったのです。屋根の上の鍾馗様は、時々見つけて、書いていますが、このタイプは初めて。ネットで検索すると(たとえば、こちら)、けっこうあちこちにあるようで、商売繁盛を祈るもののようです。ということは、このお宅も何か商売を営んでおられたのかも知れません。

Img_8611c_20191126065801  このすぐ先、2.8㎞ほどのところに「そうめん坂」と書かれた道標。昔、このあたりは明星茶屋のかかりで、そうめん屋やうどん屋が何軒かあって繁盛していたことから名付けられたもの。他にも食べ物・ぞうり・笠等を売る店があったといいます。

Img_8623c_20191116183201  スタートから3.2㎞で明星山轉輪寺がありました。真宗高田派のお寺。若い頃から比叡山に入り、天台の教義を修めた桑・本教がこの地に本教寺を創建。その後、諸国を教化に導いていた高田専修寺の第10世真慧(しんね)上人に帰依し、真宗高田派に改めています。元禄15(1702)年、本教寺から轉輪寺に寺号を改めました。古くから、この地には轉輪王が祭られ、信仰されていたためです。ちなみに、真慧上人の導きで真宗高田派に改宗したお寺、この地方では時々あります。

Img_8635c_20191126190601  天保2(1831)年、本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮される際の休泊所になり、中本山としての役割Img_8650c も担いました。第12世教雲のとき本堂を新しくすることになり、文政7(1824)年頃から高次に入り、天保6(1835)年に完成。しかし、天保8(1837)年の台風で本堂は大破。翌年、修理完了して再入仏。これが現在の本堂です。庫裏(右の写真)と表門、梵鐘は明和町有形文化財。庫裏が立派だと思ったら、これが、前の本堂でした。明暦年間(1655~58年)に建てられたとみられ、桃山建築の様式を残しているといいます。また、表門(上左の写真)は、度会郡玉城町の田丸城から移築したと伝わっています。

Img_8643c  こちらは経蔵。安永6(1777)年の建立。同性の釈迦如来像、経典、写本が収められています。写真を撮り忘れたのですが、鐘楼は、延宝8(1680)年に建てられ、そこにある梵鐘も同年につくられたもので、戦時中の供出も免れました。南門は、松坂城から移したという話もあるそうです。事前にあまり調べずに訪ねたのですが、由緒ある、立派なお寺でした。詳しい資料もいただけ、話もいろいろと聞かせてもらえました。

Img_8631c_20191126192301  このお寺、境内にこんな柿の木がありました。確か、信濃柿とおっしゃったと思います(豆柿、小柿とも)。渋柿の一種で、Img_8633c_20191126192301 食用というよりは「柿渋」を採取する用途の方が主だったようですが、褐色を帯び始めるくらい熟したものはとても甘くておいしいそうです。なかなかよい感じのお寺で、時間が許せばもっとゆっくりお参りし、拝観したいところでした。11時前に轉輪寺を出ます。

Img_8664c_20191116184001  このあとが大変。轉輪寺がスタートから約3.2㎞でしたが、このあと1.5㎞ほど、ひたすらImg_8672c_20191126202601 歩いたのです。4.7㎞ほど、明星郵便局を過ぎ、八柱神社の近くに「従是外宮二里」という道標があります。嘉永6(1853)年の建立。ここは、明野への分岐点です。

191116kintetsuhikngsaiku3  さて、ここからは実測ルートマップはその3の範囲に。スタートから5㎞を過ぎ、弘法大師堂、徳浄上人千日祈願の塔を見て、明野駅の南、明野交差点で右折して南下。いよいよへんば餅のへんばやにいくことになるのです(微笑)。

Img_8676c  5.2㎞あたり、名古屋プロパンの先に弘法大師堂。小道との分岐点にあります。江戸時代から参宮客の信仰を集めていたといいます。旅人の道中の無事を祈ったのではないかと思います。

Img_8687c  そのすぐ先で、伊勢市に入ります。このあたりは、旧・度会郡小俣町のはず。平成の大合併で伊勢市に合併(平成17(2005)年11月)。伊勢街道の最後の宿場として栄えました。

Img_8691c_20191126203401  5.7㎞、明野庚申前という交差点のところに、「徳浄上人千日祈願の塔」が建っています。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊Img_8694c_20191126203901 場(根城)にして修行していたのですが、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧のはを徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。千日祈願の塔の正面には「南無阿弥陀仏」と、また、台座には「三界萬霊」と刻まれています。この塔に向かって右脇には、「廻国供養碑」。かなり風化していますが、碑表には「大乗妙典六十六部廻國供養」、右面に「寛保元(1741)辛酉十月廿一日」、左面には「願主/小俣住人直念」とあります。ちなみに、廻国供養塔とは、日本全国の社寺に法華経を納経する名目で行われた巡礼(日本廻国)に関わった人たちが造立した石造物をいいます。

Img_8708c  千日祈願の塔の奥には庚申堂があります。寛政年間(1789~1801年)の建立と伝わっています。徳浄上人が霊場としたのは、この庚申堂ということになります。

Img_8725c_20191116185301  徳浄上人千日祈願の塔を過ぎると、スタートから6㎞。その先、明野交差点を右折し、南へ。6.3㎞地点にImg_8728cへんばや」本店。この楽しみの一つ。というか、かなりメイン(笑)。ここを通るだろうから、ぜひともへんばや本店で「へんば餅」を味わおうと思ってきました。時刻は、11時40分頃とちょうどよい頃合い。伊勢街道の最終の宿場である小俣宿にあります。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時、駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。

Img_8736c_20191116185301  へんばや本店には、30数年前に1度だけ来た記憶があります。へんば餅は、米粉を用いた餅で、独特の食感があり、両面に焼Img_8731c き色がついています。香ばしく、口溶けもよく、こし餡はまろやかな甘み。堪りませんねぇ(微笑)。へんば餅2個に玄米茶がついて、¥160。昔の旅人気分を満喫。

Img_9150c_20191116191701  さらに、今日は大盤振る舞い。へんばやさんの隠れた名物である、赤飯弁当(一合少々で¥450)と、昆布の佃煮(120gで¥500)を土産に買ってきました(微笑)。餅やで佃煮? と思われるでしょうが、これがなかなかのもの。ご飯のお供にもいけますし、酒のアテにも最適。飲み過ぎないようにしないといけません。

Img_8759c  へんば餅を味わい、小腹も満たせ、再び旅人になり、歩き続けます(11時50分)。相合川を渡り、7㎞あたりに新出交差点の先に庚申堂とImg_8760c_20191126210601 常夜燈があります。この庚申堂は、安永年間(1772~81年)の建立と伝わっています。

191116kintetsuhikngsaiku4  ここで実測ルートマップはその4へ。小俣の町を通って、宮川の近くへと進んでいきます。宮川は、三重・奈良県境の大台ヶ原に端を発し、91㎞を流れ伊勢湾に注ぎます。三重県内最長の川。伊勢神宮の式年遷宮でのお白石持行事で使う白石は、この川で採集します。

Img_8797c  その前に、7.6㎞で外城田川を越えます。この川は、平時は水量が乏しく、雨が降ると直ちに水量を増Img_8798c すことから「貧乏川」と呼ばれました。小俣小学校の前を通って、8㎞。JR参宮線・宮川駅の近くに来ています。8.1㎞のところに「札の辻」。かつてここには、和歌山藩の高札場がありました。今は、まだ新しい「紀州藩高札場跡」という石柱が立てられています。ここを左折し、東へ。「丸吉」という屋号の格子の町家があるはずでしたが、気づかず。煙草入れ、薬等を販売しており、虫籠窓が残っているというのですが、残念。

Img_8805c_20191126211101  その先でまた右折。右折してすぐに「板田の橋跡」という石柱。民家を挟んでその向こうにImg_8809c は、「鳥羽藩高札場跡」の石柱。このあたりは、和歌山藩と鳥羽藩の領地が入り組んでいたのかも知れません。「板田の橋跡」碑の右面には、「名木 板田の薄紅葉跡」とありますが、今は、橋も紅葉もありません(リンク先に、昭和11(1936)年の絵はがきの画像がありました。紅葉の大木が写っています)。

Img_8811c_20191126212201  絵はがきとほぼ同じところを同じ方角から撮っていました。道の曲がり具合などは、同じと思います。この近くには、鳥羽藩本陣跡や、離宮院跡もあったのですが、本陣跡は見逃し、離宮院跡には行っていません。ともに惜しいことをしたと、帰ってから反省。江戸時代の小俣村は、紀州藩領と鳥羽藩領に分かれていました。また、離宮院跡は、伊勢神宮斎宮の離宮のあった場所。対象13(1924)年に国の史跡に指定されています。斎宮の斎館および勅使の宿舎、神宮司・諸司の官舎駅馬院などがあったそうです。

Img_8814c_20191126211101  8.7㎞で汁谷川を宮古橋で渡ります。橋の西のたもとに「参宮人見附」と刻まれた石柱が建っています。江戸時代、伊勢神宮のおかげがいただけるありがたい年として「おかげ参り」が約60年毎に起こり、たくさんの人々が伊勢神宮へと押しかけました。そのため治安が乱れ、警備のため見張り所を造り、不審者をチェックしたのが「参宮人見附」です。これを観て不思議なもののように思ったのですが、ここに建っているものは、昭和54(1979)年7月に付近の側溝の底から発見されたといいます。もとは、柱石角柱、火袋屋根木製の常夜燈だったと考えられますが、ほぼ半分に割られています。宮川の渡から遠くないところです。

Img_8822c  宮古橋を渡ったところに、三重県南部自動車学校があったのですが、キャッチコピーが笑えました。「ほめちぎる教習所」だそうです。私が運転免許を取った、今から40年前など、教習所の指導員の先生は、怖い人ばかりだったような気がしますが、それは今は昔のことのようです。笑ったところで、キリも良いので、その2はここまで。その3では、いよいよ宮川・桜の渡し跡から、宮川を渡り、伊勢の街中へ。

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2019年11月26日 (火)

終日曇天で、野鳥は少なし

Img_0719c  1日中曇天で、意気が上がりません(苦笑)。気温も、 最低10.7℃~最高13.3℃とほとんど変化がありません。暖房は、一度エアコンを試運転したのみで、まだ使っていませんが、そろそろ灯油を買ってきた方がよさそうです。8時から10時半過ぎにかけて、いつも通り散歩をしてきました。歩かないと何も始まらないのです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園から吉津屋町、新築公園、寺町と6.2㎞。住吉神社のところで、ジョギングに来ていた若い男性から、「何を撮っているのですか?」と聞かれました。最近、不審人物と思われることがよくあるのか(爆)、ときどき聞かれます。バードウォッチングをしていることなどをお話ししたら、すごく感心されてしまいました。

Img_0632c_20191126171601  こういう天候では鳥はいません。揖斐川にはあちこちに散らばっていましたが、キンクロハジロがざっと90羽もいました。風はなく、水面は穏やかでしたが、やはりこういう日に限って、カンムリカイツブリはほとんど来ません。今日は2羽のみ。

Img_0981c_20191126171001  九華公園では、アオサギさん。ゴイサギ、ホシゴイはなかなか見つけられませんでしたが、もう一人のバードウォッチング好きの方と懸命に捜索して(笑)、ゴイサギ1羽、ホシゴイ1羽を確認したのですが、葉っぱの陰で写真にはならず。その他、1個所から「ゴイサギ汁」が放出されましたので、いるはずですが、姿は見えません。

Img_0664c-2  カモたちも、キンクロハジロや、ホシハジロはこういう日はテンションが上がらないのか、じImg_0678c_20191126171001 っとしています。もっともキンクロハジロは夜行性といいますから、これが普通なのかも知れません。元気に泳ぎ回るのは、まずはハシビロガモ。私が公園に着く8時半頃には、エサを食べています。右のように縦列になって、水音とをかなり立てて泳ぎ回って、餌をすくい取っています。カモ、合計60羽。ハシビロガモがオス3羽、メス5羽、、ホシハジロはオス、メスとも1羽ずつ、ヒドリガモはオス、メスとも2羽ずつ。他はキンクロハジロ。オオバンは今日は、1羽。

Img_0671c_20191126171001  ユリカモメは、最多で38羽。去年までと同様、餌をやっている人があると、どこからともなく集まってきます。赤須賀漁港Img_0689c あたりにたむろしていると思うのですが、最近は、赤須賀漁港は確認していません。町屋川なども行きたいと思っているのですが、諸事繁多にてなかなか実現しません(苦笑)。

Img_1032c  その他、九華公園では辰巳櫓跡でシジュウカラとメジロの混群が登場したのですが、うまく撮影できず。ジョウビタキのメスもやって来て、証拠写真を1枚。

Img_0673c  明日は、江戸橋での仕事。今のところ、今晩から明日の朝9時くらいまで雨という予報。連勝&引き分け記録が途絶えるかどうか、微妙。「諸事繁多」の要因の一つは、別の記事でお知らせしましたが、来月、東海地区K-ABC研究会で研修会をやることになったため、ほとんどゼロから資料作りの準備中。江戸橋での授業資料も、終わりの頃のものは、完全にはできあがっていません。いや、大変。週末には、JRさわやかウォーキング(JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまち巡り)や、近鉄ハイキングのお伊勢参りの最終回(お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅12日目~【最終日】伊勢街道、旅人気分で一層賑やか古市から念願のお伊勢さんへ)に行こうと思っていますから、金曜までにかなり進めておかなくては。

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20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その1)……竹神社、有明六地蔵、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王之墓従是五丁」道標、安養寺と明星水の井戸

Img_9019c_20191116175001  1週間以上も経ってしまいましたが、ようやく11月16日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」の本編です。今回は、その1。今回、第11日目でやっと伊勢神宮・豊受大神宮(外宮)にお参りします。それで、タイトルも「神領域へ」ということ。3月から始まって8ヶ月。長い道のりだったような気もしますし、あっという間という感じもします。

Img_8471c_20191123043101  この日は、近鉄山田線・斎宮駅をスタートし、竹神社、有明六地蔵、轉輪寺、宮川・桜の渡し跡、播田屋・浦の橋店、筋向橋Img_8475c_20191123043101 (伊勢本街道追分)、小西萬金丹を経て、豊受大神宮(外宮)にお参り。最近、リニューアルオープンした式年遷宮記念せんぐう館に立ち寄って、近鉄山田線・宇治山田駅がゴールという、コースマップ上約13㎞という長丁場。近鉄ハイキングのパンフレットにも「健脚向き」と書いてあったくらい。コースマップも、B4サイズ両面からなっていました。

Img_8476c_20191123043101  こちらが、スタートの近鉄山田線・斎宮駅。ここでの受付が、9時半から11時でしたので、桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時24分に到着。9時29分発の賢島行き普通に乗り換え、斎宮駅には、9時53分に到着。¥1,090。急行と普通を乗り継いでの1時間半は、乗り応え十分でした(苦笑)。

191116kintetsuhikngsaiku  コース全体の実測ルートマップ。近鉄・斎宮駅から、ほぼ近鉄山田線に沿って南東へひたすら歩きます。実際に歩いたのは、14.3㎞でした。このマップに1㎞ごとの距離と、主な立ち寄り先を記しました。14.3㎞というのは、近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキングでも長く歩いた方です。歩き始める前は、若干の不安もありましたが、スタートしたらあとは、ひたすら歩くのみ。というと正確ではありません。あちこち「見て歩き」も大切でした。

191116kintetsuhikngsaiku1  実測ルートマップのその1。斎宮駅は、前回のゴールでもありますし(2019年10月27日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編))、6月に斎王まつりに来たところでもあります(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。斎宮駅南口を10時ちょうどにスタート。このあたりの伊勢街道は初めて歩くところです。

Img_8486c_20191124201501  斎宮駅から130mほど進むと伊勢街道に出ます。前回は、斎宮歴史博物館の方から来ましたので、祓川橋を渡ってすぐのとこImg_8488c ろから1キロほど、歩いていない空白区間があります。左の写真は、伊勢街道に入ってすぐ。スタートから200mあまりのところ、左側(北側)に百五銀行斎宮支店がありました。銀行の支店ですから珍しくもないのですが、支店の表示が、右の写真のように、たいそう気合いの入った石碑タイプで目立っていました。

Img_8492c_20191124201901  300mほどのところ、牛場公民館の入り口に「齋王宮之遺跡」という石碑があります。この写真を撮って通り過ぎてしまったのですが、この奥に秋葉神社と庚申堂がありました。事前にチェックはしてあったものの、場所を十分に確認しなかったため。ちょっと残念。

Img_8495c_20191116180001  スタートから500mほどで竹神社があります。ここは、6月2日の斎王まつりに来たときに立ち寄っています(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。御祭神は、長白羽神天照大御神建速須佐之男命他9柱。神社の詳細は、この6月2日の記事をご覧いただければ幸いです。

Img_8509c  この日は、宮司さんや氏子の代表の方がいらっしゃったので、前回来たときに気になっていた、左の写真にある、拝殿前の石垣について伺ってみました。が、残念ながら、「結論が出ていない」ということでした。「蕃塀(ばんぺい)」かも知れませんが、ここは、もとは斎宮城があったと伝わるところでもあり、それにまつわるものかも知れないということで、残念ながらその正体は明らかにならず。

Img_8520c_20191124203001  スタートから1㎞を過ぎたところに道標があります。「天滿宮乃道」とあります。かつて存在した北野天満宮への道案内です。新しく建て替えられたもので、昔は、ここに黒木(樹皮を付けたままの木)の鳥居があったといいます。正面の下の方には、「○入 四丁」とあります(○は私には判読不能。4丁は約436m)。東面には「斎宮」と刻まれています。

Img_8524c  天満宮への道案内から100mも行かないところに「有明六地蔵」があります。ここは、笛川地蔵院の跡地Img_8533c_20191124204501 で、中町公民館があります。この地は伊勢神宮の「神領」であったため、明治時代の神仏分離令は大きな影響を及ぼしました。斎宮にあったほとんどの寺院は廃せられ、この笛川地蔵院も例外ではなかったのです。当時を偲ぶものとしては、わずかに六地蔵石幢が残るのみです。

Img_8527c_20191124205201  室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととImg_8529c り)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。六角形に削られた部(がんぶ;仏像を納めるため岩壁を掘りくぼめた場所)に六地蔵を刻んであります。六地蔵とは、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに衆生救済のため檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵が配されています。

Img_8532c  有明六地蔵のあるところには、庚申堂らしきものが3つありました。詳細は分かりません。Img_8536c_20191125194701

Img_8540c_20191125194001  伊勢街道に戻ってさらに進み、スタートから1.5㎞ほどのところ、左側に道標が2基建っていました。手前のものには「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と、奥のものには「斎王隆子女王之墓従是五丁」と刻まれています。「斎宮旧蹟蛭澤之花園」の方は、天然記念物のどんと花(野花しょうぶ)群生地への案内。ここは、6月の斎王まつりの近鉄ハイキングで行きました(2019年6月 2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。奥の道標は、明治41(1908)年建立。天延2(974)年、病気のため斎宮で亡くなった第43代斎王・隆子女王の墓への案内。隆子女王(醍醐天皇の孫女)は、わずか5歳で選ばれているのですが、斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、わずか在位3年で疱瘡(天然痘)で亡くなったといいます。

Img_8555c_20191125195901  この先、1.7㎞のところにある勝見交差点の北西側には、山の神が3基、集められていました。こうして歩いてあちこちを見て回っていると、町かどや神社、たまに寺院の境内に本当にいくつもの山の神様が祀られています。昔は、村のそこかしこにあったものと思われます。

Img_8557c  余談に近いのですが、勝見交差点の南東には、済生会明和病院が見えます。済生会といえば、恩賜財団。明Img_8566c_20191125200101 治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようと明治44(1911)年に設立した社会福祉法人。ここには「明和病院なでしこ」という重症心身障害の施設が併設されています。私も大変お世話になった小児神経科医の故H先生や、児童指導員の先輩であったO先生が勤務していらしたところ。済生会明和病院は旧国立療養所明星病院の移譲を受けてできた病院なので、旧国立療養所鈴鹿病院で働いていた私にとっても、何となく懐かしい感じがするのです。

 話を戻して、勝見交差点を過ぎると、南側に「斎王参向古道」という案内板があります。Img_8564c斎王参向古道のルートは確定できていないようですが、それを歩くイベントなども行われているようです(たとえば、こちら)。済生会明和病院の敷地を取り巻くあたりや、この近くにある水池土器製作遺跡付近を通っているようです。

Img_8571c_20191125202401  この「斎王参向古道」の案内板を過ぎ、スタートから2.2㎞ほどのところ、北側に長松山安養寺というお寺がImg_8578c_20191125202401 あります。10時40分。臨済宗東福寺派に属する大寺院で、東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。鎌倉時代のことです。かつては、現在の済生会明和病院のところにあり、その最盛期には、「百間四方の境内の周りには堀が巡らされ、その中には多くの堂塔が立ち並ぶ大寺院であった」といい、京の五山に準ずる格式の寺だったといいます。室町時代には幕府や伊勢国司の北畠氏から手厚い保護を受けていましたが、天正4(1576)年、戦火で焼失したと伝えられています。その後、天正16(1588)年、蒲生氏郷によって伊勢街道が付け替えられた頃、現在の場所に移されました。こちらに明和町の文化財解説シートがあります。その後、明治3(1870)年にいたって、廃仏毀釈のあおりで廃寺になったのですが、明治12(1879)年、当時の上野村の努力で再興されました。

Img_8570c_20191125202401  この安養寺境内にある井戸を「明星水」と呼び、この水を求めて多くの人が詣でたといわれます。この明星水は、「明星」のImg_8598c_20191125202401 地名の由来と伝えられています。後に、門前の在家が「如来清浄の禅に導き入れる」として明星水を使って茶店を商い、繁盛したそうです。この安養寺の火を使った湯茶には清めの力があると明星が降臨するといわれ、日本三霊水の一つに数えられたこともあります。

 まだまだ実測ルートマップはその1で、スタートから2.4㎞ほどしか進んでいませんが、その1はここまで。このところ、用事が多くてなかなか進みませんが、合間を見てボチボチと書き進めます。

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2019年11月25日 (月)

紅葉を見に来たホシゴイ、カワウはカーニバルで大騒ぎ

Img_0486c  曇りで、雨がぱらつくかも知れないという予報でしたが、雨は降らずに済みました。午前中、日差しが出るときもあり、日中はImg_0474c_20191125175901 暖かでした。我が家から見える諸戸氏庭園の大イチョウ。いい色をしています。諸戸氏庭園の特別公開も、最終週ですから(12月1日まで)、紅葉を見てこないといけないと思いつつ、まだ果たしていません。今日は、いつものように8時に散歩に出かけ、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と回って、6.1㎞。九華公園の中で鳥をさがし、ホシゴイを追いかけて、ウロウロして6㎞を越えました。

Img_0593c  まずは、こちらから。鎮国守国神社の社務所裏で、アオサギを見て、ゴイサギ、ホシゴイを探していました。1Img_0562c 羽が、飛び出てきて、裏の方へ(本丸跡、鎮国守国神社の御車修祓殿あたり)飛んで行ったのです。探してみたら、ご覧のように紅葉の中に顔だけ覗かせていました。アオサギか、ゴイサギなら、色の対比もあってフォトジェニックになったと思うのですが、贅沢はいえません。もう1羽、ホシゴイもいたのですが、それはずっと後ろ向き。右の写真のような紅葉の中にいたのです。紅葉を観に来るとは、花鳥風月を理解する、粋なホシゴイです(微笑)。

Img_0908c_20191125180001  九華公園の堀では、この頃、毎年今の時期恒例の「カワウカーニバル」を開催中。集団で堀には降りてきて、漁をしています。Img_0920c 協力しているかどうかはアヤシいのですが、結果的には魚を追い込むことになっている感じはします。「協力しているかアヤシい」というのは、1羽が魚をゲットすると、必ずといってよいほど横取りを狙う輩が登場するのです。このシーンもそうです。生存競争が激しいというのか、ずるいヤツはどこにでもいるというのか(苦笑)。

Img_0919c  結局、最初に魚を捕まえたカワウが、逃げ切って無事に丸呑み。激しく逃げ回りながら、飲み込むのも大変だろうと思います。集団漁が始まると、魚を捕って、飲み込むシーンを狙ってImg_0930c いるのですが、ようやくそれなりのところが撮れました。

Img_0885c_20191125175901  もう1つ。これはピントが今イチですが。こちらは、ユリカモメの飛翔シーンを撮っていて、パソコンでよく見たら、小魚をくわえているところが写っていたというものです。トリミングはしたものの、はっきりとは分かりません。これからユリカモメは増えてきますから、また狙いたいと思っています。

Img_0491c_20191125182101  揖斐川は、風もなく川面が鏡面のようにしずかだったのですが、いたのはキンクロハジロ2羽、カワウくらい。上空をアオサImg_0494c ギや、猛禽類(遠くて判別不能)が通過。こういう日は、カンムリカイツブリは出て来ません。波立っていないと彼らにはつまらないのかという気がします。川口水門の内側にある七里の渡し跡には、コガモのオスが3羽。先日から時々見かけます。ヒドリガモや、オオバンが来ることもあります。今日は、小型の野鳥があまり見られません。ところどころでハクセキレイを見るくらい。

Img_0545c_20191125180001  九華公園に着いたのは、8時25分。アオサギはこの時間、まだ出勤していません。ゴイサギ、ホシゴイも見つけられません。Img_0551c ユリカモメは、合計33羽。昨日と同じ数です。

Img_0507c  カモは、餌をやる人があって、大騒ぎであちこち移動しまくり(苦笑)。いくらカウンターImg_0525c_20191125180001 (数取り器)を持っていても、混乱します。数えられたのは、合計52羽。もっといた気もします。ハシビロガモはオス、メスとも3羽、ヒドリガモはオス、メスとも2羽。ホシハジロはオス・メス1羽ずつ。他はキンクロハジロ。オオバンが今日は2羽。

Img_0577c  アオサギがやって来たのは、8時40分近く。公園内を回って、2回目の確認に行くとゴイサギ1羽、ホシゴイ2羽がゴソゴソ動Img_0933c いているのが見えました。動かないとどこにいるか分かりません。相撲場近くの堀端から見ていますが、他にカワセミが飛んでこないかとか、今日はホシゴイは堀に降りないのかなどあれこれ期待しますが、期待していると何も起きません。ただ、今日は、初めの方に書きましたように、紅葉とホシゴイの写真が撮れましたので、まあ良し。小型野鳥は、ウグイスの地鳴きが聞こえたほか、チラッとジョウビタキか何かが見えたくらい。ツグミもシメもいませんし、鳴き声も聞こえず。

Img_0966c  貝塚公園もこの頃は静か。ヒヨドリ、カワラヒワ、ムクドリ、キジバトが主なメンバー。モズも、今年、私は見ていません。Img_0619c 今日は、何とも愛嬌のあるというか、ちょっと情けなさそうな表情のカラスに遭遇。何か訴えかけているようにも見えます。その後は、我が家近くの住吉入江でメスのモズ。曇っていて、あまりきれいには撮れず。

Img_0514c  鳥がいませんので、紅葉や落ち葉の写真にトライしてきました。太陽が出ていて、もうちょImg_0539c_20191125180001 っと明るくて、日向と日陰とがあった方が良さそうです。左は、九華公園の奥平屋敷跡、右は、同じく二の丸跡にて。江戸橋の非常勤、後半の授業資料が十分ではありませんので、修正をしています。来月、東海地区K-ABC研究会で話をしなければなりませんが、その資料準備にかなりの時間と労力をつぎ込んでいます。今週後半になると、来月、相談を承っている方の資料が届きそう。いやぁ、大変(苦笑)。遊んでばかりいられません。

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2019年11月24日 (日)

ユリカモメのお尻(微笑)

Img_0334c  昨日とは変わって、昼前後に晴れ間はあったものの、曇天の1日。気温は、20℃になりましたので、寒くはありません。ユリカImg_0841c モメのお尻フェチの皆さん、お待たせしました。「ユリカモメのお尻勢揃い」シーンが見られる季節になりました。ゆるりとお楽しみください(微笑)。

Img_0427c-2  さて、天気予報でもあまりスッキリしない風でしたので、ハイキング・ウォーキングには行かず、散歩。その散歩は、今日もまた、7時15分という早くからスタート(笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.7㎞。9時半に帰宅。写真は、鎮国守国神社境内の「なんちゃって紅葉」スポット。しっかり色づきました。

Img_0721c_20191124150601  住吉入江にキンクロハジロ、オス1羽と、オオバンが2羽。昨シーズンも見られた光景。オオバImg_0729c_20191124150601 ンは、住吉水門の内側にある桟橋のあたりにいます。これも去年同様。いつぞやのように「住吉キンクロウズ」が復活しないかと期待しています。揖斐川は、今日は赤須賀漁港の出漁日で、漁船が行き交っていますので、カワウ1羽のみで、それ以外の鳥影はありません。三の丸公園では、ソメイヨシノのてっぺんにツグミ1羽。

Img_0398c  九華公園。7時40分に到着。夏でも滅多にない、早い出勤(爆)。そのせいではありませんが、アオサギも、ゴイサギもおらず。ホシゴイが、1羽、一昨日と同じあたりの堀に降りてきていました。今日は何をしてくれる? と期待してしばらく見ていたものの、取り立てて何かをする様子はなく、少し移動したのみ。公園内を歩きましたが、ヒヨドリ天国である以外、特記事項なし(苦笑)。カワラヒワも少なめ。ジョウビタキは1度鳴き声を聞いたのみ。

Img_0764c  早い時間でしたが、聞いていたとおり、これくらいの時間の方が、カモや、ユリカモメに餌をやる人がいました。野球場の前Img_0405c では、ユリカモメにエサをやる男性の姿。朝日丸跡を歩いていたときでしたから、「乱舞シーン」を撮るには、ちょっと遠い。

Img_0778c  ここには、カモも参戦するのですが、相変わらず、ユリカモメの運動能力には対抗できず、右往左往するだけで、ちょっとかわいそう。この男性がエサをやり終えた後、私がいる方に「エサ、くれ!」とばかりに寄って来ましたが、あいにく何も持っていません。

Img_0807c_20191124150601  ユリカモメ、餌やりの騒ぎが落ち着いてから数えると、合計33羽でした。数からいうと、まだ序の口。去年は120羽を越えたときがあったと記憶しています。

Img_0752c_20191124150601  カモも、餌やり騒動でウロウロしていましたので、正確に数えられなかっImg_0774c たのですが、一応の公式記録は79羽。ハシビロガモのオス、メスとも3羽ずつ(もう少しいた可能性あり)、ヒドリガモもオス・メス2羽、ホシハジロはメス1羽のみ。他はキンクロハジロ。

Img_0423c_20191124152301  いや、それにしても散歩する時間が少し違うだけで、こうも様子が異なるとは(苦笑)。他の鳥たち、もっとたくさんいるかと思ったら、案外でした。このほかは、奥平屋敷跡でシメらしき鳥、二の丸跡でウグイスの地鳴きを聞いたくらい。

Img_0453c  貝塚公園も静かでした。こちらにいたのは、ヒヨドリのみ。なので、たまにはヒヨドリの写真を。という次第で、早くから出て来て、ユリカモメの乱舞や、お尻写真は撮れたものの、他の野鳥は少なくてちょっと残念。

Img_0459c  オマケ。立教小学校の校庭に消防車がずらり。桑名市消防団の訓練あるいは何か、大会に向Img_0441c けての練習が行われていたようです。といっても通ったときは、まだ、訓示が行われている最中で、実際の訓練は行われていませんでした。

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2019年11月23日 (土)

河口堰でカワセミ、某池公園ではモズとユリカモメ……パンダガモは見当たらず

Img_0439c_20191123153301  娘が始発電車で出かけるというので、朝4時半前に起床。調子が狂います。勝手にこの時間に起きるならいいのですが、家族とImg_0467c はいえ、他人の都合で早起きは辛いところ(苦笑)。しかし、そのお陰で、7時半前からバードウォッチングにプチ遠征(微笑)。早出してきた成果か、河口堰でカワセミに遭遇。親水広場でイソシギに逃げられ、呆然としていたら目の前にやって来たのです。最初はオレンジ色しか目に入らず、「え? こんなところにジョウビタキ?」と思ってしまいました。

Img_0243c_20191123153901  その後、弥富の某池公園へ。目当ては、ミコアイサだったのですが、影も形もなし。公園を半周して、北端へ来たら、モズが稲刈りの終わった田んぼに降りていくのが見えました。しばし待つと、何やらくわえて、近くの電線の上へ。「これは!」と思い、少し近づいて撮ったら、何とカエルをくわえていました。苦手な方は、写真をクリックなさらないでください。

Img_0664c_20191123153501

 公園内を一周して、帰ろうかと思ってベンImg_0672c_20191123153501 チで休んでいたら、ユリカモメが2羽やって来て、池の上を何度も往復。膨大なピンぼけ写真の中に、それなりのものが数枚。当ては外れましたが、まぁまぁのバードウォッチングでした。

Img_0089c  さて、話を戻して、時間順に。河口堰到着は、7時35分。ウォーキング、ラImg_0413c_20191123154201 ンニング、ワンちゃんの散歩と思いの外、たくさんの人がいました。たぶん10月10日以来(木曽川、長良川河口堰へ……ダイビング祭ではなく、「顔ツッコミ漁」が展開【付記 台風の進路予想について(10/10)】)。東側の魚道には、サギはまったくいませんでしたが、堰の上流、下流ともキンクロハジロが。合わせて100羽以上。他のカモは見当たりません。

Img_0099c  また、カンムリカイツブリも、上流側にも下流側にもいました。合計20羽以上。下流側、それも遠いところImg_0139c に多く、15羽以上。

Img_0110c_20191123154701  堰の西側に行くと、アオサギやダイサギが数羽。思ったほどは多くはありませんでした。カImg_0117c_20191123154701 ワウばかり。イソシギも見えたものの、証拠写真しか撮れず。このほか、ハクセキレイはあちこちにいました。このあと、親水広場でカワセミに遭遇したのです。

Img_0137c-2  その親水広場の水路では、アユの孵化試験が始まっていました。この試験が始まると、親水Img_0153c 広場のせせらぎにも水が入り、景色もいい感じになります。ただし、最近は、伊勢大橋の架け替え工事が、非出水期の10月から再開され、立ち入り禁止エリアも設けられますから、バードウォッチングの範囲も少し狭くなり、それは残念。

Img_0190c  1時間ほどで河口堰の管理橋を往復。弥富へ移動。こちらはたぶん8月末以来。川の遊水池を利用していますので、広い池があり、気持ちの良い空間です。

Img_0506c  駐車場の近くには、シキザクラが咲いています。公園のそばにある公営施設の近くに数本あImg_0508c_20191123155401 ります。

Img_0276c_20191123155801  今日ここでもっとも多かったのはコガモ。池のあちこちにImg_0253c_20191123155801 分散していましたが、たぶん優に200羽を越える数(途中から数えるのが面倒になりました……苦笑)。オスは、まだエクリプス状態から抜けきっていないものもたくさん。ハシビロガモが2羽ほどいて、コガモに混じっていました。

Img_0195c  ついで多かったのは、オオバン。これもあちこちにいます。草地に上がって、草を食んでいるグループもあります。中には、Img_0584c コガモと入り交じっているものもいたりします。

Img_0580c  ここで忘れてはいけないのは、カイツブリ。今日、確認したのは8羽ほど。時々、鳴き声をImg_0590c 響かせています。浮巣はすっかり発泡スチロールだけになっていますが、そこに乗っているものもいます。

Img_0538c  このほか見かけたのは、アオサギさん。北の砂浜広場のImg_0271c 方。目が合った瞬間に逃げられましたが……。その他には、カルガモが10羽以上見えました。池の遠いところにもカモらしき姿が見えたのですが、今日は、いつもと行動時間が変わったため、単眼鏡を忘れてしまいました(苦笑)。ルーチンになっているパターンを繰り返していると、忘れ物はしないのですが、いつもとパターンが変わると、何か忘れるということが増えてきました。

Img_0541c_20191123160601  この某池公園。遊歩道脇に、この花。ホトケノザと思うのですが、春に咲く花のはず。鳥のことも、植物のことも分からないこと、知らないことがたくさんあります。植物といえば、このあと、排水機場にも立ち寄って来ましたが、カワウ、アオサギなど。この排水機場近くにも桜が咲いており、これもシキザクラかその仲間のようです(去年、台風のあとに咲いたので、ちょっと騒ぎましたが、シキザクラのようでした)。修行を続けましょう(笑)。

 明日は、あまりよい天気ではないと思っていたのですが、確認したら晴れに変わっていました。さて、どうしましょう?

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2019年11月22日 (金)

20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(その3)……伊勢本街道・相可の道標から、おんばさん(乳母神)、浄土寺、相生神社で待望の「まご弁」を食べて多気駅にゴール(完)

191110jrwalkingtaki3 11月10日に参加してきたJRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」のその3です。相鹿上神社にお参りした後、西村廣休植物園跡でフウの大木を見ました。今回は、再び伊勢本街道に出て、相可の道標からです。

Img_7814c_20191110210301  こちらが伊勢本街道・相可の道標。道標が2基立っていますが、向かって左の道標がもともとここにあったもImg_7819c の。右の道標は、少し離れたところにあったのですが、破損するなどしてこちらに移されています。右の写真は、もともとここにあった方の道標。正面には、左の指さしの下に「伊勢本街道」と刻まれています。左には「すぐならはせ道」、 右側には「右 くまのミち」、碑陰には、「文久三癸亥十一月建(1863年)」とあります。道標の高さは、147cm。文字は、和漢の学に通じた三谷蒼山(江戸時代後期の庄屋。多気郡四疋田村の人;安永8(1779)~天保12(1841)年の筆と伝わっています。

Img_7812c  ここは、少し広い三叉路になっています。昔は、札の辻であり、ここで盆踊りをしたため「踊り場」ともいわれます。この写真は、相可の道標の南から撮ったもので、奥に左右(東西)に通っているのが、伊勢本街道です。

Img_7820c_20191120073401  こちらは、移設されて来た道標。元は、明治30(1897)年頃ここから東へ30mほどのところの左角に南面して建てられていました。昭和30年代に折損したため、補修して昭和59(1984)年にこちらへ移設したと碑陰に追刻されていました。したがって、道標の向きが逆になっており、最初に見たときは、??でした。ここでは、ボランティアガイドの方が詳しく説明してくださいました。

Img_7826c  もう一つ気になったのが、大きな井戸。このあたりにあった豪商・大国屋の屋敷内に7つあったうち、残っている井戸がこれだそうです。多気町相可は古来から伊勢本街道の宿場として栄えた町ですが、熊野街道、櫛田川水運も交錯し、水陸交通の要地として旅籠屋・茶屋・女郎屋が発達していた。大国屋、大和屋などの豪商があったといいます。それにしても、屋敷の中に7つも井戸があったとは、どれほど大きな屋敷だったのか想像がつきません。

 ここで周りImg_7838c を見ると、「まつさか餅」という看板が出た「長新本舗」という和菓子店が見えました(相可名物なのに、「まつさか餅」とはこれいかに?)。街道名物、気になりますImg_7853c_20191120074301 が、今回はパス。ちなみに、「まつさか餅」は黒あんに歯ごたえのある餅だそうです。後で調べたら、賞味期限は1日ともいいますから、ここへ来て食べないと食べられません。ちょっと惜しいことをしたかと思っています。鮎を扱っている店もいくつかありました。コースマップには、「鮎のみなとや」さんの名前がありましたが、そこは通り過ぎてしまい、「うおすけ」の写真を撮ってきました。どちらも鮎の甘露煮をメインにしておられます。櫛田川で天然鮎が捕れるため、こうした店があるようです。これまた、もったいないことをしたかも知れません。

Img_7856c  伊勢本街道を東に進みます。ちょうど櫛田川の南側を、川が流れる方向に向かって進んでいることになります。左の写真は、相可交差点からみた櫛田川・両郡橋方面。

Img_7863c  相可交差点を過ぎると、変則的な広い三叉路になります。ここは、越後屋が取り壊されてこの形になっています。この広小路のところに古い旅館がありました。とエラそうに書いていますが、後で調べていて分かり、撮って来た写真を見たら、たまたまこの1枚があったのです。鹿水亭といいます(元の屋号は、車屋)。戦前の旅籠建築を残している、唯一現存する建物だそうです。旅館業務はかなり以前に休止し、鮎の甘露煮を製造販売していたのですが、2011年に二代目の主人が亡くなられて廃業しました。「鹿水亭」の名付け親は、伊藤博文に仕えた矢土錦山であるとか、手塚治虫も泊まったとか。多気町の広報誌に記事がありました(こちら)。

Img_7872c  ここを過ぎて100mも行かない、スタートからは6.5㎞ほどのところに、「おんばさん」があります。浄土寺の手前。百日咳に霊験あらたかな乳母神だそうです。倭姫命が相可を通ったとき、人々が百日咳の流行で苦しんでいたため、倭姫命は櫛田川の鉾ヶ瀬の淵(鉾ヶ瀬は、浄土寺のすぐ西。このおんばさんの向こうにある路地から入ります)で川水に入り、「この川水で体を洗えば、必ず咳も治るだろう」といって立ち去られたといいます。この言付けを守ったところ、たちまち病は治ったそうです。人々は、倭姫命に感謝して、ここに乳母神を祀ったと伝えられています。百日咳に効果があるといえば、10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」で訪ねた神戸神社(かんべじんじゃ)の境内にも、御乳母稲荷神社がありました。ここも、乳幼児の「うば咳(百日咳)」に霊験あらたかとして篤い信仰を受けてきています(2019年10月29日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その1)……早々に松阪牛の弁当と土産を買い、和歌山街道の道標、信楽寺、荒神山稲荷神社から神戸神社へ)。こういう信仰の神社、北勢地方ではこれまで見たことがありません。

Img_7873c_20191110211401  スタートから6.6㎞、11時半に佛乗山往生院浄土寺に来ました。天台真盛宗のお寺で、伝教大師(最澄)開基と伝わります。天台真盛 Img_7876c_20191110211401 宗祖真盛上人に帰依した盛定上人が復興しました。相可の豪商大和屋の菩提寺。伊勢街道の宿場町の寺として盛え、町内最多の指定文化財を初め、約100体の仏像・絵画・文書を有しているそうです。これは、桜花が裕福な商家が多かったことと、宿場町として栄、学者や文人墨客の往来が多かったことによると考えられます。ちなみに、浄土寺は、真盛(しんせい)文庫という名称でまちかど博物館になっています。

Img_7884c_20191121124401  境内にある大日堂。このお堂、かつては、大松屋こと地主平九郎という旧家の中にあったといいます。

Img_7899c  浄土寺のすぐ東には、「浄土寺別堂」という案内板が掲げられたお堂がありました。三門前の石柱には、Img_7904c 「信貴山御分霊 毘沙門天王」「佛乗山 毘沙門堂」と刻まれています。右の写真が、毘沙門堂と思われます。信貴山は、真言宗。聖徳太子が物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、立ち寄った山。太子が戦勝の祈願をすると、毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授けたといいます。と書きながら、浄土寺は、天台真盛宗であり、最澄は天台宗の開祖。真言宗は、空海が開いた宗派。どういう関係?? とちょっと戸惑っています。

Img_7910c  戸惑うといえば、毘沙門堂に向かって左手には、小さなお社があり、「大福神」と書かれていました。神仏習合の名残なのでしょうか。これまで、ハイキング・ウォーキングで歩いた経験からは、禅宗系のお寺に神社が残っていることがよくあります(ただし、お稲荷さんが多かったように思います)。う~ん、まだまだ知らないこと、分からないこと、考えが足らないことが多々あります。

Img_7922c  疑問は残ったまま伊勢本街道をさらに東に向かって歩き続けます。7㎞を過ぎて、再び、国道42号線勢和多気バイパスへ。先Img_7923c ほどのところからは北へ1㎞足らず。7.3㎞のところで、荒蒔の公民館に来ました。敷地内に地蔵堂、山の神など。お地蔵さんなのか、松阪あたりでよく見る青面金剛像なのか、私にはきちんと判別はできません。みえの歴史街道の伊勢本街道のマップにも出て来ませんし、ネットで調べても分かりません。多気町の歴史という本でもあれば書かれているかも知れません。

Img_7927c  こういう像が2体、同じお堂に入っていたりもします。別々の2体を同じお堂に収めたような気もしますが、詳細は不明。現地には説明板などはありません。謎ばかりで、気にはなるのですが、ネットや手元の資料では調べるにも限りがあります。

Img_7942c  さらに進みます。左の写真は、県道421号線に出たあたり。ここは、伊勢本街道と県道とが重なっていまImg_7944c_20191110212101 す。7.7㎞を過ぎると、伊勢本街道は、南東に向かい、紀勢本線の線路を横断して行きます。この先は、多気駅から来るときに通った池上橋のところへ通じています。ウォーキングコースは、ここで伊勢本街道から離れ、しばらく県道421号線を行きます。

Img_7948c  8㎞を過ぎたところで左折し、櫛田川の堤防に上がりました。600mあまり、櫛田川の左岸堤防上の道路を歩Img_7954c いて行くのですが、草木が生い茂っていて、川はほとんど見えません。川沿いでは、ジョウビタキを見たりしてそれなりに楽しめます。

191110jrwalkingtaki4  このあたりから、実測ルートマップはその4のエリアに。

Img_7974c  スタートから8.7㎞、堤防道路から降りて、相生神社(あいをいじんじゃ)に向かいまImg_7983c す。相生神社で9㎞、時刻は12時5分。ちょうどお腹も空いてきましたから、お参りしたあと、ここで「まご弁当」をいただくことにします。相生神社の創始については、詳らかではありませんが、兄国創村の際、天忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)を産土神として奉遷したのが始まりといいます。江戸時代には八王子と称し、明治初年に八柱神社と改称されました。明治41(1908)年2月、兄国の菅原神社をはじめ23社を合祀し、相生神社と単称しています。

Img_8007c 御祭神は、天忍穂耳命熊野久須毘命活津日子根命菅原道眞御年神(みとしのかみ;素盞鳴尊の子孫で、穀物神)、天手力雄命(アマノタヂカラオノミコト;天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、市杵島姫命多紀理毘賣命素盞鳴尊宇賀御魂神天津日子根命天菩日能命田岐都比賣命木花咲耶姫命、不詳九座。

Img_8001c  拝殿に向かって左手(西側)には、若宮社がありました。さらに、拝殿の南には、皇大神宮遙拝所。これImg_7993c_20191122205901 は、「神宮御用材御下賜附記念」ということで、昭和24年11月に建立されています。この年の第59回式年遷宮は、戦災復興のさ中で、昭和28(1953)年に延期されています。

Img_8024c  また、拝殿に向かって右手(東)にも、小さなお社がありましたが、これについては不明。ただし、このお社は、瓦のような焼き物でできていました。こういう材質のお社は初めて見ました。

Img_8022c  さて、ようやくここで弁当タイム。念願の「まご弁」、ようやく食べられます(微笑&喜)。相可高校食物調理科の生徒さんたちは、部活として、土曜・日曜・祝日に「まごの店」での研修をしていますが、イベントなどには、この「まご弁」を売っているのです。これ、失礼ながら、高校生がつくったとは思えません。そんじょそこらで売っている弁当のレベルをはるかに凌駕しています。「料亭並み」といってよいでしょう。薄味ながら、しっかりと楽しめますし、お腹もふくれます。桑名では、10月末のエキトピアで売っていたようですが、そのときは¥800でした。

Img_8052c  相生神社を12時半に再スタート。このあとは多気駅まで1.4㎞で、立ち寄るところはないのですが、スゴいものを見つけましImg_8046c た。9.2㎞地点に大北牧場さんがあり、そこで牛たちがこちらを覗いているのです(微笑)。これがなんと、耳に「松阪牛」というタグをつけているではありませんか。しかもなかなか人なつっこい。カメラを向けていると、興味があるのか顔を覗かせてくれました。つれて帰れるものなら、1頭丸ごと連れて帰りたいくらいと思ったものの、1頭のお値段は2500万円くらいにはなるようです。マンションが1軒買えるくらいです。ちょっとやそっとでは換えませんし、丸ごと買っても困ります。

Img_8071c_20191110213901  このあとはもう立ち寄るところはありません。佐奈川(この川は、櫛田川に合流します)を超えて、大豆を栽培しているあたImg_8084c_20191110213901 りを通り抜けて、多気駅に向かいます。

Img_8096c  多気駅には12時50分にゴールしました。3時間10分をかけて10.5㎞を歩きました。この日Img_8105c_20191110214201 で、JRさわやかウォーキングのスタンプは、めでたく10個を達成しました(昨年11月23日からの、ほぼ1年)。ゴール受付で、賞品と交換してくださいといわれました。スタンプ10個で交換できるのは、バッチ、タオル、折りたたみ三脚ミニチェアーから1つ(こちら)。

Img_8109c_20191110214201  バッチはまったく欲しいとは思わず、タオルもまぁいいかということで、ミニチェアーにしました。これなら、バードウォッImg_8107c_20191110214201 チングなどでも、しばらく鳥を観察するときに使えると考えたのです。さらに、先着500名にということで、「紀勢本線全通60周年記念オリジナルポストカード(5枚組み)」もいただけました。

Img_8129c_20191110214201  帰りは、快速みえに乗って桑名駅までとも思ったのですが、指定席はすでにありませんでしImg_8135c_20191110214201 た。2両編成だということで混みそうでした。結局、来たときの経路をそのまま戻ることにして、13時22分の普通電車亀山行きで、松阪へ。13時32分着。¥200。松阪からは、13時54分発の急行名古屋行きに乗車。桑名には、15時3分着。¥960。

Img_8142c  こちらがALKOOのデータ。22,063歩となっていました。JRさわやかウォーキングで10.5㎞+桑名駅往復が1.8㎞ということで、トータルは12.3㎞。まぁまぁでしょう。2日連続でハイキング/ウォーキングに行き、よく遊んできました。

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冬の使者・ユリカモメ登場……カワセミ嬢と、未熟なホシゴイ

Img_0086c  雨という予報でしたが、明るいうちに降ったのは、昼過ぎだけでした。夕方からまた降り始めています。終日曇天でしたが、8Img_0070c 時前から散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と5.8㎞。明日がオヤジの16回忌ですので、寺町では桑名別院本統寺にお参り。

Img_9819c  今日は、まずはユリカモメの話題。しばらく前から、私より早い時間に九華公園を歩いているImg_9817c_20191122181001 散歩友達からユリカモメが来ていたと聞いていたのですが、この目で確認したのは、今日が初めて。今日のところは、14羽です。東から飛来して、公園上空を一回りして、野球場のセンター後方のネットの上に。冬の使者、到来です。

Img_9912c  その九華公園、今日はいろいろとありました。まずは、カワセミ嬢。次に書きますが、ホシゴImg_9919c_20191122181001 イの傑作な行動を見ていたら、カワセミが登場。たぶん、植え込みの下にいたのだと思います。一度ダイビングシーンが見られました。肉眼では分からなかったのですが、小魚をくわえていました。ただ、残念なことに、今日は雨に降られるとイヤだと思って、超望遠コンデジしか持っていかず。チョット不鮮明な写真しか撮れませんでした。

Img_9926c  このカワセミ嬢、しばらく同じあたりにいて、後ろ姿も見せてくれました。歴史的用語でいえば、「バックシャン」です。私くらいの年齢の方ならお分かりになるかと思います。back+schön(ドイツ語)で、女性の後ろ姿が均整がとれて美しいことを意味しました。

Img_9733c_20191122184501  ホシゴイの傑作な行動とは? 九華公園に着いたのは、8時20分。このとき、北門近くの堀には、2羽のホシImg_9740c ゴイが降りてきていました。その後、いったん近くの石垣の上や、樹上に移動していました。

Img_0006c  公園内を半周してもう一度見に来た時です。石垣にいたホシゴイが、再び堀へ。エサを探している様子。何度か嘴を堀に突っ込むのですが、なかなかうまく行かず。そのうち、何やら黒い、けっこう大きな物体をくわえたのです。貝か?と思ったのですが、これが何と、堀に落ちていた松ぼっくり。それは食べられないよといいたかったのですが、しばらくは飲み込もうとしていました。大丈夫か!?と心配したら、結局飲み込めず。見ている方も一安心。まだまだ修行が足らないホシゴイのようです。

Img_9781c  その九華公園、今日はカモは、合計58羽で、昨日とほぼ同じ。元気に泳ぎ回っているのは、ハImg_9810c シビロガモ。左は、オス2羽が餌をすくい取りながら泳いでいるところ。ハシビロガモ、オスは3羽、メスは4羽と思います。ヒドリガモはあとから登場。オス1羽、メス2羽。ホシハジロはオスだけが2羽。その他はキンクロハジロ。先日いたホオジロガモのメスは、その後見ません。

Img_0044c-2  ヒヨドリがもっとも多く、他はカワラヒワ、ドバト、キジバト、ムクドリが目立ちますが、あちこちからツグミの鳴き声も聞かれます。しかし、ツグミはまだ樹上にいて、降りては来ません。シメはその後は見ず。ムシクイらしき鳥は、他の方の目撃情報もあります。今日は、ジョウビタキは見られませんでした。

Img_0064c  貝塚公園では、ヒヨドリくらい。入江葭町を歩いていたら、道沿いの溝からコサギが飛び立って、近くの表具屋さんの3階建ての屋根の上へ。ビックリしましたが、コサギは、時々寺町の堀にいたり、住吉入江沿いの電柱にいたりなど、町の中にいることがあります。

Img_0049c_20191122181001  余談。九華公園から貝塚公園に行く途中、はぁぶ工房Togetherの作業所があり増す。先日も書きましたが、ここで多度みかんを売っています。しばらくみかんが出ていなかったのですが、今日はたくさんありましたので、お買い上げ。1袋、¥350なり。買ってきて、しばらく室内で陽の当たるところに置いておくと、甘みが増す感じ。

Img_9855c  もう一つ、なんちゃって紅葉、あれこれ試しているのですが、なかなか気に入ったものが撮れません。鎮国守国神社の狛犬をImg_9859c_20191122181101 入れてみたのですが、もうチョット狛犬が横向きならいいのにと思います。鎮国守国神社の境内には、これ以外の紅葉(?)もあります。右の写真がそれです。これで十分紅葉していると思われます。

 さて、週末。近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングを調べたのですが、どうも気に入ったものがありません。明日・23日は、どちらも近くで開催されるものはありません。近鉄ハイキングは大阪や奈良で、JRさわやかウォーキングは飛騨高山方面。バードウォッチングにでも行きましょう。24日は、近鉄ハイキングは、菰野富士登山がありますが、9月に大変な思いをしています。大阪で、「こふんまち羽曳野・藤井寺」を訪ねるハイキングがありますが、チョット遠いですねぇ。JRさわやかウォーキングは、松阪で松阪牛まつりに行く企画があるのですが、どうしましょう?

 

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2019年11月21日 (木)

モズデー、赤須賀まで足を伸ばしてきました

Img_9509c  今朝は、3.2℃まで冷えました。まさに「冷えた」という感じです。風邪は比較的弱く、気温も15℃を超えましたので、日中は過ごしやすくなりました。8時から散歩。住吉神社、九華公園から今日は、赤須賀へ。先日の相談会の報告書を郵送する必要があったのですが、たまには違うところからと思って、桑名赤須賀郵便局から送ったのです。その後、貝塚公園からまた九華公園に戻り、京町、寺町と歩いてちょうど6.0㎞でした。11時帰宅。

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 諸戸氏庭園を見ていますと、木々がかなり色づいてきました。そろそろ特別公開に行って、庭園内の紅葉を見てくるといいかもImg_0318c_20191121205301 しれません。 その諸戸氏庭園では、東の端に通っている電線にモズのオス。たぶん諸戸氏庭園を縄張りにしていると思います。時々周囲で見かけますから。

Img_0333c  三の丸水門のところでは、メスのモズが虫のようなものを咥えて飛んできました。水門のとこImg_9518c_20191121205301 ろで食べてから、柿安コミュニティパークのソメイヨシノの木に移動。三の丸公園では、これはホオジロと思います。木の高いところに一瞬だけ出て来ました。

Img_9539c_20191121205301  九華公園、今日はアオサギさんはいません。代わりにホシゴイとゴイサギが2羽ずつ。最近まImg_0355c たよく見られるようになっています。左の写真のホシゴイは、一昨日もここにいた個体と思われます。一昨日、知人はホシゴイが魚を捕らえるところを見たといっておられました。

Img_0373c_20191121205301  相撲場近くでは、ツグミ。ツグミは、公園内で2~3羽の鳴き声が聞こえるのですが、まだ姿はあまり見ません。樹上にいるようで、地面には降りてきていません。

Img_0367c Img_9563c  カモは今日は少なくて、60羽。ハシビロガモはオス3羽、メス4羽、ホシハジロはオスが2羽にメスは1羽、ヒドリガモは後から登場して、オス1羽、メス2羽。これ以外はキンクロハジロ。オオバンも1羽。左の写真はキンクロさん、右はホシハジロのメスです。

Img_0382c_20191121205301  奥平屋敷跡でジョウビタキのオスに遭遇。しかし、逆光だったり、ステージ裏のちょっと暗いところで、証拠写真。証拠写真Img_0407c ついでに、メジロ。メジロは、朝日丸跡に小さい群れで来ていました。このとき、デジイチのバッテリーが切れて、交換しようとしたものの、カメラ本体から出てこず四苦八苦しているとき(バネの不具合のような気がします。もう8年近く使っています)。結局バッテリー交換はならず、このあとは超望遠コンデジ写真のみ。

Img_9550c  カワラヒワは、あちこちで集団でいます。とくに松の木に来て、松ぼっくりを突いているところをよく見るようになりました。ある本によれば、秋から小集団を形成して、集団見合いでカップルを決めるのだそうです。

Img_9624c_20191121205401  神戸櫓跡にジョウビタキのメス。目の前数mのところ。これだけクリアに撮れれば、文句なしというより、満足。このあと、本丸跡に移動し、地面でエサ探しをしていました。

Img_9580c  鎮国守国神社の「なんちゃって紅葉」その2。紅葉の木は多くはないのですが、これでかなり楽しめます。裏から撮っていますが、太陽光の当たる向きを考えると、この方が綺麗に撮れる気がします。

Img_9642c  九華公園からは赤須賀へ。外周遊歩道の東から公園を出て、赤須賀に向かいます。赤須賀神明社の脇を通って、500mほど。ここを利用するのは、初めて。いつも利用する某郵便局よりも局員の方の愛想がよくて、気持ちよく対応していただけました(微笑)。

Img_9644c  桑名赤須賀郵便局の北には、時雨屋さんや饅頭屋さんがあります。時雨屋Img_9650c_20191121205401 さんは、伊勢志ぐれ本店。饅頭屋さんは、十一万石。桑栄メイトで喫茶店も営んでおられます。ここの名物は、「へそまんじゅう」。赤須賀神社の井戸に雷様が落ちて、助けてもらう代わりにしぐれの作り方を教えたという民話が伝わっていますが、それにちなんだもの(2012年6月18日:雷様の落ちた井戸を見に行く……赤須賀神明社へ)。ただし、このへそまんじゅう、まだ食べたことはありません。昨日、非常勤の帰りに桑栄メイトの十一万石の店の前を通ったら、売っていましたが。

Img_9656c  伊勢志ぐれ本店や、十一万石の目の前は、赤須賀漁港の船だまり。はまぐりプラザのところから奥(西)に入ったあたり(左の写真)。写真の中央から右手にある建物が、はまぐりプラザ。その向こうが揖斐・長良川。

Img_9668c_20191121205401  帰り道、歴史を語る公園のところを通ってきましたが、公園東の堀にはオオバンが1羽。この歴史を語る公園東の堀は、冬になるとオオバンが数羽やって来ています。

Img_9593c  今日は、最初に書きましたように、先日の相談会の報告書を送ってきましたし、昨日の授業のQ&Aもし上げ、メールに添付して送信。印刷などをお願いしました。来週になると、12月に依頼をいただいてる相談の方から資料が届くでしょうし、そろそろ12月の研究会で話す内容を準備しないと。去年までは、非常勤の授業が前期だけでしたし、これほど相談依頼をいただきませんでしたので、ハイキング・ウォーキングや、バードウォッチングに注力していました。仕事の依頼をいただけるのはありがたいことですから、きちんと準備しなければなりません。

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2019年11月20日 (水)

今日は、引き分けか(微苦笑)

Dscn2138c  最低気温が7.8℃、最高気温は15.1℃ 、4m/s前後の風と、一気に冬になったような天候でした。冒頭の写真は、江戸橋から帰ってきたときに、玄関先から見た北の空。多度山から雲が流れてきているのは、真冬に典型的なパターン。今日は、江戸橋駅から非常勤先に行くときと、戻ってくるときに渋々と細かい雨が降ってくるという天気でした。これまで天気については、連勝していました。今日は、負けてはいないものの、「引き分け」という感じ(苦笑)。

Dscn2094c 今日は8回目の授業。テーマは「競争と共同」としましたが、我ながら、内容に今ひとつ流れがない感じでした。来年に向けて、大幅モデルチェンジをした方が良さそうです。今日は、最初から余談をしてしまい、毎日散歩をしていることや、1年間、散歩で歩く距離を合計すると1,500㎞を越えるとか話したら、妙にウケていました(微苦笑)。出席票の裏にウォーキング場面を想像してイラストを描いてくれた女子学生もいました。本人の承諾なしには載せられないのが、残念。

Dscn2096c さて、余談でもカミングアウトしてしまったので、今日も道草をしてきました。しかし、はじめにも書きましたように、江戸橋Dscn2102c 駅から非常勤先を往復する間に限って、こんな空模様。川沿いは強風で寒い。小雨が渋々。オマケに今日は、干潮時刻ではなく、鳥もあまりおらずという有様。

Dscn2100c サギの類いはまったく見当たらず。コガモ、ホシハジロのメス他がいたくらい。あの単眼鏡もDscn2101c 持っていったものの、今日は活躍の場面はほとんどなしで、残念。

Dscn2107c ただ、おぼろタオルの向上から川沿いに出たところからDscn2116cやや下流には、ヒドリガモ、カルガモ、オナガガモが集まっていました。江戸橋の方から堤防道路を自転車できた人が、わざとカモたちを驚かせていて、いったんは皆、川に降りたのですが、その男性が通り過ぎると、またて堤防の下に上がってきていました。スロープになっているところを歩いて上ってきて、これはなかなか面白い光景でした。

Dscn2127c  帰宅後は、出欠チェックをしてから、先日の相談会の報告書をとりまとめ、お送りする準備をしていました。Q&Aまでは手が回りませんでしたので、これはまた明日の仕事。先月の支援員養成講座の感想もいただいていますので、熟読して、必要な補足説明や、ご質問への回答も書かねばなりません。来月の研究会でお話しする内容もボチボチ準備を始めなければなりません。仕事がそれなりにあるのはとてもありがたいのですが、こなしていくのもけっこう大変(苦笑)。贅沢や、文句をいっている閑があれば、少しでも進めたいと思っています。

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20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(その2)……六角堂を見て、おいないまつり会場であの「まご弁」をゲット、相鹿上神社を経て、西村廣休植物園跡で「フウ樹」を見る

191110jrwalkingtaki2  11月10日のJRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」のその2です。その1の前半は、常夜燈やら金粒丸を扱っていた店や、その大看板を見て、それなりに面白かったのですが、後半はアップダウンを繰り返しながら、2㎞以上、ひたすら歩いてきました。4.3㎞で、多気町役場の敷地内にある六角堂まで来ました。時刻は、10時35分を過ぎたところ。その2はここから。

Img_7661c_20191110202701  六角堂は、旧多気郡役場の付属施設でした。物産棟などとして使われたそうです。多気郡役所は、郡が自治体として機能していた一時期に存在していた役所です。多気郡役場は、明治12(1879)年、当時の相可村に開庁しています。六角堂は、昭和53(1978)年、現在地である多気町役場駐車場の一角に移築されています。元は、大正4(1915)年頃、大正天皇の即位を記念しImg_7683c_20191110202701 て建てられたもので、木造平屋建、瓦葺、建築面積50㎡。平面は正方形の正面両隅を隅切した変則の六角形になっていますが、正面からは八角形に見えます。内部は見られませんでしたが、一室で格天井となっているといいます。正面に切妻造玄関を張出し、懸魚(げぎょ)を吊り、屋根頂部の飾り瓦は「紀念館」と刻む露盤(ろばん)に獅子を載せてあるという、独特な形式の建物です。多気町で初めての国登録有形文化財。

Img_7678c  こちらが屋根頂部分の飾り瓦。「祈念館」の一部(祈念)という文字がかろうじて見えています。上に乗っているのは、獅子だImg_7677c といわれるとそうかなと思えます。何とも不思議な建物で、できれば内部も拝観したかったところです。六角堂の前に立っているのは、同じ時に移設された旧役場の玄関部分です。

Img_7697c  さて、この日のメインの一つ、いよいよおいないまつり会場へ。「おいない」は伊勢弁で「お出でよ」Img_7699c という意味。自衛隊や消防などのブースも出ていました。右の写真のような自衛隊仕様のバイク、気になりますが、いい年をしたオッサンが見に行くのもなぁと思ってしまい、遠くから写真を撮ったのみ。

Img_7700c  メインのイベント広場へ。地域興しのイベントとして多気町が開催しています。特産物の販売、ステージショー、また、辺り一帯で「おたコス11(おいないTakiコスプレ祭り)も行われていて、コスプレーヤーたちもImg_7716c_20191110203501 たくさん歩いていました。コスプレも、さまざまあり、驚かされました。お願いすると、写真くらい撮らせてもらえたかも知れません。右は、三重とこわか国体・三重とこわか大会マスコットキャラクター「とこまる」によるステージショーの模様。

Img_7710c  せっかく来たからと思って、会場を一回りしていたら、とてもよいことがありました(微笑)。それがこれImg_8010c らの写真。県立相可高校食物調理科調理クラブの生徒さんのマルシェです。11月3日に出かけた松阪の氏郷まつりの時にもブースが出ていたのですが(20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)、「まご弁」が発売時間前で買えなかったのです。「これは!」と思い、リベンジ。¥600なりでゲットしてきました。おいないまつり会場を出たのが10時50分、5㎞の手前。弁当にはまだまだ早いので、この先、神社ででも食べることにします。

Img_7726c_20191110204401  おいないまつり会場を出るところで、ちょっと迷いました。会場内には案内の矢印がないからです。同じ参加者の女性もちょっとウロウロしておられ、二人でコースマップをよく見て、脱出。町役場前から北、相可の町並みへと進んでいきます。左は、JR紀勢線の跨線橋を渡り始めるところ。

Img_7743c  相可駅の西を過ぎて、ほぼ6㎞で相鹿上神社(おおかがみじんじゃ)に到着。御鎮座の時期は不詳ですが、延喜式神名帳に載っている、いわゆる式内社ですので、今から1,100年以上前に創始されたと考えられます。上代から平安時代にかけ、大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が支配していました。大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社を建立したものが、相鹿上神社と呼ばれ、このあたりの氏神様になってきたと思われます。

Img_7748c  その天児屋根命について、神社入り口にこのような看板で紹介されていました。「文筆の神様」となっています。天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、大御神のお出ましを願うためにその心を和ませる祝詞を奏上した神様です。そこから、この神社では、天児屋根命を文筆の神様で、文章力、演出力、字などの上達や、学業成就の御神徳があるとしています。これは、お参りしなくっちゃ(微笑)。「コヤネ」とアイドルのように扱われていますが、手にしているのは葉書の語源となった「多羅葉(たらよう)」の葉だそうです。葉の表面に傷をつけると黒化し、昔は鉄筆などを使って写経をしたとあります。

Img_7769c_20191110204501  境内は南北に長く、境内の北側に境内入口の鳥居が立っています。鳥居をくぐると砂利の境内になっていて、境内奥(南側)に北向きの社殿があります。

Img_7767c  天児屋根命の他、御祭神は、大彦命(おおひこのみこと;孝元天皇の皇子)、伊邪那岐命天忍穂耳命天津彦根命活津彦根命熊野久須毘命大鹿島命(おおかしまのみこと;中臣氏の伝説上の先祖)、巨狭山命(おおかしまのみこと;中臣氏の伝説上の先祖)、天穂日命八衢比古命久那斗命(くなどのみこと;道の分岐点などに祭られる神)、火産霊命(ほむすびのみこと;火の神)、宇迦之御魂命菅原道真、祭神不詳五座となっています。明治41(1908)年5月に境内社であった若宮神社、地宮神社、多賀神社他を含め、18社を合祀し低増すので、これほどたくさんの神様がいらっしゃると思われます。同年12月、当社に合祀された伊蘇上神社の旧鎮座地に奉遷されています。

Img_7776c_20191119212201  本殿に向かって左手には、戦没者の英霊を祀った境内社「靖郷神社」があります。さらに、この靖郷神社に向かい合うようにして、「両太神宮遙拝所御神燈」。単なる遙拝所は、これまでもあちこちの神社で見てきましたが、「遙拝所御神燈」なるものは初めて見ました。確かに燈籠になっています。

Img_7782c_20191119212801  境内の東には、合祀された「式内伊蘇上神社」と刻まれた石碑と、「猿田彦大神」とある石碑が並んでいまImg_7785c_20191110205601 した。また「里人傳 倭姫命御巡行遺跡」と刻まれた石碑もありました。ここに鎮座していた伊蘇上神社を、倭姫命による皇大神の伊勢御遷幸に登場する磯宮・伊蘓宮とする説があるようです。この伊蘇宮の比定地には、伊勢市磯町にある磯神社という考え方もあります。

Img_7755c  このほか境内の北側には、「殉国之碑」があります。地区遺族会が、昭和45(1970)年8月15日に建立しImg_7772c たもので英霊78柱を祀る碑です。碑陰には、「大東亜 ○○」という形でお名前が刻まれていました。境内社「靖郷神社」とあわせた慰霊施設と思います。もう一つ、拝殿に向かって左手(南側)に、ご神木として、根を一つにした「夫婦杉」の大木がありました。「夫婦円満のご神木」と書かれた説明板が立っています。

191110jrwalkingtaki3  ここ相鹿上神社でほぼ6㎞、神社を出るときには、11時20分近く。神社の西を通る、県道160号線を横断歩道橋で渡って、伊勢本街道・相可の道標に向かうのですが、その途中、大木が見えたので立ち寄ってみてきました。

Img_7804c_20191120051501  それがこちら。イチョウかと思って近くに行ったのですが、「フウ樹」とImg_7806c_20191120051501 いう説明板がありました。「西村廣休(にしむらひろよし)宅跡のフウ樹」という説明板が立っています。西村廣休(1816~89年)は、江戸時代、相可の豪商大和屋の11代目にして、本草学者。本草学は、中国古来の植物を中心とする薬物学。西村は、宅内に薬園を設け、2,000種類近い植物を栽培して、研究したといいます。このフウ(楓)は、その遺愛樹の一つ。マンサク科に属する落葉高木。日本には、享保年間(1716~35年)の中頃、渡来。この樹も比較的古いもので、博物学史上注目されているそうです。樹からは樹脂を採って薬用としたようです。ここは、「西村廣休植物園跡」として、多気町指定史跡になっています。

 このあとはいよいよ伊勢本街道・相可の道標を見て、また、伊勢本街道を歩くのですが、それはその3にて。

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2019年11月19日 (火)

珍客「ホオジロガモ」飛来、さらにはムシクイかウグイスか悩ましい鳥……散歩帰りに桑名市博物館で特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」を見る

Img_9276c  よく晴れたのですが、冷たい北寄りの風が5~6m/sも吹いていました。ウィンドブレーカーをやや厚めのものに換えて散歩。8時10分から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園とここまではほぼいつも通りで、その後、桑名市博物館へ。11月24日まで特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」が開かれていますので、これを観てきました。その後、京町、寺町と歩いて、6.2㎞。

Img_9430c  今日は、こちらから。遠目には、キンクロハジロのメスかと思ったのですが、どうも違うという気がしました。これは、初見のカモ。写真ではちょっと上にずれていますが、超望遠コンデジの画面の中央に写っていなかったのです(苦笑)。ホオジロガモのメスと思われます。1羽だけ。他のカモたちとは離れて漂っていました。この1羽だけ何かの理由で迷って結果、ここにやって来たような気がします。

Img_0280c_20191119183901  もう1羽。いったい誰でしょう? パッと見たときは、ムシクイかと思ったものの、ムシクイの仲間はいずれも夏鳥。今頃いるのか? 以前、虫食いを九華公園で見たのは、せいぜい10月まで。最近、九華公園では、ウグイスの地鳴きと思われる鳴き声がよく聞かれるので、ウグイスか?とも思ったのですが、誰なのでしょう?

Img_0146c  さて、話を戻して、歩いてみてきた順に。冒頭に書きましたように、今日はかなりの風。揖斐川も波立って、Img_0156c_20191119183701 白波が立つくらいでした。しかし、案外、こういう日にカンムリカイツブリがよく出て来ます。「カンムリカイツブリは、チャレンジャー」という気さえしてきます。潜ってはまた上がってきますし、波立っているのでしっかり確認できませんでしたが、5羽くらいはいたように思います。

Img_0161c  チャレンジャーといえば、こちらのアオサギさんもです。揖斐長良川の中洲の十万山の南端。ここにアオサギさんがよくいるImg_0159c_20191119183701 のですが、今日もいました。しかもかなり水位が高いのに、です。そして、七里の渡し跡の奥の堀には、小ガモの、なぜかメスだけが4羽。七里の渡し跡には、冬になるとコガモはよく来ていますが、メスだけというのはあまり見ません。

Img_0167c  九華公園に到着。アオサギさんは、いつも通り、鎮国守国神社の社務所裏に。ブロ友のひらいさん流にいうと「安心の光景」、私流にいうと「神対応」です。

Img_0168c  今日もゴイサギ&ホシゴイがいました。いずれもちょっと見つけにくいところ。立ったままですと、気づかImg_0171c ないこともありますし、立つ位置によっては見えないところにいたりします。移動しつつ、背伸びしてみたり、しゃがんでみたりしなければなりません。昨日の記事に書いたように、まさに不審な行動を繰り返しています(苦笑)。

Img_9325c_20191119183701  こちら、ホシゴイさん。今日は、このようにゴイサギ2羽とホシゴイ1羽。よく分かりませんが、彼ら・彼女らは、やはり毎日いるのかも知れません。丁寧に確認する必要があるということでしょう。さらに、写真は撮れなかったのですが、カワセミも目撃。2羽がいるようです。1羽は、北門近くの堀の北の端に飛んできましたし、もう1羽、鎮国守国神社の社務所裏に飛んできたのです。「あ、カワセミ」と思えただけで、堀の端の木の陰に入ってしまい、しばらく待ったものの出てきませんでした。

Img_0178c_20191119183701  カモは、合計68羽とやや少なめ。強風のせいかという気がします。住吉神社の前から見た、長良川Img_0218c_20191119183801 河口堰方面も、カモの姿は少ない感じでした。ヒドリガモはオス、メスとも2羽ずつ。ホシハジロもオス、メスがそれぞれ1羽。ハシビロガモはオス・メス5羽ずつ。前述のように、ホオジロガモのメス1羽と、それ以外はキンクロハジロ。オオバンは、今日も1羽が来ていました。

Img_9346c 奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオスに接近遭遇。5m以内に近づけました。人懐っこい鳥ではありますが、これほど近づけImg_0215c るのは珍しい。吉之丸堀にある四阿のところでは、ハクセキレイさん。このほか、今日は、シメも、ツグミも、モズもいませんでした。シメやツグミは、まだそれほど数が来ていないのかも知れません。貝塚公園では、ヒヨドリくらい。最近、あまり鳥がいないのですが、そのうちシロハラも来るでしょうし、モズも来ますから、散歩コースからは外せません。

Img_9496c_20191119183901  内堀公園を通ってから、桑名市博物館へ行ってきました。冒頭に書きましたように、 10月26日から11月24日まで開かれて20191003085819_20191119195401 いる特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」を見てきました。伊藤小坡(いとうしょうは;明治10(1877)~昭和43(1968)年)は、明治~昭和の日本画家。伊勢にある猿田彦神社宮司宇治土公(うじとこ)貞幹の長女。文展や帝展に複数回入賞するなどして高い評価を受けた日本画家です。伊勢の猿田彦神社の近くに伊藤小坡美術館があります。桑名市博物館では、10年前にも展覧会が開かれました(2009年10月25日:リュート音楽と美人画……芸術の秋を堪能)。実はこの10年前の「伊藤小坡とその時代」展を見て、大袈裟にいうと虜になったのです(微笑)。個人的には、上村松園に負けず劣らずと思っています。それ故、今回の展覧会も見逃してはならないと思っていたのです。チラシはこちらに、また、出品リストはここにあります。今回の目玉展示の一つが、小坡が「文耕」を名乗り、画家として歩み始めた1897年から、師を変え、解明するまでの4年間に描いた可能性が高い「菊慈童之図(きくじどうのず)」です。5年前に京都の寺で発見され、今回初めて一般公開されています明治43(1910)年に檀家から奉納されたものだそうです。伊勢の伊藤小坡美術館にも一度は行ってみたいという思いを新たにしてきました。図録も入手してきましたので、またゆっくり楽しむことにします。

Img_9481c_20191119183901  桑名市博物館では、毎回の展覧会の時に、一点のみ写真撮影可のものがあります。今回は、「萬古 乾山写竜田川菓子鉢(ばんこ けんざんうつしたつたがわかしばち)」です。尾形乾山の作品を元に、加賀月華(かがげっか;1888~1937)が制作した萬古焼の作品です。説明書きには、「水面に浮かぶ赤、黄、緑の紅葉は金彩で縁取られ、色鮮やかに描かれている。歌枕として知られる竜田川の紅葉を表した意匠」とありました。

Img_9406c  明日は、江戸橋での仕事。今日と同じような天気という予報。好天なるも、風強しだそうです。先日ゲットした単眼鏡(2019年11月15日:木曽御嶽山は冠雪、髙龗神社の祭礼……昨日ゲットしたものをお試し)を持って行くつもりですが、まずは、仕事に専念(微笑)。授業を大過なく終えられたら、志登茂川経由で江戸橋駅へと思っています。

 

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2019年11月18日 (月)

20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(その1)……多気駅をスタートし、伊勢本街道を歩いて、常夜燈、金粒丸の商家太好庵、金粒丸の巨大看板を見た後、立ち寄るところもなく2㎞以上をひたすら歩く

191110jr  11月10日に参加したJRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」の本編です。いくつものハイキング・ウォーキングに参加し、記事が滞り気味です(苦笑)。まぁ、仕事ではありません。遊びですから慌てる必要はないので、ゆっくりとやっていくことにしましょう。

 この日、JRさわやかウォーキングに参加したのは、一つには、行動範囲を広げたいと思ったからです。これまでのハイキング・ウォーキングでは、三重県中南勢地域は、松阪、明和、伊勢しか行っていません。多気駅は、JR紀勢線で松阪から2駅先。未知の領域なのです(昔、車で通過したことは何度かありますが、訪ねたことはなかったのです)。もう一つは、この日参加すると、さわやかウォーキングのスタンプが10個目となり、賞品をいただけるという、いささか不純な動機から。

Takilocation  多気駅は、三重県多気郡多気町にありますが、どこ? と思われる方も多いかも知れません。最近の伊勢参りの近鉄ハイキングで訪ねている、松阪、明和、伊勢のエリアも含めて地図を示すと、左のようになります。松阪市の南に位置しています。紀州に向かう国道42号線、JR紀勢本線と、伊勢に行く伊勢自動車道、伊勢自動車道から勢和多気インターチェンジで分かれる紀勢自動車道が通っていますし、旧街道では、この日歩いた伊勢本街道、和歌山別街道、熊野街道なども通っているという交通の要衝です。

191110jrwalkingtaki  この日もまた絶好の行楽日和、ウォーキング日和でした。前日の近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」に続いて、です。実際に歩いたコースは、左のマップの通り。多気駅をスタート・ゴールとして、多気町内約9.7㎞を歩きました。途中、2回に分けて伊勢本街道をわずかではあるものの、歩きますし、倭姫命ゆかりの相鹿上神社(おうかがみじんじゃ)や、伊勢本街道・相可の道標などをみてまわり、おいないまつりにも立ち寄るというコース。コース前半と後半は、まさに「晩秋の田園風景」でしたし、伊勢本街道を歩くのも楽しみでした。

Img_7484c  受付は、JR紀勢線・多気駅で多気駅で8時半から11時の受付。電車の時刻、運賃をいろいろと調べ、結局、ちょっとインチキなのですが、松阪までは近鉄名Img_7506c 古屋線で行き、松阪でJR紀勢線に乗り換えることにしました。JRで行くのであれば、もっとも便利なのは、特急「南紀」に乗るか、快速みえを利用するかです。これなら1時間ほどで桑名から多気まで行けますが、特急では、運賃1,380円+特急指定席1,410円。普通を乗り継いでいくとなると、いったん亀山まで関西線で行き、紀勢線に乗り換えて、乗車時間だけで2時間近く。ということで、桑名を7時52分に出る宇治山田行き急行に乗車。松阪には8時54分に到着。JR紀勢線の伊勢市行き普通電車が、9時24分にありました。松阪から多気までは2駅、¥200。9時35分着。途中の停車駅は徳和。徳和駅は、この10月27日の伊勢参りの近鉄ハイキングですぐそばを通っています(20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編))。

Img_7536c  こちらがスタートの多気駅。切符の自動販売機はなく、出札窓口がありました。それに、ICカードはまだ利用できません。Img_7533c が、JR紀勢線と参宮線が分岐する駅で、快速みえや、特急南紀も停車します。明治26(1893)年12月に参宮鉄道が津駅~宮川駅間で開通した時に相可駅(初代)として開業しています。紀勢線は、大正12(1923)年3月に、紀勢東線が栃原駅まで開通し、相可駅(2代目)が開業したことにより、相可口駅に改称。さらに、昭和34(1959)年7月、多気駅に改称しています。

Img_8114c  紀勢本線は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至る鉄Img_8107c_20191110214201 道路線ですが、全通したのは、昭和34(1959)年でした。したがって、今年が全通60周年です。ゴールしたとき、その記念絵はがきをいただきました(右の写真)。

191110jrwalkingtaki1  前置きが長くなりました。多気駅をスタートしたのは、9時40分。紀勢線Img_7544c_20191110200001 に沿って南に進みます。このあたり、まさに田園地帯を行くという感じ。1㎞ほど、ほぼ直進すると、伊勢本街道に行き当たります。このあたりの伊勢本街道は、ほぼ東西に通っています。

Img_7565c_20191110200601  左の写真は、伊勢本街道に入るところ。ここを右折し、奈良方面に向かう道を歩きます。西に向かっていくのです。伊勢本街Img_7570c 道のマップを見ると、この先にはお寺が多いと書いてあります。

Img_7576c  スタートから1.4㎞ほどのところに「西池上(にしいけべ)の常夜燈」があります。天保15(1844)年に建立されたもの。高さ2.8m、笠が遠景につくられ、裏側には石段が設けられています。石段は、灯りを灯すためのものと思われます。時々石段があるものを見かけます。正面には「常夜燈」、裏には「石工根来宗和」、西側には「天保十五年辰五月日」と彫られていました。

Img_7584c_20191118173201  常夜燈の手前には、龍華院という天台宗のお寺がありました。ネットで調べてもこれという情Img_7587c 報は出てこなかったのですが、ちょっと珍しい光景を目にしたのです。車でやってこられた男性が「陸軍歩兵一等卒小竹○○」と彫られた石碑に花を飾り、拝んで行かれたのです。いずれかの戦争に従軍され、戦死なさった方の碑ではないかと思います。この方のご子孫なのでしょうが、今もこのように供養されていることに感心したのです。ちなみに後で調べたら、この門前に「岩内観音」への道標があったというのですが(こちら)、予習が足らず、また、気づきもしませんでした。残念。

Img_7593c  その先、瑞泉寺という浄土宗のお寺の手前には、「商家太好庵(たいこうあん)」があります。白壁、荒格子の商家です。ここは、江戸で大きな富を得た金粒丸(きんりゅうがん)の太好庵があったところ。ここは江戸時代、「金粒丸」という薬を製造販売していました。参宮土産に大人気だったそうです。伊勢朝熊の「万金丹(まんきんたん)」と同じく、胃腸、腹痛など万病に効くという丸薬でした。太好庵は、寛永年間に江戸芝神明町に薬店太好庵を出し、明治時代末まで反映したそうです。金粒丸は、もともと、伊勢国司・北畠氏の家臣だった太好庵村林家の先祖が、北畠材親(きちか)の代(1508~11年)に戦で手柄をあげた褒美に漢方薬製法の書き付けをもらい、御薬種奉行をつとめ、西池上の地で代々この秘法を伝えたといいます。

Img_7598c  太好庵のすぐ西には、随泉寺という浄土宗のお寺がありました。ネット検索ではここも、これという情報はなかったのですが、商家太好庵が建立した私仏堂だそうです。門は新しくなっていましたが、お堂はかなり古いものでした。

Img_7607c  随泉寺の少し先、スタートからは1.6㎞を過ぎたあたりに、金粒丸の大きな縦看板が掲げられたところがありImg_7608c ます。ここは、明治の末、村林家から金粒丸を譲り受け、販売した西村家。看板は、欅(けやき)製で、上方に唐破風つきの屋根がある立派なもの。江戸時代につくられ、多気町の文化財になっています。高さ197㎝、幅58㎝で、「本家勢州神山薬師前いけへ村 御免きんりうくはん 江戸芝神明町分家之外無類大好庵店」と刻まれています。看板の文字「きんりうくはん」は儒家・三谷蒼山の筆と伝わっています。いや、しかし、こんな立派な看板はなかなかありません。スタートから2㎞足らずでいろいろと面白いものを見られました。

Img_7601c  伊勢本街道沿いですから、昔の建物もけっこう残っていました。ここへ来Img_7603c_20191118180901 るまでに目についたものを載せておきます。

Img_7616c_20191110202101  2㎞を過ぎて、佐奈川を池上橋で渡りまImg_7626c_20191118181201 す。この写真で、伊勢本街道は橋を渡って直進するのですが、この日のウォーキングコースは、多気町役場に向かうため左折していきます。伊勢本街道からはいったん離れます(あとで、また伊勢本街道を少し歩きます)。

Img_7623c  池上橋のあたりから南を見たら、風力発電用の風車が20基ほど見えました。愚息に確かめたら、度会町日の出の森あたりにあるコスモエコパワーという会社の「度会ウィンドファーム」の風力発電用風車だそうです。2,000Kw級風車が25基設置されています。

191110jrwalkingtaki2  この先、4.3㎞ほどのところにある「六角堂(旧多気郡役場)」まで立ち寄るところはありません。アップダImg_7644c ウンを繰り返しながら、多気に誘致された工場地帯の脇をひたすら歩いて行かねばなりません。歩く道の片側は山と森、もう一方は工場で、さほど見るところもなく、アップダウンを繰り返しながら2㎞以上歩くのは、けっこうしんどい(苦笑)。

Img_7638c  3.3㎞で国道42号線の勢和多気バイパスに出ます。左の写真で、画面外になりますが、向かって左手にはImg_7647c 「相可台」という大きな住宅団地。そのさらに向こうは、紀勢線・相可駅。写真を撮っている背後にシャープ三重工場。シャープの工場に沿ってバイパスを下ること600m。その間、左手はずっとシャープの工場。ここは1995年に操業し、液晶ディスプレイパネルの開発・製造を行っています。敷地面積は、344,000m²という巨大なもの。3.9㎞を歩いて、相可一区の交差点まで来ます。ここを右折して、多気町役場や、六角堂そしておいないまつり会場へ。

 キリが良いので、その1はここまで。その2は、六角堂を見学して、いよいよおいないまつり会場へと歩を進めます。

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「あの~、いったい何をしてみえるんですか?」……シメも登場しました

Img_0137c  最近、あまり聞かれなくなっていたのですが、今日は、久しぶりに九華公園でタイトルのように聞かれました。鳥を見て、写真を撮っていたら、私よりやや年上かと思われる男性からです。カメラ2台を持って、あちこち見回り、時々立ち止まっては何かの写真を撮って、メモを書いているのですが、「不審人物」そのものです(苦笑……自覚は十分あります)。この男性、犬を連れて散歩に来ていらっしゃいますが、これまで何回かすれ違って挨拶だけは交わしていた記憶があります。どうも、私が野鳥を見てるということには、うすうす感ずいていらっしゃって、声をかけてこられたようです。

Img_0039c   お住まいの近くの川にくるアオサギや、田んぼに白いサギが来るのをご覧になって、いろいろと気になることがおありだったそうで、質問攻めとまでは行きませんでしたが、いくつかの疑問を聞いてこられました。私でも応えられるものでしたので、その点はよかった、よかった(微笑)。さらに、冬の渡り鳥のことや、九華公園でもカワセミが見られることをお話ししたら、「是非見てみたい。写真も撮りたい」ということでした。鳥見仲間が増えていくのは、喜ばしいこと。

Img_0012c_20191118132601  その他のエピソード。今日は、シメが登場しました(リンク先で鳴き声が聞けます)。シメも好みの鳥。見つけたのは、三の丸公園。ソメイヨシノの木のてっぺんあたりから、聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきたのです。今日のところは、この1羽のみ。枝かぶりの1枚ですが、やむを得ません。

Img_9169c  さて、今日の散歩は、8時10分から11時過ぎまで、3時間近く。いつものコースですから、時間が長いのは、例によってしゃべってばかりいたからです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、寺町と5.4㎞。左の写真は、住吉神社の前から揖斐川の上流方向を見たもの。初めはちょっと寒かったのですが、予報通り南の風で、後半は汗ばみました。

Img_0027c_20191118132601  九華公園の鎮国守国神社社務所裏にアオサギだけでなく、ゴイサギもいたと知人から聞いて、楽しみにして行きました。2枚目の写真のように、アオサギはいました。堀にいたのですが、近づいたら樹上に逃げました。その他、社務所裏の方に、ホシゴイが1羽。時折、堀を覗き込んでいました。知人は、ゴイサギが魚を捕っているのを見たといっていました。このホシゴイかも知れません。

Img_0052c_20191118132701  管理事務所近くで管理人さんたちと話していたら、シジュウカラがやって来ました。このほかには、カワラヒワ、ハシブトガラス、ドバト、ヒヨドリ(きわめて多数)、カワウなど。奥平屋敷跡は、今日は、シルバー人材センターの方たちによって清掃作業(週3回、月水金)。草刈り機やブロワーを使用しますので、ものすごい音と土煙。鳥はいません。

Img_0073c_20191118132701  カモは、いつものように、公園内の堀、だいたい4個所に分かれています。合計72羽。ハシビロガモのオスが6羽、メスが6羽。ヒドリガモはオス1羽にメス3羽、ホシハジロはオス1羽に、2羽。それ以外はキンクロハジロと、ほぼ例年通りのメンバーと数。

Img_0119c  このあと、もう一度、鎮国守国神社の社務所裏へ行ってみたら、驚き! ゴイサギ、ホシゴImg_9246c イがゾロゾロとは行きませんが、4羽。ゴイサギ3羽にホシゴイ1羽。しばらく見られなかったのですが、いなかったのか、見えないだけだったのか、またよく分からなくなりました。

Img_9256c_20191118132701  ゴイサギたちを見ていたら、ツグミの鳴き声。相撲場近くの樹上にいました。遠かったので、証拠写真。鳴Img_0133c き声は2個所から。このあと、公園の外周遊歩道の東側で、ジョウビタキのメスが出て来ました。ちょっとだけ、挨拶に来たような感じ。撮れたのは、右に載せた写真1枚のみ。

Img_0135c  九華公園の朝日丸跡の石垣が崩れているところ、だんだんとひどくなっています。向かって左側の辺り、雨が降るたびに崩れて行っていると思えます。管理事務所から市役所にはたびたび連絡しているようですが、今のところ対応はされていないそうです。九華公園は、桑名城跡として史跡にしていされていますから、手続きが面倒なのでしょうか。

Img_0095c_20191118132701  オマケ。毎年恒例の「なんちゃって紅葉」であります。部分的に、撮影場所とアングル、撮影範囲を選ぶとそれなりの写真にImg_9225c なります(苦笑)。ネタばらしをして、もっと広い範囲で撮ると右の写真。鎮国守国神社の境内なのです。右の写真で向かって右側にあるのは、ドウダンツツジ。

Img_9223c  もっとバラしてしまうと、左のような写真の中の一シーン。実は九華公園内、楓の木はあまり多くありません。鎮国守国神社のほかには、朝日丸跡と、管理事務所近くにあるくらい。

Img_9264c  相談会は無事終えられました。12月にまたお二人を予定していますが、まだ資料が届きません。まずは、昨日の方の報告書を仕上げねばなりません。そして、12月にはとある研究会で研修を担当しなければなりません。そちらについては、おおよその構想を立てたのみ。1ヶ月あまり先ですが、そろそろ着手しないと。写真は、我が家から見下ろした諸戸氏庭園の大イチョウ。色づいてきました。

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2019年11月17日 (日)

20191109近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」へ(その2)……長島町内の近鉄遺構を見て、近鉄長島駅へゴール(完)

 11月9日の近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」、その2です。記事が滞ったまま、翌・11月10日には、JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」、さらに昨日(11/16)には、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」に参加しています(苦笑)。後先のことを考えず、欲求の満足を優先しているかも知れません。精神分析でいうと、エス(イド)が相対的に強くなって、我慢なしになってきたのかも知れません(爆)。

191109kintetsuhikingyatomi2  さて、冗談はともかく、この日のハイキング記事、弥富市から桑名市長島町にかかる尾張大橋を渡るところまで書きました。今Img_7191c 日書く範囲の実測ルートマップは、こちら。その1では、県境を越えるところまで来ましたが、三重県に入って振り返ると、右のように「愛知県 境」という表示になっています。

Img_7195c_20191117073201  橋の途中で足下を見ると、左の写真のようになっています。やはりちょっとビビりますねぇ。Img_7201c_20191117073001 尾張大橋も、伊勢大橋も、その構造上、揺れるようにできているのだそうで、大型車が通過すると揺れて余計に怖くなります。長島町内に近づいたあたりにダイサギやカモの姿が、下流側に見えます。カモは逆立ちしていますから、コガモかという気がします。

Img_7208c_20191117073001  全長878.8 mの橋を渡り終えます。約15分。前回も書きましたが、これで今年、伊勢大橋に続いて、尾張大橋も徒歩にて制Img_7212c_20191117073001 覇。木曽三川を歩いて渡りました(微笑)。右は、渡り終えて、桑名市長島町に入ったところ。余談ですが、車で愛知県方面に出かけ、国道1号線で帰ってくるとき、ハンバーガー屋さんの大きな看板が見えると、「あぁ、帰ってきたな」と思うのです。

Img_7216c  前の写真で右端に大きな木が写っています。その根元にはこんな石碑が建っています。正面に「東海道」とImg_7225c 彫られているのですが、本来の東海道は、名古屋・熱田の宮の渡しから、桑名・七里の渡しまで海上七里のコースでした。その他、脇街道として佐屋街道がありました。しかし、佐屋の湊が佐屋川の川底が浅くなって、その機能を失ったため、明治5(1872)年、太政官布告では、脇往還であった佐屋街道に代わり定められたものです(こちらを参照)。弥富の「ふたつやの渡し」から、このあたりにかけては渡し船を利用したと思われます。この石碑の右には、「明治廿六年四月一日」とあると読めます。碑陰には「伊勢国桑名郡長島」、左には「明治廿五年四月一日 為国道」とありますので、太政官布告を受けて建てたものと思われます。弥富(前ヶ須)が宿場になり、水上交通が盛んになり栄えたのですが、昭和8(1933)年に尾張大橋がかかると、渡船はその役目を終え、廃止されたそうです。右の写真は、尾張大橋を渡り終え、弥富方向を振り返って撮ったもの。ここで3㎞、時刻は11時少し前。

Img_7262c_20191117173001  長島町内に入って、国道1号線の下を潜って長島運動公園に向かいます。長島運動公園は、木曽川右岸の河川敷に設けられてImg_7274c_20191117173201 おり、子ども用サッカーコート3面、大人用サッカーコート1面分の広さがあります。この日は、中学生か、高校生がサッカーの練習をしていました。

Img_7258c_20191117173301  またもや余談ですが、運動公園に向かって坂道を上がっていく途中、JRの架線にモズが来Img_7282c て鳴いていました。さらには、木曽川の中洲にはカワウ、アオサギ、カモメの姿が、中州の向こうには、キンクロハジロなどカモも見えました。近鉄ハイキングに来て、バードウォッチングまで楽しめるのは、お得感満載(微笑)。

Img_7266c_20191109214601  話が逸れました。運動公園近くの堤防から木曽川を見ると、先程弥富側から見たのと同じく、近鉄の旧橋梁のケーソン(橋脚の下に鎮められた潜)沈下点を示す古レールを利用した杭が並んでいます。JRの鉄橋に向かって左側です。実測ルートマップでは、④をつけたところから北東の方向を見ています。

Img_7280c  ここまで来て周りを見ると、一休みしている方が多数(4枚前の写真にも写っています)。そこで、私も腰を下ろして、休憩としました。さほど歩いたわけではありませんので、疲れたということではなく、つられてです(微笑)。コンビニで「小腹が空いたとき」に備えて買ってきたコッペパン。「つぶあん&マーガリン」です。こういうB級というか、しょうもないというか、そういう食べ物、好きですねぇ。お茶も飲んで、鳥を眺めて、10分ほど休憩。11時15分に再スタート。

Img_7312c  上ってきた坂道を下ります。上ってくるときにはあまり気にならなかったのですが、この坂道が、旧橋梁に続く築堤の跡のような感じがします(これは未確認、「近鉄の廃線を歩く」にも言及はありません)。この先、JR関西線に沿って進みます。付け足しですが、弥富で近鉄の旧橋梁のケーソンを見るために上った坂道も、もともとは旧線の跡だろうと思い至りました。

Img_7328c  4.1㎞あたりでJR関西線の高架をくぐった先に⑤の遺構があります。旧長島跨線橋の跡。ここで近鉄の旧線は、JRImg_7330c_20191117180601 関西線の上をまたいで、現在の近鉄名古屋線の線路につながっていたということです。

Img_7344c  左は少し先に進んで振り返って撮った写真。草木に覆われてしまってはいImg_6977c_20191117184401 ますが、ここを線路が通っていたことは十分に想像できます。右の写真は、往きの電車の中から撮ったもの。前3枚の写真とは違って、南側から撮っています。

Img_7357c  JR関西線と近鉄名古屋線の間を進んでいきます。スタートから4.4㎞あたりの小川のとこImg_7365c_20191117184701 ろ。この小川を渡る橋の橋脚の跡のように思えます(⑥の地点)。左の写真は、この小川の手前(東)側、右の写真は、川を越えた西側のもの。ここより少し長島駅側で現在の近鉄名古屋線の線路に合流したと思われます。

Kintetsuold_20191117194301  旧路線図を掲げておきます(「近鉄の廃線を歩く-懐想の廃止路線40 踏査探訪-」(徳田耕一著、JTBパブリッシング、2006年)からお借りしました)。原図が小さいので、見にくいかも知れません。近鉄弥富駅~近鉄長島駅の間で、弥富跨線橋、近鉄旧橋梁、長良跨線橋(とありますが、おそらく「長島跨線橋」の誤りではないかと思います)を見てきました。「近鉄の廃線を歩く」によれば、(仮)長島連絡線、長良川から揖斐川にかかる近鉄旧橋梁、旧揖斐川分岐、旧播磨側分岐、(仮)揖斐川信号場のところにもそれぞれ遺構があるようです。

Img_7391c_20191117191801  以上で、今日、コース設定された、見るべきところはほとんど見終えましたので、あとは、ゴールの近鉄・長島駅に向かいます。左は、近鉄長島Img_7407c_20191109215501 駅から弥富方向にある踏切。ここでスタートから4.6㎞。手前から歩いてきて、踏切で左折。踏切の先で右折を繰り返し、近鉄長島駅前広場にやって来ます(右の写真)。結構広いロータリーになっています。と初めて来たように書いていますが、実は、近鉄長島駅で乗り降りするのは初めてです。

Img_7413c  駅前広場で危うく見逃すところだったのが、「伊勢湾台風水位標」。伊勢湾台風に襲われたあと、当時の桑名郡長島町地内では、堤防が15ヶ所も決壊し、1ヶ月間は水没したままであったそうです。この水位標の上の部分にあるのが、伊勢湾台風の時の水位です。どのくらいの水位だったか、この水位標に記されていたかも知れませんが、確認をしてきませんでした。輪中の郷にも同様の水位標がありますが、そこでの水位は3.9mだったといいます。

Img_7415c  こちらが近鉄長島駅。11時35分のゴールイン。約5㎞を歩いてきました。スタートしたのは9時58分でしたから、途中10分の休憩を含めても、1時間37分は早い。まぁ、普段の散歩より短いくらいの距離ですから。この時間では食事にはやや早く、また、長島駅前には食事をするところはないようですので、昼ご飯は帰宅してから。長島駅、普段は準急と普通電車が止まりますが、なばなの里のイルミネーション開催期間中は、急行も臨時停車し、ここからなばなの里行きの三重交通のバスが発着します。11時48分に四日市行き準急がありましたので、それに乗って帰宅。桑名には11時52分に到着。¥210。今日の近鉄料金は、往復合計で¥470(微笑)。いろいろな意味で財布に優しいハイキングでした。

Img_7471c_20191110043601  ALKOOによる記録は、12,060歩。歩いたのがハイキングで5㎞、我が家から桑名駅往復が1.8㎞で、合計6.8㎞。普段の散歩Img_7301c に毛が生えたくらいですから、こんなもの。あみま倶楽部のスタンプはこれで30個を達成しました。

【付記】その1と同様に、当日配布されたコースマップにあった説明と、「近鉄の廃線を歩く-懐想の廃止路線40 踏査探訪-」(徳田耕一著、JTBパブリッシング、2006年)を参照しています。

 また、鉄道や、鉄道遺構に興味はあるものの、知識はさほどありません。勘違い、理解不足などがあると思います。お気づきの点がありましたら、是非ともご教示をお願いします。

【余談】 付記のあとに余談とは、屋上屋を架すようなものですが、ご容赦を。桑名駅は、JR、近鉄、養老鉄道とも改良工事が進んでいます。

Img_6969c  近鉄桑名駅の上りホームの様子(11月9日現在)。ホームの幅がかなり広げられました。以前の倍くらいになった印象。向かImg_6972c_20191117200101 って右に見える8番線は、線路も西側に移動しています。2階に設けられる自由通路(ここに改札口もできます)はできあがったそうで、さらなる工事が進んでいます。右の写真は、2階からホームに降りる階段の様子。大きな滑り台のような斜面がつけられ、そこにこれから「階段」が設けられるようです。

Img_7467c  もう1つ。この日、養老鉄道のホームを見たら、東急電鉄から導入された電車が止まっていました。東急7700系というのだそうですが、これは「緑帯」という愛称があるもののようです。あれこれ調べてみたら、11月6日に運用開始されたばかりのものと思われます(こちら)。新しい車両(といっても東急から導入されたので、中古なのでしょうが)、乗ってみたいですねぇ。

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相談会日和と、相談雑感

Dscn2072c  今日も好天で、日中は暖かくなりました。かねてからのお約束通り、名古屋にて10時から12時に相談会。いつものようにYさんにコーディネーターをお願いしています。すっかりお世話になってしまっています。朝は、ゆっくり行こうと、桑名駅を8時51分に出る名古屋行きの近鉄普通電車に乗車。近鉄名古屋駅には9時33分に到着。電車内で資料を確認したり、少し考えたりする時間が持てますから、これでちょうどよいという感じ。

Dscn2075c  名古屋駅から国際センタービルまでは、ユニモール地下街を歩いて行きます。桜通線に乗れば国際センター駅まで1駅ですが、Dscn2077c 桜通線の駅まで行って、電車を待っている間に歩いて行けます。用事がなければ名古屋に出て行くことはなくなりました。ユニモールは(どこもそうなのでしょうが)、クリスマスモードでした。まぁ、かなり以前からおせち料理の予約の話まで出ていますからそれも不思議ではないのかも知れませんが、そんなに急かさないでもらいたいと思います。そのうち、正月が済んだら、来年のおせちの予約とか、そういう話になるのではないかとさえ思えます。

Dscn2080c  相談はお二組。1時間ずつ。場所を借りる関係で、1回2時間に制限されるのです。親御さんから申し込みをいただきますので、親御さんがいらっしゃるのはもちろんなのですが、お子さんご本人が来てくださるのが、とても大切だと思っています。事前に資料をいただいていますので、それを読み込み、お子さんのイメージをある程度持って相談に臨みますが、これはあくまでも「仮説」。実際にお子さんにお目にかかり、話をして、その仮説を修正しつつ面談を進めます。親御さんにも説明し、お話をしますが、このようにお子さんに会って、お子さんとも話をするのが意味があると考えています。お子さんたちは、私に会いたい、相談したいと思ってきてくれるわけではないかも知れませんが、自分のことを分かろうとしている、少しは参考になる話をしてくれる大人がいると感じてくれるだけで、何かが変わってくると期待しているのです。さて、今日の面談ではどうだったでしょう?

Dscn2085c  相談会終了後は、いつものお約束で、国際センタービル25階にある中華料理・東天紅でランチ。今日は、山の幸膳をチョイDscn2089c ス。Yさんの他、以前お目にかかったお嬢さんとお母様、知人の支援員の方とご一緒。このお嬢さん、自分が変わってきたことを見て欲しかったのかなという気がしました(勝手な思い込みかも知れませんが)。美味しいものをいただき、あれこれおしゃべりしてあっという間に2時間も(微笑)。昔はそうでもなかった気がするのですが、私はどうもけっこうなおしゃべりのようです(苦笑)。

 帰りは、ユニモールにあるオリンピアで文房具を買って帰途につきました。近鉄名古屋駅14時26分発の四日市行き準急。準急ですと、蟹江まで止まらず、その先は各駅停車。桑名には、14時52分着。相談とランチの余韻を味わうのに最適な時間の長さ。

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2019年11月16日 (土)

20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(予告編)

Img_9019c_20191116175001  今日は、予定通り、近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」に参加してきました。タイトル通り、3月から12回シリーズで続いている伊勢参りハイキングの11回目。これまたタイトル通り、いよいよ豊受大神宮(外宮)参にお参りですので、「神領域へ」ということです。先週末の近鉄ハイキング、JRさわやかウォーキングの記事の本編が滞ってはいますが、今日はこちらの予告編。冒頭の写真は、豊受大神宮正殿。

Img_8476c  受付は、近鉄山田線・斎宮駅で9時半から11時。桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時24分に到着。9時29分発の賢島行き普通に乗り換え、斎宮駅には、9時53分到着。¥1,090。1時間半は、乗り応え十分でした(苦笑)。

Img_8471c  いつものようにコースマップを受け取り、あみま倶楽部のスタンプを押してもらいます。今日は、斎宮駅(南Img_8475c 出口)を出てまずは、竹神社(ここは、6月の斎王まつりで来ています)、有明六地蔵、転輪寺、宮川・桜の渡し跡から、播田屋・浦の橋店を経て、伊勢街道と伊勢本街道が合流する筋向橋、さらに小西萬金丹の店を見て、いよいよ豊受大神宮(外宮)にお参りします。コースでは、式年遷宮記念せんぐう館に立ち寄って、山田線・宇治山田駅がゴールという、マップ上約13㎞のコース。さすがに「健脚向け」となっていました。

191116kintetsuhikngsaiku  実際に歩いたルートマップ。斎宮駅は三重県明和町にあります。そこから、近鉄の駅数でいうと6駅分歩いて(明星、明野、小俣、宮町、伊勢市、宇治山田)、伊勢市にある宇治山田駅がゴール。実際に歩いたのは、14.3㎞でした。朝はやや寒かったものの、日中は暖かく、汗も掻き、けっこう疲れました。

Img_8495c_20191116180001  斎宮駅を出て、伊勢街道に入ってすぐに竹神社があります(スタートから500mほど)。明治44(1911)年、旧斎宮村にあった25社の神を合祀して誕生Img_8509c した神社です。元は竹川の古里にあったのですが、明治時代に野々宮が祀られていた現在の場所に遷りました。この周辺からは平安時代の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘されたため、斎王の御殿があった場所ではないかといわれています。御祭神は、長白羽神天照大御神建速須佐之男命他9柱。6月2日に来たとき、拝殿に向かうように立っている石垣が気になっていました。今日は、宮司さんも、氏子の方もいらっしゃったので、伺ったのですが、何であるか分からない、結論が出ていないということでした。「蕃塀」かも知れませんが、ここは、もとは斎宮城があったところでもあり、それにまつわるものかも知れないということで、残念ながらその正体は明らかにならず。

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 1.2㎞あたりに「有明六地蔵」があります。室町時代後期の「六地蔵石幢(せきどう)」で、総高194.5cm、石質は砂岩。「永正(えいしょう)十癸酉(みずのととり)(1513年)」に「永春によって先祖供養のために建てられた」と碑文にあるそうです。廃寺跡の公民館敷地に立っています(地蔵院跡という標柱があります)。斎宮は神領であったため、明治初年の神仏分離令によりほとんどの寺院は廃せられたといいます。

Img_8571c  スタートから2.2㎞のところに長松山安養寺があります。臨済宗東福寺派のお寺。東福寺の九世で伊勢出身という癡兀大慧(ちこつだいえ)によって永仁5(1297)年に建立されました。その最盛期には、「百間四方の境内の周りには堀が巡らされ、Img_8598c_20191116181901 その中には多くの堂塔が立ち並ぶ大寺院であった」といい、京の五山に準ずる格式の寺だったといいます。このお寺は、蒲生氏郷の伊勢街道付け替えと参宮者の激増にともない、四十五世笠雲寂仙(1661)、四十六世海会寂印(1680)により現在地に再建されています。その後、門前に明星茶屋がつくられ、湯茶の接待が行われたそうですが、この寺の裏にある井戸水は「明星水(あけぼのの井)」と呼ばれ、浄めの茶として参宮客がのどを潤したといいます。

Img_8623c_20191116183201  近鉄明星駅近くまで来たのは、10時50分過ぎ。1時間かけて3.1㎞を歩いてきました。ここに真宗高田派の明星山轉輪寺があImg_8646c_20191116183201 ります。文明13(1481)年の開創。ご本尊の阿弥陀如来は室町末期のもの。現在の庫裏は、元本堂で江戸初期、本堂は天保年間の再建です。表門は田丸城内から、南門は松坂城から移築したと伝えられています。立派なお寺で、伺ったところ、天保2(1831)年に本山の御通所(おかよいしょ)となり、代々の法主が参宮されるときの休泊所となり、中本山としての役割を果たしていたお寺だそうです。

Img_8664c_20191116184001  明星郵便局を過ぎ、スタートから4.7㎞地点に道標があります。「従是外宮二里」と彫られています。嘉永6(1853)年の建Img_8693c 立。さらに1㎞ほど行くと、「徳浄上人千日祈願の塔」があります(右の写真)。昔、一人の僧がここ明野の庚申堂を霊場(根城)にして修行していたのですが、天保の頃、大飢饉に見舞われたとき、この僧が村民の窮状を救わんとして伊勢両神宮に千日の間、村民の無事息災を祈願して素足で日参されたといいます。その後、明野村は疫病などもなく平安に暮らすことができたそうです。この僧を徳浄光我上人といい、その徳を称え建立したもの。満行は、天保7(1836)年3月29日とあります。

Img_8725c_20191116185301  このあとは、今日の楽しみの一つ。スタートからは6.3㎞ほど、時刻は、11時40分頃とちょImg_8728c うどよい頃合い。私の大好物である「へんば餅」を売っているへんばやさんに到着。ここが本店。伊勢街道の最終の宿場である小俣宿にあります。「へんば」は、「返馬」。安永4(1775)年)に9代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け餅を商い初めました。当時駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店で休み、ここから馬を返し参宮したため、何時からかへんば(返馬)餅と名づけられたといいます。

Img_8736c_20191116185301  へんばや本店には、30数年前に1度だけ来た記憶があります。せっかく本店に来たのですから、へんば餅を味わっていくことImg_9150c_20191116191701 に。米粉を用いた餅で、独特の食感があり、両面に焼き色がついています。香ばしく、口溶けもよく、こし餡はまろやかな甘み。堪りませんねぇ(微笑)。へんば餅2個に玄米茶がついて、¥160。昔の旅人気分を満喫。さらに、今日は大盤振る舞い。へんばやさんの隠れた名物である、赤飯弁当(一合少々で¥450)と、昆布の佃煮(120gで¥500)を土産に買ってきました。

Img_8823c_20191116195701  へんば餅を味わい、小腹も満たせ、再び旅人になり、歩き続けます。相合川を渡り、7㎞を過ぎ、さらに外城川も越え、小俣Img_8826cの町に入り、スタートから9㎞の手前で宮川・桜の渡し跡に来ました。伊勢神宮の神領の境界であり、神域に入るための禊をする神聖な川でした。かつて伊勢街道はこの川を船で渡ったのですが、大和・紀州方面からは柳の渡し(上の渡し)、京や東国方面からは桜の渡し(下の渡し)を渡りました。春には、桜が美しく咲き、茶屋が並び、御師の出迎えの看板が林立したそうです。また、めでたく参宮を終えて買える伊勢請うの人々を送る道中かも響いたところです。

Img_8861c_20191116200501  この桜の渡し跡の少し上流で、宮川橋を渡って宮川を越えます。ほぼ9㎞地点で宮川橋を渡り始めます。写真で向かって左側にあるのは、JR参宮線の鉄橋。参宮線は、先日のJRさわやかウォーキングで訪ねた多気駅(紀勢本線との分岐)から鳥羽駅までのJR東海の路線。その名の通り、伊勢神宮への参詣路線として明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業した路線です。現在は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もともと亀山駅~鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されました。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和45(1970)年に近鉄鳥羽線が開業すると乗客は激減してしまいました。

Img_8902c_20191116201201  宮川を越えると、いよいよ伊勢に来たという感じがしてきます。JR参宮線の山田上口駅近く、スタートから10.5㎞ほどのところに道標があります。「茶屋の道標」です。文政5(1822)年の建立。「すぐ外宮江三十三丁半 内宮江 壱里三十三丁半」と彫られています。

Img_8940c  13時少し前、スタートからほぼ11キロを歩いて、筋向橋に来ました。かつての伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道の合流地がここです。現在は、ここの清川(宮川の支流)は暗渠になっていて地上には欄干のみが残っています。この欄干は、嘉永2(1849)年のもの。元はもう少し北にあったといいます。江戸から伊勢までの距離は、日本橋から、ここ筋向橋までの距離を測ったそうです。もと、道筋と橋の板がすじかいになっていたからこの名があります。古くは反り橋だったのですが、大正4(1915)年から平橋になり、昭和3(1928)年からはコンクリート橋になっています。

Img_8957c  この筋向橋の近くに、次の立ち寄りスポットである播田屋浦の橋店があるのですが、見つけられずウロウロ。信号待ちの間Img_8960c に気づいて、立ち寄って、名物の「絲印(いといん)煎餅」を買ってきました。今日は、ハイキング特典として500円以上買うと、丸ぼうろをいただけたのですが、私が買ったのは絲印煎餅の5包み入り、¥250。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を使い、薄焼きにした煎餅で、表面には絲印の印影が焼きつけられています。明治38(1905)年、天皇陛下の伊勢神宮ご参拝に際し、献上菓子として創られたもの。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のことで、小さな鈕(ちゅう)のついた印だそうです。上記のリンク先に写真があります。

Img_8977c  コースに戻って、11.7㎞あたりに、小西萬金丹の店が残っています。萬金丹(まんきんたん)は伊勢国(三重県伊勢市周辺)Img_8970c で伝統的に製造販売されている漢方薬で、主に「野間の萬金丹」「護摩堂明王院に起源する萬金丹」「秋田教方中倉萬金丹」「小西萬金丹」の4つがあったのですが、このうち、21世紀の現在も製造・販売を継続しているのは小西萬金丹のみです(製造は県外に委託)。600年の歴史をもつ伊勢の伝統薬万病に効く、お伊勢さんの霊薬とされます。荷物にならず、しかも実益ある薬ということで、 お参りの土産物として萬金丹は大人気でした。武士が腰に下げていた印籠の中にも萬金丹が入っており、懐中薬の代表でもあったようです。江戸時代には旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっていたといいます。配合されている生薬は、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。

Img_9030c  さぁ、いよいよ豊受大神宮(外宮)に着きます。スタートから12㎞あまりです。時刻は、13時20分になります。豊受大御神Img_9019c_20191116175001 を祀っています。豊受大御神は、内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)であり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。去年12月に来たときには、正宮の他、別宮など境内にある神社すべてをお参りして回りましたが、今日は、正宮のみ。

Img_9026c_20191116201601  お参りを済ませてから、神札授与所へ立ち寄りました。来年、令和2年の神宮暦が出ていれば、授けていただこうImg_9047c と思っていました。去年は、初めてでしたので2種類をいただいてきましたが、今年は小さい方のみ。初穂料は、¥200。日の出や満潮時刻など天体と気象に関する身近な情報や農事情報をまとめた暦で、私が普段使うには、これで十分。

Img_9033c  式年遷宮祈念館・せんぐう館も立ち寄りスポットになっていましたが、今日は、休憩所から勾玉池を眺めてきただけ。ここでもう13時半を回っていました。宇治山田駅でゴール受付が設置され、参加証のマグネットがもらえるのは、14時半まででしたので、せんぐう館はパス。昼ご飯もパスして、歩きます。

Img_9087c_20191116201601  13時55分、無事に宇治山田駅にゴールイン。14.3㎞とよく歩きました。小俣町にある気象データを見ると、最高気温Img_9145c_20191116201601 は、19.8℃。便利なのか、手間がかかっているのか定かではありません。今日もまた、参加証のマグネットをいただきました。いや、けっこう汗を掻いて、疲れました。当初は、宇治山田駅で伊勢うどんを食べようと思っていたのですが、あいにく駅コンコースにはうどん屋はなく、また外に出て、駅前の商店街に行く必要があるようでした。ちょっと残念なのですが、今回は、断念。

 Img_9101c_20191116201601  さすがにこれだけの距離を歩いてくると疲れます。気温も、この時期にしては上昇し、汗を掻いたくらい。それで、疲れてしまい、帰りは大Img_9121c_20191116201601 盤振る舞いの続きで、近鉄特急に乗車することに。直通の名古屋行き急行が出たばかりだったというのもあります。14時14分発の名古屋行き特急に乗車。久しぶりにビスタカーの2階座席。運賃は¥1,220、特急料金が¥1,340で、合計¥2,560。桑名には15時19分に到着。

Img_9130c  今日であみま倶楽部のスタンプは31個目。12月中に40個を達成するのは、難しそうですが、できるだけ記Img_9140c 録を伸ばします。ALKOOのデータは右の写真のとおり。26,332歩。生活リズム計よりもやや多めになります。ハイキングで歩いた14.3㎞に、自宅から桑名駅の往復1.8㎞を加算すると、今日の歩行距離は16.1㎞でした。

 本編は、もう少し先になるかと思います。先週の近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く」と、JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」の記事が終わってからです。

 明日は、午前中に名古屋国際センタービルで相談会を催します。

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2019年11月15日 (金)

20191109近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」へ(その1)……弥富駅を出て、3個所の近鉄旧名古屋線の遺構を見て、尾張大橋へ

Img_6992c_20191109205101  11月9日の近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」の記事、「超予告編」を書いてから、放置してありました。ひとえに私が多用であるためですが、あくまでも私にしては多用ということで、世間の皆様から見れば、さほどでもないはず。現役当時なら、マルチタスクは何とも思わず処理していたと記憶しているのですが、最近はすっかり処理能力が低下しています。超予告編には、「もろもろ用事があり、時間的な制約がありますので、今日のところは「超予告編」。明日以降、順次、本編を書きますが、マジメに取り組めば2回くらいで終えられる気がしています」などと無責任なことを書いていて、お恥ずかしい限り。冒頭の写真は、この日のコースマップ。

Img_6967c  この日は、絶好のハイキング日和でしたので、予定通り、近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」に行ってきたという次第です。前日の記事に書きましたように、このあたりの近鉄名古屋線は、伊勢湾台風で甚大な被害を受けました。しかし、それを契機に、準備中であった狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌工事を一気に行ったのです。それ以前、名古屋線は狭軌であり、大阪線・山田線などは標準軌でしたから、名古屋~大阪間の直通客は、途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていました。名古屋線改軌はかねてから計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進んでいたのです。昭和34(1959)年9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の佐伯勇社長の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で、当初の計画を前倒しして実施されたのです。もっとも手間のかかる枕木の交換作業などの準備が前もってかなり進んでいたこと、また、架け替え工事中であった揖斐川・長良川・木曽川の各新橋梁は当日落成した上、台風で致命的な被害を受けずに済んだという幸運もあって、被災からわずか2か月後の昭和34(1959)年11月27日に名古屋線および神戸線(現在の鈴鹿線)の工事が完了したのです。この日のハイキングでは、近鉄弥富駅~木曽川橋りょう間にある、当時の国鉄関西本線(現在は、JR関西線)をクロスオーバーしていた橋の遺構と、桑名市長島町内にある国鉄関西本線を乗り越えるための築堤の一部やそこにあった架道橋の橋台、木曽川に残る旧橋梁橋脚跡などを見て回って来ました。

Img_6999c  受付は、近鉄名古屋線・弥富駅で10時から11時と、なぜかいつもより30分遅れのスタート。朝は、少し仕事をしてから、桑Img_6990c 名駅を9時36分に出る名古屋行き普通電車に乗車。弥富は2駅目で、9時44分に到着。¥260。コンコースは大賑わい。今日のハイキングは、名鉄タイアップ企画ということでしたから、参加者が多かったのでしょう。受付も早めに始まり、コースマップを受け取ってスタートしたのは、9時58分。

191109kintetsuhikingyatomi  こちらが、実際に歩いたルート。近鉄弥富駅をスタートして、JR関西線・弥富駅前に出て、関西線沿いに木曽川まで進みます。ここまでで3ヶ所の鉄道遺構を見て、尾張大橋を渡るのです(鉄道遺構は、見てきた順に丸数字で示してあります)。今年は、伊勢大橋も徒歩で渡りましたので、これで、両方の橋を徒歩にて制覇できます(微笑)。尾張大橋を渡ると、桑名市長島町。愛知県と三重県を歩いたことになります。長島運動公園から線路沿いに歩いて、近鉄長島駅へ。長島町内でも3ヶ所を見てきます。近鉄ハイキングのサイトでは約8㎞とありましたが、コースマップには約5㎞と書かれていました。実測しても、ほぼ5㎞。毎日の散歩くらいの距離。

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 あまり広い範囲でないので、詳しい実測ルートマップを載せるまでもないかも知れませんが、左の画像が前半部分です。弥富駅を出て、木曽川にかかる尾張大橋の途中までのマップです。

Img_7006c_20191109210101  近鉄名古屋線・弥富駅とJR関西線・弥富駅はほぼ100mほど離れているだけです。近鉄弥富駅をスタートして北西へ細い道をImg_7009c 歩いて行きます。すぐにJR弥富駅の前を通過します。ここからはしばらくJR関西線の線路のすぐ南の道路を歩いて行きます。

Img_7012c_20191114212101  弥富駅から長島駅方向に工事用車両が留置してありました。「09-16 CSM」、「Plasser & Theurere」とあります。調べてみたら「連続作業マクラギ1丁突きマルタイ(マルチプルタイタンパー)」という車両のようです。そういえば、個人名を挙げさせてもらって恐縮なのですが、ブロ友のTAKUさんのブログで「マルタイ」というのを見た記憶があります。鉄道の保線用機械の一種で、車輛ではなく機械の扱いなのだそうですが、これが優れものでした。レールの上を自走し、レールのゆがみを直したり、枕木の下に砕石を敷きつき固めて行ったりするのだそうです。歪みの修整については、レールをつかんで持ち上げ、ミリ単位で補正できるといいます。

Img_7018c_20191114213001  スタートから700mあまりで、最初の鉄道遺構に到着します。実測ルートマップに①と記した地点。左の写真では、前方に見Img_7024c える森のように、木が生えているあたり。旧線は、弥富を出て長島方向に進むとき、現在の線路と分かれて築堤上を進んでいたといいます。その築堤に残る架道橋のあとがここです。下に道が通っており、ここを過ぎると、関西本線をオーバークロスして、関西線の北側に並行する木曽川の旧橋梁をわたっていました

Img_7037c  ①の架道橋跡にごく近くまで進んで撮ったのがこちら。あいにく逆光の位置になります。ここを通り過ぎるImg_7038c と、すぐに現在の近鉄名古屋線の線路を潜ります。往きに弥富まで行く電車からも目を凝らしていたのですが、これは線路に近いこともあって、気づかないまま通過してしまいました。

Img_7052c  ①の遺構から南西へ100mほどのところにコンクリート製の高架橋の遺構があります(②地Img_7058c 点)。これは、①の架道橋から、関西本線をオーバークロスしていた「弥富跨線橋」の跡です。これはまだ、JR関西線の南側にあり、関西線をまたいではいません。跨線橋跡と現在の近鉄名古屋線の線路の間から、弥富方向を見たのが、右の写真。

Img_7070c_20191109210101  ちょうど、名古屋行きの電車が通過していきました。近鉄と関西本線が交差していた時には、関西本線の線路も、現在よりもImg_6988c もう少し手前側を通っていたといいます(こちらと、ここ)。往きに弥富まで行く近鉄電車から撮った写真が、右のもの。

Img_7075c_20191115194501  元の道に戻ってじきにスタートから1㎞を過ぎます。「小島新田」の交差点まで来て右折。右折してすぐ近鉄名古屋線、JR関西線の線路をくぐりImg_7086c またすぐに左折して、木曽川の堤防に向かいます。

Img_7094c  スタートから約1.5㎞で木曽川左岸の堤防に出ます。左のImg_7098c 写真、ハイキング参加者が歩いている道路のすぐ左がJR関西線、左端が近鉄名古屋線。前方の山は、鈴鹿山脈です。振り返って、弥富駅の方向を見たのが、右の写真。上ってくる道のすぐ右手が、旧近鉄名古屋線の線路の築堤だと思われます。

Img_7104c_20191109210101  木曽川左岸の堤防から、木曽川を眺めた写真。JR関西線の鉄橋に向かって右側に旧橋梁のケーソン(橋脚の下に鎮められた潜Img_7121c_20191109212501 函)沈下点を示す古レールを利用した杭が並んでいます(③の地点)。旧伊勢電気鉄道(伊勢電)が桑名~名古屋間の免許を取得したのが、昭和3(1928)年。翌4年には鉄道省から木曽川橋梁が払い下げられました。当初の計画では、木曽川の橋梁も新設することになっていたのですが、折からの昭和初期の大不況。会社経営も厳しくなり、名古屋線は、昭和11(1936)年1月に参宮急行電鉄(参急)傘下の関西急行電鉄が設立され、免許と橋梁・用地を現物出資し、さらにその年9月、伊勢電は参急と合併。昭和13(1938)年、名古屋線が全通したのです。名古屋線は、計画では複線であったものの、桑名~弥富間は省線払い下げの橋梁を使用したため、単線で開通したのです。

 この橋梁は、関西本線の前身である関西鉄道時代にかけられた明治中期のトラスト橋で、昭和3(1928)年まで使われていました。このため、高速運転を売り物にしていた関急も、この木曽川橋梁と揖斐・長良川橋梁では、時速40㎞でゆっくり走り、関西本線のSL列車にスピードで負けていたといいます。近鉄に合併してからは、この区間は名古屋線で最大のネックになり、昭和23(1948)年には、播磨側分岐(信号所)~揖斐川分岐(信号所)の間を複線化し、その後、全区間の複線化と標準軌への改軌を踏まえ、昭和32(1957)年に新橋梁の建設が始まりました。

Img_6981c_20191115200901  ここも、往きの電車から写真を撮っています。左の写真は、桑名市長島町から木曽川を渡り始めたあたりで撮ったものです。JR関西線の橋梁の下に、上で述べた古レールを利用した杭が見えます。

Img_7118c  話は戻りますが、木曽川左岸の堤防から眺めていたら、余談ではありますが、カモの姿もありました。ここImg_7129c にいたのは、キンクロハジロと、カルガモたち。秋から春先、近鉄でも、JRでも、木曽川、揖斐・長良川を渡るときには、カモなど水鳥の姿が見られるのです。

Img_7142cc  木曽川橋梁跡を確認して、小島新田の交差点まで戻って来ました。10時25分頃です。ここで思い出したのが、「しまかぜ」。近鉄名古屋駅を10時25分に発車してくるのです。桑名駅はおおよそ10時40分を過ぎた頃通過していくのです。少し待てば、ここを通って行くはず。ロケーションは悪くはありませんでしたので、しばし待機することに。10時38分頃、通過していくのを撮影できました。ただ、この日持っていったのは、超望遠コンデジのみ。ちょっとタイミングがうまく行きませんでした(苦笑)。

Img_7171c_20191109213501  このあとは、尾張大橋を渡って、三重県桑名市長島町へ向かいます。尾張大橋に差し掛かったところで、10時42分、スターImg_7180c_20191109213501 トからはほぼ2㎞。尾張大橋は、愛知県弥富市と三重県桑名市にかかる、国道1号線の橋。橋がかかるまでは「ふたつやの渡し」と呼ばれる渡し船がありました。明治5(1873)年、新東海道(明治の東海道)が設定された際に設けられたもので、大正10(1921)年以降は愛知県営の無料渡船として運行されていました。尾張大橋は、昭和8(1933)年11月に供用が開始されました。伊勢大橋より1年早く、です。全長は878.8 m。「ランガートラス橋」という形式。尾張大橋も、伊勢大橋も増田淳が設計しています。

Img_7189c  今年9月25日に長良川河口堰に往くのに、伊勢大橋を徒歩で渡りましたが、それに引き続き、今回は尾張大橋も徒歩で制覇ということになります(2019年9月25日;徒歩にて長良川河口堰へ)。木曽川のほぼ中央部、愛知・三重の県境を越えます。キリが良いので、今日はここまで。その2では、三重県長島町にはいったところから。

【付記】 当日配布されたコースマップにあった説明と、「近鉄の廃線を歩く-懐想の廃止路線40 踏査探訪-」(徳田耕一著、JTBパブリッシング、2006年)を参照しています。

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木曽御嶽山は冠雪、髙龗神社の祭礼……昨日ゲットしたものをお試し

Img_8457c_20191115163201 最低気温は6.6℃、最高気温は16.8℃。午後からはやや風が強くなったものの、午前中は穏やかでした。小春日和という感じ。今朝は、散歩に行こうと玄関前に出たら、木曽御嶽山の頂上あたりが白くなっているのが、目に飛び込んできました。この景色を見ると、「冬も近いな」と思います。8時10分から10時40分まで、いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.1㎞。コースはほぼ同じなのですが、公園の中などあちこちウロウロすると距離が微妙に伸びます。

Img_8343c_20191115163701  先月初めから、「非出水期」を迎えたということで、伊勢大橋の架け替え工事が再開されています。伊勢大橋西詰交差点近く、右岸側にも巨大なクレーンなどの重機が来ています。最近は、この方面や播磨の大山田川あたりに散歩にあまり行っていませんので、どのような工事が進んでいるのか承知していません。また一度、大山田川沿いを下りがてら、行ってきたいと思っています。

Img_8345c  今日は、案外鳥が少なく、諸戸氏庭園もヒヨドリくらい。揖斐川にも、カンムリカイツブリはいたものの、遠くに合計2羽ほど。河口堰の方は、カモらしき鳥がいるようにみえるものの、定かではありません。昨日、ビバホームでゲットしてきたのは、実は、単眼鏡(ケンコー 10~30×21 mono、税込み¥4,708)です。ビバホームでは、これと、同じくケンコーの7倍のもの(¥1,500程度でした)の2択しかありませんでした。それなりのものがあれば、試しに買おうと思っていましたので、ほとんど迷うことなく購入決定。ちなみにAmazonでは、今日現在、¥5,693という値段がついていました。今日はどのくらい使えるのか、確認するために持参。さすがに、揖斐川右岸から河口堰の下流側にいるカモはよく見えませんでしたが(1,000m以上の距離があります。30倍ズームにすると、視野も狭くなり、三脚に固定するなどしないと使えません)、九華公園で外周遊歩道の東から、二の丸堀の西側エリアにいるカモの判別には十分使えました(距離にして、170~180mくらい)。使い始めたばかりですから、評価は難しいのですが、日中のように明るいところで、私のように少し遠いところにいる野鳥を確認するという使い方なら、十分な性能という気がします。直径34×長さ106mm、重さ89gで軽量コンパクトですので、バードウォッチングやハイキングのお供として使えると思います。

Img_9930c  揖斐川沿い、三の丸水門では、ヒバリの鳴き声が聞こえていて、しばらく待ったら、出て来ました。手前の草にピントが合ってしまい、ヒバリそのものはピンぼけになりました。証拠写真です。

Img_8410c_20191115163201  九華公園、今日はアオサギさんは不在。ゴイサギ、ホシゴイも見えませんでした。カモは合計75羽。ハシビImg_8422c_20191115163201 ロガモのオスが6羽、メスが4羽、ヒドリガモはオス1羽にメス2羽、ホシハジロはメスのみ1羽で、これらの合計が14羽。残り61羽がキンクロハジロ。おおよそ、いつものメンバーが揃ったという感じです。日々、増減がありますが、これは主にキンクロハジロの数が変動するため。散歩中見ていても、時々、飛び去ったり、東の方からやって来たりすることがあります。

Img_8360c_20191115163201 Img_9948c_20191115170601  他の鳥は、ヒヨドリ、ドバト、カワラヒワ、ハクセキレイくらい。ツグミの鳴き声が3個所くらいから聞こえたものの、姿は見えません。板としても、やって来たばかりですからまだ、樹上にいると思われます。ジョウビタキの鳴き声もしていたものの、どこにいるかはっきりしません。公園周辺にいたような気がします。

Img_8389c  去年も遭遇しましたが、今日は、鎮国守国神社の境内社の1つ、髙龗神社(たかおかみじんImg_8391c_20191115163201 じゃ)のお祭でした。9時頃から、宮司さんと氏子の代表の方数名が集まって、御神事が執り行われていました。右の写真は、この神社脇にある説明板。髙龗神は、龍神、水神。松平定綱公は、桑名藩・久松松平家の3代藩主。新田開発や水利の整備、家臣団編成などに尽力し、名君としての誉れが高く、実質上の桑名藩祖ともいわれ、実際に鎮国公、鎮国大明神として祭られています(ちなみに、守国公は松平定信公)。定綱公が、桑名城本丸に井戸を掘り、この髙龗神を祀ったとありますから、この井戸も、髙龗神社も古いものなのかという気がします。

Img_8396c  御神事は、邪魔になると行けませんので、離れたところから拝見していました。神事終了後、参拝しがてら、近くで見てきまImg_8400c_20191115163201 した(去年も同じようなことをしていた記憶があります。まったく進歩がないのです)。お供え物が気になったりしています。お供え物は、正式には、「神饌(しんせん)」といわれ、海、川、山、野でとれる季節の旬のものが供えられます。地域や時代によって多少の違いはあるようですが、もっとも大切な「神饌」は、お米だそうです。この他には、酒、餅、魚、野菜、果物(菓子)、塩、水など。また、お祭りの後には、ご神前にお供えしたものを関わった皆さまで頂戴し、神様のお力をいただく「直会(なおらい)」という行事があります。昨日から今日未明にかけて執り行われた大嘗祭でも、天皇陛下が直会をなさったというニュースがありました。

Img_8404c  九華公園では、前管理人のOさんにもお目にかかりました。来年(令和2年、2020年)の干支を入れた、お手製の絵馬を今年も頂戴しました。「子年(ねどし)」ですが、正確に表すと「庚子(かのえ・ね)」です。干支は、本来、このように、「十干(じっかん)」と「十二支」を組み合わせたものを指します。「庚」は、「更」という字に通じ、植物の生長が止まって新たな形に変化しようとする状態を指すといいます。新たな動きが始まったり、新しい活路が見いだせたりする年ということかと思います。

Img_8437c  貝塚公園に行く途中、またもやはぁぶ工房でみかんを購入(微笑)。先日買ったものがけっこう美味しかったのです。甘みがImg_8432c_20191115163201 足りないかなという気がしたのですが、リビングで陽が当たるところに置いておいたら、甘みも増してきました。多度みかんで、農薬もワックスも使用していないのです。みかん販売所の近くで、モズのオス。

Img_8453c  帰り道、寺町商店街を出て、住吉入江に戻って来たら、ジョウビタキのメスが出て来ました。が、とっさのことで露出補正などできず仕舞い(苦笑)。これまた証拠写真。今日は、鳥が少ない上に、証拠写真ばかりで、その上、屁理屈/講釈に偏った記事でした。

Img_8451c  明日は天気は良さそう。近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング」の11回目が予定されています(昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ)。近鉄斎宮駅をスタートし、宮川を渡り、いよいよ豊受大神宮(外宮)へお参り。ゴールは、近鉄山田線・宇治山田駅。約13㎞とちょっと長めのコース設定ですが、万難を排して参加せねば(笑)。急行で松阪まで行き、普通電車に乗り換えて、たぶん1時間20~30分。これまでより少し早めに出かけるつもり。

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2019年11月14日 (木)

今日の散歩はホームセンターとイオンで(微笑)……初体験の外食とは

Dscn2052c  朝起きた5時頃は降っていなかったのですが、その後、5時半くらいから降り始め、9時前後まで雨が降りました。雨が止む頃、Dscn2054c 二重の虹が出たそうなのですが、私は気づかず、残念。雨が上がってからは、とにかく強風。10時の平均風速は、何と10m/s。揖斐川、長良川とも、白波が立つくらいでした。15時頃までは、5m/s以上の風。朝方雨でしたし、家内が、四日市のホームセンターへ行くというので、午前中の散歩はなし。

Dscn2059c  出かけたのは、四日市市泊小柳町にあるSuper Viva home四日市泊店。ここは、今年4月に開店したばかり。Dscn2055c 私自身は、ここでなくても、どこかホームセンターへ行きたいと思っていましたので、同行。売場面積は、12,249 平方メートル(約 3,705 坪)とかなり広く、ここで散歩代わり(苦笑)。

Dscn2061c  探していたものがViva homeでは見つけられませんでしたので、となりにあるイオンタウン四日市泊の本館へ。結構な人出で、平日とは思えないくらいの賑わい。ここは、以前は、平成7(199)5年 3月に開業した「パワーシティー四日市」があったのですが、リニューアルされたということです。パワーシティがオープンしたときはすでに桑名にいましたが、トイザらスもあって、子どもたちをつれて買い物に来たこともありました。パワーシティの前は、東亜紡績 (現・トーア紡コーポレーション)泊工場跡地でした。結局、イオンでも探しものはなく、また、Viva homeへ逆戻り。結局、家内の買い物の支払いを終え、レジあたりをウロウロしているときに、探していたもののうち、1つを発見(微笑)。何を買ったか気になるという方がいらっしゃるでしょうが、また使ってみてから書きます。ここまでで約5,000歩を歩きました。

Dscn2065c  せっかく出て来たからということで、ささやかな外食。豪華ランチを楽しんだといいたいところではありますが、「すき家」でDscn2069c あります。「今時そんな人がいるのか?」と呆れられること必至ですが、いまだかつて牛丼チェーン店で食事をしたことがなかったのです(笑)。テイクアウトでは食べたことがあったのですが、吉野家も、松屋も、すき家も未経験。牛丼に味噌汁、サラダ、生卵がついた定食(¥500)。並盛りを頼んだのに、かなりのご飯の量。1日分の米粒を食べた感じでした。

Img_8322c_20191114165401  帰宅して、15時過ぎ、歩き足らないと思って、30分あまり街中を歩いてきました。午後からで、しかも強風ですから、鳥はいないと決め込んでのことです。帰り際、我が家近くまで来たところで、ジョウビタキの鳴き声が聞こえたくらい。歩いたのは、国道1号線沿いから総合医療センターあたり、寺町を歩いて、2.2㎞。左の写真は、総合医療センターに合併した、旧・山本総合病院。先日から解体工事が始まっています。何度か受診したことがありますし、娘もお世話になったことがあります。総合医療センター、昨年度は赤字だったそうですし、待ち時間が長いと不評をよく聞きます。このあたりは、伊勢湾台風でも水に浸かったところだそうですから、気にもなります。

Img_8324c_20191114165401  寺町近く、常信寺という真宗高田派のお寺の南(南寺町)に「寺町ギャラリー」がありました。このギャラリーに向かって右Img_8326c_20191114165401 手(東)に寺町商店街があり、たまに通るのですが、今まではまったく気づきませんでした。個人の方の絵画展が催されていました。桑名でもこういうところが増えてくると、もっとまち歩きが楽しめると思います。

20191003085819  明日は晴れるようですから、いつものように散歩のつもりです。桑名市博物館では、伊藤小坡の展覧会をしているので、見て来たいと思っています。伊藤小坡は、お気に入りの日本画家。特別企画展「伊藤小坡―まなざしにみちびかれ―」が11月24日まで開催中なのです。今日も寺町まで行きましたので、見てこようかとも思ったのですが、16時を回っていて、風も強く、寒かったので、また今度ということにしました。チラシはここにあります。

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2019年11月13日 (水)

今日もまた帰りに道草(微笑)【シギの名前について(11/14付記)】

Dscn2049c  11月13日、時々書きますが、早くも11月中旬に突入という感じです。水曜日ですから、江戸橋にて非常勤の講義の日ですが、Dscn1986c お陰様で、本日も晴天なり(微笑)。雨男だったということはないと思うのですが、前期の初めの2回くらいを除いて、雨には降られていません。昨日も書きましたが、最終日の筆記試験を除くと、7回目で折り返し点です。これからは次第に寒くなりますので、体調管理に気をつけて役割を果たさねばなりません。今日は、「親密な人間関係」がテーマ。恋愛に関わるような話も多々あって、出席票のコメント、感想は気合いが入っていました(微笑)。ただ、ごく一部、資料をつけ忘れたりしており、要注意であります。

Dscn1988c  さて、毎回立ち寄ってくると、これはもう「道草」とはいえないような気もしますが、今日もまた帰りに志登Dscn1989c 茂川へ行って、鳥を見てきました。通勤途中におぼろタオルという、歴史のあるタオル製造販売会社があります。その工場の南の路地を入って行くのです。

Dscn1992c  路地の先、志登茂川です。四日市港潮汐表によれば、今日は12時12分が干潮Dscn1995c でした。ということは、ちょうど潮が引ききった頃。川も、ご覧のように、干潟の状態。予め調べたわけではなかったものの、グッドタイミングでした。

Dscn1993c  志登茂川に出たところで、対岸にアオサギさんを発見。これはなかなか幸先Dscn2010c がいいと喜んだのですが、渡しの立っている右岸側の近いところには、鳥は見当たりません。遠くには、貝でも捕っていると思われる方がお二人。

Dscn2002c  よくよく見ると、上流側にダイサギや、アオサギ、さらに別の白いサギの姿も見えます。左手前にいるアオサギのずっと向こうに墓もらしき姿もあります。しかし、カルガモか?と思えるだけで、種類の特定はちょっと難しい。

Dscn2009c  さらに手前を見てみたら、これは、マガモと、オナガガモらしき姿があります。それぞれ近Dscn2000c くには、メスと思われるかもが、川面に顔を突っ込んでいます。けっこういろいろといるようですが、マガモ、オナガガモと分かったのは、帰宅してパソコンの画面で見てから。果たして、これでバードウォッチングをしてきたといえるのでしょうか? はなはだ疑問(苦笑)。

Dscn2013c  さらに、路地から出たあたりで対岸を目を凝らして探すと、カモが泳いでいるのが見えます。ヒドリガモが数羽いるのは、肉眼で分かりました。ヒドリガモの前に(左側に)いるのは、オナガガモでした。我が家あたりですと、町屋川にやって来ます。やはり、ここはなかなかのバードウォッチングスポットといえます。

Dscn2023c  下流側の対岸(左岸)には、もっと小さい水鳥たちの姿が10羽ほど。泳いでいるようにも見えたのですが、Dscn2032c シギの仲間(笑)でした。さて、何シギ? イソシギよりは大きそうですし、嘴はやや長くて、少し湾曲しているようです。

Dscn2020c  このほか、確認できたのは、カルガモ。駅に向かう途中、下流方向から飛Dscn2037c んできたのは、セグロカモメでした。肉眼ではもっと大きく見えたのですが、コンデジ(Nikonのcollpix s7000)の広角側で撮ったら、右のような写真。

Dscn2042c  他にもセグロカモメと思われる鳥さんがいました。しかし、肉眼でなかなか確認できないというのでは、上にも書きましたが、本当にバードウォッチングをしてきた?? 助手の先生からは、「ずーむかめらはもっていらっしゃらなかったのですか?」と突っ込まれました(微笑)。「バードウォッチングのついでに授業に来ていると思われるといけませんから」とお答えしておきましたが……。

【付記(11/14)】 シギの名前について、pnさんにご教示をいただきました。ハマシギと思われます。

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2019年11月12日 (火)

モズとキセキレイ……九華公園のユリカモメはまだ、私は見られません

Img_8319c  風は4~5m/s吹いているのに、気温が上がりましたので、歩いてくると汗ばみました。冒頭の写真は、帰ってきた11時頃の北の空。多度山から雲が流れるように見える、風の向きと強さ。これは冬の空のパターン。ということは、たぶん西高東低の気圧配置の時、こうなると思います。今日は、朝一番の用事を済ませ、8時半過ぎから、いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.1㎞。

Img_8255c_20191112141201  揖斐長良川の中洲、住吉神社の東のあたりには、秋から春先にかけてアオサギやダイサギが集まるのですが、今年はまだほとんど姿が見えませんでした。今日、ようやくアオサギが1羽降りてくるのが見えました。早くいつもの光景が見られるようになってほしいもの。揖斐川、今日はカワウが浮いているのと、遠くをカモメの仲間が通過していったくらいで、カンムリカイツブリの姿はありません。

Img_8257c  三の丸公園では、久しぶりにモズ。写真を撮ろうとしたら、蟠龍櫓の鬼瓦に移動。こんなところにいるのは珍しい。余談ですImg_9174c_20191112142501 が、昨日の市民大学講座で聞いたお話。蟠龍櫓の寸法は、「桑名城正保城絵図」に付属した実測図によると、4間×6間の大きさです。現在の蟠龍櫓は、水門総合管理所で、外観が当時のものに復元されているのですが、その大きさも、4間×6間(約7.3m×10.9m)で復元してあるそうです。建物は、当時も2階建てです。右の写真は、今年3月31日のもの。

Img_9847c_20191112141201  九華公園到着は9時。お出迎えは、いつも通り、ヒヨドリの鳴き声と、アオサギさん。ホシゴイが一瞬チラッと見えたものの、葉っぱの陰に移動してしまい、分からなくなりました。判断が二転三転しますが、やはりいるのに、見つけられないという可能性が高いと思えます。

Img_8305c_20191112141301  今日のカモたちの数は84羽。少し増えたといってよいのか、誤差範囲なのか(昨日は81羽)。二の丸堀、吉Img_9896c 之丸堀とも、東西に分かれています(ちなみに、堀の名前は、江戸時代の絵図にはありません)。もっとも元気に泳ぎ回っているのは、ハシビロガモたち。今日は、オス5羽、メス2羽(右の写真は、オス)。

Img_8280c Img_8283c_20191112141201  ヒドリガモは、あいかわらず、オス1羽とメス2羽。先だっても「どういう関係?」と書きましたが、不明。ペアと、もう1羽メスがいるのだろうとは思うものの、確かめる術がありません。たいてい3羽が行動を共にしています。ハシビロガモに比べると、ゆったり泳ぎ回っています。

Img_9891c_20191112141301  その他は、ホシハジロ。今日は、メスだけが4羽。オスの姿は見当たりませんでした。そのメスのうち、1羽が羽ばたきを見Img_8293c せてくれました。身繕いをした後や、他のカモと接触するなどトラブったあとによく見られる行動です。オオバンは、今日も1羽がやって来ています。カモの中に混じっていたり、単独行動をしていたりですが、カモに混じっていても、他のカモたちは気にしないようです。ユリカモメは私が行く前には、たくさんいたという話ですが、私自身はまだ見ていません。

Img_8266c_20191112141201  朝日丸跡で、久しぶりにキセキレイを発見。この1ヶ月近く、時々見かけます。管理人のKさんによれば、昨日は午後から、たびたびカワセミを見かけたそうです。今年4月から勤務していらっしゃるのですが、「カワセミ、さすがに綺麗だねぇ」と感心しきり。私は、Kさんもバードウォッチングの仲間に引き入れようと企んでいます(微笑)。

Img_8311c_20191112143801  貝塚公園に回ったのはもう10時過ぎで、ヒヨドリが少しいただけで静かでした。10時を回る頃には、鳥たちImg_8309c_20191112141301 やたぶん休憩タイム。本来のバードウォッチングからいえば、鳥たちが動き始める夜明けころから見に行くとよいのでしょうが、それはなかなか難しい相談。そうそう、貝塚公園に行く前に、作業所に立ち寄って、多度みかん1袋をゲットしてきました。今年初。¥350。スタッフの方に伺ったら、「今年は裏年で、収穫量はあまり多くないが、甘いです」ということでしたから、期待しています。今日のところは、お試しですが、まだ食べていません。

Img_8243c_20191112141201  ところで、拙宅近くの桑名七里の渡し公園の工事。少し進んできたようで、住吉ポンプ場のImg_8245c_20191112141201 東の通路に工事エリアが広がってきて、遊歩道が少し狭くなっています。まだ整地作業や、穴を掘って何かをつくっている最中で、目だった進展はありません。

Img_8315c  明日は、水曜日で江戸橋の日。明日で7回目となり、最終日の試験を除けば、折り返し点に達します。昼は好天のようで、ありがたいことです。好天ということは、すなわち、道草日和でもあるということです(微笑)。

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2019年11月11日 (月)

ツグミちゃん到着、九華公園のカモは81羽。

Img_8145c  朝のうちと、午後、一時雨でしたが、それ以外は晴れ間はあるものの、曇天がちという1日でした。ちょっと忙しい天気で、あまり陽が当たりませんので、勢いが出ません。最高気温も17.3℃止まり。8時20分から11時前にかけて、散歩して来ましたが、またもやしゃべりすぎて、コースを短縮(苦笑)。住吉神社、九華公園から京町、寺町商店街と4.6㎞。

Img_8214c  今日のハイライトは、こちら。ツグミちゃんです。いよいよ登場というか、去年は11月14日でしたから少し早い登場(2018年11月14日:ツグミ、ユリカモメが九華公園に登場)。ちなみに、ユリカモメは、私が九華公園に着く前に、公園内の野球場のフェンスにいたという情報がありますし、時々見かけたという方もありました。ということは、私が見ていないだけ(苦笑)?

Img_8154c  話を戻して、揖斐川沿い。今日も、カンムリカイツブリが3羽。左のものは、失敗写真なのですが、あまりにもタイミングよくImg_8161c 撮れていましたので、敢えて載せてみました。カンムリカイツブリが、揖斐川右岸近くにいたので、写真を撮ったらシャッターが切れるのが若干遅れ、こんな風(今日は、雨が降るといけないと思い、超望遠コンデジのみ持参)。その後、三の丸水門あたりで撮ったのが右の写真。

Img_8172c  九華公園もこれという鳥はいませんでした。しかし、例の、あの方は今日も御出座(^_^) そう、アオサギさんです。が、テンションが上がらないのか、こんな感じ。声をかけても、このまま(苦笑)。声をかけると、お休み中でも顔を上げることがあるのですが……。

Img_8191c  カモたち、今日は、今シーズン最多の81羽。ヒドリガモのオス1羽、メス2羽、ホシハジロはオス、メスとも2Img_8198c 羽ずつ、ハシビロガモはオス5羽、メス4羽。残りはキンクロハジロ。オオバンは、柿安コミュニティパーク西の堀に1羽。

Img_8181c  こちら、左の写真はホシハジロのオス2羽、右は、ハシビロガモのオス。Img_8186c_20191111190201 ハシビロガモは、渡ってきてすぐは、エクリプスで、あまりきれいでないですが、こちらはませたオスかも(苦笑)。

Img_8224c_20191111190201  ところで、しゃべりすぎたのは、久しぶりにお目にかかった、前管理人Oさんとでした。Oさん、「桑名お宮めぐり」に力を入れておられたのですが、トップでゴールイン。早すぎて達成記念の記念品が、事務局に届くImg_8227c_20191111190201 よりも早くに「全部回って来た」といらっしゃったそうです。先週土曜から2週間が、最終の長島地区の宮めぐりなのですが、土曜日の午前中にはすべて回り終えて、事務局の鎮国守国神社に「達成」の朱印をもらいに行かれたそうなのです。Oさん、DIYの名人であるだけでなく、地元の地理にも精通した方。最短で行けるコースを工夫して、4地区に分けられたコースを、たぶん、実時間で2日で回りきられたと思います。今日は、自らがゲットされた御朱印のカラーコピーを元に、ご覧のようなボードを作って、鎮国守国神社に掲示にいらしたのです。

Img_8232c  この写真で右下にあるのが、「達成」の朱印。これは、すべて回ってから、鎮国守国神社にいらっしゃるといただけるとのこと。「mamekichi先生、このあとすることがないけど、何かないか?」と尋ねられました。九華公園の管理システム、管理会社が変わってからは、パネル展示も難しくなっているのです。

Dsc1976c  ところで、午後からは、市民大学郷土史学科の講座の6回目。今年のテーマは、「城と城下町」。地元の桑名Dscn1979c 城に関わるお話を聞いています。今日は、桑名城の御殿、茶屋などについて。桑名藩は、本多→久松松平→奥平松平→久松松平と藩主が変わったこともあり、また、空襲で市街地が焼けたこともあり、残っている資料は必ずしも十分ではありません。しかし、講師の先生のお話からは、私自身が今まで知らなかったことや、資料の見方が十分でなかったり、よく分かっていなかったりした多くの点について知ることができ、楽しい時間を過ごせています。

Dscn1981c  いよいよ次回が最終回(7回目)になるのですが、7回中6回以上出席すると、修了証書がいただける条件を満たします。今日まで皆出席ですから、今年も修了証書がいただけることになりました。最後も出席して、コンプリートを目指しましょう。

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2019年11月10日 (日)

20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(予告編)

191110jrwalkingtakimap 今日もまた絶好の行楽日和、ウォーキング日和でした。昨日の近鉄ハイキングに続いて、今日は、JRさわやかウォーキングへ。JR紀勢線・多気駅で行われた「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」に参加してきました。多気駅をスタート・ゴールとして、多気町内約9.7㎞を歩くコース。途中、2回に分けて伊勢本街道を歩きますし、倭姫命ゆかりの相鹿上神社や、伊勢本街道・相可の道標などをみてまわり、おいないまつりにも立ち寄るというコース。私としては、昨日も書きましたが、このウォーキングに参加して行動範囲を広げたいのと、JRさわやかウォーキングのスタンプが10個を達成し、賞品がもらえるというモチベーションもありました(微笑)。動機が不純であったかも知れませんが、好天の中、なかなか面白いコースでしたし、おいないまつり会場で相可高校食物調理科の生徒さんがつくった「まご弁」をゲットできたのもうれしかったのです(先日、氏郷まつりでは(20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)、販売時間前で買えず、とても残念だったのです)。

Img_7484c  今日は、多気駅で8時半から11時の受付。電車の時刻、運賃をいろいろと調べ、結局、松阪までは近鉄名古屋線で行き、松阪でImg_7506c JR紀勢線に乗り換えることにしました。桑名を7時52分に出る宇治山田行き急行に乗車。松阪には8時54分に到着。JR紀勢線の伊勢市行き普通電車が、9時24分にありました。松阪から多気までは2駅、¥200。9時35分着。途中の停車駅は徳和。徳和駅は、この10月27日の伊勢参りの近鉄ハイキングですぐそばを通っています(20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編))。

Img_7536c  コースマップを受け取り、9時40分にスタートします。多気駅は、JR紀勢線と参宮線が分岐する駅で、快速みえや、特急南紀もImg_7533c 停車します。明治26(1893)年12月に参宮鉄道が津駅~宮川駅間で開通した時に相可駅(初代)として開業しています。紀勢線は、大正12(1923)年3月に、紀勢東線が栃原駅まで開通し、相可駅(2代目)が開業したことにより、相可口駅に改称。さらに、昭和34(1959)年7月、多気駅に改称しています。

Img_8114c  紀勢本線は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至る鉄Img_8107c 道路線ですが、全通したのは、昭和34(1959)年でした。したがって、今年が全通60周年です。ゴールしたとき、その記念絵はがきをいただきました(右の写真)。

191110jrwalkingtaki  こちらは、今日、実際に歩いたルート。多気駅から南へ1㎞ほど進み、そこから1㎞あまり伊勢本街道を歩きます。その後、六角堂やおいないまつり会場に立ち寄り、北へ。相鹿上神社を経て、伊勢本街道・相可の道標からまたしばらく伊勢本街道を歩き、櫛田川に沿って進み、相生神社から多気駅に戻ります。10.5㎞でした。

Img_7544c_20191110200001  多気駅を出て500mあたり。あたりは田園風景。1㎞ほどのところで、伊勢本街道に入ります。伊勢本街道は、大和と伊勢をImg_7565c_20191110200601 結ぶ最短コースであり、多数の参拝客が往来したことを伝える街道遺産が残された歴史ある交流の道です。三輪山(奈良県桜井市)から斎宮(三重県明和町)、伊勢神宮を結んでいます(そもそものスタートは、大阪・玉造稲荷神社)。右は、スタートから1㎞地点。ここから伊勢本街道に入り、奈良方向に歩きます。

Img_7576c  スタートから1.5㎞の手前に常夜燈。高さ2.8mと大きめ。天保15(1844)年に建立。正面に「常夜燈」、Img_7593c 西面には「天保十五年辰五月日」、裏に「石工根来宗和」と刻まれています。そのすぐ先にあるのが、商家大好庵村林家(右の写真)。白壁・荒格子の商家で、近世、江戸で大きな富を蓄えた金粒丸(きんりゅうがん)の大好庵(だいこうあん)があったところ。ここは江戸時代、「金粒丸」という薬を製造販売していました。参宮土産に大人気だったそうです。伊勢朝熊の「万金丹(まんきんたん)」と同じく、胃腸、腹痛など万病に効くという丸薬でした。大好庵は、寛永年間に江戸芝神明町に薬店大好庵を出し、明治時代末まで反映したそうです。

Img_7607c  後にこの村林家から譲り受けた金粒丸を販売したのが、西村家。大好庵から100mあまり西にあります。西村家の前には、今も当時の立派な看板が残っていて、多気町の文化財になっています。高さ197㎝、幅58㎝で、「本家勢州神山薬師前いけへ 村 御免きんりうくはん 江戸芝神明町分家之外無類大好庵店」と刻まれています。

Img_7616c_20191110202101  この先スタートから2㎞を過ぎ、池上橋のところで伊勢本街道とは別れを告げ、南西へ。松Img_7644c 阪多気バイパスに向かいます。長い登り坂の先には、工場地帯があります。シャープ三重工場の他、たくさんの大きな工場が集まっています。多気町は、農業や、松阪牛の肥育の他、多数の企業を誘致して栄えているのです。松阪多気バイパスの荒蒔交差点でスタートから3.3㎞、10時20分。

Img_7661c_20191110202701  ここから多気町役場に向かいます。松阪多気バイパスの相可1区交差点で右折すると、じきに役場あたりにでます。ここでImg_7683c_20191110202701 は、まずは六角堂を見学。多気町役場駐車場の一角に昭和53(1978)年に移築されています。大正4(1915)年頃、大正天皇の即位を記念して建てられたもので、旧多気郡役場。物産棟などとして使われたそうです。平面は正方形の正面両隅を隅切した変則六角形。内部は見られませんでしたが、一室で格天井となっているといいます。正面に切妻造玄関を張出し、懸魚を吊り、屋根頂部の飾り瓦は「紀念館」と刻む露盤に獅子を載せてあるという、独特な形式の建物です。多気町で初めての国登録有形文化財。

Img_7678c  こちらが屋根頂部分の飾り瓦。なかなかユニーク。上述のように、「祈念館」と刻んでありました。

Img_7700c  このとなりでおいないまつりが行われていました。地域興しのイベントとして多気町が開催しています。特Img_7716c_20191110203501 産物の販売、ステージショー、また、辺り一帯で「おたコス11(おいないTakiコスプレ祭り)も行われていて、コスプレーヤーたちもたくさん歩いていました。右は、三重とこわか国体・三重とこわか大会マスコットキャラクター「とこまる」によるステージショーの模様。

Img_7710c  せっかく来たからと思って、会場を一回りしていたら、とてもよいことがありました(微笑)。それがこのImg_8010c 写真。県立相可高校食物調理科の生徒さんのマルシェです。初めの方に書きましたが、先日の松阪の氏郷まつりの時にもブースが出ていたのですが、「まご弁」が発売時間前で買えなかったのです。「これは!」と思い、リベンジ。¥600なりでゲットしてきました。おいないまつり会場を出たのが10時50分、5㎞の手前。弁当にはまだ早いので、この先、神社ででも食べることにします。

Img_7726c_20191110204401  会場からは北へ。相可のまち並みへと進んでいきます。相可駅の西を過ぎて、ほぼ6㎞で相鹿上神社(おおかがみじんじゃ)Img_7743c に到着。御鎮座の時期は不詳ですが、延喜式神名帳に載っている、いわゆる式内社ですので、今から1,100年以上前に創始されたと考えられます。上代から平安時代にかけ、大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が支配していました。大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社を建立したものが、相鹿上神社と呼ばれ、このあたりの氏神様になってきたと思われます。

Img_7748c  西側の参道にある鳥居の脇には、このような看板がありました。主祭神である天児屋根命は、天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、大御神のお出ましを願うためにその心を和ませる祝詞を奏上した神様です。そこから、この神社では、天児屋根命を文筆の神様で、文章力、演出力、字などの上達や、学業成就の御神徳があるとしています。これは、お参りしなくっちゃ(微笑)。

Img_7769c_20191110204501  御祭神は、天児屋根命の他、大彦命、伊邪那岐命、天忍穂耳命など25柱(不詳5柱を含む)。ここも、明治に合祀をしたようImg_7785c_20191110205601 でたくさんの神様がいらっしゃいます。また「里人傳 倭姫命御巡行遺跡」と刻まれた石碑もありました。当地に鎮座していた伊蘇上神社を、倭姫命による皇大神の伊勢御遷幸に登場する磯宮・伊蘓宮とする説があるためのようです。

Img_7804c  相鹿上神社の西、100mほどのところに「西村廣休宅趾ノふう樹」があります。フウはマンサク科の落葉高木で、日本に自生地はなく台湾や中国西南部に主に分布し、原産地では樹高30m程に成長するといいます。この木もかなりの高さがありました。西村廣休(1816~1889)は江戸時代、多気町相可において両替商を営むかたわら、宅地内に二千種に近い植物を育てており(ここがその跡地)、このフウ樹も彼の植物園にあった樹木の一つで、彼を記念するものです。彼は、博物学に関する書物も著しています。

 Img_7814c_20191110210301 「西村廣休宅趾ノふう樹」の先で再び伊勢本街道に出ます。そこに、相可の道標があります。向かって左のImg_7826c 石柱がそれです。高さ1.5m、幅22㎝。「伊勢本街道」「すぐならはせ道」「右くまのみち」「文久三癸亥十一月建之」と刻まれています。向かって右の道標は、道の向かい側にあったものが、破損したため修復してここに移設したもの。井戸が残っているのですが、このあたりにあった豪商・大国屋の屋敷内に7つあったうち、残っている井戸がこれだそうです。ここはまた、札の辻だったところでもあります。少し広い三叉路になっていますが、昔、ここで盆踊りをしたので「踊り場」が通称。

Img_7872c  スタートから6.5㎞ほどのところ、櫛田川への下り口の近く、浄土寺の手前に「おんばさん」。百日咳に霊験あらたかな乳母神です。倭姫命が相可を通ったとき、人々が百日咳の流行で苦しんでいたため、倭姫命は櫛田川の鉾ヶ瀬の淵で川水に入り、「この川水で体を洗えば、必ず咳も治るだろう」といって立ち去られたといいます。この言付けを守ったところ、たちまち病は治ったそうです。人々は、倭姫命に感謝して、ここに乳母神を祀ったと伝えられています。

Img_7873c_20191110211401  おんばさんからすぐのところに、佛乗山往生院浄土寺。天台真盛宗のお寺。ここには大日堂があり、寺宝もいくつかあるようImg_7876c_20191110211401 でした。

Img_7942c  7㎞を過ぎて、再び松阪多気バイパスを越えます。JR紀勢線の線路に沿って進みますが、Img_7944c_20191110212101 7.7㎞地点で、伊勢本街道は紀勢線を渡って南東へ入って行きます。ウォーキングコースはこのあと、櫛田川の堤防に出るようになっています。

Img_7948c  8㎞を過ぎて、櫛田川の堤防に上がります。しかし、木々Img_7954c や草が生い茂っていて、櫛田川はほとんど見えません。このあたり立ち寄るところはありませんが、途中でジョウビタキのメスを見られました。

Img_7974c  8.8㎞の手前で堤防から降りて、相生神社へ。ここで9㎞、時刻は12時5分。ちょうどお腹も空いてきましたから、お参りしたImg_7983c あと、ここで「まご弁当」をいただくことにします。相生神社の創始については、詳らかではありませんが、兄国創村の際、天忍穂耳命(アマノオシホミミノミコト)を産土神として奉遷したのが始まりといいます。

Img_8007c  江戸時代には八王子社と称し、明治初年に八柱神社と改称されました。明治41(1908)年2月、兄国の菅原神社をはじめ23社を当社に合祀の上、相生神社と単称しています。相殿神は、熊野久須毘命、活津日子根命、菅原道眞ほか20柱(うち9柱は不詳)。

Img_8022c  さて、いよいよ弁当タイム。相可高校食物調理科の生徒さんたちは、部活として、土曜・日曜・祝日に「まごの店」での研修をしていますが、イベントなどには、この「まご弁」を売っているのです。これ、失礼ながら、高校生がつくったとは思えません。そんじょそこらで売っている弁当のレベルをはるかに凌駕しています。「料亭並み」といってよいでしょう。薄味ながら、しっかりと楽しめますし、お腹もふくれます。

Img_8052c  相生神社を12時半に再スタート。このあとは多気駅まで1.4㎞で、立ち寄るところはないのですが、スゴいものを見つけましImg_8046c た。9.2㎞地点に大北牧場さんがあり、そこで牛たちがこちらを覗いているのです(微笑)。これがなんと、耳に「松阪牛」というタグをつけているではありませんか。しかもなかなか人なつっこい。カメラを向けていると、興味があるのか顔を覗かせてくれました。つれて帰れるものなら、1頭丸ごと連れて帰りたいくらい。

Img_8071c_20191110213901  このあと、佐奈川(この川は、櫛田川に合流します)を超えて、大豆を栽培しているあたりを通り抜けて、Img_8084c_20191110213901 多気駅に向かいます。

Img_8096c  多気駅には12時50分にゴールしました。3時間10分をかけて10.5㎞を歩いて来ました。今Img_8105c_20191110214201 日で、JRさわやかウォーキングのスタンプは、めでたく10個を達成しました。早速ゴール受付で賞品と交換。バッチ、タオル、折りたたみ三脚ミニチェアーから1つ。

Img_8109c_20191110214201  バッチは欲しいとは思わず、タオルもまぁいいかということで、ミニチェアーにしました。Img_8107c_20191110214201 これなら、バードウォッチングなどでも使えると考えたのです。さらに、先着500名にということで、「紀勢本線全通60周年記念オリジナルポストカード(5枚組み)」もいただけました。

Img_8129c_20191110214201  帰りには、快速みえにでも乗りたいと思ったのですが、指定席はなく、2両編成だというこImg_8135c_20191110214201 とで混みそうでした。結局、来たときの経路をそのまま戻ることにして、13時22分の普通電車亀山行きで、松阪へ。13時32分着。¥200。松阪からは、13時54分発の急行名古屋行きに乗車。桑名には、15時3分着。¥960。

Img_8142c  こちらがALKOOのデータ。22,063歩となっていました。JRさわやかウォーキングで10.5㎞+桑名駅往復が1.8㎞ということで、トータルは12.3㎞。まぁまぁでしょう。2日連続でハイキング/ウォーキングに行き、よく遊んできましたから、明日からはしっかり仕事もしなくてはなりません。幸か不幸か、明日は雨のようです。午後は、市民大学の歴史講座。

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2019年11月 9日 (土)

20191109近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」へ(超予告編)

Img_6967c  絶好のハイキング日和でした。今日は、計画通り、近鉄ハイキング「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)」に行ってきました。昨日の記事に書いたように、このあたりの近鉄名古屋線は、伊勢湾台風で甚大な被害を受けました。しかし、それを契機に、準備中であった狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌工事を一気に行ったのです。それ以前、名古屋線は狭軌であり、大阪線・山田線などは標準軌でしたから、名古屋~大阪間の直Img_6992c_20191109205101 通客は、途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていました。名古屋線改軌はかねてから計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進んでいたのです。昭和34(1959)年9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の社長・佐伯勇の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で当初の計画を前倒しして実施されたのです。もっとも手間のかかる枕木の交換作業などの準備が前もってかなり進んでいたこと、また、架け替え工事中であった揖斐川・長良川・木曽川の各新橋梁は当日落成した上、台風で致命的な被害を受けずに済んだという幸運もあって、被災からわずか2か月後の昭和34(1959)年11月27日に名古屋線および神戸線(現在の鈴鹿線)の工事が完了したのです。今日のハイキングでは、近鉄弥富駅~木曽川橋りょう間にある、当時の国鉄関西本線(現在は、JR関西線)をクロスオーバーしていた橋の遺構と、桑名市長島町内にある国鉄関西本線を乗り越えるための築堤の一部やそこにあった架道橋の橋台、木曽川に残る旧橋梁橋脚跡などを見て回って来ました。右は、今日のコースマップ。

 もろもろ用事があり、時間的な制約がありますので、今日のところは「超予告編」。明日以降、順次、本編を書きますが、マジメに取り組めば2回くらいで終えられる気がしています。

Img_6990c  今日の受付は、近鉄名古屋線・弥富駅で10時から11時。朝は、少し仕事をしてから、桑名駅を9時36分に出る名古屋行き普通Img_6999c 電車に乗車。弥富は2駅目で、9時44分に到着。¥260。コンコースは大賑わい。今日のハイキングは、名鉄タイアップ企画ということでしたから、参加者が多かったのでしょう。受付も早めに始まり、コースマップを受け取ってスタートしたのは、9時58分。

191109kintetsuhikingyatomi  コースの全体像は、こちら。近鉄弥富駅をスタートして、JR関西線・弥富駅に出て、関西線沿いに木曽川まで進みます。ここまでで3ヶ所の鉄道遺構を見て、尾張大橋を渡るのです。今年は、伊勢大橋も徒歩で渡りましたので、これで、両方の橋を徒歩にて制覇できます(微笑)。尾張大橋を渡ると、桑名市長島町。愛知県と三重県を歩いたことになります。長島運動公園から線路沿いに歩いて、近鉄長島駅へ。長島町内でも3ヶ所を見てきます。近鉄ハイキングのサイトでは約8キロとありましたが、コースマップには約5㎞となっていました。実測しても、ほぼ5㎞。毎日の散歩くらいの距離。

Kintetsuold  伊勢湾台風以前の近鉄名古屋線の路線図。適切なものが今のところ見つかりませんので、「近鉄の廃線を歩く(徳田耕一、2006年、JTBパブリッシング)」から借りました。拡大していますので、不鮮明です。実測ルートマップ中、①②は弥富跨線橋、③④は近鉄旧橋梁、⑤は長島跨線橋のところとなります。

Img_7006c_20191109210101  近鉄弥富駅から北へほぼ100mでJR弥富駅前に出ます。JR弥富駅には、名鉄尾西線が乗り入れていますが、ホームは単線で折Img_7015c り返し運転をしています。ここからはJR関西線にそって南西へ。700mあまり進んだところで、第1の遺構に来ます。実測ルートマップには、①と示してあります。

Img_7024c  それがこちら。弥富駅から長島方向にあ ります。旧線は、築堤上を走るのですが、そこに残Img_7052c っている架道橋の跡です。さらにその先、スタートから900mほどのところには、旧国鉄関西本線(現在のJR関西線)の上をまたぐ弥富跨線橋のコンクリート製の橋の残骸があります。これらは、現在の近鉄名古屋線の電車からもよく見えます。

Img_7094c  1㎞を過ぎて、尾張大橋東詰交差点から来る道路の小島新田交差点で右折し、近鉄、JRと高架をくぐって左折。JR関西線の木Img_7121c_20191109212501 曽川橋梁のすぐ上流側にある木曽川堤防に出ます。ここからは、近鉄の旧木曽川橋梁の橋脚跡が残っているのが見えます。ケーソン沈下点を示す古いレールを利用した杭が一直線に並んでいるのです。これは、昭和4(1939)年に旧・鉄道省から伊勢電軌鉄道に払い下げられた木曽川橋梁の跡。伊勢電鉄は、この前年に桑名~名古屋間の免許を取得したものの、昭和初期の大不況のため、経営が苦しく、この払い下げによって開通できたという逸話が残っています。

Img_7142cc  小島新田の交差点まで戻って来たのが、10時25分頃。ここで思い出したのが、近鉄特急「しまかぜ」。名古屋発が10時25分ですから、もうじきここを通過するはずと見込んで、しばし待機。10時38分頃、やって来ました。ただ、いつもハイキング/ウォーキングの時は、超望遠コンデジ(Canon powershot sh60xs)を保っていきますので、動くものを撮るのはちょっと苦手。シャッターのタイミングがうまく合いませんでした。

Img_7171c_20191109213501  スタートからほぼ2㎞、10時40分過ぎから尾張大橋を渡ります。愛知県弥富市と三重県桑名市の木曽川にかかる国道1号線のImg_7180c_20191109213501 橋です。橋ができるまでは、「ふたつやの渡し」と呼ばれる渡し船がありました。これは明治5(1873)年、新東海道(明治の東海道)が設定された際に設けられたもので、大正10(1921)年以降は、愛知県営の無料渡船として運行されていました。現在の尾張大橋は、昭和8(1933)年にかけられたものです。

Img_7189c  この尾張大橋の途中で、愛知/三重の県境を越えます。左の写真は、弥富側から桑名・長島側を見たもの。Img_7225c 全長は、約879m。渡り終えたのは、10時55分。ほぼ15分かかりました(途中、何度も立ち止まって写真を撮っていました)。このあと、国道1号線の下を潜って、長島運動公園に行きます。

Img_7266c_20191109214601  ④の地点から弥富方面を眺めると、先ほども見た近鉄の旧木曽川橋梁の橋脚跡が、再び見えImg_7280c ます。ここで時刻は11時5分。歩き始めてから1時間あまりでしたので、小休止。他の参加者の方もたくさん休憩中。お茶を飲んだり、おにぎりを食べたりしておられます。私は、コンビニで買ってきた「つぶあん&マーガリンのコッペパン」。10分弱、休憩して再スタート。

Img_7312c  長島町内を歩き続けます。長島運動公園を出てすぐの写真。右下にある草むらも、近鉄の旧線跡の築堤の一部ではないかといImg_7330c_20191109214801 う気がします。さらに進んで、スタートから4.1㎞のところにあるのが、右の写真。長島跨線橋跡です。実測ルートマップでは⑤の地点。相当草木が生い茂っていますが、築堤と架道橋の橋台跡がよく分かります。

Img_7357c  その後、4.4㎞あたりで小さな川を渡ります。これが⑥地点。川にかかっていたと思われる橋の橋台らしきものが残っています。これで、今日の見学個所はほぼすべて見ました。近鉄長島駅に向かいます。

Img_7407c_20191109215501  11時35分、スタートからほぼ5㎞を歩いて、近鉄長島駅に到着。ウッカリして確認を忘れImg_7413c るところでしたが、駅前に「伊勢湾台風水位標」があります。 当時の桑名郡長島町地内では、堤防が15ヶ所も決壊し、1ヶ月間は水没したままであったそうです。

Img_7415c  こちらが近鉄長島駅。普段は準急と普通電車が止まりますが、なばなの里のイルミネーション開催期間中は、急行も臨時停車し、ここからなばなの里行きの三重交通のバスが発着します。11時48分に四日市行き準急がありましたので、それに乗って帰宅。桑名には11時52分に到着。¥210。今日の近鉄料金は、往復合計で¥470(微笑)。

Img_7471c_20191110043601  ALKOOによる記録は、こちら。12,060歩。歩いたのがハイキングで5㎞、我が家から桑名駅往復が1.8㎞Img_7301c で、合計6.8㎞。普段の散歩に毛が生えたくらいですから、こんなもの。あみま倶楽部のスタンプはこれで30個を達成しました。

Img_7455c  オマケ。桑名市内に入って、上之輪新田の様子。去年、コスモス畑のあったところはご覧のような様子。これは今年は、コスモスの種は蒔いてないようで、去年の名残ではないかという気がします。

191110jr  ところで、明日は、JRさわやかウォーキングがJR紀勢線・多気駅であります(晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、「おいないまつり」で多気の文化と食を楽しもう!)。できれば行ってこようと思っています。行動範囲を広げたいのと、明日、参加できるとスタンプが10個になり、めでたく賞品がもらえるのです(笑)。それだけでなく、伊勢本街道を歩けるのも、魅力的。多気は松阪のさらに向こう。特急・南紀や快速・みえで1時間を要します。

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2019年11月 8日 (金)

20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(その3)……観光交流センター・祭人、冨吉建速神社・八劔社、龍照院で秀吉御手植えの大イチョウを見て、ゴールのはつらつ公園へ(完)

191102jrwalkingkanie2  11月2日のJRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」、その3です。その2では、実測ルImg_6160c ートマップその2の中央あたりにある御葭橋(みよしばし)まで来ました。次の立ち寄り先は、観光交流センター・祭人(さいと)です。ここは、ユネスコ無形文化遺産に登録された「須成祭」をメインテーマに町の観光拠点として設けられています。スタートから約5.2㎞、11時少し前に到着。

Img_5869c_20191102180601  この日は、JRさわやかウォーキングにあわせて「蟹蟹フェア」が開催されると、その1で書きましたが、その会場がこちら。「蟹江町で蟹を食べる!」がテーマです。ちなみに、蟹江という町名の由来は、つぎのようなことだそうです:「カニエ」という地名が初めて文献に登場するのは、建保3(1215)年の「水野家文書」といわれます。当時の蟹江は海に囲まれた土地で、「蟹江郷」「富吉荘」という名称で呼ばれていました。海辺には柳の木が生え、水辺には多数の蟹が生息していたことからこの名がついたといいます。蟹蟹フェアでは、町内の飲食店が蟹を使ったグルメを販売しているのですが、限定数がかなり限られていました。さて、グルメにはありつけるのか?

Img_6162c  まず目に入ったのは、山田酒造の「最愛」の試飲(苦笑)。山田酒造は、去年3月4日のJRさわやかウォーキンImg_6165c_20191102194401 グ(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))で訪ねました。「酔泉」と「最愛」という日本酒で知られています。この日は、「最愛」が試飲できました。辛口で割とスッキリしたお酒。スタッフの方に、「PRしておくね」と約束しました(笑)。右の写真が、この最愛という酒。祭人のショップでも売っていましたが、甘強酒造ですでに「本醸造 名古屋正宗」を1本買っていましたので、この日は買わず。

Img_6168c_20191102194501  祭人の2階には、須成祭について紹介する展示があります。須成祭は、ここ祭人のすぐ近くにある冨吉建速神Img_6177c 社(とみよしたけはやじんじゃ)・八剱社(はっけんしゃ)両社の祭礼として行われる川祭で、8月第1土曜日に宵祭、翌日曜日に朝祭が行われます。祭は、「車楽船(だんじりぶね)の川祭」と「神葭(みよし)の神事」の2部から構成されていて、7月「稚児定め」から10月「棚下し」まで約100日間にかけて数々の祭事が行われますので、別名「100日祭」ともいわれています(国指定重要無形民俗文化財)。

Img_6187c  須成祭は、疫病退散を祈願する天王信仰(牛頭天王の信仰)の祭礼であり、須成天王祭(すなりてんのうまつり)とも呼ばれImg_6189c_20191106045201 るそうです。「神葭の神事」では、蟹江川の河岸に茂るヨシを刈って神体として冨吉建速神社に祀り、災厄をヨシに託して蟹江川に流し、ヨシを7日間にわたって蟹江川に浮かべた後、70日間、冨吉建速神社の神棚に祀り、燃やすのだそうです。この神事が100日間に及ぶ、これによって疫病退散を祈願します。同様の神事は、この近くでは、津島神社(津島市)の尾張津島天王祭があります。須成祭でも、提灯をともした巻藁船1艘が出るのですが、それも津島天王祭りと似ています。巻藁船の行事は見事ですから、一度見てみたいのですが、尾張津島天王祭は桑名水郷花火大会と、また、須成祭は石取祭と重なっているんですねぇ。

Img_6193c  2階の展示を一通り見て回り、祭人の前に戻って来ました。グルメが気になります。どのお店の方も熱心に売り込んで来らImg_6222c れるので、迷います。蟹蟹ラーメン(珈琲美楽さん、¥500)もあったのですが、ここでラーメンを1杯食べるとあと、歩くのがしんどそう。結局、「味彩もへの」のお姉さんの笑顔と強力な売り込みに惹かれ、蟹タクちらし(¥300)をお買い上げ。「小腹、空いていませんか?」といわれて、やられました(苦笑)。最近、この「小腹が空く」ということばに弱いのです。このあと立ち寄った冨吉建速神社・八劔社でいただくことになりました。

Img_6200c_20191106051001  祭人を出て、天王橋で蟹江川を渡るとすぐに、冨吉建速神社・八劔社があります(2社を合わせて須成神社ともいうそうでImg_6203c_20191106051001 す)。須成祭はここのお祭です。主祭神は、冨吉建速神社が素盞嗚尊(すさのおのみこと)、八劔社が草薙神霊(くさなぎのしんれい)で、相殿神は熱田五神(あつたごしん)となっています。天平5(733)年に行基の勧請によって創建されたとされ、寿永元(1182)年)には木曽義仲が再建したとされるますが、その真偽は定かではありません。中世以降にはこの神社が富吉荘(現在の蟹江町周辺)の総氏神でした。室町時代後期の天文17(1548)年には織田信長が社殿を修復したとされますが、これもまたその真偽は定かでありません。豊臣秀吉や徳川家康なども参拝し、この神社に寄進を行っているといいます。

 ちなみに、熱田五神は、熱田神宮の相殿神である天照大神素戔嗚尊日本武尊宮簀媛命(ミヤズヒメノミコト;日本武尊の妃)、建稲種命(タケイナタネノミコト;父は尾張国造乎止与命(オトヨノミコト)、母は眞敷刀婢命(マシキトベノミコト、尾張大印岐の女)で、宮簀媛命は妹。日本武尊東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げた)ではないかと思うのですが、そうすると、素戔嗚尊が重なってしまい、今ひとつよく分からず。分からないこと、たくさんあります。熱田神宮の主祭神は熱田大神、ご神体は草薙剣。

Img_6211c  かつて、冨吉建速神社は牛頭天王社(単に天王社、天王とも)と呼ばれており、八劔社は牛頭天王社の末社という扱いでしImg_6213c_20191106052701 た。しかし、明治期に国家神道を推し進める中で、仏教の天部神である牛頭天王は好ましくないとされ、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祭神として牛頭天王社から冨吉建速神社に改称しています。富吉建速神社本殿は一間社流造・桧皮葺、八劔社本殿は、三間社流見世棚造桧皮葺で、それぞれ室町時代の特色をもった建物で、いずれも重要文化財。

Img_6228c  冨吉建速神社・八劔社にまずはお参り。お参りを済ませましたので、境内の日陰を借りて腰を下ろし(あとでよく見たら、隣Img_6281c_20191108132901 の龍照院の鐘楼でした)、先ほど購入してきた蟹タクちらしを食べることに。まさに小腹を満たすのにちょうどよいくらいの量でした。さっぱりとした味で、あっという間に平らげてしまいました。ついでに小休止。

Img_6235c  富吉建速神社・八剣社のとなりに蟹江Img_6242c_20191108131001山常楽寺龍照院というお寺があります。ここもコースには含まれていなかったのですが、珍しいものがあるということで、お参りがてら見に行くことにしました。真言宗智山派のお寺です。天平5(733)年に行基が創建したといいます。 その後、鎌倉時代の寿永元(1182)年、木曽義仲が七堂伽藍と十八坊を建立し、その中央に蟹江山常楽寺を置き、常楽寺には本尊として十一面観音菩薩を安置、栂尾(とがのお)の明恵上人を中興開山としたといいます。ただし、以上の由緒には、諸説があります。当時の常楽寺境内は24町歩(7万2000坪)、寺領は76町歩(30万坪)もあったのですが、天正12(1583)年に羽柴軍と織田・徳川軍が戦った蟹江城合戦の際に、龍照院と鎮守(冨吉建速神社・八剱社)を残し、兵火のために灰燼に帰しました。御本尊の十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財です。

Img_6247c_20191102200401  こちらは大日如来堂。木曾義仲の菩提を弔うために巴御前(ともえごぜん)が安置したといわれる大日如来坐像が安置されてImg_6251c_20191108131401 います。巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。藤原時代末期の作で、定朝(じょうちょう)様式といいます。国の重要文化財です。

Img_6261c_20191102200301  さて、珍しいものとは、龍照院の北西にあります。左の写真に写っているイチョウの木がそれです。樹齢はImg_6264c_20191108132001 400年以上(平成6(1994)年時点で)、町指定の天然記念物です。「龍照院の大イチョウ」と呼ばれ、町内で一、二の巨木であり、名木であるとして地域の人たちからも敬われているといいます。この大イチョウが、豊臣秀吉御手植えのイチョウなのだそうです(江戸時代の文献にも記載されているといいます)。平成6(1994)年時点で、樹高は23m、幹回り3.5m。秀吉御手植えのイチョウかどうかは、別にしても立派なイチョウの木でした。

Img_6268c_20191102200401  龍照院の南、道路に面して秋葉大権現のお堂がありました。火災などの災害がないことを願って、火焚き行Img_6277c 事が行われるようですが(こちら)、神社の詳細は不明。

Img_6288c  龍照院を11時25分頃に出て、再び蟹江川沿いに出て、今度は左岸を下ってImg_6292c いきます。往きに通った御葭橋まで来て(5.8㎞)、左折。蟹江駅の方向に向かいます。これでもうゴール地点までは立ち寄るところはありません。街中を進んでいくのです。

Img_6296c_20191108133601  途中、市場というところに広い空き地があり、「昭和二十一大師第十九番 松秀寺」という石柱と、「八幡山松秀寺 お稚児山募集」という看板がありました。帰って地図で見ると、ここには松秀寺というお寺があるはず。不思議に表調べてみると、以下のようなことでした。八幡山松秀寺は、蟹江町唯一の禅寺(曹洞宗)で、ご本尊は、聖観世音菩薩。天文23(1554)年、桂の廣済寺四世・天巌春暁和尚が草創したといいます。須成の荘に応神天皇を鎮座し、同時に一寺を建立し八幡山松秀寺と号しました。つまり、神宮寺として始まっています。その後、天正12(1584)年の蟹江合戦で焼失、万治3(1660)年、再興して祈願所となるのですが、暴風で潰れたり、濃尾大地震で破損したりするなどさまざまな困難を経た後、明治48(1915)年にここに移転しました。平成15(2003)年、約430年ぶりに草創の地である、須成西四丁目(東名阪蟹江インター近く)に移転しています。つまりここは、松秀寺の跡地でした。

Img_6301c  スタートから6㎞を過ぎ、6.3㎞地点に調整池があり、そこにカモの姿が(微笑)。この日は、ジョウビタキ2羽も見ましたし、JRさわやかウォーキングでバードウォッチングまでできるとは、ラッキーでした。カルガモとコガモが浮いています。さらに700mほどを歩くと、ゴールに。

Img_6331c  ゴールは、はつらつ公園。JR関西線・蟹江駅が工事中ですから、こちらがゴールになったものと思います。Img_6311c ヨシヅヤ蟹江店の南にある公園。11時40分に到着。ここまでで7.0㎞。

Img_6314c_20191102200401  さわやかウォーキングのスタンプを押してもらい、これで合計9個。微妙Img_6327c な個数です。というのも、スタンプ帳の有効期限は1年。私のものは、11月23日がその期限です。それまでにもう1回参加し、完歩しないと、賞品がもらえないのです。それまでには、11月10日(日)、JR紀勢線・多気駅でのウォーキングがありますが(晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、「おいないまつり」で多気の文化と食を楽しもう!)、どうしましょう?と思案中。これに行けばスタンプ10個は達成。しかし、JR関西線・桑名駅からJR紀勢線・多気駅まではちょっと遠い。特急・南紀や、快速みえでほぼ1時間。

Img_6323c_20191102203901  物販スペースも出ていたので、覗いてきました。コーヒーの他、蟹江町特産というイチジクを使ったお菓子などがあったのですが、結局、何も買わず。イチジクをそのまま食べた方が美味しそうな気がしたのです(微笑)。

Img_6337c_20191102200401  ここは、蟹江駅のすぐ北東側。蟹江駅に向かいます。駅までは300mほどということで、この日、ウォーキングで歩いたのは、合計7.3㎞。到着したのは、11時50分。12時ちょうどに四日市行き普通がありましたので、それに乗車、桑名駅には、12時16分着。¥240。蟹江駅でホームに出たら、私が「富田のオッちゃん」と呼んでいる知人に遭遇。この方、「よく遊び、よく学べ」の達人。密かに尊敬しています。きわめてフレンドリーで、誰とでも知人・友人になります。釣りバカ日誌の主人公「ハマちゃん」みたいな人。「おぉ、久しぶり」と手をあげて挨拶されました。私より一回り年上なのですが、元気です。

Img_6349c_20191102200401  この日の歩数は、ALKOOによれば、15,529歩。まぁまぁです。足らないこともなく、歩きすぎることもなくですから。

Img_6356c_20191108140501  土産の甘強酒造の「名古屋正宗」は、早速味わいましたが、私には、常温よりも冷やにした方がスッキリしImg_6358c て飲みやすく感じました。

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風が強くて鳥はおらず……ただし九華公園のカモは70羽になりました

Img_6963c_20191108153601  好天が続いています。私にとっては散歩日和ということで、今日も8時15分から歩いてきました。朝のうちは風も強く、寒いくらいでしたが、歩き終わる頃には薄らと汗ばんでいます。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築町、寺町商店街と回って、6.1㎞。

Img_9756c_20191108153601  揖斐長良川の中洲、住吉神社の東のところには、毎年、秋からサギが集まるエリアがあるのですが、今年はほとんど来ません。今日は、ダイサギが1羽だけいるのが見えました。いつもなら、アオサギがたくさん来るのですが、今年は居心地がよくないのでしょうか。このほかには、長良川河口堰の近くにもう1羽、ダイサギがいるのが見えただけ。川は風で波立っていて、カモなどはほとんどいません。3羽のカモが低空飛行で風を避けながら上流に向かっただけ。セグロカモメらしきカモメは、反対に下流に向かって飛んで行きました。

Img_9763c  七里の渡し跡では、ヒドリガモが5羽。揖斐川はかなり波が立っていましたので、それを避けてここに入ってきたような気がします。このあと、柿安コミュニティパークまで含め、見られた鳥は以上(苦笑)。モズも、ハクセキレイも、ヒヨドリもいません。オマケに川沿いは、風が強くて寒い。

Img_9772c_20191108153601  九華公園に到着。まずはアオサギさんが、まったくいつも通りに、いつものところにいました。マジメなのか、律儀なのか、神対応なのか?? ゴイサギ、ホシゴイはこのところ姿が見えません。隠れていて見えないだけかも知れませんが、これだけ連日見られないということは、いない可能性が高いか?

Img_9809c_20191108153601  一方で、カモたちは合計70羽と、今シーズン最多を記録。ヒドリガモが3羽(オス1羽、メス2Img_9791c 羽)、ハシビロガモが5羽(オス2羽、メス3羽)、ホシハジロはメス1羽で、他の61羽がキンクロハジロ。右の写真は、ホシハジロのメス。オスは先日はいたものの、その後はいなくなっています。

Img_6943c  こちらは、手前にいるのがハシビロガモのオス、茶色っぽいのはキンクロハジロのメス。もっとも奥に見えImg_9799c るのは、ホシハジロのメス。二の丸堀の西側のエリアにて。そして、今日は、オオバン1羽もいました。カモたちに混じっていることもありますが、たいていは別行動。

Img_9815c_20191108155101  貝塚公園は静かでした。ヒヨドリもあまりいませんでした。メジロがいたものの、離れていたところで、やっと撮れた写真。どこにいるの? といわれそうです。ということで、今日はあまり成果が上がりませんでした。

Img_6962c_20191108153601  帰りは寺町商店街を通り抜けてきましたが、今日は三八市で、それなりに賑わっていました。私自身は、滅多に買い物はしません。安いというわけでもなく、これは欲しいと思うものがあるわけでもないからです。

Img_6954c_20191108160901  明日は、弥富で近鉄ハイキングがあります。「近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く」。「名古屋線改軌60周年」とありますが、このあたりの近鉄名古屋線は、伊勢湾台風で甚大な被害を受けました。しかし、それを契機に、準備中であった狭軌(1,067mm)から標準軌(1,435mm)への改軌工事を一気に行ったのです。それ以前、名古屋線は狭軌であり、大阪線・山田線などは標準軌でしたから、名古屋~大阪間の直通客は、途中の伊勢中川駅で乗り換えを強いられていました。名古屋線改軌はかねてから計画され、橋梁架け替えに伴う線路移設などと併せて準備工事が徐々に進んでいたのです。昭和34(1959)年9月の伊勢湾台風による被災を機に、当時の社長・佐伯勇の判断で改軌工事が復旧工事と同時進行で当初の計画を前倒しして実施されたのです。もっとも手間のかかる枕木の交換作業などの準備が前もってかなり進んでいたこと、また、架け替え工事中であった揖斐川・長良川・木曽川の各新橋梁は当日落成した上、台風で致命的な被害を受けずに済んだ、という幸運もあって、被災からわずか2か月後の昭和34(1959)年11月27日に名古屋線および神戸線(現在の鈴鹿線)の工事が完了したのです。しかも、鉄道を止めて代行バスを走らせていたのではなく、実は一部区間を除き狭軌のままで開通させ、その横で広軌化工事の準備を行ったというから驚きです。

Img_9778c  明日のコースにはたぶん、近鉄弥富駅~木曽川橋りょう間の、当時の国鉄関西本線(現在は、JR関西線)をクロスオーバーしていた橋の遺構と、桑名市長島町内にある国鉄関西本線を乗り越えるための築堤の一部やそこにあった架道橋の橋台などを見て回ると思います。去年3月、旧・伊勢鉄道廃線跡を訪ねるハイキングに行ってきましたが、けっこう楽しめました(2018年3月25日:近鉄ハイキング「(旧)伊勢鉄道廃線跡めぐり」へ)。近鉄弥富駅から木曽川を渡って、近鉄長島駅まで約8㎞。ただ、弥富駅での受付が10~11時で、時間をもてあましそう。ちょっと散歩に行ってから出かける(微笑)?

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2019年11月 7日 (木)

九華公園でメスのカワセミ

Img_6862c  朝一番に用事を済ませ、8時半から散歩。10℃くらいで風も少々あって、寒いくらいでした。日中は18.9℃と20℃を下回ったものの、過ごしやすい気候でした。住吉神社、九華公園、貝塚公園、入江葭町、吉津屋町、寺町商店街と6.2㎞。11時頃帰宅。九華公園で会った散歩友達のWさんから、同じく散歩友達であった伊賀町のご隠居様が亡くなられたらしいという話を聞き、ちょっとした感慨にふけっていました。後期高齢者になられたばかりだったはず。

Img_6876c  気を取り直して、九華公園では、久しぶりにカワセミのメス。相撲場の近く、鎮国守国神社の社務所の裏あたりです。九華公園には9時過ぎについたのですが、カワセミを見たのは、ここに2回目に来たとき。10時前。このあたりを飛び回っていたのです。いやぁ、カワセミを見るとやはりうれしくなります。小躍りするか、スキップを踏むかなどと思ったりします(苦笑)。

Img_6838c  さて、話を戻して、時間順に。住吉神社のところに来たら、何やらテレビの撮影中でした。四日市のケーブルテレビのCTY。何の番組かは分かりませんが、若い女性のレポーターが「三重県桑名市に来ています」などとレポートしているところでした。小型のドローンも用意されていました。しばし待って、住吉神社にお参りして、散歩を続けます。

Img_9678c  揖斐川には、今日もあちこちにカンムリカイツブリの姿が3羽。いずれも遠いので、証拠写真。船津屋から山月の辺りでは、モImg_9687c_20191107193201 ズのけたたましい鳴き声が複数聞こえました。たぶん、縄張りをめぐっての諍い。モズの縄張りの広さがどのくらいかは分かりませんが、かなりテキトーに推測するに、三の丸公園あたりにいるモズと、諸戸氏庭園あたりのモズとが揉めていたような気がします。右の写真は、旅館・山月の屋上。

Img_6847c  その後、三の丸公園にいくと、メスのモズが西側エリアにあるソメイヨシノの木のてっぺんにいました。2月頃までは、異性が来ても縄張りを守るために追い払うといわれます。今からの時期は、エサの確保が最大の課題なのでしょう。

Img_9705c 九華公園。アオサギさんは、いつもどおり、いつものところに御鎮座。神対応をしてくれますし、このとこImg_9717c_20191107193201 ろ私が公園に行く日は、毎日来ていますので、「御鎮座」といいたくなるくらい(微笑)。ゴイサギとホシゴイ、去年の今頃はよくいたのですが、この頃はさっぱり見つけられません。鎮国守国神社の一の鳥居近くで、オスのジョウビタキに遭遇。ただ、条件がよくなくて、これもまた証拠写真。こんな写真ばかりです。

Img_6858c  カモは、合計61羽。九華橋の南、神戸櫓跡の西には、キンクロハジロが31羽と、ホシハジロのメスが1羽。Img_9733c_20191107193201 オオバンも1羽、この中に混じっています。二の丸堀の西側エリアには、25羽。そのうち、ハシビロガモが4羽とヒドリガモが3羽の他は、キンクロハジロ。ハシビロガモは、オス・メスとも2羽ずつと思います。

Img_6886c_20191107193201  ヒドリガモは、オス1羽にメスが2羽。この3羽がともに行動しています。1ペア+メス1羽Img_6881c なのでしょうが、どういう関係? 疑問ですが、よく分かりません。

Img_6872c  他に九華公園にいたのは、ヒヨドリ(やかましいのです)、ドバト、キジバト、カワラヒワ、ハクセキレイなど。

Img_6897c  貝塚公園も、ヒヨドリやキジバトくらいしかいません。去年まではモズがImg_9752c_20191107193301 いたのですが、今年はまだ見ていません。公園整備ををしている、知人のシルバー人材センターの方に伺うと、モズを見たというのですがねぇ。やむなく、イチョウの木や、葉っぱを撮影。

Img_6892c  九華公園から貝塚公園に行く途中に精神障害の方たちの作業所があります。毎年、秋から春先にかけて、みかんの直売所が出ます。去年は、たびたび購入しました。多度のみかんで、ノンワックス。去年は1袋¥300だったのに、今年は¥350。今日も買おうと思ったものの、財布にあった小銭は50円玉が2つ(苦笑)。消費増税以降、Kips ICOCAで支払うことが多く(コンビニでは、これで2%還元の恩恵を受けられるのです)、小銭がないのです。

Img_6903c  このところ、非常勤に関わる仕事(授業の準備、Q&Aを書くことなど)、相談の準備、研究会での講演の準備その他で、最近の私にしては多用の日々。しかし、いったん怠惰に流れると、勤勉に戻すのは並大抵のことではありません。それを実感中(爆)。午睡はとるものの(昼寝をしないと保たなくなってきました)、それ以外は資料、パソコンに向かっていることが多いのですが、遅々として進まず。リビングの片隅に居候中で、日当たりがよいのはありがたいのですが、この季節、陽が当たるとボーッとしてしまい、仕事になりません。いやはや、困ったもの。しかし、朝早く目覚めたときは、そのまま仕事をするようにしたのですが、これが案外効率がよさそうです。ただ、あまりに早く起きると、昼を食べると途端に眠くなるのは、玉に瑕。なかなか思うようには行かないということです。

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2019年11月 6日 (水)

非常勤deバードウォッチング

Dscn1973c  朝は8℃にまで下がり、寒いくらいでしたが、日中はよく晴れ、20℃を超えて気持ちのよい天気。今日は、江戸橋での非常勤の日。助手の先生からも、「水曜日、いい天気が続きますね」とお褒めのことばを頂戴しました(微笑)。仕事とはいえ、出かけるにはやはり好天の方がはるかにありがたいところです。今日のテーマは、「自己と他者」。最後に「自尊感情尺度」を実施しようと思っていたものの、準備した内容がやや多すぎて時間切れ。各自でやるように、質問は次回受けるということにしました。授業で使うパワポのスライドにも、誤字(変換ミス)や、一連の番号のつけ間違いがあり、反省材料でした。

Ishikuma  前回のQ&Aで、上手な助け方/助けられ方を補足説明するのに、石隈利紀先生の「寅さんとハマちゃんに学ぶ助け方・助けられ方の心理学―やわらかく生きるための6つのレッスン」(誠信書房、2006年刊行)を紹介したのですが、反応が今イチ。そうではないかと思ってはいたのですが、今の20歳くらいの若者には、寅さんやハマちゃんは知られていないようでした(苦笑)。

Dscn1920c  さて、前回、帰りにいつもの電車に乗れそうもないということで、志登茂川へ道草をした(10月30日:非常勤の帰りに志登茂川でバードウォッチング)のに味を占めて、今日はいつもの電車Dscn1923c には間に合ったにもかかわらず、わざわざ道草をしてきました(微笑)。江戸橋駅まで行く途中、おぼろタオルの工場があります。その先の路地を、工場の塀に沿って東に少し行くと、志登茂川に出るのです。

Dscn1924c  川に出るところには、樋門があり、「与六樋門」という表示がしてありました。近鉄ハイキング/JRさわやかウォーキングで歴史散歩をしていることもあって、こういう何か由来のありそうな名前を見ると、気になります。しかし、残念ながら、調べても分からず。

Dscn1928c  志登茂川に出て、西の方を見た写真。先週は、潮がかなり引いていたのですが、今日はこんな風。四日市港潮汐表で見ると、干潮は7時11分と20時42分。パッと見、何もいない!と思ったのですが、老眼を懲らしてよくよく眺めると、遠くにカモらしき姿や、サギたちが見えます。

Dscn1931c  今日持参したのも、Nikonのcollpix s7000。光学20倍ズームですから、限界があります。Dscn1936c ダイサギらしき姿も見えます。いつも散歩の時持ち歩いているCanonの超望遠コンデジ(powershot sh60xs)は、ちょっとかさばりますから、どうしよう? と思っています(何をしに行っているのか、分からなくなるというのもありますが)。双眼鏡なら、コンパクトでまだよいか? ということはありませんねぇ(苦笑)。

Dscn1949c  江戸橋に近い方の対岸を見ると、セグロカモメらしきカモメと、白いサギ。サギは、大きさから見て、コサギと思えます。他Dscn1953c にもダイサギらしき姿が2羽。肉眼では分からなかったのですが、ズームして撮った写真には、小魚をくわえている様子が見て取れました。

Dscn1912c  そうそう、非常勤先のグラウンドには、ハクセキレイがよくいます。今日、ようやく写真が撮れました。たいてい2羽が一緒にいて、戯れているように思えます。さらに、たまにアオサギなどが飛んでいくのが、教室や廊下から見えたりもします。バードウォッチングもできる非常勤のお仕事、私にはとてもありがたい仕事であります。

 余談というか、戯言というべきか。第4次安倍第2次改造内閣で、菅原経産大臣、河井法務大臣が辞任しました。第2次安倍政権発足後(2012年12月~)、不祥事や失言での閣僚辞任は9人もいるそうです(健康問題をのぞく)。そのたびに首相は「任命責任は私にあります」とか「責任を痛感しています」とおっしゃるのですが、その回数や何と49回もあるといいます(こちら、ただし、有料記事ですから、一部しか読めません)。それだけ責任を感じながらも、失敗する人ばかりを大臣などに登用しているのはなぜ? よほど人を見る目がないのか、あるいはわれわれには理解できない、何か特別な意図があるのか。さらには、それだけ責任を感じたり、痛感までしたりしていたら、私などとても耐えられず、自分から退場してしまうだろうと思うのですがねぇ……。ネットで見かけた話題からの戯言(たわごと)故、ご容赦あれ。

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20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(その2)……甘強酒造で日本酒、みりんを試飲、銭洗尾張弁財天富吉神社で100円玉を洗って蟹江町役場、蟹江町体育館を通って再び蟹江川沿いでジョウビタキ、御葭橋を見る

191102jrwalkingkanie1 11月2日に参加したJRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」のその2です。その1では、蟹江川沿いを歩いて、蟹江神明社まで来ました。さらに南下して、前から興味があった「甘強酒造」へ行きます。

Img_6015c  スタートして約1.7㎞、時刻は9時40分を過ぎた頃、甘強酒造に到着。電車の車窓から、「甘強みりん」というImg_6032c_20191102183701 大きな看板を何度も見たことがあり、たぶんその名前のインパクトで記憶に残ったと思います。それ故、機会があれば、一度訪ねてみたかったところ。JRさわやかウォーキングのサイトで見たコースマップには、試飲は10時からと書いてあったのですが、到着早々、スタッフの方が「もう試飲もやっていますから、どうぞ」とうれしいお言葉! 会場に行ってみたら、すでにけっこうな賑わい。物販ブースも出ていて、蟹江は川が5本流れていて、いろいろな川魚料理が名物。もろこの佃煮などの川魚料理を売っていました。個人的には、川魚はどうも苦手なので、ちょっとだけ味見したのみ。

Img_6017c  目的はこちら(苦笑)。日本酒の試飲であります。日本酒2種類と梅酒が試し飲みできまImg_6020c し た。左は、「純米吟醸酒 いっこく」というお酒。けっこう濃い感じでした。しかし、試飲のカップは、写真のようにかなり小ぶり(無料ですから、贅沢をいってはいけませんが……)。

Img_6029c  続いて、「本醸造 名古屋正宗」。愛知県産米を使用し、冷やまたは常温でがよいといいます。写真では違いはImg_6026c ほとんど分かりませんが、こちらの方が、純米吟醸よりも透明度が高い感じ。個人的な好みをいえば、どうも三重県の酒蔵の酒の方が好みです。あくまでも好みの問題ですので、ご了解あれ。この近くでは、山田酒造さん、青木酒造さんのものも試しましたが、個人的にはこういう結論。愛知県で生まれ24歳まで育ったものの、三重県在住40年で、すっかりこちらに馴染んだためかも。水の違いが大きいような気がします。

Img_6024c  といいつつ、梅酒もしっかり試飲してきました。「里香梅 紅麹梅酒」という銘柄。紅麹という、血圧やコレステロールなどの面でよい働きがあるといわれている麹を使っているそうで、オッサンにはこちらを買うべきだったかも知れません。

Img_6030c_20191105175701  直売コーナーがありましたので、ちょっと迷った末、「本醸造 名古屋正宗」の720ml瓶を1本買ってきました。¥900。この日の試飲&直売では、他で設けられているような、椅子・テーブルはありませんでしたので、酒蔵で宴会を楽しみたい方にはちょっと張り合いがなかったかも。甘強酒造は、このほか焼酎なども製造販売しています。

Img_6038c  土産もゲットしたので安心して、いったん外へ出て、旧本社事務所を見てきました。甘強酒造は、文久2(1862)年、初代山Img_6047c_20191105180701 田平八によってみりんの醸造元として創業しました。明治から大正にかけて業績を伸ばし、昭和10(1935)年に山田平左衛門商店から甘強酒造へと商号を改めるとともに株式会社として設立しています。戦後の昭和29(1954)年から清酒「四天王」の醸造販売を開始しました。「カンキョーみりん」は、主に料理店に出荷されているそうです。甘みや旨みの強い本物のみりんを造り続けるという想いから、「甘強みりん」と命名したといいます。この旧・本社事務所は、昭和12(1937)年の建築です。このほか、築敷地内には、江戸から昭和にかけて造られた蔵・作業場及び住宅、事務所があり、その歴史的価値を認められ、みりん工場(明治初年築)、旧本社事務所など4棟が文化庁の「登録有形文化財建造物」になっています。

Img_6055c_20191105191101  建築のことはよくは分からないのですが、古い建物を見るのは好きです。こちらのサイトによれば、「南北に細長い台形平面Img_6045c_20191105191401 のRC造3階建塔屋付であるが、堤防際のため、西面は2階建外観になる。窓は縦長の上げ下げ窓、外壁はスクラッチタイル張、頂部はコーニスを廻し、玄関はテラコッタ飾りで縁取る。地方における事務所建築の好事例」だそうです。

Img_6050c_20191105191501  こちらは、住宅主屋。社屋と工場の間にあります。2階建の和風住宅で、東西棟の入母屋Img_6111c 造、桟瓦葺、西面に玄関を設けた妻入です。2階には洋室もあるそうで、また、開放的な開口部が設けられ、当時の住宅の有様を示しているといいます。右の写真は、蟹江川の対岸、右岸から見たもの。

Img_6065c  さて、旧・本社事務所を見たあとコースマップをよくよく見たら、どうも指定されたコースImg_6068c を外れていると思えました。甘強酒造の工場内を抜けて行くようなコースになっていました。そこで、いったんもどってみたら、みりん工場の方へ進むという矢印を発見。いやぁ、よかった(苦笑)。道に迷うところでした。

Img_6071c_20191102183801  みりんの試飲もありました。料理は自分ではほとんどしませんので、みりんにどんな種類があるのかなど、Img_6073c 知るよしもありませんでした。しかし、実にいろいろとあるのにビックリ(こちらをご覧ください)。昔仕込本味醂、弐拾年熟成黒みりん、甘強本みりん、参年みりん、純醸本みりんなど。違うのは分かったのですが、何がどうかと聞かれると説明できるほどではありません(苦笑)。

Img_6077c  甘強酒造の工場内を抜けて、さらに南へ。スタートから2㎞のところに銭洗尾張弁財天富吉神社があります。Img_6083c ここは2回目(2018年3月4日:今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))。尾張で唯一の銭洗弁財天だそうです。室町時代の永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。

Img_6091c  ここは、昭和39(1964)年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られましImg_6097c_20191105193901 た。また蟹江合戦の犠牲者を祀る、「蟹江城主、先祖代々供養塔」があります。詳細は、「JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その2)……正一位秋葉神社と、銭洗尾張弁財天富吉神社」をご覧ください。ちょうど100円玉が5つありましたので、家族4人分プラス家内の母親の分として、洗ってきて、土産代わりに配りました。洗ったお金は使うのがよいと聞きました。

Img_6105c_20191105194001  銭洗尾張弁財天富吉神社を出て、記念橋で蟹江川を渡って西側へ。渡ったところのたもとに神社があります。去年3月4日にImg_6108c も見たのですが、ネットで調べても不明。キョリ測でも、Googleマップでも載っていないのです。あたりには、神社名などを示すものは何もありません。

Img_6115c_20191102193601  記念橋を渡って、蟹江町役場に行くまでの住宅街で、ジョウビタキの鳴き声が聞こえました。今年は、桑名でもよく見かけます。あるお宅のテレビアンテナに止まっていました。

Img_6119c  10時20分に蟹江町役場前を通過。さらにとなりにある蟹江町体育館も通過。ここでは、文Img_6122c 化祭が開かれていたようですが、書道、絵画、陶芸の展示やダンスということで、勝手ながらパス。

Img_6125c  3㎞手前で次の立ち寄りポイントであるまちなか交流センImg_6130c_20191102193601 ター・楽人。ここも2回目か、3回目。お茶がいただけたのですが、それも、店内も一周してそのまま通過。ずっと北上して、3.5㎞ほどでJR関西線の線路に行き当たり、左折。西へ向かいます。

Img_6137c  しばらく線路沿いに西に向かって歩きます。曲がってから最初の踏切を渡って、関西線の線路の北側に出ます。この踏切は、「八ヶ島(やつがしま)踏切」。JR線の踏切には、このようにそれぞれ「固有名詞」がついています。近鉄線は、たとえば「千代崎第1号」のようになっています。駅から上り方向に順に番号がついているのです。

Img_6145c  踏切を渡って、東へしばらく進み、今八島公園の先で左折して北へ。さらにその先で右折し……と歩いて、再Img_6150c_20191102194401 び蟹江川沿いに出ます。須西小学校のところにある飾り橋に出ます。ここで、4.7㎞。時刻は、10時50分頃。写真のような飾りが、親柱にありました。須成祭の時、飾られた祭船に役者や供の者が全員乗船し、ここから天王橋に向けて出発します。祭船を飾ったことから飾橋の名が付けられたといわれています(こちらを参照)。ここからは、また蟹江川沿いを、今度は北へ歩いていきます。

191102jrwalkingkanie2  ここらあたりから、実測ルートマップは、その2のエリアに入ります。「折り返し点」が近づいていますし、東名阪自動車道の近くまで歩いて行くことになります。

Img_6152c  須西小学校の敷地でまたもや、ジョウビタキのメスに遭遇。ウォーキングしながら、バードウォッチングができるとは、最高Img_6158c_20191105200401 です(微笑)。5㎞を過ぎて、真っ赤な橋が見えてきます。御葭橋(みよしばし)。この橋、実は、ワイヤーで跳ね上げられる「跳開橋」なのです。須成祭の時、「車楽船(だんじりぶね)」が上ってくるため、年に2日だけ跳ね上げられるのだそうです。こちらにそのときの写真が載っています。さて、その須成祭については、次に立ち寄る観光交流センター・祭人に展示説明がありましたが、それはその3にて。

 

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2019年11月 5日 (火)

揖斐川にカンムリカイツブリがやって来ました

Img_6810c  昨日強かった北風も収まり、穏やかな日になりました。気温も20℃とちょうど過ごしやすいくらい。朝一番で用事を1つ済ませ、今日も8時半から11時まで散歩。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と5.8㎞。鎮国守国神社のモミジも、先端が少し色づいてきた感じがします。

Img_6769c_20191105160501  さて、今日は、揖斐川でカンムリカイツブリを3羽見つけました。今シーズン初めて、です。揖斐川の中央よりも、十万山寄りにいて、かなり遠いところだったのはちょっと残念。住吉神社の前に1羽、三の丸水門の東に2羽。だんだんと冬鳥が増えてくるのは、楽しみです。

Img_6734c_20191105160401  その揖斐川、住吉神社の前にヒドリガモが11羽。揖斐川の右岸堤防近くや、水門のあたりにヒImg_6740c_20191105160401 ドリガモがよくいます。住吉水門のところには、アオサギが1羽やって来ていました。ちょっと逆光気味の位置でした。

Img_6779c  最近モズを見ていないなと思っていたら、三の丸公園の西にあるソメイヨシノの木のてっぺんにメスのモズ。これまた、近くへ行くと、葉っぱの影になってしまい、見えなくなりますので、遠目の写真。

Img_6796c_20191105160501  九華公園、アオサギさんはいつも通り。今日は、ゴイサギも、ホシゴイも姿は見えませんでした。このところ、あまりいません。ただし、いないのか、奥に隠れているのかは不明。鎮国守国神社のお稲荷さんの参道(東側)から見ても、見えませんが、油断はなりません(微笑)。

Img_9626c_20191105160501  カモは、昨日よりやや少なく、合計54羽。キンクロハジロが44羽。ハシビロガモが5羽(オス3羽、メス2Img_9616c_20191105160501 羽)、ヒドリガモがオス1羽、メス2羽の3羽。ホシハジロはオス、メスとも1羽ずつ。オオバンは、今日はいません。

Img_6800c  カモは、あちこちに点在しています。昔あった「カメの甲羅干しスロープ」あたり、二の丸堀、吉之丸堀の東あたりがメイン。

Img_6806c  ジョウビタキは、メスが、吉之丸堀の上にある四阿のところに来ました。Img_9660c 手すりや、屋根裏や、あちこち移動した後、本丸跡へ。オスのジョウビタキは、二の丸橋の南の電線の上に。これもまた、遠いところ。貝塚公園では、ヒヨドリくらい。

Img_6827c  明日は、江戸橋での非常勤。6回目の授業。天気は良さそうです。先週も書きましたが、すでに3回欠席している学生もいて、ちょっと気になります。ひょっとして、「つまらない授業」とか思って、出てこなかったりして(苦笑)。相談会の準備、来月の研究会の準備など、いくつかすべきことがあります。写真は、住吉入江沿いの遊歩道。ソメイヨシノの葉っぱがかなり落ちています。「足下が賑やかな季節」です。

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20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(その1)……蟹江町歴史民俗資料館、蟹江城址公園、蟹江城本丸井戸跡から蟹江神明社へ

Img_5869c_20191102180601  11月2日のJRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」の本編その1です。この翌日は、近鉄ハイキング(蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策)に行くつもりでしたので、ちょっと迷ったものの、JRさわやかウォーキングのスタンプが8個に留まっていました。賞品がもらえる10個達成を目指して、思い切って参加した次第。このコースは、去年3月4日のJRさわやかウォーキング(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))と一部で重複しています。このときは、山田酒造へ行きました。

Img_5871c_20191102175801  受付は、JR関西線・蟹江駅で8時半から11時でした。ただし、事前にネットに上がっていたコースマップを見Img_5862c たら、甘強酒造での試飲が10時からとなっていましたので、急いで行く必要はないと考え、桑名駅を8時38分に出る名古屋行き普通電車に乗車。蟹江駅には、8時55分に到着。¥240。この2分後には、名古屋から来る下り電車(桑名行き)も到着し、大賑わい。

Img_5868c_20191102180301  また、いきなりの余談ですが、蟹江駅は工事中でした。桑名駅と同じように、自由通路を設け、そこに改札口Img_6341c ができるようです。2020年末供用開始予定とか。

20191102jrwalkingkanie  こちらがこの日のコースマップ。蟹江駅を出て南へ。蟹江町歴史民俗資料館、蟹江城址公園(この2ヶ所は去年訪ねました)、蟹江城本丸井戸跡、蟹江神明社、甘強酒造(甘強みりんを製造販売、日本酒を造っているのは知りませんでした)、銭洗尾張弁財天富吉神社(ここも去年来ています)、文化祭が行われている蟹江町体育館(パスしました)、まちなか交流センター・楽人(ここも来ています)、観光交流センター・祭人を経て、はつらつ公園がゴール。マップ上は、約6.6㎞ということで、この日の散歩代わりという感じも。はつらつ公園からはJR蟹江駅まで、約500m。

191102jrwalkingkanie  実際に歩いたルート。余分に立ち寄ったのは、観光交流センター・祭人を出たあと、須成祭りが行われる富吉建速神社、八剣社、龍照院です。一方、文化祭が行われている蟹江町体育館は、前をそのまま通過し、立ち寄ってはいません。はつらつ公園までで7㎞、蟹江駅に戻って7.3㎞でした。

Img_5872c  スタートは9時ちょうど。この日は、冒頭の写真のように、併催イベントとして「蟹蟹フェア」が、このあと訪ねる観光交流センター・祭人で9時から14時まで開催されているということでした。ただし、グルメは提供数がかなり限定されていて、売り切れているかも知れません。まぁ、残っていればラッキーという気持ちで。

191102jrwalkingkanie1  実際に歩いたルートを詳しくした実測ルートマップ。蟹江町歴史民俗資料館、蟹江城址、蟹江城本丸井戸跡はすぐ近くに集まっています。そこから蟹江川沿いに出てさらになんか。蟹江神明社、甘強酒造、銭洗尾張弁財天富吉神社と進んでいきます。

Img_5879c  スタートから700mほどで蟹江町歴史民俗資料館に到着。蟹江町産業文化会館の中にありまImg_5886c す。今日は、「蟹江町130年の歩み」という特別展と、文化財パネル展を開催していました。ここの玄関先には、ほとんどが埋まった状態の「蟹江町道路元標」と、旧・日光大橋の親柱の「象」のモニュメントがおいてあります(2018年3月6日:JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(その1)……蟹江町歴史資料館、蟹江城址、秋葉神社他をご覧ください)。

Img_5898c  こちらが「蟹江町130年の歩み」展の会場。蟹江町は、その1/5が蟹江川、日光川など5本の河川によって占められており、ほとんどが海抜ゼロメートル地帯です。古くから水害に悩まされてきた一方で、町内には日本の名湯百選に選ばれた尾張温泉が湧き出ています。さらに、源氏泉緑地や日光川ウォーターパークといった河川と緑豊かな自然に恵まれた環境から「水郷の町」として知られ、小説家の吉川英治は「東海の潮来」と称したといいます。現在は、名古屋市のベッドタウン。明治22(1889)年に町制が施行され、今年で130年ということでした。

Img_5899c  展示はさまざまあり、また、130年の歩みの小冊子も置かれていました。個人的には、こちらの大きなホーロー看板が気になりました(微笑)。「水郷 蟹江温泉 観光旅館 太閤閣」とあります。この旅館は今はないようです。今あるのは、尾張温泉東海センターという日帰り入浴施設と、そこからお湯を提供された「足湯かにえの郷」と思われます。

Img_5901c  その他に気になったのは(蟹江町の歩みとはまったく関係なく、恐縮ですが)、古いテレビやラジオ、テーImg_5905c プレコーダーなど。オープンリールのテープレコーダーは、子どもの頃、オヤジが似たようなテープレコーダーを買って使っていましたので、懐かしい。中学校に入ったとき、こういうオープンリールのテープレコーダーで毎朝、NHK第2放送の基礎英語という番組を録音して勉強していました。ラジオも、真空管式のもの。ソノシートのプレイヤーもありました。ソノシートは、安かったので買ってもらったか、何かの付録に付いていたものを聞いていた記憶があります。

Img_5915c_20191102181201  蟹江町歴史民俗資料館を出て100mも行かないところに蟹江城址公園があります。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時Img_5920c_20191102181201 任(ときとう)が城塞を築いたのが始めといわれます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。蟹江合戦は、天正12(1584)年6月に起こった尾張国南西部における羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦いです。主に蟹江城における篭城戦でした。結果的に見て蟹江合戦は、小牧・長久手の戦いにおいて秀吉が合戦で家康に勝つ最後の機会だったようですが、秀吉は、長久手の戦いに加え、この蟹江合戦でも主戦力の投入に失敗し、これ以降攻勢にでることはなかったといいます。ここと次の蟹江城本丸井戸跡では、かにえガイドボランティア夢案内人の方々が案内をしてくださいました。城址公園では、右のようなCG(コンピュータ・グラフィック)で再現した合戦の様子も展示されていて、興味深く見られました。これはなかなかのアイデアです。

Img_5927c_20191102181201  城址公園から30mで蟹江城本丸井戸跡。細い路地の、民家の軒先にあります。ここは、去年、見逃したところで、今日は是非Img_5933c とも見たいと思っていました。蟹江城の本丸井戸跡と伝わり、江戸時代の蟹江本町村絵図にも、ここに「古井」と記されているということで、この井戸跡が、蟹江城がここにあった証拠と考えられています。

Img_5939c  蟹江城本丸井戸跡を見てさらに西へ。スタートから約1㎞の手前で蟹江川の左岸堤防に出ます。ここからは南へ。

Img_5945c  堤防道路を200mほど行くと、蟹江神明社に出ます。コースの関係で裏参Img_5950c 道から入るのですが、その前に神社の北側にあるエリアをチェック。改築記念碑や、昇格記念碑が並んでいます。

Img_5960c_20191104192301  その脇にひっそりと戦捷記念碑がありました。「明治二十七八役」とありましたので、日清戦争(明治27~28(1894~95)年)に参戦された方々を称える碑でした。

Img_5978c  蟹江神明社の拝殿。永享年間(1429~1441年)、北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まりといいます。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。社伝によれば、北条時任の祖父、時行が海路台風に遭い、暗闇の中一条の太陽が射す奇跡により、一命をとりとめたのですが、これは伊勢神宮のおかげと、天照大神を尊び敬っていたので、その孫、時任が城を築くにあたって、天照大神を祭神として神明社に祀ったとされます。その後、天正12(1584)年の蟹江合戦で、全村焼失し、翌年の天正大地震で城は崩壊し氏子は離散、潅木が茂るに任されていたのですが、徳川が天下を統一し、元和元(1615)年、蟹江の住民も氏神様を崇敬する心が戻り、神明社跡地の荒地を整備し、元和5(1620)年に社殿を再興しました。御祭神は、神明社ですので、天照大神。拝殿前の常夜燈、どこかで見たなと思ったら、伊勢神宮の外宮前にあるのと似た形でした(2018年12月11日:20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。

Img_5970c  境内には、拝殿とは別に小さなお社も2つあったのですが、いずれも詳細は不明。神社検索(三重)のようなサイトがあればImg_5983c よいのですが、愛知県については、調べた範囲では見つからないのです。

Img_5980c  拝殿前で気になったのが、賽銭箱。再選を投入するところが左の写真のようになっていたのです。まるで自販機の料金投入口のようでした。賽銭泥棒とか、賽銭箱ごと盗んでいく輩もいるようですから、神社も大変でしょう。

Img_5987c_20191104194801  拝殿前には、古い石柱などが集められていました。その中には、「軍人勅諭下賜五十年記念」と刻まれた石柱もありました。蟹江町軍人会が建立したもの。軍人勅諭が明治天皇から下賜されたのは、明治15(1882)年1月ですから、この石柱が建てられたのは昭和7(1932)年と考えられます。

Img_6000c  蟹江神明社の隣には、薬師如来堂がありました。ネットで検索しても詳細は不明。この北に西光寺というお寺がありますが、そこと関係があるのかどうかも、今ひとつはっきりしません。

Img_6002c  再び蟹江川沿いに南下しますが、蟹江神明社のすぐ西には、昇平橋。かつては蟹江橋があったのですが、昇Img_6004c 平という人が寄付して橋を新しくしたためこの名がついたといいます(こちら)。なかなか趣のある橋です。

 このあと、いよいよ甘強酒造へ。そこからはその2にて。

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2019年11月 4日 (月)

九華公園、カモが勢揃いしました

Img_6633c  最高気温は、20℃くらいになったものの、北からの風が強い日。11時くらいからは5~6m/sの強さです。2日連続でウォーキング&ハイキングに出かけましたので、今日はいつも通り(微笑)。用事を1つ済ませて、8時半過ぎから11時頃まで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、寺町と5.7㎞を歩いてきました。桜の木は、紅葉が進んだものも多いのですが、すで葉っぱが落ちてしまったものもかなりあります。冒頭の写真は、諸戸氏庭園前。そういえば、諸戸氏庭園は、秋の特別公開が11月2日から始まっています。12月1日まで。また、紅葉の様子を聞いて、よいときに見てくることにします。

Img_6695c_20191104155201  今日は、九華公園のカモから。結論を書いてしまうと、種類的にはオールスター勢揃いです。1ヶ月前にオス1羽だけがちImg_9528c_20191104155201 ょっとだけ顔見せして、その後不在になっていたハシビロガモが、再登場。今日は3羽。オス2羽、メス1羽。オスは、まだエクリプス状態ですので、性別判別にミスがあるかも知れません。そして、ヒドリガモも2ペア。

Img_6653c  ホシハジロは、オス、メス1羽ずつ。これもたぶんペアだろうと思います。カモたちは、九華Img_9507c_20191104155201 橋あたり、二の丸堀、吉之丸堀と点在。そろそろ数取り器を持参しなければなりません。というのも、今日はキンクロは61羽もいて、カモの合計は68羽に達したからです。これで、種類としては、例年並み。あとは、ユリカモメの飛来を待っています。

Img_6675c  忘れれるところでした。九華公園の堀には、オオバンも1羽やって来ていました。オオバンはカモではありませんが、これでこそオールスターです(微笑)。なかなかよいポジションには来てくれませんでした。

Img_6641c  さて、話を戻して、住吉神社前の様子。住吉水門が少し下流にあります。そこにアオサギさんが1羽。左の写真では、こちらにImg_9492c 正面を向けています。神社前の階段を降りて、近いところに行こうと思ったら、案の定、逃げられました(苦笑)。鎮国守国神社の社務所裏のアオサギを見倣ってほしいものです。

Img_9496c  アオサギに逃げられてから、揖斐川をよく見たら、ヒドリガモのペアが1組。この住吉水門あたりから、三の丸水門あたり(七里の渡し跡も含め)までにはこれから時々いることがあります。この頃からすでに北風は、4m/sくらい。九華公園まで、小型の野鳥は見当たりませんでした。

Img_9499c_20191104155201  九華公園では、いつものところにアオサギさん。この近くに、今日はゴイサギも1羽いたのですImg_9510c_20191104155201 が、見つけた途端にバタバタと飛び立って、南の方へ行ってしまいました。ヒヨドリはやかましいくらいでしたが、風が強いせいか他の鳥はあまりいません。奥平屋敷跡で、ジョウビタキのオス。ただし、背景がゴチャゴチャしたところでした。

Img_6681c  鎮国守国神社の拝殿前には、ドウダンツツジがあります。この木が、紅葉し始めていました。さすがにもう11月ですからねぇ。九華公園では、散歩友達、知人の方に何人かお目にかかりました。久しぶりに会った方もあり、「どうしているのかと思っていた」といわれて苦笑。まぁ、こういうのはお互い様で、歩く時間が少し違ったりするだけでしばらく会わない(会えない)というのはよくあります。

Img_6710c_20191104155201  散歩の終わりがけ、住吉入江まで戻って来たら、ジョウビタキのオス。ただし、ちょっと離れた電線の上で、こんな証拠写真のみ。

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20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】

2019ujisato  昨日のJRさわやかウォーキングに続いてですが、今日は、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」に行ってきました。去年も氏郷まつりに合わせて、まったく同じコースの近鉄ハイキングに行っています(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……)20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その2)……愛宕山龍泉寺20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その4)……松阪神社、本居宣長ノ宮20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その5)……松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館を経て松阪駅でゴール(完))。畏友M氏と松阪の話をしていたら、御城番屋敷を見てみたいということになり、去年と同じコースではありましたが、出かけてきた次第。私も、御城番屋敷や、松坂城跡は気に入っています。ということで、今日は、「俄(インチキ?)ツアーコンダクター(苦笑)」。去年と同じコースですので端折りながら。詳細は、上記のリンク先から、去年の記事をご覧いただければ幸いです。

Img_6378c  近鉄松阪駅で9時半から11時が受付。桑名駅を8時42分に出る松阪行き急行に乗車して、9時49分着。¥960。受付は空いていまImg_6374c した。受け取ったコースマップのナンバーは194でしたからさほど参加者は多くはなさそうです。右がそのコースマップ。松阪駅北口にある近鉄松阪駅をスタートして、八雲神社、愛宕山龍泉寺、松阪神社、本居宣長ノ宮、松坂城跡、松阪市立歴史民俗資料館、旧長谷川治郎兵衛家を経て、近鉄松阪駅に戻るという、コースマップ上は約5㎞。スタートしてすぐ、道に迷っているおばちゃん3名に遭遇。道順を教えたら、「ついていく」といわれ、危うく掴まりそうになりましたが、松阪駅地下道で振り切ってきました(微笑)。女性も複数になると、その勢いに負け、こちらが元気を吸い取られそうになるのです(苦笑)。

191103kintetsuhikingmatsusaka  こちらが実際に歩いたルート。愛宕山龍泉寺までは、マップ通りに進み、その後、コースにはない御城番屋敷を見に行き、そのまま松坂城跡へ。ここから勝手にコース変更(微笑)。城跡で御城番屋敷を見下ろしながら昼食を摂ってから、本居宣長ノ宮、松阪神社へ行き、松阪市歴史民俗資料館はパス。旧長谷川治郎兵衛家から、本居宣長旧宅跡と牛銀の店を見て、豪商のまち松阪 観光交流センターを経て、松阪駅に戻ってきました。結局、7.1㎞を歩きました。御城番屋敷のあたりは何度もウロウロしましたし、日野町交差点から松阪駅は同じルートを往復しています。

2019ujisato2  今日は、氏郷まつり。松阪駅南にある日野町交差点を中心に十字形に歩行者天国となって、パフォーマンス、露店など多数。途中、県立相可高校食物調理科のブースがあり、弁当を売っていたので是非とも買いたいと思ったものの、販売は11時からといわれ(そのときはまだ10時半過ぎ)、泣く泣く諦めました。あの「まごの店」という研修施設で有名になったところです。

Img_6395c_20191103165801  最初の立ち寄り先は、八雲神社蒲生氏郷(がもううじさと)によって松ヶ島城から遷社されました。松坂Img_6400c (元々は、このように表記)は、天正12(1584)年、豊臣秀吉の臣・蒲生氏郷が、近江日野(おうみひの)から松ヶ島城(松阪市)12万石の城主に着任してできた町です。松ヶ島は、良港があり街道沿いの要地ですが、地形上片寄りすぎるため、4年後に四五百森(よいほのもり)という西方丘陵に築城し、地名を松坂、城を松坂城と命名し、楽座楽市を採用し城下町を造成しています。御祭神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)とありました。

Img_6402c_20191103165801  詳細は割愛しますので、去年の記事をご覧ください。一つだけ追加。見てはいけないものなのですが、一度は見てみたいと思Img_6404c っていた光景を見てしまいました。載せてもバチは当たらないと思って、思い切って載せます。境内に伊勢神宮遙拝所があります。それもこのように立派なお社が建っていて、拝殿には内宮や外宮と同様に白い幕が掛かっているはずなのですが、今日は風のいたずらか、このような状態になっていたのです。そこには、何と、注連縄がかかった自然石が置かれていました。これが、この遙拝所のご神体のようです。考えてみれば、神社の社が作られるようになったのは、仏教伝来以降、寺院の建物の影響のようですから、それ以前はこのような自然のものを拝む対象にしていたとしても不思議はありません。個人的には、親しみ感と、ちょっとホッとしたような気持ちでした。

Img_6409c_20191103165801  次の目的地である愛宕山龍泉寺へ向かうべく、湊町を歩いていたら、道ばたにこんな看板を発見してしまいImg_6410c ました(苦笑)。今時、こういうものはほとんど目にしなくなりました。「ポ○ノ映画」の案内です。M氏と「これは珍しい」と盛り上がり、看板の奥を確かめに行ってしまいました(物好きであります)。路地の奥にあったのは、松阪大映という映画館(Wikipediaに項目がありました!)。昭和15(1940)年前後に、三重県松阪市湊町にアサヒ館(アサヒかん)として開館、昭和35(1960)年頃、現館名に改称したといいます。改称当時は大映の封切館でしたが、昭和45(1970)年くらいに同系列から独立し、成人映画館に業態変更し、今も営業しているようです。松阪市内最後の映画館。

Img_6414c  松阪大映から出て来て少し進んだら、こんな店も。パブです。これも珍しい。桑名でも、一番街の東あたりに行くとまだこういう店があるのかも知れませんが、足を踏み入れたことはありません。松阪のこの湊町というのは、ある種の繁華街だったのかも知れません。ここの2つのパラグラフだけ読んでいただくと、このオッサンたち、何しに行っているんだ?となるかも知れませんが、これはあくまでも余談であることを強調しておきます(笑)。

Img_6416c  スタートから1.3㎞ほど、10時20分に愛宕山龍泉寺。真言宗嵯峨大覚寺派のお寺。龍泉寺のある愛宕町は、Img_6418c 江戸時代には川井町とともに遊郭として栄えたところだそうですから、近くにある湊町が繁華街だったという、上記の推測は正しいかも。ここは、神仏習合の雰囲気がとても強いお寺。三門の前に朱い鳥居がありますし、境内にも津島神社、稲荷社などがあります。三門は県指定有形文化財。切り妻造りの薬医門で、時代は安土桃山時代。松ヶ島城裏門を移したとも、松坂城の門を移したともいわれるようですが、確証はないそうです。

Img_6427c_20191103172701  去年、見落としたものが1つありました。それがこちらの天照皇大神宮遙拝所です。本堂の手前、右側に建っています。昭和5Img_6433c 年の建立。オマケは、今日のバードウォッチング(微笑)。滝泉寺の本堂を参拝していたら、キセキレイが登場。

Img_6437c  龍泉寺を出て、愛宕町西の交差点を右折。ここは、伊勢街道。先日、歩いたところですが、今日は祭のエリImg_6440c ア。露店なども多数出ていましたし、10時頃からは各種のパフォーマンスも行われていました。

Img_6441c  600mあまり歩いて、日野町交差点へ。ここは、毎回取り上げていますImg_6442c が、伊勢街道と和歌山街道の分岐点で、道標が建っています。今日は伊勢街道を南から来て、ここで左折。しばらく和歌山街道を歩いて、新町交差点で右折し、松阪工業高校の方に向かいます。御城番屋敷は、松阪工業高校の裏手にあります。

Img_6453c  氏郷まつりの武者行列が11時に松坂城跡を出発して、ここを通って行きまImg_6456c_20191103173901 す。大変申し訳ないことながら、武者行列にはさほど関心がありません。御城番屋敷を見たいということで、しばし待機。しかし、写真は撮ってきました(苦笑)。

Img_6480c  こちらが蒲生氏郷公と思います(しっかり確認はしていません)。後ろには、氏郷の妻・冬姫(織田信長のImg_6482c 次女。ただし、この名前は資料を誤読したものという説もあります。相応院という院号が伝わっていますが、実名などは明らかではないといいます)。

Img_6447c  武者行列が来るまでは、御城番屋敷を見学。何度見てもいいですねぇ。ここは御城番であっImg_6451c た紀州藩士の子孫の方々が、苗秀社という会社を作って維持し、借家として貸し出しています。短期間でよいから住んでみたい気がします。

Img_6492c  武者行列が通り過ぎてしばらくすると、人通りも減っImg_6501c_20191103174801 て、静かになりました。御城番屋敷の向こうは、松坂城跡。二の丸跡がこちらに面しています。いやぁ、それにしてもやはり、城跡には石垣が必須です。そう思います。羨ましい。桑名城は、平城というか、水城でしたから、こんな立派な石垣はありません。

Img_6517c  そもそも御城番屋敷に立ち寄るところから、コースアウトしています。そのついでにこのまま松坂城跡に上り、二の丸跡からImg_6520c 御城番屋敷を眺めながら、昼ご飯にしようというのが、来るときからのプラン。いい眺めです。11時半。ここでしばらくボーッとしているのもよい気がします。今日の昼ご飯は、相可高校弁当が買えなかったので、その後ブラブラしていて見つけた尾鷲の寿司。うなぎちらし(¥600)であります。御城番屋敷を眺めながらゆっくりと味わってきました。その後、天守閣のあった本丸跡まで上って、逆回りになるのですが、本居宣長ノ宮、松阪神社へ。

Img_6535c  左の写真が本居宣長ノ宮。主祭神は、秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、相殿神は神霊能真柱大人(平田篤胤)。合格祈願・Img_6545c 学業成就などの御利益があるとされます。本居宣長ノ宮の南隣に松阪神社があります。ただし、両社は無関係。松阪神社は、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。御祭神は、主祭神が誉田別命と、宇迦之魂神。合祀されている神様は33柱。詳細は、去年の記事をご覧ください(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その4)……松阪神社、本居宣長ノ宮)。

Img_6532c  このあと、再び松坂城跡と御城番屋敷の間に戻って、城跡の南側から東側を回って、追手門跡の前に出ます。石垣を見上げなImg_6558c がら歩くのですが、いい眺めです。右の写真は、追手門跡の前。こちらが松坂城の正門になります。ここを入ったところに、松阪市歴史民俗資料館があります。「第70回松阪肉牛共進会開催記念企画展『松阪牛』~世界ブランドと呼ばれるまで~」が開催されていたのですが、パスしてきました。

Img_6562c  松阪市役所の前あたりでスタートから約5㎞。市役所の先を北に入って、旧長谷川治郎兵衛家を見学。本日は、無料でした。卯建が上がる立派な邸宅。というのも、松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家Img_6563c_20191103183201 の本宅なのです。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめています。江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となり、広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえるくらいなのです。

Img_6567c  広大な屋敷構えなのですが、それは、その長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたものImg_6580c_20191103183201 で、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができるといいます。左の写真は、平成26(2014)年につくられたもの。右は、庭園の一部。

5298  こちらは、松阪市のホームページからお借りした平面図。もっとも右側が主屋。蔵が5つあります。西側エリアには離れ、茶室、四阿の他、広大な庭園となっています。

Img_6589c  旧長谷川治郎兵衛家の斜向かいあたりに、本居宣長旧宅跡があります。宣長の曾祖父・小津三郎右衛門が、承応(しょうおう)3(1654)年、本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家(こことは、溝を距てて地続きで、裏口で通じていたそうです)が、小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、そちらには、現在は何も残っていません。宣長の息子・春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて、当時の名残があります。

Img_6604c  このさらに先に、牛銀本店。ほとんど余談ですが、ここで松阪牛は味わえないにしても、店だけは見ていこうという次第(苦笑)。旧長谷川治郎兵衛家から出て来たとき、牛銀本店前には、観光バスが入っていました。見に行ったときも、店の前にはけっこうな人が待っていたくらい。ちなみに、「松阪肉すき焼オール込みコース魚町」が¥11,000でした(こちら)。

Img_6387c  このあと、コースでは旧小津清左衛門家、三井家発祥地などを回ることになっていたのですが、Img_6618c_20191103184001 1ヶ月ほど前の伊勢参りツアーで見たばかりでしたからパス(2019年10月5日:20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】)。来た道を戻って、最近できたばかりの豪商のまち松阪 観光交流センターを覗き、よいほモールを通って、日野町交差点を左折して松阪駅に向かいました。左の写真は、JR松阪駅前にある驛鈴のモニュメント。これは本居宣長ゆかりの遺品「七古鈴(ななこれい;七種鈴とも)」の1つ、驛鈴を模ったもの。宣長から源氏物語の講釈を聴くために松坂を訪れた石見国浜田藩主・松平康定が寛政7(1795)年に宣長に贈ったもの。

Img_6620c  13時20分、近鉄松阪駅にゴール。7.1㎞を歩いてきました。天気予報は曇りだったのですが、松坂に着いたら晴れてきて、けっこう暑くなったのです。羽織っていたウィンドブレーカーもすぐに脱いだくらい。13時32分に松阪始発の名古屋行き急行がありましたので、それに乗車。桑名には14時40分に到着。¥960。

Img_6624c  今日のALKOOのデータ。18,409歩。松阪では7.1㎞を歩きましたが、自宅から駅の往復が1.8㎞ですから、Img_6629c_20191103192301 合計8.9㎞。あみま倶楽部のスタンプは、今日で29個。会員資格更新の12月末までに40個は無理かなぁ? ということで、今日の近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」はこれにて「完」。

191104chuunichiujisato 【付記(11/4)】 11月4日の中日新聞朝刊に氏郷まつりの記事が載っていました。

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2019年11月 3日 (日)

20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(予告編)

 今日は、JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」に行ってきました。明日は近鉄ハイキング(蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策)に行くつもりですから、ちょっと迷ったものの、JRさわやかウォーキングのスタンプが8個でした。賞品がもらえる10個達成を目指して、思い切って参加。今日のところは、予告編。今日のコースは、去年3月4日のJRさわやかウォーキング(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))と一部で重複しています。このときは、山田酒造へ行きました。

Img_5871c_20191102175801  受付は、JR関西線・蟹江駅で8時半から11時。ただし、コースマップを見たら、甘強酒造での試飲が10時からとなっていましたImg_5862c ので、桑名駅を8時38分に出る名古屋行き普通電車に乗車。蟹江駅には、8時55分に到着。¥240。この2分後には、名古屋から来る下り電車(桑名行き)も到着し、大賑わい。

20191102jrwalkingkanie  こちらが今日のコースマップ。蟹江駅を出て南へ。蟹江町歴史民俗資料館、蟹江城址公園(この2ヶ所は去年訪ねました)、蟹江城本丸井戸跡、蟹江神明社、甘強酒造(甘強みりんを製造販売、日本酒を造っているのは知りませんでした)、銭洗尾張弁財天富吉神社(ここも去年来ています)、文化祭が行われている蟹江町体育館(パスしました)、まちなか交流センター・楽人(ここも来ています)、観光交流センター・祭人を経て、はつらつ公園がゴール。マップ上は、約6.6㎞ということで、今日の散歩代わりという感じも。はつらつ公園からはJR蟹江駅まで、約500m。

Img_5872c  スタートは9時ちょうど。蟹江駅は、現在、新しく生まれ変わるために工事中でした。桑名駅Img_5868c_20191102180301 と同じように、自由通路ができるようです。2020年末供用開始予定。

Img_5869c_20191102180601  また、今日は、併催イベントとして「蟹蟹フェア」が、このあと訪ねる観光交流センター・祭人で9時から14時まで開催ということで、このチラシをいただきました。グルメ、提供数がかなり限定されていて、売り切れているかも知れませんが……。まぁ、残っていればラッキーという気持ちで。

Img_5886c  最初の立ち寄り先は、蟹江町歴史民俗資料館。スタートから800m弱。蟹江町産業Img_5898c 文化会館の中にあります。今日は、「蟹江町130年の歩み」という特別展と、文化財パネル展を開催していました。

Img_5899c  一通り見てきましたが、気になったのは、左の写真の「水郷 蟹江温泉 観光旅館 太閤閣」という巨大なImg_5901c ホーロー看板と、古いテレビやラジオ、テープレコーダーなど。オープンリールのテープレコーダーがありましたが、子どもの頃、オヤジが似たようなテープレコーダーを買って使っていましたので、懐かしい。ラジオも、真空管式のもの。ソノシートのプレイヤーもありました。ソノシートは、安かったので買ってもらったか、何かの付録に付いていたものを聞いていた記憶があります。

Img_5915c_20191102181201  歴史民俗資料館のすぐ近くに蟹江城址公園があります。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時任(ときとう)が城塞を築Img_5920c_20191102181201 いたのが初めといわれます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。ここと次の蟹江城本丸井戸跡では、かにえガイドボランティア夢案内人の方々が案内をしてくださいました。城址公園では、右のようなCG(コンピュータ・グラフィック)で再現した合戦の様子も展示されていて、興味深く見られました。これはなかなかのアイデアです。

Img_5927c_20191102181201  城址公園から30mで蟹江城本丸井戸跡。細い路地の、民家の軒先にあります。ここは、去年、見逃したところで、今日は是非とも見ていこうと思っていました。蟹江城の本丸井戸跡と伝わり、江戸時代の蟹江本町村絵図にも、ここに「古井」と記されています。この井戸跡が、蟹江城がここにあった証拠と考えられています。

Img_5945c  井戸跡から西へ進み、蟹江川の堤防に出ます。ここから南へ進み、蟹江神明社へ。スタートして、まだ1.2㎞くらい。コースの関係で、裏参道から入ります。永享年間(1429~1441年)、北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まり。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。

Img_5978c  御祭神は、神明社ですので、天照大神。拝殿前の常夜燈、どこかで見たなと思ったら、伊勢神宮の外宮前にあるのと似た形でした(2018年12月11日:20181211伊勢神宮・外宮参拝へ……神宮暦を入手してきました)。

Img_6015c  蟹江神明社からまた蟹江川の堤防を進みます。スタートから約1.7㎞、9時40分過ぎに甘強酒造に到着。「甘強みりん」という大きな看板を何度も電車から見て以来、気になっていたところ。たぶん「甘強」という名前のインパクトで気になったと思います。創業は、文久2(1862)年ですから、今年で157年。みりん専門と思っていたのですが、このウォーキングに向け、下調べをしたら、日本酒や、梅酒、漬床も造っているのを知りました(こちらに商品リストがあります)。

Img_6032c_20191102183701  10時からと思っていたのですが、スタッフの方から「試飲、どうぞ」と声をかけていただImg_6017c けました(微笑)。今日は、無料で、純米吟醸酒 いっこく(右の写真)、本醸造 名古屋正宗(これを土産にしました)(日本酒のリストはここ)、里香梅 紅麹梅酒をそれぞれ1杯ずつ(といっても、写真のようなミニカップ)頂戴しました(微笑)。

Img_6026c  土産にしたのは、こちら、本醸造 名古屋正宗(720ml入りが¥900)。愛知県産米を使用し、飲みやすいお酒ということです。ただ、個人的な好みをいえば、どうも三重県の酒蔵の酒の方が好み。あくまでも好みの問題ですので、ご了解あれ。この近くでは、山田酒造さん、青木酒造さんのものも試しましたが、私的な結論。愛知県で生まれ24歳まで育ったものの、三重県在住40年で、すっかりこちらに馴染んだためかも。水の違いが大きいような気がします。

Img_6068c  このあと、みりん工場にも周り、そちらでもみりんの試飲をしてきました。私はあまり関心がないので知りImg_6071c_20191102183801 ませんでしたが、昔仕込本味醂、弐拾年熟成黒みりんなど、さまざまありました。

Img_6043c  甘強酒造といえば、その旧本社事務所の建物が、昭和12(1937)年建築で、登録有形文化財。この旧本社Img_6060c_20191102183801 ビル事務所も含め、甘強酒造では、みりん工場(明治初年築)など4棟が登録有形文化財として登録されています。

Img_6077c  念願の甘強酒造に行けて気分も良好。続いては、甘強酒造からすぐ近くにある銭洗尾張弁財天富吉神社へ。ここも、去年3月のJRさわやかウォーキングで来ました。そのときと同様、100円玉を5個、洗ってきました。家族4人プラス家内の母の分。たまたま財布の中に100円玉が5個入っていたのです。

Img_6115c_20191102193601  このあと、蟹江川を渡って、川の西へ。住宅街の中でバードウォッチング(微笑)。というよりも、歩いていたら、ジョウビタキの鳴き声が聞こえてきました。町役場の南東あたり。ジョウビタキのメスがいました。今シーズンは、よく見ます。

Img_6119c  その後、蟹江町役場の前を通って、蟹江町体育館。体育館では、町民文化祭会場でしたが、Img_6122c 申し訳なく思いながら、そのまま通過。

Img_6125c  スタートから2.9㎞、10時25分頃、まちなか交流センタImg_6130c_20191102193601 ー・楽人。ここも以前に来ています。なので、立ち寄って中を見て、そのまま出て来ました。楽人を出てすぐに3㎞。JR関西線の線路までまっすぐ北上。

Img_6137c  線路を八ヶ島踏切で越えて(JRの踏切には、すべてこのように名前が付いています)、再び蟹江川沿いに出ます。蟹江川を上Img_6150c_20191102194401 流方向に歩いて行きます。

Img_6152c  須西小学校のところで、再びジョウビタキのメスが出て来ました。今シーズン、本当によくImg_6160c 見ます。スタートから約5.3㎞、11時前に観光交流センター・祭人に到着。ここは今までよく知らなかったのですが、須成祭に関する展示を行うミュージアム、物販・カフェスペースなどとなっていました。

Img_6168c_20191102194501  須成祭は、あまりよくは知らなかったのですが、この近くにある冨吉建速神社(とみよしたけはやじんじゃ)・八剱社(はっけんしゃ)両社の祭礼として行われる川祭で、8月第1土曜日に宵祭、翌日曜日に朝祭が行われImg_6173c ます。この祭は、「車楽船(だんじりぶね)の川祭」と「神葭(みよし)の神事」の2部から構成されており、7月「稚児定め」から10月「棚下し」まで約100日間にかけて数々の祭事が行われ、別名「100日祭」ともいわれています。津島神社の天王祭りと似たお祀りのようです。

Img_6162c  ここでは、山田酒造さんの最愛というお酒の試飲ができました(微笑)。スタッフの方に、「PRしておくImg_6165c_20191102194401 ね」と約束しました(笑)。右の写真が、この最愛という酒。山田酒造さんへは、去年3月4日のJRさわやかウォーキングで行っています(JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋で利き酒と蟹江のまちを散策」へ(その3)……日吉神社で「蕃塀」を見て、いよいよ山田酒造へ(続く))。

Img_6193c  さらに、ここ祭人では、スタートの時にもらったチラシにあったように、蟹蟹フェアが行われていました。Img_6228c 蟹蟹ラーメンや、蟹タクちらし、蟹デコSUSHIがまだありました。味彩もへののお姉さんの強力な売り込みがあり、蟹タクちらし(¥300)をお買い上げ。「小腹、空いていませんか?」といわれて、やられました(苦笑)。このあと立ち寄った冨吉建速神社・八劔社でいただくことになりました。

Img_6203c  その冨吉建速神社・八劔社。天平5(733)年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれます。富吉建速Img_6213c_20191102200301 神社本殿は一間社流造・桧皮葺、八劔社本殿は、三間社流見世棚造桧皮葺で、それぞれ室町時代の特色をもった建物で国の重要文化財に指定されています。富吉建速神社の御祭神は、 素盞嗚尊(すさのおのみこと)。八剣社のそれは、草薙神霊(くさなぎのしんれい)。相殿神は、熱田五神(あつたごしん)。

Img_6235c  神社の隣に蟹江山常楽寺龍照院。真言宗智山派のお寺。天平5年に行基菩薩によって本尊に十一面観世音菩Img_6247c_20191102200401 薩を奉安し創建されたといわれています。御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182年)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。境内には、大日如来堂があり、木曾義仲の菩提を弔うために巴御前が安置したといわれる大日如来坐像 巴御前が安置されています。巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。

Img_6261c_20191102200301  ここで見たかったのは、こちらの大イチョウ。「龍照院の大イチョウ」として、蟹江町の天然記念物。町内一、二の巨木といいます。太閤秀吉御手植えの銀杏という話が伝わっており、江戸時代の文献にもそのように記載されているといます。そうだとすれば、樹齢は400年を越えるでしょう。平成6(1994)年時点の樹高は23m、幹回りは3.5mだったそうです。冨吉建速神社・八劔社も、龍照院も立ち寄り先には指定されていませんでしたが、須成祭に関わると思って、寄り道。ここで5.5㎞。再び蟹江川に沿って行きます。

Img_6292c  5.8㎞地点、御葭橋のところで左折し、ゴールのはつらつ公園へ向かいます。途中、桜1丁目に入ったところImg_6301c にある調整池でもバードウォッチング(微笑)。カルガモとコガモがいました。ゴールまでもう立ち寄るところはありません。

Img_6311c  11時40分にゴールのはつらつ公園に到着。ここまででちょうど7.0㎞。いImg_6314c_20191102200401 つもの散歩+αの距離。スタンプカードに捺印してもらい、これで9個目。11月23日までにもう1個押印してもらえるとよいのですが、どうでしょう? 直近で近くというと、11月10日(日)、JR紀勢線・多気駅でのウォーキングがありますが(晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、「おいないまつり」で多気の文化と食を楽しもう!)、どうしましょう?と思案中。これに行けばスタンプ10個は達成。しかし、JR関西線・桑名駅からJR紀勢線・多気駅まではちょっと遠い。前日は、近鉄ハイキング(近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅))参加を計画中。

Img_6327c  はつらつ公園には、物販スペースも出ていましたし、コーヒーショップも出店。物販スペースでは、蟹江町特産というイチジクを使ったお菓子を売っていました。しかし、これといってほしいものはありませImg_6323c_20191102203901 んでしたので、しばし休憩ののち、JR関西線・蟹江駅に向かいます。

Img_6337c_20191102200401  蟹江駅には、11時50分に到着。ここで、7.3㎞。12時ちょうどに四日市行き普通がありましたので、それに乗車、桑名駅には、12時16分着。¥240。蟹江駅でホームに出たら、私が「富田のオッちゃん」と呼んでいる知人に遭遇。この方、「よく遊び、よく学べ」の達人。密かに尊敬しています。きわめてフレンドリーで、誰とでも知人・友人になります。「ハマちゃん」みたいな人。「おぉ、久しぶり」と手をあげて挨拶されました。私より一回り年上なのですが、元気です。

Img_6349c_20191102200401  今日の歩数は、ALKOOによれば、15,529歩。まぁまぁです。足らないこともなく、歩きすぎることもなくですから。本編は、また改めて書き始めます。明日は、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」。畏友M氏と行ってきます。私は去年の氏郷まつりも見に行きましたが(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)、M氏が「御城番屋敷を見てみたいlとおっしゃるので(他人様のせいにしてはいけませんが……)。

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2019年11月 1日 (金)

ヒドリガモとビンズイ登場……カワセミは接近遭遇したものの撮り逃がし

Dscn1907c  11月に入りました。本当に「歳月人を待たず」です。年をとると、日時が過ぎるのが加速度的に早くなるといいますが、実感です。そして、「今年も残すところあと2ヶ月」といってもヘンに思われない時期です。やれやれ、このまま時間が過ぎるスピードが上がっていったら、この先どうなるのか、という気もします。まぁ、ぼやいていても仕方ありませんから、今日も散歩と、わずかな仕事に励みました(微笑)。このところ、夜早くに寝てしまい、朝、相当早く起きて、日の出前に仕事をしているというライフスタイルで、午後は眠くなり、午睡も貪っています。散歩は、8時から10時、住吉神社、九華公園、京町、寺町と回って来ました。いったん帰宅して、11時からインフルエンザの予防接種を受けに再度外出。ドキドキの初体験(苦笑)。今年度から後期も非常勤に行くことになりましたので、受けておいた方が良さそうだと考え直した次第。いずれも徒歩で、合計6.2㎞。

Img_9386c  まず、諸戸氏庭園の東側の樹上にモズを発見。9月の終わりから10月に入った頃あちこちで見かけたものの、その後は、声はすれども姿は見ず、でした。住吉入江、揖斐川あたりには何もいません。河口堰を超望遠コンデジで眺めると、アオサギやダイサギらしき鳥は見えたものの、カモは分からず。

Img_9395c  柿安コミュニティパークの東の三の丸水門のところで、ヒドリガモを発見。ちょうど日陰になっていて、こんな証拠写真。この3ペア(6羽)の他に、もう3~4羽はいるようでした。ここにいるなら、九華公園の堀にも来ているかも知れません。

Img_5810c  九華公園には8時20分を過ぎた頃到着。ヒヨドリが賑やかどころか、やかましいくらい。アオImg_5807c サギさんは、いつものように定位置にいます。カワラヒワも増えてきて、小集団で行動しています。ものの本によれば、秋にこのように小集団をつくって、見合いをするとか。

Img_5814c  ジョウビタキの声も、2ヶ所くらいから聞こえていました。オスのジョウビタキがいましたので、それを追いかけていたら、こちらも登場。公園管理事務所の南あたり。暗い写真ですが、ビンズイのようです。早い登場のように思ったのですが、九華公園では、去年は11月5日に初認(2018年11月5日:ビンズイ登場、松の木にアオサギとカワウ隣り合わせ、カモは58羽……九華公園は楽し)。

Img_9421c_20191101171301  三の丸水門でもヒドリガモを見ましたが、九華公園の堀にも1ペアがいました。二の丸堀を一緒に泳いでいました。昨日5羽Img_5827c いたホシハジロ、今日はオス1羽のみ。

Img_5828c  キンクロハジロは、二の丸堀と吉之丸堀とを合わせて40羽になっていました。カモも一気Img_9431c_20191101171401 に増えてきました。ハシビロガモが来てくれ、ホシハジロやヒドリガモの数が増えたらいうことなしなのですが……。

Img_5829c  ジョウビタキの鳴き声が2ヶ所でしていたと書きました。結果的に、オス1羽、メス1を見られました。メスは、本丸跡の辰巳櫓跡近くで。

Img_9467c  オスは、管理事務所近くで見かけ、追いかけたものの逃げられました。そImg_9468c の後、外周遊歩道の南側エリアでこのオスを見つけました。どのくらいの範囲を縄張りにし、移動するのかよく分かりませんが、同じ個体かも知れません。左の写真は不出来で、右の写真はピントが今イチ(苦笑)。右の写真は、翼の裏側が見えたので、記録の意味もあって載せようということです。

 「逃した魚は大きい」という話なのですが、野球場の南でカワセミに遭遇。今日は、天気がよく綺麗に見えたのですが、慌ててしまい、撮影も失敗。あらぬところが写っていました(爆)。ジョウビタキのオスを撮った後、再度カワセミに遭遇。このときは、キセキレイもいて、またもやウロウロ。2回目は撮影できず。カワセミは、昨日も鎮国守国神社の社務所裏で目撃情報がありました。

Img_5851c  キセキレイには、その後、立教小学校の体育館の北で出逢え、ちょっと距離はあったものの写真は撮れました。カワセミは惜しいことをしましたが、キセキレイだけでも撮れましたし、ジョウビタキもオス、メスがいて、ビンズイやヒドリガモも登場しましたから、まぁ良し。

Dscn1905c  週末はまたもや3連休だそうです。明日(11/2)は、蟹江でJRさわやかウォーキング。「老舗酒蔵「甘強酒造」の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(さわやかウォーキングが終わると、リンク切れになります)。「甘強(かんきょう)酒造」は、「甘強みりん」を作っている会社。電車から「甘強みりん」という大きな看板を見たことがあり、前から気になっていたのです。明日は「蔵元感謝祭」が催されるようです。みりんだけでなく、日本酒もあるようでこれは魅力的(微笑)。ウォーキングは、蟹江町歴史民俗資料館、蟹江城址、蟹江神明社、銭洗尾張弁財天、甘強酒造などを回って、はつらつ公園がゴールという約6.6㎞。立ち寄り先の半分以上は、これまでに行ったことはあるのですが、散歩代わりに出かけようかと思っています。日曜(11/3)は、近鉄ハイキングで松阪へと予定しています。「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」です。これは去年も行ったコースなのですが、畏友M氏が、御城番屋敷へ行ってみたいとおっしゃるのです。松阪はなかなかよい町で、御城番屋敷は私も気に入っています。写真は、近所のお宅のコスモス。コスモス畑のようにたくさんのコスモスが咲いているのもよいのですが、こういうのも捨てがたいと思っています。

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20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(その3)……櫛田川を越え、大乗寺、早馬瀬神社、野仏地蔵、梵字による六字名号を見ていよいよ祓川を越え、斎宮跡、斎宮歴史博物館を回って、斎宮駅にゴール(完)

191027kintetsuhikingmatsusaka5 10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」も櫛田川を渡り、その3になります。櫛田川を渡ったあたりはまだ松阪市です。櫛田川を渡ったということで、ちょっと気持ちが楽になりました。というのも久しぶりのハイキングで、11㎞も歩けるかと若干心配していたのです。

Img_0821c  櫛田橋を渡ってすぐ右のところには、常夜燈があったのですが、これは、松坂城跡に移設されています。去年11月3日の近鉄ハイキング(20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ……予告編)の時に見てきたこの常夜燈がそれだと思います(こちらのサイトの説明による)。

Img_5457c  櫛田橋を渡って左折し、漕代(こいしろ)地区市民センターを過ぎたところ、右手(南)に医王山善福院Img_5459c_20191031044801 大乗寺。浄土宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来。本堂はかなり古い建物に見えましたが、境内は綺麗に整えられていました。明治初期には、ここに寺子屋があったといいます(こちら)。本堂に向かって左手(西)には、山の神が13基集められていました。お寺にあるのは珍しい。

Img_5462c_20191031044901  その奥には、石碑が1基。「平和之礎」と読めます。碑表には、20名の方々のお名前と「満州国」「比島」「ビルマ」などの地名、昭和20年4月6日などの日付が刻まれていました。第二次世界大戦で戦没された方々の慰霊碑でした。碑陰には回りませんでしたので、建立されたのがいつかや、どなたが建てられたかは確認できませんでした(三重県遺族会のリストにもありません)。

Img_5468c  大乗寺の南に小さなお社があります。これが、早馬瀬神社。お寺の方からも入れますが、表参道は西側の道にImg_5475c 面しています。不思議な神社です。右の写真のように、本殿の社の前にまるで目隠しのようなものが建っているのです。これは初めて見る形式。

Img_5477c  本殿近くまで行ってみると、このようになっています。「蕃塀」なのでしょうか? しかし、この前に賽銭箱が置いてありますから、違うのでしょう。う~ん、これはよく分かりません。ご存じの方がいらっしゃったら、是非ともご教示をお願いします。

Img_5479c  さらに南側(お寺の側)の裏参道に当たるところの両側には、道標が建てに2つに割れたもImg_5481c_20191031044901 の(割ったもの?)が左右に建っているのです。向かって右に建つものには「右けかう……」(……部分は、地中に埋まっています)。左に建つものには正面に「文化十三丙子春 櫛田川 越場…/同志…」とあります(こちらによる)。その左側に「左さんくう……」(……は同様に地中に埋まっています)。この道標、元は、渡し場付近にあったものをここに移設しています。文政13(1816)年建立。いや、それにしても不思議なというか、興味深い神社です。しかし、神社検索(三重)のサイトにも、ネット検索してもほとんど情報は出て来ません。大乗寺、早馬瀬神社のあたりで9㎞。

Img_5486c  伊勢街道に戻って次の交差点のところ、南側に野仏地蔵様がいらっしゃいました。このお地蔵様は、天保9(1838)年の建Img_5488c 立。裏に「天保九戊年十月一日 施主 正木五良兵ェ時尋」と刻まれています。施主がどこのどなたかは不明。みえの歴史街道の伊勢街道のマップには、ここは、機殿(はたどの)道との分岐とありました。「機殿」はおそらく、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ;大垣内町;御祭神の神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどののまもりのかみ)は、神御衣祭(5月と10月の14日)に供進される和妙(にぎたえ・絹布)を奉職する御機殿の鎮守の神)と神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ;井口中町;御祭神の神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ)は、神御衣祭(かんみそさい)に供進される荒妙(あらたえ・麻布)を奉職する御機殿の鎮守の神)のあるところをさします。この両社、元々は同じ場所に鎮座していたものが分かれたと考えられています。いずれも皇大神宮(内宮)所管社で、両社を合わせて両機殿と呼びます。両機殿の所在地は旧機殿村で、松阪市立機殿小学校にその地名を残しています。

Hatanodo  余談が過ぎていますが、位置関係はこのようになっていました。櫛田川沿いに下流に行ったところでした。

Img_5494c  野仏地蔵様からしばらくは見るべきところ、ものはありません。近鉄山田線・漕代駅近くまで進みます。大稲木交差点を過ぎて、10.1㎞ほどのところに「六字名号碑」があります。六字名号は、「南無阿弥陀仏」の六文字をいいますが、この碑にはそれが梵字で刻まれています。文化14(1817)年建立。「ヘェ~、珍しいな」と思って、つくづく眺め、先に進もうと思ったら、さらに珍しいものを発見。

Img_5499c_20191031070701  それはこちら。実測ルートマップその5には、表現に困って「神棚のような社」と書いたもの。家庭にある郵便受けか、鳥のImg_5504c 餌台のような感じ。道路脇(東側)のコンクリート製の杭に固定されています。ガラス戸の内側には、家庭用の神棚らしきものが納められています。覗き込んでみたら、向かって右側には津島神社の御札。どなたか個人の方がこれをつくったのでしょうかねぇ? それにしても歩いていると、いろいろなものに遭遇。まさに「犬も歩けば棒に当たる」です。余分な講釈。これ、本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味でした。しかし、今では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われています。

Img_5506c  漕代駅のすぐそばには、この建物。消防団分団の倉庫でした。赤電球がシンボル。昔も、消防団の倉庫などにこの赤電球が灯っていた記憶があり、ちょっと懐かしい感じと思いつつ、歩を進めます。

Img_5509c  スタートから10.4㎞、12時45分頃、祓川(はらいがわ)に到着。この川が、松阪市と明和Img_5517c_20191027213101 町の境。「祓川」は、「神仏に参拝するとき、身を清めるために禊(みそぎ)する川」という意味で、普通名詞として用いられますし、あちこちにこの名前の川があります。ここは、斎王が、群行の際、祓いをして斎王宮に入ったのでこの名が付いています。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性です。歴史に見られる斎王制度は、天武2(674)年、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ;神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として伊勢に遣わしたことに始まります。ちなみに、この払川、江戸初期以降、冬から春の渇水期には仮板橋をかけ、夏から秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭、舟銭を徴収していたそうです。

S_map  さらなる余談。制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる5泊6日の旅を経て伊勢まで赴きます。今年6月2日の近鉄ハイキングでここ斎宮跡で行われた斎王まつりを見に来ましたが、そのとき、この斎王群行が再現されていました(20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。左の図は、明和町のサイトからお借りしました。斎王群行のルートです。

 そろそろ「王朝ロマン」が盛り上がってくる期待があるかも知れませんが、実際に歩いている立場では、10㎞を歩いてかなり疲れてきたものの、ゴールも近いので、「あとひとがんばり」という気持ちも一方では出て来たのです(苦笑)。

Img_5525c_20191031145001  祓川橋から100mあまりのところ、左側(北側)には、道標。「従是外宮三里」と刻まれています。いよいよ外宮さんまで3191027kintetsuhikingmatsusaka6 里になってきました。弘化4(1847)年の建立。桑名・七里の渡し跡から歩いてきたことになりますが、東海道に比べ、参宮街道の方が、常夜燈や道標が多い気がします。今回の近鉄ハイキングでは、ここでいったん参宮街道から離れ、斎宮跡に進み、これから斎宮歴史博物館に向かいます。ここを左折。実測ルートマップは、最後のその6になりました。伊勢街道は、この先も直進し、斎宮小学校前、竹神社前の交差点を進みます。

Img_5530c  左折して、しばらくは田園地帯。近鉄山田線の線路をくぐって行きます。このあたりも斎宮跡に含まれるとImg_5542c_20191031145501 思われます。線路を潜ってから振り返ると、伊勢志摩ライナー。

Img_5549c_20191031145601  斎宮跡に含まれると思われると書きましたが、実際にまだ発掘調査が進んImg_5555c でいる場所もありました。この脇を通って斎宮歴史博物館に向かいます。11㎞を過ぎ、博物館手前の森に入ったところに「祓戸跡 竹川」という表示があります。このあたりには竹川という小さい川が流れています。斎王はここでも禊ぎを行ったといいます。また、5月と11月には竹川祓を行ったそうで、そのために河畔に祓殿が特設されたいた跡が、ここということ。

Img_5559c  斎宮歴史博物館に到着。スタートから11.4㎞、13時頃です。斎宮歴史博物館では、ちょうど斎宮歴史博物館開館30周年記念・史跡斎宮跡指定40周年記念特別展として、「東雲(しののめ)の斎王 大来皇女(おおくのひめみこ)と壬申(じんしん)の乱」が開催されていますので、これを観てきました。こちらも近鉄ハイキングの特典で一般¥400のところ、¥320。ここが最後の立ち寄り先。大来皇女は、天武天皇の皇女。「大伯皇女」とも書きます。天武2 (673) 年に斎王に任じられ、奉仕していましたが、朱鳥1 (686) 年、同母弟大津皇子の謀反事件が起こって任を解かれました(こちらを参照)。斎王の制度が確立したのは、この大来皇女からだといわれます。

Img_5566c  大来皇女は、その激動の人生を暗示するかのように、661年正月、百済救援軍を率いた斉明(さいめい)天皇らが筑紫へ向かう船上で誕生しました。大来皇女の人生はまさに、「倭国」から「日本」に成長していく日本史の中で最も変革の多い時期と重なっています。今回の展覧会では、大来皇女の斎王として、また、万葉歌人としての人生(万葉集に6首が収められています)を中心に、壬申の乱や最新の斎宮跡発掘調査の成果も含めて紹介されています。

Img_5572c  多武峯縁起絵巻(とうのみねえんぎえまき) 下巻之一(室町時代、談山神社蔵)、国宝 崇福寺跡塔心礎納置 舎利容器及び供養具(すうふくじあととうしんそのうち しゃりようきおよびくようぐ)(飛鳥時代 近江神宮蔵)などの文化財の他に、里中満智子さんの「天上の虹」の複製原画も出ていました。「天上の虹」は、持統天皇を主人公にした歴史物語です。

Img_5589c  斎宮歴史博物館を出て(11.5㎞)、塚山古墳群を見ながら歴史の道を歩いて、斎宮跡へと向かいます。このあたりは、6月2日にも歩いImg_5590c たところです(2019年6月 2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))。塚山古墳群は、斎宮歴史博物館および周辺に分布する群集墳で、5世紀末~6世紀前半に築造された円墳と方墳42基が確認されており、うち13基が保存されています。

Img_5602c  芝生広場の西を歩いて、12㎞地点を過ぎ、近鉄山田線の線路に突き当たって、線路沿いに東へ。スタートかImg_5610c_20191027213201 ら12.5㎞、時刻は13時20分にゴールの近鉄山田線・斎宮駅に到着。北側にある史跡公園口が、ゴール。この日は、松阪駅についてスタートする頃から次第に晴れてきて、けっこう蒸し暑く、かなり汗を掻きました。また、久しぶりの近鉄ハイキングで、10㎞以上歩いたのも10月5日以来でしたので(2019年10月5日:20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(予告編)……9回目の伊勢参りハイキングにして松阪へ【歩数を付記しました(10/6)】)疲れました(苦笑)。

Img_5612c_20191027204301  いつものように、記念のマグネットをいただき、これで10個コンプリート。今回は、神戸神社のデザインでした。子どもみImg_5613c たいな気もするのですが、こういうものでもいただけるとなると欲しくなりますし、全部集めたくなります。右の写真は、東側から見た史跡公園口の駅舎。

Img_5628c  さあ、これで無事にゴールしましたので、いよいよ昼ご飯タイム。あの「元祖特選牛肉弁当(¥1,500)」を食べられるのです。幸い天気もよいので、斎宮跡のどこかでということにしました。ちょっとウロウロして、いつき茶屋という休憩所&食事処のそばのベンチへ。この弁当、松阪牛のももの柔らかい部分を厳選し、独特の焼き方を工夫、最後に絡めるたれも秘伝のもの。冷めても美味しいというキャッチフレーズに間違いはありませんでした。いやぁ、去年食べた「モー太郎弁当」も美味しかったですが、これも甲乙つけ難し。この弁当は、昭和34(1959年)7月15日に紀勢本線が全通したのを記念して、日本初の牛肉、しかも松阪肉の駅弁として売り出され、それ以来食べ続けられているのです。当時の値段は150円だったといいます。「還暦の弁当」です。

Img_5620c_20191031200701  弁当を食べる前に見たのは、「御館の碑(みたちのひ)」。いつき茶屋の南にあります。この説明板によれば、斎宮跡顕彰運Img_5622c 動のシンボルだそうです。この石碑はもともと、明治36(1903)年、斎宮旧蹟表彰会が建てたもので、碑文には「斎王御館之遺跡」と刻まれています。碑が建てられた当時、地元で斎宮跡を復興しようとする動きが盛んになり、これ以外にも斎宮跡に関わる9ヶ所に石碑が建てられたといいます。「御館」は、中院の寮頭館舎のあった址と考えられています。

Img_5618c_20191031201201  伊勢志摩ライナーや近鉄特急が通って行くのを見ながら、青空の下で弁当を食べるのは、なかなか気持ちのよいものです。近Img_5649c_20191031201701 鉄ハイキングに来られ、伊勢参りツアーも10回目を無事に歩き終えられ、美味しい弁当をいただけていうことはありません(微笑)。帰りの電車まで時間がありましたので、あたりを少し歩いて、斎宮駅の南口へ。結局12.9㎞を歩きました。

Img_5658c  帰りは、斎宮駅を13時58分に出る伊勢中川行きの普通に乗車。松阪駅に14時11分に到着。14時15分に名古Img_5669c 屋行き急行が来ましたので、それに乗り換えて、桑名駅には15時22分着。料金は¥1,090。とうとう、片道の料金が¥1,000を越えました(爆)。歩数は、スマホのALKOOによれば、25,436歩。久しぶりにこれだけ歩くと、疲れます。ハイキングで最終的には12.9㎞、自宅から駅の往復が1.8㎞で、14.7㎞でした。

Isemairi_20191031202701  次の伊勢参りハイキングは、11月16日(土)。「昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」です。この日のゴール斎宮駅からスタートし、宮川を渡り、豊受大神宮(外宮)にお参りして、宇治山田駅までの約13㎞。マップ上13㎞となると、実際には15㎞くらい歩くことになる気がします。最終の12回目は、12月上旬だそうです。是非ともコンプリートしたいと思っています。事前になるべく調べ、あとは実際に歩いて、現地、現物を見てさらに学ぶということで行きましょう。「あみま倶楽部」の「あみま」は、「歩く・見る・学ぶ」だそうですし。

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