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2019年10月13日 (日)

20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認

191005kintetsuhikingisenakagawa2 10月5日の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」のその2です。小川神社、西方寺、須加神社を見て来ました。須加神社からしばらく歩いてもまだ3㎞です。

Img_3518c_20191012102701  スタートから3.5㎞、時刻は10時50分頃。歩き始めて1時間で、中原神社に到着。往古は龍玉神社と呼ばれ、須Img_3529c 可・須賀領、津屋城の氏神でした。しかし、創祀年代やその事情については不詳。明治43(1910)年、中原全域の大祠小祠を合祀しています。この神社も、初潮街道に面していますので、旅人たちにも「灯籠の森」「鶴の宮」として親しまれて来たといいます。大晦日の夜には、神々の化身である火の玉が上空を舞うという話が伝わっています。また、雨乞いの宮として知られ、旱魅のときには境内にある空池に村人が集まり、雨乞い祈願をして池を掃除すると願いがかなったといいます(右の写真)。昭和26(1951)年、黒野地区氏子の総意により、同地区の天王神社を分祀しました。

Img_3525c_20191012102801  主祭神は、豊玉彦命(とよたまひこのみこと;海の神;綿津見神(わたつみのかみ)、海神(わたつみ、わたのかみ)などともImg_3528c 表記される)、金山彦命(かなやまびこのみこと;鉱山の神)、誉田別命(ほんだわけのみこと;応神天皇)。相殿神は、素盞男尊(すさのおのみこと)、五男三女神、菅原遠津御祖神、天児屋根神(アマノコヤネノミコト)、火産霊神(ほむすびのかみ;火の神)、志貴大神(今のところよく分かりませんが、奈良県桜井市に志貴御縣坐神社があります)。

Img_3532c  境内には、山の神が8基ほど集められていました。近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングであちこちの神社を訪ね、旧街道などいろいろの旧道をImg_3524c_20191012102801 歩きましたが、実にたくさんの山の神があります。農耕が始まる春に山から迎えた山の神は、田の神となって五穀の生育を見守り,収穫後には再び田から山へ帰って山の神となると考えられていましたから、あちこちで祀られていたものなのでしょう。そのほか、山の神の信仰には、山で生産に従事する炭焼き、きこり、木地屋、鉱山業者などの奉じる神様もありますから、いろいろな信仰があったと思えます。中原神社にも、合祀100年紀念碑がありました。「中原神社 合祀百年記念碑 平成21年7月吉日 中原神社氏子中」と刻まれています。

191005kintetsuhikingisenakagawa3  中原神社で小休止し、お茶を一杯飲んで、再出発。中原神社を出てすぐのところに常夜燈があります。正面には「両宮 常夜Img_3537c 燈」と、左には「修復 下竜王野区 平成五年十月」、右には「明治拾五年弐月吉日」とありました。火袋のところが新しい感じでしたので、ここを平成5(1993)年に修理したと思われます。

Img_3548c_20191012113501  さらに進んで、4㎞を過ぎて近鉄山田線の線路を渡ります。線路のすぐ南には、伊勢中原駅がみえます。踏切Img_3554c を越えたところの左手にまた常夜燈があります。上部の宝珠や笠がなくなっています。正面には「常夜燈」、右には「氏子中」、左には「 明治二十八年八月」とあります。明治28(1895)年です。この先、常蓮寺・善勝寺に入っていくところ(4.5㎞過ぎ)のところにも常夜燈があります。これは詳細は不明。しかし、初瀬街道沿いにもたくさん常夜燈があります。京、奈良などからも参宮客が多かったためでしょう。ところで、みえの歴史街道(初瀬街道)のマップによれば、初瀬街道は、この2つの常夜燈の手前(西側)で右折し、南に向かって行くルートが描かれています。

Img_3562c_20191012115401  当日のコースマップにしたがい、大門橋まで行って、橋の手前を右折。水田地帯を三渡川を目指して歩きます。三渡川の手前Img_3569c_20191012115401 で5㎞。巡見橋で三渡川を渡りますが、橋に差し掛かる前に西をみたら、近鉄特急・しまかぜが通過。巡見橋の手前で、みえの歴史街道(初瀬街道)のマップに描かれたルートに戻ります。

191005kintetsuhikingisenakagawa4  JR紀勢線の踏切を越え、5.8㎞で前回も通った三渡橋のたもとにやって来ます。三渡橋のImg_3583c_20191012115801 た もとが、初瀬街道と伊勢街道の追分。前回(2019年9月22日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(予告編)……歩きも歩いたり、15.6㎞)、ここで道標を探したのですが、見つけられませんでした。この日、よく見て考えると、三渡橋は新しく掛け替えられたようでした。おそらく右の写真の辺りに道標があるのですが、工事のために一時的に撤去されているのだろうと考えました。

Img_3584c  三渡橋のたもとには、常夜燈。それを過ぎると、市場庄のまち並みに入りますが、松ヶ崎駅の西まで2㎞あまりは、9月22日Img_1195c_20191012151501 に歩いたコースと重複します。前回のハイキングできた後、「格子戸めぐり~伊勢街道の小さな旅~」(格子戸の会)という、市場庄のまち並みを案内するリーフレットを見つけました。市場庄のまち並みを抜けたところに右のような案内板もあります(写真は、9月22日に撮影)。

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 Mさんもいらっしゃいましたので、前回訪ねた忘井、市場庄公会所、その先にある庚申堂・行者堂・道標・Img_3664c
常夜燈、中道公会所、舟木家長屋門、庚申堂も見てきましたが、内容が重複しますので、割愛します。10月1日にブログに載せました「20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ」をご覧ください。以下、神楽寺など、前回見なかったところや、よく確認しなかったことを書いていきます。

Img_3639c_20191012152301  護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)です。市場庄公会所の東にあります(というよりも、市場庄公会所が、神楽寺の境Img_3631c 内を利用して建てられたとされます)。曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。神楽寺は、古くは旧米ノ庄村の熊野権現社の別当寺として権現坊護国院と称しており、その頃は熊野権現社の祭礼に際し、祭供を司り舞楽を演奏する道場であったといわれています。

Img_3630c_20191012152301  慶長16(1611)年3月、越中新川郡布目村(現富山県富山市)大安寺の5世聖山巌祝が曹洞宗に改め、寺号を神楽寺と改称して開山しました。本堂・山門ともに江戸時代中期の建立とされます。山門(右上の写真)は黄檗宗の山門に似ており、切妻造りの中央部分の屋根を切り上げてつくられています。宝暦7(1757)年の銘がある瓦も残されているそうで、本堂・山門の建立時期もそれ以前と考えられています。

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 境内には観音堂があり、ここには聖観音菩薩が安置されています。左がその観音堂と思います(説明板はありませんでしImg_3619c た)。境内には、村の入り口にあったという庚申塔が納められた小堂があります。右がそれですが、文字庚申と、何か刻まれた像が見えました。

Img_3621c  また、同じく、村の入り口にあった青面金剛(ショウメンコンゴウ) 像があるということでした。どれなのImg_3625c_20191012153601 かよく分からず、手当たり次第写真を撮って来ました(これ、ホントはよくないパターンです。分かってはいるのですが、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で野鳥撮影をしているので、その悪影響)。青面金剛は、帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂(「臂」は腕。六臂は、腕が六本ということ)、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとります。病魔を退散させる威力があり、庚申待の本尊とされます。その恐ろしい姿から、邪気や悪病を払うご利益が期待されたので、村の入り口に祀られたと思われます。が、他のお堂などにあるお像を見ても、お地蔵ざまばかりと思えます。上右の写真にある、文字庚申の入ったお堂にあったもう一体の像が、青面金剛像かも知れません。やはりきちんと見て、写真が撮れるものは確実に撮ってこないといけません。

Img_3613c_20191012160001  市場庄公会所の建物の前に、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱がありました。前回の記事では、「現在の上皇陛下がお生まれになったときにたぶん、記念植樹をしたのでしょう」と推測しました。まず、これを建てたのは、「帝国在郷軍人會 米ノ庄村分會第二斑」でした(石柱の正面、下に刻まれています)。日付などは読めませんでした。

Img_3643c  近鉄山田線の高架をくぐって、7.6㎞のところで伊勢街道は左折します。ここに庚申堂、行者堂、山の神2Img_3645c_20191012163901 基、「いおちかんのん」への道標と常夜燈が並んでいます。行者堂に木札があり、前回の写真ではよく読めなかったのですが、「金剛童子蔵王権現不動」とありました。また、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップによれば、もう1つ、「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっているのですが、見当たりませんでした(前回も見つけていません)。詳細は不明。

191005kintetsuhikingisenakagawa5  このあたりから、実測ルートマップはその5です。この先に公会堂があり、その敷地内に「太田雅城翁頌徳Img_3653c 碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。碑陰の写真が、前回は曇天で不鮮明にしか写っていませんでした。この日は好天のもと、しっかりと見て、鮮明な写真を撮って来ました。本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。これでちょっとスッキリ(微笑)。

Img_3659c  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あるのに、新たに気づきました。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_3668c_20191012162001  さらに進み、舟木家長屋門を見て、スタートから8.1㎞過ぎ、伊勢街道が鉤の手に曲がるところに庚申堂があImg_3667c りました。先日は、この向かいにある庚申塔2基を見逃していました。何の変哲もない庚申塔といえば、それまでなのですが、あると分かっていると見てこなくちゃと思うのです(微笑)。

Img_3670c_20191012162001  この先、8.3㎞地点。前回は、ここまでがコースで、左の写真にある交差点を左折してImg_3672c_20191012162401 200mほど先にある近鉄山田線・松ヶ崎駅がゴールでした(写真では奥の方向)。この日は、伊勢街道をまっすぐ進み(写真では右の方)、松阪の市街地を目指していきます(右の写真)。

 キリが良いので、その2はここまで。

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